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「公害」問題と社会思想

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「公害」問題と社会思想 71

「公害」問題と社会思想

岩松繁俊

1

足尾銅山鉱毒による渡良瀬川汚染問題以来,わが国における,いわゆる

「公害」は,日本資本主義の成立・発展とともに発生しエスカレートしたに もかかわらず,全国的規模で問題視されるようになったのは,ここ数年来の ことである。

「公害」の歴史からみて,この問題が資本主義体制・なかんずく国家独占 資本主義体制と密接な関連をもつとおもわれるにもかかわらず,社会的解放 をもとめる社会恩恵の研究の立場から,「公害」問題が真正面から論ぜられ ることはすくなかったといえるのではなかろうか。このことは社会思想研究 のおくれを象徴するひとつの事例といっていいであろう。

もともと「公害」は,その性質上,多種多様の学問分野にまたがり,各分 野の専門家たちによって研究されるべきものである。従来,学問研究は,問 題に応じて,専攻分野が劃然と区分され,ひとつの問題はおおむねひとつ,

あるいは若干の分野によって,いわばタテ割り方式でもって,おこなわれて きた。問題は,まず,自然科学の領域か社会科学・人文科学の領域かに区分 された。「自然科学」の問題は,自然科学者のみによって,自然科学の方法 論をもちいて,分析され究明された。それは社会科学とは何らの関係もない

ものであった。しかし,「公害」は,これら旧来の研究方式ではまったく手 におえないあたらしい問題を呈示した。すでに,この問題は,化学,工学,

医学,農学,法律学および経済学関係の研究者によって,はじめは個別的に 研究されはじめ,いまでは相当密接な協同体制のもとに研究されている。こ れら各専攻分野の研究者によるうるわしく密接な協同研究は,いまだかつて みられなかったところであって,これは頁の意味における学問研究はいかに あるべきなのかについて,根本的な思索と改革の意義と必要性とを旧習墨守

(2)

的な研究者に示唆するものであるD 反省と自覚が必要なのは,社会思想研究 者についても例外ではないのであり,いな,むしろ,その学問の性格上,他 の学問以上にその問題性は深刻にうけとめられなければならないであろう。

帆社会思想"がどういう内容の研究であるかについて一義的に論ずること は容易でないが,高島善哉氏の立言は,社会思想研究について,おそらく多 くの人を納得させるものであろう。 I社会思想とは,人聞が社会の中で生き 行動することにより,あるいはそのことのために,もたなければならない態 度決定であるという乙とができょう。なんのための態度決定なのか口それは 社会における人間の生活をよりよくするという目的のためであるD したがっ て社会思想とは,人間の社会的解放の思想であるといわなければならない」。

(1)  そして,乙のような社会思想の確立のための具体的方法は I経済学,政治 学,社会学などの社会生活の実質内容を扱う個別科学の研究成果をふまえな がら,しかも社会の総体把握ができるような見方」であるD 社会の総体把握 は,それだけではない口 「政治や経済や教育などの,人聞が現に社会の中で 営んでいる現実の生活相互のつながりばかりでなく,それと,哲学的な世界 観や科学思想や文芸思潮や宗教思恕などとのつながりもJ,また I人間が 社会の中で敵対的な関係において争い合い,あるいは人類がさまざまの民族

として対立し合っている現実の姿」をも把握しなければならない。

(2) 

m社会思想"がこういうものであるならば I公害」問題乙そはその主要 テーマの重要な一環でなければならないし,その研究方法乙そは「公害」問 題にたいしてもっとも理想的に拡充されなければならないであろうO

本稿は,最近数年聞にわたる私のささやかな調査と行動とをもとにし,公 害問題研究の先人の教えに学びつつ,頭にえがいた試論を簡単に素描しよう

とするものであるo

(1) 高島善哉・水田洋・平田清明『社会思想、史概論~ (1962), 11ページ。

(2) 前掲書.10ページ。

(3)

「公害」問題と社会思想 73 

「公害」という用語は,最近もっとも多くつかわれる流行語である。その 意味する内容は,多種多様であって,これらの内容から r公害」の共通的 概念を抽出することは,非常に困難な状況にあるo用語はたんなる符号にす ぎなし、から,拘泥する必要はないという議論もあろうが r公害」という用 語にかんしては,これを論ずること自体が,問題をかんがえてゆくうえに不 可欠の作業であるD なぜならば r公害」という用語が,流行語であると同 時に,混乱をまきおこしている混乱語であるからであるO

「公害」にかんするいくつかの定義をひろってみようo

(1)  大衆が社会の責任によってうける被害は,すべて公害である,という 立場一一庄司光・宮本憲一『恐るべき公害』

(2)  r公害」と「私害」とを明確に区別すべきだ,という立場一一乙の立 場は,さらに, (a)発生原因者が不特定多数で,被害者が不特定多数であるば あいを公害,前者が単独または特定少数で,後者が特定少数であるばあいを 私害とする立場, (b)被害が不特定多数であるばあいを公害,被害が個人的特 殊的であるばあいを私害とする立場(イギリス法における PUblic  Nuisance 

(1) 

