原水禁運動と寸国民ク 81
原水禁運動と 国民〝
岩松繁俊
1
日本帝国主義の「清洲」侵略にはじまる15年戦争の末期,広島と長崎と は,アメリカの2発の原子爆弾(ウラニウム爆弾とプルトニウム爆弾)によ って攻撃され,壊滅した。これは,全世界の周知の事実である。
長崎が原爆攻撃をうけたのは,1945年8月9日午前11時2分であった。こ のこともまた,周知の事実である。
そのときまでに使用されたあらゆる殺人兵器のなかで,原爆がもっとも残 虐非道の兵器であり,その原爆によって殺傷された長崎市民の数は(広島市 民の被爆者の数もおなじく)いまだに正確にかぞえあげることができないと いうこともまた,わが国では.よく知られている。
わたしは,その日,長崎市大橋町(現在の文教町長崎大学)にあった三菱 兵器製作所大橋工場(航空機搭載魚雷の製造工場)に 動員学徒〝 として作 業中に被爆した。このことについては,すでに,拙稿「原爆被爆26年後の長 崎−原爆アンケートの暫定的集約−」(『経営と経済』第51巻第1号,
1971,所収)のなかに,のべておいた。
言語に絶する原爆の極悪非道の犯罪的惨状のなかで,九死に一生をえた数 万の被爆生存者のひとりとして,わたしが体験し,苦悩し,思索し,行動し,
訴え,調査してきたことは,多種多様にわたるが,本稿では,最近しだいに 注目されてきた原水禁運動の統一の問題をみすえながら,とりあえず原水禁 運動とそれを支持し推進する立場にたつ 国民〝 との関係について,いささ かかんがえるところをのべることとしたい。
わたしの問題意識は,核戦争政策や核のカサの下での防衛政策に専心する 超大国やその従属国の政治に抗議し反対する良心的進歩的学者・知識人のそ れを共有するといわなければならないが,それだけでなく,いまだに未知の
悪魔的緩慢殺人効果としての放射能を体内ふかくにぼく射したひとりの被爆 者として,たんにアカデミックで冷静な問題意識とはちがった生死をかけた 切迫した,なまの意識を他の数万の被爆者とともに分有しているというべき であるoわれわれ被爆者の、加齢現象グは,医学的統計的に証明されている がゆえに,被爆者各個人にとって,その原爆症死の恐怖は,たえずつきまと ってはなれることがない。
2
原爆を被爆し,その残虐無比の殺人兵器をにくむひとびと,およびそのひ とびとの体験と感情と思想に可能なかぎりの共感と理解とをもつひとびとに よって,ながいあいだにつちかわれ,成長してきた強固な反原爆の理念とそ の理念の具体的実践としての原水禁運動は,第2次世界戦争後,反戦平和運 動の中核的位置をしめてきたといっても過言ではない。
ところで,原水禁運動がこれまでにはたしてきた多くの重要な役割と意義 とにもかかわらず,最近とみに,その運動への批判が,かまびすしいほどに マスコミによってとりあげられるようになった。もちろん,現実世界の運動 であって,いかなる批判の余地もないほどに完全無欠の運動がありえようは ずがない。進歩的革新的な立場にたった運動にたいしては,保守的反動的な 側からの批判や非難や中傷があるのは自然であり,また,伝統墨守的権威主 義的行動にたいして,改革的立場からの批判がおこるのはやむをえないとい うべきであろう。したがって,批判されること自体は,その運動にとっては いささかの痛序ともならない。問題は,その批判が,真に核心をついた適切 な批判であるか,野心と中傷にもとづく民吉雑言にすぎないか,にあるo
ところで,原水禁運動にたいしてくわえられつつある批判のうちで,最近 もっとも強力にたてられている声は,原水禁運動は分裂している,という声 であり,したがって,また,原水禁運動は統一しなければならない,という 批判的要請の声である口
たしかに,原水爆武装促進政策を推進し,支援している多数の勢力にたい
原水禁運動とも国民。 83 して,それは人類破滅の道にほかならない,ということを,声を大にして叫 び,説得し,非武装の世界形成へと転換させるためには,国内的ならびに国 際的に大きなちからをもった運動が形成され,発動されなければならず,そ のためには,統一と団結こそが,もっとも重要不可欠の方法であるといわな ければならないであろう。
したがって, 、統一グをもとめる立場にたった批判は,正当かつ適切とい うことがだきるであろうが,しかし,そうだと断定するためには,その批判 の内容を検討してみる必要があろうo
その批判の内容を検討するにあたって,わたしは,わが国の世論指導と形 成に重要な役割を演じている大新聞(いわゆる全国紙)の論説をとりあげ て,批判の代表的表現とする乙ととしたい。
1973年8月6日付「朝日新聞」の社説 rr原爆の日』を追想で送るな」に は,つぎのような文章がある。
