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温故知新一心臓核医学の足跡一 先端医学薬学研究センター

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第50回(25周年)記念講演

温故知新一心臓核医学の足跡一

先端医学薬学研究センター 久田欣一

工業用の電流記録計をつないで肝血流の計測をし ていた(図5)。その後,プローブの本数も多く なり,メンバーで知恵を絞りながら装置を支える ための器具なども試作していた(図6)。

日本でサイクロトロンが投棄された5年後,す なわち1950年には米国からなぐさめの意味も込め て仁科研究室にラジオアイソトープが寄贈された。

それを契機に米軍の輸入許可も下りた。このよう な背景のもと,国内アイソトープ輸入配分機関と して1951年に日本放射性同位元素協会(現在のア イソトープ協会)が設立された。

同じく1951年にCassenシンチスキャナーの第1 号機が開発された(図7)。この時はまだNaIシン チレーション結晶ではなかった。イギリスではほ ぼ同時期,ガイガーカウンターを利用していた。

Cassenシンチスキャナーではタングステン酸カル シウム結晶を用いており,甲状腺の描出をしてい た。1958年当時,日本では1インチのNalであっ たため,感度は低く,甲状腺を撮像するのに20~

30分かかっていた時代であり,まだ実用的なもの ではなかった(図8)。その後クリスタルも段々 大きくなり,5インチのクリスタルになってくる と性能も向上し,シンチスキャナー全盛時代になっ てきた(図9)。金沢大学では1962年に2インチ のシンチスキャナーを導入し,コロイド肝スキャ ンなどを実施していた。

1954年には米国核医学会が設立された。UCLA (もしくはUCSF)の階段教室で四十数名が集まっ たのが始まりと聞いた。同じ年にAnger型シンチ カメラが開発された。高価なフォトマルを7本も 使用しており,カメラの直径は6インチぐらいで あったが,実際には甲状腺くらいしか撮れなかっ た(図10)。その後,フォトマルの本数も増えて,

1967年には日本にも17本のフオトマルを搭載した 高価なシンチカメラが輸入された。カメラの口径 は15インチになり,応用できるアイソトープも増 えて,脳,肝,腎,肺など臨床的に利用できる範 囲も拡がってきた。

米国核医学会の設立から少し後,イギリスでも 非常に盛んになり,Hamersmith病院では世界初の 病院内サイクロトロンが稼動し始めた.

1956年にはKuhlは逆投影法を用いて横断断層像 の作成に成功した。また,RQjaliはレントゲン写 放射能の発見はBecquerelによってなされた事

はどなたもご存知の事ですが,Wilsonの霧箱は知 らない方もおられると思います。私も現物はみた ことがありません。Hevesyがラジオアイソトープ トレーサー法の原理を提唱したというのはよく知 られている。

心臓核医学の歴史が始まったのは1927年 BlumgartのRaCによる腕-腕循環時間測定からであ る【JClinlnvest、4:1(1927)】・右腕から投与され たアイソトープが左腕に到達するまでにかかる時 間を霧箱で計測している(図1)。鉛板を用いて 左腕以外の全身からの放射線を遮蔽している。正 常症例の場合,循環時間が10数秒かかる事が確認 された。一方,心房細動では循環時間が約50秒と 非常に遅いという事が1927年に発表された(図2)。

それ以前は,色素を流して反対側の腕にチューブ を入れ,流れ出る血液が青くなるまでの時間を測 るというやりかたであったため,Blumgartによる RaCの方法は従来より非常に非侵襲的で正確な方 法であった。

1928年にガイガーカウンターが発明されたが,

普及までにはもう少し時間がかかっており,ガイ ガーは病院の掃除夫として仕事中亡くなり,実際 にガイガーカウンターが一般に使用されるのは20 年後の事である。

1930年にはLawrenceがサイクロトロンを開発し た(図3)。原理は1930年に発表され,最終的に 1936年に完成した。アメリカでサイクロトロンが 完成した1年後に早くも理研サイクロトロンが完 成した。しかし,敗戦後アメリカ占領軍により,

