序論 本研究は、教職員研修制度について、日本と韓国の現 状及び課題を明らかにし、両者を比較・分析するもので ある。 今日各国は、教育改革の一環として教員研修システム の革新を通した教育競争力の確保に努め、教員の資質能 力を持続的に向上させるよう教職経験に応じた再教育と、 現職研修の活性化等の政策を推進している。急激な社会 変化に積極的に対処するためには、適切な再教育を通し て新たな知識と情報、技術を習得し、教員の専門性と能 力の発展を図って行かなければならないことは、どの国 も共通的に認識している周知の事実である。 韓国ではここ数年、教員の資質能力の向上のため、生 涯周期による深化研修や義務研修履修制など、多様な教 員研修政策が導入された。また、教員のサバティカル制 度のような学習研究年制や今なお賛否両論が激しい教員 評価制を新たに導入し、教員の資質能力に応じた研修機 会の付与という方向へ研修政策を進めている。 このような教員の資質能力向上策や研修をめぐる状 況を踏まえ、本論文では、おもに日本の教職員研修制度 に着目する。日本の研修制度の現状や課題、取り組みを 明らかにし、韓国の状況との比較を通じて、最終的には、 改革期にある韓国の研修政策の今後の在り方についてい くつかの示唆を得ることを目的とする。 長年の研修制度の歴史のなかで、度重なる教育改革を 通して教員研修の体系化を図ってきた日本の研修制度の 変遷過程や現状について考察することによって、副次的 に韓国における研修制度の特徴や展望を示すことを目指 したい。 しかし、教職員研修制度というのは、非常に幅広い概 念である。本論文で教職員研修のすべてについて詳しく 論じることは困難であるため、 研究の対象と範囲を明確 にしておきたい。本論文が考察の対象とするのは、おも に教職員の大多数を占める「教員」の現職研修であり、 両国における研修制度の意義や展開過程及び研修体系に ついての比較考察が本研究の課題である。 それに加え、本研究の中心テーマと呼んでもよい、両 国間研修制度のなかで差異が著しい「法定研修制度」に ついての日韓比較を試みる。教職ライフステージに応じ た研修の流れの中で、日本の初任者研修及び 10 年経験者 研修に焦点を当てて論じ、最後に、指導力不足教員の指 導改善研修について論じることにする。 第 1 章 研修の意義 研修は、一般に職員が職務遂行に必要な知識、技能を 修得するとともに、思考、判断その他の人格的要素を研 鑽することにより、職務を適正かつ能率的に遂行する能 力を養うことを目的とする活動を言う。そのため、研修 は、職務遂行に求められる知的·技術的側面での能力の修 得向上を目指す「研究」という側面と、人間的·人格的側 面での成長や向上を求める「修養」をあわせたものだと も言われている。 教育公務員である教員の研修の意義も、究極のところ は「勤務能率の発揮及び増進」という地方公務員研修の 目的と変わりない。しかし、 教育公務員については、「教 育公務員特例法」において、一般の地方公務員に比較し さらに厳しい倫理規範が課せられており、また勤務態様 の特殊性から、一般の地方公務員には見られない規定が なされている。 つまり、教員にとって研修は権利であり 義務であるという特殊性をもっている。 韓国の場合も、法律的な記述には若干の差はあるが、 研修についての定義や教員研修の特殊性には日本と見解 を共にしているといえる。 ところで、変化の激しい社会において、教員は実に多 様な資質能力を求められているのである。したがって、 教員はこれらの資質能力を備えるために、その生涯にわ たって研究や修養に努めなければならない。また、初任 の教員と中堅教員では、各ライフステージに応じて学校 において担うべき役割が異なることから、各段階に応じ た資質能力を備えることが必要となる。そのため、各ラ イフステージにおける研修が必要になる。 韓国の「2010 年度教員研修の目標と重点推進方向」に よると、韓国の教員研修がめざす「ビジョン」として、 教員の授業専門性の引き上げおよび教育競争力の強化を
教職員研修制度の日韓比較研究
