KONAN UNIVERSITY
木下杢太郎『唐草表紙』論 : 寂しき個人主義から 民族回帰へ
著者 権藤 愛順
雑誌名 甲南大學紀要.文学編
巻 153
ページ 41‑65
発行年 2008‑03‑15
URL http://doi.org/10.14990/00001147
四一木下杢太郎
﹃
唐草表紙﹄
論木下杢太郎 ﹃ 唐草表紙 ﹄ 論
│寂 しき 個人主義 から 民族回帰 へ │
権 藤 愛 順
一 はじめに
森 鷗 外 と 夏 目 漱 石 と い う 両 大 家 の 序 文 を 掲 げ た 木 下 杢 太 郎 の 処 女 小 説 集 ﹃ 唐 草 表 紙 ﹄︵ 地 下 一 尺 集 第 三 ︶ は ︑ 大 正 四 年 二 月 に 正確堂 より 出版 された ︒ 一八編 の 作品 が 収 められたこの 作品集 は ︑ 現在 まで 正当 に 評価 されることなく 看過 されてきた ︒
刊 行 当 時 の 同 時 代 評 で は ︑﹁ 早 稲 田 文 学 ﹂ 大 正 四 年 四 月 号 の 彙 報 欄 に お け る 新 刊 書 一 覧 の 項 が ︑ こ の 作 品 集 に お け る ﹁ 繊 細 な 官 能 ﹂﹁ 豊 潤 な 情 調 ﹂ を 評 価 し な が ら も ︑﹁ 白 日 世 界 の 文 芸 の 多 い 今 の 文 壇 ﹂ に あ っ て は ︑﹁ 異 端 者 の 小 説 集 ﹂ で あ る と し て いる ︒ 同様 に ︑ 森鷗外 も 単行本 ﹁ 序文 ﹂ で ︑ この 作品集 が 批評 の 対象 とならない 理由 を ﹁ 現今流行 する 小説 と 歩驟 を 異 にして ゐる ﹂ ためであると 記 している ︒ 同時代 にあって ︑ 文学 の 傍流 であるとみなされていたこの 作品集 は ︑ 現在 においては 作品集 前半部 に 配置 されている 幼少年期回顧 をモティーフとした 一連 の 作品 に 集中 した 評価 がなされている ︒ 具体的 には ︑﹁ 硝子問屋 ﹂ ︵ 明 治 四 四 年 九 月 ﹁ ス バ ル ﹂ ︶︑ ﹁ 山 の 焼 け た る 日 の 夕 が た ﹂︵ 初 出 未 詳 ︶︑ ﹁ 沖 の 龍 巻 ﹂︵ 初 出 未 詳 ︶︑ ﹁ 珊 瑚 珠 の 根 付 ﹂︵ 明 治 四 五 年 三 月 ﹁ ス バ ル ﹂ ︶︑ ﹁ 夷 講 の 夜 の こ と で あ つ た ﹂︵ 大 正 二 年 三 月 ﹁ 三 田 文 学 ﹂ ︶︑ ﹁ 柏 屋 ﹂︵ 大 正 二 年 七 月 ﹁ 三 田 文 学 ﹂ ︶︑ ﹁ 葬 式 の 前 の 日 の こ と ﹂︵ 大 正 二 年 一
〇月 ﹁ 三 田 文 学 ﹂ ︶ と い っ た 作 品 で あ る が
Б︑ こ れ ら は ︑﹁ 生 家 の 子 供 杢 太 郎 の ︑ 目 覚 め ゆ く 感 性 の 記 録
В﹂ であるといったように ︑ 作家 の 自伝的要素 と 直結 したかたちで 読 まれている ︒
四二
ま た ︑ 鷗 外 と 漱 石 の 序 文 で の 本 作 品 集 評 価 が そ う で あ る よ う に ︑﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ 全 体 も ︑ そ の ﹁ 視 覚 ・ 聴 覚 ・ 触 覚 と い っ た 五 官 の 官 能 美 の 複 雑 な ひ だ か ら 発 し た 模 糊 と し た 人 生 描 写 ﹂ や ︑﹁ 個 人 的 趣 味 性 の 強 い 点 描 派 ︑ な い し 印 象 派 の 作 品 群
Г﹂ と い う ような ︑ 杢太郎 に 特徴的 な 情緒表現 に 重点 が 置 かれる 評価 が 一般的 である ︒ しかし ︑ そうした 表現技法 もまた ︑ 幼少年期 の 追 憶 をモティーフとしてもつ 作品集前半部 の 特質 をすくい 上 げているのみであり ︑ 作品集後半部 に 描 かれた ︑ 青年 を 主人公 とし た 作品 を 含 む ﹃ 唐草表紙 ﹄ 全体 の 評価 とは 言 い 難 い ︒
本稿 では ︑ 青年期 が 描 かれた 作品 の 中 でも 特 に ︑﹁ 荒布橋 ﹂︵ 明治四二年一月 ﹁ スバル ﹂ ︶︑ ﹁ 六月 の 夜 ﹂︵ 明治四二年一一月 ﹁ ス バル ﹂ ︶︑ ﹁ 河岸 の 夜 ﹂︵ 明治四五年三月 ﹁ 三田文学 ﹂ ︶ といった 作品 を 中心 に 論 じ ︑ 近代日本 に 生 きる 青年 たちの ︑ 描 かれた 苦 悩 の 意味 について 考察 したいと 考 える ︒ それは ︑ 作品集前半 の 幼少年期 ものに 担 わされた 役割 を 明 らかにし ︑ さらには ﹃ 唐草 表紙 ﹄ 全体 の 新 たな 評価 にもつながるものであると 考 える ︒
二 寄 りどころ と しての 個人主義
﹁ 六 月 の 夜 ﹂ の 主 人 公 で あ る ﹁ 彼 ﹂ は ︑ 一 種 の デ ラ シ ネ で あ り ︑ 依 拠 す べ き 国 家 や 共 同 体 を 見 失 っ た 青 年 で あ る ︒ 芸 術 家 を 志 していたかつての ﹁ 彼 ﹂ は ︑﹁ サロメの 画 をかいた 人 の 国 ︑﹁ 悪 の 華 ﹂ を 産 んだ 国 ︑﹁ 地 獄
の扉 ﹂ を 製作 しつつある 国 に 自 分 は な ぜ 生 れ な か つ た ら う ﹂ と い う 煩 悶 を 抱 き ︑ 東 京 市 中 を 放 浪 す る 生 活 に 入 っ た ︒ さ ら に 彼 の 煩 悶 の 中 に は ︑﹁ 彼 ﹂ を 抑 圧 す る 旧 道 徳 に 対 す る 反 抗 も あ っ た ︒ 入 学 試 験 に 失 敗 し 食 欲 不 振 に 陥 っ た ﹁ 彼 ﹂ に 対 し ︑ そ の ﹁ 年 と つ た 母 ﹂ は ︑﹁ 男 は ど ん な 時 で も 決 し て そ ん な 弱 い 顔 を 示 し て は な ら な い ﹂ と 諭 す ︒ こ の 教 え に 従 っ て ︑﹁ 彼 ﹂ は ﹁ 喜 ば し き 時 に 冷 淡 に し ︑ 悲 し き 時 に 微笑 する 習慣 ﹂ を 身 につける ︒ 彼 は ︑ 自身 のありのままの 感情 を 率直 に 表現 することをせず ︑ あるべき 理想 の ﹁ 男 ﹂ の 役 を 演 じる ︒ しかしそんな 自身 の 姿 とは 対照的 に ︑ 西欧 の 芸術 には ﹁ 烈 しい 情熱 ︑ 恣 な 人間 の 情緒生活 ﹂ そのものが 表現 されてい るということに 衝撃 を 受 ける ︒ そして ︑ 西欧 にみられるような 芸術 を 生 み 出 す 土壌 とはなり 得 ない 日本 という 国 や ︑ また ︑ 個 人 の ﹁ 情熱 ﹂ や 自由 な ﹁ 人間 の 情緒生活 ﹂ を 抑圧 する 旧道徳 に 反抗 し ︑ 西欧 に 対 する 憧憬 を 募 らせていくのである ︒
四三木下杢太郎
﹃
唐草表紙﹄
論一人称 で 語 られる ﹁ 荒布橋 ﹂ の ﹁ 予 ﹂ も ︑﹁ 六月 の 夜 ﹂ の 主人公 と 同 じく 国家 や 道徳 に 反抗 する 青年 である ︒﹁ 男 は 女 を ︑ 親 は 子 を ︑ 学校 は 生徒 を ︑ 国家 は 民衆 を 愛 せないで ︑ 唯楽欲 を ︑ 恋 の 理想 を ︑ 試験 を ︑ 法律 を ︑⁝⁝⁝ 各自己 の 狭 い 理想 を 他人 の 上 に 望 んで 居 た ﹂ として ︑ 男女 の 恋愛関係 といった 最小単位 の 人間関係 から ︑ 国家 と 民衆 との 関係 までを 並置 し ︑ そこに ︑ 一方 が 一方 の 上 に ﹁ 狭 い 理想 ﹂ を 望 むという 力関係 の 構図 を 見出 す ︒ そういった 力関係 の 下位 にあった ﹁ 予 ﹂ にとって ︑ 他人 の 理想通 りに 振 る 舞 おうとする 習慣 は ︑ 他人 に 対 する ﹁ 甘 へる 心 ﹂ を 抑圧 するという ﹁ 回復 す 可 からざる 深手 ﹂ を 負 わせるの である ︒ 親 や 学校 ︑ 更 には 国家 によって 与 えられる 理想的人間像 が 圧迫 として 感 じられるという 構造 において ︑ 両作品 は 一致 し た 青 年 の 苦 悩 を 表 現 し て い る ︒ 例 え ば ︑ 永 井 荷 風 も ﹃ 冷 笑 ﹄︵ 明 治 四 二 年 一 二 月 〜 明 治 四 三 年 二 月 ﹁ 東 京 朝 日 新 聞 ﹂ ︶ の 中 で 吉 野 紅 雨 に ︑﹁ 私 は 子 供 の 時 分 家 庭 や 学 校 か ら 受 け た 教 育 の 如 何 を 回 想 し て 見 る と ︑ 日 本 人 ほ ど 自 然 の 行 為 と 其 れ か ら 得 ら れ る 正 当 な 快 楽 を 恐 れ 誡 め る 国 民 は 他 に あ る ま い と 思 ふ
Д﹂ と 語 ら せ て い る が ︑﹁ 自 己 の 狭 い 理 想 を 他 人 の 上 に 望 ﹂ む よ う な 考 えは ︑ 夏目漱石 が ﹁ 文芸 と 道 徳
