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パキスタン北部地域ゴジャール地区フセイニ村における農牧業の現状 ─持続性を阻害する要因の出現─

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となく独自の道を歩んでいる。 20世紀後半になると,ワヒが居住する地理的辺境の 4 地域にも,近代化や商品・貨幣経済の市場経済化が押し 寄せてきたため,ワヒはこの浸透に多大な影響を受け, 現在,ワヒのアイデンティティと持続性は根底から揺り 動かされつつある。しかも,ワヒの居住する地域はそれ ぞれの国の辺境地域に位置するため,さらに,それぞれ の国の国内事情とも絡んで,必ずしも十分な支援を受け ることもできず,4 地域のワヒはいずれも生活維持に困 窮を極め,それぞれに地域的課題を抱えながら日々の生 活を営んでいる (水嶋・山内,2004) (落合・水嶋,2004) (水嶋,2008a) (水嶋,2008b) (水嶋,2009a) (MIZUSHIMA,

2009b) (水嶋,2010) (水嶋,2012)。 1  はじめに 中央アジアのパミール高原及びインダス川支流フンザ 川渓谷などに分散して居住するワヒ民族(以下,ワヒと する)は,かつて一つの民族集団として過酷な自然環境 と対峙しながら,伝統的生業である農牧業に依存し,民 族の宗教と歴史・文化を拠り所に伝統的な社会・経済構 造を構築し生活してきた。しかし,旧ソ連邦の成立や第 二次大戦後の国々の独立に絡む国境の確定から,現在ワ ヒはパキスタン北部地域,アフガニスタン北東部ワハン 地域,タジキスタン南部ワハン地域,中国新疆ウイグル 自治区パミール地域の4 か国 4 地域に分散して居住し, それぞれの国の社会・経済政策下で,互いに交流するこ

水 嶋 一 雄

This report is the present condition of irrigation farming and livestock in Hussaini village, Gojal district, Northern Pakistan. The Gojal district maintained a self-sufficient lifestyle until the late 1980s by relying on traditional farming and agriculture techniques that include irrigated agriculture of wheat and beans during summer and livestock breeding by transhumant grazing of animal such as sheep and goats.

However, this region changed significantly in 1986 with the opening of Karakoram Highway(KKH), which extend through the Gojal district.In particular, economic growth in this region was bolstered through an influx of goods/money and was made more accessible by KKH, subsequently creating consumer demand. Because of this transition, the self-suf-ficient lifestyle was no longer economically viable as a principal means of support, leading to a significant alteration in the administration of villages. For example, farming of wheat and beans was replaced by cash crops such as potato, while sheep and goat breeding was scaled down like Hussaini village.

This report focuses on the case of Hussaini village, located near the center of Gojal district, and clarifies the factors that Hussaini village was prevented a sustainable development.

This report was wrote based on IGU presentation [Irrigation Problems in Hussaini Village within the Valley of the Karakoram Mountain Rang ] and presentation of Global LAND Project [Livestock farming in Hussaini village, Gojal dis-trict, northern Pakistan:From stagnation to decline.

Keywords: Traditional Farming and Livestock, Prevented Suslainability, A big dammed lake, Hussaini village,

Northern of Pakistan

パキスタン北部地域ゴジャール地区フセイニ村における農牧業の現状

―持続性を阻害する要因の出現―

The Present Condition of Irrigation Farming and Livestock in Hussaini village,

Gojal district, Northern Pakistan:

Appearance a Factor Prevented Sustainability

Kazuo MIZUSHIMA

(Accepted November 14, 2012)

Department of Geography, College of Humanities and Sciences, Nihon University: 3-25-40 Sakurajosui Setagaya-ku, Tokyo, 156-8550 Japan 日本大学文理学部地理学教室:

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本報告のパキスタン北部地域ゴジャール地区のワヒも, 既述したように地域的課題を抱えながら日々の生活を維 持している。しかし,パキスタン北部地域ゴジャール地 区のワヒ村には,中国の新疆ウイグル自治区カシュガル からパキスタンの首都イスラマバードまで結ぶカラコラ ム・ハイウエイ (以下,KKHとする) が縦貫するため,パ キスタンと中国の以外の2 か国 2 地域のワヒと比較すれ ば,KKHを通じてもたらされる影響は大きい。 たとえば,KKHを利用して中国側から流入する大量 の商品と,これを購入するための貨幣経済の浸透など は,ワヒがこの地に居住して以来維持されてきた自給自 足の生活を,20世紀後半から現在までのほぼ20年間で 大きく変質させ,商品購入を前提とした生活が日常と なっている。この新たな生活を前提とした場合,当然の こととして安定した収入を必要としているが,地理的辺 境となるこの山岳地域には,雇用する産業の立地が乏し い。唯一その可能性を指摘できるのは,この山岳地域の 持つ荒々しくも豊かな自然資源を生かした観光産業の存 在であったが,パキスタン国内における政治的 ・ 宗教的 な混乱,頻発する自然災害などから,観光客を遠ざける ことにもなり,この結果,観光産業も停滞した状況が継 続している。村人たちの収入は,ジャガイモ栽培に代表 されるように換金作物の導入と,肉用として羊や山羊の 販売であったが,しかし,いずれも安定した収入には程 遠く,その多くは若者世代を中心に村を離れての出稼ぎ に依存しているのが現実である。 このような状況の中で,新たな問題が発生した。2010 年1月4日に,フンザのカリマバードに近いアタバード村 で,山体崩壊ともいえる大規模など土砂崩落が起こっ た。アタバード村の住民18名が犠牲になったといわれ ているが,同時に巨岩を含む大量の土砂はインダス川支 流フンザ川を堰き止め,ここから約22km上流まで巨大 な堰止湖を形成し,この間の数か所の村々とKKHを水 没させる事態となった。2012年の夏でも,堰止湖の水 位がやや低下したものの,この地域の状況には大きな変 化がない。 本報告ではこの大規模な土砂崩落と,巨大な堰止湖の 持続性を阻害する要因の出現という現実に,ゴジャール 地区フセイニ村の農牧業はどのような影響を受け,そし てどのように変化しているのかについて,2012年IGU とGlobal Land Projectの報告を踏まえ明らかにする1)

2  フセイニ村の位置と地域概要 パキスタン北部地域ゴジャール地区は,図1 のように パキスタン北部の中心都市のギルギット,フンザのカリ マバードより北に位置し,フセイニ村はこのゴジャール 地区のほぼ中心部にある。図2 のように,標高約2,400m のワヒの村であるフセイニ村は,インダス川支流フンザ 川の右岸でグルキン氷河東側斜面のモレーン上に立地す る。KKHが通るこの村は,80戸の農家と565人の人口 (2002年) を持ち,既述したように伝統的灌漑農業の麦 類の栽培から,現在,写真1 のように水問題を抱えなが ら換金作物のジャガイモ栽培 (水嶋,2008a) に特化し, 近年,羊と山羊の飼養頭数を減少させているが,5 か所 の夏牧場で牧畜を維持して生活を営んでいる(水嶋, 2012)。さらに,村はフンザ川を挟んだ対岸のザラバー ドにも耕地を持つが,この耕地は写真2 のようにハン ダック川旧扇状地の左側に立地する小規模なものであ り,扇状地の多くは瓦礫の裸地が占めている。村にとっ てザラバードは,麦類を栽培する伝統的灌漑農業の耕地 で,また村のすべての農家がこのザラバードに耕地を所 有するなど貴重なものとなっているが,ここでも水不足 が大きな問題となっている (水嶋,2010)。 3  農牧業の現状 3-1 灌漑農業 フセイニ村の灌漑農業の灌漑用水路の現状について は,既述したとおりである(水嶋,2008a) (水嶋,2009b)。 再確認すれば,村の対岸のザラバードに麦類などを栽培 する伝統的灌漑農業を残しつつも,KKHの通る村では 耕地のほとんどが換金作物のジャガイモ栽培に特化し た。この理由には商品・貨幣経済の市場経済化の浸透 で,貨幣収入を必要とする生活が顕在化し,この収入の 糧をジャガイモ栽培に求めたためである。ゴジャール地 区の多くの村々でも同様の変化が見られたものの,フセ イニ村ではやや事情が異なっていた。他の村々は氷河か ら流れ出す小河川沿いに立地しており,夏季期間に氷河 から溶け出す潤沢な水を得ることができるため,仮に ジャガイモ栽培に特化しても水不足に陥ることはなかっ た。しかし,フセイニ村はジャガイモ栽培に特化したこ とで,水問題を露呈させることになったが,この主たる 原因は,村の立地している自然環境に起因していたから である。 フセイニ村はグルキン氷河の東側斜面のモレーン上に 立地しているが,この場所で重要な飲料水としても利用 する灌漑用水は,厚いモレーンの下にある氷河の溶け出 す水であった。この用水は,村が立地して以来,村人た ちの苦労と努力で,図3 のように 5 本の灌漑用水路を開 削し確保してきたが,それでも年毎の気候状況や氷河の 移動から,用水量は常に不安定であった。しかし,この

