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知先行後と知行合一

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知先行後と知行合一

淑徳国文37

 知行の関係について︑朱喜⁝が知先行後を説き︑王守仁が知行合一を説くことは︑中国思想史上の常識と言ってよかろ

う︒かたや先後と言い︑かたや合一と言えば︑全く異質な理論のように思われるが︑後述のように︑朱烹の知行論の中

に既に知行合一に通じる着想が含まれているとする説も古くからある︒また︑朱烹は﹁知行は常に相須つ︒目の足無く

んば行かず︑足の目無くんば見ざるが如し﹂︵語類九︶とも説くが︑知行がこの比喩のように全く相補的な関係にある

とすれば︑これを単純に先後に分つことはできないはずである︒このように考えると︑朱暮・王守仁の知行論には未解

       ハ こ明の部分が多く残されていることを認めざるを得ない︒私見では︑﹁知﹂﹁行﹂という言葉を両者がそれぞれいかに用

いるかという基本的な問題すら︑今まで十分に論じられていないようである︒本稿の狙いは︑朱嘉・王守仁の知行論の

理論構成を検証し︑両者の差異を明確にすることにある︒

先ず︑朱黒の﹁知﹂﹁行﹂及び﹁工夫﹂の用法を確認しておこう︒

 A夫れ知は︑則ち心の神明︑衆理に妙にして万物を宰する者なり︒︵大学或問1︶

 B知は︑只だ箇の真なると真ならざるとの分別有り︒︵語類九︶

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淑徳国文37

 C学聚問辮・明善択善・尽心知性︑皆是れ知なり︑皆始学の功なり︒︵語類九︶

 Aで﹁心の神明﹂と言われる﹁知﹂は︑心に生得的にそなわる認識能力を意味する︒しかし︑Bで真か否かを問題に

される﹁知﹂は︑認識能力そのものではなく︑経験的に得られる具体的認識を意味すると考えられる︒そして︑Cでは︑

認識を獲得するための行為を意味する語を幾つか挙げて︑﹁知﹂ど総称している︒たとえ認識を獲得するためであれ︑

行為は行為なのであり︑これを知と呼ぶのは概念の混乱と言えなくもない︒しかし︑朱烹が知という言葉を知的な営み

の意味に用いる例は枚挙に暇がなく︑かつ知という漢語が通常このように多義的に用いられるのも事実である︒言わば︑

朱暮は語の慣用的な多義性のままに知を論じているのである︒そして︑朱喜⁝が知行の関係を論ずる際には︑認識を得る

ための営為を知とすることが多い︒      よ D聖賢知を説けば︑便ち行を説く︒﹃大学﹄に﹁切するが如く磋するが如しとは︑学に道るなり﹂と説けば︑便ち﹁琢

  するが如く磨するが如しとは︑自ら修むるなり﹂と説く○﹃中庸﹄に﹁学・問・思・辣﹂を説けば︑便ち﹁篤行﹂

  を説く︒顔子﹁我を博むるに文を以てす﹂と説くは﹁致知格物﹂を謂ひ︑﹁我を約するに礼を以てす﹂と説くは﹁克

  己復礼﹂を謂ふ︒︵語類九︶

 E仁は則ち力行の工夫多く︑知は則ち致知の工夫多し︒﹁学を好むは知に近く︑力行は仁に近し﹂と︒意自つから見

  る可し︒︵語類六四︶

 Dの﹁知﹂がEの﹁致知の工夫﹂に︑Dの﹁行﹂がEの﹁力行の工夫﹂に相当することは自明である︒朱喜⁝は行為を

二種類に分け︑道理を認識するための行為を知︑道理を実践するための行為を行と略称するのである︒﹁行﹂という言       ハ  葉は決して行為一般を指すのではなく︑多くの場合︑既得の認識に従って道理を実践する行為に限られる︒      いた       こ ニ        はじ また︑﹁工夫﹂という語の用法も必ずしも一定していない︒﹁物既に格れば︑知既に至る︒這裏に到りて︑方めて手を

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著け工夫を下す可し﹂︵語類一六︶という場合︑知的営為が完了した後に﹁工夫﹂が始まるとしていることから︑﹁工夫﹂

を上述の行の工夫に限定していることがわかる︒﹁工夫﹂という語も︑知行の双方について言う場合と︑行のみを指す

場合とがあるのである︒

 以上のことを図示すると次のようになる︒

 これを見れば︑朱黒の用語法が十分整理されたものでないことがわかるであろう︒﹁知﹂が頗る多義的であるのに対

して︑﹁行﹂の意味が狭く限定されるなど︑概念規定に明晰さを欠き︑概念相互の関連も煩雑である︒しかも︑﹁知﹂と

いう語を用いる場合に︑朱烹自身がその都度必ず右のいずれかに意味を特定するというわけではないから︑いずれにも

解釈できる例もままある︒私見では︑後天的に獲得される具体認識と認識を獲得するための行為との区別は特に曖昧で

ある︒      すぺからa知と行との工夫︑須着く並び到るべし︒b之を知ること愈々明らかなれば︑則ち之を行ふこと愈々篤し︒之を行

ふこと愈々篤ければ︑則ち之を知ること益々明らかなり︒二者皆偏廃す可からず︒     ま 人の両足相先後して行けば︑便

ち漸漸として行き得到るが如し︒若し一辺軟なり了れば︑便ち一歩も也た進み得ず︒C然れば又須く先づ知り得べ 19

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  く︑方めて行ひ得︒d所以に﹃大学﹄先づ致知を説く︒︵語類一四︶

 これが知の工夫と行の工夫との関係を述べたものであることは︑傍線部aにより一目瞭然である︒そして︑傍線部b

において︑知の工夫と行の工夫との間に密接な関連があることが語られる︒しかし︑傍線部dでは︑知の工夫が行の工

夫よりも前になければならないと主張される︒これは二つの営為のいずれを先にするかという順序であり︑時間上の前

後関係である︒そして︑朱烹がこのように知の工夫と行の工夫との順序を決定する根拠は︑傍線部cに示されるように︑      ひね行為は認識を前提とするということに尽きる︒しかしながら︑そのことは認識と行為との論理的な前後関係にほかな

らないのであって︑これをそのまま知の工夫と行の工夫という二種類の行為の時間的な前後関係に置き換えるのは︑論

理の飛躍があると言わざるを得ない︒朱嘉は︑認識を得るための行為とそうした行為を通じて得られる認識とを同じく

﹁知﹂と呼んで︑厳密に区別しないから︑自分が論理の飛躍を犯していることに気付かないのである︒朱烹の知先行後

説が︑認識を得るための営為と認識そのものとの混同︑及び時間の前後と論理上の前後との混同を含むことは明白であ

ろう︒厳密に言えば︑前出のEのように︑認識を獲得するための行為を﹁致知の工夫﹂︑獲得した認識を実践する行為

を﹁力行の工夫﹂と︑明快に表現する例もないわけではない︒こうした明晰な思考が知行論全体に貫徹していれば︑よ

り論理性の高い理論が構築されたかもしれない︒しかし︑結局それは不徹底に終ったのである︒

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朱喜⁝の知先行後説が︑主に知の工夫と行の工夫との前後関係を説くものであることは既に見た通りである︒しかしな