「ことしも広島,長崎では,多彩な原水禁大会が聞かれる口それらの中で 特徴的なことは, 10年前に分裂した日本原水協(共産党系ほか)と原水禁国 民会議(社会党・総評系)の二大組織が,そろって統一問題を取上げること である。 Jrだが,原水爆禁止運動の真の特徴は,思想信条がちがい,再軍 備や安全保障問題については意見が全くちがう人も,原水爆禁止の一点では ともに手をつないで団結した,ということである。 Jr各組織と政党は,こ の原点を直視すべきである。大衆運動とはいえ高度の政治性を問われる平和 運動は,その内部に常に政治的対立を生む条件をはらんでいる。原水協の迩 勤が『勤評問題』に及んだときまず自民党が離れ,次いで民社党が別組織を つくった。やがて原水協内部には中ソの対立が直接持ち込まれて,社共両党 はそれぞれの思惑を持って分裂を固定化した。その結果が何を招いたか,・そ れは第五福竜丸保存運動の現状をみればよい。原水協・原水禁は,このにが い経験を教訓として,新たな統ーを探求すべきである。 J
r
原水爆禁止辺政jは,国民が生み育てた歴史的な平和運動であるO その目以は,人間がつくった 核兵器を人間の子で廃絶し,大i立点殺のi守成から全人類を解放することであ
る r原 ij~ ゆるすまじ』の初心はあくまでも貫き通さなければならない。」
ここには,いつもながらの「朝日」論説陣の、良識H ある論調がある。さ すがに大新聞の論説陣だけあって,いろいろな事実にかんする情報をふまえ ての良識がのべられており,そしてそれが良識であるがゆえl乙 、国民'か
らの支持も大きいとみなければならないであろう。
しかし,この、良識グある模範答案は,正当適切なものといえるのだろう か。この論説が説くところの、統‑"とは,どういう内容のものだろうか。
それは r思想信条がちがい,再軍備や安全保障問題については意見が全 くちがう人々も,原水爆禁止の一点ではともに手をつないで団結した」とい う意味での、統‑"なのである。すなわち,あらゆる、国民グを包含した運 動でなければ,統一された運動ではないという認識であるo
ところで,乙の社説は,うえには引用しなかったが,さらに,社共両党問 では「組織統ーについて話し合う用意はできているものの」原水協と原水禁 との主張はすれちがっている,とのべているD 政党次元では合意があっても,
原水禁の組織の次元では合意はまだない,というのであるo これでみると,統 一問題を推進しているのは,社共両党であって,原水禁運動の組織ではない,
というわけであるO
そして,さらに,社説は, r公明党が初めて原水禁の大会l乙参加したこと は,社共の話し合いをより複雑なものに変えるかも知れない。」とのべてい るo
すべての国民が参加した統ーといいながら,公明党がくわわると,社共の 話し合いが複雑になるかもしれない,といういいかたは論理的に理解できな いし,また,原水禁運動の組織の統ーといいながら,政党次元の問題に転換 するのも,不可解である。原水禁運動の組織と政党との関係,国民と政党と の関係の認識がきわめてあいまいであって,しかもその関係を勝手にすりか えているといわざるをえない。
大新聞の論説の一般的性格を理解するのに参考となる論説を,もうひとつ あげるならば,それはおなじ昨年, 1973年9月8日の社説である。 9月7日 は,札幌地方裁判所の福島裁判長が,長沼ナイキ訴訟において,自衛隊違憲、
の劃期的な判決をくだした日である。 9月8日の社説は,福島判決を論じ
原水禁運動とも国民。 85 て,つぎのようにのべているO
「われわれは率直に言って,乙の訴訟の具体的結論が最終的にどのような 形で落ちつくにせよ,自衛隊の問題は,結局,国民の合意によって解決をは からなければならぬ性質のものではないかと考える。 JIわれわれは,今岡 の判決を機に,国民のすべてがあらためて憲法の前文と第9条の持つ窓味を かみしめ,かつ現在の内外の情勢のもとにおけるその今日的意義を追求し て,わが国の防衛問題についての国民的合意が成熟に向かうのを期待した い。」
ここには,論説委員の判決にたいする、率直グなな見表明はまったくな い。ただあるのは,またしても, 、国民グの合意への期待のみである。これ は, }吾、法と自衛隊問題を真剣にかんがえている国民の実績をわきまえない傍 観者的観念論の典型であり,また, 、国民グにたいして、あらためてグ芯法 と防衛問題を、追求グすることを要請するという,超越的指導者的発想の典 型である。
こうみてくると,大新聞は, 、国民グという用語を、民主的グな問題解決 の万能的結論として,かくれみの的に常用しているといっても過言ではない であろうO 、国民グという用語によって,階級や階居,利害や;立見の対立的 存在をおおいかくしてしまうのであるO このような社説の発想は,民主主義 の否定を導出するのではなかろうか。なぜならば,民主主義は,対立する階 級,対立する利害,対立する芯見の存在を前提し,それを許容したうえで,
これらの対立関係をいかに調整してゆくかの努力のなかにのみ,成立するか らであるD 思想・言論・表現・報道の自由,学問・研究の自由など,一辿の 自由が民主主義の根幹をなすのは,民主主義社会が等質的成員のみから椛成 されるものではないとの認識が根底にあるからであるD
新聞の社説が,このようなものであるとするならば,その日々報ずるところ の報道記事はいったいどういう内容のものであるか,われわれは疑いをもた ずにはいられないであろう。しかし,新問への批判は,すでに,パートラン ド・ラッセノレが明確に指摘し,そしてそのゆえにこそ、ラッセル平和財団グ を設立せずにいられなかった基木的理由をなすものであるD