PrivateNuisance)の二つに区分されうるO

(3)  加害者,被害者またはその双方が多数で不特定なものほど公害性が強 いとしながらも,公害概念は生成中のあいまいで流動的な概念であって,そ のなかに加害者が単独または少数で特定しているばあいもふくめていいとす る立場一一佐藤竺,西原道雄編『公害対策j1, 6,‑..; 7ページ。

(2) 

以上は r公害」という概念について述べられている諸見解のいくつかを あけーたものにすぎない。たしかに,これらの見解のほかにもなお,いくつか の見解があげられているo しかし

r

公害」というとき,それは論理必然的 に「私害」に対立するものとして立言されるのであって r公害」概念の規 定にあたって「私害」とのかかわりあいの観点から論ずる乙とは,もっとも 妥当なことであるoたとえば,国速における環境汚染 EnvironmentalPol lutionの定義は,わが国における「公害」概念の形成に,重要な参考とはな

(4)

るけれども[""公害」の定義そのものではないので,わたしは,うえの分類 のなかにはいれなかったD

ところで[""公害」と「私害」とをどのように区分することもがっとも妥 当であるかということは,抽象的には論ぜられないことである。[""公害」に たいする公法的規制がきわめてゆるやかで,加害者にたいしてきわめて軽微

(3) 

な制裁しかくわえられないか野放しか,あるいは抜け道だらけであるばあい には,政府をうどかすちからをもった企業は,その加害行為を「私害」でな く「公害」であると自己主張することによって[""公害」の名のもとにみず からの責任をあいまいにし,社会一般にその責任を転嫁することが可能とな o したがって,これら加害企業にとっては「公害」概念をひろくすること こそが有利であり,そういうひろい概念をこそ妥当とするであろうD 長いあ いだ,わが国の現状はこういう状態にあった。特定企業の加害責任の追及 は[""公害」というあいまいな流行語の軽薄さにたすけられて,まったくう やむやとされ,企業の責任は社会一般に拡散され,転嫁されてきた。企業の

(4) 

かくれみのとなった「公害」概念のj攻防性に抗して,特定企業の責任を追及 するために,あえて「私害」概念を拡充する必要がうまれたのであった。

しかし[""公害」にたいする社会的認識がふかまるにつれて r公害」原 因者の加害責任を追及する声がきびしくなり,その大衆的世論におされて,

政府や自治体の法的規制も,いちおう,ややきびしくなると,きわめて不完

(5) 

全な私法的救済の対象でしかない「私害」に包含するよりも

r

公害」概念

を適用するほうが,加害責任追及のうえで(すくなくとも住民運動として) より効果的となってきた。 (2)(a)の概念は,拡大されて, (3)の概念へ移行す ることが一般的となった。[""公害」概念における加害者責任追及がいくらか きびしさをますにつれて,加害者の範囲を単独または少数特定のばあいにま で拡大しても,加害者がその責任を転嫁するおそれが減少したという状況で は,乙のような外延的によりひろい概念への移行が進行するであろうo この 進行は,さらにすすめば,加害者の多寡にかかわりなく,また被害者の多事 にもかかわりなく,大衆がうける社会的な害のすべてを公害とする(1)の立場 となるであろう口そして,最終的には,全地球的な規模の生物と自然がうけ

(5)

「公害」問題と社会思想、 75 

るすべての害に拡大されるであろうo

現在「公害」概念としては,いくつかの異なったものが対立しつつ並存し て い る が , そ の 概 念 ( の 外 延 ) は 社 会 的 歴 史 的 に は , 上 述 の よ う に r 害 」 認 識 の 進 化 に つ れ て , 拡 大 さ れ て ゆ く 傾 向 に あ る と い っ て い い で あ ろ c 乙乙で「認識の進化」というのは,加害者はきびしくその責任を追及さ れなければならず,被害者は社会的に可能なかぎり補償されなければならな いという認識,さらには,公害そのものの絶対的絶滅のためにあらゆる努力 をはらわねばならないとの認識が定着することを意味するD

乙れを要するに

r

公害」概念は,抽象的理念的に規定されるものではな く,社会的解放のための社会的歴史的な条件に応じて,流動的に規定される べきものであるO

註(1) 被害者が多数であるということに注目し,加害者についてはそのいかんを問 わない被害者中心のこの見解と類似した見解は,もっともひろくおこなわれて いる。地方自治体の公害条例,たとえば,束京都の公害条例がそうである。

「この条例において『公害』とは,ばい煙,粉じん,ガス,臭気,汚水,廃 波,騒音又は振動による障害であって生活環境をそこない,又は産業に被害を 与えるものをいう。 J(22項)この乙とは,わが国における公害対策の基 本的方向をしめすといわれる公害対策基本法についても,基本的にはほとんど おなじである。 1966年11月にだされた厚生省の公害審議会の「公害の基本施策 に関する答申」をきそ l乙国連の環境汚染というかんがえかたを参考として設 定された(橋本道夫『公害を考えるーーより科学的により人間的に一一~ , 43  ページ)といわれる公害対策基本法 2条では,つぎのように定義されている。

「この法律において『公害』とは,事業活動その他の人の活動に伴って生ず る相当範囲にわたる大気の汚染,水質の汚濁,土壌の汚染,騒音,振動,地盤 の、比下及び悪臭によって,人の促成又は生活環境に係る被害が生ずることをい う。」

