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南アジア研究 第29号 006古川 不可知「ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望」

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(1)南アジア研究第29号(2017年). 研究ノート. ネパール・ソルクンブ郡、 エベレスト南麓地域における 荷運びの苦痛と希望 ―「ローカル・ポーター」の分析を中心に―. 古川不可知 1 はじめに 1-1 本稿の目的 エベレストの南麓に位置するネパール東部のソルクンブ郡クンブ地方 は、トレッキング/登山観光の一大メッカとして知られている。車道の 無いこの山岳地帯において観光のロジスティクスを支えるのは、主とし て人力による運搬作業である。本稿の目的は、ネパール・ヒマラヤの山 間部で荷を運ぶとはいかなる営みであるかという問いを中核に、以下の 三点について論じることである。①山岳観光の発展に伴ってクンブ地方 の荷運び労働が階層化してきたこと、②周辺地域から当地へと流入し、 商店などの荷をキロ単価で運ぶ、 「ローカル・ポーター」と呼ばれる 人々の具体的な実践を報告すること、そして③ローカル・ポーターたち が、自らの仕事よりも相対的に「良い」とみなしているトレッキング・ ポーターへの参入に、荷運びを通した階層上昇の希望を見出しているこ とである。. 執筆者紹介 ふるかわ ふかち●国立民族学博物館 ・古川不可知、2016、「「仕事は探検」 ネパール・ソルクンブ郡、シェルパの村の 生業と変容」 、 『日本山岳文化学会論集』、14、55-66頁。 ・古川不可知、2015、「職業としての「シェルパ」をめぐる語りと実践」 、 『年報人間科 学』 、36、119-137頁。. 144.

(2) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 1-2 調査地概要 本稿が対象とするのは、ネパール東部に位置するソルクンブ郡のうち、 特に北部のクンブ地方である(図1) 。領内にエベレストを擁するクン 1. ブ地方はシェルパ族 の居住地であり、全域がサガルマータ(エベレス ト)国立公園として指定されている。ネパール有数のトレッキング/登 山観光地として世界的にその名を知られており、現在では年間3万人を 2. 超える外国人観光客が訪れる 。. 図1. クンブ地方およびパラック地方概略図. クンブ地方が観光地化する以前のシェルパ族の人々は、ジャガイモの 栽培とヤク飼養、およびチベットとヒマラヤ南面中級山地・低地を結ぶ 交易を主たる生業としていた。1950年代にネパール政府がそれまでの鎖 国政策を解いて外国人観光客を受け入れ始めると、1960年代初頭よりク ンブ地方にもトレッキング客が訪れるようになり、クンブに住むシェル パ族の人々は高所ポーターやガイドなどとして働くようになった。以降、 トレッキング・ブームとも相俟って観光客数は持続的に増加する[Stevens 1996, Nepal 2000 : 663] 。クンブ地方には、ガイドやポーターとして. 145.

(3) 南アジア研究第29号(2017年). の収入機会を求める他民族の人々も参集するようになり、彼らはその出 自に関わらず、しばしば「シェルパ」を名乗ってトレッキング/登山観 光に従事している。 クンブ南方のパラック地方に所在する標高2,840 m のルクラ飛行場か ら、標高5,364 m に位置するエベレスト・ベースキャンプの間を往復す る二週間程度の行程が最も人気のあるトレッキング・ルートとなってお り、沿道には観光客に向けて英語の看板を掲げるロッジや商店、あるい はネパール人を対象にした茶店などが並ぶ。乾季となる春(3月・4 月)と秋(10月・11月)が主要な観光シーズンである。トレッキング客 はガイドに導かれながらロッジを泊まり歩き、車道のない現地では多数 のポーターたちもまた観光客の荷や商店の品物を負って同じ道を往来し てゆく。 筆者は2013年1月から2016年11月にかけて、断続的に通算2年間にわ たってこの地域で調査を実施した。本稿が特に対象とするローカル・ ポーターについてはこの期間の折々にインタビューや観察をおこない、 特に2013年11月と2015年6月にはそれぞれ一週間ずつ彼らと完全に起居 を共にしてその生活を観察した。後述する質問紙調査は2015年6月 (ローカル・ポーター)と2016年10月(トレッキング・ポーター)に実 施したものである。調査には基本的にネパール語を使用し、必要に応じ て英語とシェルパ語を用いた。 1-3 ポーターに関する用語と概念について 現地でポーターを指す語には、クッリ(kullı¯:ネパール語/シェル 3. パ 語)、バ リ ヤ(bhariya¯:ネ パ ー ル 語) 、ク ル・ク ル・ミ(kur kur mi:シェルパ語) 、あるいは「シェルパ」 (Sherpa:ネパール語/シェ ルパ語)など、様々なものが存在する。このうちクッリは侮蔑的な意味 合いを含んでおり、ポーター本人の前では言うべきでないとされる。 もっとも中立的な語は、ネパール語で文字通り「荷物を運ぶ人」を意味 するバリ・ボクネ・マンチェ(bha¯ri bokne ma¯nche)であり、シェルパ 族の友人に調査計画を相談した際には、調査中はこの語を用いるべきと 助言された。なお「シェルパ」とは「民族」の名前であると同時に、エ ベレストをはじめとする登山隊の高所ポーターを指す。しかしながら現 在は、さまざまな出自や職種の人々がシェルパのイメージを利用するた 146.

(4) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. めにその名を名乗っており、とりわけ事情を知らない外国人のあいだで は、 「シェルパ」はエベレスト地域の観光産業で働く人々を包括的に指 す用語のように用いられることもある。 本稿が扱うトレッキング・ルート上の荷運びは、職務の内容によって 大きく二つに区分できる。a.ローカル・ポーター(またはビジネス・ ポーター) :キロ単価で仕事を請け負い、村々のあいだで商店やロッジ の荷物を運ぶ人々、および、b.トレッキング・ポーターやエクスペ ディション・ポーター:日単位で給与計算され、観光客についてトレッ キングや登山の荷物を運ぶ人々である。この職務に応じた英語による分 類語彙は現地の人々も用いているものの、実際の呼び方は文脈によって 多様である。特に現地のシェルパ住民の間では、多くの場合ローカル・ ポーターもトレッキング・ポーターもひとくくりに、本人のいないとこ ろではクッリ、本人たちの前ではバリ・ボクネ・マンチェと呼ばれる。 両者を区別する必要がある場合には、観光客の荷を運ぶ人間をトレッキ ング・ポーターと呼ぶ一方、 「ローカル・ポーター」についてはその荷 によって個々のポーターを指示することも多い。すなわち、ネパール語 でサウコ・バリ(商店主の荷物)やホテルコ・バリ(ロッジの荷物)と 呼んだり、あるいは荷主である個人や村の名に所有格を表すコと荷物を 表すバリを付加して表現したりする。ポーターを指示する用語は、発話 者間の関係や発話時の状況に応じて変化する。 4. 本稿では煩雑さを避けるため、ローカル・ポーター とトレッキン グ・ポーターの語を採用し、両者を含む荷運び一般を指す場合にはポー ターという語を用いて議論を進める。またエベレスト地域の観光産業に は、トレッキング・ガイドや高所ポーターといった上位職が存在してお り、人々のあいだではコネクションなどを活用してより良い仕事を求め 5. る傾向がみられる 。その一方で、人々は季節や需要に応じて隣接する カテゴリの仕事も請け負うため、個人レベルでの帰属は曖昧でもある。 そして次節でも述べる通り、ネパールにおいて荷運びは概して低位の職 業とされており、トレッキング・ガイドや高所ポーターたちは一般の ポーターと同一視されることを嫌う。対照的にポーターたちのあいだで は、過去の上位職の経験を語る、あるいは山岳民族に比して相対的に高 いカーストの出自を強調するなどして自己のイメージを押し上げようと する姿も見られる。 147.

