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哲学第 124 集 投稿論文 憐れみ から 良心 へ ルソ 倫理学の転換点 佐藤真之 De Pitié a Conscience L évolution de la Philosophie Morale de J.-J. Rousseau Masayuki Sato Ce texte tente d

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(1)

Title 「憐れみ」から「良心」へ : ルソー倫理学の転換点

Sub Title De "Pitié" à "Conscience" L'évolution de la Philosophie Morale de J.-J. Rousseau

Author 佐藤, 真之(Sato, Masayuki)

Publisher 三田哲學會

Publication

year 2010

Jtitle 哲學 No.124 (2010. 3) ,p.77- 107

Abstract Ce texte tente d'examiner á nouveau le sentiment de "pitié", jusqu'ici considéré comme l'une des notions les plus importantes dans l'interprétation de la philosophie morale de Rousseau. En pratique, en se focalisant sur le changement de la de´finition de la

"pitié" lors du parcours de l'approfondissement des pense´es de Rousseau, depuis le "Discours sur l'Origine et les Fondements de l'Inégalité parmi les Hommes" à "Émile ou De l'Éducation" (ou en clarifiant la définition de la "conscience", celleci apparaissant à nouveau dans ses pensées pendant cette évolution), ce texte tente d'identifier "l´évolution" la plus importante profondément liée à la base de la philosophie morale de Rousseau.

Cést la conversion radicale de la position éthique du "cons séquentialisme" comme le principe de non-nuisance (the harm principle) ("Fais ton bien avec le moindre mal d'autrui qu'il est possible") qui fait des conditions relatives la norme au sujet de l´équité d'un acte, en la "dé ntologie" ("Faisà autrui comme tu veux qu'on te fasse") qui fait de l´'egalité entre chaque individu un principe fondamental.

Notes 投稿論文

Genre Journal Article

URL http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koar a_id=AN00150430-00000124-0077

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De῏Pitie´ῐ◊a῏Conscienceῐ

ῌL’e´volution de la Philosophie Morale de J.-J. Rousseauῌ Masayuki Sato

Ce texte tente d’examiner anouveau le sentiment de pitie´, jusqu’ici conside´re´ comme l’une des notions les plus importantes dans l’interpre´tation de la philosophie morale de Rousseau.

En pratique, en se focalisant sur le changement de la de´fini- tion de la pitie´ lors du parcours de l’approfondissement des pense´es de Rousseau, depuis le Discours sur l’Origine et les Fondements de l’Ine´galite´ parmi les Hommesa Emile ou De l’Education(ou en clarifiant la de´finition de laconscience, celle- ci apparaissant a◊nouveau dans ses pense´es pendant cette e´volu- tion), ce texte tente d’identifierl’e´volutionla plus importante profonde´ment lie´e ala base de la philosophie morale de Rous- seau.

C’est la conversion radicale de la position e´thique du con- se´quentialisme comme le principe de non-nuisance (the harm principle) (Fais ton bien avec le moindre mal d’autrui qu’il est possible) qui fait des conditions relatives la norme au sujet de l’e´quite´ d’un acte, en lade´ontologie (Fais aautrui comme tu veux qu’on te fasse) qui fait de l’e´galite´ entre chaque individu un principe fondamental.

慶應義塾大学文学部非常勤講師 ῍倫理学῎

投 稿 論 文

ῑ憐れみῒ から ῑ良心ῒ へ

ῌῌ

ルソῌ倫理学の転換点

ῌῌ

佐 藤 真 之

77

(3)

は じ め に

ῌῌ

議論の照準

本稿の議論はῌ ルソ῎の著述のうちに現れる一つの ῑ矛盾ῒ に着目す ることから始まる῍ その ῑ矛盾ῒ とはῌ さしあたってῌ ῑ憐れみῒ (pitie´) なる概念の諸規定がῌ 彼の複数の作品のあいだでそれぞれに異なってお りῌ ルソ῎の思索をῌ テクスト横断的にῌ 一つの完 ῑ体系ῒ と見 なそうとするときにはῌ それらが両立しえないものであるという事実を指 している῍

予め断っておけばῌ このような ῑ事実ῒ そのものへの言及はῌ それほど 目新しいものではない῍ それはῌ もっぱら ΐ言語起源論῔ の執に関 する文献学的な考証῍῍つまりルソ῎の死後(1781)に公刊されたこの著 作の実際の ῑ完成ῒΐ不平等起源論῔ ῏1755公刊ῐ に先立つものとみ なすかῌ あるいはその後に位置付けるか῍῍においてῌ この論争に解決を もたらしうる最も有力な証拠の一つとして既に幾人かの研究者のあいだで 取り上げられῌ テクスト間の比較検討がなされている1 この論争の末にῌ ポルセがこの問題に与えた最終的な解答はῌ ΐ言語起源論῔ 内での ῑ憐れ みῒ に関する記述のῌ ΐエミ῎ル῔ ῏1762公刊ῐ におけるそれとの ῏ボ キャブラリ῎におけるῐ 類似からしてῌ この著作の完成が ΐ不平等起源 論῔ の公刊後から ΐエミ῎ル῔ の執筆に至るまでの中間の時期にあたると するものであった῍

ちなみにῌ ポルセは自身の見解を擁護するために次のような仮説を立て ている῍ すなわちῌ ルソ῎によって ῏ῑ自己愛ῒ とともにῐ 自然状態の独 立的な個人のうちに存するとされた ῑ憐れみῒ の感情はῌ 当初ῌ 万人が万 人に対して狼であるようなホッブズ的な自然状態観を ῑ打破するῒ ための 一つの反証事例として ΐ不平等起源論῔ に採り入れられた῍ この作品の段 階における ῑ憐れみῒ はῌ このごく限られた争点への一つの反応でしかな かったがゆえにῌ その発生の条件と作用のメカニズムについての理論的な ῑ憐れみῒ から ῑ良心ῒ

