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P 9

p

(2)

部が﹁翫家式目﹂︵古式目︶︑第三部が

の名で伝わっていることを指橘された︒ 當道また平曲伝承にかかわる資料として﹁當道要集﹄は最も重視されてきたと言えよう︒その翻刻紹介は改定史籍集覧第二十七冊︵明治調︶に収められ﹃日本庶民生活史料集成﹂第十七巻︵昭和卿︶に再録︑一般に流布しているが︑﹃當道新式目﹂を附した右の翻刻によって﹃當道要集﹄を考えることに問題があることを注意されたのは︑加藤康昭氏である︒︐加藤氏は御著﹃日本盲人社会史研究﹄︵昭鯛︶において︑右の﹃當道要集﹄が三部に分かれていて︑第一部が﹁當道拾要録﹂などと同一︑第二部が﹁寛永式目﹂︵古式目︶︑第三部が﹃當道要集﹂ないし﹃當道要抄﹄

その後︑前田美稲子氏︵﹁奥村家蔵当道座︒平家琵琶資料﹂昭弱︑附載

研究︶により諸本の調査が発表された︒それによれば︑右の改定史籍集

覧本の第一部︵前田氏は甲とされる︶︑第三部︵乙とされる︶を二種の﹃當

道要集﹄と認め︑さらに乙種を︑ABCの三類に分けているのであるが︑

現段階での私の調査では︑前田氏の言われる甲本を﹁當道要集﹂ないし

﹁當道要抄﹂と称している伝本を見ていない︒それらは加藤氏が指摘さ

翻刻﹃當道要集︵要抄匡三種

れたように﹁當道拾要録﹂﹁當道祖神録﹂などの別の書とみなすべきでは

なかろうか︒前田氏の一覧表によればM番の国会図書館蕊﹁盲人諸書類﹂

第一冊当道拾要録が項目︵内題の意か?︶﹁当道要集﹂とあり︑甲本を﹃當

道要集﹄の一形態とみなす唯一の証拠であるように見受けられる︒しか

し︑該書は外題内題ともに﹁當道拾要録﹂であり︑内容も所謂﹃當道拾

要録﹄︵﹃三十輻﹄所収などを参照︶である︒よって︑私は﹁當道要集﹄

の伝本は︑前田氏の所謂乙本の類のみを指すぺきと考え︑氏の三分類を

尊重しながら︑調査ずみのものを︑次のように四つに分類してみた︒

イA當道要集

pA當道要集 當道要集・當道要抄に関する伝本 鈴木孝庸

無窮会・神習文庫︵常道拾要録︶

︵古式目︶當道新式目と合

東京大学史料編纂所︵無窮会・神

習文庫本の写︶

305

(3)

卜A當道要抄一冊

チA當道要抄

リA當道要抄 ホA當道要集

へA常道要集

ワC當道要抄 ヲB當道用集 ヌB當道尊種黍ルB當道用集 二A當道要集勘文録 ハA當道要集

国会図書館替官紀談・下

所収内閣文庫啓官紀談・下

所収 録と合東京藝術大学音楽学部登記・平家相傳大綱と合東京大学附属図書館平家相痙京都府立総合資料館當道拾露今回国会図書館︵橋本経亮写︶ 平家相傳 国会図書館當道新式目・平家勘文力C営道要抄

国会図書館盲人式目別集の内當

道新式目と合 益田勝実氏當道法式大概と合国会図書館所収内閣文庫所収 と合

當道拾要集と

當道拾要録.

替官紀談・上

瞥官紀談・上 道略

詳細は別稿に譲るが︑この四種は四様であり︑共有する部分を多く

含むものの︑簡単に一本で代表させることができない︒史籍集覧本は

原本︵前田氏の言われるように︑無窮会本を写した史料煽纂所本であ

ろう︒︶に忠実な翻刻と言って良いが︑本文そのものが良質ではない︒

そこでいまこれらのうち︑Aについては比較的善本と思われる卜の橋

本経亮筆写本の翻字に︑京都府立総合資料館本をもって校異を記し︑

B︑Cについては国会図書館本の翻字照Bは同系益田勝実氏所蔵本

︵国文学研究資料館蔵紙焼本に拠る︶によって︑Cは︑D系内閣文庫

本︵タ︶によって主要な校異を記すこととした︒

書誌を簡単に記すと︒

A︑国立国会図書館蔵﹃當道要抄﹂︵わ︲5︶

タヨ

DD

當當 道道 要要 抄抄

しり當道要抄一冊

写本︑袋綴︑一冊︑縦二六・○センチ︑横一八・九センチ︑白

茶布目地表紙︑外題左にうちつけ書き﹁當道要抄﹂︑扉題﹁當道要

抄﹂︑瑞作題﹁當道要抄﹂︑全一三丁︑遊紙ナシ︑貼紙一葉︑表紙お 内閣文庫盲人式目別集の内當道妬

新式目と合彰考館平家物語奥秘等と合内閣文庫平家物語奥秘等と合︵彰考館本の写︶内閣文庫︵彰考館本の写︶

(4)

よび最終丁ウラに﹁西荘文庫﹂朱印あり︒

B︑C︑は合集の一部につき省略︒

なお︑本稿は昭和五十九年度科学研究費補助金︵奨励研究A︶お

よび昭和六十年度︵前期︶国文学研究資料館文献資料部第四文献資

料室併任による研究成果の一部である︒

資料の調査等に多大の便宜を賜わった諸機関各位︑および益田勝

実氏︑薗田治子氏︑伊東玉美氏︑翻刻を快諾された国立国会図書館実氏︑薦田治子氏︑伊奉

一︑底本は誤字とおぼしきもの︑意味不明箇所が多いが︑と

することをひかえるようにし︑片仮名・平仮名を通常2

は︑漢字の字体もできるだけ原文に則するよう努刀した︒ 意味不明箇所が多いが︑あ

一︑説解の便を考え︑私意によって適宜改行・分かち書きを施した︒

一︑Aは︑橋本経亮の本文吟味と覚しき雷き入れが多い︒このうち明

らかな誤りとして直しているような形になっている箇所は︑訂正さ

れた方を採用し侍に注記しなかった︒別案並記は︵︶に入れて示

れた方を採用し特に注記しなかった︒別案並記は︵︶に入れて一

、た

に対し御礼申し上げる︒

した︒なお︑Aの冒頭︑文中︑末尾にある橋本経亮の考証書込み︑

および﹃平家正節﹂の書き抜き貼紙一葉︵﹁紅葉﹂の一部︶を省一を省い

凡例

の校異は︑片仮名と平仮名の間の違いについては取り上げず︑

えて判断

片仮名・平仮名を通常の形にした外 その他頻出する二︑三の例︵也11なり︑或はlあるひは︑有11あり︑所11処の類︶を除いて掲出した︒一︑B︑Cの校異は主なものに止めた︒一︑のちの検討の便を考え︑それぞれに通し番号を付した︒Aは︑一シ

書きの形を尊重し︑①②⁝⁝の如く︑B︑Cは翻刻者の判断によっ

て︑Bは︵1︶︵2︶⁝⁝︑Cは︵a︶︵b︶⁝⁝の如く記した︒

307

(5)