Е﹂︵ 明治四四年八月 ︶ で 述 べるように ︑ 明治末年 には ﹁ 昔 の 道徳 ﹂ として 受 けとめられている ︒ 理 想 の 鋳 型 に 個 人 を は め 込 み ︑ そ こ か ら で き る 画 一 化 さ れ た 人 間 像 に 反 抗 す る 青 年 た ち が ︑﹁ 恣 な 人 間 の 情 緒 生 活 ﹂ が 表 現 さ れた 西欧 の 芸術 と ︑ それを 産 み 出 す 土壌 となった 西欧 という 国 に 憧憬 の 念 を 抱 くのも 当然 の 帰結 といえるだろう ︒
しかし ︑ 日本 の 地 の 中 では 二十年以上 に 渡 って 染 みついてしまった 習慣 に 反抗 することが 容易 ではなく ﹁ 六月 の 夜 ﹂ の ﹁ 彼 ﹂ は ﹁ 疲 労 困 憊 ﹂ を 覚 え ︑﹁ 神 経 衰 弱 ﹂ に 陥 っ て し ま う ︒ そ の 結 果 ︑ 一 つ の 諦 念 に 至 り ︑ 小 説 家 に な ろ う と し て い た か つ て の 自 分 を 否定 し ︑ 実業 に 就 かなかった 事 を 後悔 する ︒ そして ︑﹁ 恣 な 人間 の 情緒生活 ﹂ を 表現 する 芸術家 とは 対照的 に ︑﹁ 意志 の 世 界 ﹂ に 生 きることを 新 たに 目指 していくのである ︒ 絶望 の 果 てに 生 き 方 を 模索 するうちに ︑ 感情 ・ 情緒 といったものは 抑制 さ れ ﹁ 意志 ﹂ や ﹁ 知識 ﹂ といったものに 優位性 がおかれる 新 たな 方向 が 目指 されるのである ︒
彼 は 強者 に 成 りたいと 始終思 つて 居 る ︒ ならう 事 なら 一種 の 超人 になりたい ︒ 自分 の 体 ︑ 心 の 凡 てのものの 主権 を 自分 の 脳髄 に 握 らせたい ︒ その 為 めには 彼 の 精神 の 大統一 は 意志統一 の 下 に 従属 する 広大 なる 知識 でなけれ ば ならぬ ︒ 感情 は 遙
四四
か 下方 に 鎮圧 せられなくてはならぬ ︒ 何故 となれ ば 一 つの 感情 は 他 の 感情 の 波動 をよび 起 す ︒ その 上更 に 他人 の 感情 の 共 鳴 をまでも 要求 する ︒ 結局個人 の 尊厳 は 害 はれなけれ ば ならないからである
こ こ で は ﹁ 彼 ﹂ が ︑ か つ て 強 く 憧 れ を 持 っ た 情 緒 の 自 由 な 発 露 は ︑﹁ 他 人 の 感 情 の 共 鳴 ﹂ を 要 求 す る も の と し て 否 定 さ れ て いる ︒ つまり ︑﹁ 感情 の 共鳴 ﹂ の 下 に 他人 との 間 に 生 まれる 連帯感 が ︑﹁ 個人 の 尊厳 ﹂ を 侵犯 するものであると ﹁ 彼 ﹂ は 考 える の で あ る ︒ 夏 目 漱 石 ﹃ そ れ か ら ﹄︵ 明 治 四 二 年 六 月 〜 一
〇月 ﹁ 東 京 朝 日 新 聞 ﹂﹁ 大 阪 朝 日 新 聞 ﹂ ︶ の 代 助 は ︑ 人 間 は ﹁ 文 明 ﹂︑ つまり 外的 な 力 によって ﹁ 孤立 ﹂ させられるものと 感 じていた ︒ しかし 杢太郎 の 作品 においては ︑ 他人 との 連帯感 からあえて 背 を 向 け ︑ 意識的 に 個人主義的 な 生 き 方 を 選択 する 青年像 が 造形 されており ︑ そこに 両者 の 差異 が 認 められる ︒
引 用 部 に あ る よ う に ︑﹁ 六 月 の 夜 ﹂ の 主 人 公 の ﹁ 彼 ﹂ に は ︑ ニ ー チ ェ 的 な ﹁ 超 人 ﹂ 願 望 を 抱 い た 知 識 人 の 一 種 の 型 が 示 さ れ ている ︒ 明治三
〇年代 にニーチェが 我 が 国 に 盛 んに 紹介 された 当時 ︑ 一高生 であった 杢太郎 もニーチェの 思想 からの 強 い 影響 を 受 け た ︒ 四
〇年 代 に 入 っ て か ら も 杢 太 郎 の 日 記 に は ︑ ニ ー チ ェ に 言 及 し た 箇 所 が 度 々 見 ら れ る が
Ё︑﹁ 六 月 の 夜 ﹂ 執 筆 の 半 年 程前 の 日記 には 次 のようにあ る
Ж︒
図書館 にて Nietzsche, Jenseits von Gut und Böse を 読 む ︒ Nietzsche は 兎 に 角 吾 人 に 力 を 与 へ る ︒ 自 分 に 頼 れ と い ふ こ と を 教 へ る ︒ 尤 も 貴 く ︑ 価 値 あ る 人 も ︑ 自 分 以 外 の 人 で は 駄 目 だといふことを 教 へる ︒ 自分以外 のものは ︑ 宗教 でも 道徳 でも ︑ 凡 て 破壊 す 可 き Convention だといふことを 教 へる ︒︵ 中 略 ︶ Nietzsche は 常 に 予 を Convention の 圧迫 より 自由 にす ︒
ここからは ︑ 自分以外 の 人間 はおろか ︑ 宗教 や 道徳 さえもまた ︑﹁ 破壊 す 可 き Convention ﹂ であるとする 当時 のニーチェ 観 が ︑ 因習 から ﹁ 圧迫 ﹂ を 受 けている 人間 を ﹁ 自由 ﹂ にしうるものとして ︑ 杢太郎 に 影響力 のあった 様 が 想像 される ︒ そしてま
四五木下杢太郎
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唐草表紙﹄
論た ︑﹁ 六 月 の 夜 ﹂ の 主 人 公 に お い て も ニ ー チ ェ の 影 響 は ︑ 自 分 を 抑 圧 す る あ ら ゆ る 因 習 か ら 自 己 の 尊 厳 を 守 ろ う と す る 最 後 の 方途 として 機能 しているのである ︒
個人性 を 無視 し ︑ あり 得 べき 理想 の 型 どおりに 生 きることを 迫 る 旧道徳 への 反抗 と ︑ 反抗 の 手段 として 選 ば れた ︑ 個人性 を 高 ら か に 歌 い 上 げ る 芸 術 を 成 す こ と の 挫 折 が ﹁ 彼 ﹂ に は あ っ た ︒ そ し て ︑﹁ 個 人 の 尊 厳 ﹂ を 守 り た い と い う ﹁ 彼 ﹂ の 希 求 は 一 転 して ︑﹁ 意志 ﹂ を 優位 に 置 き ︑ 他人 との 感情 の 共鳴 を 回避 することで 個 を 守 るという 屈折 した 個人主義 の 形 となって 表 れる ︒ し か し ︑ や が て 個 人 主 義 的 な 生 き 方 は ﹁ 彼 ﹂ を 苦 し め る も の と し て 意 識 さ れ る よ う に な る ︒ そ の 契 機 は ︑﹁ 日 本 人 の 心 を 動 かす ﹂ 太棹 の 響 きにあった ︒
三 遺伝 と いう 実感
﹁ 月 がこの 世界 を 別 の 世界 であるかの 如 く ︑ 銀緑 の 気 零 で 鍍金 ﹂ している 東京 の 夜 の 町 を ︑ 女 と 連 れ 立 つ ﹁ 六月 の 夜 ﹂ の ﹁ 彼 ﹂ は ︑ 河 岸 沿 い で ﹁ 無 言 に 沈 々 た る エ エ テ ル の 世 界 に 見 入 つ て ゐ る ﹂︒ そ こ に 太 棹 の 響 き が ︑ ど こ か ら と も 知 れ ず 響 い て く る の である ︒ 心 が 無 の 状態 に 近 い 時 ︑ その 空隙 に 不意 に 聞 こえた 太棹 の 音 は ︑﹁ 彼 ﹂ に 次 のような 衝撃 をもたらす ︒
数條 の 絃 は 能 く ︑ 彼 の 後天的 の 似而非悟性 の 殻 を 破 つて ︑ 恐 る 可 き 遺伝 の 熱暗流 に 噴火口 を 開 くのである ︒ 彼 の 目 の 前 に ︑ 世紀 のコンヱンシオンに 圧 され 乍 ら ︑ それも 気付 かなくて 自 ら 苦 める 男 の 姿 が 浮 んだ 太 棹 の 音 は ︑ 突 如 と し て ﹁ 彼 ﹂ に 二 つ の こ と を 認 識 さ せ る ︒ 一 つ は 後 天 的 な ﹁ 似 而 非 悟 性 の 殻 を 破 つ て ﹂ 迸 る ﹁ 遺 伝 の 熱 ﹂ が 身内 に 実感 されているということであり ︑ もう 一 つは 自身 を ﹁ 世紀 のコンヱンシオン ﹂ に 圧迫 されていることに 無自覚 な 男 として ︑ 客観視 させるということである ︒
さらに ﹁ 彼 ﹂ は ︑ 耳 にした 太棹 の 音 を 契機 として ︑ 日本的 なる 音 について 次 のような 認識 を 述 べる ︒
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実際 タンホイゼ ルの 進行曲 よりも ︑ 第九 のシンフォニイよりも ︑ うち 顫 ふセロの 歎 かひ ︑ 歓 びの 凝 れるが 如 き 長唄 ︑ 乃至 小走 りに 走 る 女 の 躓 き 転 ば んとするやうな ︑ あえかな 哥沢 の 節 よりも ︑ 黄銅 の 波 のやうに 濁 つた 重 い 太棹 のびいんと 沈 ん でゆく 音 ほど ︑ 日本人 の 心 を 動 かすものは 無 いと ︑ 彼 は 信 じて 居 た
