憲法前文について
著者
中条 博
著者別名
H. Nakajo
雑誌名
東洋法学
巻
11
号
4
ページ
27-43
発行年
1967-10
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006146/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja憲法前文
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中条
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目 次 一 前 論 二本 論 e 前文の意義 口 明治憲法の前文 ㊧ 日本国憲法の前文 餉前文の効力 ㈲ 憲法改正のポイント 憲法前文について 二七東洋法学
二八 剛 曇ム, 責照 ポツダム宣言︵一九懸五・七・二六︶は.冒本の降服条件として連合国の達成しようとする目的を列挙するととも に.その第一二項に、前記諸羅的が達成せられ且つ翼本国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且つ責任 ある政府が樹立せられることを条件として遠合国の占領軍が翼本から撤収するということを譲っている、覇本政府 は.ポツダム宣書を受諾するや否やにつ.いて大いに論議し、躊躇したのは.この規定が翼本の国体を変革する意図を 含んでいるのではないかという疑いをもったからである。そこで政府は.連合国に対し、昭和二〇年八月一〇賢.ポ ツダム宣言に定めてある諸条件は、天皇の国家統治の大権ギ段・α登舞貯窪窺潤簿鷲3輿に何らの変更を加える意図を もっていないという諒解の下にこれを受諾する用意がある、という申出をしたことは周知の通りである。 ところが.翌八月二日に連合国側からの回答は、翼本政府の附した条件には全くタッチせず、われらの態度は、 左の通りであるとして.数項目にわたって列挙したうちの一項疑に、﹃最終的な鷺本の政治形態は.ボツダム宣書に 従い翼本国民の自由に表明せる意思によって決定せらるぺきものである。﹄ということを明確にした。すなわちポツ ダム宣言は、連合国の占領軍が日本から撤収する条件としてβ本国民の自由に表明せる意思に従って政府が樹立され ることを要求したにとどまったのであるが、八月二賛には、一般的かつ積極的に臼本国の政治形態は、国民の自由 に表明せる意思によって決定せらるべきことを率直に要請したのである。この言葉の意味そのニュアンスについては、いろいろ解釈の余地はあろうが、少ぐとも国民主権主義の立場に立つ 表現であることは疑いを入れない。この趣旨は、茅、の後九月二二日に、アメリヵ政府が発表したアメリカの初期の対 目方針という文書の中に具体的にあらわれている。このアメリカの初期の対日方針は、アメリカの陸海軍省ならびに ペンクゴン 国務省において起案し、大統領の承認をえて発表された文書である。これはアメリカの日本管理方針を定めたもので、 連合国のそれを表明したものではない。しかも、日本管理におけるアメリカの地位というものを考えると、この文書 が日本の管理にあたって極めて重要な意義をもつことは明らかである。ーその後連合国はこの方針を連合国の方針 と確認したーこの文書の中に、連合国の管理する究極の匿的を表明しているが、その鼠的の中に、日本を民主化す るという趣旨また民主的および代議的組織形態がのぞましいという趣旨を極めて的確に指摘しているのは刮目に値す る。また、そのための必須条件として個人の自由とか基本的人権の確立ということをはっきり謳っている。さらに具 体的には、第三部を政治と題し、ここに日本民主化の方策をいろいろと定めている。これらの文書を通じて連合国わ けてもアメリカが国民主権主義の立場から、日本の代議政治、議会政治の実現を狙っていることが理解される。これ を逆にいうと、明治憲法下の天皇政治、大権政治に対する根本的な批判、その廃止を明らかにしたものということが できる。すなわち、日本の従来の政治機構が、天皇の大権政治の名において、あるいは官僚の独裁となり、あるいは 軍閥の専制に堕し、それがやがて超国家主義、軍国主義の拾頭をうながし、その結果、日本を亡国の関頭に立たしめ ︵1︶ たことに対する根本的批判の上に、新しい民主的統治組織、統治形態の確立を要望しているのである。 一般的に民主的統治形態に関しては、だいたいこれを三つに分類することができる。その第一は、アメリカの三権 憲法前文について 二九