ラッセノレは,反戦・平和運動が,みず、からの言論報道機関をもたないため に,マスコミの慈悲にすがって1"手より口へのその日容らし」ともいえる 貧弱きわまりない意見発表しかお乙なえなかったことを指摘し,さらに,そ れらのマスコミが,反戦運動にたいして本質的には敵意をいだいており,利 益のためには平気でうそをつくひとびとによって支配されていることを痛烈 に非難したo そして,かれは,ひとびとが新聞を読むばあいにまもるべき規
(1)
則をつぎのように要約したO
1. 行主行とのあいだを読むことO
2. 権力をもった人聞がおかしうる悪をけっして過少評価しないことO
3. 1"暴徒」対「竺察行為」といったきまり文句を知っておくこと,そし て必要なとき,いつでも別の言葉で読みかえることO
(2)
かれは,核戦争政策とベトナム侵略戦争についての真実を歪曲・陰蔽し,
虚偽を報道しつづけるアメリカの新聞,とりわけ,世界の大新聞を誇称する
「ニューヨーク・タイムズ」を相手どって,数次にわたる大論争を展開し,
新聞人の良心の堕落を徹底的に追及して一歩もあとにひかなかった。かれが
(3)
「パートランド・ラッセノレ平和財団」を設立し,政府によって統制されると ころの企業的報道機関の陰謀を全面的に拒否するところの独自の報道・言論 機関をつくったのは,このような理由と背景のもとにであった。
(4)
わが国の報道機関についても,同様のことが指摘されうるが,ここでは,
簡単に,ジャーナリスト本多勝一氏が,アメリカのベトナム侵略戦争にかん する日本の新聞の報道を批判した文章から引用するにとどめようo
「もっとひどい例は, [1973年11月26日の協定成立発表であろうoあれ はワシントンでもハノイでも同時発表された。だが,日本のマスコミは,ほ とんどニクソン側だけを大々的に報じ,ハノイなど無視するか,数行でかた づけたoJ 1"私たちの頭は,このように洗脳されているO 常に双方の言い分 を取材せよ,と私自身も教えられたその公平なるはずの新聞が,泥棒の言い 分をまったく書かず,常に警察の一方的発表を書いているととと,なんの違 いもない。こうして上から下までほとんどが洗脳された私たちoそれが作る 新聞や放送。……西側諸国のマスコミの中では,ワシントンの作った幻想
原水禁運動とも国民ク 87 を,日本がもっとも忠実に増幅していたようだ。 J I文部省教育による幼児 からの洗脳と,マスコミによる毎日の洗脳。それにこのような〔米軍心理作 戦部隊による〕大心理作戦を加えれば,あのようにワシントン側べったりの 報道がつづいても,国民はたいして違和感を覚えなくなっている。だが,民 衆をパカにするこの態度が,そういつまでもつづけられるだろうか。民衆の 側 が マ ス コ ミ を パ カ に す る 傾 向 が , 確 実 に 定 着 し つ つ あ る の で は な か ろ う か口」(5)
おなじマスコミのなかにいる本多氏からのこの痛烈な批判は,いわば報道 企業内部からの、内部告発グであって,外部からの批判に比していっそうの
きびしさと重みをもっO
(6)
注(1) 拙稿「パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財 団についてJ(W経営と経済』第46巻第2号,所収), 47頁;tUl若 W20世紀の良 心 パートランド・ラッセルの忠忽と行動一一一Jl1968, 84頁.
(2) Bertrand Russell, War Crimes in Vietnam, 1967, p. 30; 前向拙若,
110頁。
(3) Russell, op. cit., pp. 31""'‑'41. (4) 前掲拙著, 83""'‑'89頁。
(5) 本多勝一『北ベトナムJl, 1973, 239‑‑‑‑40頁。
(6) 報道企業のばあいにかぎらず,すべての企業や政府機関の内部からの 4内部告
発少は,きわめて困難であって,それをあえておこないうるためには,非 I/;~' ~乙大
きな勇気と決;立と,そして同志のかたい述仰と支援が必要である。最近,とく に,環境破壊・自然=生態系破壊の 4公害タ企業における内部告発がちからつ事よ く提起・展開されているが,その最初の代表的な例は,京洋エチノレのエチル化学 労組員(第一組合員)による内部告発であった(1969ー71)。エチル労組員のこ の内部告発は,たちまちにして資本からの )x. ~iさをうけ,全員解雇,親会社への再 雇用拒否という弾圧をうけた(1971年l月)。
また,法制審議会刑法特別部会がまとめ, 5月には答巾が予定されている刑法
4改正φ:r正案には, r企業秘密漏示罪」や「公務日の機密漏示罪」を新設するこ とがさだめられている。これによって,国家は,その権力をもって,企業内告発
や権力への批判を悪質な犯罪とする 4権力主義国家クとしての本質を露骨にあら わしてきたと各方面から批判されるのである。
3
ふたたび,原水禁運動を論じた「朝日」の社説にもどってみようO
