CEL TOPICS−炎と食シンポジウム第22回講演ダイジェスト 柳田國男と食文化/CEL【大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所】
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(2) CEL TOPICS. こういうふうにして、兄嫁の悲劇、西と東の 農村の体験、そして恐ろしい絵の記憶、それら が幼少期にあって、いずれもが彼の後の学問形 成に関係してくるわけです。 その後、彼は東京で進学するため、別の兄の ところに行き、やがて一高から帝大に入り、エ. とき、椰子の実を発見するわけです。遠い南か. ました。その後半の1週間、宮崎県の山奥の椎. まず、夏前に九州へ2カ月間、出張旅行をし. 柳田國男は2つの体験をし、これが一大転機に. ら黒潮に乗って流れ着いた椰子の実。保養が終. 葉村に滞在したのですが、その時、つききりで. 伊 良 湖 岬 に 保 養 に 行 き ま す。毎 朝 浜 辺 を 散 歩. わって彼は東京に帰り、友人の島崎藤村にその. 彼に応接したのが中瀬淳という村長です。この. なっていきます。. ことを話す。そうしたら、島崎藤村が﹁その話、. 人が、柳田國男が知りたいこと、見たいことに. す ると、いろんなものが流れついている。ある. も ら っ た。誰 に も 言 う な﹂と 言 っ て、つ く っ た. 以 上 に 豊 か な 内 容 を 後 日、原 稿 に し て 東 京 に. 的確に対応してくれた。さらに、滞在中の質問. 送っています。それを材料にして柳田國男が書. のが、あの詩だそうです。 学生時代も後半は勉学にはげみ、柳田國男は. いた本が﹃ 後 狩 詞 記 ﹄です。わずか 部の自費. 出版でした。こうして、山間僻地の椎葉村での. のちのかりことばのき. 帝大の法科を出ます。そして官吏になったわけ でした。穀物を蓄えておいて、飢饉の際にはそ. 狩猟に関する作法、儀礼、技術が記録されたわ. . です。卒業論文は飢饉の時の対策に関する研究 れを放出する仕組みの研究。その専門性を生か. けです。. 次が 月、文学仲間の水野葉舟が、岩手県遠. えが強かった時代、柳田國男は全く違う意見の. から、保護して守るのが政府の役目だという考. たちとは全然違ったんですね。農業は国の礎だ. 話を聞き、翌年には彼も遠野へ旅行をし、でき. 感動させる。それから月に1回、自宅に招いて. きます。遠野の話を佐々木がして、柳田國男を. 野出身の文学青年、佐々木喜善を連れてやって. ﹃遠野物語﹄には、不思議な出来事の話が11. 論 文 を 書 き ま す。そ れ は、農 業 も、農 民 が 自 分 うな産業にならなければいけないというもので. 9話入っています。それらはザシキワラシ、天. あがったのが﹃遠野物語﹄です。 す。し か し、こ う し た 考 え は、当 時 は 誰 か ら も. 狗、山男、山女、雪女、川童など、不思議な話ば. 伝聞は入りますが、事実として語られているわ. も な く、嫌 気 が さ し て き た 頃、1 9 0 8 年 に. 農政にかかわって活動している中で、賛同者. すが、むしろ文学作品の趣が強い。柳田國男が、. には﹃遠野物語﹄が民俗学の出発とされるので. げた、非常に簡潔な文語体の文章です。一般的. 弁なのに、その名残がない。柳田國男が練り上. けです。佐々木喜善という人は遠野の人で岩手. 必ず書かれています。これは昔話集ではない。. かりですが、どこの誰々がいつ、ということが. 賛同を得られませんでした。. の知恵や判断で、才覚を発揮して利益を得るよ. た。そこで彼が考えた農業とは何か。当時の人. すということで、1900年に農商務省に入っ. 50. 初は専門の勉強よりは文学青年として活動しま. リートの道を進むことになります。ところが最. 11. した。当時ヨーロッパから新体詩が入ってくる。 彼はその仲間に加わります。 文学青年だった彼と島崎藤村との間に深い交 流があったことを表すのが、有名な﹁椰子の実﹂ の詩です。柳田國男は体調を崩し、渥美半島の. CEL Feb. 2012. 67. 布川の徳満寺にある間引き絵馬(複製).