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分立主義の民主政治の形態である。この形態は、いわゆる大統領制︵淳艶密簿一鉱○・く窪ぢ蒼5とよばれ、三権相互 の独立が極めて厳格に認められているという意味において、モンテスキュ⋮の三権分立の原理を忠実にもっともテピ カルに表明している。 第二の形態は.イギリス流の議院内閣制︵3鷺器酔の・お導導Φ馨貫男畳鍵韓①馨餌蔓o 。誘ε簿︶の政治形態である。 この形態の特徴は.議会を最高機関とし.内閣はこれに従属し、議会を背景とする機関という立場をとっている.茅、 の意味で議会主権という書葉が用いられている。したがって裁判所は、議会主権の考え方に即応して.議会の定立し た法律39︶あるいは裁判所の判例法を適用するにとどま聾,議会の定立した法律を批判し.無効とする権能は認 められていないのである。 第三の形態は.スイスの政治にみられるいわゆる直接民主制の形態である。けだし.統治形態を如何に定めるかに 関しては、その国の歴史的伝統あるいは国民的基盤というものを十分検討し.それに即応する適切妥当なものでなな ればならない。されば、そういう伝統を無視し、国民的基盤から遊離した統治形態を採用しても真にその国の統治形 態として運用され、最大多数の最大幸福をもたらすことは、木に縁って魚を求むるが如く、殆んど不可能だからであ る。 叙上の如く、ひとくちに民主的統治形態といってもいろいろのタイプがあるわけだが、日本の現実の国情は、近い 将来の日本の理想からいってどういう統治形態がもっとも妥当であるかということは大いに議論のあるところである が、新憲法のとった基本方針はだいたいにおいてイギリス式の統治形態とアメリカのそれとを折衷したものと解してよい。すなわち議会主権主義的統治形態をとり入れると同時に、アメリカの司法権優越性︵一&姦巴ω老おB8唄︶の 原則をとり入れたものということができる。 いったい、この二つの建前が果して矛盾なく調和しうるものであるかどうかということに関しては若干疑問があ る。国会は、一面において国権の最高機関であるとしながら、他面、裁判所が国会の定立した法律を違憲立法として その適用を限定するということは︵八一条︶、最高機関性と矛盾するのではないか、少なくとも言葉の上だけでも、最 高機関という言葉はあたらないのではないかという疑問が生ずる。だからこの最高機関という意味は文掌通りではお かしい。しかし、国民の代表者で構成される国会がむしろ理念的な意味において︵あるいは政治的といってもよい︶統 治機構の中で、最高の地位を占めていると解すべきで、決してそれが法律的に最高であって他の機関の批判を許さな ヤ ヤ ヤ ヤ いと解すべきでない。むしろこの二つの機関の権限のかね合いその調和を憲法は狙っているのである。 新憲法が何よりポツダム宣言の条項に即応して民主政治の徹底強化を最大の眼目としていることはいうまでもな い。しかし、民主政治を徹底し、それを強化するについてはいろいろなやり方がある。新憲法は、この点について、 国民主権の原理と徹底的な恒久平和主義を採用した。元来、民主主義は当然に平和主義を要請する。両者はいわば盾 の両面、表裏一体の関係にある。恒久平和主義の原理という世界各国に類例をみない、まさしく世界史的意義を有す る唯︸の憲法として高く評価してよいであろう。 新憲法の謳っている国民主権主義が西欧ならびにアメリカの政治史・憲法史にみられるような国民主権主義︵b? 唱巳巽ぎく巽①藍p噂︶を意味することは明らかである。換言すれば新憲法の定める国民主権主義は世界史において伝統 憲法前文について ’ “三
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的な意味におけるそれであり、いうなれば単純な国民主権主義と解してよい。明治憲法下の根本の建前は天皇主権主 義である。すなわち、そこでは臼本の攻治の最終の権威は天皇にあるとせられた。この考え方は原理的にみて酉欧諸国 における神権主義︵鷺≦濤話簿︶の思想に通じ、新憲法はこのような神権主義を否定した。要するに.国民主権主 義を承認するということは、明治憲法の根本建前である神権主義を否定することであり.