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ファンタジー教材の「読み」と「書き」の連動に関 する基礎的研究 −エブリデイ・マジックに着目し て−

著者 渡辺 良枝, 松川 利広

雑誌名 教育実践総合センター研究紀要

巻 13

ページ 59‑69

発行年 2004‑03‑31

その他のタイトル A preliminary study on the interconnection of  reading and writing learned from Fantasy 

−in terms of Everyday Magic−

URL http://hdl.handle.net/10105/59

(2)

1.はじめに

現行の小学校国語科教科書には文学的文章としてフ ァンタジー教材が採択されている。昭和46年度版

(1971)に、あまんきみこの「白いぼうし」(学校図書 4年上・光村図書5年上)、「小さなお客さん」(教育 出版3年上)が登場し、昭和52年度版(1977)の教科 書から現代児童文学のファンタジーが多く採用された。

その結果ファンタジー教材の研究が昭和50年(1975)

代後半〜60年(1985)代前半にかけて、盛んに行われ ている。

「教育科学国語教育」№296(明治図書)では昭和 56年(1981)12月に〈特集・ファンタジー教材をどう 扱うか〉を特集した。これは国語教育専門誌が初めて 行った「ファンタジー教材・実践研究特集」として意 義深い。また国語教育学会誌が初めて行った「ファン タジー教材研究特集」として、昭和62年(1987)4月

「月刊国語教育研究」第179集〈特集・ファンタジー童 話の教材研究〉がある。両誌の特集において、国語教 育研究者からのファンタジー教材論、国語教育実践者 からの実践報告などが展開された。当時の状況を萬屋 秀雄は「このような特集は、更に継続して取り組まれ る必要があり、十分とはいえないが、とりあえずは今 日のファンタジー教材・実践研究の一つの到達点とみ なしてよかろう。」1)としている。その後のファンタ ジー教材の特集を管見したところ、平成2年(1990)

6・7月号「実践国語研究」№99に〈ファンタジー教 材が生きる発問の工夫〉が特集として取り上げられて いたが、最近では、目立ったファンタジー教材の特集 は見あたらない。このような中でも、西郷竹彦の文芸 教育研究協議会(文芸研)では、ファンタジー教材に ついての研究は変わらず行われているようであるが、

以前のようにファンタジー教材が特集として多く取り 上げられなくなったことは、萬屋が述べるように、と

−エブリデイ・マジックに着目して−

渡辺 良枝

(奈良教育大学大学院)

松川 利広

(奈良教育大学国語教育講座)

A preliminary study on the interconnection of  reading and writing learned from Fantasy

−in terms of Everyday Magic−

Yoshie WATANABE

(Graduate student of Japanese Language Education, Nara University of Education)

Toshihiro MATSUKAWA

(Department of Japanese Language Education, Nara University of Education)

要旨:現行(平成14年度版(2002))の小学校国語科教科書には文学的文章として、ファンタジー教材が採択されて いる。文学的文章の中でもリアリズムの文学教材は指導のポイントを逐次つかんでいるのに対し、ファンタジー教 材はリアリズム教材とひとくくりにされた指導が行われている。しかし、元来ファンタジーは構造において他の文 章とは異なる特質をもつ。本研究では、ファンタジーの構造価値に着目して、構造(〈骨格〉〈通路〉)を使ってファ ンタジー(エブリデイ・マジック)を書くことを提案する。「読み」に偏りがちであったファンタジー教材であるが

「読み」と「書き」を連動させ、感性と技法を磨くことで、新たな文学性を享受でき、より学習の効果が期待できる と考える。ファンタジー教材に関してはファンタジーの研究が不可欠であり、共通理解の基準を図るため、ファン タジーを広義のファンタジーとジャンルとしてのファンタジーに分けた。その考察の上で、ファンタジー(エブリ デイ・マジック)をどのように書くか、仮想実践例で示している。

キーワード:ファンタジー fantasy,ファンタジー教材 fantasy teaching materials,構造価値 constructive value

(3)

りあえず一つの到達点に達したからであろうか。ファ ンタジー教材が登場し、指導法の模索状態を一時脱し たとはいえ、到達点に達したと考えられる昭和60年

(1985)代前半から今日まで、すでに十数年という月 日が流れている。その間、リアリズムの文学教材が、

その教材解釈の方法や指導のポイントを逐次つかんで いるのに対し、ファンタジー教材は、ファンタジーの もつ特質を、いまだ授業に生かし切れていない。ファ ンタジーという言葉がもつあいまいさや教材としての 指導の難しさゆえ、ファンタジーの本質や、表現方法 の特質などに、一定の共通理解がなされないまま、文 学教材の中で、リアリズム教材とひとくくりにされた 指導が行われているのが実状である。

一方、ファンタジー教材の研究が振るわないのは、

その後の教育施策にも関係しているととらえられる。

平成10年(1998)7月29日に教育課程審議会が出した、

これからの教育課程の基準改善の「答申」による、国 語科の「改善の基本方針」によれば、「特に、文学的 文章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を 改め、自分の考えを持ち、論理的に意見を述べる能力、

目的や場面などに応じて適切に表現する能力、目的に 応じて的確に読み取る能力や読書に親しむ態度を育て ることを重視する」という指摘から、言語の教育とし ての立場を再認識するとともに、国語科で重視する資 質や能力の育成の見直しが図られた。その結果、現行 の国語科教科書は文学的文章を少なくし、「伝え合う 力」の育成、「話すこと・聞くこと」の音声言語の重 視がみられる。現在、文学的文章の中に含まれるファ ンタジー教材の研究が据え置かれることにもなった一 要因である。