原水禁運動の真の特徴は,再軍備や安全保障問題について意見がちがうひ とびとも,原水禁の一点では団結し統一していたということだ,というの が r朝日」社説の主張であった。この主張が,ただ,過去の一時点の迩動 を回顧するだけの回想録ならば,とりたてて問題とすべきではないであろ うO しかし,乙の論説の趣旨は,じつは,乙の、特徴グこそ原水禁迩動の
、原点グであるということを力説したいのであるO したがって,この主張は 核心をなす部分であって回想として看過するわけにはし功〉ない。
この論説の根本的誤謬は,それが,原水禁運動をただたんに核兵器を禁止 するための運動であって,したがって,核兵器以外の通常兵器・秘密兵器と はなんらのかかわりもない運動である,と解しているところにあるo
原水禁運動は,ただたんに,核兵器を禁止すれば乙とたれりとする運動な のではなく,軍事研究も,運搬手段も,基地も,軍事条約も否定するところ の運動であり,したがって,当然に,いわゆる通常兵器をも否定する運動な のであるD 戦争と戦争準備にかかわるすべてを否定する運動であり,わが国 の平和憲法の理念と条項を誠実にまもってゆくことを誓った平和運動なので ある。原水禁運動という名の平和運動が,核兵器のみに反対し,いわゆる通常 兵器には賛成する運動だという理解には, 、社会の木鐸グとしての新聞の
、良識グは全然みうけられないし,また,原水禁運動にたいするきわめて重 大な誤解と平和憲法にたいするゆるすべからざるほどの軽視があるといわな ければならないD
15年戦争の(加害者として,また被害者としての多様の)戦争犯罪にたい (1) する深刻な反省と怒りと決意とから自発的にうまれたという意味において,
原水禁運動と平和憲法とは根をひとつにしたものであるo したがって
r
再原水禁運動と 4国民ク 89 軍備や安全保障問題については意見が全くちがう人」が,やがて原水禁運動
に結集することができなくなるのは当然であった。再軍備や安全保障問題に ついて,意見をまったく異にし,自衛隊と日米安保条約を肯定するひとびと が,原水禁運動にたいし,また平和憲法にたいして,どのような立場と態度 をとってきたかは,いまさらここにのべるまでもない。この点を不聞に付し て,社説のごとく,再軍備や安全保障問題について意見を異にするひとびと もともに団結するのが,原水禁運動の原点だというのは,原水禁運動を乙と さらに非難するための口実であるといわざるをえないであろうo
長沼ナイキ訴訟における福島裁判長の判決は,自衛隊は憲法第9条2項に いう「陸海空軍」に該当し,憲法違反である,というものであった。そし て,乙の自衛隊違憲の立場は,すでに早くから,憲法学会の通説によってと られてきたのであって,違憲判決は法学者の圧倒的多数の支持するところで あった。(2)
そして,この違憲判決にたいしては, 、国民グの圧倒的多数が支持の声を あげたということが,新聞に報ぜられた。たとえば, 1973年9月18日付の
「朝日」の「読者の声特集」によれば r札幌地裁における長沼ナイキ訴訟 の『自衛隊違憲判決』に対し,本紙『声』欄l乙14日までに合計335迫(束京,
名古屋,大阪,西部4本社合計)の投書があり,その圧倒的多数が判決を支 持」しているというo
(3)
ところが,行政の責任をおい,憲法を「国の最高法規J(憲法第98条)と して,もっとも忠実に「尊重し擁護する義務を負J(憲法第99条)うている 政府のこの判決にたいする反応は,おどろくべきものであった。その反応の 一端を,新間報道によってみてみると,つぎのとおりであるo
二階堂官房長官一一「とのような判断が示されたことははなはだ遺憾であ る。この判決に示された重大な判断の誤りは,上級容において必ずや是正さ れるものと確信しているo政府としては,この判決があったからといって,
自衛隊の運営や防衛力整備の方針に変更を加えるつもりは毛頭ない。」
(1973年9月7日の談話)
田中首相一一「自衛隊は違憲、か合憲かの議論は過去27年間行われ,衆参両
院の選挙,統一地方選挙などで争点となってきた。その結果,合意、を支持す るという確固たる結果が出ているoJ [""自衛隊は志法9条で禁止されている
『戦力』には該当しない。 J (1973年9月17日の参院内閣委員会での発言の 要旨)
吉国内閣法制局長官一一一「砂川判決では,憲法9条は戦力保持は否定して いるが,自衛権は当然のこと,として認めているo従って,憲法9条で禁止 している戦力の定義として政府は『自衛のため必要最小限度をこえる力』と いっているoJ (1973年9月13日の参院内閣委での答弁)
(4)
山中防衛庁長官一一一「わが国の平和と独立を守り,国の安全を保つため自 衛隊創設以来,営々として努力を重ねてきたわれわれにとってはなはだ遺憾 であるoJ [""政府としては自衛隊はいかなる意味においても憲法に違反する ものではないと確信しており,本日の札幌地裁判決は重大な判断の誤りを おかしている。 J [""上級審において正しい判決が確定されるまでの間,外部 からのいわれのない批判や攻撃が多くなるものと予想されるが,隊員諸君は よくこれに耐え,使命に対する確固たる信念を堅持してほしい。 J (1973年 9月7日,自衛隊員への訓示)