このことは、昭和二〇年八 月︸五羅のポツダム宣書の受諾に縁海する、勝隔の意味でこれを学問的意昧における﹃革命﹄と呼ぶ学者もいる.,アな ハ窯︶ わち国民主権主義が入月革命によハ、で、すでに成立しているという見解である.したが購、て明治憲法第七三条の手続に よるという形式をとウた新憲法が国民主権主義を定めることが決して違法でないとせられるのである、 新憲法の制定については、明治憲法に規定する改正という形式をとったために.旧憲法から断絶した全く新しい憲 法という形をとらなかった。それは.憲法の前文の前にかかげられている上諭をみても、憲法七三条の瞬憲法の改正 手続をかりて行われたことが明示されており.形式的な面からみると、一見.旧憲法の単なる改正、その延長である かのような印象を与える。しかし、その反面、新憲法は、押しつけられた翻訳憲法であり、配給憲法.マッカーサー 憲法であるという説があるために、欽定憲法といっていいのか、それとも民定憲法といっていいものか、チ、の定義に 迷う入たちがかなりあるように思われる。もっとも新憲法の解釈としては、これを民定憲法と断定するためには、二 つの妨げる要素がある。その一っは、この憲法の原案が、日本国民自らの手によるのでなく、外部から押しつけられ たものだという見解であり、他は、欽定憲法としての旧憲法の単なる改正であるならば、その延長にすぎない。それ では民定憲法ではないという主張である。なるほど、新憲法の頭にかかげられている上諭にしたがえば、天皇が裁可した憲法ということになる。しかし、憲 法前文は、その冒頭において、﹁β本国民がこの憲法を確定する﹂と謳っているので、この間の矛盾をどう解くかと いうことが解釈上の重要な課題となる。万一、憲法の前文と上諭とが矛盾している場合には、上諭は形式的な飾り物 にすぎないのであるから、前文を主として解釈すべきはもとより当然である。しかし、それだけでこの間題を片付け てしまうことは不十分である。そこで解釈としては、次のように主張したい。 憲法制定は、実質的には、新憲法の制定であったに拘らず、形式的には、旧憲法の改正として行なわれた。そこに 解釈上、種々の困難な問題が生起する。旧憲法七三条の改正手続については、旧憲法の建前である天皇主権の原理す なわち国体は絶対に改正できないと解された。この通説に立脚すれば、新憲法をもって七三条による改正だと考える ことはできない。新憲法は、国民主権主義を宣言し、いわゆる国体を変えるものであるから、七三条による改正とし ては許されない。それは、形式上は旧憲法七三条による改正ではあるが、実質的には、それを越えた改正すなわち新 憲法の制定である。この形式的欽定性と実質的民定性との矛盾をどうすれば克服できるか。 この間題を解決するポイントは、ポツダム宣言の受諾により国民主権主義が確立したということである。すなわち ヤ ヤ ヤ ヤ 無条件降伏によってもたらされた憲法的変革こそ新憲法の根拠であり、国民主権の確立をみた上は、憲法がこの根本 原理に則して制定されたのは自明の理にぞくする。 新憲法は、旧憲法七三条の規定にしたがって、天皇が草案を議会に提出し、主権は、ポツダム宣言の受諾にょり、 ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ 国民の手に移ったのである︵主権の所在の逆転といってよいだろう︶。だから、天皇は、主権者としての国民に代って、 憲法前文について 三三
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そのような手続を形式上採ったにすぎない。したがって、それは国民の制定した民定憲法と称すぺきである。要する ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ペ に、目本国憲法制定の手続が、旧憲法七三条の規定に準拠したのは、両憲法の時間的継続性を意図した手続上の便法 にすぎなかったのである。 およ茅、近代憲法は、市民階級が、これまでの封建国家を打倒して、新たな市民社会の上に,近代国家の法秩序とし て制定されたもので.茅、の後に憲法を改正した勢.新たな憲法を制定するという場合でも.そこに濃淡の差はあるに せよ.国家的変革を経験しているのであり、て.国家の政治的条件が少しも変動しないのに、憲法だけが変更されると いうことは殆んどありえない。旧憲法が廃止されて.新たな憲法が制定された場合には.革命とはいえないまでも、 それに近似する国家的変革が行なわれた揚合である。