(5) 南アジア研究第29号(2017年). なお同地域ではこのほかにも、行商やバザールで販売するための商品 を自ら担ぐ商人や、家庭の物資を運ぶ地元のシェルパ住民たちも荷を 負って道を歩いている。また村落では、ある種の相互扶助として、観光 産業に携わることのできない独居老人などに日当で荷運びを依頼する ケースもみられる。しかしながら紙幅の関係上、これらの荷運びについ てはここでその存在を指摘するに留めたい。本稿では特に人類学的な報 告例の少ないローカル・ポーターに焦点を当て、彼らの観点からクンブ 地方における荷運びの実践とその意味を描き出してゆく。. 2 先行研究 2-1 ネパールにおける荷運びをめぐって ネパールのポーターについては、山岳地帯でナムロ(na¯mlo:頭紐) を用いる運搬方法が学問的関心を呼び、とりわけ医学および労働問題の 観点から調査がおこなわれてきた。しかしながら、ポーターの日々の実 践にまで関わる質的な研究は管見の限りほぼおこなわれていない。以下 本節では、荷運びを主題とする先行研究について簡単にレビューをおこ なう。 筆者の調査地であるソルクンブ郡では、主に高地医学の見地からポー ターについて調査や報告がなされてきた[Basnyat et al. 1999, Basnyat and Schepens 2001, Bastien et al. 2005, Law and Rodway 2008, Newcomb et al. 2011] 。ポーターに対する質問紙調査も幾度かおこなわれており、パン. ツェリらは観光と環境問題の観点から、2007年の秋季に一か月にわたっ て通行するすべてのポーターに質問紙調査をおこないデータを集積した [Panzeri et. al. 2013] 。しかしこうした研究は、キロ単価で給与計算され るローカル・ポーターと日当制であるトレッキングの仕事を一括りに扱 うなど、個々のポーターの具体的な活動については無関心さを示してい る。 また当地の物流に関しては、鹿野が80年代後半の時点でソルクンブ郡 全域の定期市およびそのあいだの人と物資の移動について詳細な報告を おこなっている[鹿野 1989 ; 1990] 。現在では観光産業の発展に伴ってク ンブ地方の荷運びは専業化し、地域に常駐するポーターと常設店舗から なる流通システムが成立するようになった。本稿では2010年代の状況を 報告しつつ、地域外から流入してきたポーターたちの日々の生活にも踏 148.

(6) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. み込んで記述をおこなう。 他方、ソルクンブ郡を故地とするシェルパ族の人々が、ヒマラヤ探検 の歴史の中でいかに高所ポーターとしての名声を確立してきたかについ ては、数多くの歴史人類学的研究が存在する[Fisher 1986, Hansen 1999, Ortner 1999, Stevens 1993, 鹿野 2001, 根深 1998] 。しかしながら、こうした. 研究が分析の対象としてきたのはあくまでも民族としてのシェルパで 6. あった。急速な拡大を続けるエベレスト地域 の観光産業のなかで 「シェルパ」を名乗りつつ流入する他民族の人々については、これまで 断片的な報告に留まっている[e.g. Fisher 1990, 鹿野 1999, Parker 1989] 。 ネパールのポーター全般に視野を広げるならば、労働問題、特に児童 労働との関わりから詳細な調査がなされてきた[Catalla & Catalla 2003, Kumar et al. 2001] 。ソルクンブ郡でも児童ポーターについての調査が実. 施されている[Doocy et al. 2007] 。またネパールの労働問題全般を扱っ たセッドンらの研究では、一章を費やしてネパール西部のポーターが取 り上げられ、ポーターを取りまく困難な社会経済的背景が論じられてい る[Seddon, Blaikie and Cameron 2002 : 111-129] 。これらの研究はネパール の荷運びをめぐる状況について有益なデータを提供するものの、やはり ポーターたちの実際の生活は見えてこない。さらにこうした議論はしば しば、少なくともエベレスト地域の文脈においては必ずしも妥当ではな い、 「貧困の中で社会的に疎外された、脆弱な」 [Doocy et al. 2007 : 170] ポーターの姿を強調し、彼ら自身の意思や荷運びについての認識など、 その主体性に関わる側面については十分に注意が払われてこなかった。 2-2 開発と荷運びをめぐるピッグの議論 先行研究のうち本稿に最も深く関わる議論をおこなったのは、ネパー ルのビカス(bika¯ s:開発・発展)概念との関係において荷運びを取り 上げたピッグである[Pigg 1992] 。彼女によればネパールでは、 「進ん だ」ものとしてのビカスと「遅れた」ものとしての「村」という二項対 立的な認識が生活感覚のレベルにまで浸透しており、ビカスの「多寡」 はモノやインフラなどを通して測られる[499] 。またビカスとは必ず外 部から来るものであり、それは「遅れた」ネパールの人々が欧米を中心 とする外部世界と自らのつながりを理解するための用語でもある[497]。 そして彼女は、ビカスの概念がネパールにおける荷運びと深く関わって 149.

(7) 南アジア研究第29号(2017年). いることを指摘する。都市のエリート層は「知識のない」村人を遅れた 人々とひとくくりに見なすのに対して、村に住む人々の視点からは、 個々の状況において荷を「運ばない」ことが相対的なビカスの多さを象 徴するのである。例えば小作に荷を運ばせる小地主も、自ら飼葉を運ぶ 時には村の商店主に対して相対的にビカスが少なく、その商店主も首都 のデスクワーカーに比べるとビカスが少ないといったように、ビカスは あくまでも比較のなかで測られる。そして、この運ぶ/運ばないという 連鎖は「アメリカのような『誰も働く必要のない』ビカスの場」へと想 像を通して連なるとピッグは指摘する[508]。 「運ばない」が「働かない」へ短絡されるとするこの議論は、ネパー ルにおける仕事と苦役の結びつきというビスタの指摘と密接に関わる。 彼によればネパールでは額に汗する作業のみが仕事(ka¯m)とみなされ、 かつ仕事は全てドゥカ(dukha:苦痛・苦役)として認識されるため、 人々は概して「仕事」なしに所得の得られるデスクワークを目指すとさ れる[Bista 1991 : 79, 南 1997a : 229] 。ネパールの村落部では、荷運びドゥカの少なさこそ先進性でありビカスの表れなのである。 ピッグの研究は、荷運びに含意される後進性と、同一人物が状況に応 じて荷主/運び手の両者になりうる文脈依存性を明らかにする。開発現 場における言説の分析とネパール語刊行物の図版の解釈を通してなされ たこれらの議論は、本稿が対象とするクンブ地方の荷運びの事例にもお おむね当てはまる。しかしながらエベレスト地域では、優劣を認められ る複数のカテゴリのポーターたちが荷を負って同じ道を行き来しており、 ここでは必ずしも運ばないことが無条件に優位性を意味するのではない。 またピッグの議論で取り逃されているのは、荷運びが現地社会や運び手 へと具体的に影響する側面である。次章以降で見るように、山間部にお ける荷運び労働は社会や集団範疇のありかたを再編し、またその極度に 負荷的な実践は運搬者の身体へと深く刻み込まれてゆく。 本稿では筆者が収集した数値データも踏まえつつ、参与観察に基づい てより微視的な側面からクンブ地方におけるポーターの実践を記述する。 そしてエベレスト地域の歴史的状況と絡み合いつつ形成された観光産業 の階層構造のなかで、荷運びがドゥカであると同時に観光客を媒介にビ カスへと接近する手段としても想像されていることを明らかにする。. 150.