12②一平家物語の三部の始終を以て其意を案するに世の爲に善悪の

345亀鑑として本朝漢土に至迄沙汰し褒︵ホメ︶すと云事なし逼代の規

67矩をになわしむ或ハ代々の帝徳を感して三皇五帝の昔に應し或ハ聖

89人の佳名︻1ウ︼をかたらふ伯夷叔斉等か古へに及はん事を作り文

的皿嘘1

を製せる事も番︵本ノマ︑杳歎︶に蒼頷か芳圏を踏不吟して諸人才

11

4.5士と成て唐宋の風業をつき不詠して敷嶋の道に渡り詞花言葉の林を

ミる或ハ公家武家の品族を知り或は諸國庄園の郡衛︵衙乎︶を知ル

71胆されは我朝の列縣の系圖又ハ諸家の日記なとも見っへし

1︑一晨即一部2︑為に114麺3︑としてlにして4︑

至迄Il至るまて5︑褒す11褒せす6︐.になわしむ11になみしむ

7︑聖人11聖人賢人8︑佳名l姓名9︑露−1替加︑番に語と号給へり當道要抄

①抑平家物語ハ本朝四部の合戦状之内の矛三也前後之三部ハ何も年

223号を以題目とせり保元物語平治物語承久物かたり是也就中平家物か

たりの題目ハ北野天神少納言入道信西か孫寛暁法印に御示現有て平家物

1︑要抄11要集2︑物賠11物かたり3︑是也11也4︐

ぺつ号−1上晉し5︑業にあらすIことわさにあらすたれか是を蔑如せんや A︑當道要抄全︵国立国会図書館蔵本橋本経亮写︶

凡夫の業にあらす

12 34

③一秘事と称する処ハ皆神道の寄特を明し︵ら︶め利閑の現當

成事を示し仙︵仏歎︶道の殊勝成儀をわ譽象へて一念随喜母徳をなせり

④一源平闘課を沙汰して無常の勧門をひらき平家繁昌︻2オ︼の

23古を知て盛者必衰の理りを悟るされは言葉麗々として理趣綿々たり

−字を出せは千草あらはれ一句を︵に力︶あ︵は力︶たれは万端知る

56 78

数寄の荷描︵本ノマ︑︶文質を以て仰は弥高く鎖れは弥堅し夜光の

玉琢磨をくわへさる事なれば愚意の讃嘆せん事其揮すぐなからす唯

紅粉を以て美女の轌騨巴を泥かことし

1︑勧間11観門2︑盛者必衰の理り11盛衰のことわり3︑

〆シ綿々11綿々4︑一句をあたれは一句をあたれハ5︑数寄−1数 lはるかに︑︑睦甲1Jふみ人11土詩人M︑つき11継き鰯11蜘蝉衝Ⅳ︑列縣l州縣飛電行両

1︑寄特11奇特2︑明し︵ら︶めl明しめ3︑利鬮11刑飼

4︑現趨成塞︑11現當なる事5︑仙壺平11弼道6︑なせり11成せり 皿︑不吟してl吟ぜすして蝿︑諸

晦︑不詠して11塞醒せすして嘘︑郡

鴫︑なとも見っへしなとも

(6)

一一一

⑤一四條之院の御時性仏と申て僧正なる人天台山におはしき此性

23仏僧正ハ叡山の検校職成しか俄に盲目と成給へりされハ諸の盲目の

05業ハいか梯に可仕哉覧と山王穂現に祈誓申侍れハ平家物語をうたハせ

67侍るへしと御詑宣有︻2ウ︼

89扱性仏僧正此平家物語の音曲ハいか様に仕侍るへきそと亦山王槽現に祈

誓甲せハニ藪指坂よかんめるとの御詑宣也押し方却一錨琵担収のふしを 01

皿6

1 3

以て諸の盲目共にうたハせ侍りき

1︑四條之院11四條院2︑俄に盲目11俄盲目3︑賭の11も

ろノ︑の4︑業は11麹︽には5︑可仕哉覧11仕へきやらん6︑

侍るl侍ふ7︑陀宜11既宜8︑仕侍るlI在る9︑亦11又

皿︑三敦担牢三教指帰皿︑のI︵ナご皿︑其レー夫聡︑

賭の盲目11諸盲目

⑥一筑紫方城一と申検校後宇多院の御時出來せり此城一ヲ検校

1γ2の開山とす在名を云事自是はしまれり其比城玄如一とて検校二人

有二人ともに筑紫方城一の直弟なり城玄ハ八坂方壺初の検校也如

−は一方壺初の検校なるに城玄の在名ハ八坂と号す八坂の塔の辺に

567すめは也如一の在名ハ坂東と号す此時八坂方一方と雨流に相分る

9加

正に︻3オ︼一派を汲て雨翼をならふといへとも文章の義理音曲の躰 奇6︑荷婚11荷捨7︑以てll以て観するに8︑仰は弥高くlI仰けはいよ/︑高く9︑泥かことしlぉさむるか如し

1 1

・吃ハ別条なし亦覺一と云検校有是は如一直弟也在名ハ明石と号ず

咽M

此覺一ハ尊氏將軍の従母弟也き播磨の明石を知行せり城玄検校ハ伏

51見院御時の久我大納言の舎弟也此故に久我殿を検校の傅奏とす花園

61陰恕b城玄一壷杢永を御兄あり

1︑自是はし漢れり11皇6始れり︑2︑比Tl頃3︑二人11弐

人4︑なるにlなり5︑すめはII住めは6︑如一の在名は

11如一は在名7︑とI︵ナシ︶8︑正にlIまさに9︑一派

I一流皿︑汲てl汲んて︑︑亦11又聰︑如一直弟也11如

一の直弟咽︑也き1−也M︑伏見院御時のll伏見院の御時晦︑

此故に久我殿を検校の偲奏とすI︵ナシ︶躯︑あり11ありぎ

12⑦一平家勘文の録を勘るに作箸七人有て品々の本有然といへと

も遍く其中に流布せるハ三本也草案本中害本清書本是也草案

45本ハもろノ︑の盲目の業とせり中書本ハ月卿雲客翫ふ清害本ハ大内

67の秘府に納らる是を雲井の本と名付ク︻3ウ︼

23

⑧一覺一検校累代の祖師を越天下無双の上手成故常ハ摂家仙洞

45主上の御前へ召出されて平家をうたハせ愛せさせたまふ依て件の雲

678

9脚井本を下シ給る其方草案本を打捨て雲井の本を以翫フ︵うたふ︶然 1︑平家勘文の録1−缶十家勘文録2︑勘るにl1以て考るに3

遍くたま#︑4︐もろノ.︑の11賭5︑翫ふllもてぁそふ

6︑納らる11上細る7︐名付クーl貞勺ク

3

309

(7)