太棹 の 響 きの 前 に ﹁ いままで 冷 しに 冷 し ︑ 圧 しに 圧 してゐた 情操 の ︑ 腹 の 底 で 蛇 のやうに 頭 を 擡 げる ﹂ のを 感 じた ﹁ 彼 ﹂ は ︑ ﹁ 善悪 のあなたに ︑ 寂 しい 個人主義 の 頂 きに ⁝⁝﹂ とニーチェの 思想 をつぶやくが ︑﹁ 彼 ﹂ の 心 の 中 の ︿ 情操 の 蛇 ﹀ は 静 まらな い ︒ か つ て ︑﹁ 日 本 は 到 底 芸 術 の 国 で は 無 い ︑ 日 本 人 は 決 し て 真 に 芸 術 を 崇 拝 す る 人 種 で は 無 い ﹂ と ︑ 日 本 と い う 国 を 詛 い ︑ 日本 の 道徳 からも 背 を 向 けた ﹁ 彼 ﹂ である ︒ しかしここでは ︑ タンホイザーや 第九 といった 西欧 の 音楽 よりも ︑ 日本音楽 の 方 に 感情 の 揺 らぎが 自覚 されているのである ︒ そして 我々 はこの 自覚 が ︑ 後天的 に 受容 された 西欧芸術 や 西欧思想 からは 決 して 受 け 継 がれない ﹁ 遺伝 ﹂ として 実感 されているということに 注目 すべきであろう ︒
﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ 所 収 の 作 品 に は 他 に も ︑ 日 本 音 楽 ︑ 或 い は 日 本 的 な 音 を 媒 介 と し て 主 人 公 に ﹁ 遺 伝 ﹂ が 自 覚 さ れ て い く 箇 所 が 幾 つもみられる ︒ 少年期 への 追憶 をモティーフとする ﹁ 夷講 の 夜 のことであつた ﹂ では ︑ 母親 が 三味線 を 取 り 出 し ﹁ 短 い 唄 を 歌 ふ と き ﹂︑ 子 供 心 に も ﹁ 情 操 の 世 界 ﹂ が ﹁ 怪 し く ﹂ 揺 ら い だ こ と が 回 想 さ れ て い る ︒ 三 味 線 の 音 色 と 母 親 の 唄 に 揺 さ ぶ ら れ る ﹁ 情操 ﹂ を ︑﹁ わたし ﹂ は ﹁ 情 の 世界 ﹂ の ﹁ 遺伝 ﹂ であると 語 る ︒ また ︑﹁ 六月 の 夜 ﹂ の ﹁ 彼 ﹂ も ︑ 子供 の 時 ︑ 歌舞伎 ﹃ 清正 誠 忠 録 ﹄ の 豊 国 祭 の 場 に 涙 し た そ の 感 激 の 源 を ﹁ 彼 一 人 の 情 で な く て ︑ 遺 伝 に 相 違 な い ﹂ と 解 釈 し て い る ︒ こ の よ う に ︑﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ に は ︑﹁ 遺 伝 ﹂ と 呼 ぶ 他 な い ﹁ 情 ﹂ の 世 界 の 揺 ら ぎ を 自 覚 す る 主 人 公 ︑ と い う モ テ ィ ー フ が 繰 り 返 さ れ て い る ︒ 同 時 代 においては ︑ 日本 の 近代化 を 厳 しく 批判 し ︑ 西洋 の 文化 の 在 り 方 を 肯定的 にみていた 明治末年 の 永井荷風 にも ︑ 同様 のモテ ィ ー フ が み ら れ る ︒ 荷 風 は 随 筆 ﹁ 楽 器 ﹂︵ 明 治 四 四 年 一 一 月 ﹁ 三 田 文 学 ﹂ ︶ で ︑ 少 年 時 に 聴 い た 尺 八 の 音 色 や ︑﹁ 祭 り の 夜 の 太 鼓 の 音 ﹂︑ そ し て 三 味 線 の 音 色 に 対 す る 自 身 の 感 動 の 源 に ︑ 遺 伝 の 力 を 確 信 し て い る ︒ な ぜ な ら そ れ ら の 音 が ︑ 少 年 時 の 荷 風 に と っ て は 初 め て 耳 に す る に も 関 わ ら ず ︑﹁ 決 し て 其 の 時 か ら で は な く て ︑ 已 に 自 分 の 生 れ ぬ 先 き か ら 幾 度 と な く 聞 い た 事 の
四七木下杢太郎
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唐草表紙﹄
論あるやうな 心持 をさせ る
З﹂ と 感 じられるからである ︒ いかに 西洋 を 賛美 しようとも ︑ 近代化 に 侵 されていない ﹁ 音 ﹂ の 領域 で は ︑﹁ 遺伝 ﹂︑ あるいは 荷風 にあっては ﹁ 伝説 ﹂ とも 表 される 力 が ︑ 日本人 としての 実感 を 与 えるものとして 強 く 意識 されてい たことが 窺 え る
И︒
杢太郎 の ﹁ 河岸 の 夜 ﹂ では ︑ 近代化 された 風景 と 前近代的 なそれとが 混然一体 となった 都市 の 中 で ︑ 前近代的 な 音 を 耳 にす る 印象的 な 場面 が 描 かれる ︒ 冒頭 ︑ 三人 の 青年 が 歩 く 都市風景 は ︑﹁ 旧 い 城 の 礎 と 古風 の 橋 ﹂︑ そして ﹁ 松 や 杉 ﹂ の 木立 を 前景 として ﹁ 黄金 ︑ 緑玉 ︑ 紅玉 の 燈火 を 一面 に 鏤 めて 居 る ﹂ 新旧 が 混和 した 銀座 と 思 われる 都会 である ︒ そこから 三人 は 日本橋 を 目指 して 歩 を 進 めるが ︑ 日本橋界隈 では ︑ 月夜 に 照 らされた 青 い 河面 に 映 る ﹁ 車屋 の 提灯 ﹂ の 火影 といった 浮世絵的 な 風景 を ︑ ﹁ ヰ ス ラ ア と 広 重 と の 交 錯 ﹂ と 感 じ と る ︒ こ こ に は ︑ 前 近 代 的 な 都 市 風 景 と 近 代 的 な そ れ が ︑ さ ら に ︑ 西 欧 的 な 感 性 と 日 本 的 な 感 性 と の 交 錯 が み ら れ る の だ が ︑﹁ パ ン の 会 ﹂ で の 活 動 当 時 の 杢 太 郎 は ︑ 新 旧 混 然 一 体 と な っ た 都 市 風 景 を ︑﹁ 不 可 思 議 国 ﹂ と 名付 け ︑﹁ エキゾチスムの 一分子 ﹂ として 詩作 の 対象 としてい た
КУ︒ しかし ︑﹁ 河岸 の 夜 ﹂ においては ︑ 右記 のような 都市 に 流 れる 日本的 な 音 は ︑ エキゾティシズムを 感 じさせるものとしてのみ 機能 しているのではない ︒
美術家 の 青年 が 一人帰路 についた 後 ︑ 詩人 と ﹁ ファナチックな 文学好 き ﹂ の 青年 は 江戸橋 の 上 に 佇 む ︒ 青年 たちは 下町 の 風 情 に 次 のように 心 を 寄 せていく ︒
またそこここに 鍋焼饂飩 ︑ 炊 りたての 豆屋 の 声 がする ︒ さう 云 ふ 物声 を 聞 きながら ︑ 静 かに 桟橋 の 上 に 蹲踞 して 水 の 面 を 見 てゐると ︑ 少年時 に 見 た 芝居 の 印象 ︑ またその 時 の 情調 などが 切 れぎれに 思 ひ 出 されてくる ︒ 向 う 河岸 の 白壁 と 柳 ︑ 黄 ろい 燈 の 二階 の 窓 ︑ それから 上手 へ 渡 した 橋 の 欄干 ︑ また 按摩 の 笛 ︑ 座頭 の 小僧 ︑ 鍋焼饂飩 に 鳶 の 者 ︑ チヨボの 浄瑠璃 と 時花唄 │ そんな 寂 しい 幕 のあとには 屹度賑 かな 楽屋 の 囃 に ︑ ずらりと 燈 のついた 曲輪 の 景色 が 続 く ⁝⁝⁝ と ︑ 一々詳 し くは 覚 えてゐないが ︑ 兎 に 角 かういふ 情趣 の 戯曲乃至其他 の 芸術 は ︑ 確 かにこの 都会 の 昔 の 文明 が 生 んだ 一種 の ﹁ 真 ﹂ に は 相違 ない
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この 場面 は ﹁ 二人 ﹂ という 主体 で 始 まっており ︑ 少年時 に 見 た 芝居 の 印象 を 思 い 出 しているのが 二人 の 内 のいずれなのか ︑ あるいは ︑﹁ この 都会 の 昔 の 文明 が 生 んだ 一種 の ﹁ 真 ﹂﹂ としての 芸術 を 確信 している 主体 がどちらの 青年 であるのかは 判然 と しない ︒ むしろ 語 り 手 と 二人 の 青年 の 感慨 が 一体 となって ︑ 過去 から 受 け 継 がれた ﹁ 文明 ﹂ を 自身 の 内 に 実感 している 場面 と いえるだろう ︒ 続 く 場面 で 詩人 の 青年 は ︑ 徳川 の 芸術 にみられるような ﹁ 情調 ﹂ が ︑ 彼 らの ﹁ 心 の 中 に 隠 れて 居 る ﹂ こと ︑ そ し て ︑﹁ 感 情 は 保 守 的 の も の ﹂ で あ る と し て ︑ 自 己 の 内 部 に 存 在 す る 本 質 的 な 部 分 に 言 及 す る ︒ 近 代 都 市 の 風 景 を 一 種 遊 戯 的 に ﹁ ヰスラアと 広重 との 交 錯 ﹂ と 名 づけてみても ︑ ここに 至 って ﹁ 保守的 ﹂ な 感情 そのものが 優位 になっているのである ︒