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タジキスタン 中華人民共和国 クンジェラブ峠 アフガニスタン・イスラム共和国 イ  ン  ド パキスタン・イスラム共和国 カラチ ハイデラバード ファイサラバード ラワルピンディ ラホール ペシャーワル イスラマバード クエッタ ギルギット スカルドゥ A F G H A N I S T A N C H I N A G I L G I T C H A P U R S N Khunjerab Pass S H I M S H A L N A G I R N A G I R S A I B A G R O T H A R A M O S H B A S H O B R A L D U R O N D U I S H K O M A N Y A S I N G H I Z E R P UN I AL D A R E L K H A N B A R I T A N G I R K H I N A R T H O R C H I L A S T H A K B U N A R G U N A R R A I K O T A S T O R E D A S K H I R A M K A L A P A N I RU PA L C h o t a G U L T A R I B a r a D e o s a i K H A R M A N G K I R E S H U S H E Y Nanga Parbat (8125) K2 (8611) Chilas Gilgit Town Astore Rakaposhi (7788) G H I Z E R D I A M A R S K A R D U G H A N G C H E Skardu Shimshal Sost Passu Hussaini AliabadKarimabad Gulmit km10 5 0 10 20 30 40 50 km Iuteranational boundary Provincial boundary District boundary Traditional boundary Lineot coutrol preseut KKH INDUS river G O J A L

フセイニ村

図1  パキスタン北部地域ゴジャール地区の位置

Fig. 1 Location of Gojal, the Northern Areas of Pakistan

写真1  フセイニ村の耕地景観(うすい緑はジャガイモ栽培地) (2007年 8月,水嶋撮影)

Photo 1 Landscape of the Hussaini village (Aug. 2007)

写真2  ザラバードのハンダック川旧扇状地 (2007年 8月,水嶋撮影)

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透は急激に用水不足問題を露呈させることになった。 AKRSPの指導から,当初は自給用であったジャガイモ 栽培は,貨幣収入を必要とする生活が一般化する中で, 換金作物として位置づけられ,その面積を拡大すること になった。もちろん,既述したようにゴジャール地区の 他の村でも同様な動きであったが,これらの村では用水 不足問題に悩まされることはなかった。元来,畑作物で あるジャガイモ栽培には,一定量の降水量があれば十分 であるが,山岳乾燥地域であるパキスタン北部地域で 不安定さを解消し,用水量を増やす根本的な解決は,村 の立地した場所では不可能であった。村では村のもっと も重要な共同作業として,村全体で灌漑用水路の取水口 や用水路の修理と管理を徹底し,さらに耕地では灌漑方 法の取り決めを実施しながら,不安定な水量と向き合っ てきた。 不安定な用水量であっても,自給自足の基盤となる麦 類や豆類を輪作する伝統的灌漑農業では大きく表面化す ることはなかったが,商品 ・ 貨幣経済の市場経済化の浸 図2  ゴジャール地区(一部)の自然環境