(8) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 3 クンブ地方の荷運びの歴史 ポーターの具体的な実践を追う前に、まずクンブ地方において荷運び がたどってきた歴史を瞥見し、現在の観光産業に見られる荷運びの専業 化と階層構造がどのように成立してきたのかを確認したい。 現在はシェルパ族と呼ばれる人々が最初にチベットからヒマラヤ山脈 を越えてネパール側に定住したのは16世紀のこととされる[Ortner 1989 : 21] 。以降クンブでは20世紀の半ばまで、チベットとネパール側の. 中級山地・低地を結ぶ交易が主要な生業の一つとなり、ヤクとポーター からなる隊商によりヒマラヤを越えて物資の輸送がおこなわれてきた。 2015年時点で83歳だというクンブ地方に住むシェルパ族の古老は、15歳 のとき(1947年ごろ)に初めてポーターの仕事をしてチベットを訪れた 7. と語っていた 。 「資料こそ少ないものの、賃金を伴う荷運び(wage portage)がネパールにおいて極めて長い間存在してきたことは間違いな い」 [Seddon, Blaikie and Cameron 2002 : 112]と指摘される通り、クンブ でも対価を伴う荷運びは常におこなわれていたものと推測される。 一方、19世紀半ばにはシェルパ族を含む多くのネパール・ヒマラヤの 人々が、当時は英国領であったダージリンへと職を求めて移住した。建 設労働者などとして働いていた彼らは、20世紀初頭より英国のヒマラヤ 遠征隊のポーターとして雇用されるようになる。当初は他のチベット系 諸民族と区別されず、単なる現地人労働者と見なされていたシェルパ族 は、次第に高所に適応した「勇敢で忠実な山岳民族」として表象される ようになってゆく。同時に「シェルパ」の語は高所ポーターとしての職 業も意味するようになり、1953年のヒラリーとテンジンによるエベレス ト初登頂を機にその名は世界的に流通するようになった[Hansen 1999, 鹿野 2001, Ortner 1999] 。. エベレスト地域に登山/トレッキング客が訪れるようになった当初は、 ダージリンや地元クンブのシェルパ族が高所ポーターやトレッキング・ ガイドの仕事を独占し、登山隊の荷物もナムチェあたりまで主に中間山 地帯の農民によって運ばれたのち、クンブ在住のシェルパたちがエベレ 8. スト・ベースキャンプへと運んでいた 。観光産業を通じて次第に裕福 になると、クンブのシェルパ族の多くは低賃金の単純労働である麓での 荷運びからは手を引き、高所ポーターやトレッキング・ガイド、あるい 151.

(9) 南アジア研究第29号(2017年). はロッジ経営に専念するようになる。スティーブンズは1993年の時点で、 「クンブ観光の初期には、たくさんのシェルパ族が登山隊やトレッキン グ・グループのポーターとして働いていた。だがこうした仕事は賃金や 地位が低いとみなされ、今では地元の人々はほとんどしない。クンブの 山道のポーターは、ほとんどが地域外から来た人々だ」 [Stevens 1993 : 414]と記述している。. 1990年代にはトレッキング産業が大規模化し、エベレスト地域には大 きなロッジが次々に建てられるようになった[渡辺 2012 : 86] 。ルクラか らナムチェ方面に半日ほど歩いたルート上に位置するパクディン村の60 代女性は、 「子どものころはこのあたりにロッジは無かった。商店の荷 を運ぶ仕事はあったけどほんの少しだけで、それはシェルパ族が運んで いた。ライ族の人たちが(ローカル・)ポーターとして来るようになっ たのは20年ほど前のことだと思う。その少し前から外国人がたくさん来 るようになった」 (2015年6月28日聞き取り)と記憶している。 トレッキング観光の発展とともに、観光客の荷を運ぶポーターに対し てはトレッキング・ポーターという呼称が定着したため、現在ではロー カル・ポーターの語は、 「商店などに雇われて地元の物資を運ぶ外部の 9. 人々」を指すものとなっている 。増え続けるロッジや商店は通年に渡 る物資の供給を必要として安定的なポーター需要を生み、商店の荷を 負って往復する「ローカル・ポーター」の専業化を促したのであろう。. 4 ローカル・ポーターの仕事 4-1 ロジスティクスの概況 次にエベレスト地域における人とモノの流れを、クンブ地方への流入 経路を対象として概観する。車道のない当地では、飛行場の村ルクラ 10. (2,840 m )がクンブ地方への主要なアクセスポイントとなる。ここか らトレッキング観光の拠点として発達したナムチェ村(3,440 m)を経 て、エベレスト・ベースキャンプ(5,364 m)やゴーキョ(4,790 m)な どのトレッキングの目的地へとルートが整備され、沿道の集落には観光 客を対象としたロッジや商店が並ぶ。この地域で商取引の中心となるの はルクラとナムチェの二つの村であり、両村をハブとして物資が集積さ れ、ルート上の集落や施設へと運搬されてゆく。 ルクラ以北では、観光産業や生活に必要となる物資(食料品、ロッジ 152.

(10) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 用の家電や建材など)あるいは観光客の荷物はすべて人手、もしくはヤ クやラバなどの荷役獣によって運搬される。基本的に荷役獣は、穀物な ど麻袋に入れて両側に振り分けることのできる比較的安価な品物を運び、 ポーターはあらゆるものを運搬する。輸送コストはポーターの方が「い 11. くぶん高い」が、 「獣が運べないものや、重いものも担げる」と言われ 、 人と獣のあいだではゆるやかに分業体制が確立している。 カトマンズからの物資は飛行機やヘリコプターでルクラへと空輸され 12. たのち、ポーターあるいはラバやゾプキョ がナムチェへと運ぶ。また は車道の終点までトラックで運ばれ、ルクラやナムチェへとラバやポー ターによって運搬されてゆく。2016年現在、車道はルクラ飛行場から南 方へ2日ほど歩いた地点、郡庁所在地のサレリ(2,390 m)からはルク ラ方面へ直線距離で10 km ほどの場所に位置するタクシンドまで延伸し ている。またサレリから徒歩で30分ほどの地点にはパプル飛行場があり、 ここからルクラへの空輸もおこなわれている。ナムチェまでの行程は、 ルクラからポーターの足で2日、サレリからはラバを追って5日となる。 またソル地方やドゥド・コシ下流域の各地で収穫された農作物や肉類は、 それぞれの生産地からポーターによってルクラやナムチェへと運びあげ られる。 ナムチェからは、ポーターあるいはヤクやゾプキョによって、さらに 高高度のルート上にあるロッジや商店へと運ばれてゆく。ナムチェから 裏手の斜面を40分ほど登ったシャンボチェ(3,720 m)には滑走路があ り、チャーターされたヘリコプターによって主に建材がカトマンズなど から空輸される。そして、観光客のほとんどはカトマンズからルクラへ と飛行機で移動したのち、トレッキングや登山をスタートする。これら を模式的に示すと図2のようになる。 この地域に常駐するローカル・ポーターの主要な仕事は、ルクラから ナムチェへの荷揚げとなる。ナムチェに店を構える商店主は、空輸され た荷をストックするための倉庫をルクラに保有し、ポーターを雇ってナ ムチェへと運ばせる。またルクラでは木曜日に、ナムチェでは金曜日と 土曜日に定期市が開かれる。ルクラの商店主は仕入れた荷をルクラの店 舗や定期市で販売するだけでなく、ナムチェの定期市に出品するため ポーターを雇ってナムチェに保有する倉庫へと運びあげるのである。. 153.

