ソニンケ社会における家族の連帯と規模 : 出稼ぎ をめぐって
著者 三島 禎子
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 21
号 1
ページ 77‑118
発行年 1996‑10‑31
URL http://doi.org/10.15021/00004171
三島 ソニンケ社会におけ る家族の連帯 と規模
ソ ニ ン ケ 社 会 に お け る家 族 の 連 帯 と規 模 出稼 ぎをめ ぐって
三 島 禎 子*
Migration and Family Structures in Soninke Society
Teiko MISHIMA
The purpose of this paper is to discuss how the Soninke family adapts to the socio-economic conditions surrounding their society by pay- ing special attention to family size and structures.
The Soninke society along the Senegal valley has been placed out- side the main stream of development policies adopted by the central government since the colonial period. This is a major reason why twen- ty to thirty percent of one village have been forced to emigrate to France. Almost all the emigrants are male, and they live in France without wife and children. Remittances from the emigrants are used not only for the expenditures needed to sustain the daily life of the family but also for the common expenditures needed for community development in the village. Today, emigration has become essential for the Soninke people to live on in such a depressed region.
The migration observed in Soninke society has been maintained by large families and their ties. Simultaneously, it is confirmed that family structures are adversely influenced by the migration itself. The migra- tion to France, with its completely different customs and culture, cannot continue without the cohesion of the emigrants. It is observed that the traditional age systems and class relationships seen in the village are brought into France. On the other hand, it is confirmed that the status of head of family has been gradually enforced due to continuous migra- tion. The patriarchal system seen in Soninke society becomes a major element in producing families of twenty two point four (22.4) persons on average, as surveyed at the village of Gande. When the actual
国立民族学博物館第3研 究部
Key Words : migration, Soninke, Senegal, family structures, family nucleus (noyau familial)
キ ー ワ ー ド:出 稼 ぎ,ソ ニン ケ人,セ ネ ガ ル,家 族 形 態,家 族 核
国立民族学博物館研究報告 21巻1号
conditions of the large families are clarified, using the three basic com- ponents of "compound (concession) ", "household (menage) " and
"f
amily nucleus (noyau familial) ", the following five family types are revealed, namely;
1. mononuclear family, : a couple + single lineal descend- ants (+ a lineal ascendant +
other single relatives),
2. expanded mononuclear family, : 1 + at least one single collateral
relative,
3. polynuclear family,: 1 + at least one family nucleus
of lineal relatives,
4. collateral polynuclear family, : 1 + at least one family nucleus
of collateral relatives,
5. expanded polynuclear family, : 3 + 4.
It is observed that the emigrants come from comparatively large families, e.g. collateral polynuclear family or expanded polynuclear fami- ly, and that in such large families there is a tendency for the average age of the head to be high, and further, that those families often belong to a lower social class.
The members of a large family live in the village and the place where they emigrate, and their relations are formed as strong ties among the family members. However, this kind of family is not the traditional and typical one seen in Soninke society in the past. Rather, it must be said that it has been newly formed by contemporary socio-economic condi- tions. In addition to this, with respect to changes in family structures in the future, the most interesting thing to observe will be changes in the economic and social power of men in the family. It is, in short, to be determined by the power relations between the head of a family and the emigrants.
問 題 の所 在 1 ソニン ケ社 会 1‑1移 動 の民
1‑2 身分 制 に も とつ く社 会 1‑3 カギ ュン の役 割