しかし、「改善の基本方針」は文学的文章の詳細な 読解に偏りがちであった指導の見直しを図ったもので あり、文学的文章の教材価値の否定ではない。読解に 偏らない文学的文章の指導法があるはずである。今後 も文学的文章の研究は進めていかなければならないと 考えている。特にファンタジー教材は、現場の教師か ら何を教えるのか分からない、指導が困難である2) 言われ続けながら、一方、子どもたちにとって、それ ぞれの自由な読みを大切にし、空所を学習者の想像に よって満たし、テクストの多義性を認めることにおい て、ファンタジーは最も適した教材になる3)とする読 者論的な見方もある。既存の主題を求める読解指導に こだわらない教材研究、指導法の如何により、良い教 材にも、悪い教材にもなりえるのであり、これまで以 上に質の高い研究が望まれる。

1.1.先行研究

本論では、まずファンタジーの構造に着目し、読解 に偏らない指導方法を考えた。本論でいうファンタジ ーとは、文学としてのファンタジー作品全般をとらえ

るものであり、ファンタジー教材とは、国語科教科書 において教材として扱われているものを指している。

過去、ファンタジーの構造に着目する指導について は、西郷竹彦、萬屋秀雄、森本正一が積極的に主張し ている。

西郷はファンタジーを現実と非現実のあわいになり たつ世界と定義し、作者の虚構の方法を学びとること を主張した。「日常的な現実性を持った細部(ディテ ール)のつみあげによって、逆に非現実的なファンタ ジーを構築するという魔術(虚構の方法)をなるほど 面白いという形で学びとらせたい」4)と述べる。

萬屋はファンタジー教材の「内容価値」5)と「表現 価値」6)に着目し「ファンタジーの表現・技法を具体 的にとりだし検討することは、作品のイメージ化、意 味づけをより豊かに深くすると共に文学の本質ともい うべき虚構の方法を解明することにもつながる高次な 指導になるといってよい。よって「表現価値」を検討 することは、結果として「内容価値」をあきらかにす ることになる」7)と述べる。

森本は「ファンタジーの場合、作者の用意は、特に、

こちら側の世界からあちらの世界への通路に現れてお り、その通路の取り扱いは、なかでも重要である」8)

と述べ、構造上の重点(「通路」)について、それらを 生かすことがファンタジー教材の取り扱いの中心とな るべきであり、構造上の重点(「通路」)を鮮明化する 発問を提唱している9)

以上、三者に共通しているのは、ファンタジーの構 造の重要性である。ファンタジーの構造を読み取らせ ることは、ファンタジー教材の読みを深めるための、

読解の指導へとつながるものであった。昭和50年

(1975)代後半〜60年(1985)代前半にかけてファン タジー教材を含める文学的文章の指導は読解中心であ った。

1.2.研究の目的と方法

しかし、現行の学習指導要領は、これまでのような 詳細な読解を目指してはいない。文学的文章の指導と して、今日では内容についてのディベートや、内容に 関連したパネルディスカッションを取り入れた実践報 告が取り上げられている。また、紙芝居を作ったり、

物語の主人公に手紙を書いたり、といったことが行わ れ、そのことによって読みを深めようとするものであ り、どの実践も、「読むこと」を「話すこと・聞くこ と」や「書くこと」につなげようとした実践である。

しかし、以上のことは、内容面で文学的文章に寄って いても、国語の時間だけでなく、他の教科や総合的な 学習の時間において、取り扱っても良いものである。

そこで私は、国語の時間に読解に偏らない、しかし 文学的文章のもつ特質を生かして、読解プラス表現活 動につなげられる授業展開がないかと考える。文章の

(4)

中には構造が存在する。むろんファンタジーの文章に も構造は存在する。そこで、特にファンタジーの構造 に着目し、構造を読解として読むだけではなく、構造 の中の表現技法を使って、ファンタジーを書くことが できないだろうか。読解に偏りがちであった文学的文 章の教材でも、その教材を「書くこと」につなげるこ とで、より学習の効果があがることが期待できると考 える。目的や場面などに応じて適切に表現する能力を

「書くこと」でも、養うことができるのではないだろ うか。読解教材と表現活動を連動させながら指導を進 めるのである。ファンタジーを「読むこと」で「書く こと」ができるようになり、「書くこと」で再度教材 の読みを深め、ファンタジーの構造と文学性をより理 解できると考える。

むろん、ファンタジー教材に関してはファンタジー 文学そのものの研究が不可欠であり、それを欠いたフ ァンタジー教材は、ファンタジーの真の魅力を見落と すことになりかねない。そのためには、まずファンタ ジーとは何かという、共通理解の基準を私なりに提唱 する。その考察の上でファンタジーの構造を分析し、

どのように「書く」か仮想実践例をあげながら具体的 に述べることにする。

2.ファンタジーとは何か

もともと、ファンタジーという言葉は、ギリシャ語 のファンタシアphantasi@に由来し、「見えるようにす る」あるいは「想像力」を意味する。元来「どちらか というと、哲学者達が用いたようで、中でもアリスト テレス(AristotelSs 384−322 BC)はこころのはたら き、動物や人間の行動を分析する際に、このことばを 多用している」10)。しかし、文学においては夢想的な 物語全般に冠せられる名称である。そして、ファンタ ジーのとらえ方は各領域で、微妙に違っている。野上 暁は「なぜか大人向けの文学の場合は幻想文学といい、

子ども向けの文学の場合にはファンタジー文学という 語が使われることが多いようだ。11)と述べているが、

ファンタジーは主に児童文学の領域において、好んで 取り上げられてきた12)