要するに,政府は,違憲判決が重大なあやまりをおかしていること,上級 審ではかならず合違判決がでる乙と,自衛隊の増強は方針どおりすすめるこ
と,国民の多数は合憲論を支持していること,を強弁しているわけであるD
政府のこのような反応は,違憲判決によって,非常に大きなショックをうけ たことの結果であったといえるであろうD しかし,樋口陽一氏はいうo
「今度の判決が政治にショックを与えたのは,判決が異常だったからでは なく,戦後日本の政治が具常だったからである。私たちの国は,戦後いまま で戦争責任の所在について一度も自分たち自身でっきつめたととがないとい う点で世界に例のない国であり,そのような状態のままで『国を守る気概』
が説教され軍備が増強されてきたこと乙そが,それこそ『国際的に非常識』
きわまることではなかったろうか。たしかに,一国の軍隊が裁判所によって 法的に否定されるなどという乙とは前代未聞であり,ひとつの国が軍備をも たぬということは一見『非常識』に見えるかもしれない。しかし,私たち
原水禁運動とも国民ク 91 は,かつて戦火の廃埴のなかに立って日本国憲法を歓迎した国民がそれほど 大変な決意をあえでしたことの重みというものを,忘れてはならぬはずであ る。」(5)
この指摘にあるように,憲法無視をつつ寺けてきた政府のお乙なってきた政 治の異常さが,長沼ナイキ訴訟判決のショックをうみだした。憲法遵守義務 を誠実にまもる政治をおとない, 、戦争責任グをっきつめ r政府の行為に よって再び戦争の惨禍が起るととのないようにすることを決意しJ,r平和 を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてい る国際社会において,名誉ある地位を占めたいJ (日本国憲法前文)という 切実な思いをこめて,誠実に努力していたならば,長沼ナイキ訴訟自体存在
しえなかったはずであり,まして,違憲判決がくだされるはずもなかった。
学者の見解や今回の判決は,自衛隊が日本国憲法の正しい解釈からは肯定さ れえない存在であることを明確にしめしたものにすぎない。
たしかに,憲法にてらして自衛隊が違法的存在であるかいなかという問題 と,政治的に自衛隊(軍隊)の存在が必要であるかいなかという問題とは,
別個のふたつのものであるo しかし,いやしくも憲法が、国の最高法規グで あり rそのときどきの多数決で動いてゆく政治にとっての基準としてつく られた」ものであるかぎり,政府は正当な憲法解釈に忠実にしたがった政治
(6)
をおこなわなければならず,もし,どうしても自衛隊の存在は必要なりとして 憲法の条項にしたがうことを拒否するのならば,憲法のさだめる手続にした がい,国民多数の賛成をえて憲法改正をおこなうよりほかにみちはないであ ろう。(しかし,それが可能であるかいなかは別問題であるo)現在の定:法 のもとにおいて,自衛隊の存在をかたくなで欺附的な言辞をろうして合理化 するととは,政府みずから憲法無視を強行しつづけるととにほかならない。
27年におよぶ憲法の「動揺・腐蝕・空洞」の過程は,まさに政府自身によっ てすすめられてきたといわなければならないであろうo政府は宮、法の条項を 遵守しつつ政治をおこなわなければならないのであるD そうでなければ,そ の政治は無法の政治であるo
政治的に自衛隊の存在を必要と信ずるために,定、法9条は自衛隊を迩窓と
は 規 定 し て い な い と 主 張 す る の は , 行 政 権 の 優 位 を 借 称 し て 三 権 分 立 の 原 則 を 破 壊 し よ う と す る 暴 挙 で あ り , 政 治 的 主 観 を も っ て 法 的 客 観 を ね じ ま げ よ
うとする公権力の横暴であるといわざるをえないであろう。
注(1)戦争犯罪(者〉の概念が明確に登場したのは,第2次世界戦争直後の 4国際軍 事裁判/,‑ (いわゆるニュノレンベjレク裁判)および 4極京国際軍事裁判。(いわゆ る東京裁判)においてであるが,勝者が敗者を戦争犯罪人として裁くという権力 主義的背景が濃厚に支配していたことはいなめなし1。それにたいして,パートラ ンド・ラッセjレは,ベトナム侵略という犯罪をおかしたアメリカ帝国主義指導者 とその追随者(国)を,国家権力をもたぬただの人間という立場にたって,戦争 犯罪人として徹底的に追及した。くわしくは,前お拙著, 282ー314頁,参照。
なお,ラッセノレの志をうけついだ「ラッセル平和財団」は,今年から来年に かけて,ブラジノレ,チりをはじめとするラテン・アメリカにおける人民の被抑圧 をとりあげ,アメリカ帝国主義を告発し裁く「ラテン・アメリカ裁判」に着手
し,すでに,その第1回裁判は,今年4月,ローマにおいて開催された。
15年戦争における日本(人)の戦争犯罪は,このようなも権力をもたないただ の人問。の立場ーから,公的に裁かれはしなかったが,個人的に,あるいは平和運 動組織,または市民運動組織のなかで,同断なく追及されている。原水禁運動 は, この日本の戦争犯罪追及の運動との関連のなかで,すすめられるのでなけれ ば,ついに,人類史的にゆたかで適切な意味をもつことはできないであろう。