(11) 南アジア研究第29号(2017年). 図2. ロジスティクス概念図. 4-2 ローカル・ポーターの賃金 ローカル・ポーターは原則として商店主など荷主が直接契約し、仲介 人のオフィスなどは存在しない。ただし商店主の多くは懇意のポーター を抱えており、彼らへと優先的に仕事を回す。また荷の多い時期などは 一名をポーター頭(na¯ike)として月やプロジェクト単位で契約し、 ポーター頭は必要な人数を見積って同村の若者などを呼び集める。 彼らの賃金は通常、行程に応じたキログラムあたりのレートに基づい て支払われる。ルクラからナムチェのあいだは荷を負ったポーターの足 13. で2日間の道のりであり、1 kg 当たり40ルピー (一日20ルピー)程度 が相場となる。後述の調査結果によると荷物の平均重量はおよそ70 kg であるため、単純計算すると一日1400ルピーの収入となる。 レートはナムチェより上で荷を運ぶ場合には上昇する。またこのレー トは移動距離や荷物の運び難さなどによって変化するほか、ポーター需 要が増す観光シーズンには若干の上昇をみる。商店主からの聞き取りに よれば、常に仕事をしている人間には安めのレートを設定し、人手が足 りず臨時雇いをする際には高レートを提示する。また重い荷を担げる人 間に対してはキロ当たりのレートを高く提示し、力の弱い人間あるいは 14. 年少者や年配者の場合は安くするという 。なおこれは商店の荷の場合 154.

(12) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. であり、個人やホテルなどの単発的な荷を請け負う場合は相対的にレー トが高くなる。 ローカル・ポーターたちの説明によれば、シーズン中には休みなく働 き、シーズン後しばらくして荷が減ると交替で村に戻って農作業などを おこなうという。観察する限りでは、特定の商店主から継続的に仕事が 受けられる人々の場合、壮健な人間は文字通り毎日荷を運び、年配者な どは週に一度ほど体調が悪いなどと言って休みを取っていた。また後述 するトレッキングの仕事や、条件の良い日雇い作業などがあればそちら を優先する。 調査期間中にもっとも高額の日当を得ていたのは、シャンボチェ (3,720 m)からロブチェ(4,910 m)まで、129 kg の建材をキロ当たり100 ルピーで請け負い、3日かけて運ぶと語っていた20歳のタマン青年で あった。日当にして4,300ルピーとなる。また最安値は、ルクラから徒 歩一日圏の村までキロ当たり15ルピーで50 kg の鉄の薄板を運んでいた 39歳のチェットリ男性であり、日当にして750ルピーとなる。 ただし食事や茶は自弁せねばならず、ポーターたちの多くが嗜む酒や たばこなどの出費もある。2015年のルクラ-ナムチェ間では、ダルバー ト(定食)は肉なしで150から200ルピー、肉入りで300ルピーほどが相 15. 場であった 。また重労働によって衣服や靴は頻繁に擦り切れる。天気 の良い日には、ポーター向けに衣料品を商う商人がルート上の数か所で ビニールシートに商品を広げているのが見られる。 それでも、ネパールにおける日雇い労働者の法定の最低賃金が318ル 16. ピー であることを考慮すると、観光地の極端な物価高を差し引いたと しても、金銭面だけを見ればローカル・ポーターは割の良い仕事といえ る。 4-3 ローカル・ポーターとはいかなる人々か? クンブ地方の道はいくつかの分岐点を除いて、基本的に迂回路などの ない一本道である。ルクラ以北で活動しているローカル・ポーターを網 羅的にサンプリングするため、3地点にポイントを定め、それぞれ一日 に通行するローカル・ポーター全員に対して質問紙に基づく聞き取りを 17. おこなった(質問紙調査 a)。これらの地点は、地域を流通するすべて の荷が必ずいずれか一つを通り、原則として二ヶ所以上を重複して通過 155.

(13) 南アジア研究第29号(2017年). することのないように決定した(図2:ポイント①②③) 。 総件数は、ポイント①:ルクラからナムチェ方面へと向かうポーター 68名(2015年6月1日(月) ) 、ポイント②:ナムチェからエベレスト・ ベースキャンプおよびゴーキョへと向かうポーター27名(2015年6月8 日(月) ) 、ポイント③:シャンボチェのヘリポートから資材を搬出する ポーター22名(2015年6月9日(火) )であった。オフシーズン期を選 んだのは掛け持ちするトレッキングの仕事がなく、この地域に常駐する ローカル・ポーターの中核をなす人々の属性を抽出できるためである。 同様の理由から、いずれについてもルクラ(木)とナムチェ(金土)の 市日を外している。これら全員(合計117名)から集計した年齢や出身 地等の基本属性について結果を以下に示す。 ジャート(民族/カースト)構成を見ると、ライが57名、タマンが49 18. 名、シェルパが3名、バウンが1名 、チェットリが4名、ネワールが 19. 1名、ネパーリ が2名であった(図 3-1) 。出身地はルクラから歩いて 2日から3日ほど下った村に集中している(図 4a) 。また女性は2名お り、そのうちの1名は夫婦で荷運びの仕事をしていた。 平均年齢は28.7歳であり、最年少は12歳、最年長は61歳となった(図 3-2) 。うち35名は10年以上ポーターをしていると回答した一方で、1年 以下と答えたものも22名いた(図 3-3) 。大半の人々は、仕事がないと 20. きは村で農作業をすると回答している。学歴は大卒が1名、SLC 取得 5名に対して、学校には通っていないと回答したものは42名にのぼる。 また、現役の学生であると答えた者も6名いた(図 3-4) 。 年齢別では10代後半にピークがある一方、ポーター歴で見ると10年を 越える人々が多いことから、ごく短期間のポーター経験を持つ若者と、 長年にわたって荷運びを続けている人々に二分されることが推定される。 この結果から一般にローカル・ポーターは、ソルクンブ郡南東部の ドゥド・コシ本流域東岸地域からやって来た学歴の低い人々であること がわかる。この地域は鹿野の報告する80年代ナムチェの定期市における 売手の居住地と大きく重なる[鹿野 1990 : 42] 。これは当時の定期市で商 売をしていた人々の一部が観光産業の発展に伴ってナムチェやルクラに 常設店舗を構えるようになり、同郷の人間を荷運びに雇っているものと 推察され、実際に聞き取りをおこなった商店主の一部はこの地域の出身 者であった。またサレリ-ルクラ間、ジリ-ルクラ間はトレッキング・ 156.

(14) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 図 3-1 ジャート構成 (ローカル・ポーター). 図 3-3. ポーター歴. (ローカル・ポーター). 図4. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 図 3-2. 年齢構成. (ローカル・ポーター). 図 3-4. 学歴. (ローカル・ポーター). ポーターの出身地(Local Governance and Community Development Programme(http : //lgcdp.gov.np/)などに基づき筆者作成) 157.

(15) 南アジア研究第29号(2017年). ルートとして若干の通行量があり、ロッジや商店も建設されていて一定 のポーター需要が存在するため、ソルクンブ郡の南西部からはルクラ以 北へ荷運びに来る割合が少ないものとも推定される。しかしながらルク ラとナムチェの常設店舗およびルクラ以南のポーターに関しては現在の ところ網羅的な資料がないため、ここでは本稿が対象とするクンブ地域 についての現況報告にとどめ、ソルクンブ郡全域の分析は今後の課題と したい。 荷物の内訳としては建材が78件(うち7件が2往復、またシャンボ チェからの荷は全て建材であった) 、食料品が40件、その他6件となっ た。ルクラからナムチェ方面へ向かうポーター68名に絞って見れば、出 発地点は全てルクラであり、目的地はナムチェが42件、ルクラから徒歩 21. 一日圏の村が33件(7件が2往復)となった 。 またナムチェへ荷を運ぶポーター42名のうち37名はトクトク(Toktok)という集落に宿泊すると答えている。ルクラとナムチェのちょう ど中間地点に位置し、ナムチェへ向かう移動者全員が通過するこの場所 22. には、ポーター向けのバッティ が集中している。ローカル・ポーター 23. の多くは同村や同民族のものが経営するバッティを拠点とし 、トクト クを出てからルクラで荷受けをしてトクトクへ運びあげ、翌日はナム チェまで担ぎ上げて納品したのちトクトクへ引き返すというサイクルを 繰り返す。 なおこの調査はタイミング上、ネパール大地震(2015年4月25日、最 大余震2015年5月12日)の直後となってしまった。ローカル・ポーター たちの担ぐ荷は、通常時は食品や嗜好品など単価の高い観光客向け商品 が多くなる傾向にあるものの、このときは建材が多く、早朝の出発時に ポーター頭が「今日はドッコ(背負いかご)を持って行かなくていい」 と仲間に指示する場面も見られた。またオフシーズンという条件では同 一である2013年9月22日(日)に実施した通行量調査時は、ルクラから 出発するローカル・ポーターは51名であった。地震後の建材需要から通 常のオフシーズン期に比べてむしろポーターの人数が増加していたもの とみられる。彼らの説明によれば、ポーターたちの多くは地震の直後に 自分の村の様子を見に戻り、すぐに引き返して仕事を再開したのだとい う。また地震後になってキロ当たりのレートが若干高くなったともいう。 特殊な条件下ではあるが、ローカル・ポーターの属性に関するデータの 158.