78

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整合性に未だ ῒ曖昧さΐ を残していたῌ と῍

確 か にῌ ῔不 平 等 起 源 論῕ の う ち で ῒ憐 れ みΐ はῌ ῒあ ら ゆ る 反 省 (refle´xion)に先ΐῌ 人間の ῒ唯一の自美徳ΐῌ つまり ῒ一つの自感情ΐ であると言われながらῌ それがそのまま同時に ῒ寛大ῌ 仁慈ῌ 人間愛ΐ そして ῒ親切や友情ΐ といった ῒあらゆる社美徳ΐ を生み 出す源泉であるともされており OI 1545 強調は引用者ῑῌ 自然的であ ることが ῒ前反省的ΐ (pre´-re´flexive)な状態ῌ すなわち全くの非 ῐ非 社会ῑ的な状態を意味するルソ῏の議論の前提῍῍ῒ憐れみによってῌ 私 たちはῌ 他人が苦しんでいるのを見ればῌ 何助けに行くΐ OI 155 強調は引用者ῑ῍῍からすればῌ ῐῒ憐れみΐ のῑ これら二通りの 記述のあいだにはῌ 何らかの ῒ架橋原理ΐ が存在しなければならないと考 えたくなる῍ ポルセの言うことに従えばῌ ルソ῏はここでῌ 人間のῒ自然ΐ からῒ社会ΐへの移行(passage)という回路をῌ 何の媒介もなしにῌ あまり にも性急かつ安易な仕方で接続してしまっているῌ ということになる2

だがῌ ῔言語起源論῕ に至ってこの ῒ憐れみΐ の規定にしかるべき ῒ修 正ΐ が施されたことでῌ この ῒ移行ΐ の問題が解されたとポルセは説明 する῍ 実際ῌ ルソ῏はこの作品において次のように述べることになる῍

社会的な感情はῌ 私たちの知識とともにῌ 初めて私たちのうちで発達 する῍ 憐れみはῌ 人間の心に自然なものではあるがῌ それを働かせる 想像力(imagination)がなければ永にとどまったで あろう῍ ῐLangues 395 強調は引用者ῑ

このような表現がῌ 一見して ῔不平等起源論῕ における ῒ憐れみΐ の規 定῍῍あらゆる ῒ反省ΐ に先立つ῍῍と齟齬をきたすものであるかのよう に思われるわけである῍ しかしながらῌ ルソ῏の理論(doctrine)はこう

して ῒそれほどシンプルではないがῌ ずっと明晰なものΐ になったῌ とポ

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ルセは言う῍ ここではῌ ῒ想像力ΐ が人間の ῒ自然ΐ から ῒ社会ΐ への移 行を媒介するものであると明言されておりῌ 自然においてあくまで潜在的 なものにとどまっていた ῒ憐れみΐ がῌ 実際には ῒ社会的な感情ΐ として 発現することになるῌ というわけである῍ ポルセによればῌ この ῒ想像 力ΐ こそがῌ ルソ῏の発見したῌ ῒ前反省ΐ から ῒ反省ΐ への途上にあっ て両者を繋いでいたであろうミッシングリンクなのである῍

だがῌ ポルセのようにῌ ῒ想像ΐ と ῒ反省ΐ をῌ ルソ῏によってそれぞ れ何らかの仕方で明確に区別された独立の概念であると解してῌ 彼の理論

における ῒ矛盾ΐ῍῍ポルセにとっては ῒ曖昧さΐ である῍῍の ῒ修正ΐ

をそ ῐつまりは複雑化した議論にῑ みとめるのには無理がある῍ 実際

῔言語起源論῕ のその他の箇所を見る限りῌ ルソ῏が両者を意識的に使

い分けていたと考えることさえ難しい῍ というのもῌ 上の引用は直ちに次 のような幾つもの語彙の入り混じった議論へと続いているからである῍

私たちはどのようにして憐れみに心動かされるのであろうか῍ 私たち 自身の外に身を置くことによってῌ つまりῌ 苦しんでいる存在に同化 する(se identifier)ことによってである῍ 彼が苦しんでいると判す るのでない限りῌ 私たちが苦しむことはないのであってῌ 私たちはῌ 自身のうちでではなくῌ まさに彼のうちで苦しむのである῍ この転移 がいったいどれほど多くの獲を前提としているか考えて ほしい῍ 私がそれについての何の観も持っていないような不幸をど のように想する(imaginer)というのであろうか῍ 他人が苦しんで いることを知りもせずῌ またῌ 彼と私のあいだに共通するものがある ということを知らなければῌ 他人が苦しんでいるのを見ながらῌ どう して私が苦しむだろうか῍ 決して反 (refle´chir)したことのない人 間 はῌ 寛 大 で も 公 正 で も 憐 れ み 深 く(pitoyable)も あ り え な い῍

Langues 3956 強調は引用者ῑ ῒ憐れみΐ から ῒ良心ΐ

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このように ῑ想像ῒῑ反省ῒ はῌ ルソ῎によってほとんど同義である かῌ 不可分のῌ 区別し難い言葉として用いられているのである῍ ではῌ ポ ルセがそのような証拠能力の定かならぬ材料を自身の主張῍῍彼にとって 結局 ῑ矛盾ῒ は存῍῍の決定的な裏付けとみなさねばならなかっ たのはなぜか῍ それはおそらくῌ ῑ憐れみῒ の定義にルソ῎が ῑ修正ῒ を 加えねばならなかった理由をῌ もっぱら単一の概念そにある ῏理論 上のῐ ῑ曖昧さῒ の問題にあるとみなしてῌ これをその他の ῑ道徳ῒ に纏 わる人間の感情を表す諸概念との連関における総体的な位置付けの問題の うちに見ようとしなかったからである3