Fig. 2 Natural Environment of Gojal

ザラバード

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安定な水不足問題を一気に解決するかと考えられたが, 多くの課題も残された。たとえば,グルキン氷河末端の モレーン上の3 本の鉄パイプの施設工事は,フセイニ村 の村人によっておこなわれたが,多くの手労働による未 熟なものであったため,1 本がすぐに送水ができず,修 理もなされていない。さらに,モレーン上の鉄パイプで は,山岳乾燥地域で気温の寒暖差が大きいため,短時間 で劣化する危険性をもっているが,それ以上に日常的に 起こっている落石によって簡単に破損する危険がある。 また,運ばれてきた大量の用水は,既存の用水路を利用 は,用水量の多寡がジャガイモ栽培の量と質を左右す る。貨幣収入を得るため,フセイニ村と村人は多様な対 応を見せることになるが,その一つの方法として,ジャ ガイモ栽培の面積を拡大して収入の増加を求めたもの の,この拡大で問題となったのが,不安定な用水量で あった。 安定した用水量の確保は,これまでのように取水口や 用水路の管理と修理,そして耕地の灌漑方法を徹底して も,氷河の溶け出す水に依存している状況に変化がなけ れば,解決することは不可能であった。用水量の確保に 村は試行錯誤を繰り返した。得られた解決方法は,村か ら南側に約1km離れたグルキン氷河末端からグルキン 川に流れ出す大量の水を確保しようするものであった。 しかし,村から氷河末端まで約1kmの離れている状況 で,どのような方法で村まで水を運ぶかを検討した結 果,たどり着いたのが鉄パイプの利用であった。村では この鉄パイプの購入資金を,2003年にパキスタン政府 に申請し,承認後の2004年に,写真 3 の行程で氷河末 端から村の既存の用水路まで,鉄パイプの施設工事を開 始した。2005年に 1 本の鉄パイプ工事が完成して大量の 水がムルングワード用水路に注ぎ込まれ,この後,2006 年に2 本目が,2007年に 3 本目が完成して,トムルベン ワード用水路,パストワード用水路のそれぞれに水が注 ぎ込まれた2) 運ばれてきた大量の水は,これまでのフセイニ村の不 図3  フセイニ村における5 本の灌漑用水路と新たに公共工事で実施された用水路(●は取水地点)

Fig. 3 Public works to cut the moraine of Gulkin glacier near No.1 ditch (●:Point of water taken)

写真3  グルキン氷河末端からフセイニ村まで設置された 鉄パイプルート(2008年 8月,水嶋撮影)

Photo 3 The steel pipes route on the moraine of Gulkin glacier (Aug. 2008) ● 灌漑用水路 グルキン氷河 モレーン グルキン氷河

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方法を選択した。最初に村はパキスタン政府に工事費用 を申請し承認されたことを受けて,2011年の冬に開削工 事を開始した。写真4∼7 のように,村の公共工事とし て文字通り掘削機だけの手作りの用水路は,短期間で工 事を終了させ,この年のジャガイモ栽培に間に合わせる ことができた。新たな用水路から大量の水がグルムラー ドワード用水路に流し込まれ,村の不安定な用水の問題 は,この開削でほぼ解決することになった。換金作物と なるジャガイモ栽培から少なからず貨幣収入を得よう と,村は安定した用水を確保したいという執念で,この 確保にあらゆる可能性を捜して必死の努力を払ってきた が,ようやくその到達点にたどり着いたといえる。 3-2 牧畜 フセイニ村における牧畜については既述したとおりで して村まで運ばれるが,モレーン上の用水路では用水に 含まれる砂や泥で簡単に埋まり,至る所で漏水するな ど,課題も多くある。 多くの問題点が指摘できるものの,村や村人は多くの 努力で3 本の鉄パイプで大量の用水量を確保し,ジャガ イモ栽培の安定的収量を維持することになったが,指摘 したような課題を完全に払拭できないため,さらに安定 した用水を確保する努力を重ねることになった。新たな 用水の水源探しである。そして,村が探し求めた水源 は,5 本の用水路の中で最も古く,そして最も遠くから 用水を運んでくるグルムラードワード用水路の途中に, グルキン氷河から直接取水した水を,図3 のように厚い モレーンを開削した用水路に流し込んで用水とするもの であった。しかし,厚いモレーンの開削は,重機のない 村にとって重労働となることは予測できたが,村はこの 写真5  グルキン氷河モレーンの開削工事 (2011年 1月,フラシャット氏撮影)