(16) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 本質には影響が少ないものと判断し、また地震直後の状況というデータ の希少性も考慮して提示するものである。. 5 荷運びという実践 それでは観光産業が大きく発展したネパールの山間部において、ポー ターたちは荷を運ぶという仕事をいかに認識し、実践しているのだろう か。本節ではまずローカル・ポーターの観察から具体的な荷運びの様子 を描写したのち、彼らのあいだで荷運びの仕事がどのように捉えられて いるのかを分析する。 5-1 荷を運ぶ身体 ローカル・ポーターは、ドッコ(d.oko)と呼ばれる竹製の背負いか ご に、ナ ム ロ(na¯mlo)と 呼 ば れ る 紐 を か け て 頭 で 支 え、ト ク マ (tokma)と呼ばれる T 字状の木製の杖を突いて斜面を登ってゆくスタ イルが一般的である(写真1) 。 ドッコにはカカン(khakan)と呼ばれるゴムの背負い紐がかけられ ており、ここに両腕を通す。ドッコの前部には竹の棒が上方に二本突き 出しており、さらに数本の竹棒を横向きに渡す。これを支えに、品物を 背丈よりも高く積み上げて固定するのである(写真2) 。この竹棒の先 からはロープが下がっており、荷を持ち上げる際に引いてドッコの荷重 を手前に移動させるほか、歩行中にトクマを持たない側の手で引いて荷 物のバランスをとる。またドッコは各人によってアレンジされ、歯ブラ シや携帯電話、ラジオなどが結わえつけられている。雨が降れば、ドッ コの上からビニールシートをかけたり、こうもり傘を括り付けるなどし て荷物の濡れを防ぐ。 なお重いドッコは地面に置くと一人では持ち上げられなくなるため、 休憩時には街道沿いに設えられたチョウタラ(cauta¯ro)と呼ばれる石 のベンチに置くか、もしくは地面についたトクマのうえにドッコを乗せ、 立った状態のまま休息する(写真3) 。 ドッコに入らない建材などには直接ナムロがかけられ、腰と荷の間に はギャプテン(gyapten)と呼ばれる丸めたクッションが挟み込まれる (写真4) 。ギャプテンはドッコにも用いられる場合があり、愛用者は 「重心が前の方にくるから担ぎやすくなる」のだと説明する。 159.

(17) 南アジア研究第29号(2017年). 写真1. 山道を歩くローカル・ポーター. 写真2. 160. 荷を積んだドッコ.

(18) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 写真3. 休憩の様子. 写真4. 建材を運ぶ. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 161.

(19) 南アジア研究第29号(2017年). 筆者自身も村の生活では、30 kg 程度ではあるが日常的にナムロを用 いて荷運びをしていた。最初にアドバイスされたのは、ナムロを髪の生 え際よりも頭頂部寄りにかけ、首から腰までをまっすぐに固定して上体 を前傾させたうえ、両手で頭の横のナムロを掴むということである。す ると頭頂部と腰の二ヶ所へと垂直に荷重がかかるため、傾斜地では下手 なバックパックなどよりも身体が安定する。ただし、前傾姿勢および頭 のわきを通るナムロによって視界は大幅に遮られ、首を傾けて周囲を確 認することも不可能になる。また大きく足を踏み出すことが難しくなる ため歩みは小刻みかつ緩慢となり、大きな段差は踏み越えられなくなる。 同様にポーターたちは極度に荷重を増した彼らの身体を通して、ト 24. レッキング客に向けて整備された山道 を独自に解釈しつつ歩かねばな らない。一歩ごとの傾斜を減らすため、急な登り坂では蛇行するように 移動し、階段状になった道では中央の段差を避け、土砂が崩れて斜面を なした両端を選んで移動してゆく。またトクマを通じて手ぶらの歩行者 には知覚しえない地面の微細な段差や硬度を確認し、足場や休憩時に ドッコを適切な高さに固定する支えとして利用する。雨が降れば地面は ぬかるみ、岩場は滑りやすくなる。一般に安価なサンダルやつっかけの 25. スニーカーを履いて歩く彼らは、 「転んだら一巻の終わり 」であると言 い、荷重を支え得る箇所を探りつつ慎重に移動してゆく。 よってローカル・ポーターたちの歩行速度は極めて緩やかである。登 り一方となり途中に茶店など休憩地点のないナムチェ村手前の坂(高度 差およそ400 m)で、90 kg のドッコを背負った23歳タマン男性の歩行 速度を計測した際には、歩行時間2分30秒/休憩時間1分のペースをほ ぼ維持したまま2時間12分かけて坂道を登って行った(2013年11月9 日・晴天) 。この区間は通常、観光客が1時間ほどで歩く距離である。 こうした実践はまた、個々の身体へとフィードバックされてゆく。あ る夜、筆者がトクトクのバッティで32歳のタマン男性に仕事について尋 ねていたところ、彼はおもむろにかぶっていたネパール帽を取り、 「俺 たちなんて、こうさ!」といって横向きに禿げ上がった頭頂部を見せた。 百キロ近い荷物を日常的に頭で運ぶことから、長年ローカル・ポーター として働いてきた人々の頭髪はナムロにそって顔の向きと並行に薄くな る。場合によっては頭蓋骨が変形して、頭頂部がくぼんでいる人間にも 出会う。また、特に年配のポーターには歯の欠けた人々がおり、これは 162.

(20) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 運ぶときに歯を食いしばるからだと説明される。実際に急登の道では、 人によってはドッコの上から垂れ下がったロープを噛みしめながら足を 踏み出す。長年の労働はポーターたちの身体に刻印され、可視化されて ゆくのである。 5-2 反復される荷運びの日々 2013年11月、筆者はロッキムとコタンの出身者6人前後からなるタマ ン族のグループについて、ルクラからナムチェへの山道を歩いていた。 ポーター頭はロッキム出身で20代後半の男性、トクトクに小さな木造の 小屋を借りて妻と学齢期前の娘と共に居住している。建物はバッティと して妻に経営させ、仲間のポーターたちを泊めて食費を徴収していた。 一般に彼らは荷運び中ほとんど会話を交わさない。同じ荷主の荷を運 んでいるときも、各々の歩行速度に合わせてばらばらに歩き、休憩も各 自のペースで取る。ナムチェの入り口に到着すると、タマンの人間が経 営する食堂で昼食を取りながら全員の到着を待ち、納品先へ向かって検 品を受ける。仕事を終えて山を下るナムチェからトクトクへの帰路では、 いささか寛いだ様子で雑談しながら歩いてゆくことも多い。 トクトクに戻ると水場で足を洗い、まだ日がある時間帯であれば路上 26. でキャロム・ボード と呼ばれるゲームに興じることもある。夕食時に はチャン(どぶろく)を飲みながら少し歓談するが、20時ごろになると 誰ともなく箒で床を掃きはじめ、マットと毛布を敷いて雑魚寝する。筆 者の目には彼らのあいだにさほど強い仲間意識は感じられず、ある日そ の一名に君たちは友達同士なのかと聞いたときには、 「同じ村だが友達 ではない」と言い切った。 表1に示したのは、2013年11月に筆者が彼らと生活していたときの標 準的な日々である。ローカル・ポーターの毎日は、簡素な小屋に寝起き し、茶やチャンで頻繁に水分を補給しながら日の昇らぬ早朝から夕暮れ まで、おおよそ観光客の半分のスピードでナムチェへ荷揚げをしてはル クラへと引き返すことの繰り返しである。 次に典型的なローカル・ポーターのプロフィールを見てみよう。彼は 33歳のタマン、コタン郡出身、学齢期の息子が村に二人いる。この仕事 をはじめて7年目、それまでは村で農業や石切をしていた。学校には2 年ほど通ったという。同郷者が経営するトクトクのバッティに起居し、 163.