∬ ガ ンデ村 の概 観 】1‑1そ の成 り立 ち ∬‑2 経 済 ・社 会 状 況
III出 稼 ぎ
皿一1村 の人 ロ構 成 と人 々の移 動 皿一2経 済活 動 と して の 出稼 ぎ
N 家 族 の分 析
N‑1用 語 の 定 義 N‑2 「家 族」 の規 模 ]V‑3 「家 族」 の類 型 】V‑3‑a 類 型 の 定 義
N‑3」b 類 型 別 に み た 「家 族 」 N‑3‑c家 長 の タイ プ別 に よる類 型 V 「家 族核 」 を め ぐる分 析
V‑1 中 心 と周辺
V‑2「 家 族核 」 を形 成 す る者 V‑3 「家 族核 」 の社 会 ・経 済 上 の 営 み W 「家 族 」 に関 す る総 論
三島 ソニンケ社会 におけ る家族の連帯 と規模
問題の所在
サ ハ ラ以南 の ア フ リカ諸 国が 独 立 を経 て30年 以 上 が経 過 した 今 日,こ の地 域 を と り ま く社会 ・経 済 的 な環 境 が悪 化 して い る こ とは 周 知 の 事 実 で あ る。 セ ネ ガル で は植 民 地 時 代 に は じま った 落 花 生 の過 剰 な 生産 に よっ て土 壌 の 急速 な劣 下 が す す み,食 糧 生 産 シス テ ム の基 盤 が くず れ,さ らに70年 代 か ら相 次 い で サ ヘ ル地 帯 を お そ った干 ば つ で農 業 の危 機 は顕 在 化 した 。 そ して 農 村 か ら都 市 へ の出 稼 ぎが,人hの 生 活 パ タ ー ソ に入 り込 ん で い った 。
出稼 ぎは 人 口学 的,お よび経 済学 的 な観 点か ら論 じられ る こ とが多 い。 人 口集 中 と 過 疎,都 市 化 に と もな う都 市 イ ソフ ラの不足 と都 市 の社 会 的機 能 の麻 痺,労 働移 動 と そ れ に よ る雇 用構 造 お よび 経 済構 造 の変 化 な ど,マ ク ロな 視 点 か らみ た 出稼 ぎの影 響
が主 な テ ーマ と して と りあ げ られ て い る。 そ こでは 出稼 ぎ とい う社 会 現 象 が お よぼ す どち らか とい え ぽ否 定 的 な 側 面 が描 き 出 され,出 稼 ぎ民 自身 や送 り出 し社 会 の す が た は あ らわ れ て こな い。 しか し出 稼 ぎ は,生 活 の 必然 性 か ら生 まれ た人 々 の 自発 的 な選 択 であ る。 今 日,農 村 を と りま くさ ま ざ まな状 況 に対 して,人 々が 出稼 ぎを とお して どの よ うに 対 応 し よ う と して い るの か,そ の 主体 的 な うご きに 注 目す る こ とが 重 要 で は な いか と思 わ れ る。
都 市 へ の 移 動 は,サ ハ ラ以 南 ア フ リカ に共 通 して い る経 済 の 停 滞 とそれ に ともな う 労働 需 要 の減 退 に よ って,か つ て ほ ど魅 力 的 で は な くな りつ つ あ る。出稼 ぎに来 て も, 農村 に残 った 家 族 の生 活 を充 分 に 支 え る ほ どの 稼 ぎは得 られ な い 。 従来 は 男性 が 単 身 で都 市 と農 村 を 往 復 して いた が}今 日で は 出稼 ぎ民 のUタ ー ン現 象 が 多 くみ られ る。
そ の一 方 で,生 活 に 困窮 した人 々が 何 らか の生 活 の糧 を得 よ うと家 族 ぐる み で移 動 し て くる た め,都 市 で は 「出稼 ぎ民 都 市 化 の 進 行 」 【松 田 1995:33】 が お き て い る。 セ ネ ガル の首 都 ダ カ ール で都 市 化1)が 急 激 に進 ん でい る背 景 には 女 性 や 子 供 の都 市 へ の 流 入 が あ り,妻 子 同 伴 の 出稼 ぎ形 態 が 増 え て い る こ とを示 して い る。 しか し この よ う な家族 同居 型 の 出稼 ぎは,都 市 生 活 へ の憧 れ や 農 村 との きず な の断 絶 を 意 味 す る もの で は な い。 む しろ そ れ は経 済 的 な制 約 ゆ え の消 極 的 な理 由 か らで あ る 【小 倉 1995:
51】。 また 数 ヶ国 の統 計 デ ー タを分 析 した ロ コに よれ ば,都 市 の 家 族 は 西 欧 社 会 の影
1)都 市 化 に 関 す る 調 査(1987‑89年)【AxTOINE et autres 1995]Ỳよ る と,過 去30年 の あ い だ
に ダ カ ー ル の 家 族 の 規 模 は お よ そ2倍 に な っ た 。 そ の 原 因 の ひ と つ が 農 村 か ら の 人 口流 入 で
あ る と考 え ら れ て い る 。 ダ カ ー ル に は 総 人 口 の20%以 上,出 稼 ぎ 民 の40%以 上 が 集 中 し て い
る[REPUBLIQUE Du SENEGAL 1993:30‑33】 。
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響 を受 け て 親 と小人 数 の子 供 だ け か らな る核 家 族 を理 想 モデ ル と して追 い求 め る一 方 で,伝 統 的 な家 族 の機 能 を都 市 生 活 に適 応 させ て い る。 結 果 的 に 都 市 の家 族 は,農 村 か ら来 る 出稼 ぎ民 や そ の妻 子,ま た は 里子 な どを 受 け 入れ て,規 模 が大 き くな って い る 【Locox 1988:441‑478,1991]。 送 り出 し社 会 に 関 しては,フ ラ ソス へ の 出稼 ぎが 多 い アル ジ ェ リア の出稼 ぎ民 社 会 に つ い て の研 究 が あ る[MIYA」11979:105‑130]。 こ こで は,出 稼 ぎ に よ って生 じた経 済 的 な 格差 に よ っ て社 会や 家 族 に お け る伝統 的 な社 会 関 係 が崩 壊 して,家 族 は分 裂 して小 規模 に な る傾 向で あ る こ とが 報 告 され て い る。
この よ うに,出 稼 ぎを と りこみ,そ れ を 支 え,そ の 影 響 を受 け る うつ わ と して,家 族 は 積 極 的 に それ ぞ れ が お かれ た社 会 ・経 済 的 な環 境 に適 応 し よ う と して い る。 人 々が 主 体 的 に生 き よ うとす るひ とつ のか た ち が,家 族 の形 態 に あ らわ れ る とい え よ う。
本 稿 で と りあ げ る ソニ ン ケ人 は,出 稼 ぎ形態 も出稼 ぎ に よる送 り出 し社 会 へ の影 響 も,上 記 の 例 とは こ とご と くこ とな るが,や は り出稼 ぎ を中心 と して生 計 を 立 て て い る人 々で あ る。 セ ネ ガ ル河 上 流域 に住 むソニンケ 人 は,1960年 代 か らさか ん に フ ラ ン スへ 出稼 ぎに 行 った。 出稼 ぎは 男性 が 出稼 ぎ と帰 村 を く りか えす 還 流 型 労 働 で あ る。
出稼 ぎ民 か ら故 郷 の家 族 へ の 送 金 は い うま で もな い が,注 目 され る のは,農 村 の社 会 ・経 済 イ ン フ ラス トラクチ ャ ーが 出稼 ぎ民 の共 同 出資 に よ って整 備 され てい る とい う点 で あ る。 これ は 自助 努 力 に よ る農 村 開 発 と して,近 年,セ ネ ガル政 府 の関 心 を 引 い て い る。 そ の 一 例 と してあ げ られ るのが 潅 概 農 業 で あ る。 自然 条 件 の きび しい セネ ガル河 上 流 域 で は,天 水農 業 にか わ って灌 概 農 業 に 期待 がか け られ て い る。 しか し潅 概農 業 は トラ ク タ ーな どの大 型 農 機 具,あ るい は 水,肥 料 お よび 農 薬 な どの大 型 投 資 が必 要 で あ り,こ れ らの農 業 投 入 財 の確 保2)は 出稼 ぎ民 か ら の送 金 な しに は不 可 能 で あ る。 出稼 ぎは ゆ きづ ま った 農 村 で の 生 活 に対 す る打 開 策 と しては じま ったが,今 日 で は 灌概 農 業 を 中心 と した 生産 基 盤 を支 え る不 可欠 な手 段 に もな って い る[1.AVIGNE‑
