2018-19
GOVERNOR’S
MONTHLY LETTER
No.�
MAR. 2019
CONTENTS
1 5 6 7 9 9 10 11 11 12 13 14 15 15 16GOVERNOR
Muneyoshi Yano
ガバナーズレター ……… RI報告……… 2019年 国際協議会報告 ……… 2018-19年度地区大会のお知らせ ……… ロータリーデー・神戸新聞で広告賞受賞 ……… 阪神第1グループIM ……… 阪神第2グループIM、阪神第3グループIM …… 第21回発達障害理解のための基礎と実践講座 … 青少年交流会 ……… 第11回全国RYLA研究会 ……… ローターアクト フィリピンプロジェクト 『世界に笑顔を届けようプロジェクト』 …… 地区補助金奉仕プロジェクト(篠山、洲本)…… 新会員紹介 ……… ご寄付感謝 ……… ガバナー事務所からのお知らせ ……… 17 17 18 3・4月の地区活動予定 ……… 訃報 ……… 出席報告 ………ガバナーズレター
3月号の原稿を書き始めた時に、深川純一PDGの 訃報の一報が入りました。地区内だけでなく、日本 のロータリアンの精神的支柱として活躍された深川 PDGのご冥福を心よりお祈りいたします。深川 PDGは「ロータリーとは人類文化史が20世紀の時代 に刻印を打った職業人の最も優れた倫理運動であ る。」と述べられています。今月はそのことを踏ま えながら、日本のロータリー思想について触れてい きます。 1.日本のロータリー思想を表す大連宣言 深川PDGはまた「ロータリー日本史を時代区分し てみますと、戦前のロータリーは、思想を中心に ロータリーを理解しようとした時代であり、戦後の ロータリーは、定款・細則を中心にロータリーを考 えた時代と言えるのであります。」とも述べられて います。RI脱退後もリスクを冒しながら例会を続け た日本のロータリアンのロータリー思想はどのよう なものだったのでしょうか。 日本の初期ロータリーが広がっていった当時、 ロータリーの考え方の主流は、これまで述べた1915 年のロータリー倫理訓、並びに翌年のガイ・ガン ディカーのロータリー通解でした。すなわち倫理運 動としてのロータリー観であります。それを見事に 表現したのが、先月号で触れた大連RCの会員で あった古沢丈作の「大連宣言」です。大連宣言は ロータリー運動を次のように述べています。(前号 は原文を掲載していますので、それと照らし合わせ てみてください。) 1.ロータリアンは職業人である前に、道義(倫 理)を守る人でなければならない。職業人とし て経営に専心するのは、それによって世の中を よくするためであり、道義を無視して事業の成 功を求めてはならない。すなわち、最もよく奉 仕する者が最も多く満たされるのである。 2.まずは義務をしっかり果たし、自らの利益を 優先する前に、相手のためになるかを優先す べし。 3.特殊な機会に乗じたり、信義に反して暴利をむ さぼることは最も慎むべきことである。 4.義や信を重んじ、切磋琢磨し、互いが助け合 う。これがロータリーの本旨である。 5.互いに協力して、奉仕の理想のために行動をす る。これこそがロータリーの使命であり、その 存在意義があるのである。 5カ条から成るこの大連宣言は、ロータリーを倫 理運動として高らかに宣言したものであり、まさに 日本のロータリーの精神を表すものであります。す なわち初期の日本のロータリーにおいては、良質な 職業人として倫理の向上を中心とする運動であった と言えます。 2.日本のロータリー思想の原点 戦前の日本のジャーナリストであった土屋大夢 (元作・大阪RC)が、1921年、アメリカのロータ リークラブにおいて「ロータリー以前の偉大なる ロータリアン」というテーマで、二宮尊徳の教えに ついて、講演をしました。日本の先人達の教えの中 には東洋思想をもとに、倫理運動としてのロータ リー運動を受け入れる土壌がありました。以下、先 人達の教えについて述べていきます。 ①二宮尊徳 江戸時代後期の農村指導者であり、思想家であっ た二宮尊徳は、ロータリー哲学につながる話を語っ国際ロータリー第 2680 地区
ロータリークラブ会長、幹事の皆様
国際ロータリー第2680地区 ガバナー矢 野 宗 司
(加古川中央) ての報恩とみなされていたからであります。 ③江戸期における商人道の指導者―石田梅岩 江戸時代においても不正な行為や悪徳商人は数 多く存在していました。そういう中で、江戸時代 の商人道徳教育の指導の役割を担っていたのが、 寺子屋制度と徒弟(丁稚奉公)制度でありまし た。そこでは商売の基本を教えるとともに生活規 範を指導し、儒教教育も行っていました。とりわ け、この寺子屋教育の普及は明治維新後、近代社 会の発達に貢献し、新しい西欧文明を吸収する土 台にもなりました。 そういう中で、商人道を唱道したのが石田梅岩で す。梅岩の中心的思想を表す「石門心学」は、金銭 第一主義に走りがちな商人に、人間として義理、人 情をはっきり自覚させ、商人の生活態度に 倫理観 を与えたと言えます。その著である「都鄙問答」の 中に次のような話があります。 一升の水に、油一滴入れる時は、一面に油の如く見ゆ。 ここを以てこの水用に立たず。売買の利もかくの如し。百 目の不義の金が九百目の金を皆不義の金にするなり と述べ、商人の持つべき倫理観について触れてい ます。たとえわずかな不正であっても、油が水の 表層を覆うようにすべてを台無しにする、「利を 求むるに道あり(利益を求めるために必要とされ る道徳がある)」と説くこの話は、不正のため消 えざるを得なくなった多くの企業に当てはまる教 えであります。 ています。「水車の話」という尊徳の話にはそれが ありありと描かれています。 水車は輪回するものだが、人の道も水車のようなも のと思えば良い。その形の半分は水流に順い、半分は 水流に逆らって回転する。もし、まるまる水中に入れ ば回らずして流さるべし。また、もし水を離れれば回 ることあるべからず。それ仏教にいう高徳、智識の如 く、世を離れ欲を捨てたるは、水車の水を離れたるが 如し。また凡俗が、教義に耳を傾けず、義務も知ら ず、私欲一辺倒に執着するは、水車をまるまる水中に 沈めたるが如し。共に社会の用を為さず。ゆえに人の 道は中庸を尊ぶ。水車の中庸はよろしき程に水中に入 れて、半分は水に順い、半分は流水に逆らって運転滞 らずに在り。人の道もそれと同じように天理に順いて 種を蒔き、天理に逆らって草を取る。欲に随うて家業 を励み、欲を制して義務を思うべきなり。 これは決議23-34に通じる言葉であります。すなわ ち、「ロータリーは、基本的には、一つの人生哲学で あり、それは利己的な欲求と義務およびこれに伴う他 人のために奉仕したいという感情とのあいだに常に存 在する矛盾を和らげようとするものである。」 この矛盾を和らげる考えがまさに尊徳の言う「中 庸」であります。