実際ῌ ΐ不平等起源論῔ から最終的に ΐエミ῎ル῔ にまで至る ῑ憐れみῒ の定義の変遷のうちには4 ルソ῎の道徳理論においてこの概念の果たす 役割の根本的な変化とῌ それによって生じる各作品のあいだのほとんど修 ῑ矛盾ῒ が存在しているのである῍

したがってῌ 本稿の課題はῌ この ῑ矛盾ῒ をテクスト読解上のῑ所与ῒ として受け入れたうえでῌ 思想家が自身の用いる同一の語彙の一貫性に致 命的な支障をきたすような変更をあえて加えねばならなかった理由をῌ た んなる無用心や明晰さの欠如に帰すことなしに明らかにすることである῍

ただῌ こうした読解の姿勢はῌ ともすればῌ 思想家の操る概念の背後に 透徹した体系性の存在を見るというῌ 第一義的な ῑ解釈者の倫理ῒ に反す るもののように思われるかもしれない῍ しかしながらῌ 本稿がこうした読 解を貫くことによって証明を試みるのはῌ ῑ憐れみῒ の定義変更に象徴さ れるこの決定的な ῑ方向転換ῒ を行えばこそῌ 思想家がῌ その着想以来保 持し続けてきた ῑ問題意識ῒ そのものを見失うことなくῌ 思に一貫性を 保ってῌ ついには一種の体系的な表現を伴ってこれに応答することに成功 したῌ という事実なのである῍

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第一章 ルソῌ道徳感情論の再読

そもそもῌ ῒ憐れみΐ の定義変更によってルソ῏が解決を与えようとし た問題がῌ 本何であったのかはῌ 未だ明らかでない῍ その解明に取り 組むに際してῌ まずそこに何らかの糸口を見つけようとすればῌ ポルセが したのと同じようにῌ ῔不平等起源論῕ 以来のルソ῏の根本的な ῒ問題意 識ΐ を再び掘り起こすことから始めねばなるまい῍ これが本章における主 題となる῍ それはῌ おそらく ῒ対ホッブズΐ という部分的な表現にとどま らないῌ ῔エミ῏ル῕ にまで続くルソ῏固有の問題圏というものを明らか にするであろう῍

そのうえでῌ もう一度ῌ 各作品間のテクストの比較に立ち戻るのでなけ

ればῌ 上述の ῒ方向転換ΐ の意味とその射程を正確に測ることも困難なも

のとなる῍ ῒ憐れみΐ の定義変更はῌ おそらくその背後に存するであろうῌ 思想のより大きな深化の ῒ痕跡ΐ であるにすぎない῍ そうした観点に立っ たうえで初めてῌ 比較される諸῎のテクストのなかにῌ これまで見落とさ れてきたῌ その ῒ証拠ΐ を発見することもまた可能となろう῍

第一節 ῍自然本性῎ への回帰

周知のようにῌ ルソ῏はῌ 本来善 ῒ自然本性ΐ (nature)を持つ人間 が ῒ社会ΐ のうちでいかにして堕落したかῌ という議論を繰り返し展開し ておりῌ その前提となる議論の大まかな枠組みそのものは ῔不平等起源

論῕ から ῔エミ῏ル῕ に至るまで変わるところがない῍ まずは ῔不平等起

源論῕ の記述に拠りながら両作品の土台を成す ῐῒ自然状態ΐ から ῒ社会 状態ΐ に至るῑ 共通の筋書きを概括しῌ 道徳に纏わるさまざまの感情を展 開の軸としてこれを振り返ることにしよう῍ そのなかでῌ ῒ憐れみΐ の感 情のῌ この作品における固有の存在意義を際立たせるようῌ 改めてテクス トを詳細に追跡する῍

ῒ憐れみΐ から ῒ良心ΐ

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1755年に公刊されたこの作品はῌ もともと1753年にディジョンのア カデミ῏によって提起されたῌ ῒ人῎のあいだの不平等の起源ΐ を尋ねる 問いへの応答として構想されたものである῍ ルソ῏はこの論題そのものか ら大いにインスピレ῏ションを得てῌ その後彼の思想の一貫した主題とな る議論にこれを反映させている῍

ῒ不平等の起源ΐ を論じるにあたってはῌ なによりまずその状態 をῌ つまり人間が ῒ平等ΐ でありえた状況を想定しなければならないはず である῍ そこでルソ῏は ῒ自然状態ΐ をこの ῒ平等ΐ の状態であると定義 しῌ あたかも人類の進化を遡るようにῌ 思考のうちで ῒ現代人ΐ からその 特条件や属性 ῐ後天的な情念ῌ 知識ῌ 技術ῌ または身分ῌ 地位ῌ 民 族ῌ 人種といった諸῎の社会的構成物῍῍こうしたものから生じる差は 決して ῒ人間ΐ の所与ではないのであるから῍῍ῑ を剥ぎ取っていく῍ 人 間が ῒ自然本性ΐ の状態に戻るのはῌ この方法的な ῒ回帰ΐ5 が人間に

ῒ普遍的ΐ な特性に到達したときである῍ ῒ自然本性ΐ という人間の共時的

基礎の抽出の過程がῌ ここでは歴史という人類の通時的基礎への遡及との アナロジ῏になっているのである6

ルソ῏によればῌ これは ῒ人間の現在の性質のなかに根源的なものと人 為的なものとを識別しῌ さらにῌ もはや存在せずῌ かつて存在したこと もなくῌ おそらくこれからも存在しないであろう一つの状態ῌ しかもῌ それについての正しい観念を持つことが私たちの現在の状態をよく判断 するために必要であるような状態を十分に認識するΐ ための方法である