DELV‑‑,LE 1991]。 キ ミナル は,出 稼 ぎ民 た ち の価 値 観 が 文化 も習 慣 もま った く異 な る 外 国 の 地 に お い て も変 わ る こ とな く,む しろ伝 統 的 な 価 値観 が再 構 築 され た こ とを 指 摘 して,そ れ が 出 稼 ぎ先 の フ ラソ スで 出稼 ぎ民 が 形 成 す る同郷 者 社 会 と出身 村 に おけ る家 族 お よび社 会 の い ず れ と も強 い連 帯 を維 持 し,出 稼 ぎの シス テ ムを 支aて い る と 論 じた[QUIMINAL 1991】。
2)構 造 調整 プログラムの一環 としてお こなわれ た公的部門 の縮小措置において,農 業部門で も政府か ら農民への援助が廃止 され,公 社の人員が削減 された。1984年の 「新農業政策」 で は政府は農村 か ら後退 し,生 産か ら流通 にいたるすべ てを農民の 自由意志に委ね ることにな った。政府は種子や肥料 の配布あ るいは貸付金の融資 な どをいっさい と りやめたので,こ れ は事実上の放任政策 ともいえる。結果 と して,農 民 に とって農業投入財をいかに準備す るか が,不 安定な気象条件に加rxて営農 をお こな ううえでの先決問題にな った。
三島 ソニンケ社会におけ る家族の連帯と規模
図1 セ ネ ガ ル の 主 要 民 族 別 に よ る 家 族 の 規 模 出 所:Enquete sur les priorites 1993
私 が調 査 を お こな った ガ ソデ(Gande)村 も また セ ネ ガル河 上流 域 に位 置 す る。 住 民 の20%が 不 在 で,そ のほ とん どはソニンケ 人 で あ る。 本 稿 は ガ ソデ村 で の調 査3)に
も とつ い て,出 稼 ぎ民 の送 り出 し社 会 に お け る主 体 的 な対 応 を,ソニンケ 人 の家 族 の 特 徴 に 焦点 を あ て て 考察 し よ うとす る もの で あ る。ソニンケ 人 は セ ネ ガル の他 の主 要 民 族 の な か で は,い ち ば ん 規 模 の 大 きい 家 族 を 形 成 す る(図1参 照)。 ロ コが 都 市 の 家 族 の 規模 につ い て 分 析 して 出稼 ぎ民 との 関 係 を 明 らか に した よ うに,出 稼 ぎ民 を多 くの 割 合 で送 り出 してい るソニンケ 人 家 族 は,出 稼 ぎ に よ る何 らか の特 徴 を 帯 び て い る と考 え られ る。 本 稿 で は まずソニンケ 社 会 と調 査 村 の出 稼 ぎの 実態 につ いて 概観 し た うえ で,ソニンケ 人 家 族 の特 徴 を つ か み,そ の形 態 につ いて 分 類 を お こ な う。 そ し て どの よ うな形 態 の家 族 が 出稼 ぎを支 え て い るの か,ま た 家 族 は 出稼 ぎを とお して ど の よ うに社 会 や経 済 の変 化 に 対応 し よ う と して い るのか 考 察 す る こ とに した い。
3)調 査 はパ リ第V大 学 とセ ネ ガル の サ ン ・ル イ大 学 との 共 同研 究 で,1993年3月 か ら4月 に か け て,セ ネ ガ ル河 上 流 域 の 出稼 ぎ 民 の多 い5村 を選 定 して お こな わ れ た 。筆 者 は ガ ンデ村 に 滞 在 して調 査 に あた った 。 調 査 内 容 は ひ とつ は家 族 に関 す る もの で 家 族構 成,出 稼 ぎ,農 業 生 産 な ど の項 目か らな り,も うひ とつ は生 殖 と避 妊 に関 す る動 向 に つ い て で あ る。 前 老 は 調 査 村 の全54戸 の一 家 の 主 あ るい は そ の 代理 を対 象 に,後 者 は 無 作 為 に 抽 出 され た男 女 それ ぞ れ50人 と75人 に対 して,質 問 票 を 用 い た面 接 を お こ な った 。 面 接 は フ ラ ソス語 で作 成 され た 質 問 票 に も とつ い て,ソ ニ ンケ語 の通 訳 を 介 して,筆 者 とサ ソ ・ル イ大 学 の 学 生2人 とで 分 担 してお こな った 。 通 訳 者 は 地域 で識 字 教 育 に た ず さわ るソニンケ 語 を 母語 とす る男女2 人 で,あ らか じめ 面 接 の 手 法 や質 問 の内 容 な どV'つ い て研 修 を 受 け て も ら った 。
国立民族学博物館研究報告 21巻1号
1 ソ ニ ン ケ 社 会
1‑1移 動 の 民
ソ ニ ン ケ と 自 称 す る 人 々 は マン デ(Mande)系 民 族 に 分 類 さ れ,ウ ォ ロ フ 人 か ら は サ ラ ホ レ(Sarahkole),バ ンバ ラ 人 か ら は マ ル カ(Marka)な ど と よ ぼ れ,古 代 ワ ガ ド ゥ(Wagadu)王 国 の 伝 統 を 継 承 す る 。 西 ア フ リ カ に 広 く分 布 す る が,今 日 の 居 住 分 布 は13世 紀 こ ろ に 確 立 し た と考 え ら れ て い る 【POLLET et WINTER 1971:19‑34】 。
セ ネ ガ ル に お い て は,か つ て ガ ジ ャ ガ(Gadiaga)帝 国4)が 栄 え た パ ケ ル(Bakel) か ら マ リの カ イ(Kaye)に い た る 一 帯 を は じ め,セ ネ ガ ル 河 上 流 の 左 岸5)に 多 く居 住 し て い る 。
ソ ニ ン ケ 人 は サ ハ ラ 砂 漠 を 往 来 し て 岩 塩 と 砂 金 の 交 易 を お こ な う 「移 動 の 民 」6)
【POLLET et WINTER l971:32】 で あ っ た 。 の ち に ヨ ー ロ ッパ 商 人 が 奴 隷 貿 易 を は じめ る と,ソ ニ ン ケ 人 は 帝 国 の 「旧 捕 虜 」 を ヨ ー ロ ッパ 商 人 に 供 給 し て,18世 紀 を 最 盛 期 に 商 人 と し て 大 い に 活 躍 した と い わ れ る。 しか し奴 隷 の 売 買 が 廃 止 さ れ る と状 況 は 大 き く変 わ り,セ ネ ガ ル 河 上 流 域 の 地 理 的 な 条 件 は そ の 後 の ソ ニ ン ケ 社 会7)に 大 き な 影 響 を 及 ぼ し た 。 今 日,セ ネ ガ ル 人 が 一 般 に 「辺 境 の 地 」 と形 容 す る よ うに,セ ネ ガ ル 最 東 端 の こ の 地 方 は 自然 条 件 が きび し く,植 民 地 時 代 以 降,政 治 や 経 済,文 化 に お い て つ ね に 周 辺 的 位 置 に あ っ た 。 仏 領 西 ア フ リカ の 行 政 府 が 落 花 生 生 産8)の た め に 領 土 を 組 織 的 に 統 治 す る 過 程 で も,ガ ジ ャ ガ 地 方 一 帯 は 開 拓 地 に 選 ぼ れ ず,「 移 動 の 民 」 は ナ ベ タ ン(Navetant)と よぽ れ る 農 業 労 働 者 と して 落 花 生 栽 培 地 帯 に 出 稼 ぎ に 行 っ た の で あ る9)0し か し,落 花 生 を 中 心 と し た セ ネ ガ ル の モ ノ カ ル チ ャ ー 経 済 は60年 代 後 半 に な る と 低 迷 の 兆 し を み せ10),落 花 生 生 産 地 に お け る 労 働 需 要 は 減 少 しは じ め た た
4)貴 族 バ チ リ(Bathily)家 が 支配 した 。 詳 し くは パ チ リの 著 作 【BATF.皿Y l 972】を 参 照。 周 辺 地 域 に は ギ ジ マ カ(Gidimaka)や ジ ャ フ ヌ(Dyahunu)な どの帝 国 が 存 在 した。
5) バ ケル(Bakel)か ら ウ ロ ソギ(Ourossogui)に い た る ハ ゲ(Hage)と よぽ れ る一 帯 と ウ ロ ソギ か ら ダガ ナ(Dagana)に いた る ブ タ(Fuuta)と よぽ れ る地 域 。
6)Delafosseに よる記 述 。
7) こ こで は セ ネ ガ ルの ガ ジ ャ ガ地 方 のソニンケ 社 会 を さす 。
8)落 花 生 は 植 民 地政 府 の収 入源 と してい ちぽ ん 重 要 な産 物 で あ り,セ ネ ガル は 仏領 西 ア フ リ カ の な か で 最 大 の 生 産 量 を も っ て い た 。 西 ア フ リカ の 植 民 地 交 易 に つ い て はFounou‑
Tchuigouaの 著 作[1981】 が詳 しい。
9)落 花 生 栽 培 の季 節 労 働 者 に つ い て はDavid l1980】を 参照 。
10)70年 代 に は 落 花生 の 国際 価 格 が暴 落 した うえ に,サ ヘ ル地 帯 は干 ぽ つ に 見 舞 わ れ,生 産 高 が 激 減 した 。 さ らに過 剰 な 落 花 生 栽培 が 土 壌 の 劣 化 を まね き農 業 全 体 の危 機 が 顕 在 化 した 。