(21) 南アジア研究第29号(2017年). 表1. ローカル・ポーターの生活サイクル. 農繁期のみ村へ帰る。英語は解さず、ネパール語とタマン語を話す。最 初この仕事は「村の友人に誘われて、子供にお金もかかるようになった から始めた」と言い、 「足は痛むし背中は痛むし、大変な仕事だよ。だ けど僕たちには他に仕事がないから」と語る。この日(2013年10月19 日)は合計80 kg のリンゴと鶏肉を積み、ドッコを軋らせながらトクト クからナムチェへと運びあげていった。 ローカル・ポーターたちの荷運びに対する認識は総じて、ドゥカ(苦 痛)だというものである。調査者はしばしば、 「日本にはこんなに険し い道はないんだろう?」あるいは「日本では頭で運ぶ必要がないんだろ う?」と尋ねられた。彼らは、ネパールにはビカス(発展)がないから 車道がなく、頭で荷運びをせねばならないのだと語る。そして日本のよ うに「発展した」国には山がなく、あらゆる仕事は機械によってなされ 27. ているものとイメージされている 。ピッグ[Pigg 1992]が言うように、 ここでは荷を運ぶ彼らにはビカスがなく、バックパック一つを背負って ついて歩く外国人の筆者はビカスの体現なのである。 ただしエベレスト地域の特殊性は、ここが有数のトレッキング観光地 であることだ。シーズンがくるとこの地域には多くの外国人観光客が訪 れ、ガイドやポーターを伴って山道を歩く。ローカル・ポーターたちも またその機会に与かろうと気を揉む。質問紙調査では、様々な理由から トレッキングの仕事はしないと明言したものが117名中27名いたものの、 残りの人々は機会さえあればトレッキング(・ポーター)の仕事をする、 28. もしくはしたいと答えている 。また、シーズン中はガイドをすると答 164.

(22) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 29. えた者が2名おり、ほかにキッチンボーイが2名、 「シェルパ 」をする と答えたものも1名いた。 ピッグが荷を運ぶ/運ばないという対立項における荷運びの不在にこ そビカスの場へのつながりを見出していたのに対し、クンブの事例では ローカル・ポーターよりも良い仕事とみなされるトレッキング・ポー ターもまた荷を負って同じ道を歩いてゆくのである。次にトレッキン グ・ポーターの仕事を概観し、ローカル・ポーターたちがそこに参入し ようとするやり方を見る。. 6 荷運びの重層構造 6-1 カテゴリとしてのトレッキング・ポーター 観光シーズンが来るとローカル・ポーターたちは、多かれ少なかれト レッキングの仕事に携わることを期待する。他方で観光業界にコネク ションを有する人間やある程度学歴のある人間は、トレッキング・ポー ターをキャリアの開始点として観光産業に参入する。ここでは、シーズ ン中の2016年10月17日(月)にナムチェ村の入り口(図2:ポイント ④)を通過したすべてのトレッキング・ポーター113名を対象におこ 30. なった調査(質問紙調査 b)をもとに、カテゴリとしてのトレッキン グ・ポーターの属性を示す(図 5-1∼5-4) 。ここから読み取れるのは、 ローカル・ポーターと比べて明らかに学歴の高い者が多く、年齢層も若 いことである。また相対的に経験年数が少なく、現役の学生であると述 べた者は32名もいた。ジャート構成ではシェルパや高カーストの人々が 増える。 トレッキング・ポーターの出身地に関してはガイドの出身地が大きく 影響するため、一日のサンプルで一般化することはできないが、この日 に関してはドゥド・コシ東岸地域の出身者が多いローカル・ポーターに 比して西岸地域出身者の比率が若干増加し、ソルクンブ郡外部の出身者 31. も増える[図 3b]。またルクラより上の地域出身者は一名のみであり、 クンブ出身のシェルパ族はいなかった。 6-2 トレッキングの仕事を希求する トレッキング・ポーターの仕事は、ルクラの飛行場から観光客の荷物 を行程に沿って目的地へと運ぶことである。トレッキング・ポーターた 165.

(23) 南アジア研究第29号(2017年). 図 5-1 ジャート構成 (トレッキング・ポーター). 図 5-3. ポーター歴. (トレッキング・ポーター). 図 5-2. 年齢構成. (トレッキング・ポーター). 図 5-4. 学歴. (トレッキング・ポーター). ちは朝の出発時に客の荷物を預かり、当日の行程が終わった夕方に客の 部屋まで荷物を届けると、自分たちは料金の安いネパール人向けの宿泊 施設で睡眠を取る。多くの場合トレッキング客の荷はロープでくくられ、 ナムロを用いて頭で運搬される。トレッキングの仕事では一人のポー 32. ターが担ぐ荷物は30キロ以下と規約で定められており 、個人トレッ カーの場合には荷物が10キロ程度であることも多いため、身体的な負担 はかなり軽くなる。トレッキング・ポーターの足取りはローカル・ポー ターに比して格段に早く、おおむね観光客と同じ速度で山中を移動して ゆく。 またトレッキングの場合、給料は日当で計算される。一日当たりの相 場は2015年現在で1,000ルピー程度にとどまり、食費等も自弁せねばな らないものの、このほかに観光客からのチップや不要となった物品の受 け取りなどが期待できる。客やガイドの信頼をうまく得ることができれ ば優先的にトレッキングの仕事が回ってくるようになり、そうしてキャ リアを積むことでガイドとしてオフィス(観光会社)に登録する機会も 33. 開ける 。 166.