「中庸」とは儒教における中心概 念の一つであり、過不足なく偏りのない考え方を意 味します。それはポール・ハリスの言う「ロータ リーは、親睦と奉仕の調和の中に宿る」すなわち 「harmony of fellowship and service」のharmony に当たる表現であります。「利己と利他との調和」 もまさに中庸の考え方であります。 また、二宮尊徳は「道徳なき経済は罪悪であり、 経済なき道徳は寝言である」とも述べており、日本 の資本主義の父と言われる渋沢栄一も「論語とそろ ばんというかけ離れたものを一つにするということ が最も重要だ」と述べ、「車に両輪が必要な如く、 単なる利益追求の一輪車では走れない。永続きしな い。道徳というもう一つの輪を備えた上での利潤で なければ、多くの信頼を得られない。また、真の繁 栄もあり得ない」と説いています。 ② 江戸時代の商人道 ― 近江商人の教え 近江の国・滋賀県出身の近江商人は日本三大商人 の一つとして、現在にもつながっています。その近 江商人の経営哲学として知られる「三方よし(※こ の言葉そのものは戦後の研究者が標語化したも の)」は、伊藤忠商事の創始者である初代伊藤忠兵 衛が近江商人の先達に対する尊敬の念を込めて発し た「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何 れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなう もの」という言葉にあると言われていますが、「売 り手よし、買い手よし、世間よし」とは売り手の都 合だけで商いをするのはなく、買い手が心の底から 満足し、さらに商いを通じて社会に貢献しなければ ならない、という考え方であります。 また、その流れを汲む大丸の創業者である下村彦 右衛門も、「先義而後利者栄」、即ち、道義を優先 させ、利益を後回しにすることによって、事業は栄 える、を社是としています。まさにOne profits most who serves best.であります。ちなみに、大塩平八郎の乱による焼き打ちの罹災の中、大丸だけが その難を免れたのは、大塩が、先義後利を実践して いた大丸を、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と輩 下に命じたからと伝えられています。 さらに近江商人の経営哲学として、「利真於 勤」、利益はその任務に懸命に努力した結果に対する おこぼれに過ぎない、「陰徳善事」、自己顕示や見返 りを期待せず、人のために尽くす、がありますが、こ れらは宗教的な経済倫理を背景としたものでありまし た。近江商人の多くは浄土真宗の門徒であり、その宗 派においては、職業は主として阿弥陀仏への義務とし 以上、江戸期における日本のロータリー思想の原 点について触れてきましたが、それらは儒教や仏教 といった東洋思想がその土台となって、倫理観を構 成していました。 ④近代における指導者 明治になって、それまでの封建国家から近代国家 に成長していく中で、青年を鼓舞した書が中村正直 の1871年(明治4年)に出版された「西国立志編」 (イギリスの社会思想家サミュエル・スマイルズの 著「自助論(Self Help;with Illustrations of Character and Conduct)」の翻訳)でした。冒頭 の「天は自ら助くる者を助く」で有名なこの書は、 西洋の歴史上の人物数百人の成功談を述べ、勤勉、 忍耐、節約といった個人主義的道徳を説き、大きな 影響を与えました。そして、これによってそれまで の儒教中心の考え方に対して西洋的な考え方が広 まっていきました。 「西国立志編」と並んで、大きな影響を与えたの が1972年(明治5年)に出版された福沢諭吉の「学 問ノススメ」です。儒教思想しか知らなかった日本 に自由、独立、平等という民主主義の理念を説き、 新時代における身分は生まれではなく、学問を通じ た個人の見識によるものとし、「独立自尊」を訴え ました。すなわち「心身の独立を全うし、自らのそ の身を尊重して人たるの品位を辱めざる、之を独立 自尊の人と云う」と述べ、学問を修める過程で、 「智徳」とともに「気品」を重視しました。これら の書に共通するものは、封建制度を支えた儒学思想 からの脱却であったと言えます。 そして、もう一つ大きな影響を与えたのが1900年 (明治33年)に出版された新渡戸稲造の書である 「武士道」です。当初はアメリカで「Bushido the Soul of Japan」として英語で出版されたこの書は、 翌年、日本で出版され、大きな反響を呼びました。 留学中にベルギーの学者から「宗教教育がない日本 はどのようにして道徳を教えるのか」という問いに 答える形で書かれたこの書は仏教、神道、そしてと りわけ儒教の教えをもとにした「義・勇・仁・礼・ 誠・名誉・忠義」という道徳律から成る武士道を、 単に武士階級にとどまらず、広く人間形成における 普遍的規範として、キリスト教的倫理に比肩するも のと捉えました。 「士魂商才」という言葉を述べたのは、冒頭で触 れた渋沢栄一です。すなわち武士の精神と商人とし ての才覚を併せ持つことの大切さを強調した渋沢栄 一は、1916年(大正5年)「論語と算盤」という書 を著し、「富をなす根源は何かといえば、仁義道 徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永 続することができぬ」と述べ、道徳経済合一を唱え ました。道徳と経済を調和させる、すなわち理性と 欲望の調和は、まさに「中庸」の考えです。日本の 資本主義の父として約500社もの会社の設立に携 わった経済界の指導的立場にあった渋沢栄一は、 ロータリー創設期の当時の財界人に大きな影響を及 ぼしたと言えます。 日本に100年以上も続く企業が多いことに興味を 持ち、日本の経営者を研究したドラッカーはその著 「マネジメント」の中で、渋沢栄一の事について何 度も触れ、「彼は世界のだれよりも早く、経営の本 質は責任に他ならないことを見抜いていた」と述べ ています。 このような精神土壌の中で、1920年、日本にロー タリーが入ってきました。当初は単なる社交クラブ 的存在であった日本のロータリークラブは関東大震 災を契機にその存在意義がロータリアンの中で高 まっていきました。さらにロータリー哲学と日本に おける伝統的な東洋思想を踏まえた「大連宣言」が 戦前における日本のロータリー思想を明確に表して いるのであります。 日本のロータリーがRIを脱退した当時、2142名と いう会員は現在の当地区の会員数の8割にも満たな い数ですが、その少数精鋭なるがゆえに深川PDGの 著にある「戦前のロータリーは金平糖のロータ リー、戦後のロータリーは角砂糖のロータリー」と いうことになります。すなわち、金平糖は形はまち まちで不ぞろいだが、硬くてしっかりしていて噛ん でも簡単には崩れない、そういったロータリー哲学 がRIを脱退した後も脈々と続いた源泉であったと言 えます。まさにロータリアンとしての矜持でありま す。地区大会の指導者育成セミナーでは、ロータ リーへの造詣が深い山形・寒河江RCの鈴木一作 PDGによる「ロータリアンの矜持」と題した講話が あります。多くの方にインスピレーションを与える ことと思います。 富嶽三十六景 穏田の水車 葛飾北斎 1 2018-19 No.9 RC発刊の「純ちゃんのコーナー」を中心に、ロータリアンにインスピレーションをもたらした深川PDGの言葉を紹介します。1月6日にご逝去された深川純一PDGは多くのロータリアンに慕われ、またロータリアンを導いてこられました。今月は、伊丹