(OI 123) このようなやり方によって初めてῌ 全ての人間が同じ条件の下

に存在しているであろうようなῌ あらゆる考察の出発点となる状態ῌ つま りῌ 人 ῒ平状態が現れる῍

こうした思考実験の末にῌ ルソ῏は自 ῒ未開人ΐ (l’homme Sauvage)すなわち ῒ自然人ΐ (l’homme naturel)像をあえて具 体的に描写することを試みῌ そこで彼らに必要とされた能力がῌ 現代人に

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比してῌ いかに限られたものであったかを強調することになる῍ 文明化し た人間にとってῌ 自然状態とはῌ いかにも何かが欠落した状態である῍ し かしながらそれはῌ 何かが欠した状態ではない῍

社会の基礎を検討した哲学者たちはῌ みな自然状態にまで遡る必要を 感じたがῌ 誰もそこに到達することはなかった῍ ῐῐ結局誰もがῌ た えず欲求ῌ 貪欲ῌ 抑圧ῌ 欲望や傲慢について語ってはῌ 社会のなかで 得た諸観念を自然状態のうちに移し入れていたのである῍ 要するにῌ 彼らは未開人について語りながらῌ 社会人を描いていたのである῍

(OI 132)

ルソ῏の言う自然状態においてはῌ 各人が ΐ自足῔ 可能な環境にありῌ 自分の必要を満たすために他人の助けを求めることもなかった῍ したがっ てῌ この独立的な個人は未だいかなる ΐ社会的῔ な欲求や感情ῌ 観念も持 ち合わせていなかったと考えねばならない῍ ΐ未開人῔ において純粋に生 ῑ自 であったと考えられうる性質とはῌ まず ΐ自己保存῔ のた めのごく限られた必要に基づく ΐ自己愛῔ (amour de soi-meˆme)の感情 である῍ ときに彼の脳裡に何らかの観念が浮かんだとしてもῌ それは彼の 保存の欲求 ῑである ΐ自己愛῔ῒ に応じたῌ 具体的ῌ 個別的な対象につい てのものに限られていたであろうからῌ それらを比較したり推論に用いた りする ΐ理性῔ の働きもまだ極めて単純なものにとどまっていたであろ う῍ ΐ未開人はῌ あらゆる種類の知識を欠いておりῐῐ彼の欲求はῌ その 肉体的な必要以上に出ることはな῔ かったのである(OI 143)

語の厳密な意味における ΐ自然状態῔ とはῌ このような個῎人の自足的 な ΐ平等῔ΐ非社交῔ の状態を指している῍ そして ΐ未開人῔ とはῌ そう した状態を生きるのに足るだけのῌ ほとんど最しか持たない存在 のことでありῌ それだけが考えられうる限りにおいて純存在として ΐ憐れみ῔ から ΐ良心῔

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ΐ人間῔ に共通の性格 ῑ普遍性ῒ を担保しているῌ ということになる῍

第二節 ῌ自尊心῍ の発生

さてῌ 人間精神の発達に第一に作用しῌ 未開人を自然状態の無垢から引 き離すのは ΐ他人῔ である῍ ΐ社会῔ はῌ 少なくともその最も原初的なも のについてはῌ それを作ろうと望んだ人῎によって作られたのではない῍

偶然による環境の変化7が未開人同士を引き合わせῌ 互いに ΐ依存῔ する ことを強いたのである῍ そしてῌ 彼らは互いに発達せざるを得なかったの である῍

ここでῌ 自己保存のための自然的感情であった ΐ自己愛῔ がῌ 自分とそ の他の人῎とを比較する ΐ理性῔ に刺激を受けて ΐ自尊心῔ (amour

propre)という非自然的な情念に変質する ῑもしくはῌ 自然な感情とは区

別されるもう一つの後な情念8が人間の心のうちに分岐するῒ とル ソ῏は言う῍ およそ全ての ΐ不平等῔ 現象の根底に潜むものであるという 点ではῌ この情念の発生こそがその真の起源でありῌ 人῎の堕落を生む原 因である῍

自尊心と自己愛とを混同してはならない῍ この二つの情念はその性質 からしてもその効果からしても非常に異なったものである῍ ῐῐ自尊 心は社のなかで生まれる相 (re´latif)でῌ 人為的(factice)な感 情にすぎずῌ それは各個人に自己を他の誰よりも重んじるように仕向 けῌ 人῎に互いに行なうあらゆる悪を思いつかせるῐῐこうしたこと がよく理解されればῌ 私たちの原始的な状態ῌ 真の自然状態において は自尊心は存在しないと私は言おう῍ というのもῐῐ自分の力の及ば ない比較ということにその源を発する感情がῌ 彼の心のなかに芽生え るなどということは不可能だからである῍ ῑOI 219, note.: 強調は引 用者ῒ

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この ῒ自尊心ΐῒ相対性ΐ はῌ いわば即な存在であった ῒ未開 人ΐ がῌ 対ῒ自我ΐ として自らを眺めるようになるという意識構造 の変化 ῐ社会化ῑ に起因するものである9 つまりῌ 一般に ῒエゴイズムΐ と呼ばれるものはῌ ルソ῏にとってῌ ῒ反省ΐ を引き鉄として生じる一つ の後な属性であるにすぎないのである῍ ῒ自尊心ΐ という情念はῌ ῐ強 弱ῌ 貧富ῌ 貴賎等῎ῑ 他人と自分との立場を階層的な上下関係のうちに捉 えῌ その上下いずれかに己の身を置くときにその都度感じられるものであ りῌ それゆえに欲望を自己保存の必要を超えて際限なく増殖させる原因と なる10 ホッブズが ῒ自然状態ΐ として描写したのはῌ この ῒ自尊心ΐῒ自尊心ΐ に対する闘争の尽きることのない ῐそれ自体社であるよう なῑ ῒエゴイズムΐ の世界であったことになる῍