(3) 炎と食の シンポジウム. 第21回. 講演ダイジェスト. 容 で、学 生 時 代 に 伊 良 湖 岬 で 椰 子 の 実 を 拾 っ. 九州、四国、本州へと広がっていったという内. 狩 詞 記﹄の 方。言 葉、儀 礼、技 術 を 客 観 的 に 記 た、あの感動が結実したのだと言われます。. 暮らしている﹁山人﹂たちでした。彼はその人. が農業政策に挫折して発見したのは、山の奥で. 最 初 は 19 10 年 代 の﹁山 人 の 民 俗 学﹂ 。彼. 時、そうした思いが、柳田國男の中に、やみが. ことは、沖縄を抜きにしてはありえない。この. 人という一体性、アイデンティティを確保する. 対して、その施政権を是認しました。我々日本. き日本は、沖縄を軍事占領しているアメリカに. れ が 四 方 八 方 に 広 が っ て い っ て、今 は 青 森 県. です。京都やその周辺で言う﹁ででむし﹂ ﹁でん. それを理論化して説いたのが﹁方言周圏論﹂. 普段着を意味する褻︵ケ︶着から導き出し、二. 彼 は ハ レ と ケ と い う 言 葉 を、晴︵ハ レ︶着 と. 祖先は、遠い昔、中国大陸の南の方から沖縄に. 1952年に書かれたものです。我々日本人の. すが、その中の論文の大部分は1950年から. 柳田國男の有名な本に﹃海上の道﹄がありま. です。 ﹁なめくじ﹂が中央で一番古く発生し、そ. 布する。つまり、圏は外側のものほど古いわけ. くじ﹂と言う。それは日本列島に同心円状に分. にいくと﹁つぶり﹂ 。ついにその外側では﹁なめ. だ と 言 っ て い ま す。同 じ く ケ も 褻 着 だ け で な. ハレ。晴れがましい、華やかな気分の時がハレ. 単 に 着 物 だ け で は な く、御 馳 走 を 食 べ る 時 も. 項 対 立 的 な 概 念 と し て 組 み 立 て た わ け で す。. 68. CEL Feb. 2012. その後、民俗学を発展させていくのは、実は﹃後 録していく方法でした。 しかし、サンフランシスコ講和条約により、. た ち を 日 本 の 先 住 民 の 子 孫 だ と 考 え、そ の 文. たく働いていたのではないでしょうか。. 日本が独立を回復したのが1950年。このと. 化、歴史を明らかにしようとし、さらには漂泊. 状況に陥っていく。世界恐慌があり、日本では. 基づいて各地の類例を集めて比較をする。これ. と、反対側の九州に見られる。こういう仮説に 地域差の中に時間を発見するのが柳田國男. ﹁ハ レ と ケ﹂は、最 も 世 間 に 広 く 流 通 す る よ. 民 を ど う 助 け た ら い い の か に つ い て、歴 史 を. 電気を使っている。しかし田舎になると石油、. うになった柳田國男の用語であり概念でしょ. が民俗学の方法だと説いた。 もっと田舎になると魚油、ナタネ油、もっと田. う。我々の暮らしには、ハレとケの区別がある. の民俗学の基本的な方法です。現在、都会では. そ し て 戦 争 が 激 し く な っ て い く 中 で、今 度. 舎になると松の根。地域差は時間差を表すとい. が、新しい時代にはハレとケが混同し、だんだ. 我々はどうなってしまうのか。そこで民俗学と. でんむし﹂は、その外側では﹁まいまい﹂ 、さら. うというものでした。 は、 ﹁日 本﹂と は と い う こ と が 論 題 に な っ て き. うことを、彼は言ったわけです。. いうものが、日本人の自己認識や一体感を把握. に外側では﹁かたつむり﹂と言う。もっと外側. 渡り、そこから黒潮の流れに沿って、島伝いに. に書いています。. する学問という性格をもってきます。. んと境目がはっきりしなくなったというよう. ま す。さ ら に 戦 後 は、ア メ リ カ 軍 の 占 領 下 で. 明 ら か に す る こ と か ら、そ の 方 策 を 提 示 し よ. 農村が困窮する。その中で、豊かになれない農. す。19 20 年 代 を 通 し て 日 本 が 大 変 悲 惨 な. 常民と呼んだ普通に暮らす農民たちの研究で. 民の民俗学﹂と私は言っています。柳田國男が. 次は1930年代を中心にした時期で、 ﹁常. をする人たちや被差別民の研究もしています。. は3つの段階に分けることができます。. その後の柳田國男の 年に及ぶ民俗学研究 50. 柳田國男の方言周圏論の模式図.