ファンタジーとはいかなる物語かと問われ、一般的 に「文学」というものには、はっきりと定義できる境 界線が無いのと同じく、ファンタジーという概念も一 義的に定義できないものである。文学の中においても、

ファンタジーは神話、伝説、民話、伝承、説話、怪談、

怪奇、SF、伝奇、探偵小説などにまでクロスオーバ ーして存在する13)。ファンタジーという用語は混沌と し、各自の内に構築された概念は、それぞれ同じファ ンタジーとして成立しえない。英米文学者の杉山洋子 は「ファンタジーの定義は精密であろうとすると、砂 みたいにどんどん指の間から抜けていってしまう」14)

と語るが、もともと定義は、作家の創作の前提として 存在するものではなく、作家が創作する作品に後から ファンタジーという名称を与え、分類しようとするも のである。作家は常に今までの枠にとらわれない作品 を創作しようと試み、ファンタジーの定義はそのこと によって書き換えられるものでもある。

2.1.広義のファンタジーとジャンルとしてのファ ンタジー

しかし、ファンタジー教材を論じていく場合、ある 一定のファンタジー概念を定めなければ論が混乱す る。私はファンタジーという用語の混乱を避けるため、

まず広義のファンタジーとジャンルとしてのファンタ ジーという言葉を使い整理してみた。佐藤さとるはジ ャンルとしてのファンタジーを「狭義のファンタジー」15)

という言葉であらわしているが、ジャンルとしてのフ ァンタジーと同義語と見なして良いだろう。

『広辞苑』(第5版)によればファンタジーは「① 空想。幻想。白日夢。②幻想的な小説・童話16)。③幻 想曲。」となっており、まずこれらのもの全てを広義 のファンタジーと呼ぶことにする。広義のファンタジ ーの中には文学的なもの、音楽的なもの、またアニメ やテレビゲームなど視覚的なものが含まれる。その文 学的なもの(②幻想的な小説・童話)の中にファンタ ジー教材として使われているファンタジーは、ジャン ルの一つとして存在する。二上洋一は一ジャンルのフ ァンタジーを「広義の意味を包有しながらも、独立し た作品形態を持つ文学系列として捉えられなければな らない」17)と述べる。図1は二上の論をもとに筆者が 作成したものである。

例えば、昔話18)は広義にファンタジーと言えるが、

ジャンルとしては、ファンタジーよりも昔話というジ ャンルに当てはめる方が概念形成されやすい。昔話は、

「むかしむかし あるところに」という発端句で語り 始める口頭の伝承であり、場所が特定されず、一人の 作家の手によって書かれたものではない。時代、場所、

人物が不特定で、民話、メルヘン、お伽話など人類が 最も古くから持っていた物語は、広義のファンタジー として扱われる。ジャンルとしてのファンタジーとS

広義のファンタジー 幻想的な小説・童話

幻想的な映画    幻想曲    TVゲーム    (RPGなど)

   アニメ 神話 探偵小説(ミステリー)

民話 メルヘン 説話 SF 怪奇 ファンタジー 伝奇  ハイ・ファンタジー 怪談  エブリデイ・マジック 伝承  ナンセンス 伝説  タイム・ファンタジー 昔話  動物ファンタジー    幼年童話

※各ジャンルは相関関係をもつ

図1

(5)

Fを対比させると、それぞれ修辞(レトリック)の特 徴が異なる。例えば、SFでは物理的な原因に重点が 置かれ、ジャンルとしてのファンタジーでは非物質的 な結び付きに力点がおかれる19)。また、幼年童話20) 場合、読者対象がアニミズム傾向が強い幼児において は、ジャンルとしてのファンタジーと理解するよりも、

それは広義のファンタジーの中の一つとなる。「現実 と非現実の世界とが、はっきり区別できる、つまり客 観的科学的認識のできる中高学年以上」21)のものをジ ャンルとしてのファンタジーとして扱っているよう だ。言い換えれば、読者側に立ったとき、ジャンルと してのファンタジーは発達認知的にみて小学校中高学 年以上向きのものであるといえよう。

児童文学でいうファンタジーとは、ジャンルとして のファンタジーであり、童話、妖精物語(フェアリ ー・テイル)、メルヘン22)などと呼ばれる、従来の文 学ジャンルとは区別され、特定の作家の思想を組み込 み、深層意識やシンボリズムなど、現代的な意義が付 されたもので、魔術や妖精といった超自然の要素など が実際に機能する非現実世界を扱う作品のジャンルの 一つとしてとらえられる場合が多い。口承の作品に由 来した小人や魔女であっても、作家は、特有の思想で それらをだれも作り出さなかった、全く新しい登場人 物に仕立て上げた。英語のフェアリー・テイル(妖精 物語)やドイツ語のメルヘンは、もともと口承であっ たものをまとめたものであり、むしろ日本では民話・

説話と訳される。

2.2.ジャンルとしてのファンタジーの系譜 ジャンルとしてのファンタジーは児童文学史上、幾 多の変遷を経、今日、多様な形態をもつに至っている。

例えばトールキンの『指輪物語』(1954−55)に代 表されような、現実とは切れている異界だけで完結し ている作品群はハイ・ファンタジーと呼ばれ、一方、

現実世界の中に非現実がふと顔をみせる作品群は、エ ブリデイ・マジックと呼ばれる。また、既成のセンス をひっくり返すような、ルイス・キャロルの『不思議 の国のアリス』(1865)はナンセンスと呼ばれ、さら に、時間を操るファンタジーはタイム・ファンタジー、