ガバナーズレター
3月号の原稿を書き始めた時に、深川純一PDGの 訃報の一報が入りました。地区内だけでなく、日本 のロータリアンの精神的支柱として活躍された深川 PDGのご冥福を心よりお祈りいたします。深川 PDGは「ロータリーとは人類文化史が20世紀の時代 に刻印を打った職業人の最も優れた倫理運動であ る。」と述べられています。今月はそのことを踏ま えながら、日本のロータリー思想について触れてい きます。 1.日本のロータリー思想を表す大連宣言 深川PDGはまた「ロータリー日本史を時代区分し てみますと、戦前のロータリーは、思想を中心に ロータリーを理解しようとした時代であり、戦後の ロータリーは、定款・細則を中心にロータリーを考 えた時代と言えるのであります。」とも述べられて います。RI脱退後もリスクを冒しながら例会を続け た日本のロータリアンのロータリー思想はどのよう なものだったのでしょうか。 日本の初期ロータリーが広がっていった当時、 ロータリーの考え方の主流は、これまで述べた1915 年のロータリー倫理訓、並びに翌年のガイ・ガン ディカーのロータリー通解でした。すなわち倫理運 動としてのロータリー観であります。それを見事に 表現したのが、先月号で触れた大連RCの会員で あった古沢丈作の「大連宣言」です。大連宣言は ロータリー運動を次のように述べています。(前号 は原文を掲載していますので、それと照らし合わせ てみてください。) 1.ロータリアンは職業人である前に、道義(倫 理)を守る人でなければならない。職業人とし て経営に専心するのは、それによって世の中を よくするためであり、道義を無視して事業の成 功を求めてはならない。すなわち、最もよく奉 仕する者が最も多く満たされるのである。 2.まずは義務をしっかり果たし、自らの利益を 優先する前に、相手のためになるかを優先す べし。 3.特殊な機会に乗じたり、信義に反して暴利をむ さぼることは最も慎むべきことである。 4.義や信を重んじ、切磋琢磨し、互いが助け合 う。これがロータリーの本旨である。 5.互いに協力して、奉仕の理想のために行動をす る。これこそがロータリーの使命であり、その 存在意義があるのである。 5カ条から成るこの大連宣言は、ロータリーを倫 理運動として高らかに宣言したものであり、まさに 日本のロータリーの精神を表すものであります。す なわち初期の日本のロータリーにおいては、良質な 職業人として倫理の向上を中心とする運動であった と言えます。 2.日本のロータリー思想の原点 戦前の日本のジャーナリストであった土屋大夢 (元作・大阪RC)が、1921年、アメリカのロータ リークラブにおいて「ロータリー以前の偉大なる ロータリアン」というテーマで、二宮尊徳の教えに ついて、講演をしました。日本の先人達の教えの中 には東洋思想をもとに、倫理運動としてのロータ リー運動を受け入れる土壌がありました。以下、先 人達の教えについて述べていきます。 ①二宮尊徳 江戸時代後期の農村指導者であり、思想家であっ た二宮尊徳は、ロータリー哲学につながる話を語っ国際ロータリー第 2680 地区
ロータリークラブ会長、幹事の皆様
国際ロータリー第2680地区 ガバナー矢 野 宗 司
(加古川中央) ての報恩とみなされていたからであります。 ③江戸期における商人道の指導者―石田梅岩 江戸時代においても不正な行為や悪徳商人は数 多く存在していました。そういう中で、江戸時代 の商人道徳教育の指導の役割を担っていたのが、 寺子屋制度と徒弟(丁稚奉公)制度でありまし た。そこでは商売の基本を教えるとともに生活規 範を指導し、儒教教育も行っていました。とりわ け、この寺子屋教育の普及は明治維新後、近代社 会の発達に貢献し、新しい西欧文明を吸収する土 台にもなりました。 そういう中で、商人道を唱道したのが石田梅岩で す。梅岩の中心的思想を表す「石門心学」は、金銭 第一主義に走りがちな商人に、人間として義理、人 情をはっきり自覚させ、商人の生活態度に 倫理観 を与えたと言えます。その著である「都鄙問答」の 中に次のような話があります。 一升の水に、油一滴入れる時は、一面に油の如く見ゆ。 ここを以てこの水用に立たず。売買の利もかくの如し。百 目の不義の金が九百目の金を皆不義の金にするなり と述べ、商人の持つべき倫理観について触れてい ます。たとえわずかな不正であっても、油が水の 表層を覆うようにすべてを台無しにする、「利を 求むるに道あり(利益を求めるために必要とされ る道徳がある)」と説くこの話は、不正のため消 えざるを得なくなった多くの企業に当てはまる教 えであります。 ています。「水車の話」という尊徳の話にはそれが ありありと描かれています。 水車は輪回するものだが、人の道も水車のようなも のと思えば良い。その形の半分は水流に順い、半分は 水流に逆らって回転する。もし、まるまる水中に入れ ば回らずして流さるべし。また、もし水を離れれば回 ることあるべからず。それ仏教にいう高徳、智識の如 く、世を離れ欲を捨てたるは、水車の水を離れたるが 如し。また凡俗が、教義に耳を傾けず、義務も知ら ず、私欲一辺倒に執着するは、水車をまるまる水中に 沈めたるが如し。共に社会の用を為さず。ゆえに人の 道は中庸を尊ぶ。水車の中庸はよろしき程に水中に入 れて、半分は水に順い、半分は流水に逆らって運転滞 らずに在り。人の道もそれと同じように天理に順いて 種を蒔き、天理に逆らって草を取る。欲に随うて家業 を励み、欲を制して義務を思うべきなり。 これは決議23-34に通じる言葉であります。すなわ ち、「ロータリーは、基本的には、一つの人生哲学で あり、それは利己的な欲求と義務およびこれに伴う他 人のために奉仕したいという感情とのあいだに常に存 在する矛盾を和らげようとするものである。」 この矛盾を和らげる考えがまさに尊徳の言う「中 庸」であります。「中庸」とは儒教における中心概 念の一つであり、過不足なく偏りのない考え方を意 味します。