中川テーゼと科学史
三 富 照 久
はじめに―中川テーゼとの出会い―
1 科学史の根本問題 2 中川テーゼとギリシア科学 3 中川テーゼの可能性
はじめに―中川テーゼとの出会い―
中川テーゼとの出会い,それはもちろんこの論文集の主賓たる中川洋一郎先生との出会いであ る.それは数年前,下記の科学史の根本問題(A)を考えていたときに,ヨーロッパ史の経済的背 景を知るために偶然にも中央大図書館で,中川先生の「ヨーロッパ経済史Ⅰ・Ⅱ」を見つけた時 に遡る.
科学史の根本問題(A)「なぜ西欧にのみ,近代科学が成立したのか?」
その頃,私は文学部の特別教養講座において,西洋および東洋の数学文化史から自由なテーマ を選んで10年ほど講義を担当し,さらに渡邉博教授(比較科学史・科学哲学)の急逝を受けて,「比 較科学史」を数年担当して,それまでの科学史研究の成果を講義の中に活かそうとしていたとこ ろであった.そして東西の科学史を比較研究した事から,上記の根本問題(A)の重要性に気づい て,その考察にとりくみ始めていた.
中川先生の「ヨーロッパ経済史Ⅰ」は,先史時代から始まりインド・ヨーロッパ語族の「牧 夫・イヌ・ヒツジ」の思想,いわゆる経済思想原理としての〈中川テーゼ〉を土台として,寒冷 化や温暖化,森林の開拓や減少など,環境の変化の重要性についても数値(気温)や地図を引用し て説明しており,理系(数学科出身)の私にとって,読みやすくて非常に説得力のある独創的な経 済史であった.例えば,プラトンやアリストテレスの奴隸肯定思想(異民族が優秀なギリシア人に 仕えるのは “自然” である)が,〈中川テーゼ〉のヒツジ化の思想を反映していると知ったときは,
まさに目からウロコの状態であった.他にも,古代から現代までの “ヨーロッパ” の形成につい
て,中川先生の西洋経済史の教えるところは大きかった.(他の文系的な経済史は,古代の記述が少 なく,数値や地図の引用も少なく,記述的な説明ばかりのものが多かった)
そして偶然にも中川先生が同じ中央大学の経済学部の教授ということを知り,さっそく連絡を とって経済学部に会いに行くことになった.短い時間ではあったが,コーヒーを飲みながら西洋 の経済史や科学史について歓談した.意外にも,伊東俊太郎などの科学史研究にも精通されてお り,小生の質問にも快く答えてくださった.それ以来,新しい論文ができるとすぐに学内便で 送ってくださり,その後の〈中川テーゼ〉の発展をまじかで知ることとなった.また改訂版であ る「新・ヨーロッパ経済史Ⅰ・Ⅱ」も送っていただき,ささやかながらAmazonに書評を書かせ ていただいた.最近の論文では,神話学で有名なデュメジルの 3 機能イデオロギーや,キリスト 教の三位一体の教義なども,〈中川テーゼ〉との関係で詳細に論じられており,経済思想原理であ る〈中川テーゼ〉の驚くべき射程の深さと広さに驚嘆している次第である.(中川テーゼについて は, 2 章で説明する)
1 科学史の根本問題
この章では,上に紹介した科学史の根本問題(A)の意義と解明の道筋について論じる.
科学史の根本問題(A)と問題意識を共有する社会学上の問題として,マックス・ウェーバー
(1864―1920)が生涯をかけて探求した次の社会学の根本問題(B)がある.
社会学の根本問題(B)「なぜ西欧にのみ,近代合理主義が成立したのか?」
もちろんマックス・ウェーバーの関心は科学史そのものではなく,より広範な社会の経済的・
宗教的文化的事象の解明にあるが,西欧における近代科学と近代合理主義は密接な関係をもって おり,科学史の社会的背景についても,マックス・ウェーバーの示唆するところは大きい1).
1 ) 尾高邦雄は自ら責任編集した『世界の名著 ウェーバー』の解説で,「かくてウェーバーによれば,正 確な計算を可能にし,経験的に立証しうる真理を生み出す合理的な科学とこれにもとづく合理的な生産 技術は,近代西欧にのみ起こった.また,芸術の領域でも,合理的な和声音楽や合理的構成をもつ造形 美術も,近代西欧でのみ発生した.」と述べている.(尾高1975:34)また生松敬三も『社会思想の歴史』
におけるウェーバーの解説で,「今日,普遍的な妥当性を認められている「科学」は,西洋に生まれたも のである.世界および人生に関する深遠な哲学的ないし神学的な思索は,もちろん西洋以外の諸地域に もたくさん存在したが,合理的・実験的自然科学はまさしく西洋にしか生まれなかったし,合理的・組 織的法学といったものもそうであった.さらに合理的和声音楽,芸術の古典的合理化,専門家制度,官 吏制度,合理的政治機構としての国家,等々,これらはいずれも西洋にしか生み出されなかったもので ある.」と述べている.(生松2002:112―113)
マックス・ウェーバーは根本問題(B)を解明するために,古代から中世のインドや中国の経 済・宗教を調べて,ギリシア・ローマ(古典古代)やヨーロッパと詳細に比較しており,その成果 は『宗教社会学論集』(1920―1921)や『経済と社会』(1921―)の中にまとめられている.
マックス・ウェーバーの根本問題(B)は,確かに科学史の背景を知る上で参考になったが,科 学史の根本問題(A)は,実は次の中国科学史におけるジョセフ・ニーダムの問題の考察から直接 的に導かれたものである.
ニーダムの問題(C)「中国は古代から高い科学技術の水準にあったが,なぜ近代科学が成立 しなかったのか?」
よく知られている様にジョセフ・ニーダム(1900―1995)は,中国科学史研究の草分け的な存在 であり,その著『中国の科学と文明』(1945―2004)は,中国の過去における科学技術の水準の高さ を世界に知らしめることとなった.西洋よりも早い技術的発明としては,製紙・印刷術・火薬製 造・羅針盤(方位磁石)があり,これらは中国から西方世界にもたらされて,16世紀以降の西欧の 機械・軍事・航海などの技術の発展に大いに寄与した.また中国古代の算術・天文暦法・医学・
薬学(漢方)も,中国独特の発展を遂げてギリシア・ヘレニズム科学に匹敵する水準に達してい た.そしてニーダムは16世紀頃までは,西欧より中国の方が科学技術の水準が高かったのに,な ぜ西欧に逆転されたのか? という問題意識によって上記のニーダムの問題(C)を提唱した.