がら︑二種の工夫を機械的に前後に配分するわけではない︒

次の文章は︑朱喜⁝が修養論の全体的脈絡の中で知先行後を語った資料である︒

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a夫れ知行の理を乏論して︑       か 一事の中に就きて以て之を観れば︑則ち知の先たり︑行の後たること︑疑ふ可き者無

し︒b然れども夫の知の浅深・行の大小を合して言へば︑則ち以て先づ小を成す有るに非ずんば︑亦将た何を以て

か其の大を馴致せんや︒⁝c今其の一事の中に就きて之を論ずれば︑則ち先づ知り後行ふ︑固より各々其の序有り︒

⁝d﹁至るを知りて之に至る﹂とは︑則ち此を行ふに由りて又其の至る所を知るなり︒此︑知の深き者なり︒

るを知りて之を終ふ﹂とは︑則ち此を知るに由りて又進みて以て之を終ふるなり︒此︑行の大なる者なり︒

e

故一に終

﹃大学﹄の書︑格物致知を以て用力の始と為すと難も︑然れども﹁初めより酒養践履せずして︑直ちに此に従事す﹂

と謂ふに非ざるなり︑又﹁物未だ格らず︑

   ととの

知未だ至らずんば︑則ち意以て誠にせざる可く︑

身以て修めざる可く︑家以て斉へざる可し﹂と謂ふに非ざるなり︒但だ以て必ず知の至にして︑

人を治むる所以の者︑始めて以て其の道を尽くす有りと為すのみ︒f若し         か 心以て正さざる可く︑   然る後己を治め

﹁必ず知の至るを侯ちて︑而る後行ふ可

し﹂と日へば︑則ち夫の親に事へ兄に従ひ上を承け下に接する︑      や 乃ち人生の一日として廃する能はざる所の者︑山豆

 ︐に﹁吾が知未だ至らず︒暫く綴めて以て其の至るを侯ちて︑而る後行はん﹂と謂ふ可けんや︒

冒頭に﹁知行の理﹂とあるが︑﹃大学﹄の格物・致知・誠意・正心等に言及することから︑知の工夫と行の工夫との関

係を意味することは明白である︒傍線部a・cでは知先行後を説いているが︑ともに﹁一事の中﹂という条件がついて

いることは注意を要する︒傍線部bによれば︑修養の全体は︑浅知小行から深知大行へと段階を踏みつつ進んで行くと

いうものである︒したがって︑知先行後とは︑全ての物事を知り尽くしてから実践を姶めるという意味ではない︒あく

までも一つ一つの物事について︑正しく認識する作業と︑正しく対処する作業とがあり︑認識の作業を先に行う必要が

あるというのである︒また︑傍線部dからは︑認識と行為とが︑行為を通して認識が完成し︑認識によって行為が促さ

れるという相補的関係にあると考えられていることが窺われる︒以上を総合すれば︑知行は︿知の工夫←行の工夫﹀←

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︿知の工夫←行の工夫﹀←⁝というように鎖状に連なりながら︑互いに進展させ合う関係にあることになる︒このよう

な細やかな知行論は︑当時としては画期的なものであったのではなかろうか︒

 ﹃左伝﹄に﹁学びて而る後政に入るを聞くも︑未だ政を以て学ぶ者を聞かざるなり﹂︵嚢公三十一年︶とあるように︑

儒教的知識層の伝統的生活形態は︑概ね長い知的修養期間の後に社会的実践に参入するというものであった︒宋代以降

の士大夫層にあっても事情は大差なく︑むしろ科挙の全面的導入によって知的営為と実践との分断は前時代よりも一層

顕著になっていたに相違ない︒そうした生活形態のままに発想すれば︑知の工夫と行の工夫とを裁然と前後に二分する

のが普通であろう︒右の書簡には同じ趣旨の反復︵a・c/e・f︶が目に付くが︑これも︑朱嘉の持論が当時の通念

と異なるために読み手に容易に伝わらないことを予測して︑意図的にそうしたものと考えられる︒傍線部e・fから明

白なように︑朱喜⁝は知の工夫に耽って行の工夫を放榔することを認めない︒恐らく朱喜⁝は︑科挙のために知的営為にば

かり没頭する弊害が士大夫層に蔓延したことへの反省から︑知の工夫と行の工夫との望ましい配分を追究し︑両者を鎖

状に配列して相補的に進展させるという見地に到達したのであろう︒

 しかし︑朱烹の知行論は︑認識そのものと行為そのものとの一般的関係を論ずるほどの抽象水準には達していない︒       あた A知と行とを論じて曰く﹁其の之を知るに方りて行未だ之に及ばずんば︑則ち知尚ほ浅し︒既に其の域を親歴すれば︑

  則ち之を知ること益々明らかにして︑前日の意味に非ず﹂と︒︵語類九︶

 B是れ学びて知り得と錐も︑然れども須く是れ意を著け力行すべく︑則ち学びて知り得たる所の者︑徒知と為らざる

  なり︒︵語類六四︶

       な       も   ゆ

 C若し知至れば︑則ち当に倣すべきの事︑自然に倣し将て去く︒︵語類二四︶

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 A・Bは実践を通じて認識が深化徹底することを説き︑Cは認識が必ず行為を促すことを説いている︒その意味で︑

これらは認識そのものと行為そのものとの関係に一歩踏み込んでいると言うことができ︑朱喜⁝の知行論の中でも特に抽

象性の高いものである︒しかし︑その認識とは︑各文の傍線部から明らかなように︑実践以前に知の工夫によって準備

された知識である︒つまり︑認識と行為との連関も︑知の工夫によって予め十分な知識が蓄えられていてこそ可能にな

るということである︒結局朱烹は︑知の工夫が先︑行の工夫が後という枠組の中で︑認識と行為の相関を部分的に示唆

するに止まった︒換言すれば︑朱烹の知行論においては︑知的営為と実践という二種類の行為の関係こそが主要問題な

のであり︑認識と行為との関係には副次的な位置しか与えられなかったのである︒

 ﹃中庸﹄の﹁凡そ事は予めすれば則ち立ち︑予めせずんば則ち廃す﹂︵二〇章︶を︑朱喜⁝は﹁事未だ至らずして先づ

其の理を知る︑之を予めすと謂ふ﹂︵語類六四︶と解釈する︒そこには︑経験以前に知的営為によって理を認識し得る

という考えが端的に現れている︒これこそ知先行後説の不可欠の前提である︒       とど  真に知り得ずんば︑如何ぞ践履し得ん︒若し真に知り得れば︑自つから住まり得ず︒︵語類=六︶

このような︑知行の相補性を説く言葉からも︑真なる認識を得てから実践に取り掛かるという発想が見て取れる︒しか

し︑実地の経験以前に真なる認識が得られるものであろうか︒

  程子曰く﹁⁝昔嘗て虎の人を傷つくるを談ずる者有るを見る︒衆聞かざる莫し︒而して其の間一人神色独り変ず︒

  其の所以を問ふに︑乃ち嘗て虎に傷つけらるる者なり︒夫れ虎の能く人を傷つくること︑人執か知らざらん︒然れ

  ども之を聞きて催るる有り催れざる有るは︑之を知ること真なる有り真ならざる有ればなり︒学ぶ者の道を知るは︑

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  必ず此の人の虎を知るが如くにして︑然る後至れりと為すのみ︒若し不善の為す可からざるを知ると日ひて︑猶ほ

