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(1)

* 白鷗大学法学部准教授

コモン・ロー,憲法,自由 (8・完)

― 19 世紀後期アメリカ法理論と Lochner 判決―

清  水   潤

Ⅰ 序

Ⅱ 建国初期における「合衆国憲法上の権利」論の不在

(以上,14 巻 1 号)

Ⅲ 修正 14 条の成立と「権利の法」としての合衆国憲法

(以上,14 巻 2 号)

Ⅳ 19 世紀後期におけるコモン・ローと憲法の連関   1 .序

  2 .CivilLibertyの概念

  3 .法体系書におけるコモン・ローと憲法の連関

(以上,14 巻 3 号)

  4 .契約法における「契約の自由」の誕生と憲法論への影響

(以上,14 巻 4 号)

  5 .ニューサンス法とポリス・パワー   6 .小 括

(以上,15 巻 1 号)

V 20 世紀以降におけるコモン・ローと憲法の分離   1 .序

  2 .ホームズ   3 .フロインド

(以上,15 巻 2 号)

  4 .パウンド

(以上,15 巻 3 号)

  5 .今日のアメリカ法における憲法とコモン・ロー VI 結 語

(以上,本号)

(2)

Ⅴ 20 世紀以降におけるコモン・ローと憲法の分離 (承前)

5 .今日のアメリカ法における憲法とコモン・ロー

⑴ 序

 連邦最高裁が,1937 年の West Coast Hotel v . Parrish

1)

において, Adkins v . Children ’ s

Hospital

2)

を明示的に覆し,最低賃金法を合憲と判示したことは,しばしば「憲法革命」

と呼ばれることがある

[Corwin1941;Cushman1998:4;Horwitz1992:3/1;Sunstein1993:

51 ]

。それがロックナー期の終焉をもたらし現代型の憲法理論の端緒となったからであ る

3)

。しかし,当然のことではあるが, West Coast Hotel 判決によって今日の憲法理論 が突如として姿を現したわけではなく,20 世紀以降の判例法によって徐々にその姿は 形成されてきた。現代の憲法理論の特徴としては,契約の自由や財産権などのコモン・

ロー上の権利の重要性の相対的低下,それに代えて平等権,表現の自由,プライバシー などの現代的な権利についての判例の高度の発達が挙げられるだろう。かつてのように,

憲法上の権利論はコモン・ローからその知的資源を調達してはいない。むしろ,コモン・

ローとは無関係に,いかなる権利が司法審査によって厳格に保護されるべきか,という 問に対する応答として憲法論が組み立てられることになった

4)

 かかる問に対する最初の応答としては,1938 年における周知の United States v . Carolene ProductsCo.

5)

の脚注 4 がある。本判決は,脱脂ミルクの州際輸送を禁止した 連邦法が州際通商条項及び修正 5 条のデュー・プロセス条項に反するとして争われ,合 憲となった事案である。判決文において,ハーラン・F・ストーン裁判官は,立法府の 判断の基礎となった事実の存在は推定されるとして,立法判断に敬譲を示したが,そこ に一定の留保を付した

6)

。最初の 10 の修正条項に代表されるように,憲法の明文で禁 止されたことを立法府が行おうとしている場合,投票権や表現の自由などの政治プロセ スを制限している場合,そして切り離され孤立した少数者

(discreteandinsularminori- ties)

に向けられた差別が問題となっている場合には,合憲性の推定は働かず,より厳 格な司法審査が正当化される余地があることを示唆したのである

7)

 この脚注 4 には,憲法と司法審査から,コモン・ローという確固たる法的基礎が奪わ

れ,自らの役割に逡巡する最高裁の様子が見て取れる。憲法判例において,コモン・ロ

ー上の権利を執行するわけではないのであれば,最高裁はいかなる根拠において立法府

(3)

の判断を違憲無効とすることができるのであろうか。脚注 4 は,憲法の明文による裏付 けと,政治過程の健全な作動を確保する後見人的役割に,司法審査の根拠を見出したわ けであるが,勿論これで議論が終わったわけではない。現代アメリカ憲法学の諸理論の 相当部分は,かかる 20 世紀的な問への応答として理解すべきものである。