動物の擬人化によるファンタジーは動物ファンタジー と呼ばれる。

それぞれの作品の形態は過去に倣い重なりあいなが ら、新しい形に変容していったものや、過去の形態を モチーフに、作家が新しい様式を加えて作り出したも のである。作家が既存を越える新しい創作を行うこと で形は多様になり系譜としてつながってきた。

ところで、国語科教科書におけるファンタジー教材 はエブリデイ・マジックが多い。本稿では特にエブリ デイ・マジックについて述べておくことにする。

エブリデイ・マジックという呼称はイギリスの児童

文学界において確立した。イギリスでは19世末にE・

ネズビットが現れ、『砂の妖精』(1902)で現実の中に ふと顔を出す魔術的なもの(妖精や魔女など)を描い た児童文学を発表、これらの主題を《日常の魔術 everyday  magic(エブリデイ・マジック)》と名づ け、このジャンルにファンタジーという呼称を与えた ことから始まる。ごく普通の家庭の子どもの日常に取 材し、非現実世界の住人を現実世界につれてくるとい う形態のファンタジーは、リアリティーを増して説得 力を強め、子どもたちの興味を引きつけることができ た。この方法は、以後のイギリスファンタジーの強力 な伝統となって今日に及んでおり、児童文学の発展に 大きく寄与している。エブリデイ・マジックの確立に よって、同時にファンタジーなる呼称も確立された。

その後、エブリデイ・マジック型のファンタジーは、

トラバースの『風にのってきたメアリー・ポピンズ』

(1934−62)ではじまるシリーズや、メアリー・ノー トン『床下の小人たち』(1952)からはじまるシリー ズに引き継がれていく。

日本においては、佐藤さとる『だれも知らない小さ な国』(1959)、いぬいとみこ『木かげの家の小人たち』

(1959)が超自然(小人族)を現実につれてくるファ ンタジーであり、エブリデイ・マジックの代表として あげられる。2作とも超自然がリアリティーをもって 読者に訴えかけ、すぐそばに小人族が存在するような 印象を与えるファンタジーであった。

3.ファンタジー(エブリデイ・マジック)の構造

ファンタジーには構造価値が存在することはこれま で述べてきたが、では構造価値とは何を指しているの かここで詳しく述べておく。

まずファンタジーがファンタジーとして存在するた めに最も大切なことは、〈ありそうで、なさそうで、

あるはずもなく、でもあったかも知れない〉と思わせ ることである。作中の論理が通らなければ、破綻する。

佐藤さとるは「現実にはあり得ない仮象の世界にも、

それなりに一種の権威を持つ特殊な法則があり(じつ はその法則も作者である私が無意識のうちに設定して いたのだが)、その法則にのっとった出来事は、たと え非現実な出来事であろうとも、特殊な必然性を与え られて、抵抗なく真実として納得できる」23)と述べる。

ファンタジーと呼ばれる虚構の世界は、読者に非現実 の世界があるように思わせるために、実は作家が綿密 に計算しつくした世界なのである。つまりファンタジ ーは、ただ空想物語ととらえられ、ふんわりと、あい まいに書かれたものではない。ジャンルとしてのファ ンタジーは、前節2.2における色々な形態のファン タジーすべてに構造価値が存在する。

先にも述べたが、国語科教科書の教材として扱われ

(6)

ているファンタジーは、エブリデイ・マジックが多い。

教科書には編集上、短編しか掲載できない制約がある ため、短編でも十分ファンタジーとして成立するエブ リデイ・マジックは教材として適している。そこで、

本論では特にエブリデイ・マジックに主眼をおいた構 造を追究する。

エブリデイ・マジックの構造価値を以下3点でとら えた。

3.1.構成−構造上の〈骨格〉

ファンタジーは構成において、構造上の〈骨格〉が 大切である。特にエブリデイ・マジックは現実から非 現実に移り、現実に戻るという構成を展開する。なお、

作品によっては、現実と非現実の境界線が明確に区別 できるものとそうでないものがあるが、例えば一日が 朝・昼・夜と移り変わる時に目印となる境界線がない のと同じく、端々が重なりあいながら移り変わるとい うものである。またリアリズムにも見られる枠物語の 構造もファンタジーにおいて使われることがある。現 実世界を主体とし非現実が顔をだす世界はエブリデ イ・マジックの特徴である。

3.2.技法−〈通路〉を使ったプロットの展開 作家は、ファンタジーの作品を成立させるために論 理的な順序や組立でプロットの展開を計算し、一つの 事件を解決する。ファンタジーの技法として、現実か ら非現実に入る〈通路〉、非現実から現実に戻る〈通 路〉、この出入口の〈通路〉はエブリデイ・マジック の場合、非常に重要である。〈通路〉を挟んだプロッ トの展開はファンタジーのいわゆるクライマックスで もある。作者の発想のおもしろさや、発想の意外性を 楽しむことができ、ファンタジーの技法の見せ場であ る。またプロットの展開に矛盾があっては話が成立し ない。この場合、前節3.1.と関係してくるが〈通 路〉は作品によって、明確になっているものもあれば、

不確かなものもあるが、現実世界と、不思議な非現実 世界を描いていることにかわりはない。

例えば、〈通路〉が何らかの時間の経過を示すこと で、あらわされていたり、「ふいに」「はっと」「する と」といった言葉がキーワードになり、現実から非現 実に移行したり、非現実から現実に戻ったりする場合 がある。

また〈通路〉には、有効な〈アイテム〉を用いる場 合がある。例えばファンタジー教材の代表としてあげ られる、あまんきみこの「白いぼうし」(平成14年度 版(2002)学校図書4年上・光村図書4年上)では