(4) CEL TOPICS. であり、ハレの状態。それに対して朝起きて、. 儀礼や行事が行われる時は、すべてハレの時間. 冠婚葬祭、結婚式はハレである。葬式もハレ。. います。. を与えないような地味な状態がケだと言って. く、ごく日常的な食べものもケだと言い、刺激. せて先に進んできたのだと考えた。これは、食. んだのではなく、逆に解決すべき問題を発生さ. です。変化は、それは問題が解決されて先に進. とは限らないということを常に考えていた人. スの面は認めても、必ずしもそれが進歩、発展. することによって、改良され、改善されるプラ. はないと柳田國男は考えました。しかし、変化. まり、障子の桟にも埃がつくようになる。そう. 木綿になってくるなかで部屋の隅に綿埃がた. 綿が、いかに綿埃をつくるのか。布団や衣類が. ら、生活はどう変化したかを論じています。木. に関するものです。木綿が我々の日常になった. ﹃木綿以前の事﹄という本のテーマは衣と食. がそこにあったのか。. 働いて、夜寝るという時間の展開をしていくの. いうことは誰も指摘しないことです。食事に関. 係しては、瀬戸物が普及したことは、どれだけ. 文化の研究においても同様でした。 柳田國男の食文化研究の文献では、1931. 人々の生活を明るくしたか。茶碗の縁の、木器. がケ。毎日同じ形の繰り返しが行われる中に、 時々ハレが入るというのが彼の考えです。. では出ない﹁かちり﹂という音。白い陶器がい. かに人々の生活を変えたのかを指摘する。. 年に出た﹃明治大正史世相篇﹄が、最もまとまっ になって、どう我々の生活は変わったのか、そ. そ し て﹃食 物 と 心 臓﹄ 。お 正 月 に 供 え る 鏡 餅. た重要な論点を出した本です。前近代から近代. 南から九州まで広がりを見せるものです。南側. してどういう問題を我々は抱えているのかと. はなぜ丸くて真ん中が高くなっているのか。こ. 男の生家のような田の字型の家は、東北地方の の2部屋は日当たりや風通しの良い、明るい部. いうことを説いたものです。全 章のうち最初. ハレとケには空間の意味もあります。柳田國. 屋です。ところが、いつもは使わず、お客さん 使 う。台 所、茶 の 間、納 戸。ハ レ の 空 間 と ケ の. が来た時に招き入れます。普段は北側の部屋を. 衣食住ですが、読むと、皆さんもハッとするよ. 物の個人自由﹂ 、第3 章﹁家と住心地﹂ 。つまり. の3章は、第1章﹁目に映ずる世相﹂ 、第2章﹁食. ある、生命力を表すと説いています。. れは人間の心臓。心の臓を象ったものが鏡餅で. 別されていたのが、近代では区別がなくなって. で、ハレになると晴れ着の色になる。そこが区. 変わったのかを論じています。色にも歴史があ. 化してきた時に我々が目にしている色はどう. 第1 章 の﹁目 に 映 ず る 世 相﹂で は、歴 史 が 変. る。第2 章の﹁食物の個人自由﹂というタイト. 変遷について書いています。. 調理について、火との関係と燃料や道具などの. ことについて論じた本が﹃火の昔﹄ 。灯、暖房、. 調理を含めて人はいろいろと火を使う。その. 空間が明確に分かれていました。. いく。すべてがハレ化する過程として柳田國男. る。近世の生活の中で身の回りにあった色、目. うな指摘がなされています。. は変化をとらえている。そのことを食べ物で、. にしていた色は、近代、現代になって大きく変. 色もケの色はくすんだ地味な刺激のない色. 着るもので、住まいで論じていったわけです。. わっている。今見ている色で過去を推し量るこ とができない。音もそう。昔は自動車の音はな かった。さまざまな音が時間の中で変化してき ている。さらには、におい、かおりにも歴史が ある。衣食住の問題を取り上げながら、人々の 生活は変化することが大前提です。変わらな. ル だ け で わ か り ま す ね。ど う い う 大 き な 変 化. 感覚、すなわち五感でとらえる歴史を論じてい いものであれば、調べたり研究したりする必要. CEL Feb. 2012. 69. 15.