すでにこのニーダムの問題には,いくつかの有力で定説的な解答が知られている2).けれども,
問題(A)に至った契機は,そのような解答ではなく,ニーダムの問題意識の前提となっている歴
2 ) 下のニーダム・グラフは,佐々木力が『科学論入門』の中で,ニーダム自身の原図をもとに簡略化し て作成したものであり,西洋と中国の対比という点でわかりやすい.佐々木はニーダム問題の解答とし て,ニーダムや山田慶児の意見を紹介して検討している.それは官僚制・封建制の相違という社会構造 に着目するもので,ウェーバーの問題意識とも関連して興味深い.(佐々木1996:90~94)
-300 0 +500 1000 1500 2000 ニーダム・グラフ
三大発明
航海用羅針盤 西洋
中国
中国における 機械時計の発明
ガリレオの生涯 プトレマイ
オスの生涯
火薬 印刷術
科学技術の成果の水準 その揺籃期 中国 ヨーロッパ
史観についての疑問である.ニーダムの問題(C)は,すでに西欧で近代科学が成立したことを前 提にしているが,果たして近代科学の成立は歴史的必然であろうか? ということである.この疑 問の背景として,次の歴史的事実(D)がある.
歴史的事実(D)「世界史において,近代科学が成立したのは西欧のみであり,進歩の思想が 成立したのも18~19世紀の西欧のみである」
中国に近代科学が成立しなかったのは,単に中国に近代科学を成立させる要因がなかった,と いうだけでしかない.西欧に近代科学が成立したからと言って,中国に近代科学が成立しなけれ ばいけなかった,という歴史的必然性があるわけではない.西洋列強の植民地化によって疲弊し た中国に,非常に豊かな科学技術の歴史があったことは,ニーダムにとっては驚きであったかも しれないが,すでに17世紀のパリでは,中国(清王朝)は理想的な官僚制の文化超大国として知ら れており,ライプニッツは易経の数理から 2 進法を発見していた.
ここで私が言いたいことは,ニーダムの問題(C)の視点は相対的である,ということである.
ニーダムの様に西洋から見れば「なぜ中国に近代科学は成立しなかったのか?」という問題とな るが,逆に中国から見れば「なぜ西欧に近代科学が成立したのか?」という問題になる,という ことである.この二つの視点を比較した場合,先程述べた様にニーダムの問題(C)は「すでに西 欧に近代科学が成立した」ことを前提としている点が重要である.なぜならば歴史的事実(D)で 示した様に,西欧の18~19世紀に成立した「進歩の思想」によって,近代科学の成立が “歴史的必 然” である様に解釈されやすいからである.しかし歴史的事実(D)から,次の歴史的事実(E)
が導かれる3).
歴史的事実(E)「ヘーゲル,コント,マルクスらの,いわゆる普遍史的発展法則は,西欧に のみ成立した」
つまり “歴史的必然性” の考え方そのものが,普遍史的発展法則とともに西欧にのみ成立した,
いわば局地的な思想であったということであり,過去の人類の歴史においては「循環史観」の方 が優勢であったことを思うと,「なぜ西欧にのみ近代科学が成立したのか?」の方が,より先に探
3 ) 『社会思想史(進歩とは何か)』(徳永恂・編)では,進歩の観念は西欧に特有なものであり,フランシ ス・ベーコンの「知は力なり」による自然の支配の思想を萌芽として,近代科学・技術の発展とともに 形成される様子が,17~20世紀のフォントネル,コンドルセ,ヘーゲル,コント,マルクス,などの思 想の分析を通じて解明されている.(徳永 1980)またコントとマルクスの普遍史的発展法則について は,村井『コントとマルクス』がくわしい.(村井2001)
求すべき本質的な問いである,と考えられるのである4).それが,科学史の根本問題(A)に至っ た理由である.
もちろん近代科学の成立の過程については,コイレ,バターフィールド,伊東俊太郎など,す でに数多くの科学史家の研究や著作があり,例えばバターフィールドは17世紀の科学革命こそ近 代科学の契機になったと主張して,その後も多くの科学革命論が発表された.確かに,これらの 先行研究も根本問題(A)に関係してはいるが,根本問題(A)の核心は「なぜ,西欧にのみ」と いう比較文明史的な視点にある.つまり,「ヨーロッパとは何か?」という,より根源的な問いか ら出発しようということであり,そこで経済思想原理として根源的な〈中川テーゼ〉と結びつく のである.その意味では,根本問題(A)の探求の姿勢は,ウェーバーの社会学の根本問題(B)
に近いとも言える.
根本問題(A)の解明の道筋
さて根本問題(A)の解明に,「ヨーロッパとは何か?」は非常に本質的な問いであるが,実際 に “ヨーロッパ” という概念が形成されていくのは,西ローマ帝国滅亡後のローマ教会に宗教的に 統合されてゆく中世ヨーロッパ世界である5).それ以前は,ヨーロッパはローマ帝国内のガリアな どの属州とローマ帝国外の北方のゲルマン諸族に分かれていた.ローマ帝国は基本的には地中海 文化であり,その後の中世ヨーロッパ世界の “森の文化” とは著しい対照性がある.(森の文化の象 徴は,ゴシック様式の大聖堂である)6)中世ヨーロッパの森の文化の形成については,端的にヨー ロッパの地形・風土が第一の要因であるが,ヨーロッパ人(インド・ヨーロッパ語族としての旧ロー マ人やゲルマン人)の民族的な資質や,中世ヨーロッパ世界を宗教的に統合していったキリスト教 の思想も大きく関係している.そして,このヨーロッパ人の遊牧民的資質やキリスト教の自然支 配の思想に,〈中川テーゼ〉が本質的に関与しているのである.
ゴシック大聖堂が建設され始めるのは,ちょうど12世紀ルネサンス(ラテン語への翻訳運動)の 頃であり,ようやくヨーロッパが技術革新による農業改革によって経済的に自立して,西ローマ 帝国滅亡後の “閉じた世界” から脱していった時代であった.12世紀ルネサンス以降の近代科学成
4 ) 「循環史観」は自然界の四季の循環や天体の周期的運動などが素朴な動機であると考えられるが,エリ アーデ『永劫回帰の神話』は,宇宙(時間)の周期的な創造の様子が,様々な神話で語られていること を明らかにしている.(エリアーデ1963)
5 ) ローマ教皇レオ 3 世によるカール大帝の戴冠(800年)が一つの象徴とされることが多い.(増田 1996)
6 ) 佐藤達生は『西洋建築の歴史(美と空間の系譜)』で,地中海文化と森の文化の違いを建築を通じてく わしく説明しており,それは比較文化論として非常に説得力がある.(佐藤2005) また酒井健『ゴシッ クとは何か』は,ヨーロッパの森とキリスト教とゴシック大聖堂の関係について,わかりやすく説明し ている.(酒井2006)
立までの流れは,要約すると以下の様になる7).
近代科学への道筋(F)
12世紀ルネサンス→科学ルネサンス→17世紀科学革命→科学アカデミー→近代科学の成立
西ローマ帝国は公用語においてラテン語圏であり,中世ヨーロッパに伝わったギリシア語学術 は,ボエティウスによる少数のラテン語への翻訳くらいしかなかった.ギリシア・ヘレニズム科 学を引き継いで発展させたのはアラビア語科学圏であり,その研究の成果が西欧に逆流するの が,ラテン語への翻訳運動としての12世紀ルネサンスであった.12世紀ルネサンスが始まる頃の ヨーロッパ人の学問的雰囲気は,シャルトル大聖堂付属学院長ベルナール(シャルトル学派)の
「我々は巨人(古代人)の肩の上に立つ小人のようなものであり,それゆえ我々は昔より多くのも のを,より遠くのものを見ることができるのだ.」という言葉がよく表している.