第三節 ῎不平等起源論῏ における ῌ憐れみ῍

῔不平等起源論῕ において ῒ憐れみΐ が登場するのはῌ そのような ῒ自

尊心ΐ の支配する社会においてなおもῌ ῒ自尊心ΐ から引き出されるまが い物の道徳11とは別の仕方でῌ そこに生きる人間の心に直働きかけるῌ 道徳的行為の純粋な動機が ῐ生得的なものとしてῑ 存在することをルソ῏

が証明しようとする文脈においてである῍ ῒエゴイズムΐ に先立つ独 な個人に具わる道徳的な感情とはいかなるものであろうか῍ それこそῌ ῒ自然人ΐ のうちに普遍的にみとめられる本性の ῒ善良さΐ (bonte´)にル ソ῏の与えた最初の具体的な表現であるということになろう῍

自尊心を生むものは理性でありῌ それを強めるものこそが反省であ る῍ 人間にῌ 自分のことばかり振り返らせῌ 己を煩わせ苦悩させる全 てのものから彼を隔離するものがまさに反省なのだ῍ 要するにῌ 哲のである῍ 苦しむ人の傍らでῌ 死にたければ 死ねばいいῌ 私は安全だῌ と密かに言うのは哲学のおかげなのだ῍

ῒ憐れみΐ から ῒ良心ΐ

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哲学者が 自分と殺される者とを同 (identifier)を押しとどめるには 耳に両手をあてて ちょっとした理屈をこねさえすればいいのだ 未開人はそんな結構な 才能を全く持ち合わせていない 知 彼 はいつも軽 喧嘩を分けて 紳士諸君が殺し合いをしないようにしてやるのは 身分の卑しい者で あり 市場の女たちである OI 156 強調は引用者

最も堕落した習俗 たとえば哲学 でさえ破壊することが難しく そ のうちにあってなおも人間を無私の行為へと駆り立てる 人類の最初の感 情 とは 憐れみ のことである ルソによれば これは ある状況に おいては 人間の自尊心の貪婪さを鎮めるために また この自尊心の発 生以前には 自己保存の欲求 自己愛 を鎮めるために与えられた原理 であり その内実は 同胞の苦しむのを見ることへの生得的な嫌悪感 で あるという(OI 154) 現実に社会において各人の道徳的な振舞いにさま ざまの程度の差が見られるのも この原理が人間の心理に及ぼす 残して いる 影響の大きさの違いによる というわけである

ただ 上の引用のうちで語られているとおり この 嫌悪感 の現れに は 常に同時に 自分と苦しむ者との 同一化 という心的作用が伴って おり 憐れみ を自然な感情であると断言するルソの真意は まさに こうした要素の自についてのより明解な説明を抜きにして 容易に汲 み取ることの不可能なものに見える そこで彼は 憐れみ における 一化 の作としての側面を強調する際にこれを 同情 という言葉に置 き換えて 次のような主張を展開しているのである

同情(commise´ration)とは 苦しむ者の立場に私たちの身を置く感 情で それは 未開人のうちでは不分明な(obscur)

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ものであってもいきいきとしている しかし 文明人にとっては解明 された(de´veloppe´)ものであっても弱しいものである 事実 同情は 傍で見ている動物が 苦しんでいる動物と内面で深く(in-

timement)自らを同一化すればするほどますます力強くなるであろ

う だから 次のことは明白である すなわち このような同に違いない OI 155 強調は引用者

理性と知恵とが あたかも人が耳を塞ぐように内面の自然を取り囲み 反省は その向おうと欲するところからむしろ自身を遠ざける 自尊心の 持つ構造的な特徴と こうした精神の働きが 全て人間を互いに 差異 化 する傾向を持つものであり 実際に社会のうちで身につける諸の特属性のうちに個人を閉じこもらせるものであるのだとすれば 文 明人 でも 哲学者 でもなく むしろ 未開人 こそが いとも容易く 他人 の境遇 に自己を 同一化 することができるという主張は ル ソの 自然本性 からほとんど自明の事柄として導かれるもので あることがわかる

つまり 未開人 の姿は 定義上 極限まで平等化された 自然人 の描写であるのだから 互いに極のである 彼らのあい だには もはや自他の垣根が存在しない 自然状態を生きる 未開人 は 逆説的な表現ではあれ 社交性 を剥ぎ取られた存在であるがゆえ に いかなる障碍もなしに 同情 しあう 憐れみ は もともと たちのように 弱く またそれだけ多くの不幸に陥りやすい存在にふさわ しい素質 であり 人間が用いるあ な感情なのである OI 154 強調は引用者

したがって 不平等起源論 における 憐れみ の規定をめぐって ポルセがその 曖昧さ῍῍すなわち 憐れみ によって人間の 自然か 憐れみ から 良心

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ら社会への移行ΐ がῌ 何の媒介もなしにῌ あまりにも性急かつ安易な仕方 で行われているῌ というルソ῏の議῍῍とみなしたもの はῌ ῒ自然状態ΐ をめぐる以上のような理論的前提を無視した読解に基づ くものである῍ ルソ῏にとって ῒ憐れみΐ はῌ ῒ苦しむ者の立場に自分の 身を置く感情ΐ であると表現されながらもῌ 相変わらずῌ たんに個ῒ自然ΐ のうちで自己完結するかῌ あるいはῌ ῒ自へΐ と向う感 情で 確かにῌ この ῒ同情ΐῒメカニズムΐ について