Photo 5 Construction work of moraine, Gulkin glacier

写真7  グルキン氷河が直接取水した大量の水はグラムラー ドワードに注がれる(2011年 8月,水嶋撮影)

Photo 7 A large quantity water run down to the village (Aug. 2011)

写真4  グルキン氷河から直接取水 (2011年 8月,水嶋撮影)

Photo 4 The village succeeded to obtain a large quantity water melted Gulkin glacier (Aug. 2011)

写真6  グルキン氷河モレーンを開削した用水路。約8mの厚さ のモレーンを開削した。(2011年 8月,水嶋撮影)

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茂する高地の夏牧場まで移動させ,秋に村に戻るという 形態であるが,この移牧の夏牧場や飼養の方法は,それ ぞれの村ごとで異なっている4) フセイニ村の牧畜形態も移牧であるが,村全体の共同 作業で重要な仕事となる移牧は,毎年5月20日頃に村か らバツーラ氷河右岸の村の所有する5 か所の夏牧場に向 けて出発するところから始まる。村からKKHを通って 約10km離れたバツーラ氷河末端のKKHに到着し,この 後,図4 のように 4 か所の夏牧場を経由して,KKHか ら約15km離れた標高3200mの最終目的地である夏牧場 のメドンまで移動する。このメドンは自然植生に恵まれ ているため,羊と山羊は約2 か月間,このメドンに滞在 し,9月下旬頃にメドンを離れて村に戻る。村では 5 か 所の夏牧場における移牧の方法などは,村の共同作業と して村で決められたルールにのっとり実施してきたが, 近年,この移牧形態に変化が生じてきた。 2005年頃まで村の80戸すべてが羊と山羊を持ち,そ の頭数が約1,200頭を超えていた時には,村の会議で全 農家を2 つに分け 2 つのグループごとに移牧を行ってい た。しかし,最近になって羊や山羊を飼養する農家は ある (水嶋,2012)。山岳乾燥地域のゴジャール地区の牧 畜で最大の問題は,どのように家畜の餌を確保するかで あるが,この問題を解決する方法として,ゴジャール地 区では古くから移牧という牧畜の飼養形態を導入し,現 在でもこの形態は維持されている。この移牧は,冬に舎 飼された羊や山羊を,春から秋まで自然植生が豊かに繁 図4  バツーラ氷河右岸に立地するフセイニ村の夏牧場

Fig. 4 A summer pasture of Hussaini village located the rightside by Batura glacier

写真8  夏牧場メドンの野営地(2011年 8月,水嶋撮影)