〈通路〉になる〈アイテム〉として《白いぼうし》が あげられる。帽子のように穴や暗闇を持つ物は〈通路〉

になりやすい。白いぼうしを松井さんがつまみ上げた ところから不思議がはじまる。そして非現実から現実

に戻るとき《「おや。」松井さんはあわてました。》

の「おや。」が言葉の〈通路〉になり現実に戻るキー ワードになっている。

下図は、3.1.〈骨格〉と3.2.〈通路〉を示し たものである。

現実

〈通路〉《白いぼうし》

非現実《女の子を車に乗せる》

通路《「おや。」》

現実 図2

3.3.表現−〈ディテール〉の積み重ねによる虚構 の方法

ファンタジーは文章表現において、できるだけ合理 的、論理的で散文的でなければならない。

ファンタジーの超自然、非現実は〈ディテール〉の 積み重ねによるリアリティーから生まれる。日常的な 現実性を持った〈ディテール〉の積み重ねは、逆に非 現実的なファンタジーを構築するという虚構の方法は ファンタジーの特質である。つまりこの場合の〈ディ テール〉は、積み重ねによって作品にリアリティを生 み出す場合と、逆に〈ディテール〉によって不思議な 非現実世界を描く場合の二種類の〈ディテール〉があ るわけだが、しかしそれは表裏一体の関係とでもいえ よう。

例えばファンタジー教材「白いぼうし」の場合、ぼ うしの裏に、赤いししゅう糸で《たけやまようちえん たけの たけお》とぬい取りがしていたことが描か れている。赤いししゅう糸のぬい取りというディテー ルは、現実の幼稚園児の男の子の存在を、登場人物と して描き出さないまま読者に伝え、まして、たけのた けおという少し不思議な感じがする名前は、現実であ りながら、非現実を演出する効果をもっている。また 赤いししゅう糸は色彩と不思議さを漂わせるのに有効 なディテールの〈アイテム〉であり、この有効な〈ア イテム〉もファンタジーにおいて不思議さと、効果を 醸し出す重要な役割を担う。この教材の夏みかんとい う〈アイテム〉は嗅覚的にさわやかな香で、現実→非 現実→現実の作品全編を一つの線上で貫き、印象に残 る黄色い色彩は視覚的に菜の花と重なり、作品世界に 有効な効果をあらわすディテールとなっている。

一方、表現方法の工夫として、擬態語やオノマトペ の活用を付け加えておく。教材「白いぼうし」では

(7)

《ぼうしをつまみ上げたとたん、ふわっと何かが飛び 出しました。》のふわっと、《かわいい白いぼうしが、

ちょこんと置いてあります》のちょこんとなども、作 品のふんわりとしたやさしい不思議なイメージを漂わ せるうえで有効なディテールである。

以上、大きく区切って3点がファンタジーの構造価 値である。これを分かりやすく例えるならば、構造上 の〈骨格〉は、身体をかたちづくる中心となる骨であ り、〈通路〉は骨と骨をつなぐ関節部分である。非現 実に現実感をもたせる〈ディテール〉は関節と関節を 結びつけ、骨を動かす腱の部分といえようか。そこに、

色々な筋肉である有効な〈アイテム〉などのディテー ルがつき、ファンタジーは成立しているのである。

4.ファンタジー創作の実践史

4.1.先行実践と問題点

過去の創作指導を考察すると、皆無ではない。西尾 実は「文学教育とは、文学活動を経験させることであ り、文学活動を経験させるとは、創作活動と鑑賞活動 をいとなませることである」24)とし、子どもたちに文 学経験を与えることが、文学教育であると規定してい る。しかし結果的に、創作活動がうまくいかなかった のは、創作技術の指導方法が確立していないため、自 由に書く、それをつづって展示するといった形が多く、

子どもたちの目的目標意識が定まらないまま終わって しまっている場合が多い。

青木幹勇は「読むために書く、書くために読む」25) 言い換えれば「表現と理解の一体化」26)を図り、虚構 作文(フィクション作文)と題し、子どもたちのイメ ージを自由な発想で、また自由な表現で描いてみる学 習を提唱している。大人の読書については、フィクシ ョンが数多く提供され、それが好んで読まれている現 実に、我が国の作文指導は生活経験をありのままに書 くことだけに徹底している2 7 )と矛盾を指摘している。

青木の場合、虚構の創作の例を、物語の続き話や、物 語の主人公になりかわって書いてみる、シナリオを書 いてみるといったように、最終的に子どもたちに創作 童話を描かせてみたいと考えながら、そこに到達する までのステップの段階でとどまっている。また現行

(平成14年度版(2002))の小学校国語科用教科書『国 語 五年(下)大地』(光村図書)には「言葉を集め、

物語を作る」という小単元があるが、あくまでも一つ の言葉から生まれるイメージで物語を描いてみようと するものであって、創作のための技法の指導というも のはなされていない。

また過去、子どもたちに書かせたファンタジー作文 の事例集として、池田操&「58の会」『書くことが楽 しくなる「ファンタジーの作文」事例集』(明治図書

1988)がある。著書の中で池田は、いままでの作文指 導は、子どもにとって苦痛の場になりがちであったこ とをあげ、子どもにとって、書くことを楽しいものと し、自分で進んで、夢中になれる作文指導としてファ ンタジー作文を提唱している。子どもたちに「もし…

だったら」と問題提起し、テーマを決めさせ自由に書 かせる指導を行っており、この仮定的な問いかけは想 像を刺激するもので、『ファンタジーの文法』(1978)28)