キーワード: 教員研修制度、資質能力向上、初任者研修、10 年経験者研修、指導力不足教員 教育システム専攻 李 惠敬掲げている。そのための政策目標は、教員の教職遂行能 力の伸長、研修運営の内実化、創意・人性教育の実現の ための教員研修強化、教員能力開発評価による誂えの研 修の実行である。 教員の授業専門性の引き上げおよび教育競争力の強 化というのは、教員の資質能力と不可分の関係にある。 こうした見地からは、両国の教員研修が目指すものが類 似しているといえる。しかし、日本のように、教員に求 められる資質能力の具体的例をあげたり、答申を出した りすることは、韓国ではあまりないと指摘できる。 第2章 研修制度の展開過程 現職研修の体系や本論に入る前に、日韓両国の研修制 度が歴史的にどのようにして今日の制度にまで至ったか を調べることが重要であろう。 日本の場合、教員「養成」教育の始まりは近代学校制 度が始まる明治時代までさかのぼるが、教員の現職教育 である「研修」という言葉が具体的な意味内容を伴って 定着するようになるのは戦後からである。 戦後、教育制度の全面的改革に伴い新教育の理念と方 法の徹底を図るとともに、教職員の資格、資質を高める ための再教育が全国的な規模をもって実施された。1986 年になって、臨時教育審議会は、教員養成・免許制度の 改善、初任者研修制度の創設など、教員の資質向上のた めのかねてからの懸案事項について基本的改革に関する 提言を行った。これを受けて、文部省においては、教育 職員養成審議会の審議・答申により、1988 年に「教育職 員免許法」、「教育公務員特例法」等の改正を経て、1989 年度から、教員免許制度の改正及び初任者研修制度の創 設を実施に移した。 2000 年代に入って、10 年経験者研修や指導改善研修 などの法定研修が義務づけられるほか教職大学院制度や 教員免許更新講習制度、また大学院修学休業などが導入 されるなど激しい変化を迎えている。 一方、韓国の場合、植民地時代から独立以後 1952 年 までは、事実上教員たちの再教育に力を入れる余力がな く、教員不足を解決するのが緊急であった。そのうえ、 正規教育を受けた韓国人教員も日本語による教育を受け たので、ほとんどが日本式教育に馴染んでいた。したが って、当時の教員研修プログラムも、専攻科目に対する 深い知識や教授方法等の改善よりむしろ優先的に韓国語 とハングルの正しい使用法を習い、日本式の教育理念と 思考方式を脱皮する教育から始まった。 1961 年の「教育公務員研修機関設置令」は、正式の研 修機関による研修が可能となった画期的な規定といえる。 同令により、文教部長官の所属下に教育行政研修院と教 育研修院を置き、国‧公‧私立の校長‧教頭‧教員を対象に 研修を実施することができた。 1964 年に制定された「教員研修院令」は、 資格研修 課程を 2 級‧1 級正教員課程、教頭課程、校長課程に体系 化し、資格取得以外の研修を一般研修と分類した。1989 年、従来の「教員研修院令」が全文改定され、大統領令 第 12891 号で「教員等の研修に関する規定」に替わった。 以後、現在まで 10 次の改定を経ながらも今日の教員研修 制度の柱として位置づけられている。 両国は第 2 次世界大戦後、同じく米国の支配あるいは 支援の下で、新しい教育制度を導入することになった。 この過程で米国から導入された民主主義理念に基づく新 教育理論などの普及に励んだ共通点がある。 しかし、植民地時代を経て新教育を等しく受け入れ、 出発線は一緒であったが、時代の変遷とともにかなり違 う研修制度になったことである。たとえば、日本は初任 者研修や十年経験者研修など教職経験に応じた研修が主 になっている一方、韓国は資格研修が主要な部分になっ ていることが指摘できる。 第3章 研修制度の体系 両国の研修制度システム全般について検討してみた。 日本の場合、内容的には、職位別·経験年数別の研修と専 門的研修に分けられる。また、研修の提供主体や研修形 態面から見れば、個人による自主的な研修、校内研修、 学校間研修、教育研究団体など各種団体グループによる 研修、行政機関や教育センター·大学(大学院)などが提 供する研修などがある。 法定研修として「初任者研修」や「10 年経験者研修」が あり、そのほか「5 年経験者研修」「20 年経験者研修」「生徒 指導主事研修」「新任教務主任研修」「校長研修」「教頭研 修」、さらに、教科指導や生徒指導に関する「専門的研修」 など、さまざまな研修がある。 現在韓国で行われている教員研修は一般的に、機関中 心研修、学校中心研修、個人中心研修に分けられるが、 そのなかでも機関中心研修が盛んになっている。機関中 心研修は、教育行政機関により計画‧推進される研修とし て、資格研修、職務研修、特別研修などがある。 両国の現行の教員研修体系について調べた結果、日本 の場合、教職経験による研修を中心に様々な研修が行わ れているに対し、韓国は教職経験よりも校長‧教頭‧1 級 正教員への進級や号俸の引き上げのための資格研修が中