123⑨一音曲ハ只其身の堪否によるへしいっれの流こそおもしるけれ

45

47シロヂウ8ワリコエ9&▲コエ且ネ

と云は愚成人の申処也平家の音曲と云ハ中音初重折聾胃声︵峯胞ザシ皿ヒロヒ吃胸声粍云リ︶指言︵指声陸云︶拾しら声是也一但折声も智声も

4弱

︻4オ︼同事也或ハ諸經和讃或ハ早歌白拍子風俗催馬樂 6711

韓神今椴祝言詑宣等惣て諸道の音曲に渡ルと云々或ハ大音に

してあらりと静るも郁或ハ小音にして優美に謬るも有是皆人の思々

澱に侍るへし

1︑只ll唯2︑いつれのl何れの3︑おもしるけれII聾お

もしろけれ4︑云はlいふハ5︑愚成人l愚人6︑平家の音

曲11平家音曲7︑中音初単11中音三重初重8︑折壁11折

音9︑胸声11峯音血︑指言lサシ音u︑拾11甲音ヒロィ

11 12

間雨流の先達に越て一派の比︵頭力︶角と成ルされハにや理致庚博に

腸閲

して文章微妙也余本ハ義理不正にして言語に頗馳謬あるも彼雨家の

ウリ

肥・

外ハ世の偏依︵本ノマ︑︶なきか故に流をつくすとミえたり

・1︑箪−1こえ2︑成故lなる問3︑常はI︵ナシ︶

4︑たまふ依て11恕給ふに依て5︑璽井本︲11震井の本6︑給る

11賜ハる7︑其噂11夫より8︑草壷零Tl上早案の本9︑以翫

フーI以てうたふ皿︑然間11然ル間n︑一派11一流吃︑比角

l頭角増慶博11圏織皿︑不正にしてl正しからすして

喝︑頗−1すこふる妬︑あるも11ありⅣ︑個依11心蝿伏岨︑ミ

え11坐見え 123⑩一噌々切々た︑四の絃の基戸歴々なれとも宮畢團月徴羽の八音︑4通すれハオーオニ矛三才四の絃共二一越断金平調勝絶下死

789

01璽調尭鐘黄渉鴛鐘盤渉神仙上元十二調子相違せす平家

蛇聰肌

の謬り様琵琶の引様ニハ墨譜なし師をあかめて師をうつさす唯お

5161のすから妙を得るを以名人とす但萬物ハ出処を貴によれりいかにも

37

8191畷且手︻4ウ︼風流を聞まなふへし文々句々音曲墨譜に羅綺を折︵を︶

る事は上手成へし釣騨寄白拍子なとの勝は風流成を滅意とす平家榊語

は我朝の史記眞俗瀞︵如本摸乎︶規共申侍れは文讃に離して諸人の

耳に騨椴に瀞るへし騨々尊ク殊勝成処をハ我も随喜の勝ひをなし 拾などをぱ我と文義をなし璃聯をぱ我も合戦の腓ひをなし郭成処ヒロヒワレ訓誕プン

をは我も袖をうるおし狂言綺語の所をは我も其身に成て僻っかハしく 調

謬りなせるを以上手とす瀞とて騨膨ひ入の過たるハ思ひ入の辮らも排

晦1

23

45し︑次に声感敷もの︑ぷしをぷ︵好力︶ミ音曲に携るハ無益成へしう

つたかひしてのかひ︻5オ︼そり卵に型ミくちに獣ミ頭榊ふり顔腫

64

78

︵ゆ欺︶かめなとして謬るハ聞人も其躰のミ見物して扉白氣なくおか

しかる斗也小菅鮮者も大昔騨者もくせノ︑しくなき棟二音曲一句の内

蛇︑しら声11白音昭︑但折声も胃声も11但し色音と峯音もM︑同

ノプト事11ふ回し事躯︑早歌Il早野躯︑祝冒11祝飼Ⅳ︑舵宜11託

宜姐︑渡ルーわたる皿︑霞るlかたる加︑有ll有り

皿︑思々l思ひノ︑配︑心に待るへし11心得待へし

(8)

I

●︽■■?gに当所一所斗語るへし音曲ハ中音初重騨︵如本緒力︶納る所にて唯

52

字一シ瀞シ音曲かと畔る斗に謬りなすへし拶場なとハ文の字によりて

61醜吟を能やうにしなすへし一句の始方終迄火急成かよし柔和なれは感 おこりて聞人の退屈せり昔も今も人の称美に僻て佳名を榊侍るや壷 的醜笛

圖墨跡なとハ古きを騨郷蝋とせり音曲ハ其身去て後も献影卿様に新敷

呼自騨へし画に師の一定ら出ても緋別︻5ウ︼成のミ騨多し十人は

3別 而ね2

十葉也聖人ハ自出とて瀞ハ替里に似す詠寄の道も父子の心歴々なり

俊成定家の歌の評ま雨様也侍︵本ノマ︑︶坂を腓て沙汰せられし故に

摂政殿遊されし平家も郷れには灘へからす紳強弱宣︵本︶叙の差別有

と鄙共上手は同しかるへし當道の語る平家におゐて四の存知五の本意 あるへき也四の存知と識ハ或ハ禁裏仙洞の靭却臣將軍の執或ハ貴

1蛇

人瀞冨の畔︵前︶畔殿︵如本実藪︶野人の所にてかたる平家をかたる へき也五の本意と琴ハオ一癖本の瀞撰電一二音曲三二存知二部

色塞二琵琶なるへし初めたる所にて平家かたるへき様ハ祝言常のこ

とし三句かたらは修羅一句︻6オ︼調物一句五句譜ハ愁嘆一句修羅

一句愁嘆にも修羅にもあらぬ所一句坪ミ物一句かたるへき也頓写にハ

妓王二代后葵小督内裏女房なとの類かたるへからす其故ハ智識の前に

て女のうはさうるさし是必緋︵如本︶墨にあらす通法也

1︑た︑Iたる2︑直々lまちノ︑3︑八音l五音

4︑一銘11登越5︑下先11下無6︑聾鯛l双調7︑黄渉

l黄鋳8︑鴛鐘11鴬鏡9︑鰹渉11盛鋳加︑上元11上無

︑︑語り禄11かたりやう蛇︑引椴1−圭弾橡咽︑唯−1只M︑ぉ のすから11みすから咽︑以Il4以て咽︑資11たつとふⅣ︑上手11上手の胆︑まなふll学ふ理折るIIおる別︑早野11台︸歌皿︑筋は−1坐即池︑杢亭11本銭鯛︑物箪11物かたり理鴬予I溺規晦均ひとしう蝿届撤にトーと︑倉侍る橡に︑扇るI︲かたる鯛︑返々11選スノ\も顔︑恩ひl鐙もひ釦拾11拾ひ型と11も銘文蕊11文融廻哀成処llあハれなる所鍋︑うる簿し︲Iうるぼし鱒︑似っかハしくlにっかわしく調︑鬮りl︲かたり訂︑鶴とてlしかりとて認︑除llあまり鋼︑韓霧?11無キより鋤︑あし渉llあしく処悪敷1Iあし書銘ふし11鰯鯛︑ふに音曲に携るはlこのみ鍵のするハ︑無益威へしll議し益娼うったかひしてlぅったかにして妬︑のかひそりUIIのりひそり銅︑鼻丁IIはな網︑・埋み11うつみ鍋︑含み︲lふくみ珊打ふりIうちふり鼬︑にかめ−1にかめ蝿面白氣I︲面白け弱成鱈l鞍るもの劉内1︲中弱一所一所11一所二所弱︑斗11臆かり斑諸納る所l慮りおさめの

ヒロ所蝿威ツーニッ鞘闘るl閥ゅる印捨場Il拾う掲

団︑能やうlIよき橡腿︑庫11なる鯛︑おこりて●11をとりて

︑の11も噛菅lむかし蝿依てlよりて珂得侍るゃ

々GII上狩るなり蝿規種TI出祝模閏去てlI去りて囮面影

11鐸︑︑残11残る電衝白11着もしろく洞︑正にlま誉

に型師の一定Tl鼻師ハー室逼各別成11格別なる乃是

I︵ナご両︑十葉也十椴犯︑自出とてlミっから出とて

311

(9)

12

︐一平家に琵琶を錯︵掻乎︶あわする莫私ならす勅定也性仏僧

34正或時内裏奏し申されけるハ件の平家に糸竹かかき合てうたハまほし

567く存するハいかにと奏せられけれハ実も平家斗ハさうノ︑しく侍へる

890111間琵琶しかるへしと勅定有て上玄石上と申秘曲を當道にゅるか︵如本︶

せましノ︑き此上玄石上と申秘曲ハ仁明天皇の御宇嘉祥の比おひ掃部

1 3

M鱒聡

頭貞敏渡唐シ︻6ウ︼簾妾夫に歎て三曲を相傳の時簾妾夫上原石上の

71

1 2

曲をハ秘して貞敏に不傳其後數年を経て村上天皇の御宇腫和の比おひ

1 8

︒9八月十五日の夜主上清凉殿の月の宴にして玄上と申御琵琶をゆるされし時瀞︵影欺︶の様成者御前に参してじゃうかを仕る主上御琵琶を

麓4溺

聞て︵如本閣歎︶給て汝ハ僻か成者そと評尋我全日貞敏渡唐の時

67

麹9三曲を甥へ僻りし簾妾夫と申者也彼三曲の内上玄石上と申曲を秘して 離敏僻さりし罪に依て魔道に沈翰︵倫︶すされハ癖秘曲を天子に僻へ

て僻果得侍らんとて御前に立られたる青山を取て四絃を瀞ならし彼秘 シユシゴッウね︑舜ハ啓學11舜瞥腹帥︑さまlIさまも帥︑以て11以魂︑それI夫囲︑連11違ふ︑縦lIたとひ鱒︑云共Ilいへ共妬︑云ハ﹂11いふハ師︑大臣11公卿大臣明︑亭11侍的︑簡官l高僧卯︑単11前皿︑田殿11田夫蛇︑をかたるへき也11有へきなり鯛︑にI︵ナシ︶瓢︑清撰−1清選弱︑二第二妬︑三第三呪︑四第四卵︑音色ll菅野的︑五−第五叩ことしl如し皿.鱈ハー1歳西らハ岬よミ物−1讃物噸︑智蹴11知識岬箇畢11衡墨