を書いたジャンニ・ロダーリも、ファンタジーの大切 な創作方法の一つとしてこの方法を取り上げている。

池田はファンタジー作文の結果、見えてきたことと して、子どもたちの想像力で、思いもかけないプロッ トの展開が生まれたり、「作品から、子どもの喜びや 悩み、疑問や不満、希望や失望、欲求などを読みとれ る場面がある」29)と述べる。また、「子どもたちの多 くが、とにかく量を書くようになった」30)「子どもの ユーモアが育ってきて、教室が明るくなった」31)とも 述べている。この実践例を見ていると子どもたちの想 像力や心理面を窺い知ることができ、書くことに興味 を持ち、楽しんでファンタジー作文を書いていること が分かる。

しかし、私が気になることは、どの子も、一人称の ファンタジー作文しか書けていないということであ る。第三者を登場人物にしたてた客観的な作品がなく、

あくまでも自分が主人公であり、作文の粋から出てい ない。これは学校教育が常に生活作文に力を入れてき た弊害であろう。書くということは個人の内面を語る ものであるとする考え方が、広く全体を見渡して、客 観的に書くという力を育ちにくいものとしている。

4.2.実践上のこれからの課題

このように、物語創作については、その布石として、

色々な学習活動が用意されている。しかし、創作とい う虚構の世界を、イメージにおいて、あくまでも自由 な想像・発想と理解し、自由に書くという印象を持つ ためか、生活作文で行っている「書き方(書く方法) となる技法の指導が、創作指導では行われていない。

教師の側がファンタジーの構造に気付かず、「書き方」

指導が確立していない実状もある。

前述のように、創作童話でも、特にファンタジーは、

構造価値が存在する。〈骨格〉〈通路〉〈ディテール〉

といった構造価値を追究することで、ファンタジー教 材が本来有していた特質の見直しを図ることができ、

一方、構造を「書く」ための一定の枠組として利用す ることができる。まず、ファンタジーを書くためには、

ファンタジーが構造価値を有しているという認識を持 つことが大切であり、その結果、教師は指導しやすく、

生徒も書きやすく、さらに作文と創作の違いを認識で きるという利点があげられる。

また「書くこと」は楽しんで行わなければならない。

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ヴィゴツキーは「人間はあらゆる未来を創造的な想像 の助けをかりて、理解する」32)と言ったが、子どもた ちをファンタジー創作の中の想像の異空間で遊ばせ、

「書くこと」に対する抵抗感を無くし、書いて楽しむ ことによって創造的想像の育成を期待したい。

5.「読み」「書き」連動の意義

これまでの国語科教育は、学習指導要領においても

「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」を、

カリキュラム上、それぞれ独立した領域として扱いが ちであった。しかし元来、それらは独立したものでは なく、つながるものとして考えることができる。

例えば「読むこと」と「書くこと」を取り上げた場 合、心理学者の内田伸子が、文章理解と文章産出の接 点について「「読み」の間にも、たえず内的な「書き」

が、逆に「書き」を実現するためにも内的な「読み」

が生じている」33)と述べる。読むことで、書くことが でき、書きたいと思い、また、書くことで読みの力が つくことにつながっていく。

また「実践国語研究№99特集〈ファンタジー教材が 生きる発問の工夫〉」(明治図書1990.6・7)の中で、

「書くことと読むこと−これからの国語科授業」と題 し、中西一弘は須田実と対談を行っており、それによ ると、一つの教材を学んで、それは読む力がつくと同 時に言葉により密着しながら、それが書く力に転移す るのではないか。また書く力に転移しないような、も しくは知識とか、技能とかを与えてないような読みは、

本当のところ読んでいるとはいわないのではないか。

読む時間は、読むだけで終わり、書く時間はまたゼロ からスタートする。領域が無関係で非常に書きづらい。

作文を書くときに、内容を報告させるとか、感じたこ とを書けという学習は、何を学んでどういうふうに書 くか、という意図が希薄であるといった、見解を述べ ている。つまり、一つの教材で「読み」と「書き」を 連動することにより、何を学んでどう書くかという意 図が明確になり、より学習の効果が期待できると考え られるのである。

ファンタジー教材の場合は、近年、自由な読みを重 視する傾向にある。これまでのように「読み」に数時 間かけ、部分部分を精読しその主題に迫るという学習 よりも、全体を把握する学習が必要になってくる。そ のためには、ファンタジーの特徴である作品全体の構 造をとらえることが必要であり、その構造を読み取る 力というものが大切になってくる。構造を「読み」理 解するためにも、構造を使って、教材を模倣したファ ンタジー作品を「書く」ことでファンタジーの構造を 再度認識し、一方、作者の気持ちや考えを疑似体験す ることで、もともとの教材の「読み」(理解)が深ま ると考えられる。さらに、ファンタジーの有する文学

性は豊かな感性を育てることにもつながると考えられる。

6.仮想実践例

ではファンタジー教材を使ってファンタジーを書く ためには、どうすればよいだろうか。ここでは、仮想 実践例をあげて論じることとする。

まず書くことは、楽しみながら行わなければならな い。また、ジャンルとしてのファンタジーが理解でき るのは、アニミズム期を脱した小学校中高学年である という発達段階を考慮すると、3章で述べた3点の構 造価値のうち、3.1.構成−構造上の〈骨格〉、3.