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なった。発生後,ゴジャール地区のすべての農家は食料 や燃料不足に直面したため,写真9 のように緊急援助が おこなわれ,直面した問題を凌ぐことになった。土砂崩 落したアタバード村と22km離れたフセイニ村の両方 に,写真10と写真11のように臨時の河港が作られ,こ の間,小型の船が人と物の移動を担った。2012年の夏 においても堰止湖の水位がやや低下したものの,いまだ に小型の船が人と物の移動に関わっており,この状況は さらに継続すると考えている。 堰 止 湖 が 出 現 し て ほ ぼ3 年間が経過する中で,ゴ ジャール地区は大きな影響を受けている。その一つに KKHが通行不能になったことで,大量の物流が途絶え, せっかくこの物流を前提に,写真12のようにスストで 建設された流通センターが機能しなくなったことであ る。さらに,ゴジャール地区の荒々しくも魅力ある氷河 や山岳景観は,世界中から多くの観光客を受け入れてい たが,パキスタン国内の政治や社会の不安定さと合わせ て,この自然災害はこの地区の観光客を急減させ,この 結果,ゴジャール地区の重要な産業である観光産業を疲 弊させることになった。また,貨幣収入を目的に規模を 拡大してきた換金作物のジャガイモ栽培は,ジャガイモ の出荷が途絶えることで,収入は減少し,大きく変えて きた生活にブレーキが架かり始めている。 フセイニ村でもこの影響を免れることはできなかった。 とくに,ジャガイモ栽培で貨幣収入を確保するため,こ の面積を拡大させてきたが,この拡大は村の立地状況か ら灌漑する用水の不足を引き起こすことになった。村は 安定した水を確保するため,指摘したように最大の努力 で実現し,さらに,図6 のように,堰止湖の拡大でグル キン氷河末端に設置された鉄パイプに影響を及ぼす危険 性を回避するためにも,最終段階として村は,グルキン 氷河からの直接の取水から完全に用水不足の解消を成し 遂げた。それにもかかわらず,皮肉にも堰止湖の存在は ジャガイモの出荷を不可能にし,村はジャガイモ栽培か らの収入が見込めなくなった。この結果,写真13のよ うに,村はジャガイモ栽培から麦類の栽培へと転換が余 儀なくされている。 村の牧畜にも影響が出ている。自給自足を前提とした 生活は,指摘したように羊や山羊の生産物を利用してい たが,生活が大きく変化する中で,これらの利用は商品 として購入することができるようになった。しかし,家 畜は肉用としていまでも販売されているが,観光客の急 減はホテルやレストランで使用するこれらの肉の需要を 減少させ,結果としてこの販売による収入もあまり期待 することができなくなってきた。羊や山羊の急減した要 15戸,頭数は約450頭まで減少したため,移牧はこれま でのように村の共同作業ではなく,この15戸のみでお こなわれようになった。飼養農家や飼養頭数の減少に は,現地調査などから多くの要因が指摘される。最も重 要な要因は,KKH開通後に急激に浸透した商品・貨幣 経済の市場経済化である。指摘したように村はこの場所 に立地して以来,自給自足を基本とした生活に依存し持 続してきたが,市場経済化によってそれまでの生活を一 変させ,村は商品や貨幣収入に依存した新たな生活を余 儀なくされた。自給自足に欠かすことができない麦類や 豆類を輪作とする伝統的な灌漑農業は,換金作物のジャ ガイモ栽培へと変化したように,家畜の生産物たとえば 羊毛で作る衣類や,ミルクから作ったチーズやバターな どは,商品として容易く購入することができる。また, 増加する支出を確保するため,若者世代を中心に多くの 村人は,他産業に従事するため,村を離れて出稼ぎをし ている。村に残された人々はこれまでの村の共同作業を 担うことになるが,いずれの作業も重労働で,とくに移 牧に関わる作業は過酷なため,この作業を回避する傾向 がみられるようになった。さらに指摘できることは,家 畜の餌となる自然植生が長年の放牧で生産量を超えて給 餌されてきたため,観察だけではあるが,メドンでみら れるように自然植生は枯渇しつつある。村が他に飼料を 準備できない状況は,羊や山羊の飼養頭数を自然に制限 を加えつつあると指摘できる。近年の村の飼養農家数や 飼養頭数の減少は,上述したように複数の要因が重なり 合ってきたことを背景としている。 4  農牧業の持続性を阻害する要因の出現 フセイニ村の農牧業は大きく変化している。KKH開 通後約20年間という年月が経過する中で,村は自給自 足を基盤とした生活形態から商品・貨幣経済を前提にし た生活形態へと変化したが,指摘したようにこの変化は 村の伝統的農牧業の在り方を規定することになった。し かし,村は外部からの影響に左右されながらも,何とか 対応しようと努力してきたが,近年になって村の農牧業 の持続性を阻害する要因が出現した。 この要因とは,2010年 1月4日にフンザ・カリマバー ド近くのアタバード村で発生した山体崩壊規模となる大 規模な土砂崩落である (藁谷,2011)。アタバード村の18 人の犠牲者を巻き込んだといわれる土砂崩落は,インダ ス川支流フンザ川を堰き止め,図5 のようにここから上 流約22kmにわたって,突然巨大な堰止湖が出現した。 この堰止湖はこの間にあるいくつかの村々とKKHを水 没させると同時に,人々の移動と物流を遮断することに