はῌ それが ῐ二人以上のῑ ῒ未開人ΐ のうちで ῒ何の媒介もなしにῌ あま

りにも性急かつ安易な仕方でΐ なされるῌ という以上に正確で具体的な描 写はできまい῍ しかしῌ それによって ῒ自然人ΐῒ社会ΐ に出るという ことにはならないのである῍῍῔不平等起源論῕ においては῍

この作品のうちではῌ 人間の ῒ自然から社会への移行ΐ がῌ ῒ憐れみΐ によって成し遂げられることはない῍ 彼にとってῌ 少なくともこの時点 でῌ ῒ自然ΐ と ῒ社会ΐ を繋ぐ ῒ架橋原理ΐῒ自とは考えられていなかったのである12῍ ῒあらゆる社な美徳ΐ でさ え ῒ憐れみΐ から生じるῌ であるとかῌ この感情が ῒ種 といった記述は OI 1556 強調は引用者ῑῌ それだけを見れ ば確かに読者を戸惑わせるものであるがῌ これらはむしろその逆説性を際 立たせるレトリックである῍ ῒ憐れみΐ が人間の利の淵源であ りῌ それがどんなに多大な社会的効用を生み出すにしてもῌ それらは相変 わらず独立的な ῒ個 の感情に発する行為の派であることに変 わりはない῍ このことはῌ 既に作品の序文でも予め強調されていたことで ある῍

人間の魂のῌ 最初の最も単純な働きについて省察してみればῌ 私はそ こに理性に先立つ二つの原理が認められるように思う῍ 一方はῌ 私た ちの充足と自己保存とに強く関心をもたせるものでありῌ 他方はῌ あ

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(15)

らゆる感性的な存在 なによりも私たちの同胞が死んでいくのを あ るいは苦しんでいるのを見ることに自然な嫌悪をもよおさせるもので ある そ人間の魂の 最初の最も単純な働きに (sociabilite´) これら二つの原理を私たちの 精神が協働させたり 組み合わせたりすることができる状態にあるこ とから まさに自然法のあらゆる規則が生じてくるように私には思わ れる 人間は同という内的な衝動に少しも逆らわない限り 他 の人間に危害を加えたりしないであろう OI 1256 強調は引用 者

そもそも 社会的な要素を徹底的に排除した末に現れる 自然 に 何 らか社会的な要素を再び潜り込ませたうえでそれを掘り起こすなどという のは滑稽な議論でしかない13

第四節 ῌ不平等起源論῍ における道徳感情論の帰結

さて 不平等起源論 における 憐れみ の位置付けをこのように 辿ってきたところで ルソの道徳理論にある根本的な 問題意識 を明 確にすることがどの程度可能となるであろうか 本章の最後に考察を加え なければならない点を以下の二つの問いに整理しよう 一点目῍῍憐れ み の普を謳いながら 道徳 の社会的起源 人間は本来的に社会 的動物である といったテゼ をルソが頑なに拒絶し 個自然 本性 にこれを基づかせようとした背景にはどのような意図が存在したの か 二点目῍῍不平等起源論 の試みが 結局その意図に対してどれほ どの確度をもって応ずることができたのか

1) 道徳感情論の着地点

まず ポルセに倣って ホッブズを主たる論敵とした 性悪説的な自然 憐れみ から 良心

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(16)

状態観に対する ῒ憐れみΐ のアンチテ῏ゼとしての役割をῌ ῒ道徳ΐ ない し ῒ社会 ῐ秩序ῑΐ の理῍῍ ῒ哲学者たちΐ によって ῒ自然法ΐ と呼ば れるものの理論῍῍の成り立ちの比較を通して考えてみよう῍

先に見たとおりῌ ルソ῏はῌ ῒ哲学者たちΐ が ῒ自然状態ΐ にまで遡る 必要を感じながらῌ ῒ社会の基礎ΐ たる自然に社会のなかで得た諸観念を 移し入れて理論を捏造したことを非難した῍ ῒ真の自然状態ΐ においては 存在しえないものῌ つまり社会のなかで生まれる相対的でῌ 人為的な要素

῍῍ルソ῏によってそれらは ῒ自尊心ΐ という語のうちに集約される῍῍

をῌ 彼らは構築さるべき ῒ社会ΐ の基礎となる ῒ個人ΐ にとっての所与の 性質としたのである῍

しかしῌ ῒ相対的なものΐ からῌ それがあたかも ῒ絶対的ΐ で揺るがし 難い基礎であるかのようにして作られた ῒ社会ΐ はῌ そのじつ砂上の楼閣 であるにすぎず14ῌ ῒ絶対性ΐῒ普遍性ΐ とを欠いたそのもの でしかない῍ そこにはῌ 力の偏在 ῐ不平等ῑ とῌ その特殊な状況において のみ維持されうるような ῒ秩序ΐ がある῍ ホッブズにとっての ῒ自然状 態ΐ が ῒ戦争状態ΐ でありῌ 彼の提案する ῒ社会状態ΐῒ平和ΐ がῌ 元 の状態に復する可能性と常に隣り合わせのものであることはῌ その一つの 例であるにすぎない15

つまりῌ ῒ人῎のあいだの不平等ΐ の哲学的な ῒ起源ΐ はῌ ῒエゴイズ ムΐ に陥る中途半端な ῒ自然本性 ῐ観ῑΐ にあった῍ 理性と反省と自尊心

῍῍これらが ῒエゴイズムΐ を生み出す要素であってῌ ῒ自然本性ΐ のリ ストからのその排除はῌ ῒエゴイズムΐ から捻出された近代の ῒ哲学者た ちΐ の ῒ理論ΐ とῌ これを後ろ盾とする ῒ社会秩序ΐ そのものに対するラ ディカルな批判に直結しているのである῍