アイソトープおよび原爆に関連する研究の一切が 禁止され(サイクロトロンは実際は原爆と関係な いが),当時理研,京都大学および大阪大学に設 置されたサイクロトロンは1945年に東京湾と大阪 湾へ海中投棄された。本来,サイクロトロンは原 爆とはあまり関係ないため,非常に後'海された。

1948年にシンチレーション検出器が発明され,

その後1949年にPrinzmetalが心放射図を発表して いる。ガイガーカウンターの測定器を用いたプロー ブで検出し,記録計で記録していた(図4)。そ の何年か後に日本でも同様の事をしている。これ は私が手掛けた仕事で,1本のシンチレーション プローブ,シンチレーションカウンター,それに

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-第50回北陸循環器核医学研究会(2008.7.19)-

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201Tlがアメリカで発売されていたが,画像がぼや けているため日本で使い物になるかどうか相談を 受けた事があった。私自身も,使ってみないと分 からないといった印象を持っていたが,201Tlで異常 が認められた症例(図24)で,心臓を剖検してみ ると糖尿病性心筋症であった(図25)が,血管造 影ではまったく異常が認められなかった。結局,

血管造影では50ミクロン以上の血管しか描出でき ないが,50ミクロン以下の血管に異常が見えなく ても,微細循環の異常を知るには201Tlが有用であ り,血管造影と心筋血流スキャンとは見る場合が 違うと様々な機会に講演し周知徹底を図った゜

1979年にはStraussの携帯型核聴診器が開発され た。実験では運動負荷でEFが上昇し,寒冷負荷 によりEFが低下している事を良く捉えていた (図26)。その他にも様々な臨床研究にこの携帯型 核聴診器が応用できると期待されたが,最終的に は商品として取り上げるメーカーがなく,普及す るまでには至らなかった。

1975年の201Tl発売以後(アイソトープ協会の統 計は1982年からしかないが),心臓核医学検査の 検査数は増加を示しており,20'Tlの件数が'1頂調に 伸びている事が分かるが,_方で2002年ごろに頭 打ちになっている(図27)。最近の動向をもう少 し詳細に見ると,ここ数年間で減少傾向が見られ るが,これはDPCやその他様々なファクターが影 響していると思われる。図28は米国におけるR’

検査の検査動向および,990年の予測を1983年にG E幹部が私に示した資料である。脳スキャンはCT の影響で一時期減少するが,その後回復するであ ろうと考えられた。また,心臓は順調に件数を伸 ばしていくと考えられた。肝臓は超音波の影響に より件数は当時の予想より遥かに減少している。

そしてモノクローナル抗体はアメリカでも非常に 期待されていたが,諸種の制限で開発が遅れてお

り,今後が期待される。

1983年には北陸循環器核医学研究会が発足した (図29)。

,987年のSNMのポスター発表ではl3lI-MIBGに おいて,正常心筋での集積に比べ,心不全を起こ している心筋では集積が良くないという事が発表 され(図30),この内容はワグナーハイライトで も取り上げられた。その後,小生のすすめにより 1992年,第一ラジオアイソトープ(株)から'23' ̄

MIBGが発売された。以前は比較的医薬品の認可 を得やすい時代であったが,時代の流れとともに 規制が厳しくなり,アイソトープメーカーも医薬 品開発には苦労するようになってきている。しか し,北陸循環器核医学研究会発足後もカルディオ 真で心臓が拡張しているのか,心のうに液が溜まっ

ているのか区別できない症例に対して,’311アル ブミンを静注する事によって心内腔をイメージす ることにより,非侵襲的にどちらかを判断出来る ようになった(図11)。この時,心臓のレントゲ ン写真とシンチスキャンの画像を重ねあわせて判 断しており,この重ねあわせるというアイデアは RGjaliが最も早かったと記憶している。