わが国の揚合を例にとってみても、明治憲法の制定は.明治維 新という一種の革命を前提とし、裟た新憲法は.終戦に伴うポツダム宣言受諾の結果、国民主権の確立という国家的 変革を前提として制定されたのである。したがって,それぞれの国家における憲法の特質を理解するためには、それ がどのような政治的変革を前提として作られたものであるかという社会史的な事情、客観的情勢を十分検討すること によって、その上に形成された憲法の具体的な特徴を把握することができるのである。 新憲法を理解するためには、終戦による国家的変革がどのような意味をもつかということを明確にすることが肝要 で、それなしに、今の憲法の近代的.社会的意味を理解することはほとんど不可能である。たとえば、国民主権とい う一つの問題をとりあげてみても、そのような憲法上の大原則は、憲法自体によって創作されたものでなく、国民主 権すなわち政治上の最高決定権が、君主から国民に移ったという厳然たる政治的変革が断行された後、憲法の条文の中に、それがとり入れられ、確認されたもので新憲法のいう国民主権という基本原則もそのような意味に解しなけれ ばならない。要するに、新憲法も終戦という外部からの変革によって新たに制定されたのであるから、この憲法を理 解するためには、終戦によるポツダム宣言の受諾と、その要請である民主主義的変革︵日本の民主化︶が、どのような ︵3︶ 性格のものであったかということを把握することが不可欠の先決要件である。 ︵玉︶横田喜三郎 ﹁無条件降伏と国体﹂国際法外文雑誌昭和二一年一月号、 憲法調査会報告書︵第三編︶ ︵2︶ 宮沢俊義 ﹁八月革命の憲法史的意味﹂世界文化昭和二一年五月号 ︵3︶尾高朝雄 ﹁国民主権と天皇制﹂国家学会雑誌六〇巻一〇号、宮沢俊義 ﹁ノモスの主権についてー宮沢教授に答うi﹂国家学会雑誌六二巻二号 佐藤達夫﹁冒本国憲法成立史﹂ジュリスト、 ﹁国民主権と天皇制﹂頸草書房、尾高朝雄 本 論 一 前文幽淳舞導σH。の意義 前文は、近代憲法のもっ基本理念の表現であり、憲法制定権者の宜言である。およそ、一国の憲法の根本理念を表 現するには、いくつかの形式があり、前文で顕示するのが一般的だが、憲法典の枠から離れて宣言されたものとして は、アメリカの独立宣言︵一七七六年︶やフランスの人権宣言︵一七八九年︶などが有名である。 世界の憲法で、比較的に長い前文は、終戦前では、トルコ共和国憲法︵一九二四年︶、終戦後は、フランス第四共和 憲法前文について 三五
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国憲法︵一九瞬六年︶の前文であるが、明治憲法︵一八八九年︶の場合、全文、臣民への大典宣布の﹁勅語﹂、法令公 布の﹁上諭﹂を前文と解するならば、明治憲法の前文こそ世界最長の前文と思われる。日本国憲法の前文は、比較的 長文の前文のカテゴリーに入れてよいであろう。 現行憲法の基本理念は、国民主権、恒久平和主義、国際協調主義、入権尊重主義、国会申心主義の諸原理が前文に 堂々と宣書されている。しかして基本思想が、﹃人類普遍の原理﹄であり.﹃政治道徳の法則﹄であることを力説強 調している意味で.﹃イデオ難ギー憲法﹄とも呼ばれているのも特色の一っに数えられよう.現憲法前文の出典は、 アメジカの独立宣言、フランスの入権宣言、リンカ⋮ンのゲチズバーグ説明などとされ.したが︵、て、アメぴヵ民主 主義の影響が強いのは当然のことながら、本文の生存権的基本権に関しては、ドイツのフイマー漸憲法︵一九一九年︶ の精神を踏襲していることは注目に値する。 皿 明治憲法の前文 ゑ ゆ ギ ヤ ル ヤ キ う 明治憲法には、告文と勅語と上諭︵これを三諾と称する︶と,この三つの貴重な勅文がついているのは周知のとを りである。ところが、この三つの勅文はβ本の憲法学史上冷遇され,これを単なるアクセサリイ視して、その規範性 を否認し、これを法学観した学者は殆んどいなかった。なるほど、比較的素朴な憲法注釈書の中には、この三講につ いて尊重の言を述べているのもあるが・しかし・それは、﹁軽々に看過すべからず﹂といったような程度の注釈で、もと よりそれの法学的性格とか法的性格というものに立入って論述したものではない。只精神的に一般に尊んで、軽々にし てはいかぬというようなことをいっている。つまり憲法と相照合すぺしというような注釈を与えているにすぎない。