そして ῒ憐れみΐ はῌ このような批判から出発したルソ῏がῌ こんどは

自身の展開する道徳理論に ῒ普遍性ΐ を担保すべくῌ 人間の ῒ自然本性ΐ のうちに見出した生得的感情である῍ この感情がῌ ῒ未開人ΐ の体現する

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(17)

自然状態の ῑ平等性ῒ に密接に関連するものであることは既に見た とおりである῍ これを個別的な行為の観点から見ればῌ 社会のなかで観察

される ῑ憐れみῒ の痕跡は全てῌ 個人が本来的には ῑ平等ῒ であることの

証拠 ῏顕れῐ であるということになる῍ だから日常の道徳的実践におい

てῌ 人は ῏奇妙な言いかたではあるがῐ その都度 ῑ平等ῒ を実現している

はずでありῌ あらゆる特殊な属性から逃れて ῑ普遍性ῒ の次元に接してい るのである῍

こうした議論を踏まえてῌ ルソ῎の道徳感情論は次のような着地点を見 ることになる῍ すなわちῌ ῑ憐れみῒという確たる自然的基礎の存在によっ てῌ 無条件的に人間を道徳的ῌ 利他的行為へと導く ῑ格率ῒ (maxime)をῌ まさに普遍的な法則として引き出すことができるῌ と῍

(Fais aautrui comme tu veux qu’on te fasse)というῌ かの崇高なῌ 理性に基づく正義(jus- tice raisonne´e)の格率のかわりにῌ 他 (Fais ton bien avec le moindre mal d’autrui qu’il est possible)というῌ 前者のものほど完全ではないがῌ おそら くいっそう有益なῌ 自然的な善良さによるもう一つの格率を全ての人 間の心に抱かせるのはῌ まさにこの憐れみである῍ (OI 156)

キリストの訓える ῑ黄金律ῒ の理想を差し置いてῌ 私的な利益追求が無 際限の欲望によって他人への侵害となるのを思いとどまらせているのはῌ 大抵の場合ῌ この ῑもう一つの格率ῒ に表現されるような人間の心理であ

る῍ いわゆる ῑ他者危害原則ῒ のような内容を持つこの ῑ憐れみの格率ῒ

はῌ 一切の ῑ反省ῒ に先立ちῌ したがってまた一切の ῑ社交性ῒ を持たな い独な個人をも隈なく包摂する起を持つがゆえにῌ まさに普遍妥当 的な法則として通用する ῏道徳を基 ものと言いうる῍

ῑ憐れみῒ から ῑ良心ῒ

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(18)

ついでに言えばῌ ῐこれと対照的にῑ ῒ黄金律ΐ の説くものはῌ いわば完 ῒ社交性ΐ の原理である῍ このような高次の精神はῌ ῒ未開人ΐ に とってその ῒ定義ΐ からして到達することの不可能なものである῍ 二つの 格率のあいだにあるのはῌ ῒ聖人ΐ のそれと ῒ未開人ΐ のそれとの違いな のである῍

2) 残された課題ῌῌῌ平等῍ の非対称

しかしῌ 以上のような一連の議論を辿って導かれた ῒ憐れみの格率ΐ とῌ この ῒ黄金律ΐ とのあいだにある隔にこそῌ ῔不平等起源論῕ の 段階におけるῌ ῒ倫理学者ΐ としてのルソ῏の思が現れていると は言えないだろうか῍

端的に言えばῌ 限界とはῌ 自然状態の ῒ平等ΐ を出発点にして開始され た議論がῌ その結果として ῒ平等ΐ に無なテ῏ゼ ῐῒ他人の不幸をで きるだけ少なくして汝の幸福をきずけΐῑ を着地点として閉じられているῌ ということにある῍ つまりῌ ῒ憐れみΐ の導く道徳の ῒ格率ΐ はῌ 社会に おける各人の行為に何らかの制限を課す規範的根拠とはなりうるもののῌ それに則って行為した結生じることになる個῎人の境遇に対しては何の 影響力も持たないのである῍

ただῌ それが依然として ῒ問題ΐ であると言いうるのはῌ ルソ῏のこの ような結論がῌ たんなる事についての考察の到達点ではなくῌ ῒ自 然本性ΐ による ῒ道徳の基礎付けΐ という権の到達点とされている からである῍ だから ῔不平等起源論῕ における彼の思索の ῒ限界ΐ はῌ 正 確に言えばῌ この ῒ憐れみの格率ΐ の規 彼の 議論の ῒ出発点ΐῒ着地点ΐ とのあいだのずに存するのである῍ これ を普基礎のもたらす相帰結という理論の ῒ非対称ΐ の問題と言い 換えてもよいであろう῍

この作品においてはῌ ῒ自尊心ΐ の発生とῌ 自他の ῒ差異化ΐ というそ 93

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の構造的特徴のみがῌ 人間の ῑ社会化ῒ の唯一の回路であった῍ これに対

して ῑ憐れみῒ に託された役割はῌ ῑ同情ῒ という自他の ῑ同一化ῒ の作

用によって ῑ自尊心ῒ に干渉しῌ 競ことでそれに歯止めをかけるこ とである῍῍ῑ普遍的基礎ῒ が効力を発揮するのはここまでである῍ しか しῌ こうした理屈をもってしてもῌ ῑエゴイズムῒ だけが真 ῑ社交性ῒ の原理であるというホッブズ的人間観とのあいだに本質的な違いが現れる わけではなくῌ ῑ自然ῒ が社会的行為のうちにもたらす影響もῌ 諸個人に