日本 の 近代化 はそれまで 培 われてきた 歴史 との 深 い 断絶 を 強 いたが ︑ 外部 における 分断 とは 無関係 に ︑ 耳 という 器官 には ﹁ 通 時的 に 連続 している 性質 ﹂ があるとしたのは 樋口覚氏 である ︒ さらに 氏 は ﹁ 江戸三百年 より 直接 している 近代日本人 の 耳 が ︑ 楽 音 と し て 最 も 敏 感 に 反 応 し た 一 つ が 三 絃 で あ っ た ﹂ と 述 べ て い る が
КФ︑﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ に お い て も ︑ 自 身 の な か に ﹁ 通 時 的 に 連 続 している ﹂ もの ︑ つまり ﹁ 遺伝 ﹂ を 実感 として 感 じさせるものとして 耳 という 器官 が 機能 しているということができるので ある ︒ 特 に ﹁ 六月 の 夜 ﹂ の 主人公 は ︑ 第二章 で 述 べたように ︑ 国家観 を 喪失 し ︑ 依拠 すべき 共同体 をも 求 めず 個人主義 を 標榜 し て い た の で あ り ︑﹁ 遺 伝 ﹂ と い う ︑ 通 時 的 な 歴 史 性 と ︑ そ し て そ れ が 必 然 的 に 民 族 共 同 体 の 共 通 の 感 性 に 通 じ る 他 な い 感 覚 を 実感 するに 至 っているのは ︑ 大 きな 転換点 として 注目 すべきだろう ︒
永井荷風 の 例 にみたように ︑ 日本的 な 音 を 媒介 として 自身 の 内 に ﹁ 遺伝 ﹂ を 自覚 するというモティーフには 同時代性 がみら れるのだ が
КХ︑ 大塚英志氏 は ︑ 近代的 な 知 の 領域 としてのそれには ︑ スペンサー 哲学 の 影響 が 大 きく 及 んでいるとして ︑ 夏目漱 石 とラフカディオ ・ ハーンの 二人 の 作品 を 軸 に ﹁ 遺伝 ﹂ という 概念 について 論 じてい る
КЦ︒ ハーンは ︑﹁ スペンサー 哲学 の 援用 ﹂ として ︑﹁ ﹁ 組織化 された 記憶 ﹂ が ﹁ 本能 ﹂ として ﹁ 遺伝 ﹂ する ﹂ と 考 え た
КЧ︒
例 え ば ︑ ハーンに ︑﹁ 医者 ﹂ と ﹁ 寄宿人 ﹂︑ ﹁ 旅人 ﹂ の 三人 の 会話 を 中心 とした ﹁ 遺伝的記憶 ﹂ という 短篇 があ る
КШ︒ この 中 で ﹁ 医 者 ﹂ は ︑﹁ 始 め て 何 か 或 る 新 し い も の を 見 た り 聞 い た り し た 場 合 ﹂︑ ﹁ 心 中 に 於 け る 奇 異 な る 反 響 の た め ﹂ に ﹁ 驚 愕 を 感 ず る ﹂
四九木下杢太郎
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唐草表紙﹄
論と 言 う ︒ この ﹁ 反響 ﹂ がすなわち ﹁ 遺伝 ﹂ に 他 ならないのである ︒
私共 はその 新 しいものを ︑ これまで 見 たことも ︑ 聞 いたこともないといふことを 確実 に 知 つてゐながらも ︑ いつか 限 りな く 隔絶 せる 時期 に 於 て 見 たり ︑ 聞 いたりしたやうに 思 はれるのです
こ こ に 述 べ ら れ た ﹁ 医 者 ﹂ の 説 明 は ︑ 先 に 挙 げ た 荷 風 の ﹁ 楽 器 ﹂ の 一 節 に 非 常 に 近 し い ︒ ま た ハ ー ン が ︑﹁ 遺 伝 ﹂ と 称 す る 他 ない 実感 を ﹁ 驚愕 ﹂ といい ︑ 荷風 もまた ﹁ 人間 の 霊性 の 驚 き
КЩ﹂ としているところにも ︑ 両者 の 実感 の 強度 の 強 さが 感 じられ るのである ︒ 山下重一氏 は ︑ ハーンがスペンサー 哲学 の ﹁ 強烈 な 洗礼 ﹂ を 受 けていたことに 言及 し ︑ ハーンの 東大 での 講義 で ある ﹁ ヴィクトリア 時代 の 哲学 ︵ Victorian Philosophy ︶ ﹂ を 取 り 上 げている が
КЪ︑ この 中 でハーンは ︑ スペンサーを 援用 して ﹁ 遺 伝 と い う 光 ﹂ こ そ が ︑ 人 間 の ﹁ 感 覚 と 思 想 と の 謎 ﹂ を 解 く 鍵 で あ る と い う こ と に 言 及 し て い る ︒ ま た ︑﹁ 本 能 と 直 感 と は ︑ そ の 個 人 の も の で は な く て ︑ 過 去 幾 生 涯 の 相 伝 ﹂ で あ り ︑﹁ 本 能 ﹂ は 過 去 か ら の ﹁ 複 合 的 記 憶 ﹂ で あ る と ス ペ ン サ ー は み な し て い た ︑ と い う こ と に も 触 れ ら れ て い る が ︑﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ に 繰 り 返 さ れ る ﹁ 遺 伝 ﹂ の 実 感 も そ れ が 音 と い う 感 覚 を 通 じ て 直 接 に 実感 されている 点 で ︑ 他 ならぬ ﹁ 本能 と 直感 ﹂ の 力 であると 言 い 換 えることができるだろう ︒ 心中 に 潜 む ﹁ 本能 と 直感 ﹂ を ︑ ハ ー ン は ス ペ ン サ ー を 援 用 し て ﹁ 過 去 幾 生 涯 の 相 伝 ﹂︑ ﹁ 複 合 的 記 憶 ﹂ で あ る と 述 べ て い る が ︑ 杢 太 郎 に お い て は ︑﹁ 遺 伝 ﹂ と いう 概念 の 中 に 彼 が 傾倒 したヴント 心理学 からの 影響 がみられるのである ︒
四 ヴントの 民族心理学 と 木下杢太郎
東京帝大卒業後 の 進路 に 悩 む 杢太郎 にとって ︑ ヴントの 心理学 は 進路 を 左右 するほどに 大 きな 影響 を 及 ぼした ︒ 医師 として 進 む 道 に 悩 む 杢太郎 は 森鷗外 のもとにその 意見 を 聞 きに 行 く ︒
五〇
実験生理 の 本 などよりもヴントのグルンドリスなどの 方 に 興味 を 引 かれたことを 覚 えてゐる ︒ それで 生理学 より 精神病学 が 好 いと 思 った ︒ 森先生 はこの 方 にはあまり 同情 を 示 してくれなかっ た
КЫこうして 鷗外 の 反対 にあった 杢太郎 は 精神病学 の 道 を 断念 し 皮膚科 へと 進 むのだが ︑ 南満医学堂教授兼皮膚科部長 として 奉 天 に 赴 い て か ら も ︑ 故 郷 へ の 手 紙 に ヴ ン ト の ﹁ グ ル ン ド リ ス ﹂ の 新 訳 を 送 る よ う に と 書 き 送 っ て い る
КЬ︒﹁ グ ル ン ド リ ス ﹂ は ︑ ヴ ン ト の 著 書 で ︑ 原 題 を ︵ 一 八 九 六 ︶ と い い ︑ 我 が 国 で は ︑ 杢 太 郎 も 東 京 帝 大 で そ の 講 義 を 受 講 した 元良勇次郎 が ︑ 中島泰蔵 との 共訳 で ﹃ ヴント 氏心理学概論 ﹄ として ︑ 上 ・ 中 ・ 下巻 を 刊行 してい る
ЛУ︒
学問 の 一分野 としての 近代心理学 の 誕生 は ︑ ウィルヘルム ・ ヴント ︵ Wilhelm Max Wundt 一八三二 〜 一九二
〇︶ が ︑ ライ プツィヒに 実験室 を 開設 した 一八七九年 に 始 まるとされている ︒ ヴント 心理学 の 体系 の 中 で ︑ 個人 の 直接経験 ︑ 比較的簡単 な 意識作用 を 取 り 扱 うものは 個人心理学 と 呼 ば れるのだが ︑ ヴントは 次第 に ︑ 実験室 において 実験 が 可能 な 個人 の 意識 の 及 ば な い 範囲 ︑ 彼 の 言葉 を 借 りれ ば ﹁ 個人意識 だけで 説明 できない 精神所産 に 関 してい る
ЛФ﹂ 意識 の 存在 に 気付 くのである ︒ 彼 は ︑ そ ういった 意識 を 取 り 扱 う 心理学 の 分野 として ﹁ 民族心理学 ﹂ という 概念 を 取 り 入 れた ︒ ヴントの 定義 する ﹁ 民族心理 ﹂ は ﹁ 言 語 ︑ 神話的表象及 ビ 習慣 ノ 如 キ 歴史的 ニ 発生 シタル 精神上 ノ 結果
000000000000000﹂︵ 傍点引用者 ︶ であると 述 べられている ︒ 従 って ︑﹁ 民族心 理 ﹂ は ︑﹁ 多 クノ 個人 ヨリナル 精神的団体 ﹂︑ なかでも ﹁ 特 ニ 民族上 ノ 団体 ニ 基 ク
ЛХ﹂ ものであるとされる ︒ ヴントの 心理学 にお ける ﹁ 民族心理学 ﹂ の 分野 を 重要視 しているマイケル ・ コールは ︑ この 分野 において ﹁ 先行 した 人間 の 活動 の 文化的産物 を 含 め る こ と