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三 島 ソニ ンケ社 会 に お け る家 族 の連 帯 と規 模
め,ソ ニ ンケ人 は また あ らた な収 入 源 を み つ け な けれ ぽ な らな か った。 外 国 へ の 出 稼 ぎ は フ ラ ンス の 外 国人 労 働 者受 け入 れ 政 策 の も とに60年 代 にす で に は じま り,70年 代 の 国 内 の経 済 危機 を反 映 してソニンケ の人 々に と って生 計 を 立 て るた め の必 要 不 可 欠 な手 段 とな った の で あ る。
フラ ソスへ の 出稼 ぎは ソニ ン ケ社 会 に単 に 現 金収 入 を もた ら した だ け で な く,自 然 や経 済,社 会,政 治 な ど の条 件 に恵 まれ な い 地 域 に住 民 を とどめ,彼 らが生 活 して ゆ
くため の必 要 な 生活 環 境 を つ く りあ げ る11)ひ とつ の手 段 と して 確 立 した。
1‑2 身 分 制 に も とつ く社 会
マ ンデ 系 の 他 の 民 族 と同 じよ うに,ソニンケ 社 会 は ク ラ ソ12)を 基 本 的 な構 成 単 位 とす る社 会 を 形 成 した。 今 日で は社 会 や 経 済 の 変 化 に と もな っ て クラ ンの社 会 的 役 割 は縮 小 した が,個 人 を クラ ン名 で 区別 す る習慣 を 重 ん じる こ とにあ らわれ る よ うに,
ソ ニ ンケ人 は 自分 の ク ラ ンへ の 強 い 帰属 意 識 を も って い る。
ソニンケ 人 の 社 会 生活 は,生 得 的 な身 分 に も とつ く不平 等 な階 層 構 造 の うえ に成 立 して い る。 ホ レ(Hoore)は 語 義 の うえ で は 「自 由民 」 を 意 味 す るが,そ れ を構成 す る の は 戦 士 とマ ラ ブ(イ ス ラム教 伝 道 師)の ク ラ ソに 属 す る貴 族 で あ る。 「職 人 」 ニ ャ カマ ラ(Nyakha〃Tala)は グ リオ(か た りべ)や 革 職 人,鍛 冶 屋,宝 飾 職 人 な どの 人 々 で,ホ レと と もにソニンケ 社 会 の構 成 員 で あ る こ とを認 め られ てい るが,か つ て は そ れ ぞ れ特 定 の貴 族 の リネ ー ジに 帰 属 して,労 働 奉 仕 とひ きか え に一 定 の生 活 を保 証 され て いた 。 この ふ た つ の 階層 の 下 に 「旧捕 虜 」 の コ メ(Kome)が あ る。 コ メは 民 族 間 の戦 争 に おい て 略奪 され た 捕 虜 の子 孫 や,も と も とは ホ レや ニ ャ カマ ラで あ っ た に もか かわ らず,何 らか の理 由で 身 分 を変 え ざ るを 得 な か った人hで,か つ て は支 配者 層 や そ の家 族 に 対 して一 定 の役 務 を義 務 づ け られ て い た。 た だ しなか に は支 配 者 の 片 腕 とな って政 治 的 な特 権 を行 使 す る場 合 もあ った13)0
か つ て は この3階 層 の あ いだ には,社 会,経 済,政 治 的 な 序 列 を規 定 す る諸 制 度 が 厳 格 に 作 用 して いた 。 村 の創 設 者 や 貴 族 で あ る村 の長 老 た ち は,慣 習法 に も とつ い て 11) セ ネ ガル 河 流域 で は 出稼 ぎ民 の 送 金 に よ って,各 村 落 に診 療 所 や 学 校 や イ ス ラム教 寺 院 が 建 て られ た り,灌 概 施 設 が 整xら れ た 。 セ ネ ガ ル の他 の地 域 に おい て,こ れ ほ どイ ソ フ ラス トラ クチ ャ ーが整 備 され て い る村 は な く,こ の地 方 が都 市 か ら離 れ た辺 境 に 位 置 して い るだ け に い っそ う 目を み は らせ る ものが あ る。
12)父 系 の 出 自集 団 と して 認 識 され る。
13) ラ ヴ ィニ ュ ・デ ル ヴ ィルは,コ メが 政 治 的権 力 の枠 に 入 るこ とが で きな い と記述 して い る が[LAVtGNE・DELV‑‑.LE 1991:29】,コ メは 必 ず し も何 の 権利 も もた な い社 会 の 最 底 辺 に い る 存 在 では な い。 実 際 に調 査 村 では,村 長 の補 佐 役 は 代hコ メに よっ て受 け 継 が れ て い る こ と が確 認 され た 。
国立民族学博物館研究報告 21巻1号 土 地 を 分 配 す る権 利14)を も ち,耕 作 権 の取 得 は身 分 に よ って決 め られ て い た 。 しか しな が ら,土 地 を 介 した社 会 関 係 は 農業 生 産 シ ス テ ムの変 容 に と もな って変 わ りつ つ あ る。 気 象 条 件 の悪 化 に と もな って 伝統 的 な天 水 農業 は停 滞 し,耕 作 権 を め ぐる権 力 構 造 は事 実 上,形 骸 化 した 。 また 灌溜i農業 の導 入 は灌 概 地 区 に お け る耕作 権 を 各 農 家 に平 等 に与 え,農 業 協 同組 合 の も とに共 同 で水 の 管理 と農 業 経 営 を お こな う とい う新 しい農 業 生 産 シス テ ム をつ く りだ した。 それ に よ って従 来 の 土 地 所 有 形態 を排 除 し, 平 等 な労 働 の 概 念 を もち こんだ 。 これ らの条 件 に 加 え て,今 日,身 分 の境 界 が 経 済 面
に お い て あい まい に な って きた 背 景 に は,人hの 生活 を と りま く社 会 ・経 済 的 な環 境 が変 化 し,身 分 にか か わ らず 人hは 経 済 的 な 困難 を経 験 した た め だ と考 え られ る。「職 人 」 や 「旧捕 虜 」 は,「 自 由民 」 に 対 して 従 来 の よ うに 労役 の奉 仕 を お こな わ ず,そ れ ぞれ が 独 立 して 生 業 を 営 む よ うに な ったis)。そ して 「自由 民」 も他 の身 分 と同 じよ うに,収 入 を 求 め て 自 ら出稼 ぎに 行 か なけ れ ば な らな くな った の で あ る。
調 査 村 で も新 し く移 住 して きた ぼ か りの 者 を の ぞ い て カ(Ka)と よばれ るす べ て の 家 族16)が 田畑 を所 有 してお り,い わ ゆ る労 役 は お こ なわ れ て な い こ とが確 認 され た。 しか し経 済面 で の身 分 の 差 異 が あ い ま いに な って も,身 分 制 は依 然 と して職 業 区 分 や婚 姻 関 係,あ る いは 政 治 的 な 発 言権 の有 無 な ど,社 会 ・政 治構 造 の 基盤 とな っ て い る。 こ の よ うな社 会 条 件 のち が い が,家 族 が 生 計 を立 て る うえ で どの よ うに影 響 し て い る のか,の ち に検 討 す る こ とに す る。
1‑3 カ ギ ュ ソ の 役 割
カ とよば れ る家族 はソニンケ 社 会 に おけ る生産 と消 費,お よび居 住 の 単位 で あ り, カギ ュ ソ(Kagu〃ime)は そ の 最 高 責 任 者 で あ る。 通 常 は カ に お け る最 年 長 者 の男 性 が カ ギ ュソに な るが,調 査 村 で は 女性 の カ ギ ュソ も2人 存 在 す る。 これ は例 外 的 な事 例 で あ る と同 時 に一 時 的 な状 況 だ と思わ れ る。2人 と も寡 婦 で あ り,1人 は カ ギ ュ ソ
で あ った 夫 が亡 くな った あ と家庭 内 の不 和 に よ って カが 分 裂 した た め べ つ の カ を形 成 した。 も う1人 は扶 養 家 族 が 全 員20歳 以下 の独 身 で,カ ギ ュ ンに な るべ き も のが い な