  或は之を為せば︑則ち亦未だ嘗て真に知らざるのみ︒﹂︵大学或問6︶

 これは程願の言葉を朱烹が引用したものであるが︑ここでも素朴な形ながら認識と行為の連関が問題になっている︒

ここで言われているのは︑経験に裏打された認識こそが真であり︑そのような真の認識にこそ行為を規定する力が備わ

るということである︒このことは朱喜⁝自身が﹁程先生︑常人の虎を畏るるは曽て虎に傷つけらるる者の之を畏るること

誠実に出つるに如かずと説くが如き︑蓋し実に見得ればなり﹂︵語類六四︶と認める通りである︒しかし︑経験に裏付

けされた認識しか真と認めないとすれば︑実践以前に真の認識を得ておくという知先行後説の基本そのものが危うくな      ものる︒そこで︑朱烹は﹁未だ曽て虎に傷つけられざる底︑須く箇の虎に傷つけらるるの道理を逐旋思量し︑見得て虎に傷

つけらるる者と一般なるべく︑方めて是なり﹂︵語類一五︶とも言う︒思索という知的営為によって経験知と同等の認

識に到達できると説き︑あくまでも知先行後の枠組を守るのである︒

  蓋し人生れながらにして道理合下に完具す︒読書を要する所以の者は︑蓋し是れ未だ曽て経歴して許多を見ず︒聖

  人是れ経歴して許多を見る︑所以に冊上に写して人に看しむ︒︵語類一〇︶

人が直接経験できる事柄には限界があるとした上で︑経験知の不足を補うために聖人の遺した経書を読む必要があると

説いている︒ここにも︑知的営為によって経験知を補い得るという発想が顕著に現れている︒

 朱烹が読書・思索を知行論の中にいかに位置付けているかを確認しておこう︒

  ﹁学びて思はず﹂とは︑読書して道理是れ如何と思はざるが如し︒﹁思ひて学ばず﹂とは︑徒らに苦思索して様子

  に依りて倣さざるが如し︒︵語類二四︶*﹁様子﹂とは見本の意味︒

      くら      あやム

これは﹃論語﹄為政篇の﹁学びて思はずんば︑則ち岡し︒思ひて学ばずんば︑則ち殆し﹂について述べたものである︒

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ここでは︑.﹁学びて思はず﹂の﹁学﹂は読書に代表される知的な学︑﹁思ひて学ばず﹂の﹁学﹂は規範にのっとって実践

する行的な学というように区別され︑︿知的な学←思索←行的な学﹀という流れが設定されている︒﹁窮理は読書を以て      るレ本と為す﹂︵語類一一九︶という発言からわかるように︑朱喜⁝は窮理の手段として読書を最も重視したが︑その場合の

読むべき書物とは︑聖賢の教を伝える経書にほかならない︒﹁学の字甚だ大なり︒他の聖賢に学妓して事を倣す﹂︵語類

二四︶と言われるように︑学という営為は全面的に聖賢という権威に依拠して行われるのであり︑読書とそれを受けて

の思索とは︑道理を実践する前提として︑道理の体現者たる聖賢の教を自らの内面において規範化して行く過程にほか

ならない︒だからこそ︑読書や思索によって真の認識を得ることができると言われるのである︒

 このように見て来ると︑朱蕪の知行論において︑経書読解の重視と実践の前に真知を得るという知先行後説とが密接

に関連していること︑及びその関連性が聖賢を理の体現者として模範化する観念によって支えられていることがわかる︒

﹁法此に由りて立ち︑命此に由りて出つるは︑聖人なり︒法を行ひて以て命を侯つは︑君子なり﹂とは︑﹃孟子集注﹄

尽心章句下に引く呂大臨の語である︒彼ら道学者にとって︑聖人とは単に修養の目標となるのみならず︑修養の全過程

に規範として君臨する絶対的な権威であった︒

      いささか      かろう

  聖人の語言は︑極めて精密なり︒些子の偏重も無く︑亦た些子の簿漏も無し︒︵語類二四︶

  既に聖人の書を読めば︑当に身に反りて求めて︑可なり︒⁝此の道理︑聖人の言を出つる無し︒︵語類一二〇︶

これらはいずれも︑聖人観と読書論との関連を示す資料である︒道理は聖人の言の内に尽くされているという一種の信

仰観念があり︑だからこそ︑経書を読むことが窮理の最も枢要な手段と認定されるのである︒

 ﹃論語﹄学而篇の﹁行ひて余力有れば︑則ち以て文を学ぶ﹂に︑朱喜⁝は次のように注する︒

  サ氏曰く﹁徳行は本なり︒文藝は末なり︒其の本末を窮め︑先後する所を知れば︑以て徳に入る可し﹂と︒⁝愚謂

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  へらく力行して文を学ばずんば︑則ち以て聖賢の成法を考へ︑事理の当然を知る無くして︑行ふ所或は私意に出で

  ん︒

﹃論語﹄本文が﹁行ふ﹂を先︑﹁文を学ぶ﹂を後とすることは︑サ惇の言に示される通りであり︑朱喜⁝も﹁此︑本末を

論じ︑本を先とし末を後とす﹂︵語類二一︶とこれを認める︒しかし︑知先行後・読書重視の立場に立つ朱喜⁝はこれに

満足せず︑﹁愚謂へらく﹂以下の自説を加えた︒それによれば︑聖賢の残した経典によらなければ人は道理を知ること

ができず︑実践も必ずしも有意義なものになり得ないのである︒﹁読書せずんば︑又学を為す所以の道を知らず﹂︵語類

=八︶﹁読書せずんば︑則ち義理由りて明らかなる無し﹂︵語類一二〇︶など︑同様の発言は枚挙に暇がない︒朱喜⁝は

現実の人間を不完全な存在と見る傾向が濃厚であり︑﹁人の生︑便ち此の理有り︒然れども物欲に昏蔽せらる︑故に此

の理を知る者少し﹂︵語類三二︶という発言もあるように︑常人が自力で真理に到達することにも懐疑的である︒      ひん  蓋し天の生民を降したるより︑則ち既に之に与ふるに仁義礼智の性を以てせざる莫し︒然れども其の気質の稟或は

  ひと

  斉しかる能はず︑是を以て皆以て其の性の有する所を知りて之を全うする有る能はざるなり︒一たび聡明叡智にし

  て能く其の性を尽くす者其の間に出つる有れば︑則ち天必ず之に命じて以て億兆の君師たらしめ︑之をして治めて

  之を教え︑以て其の性に復せ使む︒︵大学章句序︶

傍線部が﹃中庸﹄の﹁唯だ天下の至誠のみ︑能く其の性を尽くすと為す﹂︵二二章︶﹁唯だ天下の至聖のみ︑能く聡明叡

智と為す﹂︵=二章︶を踏まえていることは言うまでもない︒常人は︑聖人という指導者がいてこそ︑道理を完全に知

りかつ行うことができるというのである︒要するに︑朱喜⁝が読書を重視し知先行後を説く最大の理由は︑その人間観に

あると考えられる︒常人が真理に到達するためには聖賢の教という助けが不可欠であり︑これを熟読玩味して内在化規

範化しなければ︑真理を実践することもできない︒これが︑朱喜⁝知行論の骨子である︒

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 勿論パ朱喜⁝は常人の不完全さばかりを強調するわけではない︒      とら  明徳とは︑人の天より得る所にして︑虚霊不昧︑以て衆理を具へて万事に応ずる者なり︒但だ気稟の拘ふる所︑人       や  欲の蔽ふ所と為れば︑則ち時として昏む有り︒然れども其の本体の明は︑則ち未だ嘗て息まざる者有り︒故に学ぶ