ЛЦ﹂ の 重 要 さ を ヴ ン ト が 主 張 し て い た と い う こ と ︑ さ ら に ︑﹁ 個 々 の 人 間 の 心 的 過 程 は ︑ 私 た ち が 直 接 接 近 で き な い 共 同体 の 先行 した 歴史 によって 条件 づけられていること ﹂ を 指摘 したのもヴントが 嚆矢 であるとして ︑ その 業績 を 認 めてい る
ЛЧ︒
ニーチェ 的 な 超人志向 をもつ ﹁ 六月 の 夜 ﹂ の 主人公 である ﹁ 彼 ﹂ が ︑ 耳 にした 太棹 の 音 に ﹁ 遺伝 ﹂ という 実感 を 抱 いたこと ︑ あ る い は ﹁ 河 岸 の 夜 ﹂ の 青 年 が ︑ 江 戸 芸 術 に 対 し て ﹁ 感 情 ﹂ の レ ベ ル に お い て ﹁ こ の 都 会 の 文 明 が 生 ん だ 一 種 の ﹁ 真 ﹂﹂ を 感 じた 姿 には ︑ 杢太郎 におけるヴントの ﹁ 民族心理 ﹂ 概念 への 共感 がみられる ︒ いずれの 青年 たちも ︑ 後天的 に 身 につけたもの
五一木下杢太郎
﹃
唐草表紙﹄
論とは 全 く 別 の 次元 に 属 するといえる ﹁ 歴史的 ニ ﹂ 自身 に 影響 を 及 ぼしている 民族 の 精神 なるものを ︑ 近代化 に 侵 されない 領域 ︑ つまり 聴覚 を 契機 として 自身 の 内部 に 実感 しているのであり ︑ そして ︑ その 実感 そのものを ﹁ 遺伝 ﹂ という 言葉 で 捉 えている のである ︒ これは ︑ 実感 された ﹁ 直接接近 できない 共同体 の 先行 した 歴史 ﹂ 体験 そのものであるということができ ︑ それが 感 覚 レベルで 自覚 されている 点 に 特徴 がある ︒
例 え ば 杢太郎 は ︑﹁ 芸術 と 国民性 ﹂︵ 大正二年一
〇月 ﹁ 新日本 ﹂ ︶ の 中 で 次 のように 述 べる ︒ 一国 の 国民性 とは 其国民 の 意志的生活 ︵ 習俗 ︶ の 総和的概念 である ︒ 直接間接 に 是 が 條件 となるものは 国土 ︑ 気候 ︑ 人種 ︑ 体格 ︑ 言語 ︑ 歴史等 である ︒ 是等 の 外 に 顕 はれたものは 其文化 である ︒ 故 に 吾人 は ︑ 国 の 政治 ︑ 宗教 ︑ 法律 ︑ 文芸等 から 其国 の 国民性 と 云 ふやうなものを 抽象 することが 出来 る
ЛШ国 の 文 化 的 側 面 か ら ﹁ 国 民 性 ﹂︑ 言 い 換 え れ ば 民 族 の 精 神 を 図 ろ う と す る こ う し た 発 言 は ︑ ヴ ン ト の 捉 え た ﹁ 民 族 心 理 ﹂ と 重 なり 合 うものである ︒ さらに 杢太郎 は ︑ この 国民性 は ﹁ 常 に 変転 するカメレオンの 皮 の 如 き 本態 ﹂ ではないとし ︑ 民族精神 の 本質的 な 在 り 方 を 論 じているが ︑ ここにも ﹁ 民族心理 ﹂ を ﹁ 固定的 ﹂ な ﹁ 精神的対 象
ЛЩ﹂ であるとしたヴントからの 影響 が 及 んでいると 考 えることができる ︒
さらに 杢太郎 は ︑﹁ 国民性 ﹂ を ﹁ 横 ﹂ と ﹁ 縦 ﹂ の 座標軸 から 捉 えるといった 見方 を 示 している ︒﹁ 一国古今 の 習俗 の 諸相 から 抽 象 し 来 つ た 有 機 体 的 単 位 ﹂ と さ れ る 縦 軸 に は ︑ 通 時 性 が 含 ま れ て い る ︒﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ に 繰 り 返 さ れ る ﹁ 遺 伝 ﹂ と い う モ テ ィ ーフは ︑ その 国 の 民族 としての 個人 の 中 に 受 け 継 がれた 歴史 を 感 じさせるものとして 表 れているという 点 で ︑ この 縦軸 に 含 ま れ る と い う こ と が で き る ︒ そ し て ﹁ 横 軸 ﹂ は ︑﹁ 一 国 の 習 俗 等 の 総 和 的 概 念 ﹂ と さ れ て い る ︒ こ こ で は ︑ 時 を 同 じ く し て 共 同 体 の 成員 となっている 者 に 共通 の 概念 が ﹁ 国民性 ﹂ を 形成 するものとして 指摘 されている ︒ 一時代 を 表 す 共時的 な 国民 の ﹁ 総 和的概念 ﹂ は ︑ ヴント 心理学 では ﹁ 集全意識 ﹂ あるいは ﹁ 集全意志 ﹂ とされ ︑ 個人 に 意識 があるのと 同様 ︑ その 存在 が 認 めら
五二
れてい る
ЛЪ︒ 外的 な 共同体 にあえて 背 を 向 けて 個人主義的 に 生 きている 青年 たちが ︑ 太棹 の 響 などを 契機 として ︑ 民族 に 共通 の 感情 を 自 覚 するという 大 きな 転換点 についてはすでに 指摘 した ︒ この ﹁ 遺伝 ﹂ という 自覚 は ︑ 青年 たちにどのような 影響 を 及 ぼすのだ ろうか ︒
丸 山 真 男 氏 は ︑ 近 代 日 本 の 形 成 期 に お け る 一 九
〇〇年 か ら 一 九 一
〇年 代 頃 を ﹁ 維 新 に つ ぐ 第 二 の 転 機
ЛЫ﹂ で あ る と 定 義 し た ︒ そ し て ︑ こ の 転 換 期 に お い て ︑ そ れ ま で ﹁﹁ 伝 統 的 ﹂ 社 会 ﹂ の 内 部 に い た 個 人 が ﹁ 近 代 化 の イ ン パ ク ト ﹂ を 受 け る こ と で ﹁ 共 同体 の 紐帯 から ﹁ 解放 ﹂﹂ されていく 様 を ︑ 四 つの 個人析出 ︵ Individuation ︶ のパターンに 分類 し た
ЛЬ︒
丸山氏 によれ ば ︑ この 四 つの 個人析出 の 中 でも ︑ 日露戦争前後 の 日本 において 最 も 顕著 にみられるのが ﹁ 私化 ﹂︵ privatization ︶ と ﹁ 原子化 ﹂︵ atomization ︶ のタイプということになる ︒﹁ 私化 した 個人 ﹂ は ﹁ 公共 の 目的 よりは 私的欲求 の 充足 を 志向 ﹂ し ︑ 社会制度 の 抑圧 に 自覚的 で ﹁ 隠退性向 ﹂ をもつ ︒ また ︑﹁ 原子化 した 個人 ﹂ は ︑﹁ 社会的 な 根無 し 草状態 の 現実 もしくはその 幻 影 ﹂ に 苦悩 し ︑ 近代化 による ﹁ 生活環境 の 急激 な 変化 が 惹 き 起 こした 孤独 ・ 不安 ・ 恐怖 ・ 挫折 の 感情 ﹂ を 有 している ︒ 彼 らは 公共 の 問題 には 無関心 だが ︑ 孤独 や 不安感 からの 逃避 の 手段 として ︑ 時 に 熱狂的 な 態度 で 政治参加 をする 場合 がある ︑ と 氏 は 説明 してい る
МУ︒
こ う し て み て く る と ︑ こ れ ま で 確 認 し て き た ﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ に お け る 青 年 の タ イ プ も ︑ 丸 山 の 定 義 に よ る ﹁ 私 化 ﹂︑ ﹁ 原 子 化 ﹂ の 個 人 析 出 の パ タ ー ン に 当 て は め る こ と が で き る ︒ し か し ︑﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ に 描 か れ た 青 年 た ち は ︑ 丸 山 氏 の 定 義 す る ﹁ 原 子 化 し た 個 人 ﹂ た ち の よ う に ︑ 孤 独 感 を 緩 和 す る 手 段 と し て 外 的 な 政 治 に 熱 狂 的 に 参 加 し て い く こ と は な い ︒﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ に 特 徴 的 なのは ︑ 社会 から 背 を 向 け 内観的 な 性質 を 持 つ 青年 たちが ︑ そこからの 脱出 ︑ あるいは 孤独感 の 緩和 の 手段 として 外 なる 国 家 ︑ 共同体 に 帰属 するのではなく ︑ 日本的 なる 音 を 契機 として 自覚 される ﹁ 遺伝 ﹂ 的感情 を 契機 として ︑ 自身 の 内 なる 国家 ︑ 共同体 に 帰属 していこうとする 志向性 であるということができるだろう ︒
日本 の 近代化 が 断絶 したかにみえた 前近代的 なるものが ︑ 自身 の 内 に ﹁ 遺伝 ﹂ 的感情 を 契機 として 明確 に 自覚 され ︑ 歴史 は
五三木下杢太郎
﹃
唐草表紙﹄