弱︑訂

曲を天子に瀞て消失ぬ上原石上︻7オ︼曲是也かやうに目出度く妙釣抑組成秘曲を當道にゆるさせまします朝恩いくはくそやか︑れハ琵琶を引毎に瀞き朝恩を心底に深く鄙もひ入侍るへし平家の中間に琵琶をしけ

絹帽〃

く引ハ下手成へし上手は先一巡を引渡ひて中音の間に一所三重の間に一所持の間に一所長くハニ所卵也駒凡琵琶の曲白居易か静琶行を準 85

ねとし侍るへし

副タイケンハソウr︑トジコトク今ウウノ大絃者噌有如︾一急雨一

崎繊稗雛需〆蝿二鶴識一

号モシヤクサワトソタンズ噌々切々錯雑弾

牟遍クハンニ対照小珠落二玉盤一

ケンクハンタルワウゴハクハテイニナ虫ラカナリ間關鴬語花底滑

鰯嘩夕離潮ハ調和ノ瀞

レイシウニノプル今ヤウゼヲス水泉冷渋絃凝絶

.〃ズブウセコエシハラクヤム凝絶不し通騨暫歌

ペツニアリユウ歩ウアンコンノシヤウスル別︻7ウ︼有二幽愁暗恨生一

蹄蹴蝿し躍畷︐し有一一し聾

ギンペヤウタチマチニヤプレテスイ余ヤウ傘トパシリ

銀瓶乍破水漿遊

サブ今トツシユヲジトウソウナル鐡騎突出刀鎗鳴

蝿縄興蝿し鍵譲レ越一蕊ゞ

シケンイプセイコトシサクカハクヲ四絃一野如レ裂レ吊

1︑を11︵ナシ︶2︑錯あわするlましへあはする3︑内裏

l内裏江4︑赤竹か11糸か竹か5︑実も11けにも6︐斗

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(10)

lはかり7︑侍へる11侍るへき8︐しかるへしl然るへし

12

︐︑上玄I上頗加︑と申11の︑︑ゅるかせlゆるき篭蝿︑⑫一涼みは六月十九日石賢二月士ハ日也二季蓋逮憲凉

3453比鐙ひ11頃腫ひ聰︑渡麿ジー:してM︑欲てI鞍げ曾てみは裏の尊の書の御吊也臺は雨夜の尊の御吊也抑襄の尊と

678聡︑をI︵ナ乙聡︑の曲をハー醤哩鳶l博へす鯛︑申ハ光孝天皇の才一の御子にて誓墓ひしか盲目とならせたまへり

9m︑鯉週

八月十五日二一五岨︑ゆるされIl遊ハされ型親の樺成者11影或時父帝5仰成けるハ御身を有度ま︑に御篭信て伺雲も思召さまにて

M鴎3鱒

年月を送らせおハしませと仰られ侍しかは雨夜の尊の御返事ハ我は是

のやうなるもの瓢︑しやうか11唱寄泥︑間て給てIさし歴セ給ひ89て潟︑いか成者lいかなるもの鋤︑御尋l御尋有けれハ溺︑盲目にて賃ハ更8ォ霞明らか成者寛られ侍る嘉篝る也然 −711

・は我罫とく成盲目を沖へ置っ︑年月を送らまほしく思召すと柳返事侍

露詞昔11むかし範教へlゆるし︑侍りしll侍りにし湖︑者酋ゞ︑lもの︑貞敏l︲︵ナシ︶鋤︑侭きりしl侭へきりし弧︑る間是瀞童琴て洛中を御尋有てぎ雲静展盲目をゑらひ出

彼秘曲を11御琵琶の秘曲魂︑博へ11傅へ奉り認︑佛果11佛果をされて僻后ら女房を下されて或ハ勾當或ハ祷稜に錬成光孝天皇方

鋤︑鐙︲lか懲蕊︑授て︲I授ケ奉りて錨︑石上l石上の罰︑後白河院の御時琴大隅薩摩日向三ヶ國の物成を日本國中の盲目静御

目幽嘆くlめてた︑鯛︑竣略l砂なる鍋︑いく瞼くそやlい:扶持ありき彼物成を煮激千艘に種テ鷲の園鳥羽へ箸ヶ年々の雪

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そはくそや蝿か§れハー書れハ似︑を引︲1弾する躯︑繍曽霊日本國中書目共鳥羽に集りて雰す二月十杳篶中の薑河

01

1躯

lかたしけな菖鯛︑鐘もひ入l息ひ入れ︑引ハ︲1弾するハ原に出て石塔を積て雲の尊に掌向雪詩︵ハヵ︶墓と名

付︻8ウ︼瀞みは汽月なれは群みと秤付光孝天皇ら四条院の御時迄當

34

媚︑成へしlなるへし鍋︑引渡ひて11弾わたひて銅︑中音の間に11中音に躯︑拾︲l拾ひ⑬︑引也︲l弾くなり別︑京都府立総道の餅位却當検校即二階也筑紫方検校城一の瀞は検校別當勾當四度瀞

方打掛とこまかに僻てり

5 1

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詞擢ハ緊鼻むも有曹を好むも有曾下手鞍るへし嬢の厚Ⅱ︑石塔l鬘2︑顧み11凉3︑雨夜の尊天夜尊

きハ長松に大風のふく橡にはしたなく聞ゆるなり薄選は柳の糸に松風のな4︑御吊也1−御とふらひなり・5︑石塔は雨夜の尊の御吊也11︵ナシ︶

き樺に風情すぐなくなり上手ハ厚くもなく薄くもなきを好ミ侍るなり﹂が6︑渉一の御子11御連枝7︑盲目百人8︑たまへり11給へり入る.瓢︑白質11畠易馳︑嘗行l誉行蝿むねI9︑鳶iあると譽叩︑父帝I讃皿︑:けるハー曹けるハゴウ

宗別︑プリ仮名は京都府立総合畜鍾硬鴎本に拠った︒皿︑有度ま参に11有たきまシに蝿︑思召さま11思召まぁM︑仰ら劃

(11)