14)1965年 に 国 土 法 が 定 め ら れ,土 地 の 分 配 権 は 村 落 議 員 に 委 ね ら れ る こ と に な っ た 。 こ の 法 律 に よ っ て 小 作 制 度 は 基 本 的 に 廃 止 さ れ,耕 作 を し よ う と す る 者 は だ れ で も 平 等 に 土 地 の 耕 作 権 を 得 る こ と が で き る よ う に な っ た 。 しか し 実 際 に は,村 落 議 員 に は 慣 習 的 に 権 力 を 握 っ て い た 村 の 長 老 が な り,結 局 は 社 会 的 な 権 力 は つ ね に 一 部 の 少 数 の 人 々 の 手 に あ っ た 。 そ の うT,ソニンケ 人 が 集 中 して い る タ ソバ ク ン ダ(Tanbacouda)州 に お い て 村 落 議 会 が 構 成 さ れ た の は,国 土 法 が 設 定 さ れ た20年 後 の1985年 だ っ た 【LAVIGNE‑D肌V‑‑,LE l991:97‑98;
BLOCK 1991:239‑247]O
l5)Adams, Lavigne‑Delville, Block, Quiminal,な ど 複 数 の 研 究 者 か ら 指 摘 され て い る 。
16) 家 族 の 概 念 に つ い て は,】 〉章 を 参 照 。
三島 ソニンケ社会における家族 の連帯 と規模
い 状 況 に あ る。2人 の女 性 は,い ち ぽ ん近 しい関 係 に あ る男 性 の 親 族 を 相談 役 と して あ げ て い る。 ソニ ン ケ社 会 に お い て 女性 は実 質 的 な 決定 権 を もた ず,女 性 カ ギsソ の 地 位 は 名 目上 の も の で あ る。 ア フ リカや セ ネ ガル の他 の 民族 で は,「 家 長17)」の 地 位 そ の ものが 形 式 的 な もの に な りつ つ あ る とい わ れ てい る18)。しか し ソニ ン ケ社 会 で は, カ ギsソ は依 然 と して家 族 成 員 に 対 して絶 対 的 な権 力 を もつ 存 在 で あ る。 カギsン は カの 代表 と して村 社 会 に おけ る政 治 的 な役 割 を にな い,家 族 成 員 に 対 して社 会 ・経 済 上 の責任 を負 う。 家 族 内 の争 いを 調 停 し,子 供 の就 学,結 婚,出 稼 ぎな ど,家 庭 内 の す べ て の こ とが らに関 して決 定 権 を 行 使 す る。 経 済 面 で は年 間 の耕 作 計 画 を 立 て,収 穫 物 の管 理 を お こ ない,あ るい は 出稼 ぎ民 か らの送 金 を うけ て金 銭 や 家 族 の 財産 す べ て の管 理 に あ た る。
農 村 内部 の階 層 構 造 が農 業 生 産 シ ステ ムの変 容 に と もな って一 部 で くず れ て い る の に対 し,カ に お け る カギ ュ ンの地 位 は 反 対 に 強 化 され て い る こ とが,ラ ヴ ィニ ュ ・デ ル ヴ ィル や キ ミナ ル に よ って指 摘 され て い る。 かつ て カに は,カ ギ ュ ンの権 限 の も と に家 族 成 員 み な が作 業 す る共 同 田畑 の他 に,成 人男 性 や 既 婚 女性 に配 分 され た個 人 田 畑 が あ った。 そ こで収 穫 した農 産 物 は 彼 らが 自由 にす る こ とが で きた。 しか し砂 漠化 の進 行 や 気 象 条件 の悪 化 な どに よ って伝 統 的 な 農業 が停 滞 し,出 稼 ぎ に主 要 な 労 働 力 を 吸収 され る と,個 人 田畑 は 放 置 され,カ ギ ュ ソ所 有 の共 同 田畑 で家 族 の食 糧 を 耕 作 す る こ とが 最優 先 に な った 。 ガ ソデ村 の例 で も個 人 的 に農 業 を お こな って い る もの は ほ とん どな く,き わ め て少 数 の 女性(す べ て カギ ュ ソの妻)が 個 人 田畑 を耕 作 して い るのみ で あ った 。 この よ うに 農 村 に残 され た 家 族 全 員 が共 同 田畑 で の農 作 業 を 優 先 せ ざ るを得 な くな る と,カ ギ ュ ソは伝 統 的 な地 位 の基 盤,す なわ ち土 地 と労働 を管 理 す る もの と して,再 び そ の地 位 を 強化 した 。
また,出 稼 ぎ民 か らの送 金 は 農 村 に残 され た 家 族 の生 活 を潤 し,そ れ に よっ て カギ ュ ソは,か つ て の 農産 物 を管 理 す る とい う立 場 か ら,今 度 は あ らた に 金銭 を一 括 して 管 理 す る最 高 責 任 者 と して そ の権 限 を 強 化 した の だ った 【LAvlGNE‑D肌vlLLE 1991:
26‑27】。 ガ ンデ 村 で の 調 査 で も,出 稼 ぎ民 の97%19)が,送 金 は農 村 に残 って い る 自 17)一 家 の主 を 意 味 す る用語 と して便 宜 上 用 い たが,日 本 の 家長 制 度 を意 味 す る もの で は な い。
本 稿 で は 家 族 を 世 帯 とは こ と な った 単 位 と して あ つ か うの で(後 述),混 乱 を さけ るた め に 世 帯 の主 と い う用 語 は使 用 しなか った 。 以 下 これ に同 じ。
18)Locoh【1991:1211。 ジ ョップ も セネ ガル の ウ ォ ロフ族 に つ い て 同様 の指 摘 を して い る。 ジ ョップ の調 査 に よれ ぽ,ウ ォ ロ フ社 会 で は 家 族 が分 裂 して 規模 が 縮 小 して い る 【Dlop l988】。
19)た だ し有 効 回答 者72人 が対 象 であ る。 有 効 回 答 率 は65%か ら79%で あ るが,こ の差 は,出 稼 ぎ民す べ て が仕 事 に従 事 して 送 金 で き る状 況 に は な い こ と,か つ 出 稼 ぎ民 が村 に い な い の で 直 接 に 確認 で き な か ったた め に,そ の 他 の 質 問事 項 も参 照 して推 定 した こ とに よる もの で あ る。
国立民族学博物館研究報告 21巻1号
分 の 妻 子 に対 して では な く,カ ギ ュ ソに対 して お こな っ てい る とい う結 果 を得 た。 一 方,カ ギ ュ ン 自身 の 出稼 ぎ経 験 もそ の地 位 と役 割 の強 化 につ な が って い る。 カギ ュ ソ は 農 村 か ら 自分 の家 族 の 若 者 を 出稼 ぎ先 に よび つ け る。 新 参 者 は,カ ギxン 自身 が若
い頃 そ うで あ った よ うに,年 長者 の援 助 な しに は外 国へ 行 くこ と も,そ の土 地 で生 活 す る こ と もで きな い。 この よ うに,カ の 内部 に お け る きず なは 切 れ る こ とな く出稼 ぎ 先 ま でつ な が って い る。 出 稼 ぎを とお して経 済 生 活 が変 化 して,そ れ ぞれ の カの あ い だ に 経 済 力 の 差 が生 じて も丁 社 会 内部 の伝 統 的 な 身分 関 係 や 規 範 は変 わ る こ とは な か
った 【QulMmAL 1991:111】。
カ ギ ュ ソの 権 限 が強 化 され た こ とに よ って,家 族 の形 態 に も何 らか の影 響 が 及 ん で い る と思 わ れ る。 別 の見 方 を す れ ぽ,カ ギ ュ ソの 社 会 ・経 済 的 な 特 徴 は 家族 の形 態 を 左 右 す る大 きな要 因 で あ る。
皿 ガ ンデ村の概観
II‑1そ の 成 り立 ち
私 が 調 査 した 地 で あ る ガ ン デ 村 は,首 都 ダ カ ー ル か ら お よ そ800キ ロ メ ー トル 離 れ た セ ネ ガ ル の 東 の 果 て,モ ー リ タ ニ ア と 国 境 を 接 す る セ ネ ガ ル 河 沿 い に 位 置 す る 。 1989年 に セ ネ ガ ル ・モ ー リタ ニ ア 紛 争 が 勃 発 した ジ ャ ワ ラ(Diawara)郡 に 属 し て い る 。 県 庁 所 在 地 バ ケ ル(Bakel)か ら は 北 に32キ ロ メ ー トル の と こ ろ に あ り,乗 り合 い タ ク シ ー が 朝 晩 往 復 して い る の で 人 と も の の 往 来 は 頻 繁 で あ る。