それはポール・ハリスの言う「ロータ リーは、親睦と奉仕の調和の中に宿る」すなわち 「harmony of fellowship and service」のharmony に当たる表現であります。「利己と利他との調和」 もまさに中庸の考え方であります。 また、二宮尊徳は「道徳なき経済は罪悪であり、 経済なき道徳は寝言である」とも述べており、日本 の資本主義の父と言われる渋沢栄一も「論語とそろ ばんというかけ離れたものを一つにするということ が最も重要だ」と述べ、「車に両輪が必要な如く、 単なる利益追求の一輪車では走れない。永続きしな い。道徳というもう一つの輪を備えた上での利潤で なければ、多くの信頼を得られない。また、真の繁 栄もあり得ない」と説いています。 ② 江戸時代の商人道 ― 近江商人の教え 近江の国・滋賀県出身の近江商人は日本三大商人 の一つとして、現在にもつながっています。その近 江商人の経営哲学として知られる「三方よし(※こ の言葉そのものは戦後の研究者が標語化したも の)」は、伊藤忠商事の創始者である初代伊藤忠兵 衛が近江商人の先達に対する尊敬の念を込めて発し た「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何 れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなう もの」という言葉にあると言われていますが、「売 り手よし、買い手よし、世間よし」とは売り手の都 合だけで商いをするのはなく、買い手が心の底から 満足し、さらに商いを通じて社会に貢献しなければ ならない、という考え方であります。 また、その流れを汲む大丸の創業者である下村彦 右衛門も、「先義而後利者栄」、即ち、道義を優先 させ、利益を後回しにすることによって、事業は栄 える、を社是としています。まさにOne profits most who serves best.であります。ちなみに、大塩平八郎の乱による焼き打ちの罹災の中、大丸だけが その難を免れたのは、大塩が、先義後利を実践して いた大丸を、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と輩 下に命じたからと伝えられています。 さらに近江商人の経営哲学として、「利真於 勤」、利益はその任務に懸命に努力した結果に対する おこぼれに過ぎない、「陰徳善事」、自己顕示や見返 りを期待せず、人のために尽くす、がありますが、こ れらは宗教的な経済倫理を背景としたものでありまし た。近江商人の多くは浄土真宗の門徒であり、その宗 派においては、職業は主として阿弥陀仏への義務とし 以上、江戸期における日本のロータリー思想の原 点について触れてきましたが、それらは儒教や仏教 といった東洋思想がその土台となって、倫理観を構 成していました。 ④近代における指導者 明治になって、それまでの封建国家から近代国家 に成長していく中で、青年を鼓舞した書が中村正直 の1871年(明治4年)に出版された「西国立志編」 (イギリスの社会思想家サミュエル・スマイルズの 著「自助論(Self Help;with Illustrations of Character and Conduct)」の翻訳)でした。冒頭 の「天は自ら助くる者を助く」で有名なこの書は、 西洋の歴史上の人物数百人の成功談を述べ、勤勉、 忍耐、節約といった個人主義的道徳を説き、大きな 影響を与えました。そして、これによってそれまで の儒教中心の考え方に対して西洋的な考え方が広 まっていきました。 「西国立志編」と並んで、大きな影響を与えたの が1972年(明治5年)に出版された福沢諭吉の「学 問ノススメ」です。儒教思想しか知らなかった日本 に自由、独立、平等という民主主義の理念を説き、 新時代における身分は生まれではなく、学問を通じ た個人の見識によるものとし、「独立自尊」を訴え ました。すなわち「心身の独立を全うし、自らのそ の身を尊重して人たるの品位を辱めざる、之を独立 自尊の人と云う」と述べ、学問を修める過程で、 「智徳」とともに「気品」を重視しました。これら の書に共通するものは、封建制度を支えた儒学思想 からの脱却であったと言えます。 そして、もう一つ大きな影響を与えたのが1900年 (明治33年)に出版された新渡戸稲造の書である 「武士道」です。当初はアメリカで「Bushido the Soul of Japan」として英語で出版されたこの書は、 翌年、日本で出版され、大きな反響を呼びました。 留学中にベルギーの学者から「宗教教育がない日本 はどのようにして道徳を教えるのか」という問いに 答える形で書かれたこの書は仏教、神道、そしてと りわけ儒教の教えをもとにした「義・勇・仁・礼・ 誠・名誉・忠義」という道徳律から成る武士道を、 単に武士階級にとどまらず、広く人間形成における 普遍的規範として、キリスト教的倫理に比肩するも のと捉えました。 「士魂商才」という言葉を述べたのは、冒頭で触 れた渋沢栄一です。すなわち武士の精神と商人とし ての才覚を併せ持つことの大切さを強調した渋沢栄 一は、1916年(大正5年)「論語と算盤」という書 を著し、「富をなす根源は何かといえば、仁義道 徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永 続することができぬ」と述べ、道徳経済合一を唱え ました。道徳と経済を調和させる、すなわち理性と 欲望の調和は、まさに「中庸」の考えです。日本の 資本主義の父として約500社もの会社の設立に携 わった経済界の指導的立場にあった渋沢栄一は、 ロータリー創設期の当時の財界人に大きな影響を及 ぼしたと言えます。 日本に100年以上も続く企業が多いことに興味を 持ち、日本の経営者を研究したドラッカーはその著 「マネジメント」の中で、渋沢栄一の事について何 度も触れ、「彼は世界のだれよりも早く、経営の本 質は責任に他ならないことを見抜いていた」と述べ ています。 このような精神土壌の中で、1920年、日本にロー タリーが入ってきました。当初は単なる社交クラブ 的存在であった日本のロータリークラブは関東大震 災を契機にその存在意義がロータリアンの中で高 まっていきました。さらにロータリー哲学と日本に おける伝統的な東洋思想を踏まえた「大連宣言」が 戦前における日本のロータリー思想を明確に表して いるのであります。 日本のロータリーがRIを脱退した当時、2142名と いう会員は現在の当地区の会員数の8割にも満たな い数ですが、その少数精鋭なるがゆえに深川PDGの 著にある「戦前のロータリーは金平糖のロータ リー、戦後のロータリーは角砂糖のロータリー」と いうことになります。すなわち、金平糖は形はまち まちで不ぞろいだが、硬くてしっかりしていて噛ん でも簡単には崩れない、そういったロータリー哲学 がRIを脱退した後も脈々と続いた源泉であったと言 えます。まさにロータリアンとしての矜持でありま す。地区大会の指導者育成セミナーでは、ロータ リーへの造詣が深い山形・寒河江RCの鈴木一作 PDGによる「ロータリアンの矜持」と題した講話が あります。多くの方にインスピレーションを与える ことと思います。 富嶽三十六景 穏田の水車 葛飾北斎 2 2018-19 No.9 「心を求めて例会に至り、境地を得て例会を去る。」毎週一回の例会で自己研鑽に励み、 自己改善を図っていくのであります。このような親睦団体のことをロータリークラブと呼ぶのであります。