12世紀ルネサンスによって,ギリシア・ヘレニズム科学(ギリシア語の学術)や,ギリシア・ヘ レニズム科学やインド数学をアラビア語に翻訳して研究したアラビア科学(アラビア語の学術)
が,西欧の知識人の知るところとなり近代科学への道のりの出発点となった.例えばプトレマイ オスの天文学は,ルネサンスの原典研究の広がりの中で,ポイルバッハとレギオモンタヌスに よって初めてギリシア語原典から本格的に研究され,その研究の成果からコペルニクスの太陽中 心説が誕生していった8).この様に「科学ルネサンス」は,ギリシア・ヘレニズム科学の本格的な 研究と,アラビア数学が可能にした精密な測定法による実証的な検証の精神,をもたらしたので ある9).またデカルトの解析幾何(当時の普遍数学)は,エウクレイデス『原論』を基礎とするギ
7 ) アラビア科学の意義や12世紀ルネサンスについては,伊東俊太郎の『近代科学の源流』や『十二世紀 ルネサンス』がくわしい.アラビア科学の実験的精神の西欧の近代科学形成に与えた影響についても考 察されている.(伊東2006,2007)
8 ) 科学ルネサンスという言葉は用いていないが,山本義隆『世界の見方の転換 1 ~ 3 』はポイルバッハ とレギオモンタヌスのプトレマイオス研究からコペルニクスに至る天文学の変遷がていねいに説明され ている.(山本2014)
9 ) 山本義隆は『十六世紀文化革命 1 ~ 2 』の中で,15世紀の絵画における遠近法の技法と印刷術におけ る細密表現から,16世紀にかけて “計測の精神” による出版が,美術・医学・航海術・地理学・天文学・
軍事学・計算術・鉱山学・機械技術などに広まったことを詳述している.そこには古代の知識を,実際 的な計測によって検証しようという精神が生まれている.例えば,デューラーは晩年の『人体均衡論』
で数多くの人体を実際に測定して,古代ギリシア以来の理想的な人体比例の思想を否定している.また 医学ではすでにレオナルド・ダ・ヴィンチが数多くの人体解剖図を描いていたが,ヴァサリウスは大学 教授として,『ファブリカ(人体について)』を著して,ガレノスの解剖記述の誤りを指摘している.ま た精密な計測による航海術の発達によって,プトレマイオスの『地理学』の内容も誤りを指摘され,新 しい世界地図が作成されている.この様に15~16世紀にかけての “計測の精神” は,科学革命へ至る道を 着実に準備したと言える.(山本2007)また山本は『磁力と重力の発見 1 』で,13世紀の実験家ピエー
リシア数学(数と量の分離)からは絶対に構成されないものであり,そこにはアラビア数学を翻 訳・研究したピサのレオナルド以来のルカ・パチョリ,タルターリア,カルダーノ,ヴィエト,
に至る代数学の研究や実数概念の形成が必要であった10).そしてデカルトの解析幾何から,ニュー トンやライプニッツによる記号代数の微分積分学が誕生するのである.つまり17世紀科学革命 は,単にギリシア・ヘレニズム科学の復活だけでは起こり得ず,アラビア科学・アラビア数学の 積極的な関与があって初めて成立したことになる.従って近代科学への道は,次の様に単純化し て図式化することも可能である.
近代科学の成立の図式化(G)
「ギリシア・ヘレニズム科学」+〈ヨーロッパ〉+「アラビア科学」⇒「近代科学」
ここで〈ヨーロッパ〉とは,とりあえず近代科学を成立させたヨーロッパ独特の風土や,ヨー ロッパ人独特の思想文化の総体とする.アラビア科学圏もギリシア・ヘレニズム科学を引き継い で発展させながら,中国と同様にそこから近代科学は成立しなかった.従って上の図式化(G)に おける〈ヨーロッパ〉の解明が,近代科学の成立の解明の重要な鍵となるのである.その意味で も「ヨーロッパとは何か?」という問いが,中世から近代に至る科学史の中で根源的に重要なの である.
ただし,この論文では〈中川テーゼ〉がテーマなので,科学史の根本問題(A)そのものではな く,〈中川テーゼ〉が科学史と関係ある部分,特に近代科学の一つの起源でもあるギリシア科学と の関係について考察する.
西欧近代科学の形成と〈中川テーゼ〉との関係については,いずれ続編として発表したい11).
ル・ド・マリクールの磁石の研究を紹介しているが,そこに見られる手による経験と理性による法則性 の重視は,レオナルド・ダ・ヴィンチの研究を先取りしている.(山本2003)
10) エウクレイデス『原論』以来の「数は単位からなる多である」という数概念を打破して,10進法の少 数によって無理数も限りなく近似できるという素朴実数論の概念を確立したのがシモン・ステヴィンで ある.インド・アラビア数字による計算法がなければ,ステヴィンの少数理論もなかったかもしれな い.(山本2007,デブレーゼ2009)
11) 科学史の根本問題(A)の解明については,拙著『科学史』(中央大講義テキスト)の中でも概略的に 素描されている.
2 中川テーゼとギリシア科学
中川テーゼと科学史がなぜ関係するのかと言えば,西洋科学の原点であるギリシア科学を創っ たギリシア人や近代科学を創ったヨーロッパ人(ゲルマン人)などが,インド・ヨーロッパ語族で あり,中川テーゼがもともとユーラシア大陸中央のステップ地帯(ユーラシア・ステップ)で遊牧 民であったインド・ヨーロッパ語族に対する極めて根源的な経済思想原理だからである.
中川テーゼは,以下の様に象徴的には〈牧夫(ヒト)→仲介者(イヌ)→家畜群(ヒツジ)〉の関 係にまとめられる.
中川テーゼ
ユーラシア・ステップで多数の群居性草食動物(ヒツジなど)を家畜化して生活したインド・
ヨーロッパ語族は,牧夫(ヒト)として家畜に対して殺生与奪の権限をもちながら,ヒトの共同体 の部外者である牧羊犬(イヌ)を仲介者として育成し,その機能を家畜の管理に利用していた.中 川テーゼは,この〈ヒト→イヌ→ヒツジ〉の関係についての,以下の様な主張から成る12).