この定義では,いちおう,公害発生源、として「事業活動その他の人の活動」

という規定をおこなっているが,それが単独あるいは少数であるか,不特定多 数であるか,という点で公害と私害とを区別するかんがえかたは,まったくふ

くまれていない(橋本道夫,前f 44ページ〉。

(6)

(2)  公害法の研究者にあっては,公害概念を現在まだ形成過程にあって流動的で あるとする柔軟なかんがえかたが一般的であるようである。(我妻栄他編集

『新版新法律学辞典~ 332ページ,など,参照)

また,都留重人民の定義は,加害者を私企業と規定しつつも,被害者につい ては, r通常は不特定多数の企業ないしは個人,例外的には特定の企業ないし は個人」と規定して,四日市などの例を「現代の典型的な公害」とし,水俣病 の例を「犯罪的とも言える麗類の公害Jとして「一応」区別している(都留重 人『公害の政治経済学~ 30ページ〉。乙れは, r通常φ」公害と「例外的」公 r典型的な公害」とそうでない公害とを区別したうえで,両者を包含する ものであって,この(3)の分類にいれていいであろう。

(3) 法律論的には,加害者が特定のばあいは不法行為による損害賠償詰求あるい は差止請求が可能であるのにたいし,加害者が多数,被害者も多数のばあいに は公法的規制がくわえられる。したがって,公法的規制が必要とされるような 一般住民への加害が公害である,といわれる(たとえば,我妻他編,前掲辞 典,前掲ページ〉。しかし,公法的規制がフツレジョア法体系のなかのものであ

るかぎり,この定義は社会科学的にみてもじゅうぶんとはいえない。

(4) IT'政府見解』によって,総資本の『公害』対策再編成の時間稼ぎのために 突出されたかにみえるチッソは,そのJきをかばうのに m公害"というこのもう ろうたる語感の幻影的な豆のなかに隠れこみ……」石牟礼道子「復讐法の倫 J(水俣病を告発する会機関紙「告発J創刊号, 1969625日付所収) (5)  この常識的な表現はきわめて不じゅうぶんであるばかりでなく,むしろきわ

めて危険である。なぜならば,後述するように,乙の法的規制が表面上は整備 拡充されたようにみえながら,その実は,巨大独占企業にとってはむしろその 加害行為を合法化する面すらもっているからである。とりあえず,宇井純氏の 言を引用しておこう。 r水質二法は典型的なザノレ法だった。かえって,法によ る汚染の公認になったことはど承知のとおりです。/……規制の強化と簡単に 口ではいうが,大企業が規制にひっかかった例はないではないか。ひっかかる のはせいぜい中小企業だけである。/ところで,公権力による規制の強化すな わち私権の制限という形は,われわれ民衆にとってはむしろ非常に危険である 乙とをみのがしてはいけない。……/これまで公害を規制する法律はあれだけ 大量につくられてきた。ところが法律学者がそれを一度でも使ったことがある

(7)

「公害」問題と社会思想、 77 

かというととになると,いまの四大公害裁判といわれているのは,全部古めか しい条文で行なわれている。民法709条,鉱業法,港則法,河川法など古い法 律が適用されているのです。公害規制法が役に立たないというととは,裁判を 起すときに検討して,その結果はっきり分かったからとそ,だれも水質保全 法,工業排水規制法,大気汚染防止法などそんなものでは訴えないのです。公 害に対する法律の役割については,それだけで十分痛烈な答えではないでしょ

うか。」宇井純「公害裁判と科学者J(~法律時報Jl 1971, 7月号臨時増刊,

17ページ)ロここで,とりあえず,乙のような表現をつかったことについて,

念のため,注記しておく。

前節でのべたように r公害」認識の進化につれて,その概念(の外延) は拡大され,特定少数の当事者(加害者と被害者)をも包含するにいたり,

また不特定多数の被害者のなかに包括される対象は,さらに拡大されて,そ のなかには全地球的規模の生物と自然とが包括される乙ととなる。

しかし,本節では,全地球的規模の公害を除外し,また諸外国のばあいを も除いて, もっぱらわが国の公害に焦点をしぼって,議論をすすめてゆく乙 ととし7こい。

わが国は,しばしば指摘されるように r公害Jにかんするかぎり,世界 第一の先進国であるO わが国がなぜ公害先進国であるのかという理由につい ては,これまた,多くのひとによって,世界第一の高度経済成長をとげつつ ある独占資本主義国であるからだと指摘されているO これによってみれば,

uわが国"の公害は利潤第一主義に徹した独占資本主義体制によってうみだ された,ということができるであろうD

しかし,このことから,ただちに,すべての公害は独占資本主義体制によ って必然的に産出されるものだ,と即断することはできない。 引すべて"の 公害が独占資本主義体制の必然的j宝 物 だ と す る 見 解 に た い し て は , た だ ち に,反論が提起されるのがつねであるD すなわち,社会主義諸国にも公告は あるではないか,とO 社会主義諸国にも公害がある,という主張は,公害の

(8)

原因は私企業制度にあるのではなく,工業化現象そのものにある(マーシャ ノレ・コ、、ーノレドマン)という主張であり,別言すれば,体制の相違を超越した

(1) 