  者は当に其の発する所に因りて遂に之を明らかにして以て其の初に復すなり︒︵大学章句首章︶      はつげん  明徳未だ嘗て息まず︑時時日用の間に発見す︒︵語類一四︶

人は皆固有の徳に基いて修養することで︑本来の完全なる自己を回復することができるのであり︑しかも︑そうした修

養は常に可能なのである︒言わば︑朱烹の修養論は︑自己の徳に拠るという自律的原理と︑聖賢に従うという他律的原

理との二本立てになっているのである︒しかし︑朱黒の修養論には博学多識主義と言うべき傾向が顕著にあり︑そのた

めに︑修養の目標が遠大なものになるばかりか︑他律原理が自律原理を凌駕しかねない危険性をも孕んでいる︒朱喜⁝が

常人の不完全さを強調するのも︑そのことと決して無縁ではない︒       なんぢ  孔子︑子貢に告げて曰く﹁女は予を以て多く学びて之を識す者と為すか︒予は一以て之を貫く﹂と︒蓋し子貢の只

  だ己を以て多く学ぶと為すのみにして︑一以て之を貫くの理有るを知らざるを恐る︒後人其の意を会せず︑遂に以       なにもの  為へらく﹁孔子只だ是れ一貫のみ︑元多学を用ひず﹂と︒若し是れ多学ならずんば︑却て箇の甚底をか貫かん︒⁝

  孔子は実に是れ多学︑一事として理会し過ぎざる無し︒若し是れ許大の精神ならずんば︑亦許多を呑み得ず︒只だ

  是れ多学中に於て一以て之を貫く有るのみ︒︵語類四五︶

これは︑﹃論証巴衛霊公篇に見える﹁一貫﹂と﹁多学多識﹂との関係について述べたものである︒朱喜⁝によれば︑一貫

とは知行の完成状態にほかならないが︵里仁篇・衛霊公篇注︶︑多学多識でなければ一貫の境地に到ることはできない

のである︒聖人のような﹁許大の精神﹂の持主でない常人の場合︑学識そのものが決定的に不足していることになり︑

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ひたすら聖賢の遺した経書によって経験知の不足を補う以外にないが︑多学多識が当面の目標であるために︑読書量も

膨大なものにならざるを得ない︒とすれば︑修養の中で読書の占める比重のみが一方的に肥大し︑知行の相補性が失わ

れることになりかねない︒また︑朱烹の場合︑学識とは経書を中心とする古典的教養にほかならないから︑古典的教養

に疎遠な者は修養が極めて困難ということになり︑修養が古典的教養人の専有に止まることも確実である︒

       ニ      しの  曰く﹁幼学の士︑子の言を以てして序に循ひて漸進し︑以て等を躍え節を陵ぐの病を免るるを得れば︑則ち誠に幸

なり︒a若し其の年の既に長じて此に及ばざる者︑反りて小学に従事せんと欲すれば︑則ち其の﹁拝格にして勝へ゜

ず︑勤苦にして成り難し﹄の患を免れざるを恐る︒直ちに大学に従事せんと欲すれば︑則ち其の序を失ひて本無く︑

以て自ら達する能はざるを恐る︒則ち之を如何せん﹂と︒曰く﹁是れ其の歳月の已に逝ける者は︑則ち固より得て

復た追ふ可からず︒其の工夫の次第条目の如きは︑則ち量に遂に得て復た補ふ可からざらんや︒蓋し吾之を聞けり︒

b敬の一字︑聖学の始を成して終りを成す所以の者なり︒⁝不幸にして時を過して後に学ぶ者︑誠に能く此に力を

  用ひ︑以て大に進みて其の小を兼補するを害せずんば︑則ち其の進む所以の者︑将に本無くして以て自ら達する能

  はざるを患へざらんとす﹂と︒︵大学或問1︶

これは︑小学と大学との関係を説いた文章の一節である︒傍線部aで︑小学を受けられなかった者にも修養は可能かと

いう問を立て︑傍線部bで︑敬という原理によって可能になると答えている︒小学とは今日の所謂児童教育であり︑小

学を受けられない者とは︑取り立てて裕福でなく︑児童教育を受けないまま家事や労働に従事しなければならなかった︑

当時の庶民層をさすのであろう︒朱嘉には地方官として庶民教育に関与した経験もあり︑そこからこのような問題意識

を持つに至ったものと思われるが︑いずれにせよ︑一般社会の実情に配慮することによって自己の思想の普遍性を高め

ようとする姿勢は︑朱烹の思想的営為の優れた特質の一つと言える︒しかし︑既述のように︑経書を読むことが修養の

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不可欠の要件であるとすれば︑児童教育も受けられず︑古典的教養にも疎遠な者には︑実際に修養を行うことは極めて

困難であろう︒

 要するに︑朱喜⁝の修養論においては︑万人が聖人になり得るという理念と︑経書読解という方法とが齪酷しているの

であるが︑しかしながら︑朱黒自身はそのことに気付かない︒物我一理の立場からすれば︑聖賢の言葉から知られる道

理とは︑自己が固有するものにほかならないからである︒

  而今の読書︑ロハだ是れ許多の道理を見得るを要す︒理会し得了るに及びては︑又皆是れ自家合下元有のもの︑是れ

  外面より旋添し得来らず︒︵語類一〇︶

聖賢に従う限り他律即自律であって︑二つの原理の間には何の対立葛藤もないことになる︒修養論における経書読解の

比重をいかに増そうとも︑それによって実践者の主体性が圧迫されるなど︑朱喜⁝には認め難いことであった︒

 総じて言えば︑朱蕪の知行論は︑既述のように︑知識層の伝統的生活形態をそのまま踏襲するものではないが︑しか

しながら︑知の工夫によって実践以前に確実な知識を得ておこうという基本的着想からして︑知的修養を社会的実践の

前提と考える知識層の生活信条に適合的であるし︑知的修養の手立てとして経書読解を偏重するのも︑伝統的知識層に

固有の意識形態であると言えよう︒要するに︑朱喜⁝の修養論は︑万人に妥当な普遍的理論を標榜しつつ︑実質は古典的

教養層のための理論の域を出るものではなかったのである︒

それでは︑王守仁の知行論を考察しよう︒

A知は是れ心の本体なり︒︵全書一8︶

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淑徳国文37

B良知は見聞に由りて有らずして︑見聞は良知の用に非ざる莫し︒⁝蓋し日用の間︑見聞酬酢︑千頭萬緒なりと難も︑

 良知の発用流行に非ざる莫し︒⁝思は是れ良知の発用なり︒︵全書二答欧陽崇一︶

C愛曰く﹁⁝一行に知の功夫を倣し︑一行に行の功夫を倣して︑即ち功夫始めて下落有り﹂と︒先生曰く﹁a此︑却

て古人の宗旨を失ひ了る︒某嘗て説く﹃b知は是れ行の主意︑行は是れ知の功夫︑知は是れ行の始︑行は是れ知の

成﹄と︒⁝c今人却て就ち知行を将て分ちて両件と作し去きて倣し︑以為へらく﹃必ず先づ知り了りて然る後能く      しば  行ふ︒我如今且らく去きて講習討論して知の工夫を倣し︑知り得て真なり了るを待ちて︑方めて去きて行の工夫を