2 ⑬ 一 三 月 廿 四 日 に 八 坂 城 玄 の 位 牌 所 透 玄 篭 二 而 頓 写 あ り 是 ハ 安 徳

45

天皇を始奉り百官迷︵如本達︶長門國檀の浦にて三月廿四日に亡果し

78事を語て世を渡り侍る間其追善也

1︑にI︵ナシ︶2︑透玄電二而11透玄篭にて3︐百官迷

1︵ナシ︶4︑長門園Il長門の園5︑檀の浦1−壇の浦6︑

亡果し事を11亡果給ひしを7︑題てlかたりて8︑渡り侍る間

l渡る間 れl詔られ聡︑侍11︵ナシ︶躯︑御返事ハーl御返事にⅣ︑侍れハー︵ナシ︶岨︑者11もの四︑耽敷侍る也11はっかしぐ候也釦︑ことく成ll如くなる皿︑井へlならへ〃︑送ら−Iおくら認︑思召す11思召別︑御返事侍る間11奏聞ありしかハ弱︑輩11やすき妬︑康11なり︑みめ能11みめよく魂︑尋常成11尋常なる羽︑ゑらひ−1摸釦︑母后方女房を下されてI︵ナシ︶瓢︑検校に被戚11棟校の官を宣下ありて御伽に参らせらる魂︑まてl迄鍋︑にI︵ナシ︶劃︑大舟11大船弱︑山城の園11山城園銅︑弥生毎に11春毎に鋤︑日本國中の11︵ナシ︶銘︑共鳥羽に集りてI︵ナシ︶釣︑河原に−1川原へ釦︑御−1︵ナシ︶虹︑されIされハ蛇︑名付11名付っら鯛︑顧みは11凉塔ハ︑六月11☆異妬︑名付IIいへり妬︑官位11宮鯛︑勾営愚躍寧11検校勾當躯︑只11唯伯︑時は11時より別︑衆方11衆分別︑こまかにl細力に鼬︑分てり11分ケリ .l⑭一道ハ王氏方出て辞ハ典調に通したり鮭か是を賞せさらんや

23されハ公方の御日記にも委當道の儀有と云り

三管領方書札の取かはし様

45堀河院御宇康和年中に定ル︻9オ︼

聖家検校の事

何の検校御房御同宿中返札ハ回報尊報人による

78

9胸か橡の衆々ハ其所を上に害而検校と密っ︑︵て︶奉也聖家トハ

叡山高野 ー 1

山の検校

成へし

︲腿後宇多院御宇弘安年中に定ル

座頭の検校ハたとへは在名枩尾ならは松尾検校御坊と害也

11 45

B今但俗姓と︵本︶能仁ならは松尾検校御房御近習中

1 6

右のことく回報尊報と書へし惣検校の事也

71恥又二老三老近習中進し也

四老方すゑ平検校鰐 91

松尾検校坊避候事也︻9ウ︼

側僻性も能仁ならハ検校御坊近習中と書へし

勾當ヘハ松尾炉當坊旨

伊性能仁ならハ勾當御坊卜謬へし

此一ケ條ハ公方の御日記の内を寧畢ヌ

314

耳←

(12)

→一申争÷一

1234⑮一後白川院の御時ら日本国の惣追捕使ヲ鎌倉の右大諮頼朝卿に被

下間彼大隅薩摩日向三ケ國の知行武士のま︑に成て當座無足せり然

67

るを四條院の御時摂政関白御念議有て内裏へ侍︵本︶る諸道の運上を盲

m1目共にくたされて絵旨をたふ此時ら御帝の御祈蕎に心經一万巻讃て歳

末に巻數を割︑け侍る也

23

⑮一検校の官位ハニ位の中將に準スしかハあれと参内して︻加ォ︼

4567平家をうたふ時は正二位の大納言の座にっけり是平家の文字琵琶の掴 ナシ毛1︑典繭平11典膜2︑委11委しく3︑云りOIIいへり4︑

康和℃11貞和5︑定ルーI定まるなり6︐人による11患ハ人により

侍る7︐か椴11かやう8︑衆々ハーlと脚衆ヘハ9︑書而11笹

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仁11ふ俗姓能仁嘘︑惣検緯TI入定ハ惣検校Ⅳ︑三老三老ヘハ

埠遮し也11進之迫すゑI末の型はllへは型遮僅事

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プイプレー︑後白川院11後白河院2︑惣追捕使11惣追補使3︑の

I︵ナご︑被下關ll下さる塗閏5︑彼llかの6︑関自

l字z7︑怠率11全醸8︑侍るI胸ふ書︐︑くたされ

下され皿︑たふ−1賜ふ︑︑御帝11帝胞︑さ︑け11樺 8901︵掻力︶奇︵音力︶間をか︵近く力︶聞召れんか爲也11右此末書令留置鹿ハ自然當道に對して談間せんする時此以當道要

抄榔元を爲令該儀也

轡道要抄全終

雷至x八申年正月廿六日書写也︻皿ウ︼

1︑の官位11字z2︑蝋スーl礎す3︑し鷲lしか

4︑うたふ11唱ふる5︑是11皇ハ6︑文字11文義7︑握奇

−11擬音8︑間をか11曲瞬近ク9︑聞召れんi1斗間しめさん皿

爲也11爲なりと云々︑︑要抄11蛮蕊曙根元11根源喝當

道要抄全終11︵ナ乙雌寛文八申年正月廿六日密写也11寛政九の

巳とし藤本氏写ス

舟︽Ⅱ閣朏ⅡⅢⅡⅡⅡ

315

(13)

されハ吾朝州縣の系圏共又ハ諸家の系圖共可謂

︵3︶就中秘事と称セる処ハ皆神道の奇特を明め利鬮の現當なる

事を示し佛法の殊勝を加へたるハ一念随喜の功徳をなし

︵4︶次にハ源平闘謬の死亡を沙汰をして無常の観門を聞平家繁昌

の古しへを語てハ盛者必衰るの理を顕セリ然も辞と成文句麗々として

理趣綿々たり一宇を出セハ千筆彰し一句を語れハ万端聞ゆ数奇の

荷措す情此文質を以観するに仰けハ弥高し讃ハ弥堅し共可調夜光

の玉磨を可知ことなれハ愚意の讃嘆其憧少からす只紅粉を以美女の ︵1︶夫平家の物語ハ本朝四部の合戦状の中才三也前後の三部ハ何れも年号を以て題号とせり保元平治承久の物語等舩當道恭も北野天滿天神少納言入道信西か孫寛暁法印に示現して平家

物語と付させ給ふ所也更二夫凡の業に非す何れの類か蔑如二せんや

︵2︶抑此一部始終の鯉を以其意を按するに世の爲人の爲善悪の亀

鑑として本朝漢土の外迄も沙汰し残せる所なし後代に是を傳えんと

す既ニハ奉︵本ノマ︑︶の筋力を備て萬事の規矩を荷ハしむ或代々

の帝徳を唇て三皇五帝の昔にかへし或賢人聖人の任名を語て伯夷叔

斉か古しへに及ハしむ書を作り文を製セる事も遥に顔額か芳鬮を

ふむ不し吟詩人才子と成て唐宋の風業を継不詠敷嶋の道に渡り詞

華言葉の林を見る或公家武家の品秩を知り或諸園庄園の郡街を知る

B︑営豆道I用麗栗︵国立国会図書館蔵﹃替官紀談﹂所収︶

1

顔色を汚すといふへし更愚人非可讃

︵5︶愛に音曲の嫡祖性佛検校熊野栂現の示現に価て贈り出セる六巻

の本あり夢中詫宣本と号す

︵6︶されハ平家の勘文録を以てかんか見るに既七人の作者有て本

に品々あり其中に猶三本を以て撰写して草案は盲目の家に鯵て謡に

中害ハ月卿雲客の玩とセリ清書ハ大内の秘府に納らる是雲井本と名

付らる又宇治巻共いへり

︵7︶音曲のことハ只堪否によるへし何れ流こそ面白けれと云事心

て洪荒と語るもあり或ハ小音にして幽微に語るも有り皆人の思々

心々に侍へし

︵8︶晴々切々たる四絃ハ其感匿ノ︑也と云事宮商角微羽の五調子

通すれハオーオニオ三矛四の絃共に登越・断金平調勝絶下無

双調尭鐘黄渉駕鏡盤渉神仙上無十二律不相違

︵9︶平家の本にハ墨譜なし師を崇て移さす只おのっから妙を得

るを以て名人とす然れ共万物ハ出所を貴むによれり如何にも只名人

共の風流を以て学問すへし縦風躰ハ替るとも上手たらハ然へし文々 捨自声是也或諸經法事和讃早歌白拍子風俗催馬樂韓神今椴祝言詫宣等惣て諸道の音曲に渡るといふ或は大音にし