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図5  アタバード村からフセイニ村まで拡大した堰止湖の範囲。この間の数か所の村とKKHは水没した。

Fig. 5 The scope of a dammed lake from Atabad village to Hussaini village

写真9  パスー村に臨時に作られたWFP緊急援助物資の 保管テント(2010年12月,水嶋撮影)

Photo 9 A temporary storagetent of WFP for an urgent support of dailer necessities, Passu village

写真10 アタバードに作られた河港 (2011年 8月,水嶋撮影)

Photo 10 Big Landslide happened in the Atabab village in 4th Jan. 2010 (Aug. 2011)

フセイニ村

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栽培面積の拡大で問題となった用水不足は,3 つの取水 源を確保することで解決したが,この問題が解決した途 端,ジャガイモの出荷は堰止湖の出現によって滞ってし まった。また,現在,羊や山羊の大部分は肉用に販売す る目的で飼養されているが,国の社会的・政治的混乱と 堰止湖の出現は,観光客の急減に歯止めがかからず,結 果としてこの需要を小さくした。商品・貨幣経済の市場 経済化の浸透から,村は否応なしに生活形態の変化が求 因は別のところにあるものの,間接的には堰止湖の存在 が影を落としている。 5  まとめ 既述したように,フセイニ村における伝統的農牧業 は,KKH開通後,20年以上越える中で変化を余儀なくさ れてきた。村は外部からの多くの影響で受け身ではあっ たものの,何とか対応してきた。換金作物のジャガイモ 図6 施設された鉄パイプルートまで堰止湖の水位が上昇(2011年 9月,水嶋撮影)

Fig. 6 Landscape of Gulkin glacier and the Hussaini village after a dammed lake was made. KKH submerged from the Atabad village to the Hussaini village for about 22km. (Sep. 2011) 写真11 フセイニ村に作られた河港

(2011年 8月,水嶋撮影)

Photo 11 River Port was appeared suddenly in the entrance of the Hussaini village (Aug. 2011)

写真12 スストに中国資本によって建設された流通センター (2004年 8月,水嶋撮影)

Photo 12 A constructive distribution center by the Chinese capital in Susst (Aug. 2014)