(24) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 通常、トレッキング・ポーターはガイドが自ら手配して経費から日当 を支払う。一般にガイドはポーターとして、自分と同村や親戚筋の従順 な若者であったり、過去に一緒に仕事をした経験のある人間を好む。し かしシーズン中など人手不足でガイドが自ら人員を確保できなければ、 ルクラなど主要な村で馴染みのロッジ・オーナーらを仲介者にローカ ル・ポーターをリクルートすることになる。観光産業にコネクションの ない人間にとってクンブ地方に常駐して荷運びをすることは、トレッキ ングの仕事への第一歩となるのである。 現在はガイドや高所ポーターとして働く人々も、その多くは荷運びを 34. 開始地点に観光産業のなかで身を立ててきた 。ソル地方出身である30 代のシェルパ族男性は言う。 「学校には8年ほど通い、15歳から16歳の ころはジリからナムチェまで(ローカル・ポーターとして)商店の荷物 を運んでいた。そのときの知人に誘われて、17歳から3年ほどトレッキ ング・ポーターの仕事をする。トレッキングのあいだにコックと知り合 いになり、20歳から3年ほど登山隊でキッチンボーイの仕事をしていた。 そのあとカトマンズでガイドのトレーニングを受けると、キッチン時代 のガイドの紹介でオフィスに所属することができ、2007年ごろからト レッキング・ガイドの仕事を始めた。山の仕事(高所ポーター)を始め たのは29歳のとき。ただエベレストはまだチャンスがなくて行っていな い」 。クンブ地方の外から来た相対的に学歴が低い人々は、おおむね同 様のキャリアを語る。ジリ出身の47歳チェトリ男性は村で荷運びや石切 の仕事をしたあと、1990年ごろからトレッキング・ポーターをするよう になったという。学校には通ったことがなく、英語はトレッキングの際 に外国人と会話をして身に着けた。現在ではトレッキングのガイドと ポーターを半々くらいで務めるという。 「荷物ならなんでも運んだ、仕 事があればネパールはどこにでも行った。チトワンやムスタンにも行っ たことがあるよ」と言い、 「僕たちは教育がないから、頭で運ばなきゃ ならない」のだと語る。 だがトレッキングの仕事は必ずしも全員に回ってくるわけではない。 40代のタマン男性は商店の荷を運びながら、 「トレッキングの仕事は皆 35. がやりたがる、僕たちみたいに黒い(ka¯lo)人間の席はない 」と愚痴 をこぼす。あるチェットリのトレッキング・ガイドは、 「僕たちの一番 大切な仕事は良いポーターを見つけること。中には悪い人間もいて、酒 167.

(25) 南アジア研究第29号(2017年). を飲んで喧嘩したり、客の荷物を持って逃げたりするんだ」と説明する。 図 5-2 にも示される通りトレッキング・ポーターは概して若く、年を 取っていたり身なりが良くないと「お客さんが満足しないと困るから、 連れていくのをためらう」などとしてガイドに敬遠される。そこで、コ ネに頼らずトレッキングの仕事に直接ありつこうとする人々は、ルクラ 飛行場の出口で観光客を待ち受け、直接外国人に声をかける。 ある日、筆者がナムチェ村の裏手の丘を歩いていると、普段はローカ ル・ポーターとして商店の荷物を運ぶ47歳のライ男性が、ナムロをかけ たバックパックを担いで西洋人とともに歩いてくるのにすれ違った。尋 ねると、二日前は仕事がなかったのでルクラ飛行場に到着する外国人に ポーターは必要ないかと声をかけていた。するとちょうどこの客が探し ていると答えたため一日1,000ルピーでポーター兼ガイドとして雇われ たという。 「英語はほとんどしゃべれないし、ガイドのライセンスも 持っていないのに、運が良かった」と呟き、 「トレッキングの荷物は給 料としては安いけど、楽だしチップももらえる。商店の荷物(ローカ ル・ポーター)は力の強い人間にとっては割が良いけど、僕みたいな年 寄りには辛い」と語る。彼はイタリアから来たカメラマンだという客の 大きな荷物を担ぎ、客の後について去 っ て い っ た(2015年6月9日 フィールドノート) 。 筆者が一人でルクラ飛行場に到着する際には、毎回のように「シェル パ」を名乗る数人がポーターやガイドはいらないかと話しかけてくる。 彼らは、 「観光客は山を見るためだけではなくシェルパに会うためにも 来る」 [Fisher 1986 : 45-6]ことをよく認識しており、実際に「シェルパ だといえば外国人はすぐにイエスイエスと言う」 (ネワール族、トレッ キング会社経営)のである。 もっとも「シェルパ」を名乗るとはいえ、ローカル・ポーターたちが ガイドや高所ポーターへと向かうキャリアを明確に意識しているケース はさほど多くない。現に彼らは、カトマンズや海外に良い仕事があれば すぐにでもそちらへゆくと断言する。調査中ローカル・ポーターたちは しばしば筆者に日本に連れていけとせがみ、 「日本人ならなにか良いも のを買ってくれるんだろう、前に会った人は新しいトクマ(杖)を買っ てくれたよ」などと言う。彼らは首都や外国をビカスの場とみなし、自 らの働く山を遅れたドゥカの場所と認識している。そしてエベレスト地 168.

(26) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. 域を訪れる外国人観光客は、 「アメリカのようなビカスの場」 [Pigg 1992 : 508]へと直接接続する経路であり、ローカル・ポーターたちは外. 国人の荷を運ぶことで、外部からやってくるビカスへと接近することを 試みる。ここでは荷運びを通してビカスへと至る希望が抱かれている。 6-3 荷運びをめぐるキャリアと収入のジレンマ 他方でトレッキング・ポーターの仕事は依然として苦痛に満ちた荷運 びでもある。一部のローカル・ポーターたちはトレッキングの仕事をし ない理由に、 「僕たちみたいな低いところから来た人間は山では早く歩 けないから」 、あるいは「高いところに行くと死んでしまうから」など と説明する。実際にトレッキングでは荷を負って標高5,000 m 以上の峠 を越えてゆかねばならず、ポーターたちが自らを観光客以上に高山病に かかりやすいと考えていることを示す調査もある[Newcomb et al. 2011]。 そのうえトレッキングの目的地に近い地域では極めて物価が高く、そ の期間トレッキング・ポーターの実入りはほとんどなくなってしまう。 したがってチップなどを除いた固定収入は、通常はローカルポーターの ほうが大きくなる。あるトレッキング・ポーターは目的地からの帰路、 今回のトレッキングはどうだったかと尋ねる筆者に答えて、 「今回が良 い仕事だったかって? そんなの最後(チップの時)がくるまでわから ないよ」と答えた。 よって、とりわけ重い荷物を担げる若者のなかには積極的にローカ ル・ポーターの仕事を選び取る人間もいる。17歳のタマン男性はこう語 る。 「ダルバート(定食)がこのへん(ルクラ)だと一食300ルピー、 (ナムチェより)もっと上に行くと500ルピーも取られる。なのにトレッ キングだともらえるのは一日1,000ルピー、これじゃあ食費にもならな いよ。商店の仕事をすれば、一回で1,000ルピーは貯まる。だから僕は トレッキングの仕事はやらないで、商店の荷物だけを運ぶんだ」 。 一方その友人である25歳のタマン男性は、シーズン中にはトレッキン グの荷を運び、オフシーズンは商店の荷を運ぶという。 「トレッキング の仕事と商店の仕事だと、どちらが良いかと言えば同じくらい。ただト レッキングだと色々なところに行けるから楽しい。それにトレッキング の仕事をすれば、少しだけど言葉も勉強できる」と言って、片言の英語 と日本語で挨拶をしてくれる。いずれガイドの仕事もやりたいが、まだ 169.

(27) 南アジア研究第29号(2017年). 語学が不十分なのだとも言う。彼の場合は、トレッキングの金銭的な割 の悪さを、外国人との接触や階層上昇の可能性への期待によって補うこ とができるものと捉えている。 若いポーターたちは、商店の荷において優越する金銭収入とトレッキ ングの荷において優越する外国人との近さを勘案しながら運ぶ荷を自ら 選び取る余地がある。そして若いうちは、担げる重量とキロ当たりの レートは共に上昇するためローカル・ポーターの方が収入手段として好 ましく見える。しかしながら皮肉なことには、年を取るにつれて収入が 減少する一方で、ローカル・ポーターとしての重労働が刻みこまれた身 体は、ガイドらによってトレッキング向きとみなされる若々しさや外見 36. を失い 、次第にその労働から抜け出すことが難しくなってゆくのであ る。. 7 おわりに 1960年代以降、クンブ地方には山岳観光の発展に伴って多くのトレッ キング客や登山客が訪れるようになった。やがてガイドやポーターと いった就業機会を求めてネパール各地の人々も参集するようになり、商 店やロッジが増えるにつれてルート上の荷運びはローカル・ポーターと トレッキング・ポーターへと階層化した。 クンブ地方の職業階層の「最底辺」に位置するローカル・ポーターた ちは、主にソルクンブ郡南東部のドゥド・コシ東岸地域から流入してき たライやタマンの人々であり、その仕事は商店の荷を担いで山道を往復 する単調な重労働である。彼らは荷運びの仕事を概してドゥカとみなす 一方、シーズンになるとやってくる外国人をここではないビカスの場を 媒介する経路であると認識し、荷運びを通してビカスへと接近する希望 を抱く。 他方でローカル・ポーターは、力の強い者にとっては辛いが手っ取り 早い収入手段である。とりわけ若いポーターたちには、商店の仕事にお いて優越する金銭収入とトレッキングの仕事において優越する外国人と の近接性を勘案しながら、運ぶ荷を自ら選び取る余地がある。しかしな がらローカル・ポーターとして長期間を過ごすことで、トレッキング向 きの若さや外見を失い、そこから抜け出すことは困難になる。 クンブ地方におけるポーターの事例が特殊であるのは、それが「シェ 170.