・体制とは無関係の・文明に普遍的な現象である,ということであるO

公害が資本主義体制,とくに独占資本主義体制に必然的な産物なのか,そ れとも体制のいかんをとわず,あらゆる人類文明に必然の現象なのか,とい う議論は,公害問題を社会科学的にかんがえていくばあいに,最初にぶつつ かる問題であるO はじめにふれたことであるが,公害問題は,従来のいわゆ る自然科学・社会科学という既成のワクをふみこえた総合的協同的な研究体 制において研究され討議され実践的に分析されていかなければならない。そ のさい u自然科学者"と u社会科学者"とのあいだで,もっとも最初にぶつ つかるするどい方法論的対立は r公害Jを体制的なものとみるか,没体制 的なものとみるか,という点であるD

U自然科学者"の多く(もちろん,例外はある)は,乙れをただちに「没 体制的なもの」とみる傾向があり社会科学者"とのあいだに,体制につ いての基本的議論を展開しなければ,さきにはすすめないというありさまで あるD

(2) 

「公害」と休f/ilJとの関係は,全面的に体制的なものとみるか,でなければ 全面的に没体制的なものとみるか,二者のうちのいずれかでなけばならな い,というものではないであろうO しかし,オール・オア・ナシングの二者 択ーではないとすれば,両者はどのようにかかわりあうのかが,つぎに論ぜ られなければならないD 本稿では,乙の点について論ずる余裕をもたない が,たとえば,ほぼ20年来公害問題に真剣な関心をもちつづけてきたといわ れる都留重人氏は,この問題を「素材面」と「体制面」との統一的矛盾の問

(3) 

題として研究をすすめられているO

都留氏の立場は,基本的にはマルクス経済学の立場にたちながら,公告現 象を安易に体制論理でわりきることはできないとして,素材回と体制面との 統一的把握を追求するというものである。

「もう一つの途は,同じくスミスにその古典的淵源をもっとしても,マル クスを経て,資本主義的経済体1¥iiJの歴史的相対性を社会科学的に解明しよう

(9)

「公害」問題と社会思想 79 

とする立場であって,経済現象を素材面と体制面との統一的矛盾としてとら えようとするものであるo 乙の立場から r公害現象は国家独占資本主義の 一病弊である』と言ってしまえば,それでおしまいだが,一度原点に立ち返 って,同じ方法論を使いながら公害の具体から出直したら,どのような問題 がそこに出てくるかを追究してみようというのが,第二の途であるo 同じよ うな公害現象が,とうてい『国家独占資本主義国』とは言えないソ連でも生 じていることを考えると,この途は,安易な体制論理適用ではすまない問題 を含んでいると言わねばなるまい。」

(4) 

「より正確にマルクスの用語を使って言えば r生産力と生産関係との矛 盾』ということにな」 る「素材面」と「体制面」との両者を「区別しなが

(5) 

ら両者間の関係を追求するという方法論的態度が政治経済学的接近にほかな らず,公害問題にかんしてもまた,こうした接近が重要であることを主張し ようというのが,私の立場でもあるo

(6) 

都留氏の『公害の政治経済学Jは,東京大学経済学部での問題の詰義をも とに,両者の関係を具体的事例をあげながら,理論的に追求しようとしたも

(7) 

のであり,この点については,問者の所論にゆだね,本稿では,これ以上ふ れないこととするD 現在のわたしには,方法論を論ずる余裕がない口方法論 は,研究の最初にあって,その方向を規定するものであるが,同時にそれ は,研究の帰結にたって,あらためて反省されるべき試行活誤的方向づけに ほかならないであろうD

註(1) 都留主人『公害の政治経済学~ (1972), 2ページ。

(2)  しかし,わたしはI r公害」問題の綜合的多角的研究において,社会科学者 が侵位にたっているとも,たつべきであるともいうつもりはまったくない。

「公害Jと社会(あるいは社会体制)という問題にかんしてほ,たしかに社会 科学者が優位にたたなければならないが,しかし,社会科学者には,系材的物 質な側面,あるいは,生物の生命や生態系について,きわめて初歩的基礎的な 知識さえ欠如している。社会科学者が自然科学者から謙虚に学ばなければなら ないことは,非常に数多い。そして,結局において, 引自然科学者"対引社会 科学者...',の区別がなくなることを志向しなければならないであろうq

(10)

(3)都留,前掲書, 221ページ「あとがき」。

(4)  向上, 35‑36ページ。都留氏は,ソ述のパイカル湖の汚染をとりあげている が,そののち, 乙の湖の汚染を解決するために,ソ速の公害対策は積極的かっ 大規模に詩ぜられている。部分的なあやまりや過失は,すみやかに徹底して改 められる社会主義社会の公害を,資本主義のそれと同列に論ずるととには,疑 問をいだかざるをえない。

(5)  向上, 37ページ。

(6) 向上, 39ページ。

(7)  向上, 221ページ「あとがき」。

わが国における「公害」は,その量においても質においても,世界にその 比をみないほどに深刻重大な事態を形成している。量的には,北から南ま で,日本列島全体がまさに u公害列島"と化した,といわれるほどのすさま

(1) 

じさであるO 毎日の新聞に,乙の公害列島のど乙からかの報道がのらない日 はまったくない。

しかし,質的な点になると,事態はさらに深刻である。わが国の公害は,

1970年にいたって質的な変化をとげた,といわれるが,事態はそのようにな (2) 