2.技法−〈通路〉を使ったプロットの展開、の2点 にしぼるのが有効であると判断される。

国語科教科書のファンタジー教材はエブリデイ・マ ジックが中心であり、ファンタジーを書くと言っても エブリデイ・マジックを書くことになる。骨格のはっ きりしたエブリデイ・マジックは、分かりやすく書き やすいという利点もある。エブリデイ・マジックの特 徴である現実から非現実に、非現実から現実に移るた めに〈通路〉をもつファンタジーの創作が適当である。

よって、教材を読んで、構造を理解した後、子どもた ちがファンタジーを書く条件として

①構造上の〈骨格〉現実→非現実→現実の構成を 使う。

②出入口の〈通路〉を用意する。

以上2点をふまえ、子どもたちの自由な発想で、の びのびと書かせたい。3章における3.3.表現−

〈ディテール〉の積み重ねによる虚構の方法、につい ては、各々子どもたちの能力と感性にまかせる。でき れば、自分以外の登場人物を設定し、三人称で書けれ ば良いだろう。それができれば、自分の内面を語るだ けでなく、物事を客観的にとらえて書くという力がつ くと思われる。

仮想実践例として、拙作を用意した。対象として、

小学校中高学年の児童を視野に入れ、特に構造価値を 全面に押し出して書いている。子どもの書く文章を意 識して、余分な部分をそぎ落とし、現実→非現実→現 実の〈骨格〉をなるべくはっきりと、分かりやすく描 いた。

なお、表記に関しては学年別配当漢字を留意する必 要があるが、ここでは一般的な漢字表記に従った。ま た、国語科用教科書は縦書きであるが、本稿は横書き のため、算用数字を用いた。

『時間よ進め!』

(9)

空は晴天、五月晴れ。ぽかぽかと暖かい月曜日。

窓際に座っているたつおは、運動場がまぶしくて、次の体 育のことばかり考えていました。

今日は隣のクラスと、ドッチボールの試合を行います。

先週の試合の時、たつおは最後まで、陣地に残ってがんば りました。なのに、(あの時のゆういちの、フェイントさえ なけりゃな〜)たつおは、つぶやきました。

最後の一球が、わずかにたつおの肩をかすめ、我が4年2組 は惜しくも破れてしまったのです。きのうは日が暮れるまで 練習しました。だから負けるはずありません。(今日は、絶 対に勝てやるからな。)と思いながら、たつおは国語の教科 書をぱらぱらとめくりました。

「はい次は、23ページ、この漢字は書き取りテストに出すぞ。

ノートに20回書いて覚えろ〜。 」

担任の松原先生の授業は、まだまだ続きます。先生の頭の 上にある時計は、10時になったばかり。国語の時間が終わる まであと20分もあります。

たつおは、なんだか、目がちかちかして、お尻がむずむず してきます。たつおは机に赤えんぴつで

時間よ進め! と書いてみました。

「どうだ、書けたか。 」

先生がふいに、たつおをのぞいている気がして、たつおは あわてて、消しゴムを探します。たつおは親指と、人差し指 と、中指と・・・薬指にありったけの力をこめて、ぐきゅ、

ギュギュと消しゴムをすべらせました。その時、

「あれれ〜。 」

〈時間よ・・・〉の文字が、数ミリ浮き上がりました。そし て、たつおが、消しゴムでこするたびに、なんだかどんどん 机からはがれてくるのです。こすったら、ぺったりくっつく シールと似ているけど、まったくはんたいに・・・。

たつおは、驚いて、ぽかぁ〜んと口を開けました。

はがれた文字は、たつおの鼻先まで浮き上がり、空中をふ わふわ泳いで、ぐんぐん前に進んでいきます。そして先生の 頭を横切り、黒板の上にある時計の前で、ぐるぐると回り始 めました。もっと驚いたことに、時計の長い針も、文字と一 緒にぐんぐん、ぐ〜んと、進み始めたのです。

「生きているみたい・・・、時計ってこんなに、はやく動く んだ・・・。 」

なんだかたつおが感心しているうちに、長い針は10時20分 を指しました。

すると〈時間よ止まれ!〉の赤い文字が先生のひたいにび ゅ〜んぴたっと、くっついたのです。

たつおは思わず、ぷっと笑ってしまいました。そして、も う一度息を吸い込んだとき、赤い文字は、ぴゅーん、と飛ん できて、あっという間に、たつおの口に吸い込まれたのです。

「うっ。 」

たつおは、苦しくなって、うつぶせてしまいました。そし て、それから、体をぐんぐんゆすぶられるような感じがしま した。

「先生ごめんなさい。もう、授業中にほかのことを考えたり しないから・・・。だから、助けて・・・。 」

と思ったとき

「おい、起きろ、いつまで寝ている!」

松原先生の太い腕で揺り起こされました。

「チャイムが鳴っても起きないなんて、私の長い教員生活の 中ではじめてだ。 」

気づくとあきれ顔の先生が立っています。まわりのみんな は、もう体操服に着替え始めていました。(ってことは国語 の授業は終わりってことか)

「ご、ごめんなさい。 」

たつおは、いそいで体操服をさぐり、あわてて運動場へ駆 けだしていきました。

走っている間、たつおは考えました。(あれは夢だったの かな。授業中に眠ちゃったのかな。きのう遅くまでドッチボ ールの練習したから、疲れてたし・・・。 )