①ヒツジ化の思想「インド・ヨーロッパ語族の様な遊牧民は,征服した人間を家畜(ヒツジ)
の様に奴隷化する」
②機能性原理の思想「イヌの様に共同体の部外者について,契約によってその機能を利用す る」
③仲介者の思想「セム族ではイヌの代わりに去勢ヒツジが利用されており,仲介者の違いが 思想に反映する」
④階級化の思想「遊牧における屠殺・肉食を肯定するために,ヒトとヒツジ(家畜)の階級分 離が肯定される」
12) インド・ヨーロッパ語族とは,直接的には言語学的な分類であるが,ここでは中川「前 4 千年紀,遊 牧民としての原ヨーロッパ語族民の生成」に従って,黒海・カスピ海北方のステップ地帯で遊牧を確立 し,後にインド・アーリア人,イラン人,ラテン人,ゲルマン人,などとして各地に分散移動していっ た民族を指す.(中川2019a)〈中川テーゼ〉全般については,中川『新ヨーロッパ経済史Ⅰ,Ⅱ』がく わしい.(中川2017a) 中川テーゼの①~⑦の分類は,あくまで筆者が中川の著作や論文を読んでまと めたものである.⑦のデュメジルは,有名な神話学者ジョルジュ・デュメジル(1898-1986)であり,イ ンド・ヨーロッパ語族(インド・アーリア人,ゲルマン人,など)の神話分析から,神々が〈聖性(主 権)・戦士・生産〉の 3 機能に分類されるという学説を唱えた.(くわしくは,松村2019,中川2018,中 川2019a,を見よ)
⑤人間中心化の思想「遊牧による階級化の思想により,家畜を含む自然は人間より下位に見 なされる」
⑥主権の思想「牧夫(ヒト)の家畜(ヒツジ)に対する殺生与奪の権利は,まさに主権の原型 である」
⑦ 3 機能イデオロギーの思想「ヒト→イヌ→ヒツジの関係は,デュメジルの 3 機能イデオロ ギーの原点である」
上の①~⑦について,中川洋一郎(以下,敬称略)は精力的に論文を発表しており,それぞれの 論文が多彩な引用と深い洞察に満ちていて魅力的な視点を提供しているので,この論文では〈中 川テーゼ〉の真偽そのものには基本的に言及せず,それらを有力な仮説と見なして,科学史との 関係を考察する.
まず,なぜ経済思想原理である中川テーゼと科学史が関係するのかと言えば,どの時代の「科 学」(確実な知識の探求)も,人間の創ってきた文化として,それぞれの地域の環境や社会構造を反 映しており,生活様式の根源である経済思想にも深く影響されているからである.例えば,エウ クレイデス『原論』などのギリシア数学(幾何学)に特徴的な「証明」の概念も,当時のアテナイ などのポリス社会の政治や裁判における「ロゴス(言葉・論理)によって他人を説得させる」とい う正当化の行為から説明できる13).
この章ではギリシア科学を可能にしたポリス社会とギリシア科学の特徴について,中川テーゼ との関連性を考察する.ここでギリシア科学とは,ミレトス学派のタレースからプラトン,アリ ストテレスの頃までの,「確実な知識の探求」の総体とする.(その意味でギリシア哲学を包含する)
ただし中川テーゼのみでギリシア科学が成立したわけではないので,当時のいろいろな状況や環 境の影響も合わせて説明する.
ギリシア民族とポリス文化
図 1 は中川の作成した図であり,右上にインド・ヨーロッパ語族の原故郷が描かれている.(中 川2017a)
ギリシア史によれば,ギリシア人はBC2000年頃からギリシア本土に南下・侵入してきたイン ド・ヨーロッパ語族であり,アカイア人,イオニア人,ドーリア人の順に南下してきたと考えら
13) エウクレイデス『原論』の研究で有名な斎藤憲も,『原論』における証明の概念が,当時の民主政アテ ナイにおける「ロゴスによって他人を説得させる行為」に由来することを主張している.(斎藤 2000,
三富2018)
れている.そして原始的に農業を行っていた古ヨーロッパ人を征服・融合して定住していった14). しかしすぐにポリスが誕生したわけではなく,ギリシア人はミノア文化などを吸収しながら,
オリエント的なミケーネ諸王国を形成していった.(BC12世紀頃まで)つまり,ポリス文化の形成 以前は,ギリシア文化はオリエント文明の周辺文化でしかなかったのである.しかしその後,最 も好戦的なドーリア人や海の民の侵入・侵略によってオリエント的な王政の秩序が破壊されて,
ギリシア史の区分で暗黒時代と言われる時代に入る.(BC9 世紀頃まで)この暗黒時代こそ,ギリ シア人が自己を見つめ直して独自の文化を形成する契機となった時代であり,そこから徐々にポ リス文化が形成されていくのである.
次の図 2 ,ギリシアの坪絵(a(b) )(c)は,ポリスの生成に至るギリシア人の心象風景を,非常 によく表現している.
14) 一般的なギリシア史については,伊藤(2004),シャムー(2010)などを参照.
図 1 インド・ヨーロッパ語族の誕生
インド・ヨーロッパ語諸民族の
《原故郷》
(ヤムナ文化 前3500-2300年頃)
狩猟採集民による 農牧文化の取得
(前5000年頃)
狩猟採集民による 農牧文化の取得
(前5000年頃)
《古ヨーロッパ》
(前6000-3000年頃)
農牧文化の ギリシャへの伝播
(前6200-6000年頃)
ドナウ川 黒海
アナトリア
地中海
カスピ海
ヤギ・ヒツジの家畜化 ザグロス地方
(前6500-6000年)
ウバイド遺跡ペルシャ湾 沖積平野での灌漑農耕の
開始(前5000年頃)
ヤギ・ヒツジの 家畜化 レヴァント地方
(前6500-6000年)
ヤギ 農牧文化の アナトリアへの伝播
(前6500年頃)
注)⇒農牧文化の伝播経路
出所)中川がギンブタス(1989),藤井(1999),ANTHONY(2007)から作成.
(a)はミケーネ時代後期の坪絵であり,大胆な曲線や人物や馬のデフォルメの仕方に,クレタ 島のミノア文化の影響が見られる.(b)は暗黒時代前期の坪絵であり,人物などの描写がまった くなく単純に幾何学的な文様の素朴な美しさの中に,明るい秩序への兆しが見られる.(c)はポリ ス時代盛期の赤絵式坪絵であり,人物が非常に繊細に描かれるとともに,均整のとれた絵画的な 美しさがある.(ここには(a)に見られるミノア文化の影響はほとんど表れていない)この暗黒時代 の坪絵(b)は,ドーリア人の侵攻からアテナイ(アッティカ地方)を守ったイオニア人が造り始 めたものであり,澤柳はその重要性を以下の様に述べている.
「この土器文様の展開の跡を唯一の証拠として,ギリシア人の世界が戦乱と荒廃の中から次第 に秩序を取り戻し,次第に豊かさを増していく過程を知り得るのである.」(澤柳1964:77―78)
そして幾何学文様の坪絵は,暗黒時代の末期(BC9 世紀頃)になると厳格幾何学様式(同書,図 36)となり,その完成形と見られる坪絵(同書,図37)に対しては,澤柳は次のように指摘してい る.(この時代はホメロスの『イリアス』や『オディッセイア』の誕生の時代であり,まさにポリスの 誕生の頃であった)
「この幾何学文様には,これ以後の歴史時代のギリシア美術の最も本質的な要素,秩序と均整 と生命とがすべて基本的な形で含まれている.最も単純なもの,それ以上には分解できない もの,直線と弧線,その組み合わせから多様な変化が生まれる.」(澤柳1964:79)
実はこの澤柳の指摘は,ギリシア科学を考える上でも格段に重要なものである.なぜならアリ ストテレスが,以下の様に美の 3 要素(形相)と数学的諸学の関係を述べているからである.