まやさしいものではない。 1970年を質的変化の副知とすることでは,わが国 の公害の質を正しく表現することはできない。

ことでは,わが国の公害の質を論ずるための便宜として,いわゆる四大公 害を例にとって,いささか検討してみたいD

いわゆる四大公害裁判については,周知のことであるが,念のため,簡単 にその概要を記してみようO

(1)  新潟水俣病裁判 1967612日,被害者のうち13名が,昭和 電工を被告として,損害賠償請求訴訟を提起した。そののち,原告は, 1971  1 77名に増加(19716月にあたらしく患者として認定された 5名を のぞき,同年 1月現在で被害者および遺族の全員にあたる)0 損害賠償請求 額は慰謝料45449万9800円,弁護士費用6817万4200 1971929

(11)

「公害」問題と社会思想 81 

新潟地方裁判所第一民事部宮崎裁判長・泉山裁判官・佐藤裁判官の判決は,

被告の不法行為責任を肯定し,慰謝料24569万9800円,弁護士費用2455 円を原告に支払え,と命じた。原告・被告とも,控訴しなかったので,確

(2)  四日市公害裁判 196791日磯津地区の患者9名(のち2 名が死亡,相続人5名が継承し, 12名となる)が第1コンビナートを形成す

る6社,すなわち,昭和四日市石油,三菱油化,三菱化成,三菱モンサント 化成,中部電力および、石原産業を被告として,民法709条・ 7191項により 共同不法行為にもとづき,はじめひとりあたり200万円の慰謝料を詰求した。

のち,何回かの請求額の変更をへて, 1971年127日,最終的に詰求総額を 258万6300円としたo19727月24日,津地方裁判所四日市支部の米本裁 判所長・後藤裁判官・川田裁判官は,原告の主張をほぼ全面的にみとめ,

8821万1823円の支払いを被告6社に命じた。

(3)  イタイイタイ病裁判 196839日 28名の被害者が,三井 金属鉱業を相手どり,鉱業法109条にもとづき,総額6200万円の損害賠償を 請求した(第一次訴訟)0 同年10月以降第2次から第7次までの訴訟が提起 され,第2次以降にかぎっても,原告の数は489名をかぞえ, その請求額は 13400万余円に達した。 2次ー7次の第一審統一審理は19717月より開 始された。

第一次訴訟にたいする宮山地方裁判所民事部の岡村裁判長・大橋裁判官・

佐野裁判官の判決は, 19716月30日にくだされ,原告の主張をほとんど全 面的にみとめ, 5700万円の賠償金を支払うよう,被告に命じた。しかし,こ の第一審判決にたいし,三井金属33;12は,不服として,名古屋高裁金沢支部 に即日控訴した。大石環境庁長官(当時)は,しばしば同社にたいし,控訴 をとりさげるようもとめてきたが,ついにとりさげなかったo197289 日,名古屋高裁金沢支部(中島裁判長)は,会社側の控訴を棄却,総額l佑;

4820万円の支払いを命ずる控訴審判決をくだしたのこの控訴若手lJlvとは,一審

判決よりもさらに企業側にきびしい判決であり, "立者や家族の苦痛の「はか り知れなさJに去はつけられないとして,死者には1200万円, J11lこは960

(12)

万円の一律賠償を命じた。

なお,これよりさき82日,被告の三井金属鉱業は,小山環境庁長官の 要求に応じて,上告を断念する,と答弁した口

(4)  水俣病裁判 19696月14日,忠者112名が, チッソを相手ど って 64239万444円の損害賠償請求訴訟を提起した。本年10月結審,来 年春ごろ判決の予定。

ところで,以上簡単に概観した四つの裁判は,その背景,動機,状況,経 過など,それぞれに個性をもち,相違しているo しかし,本f:bでは,これら の裁判そのものが問題の焦点なのではなく,裁判捉起にまでいたらざるをえ なかった「公害」被害の深刻無裁さを社会思訟の観点からとらえることにあ るのであり,したがって,公害裁判の佃々の詳細な論点について法的あるい は化学的な検討をおこなうことは論外であるO いまだ訴訟提起にまではいた っていないが,事態の深刻無残さが,乙れら4つのケースにまさるとも劣ら ない公害は,他にいくつも存在する。ここで,裁判にまでもち乙まれた公害 をとりあげるのは,その公害の実態内容が,準備書面や証言などによって,

客観的資料的に明確な形をとって詳細豊富に表現されているからであるo ちろん,われわれは,その他のケースについても,毎日の新聞やテレビなど によって,あるいは住民運動の発行するいくたのパンフレット類によって,

相当くわしく知ることができるが,われわれが情報をうる主要な手段として いる新聞は,客観的報道という観点と詳細適磁性という観点からみるとき,

かならずしも充分でないことをみとめないわけにはいかない。したがって,

訴訟提起にいたらない公害についてのわれわれの認識は,相当の制約をうけ ざるをえない現状にあるO

公害裁判にかんして第三者からなげかけられるきわめて宗本卜な質問は,

(1)裁判に勝てばそれで目的は達成されるのか, (2)損害賠償1!?求 の 民 事 裁 判 は,もの取りの乞食根性から提起されたものではないのか,とl可う;呂志にみ ちた幼稚なものである。