  倣さん﹄と︒故に遂に終身行はず︑亦遂に終身知らず︒此︑是れ小病痛ならず﹂と︒︵全書一5︶

 Aで︑﹁知﹂は生得的な認識能力の意味で用いられている︒王守仁の言う﹁知﹂は概してこの意味であり︑Bで︑生

得的認識能力は﹁良知﹂︑認識のための営為は﹁見聞﹂﹁思﹂と明確に区別されていることからもわかるように︑認識を

獲得するための行為を﹁知﹂と呼ぶ例は皆無である︒先天的認識能力と後天的具体認識の区別はやや曖昧であるが︑

﹁嬰児の母の腹に在る時︑只だ是れ純気にして︑何の知識有らん﹂︵全書一31︶など︑後天的認識を﹁知識﹂と呼んで

意味を特定する例もある︒

 王守仁はコ念発動する処︑便ち即ち是れ行なり了る﹂︵全書三26︶のごとく︑意識の発動も﹁行﹂に含まれる主張

する︒これは︑概念の用法として一見特殊なようであるが︑王守仁がこのように考える理由もBから窺い得る︒王守仁

は﹁見聞﹂﹁酬酢﹂という外面的な営為も︑﹁思﹂という内面的な営為も︑等しく﹁良知の用﹂と規定している︒外面的

か内面的かを問わず︑形而下の具体的営為を全て同一の概念に包摂しているのである︒意識のはたらきも形而下の営み

であるからには良知の作用に相違なく︑知を形而上の本体とするのに対して︑形而下の営為を行と総称するならば︑意       と識もまた行の内に包摂されることになる︒

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淑徳国文37

 さて︑Cでは︑工夫を知の工夫と行の工夫とに二分することに反対し︵a︶︑そうした二分法こそが知行の分断を生む

元凶であることを指摘する︵c︶とともに︑自らの知行論の要旨を端的に提示している︵b︶︒工夫を知と行とに区別する

のを否定した上で行が﹁知の功夫﹂と表現されていることから︑﹁知﹂が形而上の本体であるのに対して︑形而下の営

為たる工夫は一括して﹁行﹂と総称されることがわかる︒知が行の﹁始﹂でありで王意﹂であるとは︑認識が行為を生       ぎ み出す動機となることであり︑行が知の﹁成﹂であり﹁功夫﹂であるとは︑行為を通じて認識が実現することである︒

王守仁の知行合一説が︑朱喜⁝のように知の工夫と行の工夫との連関を説くのではなく︑認識そのものと行為そのものと

の体性を説くものであることは明白であろう︒

  ﹃大学﹄は箇の真の知行を指して人に看しめ︑﹁好色を好むが如く︑悪臭を悪むが如し﹂と説く︒a好色を見るは      か  知に属し︑b好色を好むは行に属す︒c只だ那の好色を見る時︑已に自つから好み了る︒d是れ見了りて後︑又箇      か      か  の心を立て去きて好むならず︒e悪臭を聞ぐは知に属し︑f悪臭を悪むは行に属す︒9只だ那の悪臭を聞ぐ時︑已

  に自つから悪み了る︒h聞ぎ了りて後︑別に箇の心を立て去きて悪むならず︒i鼻塞がる人の如きは︑悪臭の前に

  在るを見ると難も︑鼻中曽て聞ぎ得ず︑便ち亦甚しくは悪まず︒亦只だ是れ曽て臭を知らざればなり︒︵全書一5︶

傍線部a.eは︑好色や悪臭という具体的対象に作用する認識能力が﹁知﹂であるという意味であろう︒これに対して︑

傍線部b︐fは︑上述の︑内面的な営みも含めて形而下における一切の営為を﹁行﹂とするという着想に基づく︒そし

て︑傍線部c.9は︑対象によって認識能力が触発されることによって自然にその対象への対応が決定されることを言

い︑これを踏まえて︑傍線部d.hでは︑認識と行為とが別々の時間に分けられないことを述べる︒ここから︑知が行

の﹁始﹂であるということが︑時間の上で先行する意味ではなく︑行為は認識を前提とするという論理的前後関係であ

ることが確認できる︒つまり王守仁は︑論理的前後関係と時間的前後関係とを明確に区別した上で論を立てているので

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淑徳国文37

ある︒更に︑傍線部iでは︑実地の体験によらなければ認識が得られないこど︑換言すれば︑認識能力は具体的な対象

に即してのみ作用することが語られている︒このような知行の関係を︑王守仁は﹁知の真切篤実の処︑即ち是れ行なり︒

行の明覚精察の処︑即ち是れ知なり﹂︵全書二答顧東橋書︶と要約する︒これは︑認識能力の具体的作用形態が行であり︑      ア 行為をしかるべく方向付ける原理的本質が知であることを意味する︒つまり︑知行合・一とは︑認識と行為とが具体的

な対象に即して必然的に連関することであり︑主体的課題としては︑認識能力を行為を通じて遺憾なく発揮することに

より︑知行の連関を常に保つことが要請される︒これは︑認識と行為との一般的関係に基礎を置く修養論と言えるもの

である︒ ところで︑朱喜⁝の知行論と王守仁のそれとの共通点として今まで指摘されて来たのも︑知行の緊密な連関ということ

であった︒古くは大塩中斎がマ心理不二・知行合一︑紫陽の本旨なり﹂バ大学古本刮目自序︶と説き︑朱喜⁝の語若干数

を引用してこれを証明しようとした︵洗心洞筍記下皿︶︒今その一例を挙げれば︑次のようなものである︒

  学ぶ者の工夫︑惟だ居敬・窮理の二事に在り︒此の二事相発す︒能く窮理すれば︑則ち居敬の工夫日々益々進む︒

  能く居敬すれば︑則ち窮理の工夫日々益々密なり︒︵語類九︶

これは知の工夫と行の工夫との関係を説くものであり︑認識そのものと行為そのものとの関係を説くものではない︒大      ハ ね塩が挙げる例は皆この類であるが︑王守仁は知の工夫・行の工夫という区別そのものを認めないのである︒近年︑陳

栄捷も朱烹を知行合一説の先駆とする見解を示している︵﹃朱子新探索﹄四四章 一九八八︶が︑その内容は大塩と大

差ない︒︑朱烹も王守仁も︑知行の緊密な連関を説くには説くが.その実﹁知﹂﹁行﹂という概念の内容そのものが異な

っており︑当然︑知行の連関なるものの内実も同じではないのである︒

 以上の考察から︑王守仁の用語法を整理すると次のようになる︒

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︑−後天的に獲得される具体認識L知識

これを先の朱嘉知行論の図と比較すれば︑抽象的思考の水準において王守仁が朱嘉を上回っていることが看取されよう︒

こちらの方が概念規定も明確であn概念相互の関係も簡潔に整理されている︒しかし︑これを朱喜⁝と王守仁との個人

的差異に帰すべきではない︒.