図 2 ギリシアの坪絵
出所)澤柳『ギリシアの美術』1964より,左から図34,図35,図65を引用.
(a) (b) (c)
「美の最も主要な形相は秩序と均整と被限定性とであるが,これらを主として数学的諸学が示 している.」(アリストテレス(1968)『形而上学』第13巻・第 3 章,1078b1 ~b2 )
ここで言う秩序とは規則正しい配列であり,均整(シュムメトリア)とは部分と全体の(数によ る)調和的な比例関係であり,被限定性とはくっきりと有限であること,である.この美の 3 要素 が,ウィトルーウィウスの『アルキテクチュラについて(建築十書)』により伝えられて,15世紀 の万能人アルベルティの研究するところとなり,イタリア・ルネサンスの美学理論が形成された ことは有名な事実である15).
では,なぜアリストテレスは美の 3 要素と数学的諸学との関係を指摘しているのであろうか?
ここで数学的諸学(総称的にはマテーマタ)とは,数論,平面幾何学(ゲオメトリア),立体幾何学
(ステレオメトリア),数理的天文学,音階論(音楽),視学(オプティカ),機械学(メカニカ),な どを意味する.これらの諸学に共通していることは,数と量に基づく比例理論が援用されている ことであり,その数と量の基礎理論の体系こそ,後にエウクレイデスにより編纂された『原論』
13巻なのである.その美の 3 要素と関係するギリシア科学の典型的な事例を見てみよう.
①天球としての宇宙
プラトンもアリストテレスも,宇宙が有限な天球であることを疑わなかった.これこそまさ に被限定性であり,球はもっとも対称性が高いという意味で均整であり,またプラトンは
『ティマイオス』で宇宙をコスモスと呼び,それはまさに秩序という意味でもあった.そして マテーマタとしての天文学が天球の構造を探究していった.
②ピュタゴラス音階
ピュタゴラス音階とは, 1 : 2 , 2 : 3 , 3 : 4 ,という数の比であり,それは調和的な数 の比例関係としては均整であり,量としての弦の長さがこのように調律されるとき,カタル シス(魂の浄化)が起こるのである.そして数の比例理論(音階論)が,ハルモニア論として 探求されることとなった.
③ 5 つの正多面体
エウクレイデスの「原論」第13巻の最後の命題は,「正多面体は 5 つしか存在しない」ことを 証明している.まさに正多面体は,どの面も同じ正n角形(n= 3 , 4 , 5 )から構成されてお り,非限定性,秩序,均整,を満たす幾何学的存在の頂点とも言うべきものである.プラト
15) レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404―1474)の『絵画論』『彫刻論』『建築論』が,ルネサンス の芸術理論を確立した.特に『絵画論』の内容を探求して完成させたのが,レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1452―1519)である.
ンは『ティマイオス』において,この 5 つの正多面体を 4 つの元素と宇宙に対応させてお り,さらにより小さい直角 3 角形から正多面体が分解・再構成されることを説明しており,
この視点はまさに上で澤柳が述べた「最も単純なもの,それ以上に分解できないもの,その 組み合せから多様な変化が生まれる.」という厳格幾何学様式の精神に通じるものである.
以上から,厳格幾何学様式の形成に至る美意識の確立は,暗黒時代に自己を見つめ直したギリ シア人の新たなエートスの確立であり,それはポリスという新しい社会秩序の形成や,上で見た ようなギリシア科学の特質とも深く関係し合っているのである.
中川テーゼとポリス文化の関係
オリエント世界に移動したインド・ヨーロッパ語族は,ギリシア人だけではない.アケメネス 朝の大帝国を創ったペルシア人もインド・ヨーロッパ語族のイラン人が起源である.古代メソポ タミアの豊穣なる三日月地帯には灌漑農業による穀倉地帯があり,周囲から多くの民族が侵攻し て支配するという歴史を繰り返していた.そのオリエント世界の特徴は,神の代理としての王が 強力なる軍隊と神官と官僚の上に君臨するというものである.暗黒時代以前のミケーネ諸王国 も,このようなオリエント型の王国の類型であり,やはり暗黒時代の頃に滅亡したアナトリア半 島のヒッタイトも,インド・ヨーロッパ語族であったが,オリエント型の王政をとっていた.
そのオリエント世界ではすでに戦争による捕虜・征服民の奴隷化が一般化していたが,それは
〈中川テーゼ〉の「①ヒツジ化の思想」と「④階級化の思想」によるものと解釈できる.捕虜・征 服民を家畜と同様に利用しようということであり,その為には自由人(征服者)と奴隸(被征服民)
の階級的な区別が必要になってくるからである.肥沃な三日月地帯の周囲には,インド・ヨー ロッパ語族だけではなくセム語族系の遊牧民もおり,遊牧民の経済思想原理としてやはり〈中川 テーゼ〉が適用されるのである16).そして〈ヒト→イヌ→ヒツジ〉が象徴する「⑦ 3 機能イデオロ ギー」の類型的な統治組織も,オリエント世界の中で誕生した.例えばアケメネス朝ペルシアで は,イヌとして 1 万人の常備軍(不滅隊)を軍事的支配の要として,ペルシア王(諸王の王)は各 地の属州にある程度の自治(言葉や宗教)を許容しながら統治していた.莫大な税収や貢物が王都 に集まるという意味では,属州は家畜の役割を果たしており,メタファーとして「⑦ 3 機能イデ オロギー」を適用しても良いと思う.もっと直接的に「⑦ 3 機能イデオロギー」を適用できるの が,暗黒時代の要因にもなったギリシア本土へ南下・侵攻したドーリア人の建設したスパルタで
16) 中川はインド・ヨーロッパ語族とセム語族の遊牧民の経済思想の根本的な違いとして,セム系は〈牧 夫・仲介者・家畜〉の仲介者にイヌではなく去勢ヒツジを充てることをユダヤ民族の例で示している.
去勢ヒツジはイヌとは異なりあくまでヒツジ(家畜)であり,〈ヒト→ヒツジ〉と 2 層構造になる所に本 質的な意味があると説明している.(中川2017など)
ある.スパルタはポリス時代ではポリスと認められてはいるが,その統治の仕方は交易商業国家 であるアテナイとは非常に対照的であった.スパルタは平野のあるプロポネソス半島に建国し て,そこですでに先住民に融合して農耕を行っていたギリシア人達を,戦士層としてのスパルタ 市民(男子)が武力によって強制的に農奴として支配していた.つまり〈王・戦士・農奴〉の構造 が,「⑦ 3 機能イデオロギー」に直接的に対応するのである17).しかしギリシア科学が誕生したの は,スパルタではなくイオニア人の植民都市ミレトスであり,そしてイオニア人の母市ともいう べきアテナイであり,先に見た幾何学様式の坪絵が作られ始めるのも,アッティカ地方(アテナ イ)なのである.