これらの疑問は,ひとつには,公害被害者がなぜ裁判を提起しなければな らなかったのか,裁判の目的は何であったのか,という点についての認識が

(13)

「公害」問題と社会思想、 83  まったく欠如していることから発生し,また,いまひとつには,わが国にお けるプノレジョア法体系が半封建的官僚主義的支配者の体系であることの認識 がまったく欠如している乙とから発生しているO 乙れらふたつの認識の欠如 は,わが国における公害の重大性の認識の欠如に由来し,また逆l乙,公害廃 絶のための全人民的努力の熱意の欠如を結果しているo

なぜ被害者は裁判に訴えずにいられなかったのか。かれらは裁判によって 何をえようとしたのか口裁判の真の目的とは,いったい,何であったのか。

それは,要約すれば(1)悪らつきわまる資本にたいして,その犯罪責任を明 確に自覚させて誠実に謝罪させ, (2)被害者自身のためという狭い視野をとえ て,あらゆる公害を地上から廃絶させる乙と,につきるであろう。

裁判闘争をたたかう被害者の芦を,いくつか例示してみようO

(1)についてo

(1)新潟のケース一一「世が世であれば安西正夫のノド首をかききって 父の仇をとってやりたい気持です。あやまちをおかしたらすなおにあやまる のが人の道です。はやく罪をみとめて土下座してあやまってもらいたい。」

(3)  (近喜代一氏), 1"どとの世界におきましでも,人に危害を与えた者は,そ れ相当な償いをするのが人間としての道だろうと私は昭電に強く訴えたいの でございます。このような昭電という企業の無責任さに対しまして,私ども 被災者は本当!と心からの怒りをもっているのでございます。 J(大野広司

(4) 

氏), 1"昭電は良心のひとかけらも持っていない。大自然を破壊し,人畜を 殺裁した罪は重大であります。……/私どもは,こんな昭電に対しても最初 から裁判をもってとっちめようとは思わなかったのでありますD 法治国の国 民として政府の結論が出たならば,荘、が悪うございましたJ功弁して下さいと 言うならばよろしいのです。……/しかし,昭電は国の結論にも従がおうと しない。私達原告が好むと好まざるとにかかわらず乙の裁判を捉起したゆえ んであります。もう妥協の余地はありません。乙の裁判で昭電が犯人である ことが一回はっきりしてきておりますD 私たちは昭電を絶対に逃がしませ ん。私は逃がさない決;立であります。/裁判長殿,私たち原告はただ今も申 し上げた通りただ金や物欲しさの乞食根性でこの裁判をやっているわけでは

(14)

絶対にありません。どうしても裁判によらなければならなかったのは,昭電 には良心のひとかけらもないということと,わけのわからぬ科学論争をもち 出していれば何十年でもひっぱっていられるという考えをもっている金持ち を相手にするには,三権分立による公正な裁判によってこそ,はじめて我々 は救われるんだと考え,私どもは,ここに,日本の四大公害,すなわち,新 潟,宮山,四日市,あるいは本家本元の熊本,乙の四大公害の第一陣を承っ て提訴しているわけであります。 J(橋本十一郎氏〉

(5) 

(2)四日市のケース一一「公害は,天然自然の現象ではありません。人 が人を殺し,人を傷つけているのでいるです。/公害は悪質な犯罪ですc 害を一瞬も許すことはできません。この追及の手をゆるめることは,ただち に市民の首をしめつけ共犯者となるのです。 J (1969719日,四日市公

(6)  害死没者追悼集会での「誓いの言葉J) 

(3)イタイイタイ病のケース一一一「私は人の子として,人間として,こ れは絶対に不聞にすることはできない。どうしても乙れを追求しなければな らない。……水が毒水と変って,それを知らずに飲んだ罪もない流域の人々 が泣きわめきながら地獄絵のように死んでゆき……乙ういう姿は母親の魂塊 をも,合わせて亡くなったすべての方々の魂塊を,その怒りを私も正しく受 けとめてこれを追求し打開の道を開く以外に道がないとそのように決意をい たしています。 J (青山源吾氏=遺族), 1どう云っていいか,本当に人目

(7) 

がなかったら殺してやりたいくらいですわ。こんなつらい思いをするくらい なら……J (大上ヨシ氏), 1"…""憎い神間だ。よしここでかたきをとって

(8) 

やらなきゃならん。親の墓の前でひざまずかせて頭を下げさせてやろうと決 心してこの運動に参加しでおります。 J (高木良信氏=辿炭)

(9) 

(4 )水俣のケース一一「会社としてもすこしは m本当にきっかっただろ うね,ああいう当時は……"て思うてでもくれればいいんだけれども,全然 思わずにね mフンおまえたちが"ていうような,命を,人の命を粗末に扱う ような感じですね。もうとにかく許せない。もつての他ですよ口まあ,企業と いうところはそういうふうではなかろうかと思うんですけれど,あまりひど いんですよ,乙れは……。自分たちがこういうふうに裁判までやったという

(15)

「公害」問題と社会思想

ことは,まあ,人間としての道なんですよね。 J (浜元二徳氏)

(10)  (2)について。

8S 

(1)一一「昭電のような悪らつな企業がある限り,我々のような犠牲者 は絶えませんよ。/……それから,政府もあてにならん。/・・・…黙っていた ら国民の命はいくらあっても足りない。一握りの財関にみんな殺されっちま うんだ口これをこのままにすれば,日本は暗闇になるD 第三のこういう病気 を起さないようにてんで裁判をお願いしたわけです。 J (桑野忠吾氏) , 