得なき人の申所也平家の音曲といふハ中音初重折声胸声差声

(14)

句々ふしハカセニ騒綺を織事ハ大暑上手と申也実も其躰に語りなさん

する事ハ下手叶へからす先は上手といふへし但名人共の申ハさのみ

節音曲なるハ無所響る小歌か早歌ハ風流を以て本意とす平家の事

は我朝史記眞俗の清規ともいふへしされハ文讃二拘すして諸人の耳に

ソワ届く橡に語るへし鯵二其中一至心尊く殊勝成所を我も随喜の思を

なす様に拾ふ所をハ我と文義をなす様に軍場の躰ハ我と合戦する様

に哀なる所をハ袖をうるほす様に恋慕の沙汰セる所をハ我も心のう

かる︑様に狂言にか︑る所をハ我もおかしく畳ゆる様に只何方をも似

っかハしく語りなせるを以て上手とす然りとて思ひ入の余り過たるハ

無きより悪し細に節音曲を好む事をハ上手ハ嫌ふと見へたり声悪き

者のさのみ節に掛り音曲にたつさハリて分よりも調子高にして心苦敷語

れハとて殊勝なるへくもなし労して功なき也作法こそ指たる事もなき

に鼻に埋ミロに含んて頭打ふりたるハ見聞共に悪き也如何にも唯

音曲の躰を幽玄にして中音三重の間におゐて能節一シーツ語るへし音

曲も中音初重の下結ひ納る所にして只字一シーツ音曲かと間ゅるはかり

に語りなすへし去れハ珍も面白して聞人も感し侍なれ拾ふ所は文の

品により吟のよき様にしなすへし拾ふ音曲の下をハ剛強以て納むへし

柔和なれハ感し劣れり上手名人共に風流ハ皆如斯昔も人の称美にょっ

.ルワ

ロー●て得二佳名一紗し今世以用し之最上上手と称すへし蜜固ノ墨跡

ハ以奮ヲ規模となす音曲の事ハ身去て後跡も残らす只當座新しく面

白き樺に語りなすへし

面︶諸蓉ハ其身の所作必同学同流にあらぬ共似たる類も有也正に 師の一室より出たれ共各別なるのミ多しされハ拾人十色也聖人ハ自出とて舜は瞥里も似す重盛も清盛にハ似さりし也詠歌の道も厩ノ︑

也俊成や定家を以て諸家を引れ連寄も又師資の風躰掛隔なり侍坂を以て沙汰せられし故に摂政殿これを遊され平家を其には違へからすたとへ強弱急叙の差別有といへ共上手の意地ハいつれも同しかるへし

︵︑︶當道において四の存知五の本意有へき也四の存知とハ或は

仙洞禁裏の勘大臣將軍の亭或は貴僧高僧の前田夫野人の所にして

語る平家有へき也五の本意とハオーに本の清撰オニに音曲矛三

存知才四に音声才五琵琶なるへし

︵型次に琵琶の事ハ井國にハ先シ廉承武我朝にハ天徳の聖主掃除寮

貞敏渇陽の末流性風妙音院大政大臣師長公皇后宮亮經政木工頭

孝道右馬頭孝時此かたノ︑の御事ハ更に別条也學んて不可レ比し

之此當道の事ハ平家の爲に調子を窺ふ斗也されハ法のことく一巡を

引渡して後さのミ平家の中間にきひしぐ引へからす只下手ハ音曲の叶

さるのミならす耳根共に臓々として四絃一声一律一呂曲不調ハ稗手取合

時刻移して我身も本意になく聴聞衆も退屈其興なしといふへし

︵翌當道始たる所にて平家可語よふ先祝言常のことく三句を語

らハ軍場一句五句語らハ識物一句是必衡量にあらす通法たるなり五︶彼音曲の祖師性佛と申ハ八十七代四條院の御時天台山の僧正

即叡山の検校たりしか卒に目盲たり依てこれに衆生の盲者の助とな

るへき業を示し給へと山王楢現へ祈誓申す平家物語をうたハせ侍ふへ

しと詫宣有り籾其音曲ハ如何橡に附侍ふへしと奉問三教指帰ょかん.

317

(15)

めりとあらたに御告を蒙り髪において三教指帰の節をもって平家を謡ひ

始乎是より傳諸盲流布と也︵巧︶五十代後宇多院の御宇に及て性佛の弟子如性より三世の末弟

筑紫方城一といふ検校あり此等も皆名人たり是即當道の中古開山也

在名を名のる事これより始る城一の直弟に城玄如一とて雨人あり城

玄ハ八坂方の最初如一ハ一方の根元也城玄ハ在名を八坂と号する

八坂の塔の邊に住する故也如一ハ坂東と号す此時より雨派分れたり

當に一流を汲んて雨翼を双ふといへ共平家文章の義理音曲の躰ハ別

条なし城玄ハ九十一代伏見の院の御時久我大納言の舎弟也故久我の

I︲

家を傳奏とす九十四代花園院より紫衣を城玄に御免有き

︵躯︶髪に如一の直弟に明石覺一といふ検校有尊氏將軍従母弟也

播磨の明石を知行せり此人累代の祖師を越エ天下無双の名人たるに依

て常ハ摂家仙洞の主上の御前へ召て平家を謡ハせ愛セさせ給ふゅへに

雲井の本を下し給ふ然間雨流の先達に勝れて一統の頭角と成るされ

ハにや理致廣博にして文章微妙也余本ハ義理不正して言語に頗謎謬有

り彼雨流の外ハ世に帰依なき也故に流を尽すと見へたり

︵Ⅳ︶又平家に琵琶の錯へ合する事私にあらす性佛或時帝へ奏聞し

けるハ平家物語を糸竹の内いつれ成共取合て謡ハほしく存るよし願申

実も平家斗ハ寂しく侍るへし四絃を弾し交ヘハ相應すべしと勅定有て

上玄石象の秘曲を當道に御許し有り此朝恩庶幾そや然らハ琵琶を弾

する毎恭事を心底に深く思入侍るへし

︵胆︶其上検校参内して平家を謡ふ時ハ正二位の大納言に任して着座

石塔を積て尊へ手向奉るされハ積塔と号く凉ハ六月十九日雨夜の母

后の御追善なり夏なれハ凉と号す

︵別︶抑雨夜の尊と申ハ光孝天皇矛一の王子也御眼盲させましまし

父の帝御憐ミ思召て仰けるハ御身を有度様に御持有て何事も思召侭に

して年月を送りおハしませと有けれハ尊御返事に我ハ是目盲たる身に

て侍れハ両眼明らけきものに對する事恥しく侍る間我か如くなる盲

目共を並へ置年月を送らまほしく思召と申させ給ひしかハいと安き

御事とて洛中を御尋有て眉目能き尋常なる盲者を數多撰出されて尊

の母后より女官を下されて或ハ勾當或ハ検校になされてしかのミな

らす大隅薩摩日向三ケ國の物成を日本國中の盲者共に御扶持有り彼米

穀を大船數千艘に積て京着せしめ年ノ︑弥生毎に山城園鳥羽に當道多

く集りて配分し來れり

︵皿︶然るを後白川法皇御政務の御時六十余弱の惣追補使を鎌倉の

右大將頼朝卿所望に価て勅許有こ︑において諸國に守護地頭を補セ

何事も武家の自在に成て當道の領も不足せり其後八十六代四條院の御

時摂政道家公御詮議有て内裏へ備ふ諸道の運上を盲者共に下されて総

旨を賜ふこれに価て君恩を報し奉るか爲に常の御祈祷に心經一万遍こ

れを調む歳末に巻數を捧け奉る

︵堅上代ハ官途検校勾當二階なり筑紫方成一より別當四度衆分打

掛等の品加へ始れり せり

︵四︶

平家の文義琵琶の嬢音御前近く聞召んか爲也

種塔ハニ月十六日雨夜の尊の御弔此日洛中の當道河原へ出て

▲0叩凸q6afll6I

(16)