 ﹃論証巴の﹁行ひて余力有れば︑則ち以て文を学ぶ﹂︵既出︶など︑古書にも道の実践と知的営為との関係について

の言及が散見するが︑・それを﹁知﹂﹁行﹂のような包括的概念によって一般化する着想は︑宋代以前にはほとんど見ら

れない︒また︑朱烹の知行論に含まれる概念の混乱や論理の飛躍を指摘した人物は︑朱烹の時代には見当たらない︒つ

まり朱喜⁝は︑中国人の抽象的思惟がようやく知的営為と実践との関係を一般化して考察できる水準に達した時代に生き︑

そうした歴史条件の下で自らの思想を形成したのである︒かたや王守仁は朱烹の時代から三百余年を経ており︑その間

に抽象的思惟の水準が更に上昇し︑認識のための営為と認識そのものとを区別し︑認識と行為との一般的関係を論ずる

ことができるまでに至ったと考えられるのである︒・

それでは︑王守仁の読書論を検討しよう︒︐

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 夫れ舜の告げずして要るは︑山豆に舜の前已に告げずして要る者有りて之が準則と為り︑故に舜以て之を何れの典に

      そもそも      はか  か考へ︑諸を何人にか問ふを得て此を為せるや︒抑々亦諸を其の心の一念の良知に求め︑軽重の宜を権り︑已むを

  得ずして此を為せるや︒武の葬らずして師を興すは︑山豆に武の前已に葬らずして師を興す者有りて之が準則と為り︑

  故に武以て之を鵬れの典にか考へ︑諸を何人にか問ふを得て此を為せるや︒抑々亦諸を其の心の一念の良知に求め︑

  軽重の宜を権りべ已むを得ずして此を為せるや︒︵全書二答顧東橋書︶       べここでは︑読書などの知的営為と致良知とを対置しており︑王守仁が知的営為を軽視していると感ずる者もあろう︒

しかし︑この文の大意は︑知的営為による予備知識の確保よりも︑実地の経験に即して認識能力を遺憾なく発揮するこ

との方が本質的な営みであると言うに過ぎない︒ここにも︑具体的な経験に即して認識と行為の連関を保持するという︑

知行合一の観点が貫徹しているのである︒勿論︑朱喜⁝が読書を窮理の本としたのに比べれば︑読書の比重が低下してい

ることは確実であるが︑王守仁が読書その他の知的営為に重い意味を認めることは︑次の資料から明白である︒

 A人欲を去りて天理を存する所以の方を求むれば︑則ち必ず諸を先覚に正し︑諸を古訓に考ふ︒而して凡そ所謂学問

  の功なる者︑然る後得て講ず可くして︑亦已むを容れざる所有らん︒︵全書七示弟立志説︶       ものう B日間の工夫︑紛擾を覚ゆれば則ち静坐せよ︒書を看るに獺きを覚ゆれば則ち且つ書を看よ︒是れ亦病に因りて薬す︒

  ︵全書一17︶

Aでは︑﹁人欲を去りて天理を存する所以の方を求む﹂という王体的動機と関連付けながら︑読書を中心とする知的営

為の重要性を語っている︒これと似た発言は朱喜⁝にもまま見られる︒また︑Bの傍線部は読書を中途で放榔しないよう

訓戒するものであり︑朱喜⁝に同じ趣旨の語が多くあることは言うまでもない︒

 このように︑読書論の梗概においては︑両者にそれほど差はない︒ただし︑一つ注意すべきことは︑朱喜⁝が経書に盛

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られた理を窮めるために読書の継続を要請するのに対して︑Bの王守仁の語は︑読書の継続を紛擾の時の静坐と並べて

﹁病に因りて薬す﹂と称していることから窺われるように︑獺惰の念の克服に重きを置くものであり︑読書も存天理去

人欲を実践する場の一つとして位置付けられるのである︒そして︑﹁紛擾﹂﹁書を看るに獺き﹂のいずれにも﹁覚ゆれば﹂

と言われるのは︑本人の内的自覚のみが存天理去人欲の実践を可能にするという考えによる︒そうした内的自覚をもた       りらすものは︑王守仁によれば良知である︒つまり︑修養の主導原理は常に致良知にあるとされるのである︒      もと 朱烹は格物の方法を﹁之を事為の著に考ふ﹂﹁之を念慮の微に察す﹂﹁之を文字の中に求む﹂﹁之を講論の際に索む﹂

の四通りに分類したが︵大学或問6︶︑このうち特に﹁之を文字の中に求む﹂が重視されることは︑これまでの考察か

ら明白であろう︒これに対して︑王守仁は次のように言う︒      か  文公の格物の説は︑只だ是れ頭脳を少く︒所謂﹁之を念慮の微に察す﹂の如き︑此の一句﹁之を文字の中に求め﹂       ぺ  ﹁之を事為の著に験し﹂﹁之を講論の際に索む﹂と混じて一例と作して看る該からず︒是れ軽重無きなり︒︵全書三

  34︶

﹁之を念慮の微に察す﹂という句は︑﹁吾が心の良知一念の微に於いて之を察す﹂︵全書二答顧東橋書︶という表現があ

ることから︑王守仁には良知に照らす意味に理解されていたとわかる︒そして︑良知とは孟子の所謂是非の心であると︑

王守仁は言う︵全書二六大学問など︶︒真なる認識の獲得という点から見れば︑自己の認識能力を遺憾なく発揮して対

象の是非を判別することこそ最も根源的な課題であろう︒他の三句は知的営為の形態を外的な認識対象の相違に沿って      ハユ分類したものに過ぎず︑﹁之を念慮の微に察す﹂とはおのずから次元を異にする︒つまり︑王守仁は︑認識の問題を主

体の側と客体の側とに区別し︑主体の側の問題こそ根本であると主張するのである︒換言すれば︑朱嘉の分類が平板な

列挙に止まったのを︑王守仁は主観と客観という観点から明快に分析して整理したのであり︑その結果︑経書読解は営

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淑徳国文37

為の一形態として相対化されたのである︒.

 要するに︑王守仁においても︑経書は修養の方法を知る手立てとして特別な有用性を認められるが︑経書から理その

ものを知ろうという発想はなく︑経書を読むという行為も他の行為と同様︑存天理去人欲の実践が伴ってこそ意義があ

るとされるのである︒

 勿論王守仁にあっても︑経書や聖人は権威であった︒しかし︑それは無条件かつ絶対的な権威ではあり得なかった︒

王守仁は﹃大学﹄古本を﹁孔門相伝の旧本﹂と認めることについて︑次のように説明する︒

a夫れ学は之を心に得るを貴ぶ︒之を心に求めて非なるや︑其の言の孔子に出つると難も︑・敢て以て是と為さざる

なり︒而るを況んや其の未だ孔子に及ばざる者をや︒之を心に求めて是なるや︑其の言の庸常に出つると難も︑敢

て以て非と為さざるなり︒而るを況んや其の孔子に出つる者をや︒且つ旧本の伝︑数千載なり︒b今其の文詞を読

  むに︑既に明白にして通ず可し︒其の工夫を論ずるは︑又易簡にして入る可し︒︵全書二答羅整庵少宰書︶

傍線部aは︑陽明学の独立不覇の気概や主体性の重視を示すものとしてよく引かれるが︑ここでも︑孔子が聖人であり

権威であることは原則的に認められている︒重要なことは︑その権威性にもかかわらず︑聖人も是非の判断の対象とな

ると言われることである︒傍線部bにおいて︑自らが読みかつ実践した経験を根拠として古本の有用性を説くのも︑こ

れと同様の発想である︒つまり︑聖人も経書も良知に照らして是非を判断すべき対象の一つと考えられているのである︒

このような王守仁の聖人観・経書観を次の朱嘉の語と比較すれば︑両者の相違はより明確になるであろう︒

  今六経嘉巴﹃孟﹄﹃中庸﹄﹃大学﹄の書具に在り︒彼の了悟を以て高しと為す者︑既に其の障擬を病みて︑以て読

  む可からずと為す︒此の記覧を以て重しと為す者︑又其の狭小を病みて︑以て観るに足らずと為す︒是の如くんば︑      あざむ  則ち是れ聖人の言を立て訓を垂るる所以の者︑徒に以て人を俣くに足りて︑以て人を開くに足らず︑孔子は尭舜