(5) CEL TOPICS. いた。 ﹁粉食は節句に属し、ハレとケの区別の. する生活になった。日々、ハレと同じような色. そして今や毎日がハレになった。毎日が興奮. ハレの場面であったことを示しています。. 如きも、粉粒二様の食法と大体に相呼応して居. を使って服装を整える。外食をして暮らすとい. 柳田國男はこう言っています。衣類のハレと. つくなどして、どろどろにする粢でした。それ. のは大変で、昔は、水につけたもち米を手杵で. 家 族 制 が、や っ と こ し ら え 上 げ た 新 様 式 で あ. 噌汁と浅漬けと茶との生活は、実は現在の最小. 柳田國男の言葉のひとつに、 ﹁温かい飯と味. 跡を覓めることができるのである﹂ 。食の方に. が粉食の時代になってきます。煎った穀物や乾. やがて粉をつくる道具が普及してきて、日常. ことです。ちゃぶ台を囲むような生活、今はダ. で皆が同時に食べられるようになったという. べるということは、小さい家族になって、そこ. 70. CEL Feb. 2012. にいた。だからこそ粉食がハレの食物になって. る﹂という。. ケは曖昧になってきた。それに対して﹁我々は. がやがて、蒸したもち米を横杵で打つことで餅. っているようですが、あたたかいご飯を皆で食. る﹂というのがあります。当たり前のことを言. うことになったわけです。. 改まった節には晴の膳に坐り、常の日には今で 男性へと移っていきます。. がつくられるようになり、つくり手も女性から. 餅も同様。米をこねてネバネバの状態にする. も褻の飯を食つているのである。すなわち眼前. はまだ﹁ハレとケ﹂の区別が残っているという. 燥させた穀類を挽き臼で粉にしていくことで、. イニングテーブルでしょうか。それは新しくで. しとぎ. の事実を観測して、その中から年久しい慣習の. わけです。. 団子、そしてうどんなどの麺類もつくれるよう. き た も の で、前 と は 違 う と い う 変 化 を 説 き つ. もと. 食物について彼が書いた論文の中で大きい. になってきた。道具の変化と調理されたものの. . 問題は、前は穀類を粒のまま食べていたのが、. つ、そこに潜む伝統と言うべきものも、またう. かがうことができるのです。. 関連性を説いています。 ては普段飲めなかったもので、ハレの時に皆が. 酒の飲みようも変遷しています。酒は、かつ. 後に粉にして食べるようになってきたという ものです。つまり、粒食から粉食へ変化してき たということ。昔は手間が大変だから粉にせず. 酔うために飲んだ。当初は、ひとつの大きな盃 で回し飲みをしました。それがやがて、いつで も、どこでも、お酒が飲めるようになってくる。 徳利と猪口が出てきて、今度は盃のやりとりの 形になります。全国どこへいってもお酒が飲め るようになったのは一升瓶の普及が重要でし た。家にもお酒が保存できる。規格化されたも ので非常に都合のいいものでした。 外食の一般化はさまざまな形で行われてい ますが、外に持っていって食べる弁当の歴史も かかわってきます。小さい子が外でゴザに座っ てする﹁ままごと﹂も、食事を外ですることが. CEL.
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自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から
下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