3月号の原稿を書き始めた時に、深川純一PDGの 訃報の一報が入りました。地区内だけでなく、日本 のロータリアンの精神的支柱として活躍された深川 PDGのご冥福を心よりお祈りいたします。深川 PDGは「ロータリーとは人類文化史が20世紀の時代 に刻印を打った職業人の最も優れた倫理運動であ る。」と述べられています。今月はそのことを踏ま えながら、日本のロータリー思想について触れてい きます。 1.日本のロータリー思想を表す大連宣言 深川PDGはまた「ロータリー日本史を時代区分し てみますと、戦前のロータリーは、思想を中心に ロータリーを理解しようとした時代であり、戦後の ロータリーは、定款・細則を中心にロータリーを考 えた時代と言えるのであります。」とも述べられて います。RI脱退後もリスクを冒しながら例会を続け た日本のロータリアンのロータリー思想はどのよう なものだったのでしょうか。 日本の初期ロータリーが広がっていった当時、 ロータリーの考え方の主流は、これまで述べた1915 年のロータリー倫理訓、並びに翌年のガイ・ガン ディカーのロータリー通解でした。すなわち倫理運 動としてのロータリー観であります。それを見事に 表現したのが、先月号で触れた大連RCの会員で あった古沢丈作の「大連宣言」です。大連宣言は ロータリー運動を次のように述べています。(前号 は原文を掲載していますので、それと照らし合わせ てみてください。) 1.ロータリアンは職業人である前に、道義(倫 理)を守る人でなければならない。職業人とし て経営に専心するのは、それによって世の中を よくするためであり、道義を無視して事業の成 功を求めてはならない。すなわち、最もよく奉 仕する者が最も多く満たされるのである。 2.まずは義務をしっかり果たし、自らの利益を 優先する前に、相手のためになるかを優先す べし。 3.特殊な機会に乗じたり、信義に反して暴利をむ さぼることは最も慎むべきことである。 4.義や信を重んじ、切磋琢磨し、互いが助け合 う。これがロータリーの本旨である。 5.互いに協力して、奉仕の理想のために行動をす る。これこそがロータリーの使命であり、その 存在意義があるのである。 5カ条から成るこの大連宣言は、ロータリーを倫 理運動として高らかに宣言したものであり、まさに 日本のロータリーの精神を表すものであります。す なわち初期の日本のロータリーにおいては、良質な 職業人として倫理の向上を中心とする運動であった と言えます。 2.日本のロータリー思想の原点 戦前の日本のジャーナリストであった土屋大夢 (元作・大阪RC)が、1921年、アメリカのロータ リークラブにおいて「ロータリー以前の偉大なる ロータリアン」というテーマで、二宮尊徳の教えに ついて、講演をしました。日本の先人達の教えの中 には東洋思想をもとに、倫理運動としてのロータ リー運動を受け入れる土壌がありました。以下、先 人達の教えについて述べていきます。 ①二宮尊徳 江戸時代後期の農村指導者であり、思想家であっ た二宮尊徳は、ロータリー哲学につながる話を語っ ての報恩とみなされていたからであります。 ③江戸期における商人道の指導者―石田梅岩 江戸時代においても不正な行為や悪徳商人は数 多く存在していました。そういう中で、江戸時代 の商人道徳教育の指導の役割を担っていたのが、 寺子屋制度と徒弟(丁稚奉公)制度でありまし た。そこでは商売の基本を教えるとともに生活規 範を指導し、儒教教育も行っていました。とりわ け、この寺子屋教育の普及は明治維新後、近代社 会の発達に貢献し、新しい西欧文明を吸収する土 台にもなりました。 そういう中で、商人道を唱道したのが石田梅岩で す。梅岩の中心的思想を表す「石門心学」は、金銭 第一主義に走りがちな商人に、人間として義理、人 情をはっきり自覚させ、商人の生活態度に 倫理観 を与えたと言えます。その著である「都鄙問答」の 中に次のような話があります。 一升の水に、油一滴入れる時は、一面に油の如く見ゆ。 ここを以てこの水用に立たず。売買の利もかくの如し。百 目の不義の金が九百目の金を皆不義の金にするなり と述べ、商人の持つべき倫理観について触れてい ます。たとえわずかな不正であっても、油が水の 表層を覆うようにすべてを台無しにする、「利を 求むるに道あり(利益を求めるために必要とされ る道徳がある)」と説くこの話は、不正のため消 えざるを得なくなった多くの企業に当てはまる教 えであります。 ています。「水車の話」という尊徳の話にはそれが ありありと描かれています。 水車は輪回するものだが、人の道も水車のようなも のと思えば良い。その形の半分は水流に順い、半分は 水流に逆らって回転する。もし、まるまる水中に入れ ば回らずして流さるべし。また、もし水を離れれば回 ることあるべからず。それ仏教にいう高徳、智識の如 く、世を離れ欲を捨てたるは、水車の水を離れたるが 如し。また凡俗が、教義に耳を傾けず、義務も知ら ず、私欲一辺倒に執着するは、水車をまるまる水中に 沈めたるが如し。共に社会の用を為さず。ゆえに人の 道は中庸を尊ぶ。水車の中庸はよろしき程に水中に入 れて、半分は水に順い、半分は流水に逆らって運転滞 らずに在り。人の道もそれと同じように天理に順いて 種を蒔き、天理に逆らって草を取る。欲に随うて家業 を励み、欲を制して義務を思うべきなり。 これは決議23-34に通じる言葉であります。すなわ ち、「ロータリーは、基本的には、一つの人生哲学で あり、それは利己的な欲求と義務およびこれに伴う他 人のために奉仕したいという感情とのあいだに常に存 在する矛盾を和らげようとするものである。」 この矛盾を和らげる考えがまさに尊徳の言う「中 庸」であります。「中庸」とは儒教における中心概 念の一つであり、過不足なく偏りのない考え方を意 味します。それはポール・ハリスの言う「ロータ リーは、親睦と奉仕の調和の中に宿る」すなわち 「harmony of fellowship and service」のharmony に当たる表現であります。「利己と利他との調和」 もまさに中庸の考え方であります。 また、二宮尊徳は「道徳なき経済は罪悪であり、 経済なき道徳は寝言である」とも述べており、日本 の資本主義の父と言われる渋沢栄一も「論語とそろ ばんというかけ離れたものを一つにするということ が最も重要だ」と述べ、「車に両輪が必要な如く、 単なる利益追求の一輪車では走れない。