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      もと  よりも賢ならずして︑達磨.遷.固は仲尼よりも賢なり︒乃ち惇るの甚しきこと無からんや︒︵文集四七答呂子約24︶

ここで言われているのは︑要するに︑禅学や記問の学を肯定すれば︑聖人や経書の権威を傷つけることになる︑という

ことに過ぎない︒勿論朱烹は禅学についても記問の学についても︑その思想に立ち入って具体的に弊害を指摘すること

も忘れないが︑その一方で︑聖人と経書との権威を楯にして敵を攻撃する護教神学的な発言もしているのである︒そこ

に︑既成の権威によって自説の正統性を保証しようとする権威主義的思考を見て取ることができる︒そうした思考にと

って権威とは︑自己の理性によって真偽を検証する対象ではなく︑むしろ自己の理性の後ろ盾となるべき絶対的価値な

のである︒

 朱蕪が大禺護の真偽を疑いつつ︑これを依拠経典に採用した事実は︑朱烹の中で理性主義よりも権威主義が優ってい       ヨたことを物語る︒また︑王通﹃文中子﹄の擬経的態度を厳しく非難した︵文集六七王氏続経説︶のも︑経書への冒漬      ハロ を許すまいとする心情によるものであろう︒総じて︑朱蕪の思想には︑聖人崇拝・経典至上主義及びそれらと表裏一       む体の権威主義といった中世神学的傾向が色濃く残存しており︑朱子学の影響力が長く古典的教養層の範囲に止まった

根本の要因も︑そこにあると考えられる︒

・一方︑王守仁は良知を次のように語る︒

 A良知は只だ是れ箇の是非の心なり︒⁝只だ是非なれば︑就ち万事万変を尽くし了る︒︵全書三88︶

︑B吾が心の良知の天理を事事物物に致せば︑則ち事事物物皆其の理を得︒︵全書二答顧東橋書︶

 C良知は只だ是れ一箇なり︒他の発見流行する処に随ひ︑当下に具足す︒︵全書二答竈文蔚2︶       へだ D是非の心は︑慮らずして知り︑学ばずして能くす︑所謂良知なり︒良知の人心に在るや︑聖愚を間つる無し︒︵同1︶

.Aは︑良知がr切の事象の是非を批判検証する包括的認識能力であることを説く︒その包括性を強調すれば︑﹁天地万

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物は倶に我が良知の発用流行中に在り︒何ぞ嘗て又一物の良知の外に超へて能く障擬を作し得る有らんや﹂︵全書三69︶

という言い方もされる︒また︑Bは︑良知による批判検証が行われてこそ多種多様な事象がことごとく秩序付けられる

ことを意味する︒したがって︑王守仁は︑良知の認識・判断以前に予め外的対象に理が備わっているとは考えないので

あり︑聖人であれ経書であれ︑他の事象と同様に良知による批判の対象となる︒しかも︑C・Dによれば︑良知は万人

においていかなる時も万全に機能するのであり︑﹁良知は自つから知る︑原と是れ容易なるものなり︒只だ是れ那の良

知を致す能はず﹂︵全書三皿︶と言われるように︑修養は良知の機能を正しく運用することに集約される︒これは︑知       ロ       ど的営為の積重ねの果てに完全無欠の認識が得られるという朱蕪の窮理説とは全く異質な理論である︒このように︑先

天的認識能力を真理の唯一の担い手と認め︑是非の判断をすべての事象に例外なく及ぼそうとする点において︑王守仁

の思想には理性主義的傾・阿が顕著であり︑その分権威王義的色彩は後退していると言える︒

 このような朱烹と王守仁との差異は︑途仲昨特悔の増大と認め得る︒現代イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズ

は︑近代社会における伝統の存続について次のように言う︒

  日常生活で確立された型にはまった行いは︑﹁以前になされた﹂ことがらが︑新たに手にした知識に照らして理に

  適うかたちで擁護できる点とたまたま合致する場合を除けば︑過去とは本来的に何の結び付きももたない︒あるし

  きたりを︑それが伝承されてきたものであるという理由だけで是認することはできない︒伝統は︑伝統によっては

  それ自体の信愚性が検認できない︑そうした知識に照らしてのみ正当化することが可能なのである︒この点は︑習

  慣自体が有す惰性とあいまって︑たとえ近代のもっとも近代化の進んだ社会においてさえ︑伝統が何らかの働きを

  果していることを意味している︒︵﹃近代とはいかなる時代か?﹄一九九〇/松尾精文・小幡正敏訳 一九九三︶

近代においては︑伝統はそれ自体が価値や権威であるのではなく︑﹁理に適う﹂と認められることによってのみ価値や

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権威であり得るのである︒換言すれば︑近代の思想的特質は伝統的なものの否定にあるのではなく︑伝統的なものに対

してもそうでないものに対しても等しく﹁理に適う﹂か否かを検証しようとする理性主義的態度の一般化にある︒とす

れば︑良知に照らして一切事象をことごとく批判検証しようとし︑かつ︑万人が心掛け次第で直ちにそうした批判検証

       びの主体になり得るとする王守仁の致良知説に︑近代的思惟形態の原型を見て取ることも可能である︒

 朱嘉の知先行後説は︑既述のように︑古典的知識層に特に適合する理論であった︒これに対して︑王守仁の知行合一

説は︑具体的な経験に即して常に認識と行為との相関を保持するという根本の着想から既に︑経書読解という特定の手

段の絶対化とは無縁である︒したがって︑特定の社会階層にのみよく適合するという限定性もなく︑それだけ普遍性の

高い理論と言える︒とは言え︑王守仁は初めから︑万人に等しく支持される理論を作ろうという意図をもって自らの思      ハ 想を形成したのではない︒﹁知﹂﹁行﹂﹁工夫﹂の概念規定︑認識のための営為と認識そのものとの区別︑時間の前後と      ハリリ論理的前後との弁別︑主観と客観との分析など︑いずれも王守仁の方が朱烹よりも明晰であった︒言わば︑王守仁は