(11) 

「新潟水俣病裁判における私達の勝利乙そ日本列島の夜明けとなり,公害の ない健康で楽しい生活ができるものと確信しております口 J(橋本十一郎氏)

(12) 

(2)一一 19人の患者は,金をとるために裁判をおこしたのではなく,

市民を苦しめる公害をなくすために裁判をはじめたのです。 J (196810 日)

4日,四日市公害認定患者の会のよびかけ「公害病被害者は手を結びあっ て……J) 1公害裁判をおこさざるをえなかった原因,つまり,公害発生の 加害者であることの企業責任が,……四日市でも明らかにされ,亜硫酸ガス などの有毒ガスの発生が完全に除去される法規制がつくられ,公害患者が減 つてなくなっていく見通しがたつよう,公害裁判はつづ、けられなくてはなら ない……。 J(向上〉

(14) 

(3)一一「被害者は被告会社に完全な補償をさせることにより,この世 から公害をなくしていく第一歩にしたいと念じて裁判提起に踏みきったので あるo(原告最終準備書面)

( 1

(4 )一一「市民の人達は,あっどんがおかげで,おっどまもう生活は出 来んごつしなっぞというようなふうで,世論というものが,あっどま裁判ま でせんてちゃ,よかりそなもんでいうようになったわけです。/私達はです な,本当はもう,乙の世の中から公害というものを絶対的に無くすというこ とが根本的な元の考えですけん,そう争いを長くひいて金をうんと取ると か,何とかというその問題じゃなかです。むこうが誠意さえあれば,はよす んどることでございますな。 J (渡辺栄蔵氏)

( 1) 6

筆舌につくしがたい苦痛に苦しめられる被害者が発してきたおびただしい 言葉のなかから,ごく一部を抄録したのにすぎないが,これら肺服からでた

(16)

言葉が,かれらの裁判闘争の;忠義と目的を端的にしめているD 焔 さ を み ず か らのものとして経験したことのないものが,これらの民事裁判の)~義を,傍 観 者 的 に 批 判 す る の で あ る Iiさ を 経 験 し た 乙 と の な い 者 に 言 葉 の 説 明 で 焔 さ を わ か ら せ る 乙 と が 困 難 で あ る こ と も 知 ら さ れ た 口 わ れ わ れ は 右 の 事 実 を 正 し く 理 解 す る 必 要 が あ るo

W l)

(1) たとえば, NHK 社会部編『日本公害地図~ 27ページ。本書は, N H K 報収集能力を発

w

して調査した1970年現在の日本全悶の公害の実態を記録し,

あわせて,公害の歴史と欧米における公害報告を付した包括的概説者である。

(2)  N H K社会部編,前封書, 11ページ。

(3)  1"原告最終準備書面」第一編第一本原告らのさけび(lí法律時報~ 19717 号臨時増刊, 179ページ)。資本がその犯罪主任をすなおにみとめないゆえに,

被害者の怒りは極度に達している。

(4)前掲誌、, 181ページ。

(5)  前掲誌, 183ページυ

(6)  小野英二『原点・四日市公害10年の記録~ 305ページ。

(7)  イタイイタイ病訴訟弁詑団稲『イタイイタイ病裁判第一巻主張~ 390ページ。

(8)  向上, 389ページ。

(9)  同上, 390ページ。

(10)  水俣病を告発する会機関紙「告発」創刊号, 19696月25日。なお,渡辺京 二氏は,その「現実と幻のはざまで」のなかで,つぎのようにいう。1"彼らは 乙の世に人間的道理が行なわれることを求めたのである。裁判に関する忠者の 全発言はただこのことだけを語っている。………水俣病の発生以来,加害 者チッソ資本の被害民に対する対応は,彼らの知っている人間的道理にいちじ るしく違反した。...・H......H・‑水俣漁民のこの世の人間的道理が対立している 相手は,チッソ資本の悪逆ではなく,近代資本制社会を組織している論理その ものである。」石牟礼道子編『水俣病闘争ーわが死民一~ (1972), 171ペー

シ。

(11)  1"法律時報J1971・7月号臨増, 178ページ。

(

12)  前掲誌, 183ページ。

(

13)  小野英二,前掲司 297ページ。

(17)

「公害」問題と社会思想 87  (

1) 4t,298ページO

(15)  イ病訴訟弁護団編,前担当 285ページ。

(

1 6) 1"告発」創刊号。

(17)  イ病訴訟弁護団編,前掲評, 372ページ。

RU  

被害者によって訴訟にもちこまれた四大公害を典型とするわが国の「公 害」の質の深刻さは,わが国における資本主義体制によって招来されたもの であるD 3節でのべたように一般に公害現象にたいしては,ただ安易に資 本主義体制の必然的産物として,体制論理を適用することについては慎重で なければならないが,しかし,わが国の重要な「公害」にかんするかぎり,