永続きしな い。道徳というもう一つの輪を備えた上での利潤で なければ、多くの信頼を得られない。また、真の繁 栄もあり得ない」と説いています。 ② 江戸時代の商人道 ― 近江商人の教え 近江の国・滋賀県出身の近江商人は日本三大商人 の一つとして、現在にもつながっています。その近 江商人の経営哲学として知られる「三方よし(※こ の言葉そのものは戦後の研究者が標語化したも の)」は、伊藤忠商事の創始者である初代伊藤忠兵 衛が近江商人の先達に対する尊敬の念を込めて発し た「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何 れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなう もの」という言葉にあると言われていますが、「売 り手よし、買い手よし、世間よし」とは売り手の都 合だけで商いをするのはなく、買い手が心の底から 満足し、さらに商いを通じて社会に貢献しなければ ならない、という考え方であります。 また、その流れを汲む大丸の創業者である下村彦 右衛門も、「先義而後利者栄」、即ち、道義を優先 させ、利益を後回しにすることによって、事業は栄 える、を社是としています。まさにOne profits most who serves best.であります。ちなみに、大塩
平八郎の乱による焼き打ちの罹災の中、大丸だけが その難を免れたのは、大塩が、先義後利を実践して いた大丸を、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と輩 下に命じたからと伝えられています。 さらに近江商人の経営哲学として、「利真於 勤」、利益はその任務に懸命に努力した結果に対する おこぼれに過ぎない、「陰徳善事」、自己顕示や見返 りを期待せず、人のために尽くす、がありますが、こ れらは宗教的な経済倫理を背景としたものでありまし た。近江商人の多くは浄土真宗の門徒であり、その宗 派においては、職業は主として阿弥陀仏への義務とし 以上、江戸期における日本のロータリー思想の原 点について触れてきましたが、それらは儒教や仏教 といった東洋思想がその土台となって、倫理観を構 成していました。 ④近代における指導者 明治になって、それまでの封建国家から近代国家 に成長していく中で、青年を鼓舞した書が中村正直 の1871年(明治4年)に出版された「西国立志編」 (イギリスの社会思想家サミュエル・スマイルズの 著「自助論(Self Help;with Illustrations of Character and Conduct)」の翻訳)でした。冒頭 の「天は自ら助くる者を助く」で有名なこの書は、 西洋の歴史上の人物数百人の成功談を述べ、勤勉、 忍耐、節約といった個人主義的道徳を説き、大きな 影響を与えました。そして、これによってそれまで の儒教中心の考え方に対して西洋的な考え方が広 まっていきました。 「西国立志編」と並んで、大きな影響を与えたの が1972年(明治5年)に出版された福沢諭吉の「学 問ノススメ」です。儒教思想しか知らなかった日本 に自由、独立、平等という民主主義の理念を説き、 新時代における身分は生まれではなく、学問を通じ た個人の見識によるものとし、「独立自尊」を訴え ました。すなわち「心身の独立を全うし、自らのそ の身を尊重して人たるの品位を辱めざる、之を独立 自尊の人と云う」と述べ、学問を修める過程で、 「智徳」とともに「気品」を重視しました。これら の書に共通するものは、封建制度を支えた儒学思想 からの脱却であったと言えます。 そして、もう一つ大きな影響を与えたのが1900年 (明治33年)に出版された新渡戸稲造の書である 「武士道」です。当初はアメリカで「Bushido the Soul of Japan」として英語で出版されたこの書は、 翌年、日本で出版され、大きな反響を呼びました。 留学中にベルギーの学者から「宗教教育がない日本 はどのようにして道徳を教えるのか」という問いに 答える形で書かれたこの書は仏教、神道、そしてと りわけ儒教の教えをもとにした「義・勇・仁・礼・ 誠・名誉・忠義」という道徳律から成る武士道を、 単に武士階級にとどまらず、広く人間形成における 普遍的規範として、キリスト教的倫理に比肩するも のと捉えました。 「士魂商才」という言葉を述べたのは、冒頭で触 れた渋沢栄一です。すなわち武士の精神と商人とし ての才覚を併せ持つことの大切さを強調した渋沢栄 一は、1916年(大正5年)「論語と算盤」という書 を著し、「富をなす根源は何かといえば、仁義道 徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永 続することができぬ」と述べ、道徳経済合一を唱え ました。道徳と経済を調和させる、すなわち理性と 欲望の調和は、まさに「中庸」の考えです。日本の 資本主義の父として約500社もの会社の設立に携 わった経済界の指導的立場にあった渋沢栄一は、 ロータリー創設期の当時の財界人に大きな影響を及 ぼしたと言えます。 日本に100年以上も続く企業が多いことに興味を 持ち、日本の経営者を研究したドラッカーはその著 「マネジメント」の中で、渋沢栄一の事について何 度も触れ、「彼は世界のだれよりも早く、経営の本 質は責任に他ならないことを見抜いていた」と述べ ています。 このような精神土壌の中で、1920年、日本にロー タリーが入ってきました。当初は単なる社交クラブ 的存在であった日本のロータリークラブは関東大震 災を契機にその存在意義がロータリアンの中で高 まっていきました。さらにロータリー哲学と日本に おける伝統的な東洋思想を踏まえた「大連宣言」が 戦前における日本のロータリー思想を明確に表して いるのであります。 日本のロータリーがRIを脱退した当時、2142名と いう会員は現在の当地区の会員数の8割にも満たな い数ですが、その少数精鋭なるがゆえに深川PDGの 著にある「戦前のロータリーは金平糖のロータ リー、戦後のロータリーは角砂糖のロータリー」と いうことになります。すなわち、金平糖は形はまち まちで不ぞろいだが、硬くてしっかりしていて噛ん でも簡単には崩れない、そういったロータリー哲学 がRIを脱退した後も脈々と続いた源泉であったと言 えます。まさにロータリアンとしての矜持でありま す。地区大会の指導者育成セミナーでは、ロータ リーへの造詣が深い山形・寒河江RCの鈴木一作 PDGによる「ロータリアンの矜持」と題した講話が あります。多くの方にインスピレーションを与える ことと思います。 記念時計と「交」モニュメント:加古川駅の北には 大きな時計が設置され、そこには四つのテストが刻 まれています。一方、駅の南東には「交」のモニュ メント、いずれも加古川中央RCの周年事業で寄贈 されたものです。