︵翌文治の昔安徳天皇を始奉り百官悉く長門國遡の浦にて亡ひ果給ひし日なれハとて毎年三月廿四日城玄の位牌所通玄庵にて頓写あり

是ハ平家物語をわざとする故と云々

︵型︶道ハ王氏より出て辞ハ曲譜に通したり誰か賞ささらんされ

ハ公方の日記にも委く當道の儀有といへり最其身の霧業或は天子或

ハ大臣の沙汰也何そ疎に用ゆへきや

如此の次矛賭國の記録の中より撰て假名に書之顕す所也

益田勝実氏所蔵本による主要校異.

1︑﹁當道要集﹂︵益田本︑以下同︶

の必︑﹁回小手︿﹂

3︑憲曙石テ﹂

4︑ナシ

ヒロ

5︑﹁中音初重三重折竪差声拾上白声胸声是也﹂

⑥︒︑﹁・心︽毎癖二﹂

9︑﹁懸隔﹂

6︑ナシ 7︑ナシ

皿︑ナシ

u︑ナシ

皿︑ナシ

貞享元甲子年十月上旬書之

篝「

鯛︑ナシ

M︑﹁三教指蹄ノフシヲ以テ平家ヲ囲始ソ可宜トァラタニ顔御告平家ヲ語り出

サレタリ﹂

蛎︑ナシ 躯︑ナシ

Ⅳ︑ナシ

畑︑ここの部分のみ.積塔ハ⁝⁝﹂と一シ密きの形憩を残す︒

明︑﹃石塔卜名付テ小石積御追善ヲナス也﹂

鋤︑﹁撰出され御前へ参り御伽をいたし又尊の﹂

皿︑ナシ

鯉︑﹁帝の﹂

閲︑﹁通元庵﹂

別︑ナシ

湊︑ナシ.

319

(17)

︵a︶夫平家物語は本朝四部の合戟状の中の才三也前後の三部は何

しも年号を以題とせり保元平治承久等也當部二おゐてハ黍も北野

天滿天神少納言入道信西か孫子二寛暁法印二示現して平家物語と付させ

給ふ処也更二凡夫の諺にあらすいつれの類歎蔑如せんや

︵b︶抑此一部始終の躰を以て其意を案する二世の爲人の爲に善悪

の亀鑑として本朝漢土の外迄も沙汰し抄せる所なし遼代二是を傳ん

とす既二八車の筋力をかりて萬事規矩を荷わしむ或は代々の帝徳を

ほめて三皇五帝の昔に復し或は賢人聖人の佳名を語りて伯夷叔斉等

か古に及はしむ書を作り文を製する事もはるかに蒼額か昔鬮をふ

む吟せすして詩人才子と成て唐宋の風業をつく詠せすして敷焔の道

に渡り飼花言葉の林を見る或は公家武家の品沢をしり或は諸國庄

園の郡衝をしるされは我朝州縣の系圖とも又は諸家の系圖共云っへし

︵c︶就中秘事と稲する虚は皆神道の寄特を明して利閑の現當成︵c︶就

るをしめし仏法の殊勝をか︑見たるは一念随喜の功徳をなさしむ

︵d︶次には源平国謬の死亡沙汰をし無常の観門をひらき平家繁昌

の古を語は盛者必衰のことわりを顕セリしかも辞色麗欺として理趣綿

ノ︑たり一宇を以て世の文章顕れ一句を語れは一宇を万端聞ゅる

数寄の荷錆っらノ︑此文質を以て観するニ仰ハ彌高く鎖ハ弥堅しな

とも謂っへし夜光の玉琢磨を加ゑさる事なれハ愚意の霞嘆其偉少なか るをしめし

C︑當道要抄︵国立国会図書館蔵冒人式目別集﹄所収︶

らす唯紅粉を以て顔色を種すと唱すへし更二愚人の讃へきにあらす

︵e︶愛二此音曲の嫡祖姓仏検校熊野権現の示現によりて鰭り出セる

を六巻の本有夢中詫宣本と号す

IIi

︵f︶其弟子如性の孫子筑紫方城都検校是等は尤名人たり城都の

罰罰劃剖捌劉劉馴副司︒川副副削劉馴刎J削剥割閲剰剰馴訓川刷荊倒是方

雨流に相暘れり郵劇劃剛到削剥副馴馴馴引制刺馴ul刎釧川胤卿測訓剛

え共疑ひ残りあり

︵9︶されハ平家勘文録を採見るに既二七人の作者是あり本二

品々有其中二猶三本を以て撰写して草案は當道の家二おゐて是をう.→たふ中書は月卿雲客の賞とせり清書は右内秘府に納是を震井の本

と名付候て又宇治の本巻共云り

︵h︶然ルに筑紫方城郭累代の祖師をこへ天下無双の寵愛の間常

に内裡仙洞二召れて件の雲井の本をもって是を直し改め数代の先

達を越て一派の頭角と也是を両派にったふ去レハ理致廣博にして文

章微妙也余本は義理鹿荒にして言晤二頗あやまり有これによって

彼両家の外ハ世の帰伏なきか故二流れぎ鐙すと見ゑたり

︵i︶都方には覺都検校出て音曲に妙を得たるを以て常二朝家二召

れて此物語を語り魔め専名人の名を得たり

' まさに一派を汲て雨翼を習ふとい

320

(18)

︵j︶八坂方には大山検校北野神前におゐて法樂の平家を語りしに

音曲尤妙にして目に見ゑぬ鬼神おもあわれとおもわすへき程に語りすま

したりけれハ滿座奇昊の思ひをなし感懐肝に銘する処に御宝殿の

ほとりより重而一句と望む聾セリ時に右山おもへらく凡今の世にあ

たりて我音曲を如此しゐて望む者有へからす迩敢て語りさりけるとな

り後に聞ハ恭も北野の神の好セ給ふとそ筆をふるヘハ風雨おとろき

詩成て鬼神を泣しむと云事もおもひ合セられて弥有難く覺ゅる萬の

道つとめて妙を得るに至りてハ皆如此ならんしに或は都方二名轡

を初も有或は八坂方二寄妙を得るもあり其徳は人にありて家にはあ

らす南派の佳名環の端無か如く成へし

︵k︶抑音曲の事は只其身の堪否二依へしいつれの派にて面白けれ

と云人は心得なき人の申処也平家の音曲と云は中音初重三重

讃甲歌白拍子風俗催馬樂韓神今様祝言詫宜等都而諸

道の音曲ニ渡ると云々或は大音にして坪劉卿到謝削1劃割引刈馴おもひ

ノ︑心ノ︑に依へし

︵1︶讐は噌鯛々たるの四の絃の其聾国々也といゑ共いつれもおも

しろきか如く二たとへ其風躰も替るといゑ共上手たるは然ルヘし

︵︑︶平家の本には墨譜なし師をあつめて師をうっさ︑れ只自妙

を得るを以て名人とす然れ共万物は出所を貴ふによれりいかにも唯

名人ともの風流を以て聞習ふへし文々句々節はかせに羅綾をおる事は

各唇上手と申也けにも其躰を語りなさんする事も下手は叶ふへからさ 肌聾物語胸包甲の謎差言拾物霞是袖或は諸經法事 る間まつハは上手といひつへし但名人共の申ハさのミふし音曲なるハほむる所なし小野甲歌杯はふしはかせををって本意とす平家の事