ところが、明治三〇年代に入ると、一般にわが憲法学にはやや科学的な研究態度が生まれ、それにともなって所謂 三諾に対する研究もまた科学的に進歩したかというにさにあらず、むしろ三諾を精神的に尊重するという態度から、 全く三諾を無視する学風が強くなってきた。もっとも、中には、三詰のうち特に上諭だけに法的性格の片鱗は認める けれども、告文、勅語などは、憲法学上、直接関係がないという学者が大勢をりードした。つまり、総じて年代の下 るにしたがって、この三諾を無視する学問的傾向が顕著になってきたようである。 この中で、憲法というものは、第一条以下の七六ケ条の本文だけが憲法であると、明瞭にそういうことを主張した 学者もあるが、また、そういうことに触れずに、無言の間に、そういう態度をとった学徒もあった。わけても注目す べきは、明治憲法のコーランとよばれた伊藤博文の﹃憲法義解﹄は、全然三詰を無視していることである。つまり、当 ︵4︶ 時の憲法学界においては、三譜を憲法の単なるアクセサリイと見ていたようである。 ︵4︶ 高田早苗博士の東京専門学校における明治二八年の講義をみると、 ﹁抑々告文と勅語とは憲法の本体に関係なしと碓も、前文は憲法の序文として其関係少なからざるを以て云々﹂という ように、告文と勅語は憲法に関係はない、上論は憲法の序文であるという意味においてこれを認めている。 それから最も有力な学説として昭和二年に公刊さた美濃部達吉博士の﹁逐条憲法精義﹂において、博士は、現に憲法施 行の期日は、憲法の本文によって規定されないで、上諭に規定されていることを根拠とし、上諭に本文と同様の効力のあ ることを主張されている。美濃部博士の ﹁憲法精義﹂の公刊された翌年昭和三年︵︸九二五年︶、有名なカール.シュミッ トの憲法論く角螢霧毒σQωざぼ①が出版された。この文献の最初のところに、ワイマール憲法︵一九一九年︶の前文につ いて彼は、この前文は憲法の趣旨を説明したもので、憲法の本文と同様な法的拘東力があると論述したことは刮目に値す る。 憲法前文について 三七
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要するに、美濃部説のポイントは上諭のみが憲法的性格を有するが、告文と勅語とは精神的に尊重すぺきであっても、 法的には無関係であるとするにある。 箆克彦博士の昭和五年東京帝大での講義のプリントをみると、飛皇国の憲法は、天皇が君主の偶然をも亦人民の偶然をも 超越して、国の淵源且つ本質たる神の大御心を表現された聖典である。皇室典範も憲法も﹁告文﹂を基礎として効力を獲 得する。告文とは、天皇の祭文で、天皇が憲法、典範の制定発布に先き立って﹁萬世一系唯一ノ天皇トシテ天照大神ノ延 長ナルゾしとの自信を圃うし給い.神に帰一し、神の延長として君臨したまふ為の御仕業で、これ憲法及び典範をして単 に御一個の偶然なる表現たるに終る事なく飽く迄神法として神の生命を発揚せしむるものと為さんが為である。﹄と.す なわち、博士は主として告文のことを力説され.更に﹃憲法成文の条規の解釈はこの告文の基礎の上に立てる勅語及び上 諭を根底とすべきもの.諸国の憲法又はその学説を基準として解釈すべきものでない臨とされ.三講重視の態度を示され た鵜とは注躍すべきである. けだし.明治憲法における憲法の範麟に関する間題点は三講をもって、憲法に対する道徳的附加かあるいは精神的装飾 と解する説が有力であるが.三諸の申、上諭のみに憲法的性格を認める説も傾聴に値する所論と考える。 三 臼本国憲法の前文 目本国憲法は、前文と本文から成り、世界諸国の憲法の前文に比して相当長文のカテゴリイに入る。前文は、憲法 制定の趣旨、躍的および憲法のよって立つところの基本精神、基本原理を力強くかっ詳細に宣言している。 前文は法であるのか、法でないのか。すなわち前文の法的性格の有無に関しては、明治憲法を契機として異説ある も、明治憲法に関しては、前文いわゆる三諾は、精神的装飾と解し、その憲法的性格を否定するのが妥当な見解と思 われるが、日本国憲法に関する限り、その成立過程から判断しても憲法々典の一部といわんよりは、憲法規定の最も重要な部分であり、憲法そのものの有する権威を保有し、本文は、前文の中に盛られた日本国民の新しい哲学と世界 観が二章一〇三ケ条の規定となって具体的に表現されているのである。 明治憲法の規定は、多く極めて簡潔であり事柄の大綱を定めるにとどまった。