日本資本主義体制によっτ惹起され規定されたものと断じてけっして誤謬で はない。

回大公害を典型とするわが国公害の実態を,具体的に検討すれば,このこ とはただちにあきらかとなるであろうo本稿では,その具体的実証的検討を 課題とする余裕がないので,省略せざるをえないが,このように,典型的に 体制的なわが国の公害は,社会的解放というわれわれの立場からみて,いっ たい,どのような特質と問題点をもっているのだろうか。

世界に冠たるわが国の公害が,おなじく世界に冠たるわが国資本主義経済 の高度成長とわかちがたく結合していることは,すでにふれたように,多く の論者によって指摘されているとおりである。すさまじいばかりのわが国の 公害は,残忍なわが国の資本のもつ論理の貫徹によってっくりだされてい D したがって,わが国の公害のもつ特質と問題点は,わが国資本主義体制 の特質と問題点とわかちがたく結合し,後者のもつ資本の論理によって生起 せしめられているといっていいであろうo

資本主義体制の特質の追求は, 1920年代から数次にわたり活発に展開され た,いわゆる日日本資本主義論争"の基本的なテーマであった。もちろん,

日本資本主義論争は,長期にわたる論争にもかかわらず,日本資本主義の特 質にかんして,統一的な見解をうみだすまでにはいたっていない。それはい

(18)

まもなお論争せらるべき未解決問題をふくんでおり,立場のいかんによっ て,日本資本主義の特質規定はいちじるしく相違し,ときには完全に対立し て,学問的対話さえ相通じないことがあるO

わが国「公害」のすさまじい凶悪さを理論的根本的に究明するためには,

日本資本主義論争の厳密な理論的本質的成果をじゅうぶんに摂取しなければ ならないが,その論争の状況からみて,なおじゅうぶんに普遍的統一的とも いうべき成果をわれわれがもつにいたっていないことは, i公害」究明の徹 底性追求の面から残念なことといわざるをえない。

日本資本主義論争は,上述のように,普遍的統一的な成果をあげるにはい たらなかったものの,その論争がはげしく論じた諸問題は,いずれも日本資 本主義の特質をかんがえるばあいに逸することのできない重要な問題点を枯 成するものであった。すなわち,日本資本主義体制において封建造制は残存 しているかいなか,わが国の国家権力の本質は何か,資本制的諸関係、と封建 的諸関係との関係、は何か,わが国ブノレジョアジーと天皇制との関係はどのよ うに把握されるべきか,日本帝国主義はどのように規定されるべきか,日本 ファシズムとはいったい何なのか,という諸点であるD そして,これらの諸 点は,同時に i公害」問題を理論的および歴史的に究明するさいに,基本 的にその方向を規定するものであるD

本稿が対象とする四大公害は,いずれも,典型的な「企業害」であり,独 占資本主義企業がきわめて残忍な「公害」生産者であることは,周知のとお りであるD これら害悪は,まさに社会的犯罪にひとしいが,その生産者であ る悪質企業の本質は,若本的には,日本資本主義の特質によって規定される であろうD すなわち,四大公害の発生源企業たる昭和電工,昭和石油,三菱 油化,三菱化成,三菱モンサント化成,中部電力,石原産業,三井金属鉱業,

およびチッソが,とくべつに悪質な企業であるがゆえに,これら四大公害を 発生せしめたのだ,という解釈だけでは,問題の正しい把握はなされないで あろうD 特定の個別企業の偶発的悪徳行為あるいは個別企業の体質的な悪徳 性が公害を発生せしめたという解釈だけでは,公害の真実を究明しえないと いうべきであろうO ここに,日本資本主義の特質という観点からの総体的な

(19)

「公害」問題と社会思想 89 

規定が必須となるのであるo

すでにくりかえしのべたように,日本資本主義論争はいまだに統一的な見 解を産出してはいないので,総体的体制的規定要因としての日本資本主義の 特質から一義的に「公害」企業の動機と行動を規定する乙とはできないが,

しかし,ともかくも,日本資本主義体制の特質‑がわが国公害発生の土壌とそ の質の悪らっさを何らかの形をもって規定していることを否定する乙とはで きないであろうo別言すれば,わが国公害の理論的および歴史的究明のため には,日本資本主義論争のテーマであった日本資本主義の特質規定が不可欠 であるということであるO しかし本稿は,日本資本主義のいかなる特質が,

いかに公害企業の勤機と行動を規定し,したがってまた,すべての企業が公 害発生企業でありうるか,ということを,論ずる予定をもたない。ただ,本 稿が企図するものは,公害の究明にあたっては,日本資本主義の特質規定を ぬきにしては不可能であろう,という乙とを,問題として提起することにあ

四大公害の実態を検討してみれば,企業側と国家および地方自治体側に

「公害」発生を必然的に招来し,またその害を必然的に深刻化せざるをえな い直接的要因が存在しているという乙とができるO

まず,企業側の要因のうち,主要なものとしてはほ)企業の自然観, (2)企業 の労働者・農漁民観がある。つぎに,国家および地方自治体側の要因のう ち,主要なものとしては, (1)国家および地方自治体の企業との癒着, (2)天皇 制絶対主義と結合したブルジョア法体系の支配,がある。そして,乙れらを 補強する要因として,企業および国家・地方行政権力におもねる御用学者の 企業加担行為があるO

(1)  企業の自然観について。

労働過程と価値増殖過程との統ーである資本主義的生産過程において,資 本は自然をどのようにみているのであろうか。

参照

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