原水禁運動を戦争犯罪追及との関連のなかで展開してゆくことが,わたしの理 論的ならびに実践的な最大の関心事であった。したがって,あらゆる機会にわた しは乙の問題について言及し,発言し,示唆してきた。①中国,朝鮮,束南アジ ア諸国の人民への侵略を遂行した加害者,②日本の戦争指導層によって強制的に 侵略加害行為をおしつけられた被害者,③アメリカ帝国主義によって原爆を投下 された被爆者,という加害・被害のも3重構造クのなかで,原水禁問題を追及し なければ,人民の平和運動も一面的にかたよった運動となるしかないであろう,
というのが,わたしの理論的立場の要約である。
すでに本誌に発表したところの長崎市内でおこなった原爆アンケートも,第5 節でふれるように,原爆被爆と戦争責任との関係についての認識を質問する乙と
を主要な動機のひとつとしていた(拙稿「原爆被爆26年後の長崎J)。また,
原水禁運動とも国民φ 93 1962年以降わたしが海外へ発信した核政策反対のための書簡も,日本〈人〉の戦 争責任の自覚ときびしい反省のもとに,執筆したものであった〈前掲拙著, 60‑
61頁,参照)。
(2) たとえば,小林直樹「憲法第九条の総合的検討J(Wj法律時報.Jl1973, 8月号 臨時増刊, 26頁)。また,樋口陽一氏は, r朝日」紙上で,つぎのようにのべて いる。「かような見解〔自衛隊違憲〕が憲法論としてごく常識的なものだという ととも,大方の認めるととろであり,乙の判決が何か政治的に特異な主張をした ものでもあるかのようにいう非難は,まったく当たらない。福島判決だからでは なく,日本国憲法の解釈だから今度の結論が出たのである。 J(r長沼判決が問 いかけるものく上>J,r朝日J1973年9月17日)
(31 r朝日J4本社に '73年9月14日までに到着した投書数と,そのうち判決に反 対したものの数はつぎのとおりである。(r朝日J1973年9月18日付)
総数 うち判決に反対 東 京 本 社 158 21
名古屋木社 35 6
大 阪 本 社 83 10 西 部 本 社 59 16 計 335 53
すなわち,この投書にかんするかぎり,判決反対者の比率は,わずか15.8%に すぎないのである。
(4) 法制局長官の答弁は, 1972年11月の政府統一見解をくりかえしたものである。
その統一見解は,つぎのとおりであった。 r戦力とは,広く考えると,文字通り 戦う力という乙とである。そのような言葉の怠味だけからいえば,一切の実力組 織が戦力にあたるといってよいだろうが, iE法 第9条2項が保持を禁じている
『戦力』は,右のような言葉の窓味通りの戦力のうちでも,自街のための必要最 小限度を越えるものである。それ以下の実力の保持は同条項によって禁じられて はいないということであって,年来政府のとっていると乙ろだ。」
政府のこの戦力の定義は,吉田茂首相がくだした定義からまったく逸脱したも のであることは,同首相のつぎの言にてらして明白である。
rJ~法は自衛権の発動としての戦争も,また交戦椛も放棄した。 J (1946年6 月)
「たとえ自衛のためでも戦力をもつことは,いわゆる再軍備であって,乙の場 合には憲法の改正を要する。 J(1952年3月〉
(5) (6)樋口陽一,前掲論文。
4
理論的にかんがえるとき,自衛隊は違憲的存在であり,政府は憲法無視の 政治を強行してきたのである(憲法の空洞化)。したがって,理論的には自 民党政府はきびしく批判され,非難されて,政権の座から去らねばならない はずであるo ところが,現実には,学者の通説を拒否し,憲法遵守義務をない がしろにしてきた自民党政府が,つねに政権をにぎってきた。現実政治は理 論を無視じでもなお,堂々とまかりとおるのであるo
田中首相は,胸をはって,つぎのように言明した。 r国民の大多数も合意 と信じてきているoJ r選挙で自民党が勝ってきたという歴史的ないきさつ もあるD そして,すでにこの考えは定着している。この点は国民も正しく認 識し,評価している。」
(1)
首相が国会において乙のように言明してはばからないということは,政治 が理論にでなく,選挙民(、国民グの有権者)の票によって規定され,それ に依拠しているということ,そして、国民グの多数が憲法・平和・防衛につ いて,現在の政府を支持しているということをしめしているo
かつて,敗戦の廃塩のなかからたちあがった国民が願望したものが,憲法 にもりこまれている平和主義・主権在民・基本的人権尊重の原理であったこ とはまぎれもない事実であるo ところが,乙れらの原理を,当時の、国民グ は,みずからの血と汗でいくたの試錬にたえながら直接的にたたかいとり,
みずからの爪で悪戦苦闘して書きしるしたのではなかった。アメリカ占領軍 の教示をうけながら,安易に r人類の多年にわたる自由獲得の努力の成 果J(憲法第97条)を書きしるしたために,乙の憲法にしるしたいくつかの 重要な原理,なかんずく平和主義の原理を「不断の努力によって,乙れを保 持しなければならないJ(憲法第12条)にもかかわらず, 、国民グの多数は たやすく放棄してしまったのであるoみずから苦労して獲得したものでなけ