論自身 の 内 に 存在 しているということの 気 づきが 青年 たちにはあった ︒ 外的 な 近代国家 のありようとはまさに 対照的 なこの 自覚 の 中 に ︑ ヴントの 定義 する ﹁ 集全意識 ﹂ という 概念 を 取 り 入 れれ ば ︑ この 自覚 は 決 して 個人的 なものではなく ︑ 同時代 の 成員 に 共有 されるものであるということができる ︒ こういった 非国家的共同性 が ︑ 青年 における 近代日本 に 対 する 諦念 や 挫折感 と いう 複雑 な 感情 を 緩和 する 可能性 たり 得 るという 発見 が ︑ 杢太郎 がヴントの ﹁ 民族心理 ﹂ 概念 から 得 た 収穫 であったというこ とができるのではないだろうか ︒
では 次 に ︑ 以上 のように 横軸 と 縦軸 を 併 せ 持 つ 民族 の 集合的 な 意識 が 小説集 ﹃ 唐草表紙 ﹄ において ︑ どのように 表現 されて いるかを 確認 していきたい ︒
五 労働者階級 への 憧憬 と 幼少年期 への 追憶
平岡敏夫氏 は ︑ 日露戦争後 の 我 が 国 における 行 き 場 を 失 った 国民精神 の 混乱 は ︑ 明治三八年一
〇月 の ﹁ 平和克復 ノ 詔勅 ﹂ 及 び 明治四一年一
〇月 の ﹁ 戊申詔書 ﹂ においても 統一 されることはなかったとし ︑﹁ 国民意識 の 再統一 は ︑ 戦争 によらぬかぎり ︑ 国家権力 をもってしても 至難 のこと ﹂ であったと 述 べ た
МФ︒ また 平岡氏 は ︑﹁ 統一的 な 国民意識 ﹂ や ︑﹁ 仲間同士 の 連帯 ﹂ が 崩壊 した 日露戦争後 において ︑ 国木田独歩 ﹁ 窮死 ﹂︵ 明治四
〇年六月 ﹁ 文芸倶楽部 ﹂ ︶ には ︑﹁ 下層労働者仲間 の 連帯意識 を 通 して ﹂︑ ﹁ 一体的 な 国民意識 ﹂ の ﹁ 現実化 ﹂ が 図 られているとも 指摘 し た
МХ︒ 氏 は ︑﹁ 号外 ﹂︵ 明治三九年八月 ﹁ 新古文林 ﹂ ︶ に 記 された ﹁ 戦 争 で は な く ︑ 外 に 何 か ︑ 戦 争 の 時 の や う な 心 持 に 万 人 が な つ て 暮 す 方 法 へ の 希 求 ﹂ は ︑﹁ 明 治 の 国 民 に ひ そ む 根 源 的 な 願 望 ﹂ でもあるとしたが ︑ 木下杢太郎 もその 類 に 洩 れなかったということができる ︒﹁ 海郷風物記 ﹂︵ 明治四四年五月 〜 六月 ﹁ 三田文 学 ﹂ ︶ で ︑ 久 々 に 故 郷 の 祭 り を 目 に し た 杢 太 郎 は ︑ 祭 り の あ り よ う に ﹁ 神 秘 ﹂ を 感 じ る ︒ こ れ に 対 し て ︑ 同 じ く 偶 然 に 見 か け た 小学校 での 在郷軍人 による 消防隊 の 訓練 の 様子 は 祭 りにあったような ﹁ 信仰 ﹂ や ﹁ 献身 ﹂ といった 感情 を 失 わせるものとして 映 る ︒ 杢 太 郎 に は ︑﹁ 軍 国 主 義 の 外 に 衆 生 の 心 を 統 一 せ し む る に 足 る 巨 大 な る 磁 石 は ど こ に 求 め ら れ る だ ら う か
МЦ﹂ と い う 大 き な 疑問 が 生 まれるのである ︒
五四
そ し て ︑﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ に あ っ て は ︑ 独 歩 と 同 様 に 労 働 者 階 級 の 中 に お い て そ の 疑 問 に 対 す る 解 答 の 一 つ が 求 め ら れ て い く の である ︒ しかし ︑ 杢太郎 の 作品 にあっては ︑ 知識人 が 下層労働者 の 団体 の 中 に 入 っていくという 設定 がなされており ︑ 出生以 来 その 日暮 らしを 続 ける ﹁ 文公 ﹂ と 下層労働者 たちとの 間 の 連帯意識 が 描 かれた 独歩 の ﹁ 窮死 ﹂ とは ︑ 大 きくその 意味 を 異 に し て い る の で あ る ︒﹃ 唐 草 表 紙 ﹄ に お け る 知 識 階 級 に 属 す る 青 年 た ち は ︑ 一 様 に 労 働 者 階 級 に 属 す る 者 た ち に 羨 望 の ま な ざ し を 向 けている ︒﹁ 六月 の 夜 ﹂ には 次 のような 一節 がある ︒
﹁ 僕 は ど う し て あ の 階 級 が 好 き だ ら う ︒ そ り や 無 教 育 で 話 や 何 か は 野 卑 に や あ 相 違 な い が │ 併 し 奴 等 は 偽 ら な い か ら な ︒ 少 くとも 感情 だけは 偽 らないからな ︒﹂
彼 の 男 は 己 れに 何 が 欠 けて 居 るかと 云 ふ 事 を 知 つて 居 る ︒ 必 しもそれは 知識 でも 意志 でも 無 かつた ︒ 意志 よりも 寧 ろ 率 直 なる 感情 の 表白 であつた ︒ 故 に 彼 は 比較的単純 なる 心理作用 を 有 する 人々 に ︑ また 労働者 の 階級 に ︑ 己 れに 欠 けたもの を 見 るとき ︑ 尤 も 羨 ましく 感 じたのである ︒
大学 の 制服姿 で 昼日中 から 小網町 の 労働者 の 群 の 中 に 佇 む 青年 である ﹁ 荒布橋 ﹂ の ﹁ 予 ﹂ もまた ︑﹁ 順俗 に 囚 はれても 居 ない ﹂ 存 在 と し て 労 働 者 た ち の 生 き 方 や ︑ 心 の 在 り よ う に 憧 憬 の 念 を 抱 く ︒ 自 ら の 感 情 を 常 に 抑 圧 し た 状 態 ︑ つ ま り ︑ 心 を ﹁ 武 装 ﹂ し た 状 態 で い る 大 学 生 の ﹁ 予 ﹂ に と っ て ︑ 小 網 町 こ そ は ﹁ 縦 恣 な る 境 地 ﹂ で あ る の で あ る ︒﹁ 武 装 ﹂ し た 心 の 状 態 に い る 知 識 人 が ︑ 虚偽 のない 感情 を 有 する 労働者階級 に ︑ 自身 には 無 い 自由 な 境地 を 見出 し ︑ 現実世界 の 理想的 な 共同体 のあり 方 を 求 め ていくのである ︒
しかし ︑ 知識人 の 青年 が 労働者 たちの 群 に 混 じり ︑ 真 の 心 の 交流 を 図 ろうとすることには ︑ その 構図自体 に 根本的 なひずみ があり ︑ 結局 ﹁ 衆生 の 心 を 統一 ﹂ する ﹁ 磁石 ﹂ とはなり 得 ない ︒
﹁ 荒 布 橋 ﹂ の ﹁ 予 ﹂ は ︑ 一 人 の ﹁ 老 爺 ﹂ を 誘 い 酒 の 席 を 共 に す る ︒ 彼 は ︑ 労 働 者 た ち と ﹁ 赤 裸 々 た る 男 ﹂ と し て ﹁ 交 流 ﹂ し
五五木下杢太郎
﹃
唐草表紙﹄
論た い と 望 む の だ が ︑ 二 人 の 間 に は ︑﹁ 話 す 可 き 話 の 種 ﹂ が 無 い ︒ 両 者 の 生 活 状 態 の 差 を み て も 明 ら か な よ う に ︑ こ う し た 事 態 は 当然 ともいえるが ︑﹁ 予 ﹂ が 味 わう 深刻 な 断絶感 は ︑ 共通 の 話題 がないという 以上 に 深刻 な 形 となって 表 れる ︒ 酒 の 席 で ﹁ 老 爺 ﹂ が 歌 う 浪花節 に ﹁ なつかしくも 優 しい 心意気 ﹂ を 感 じた ﹁ 予 ﹂ は ︑ 自身 も ﹁ 物具 を 脱 がう ︒ 急所 をも 人 に 示 さう ﹂ とし ︑ 日頃 の ﹁ 武装 ﹂ を 解 き ︑ 自身 の 情緒 を 露 わにしようという 気 になる ︒ 理知的 な 青年 の 心 の 綻 びに ︑ 感傷的 な 部分 が 覗 く 印象的 な 場面 である ︒﹁ 予 ﹂ は ︑﹁ 私 かに 心中唄 ふ 可 き 歌 ﹂ を 探 すのだが ︑ 浪花節 や 義太夫 の 節 が 生活 の 一部 となっている 労働者 たち とは 違 って ︑ 自身 が ﹁ 無関心 で 聞 いた 義太夫 の 切々 と 活動写真 の 楽隊 のクラリネツトより 外 ﹂ に ︑ 内面 から 感情 と 一体 となっ て 湧 き 出 るメロディの 何 も 持 っていないことに 気付 かされる ︒ 彼 の 中 には ︑ 老人 の 歌 う 浪花節 の ﹁ 曲 節 ﹂ に 刺戟 される ﹁ 一種 の 哀感 ﹂ はあっても ︑﹁ 心 ゆく ば かりな 幻覚 も ︑ また 思 ひ 出 も ︑ 一 つとして 之 に 伴 ふものは 無 い ﹂ のであり ︑﹁ 壮 んなる 饗宴 の 半 ば に 於 て ︑ 服 り な き 寂 寥 を 感 じ ﹂ る ︒ 伝 統 的 に 労 働 者 の 生 活 の 中 に 根 ざ し て い る 音 曲 の メ ロ デ ィ は ︑﹁ 予 ﹂ の 中 の ﹁ 日 本 人 共 通 の 感 情 ﹂︵ ﹁ 船 室 ﹂ ︶ と い っ た よ う な も の を 喚 起 し ︑﹁ な つ か し さ ﹂ と い う 感 情 を 呼 び 起 こ す ︒ こ こ に は ︑ 通 時 的 な 民 族 心 理 のほのかな 自覚 があるのだが ︑ しかし 一方 で 共時的 な 連帯感 からは 完全 に 隔絶 された 青年 の 姿 がある ︒ 内的 な 世界 での 実感 とは 異 なり ︑ 現実 の 中 では ︑︿ 文化的共同体 ﹀ の 中 からはじき 出 されてしまう 己 を 発見 するのである ︒