おける ῑ程度の問題ῒ に還元されてしまうのである῍

この理論の ῑ非対称ῒ についてῌ ΐ不平等起源論῔ が ῑ憐れみῒῑ自 尊心ῒ という対立する感情に ῏原理的レベルでのῐ 明確な力ῑ優劣ῒ を 付けられなかったῌ ということにその一因を窺うことができよう῍ この段 階における ῑ自然本性ῒ についてのルソ῎の考察はῌ その点でいまだ不十 分なものだったのである῍ ῑ自然人ῒ ῏ῑ未開人ῒῐ の定そのものについて は ῏方法的な ῑ回帰ῒ によってῐ 極であるというこ とに揺るぎはない῍ しかしῌ その ῑ同情ῒ のメカニズム ῏ῑ苦しむ者の立 場に自分の身を置くῒ ことῐ についての具体的な描写がこの作品において 乏しくῌ 曖昧にされたままであることがῌ かえってῌ 安易に ῏ῑ想像力ῒ といったῐ ῑ社交性ῒ に繋がる要素をそこに介在させることができないῌ というルソ῎の理論に固有のディレンマをありありと示すことになるので ある῍

第二章

憐れみ

から

良心

既成の ῑ理論ῒ に対する批判の文脈においてῌ その中心的な役割を担わ せるためにルソ῎が ῑ憐れみῒ に与えた独特の構造はῌ さらに新たな ῑ道 徳の基礎付けῒ という課題に向う思索のなかで普遍的な ῑ格率ῒ ῏道徳法 則ῐ を支える根拠として持ち出されることになるのであるがῌ ここで読者 にその行き詰まりを見せることになった16῍ ΐ不平等起源論῔ で展開され ῑ憐れみῒ から ῑ良心ῒ

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た議論からは 極限まで純化された 未開人憐れみ による 情 と 最も堕落した 文明人 たちの 自尊心闘争 とのあいだ にある 程度の ではない 質を明確に示すことができなかっ たのである この理論の 非対称 という 彼の思索に固有の 問題の解 決は こうしてルソによって後回しにされることになった 自然本性 の再考に基づいて 彼が エミル において 憐れみ の規定に変更を 施したのは まさに以上のような事情を踏まえてのことである と本稿は 考える 本章では 改めて エミル のうちで 憐れみ の感情につ いて記されたテクストを辿り その変遷の具体的な内容を確認していくこ とからこの考察の検証を始めたい

第一節 ῏エミῌルῐ における ῍憐れみ῎

不平等起源論 では 憐れみ の諸規定から注意深く 社会的 な要 素が取り除かれていた これに対し エミル での 憐れみ の扱い においては こうした努力は完ことになる むしろこの感 情は 自尊心 との構造的な共通点すなわち 社会的相対性を 強調されることで これと全く同列に置かれることになるのである 結局 のところ 不平等起源論 においてかろうじて保たれていた 自尊心 との理論上の区別も消滅し それらは 程度の差 に還元される

作中 青年エミルに去来する感情が彼の心を動かし 他人の不幸を憐 れむ場面には 想像 や 反省 がそこに不可欠の要素とされ 抽象的 な 観念 の比較の作用が明確にみとめられるようになる 憐れみ の 発生には 理性 の介在が前提とされねばならない ということをルソ は断言するのである17 ここには 確かにこの感情の定義のほとんど一八 度の転換がある

エミルはもう多くの観みているから 苦しむ者の前で

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何も感じないわけにはいかない῍ ῏῏こ῍ ῏῏憐 れ み は 最 初 に 人 の 心 を 動 か す 相で あ る῍

Emile 505 強調は引用者ῑ

そしてῌ ῒ憐れみΐ は ῒ自尊心ΐ の生ずるごく初期の段階においてῌ こ れと同様の ῒ相対的ΐ な構造的起源から派生する弱情念とされῌ ῐ理性 が狡猾さを得てῑ ひとたび ῒ自尊心ΐ が優となった後ではῌ 道徳的な振 舞いがこれら二つの感情のどちらに依拠するものであるかを判別すること はもはや不可能になる῍῍それらは常にさまざまな程度で混ざり合う῍ 次 のような主張はこのことをよく表している῍

はῌ 私たちを幸福な人間の地位に置いて考えさせるよりῌ むしろ 惨めな者の地位に置いて考えさせる῍ ῏῏憐 苦しんでい る者の地位に自分を置いてῌ その者のように自分が苦しんではいない という悦びを人に感じさせるからだ῍ ῏῏そういう心の動きにはῌ で きるだけ個を交えないようにすることが必要だとは言って おこう῍ 特にῌ 虚栄心ῌ 競争心ῌ 名誉心などῌ 私たちを他の人間と比 べさせるような感情を起こさせてはいけない῍ ῏῏とはいえῌ そうい う危険な情念はいずれにしても遅かれ早かれ生まれてくるῌ と人は言 う῍ 私はそれを否定はしない῍ ῏῏ただ私はῌ そういう情念が生まれ てくるのを助けるようなことをすべきではないとだけ言っておこう῍

Emile 50410 強調は引用者ῑ

それでもῌ ῒ憐れみΐ が社会のうちに現れる利他的振舞いの主要な動機

ῐ建て前ῑ としてその役割を演ずるであろうことに変わりはない῍ ただῌ

ῒ憐れみΐῒ自尊心ΐ とのこの理論上の同根性の明確化はῌ そから生 じる利他的振舞いがῌ エゴイスティックな利益の追求にとって二次的で派 ῒ憐れみΐ から ῒ良心ΐ

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