表紙の
紹介
近江商人と天秤棒 新渡戸稲造とメリー夫人 日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一 3 2018-19 No.9 ロータリーの親睦には感性的な親睦のほかに精神的親睦があります。これこそロータリーの親睦なのであります。ロータリーの親睦とはお互いに心と心を磨き合うことであります。3月号の原稿を書き始めた時に、深川純一PDGの 訃報の一報が入りました。地区内だけでなく、日本 のロータリアンの精神的支柱として活躍された深川 PDGのご冥福を心よりお祈りいたします。深川 PDGは「ロータリーとは人類文化史が20世紀の時代 に刻印を打った職業人の最も優れた倫理運動であ る。」と述べられています。今月はそのことを踏ま えながら、日本のロータリー思想について触れてい きます。 1.日本のロータリー思想を表す大連宣言 深川PDGはまた「ロータリー日本史を時代区分し てみますと、戦前のロータリーは、思想を中心に ロータリーを理解しようとした時代であり、戦後の ロータリーは、定款・細則を中心にロータリーを考 えた時代と言えるのであります。」とも述べられて います。RI脱退後もリスクを冒しながら例会を続け た日本のロータリアンのロータリー思想はどのよう なものだったのでしょうか。 日本の初期ロータリーが広がっていった当時、 ロータリーの考え方の主流は、これまで述べた1915 年のロータリー倫理訓、並びに翌年のガイ・ガン ディカーのロータリー通解でした。すなわち倫理運 動としてのロータリー観であります。それを見事に 表現したのが、先月号で触れた大連RCの会員で あった古沢丈作の「大連宣言」です。大連宣言は ロータリー運動を次のように述べています。(前号 は原文を掲載していますので、それと照らし合わせ てみてください。) 1.ロータリアンは職業人である前に、道義(倫 理)を守る人でなければならない。職業人とし て経営に専心するのは、それによって世の中を よくするためであり、道義を無視して事業の成 功を求めてはならない。すなわち、最もよく奉 仕する者が最も多く満たされるのである。 2.まずは義務をしっかり果たし、自らの利益を 優先する前に、相手のためになるかを優先す べし。 3.特殊な機会に乗じたり、信義に反して暴利をむ さぼることは最も慎むべきことである。 4.義や信を重んじ、切磋琢磨し、互いが助け合 う。これがロータリーの本旨である。 5.互いに協力して、奉仕の理想のために行動をす る。これこそがロータリーの使命であり、その 存在意義があるのである。 5カ条から成るこの大連宣言は、ロータリーを倫 理運動として高らかに宣言したものであり、まさに 日本のロータリーの精神を表すものであります。す なわち初期の日本のロータリーにおいては、良質な 職業人として倫理の向上を中心とする運動であった と言えます。 2.日本のロータリー思想の原点 戦前の日本のジャーナリストであった土屋大夢 (元作・大阪RC)が、1921年、アメリカのロータ リークラブにおいて「ロータリー以前の偉大なる ロータリアン」というテーマで、二宮尊徳の教えに ついて、講演をしました。日本の先人達の教えの中 には東洋思想をもとに、倫理運動としてのロータ リー運動を受け入れる土壌がありました。以下、先 人達の教えについて述べていきます。 ①二宮尊徳 江戸時代後期の農村指導者であり、思想家であっ た二宮尊徳は、ロータリー哲学につながる話を語っ ての報恩とみなされていたからであります。 ③江戸期における商人道の指導者―石田梅岩 江戸時代においても不正な行為や悪徳商人は数 多く存在していました。そういう中で、江戸時代 の商人道徳教育の指導の役割を担っていたのが、 寺子屋制度と徒弟(丁稚奉公)制度でありまし た。そこでは商売の基本を教えるとともに生活規 範を指導し、儒教教育も行っていました。とりわ け、この寺子屋教育の普及は明治維新後、近代社 会の発達に貢献し、新しい西欧文明を吸収する土 台にもなりました。 そういう中で、商人道を唱道したのが石田梅岩で す。梅岩の中心的思想を表す「石門心学」は、金銭 第一主義に走りがちな商人に、人間として義理、人 情をはっきり自覚させ、商人の生活態度に 倫理観 を与えたと言えます。その著である「都鄙問答」の 中に次のような話があります。 一升の水に、油一滴入れる時は、一面に油の如く見ゆ。 ここを以てこの水用に立たず。売買の利もかくの如し。百 目の不義の金が九百目の金を皆不義の金にするなり と述べ、商人の持つべき倫理観について触れてい ます。たとえわずかな不正であっても、油が水の 表層を覆うようにすべてを台無しにする、「利を 求むるに道あり(利益を求めるために必要とされ る道徳がある)」と説くこの話は、不正のため消 えざるを得なくなった多くの企業に当てはまる教 えであります。 ています。「水車の話」という尊徳の話にはそれが ありありと描かれています。 水車は輪回するものだが、人の道も水車のようなも のと思えば良い。その形の半分は水流に順い、半分は 水流に逆らって回転する。もし、まるまる水中に入れ ば回らずして流さるべし。また、もし水を離れれば回 ることあるべからず。それ仏教にいう高徳、智識の如 く、世を離れ欲を捨てたるは、水車の水を離れたるが 如し。また凡俗が、教義に耳を傾けず、義務も知ら ず、私欲一辺倒に執着するは、水車をまるまる水中に 沈めたるが如し。共に社会の用を為さず。ゆえに人の 道は中庸を尊ぶ。水車の中庸はよろしき程に水中に入 れて、半分は水に順い、半分は流水に逆らって運転滞 らずに在り。人の道もそれと同じように天理に順いて 種を蒔き、天理に逆らって草を取る。欲に随うて家業 を励み、欲を制して義務を思うべきなり。 これは決議23-34に通じる言葉であります。すなわ ち、「ロータリーは、基本的には、一つの人生哲学で あり、それは利己的な欲求と義務およびこれに伴う他 人のために奉仕したいという感情とのあいだに常に存 在する矛盾を和らげようとするものである。」 この矛盾を和らげる考えがまさに尊徳の言う「中 庸」であります。「中庸」とは儒教における中心概 念の一つであり、過不足なく偏りのない考え方を意 味します。それはポール・ハリスの言う「ロータ リーは、親睦と奉仕の調和の中に宿る」すなわち 「harmony of fellowship and service」のharmony に当たる表現であります。「利己と利他との調和」 もまさに中庸の考え方であります。 また、二宮尊徳は「道徳なき経済は罪悪であり、 経済なき道徳は寝言である」とも述べており、日本 の資本主義の父と言われる渋沢栄一も「論語とそろ ばんというかけ離れたものを一つにするということ が最も重要だ」と述べ、「車に両輪が必要な如く、 単なる利益追求の一輪車では走れない。