1958年に日本でようやくアイソトープが医薬品 として輸入されるようになる(蝿'1カプセル)。そ れまではアイソトープ同位元素協会に申請書を出 してから2~3ヶ月後,アメリカからアイソトー プが入手できるといった状態だったが,初めて定 期的にアイソトープが輸入され,計画的にルーチ ンにアイソトープ検査が出来るようになった。こ の頃から放射性医薬品という言葉が使われるよう になった。

1961年には日本核医学研究会が設立され,1963 年には日本核医学会となる。1965年,金沢大学と 東芝がメディカルユニバーサルヒューマンカウン ターを共同開発した。シンチレーションプローブ を4本配置して(図12),深部の感度を良くする 事や断層像を撮る事を目指してファントム実験 (図13,14)や,臨床での実験(図15)などを行 い,その結果を米国核医学会で発表した。帰路ペ ンシルバニア大学を訪問したが,Kuhlは対向する シンチレーションプローブが回転する装置の開発 を行っていた(図16)が,当時は磁気テープが未 だ存在せず,室内が穿孔紙テープで溢れていた。

Kuhlの装置から10年後,同様の装置をイギリスの 会社が商品として開発し,金沢大学に第1号機が 導入された(図17)。以前の装置では情報収集に 4時間,情報処理に一昼夜を費やしてワンスライ スを再構成していたが,新しい装置では情報収集 30分くらいで,ワンスライス作成には30分ほどを 要した(図18)。また,PETと比較してSPECTに も良い面がある。つまり核種が違えば,フォトピー クの差が生じる(図19)。前述のメディカルユニ バーサルヒューマンカウンターで,4つのフォト ピークに合わせて.それ以外の散乱線を除去する 事が出来るような計算回路(図20)を色々試作し,

メディカルユニバーサルヒューマンカウンターに 組み込んだ。この多核種シンチスキャンニングに 関する試みはJoumalofNuclearMedicineに掲 載された【JNM9(11):550,1968】(図21,図22, 図23)。

1974年にはピロリン酸による心筋梗塞スキャン が開発された。1975年にはTer-PogossianがPETを 発明し,また201Tlも発売された.日本よりも先に

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-第50回北陸循環器核医学研究会(2008.7.19)-

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で定着している事がうかがえる。北陸循環器核医 学研究会は1983年からスタートし,年に2回開催 している。特別講演は1~2題であり,SNM報告 等の海外出張報告は当初,毎年やっていた。また,

一般演題は毎回6ないし14演題あり,合計すると 479題を数えた。

トレーサーの開発に目を向けると,年々新しい トレーサーが発表されている(例えば1994年当時 のSNMにおいて,心臓領域では再分布する99mTc 化合物,あるいは血小板一血栓イメージングなど があった)。しかし,これらのトレーサーが実際 に実用の方へ動く確率は非常に低く大変な事であ

り,メーカーの果たす役割が大きい。

最後に循環器核医学の将来を占うというほど ではないが私見をまとめると,基本的な国民意識 としては『うまく,早く,安く,さらに安全に』

ということがある。そして,循環器核医学に限ら ず,核医学は測定器と放射性医薬品の両翼で進歩 してきたが,ここ十数年は更に解析法が加わって 進歩している。これらは核医学推進の原動力とい う位置づけになる。他科医師のニーズはこれら原 動力に非常に大きな影響力を及ぼす。他科医師か らのニーズを待つだけではなく,他科医師に対し て核医学の有用性などを提案する事によって新た なニーズを惹起させる事が重要である。それ以外 に影響を及ぼすものとして,法的な規制や一般大 衆における核アレルギー消失などがある。また,