原水禁運動とも国民。 95 れば,その原理の真の意味とありがたさがわからないのであろうか。 iこう して国民は,ぬるま湯的なムードとしての『平和』のなかで,本当の平和を 追求することのきびしさに直面するのを避けてきた。改憲には反対だが自衛 隊の現状には反対しないという世論調査の動向も,そのひとつの現れであっ 7こoJ
(2)
、国民グのがわにおけるこのようなぬるま湯的ムードへの安住が,政府に よる憲法の不当な解釈をゆるし,違憲、の自衛隊の成立と増強をおしとどめえ なかったのであるD もちろん, 、国民グのなかに,憲法を忠実に履行する乙 とを要求し,自衛隊の存在を否定する厳格な窓見がすくなからず存在する乙 とをわすれではならない。しかし,自民党政権が敗戦後ほとんどゆるぎなく 成立してきたのは,平和主義を軽視した、国民グ多数の文持があったからで ある。
原水禁運動が, 、国民グの自発的意志からうまれながら,その数をへらし ていき,保守的な層の参加をうしなっていったのも, 、国民グのがわにおけ る同様な状況にもとづくといっていいであろう。乙こで, 、国民グのがわに おける現実的状況を,いささか具体的に把握するこころみをしてみよう口
「毎日新聞」は, 1972年4月7'""9日 i日本の政治」というテーマで全 国世論調査を実施した (5月3日付紙面)口この調査には,支持政党別の回 答がおさめられていて, 、国民グの層別の意識がかなり明確に把握されうる 利点をもっているo31項目のなかから,当面われわれに必要な自衛隊と核武 装の項目をえらぶこととする。ただし,①数字はパーセント。②全体,文持 政党別の順。「無」は「支持政党なし」。③複数回答は合計が100%をこえるo
(A)怠法第9条では,日本は国際紛争を解決する手段としては,戦争を 放棄し,陸海空の戦力は保持しないと決めています。現在の自衛隊は憲法に 違反していると思いますか,違反していないと思いますか。
全 ; 自 社 公 民 共 無 iS反している
違反していない その他・無回答
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(B)日本政府は,憲法を守っていると思いますか,それともそうは思い ませんか。
全 自 社 公 民 共 無 だいたい守っている 38 58 29 27 40 13 30 守っている点もある 45 34 57 56 46 47 52 ほとんど守っていない 8 : 3 10 13 11 38 10 その他・無回答 9 5 4 4 3 2 8
(C)日米安保条約や自衛隊とその沖縄派遣,基地問題などについて,野 党各党はニュアンスに多少の相違はあっても,自民党より否定的な態度を示 しています。野党の態度は日本の安全を十分に考えてのことだと思います か。
全 自 社 公 民 並 無 十分考えている 31 21 47 53 39 62 27 あまりよく考えていない 54 68 42 39 57 29 54 その他・無回答 15 11 11 8 4 9 19 (D)日本は核武装すべきだと思いますか,それともすべきでないと思い ますか。
全 自 社 公 民 並 無 いますぐすべきだ 2 3 2 4 4 l 1 近い将来すべきだ 11 16 10 11 6 3 8 いつかはすべきだ 22 31 19 13 28 12 17 絶対すべきでない 58 45 65 68 61 80 67 その他・無回答 7 5 4 4 l 4 7
(E)日本の防衛費は国民総生産の0.9%にあたり,年々国民総生産のふ えるにつれて,防衛賀もふえてきました。これについて,あなたはどう思い ますか。
原水禁運動と 4国民。
全 国民総生産がふえれば防衛 15 費もふやすべきだ
国民の合意が得られる一定 の額以上,防衛費をふやす 46 べきでない
防衛費はむしろだんだん減らすべきだ 21 防衛費は認めるべきでない 7 その他・無回答 11
97 自 社 公 民 共 無 29 7 6 14 7 9
50 43 44 51 26 48 11 32 32 31 30 24 2 11 7 1 33 9 8 7 11 3 4 10 以上,毎日新聞の世論調査から必要項目だけを抜粋した。さて,これらの 回答について,若干の考察をくわえてみようD
CA)自衛隊の憲法判断については,合憲論が違憲論をわずかにおさえて いるD 支持政党別にみてみると,当然のことであるが,共社両党支持者のば あい違憲論が非常に優勢であり,逆に自民党支持者のぼあい合憲論がはるか に優勢である白しかし,政党支持者のあいだの認識の対立は,政党聞の意見 の対立ほどにきびしいものではないことに注目する必要があるo たとえば,
共産党支持者であっても,合意と回答するひとが21%もあり,また自民党支 持者であっても,違憲、と回答するひとが22%もあるo政党支持者はその政党 の党員ではない(もちろん,政党員も対象者中にふくまれているであろう が,その割合は非常にすくないとかんがえてよかろう)ので,政党支持者の あいだには,政党党員聞の対立ほどの明確さがかけてくるのであろうo これ は,政党支持者がある政党を支持する根拠のなかに,その政党の綱領や思考 への理性的支持以外の何かが混在しているということをしめすものであろ つo