上で見たように,ギリシア人が自己を見つめ直して独自の美意識を発見し,ポリス文化を形成 していったのは,暗黒時代によってオリエント的な秩序が破壊されたからであった.では,なぜ ポリスが形成されていったのか? を考えるとき,共同防衛のために貴族中心に共同体が形成さ れた,という表面的な理由もあるが,より根源的な立場として,インド・ヨーロッパ語族の原風 景(基本類型)から考え直すこともできる.中川の著作や論文から,遊牧民としてのインド・ヨー ロッパ語族の原風景は次の様にまとめられる18).
(インド・ヨーロッパ語族の原風景)
(a1 )ステップ(乾燥型の草原)で,牧夫の家族はイヌを牧羊犬として数百頭の家畜(ヒツジ など)を飼育して,日常的にはそのミルクやその加工品を常食として暮らしていた.
(家族が遊牧の単位である)
(a2 )家畜は貴重な財産であり,その生殖を管理する術が発達していった,そして家畜の数
(capital)を増加させることが原始的な資本主義の原型となった.(農耕では,農地や農 産物を人工的に増加させる事は難しい)
(a3 )暴力的に家畜(財産)を奪ったり奪われたりすることが可能である為,牧夫たちは連帯 して武装化した集団になる,そしてウマの飼育によって強力な軍事組織になり得た.
(農耕とは異なる機能的な集団の形成)
17) スパルタがポリスと見なされるのは,やはり同じギリシア語を話す民族であり,王政ではあるが農奴 の反乱などにより “法による政治” を行ったからである.しかしスパルタは戦士層の平等性(密集陣形を 可能にする)を維持する為に,市民に平等に土地を分配して外国との交易も制限した.この様な政策 は,有る程度の農業が可能な平野があったおかげであり,アテナイとの非常に大きな相違性が,やがて プロポネソス戦争を招くことになった.(伊藤2004)
18) 中川『新・ヨーロッパ経済史Ⅰ』など.(中川2017C,2019b,2020a)
上の(a3 )の様に遊牧民が集団で武装組織となるとき,自然に指導者(族長,王)が生まれて 連帯的な集団(部族や氏族)が形成される.その様な集団として,最も遅くギリシア本土に南下侵 攻したドーリア人が,「⑦ 3 機能イデオロギー」としての〈王・戦士・農奴〉という組織を造った 事は,ある意味ドーリア人が最もインド・ヨーロッパ語族の原風景に近かったと言える.
それに対してアッティカ地方のイオニア人達は,すでに先住民である古ヨーロッパ人と融合(混 血)して長い年月を経ていた.そしてドーリア人の攻撃に対してアテナイを守り抜いた事が,ギリ シア人の生え抜きであるという意識を高めたと言われる.そして,共同防衛の集団としてのポリ スの形成は,もともと(a1 )の様に遊牧が農耕と異なり小集団でも可能であった事に由来するの ではないか,と思われる.ホメロスの『イーリアス』を見ても,アガメムノン王は総大将では あってもオリエント型の専制君主ではなく,アキレスなどほぼ同列に何人もの武将がいるのであ る.(ここに(a2 )で見られる遊牧民の連帯の機能性(自由性)が感じられる)またアテナイのある アッティカの土地が痩せていて豊かな土壌でなかった事も,壺の制作が深化したり,後にアテナ イが海上交易による商業国家になった理由と考えられる.(穀物は黒海沿岸の植民都市から輸入する 様になった)
暗黒時代はあまりオリエント世界との交流がなかったが,フェニキア人による海上交易の拡大 によって,イオニア地方にもオリエント文化との交流が始まり,幾何学様式の坪絵に人物が描か れる様になり,フェニキア文字からギリシア文字が作られ,そしてポリスも海上交易に進出して 繁栄を始めていくのである19).
では,厳格幾何学様式に見られる美意識(後のアリストテレスの美の 3 要素)は,いかにして成 立したか? については,オリエント的な秩序が崩壊して権威的な事象を描く必要性が低下し,
防衛の為の共同体として平等性が高まったという表面的な理由も考えられるが,新しい美意識の 形成には,端的に和辻哲郎が『風土』で指摘しているギリシアの風土が大きな要因であると思 う.和辻は,ギリシアの風土では空気が乾燥して日差しが強く「物がくっきりと見える」と指摘 している20).アリストテレスも『形而上学』で「人間は最も視覚(見ること)を愛好する」と言っ ているが,アリストテレスの学問分類で最も確実な学は「理論学」であり,それは端的に「テオ リア(見ること)」に由来するのであり,プラトンのイデアやアリストテレスのエイドス(形相)
も,原義は「形」であり視覚を前提としており,エウクレイデスの『原論』でも,「数は単位から なる多である」であり,単位を*とすると,数の 1 , 2 , 3 は数字ではなく,*,**,***,
の様に視覚的な区別を意味するのである.(ギリシア数学では数字はアルファベットで表し,古代エ
19) フェニキア人はインド・ヨーロッパ語族ではないが,BC12~ 8 世紀頃にシリアにある商業都市ティロ スなどを母市として,地中海各地にカルタゴなどの植民市を造った.各都市は独立して自治を行い,特 にカルタゴの国政は有名.(長谷川2000)
20) 和辻も,「ギリシア的自然は従順であり明朗であり合理的である」と述べている.(和辻1979)
ジプトやバビロニアの様な数字体系は創出しなかった)この様な数字表記ではない数の認識は,ギリ シア数学特有なものであり,さらに「証明する(デイクニュミ)」の原義も「具体的に指し示す(図 示する)」という意味であり,いかに「テオリア(見ること)」がギリシア人の学問的エートスに なったかを示している.
そして「証明」という概念は,ポリスにおける「ロゴスによって他人を説得させる行為」に由 来する事を先に述べたが,そこには他人と競い合うという「アゴーンの精神」が関係している.
「アゴーンの精神」とは,端的にオリンピア競技会に見られる様な,純粋に競争による個人的な栄 誉への熱望であり,運動競技だけではなく音楽・詩・劇・弁論・数学・自然探求(哲学)など,あ らゆるポリス文化に見られるものであり,平民でしかなかったヘシオドスが詩の競技会で優勝し て,ムーサ(美の女神)の恩恵を受けて大詩人になる,という様な事は,決して専制的なオリエン ト世界では起こらなかったであろう.このギリシア文化を特徴づける「アゴーンの精神」こそ,
(a1 )~(a3 )から導かれるインド・ヨーロッパ語族の「好戦性」が,長い暗黒時代によって精 神的に昇華されたものではないか,と思われる21).