(28) ネパール・ソルクンブ郡、エベレスト南麓地域における荷運びの苦痛と希望. 「ローカル・ポーター」の分析を中心に. ルパ」の歴史と密接に絡み合ってきたことである。本稿では十分に触れ られなかったガイドや高所ポーターについては稿を改めて論じ、荷運び と山岳観光および「シェルパ」をめぐるエベレスト地域の労働の重層的 な関係について、さらなる全体像を明らかにしてゆきたい。 謝辞 本稿の執筆に当たっては、二名の匿名査読者から極めて有意義なコメントを頂きました。 また本調査は、日本学術振興会特別研究員奨励費262306、および基盤研究(B)「2015年ネ パール地震後の社会再編に関する災害民族誌的研究」研究代表:南真木人( JSPS KAKENHI Grant Number JP16H05692)の助成によって可能となりました。記して感謝いたし ます。. 1. ネパールではカーストと民族の両者を包含するジャート( ja¯t)という語が社会集団を指 すために用いられる。ネパールにおける「民族」については数多くの議論があるものの本 稿では論じない。以下では指示対象を明確にするため、いわゆる民族を指す場合はシェル パ族、ポーターやガイド等の職業を指す場合は「シェルパ」として便宜的に表記する。. 2. 2014年のサガルマータ国立公園への外国人入園者数は37,124名、2015年はネパール大地震 の影響を受けて減少したため27,465人であった(サガルマータ国立公園事務所資料2016年 9月23日確認)。. 3. 正確な語源は不明だが、グジャラート語の Kolı¯(集団名)あるいはタミル語の ku¯li(賃 · 金)に由来するとされ、のちに中国語に入ると「苦力」と表記されるようになった(Oxford English Dictionary http : //www.oed.com/viewdictionaryentry/Entry/409912017/07/03 閲覧) 。この言葉がどのようにエベレスト地域へと伝わったのかは不明であるが、現在は 日雇いの単純労働者、とりわけポーターを指す一般名詞として広く用いられている。. 4. 本稿のいうローカル・ポーターに対して、パンツェリら[Panzeri et. al. 2013]はゼネラ ル・ポーターという用語を、ロウら[Law and Rodway 2008]はコマーシャル・ポー ターという用語を用いている。しかし、これらの用語を現地の人々の語りで耳にすること はなかった。. 5. スティーブンズは1993年にここ15年来の現象として、クンブ地方に住むシェルパ族のサー ダー(登山隊のネパール人リーダー)の家において無報酬で働くライの若者の存在を指摘 している[Stevens 1993 : 376]。見返りとして、ポーターやコックなどの仕事を期待して いるのである。また筆者自身の聞き取りでは、村の引退したある高所ポーター(60代)は 10代前半の頃より、ヒラリーのサーダーを務めていた人物の家に住み込んで荷運びをする ことからキャリアをスタートさせたという。. 6. 以下、行政単位とはずれを持った観光地域を指示するために「エベレスト(南麓)地域」 の語を用いる。本稿では、とりわけ観光地化の進んだルクラ以北のパラック地方とクンブ 地方を合わせた地域を指す。. 7. ナムチェに住むシェルパ商人の荷を担いでゆき、給料は3週間の合計で15ルピーであった. 171.

(29) 南アジア研究第29号(2017年). という。 8. スティーブンズは1993年時点で、ローカル・ポーターという用語をこの意味で用いている [Stevens 1993] 。. 9. 当地では「ローカル」の語は、 「観光産業に直接かかわらない」といった意味で用いられ る。例えば英語とネパール語を混ぜて「ローカル・ガル(家)」と言えば、ロッジや茶店 の機能を持たない民家のことを指す。. 10. 以下、地名の後に括弧で付した数値は標高を指す。. 11. ラバやヤクは片側30 kg ずつ、合計60 kg 程度までしか運べない。それに対しポーターの 場合は、人によっては100 kg 超の荷を運ぶこともできる。. 12. ウシとヤクの一代雑種の雄。. 13. 調査期間中、1ルピーはおよそ1円前後で推移していた。. 14. 力のない人間を低賃金で多く抱え込んでコストを下げるよりも、壮健で使い勝手の良い人 材を囲い込もうとする意志が働いていると思われる。. 15. なおロッジで観光客向けに供される際の価格はおおよそこの二倍である。. 16. 2013年6月10日改訂。. (http : //trn.gorkhapatraonline.com/index.php/business/2430-govt-rs-5,100-minimummonthly-salary-of-industrial-workers.html 2015/09/03閲覧)。 17. ローカル・ポーターたちへの質問紙調査は、アシスタントとして雇用したシェルパ族の男 性一名がネパール語を用いて質問紙の項目を読み上げ、筆者が記録するという形式でおこ なった。 質問項目については以下の通りである:名前、ジャート、出身地、年齢、学歴、ポー ター歴、就業する他の仕事、荷の出発地、荷の目的地、日数、荷の種類、重量、1 kg 当 たりのレート、荷主の名前。 このうち荷の重量については、予めこの地域で運ばれる物品をユニットごとに重量計測 しておき、ポーター自身の申告値と目視での確認に大きな隔たりがなければそのままの数 値を採用するものとした。差異が明らかな場合(3件程度)は荷を下ろしてもらい、日本 製の電子式重量計にて確認した。またポーターたちには謝礼のかわりに数粒程度の飴玉な どを渡した。. 18. ネパールの最上位カースト。この人物はギミレ(Ghimire)を自称しており、筆者が ジャートを尋ねる前から「俺はバウンだ!」と主張していた。ただし、このやり取りを見 ていた知人のシェルパ女性は、 「彼はチェットリだよ。バウンはこんなところでクッリを しない」と私に告げた。真相は不明であるが、ここでは本人の申告通り集計してある。. 19. いわゆる被差別カーストのうちサルキなどの人々が自称として用いる苗字。. 20. School Leaving Certificate。10年の教育を終えた者が受験資格を持つ試験の合格者に対し て与えられる。カレッジへの進学要件となるほか、就職時の条件となることも多い。. 21. 少数ながら、車道の終点であるサレリから来たポーターや、ナムチェを通過して上の村へ と向かうポーターが見られる日もある。. 22. エベレスト地域のルート沿いには、バッティと呼ばれる茶店と食堂、宿泊所を兼ねたネ パール人向けの施設が多数ある。通常は掘立小屋状の簡素な建物に毛布が置いてあるだけ であり、シェルパ族の人々は「汚い」と言って避けることもある。. 172.

図 3-1 ジャート構成 (ローカル・ポーター) 図 3-2 年齢構成 (ローカル・ポーター) 図 3-3 ポーター歴 (ローカル・ポーター) 図 3-4 学歴 (ローカル・ポーター)

参照

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