さて,したがって,自民党政府が言明したほどには,合憲論は定着してい ないのであって,違憲論との差はわずかである。 I国民の大多数」が合志、と 信じているとは,とうていいうことができない。自民党支持者のなかにさ え,違憲と信じているひとがすくなからず存在しているのであるO しかし,そ れにもかかわらず,やはり,合憲論は追志論をうわまわっているo.'占法の正
しい理念と解釈は,国民多数に定着していないのであるD
日本政府の憲法遵守の程度についての認識と評価にいたっては,政府批判 の姿勢はさらに甘くなるo 自衛隊違憲論者の比率にくらべて,遵守否定論者 の比率はいちじるしく小さい。との乙とは,憲法全体の体系的把握のなか で,第9条にみとめる認識価値が意外に小さいということをしめすものであ ろうoただ,しかし,この項目の設問自体にかならずしも明確でないものが あって,正確には判断しがたいものがのとるo
(C)は,防衛問題にかんする野党の態度を国民がどのように評価してい るかをたずねる興味ふかい設問であるが,これについては野党支持者の評価 がひくいことがいささか意外である。この設問は,日本をとりまく国際環境 のなかで, 、侵略の脅威グがあるのに非武装あるいは過少武装でいて安全な のかという議論について, 、国民グがどのような判断をもっているか,をた
くみに質問したものということができょうo
乙の回答の一般的結果は, (A)の設問のばあい以上に,野党に不手iJ,自民 党に有利である。すなわち,志法論からみて自衛隊は違憲かいなかとの設聞 にたいしては,かなり卒直に違憲と回答したひとも,アジアの国際情勢のな かでは野党の防衛政策に不安を感ぜざるをえないというわけであるo違憲で あっても自衛隊が存在するのが安心だというわけである。自民党支持が牢固 としてぬきがたいのは,こういう点での心理に支配されるからであろう。
野党支持者でありながら,この点にかんする野党のかんがえかたについて
「あまりよく考えていない」と評価するのは,野党支持者のあいだに,野党 のかんがえについて,予想以上に認識と支持が欠如していることをしめすと 同時に,野党支持者自身,安保や自衛隊の問題についてっきつめてかんがえ ることをせず, 、侵略の脅威グなるものを漠然と過大に幻想し,自衛のため には戦力が必要だとかんがえて,違憲、の自衛隊(および安保)を肯定的に評 価していることをしめすものであろうD
野党支持者のなかで,公明党支持者以外の政党の支持者のばあいは,野党 が十分に日本の安全をかんがえていると肯定的に評価するひとが,自衛隊違 憲論者よりもすくない(共=12必減,社=11%減)が,公明党支持者のみは これが逆である。これは公明党の綱領がかなり十分に支持者に理解され支持
原水禁運動とも国民。 99 されているというととの証左でもあろうD
と乙ろで,自衛隊の現実的存在にたいしてどういう評価がいだかれている かについての直接的設問はない。しかし,防衛費についてたずねる (E)へ
の回答から,自衛隊についての評価のおおよそを知ることができる。防衛費 をふやすべきだとする意見は自衛隊を全面的に支持する意見とひとしいとか んがえられるが,そうだとすれば,野党支持者のなかにさえ,わずかではあ るが,自衛隊支持者があることになる。一定額以上防衛費をふやすべきでな いとの意見は,現在の自衛隊を肯定したうえで,いわゆる自衛力の範囲内に とどめようとするわけで,この見解もまた政府の防衛政策を支持するものと いうべきであろう。これら両者をふくめると, じつに61必が現状の自衛隊を 肯定していることになるD そして,このなかには,野党支持者がかなり多く ふくまれるのであるO なかでも社党および公党支持者のそれぞれ5096がこの 肯定論者に該当するわけで,共産党支持者についてはもっともすくなく3396 である。とれらの比率は,共産党支持者をのぞいて,相当の高率といわなけ ればならず,とくに社会党支持者のばあい,自衛隊合憲論者が30%しかいな いのにかかわらず,自衛隊肯定論者とおぼしきひとが5096もいるということ は,おどろくべきことである。
自衛隊反対論者の数値も正確にはわからないが,防衛費の漸減と全廃の怠 見をもつひとびとを広義の自衛隊反対論者とみなすとき,その数値は全体の わずか28%にすぎない。この数値を自衛隊違憲論の数値3996と比較すると,憲 法判断としては違芯とかんがえても,現実の政治判断としては自衛隊の存在 を肯定するという現実主義者が1196もいる計算になるであろうO 乙の傾向は
,共社公の支持者のいずれについてもまさしく妥当するのであって,窓法論 と現実論とのギャップは野党支持者のばあいにも確実に存在するのである。
このギャップは,逆に,自民党にとってきわめて有利なデーターを提供す る。芯法判断としては迩芯論が根づよく存在するとしても,現実の防衛問題 としては,自衛隊肯定論の数がぐっと増加するのであるから,巡芯論はそれ ほどおそれる必要はないことになる。政治は担論ではない,との尖感が,政 治家にしみじみとわいてくるのは,けだしこのような状況に白米するのであ