しかろに日本国憲法は、実質的意味 の憲法は、すべてこれを規定する方針をとっているので、各条文ならびにその全体が、明治憲法に比して、いささか 長くなっているのはそのためである。貝本国憲法は、明治憲法の規定があまりに簡潔であったため、それを逆用して 、反動勢力が明治憲法をその本来の意味以上に、反民主的に解釈、運用したことに鑑み、各規定を、できるだけ具体 的に詳細に定める方針をとったのである。要するに、前文は、重要な憲法規定であり、本文は、その申し子とも称す ぺく、密着、不可離の関係にあることを忘れてはならない。 四 前文の効力 日本国憲法の前文は、上諭と異なり、本文と全く同一の手続によって制定されたものであるから、本文と合して臼 本国憲法を構成するものである。したがって、条章として個別的に規定されているわけではないが、憲法的性格を具 有し、法としての性質すなわち法的拘束力を有することは明らかである。 ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ その法的拘束力を指摘すれば、第一に前文は、憲法解釈の指導原理その基準であり、第二は、憲法改正の限界を顕 示し、宇句の修正程度なればよいが、日本国憲法のよって立っ基本精神、基本原理を否認するが如き改正は許されな いということである。 第一の点に関しては、反論はないが、第二の点に関しては有力な異説があることは周知の通りである。 憲法前文について 三九
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けだし、憲法は、国の最高法規であり、ケルゼンの言葉をもってすれば、組織規範と基本的人権の属録をそなえた 根本法であるから、朝令暮改的変更はもとより好ましくない。しかし、変更を全然許さないのも妥当ではない。とい うのは、憲法といえども・法律と同様一定の社会条件の下に制定施行されるのであるから、社会の発展に基づいて変更 の必要にせまられる場合もありうる。だからこそ、近代憲法は改正規定を謳っているのである。けれども、それはあ くまで歴吏の進歩のため、社会の発展のためであって、若し改正が.社会の発展を阻止し、民主政治を逆行させ、国 民生活を塗炭の苦しみに沈倫せしめる危険性を包蔵するならば.それは改悪と称すべく.断じて許されないのである. 世界の憲法吏を顧ると、憲法を永久不変のものとして硬直させ、改正手続を定めなかったものもある。いわゆる硬 直憲法の悲劇は、︸八一四年のフランス王制憲法にみられる、 現下,大多数の憲法国家は.改正手続に関する限り.改憲条件に関し、難易の相違あるにせよ、明確に改正手続を 規定している。ここで、憲法の改正というのは、憲法自身の定める一定の手続にしたがって憲法に対し意識的に変更 を加えることをいう。その変更の内容は、字句の修正ないし既存のある条項を修正し、削除した塗、新たな条項を追 加した鈴、あるいは別に法典を設けて条項を増補した夢することである。すなわち、β本国憲法のいう改正とは、そ ヤ き ヤ ゼ ゆ あ き な パ の一部改正を指すのであって、全面的改正を意味しない。したがって、改正という仮面の下で、今の憲法を廃棄する ことは許されない。 ま ゼ ヤ たとえば、国民主権を廃して天皇主権とする、象徴天皇を廃して元首とする、すなわち逆コ⋮スをとることは、改 正でなく改悪であるから、それは明らかに憲法九六条のいう改正の概念をこえたもので、これは、通常いわれる憲法の廃棄、あるいは憲法の転覆とスノニムであるといわざるをえない。これを要するに、 一部論客の主張する無制限 説は、前文の法的拘束力を否認し、前文と本文の等価値観を根幹とするものであって謬見と称すぺく、憲法のよって 立っ本質的基本原理を変更ないし否定することは、憲法そのものの否定と同じ結果を招来することになり、憲法自体 ︵1︶︵2︶ の自殺行為と解せざるをえないのである。 ︵王︶憲法というものは、だいたいにおいて抽象的な原則を包含し、それを具体化するには、それを実現する法律を定立しな ければならない。そして、この憲法附属法がどのような内容規定を設けるかによって、紙の上の憲法がはじめて生きた現 実の憲法となってくる。だから、どのような具体的な内容をもった法律が定立されるかによって憲法そのものの内容も決 まることになる。そのため、ある場合には憲法の主旨に反して、憲法附属法が別の定めをすると、憲法の内容が事実上、 変更されたことになる。