ガ ソ デ 村 は,領 土 拡 大 を め ざ し た チ ュ ア プ(Tuabou)村(バ ケ ル か ら5キ ロ メ ー トル)のソニンケ 人 の 貴 族 バ チ リ(Bathily)に 導 か れ て,100年 ほ ど ま え に ひ ら か れ た 村 で あ る 。 最 初 の 住 民 に は 北5キ ロ メ ー トル に あ る デ ソバ カ ー ネ(Denbacane)村 の オ ラ ・ ト ゥ レ(Hola TOURE)と,15キ ロ メ ー トル 南 に 位 置 す る ム デ リ(Moudery) 村 の サ ソバ ・ ソ ジ ャ イ(Samba NDIAYE)が 指 名 さ れ た20)0そ の 後 ま も な く,マ リ出 身 の マ ラ ブ(Marabou=イ ス ラ ム教 伝 道 師)で あ る サ ンバ ・ ド ラ メ(Samba DRAME) 一 家 が バ チ リの 許 可 を 得 て こ の 村 に 住 み 着 い た。
こ の3家 族 の 子 孫 が 政 治,社 会,宗 教 的 権 力 の 中 心 的 位 置 を 占 め て い る 。 ト ゥ レー 家 は 代 々 村 長 を 受 け 継 ぎ,ソ ジ ャ イ ー 家 は 村 長 の=補佐 役 と し て 村 の 政 治 に 参 加 し,ド
ラ メ ー 家 は マ ラ ブ と し て 宗 教 的 な 役 割 を 守 り続 け て い る 。 こ れ ら 古 参 の3家 族 は 今 日 20) ガ ンデ村 と これ ら2村 では 今 日 も頻 繁 に婚 姻 関 係 が む す ぼれ る。
三 島 ソニ ンケ社会における家族 の連帯 と規 模
ま で に3世 代 が 交 代 した 。 そ の 他 の ソ ニ ン ケ 人 の 移 住 も村 の 創 設 初 期 に 多 く,つ づ い て セ ネ ガ ル の 内 陸 か ら ア ル プ ラ ー 人(Haalpulaar),マ リか ら は バ ソバ ラ 人(Bam‑
bara)が 移 り住 ん だ 。 こ の よ うな 民 族 ご とに こ と な る 移 住 時 期 は,当 然,家 族 の 発 展 周 期 に 影 響 す る と 思 わ れ る。
豆一2 経 済 ・社 会 状 況
セ ネ ガ ル 河 上 流 域 で は 地 質 的 に こ と な っ た 土 壌 を 利 用 して,2種 類 の 農 業 を 伝 統 的 に お こ な っ て い た 。 ひ と つ は ジ ェ リ(Dieri)と よ ぼ れ る 砂 丘 ・準 平 原 地 帯 で お こ な わ れ る トウ ジ ン ビ エ(llle)を 中 心 に した 天 水 農 業 で あ る。 も うひ と つ は 河 の 氾 濫 を 利 用 し た ト ウ モ ロ コ シ(maka)栽 培 で あ る 。 こ れ は 河 岸 の 土 手 に 広 が る フ ァ ロ
(Falo)と,コ ラ ソ ガ(Kolanga)と い わ れ る 粘 土 層 の くぼ 地 で お こ な わ れ る 。 しか し 降 水 量 の 少 な い こ の 地 方 で は,も と も と ジ ェ リに お け る耕 作 は 充 分 な 収 穫 を も た ら す こ と が で き な か っ た 。 そ の う え1989年 に モ ー リタ ニ ア と の 紛 争 が 起 き て か ら,フ ァ ロ と コ ラ ン ガ が 広 が る セ ネ ガ ル 河 右 岸 の モ ー リタ ニ ア 領 土 で の 耕 作 が 困 難 に な っ た 。 人hは ま す ます 伝 統 的 な 農 業 だ け に 頼 っ て は 生 活 で き な い 状 況 に あ る 。1970年 代 後 半 に セ ネ ガ ル 河 流 域 開 発 整 備 公 社(Societe d'Amenagement et d'Exploitation du Delta du Fleuve Senegal)に よ っ て 設 置 さ れ た 灌 概 施 設 は,小 規 模 な が ら 天 水 農 業Y'代 わ っ
て 穀 物 を は じめ トマ トや オ ク ラ,な す,さ つ ま い も な ど の 野 菜 の 栽 培 を 可 能 に し て い る 。
人 々は牧 畜 も営 ん で い るがr家 畜 の 保 有数 は 家 族V'よ って大 き くこ とな る。羊 が い ちぽ ん 一 般 的 で,54戸 中44戸 の家 族 に お い て 平 均8.6頭 を 所 有 して い る。 山羊 を所 有 して い る家 族 は34戸 あ り,一 家 族 あ た り平 均7.6頭 で あ る。 なか に は60頭 を所 有 す る 家 族 もあ る。 牛 を所 有 し てい る家 族 は19戸 だ け で平 均3.4頭 と少 な い。 これ ら家 畜 は 流 通 の 対 象 で は な く,む しろ財産 と して保 有 して お り,儀 礼 や 祭事 の際 に消 費 す る こ
とが多 い。
村 で は毎 日,女 性 数人 が小 さい 売 り場 をか ま え,野 菜や セ ネ ガ ル河 で漁 った魚 を 売 って い る。 そ の他 の 農産 物 や 日用 必 需 品 は,村 の3軒 の 雑貨 屋 で入 手 す る こ とが で き る。商 品 の価 格 は ダ カ ール や地 方 都 市 よ りも高 く,も のに よ って は5割 高 で 流通 して い る。現 金 収 入 源 は ほ とん どす べ てが 出稼 ぎ民 か らの送 金 で あ り,こ れ に よ って人h の購 買 力 が支 え られ て い る。
セ ネ ガル 河上 流 域 の他 の地域 と同 じ よ うに,ガ ソデ村 にお い て も出稼 ぎ民 か ら の送 金 が社 会 ・経 済 イ ソ フ ラス トラ クチ ャー の整 備 に 大 き く貢 献 して お り,都 市 か ら遠 い
国立民族学博物館研究報告 21巻1号 小 さ な村 で あ るに もか か わ らず,セ ネ ガル の 他 の地 方 に比 べ る とは るか に施 設 が 整 っ て い る。 出 稼 ぎ民 た ち は,ま ず 最 初 に立 派 な イ ス ラ ム教 寺 院 の 建 立 に 出資 した 。76年 には 住 民 の 発 意 で診 療 所 と医 薬 品 倉庫 が 建 設 され,82年 には 小学 校 の2教 室 が 増 設 さ れ た 。 そ の 他 に ミ レッ トの製 粉機 が1台 と,井 戸 が12井 あ る。 これ らは フ ラ ンスの パ
リに あ る ガ ソデ村 の 同郷 人 会 が,村 の住 民 と協 力 して実 現 した もの で あ る。
今 日,出 稼 ぎ を 介 して農 村 の経 済基 盤 は 大 き く変 化 した。 現 金 収 入 の有 無 が,毎 日 の生 活 物 資 の購 入 のみ な らず,潅 概 とい うあ た ら しい 農 業経 営 を左 右 す る要 因 と して, 人 々の 生 活 の あ り方 に関 わ る よ うに な った の で あ る。
皿 出 稼 ぎ
皿一1 村 の人 口構 成 と人 々 の移 動
ガ ソデ 村 の 総 人 口は,1993年4月 の 調 査 時 に54戸,1006人 で あ っ た 。 ガ ソデ 村 で は 故 郷 の 村 に 残 っ た 家 族 と 出 稼 ぎ民 は,精 神 的 に も,家 族 の社 会 ・経 済 的 な 運 営 に お い て も 密 接 な つ な が りの も と に 生 計 を 営 ん で い る 。 そ れ ゆ え,こ と な っ た 場 所 に 住 ま い を 構 え て い て も,人 々 が 家 族 の 一 員 と して み な す か ぎ り,こ れ ら は 家 族 成 員 と して 住 民 に 含 め た 。 そ し て 後 に 述 べ る よ う に,分 散 し な が ら も 強 い きず な で 結 び つ い て い る 家 族 こ そ が,ソニンケ 人 の 「家 族 」 な の で あ る 。 出 稼 ぎ 民 は 故 郷 の 村 に 妻 子 を 残 して 単 身 で 出 か け る の が つ ね で あ る た め,村 に 残 っ て い る 男 女 の 比 率 は0.83に な る 。 人 口 構 成(図221)参 照)は 若 年 層 が 多 い ピ ラ ミ ッ ド型 で,15歳 未 満 の 人 口 は 全 体 の 45.6%を 占 め,60歳 以 上 は7.6%に す ぎ な い 。
全 住 民(1006人)の19.3%に あ た る194人 は,仕 事 や そ の 他 の 理 由 で 村 に い な い 他 出 人 口 で あ る22)0そ の う ち の90%以 上 がソニンケ 人 で あ る 。 他 出 中 の 人 々 の75.9%が