永続きしな い。道徳というもう一つの輪を備えた上での利潤で なければ、多くの信頼を得られない。また、真の繁 栄もあり得ない」と説いています。 ② 江戸時代の商人道 ― 近江商人の教え 近江の国・滋賀県出身の近江商人は日本三大商人 の一つとして、現在にもつながっています。その近 江商人の経営哲学として知られる「三方よし(※こ の言葉そのものは戦後の研究者が標語化したも の)」は、伊藤忠商事の創始者である初代伊藤忠兵 衛が近江商人の先達に対する尊敬の念を込めて発し た「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何 れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなう もの」という言葉にあると言われていますが、「売 り手よし、買い手よし、世間よし」とは売り手の都 合だけで商いをするのはなく、買い手が心の底から 満足し、さらに商いを通じて社会に貢献しなければ ならない、という考え方であります。 また、その流れを汲む大丸の創業者である下村彦 右衛門も、「先義而後利者栄」、即ち、道義を優先 させ、利益を後回しにすることによって、事業は栄 える、を社是としています。まさにOne profits most who serves best.であります。ちなみに、大塩
平八郎の乱による焼き打ちの罹災の中、大丸だけが その難を免れたのは、大塩が、先義後利を実践して いた大丸を、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と輩 下に命じたからと伝えられています。 さらに近江商人の経営哲学として、「利真於 勤」、利益はその任務に懸命に努力した結果に対する おこぼれに過ぎない、「陰徳善事」、自己顕示や見返 りを期待せず、人のために尽くす、がありますが、こ れらは宗教的な経済倫理を背景としたものでありまし た。近江商人の多くは浄土真宗の門徒であり、その宗 派においては、職業は主として阿弥陀仏への義務とし 以上、江戸期における日本のロータリー思想の原 点について触れてきましたが、それらは儒教や仏教 といった東洋思想がその土台となって、倫理観を構 成していました。 ④近代における指導者 明治になって、それまでの封建国家から近代国家 に成長していく中で、青年を鼓舞した書が中村正直 の1871年(明治4年)に出版された「西国立志編」 (イギリスの社会思想家サミュエル・スマイルズの 著「自助論(Self Help;with Illustrations of Character and Conduct)」の翻訳)でした。冒頭 の「天は自ら助くる者を助く」で有名なこの書は、 西洋の歴史上の人物数百人の成功談を述べ、勤勉、 忍耐、節約といった個人主義的道徳を説き、大きな 影響を与えました。そして、これによってそれまで の儒教中心の考え方に対して西洋的な考え方が広 まっていきました。 「西国立志編」と並んで、大きな影響を与えたの が1972年(明治5年)に出版された福沢諭吉の「学 問ノススメ」です。儒教思想しか知らなかった日本 に自由、独立、平等という民主主義の理念を説き、 新時代における身分は生まれではなく、学問を通じ た個人の見識によるものとし、「独立自尊」を訴え ました。すなわち「心身の独立を全うし、自らのそ の身を尊重して人たるの品位を辱めざる、之を独立 自尊の人と云う」と述べ、学問を修める過程で、 「智徳」とともに「気品」を重視しました。これら の書に共通するものは、封建制度を支えた儒学思想 からの脱却であったと言えます。 そして、もう一つ大きな影響を与えたのが1900年 (明治33年)に出版された新渡戸稲造の書である 「武士道」です。当初はアメリカで「Bushido the Soul of Japan」として英語で出版されたこの書は、 翌年、日本で出版され、大きな反響を呼びました。 留学中にベルギーの学者から「宗教教育がない日本 はどのようにして道徳を教えるのか」という問いに 答える形で書かれたこの書は仏教、神道、そしてと りわけ儒教の教えをもとにした「義・勇・仁・礼・ 誠・名誉・忠義」という道徳律から成る武士道を、 単に武士階級にとどまらず、広く人間形成における 普遍的規範として、キリスト教的倫理に比肩するも のと捉えました。 「士魂商才」という言葉を述べたのは、冒頭で触 れた渋沢栄一です。すなわち武士の精神と商人とし ての才覚を併せ持つことの大切さを強調した渋沢栄 一は、1916年(大正5年)「論語と算盤」という書 を著し、「富をなす根源は何かといえば、仁義道 徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永 続することができぬ」と述べ、道徳経済合一を唱え ました。道徳と経済を調和させる、すなわち理性と 欲望の調和は、まさに「中庸」の考えです。日本の 資本主義の父として約500社もの会社の設立に携 わった経済界の指導的立場にあった渋沢栄一は、 ロータリー創設期の当時の財界人に大きな影響を及 ぼしたと言えます。 日本に100年以上も続く企業が多いことに興味を 持ち、日本の経営者を研究したドラッカーはその著 「マネジメント」の中で、渋沢栄一の事について何 度も触れ、「彼は世界のだれよりも早く、経営の本 質は責任に他ならないことを見抜いていた」と述べ ています。 このような精神土壌の中で、1920年、日本にロー タリーが入ってきました。当初は単なる社交クラブ 的存在であった日本のロータリークラブは関東大震 災を契機にその存在意義がロータリアンの中で高 まっていきました。さらにロータリー哲学と日本に おける伝統的な東洋思想を踏まえた「大連宣言」が 戦前における日本のロータリー思想を明確に表して いるのであります。 日本のロータリーがRIを脱退した当時、2142名と いう会員は現在の当地区の会員数の8割にも満たな い数ですが、その少数精鋭なるがゆえに深川PDGの 著にある「戦前のロータリーは金平糖のロータ リー、戦後のロータリーは角砂糖のロータリー」と いうことになります。すなわち、金平糖は形はまち まちで不ぞろいだが、硬くてしっかりしていて噛ん でも簡単には崩れない、そういったロータリー哲学 がRIを脱退した後も脈々と続いた源泉であったと言 えます。まさにロータリアンとしての矜持でありま す。地区大会の指導者育成セミナーでは、ロータ リーへの造詣が深い山形・寒河江RCの鈴木一作 PDGによる「ロータリアンの矜持」と題した講話が あります。多くの方にインスピレーションを与える ことと思います。 記念時計と「交」モニュメント:加古川駅の北には 大きな時計が設置され、そこには四つのテストが刻 まれています。一方、駅の南東には「交」のモニュ メント、いずれも加古川中央RCの周年事業で寄贈 されたものです。