 こうして,憲法論からコモン・ローという知的武器庫が剥奪された現代において,コ モン・ローはもはやいかなる憲法的意味も持ちえないのであろうか。必ずしもそうでは ない。確かに,19 世紀的な意味での憲法とコモン・ローの密接な連関はその大部分が失 われてしまった。憲法上の権利の体系がブラックストーンの権利体系から採用されてい るということはもはやない。憲法上の権利の体系は,コモン・ローが保護した persons

and property の世界とはほぼ無縁のものとなった。しかし,コモン・ローは今日の憲法

論にもその痕跡をわずかながら留めている。本稿の最後に,それがいかなるものである のかを簡潔に確認しておきたい。もっとも,現代アメリカ法における憲法とコモン・ロ ーの関係という主題はここで扱うには大きすぎるテーマであり,より包括的な検討は他 日を期したい。本稿の議論は,筆者が現時点で示しうる暫定的な見取り図である。

⑵ 生ける憲法論におけるコモン・ローへの言及

A.生ける憲法の一部としてのコモン・ロー

 現代でもなお,アメリカの憲法判例および学説において,しばしば,マグナ・カルタ,

イギリスの権利章典,ブラックストーン,コモン・ローへの言及が見られる

8)

。しかし,

このような学説や判例におけるコモン・ローへの言及の構造は,19 世紀法学のそれと は根本的に異なっている。確かに現代の判例でもコモン・ローへの言及は見られる。し かし,それは,独立宣言とかフェデラリスト・ペーパーへの言及と同じことで,憲法解 釈の際に歴史に言及するという,伝統的な憲法解釈方法の一部としてなされているに過 ぎない

9)

。それに対し,19 世紀歴史法学派の憲法論においては,憲法とコモン・ロー の間に,強い実体的な関連があった。憲法上の権利の体系と分類はコモン・ローのそれ に準拠しており,契約の自由,財産権,人身の自由,表現の自由などの具体的な保障の 在り方はコモン・ローにおける保障水準を憲法レベルでも確保しようとするものであっ た。端的に言えば,今日の憲法論においては,憲法論はコモン・ローの体系から独立し ており,コモン・ローは憲法解釈の資源の一つ,特に歴史的証拠として,言及されるに 過ぎないのである

10)

。そして,かかる歴史的証拠としてのコモン・ローの利用の仕方は,

憲法解釈方法の二大潮流である,生ける憲法論

(livingconstitutionalism)

と原意主義

(originalism)

で異なっているため

11)

,それぞれを分けて考察することとしたい

12)

(4)

 生ける憲法論の代表的論者である,アキル・リード・アマー

(AkhilReedAmar)

は,

歴史的に形成されてきた価値,先例,政治部門の実践など,憲法典の外部にある多くの 要素によってアメリカ憲法は構成されていると主張する

13)

。アメリカの不文憲法の構 成要素として,例えば,判例,フェデラリスト・ペーパー,リンカーンのゲティスバー グ演説,キング牧師の演説,制憲会議に始まる憲法制定過程などとならび,ブラックス トーンの『イングランド法釈義』や,クックのボナム医師事件が挙げられている

[Amar 2012:7-11]

。アマーはイングランドのコモン・ロー伝統もまた,アメリカの不文憲法の 一部であるとするのである。しかし,かかる文脈においてイングランドのコモン・ロー は,他のコモン・ロー以外の歴史的資料と同列に扱われており,19 世紀法学における ような特別な地位を占めていないのは明らかである。アマーの書は,憲法は条文の元来 の意味や制憲者の意図に従って解釈されるべきとする原意主義に抗して,それ以外にも 多くの先例,歴史,実践,価値を反映して発展していくのが憲法であるとする,生ける 憲法論を擁護しようとしたものであって,コモン・ローと憲法の実体的連関を示したも のではない。

 似たような構造の理論を展開する論者として,ロバート・M・パリット

(RobertM.

Pallitto)

がいる。彼はコモン・ロー的憲法論

(commonlawconstitutionalism)

を以下のよ うに定義したうえで,アメリカの憲法史を通じて連邦最高裁が原意主義ではなくコモン・

ロー的憲法論の方法に従って憲法判例を展開してきたことを示そうとする

14)

憲法論の一つの形態として,コモン・ロー的憲法論がある。それは「一般的あるいは曖昧な憲 法のテクストの意味を,当初の理解(originalunderstanding)よりもむしろ伝統と先例を参照 して,裁判所が発展させていくべき」という思想潮流である[Pallitto2015:10]。

 パリットによれば,アメリカの憲法判例の多くがかかるコモン・ロー的憲法論によっ てのみ十全に理解できる。例えば,法は単に発見されるべきものというコモン・ロー観 に依拠して,連邦コモン・ローを肯定した Swift 判決から