21) グ ラ フ では 年 齢 が確 認 で きた,あ る い は推 定 可 能 な974人(総 人 口の96.8%)が 対 象 に な って い る。 推 定 年 齢 は 女 性 の 場 合 に の み 適応 した 。 推 定 方 法 は 男 女 別 の 個 人調 査 か ら得 られ た女 性 の平 均 初 婚 年 齢 を も とに して い る 。結 婚 年 齢 は平 均15歳 で,そ の 年 齢 の 女性 は ほ とん ど思春 期 をむ か えて お り,結 婚 当 初 は避 妊 を ま った くお こな わ な い こ とを考 慮 す る と,多 く の場 合,第 一 子 の出 産 は 結 婚1年 後 の16歳 の ときだ と考 え る こ とが 妥 当 で あ る。 年 齢 が不 明 の者 は 中高 年 に多 い が,女 性 は 自分 の年 齢 を知 らな くて も子 供 の 年 齢 は 把握 して い る の で, 第 一 子 の年 齢 に16歳 を加 算 す る こ とで 女 性 の現 在 年 齢 を 推 定 す る こ とが で き る。
22) 人 々の移 動 を よ り正 確 に 把 握 す る ため に,質 問票 で は 以 下 の 居 住 形 態 を 区 別 した 。194人 は(2),(5),(7)に 区分 され る人 々で あ る。
(1)在 住 者(つ ね に村 で生 活 して い る者)
(2)都 市 生 活 老(仕 事 や 勉 学 な どの 理 由 で生 活 の主 体 が 街 に あ る が,定 期 的 に 帰村 す る者) (3)訪 問 者(生 活 は 他 の場 所 に あ るが,た また ま調 査 時 に 村 に い た者) /
三島 ソニンケ社会における家族 の連帯 と規模
図2 年 齢/男 女/居 住 状 況 別 に よ るガ ソデ村 の 人 ロ ピ ラ ミッ ド(総 数=974人)
男 性 で あ り,年 齢 別 で は15歳 以 上 の 男性 の43.0%が 不 在 で あ る。 この割 合 は35歳 か ら 40歳 の男 性 に な る と78.3%に の ぼ り,農 村 で は 農 作 業 に必 要 な労 働 力 の大 半 が 欠 け て い る こ とを 示 して い る。 人 々の移 動 は必 ず しも出稼 ぎを意 味 す る もの で は な い。 経 済
\ (4)帰 村 中の 出稼 ぎ民
(5)他 出者(6ヵ 月 以上 前 か ら村 を離 れ て い る者)
(6)離 村 者(他 出 者 だ が 便 りもな く消 息 もわ か ら な くな っ た者,あ るい は 意 志 を 表 明 して 他 の場 所 に生 活 を 移 した者)
(7)そ の 他(一 時 的 な 他 出者 で あ るが,都 市 生 活 者 に も出稼 ぎ民 に もあ ては ま らな い者 。 例:放 牧Y'で て い る者)
この 分 類 に よる居 住 状 況 の 判 断 は 実 際 に は難 しい も のが あ った 。 と くに 「他 出 者 」 に 関 し て は つ ね に そ の背 景 を尋 ね る よ うに して,正 確 な情 報 をつ か む よ う努 力 した 。 た とえ ば,た とえ6ヵ 月 以 上前 か ら村 を離 れ て い て も,定 期 的 に村 に も ど って くる場 合 は 「都 市 生 活者 」 に分 類 した 。 とい うの は,た い て い の 「都 市 生 活 者 」 は首 都 ダ カ ール で 生 活 して お り,800 キ ロメ ー トル も離 れ た ガ ソデ村 に 頻 繁 に 帰 って くる の は 困難 だ が,実 際 には 送 金 や 定 期 的 な 帰 村 とい った 「都 市 生 活 者」 の性 格 を もって い るか らで あ る。 この よ うな判 断 に よ って,「 他 出者 」 に含 まれ る外 国 へ の 出稼 ぎ民 と国 内の 「都 市 生 活 者 」 とを 明確 に 区別 す る こ とが で き た。
(6)に 分 類 され る 「離 村 者 」 に あ て は ま る の は,た った5人,一 家 族 の 例 だ け だ った 。 この一 家 は,家 長 が そ の地 位 を 退 き,次 代 の家 長 に残 りの 家 族 を た くし,自 分 は妻 と子 供 を と もな って ダカ ー ルへ 住 まい を移 した の で あ る。 これ に 相 似 す る例 は,家 族 を と も な って 出 稼 ぎに い った家 族(ご く小 数)で あ るが,こ の場 合 は 「離 村 者 」 とは み な さな か った。 とい うの は,出 稼 ぎ民 はつ ね に村 に 残 った 家 族 とのつ なが りを 保 って い るか らで あ る。 外 国 で生 まれ,一 度 も村 を訪 れ た こ との な い 子 供 た ち の こ とで さ え も,村 の家 族 は よ く知 って い る。
出稼 ぎ民 か らは 必 ず送 金 が あ り,男 性 は 定 期 的V'村 に も どっ て くる。 妻 子 が帰 って こな い の は,離 村 した た め では な く経 済 的 な制 約 に因 る もの で あ る。
国立民族学博物館研究報告 21巻1号
活 動 に従 事 して い る いわ ゆ る出稼 ぎ民 に相 当す る のは194人 中103人 であ る。 出稼 ぎ に 行 った と して も,出 稼 ぎの 初 期 で はす ぐに 仕事 に就 くこ とが で き る とは か ぎ らな い。
そ の他 に,街 の学 校 へ 通 う子 供 もい る。 女 性 の場 合,移 動 は 出稼 ぎ とは あ ま り関 係 が な く,都 市 に住 む 親 戚 や 縁 者 を訪 ね る 目的 で あ る こ とが 多 い。
人 々の 他 出先(表1参 照)はフランス が 全 他 出者 中 の63.2%,つ ぎ に多 い のが ダ カー ルで23.7%で あ る。 男 女 別 に そ れ ぞれ の移 動 状 況 を 比較 してみ る と,男 性 でX3;1993年 4月 以前 の 他 出経 験者 に比 べ て,調 査 時 点 の 他 出者 が2倍 であ る。 同時 にフランス へ の割 合 が増 えて い る(47.9%か ら64.3%)。 ダ カ ー ル は一 般 的 に は そ れ 自体 が 出稼 ぎ 先 で あ るが,ソニンケ 人 に と って はむ しろ 出稼 ぎの最 終 目的 地 で あ る フ ラ ンスへ 行 く ため の 中 継地 で あ る。 ダ カ ール よ りも フ ラ ンスへ の他 出 が増 え た こ とは,男 性 の移 動 が経 済 活 動 を 目的 と した 出稼 ぎ と して よ り確 立 して きた こと,そ して 出稼 ぎが 人 々の 生 活 手 段 と して よ り重 要 な位 置 を 占 め て い る こ とを示 してい る。
一 方,女 性 で は 他 出者 そ の もの が少 な い うえ,調 査 時 点で の 他 出 者 は過 去 の他 出経 験 者 よ り20%程 度 少 な い 。 行 き先 は 他 出 経 験 者 で は 圧 倒 的 に ダ カ ー ル が 多 か った (77.8%)の に対 し,他 出 中 の人 では フ ラ ンスが 中心 に な って い る(62%)。 ダ カー ル よ りフ ラ ンス へ の 他 出 が多 くな って い るの は,女 性 の移 動 が た ん な る親 戚 へ の訪 問 や 表1 行 き先/男 女別に よる他 出者数 と他 出経
験者数
男性(人) 女性 (人) 他 出者 数(1993年4月)
ダ カ ー ル 33 13
国内地方都市
7 a
西 ア フ リカ 9 4
ア フ リ カ 5 0
フ ラ ン ス 99 31
ヨ ー ロ ノく
ツ
1 0
合計
154 50
他 出経 験 者 数(1993年4.月 以 前)
ダ カ ー ル 22 49
国内地方都市
3 2
西 ア フ リカ 7 2
ア フ リ カ 4 1
フ ラ ン ス 35 9
ヨ ー ロ ノe
ツ
2 0
合計
?3 63
気 晴 ら しの旅 行 で は な く,出 稼 ぎ民 で あ る夫 に同 伴 す る 目的 で お こなわ れ て い る こ とを 示 唆 す る も の で あ る。 しか しなが ら,女 性 の他 出が 少 ない の は,婚 家 に お い て 女性 は勝 手 な 行 動 が許 され ず,自 由 に旅 行 な ど を す る こ とが で きな い た め で あ る。
そ こに は外 国に 出稼 ぎに 行 った男 性 た ちを 村 につ な ぎ とめ て お こ うとす る カ の意 図 が はた らい て お り,妻 子 は いわ ぽ カギ ュ ソに よ る人 質 の よ う な も ので あ る。 実 際 の と ころ,他 出 中 の人hの なか で妻 あ るい は 妻子 を 同伴 してい る ものは 全 他 出者 の15%
に す ぎ ない(表2参 照)。 した が っ て,出 稼 ぎは妻 子 を伴 った 定 住型 と
三 島 ソニンケ社会における家族の連帯 と規模 い う よ りは,男 性 が単 身 で 故郷 と出稼 ぎ先 を 往復 す る還 流 型 とい う性 格 が 強 い。