グルキン氷河

フセイニ村

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ジャール地区全体に関わる問題ともなっている。 近代化や商品・貨幣経済の市場経済化の浸透は,門戸 を閉ざさない限り続くことになるが,この対応には慎重 な姿勢が必要である。その理由には,地理的辺境で不安 定な観光産業しかなく,さらに絶えず発生する自然災害 なども加わると,将来を展望できる安定した生活が保障 されない。たとえば,伝統的灌漑農業を回避して全耕地 でジャガイモ栽培のみに特化すれば,現在起こっている 状況のように,村は大きなリスクを背負うことになる。 このリスクを小さくするためには,多様な農牧業を生か す伝統性と,外部から浸透する近代化をうまく調和させ る必要があり,この調和した方法を確立することが村の 持続的発展を保証するといえる。 謝辞 この論文は,2012年 8月に開催されたIGUと2012年10月 に開催されたGLPの二つの国際学会の報告を踏まえ,新た な知見で作成したものである。なお,この国際学会の出張旅 費については,平成24年度日本大学文理学部の個人研究費 を使用させていただいた。 められ,村の農牧業も少なからず収入を得る方法へと変 えてきたが,村とは関係のない不測の事態の出現は,将 来の展望すら描かれない状況に陥っている。このことは フセイニ村だけの問題ではなく,堰止湖から上流のゴ 1) この論文は,拙稿したものに加え,新たな知見で2012 年8月にドイツのケルンで開催されたIGU「Irrigation Problems in Hussaini Village within the Valley of the Kara-koram Mountain Range」と,2012年10月にネパールの カトマンズで開催されたGlobal Land Project「Changing Mountain Environment in Asia」で報告したものをまと めたものである。 2) フセイニ村ではグルキン氷河のモレーンの下から夏季に 溶け出す水を,5 本の灌漑用水路で村まで運んでいる。 注 この用水路の名前は,グルムラードワード,ウーチェ ワード,ムルングワード,トムルベンワード,パスト ワードである。 3) バツーラ氷河右岸にあるフセイニ村の 5 か所の夏牧場 は,標高の低いところからムルンゲン,ガールベン,ク ルガスワシュク,ラドムール,メドンである。

4) 移牧の問題については,Global Land Project「Changing Mountain Environment in Asia」のプロシーデングに, アジア各国の移牧の事例報告がなされている。 水嶋一雄・山内英樹(2004):ワハン回廊「ワヒ民族」支援 の現状から 「我ら皆・山の民」所収 56-61 国際山岳 年日本委員会編. 落合康浩・水嶋一雄(2004):パキスタン北部地域ゴジャー ル地区の地域開発による生活の変化 「地学雑誌」113, No2 (993),312-329. 水嶋一雄(2008a):パキスタン北部地域ゴジャール地区の灌 漑システム―フセイニ村を事例として―「研究紀要」 43,43−53 日本大学文理学部自然科学研究所. 水嶋一雄(2008b)タジキスタン南東部ワハン地域に居住す るワヒ民族 「地理学論集」No83 12-21. 水嶋一雄(2009a):パキスタン北部地域ゴジャール地区にお ける農牧業と生活基盤の変化と現状―シムシャール村の 場合―「研究紀要」44,19-36 日本大学文理学部自然 科学研究所. 参考文献

Kazuo MIZUSHIMA (2009b):Development of Goods/Money Economy in Dry Mountainous Regions and the Occur-rence of Regional Issues:Ir rigation Problems in Hussaini,a Village Located in the Valley of the Karakoram Range  Geographical Studies No.84 65-74.

水嶋一雄(2010):パキスタン北部地域ゴジャール地区ザラ バードの土地利用―伝統と近代化の混在―「研究紀要」 45,39-53 日本大学文理学部自然科学研究所. 水嶋一雄(2012):パキスタン北部地域ゴジャール地区フセ イニ村の牧畜形態―停滞から衰退―「研究紀要」47, 63-75 日本大学文理学部自然科学研究所. 藁谷哲也・梶山貴弘(2011):2010年1月にパキスタン北部・ アタバードで発生した巨大崩壊と堰止湖の拡大 地学雑 誌 993-1002 Vol.120 No.6 (1039). 写真13 堰止湖ができた後のフセイニ村の土地利用 (緑色:ジャガイモ畑,茶色:麦畑)(2011年 9月,水嶋撮影)

Photo 13 Land use of Hussaini village after a making dammed lake (Sep. 2011)

(12)

Fig. 4 A summer pasture of Hussaini village located the rightside by Batura glacier
図 5  アタバード村からフセイニ村まで拡大した堰止湖の範囲。この間の数か所の村と KKHは水没した。 Fig. 5 The scope of a dammed lake from Atabad village to Hussaini village

参照

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