[ibid:79 ]

,コモン・ローを 裁判官立法として捉えなおし,同判決を覆した Erie 判決への変化

[ibid:81-84 ]

,平等 保護,投票権,権利章典の修正 14 条への組み込み

(incorporation)

などで多くの憲法解 釈の変化をもたらしたウォレン・コートの諸判例

[ibid:100 ]

などである。これらの判 例は全て,憲法典の当初の意味を離れ,裁判所の解釈によって法が発展した例であると される。

 パリットは,原意のみならず,コモン・ローなどの憲法典の外にある資源にも依拠し

(5)

て憲法判例が書かれてきたことも指摘している。例えば,Dred Scott 事件における Curtis 反対意見は,黒人にも市民権を認めるとの立論に当たって, Sommersett case

15)

をはじめとするイングランドやアメリカの判例,クック,ブラックストーンなどを引き,

マグナ・カルタに由来するデュー・プロセス条項で保護されるべき財産権に奴隷は含ま れないと解釈した

[ibid:64 ]

。あるいは,テロとの戦争関連の判例における人身保護令 状の重要性の判示に際して,マグナ・カルタ以来の歴史が論じられる

[ibid:ch.7]

。  かかるパリットの議論の目的は,コモン・ローと憲法が実体的権利のレベルで関係し ていることよりはむしろ,憲法テクスト外の法源としてコモン・ローが重要な地位を占 めていることの指摘にある。言わば,コモン・ローは,アマーと同様に,生ける憲法を 発展させていく際の参照点の一つとして扱われている。

B.コモン・ロー的法発展の憲法への導入

 現在のアメリカの憲法学でコモン・ロー的憲法論を代表する論者が,デヴィッド・ス

トラウス

(DavidA.Strauss)

である。今日において,憲法とコモン・ローの関係につい

て最も積極的な主張をしている論者の一人と言ってよい。ストラウスによれば,憲法は 制定時に意味を固定されるべきではなく,コモン・ローのように,伝統と先例によりつ つ,裁判官の裁量により発展していくべきとされる。アマーやパリットが,テクスト以 外の憲法の構成要素として,イングランドの先例やブラックストーン,マグナ・カルタ などを挙げていたのに対し,ストラウスにはそのようなコモン・ローの実体的法源への 言及は極めて少ない。彼が「コモン・ロー」の概念を使用するのは,純粋に,コモン・

ローと同様に裁判官の裁量的な法発展を憲法の分野でも正当化するためである。そして,

今日,コモン・ロー的憲法論の語が,このような純然たる憲法発展の方法を指すために 用いられることは珍しくない

16)

 ストラウスは,原意主義は,制憲時の条文の適用をそのまま現代に用いるならば人種 別学が正当となるなど馬鹿げた結論になり

[Strauss2010:12 ]

,一方で,制憲時の意味 を抽象化してそのような結論を回避しようとするならば,いかなる意味の操作も可能と なり生ける憲法論と区別ができなくなるとして

[ibid:79 ]

,原意主義を批判する。結局 のところ,生ける憲法論以外には実効的な選択肢はない

[ibid:1 ]

。では,生ける憲法 論はいかにして裁判官の恣意的な憲法の操作や改変を抑制しうるのか。それは,コモン・

ローと同様に,先例によってであるとストラウスは答える。コモン・ローは,裁判官に

よる法発展のシステムだが,決して裁判官の恣意を許すものではなく,そこに一定の制

約がある

[ibid:36]

。憲法解釈もそれと同様だというのである。

(6)

 例えば,かの Brown 判決

17)

は,憲法の条文や原意によっては正当化困難だが,かと いって裁判官の恣意的な立法の結果でもない。それは,多くの先例や伝統によって正当 化可能である。確かに 1896 年の Plessy 判決

18)

において,「分離すれども平等」の法理 が確立され, Brown 判決はそれを覆したのだが,この法理は Brown 判決以前の多くの 判例によって,その射程を限定されてきたのであり,Brown 判決はそのような先例の 緩 や か な 発 展 の 最 後 の 帰 結 に 過 ぎ な い の で あ る。1914 年 の McCabe v . Atchison , Topeka& Santa Fe Railway

19)

において,鉄道会社が寝室や食事室を白人のみに提供す ることを許すオクラホマ州法が違憲とされた。州は,黒人からはそのような施設への需 要がないと抗弁したが,連邦最高裁はかかる主張を退けている。1917 年の Buchananv.