出稼 ぎが 還 流 型 で あ る の は,セ ネ ガル人 に とってフランス の 入 国 ビザ の取 得 が 容 易 でな い こ と も関 係 してい る。 しか し,い った ん職 を 得 てフランス に住 み 着 い て しま うと,就 業 者 に とって は,妻 子 同伴 の 方 が扶 養 者 手 当 を 得 る とい う点 で有 利 に な る。 出稼 ぎ民 の なか に は,扶 養 者 手 当 を 目的 に して 妻 子 を 同伴 し
表2 同伴 者 の有 無 と 出稼 ぎ民数 (総数=194人)
人数
な し
92
配 偶者
5
子供
4
配偶者 と子供
22
その他の家族
57
不 明
14
合計
194
て い る もの もい る。 フ ラ ンスで は 社 会保 障 費 の 収 支 が赤 字 で あ り,f次 山 の ア フ リカ 出身 の就 業 者 は 拠 出 金 以 上 に手 当 を受 け て い る と批 判 の対 象 に な って い るほ どで あ る。 出稼 ぎ形 態 は,受 け入 れ 国 の移 民 政策 や 雇 用 条 件 の変 化,お よび送 り出 し社 会 の 経 済 基 盤 と密 接 に関 連 して い る。 さ らに,送 り出 し社 会 と出稼 ぎ民 の関 係 が,伝 統 的 な慣 習 や規 範 に よ って強 く結 び つ い て い るか ど うか に左 右 され る もので あ り,調 査 結 果 も この よ うな 関連 に おい て理 解 す る必 要 が あ る。
皿一2 経 済 活 動 と して の 出稼 ぎ
まず,ガ ンデ村 の 男性 の 出稼 ぎの か た ちを,一 家 の 最年 長 者 で 出稼 ぎを経 験 した の ち 帰 村 した カ ギ ュ ソ23)の平 均 的 な ライ フ ヒス ト リーか らxが い て み よ う。 現 在,家 長 で あ る人 の うち,出 稼 ぎ経 験 者 は ソ ニ ンケ人 で は84.2%,ア ル プ ラ ー人 では18.2%
で あ る。 出 稼 ぎ経 験者 の うち72.2%が フ ランス で 働 い た経 験 を も っ てい る。 清掃 夫 や 工 事 現 場 の 作 業 員 とい った 低 賃 金労 働 に就 くの が一 般 的 であ る。若 い頃 か ら 出稼 ぎに ゆ き,2,3年 ご とに帰 村 しな が ら14年 のち に 引退 す る とい うの が平 均 的 な 出稼 ぎ の か た ち であ る。
ソニンケ 人 男 性 の ライ フパ タ ー ソに ほ とん ど組 み 込 まれ た か の よ うな 出稼 ぎ は,村 人 の生 活 にか な りの影 響 を与 え て い る。 故郷 の家 族 へ の 送金 は,出 稼 ぎ民 の60%以 上
が定 期 的,あ る いは とき ど きお こ な って い る。 一 度 も送 金 した こ とが な い もの も20%
程 度 い るが,自 分 自身 の 生 活 が安 定 してい な か った り,あ る い は経 済 的 な余 裕 が な か った りす るた め で,外 国 の地 で あた ら しい生 活 を築 こ う と して い るか らで は な いza)a 23) た だ し出 稼 ぎ中 の 家長 が1人 だ け い る。
24) キ ミナル の 著 作 か ら,初 め て の 給 料 を手 に した 出 稼 ぎ民 の供 述 を 引 用 し よ う。
「一(給 料 を も ら って)何 を した の? 何 か 欲 しい も の で も買 った か い。(調 査 員 の質 問)一 い いや 何 も買 って な い よ。 ク リシ イに行 って,伯 父 に 預 け た ん だ。 伯 父 は 何 か した/
国立民族学博物館研究報告 21巻1号
出稼 ぎ民 か らの送 金 に よって 生 計 を立 て て い るセ ネ ガ ル河 上 流 域 の そ の他 の村 々 と同 様 に,ガ ンデ 村 の家 々 の なか に は,自 然 条 件 の きび しい荒 涼 した 土 地 に は ち ぐは ぐに 映 る ほ ど立 派 な造 りの も のが あ る。 コン ク リー ト造 りで ペ ンキを 塗 った建 物 な どを,
セ ネ ガ ル の他 の 地 域 の農 村 では ほ とん ど 目にす る こ とは な い。 ガ ンデ 村 で は60%の 家 族 に お い て,コン ク リー トや コン ク リー トと泥 を まぜ た 改 良泥,あ るい は トタ ソ屋 根 な ど とい った 近 代 的 な建 築 材 料 を 使 用 した建 物 を,少 な くとも1棟 は 所 有 して い る。
そ して地 下 浸 透 式 の 便所 は96%以 上 の 家族 に普 及 して お り,そ れ は簡 単 な 穴 にす ぎ な い が 周 りを コ ン ク リー トでか ため た 清 潔 な もの で あ る。 また トラ ンジ ス タ ー ラジ オは 90%近 く普 及 して い る。 そ の他 に農 村 で は めず ら しい タン ス を所 持 す る家 族(24%) や,高 価 な牛 を 所 有 す る家族(35%)で は,出 稼 ぎ民 の 数 が 多 く,出 稼 ぎに よる経 済 力 の 向上 を示 して い る。
この よ うに 出稼 ぎは 農 村 の生 活 の全 体 的 な 向上 に貢 献 して い る が,問 題 が な い わ け では ない 。 あ る男 性 に よ る と,送 金 はす れ ぽ した だけ 衣 食 住 に 消 え て ゆ き,出 稼 ぎは 永 遠 にや め る こ とが で きな い とい う。 農 村 の家 族 が 出稼 ぎ民 の 送 金 に依 存 して,自 分 た ちか ら何 か を生 産 す る意 欲 が な い こ とを,こ の 男性 は非 難 して い た。 た しか に 農 村 の家 族 は 農 業生 産 を お こ な うか わ りに,出 稼 ぎ民 か ら送 られ て きた現 金 で食 糧 や 日用 必 需 品を 購 入 す る こ とが で き る。 な か に は ま った く農業 生 産 を お こな って い ない 家 族 もあ る。 一 家 族 あ た りの年 間 平 均 穀 物 生産 高 は1830Kg25)で あ り,調 査 時 に は38戸 の家 族 が平 均1500Kgの 穀 物 を 保 管 して いた 。 調 査 時 の3月 は 収 穫 時 期 か ら数 ヶ月 す
ぎて い た に もか か わ らず,貯 蔵 量 が 豊富 で あ り,か つ 貯蔵 食 糧 の 種 類 が 多 い こ とは 特 筆 す べ き こ とが らで あ る。 首 都 か ら も地 方都 市 か ら も離 れ た ガ ンデ村 で は,あ らゆ る 商 品 の価 格 が 高 い に もかか わ らず 人hは 食 糧 を購 入 し保存 して い るが,セ ネ ガ ル の農 村 で は 日々 の糧 は 毎 日そ の 日の分 だ け 購 入 す る のが 一 般 的 な習 慣 であ る。 人hが 購 入 す る食物 は米 が い ちぽ ん 多 く,調 査 年 に 稲 作 を お こな った 家族 は6戸 にす ぎな い の に 16戸 の 家族 が米 を 貯 蔵 して いた 。 そ の 他,落 花 生 油 や 砂 糖 な ど も保 存 され て い る。 出 稼 ぎ民 か らの送 金 が,村 人 の購 買 力 を 支 え て い る といxよ う。
\ い こ とは あ る か と聞 い た けれ ど,僕 は そ れ は 伯 父 が 決 め る こ とだ と言 った ん だ 。 そ う した ら 伯 父 は ど うい うふ うに お金 が使 わ れ るの か 説 明 して くれ た。 僕 は それ を 誇 りに 思 った よ。 僕 が 稼 い だ お 金 が村 の家 族 の ため に な る のは わ か って い た ん だ。1972年 は きび しい干 ぽ つ だ っ た ん だ 。 お 金 が どん どん村 に送 金 され た ら,村 は 将 来 どん な ふ うに な るだ ろ うか と僕 は 想 像 した よ」 【QUIMINAL 1991:121]。 この 若 い 出 稼 ぎ民 の 答 えか らふ たつ の こ とが 説 明 され る。
まず 年 長 者 と年 少 者 の 関 係 が村 か ら 出稼 ぎ先 へ,そ して また村 へ とつ なが って い る こ と,そ して金 銭 が家 族 の共 有 財 産 と して認 識 され て い る こ とで あ る。
25)100Kgの 袋 が18.3ヶ と い う非 常 に 大 まか な推 定 で あ る 。 回答 が あ った の は54戸 中42戸 。