﹁ 老爺 ﹂ と 二人居酒屋 を 後 にし ︑ 荒布橋袂 に 倒 れ 込 んだ ﹁ 予 ﹂ は ︑﹁ 老爺 ﹂ の ﹁ 古 き 酒 の 香 と ︑ 今一種何 ともしれぬなつかし き 臭 ﹂ に ︑﹁ あ ま え る や う な 心 ﹂ と な る ︒ し か し ﹁ 老 爺 ﹂ か ら 優 し さ を み せ ら れ た そ の 刹 那 ︑ 酔 い か ら 覚 め た ﹁ 予 ﹂ は ︑ 一 瞬 で も 甘 え た 心 を 抱 い た 自 分 を 誡 め る ︒ あ ろ う こ と か ﹁ 予 ﹂ は ︑﹁ 老 爺 ﹂ の 頬 を 殴 り ︑﹁ 絆 さ れ る な ︑ 常 に 戦 闘 だ ︒﹂ と 叫 ん で ︑ 再 び 元 い た 世 界 へ と 帰 っ て い く の で あ る ︒﹁ 荒 布 橋 ﹂ の ﹁ 予 ﹂ は ︑ 結 局 自 ら 進 ん で ﹁ 武 装 的 平 和 ﹂ の 状 態 へ と 立 ち 返 る の で あ るが ︑ これとは 別 の 形 で ﹃ 唐草表紙 ﹄ には ︑ 他 にも 他人 との 連帯感 の 成 り 難 さが 表 されている ︒
﹁ 六月 の 夜 ﹂ で ︑﹁ 彼 ﹂ と 共 に 夜 の 河岸 を 歩 く 女 は ︑﹁ La femme sans musique ﹂︑ つまり ﹁ 音楽 のない 女 ﹂ と 称 される ︒﹁ 彼 ﹂ が ︑ 音 楽 を 自 分 の ﹁ 急 所 ﹂ と 感 じ ︑﹁ 精 神 統 一 ﹂ に 動 揺 を 来 す も の と し て 捉 え て い る 点 か ら み る と ︑ こ の ﹁ 音 楽 の な い 女 ﹂ の 設定 は 象徴的 であ る
МЧ︒ この ﹁ 女 ﹂ は ﹁ 彼 ﹂ にとっては ﹁ 殆 ど 零 の 価 ﹂ しか 持 たず ︑ 芸術的感興 を 誘起 するような 存在 ではない ︒
五六
ただ ︑ この ﹁ 女 ﹂ との ﹁ 冷静 な 交際 ﹂ によって ﹁ 女 といふものに 対 する 弱 い 感 傷的 な 本性 ﹂ を ︑ 周囲 の 目 から 逸 らすことにの み ﹁ 彼 ﹂ は こ の ﹁ 女 ﹂ を 利 用 し て い る の で あ る ︒﹁ 彼 ﹂ は ︑﹁ こ の 女 の 心 の 世 界 と 自 分 の 心 の 世 界 ﹂ が ︑﹁ 唯 金 米 糖 を 二 つ 並 べ た 接 面 位 ﹂ し か 交 流 し 得 な い こ と を 自 覚 し ︑ そ し て ︑﹁ 一 体 ︑ 人 間 が 自 分 以 外 の 人 間 と ︑ 果 し て ど れ 丈 深 く 相 関 係 し う る か ﹂ と 自問自答 している ︒
こうした 作品 にみられる 根源的 に 孤独感 を 抱 える 青年 の 姿 は ︑ 正宗白鳥 の ﹁ 何処 へ ﹂︵ 明治四一年一月 〜 四月 ﹁ 早稲田文学 ﹂ ︶ の 菅沼健次 の 孤独感 と 通 ずる ︒ 健次 は ︑ 人間 は 究極的 に 一人 であり ︑ 他人 との 間 には 決 して 越 えることのできない ﹁ 深 い 溝渠 ﹂ が 大 きく 口 を 開 けている ︑ という 認識 を 持 っていた ︒ 両者 には ︑ 共時的 な 民族意識 の 総和 といったものに 依拠 できない 青年 の 深 い 孤独感 が 表 れているということもできる ︒
さ て ﹁ 六 月 の 夜 ﹂ の 小 説 末 尾 に は ︑ 唐 突 と も 思 え る 火 事 の 場 面 が 描 か れ て い る ︒ 突 然 の 火 の 手 に ︑﹁ 彼 ﹂ と ﹁ 女 ﹂ が い た 西 洋料理店 の 人々 は ︑ 知人 の 安全 を 気遣 い 慌 ただしく 動 き 出 す ︒ 一方 ﹁ 彼 ﹂ は ︑ 西洋料理店 の 窓 からこの 火事 の 騒動 を ﹁ 非常 に 真面目 な 心持 になつて ︑ 堅 く 女 の 肩 に 手 をかけて ﹂ 見守 る ︒ 火事 という ︑ 人々 の 意識 を 一点 に 集中 させずにはおかない 突発的 な 出 来 事 を 前 に し て ︑ 女 と の ︑ そ し て 見 知 ら ぬ 人 々 と の 不 意 の 連 帯 感 の よ う な も の が 示 さ れ る が ︑ 結 局 騒 動 が 止 む と ︑﹁ 何 か にかつがれた 後 のやうな 馬鹿々々 しい 心持 ﹂ が ﹁ 彼 ﹂ を 襲 う ︒ こうして ﹁ 彼 ﹂ は 覚 めた 意識 を 持 ち 続 けていき ︑ 火事 という 突 然 の 騒 動 に 湧 き 起 こ っ た 群 衆 と の 一 体 感 の よ う な も の か ら さ え も ︑ 距 離 を 取 ら ざ る を 得 な い の で あ る ︒ 小 説 の 最 後 ︑﹁ 女 ﹂ と 別 れて 一人 となった ﹁ 彼 ﹂ の 周囲 には 静寂 だけが 漂 う ︒ このラストの 場面 にも ︑ 菅沼健次 と 同 じく ﹁ 何処 へ ﹂ 向 かうのかわか らない 青年 の 行 く 末 が 暗示 されているのかもしれない ︒
このように 青年 を 扱 った ﹃ 唐草表紙 ﹄ 後半部 の 諸作品 には ︑ 労働者階級 とも ︑ さらには 男女 の 関係 とも 同時的 な 連帯感 を 抱 き 得 ない 青年 の 絶望 が 記 されている ︒ しかし ︑ ここで 改 めて 考 えてみたいのは ︑ 青年 の 絶望 とは 対照的 に 作品集前半部 に 収 め られた 幼少年期 への 追憶 というモティーフには ︑ 民族 につながる 通路 の 可能性 のようなものが 示 されているということができ るのではないかということである ︒ 幼少年期 の 心象風景 を 描 いた 作品 には ︑﹁ 色硝子 ﹂︑ ﹁ 土蔵 ﹂︑ 三味線 などに 代表 される 幼少
五七木下杢太郎
﹃
唐草表紙﹄
論期 に 響 いていた 音色 などの 共通 モティーフが 幾 つも 確認 される ︒ ここには ︑ 多分 に 作家本人 の 自伝的 な 要素 の 表 れがあるのだ が ︑ 注目 したいのは ︑ 表現 の 中心 はそれらのモティーフの 羅列 にあるのではなく ︑ むしろそうした 物象 が 少年 の 感性 に 与 える 情緒 そのものに 置 かれているということである ︒ 追憶作品群 の 中 で 回想 される 過去 は ︑ 語 り 手 の 眼前 に 明確 な 像 を 結 ば ない ︒﹁ 珊 瑚 珠 の 根 付 ﹂ で は ︑﹁ そ の 時 分 の こ と を 考 へ る と ︑ そ の 土 地 が 全 く 自 分 の 故 郷 で は な い や う な ︑ い や 寧 ろ 実 際 は な く て ︑ 唯 幻 想 のうち ば かりにある 町 のやうに 思 はれてならぬ ﹂ と 表現 されている ︒ 同様 の 表現 は 他作品 にも 認 められる が
МШ︑ このように 朧 気 かつ 夢 のように 感覚 される 過去 の 中 にあって ︑ 語 り 手 の 少年時 の 情緒 に 強 い 印象 を 残 した 物象 や 経験 そのものをすくい 取 る 試 みが 杢太郎 の 追憶作品群 の 特徴 であるということができ る
МЩ︒
夢 の よ う に 捉 え 難 い ︑ 繊 細 な 少 年 の 情 緒 そ の も の は ︑﹁ 夷 講 の 夜 の こ と で あ つ た ﹂ に お い て は ﹁ 情 操 の 薄 明 に 対 す る 憧 憬 ﹂ と 表現 されている ︒ 高村光太郎 が ︑ 追憶文学 の 中 でも 異彩 を 放 っていると 評価 した ﹃ 思 ひ 出 ﹄ の 増訂新版 の 巻末 ︵ 大正一四年 七 月 ア ル ス ︶ で 北 原 白 秋 は ︑ 自 身 の 童 謡 製 作 は ﹁ 本 質 へ の 還 元 ﹂ で あ る と 述 べ た ︒ 白 秋 は ︑﹁ 肉 身 の 母 以 前 の 母 を 慕 ひ ︑ こ の 世 の 外 の 薄明 にさだかならぬ 追憶 の 所縁 を 持 ち ︑ 未成以前若 くは 未知 の 世界 に 対 する 幼 い 思念 ﹂ が ﹃ 思 ひ 出 ﹄ には 表現 されて いるとした が
МЪ︑ 杢太郎 が ﹁ 情操 の 薄明 ﹂ と 表現 するところのものも ︑ 白秋 と 同様 ︑ 歴史的 なそして 或 いは 同時代的 な 民族意識 への 通路 として ︑ あるいはそういった 通路 が 人間 の ﹁ 本質 への 還元 ﹂ そのものであるとして 杢太郎 に 意識 されていたのではな いだろうか ︒ 夏目漱石 は 序文 で ︑﹃ 唐草表紙 ﹄ には ︑﹁ 歴史的 に 読者 の 過去 を 蕩揺 する ﹂ モティーフが 多 くみられるということ ︑ そして ﹁ 過去 ﹂ は ﹁ 懐 かしい 匂 ひ ﹂ を 持 っているということに 言及 している ︒ つまり ︑ 同時代 の 読者 に ﹁ 懐 かしい ﹂ という 共 感 を 呼 ぶものが 追憶作品群 の 中 には 表 されているのであり ︑ すでに 確認 したように ﹃ 唐草表紙 ﹄ では ︑ 近代化 に 断絶 されるこ とのない ︑ 懐 かしさという 情緒的 ・ 遺伝的領域 にこそ ︑ 個 と 個 をつなぐ 民族意識 が 存在 すると 考 えられていたのである ︒