Warley

20)

では,黒人が多数派のブロックに白人が住むこと,およびその逆を禁止した

法律が違憲となっている。1938 年の Missouri ex rel. Gainesv. Canada

21)

において,白 人校であったミズーリ・ロー・スクールへの入学を拒否された黒人が訴訟を提起した。

ミズーリ州は,黒人校である Lincoln 大学を別途設置していたが,そこにはロー・スク ールはなかった。同州は,隣接州のロー・スクールへ代わりに入学を手配し,その学費 を肩代わりすることで,「分離すれども平等」の要請を守っていると主張した。しかし,

最高裁は州の主張を退けた。州を出るという負担を負わねばロー・スクールに通えない というのは,「分離すれども平等」とは言えないというのである。この最高裁判決によ って,ロー・スクールにおける人種別学は非現実的となった。ほとんどの州では,州内 に黒人用のロー・スクールを設置することは,黒人の志願者の数が絶対的に少なかった 以上,財政的に不可能であり,白人が通うロー・スクールに黒人を入学させる以外には

「分離すれども平等」の要請を満たす方法が事実上なかったからである

[ibid:88]

。さら に,1950 年の Sweatt v . Painter

22)

では,テキサス州が設置した黒人用のロー・スクー ルは,テキサス大学ロー・スクールに施設や教員数のみならず,名声や卒業生の影響力 などの点で劣るため,かかる黒人用ロー・スクールが「分離すれども平等」の要請を満 たすものとは言えないとしている。Brown 判決は,かかる先例の延長上にあり,それ は裁判官が,先例によりつつコモン・ローを発展させてきたのと同じ構造にある。「 Brown 判決では,古い教義の形式上の廃棄は,革命ではなく,コモン・ロー的発展の最後のス テップに過ぎないことを示すため,先例に依拠することが可能であった」

[ibid:92 ]

の である。

 かかるストラウスの議論において,もはや「コモン・ロー」の語は,コモン・ローの

実体的な権利,原理,教義とは何らの関係も持っていない。それは単に,憲法解釈の方

法,憲法の発展の方法という「手続」の面において,憲法とコモン・ローが共通してい

(7)

るという主張である。ストラウスの議論においては,アマーやパリットの議論以上に,

かつてアメリカ法が有していた,コモン・ローと憲法の実体面での連関は失われている のである。むしろ,アマー,パリット,ストラウスらの生ける憲法論は,憲法の意味が 時代に対応して変化することを認め,憲法の実体的中身,実体的権利,実体的準則は,

コモン・ローから乖離していくことが前提となっている。ストラウスは,修正 1 条がブ ラックストーン的な名誉毀損法とは全く異なっていることを当然視する

[ibid:ch.3 ]

。 かかる態度が,19 世紀におけるコモン・ロー的憲法論とはむしろ正反対のものである ことは明らかであろう。

⑶ 原 意 主 義

 次に,原意主義の憲法論における,コモン・ローの位置を検討したい。原意主義者は,

憲法条文の元来の意味を画定するための歴史的資料として,しばしばコモン・ローに言 及する。しかし,そこにおいて,コモン・ローは,当時の辞書,フェデラリスト・ペー パー,制憲会議での発話などと同格のひとつの史料に過ぎず,コモン・ロー上の権利や 原理から憲法の内実を決定するという 19 世紀的な発想は取られていない。あくまでも 出発点は憲法テクストにあり,その意味を画定するのに必要な限りでコモン・ローが参 照されるに過ぎないのである。

 原意主義を代表する論者がアントニン・スカリア

(AntoninGregoryScalia,1936-2016 )

であることに異論は少ない

[Gordon2017:369]

。修正 2 条が銃を所持する権利を個人に 対して保障しているとの,DistrictofColumbiav. Heller

23)

のスカリア法廷意見は,彼 の原意主義が最も端的に表明された判決文の一つである。そこにおいて,スカリアは,

修正 2 条が民兵の銃所持の権利のみならず諸個人の権利を保障していることを論証する ために,多くの歴史的証拠に訴える。それには,当時の英語辞書,議会での議事録,ブ ラックストーンやストーリの法文献,イングランドの歴史,フェデラリスト・ペーパー,

州憲法の権利章典の文言などが含まれる。スカリアは,それらを総動員して修正 2 条の 逐語的な解釈論を展開するが,その際,ブラックストーンは,銃所持の権利を自然権の 一つと考えており,民兵制度とは結びつけてはいないことが法廷意見の論拠の一つとな っている