イエリネク甘温蓼犀は、憲法の条文が変わらないのに、その附属法が変ることによって、事実 ヤ ヤ ヤ ヤ 上、その内容が変わることを、憲法の変遷く巽鉾累戴お。 。≦窮象琶σQといっている。明治憲法下、憲法の改正が行われない のに、その内容が憲法附属法によって変更されたケースがしばしばあったようだ。しかも、それについてβ本国民は問題視 することができなかつた。現憲法一・−では、この点、全く異った建前をとっている。この憲法の下にあって、憲法附属法が憲法 の規足に違反した揚金には、これを違憲として問題となしうることになっているから、明治憲法時代とは異なジ、とくに憲法 規定そのものが、憲法附属法の内容とは別個に、本来いかなる内容のことを規定しているかを明らかにする必要がある. したがって、憲法の解釈にあたっては、憲法附属法の解朋よりも、憲法規定そのものが、どのようなことを想定して原 則をたてているかということを的確にする必要があるのである。そうでなければ、違憲か合憲かという判断の基準となる 憲法そのものの解釈が少しも明らかにされないことになるからである。 ︵2︶京都大学の大石義雄教授は﹃永久に戦争を放棄するという法的事実は、現憲法の存在を前提としてのことであって、現 実法が変れば、この戦争数棄の宣書規定がどうなるかは、一つに、来るべき憲法が、これをどう定めるかによって定まる 憲法前文について 四一
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ことなのである。現憲法は来るべき憲法の内容を拘束するカはこれを持たないのである。 定についても、また基本的人権に関する規定についても同様である。輪公法研究八号 このことは、 四二 国民主権主義の規 五 憲法改正のポイント 終りに、憲法改正手続のポイントに言及しょう。葺本国憲法改正の手続は、第九六条による以外に方法はない。い ︵i︶ わゆる解釈改憲は許されない、このことは、﹃この憲法の改正は,⋮血と特定的に規定している点からみて明らか である。 国会が議決して憲法の改正を発議するためには.まず改正原案が議院に発議・提出すなわち発案されなければなら ない。ところでその発案権者について、若干の間題がある。国民発案の制度を認めていないわが国では、国民に発案 権がないことは当然のことながら、これに対し.国会議員が発案権を有することは明らかである。問題は、内閣が. 憲法改正案の提出権を有するかどうかという点である。 この問題については、積極説と消極説とがある。前者に関する有力な見解は、七二条を法的根拠となし、法律案に ︵2︶ ついて内閣の提出権を認める以上、憲法改正案についてこれを否定すべき理由はないとする。これに対し、消極説 ︵3︶ は、まず、内閣に法律案の提出権を認めない立揚から、憲法改正案についてもこれを否定する見解と、法律案につい ︵4︶ ては、内閣にその提出権を認めながら、憲法改正案にっいては、これを否定する論客がある。 現憲法は駿行的両院制を採用し、衆議院優位の原則を制度化しているが、第九六条の国会の発議に関する限り、両 院を同格とするいわゆる硬憲法主義を採用していることを根幹として、改正案の提出は、改正案の発議のきわめて重要な段階であり、実質的には、発議される改正案の内容そのものをほぽ決定しうる役割を果たすことにもなるのであ るから、その提出権も、各院の議員に独占せしめるのが憲法の趣旨と解されるので、消極説をもって妥当な見解と解 する。 国会によって発案された憲法改正案は、国民の承認を経ることによって、はじめて憲法改正は確定する。承認と は、憲法改正権者たる国民が、国会の提案する改正案を茅、の内容として憲法の改正を決定することである。しかして それが承認として成立するためには、有効投票の過半数の賛成のあることが必要である。ともあれ、国民投票にあた りては、国民は、国会の提案にかかる改正案の全部について、ただ賛否のいずれかを表示するにとどまり、これを修 正する権限はないと解する。 ︵i︶憲法第九条に関するいわゆる清瀬理論をもって代表的見解とするが、今は亡き高柳賢三博士の﹁憲法第九条に関する 複線的解釈﹂、それから岩田宙造博士の﹁憲法第九条に関する解釈﹂も同巧異曲の見解と解してよいであろう。 ︵2︶ 美濃部達吉・憲法原論、田上穣治・憲法概説、清宮臨郎・憲法要論 ︵3︶ 田畑忍・﹁憲法九十六条の解釈﹂同志社法学 ︵4︶鵜飼俊成・憲法、俵静夫・憲法 憲法前文について 四三