六 おわりに
杢太郎 は 昭和期 に 入 って ︑﹁ 江戸音曲 の 精神 ﹂ がそれだけ 独立 に 発育 したものではなく ︑﹁ 仏教渡来後 ︑ 或 は 更 にそれより 前
五八
の 時代 に 住 んだわれわれの 祖先 たちの 血 のうちに ﹂ 存在 していたに 違 いないと 記 してい る
МЫ︒ 明治 ︑ 大正 ︑ 昭和 という 時代 を 経 た 杢 太 郎 に ︑ 近 代 ︑ 前 近 代 と い う 対 立 的 な 構 図 を 越 え た 長 大 な 歴 史 観 が あ る こ と が わ か る ︒ こ こ に も 民 族 の な か に ﹁ 血 ﹂︑ つ まり 本能的 な 遺伝 として 受 け 継 がれてきたその 国 の 精神的 な 部分 を 重視 しようとする 姿勢 がある ︒
杢太郎 は 明治末期 には 次 のように 述 べている ︒ 予 の 今努力 してゐるのは 精神文明 の 為 めだとしませう ︒ 所 がたつた 一人 で 作 り 出 す 精神文明 と 云 ふものはありません ︒ 譬 へてかの 蝸牛 が 殻 にはいつてゐるやうな 平穏 な ︑ 四囲 と 没交渉 な 個人主義 なら ︑ それは 夢睡生活 で す
МЬ杢太郎 にあっては ︑ 自国 の 精神文明 を 継続 するために ︑ 共時的 な 横軸 だけでなく 通時的 な 歴史性 もが 見据 えられていたとい うことができる ︒ 明治四三年 からライプツィヒ 大学 のヴントの 下 で 民族心理学 を 学 んだ 桑田芳蔵 は ︑ 民族心理 について ﹁ 個人 心 であると 其 の 身体 と 生滅 を 共 にするのであるが ︑ 民族心 になると 此 の 個体 の 生滅 に 関 せず 連続 を 保 って 行 く
НУ﹂ と 述 べた ︒﹃ 唐 草表紙 ﹄ においても ﹁ 生滅 ﹂ することのない ﹁ 民族心 ﹂ なるものが 個人主義 から 共同体 へ 向 かう 通路 として 示 されているとい うことができる ︒ そしてその 共同体 とはすでに 指摘 したように ︑ 個人 の 内部 に 存在 する ﹁ 遺伝 ﹂ 的感情 を 媒介 とした 内 なる 共 同体 の 形成 につながっていくのである ︒
最後 に ﹃ 唐草表紙 ﹄ という 表題 そのものについて 一言添 えておこう ︒
明治後期 から 昭和初期 にかけての 我 が 国 では ︑﹁ 葡萄唐草文様 ﹂ の 流行 があったらしい が
НФ︑ 唐草文様 は ︑﹁ 曲線 を 反転 させな がら 無限 の 展開 を 図 るという 抽象概 念
НХ﹂ として 象徴的 な 意味 を 帯 びたものであった ︒ また ︑﹁ いのちの 永遠 を 象徴 する 吉祥 文
НЦ﹂ としても 使用 されたが ︑ 個人主義 の 時 を 経 て ︑ 民族精神 へと 回帰 するとき ︑ 杢太郎 の 意識 の 中 には 民族精神 の 不滅 といった 考 えがあったのかもしれない ︒
五九木下杢太郎
﹃
唐草表紙﹄
論︻
注︼ ﹃
唐草表紙﹄
からの引用は全て︑
大正四年二月正確堂版によった︒
旧漢字は新漢字に改めた︒ ︵ 1 ︶
これらの作品には幾つかの共通項が認められる︒﹁
珊瑚珠の根付﹂︑ ﹁
夷講の夜のことであつた﹂︑ ﹁
柏屋﹂︑ ﹁
葬式の前の日のこと﹂
という四作品では︑﹁
順さん﹂
という少年の語り手を始めとして︑
彼が関わる﹁
亮さん﹂﹁
京さん﹂
といった青年が登場する︒
初出時にこれらの作品を個別に読む時点では︑
彼らの輪郭は断片的だが︑
作品集に収録されることによって︑
だいたいの輪郭が結ばれる︒
さらに︑ ﹁
河岸の錨屋﹂︵
大正三年一月﹁
秀才文壇﹂ ︶
は︑
以上の追憶作品群の後日譚を意識して書かれたもので︑
ここでは﹁
京さん︑
亮さんなど云ふ人達の若かつた頃﹂
のおよそ二〇年後という時代設定がされ︑﹁
亮さん﹂
と結婚していた女性や︑﹁
京さん﹂
の子供が登場している︒ ︵ 2 ︶
高田瑞穂﹁
木下杢太郎﹂︵ ﹁
国文学 解釈と教材の研究﹂
昭和三七年一一月 学燈社︶
六〇頁さらに
︑
杉山二郎氏もこれらの作品群が﹁
伊東の生家米惣を題材とした﹂
として︑
杢太郎の自伝的影響を指摘している︒︵ ﹃
木下杢太郎│ユマニテの系譜│﹄
昭和四九年一月 平凡社︶
九九及び一二八頁︵ 3 ︶
杉山二郎﹃
木下杢太郎│ユマニテの系譜│﹄︵
昭和四九年一月 平凡社︶
一三四〜
一三五頁さらに序文で鷗外は
﹁
わたくしの眼を射る光線の最も強いもの﹂
として︑﹁
官能的接受の極て鋭く極て饒かなる﹂
ことを挙げている︒
また漱石も︑
杢太郎の作品の第一の特色として﹁
饒かな情緒を濃やかにしかも霧か霞のやうに︑
ぼうつと写し出す御手際﹂
を挙げる︒
横井博氏は︑
この両大家の序文に杢太郎が﹁
失望﹂
した可能性を提示している︒︵ ﹃
印象主義の文芸﹄
昭和四八・
一二 笠間書院 五〇一頁︶ ︵ 4 ︶ ﹃
荷風全集 第七巻﹄︵
平成四年一〇月 岩波書店︶
一五頁︵ 5 ︶ ﹃
漱石全集 第十六巻﹄︵
平成七年四月 岩波書店︶
四六五頁︒
なお︑
杢太郎﹁
河岸の夜﹂
には︑﹁
今の窮屈な︑
個人の自由に頓着しない家長制度的の道徳に反抗する﹂
人物として永井荷風の名が挙げられている︒ ︵ 6 ︶ ﹃
木下杢太郎日記 第一巻﹄︵
昭和五四年一一月 岩波書店︶
明治三七年一月九日︑
明治四二年四月一七日︑
四月二〇日︑
明治四三年六月三日に記述がある︒
なお
︑
杢太郎には︑
高山樗牛を通してのニーチェ受容があったことも一言添えておく︒﹁ ﹃
パンの会﹄
と﹃
屋上庭園﹄﹂ ︵﹁
日本文学講六〇 座 第九巻
﹂
引用は﹃
木下杢太郎全集 第十五巻﹄
昭和五七年十月 三四八頁︶
には︑
杢太郎の二〇歳前後︑
即ち︑
明治三七年頃の樗牛の出現が﹁
多くの青年の心を捉へた﹂
こと︑
自身も﹁
その笛に踊らされた﹂
ことが記されている︒
杢太郎は︑
明治三八年三月から断続的に﹃
樗牛全集﹄
を購入し読んでいる︒﹁
美的生活を論ず﹂
が収録された全集第四巻を読んだ明治三九年二月一一日の日記には︑ ﹁
清見潟に於ける樗牛といふ小冊子﹂
に刺激された杢太郎が夜通し全集を読んだとの記述があるが︑
この﹃
樗牛全集 第四巻﹄
には﹁
美的生活を論ず﹂
が収録されている︒
明治三〇年代におけるニーチェ紹介の中心人物としての樗牛は︑
ニーチェその人を﹁
極端にして︑
而かも最も純粋なる個人主義の本領を発揮している︵﹁
文明批評家としての文学者 本邦文壇の側面評﹂
明治三四年一月﹁
太陽﹂ ︶
と評価しているが︑
杢太郎もニーチェ哲学における個人主義思想を︑﹁ convention ﹂
つまり﹁
順俗﹂
といった桎梏から解放する可能性の一つとして肯定的に摂取していった一時期があったことがわかる︒ ︵ 7 ︶ ︵ 6 ︶
に同じ︒
明治四二年四月一七日の記述による︵ 8 ︶ ︵ 4 ︶
に同じ︒
四一五頁︵ 9 ︶ ︵ 4 ︶
に同じ︒
一二三頁︒﹃
冷笑﹄
では﹁
富士山の全景を見渡した時﹂︑ ﹁
心ではバイロンのやうに歌つて見たいと思ひながら﹂︑
やはり﹁
間の伸びた三十一文字の感想﹂
が調和するという実感が吐露されている︒
紅雨は︑﹁
一度現代の反抗から無頓着になつて見た暁︑
自分ながら其の思想の奥底にどれだけ深く伝説の力が根ざしてゐたかを知つて呆れ﹂
る︒
続く紅雨のモノローグには︑﹁
琴三絃笛鼓の如き器楽が伝へる音調﹂
は︑﹁
暗澹たる東洋的悲哀﹂
といった感情を動かすとあり︑
そういった自身の内にある﹁
東洋的悲哀﹂
は︑﹁
遺伝的思想の修養を経て来たものゝ心にしか其の味は解せられぬ﹂
とある︒
一三〇頁なお
︑
感性の面で日本人であるという実感を与えずにはいない前近代的な音は︑﹃
唐草表紙﹄
全一八作品の内︑
実に一三作品に効果的に挿入されている︒
鷗外も序文で︑﹁
聴官に属するものに至つては︑
実に作者の壇場である﹂
としている︒ ︵
10 ︶ ﹁﹁
パンの会﹂
と﹁
屋上庭園﹂﹂ ︵
昭和九年一一月﹃
日本文学講座﹄
第九巻︶︒
引用は﹃
木下杢太郎全集 第十五巻﹄︵
昭和五七年一〇月 岩波書店︶
三五一頁︵
永井荷風を頂点とすると記されている
︒
七四頁 成九年六月 人文書院︶
には︑
三味線の音などに誘起される感慨の本質といったものを考察し得た近代日本文学者は︑
木下杢太郎と11 ︶ ﹃
雑音考│思想としての転居﹄︵
平成一三年一二月 人文書院︶
一四六頁︒
なお︑
樋口氏の﹃
三絃の誘惑│近代日本精神史覚え書﹄︵
平六一木下杢太郎