24)

。かかる法廷意見の論理において,重要なのは憲法のテクストとその当時 の意味であり,当時のコモン・ローはそれを知るための史料の一つでしかないことは明 らかであろう

25)

 GPS を個人の自動車に装着して追跡することが,修正 4 条の「捜索及び押収」とな

るかが争われた United States v.Jones

26)

でも,スカリアが原意主義に基づいた法廷意

(8)

見を執筆している。原意主義の理論に忠実に,スカリアは修正 4 条が採択された当時の 条文の意味を追求する。法廷意見によれば,20 世紀後半になるまで,「身体,住居,書 類および所有物

(persons,houses,papers,andeffects)

」という一定の領域に対するコモン・

ロー上のトレスパスを防止することに修正 4 条の狙いはあったとされる

27)

。1967 年の Katz v. United States

28)

において,修正 4 条は場所ではなく人を保護するものであると 判示され,それ以降,「プライバシーの合理的期待

(reasonableexpectationofprivacy)

」 の侵害があった時に修正 4 条違反があったとするテストが適用されてきた

29)

。しかし,

Katz 判決は,トレスパスによって理解された当初の修正 4 条の意味まで否定するもの ではない。プライバシーの合理的期待テストは,コモン・ロー上のトレスパス・テスト を廃棄したものではない。新しいテストが追加されたに過ぎないのである。法廷意見に よれば,18 世紀において修正 4 条が禁じていた政府行為は,現在でもなお許されるも のではない

30)

。この Jones 判決は,コモン・ロー上のトレスパスが憲法判断に影響を 与えたという点では注目されるべきものだが,やはり憲法のテクストの原意の確定のた めの一史料としてコモン・ローが参照されているに過ぎず,コモン・ロー思想が憲法理 論の基底をなしていた 19 世紀的なコモン・ロー的憲法論とは大きな距離がある。実際,

スカリアは,「身体,住居,書類及び所有物」以外の,条文に列挙された領域以外への 侵入は,たとえそれがコモン・ロー上のトレスパスとなるとしても修正 4 条における「捜 索及び押収」とはならないとし,コモン・ローの準則よりも憲法の文言を優先させてい る

31)

 原意の確定の場面でコモン・ローを参照するという憲法解釈の方法は,学説でも提唱 されている。例えば,法学者のジェフリー・ジャクソン

(JeffreyD.Jackson)

は,コモン・

ローに当たることで,修正 9 条の「人民に保持された権利」の内実を原意主義的に確定 しようとする

32)

。ジャクソンによれば,建国の父たちが権利章典によって保障しよう とした権利はイングランドのコモン・ローに由来するものであり,修正 9 条における列 挙されざる権利が意味しているのも,コモン・ロー上の権利である

[Jackson2010:

200]

。そして,アメリカ人は憲法制定当時コモン・ローを主としてブラックストーンの

『イングランド法釈義』を通して理解していたことから,修正 9 条によって保護される べき列挙されざる権利も,ブラックストーンの叙述を出発点として解釈すべきとする

[ibid: 205]

。しかしそれはブラックストーンの権利観を絶対視することではない。コモン・ロ ーが伝統と慣習を取り込んで発展することを考慮すれば,憲法上の権利の確定は,ブラ ックストーンを出発点としつつも,その後の法の発展にも配慮して行われる

[ibid:

213]

。制憲時において,憲法上の権利保障とは,発展するコモン・ローによって保護さ

(9)

れた権利の保障として理解されていたからである。

 例えば,ジャクソンによれば,子どもに親の好む教育を施す権利はブラックストーン に叙述があるがゆえに憲法上保護される

[ibid:214 ]33)

。ブラックストーンは自殺を犯 罪としていたが,治療の拒否はその限りではなかったがゆえに,治療拒否権もまた憲法 上保護されるべきとする

[ibid:214-15]34)

。避妊具の使用も,自由意志に基づく婚姻や,

自宅の神聖さをコモン・ローが保護してきたことから,憲法上保護される余地があると する

[ibid:215 ]35)

。同性愛行為は,コモン・ロー上犯罪とされてきたがゆえに,それ が修正 9 条によって保護されているというのは難しい。しかし,同性愛行為の不起訴が 長く続いたことで,自宅内における私的関係の尊重というコモン・ローの伝統が,同性 愛行為の処罰はもはやアメリカの伝統や慣習ではないと言える地点まで発展したと証明 できれば,同性愛行為も憲法上保障される可能性がある。ソドミーの処罰がほとんど執 行されていないことに鑑みると,このような主張は不可能ではない