でもたつおは、 心の底で本当は夢じゃないと思っています。

なぜなら、たつおは知っています。たつおを叱っている松原 先生のひたいには、一筋、赤いえんぴつのあとがついていた ことを。

「ま、どっちでもいいか。とにかく、次はドッチボールだ! !。

ゆういち、負けないからな。 」

たつおは、ぽかぽか太陽に向かって、思いっきりボールを 投げ上げました。

次に、この作品を3章と同様に、構造上の〈骨格〉

と〈通路〉を中心に検証する。

6.1.「時間よ進め!」−構造上の〈骨格〉

この作品は子どもには一番身近な、学校の授業中が 背景となっており、主人公たつおにとって、現実は国 語の授業中である。非現実は、たつおが書いた赤い文 字が浮きあがり、時計の針を動かす。そして、その文 字が先生のひたいに張り付くことである。戻った現実 は、たつおにとって、国語の時間であるが、実は国語 の授業は終わっていて、たつおの望みどおり、体育の 時間になっていた。授業中という一次元の中で、たつ おは現実→非現実→現実を体験したことになる。

6.2.「時間よ進め!」−〈通路〉を使ったプロッ トの展開

この作品の〈通路〉は消しゴムで消すことである。

そこから不思議が始まり非現実に移行していく。消し ゴムは文字を消すものであるという既存の概念を捨 て、文字が消えない消しゴムを考えたとき、こすると 文字がはがれていく消しゴムは不思議を醸し出す有効 な〈アイテム〉となった。現実に戻る〈通路〉は先生 に揺り起こされることであり、それによって、夢とも 現実ともつかない非現実世界から現実に戻る。

ディテールとして〈アイテム〉に赤い文字を用いた。

(10)

先生のひたいに残った赤い線が読者の印象に残れば、

ありそうで、なさそうで、でもあるかもしれないエブ リデイ・マジックとして成立する。

以上の関係を3章の図2と同様の観点でまとめると 次のようになる。

現実

〈通路〉《消しゴム》

非現実《赤い文字が時計を動かす》

通路《揺り起こされる》

現実 図3

6.3.評価の観点

評価の観点として ①〈骨格〉と〈通路〉がしっか りと書けているか。②〈アイテム〉をうまく使い、話 が破綻しておらずファンタジーとして成立している か。③発想の意外性、面白さなどがあるか。などをあ げることができる。創作の後、お互いが作品を読みあ ったり、冊子をつくるなどの工夫が行われてもよいだ ろう。

7.おわりに

以上述べてきたことのまとめをする。

子どもたちは、「読み」で作品の内容を理解した後、

大まかな構造を読みとり、その構造を模倣してファン タジーを書くという一連の学習活動を行う。さらに、

書き終えた後、教材作品と自分の作品を図3のように 図式化し比較検討することで、ファンタジーの〈骨格〉

〈通路〉という構造を再度意識し、理解することがで きる。それはファンタジー作品というものの成立過程 を知り、エブリデイ・マジックの創作方法を知ること にもつながる。一方、自分が作家となる経験をするこ とで、その経験は、もとの作品に戻ったとき、初読と は異なる「読み」を生み出し、新たな内容理解につな がるのである。「読み」と「書き」を連動させ、ファ ンタジーの文学的表現の中で感性を磨き、技法を修得 することによって、生活作文とは異なる文学的文章の 創作を享受することができると考えられる。

つまり、ファンタジー教材の学習指導過程において

「読み」と「書き」を連動させる意義は、以下に記す 4点に集約することができよう。

まず第1に、一つのファンタジー教材で書く技法を 知り、子どもたちに、これまでの生活作文や感想文と

は異なった文体を書く経験を与えることであり、第2 に、「読み」「書く」ことで作者の気持ちを疑似体験で き、新たな文学性を享受できることである。第3は教 材の部分部分を読解するのではなく、全体の構造を読 みとり書くことで、再度ファンタジー教材の全体像を とらえ直すことができ、国語科教育において「読むこ と」「書くこと」という各領域を独立したものではな く、一つの教材で関連したものとしてとらえる認識を 持つことができる点であり、第4は「読み」「書く」

ことで、ファンタジーのもつ特質から豊かな感性を育 て想像力を育むことができることである。

今後、子どもたちにとって、ファンタジーは面白い と思えるような、楽しんで学べる、ファンタジー教材 の指導研究が進展していくことが望まれる。

参考文献

・関口安義 原昌他編『「入門」児童文学』中教出版 1993.11

・日本児童文学者協会編『児童文学の魅力 いま読む 100冊日本編』文溪堂 1998.5

1)萬屋秀雄『現代児童文学と国語教育』高文堂出版 社 1996.11 p.21

2)向 川 幹 雄 『 教 科 書 と 児 童 文 学 』 高 文 堂 出 版 社 1995.9 p.150

3)関口安義『国語教育と読者論』明治図書 1986.2 pp.135−138

4)西郷竹彦『西郷竹彦文芸教育著作集19=文芸文学 講座Ⅲ 表現・文体・象徴』明治図書 1979.9 pp.245−246

5)「内容価値」とは、−現実的な作品では描けない 世界−現実には起こり得ない世界を描くことで人 間の深い真実が描かれ、読者に美的感動をよびお こす価値。換言すれば、次元の異なる世界−非現 実の世界の美的体験を通して人間をより深くとら える価値であり、それは日常世界とはまったく異 質な世界をつくりだす想像力の可能性に目を開か せることでもある。(萬屋秀雄『現代児童文学と 国語教育』高文堂出版社 1996.11 pp.202−203)

6)「表現価値」とは、−現実には起こりえない不思 議をひき起こし読者を納得させ感動させるには、

それなりの作者の表現上の工夫(表現・技法)が なされているはずである。その表現・技法がどの ようにつかわれているか、具体的にとりだして検 討してみることはきわめて意義あることである。

(萬屋秀雄『現代児童文学と国語教育』高文堂出 版社 1996.11 p.203)

参照

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