抽象的思考の歴史的発達に押し上げられる形で︑より高度な分析能力とより強固な理性主義的態度とを獲得したのであ

り︑だからこそ︑普遍性のより高い理論を構築し︑結果的に社会階層の限定を超えることになったのである︒

淑徳国文37

∧注V

︵1︶宇野哲人﹁支那哲学史講話一︵一九一四/﹁中国思想一一九八〇︶荒木見悟﹁仏教と儒教﹄︵一九六四/新版一九九三︶などが︑

  朱蕪が知先行後説を取りつつ知行の連関を説いたことを指摘している︒しかし︑知先行後と知行の連関とがいかなる脈絡におい

  て結合するのかを論じた研究は見当たらない︒

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淑徳国文37

︵2︶銭穆は︑朱喜⁝の言う﹁行﹂に読書も含まれると見倣す︵﹁朱子新学案﹂三〇章 一九七一︶が︑客観的根拠に乏しい︒       は じ︵3︶﹁義理明らかならずんば︑如何ぞ践履せん﹂︵語類九︶﹁須らく當に先づ知り得べく︑方始めて行ひ得﹂︵語類一一九︶など︑同

 様の発言は多く見られる︒

︵4︶朱蕪は﹁読書は巳に是れ第二義なり﹂︵語類一〇︶﹁学は固より読書に在らず﹂︵語類一二〇︶とも言うが︑これは︑大濱皓﹁朱

 子の哲学﹂︵一九八三︶に﹁自己身上の理について理解することが第一義であり︑読書は第二義であるにしても︑それは理の究明︑

 認識に必須であった︒第一手段であった﹂とあるように︑決して窮理における読書の意義を低く見るものではない︒

︵5︶王守仁には﹁知行本体﹂﹁知行工夫﹂という表現も見られるが︑これらはそれぞれ﹁知行の本来のあり方﹂﹁知行に合一の関係

 を取り戻すための営為﹂という程の意味であり︑知行それぞれに本体と工夫とがあるという意味ではない︒馬渕昌也﹁黄舘の思

 想について﹂︵﹁中国ー社会と文化﹂第三号 一九八八︶は︑これらの語から﹁王氏は知行合一について本体と工夫の二位相を分

 けている﹂と結論するが︑本稿の見解はこれと異なる︒

︵6︶溝口雄三訳伝習録︵荒木見悟編﹁朱子 王陽明﹄所収 一九七入︶の注に︑知行合一について﹁﹁始一というのは︑知るとい

 うことがなければ行いはありえないという︑そのきっかけをいう︒⁝行は知の実現態ともいえる﹂とあり︑また︑﹁工夫﹂﹁主意﹂

 について﹁行為とそれをもたらす意図の関係﹂とあるのを参照︒なお︑荒木見悟﹃仏教と陽明学﹂︵一九七九︶は知行合一を﹁知

 .

熏sも︑心の知であり︑心の行であって︑両者の結びつく地点は︑この一心をおいて︑他にはないということである︒知る主体

 も心︑行う王体も心である︒逆にいえば︑心の知的限定が知であり︑心の行的限定が行である﹂と説明する︒これは︑知と行と

 を心の限定的機能とし﹁て全く同列に置く解釈であり︑本稿の見解と異なる︒

︵7︶馬渕前掲論文に﹁知行A三説は⁝知覚が理を定立するそのこと自体が⁝必然的に行為への開展の衝動を伴ったものであるとい

 うこと︑そしてまた逆に︑すべての行為の根底にはその動因として良知の自覚があり︑また時々刻々その先導を行っているとい

 うことを述べたものである﹂とあるのを参照︒      ︐

︵8︶例えば︑次のような資料がある︒

  梁日孚問ふ﹁居敬.窮理は是れ両事なり︒先生以て一事と為すは︑如何﹂と︒先生曰く﹁天地の間只だ此の一事有るのみ︒安

 んぞ両事有らん︒⁝名は同じからずと錐も︑功夫は只だ是れ一事なり﹂と︒︵全書一皿︶

︵9︶宇野前掲書に﹁ただ実行さえすれば致知を説く必要がないというがごときは︑彼︵朱蕪︶の断じて取らざるところである︒こ

 の点は朱王二子の主なる相違点の一つである﹂とあるのは︑その種の理解の典型と言えよう︒

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(25)

淑徳国文37

︵10︶例えば︑次のような資料がある︒

   凡そ意念の発するや︑吾が心の良知自つから知らざる者有る無し︒其の善なるや︑惟だ吾が心の良知のみ自つから之を知る︒

   其の不善なるや︑亦惟だ吾が心の良知のみ自つから之を知る︒︵全書二⊥ハ大学問︶

︵11︶大塩﹁勧記﹄に﹁窃に先生の意を考ふれば︑則ち之を念慮の微に察するは即ち是れ頭脳なりと謂ふのみ︒此︑乃ち是れ正論な

 り︒何となれば則ち察すと日ひ︑求むと日ひ︑験すと日ひ︑索むと日ふも︑其れ何者か之を察し︑之を求め︑之を験し︑之を索

 むるや︒良知に非ずして誰そや︒故に之を文字に求め︑之を事為に験し︑之を講論に索むるも︑要するに皆念慮の微に帰するの

 み︒如し念慮の微に帰せずんば︑則ち文字・事為・講論果して何物そや︒亦外物なるのみ﹂︵上困︶とあるのを参照︒

︵12︶朱喜⁝の性即理説や理気二元論を理性主義と評する論者もあるが︵例えば︑友枝龍太郎﹁朱子の格物窮理と陽明の致良知﹂一九

 七七﹃東洋学術研究﹄十六巻四期︶︑西洋哲学の所謂理性とは︑それを正しく発揮することによって確実に真理を得られるよう

 な認識能力を意味する︒朱喜⁝の︿性ー理﹀はむしろ認識対象であって︑認識能力たる︿心ー知﹀と概念上厳密に区別されている︒

 それよりも︑王守仁の良知の方が遥かに理性の概念に近い︒

︵13︶王守仁は王通の擬経に対して﹁某切に深く其の事に取る有りて︑以為へらく聖人復た起るも易ふる能はざるなり﹂︵全書一11︶

 と賛意を表明している︒    °

︵14︶山下龍二﹁王陽明の思想の変遷について﹂︵﹃日本中国学会報﹄第十輯 一九五八︶に︑﹁経書の神聖性に対する基本的な考え

 方は︑漢より宋に至るまで一貫している︒経書はかくて超歴史的な真理性を保持し続けることができた﹂とあるのを参照︒

︵15︶王守仁の=節の知は即ち全体の知︑全体の知は即ち一節の知︑総て是れ一箇の本体なり﹂︵全書三22︶という言葉は︑朱喜⁝

 窮理説と王守仁致良知説の相違を端的に物語るものである︒

︵16︶例えば︑次のような資料がある︒

  此の両字は人人の自ら有する所なるに縁りて︑故に至愚下品と難も︑﹂たび提すれば便ち省覚す︒︵全書六寄郡謙之3︶

︵17︶﹁各自且らく自己の是非を論じ︑朱陸の是非を論ずる莫かれ﹂︵全書二啓間道通書︶といわれるように︑王守仁においては自己

 の是非こそが根本問題であり︑内なる意識と無関係に外的事象の是非のみを問題とすることは否定される︒その点は︑思想信条

 の自由を標榜して外的事象を積極的に批判検証しようとする近代理性主義と微妙に異なる︒しかし︑戸川芳郎・蜂屋邦夫・溝口

 雄三﹁儒教史﹄︵一九八七︶第八章︵溝口氏担当︶が﹁陽明のいう良知が⁝道徳的本性であり︑かつその道徳は⁝五倫五常で⁝

 自由で平等な人間関係のそれではなく⁝身分秩序関係の中で発想していたという点では朱子と全く同じ﹂とするのは︑近代的意

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参照

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