中川テーゼとギリシア科学
ペルシア戦争の後は,ギリシア人の優越意識もありアテナイではバルバロイによる奴隷制(家内 労働,生産労働,鉱山労働)が非常に普及した.奴隷制については〈中川テーゼ〉の①ヒツジ化の 思想と④階級化の思想で説明したが,プラトンもアリストテレスも奴隷制を「自然なこと(生まれ つき)」と正当化した.このポリス市民(人間)と奴隸の区別は,〈中川テーゼ〉における人間と家 畜の関係に類似的であり,アリストテレスの『家政学(オイコノミア)』は,まさに財産としての 奴隸(家畜!)をいかに効率的に管理するか,という牧夫による家畜の管理と類似な発想のもとに 書かれている.そして,この区別はアリストテレスの学問観にも本質的な影響を与えている.そ れは思考(人間)と労働(奴隸)の区別であり,思考による学問(エピステーメー)と労働による 技術(テクネー)の区別であり,市民的教養と奴隷的労働との区別でもある.この区別は,ヨー ロッパ中世の大学まで続いており,いわゆる学芸学部の自由 7 科の “自由” とは,奴隷的ではない 市民的身分を意味していた.中世大学は,学芸学部(教養部)・神学部・医学部・法学部しかな く,あらゆる生産技術に関する技法・知識は大学での学問から除外されていた.例えばアラビア 由来の 0 を含む10進法の筆算による計算法や代数方程式論などは大学では学問と見なされず,イ タリアでは商人の師弟の為の算数学校で教えられた.
この区分が撤去され始めるのが,ルネサンスの絵画における遠近法であり,アルベルティは
21) ギリシア世界ではミケーネ時代から,常に各地で紛争があり統一国家を創ることがなかった.(伊藤 2004)
『絵画論』で遠近法による絵画を自由学芸の地位に高め,レオナルド・ダ・ヴィンチは「絵画はス キンエンティア(エピステーメーのラテン語訳)である」と宣言するのである22).そして16世紀に なると精密な印刷技術によって,航海術・解剖学・軍事技術・鉱山学・重さの学・計算法など が,高級職人・独学の知識人・意欲ある大学人などによって著されて,17世紀の科学革命を準備 したのである23).逆に言えば,アリストテレスの学問的区分(学問における階級化)の開放から,
近代科学が形成されていったと言えよう.この意味でも,〈中川テーゼ〉は,非常に根源的な説明 原理と言えるのである.
さらに〈中川テーゼ〉の⑦ 3 機能イデオロギーも,ギリシア科学の中に見出すことができる.
まずプラトンは『国家』において魂(プシュケー)を理性的部分・気概的部分・欲望的部分に 3 区 分し,さらにそれらを理想的な国家(ポリス)における優秀者層・戦士層・生産者層に対応させ た24).この『国家』における 3 区分は,ドーリア人のスパルタにおける〈主権・戦士・農奴〉と類 型的な同一性をもっており,まさに⑦ 3 機能イデオロギーに他ならない.そしてこのプラトンの魂 の 3 区分説は,ヘレニズム科学に引き継がれ,ローマ時代のガレノスによって,精神プネウマ・
生命プネウマ・自然プネウマの医学理論として完成された25).またプラトンの 3 区分説は,カルキ ディウスの『ティマイオス(ラテン語部分訳と注解)』によってヨーロッパ中世に伝えられて,〈祈 る人・戦う人・耕す人〉という中世身分観の遠因となった26).
次のアリストテレスの学問分類にも,⑦ 3 機能イデオロギーを見出すことができる.アリスト テレスは学問全体を,「見ること」「行うこと」「作ること」に応じで,理論学,実践学,制作学,
という分類を行った.そして,学問としての確実性(必然性)に応じて,理論学>実践学>制作学 という序列を設定した.この序列こそ,⑦ 3 機能イデオロギーである〈ヒト→イヌ→ヒツジ〉に 対応するのである.理論学(形而上学・自然学・数学)の目標は純粋な真理の観照であり,それは 奴隷的労働の対極にある価値観であり,絶対的に必然な真理とは知識における主権的な地位に他 ならない.(⑥主権の思想でもある) 次に実践学は「行うこと」の学問であり,まさに「家政学」
が実践学である様に,イヌ→ヒツジに見られる「どのように管理するか」が問われる学問なので ある.(『政治学』や『倫理学』も,どのように行為するかが考察されている) 次に制作学は「作るこ と」の学問であり,当然「ヒツジ」に対応する「生産技術」も議論されるべきなのであるが,ア
22) この意味での「区分撤去」は,美術史家パノフスキーが名付けた言葉.(パノフスキー1962)
23) 山本義隆『十六世紀文化革命 1 ~ 2 』で,その様子が生き生きと見事に描かれている.(山本2007)
24) 中川は,プラトンの 3 区分と神話学者デュメジルの 3 機能イデオロギーの関係を論じている.(中川 2018,2019a)
25) チャールズ・シンガー「『科学思想のあゆみ』で,簡潔に説明されている.(シンガー1968)
26) 甚野尚志『中世ヨーロッパの社会観』に,中世社会のメタファーの源泉として説明されている.(甚野 2007)
リストテレス自身は「詩学」しか執筆していない.『詩学』の「作ること」とは,詩・悲劇・喜劇 などの創作(ポイエーシス)のことであり,奴隷的労働による生産技術とは非常にかけ離れてい る27).つまり,ここでも思考(人間)と奴隸(労働)の階級的差別が貫徹されていて,生産技術に ついての知識が学問から除外されているのである.この様な奴隷的労働の卑下は,アリストテレ ス一人の思いつきではなく,非常に奴隸使用が普及していた当時のアテナイ社会全体の風潮であ り,プラトンやアリストテレスによる奴隸使用の正当化は,その様な風潮を学問的に反映してい るということである.これこそ,インド・ヨーロッパ語族の〈原風景〉から延々と続いてきた,
〈中川テーゼ〉の痕跡ではないだろうか.
3 中川テーゼの可能性
〈中川テーゼ〉の理解は,まず人類史における牧畜・遊牧の決定的な意義を知るところから始ま る.それは群居性草食動物の人工的管理飼育である牧畜が,農耕と並ぶ人間の根源的な生活様式 であった,という事実を認めることである.人類史では,狩猟採集生活から農耕によって定住生 活が始まり,都市の文化が誕生することによって「文明」が始まる,という見方が一般的であ る.しかし,この見方では牧畜の意義を十分に理解することは難しい.なぜなら,「文明」の概念 そのものが,主に「農耕を土台とした都市文明」を意味しているからである.つまり論理的に考 えると,次の様に言える.
文明概念の同一律 「“文明は農耕による都市文化” はトートロジーであって,最初から牧畜が 除外されている」
遊牧は,家畜群のエサとなる牧草を求めて移動するので,都市文化を築きにくい面がある.例 えば,現在のモンゴルの遊牧民もテントで生活している.しかしこのモンゴルの遊牧民も,過去 にはその強力なる騎兵隊の軍事力によって,ユーラシア大陸を覆うような大帝国を造った事を考 えると,上の(文明概念の同一律)にある「文明=農耕+都市」という見方だけでは,世界史を記 述するには不十分であることがわかる.