心となっている。また、教員研修機関の役割と機能が重 なっており、 大部分の研修機関が資格研修および職務研 修を中心とすることが指摘できる。しかし、最近新たな 試みが行われ、教員学習研究年制などが施行し始めた。 第4章 初任者研修制度 日本における初任者研修制度の導入背景やねらいと 展開過程を踏まえつつ、今日的構造(拠点校方式など)の 内容や、これまでの調査結果や教養審答申で導入された 初任者研修において改善すべき点を明らかにした。 教員研修の中で、新任教員がまず経験するのが初任者 研修である。 養成教育の不備ないし不完全性を補いなが ら、まさに教員としての第一歩を円滑にスタートさせ、 しかもその後の長い教員生活の基礎を形成していくこと が初任者研修の目的とされている。 1988 年の地方教育行政法等の改定により創設された 初任者研修制度のねらいは、新任教員の資質能力の向上 のみではなく、これを通して初任者の成長を助けるため、 校内において協同体制を確立し、しかも全教職員が相互 に学ぶ機会を持つなど、学校全体の活性化に資すること と、指導教員が指導力等を高める機会を持ち、学校にお けるリーダー養成の基盤となること、現職教員の研修の 体系化への契機となることなどにあることも注目される。 この点は新任段階にふさわしい研修制度が不備である韓 国にとって、今後参考モデルになりうるに違いない。 日本の初任者研修においては、校内研修に週 10 時間 以上及び年間 300 時間以上、校外研修に 25 日以上を要す るのに比べ、韓国では単に校外研修で 5~6 日、30 時間 という短期間で新任研修が終わってしまうことが指摘で きる。さらに、新任予定教員に対し採用 1 カ月前に実施 するため、研修自体が学校現場の実情と連携されていな いという問題も浮き彫りとなった。 一方、日本の初任者研修導入の問題点として、研修時 間が多すぎると子どもとのふれあい時間が足りなくなる という問題を指摘することができる。また、個人の能力 に応じて自発的に行われるのではなく、一律的に研修を 強制化することには専門職である教職の観点から見ると 疑問が生じる。日本のように、全国一律で多くの時間を かけて行われている初任者研修を、各都道府県の状況に 応じて見直す必要があると思われる。この点、東京都の 初任者研修制度の新たな試行は、今後の改善策として望 ましい方向であろう。 日本の初任者研修制度は、新任教員に対する資質向上 を図ろうとする不断の試みや答申などを通して長く論議 されてきた歴史的過程があるからこそ可能となったとい っても過言ではない。今日、養成と研修との間に間隔が 出はじめた韓国においては、さらに、この分野において 先進的な日本の初任者研修制度が、韓国側に重要な示唆 を与えている。 第5章 経験者研修制度 日本における教職経験者研修制度、特に法定研修であ る 10 年経験者研修を中心とし、その特色および内容など について検討してみた。 初任者研修と 10 年経験者研修が法定研修として全都 道府県・市町村で行われているが、各都道府県・市町村 ではそれ以外にも教職経験年数に応じた研修を独自に実 施している。 2002 年 6 月に「教育公務員特例法の一部を改正する法 律」が公布され、2003 年 4 月 1 日から 10 年経験者研修 が制度化された。これにより、教員の資質能力の向上を 図る観点から、国立及び公立の小学校等の教諭等の任命 権者に対して、その在職期間が 10 年に達した後相当の期 間内に、個々の能力、適性に応じた 10 年経験者研修を実 施することを義務づけたものである。 10 年経験者研修の特色としては、個々の教員の能力· 適性などに応じて実施されること、事前評価や研修計画 の作成をする際に受講者に自己評価を行わせることが挙 げられる。 しかし、10 年経験者研修にも尐なくない問題点が指摘 されている。 教育活動の多忙化や免許更新のための講習 と重複など改善すべき点は尐なくない。 一方、韓国では、教職経験年数に応じた研修として最 近導入したばかりの「生涯周期別研修制」や「教員研修 義務制」は、資格研修のように法定研修にまではなって いない。 韓国の資格研修は 144~216 時間(18 日から 27 日の間)である。日本と同じく 20 日ほどの研修を受けた 後、韓国では 1 号俸の昇給と教頭資格へ近づくことがで きるメリットがある一方、日本の場合は単なる個人の専 門性の向上や得意分野を伸ばすことなどに意味があるの である。 どちらの方が望ましいかという評価はさておくとし ても、研修の効果が充分に検証されていないまま資格研 修を修了したことで一括進級させるなどの単純な処遇改 善には賛同し難い。研修結果の正確な検証及び評価、そ の結果による補償システムの構築は教員の資質能力を高 める効果的支援策の一つとして必要ではないかと考えら れる。