CTやMRIなどの競合モダリティの進歩で核医学 の出番が減る事も考えられるが,一方で画像融合 によるプラス効果がある事も考えられる。そして,

今後,高齢化が進む事で患者数は増え,非侵襲的 な方法が喜ばれ,核医学にとっては優位な追い風 となる事が予想される。しかし,-番影響が大き いのは国民経済であり,財政であり,資源配分の 問題であり,医療にどれだけ資源を回すかという 事である。更に医療のうちの核医学へどれだけ資 源を割当てるかが問題となってくる。これら種々 の影響を受けて,核医学,特に循環器核医学はど ちらへ向かうのかは私も予測することは難しいが,

いずれにしても核医学関係者以外の力も働いて方 向'性が決まっていくのであろう。また,昔から言 われてきた技術やアイデアがやがて10年後,20年 後の関連周辺技術(IT,半導体,放射性医薬品等)

の進歩によって洗練された形で復活し,SPECT が勢いを取り戻し,心臓核医学にも新しい時代が 来ると期待している(図37)。

ダイン,マイオビューなどが開発されているが,

そのスピードは遅くなってきている(図31)。

1989年には3検出器型SPECTが開発され(図 32),脳血流SPECTの画像など非常に解像度が良 くなった(図33)。今ではPETの分解能の方が良 いが,当時の更に数年前に使われていたPETと新 しい3検出器型SPECTを比較すると,SPECTの 画像の方がむしろ良好であった。非常に良いカメ ラであったが,残念な事に経済的な理由により現 在東芝は製造中止している。私が画像解像力にこ だわる理由は,例えばパーキンソン病において,

身体的障害のみが出てくる場合と,認知症症状も 出てくる場合があるが,解剖学的により詳細な領 域においてD1,,2受容体結合を定量的に測定す る事が出来れば診断と薬効評価,予測に非常に有 用であると期待したからである(図34)。

1990年,核医学専用のワークステーションが開 発された。

1994年には,GermanoによってQGSプログラム が開発された(図35)。QGSは心不全重症度評価,

心筋バイアビリティ評価,慢性心不全予後評価な どを行う事ができ,非常に完成度の高いプログラ ムで,その後もバージョンアップが繰り返されて

いる。

1995年,私は金沢大学の教授を退官した。

1996年には先端医学薬学研究センターを設立し た。センターの目的の1つとして,北陸地区では 比較的規模の小さな病院が多いため,将来独自に サイクロトロンを持つ事が困難であろうし,また 病院は距離的には比較的集中しているためにア メリカでは困難なFDGの地域デリバリーが日本で は可能であろうという構想で歩みだし,実際には 2005年7月に日本メジフイジックスの8工場と同 時にFDGのデリバリーが開始された。

1997年にPET/CTが出現。心臓においてもCTが 非常に高性能化され,64スライスあるいは最近で は300スライス以上のMDCTも開発され,それと 重ね合わせることによって,非常に細部にわたり,

診断が出来るようになってきている(図36)。ま たmicroPET,microSPECT/CTなども開発が進 んでいる。microSPECT/CTは色々な核種や化合 物が扱えるため,大いに期待される。

2005年には心臓核医学ガイドラインが出され,

心臓核医学が完成度を増してきている事がうかが える。

2008年にはJ-ACCESS研究のまとめが金沢大学 中嶋先生らによって行われた。北陸循環器核医学 研究会も50回目を迎え,世話人の数も立ち上げ当 初と比べて非常に増えており,核医学が北陸の地

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-第50回北陸循環器核医学研究会(2008.7.19)-

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岩喬(金沢大)池田孝之(金沢大)

村上暎二(金沢医大)瀬戸光(富山医薬大)

石井婿(福井医大)余川茂(富山医薬大)

篠山璽威(富山医薬大)松井忍(金沢医大)

小林真(金沢医大)

小鳥輝男(福井医大)

川筋道雄(金沢大)

分校久志(金沢大)

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-第50回北陸循環器核医学研究会(2008.7.19)-

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循環器核医学の将来

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国民経済・財政(資源配分)

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参照

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