生産様式としての遊牧・牧畜の利点は,定常的に家畜(ヤギ,ヒツジ,ウシ)のミルクやその加 工品だけで,人間の生存が維持できるということであり,この事は「人間は農耕がなくても生き
27) 現代からすると奇異に思えるが,アリストテレスは医学を「健康を作ること」として制作学に入れて いる.当時のコス島のヒポクラテス学派(医学)の名声を考えると,医学を制作学に分類することに は,アリストテレスの手仕事の蔑視による恣意性が感じられる.後にガレノスは,アリストテレス自然 学を援用して医学(病理)を理論学の地位に高めた.
ていける」という根源的な重要性を示している.また最終的には家畜を屠殺して食したり,ある いはヒツジの毛を都市の商人と交換して,他の必要な物品と交換することも可能である.そして 家畜の行動を管理するための牧羊犬の飼育・訓練,定常的な家畜の搾乳,家畜の乳の加工による 長期保存,家畜の数を管理するための生殖の管理,これらは農耕における灌漑技術に劣らず,人 類の発明した偉大なる「技術革新」と言えるのではないか28).この様な「技術革新」の意義は,古 代の都市文明を導いた大規模な灌漑技術に比べて,「歴史」において正当に評価されてこなかった 様にも思われる.もちろん牧畜と農耕は対立する概念ではないが,インド・ヨーロッパ語族やセ ム系の好戦的な遊牧民が絶えず侵攻してきたオリエント世界やギリシア・ローマ世界の歴史を考 えるとき,そこに農耕に劣らず根源的に重要な遊牧民の思想的影響を認めるのは自然なことであ り,その思想的影響を分析するときに経済思想原理として〈中川テーゼ〉の重要性が現れてくる のである29).
次に〈中川テーゼ〉を理解するには,象徴的に〈ヒト→イヌ→ヒツジ〉と表されるイヌやヒツ ジの「動物」と人間の関係を知ることが重要である.〈中川テーゼ〉によれば,⑤人間中心化の思 想によって「動物」は人間より下位に見なされるわけであるが,これは遊牧民特有の思想であっ て最初から一般的に成立していることではなかった,ということである.例えば古代エジプトで は,神々は様々な動物の顔をもっていたり,聖獣がいて壁画に現されているし,スフィンクスも ライオンの胴体をもっている.また古代インドでは,インド・アーリア人が侵入して支配階級(バ ラモン)となり,〈中川テーゼ〉の①ヒツジ化の思想と④階級化の思想によって,身分制度として のヴァルナ制度(後のカースト制度)が生まれたが,バラモン教が土着化してヒンズー教が普及す る頃になると,遊牧民が普通に食していた牛は聖獣として食されなくなった,という事実があ る30).つまり動物ではあっても聖獣に象徴される様に,動物>人間という序列も可能なのである.
この事は,野生の草食性動物を家畜にしたり,野生のイヌを牧羊犬として飼育・訓練する事そ のものに,革命的な意義があったことを認めなければいけない,という事である31).ただし皮肉な ことに,〈中川テーゼ〉の⑤人間中心化の思想のヨーロッパでの普及によって,現在では〈ヒト→
28) 中川は遊牧を成立させた技術革新として,搾乳技法・交尾の管理・乳保存技法を挙げている.(中川 2017c,2019b)
29) 中川はメソポタミアに侵攻したセム系遊牧民アムル人の王朝(ハンムラビ王)が,初めてそれまでの 疑似親族原理から②機能化の思想による機能本位原理をメソポタミアに持ち込んだ,と説明している.
(中川2017c:182―183)
30) 渡瀬信之『マヌ法典』によると,初期の『リグ・ヴェーダ』では牛の肉はご馳走であったが,次第に 肉食が禁止されていった様子が説明されている.食べても良い物にミルクやヨーグルトがあるのは遊牧 民の伝統であろう.(渡瀬1990)
31) もちろん中川『新ヨーロッパ経済史Ⅰ』は,牧畜・遊牧の革命的意義を農耕と同列に論じている.(中 川2017c)
イヌ→ヒツジ〉における「動物」の地位の重要性に気づきにくくなっている,という側面があ る.(現代の文明人は,動物を食料やペットや鑑賞や保護や駆除や使役の対象と考えるのが普通であ る)32).従って〈中川テーゼ〉を理解するには,いかにして⑤人間中心化の思想がギリシア・ロー マ世界や中世ヨーロッパ世界に普及していったのか,を知ることも大切である.
この点で,中世ヨーロッパ世界を精神的に支配したキリスト教を,⑤人間中心化の思想の視点 から見事に説明している中川洋一郎の一連の研究は,〈中川テーゼ〉の豊かな可能性を示してい る33).キリスト教とヨーロッパの環境破壊の関係については,すでにリン・ホワイトが『機械と 神』で「キリスト教は,人が自分のために自然を搾取することが神の意志であると主張したので あった」と述べて,自然破壊の思想的要因としてキリスト教の教義を挙げているが,さらに〈中 川テーゼ〉は「なぜキリスト教が,人間による自然支配を許容したのか?」について,より根源 的な理由を示しているのである.中世ヨーロッパの森林の開拓は,端的には自然を搾取すべき家 畜と見なす①ヒツジ化の思想であるが,なぜヨーロッパ人がキリスト教を信仰するようになった かについても,「キリスト教において,イエスは真の仲介者である」というヨーロッパ人の心情 を,③仲介者の思想から根底的に説明しているのである.中川洋一郎は,若いときに鯖田豊之の
「肉食の思想」を読んで感動したそうであるが,ヨーロッパの肉食の思想の根源的な理由を,〈中 川テーゼ〉という遊牧民の原理まで遡って探求し,そこから壮大な理論を構築した姿には心から 敬意を表したい.
参 考 文 献
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―(2015)「エウクレイデス「原論」と劉徽「九章算術注解」の比較数学史~比較文化の立場から~」
津田塾大学,『数学・計算機科学研究所報』36
―(2018)「比較数学史とパラダイム論~斎藤憲氏の学説~」津田塾大学,『数学・計算機科学研究所 報』39
―(2020)「エウクレイデス「原論」に素因数分解は書かれているか?」津田塾大学,『数学・計算機科
学研究所報』41
―(2020)『科学史』(2017~2020)中央大学文学部総合教育講座・講義テキスト .(未出版)
村井久二(2001)『コントとマルクス(「コント=マルクス型発展モデル」の意義と限界)』日本評論社.
山本義隆(2003)『磁力と重力の発見 1 ~ 3 』みすず書房.
―(2007)『十六世紀文化革命 1 ~ 2 』みすず書房.
―(2014)『世界の見方の転換 1 ~ 3 』みすず書房.
渡瀬信之(1990)『マヌ法典(ヒンドゥー教世界の原型)』中公新書.
和辻哲郎(1979)『風土(人間学的考察)』岩波文庫.
(中央大学文学部兼任講師)