kPI1 6

ハ朝の史記眞俗の清観とも云っへしされハ文頭にひとしうしていかに

ニおゐて心をいたして尊く殊勝成ル所おは我も随喜の思ひをなす様二

拾ひなとおは我も文学をなす様二軍場の躰おは我と合戦する様二哀

成所おは我も袖をうるほす様二恋慕の沙汰をする所おは我も心の浮る

︑様二狂言にか︑る所おは我もおかしく畳ゅる様に只いつ方おも似つ

かわしく語りなせるを以て上手とす細にふし音曲を好む事おは上手ハ

嫌ふと見へたり実に無音の者杯のさのみふしに音曲二たつさわりて分

よりも調子高にしてのりひに三心苦しうして是を語れは速殊勝成へくも

なし昔して鼻二うっミロにふくミて頭長振りしくかるは見聞蓉一悪

敷也いかにも唯音曲の鉢を幽玄にとて中宣一董の間二おゐて能ふし杯

ハ壱シーツは語るへし音曲も又中害勧重の下結ひおさむる所にして只

字一シ程舌の上にちらりと廻して音曲歎と聞ゅる斗二しるすへしされ

は珍ら敷も面白で人も感し侍るなれ拾ひ場杯ハ文のなり二より吟の下

によって能やうにしるすへし何様にもひろう音曲の下おは火急にもつ

て納むへし柔和なれは感をとれり上手忘人共の風流は皆以て如此

一昔も人の称美によって佳名を得今二おゐても世二用て康上と称すへし

蜜墨跡杯ハ古きを以て規模とせり音曲の事は身さりて後は跡に残らす

唯富座の新しくおもしるしなすへし

︵︑︶諸蓉は其身の所作必同学派にあらぬ共似たる類も有之也まさ

I

人の耳二とつくる様二語るへし其中

321

I

(19)

躰懸隔也インハ侍坂︵伎巧卜有︶を似て沙汰せられし故摂政殿被遊て

平家も夫には違ふへからすたとへ強弱宣叙の差別有といへ共上手の意

地ハ何レも同しかるへし

︵O︶当道二おゐて四シの存知五シの本意あるへき也四シの存知と

云は或は禁裡仙洞の勘大臣將軍の亭或は貴人高僧の前田夫野人

の所にて語る平家あるへき也五シの本意と云ハ矛一二本の清撰二

二音曲三ツー存知四二音感五ツー琵琶成へし

︵p︶次二琵琶の更ハ昊國にも先廉承武我朝には天徳の聖主掃部の寮

rl

貞敏湯の末流橘姓風妙音院大政大臣師範公后宮の經正木工頭孝

道右馬頭孝時此方の御事は平家の爲に調子を伺斗也されは如此一

巡を引渡して後さのミ平家の中間ニしけく是を引へからす唯下手は音

曲の叶わぬのミならす耳根共二瞳々として面をふり四絃一聾一律一

呂曲不調傳手二取合時刻を移して我身も本意なく聴衆も退屈して其興

なしと云々

︵q︶當道初たる所にて平家可語るへきやふ先祝言常の如く三句

を語らハ軍場一句五句かたらハ讃物壱シ是簡量にあらす為通法也

︵r︶當道ニおゐて凉の菰塔迄二季の寄合一日の追善あり其故は

昔光孝天皇の御子雨夜の尊迩盲人の宮おわしましき末代澆季二及んて

闇冥の盟殊二流布セんものか可被助方便通其頃天下二翫は家の風雅を に師の一定より出たれ共名別なるのミ是多しされは拾人は十様也聖人は自出速舜は瞥艘に似す重盛も滑盛には似さりし也詠寄の道も父子のまちノ︑也と俊成や定家を似て諸家を被引連歌もまた師弟の風

、、

吟して四絃を弾合宛此道を始腫給ひけるとかや

されハニ月十六日は彼天皇の御命日たるに依てもろノ︑の道當河原え

出て石塔を組御菩提を吊らひ奉る是を積塔と名付て三月廿四日は

主上を始奉りて平家滅亡の日たる間一日頓写ありと云々六月十九日の

凉と云は光孝の雨夜尊母公の御仏吏となり

︵S︶道は五是より出て辞は典謨二通せり誰歎是を賞とせさらんや

︵t︶當道の由来を無存知人杯は唯普通の遊者の列二おもひなされん

か以の外誤也ら既二當道名の字を定め官途を領せらる︑事ハ昔天下の

盲人ハ朝廷より領所おも霞恭も蒙御扶持之間君恩を報し奉らんか爲

に列して一万巻の心經を調て歳末二依捧巻數

︵u︶僧家の輩二准し検校別當勾当以下の官位を許さらると

云々しかのミ成す其身の藝業大暑公家の沙汰也本に付而も雲の

井字を勿論か如此の次第其数寄に依て勘文録を披見し諸道の記録の

内撰して假名二書顕す跡也

︵v︶右此末書跡々留置自然當道二對して是を説聞セいする時

偏執之儀又自家に違する事あらは定て段誇多からん先様其非

に依て論するへし其仁の説おも不可被遊故なんとなれは經

教の説にも相違不同あり何況狂言綺語の雑談ニおゐておや

容所也頻乞需而欝写旱努々他見不可有之者也

元禄五年申孟春日

(20)

内閣文庫本︵彰考館本の写︶による主要校異

1︑ナシ

・2︐つ儒法ノ殊勝ヲカミタルハ一念随喜ノ功癒ヲナサ︑ラン﹂

3︑ナシ

4︑ナシ 5︑﹁其後如一城賢トキコヘシハ昔城一ノ直弟﹂

6︑﹇如一は覚一ノ師匠城賢ハ八坂サイショノ検校ナリ﹂

7︑﹁平家ノ文章ヲンキヨクノテイタラク別條也世以テ疑胎アリ﹂

8︑﹁大内﹂

9︑﹁又ウチノ巻本トモイヘリ﹂

皿︑﹁受こ

u︑この項全文ナシ

理︑この項全文ナシ

羽︑.﹁中音初璽三重折物語胸壁サシ言拾物騒是也﹂

M︑﹁法花鼠草﹂

聡︑﹁アラリト霞モアリ或ハ小音ニシテ幽美二語モアリ其皆人ノ﹂

略︑﹁文讃﹂

釦︑﹁名人﹂

刻︑﹁侍坂﹂

﹁ 侍

坂 ﹂

明︑﹁ノリヒリテノ心﹂

羽︑﹁榮〆功ナシ作法ニコソサシタル事モナキーこ Ⅳ︑ナシ

︒ な お 底 本 は

﹁インハ齢壷卜有﹂

34 33 32 31 30 29 28

、、

27 26 25 24 23 22

﹁渇陽﹂

﹁皇后宮亮経政﹂

﹁御事ハ更二別條ナリ學テ葛スヘカラスコノ當道ノ事ハ平家ノ﹂

﹁コレカナラス衝量﹂・

﹁御フシシトナリソノ後延喜第四ノ皇子蝉丸モソノ跡ヲ追テ遼坂ノ関ノ邊

﹁當道﹂

ニソ瀞陽江上ノ望ヲコラシ弾絃時ヲ吟シ戯月ヲ送ラセ玉ヒケルトャ是モ

愚擬迷暗ノ衆生ヲタスケラルヘキ御方便トコソウケ玉ワと

﹁王氏﹂

﹁無念ノ事ナリ﹂

﹁料綴ヲオカレ﹂

﹁勘文録シ﹂

﹁該聞センスル﹂

ナシ

﹁右當道要抄以元禄庚辰春一松又之進所蔵本謄馬之彰考館識﹄

323

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