第6章 指導力不足教員の研修 今日、指導力不足教員の問題は、日韓両国において注 目されるようになった。 日本において指導力不足教員の 問題が生じることになった原因やその認定基準、対応シ ステムなどを明らかにすることによって、2010 年度から 教員評価を通した「能力向上研修対象者の選抜システム」 を導入したばかりの韓国への示唆を探ってみた。 指導力不足教員は、幅広い概念であるが、子どもの視 点からみると、学習指導、生徒指導、学級経営等おいて、 指導力を発揮できず、子どもたちへの責任が果たせない 者と定義づけられる。 指導が不適切な教員の認定は自治体ごとに運用のば らつきがあるとの指摘から、文部科学省は「指導が不適 切な教員に対する人事管理システムのガイドライン」を 策定し、2008 年 2 月各地方公共団体に示している。 このように、指導力不足教員に対する認定基準の明確 化が要求されることである。県ごとに異なる認定基準を 定め、市町村教委に指導力不足教員の割り当てを強いる ような様子になると、当該教員の反発はもちろん制度と しての存在基盤が失われかねないだろう。 また、現実的に指導力不足教員が存在するならば、指 導改善研修を通じ現場復帰する教員が多くなければなら ない。ところが、研修対象者のなか現場復帰する教員は 半分にも至らない実情である。指導改善研修が効果的研 修になるため、研修内容·方法の見直しや工夫が必要であ ろう。 しかし、指導力不足教員の問題というものは、時代や 社会経済の変化に大きく影響を受けているといえる。日 韓両国における指導力不足教員に対する今後の展開方向 は多岐にわたるため、同制度の改善のためにも今後より 一層互いの政策を比較研究する必要があると考えられる。 終章 本研究では、教員の現職教育という視点からまず、教 員研修制度の歴史的展開や変遷過程に重心をおいて論じ てきた。日韓両国の研修行政の歴史的背景や展開につい て検討することによって、今日の両国間の相違が構造的 に理解できた。両国はともに戦争を経験し、米国の援助 を受けて新教育を導入し、新教育理念を普及するなかで 教員研修が始められたという背景を共有している。 日本は、1980 年代半ば教員研修体制に新たな変化が始 り、現職研修については、教員としてのそれぞれの時期 に応じて適切な内容、方法により研修の機会を提供でき るようにするため、体系的な整備を図る必要があること から、1988 年に初任者研修制度が創設された。また、2003 年からは 10 年経験者研修制度が法定研修として導入さ れることにより、日本独特の教員研修政策を一貫して推 進してきたことや先進的に指導力不足教員問題に取り組 み、2007 年度から指導改善研修を設けているのは、注目 すべき点であろう。 一方、韓国では、独立から日本式の教育理念と思考方 式を脱皮する教員研修から始まった。このような混乱期 を経て、1970 年代に入り資格研修制度が体系化され始め た。以後、資格研修制度は若干の変化はあったが今日ま で韓国研修制度の中心となっている。 本研究で、 日本と韓国は教育文化の面で一定の共通性 を有している一方、教員の研修制度については大きく異 なっていることがわかった。制度そのものの差異より、 制度運営の在り方をめぐって、両国は互いに学ぶ点を豊 富に有する関係であることも本研究を通して改めて確認 できた。 研修制度改善のための審議会の運用、初任者研修制度 導入の検討、教職経験に応じた教員研修体系の見直し、 資格研修の見直し、校内研修の活性化など、本論で導出 した提言は、今後、韓国がどのような教員研修制度を構 築していくかということを模索するうえでの一助になる。 しかし、これらの提言を、具体的にどのように実現して いくかという細かい点については充分に論究することは できなかった。この点は今後の課題である。 主要引用文献 ・八尾坂修『学校改革の課題とリーダの挑戦』ぎょうせ い、2008 年 ・高倉翔∙八尾坂修編『企画·立案·運営に 役立つ初任者研修マニュアル』ぎょうせい、2005 年 ・ 鈴木義昭『教員改革-[問題教員]と呼ばれる彼らと過ごし た三年間』東洋出版、2006 年 ・佐藤晴雄『教職概論』、 学陽書房、2007 年 ・伊藤和衛編『教師教育の再検討 3 -現職教育の再検討』教育開発研究所、1986 年 主要参考文献 牧昌見編『教員研修の総合的研究』ぎょうせい、1982 年 ・八尾坂修『学校改善マネジメントと教師の力量形成』 第一法規、2004 年 ・日本教師教育学会編『日本の教師 教育改革』学事出版、2008 年 ・文部科学省の統計及び 資料 ・教育科学技術部の統計及び資料等