36)

 かかるジャクソンの試みは,原意主義という方法論を突き詰め,その原意の内実をコ モン・ローに見出すものである。かかる理論においても出発点となっているのは憲法の 原意の重みであり,それを介してコモン・ローに意味が付与されているに過ぎず,確か に一際重要ではあるものの,コモン・ローは原意確定の手段とされている。その意味に おいて,コモン・ローの原理と体系から出発して憲法を解釈しようとする 19 世紀的な 法理論とはやはり距離がある。

 似たような構造の議論として,バーナデッテ・メイラー

(BernadetteMeyler)

の原意

主義がある。メイラーは,制憲時における,固定された意味を持ったルール群としてコ

モン・ローを捉え,それによって憲法の意味を確定しようとするタイプの原意主義を批

判する。むしろ,彼女の提唱する「コモン・ロー的原意主義

(commonlaworiginalism)

によれば,原意主義の理論に忠実でありつつ,憲法の意味変化を認めることが可能とな

る。憲法制定時において,アメリカ人はコモン・ローをブラックストーンが叙述したル

ールと一義的に同視していたわけではなかった

[Meyler2006:558 ]

。むしろ,イングラ

ンドとアメリカにおけるコモン・ローの差異や

[ibid:567-80 ]

,各州間のコモン・ロー

の違いにも自覚的であったし

[ibid:558,580]

,また,コモン・ローを,確立したルール

ではなく状況に応じて変化していくものであると考えていた

[ibid:582]

。憲法に編入さ

れたコモン・ローの概念を解釈する際にも,かかる制憲時のコモン・ロー理解に忠実で

あるべきである。例えば,「争われている額が 20 ドルを超すコモン・ローの訴訟におい

ては,陪審裁判の権利が保持されなければならない。……」と定める修正 7 条の解釈に

おいても,制憲時のコモン・ローとエクイティの区別を出発点としながらも,それを絶

(10)

対的なルールと捉えるべきではなく,時代に応じた変化を考慮してよいとする

[ibid:

599-600]

。メイラーによれば,制憲時のコモン・ローの「原意」を重視する立場からは,

時代に即応した憲法解釈がなされるべきなのである。つまり,コモン・ローは時代に即 応して変化する,との制憲時のコモン・ロー理解に従って,修正 7 条をはじめとした,

憲法に組み込まれたコモン・ロー上の概念も理解すべきなのである

37)

 ここで簡単に検討した原意主義の理論は,いずれも,18 世紀当時におけるコモン・

ローの理解と内容が,現代アメリカ憲法の解釈に影響を与えるという立場を共有してい る。制憲時の原意の確定に必要な限りでコモン・ローの歴史的理解が憲法解釈のために 利用されるのである。しかし,コモン・ローの実体的な権利や体系によって憲法上の権 利の全体像を規定しようとする 19 世紀的な憲法理論に比べ,コモン・ローの思想資源 への依拠は限定的である。現代においては,原意主義という憲法理論が解釈方法の根幹 を規定しているのであり,憲法理論はコモン・ローの理論に先行している。19 世紀に おいては,コモン・ローに埋め込まれた概念を用いて未確定の憲法の内実を確立してい こうとしていたのであり,言わばコモン・ローの理論は憲法理論に先行していたのであ る。

⑷ 小 括

 今日のアメリカ法においては,コモン・ローと憲法の実体的な連関はその大部分が失 われている。憲法上の権利の体系はコモン・ロー上のそれとは全く異なっているのであ り,憲法上の権利はコモン・ローではなく憲法理論の観点から定義される。しかし,憲 法とコモン・ローの関係が完全に消失したわけではない。生ける憲法論は,憲法テクス トの外部にある先例,伝統,政治的実践や価値を踏まえて変化・発展する憲法を擁護す るが,コモン・ローを,かかる憲法テクスト外にあってアメリカ憲法を構成する要素の 一つとみなす。原意主義は,原意の確定に必要な範囲において制憲時のコモン・ローの 状況を参照する。現代の憲法理論においては,コモン・ロー伝統は,憲法解釈の際にお けるひとつの参照点として生き続けていると言えよう。

VI  結 語 1 .議論の要約

 本稿は,主として 19 世紀後期に焦点を合わせ,アメリカ法史において,「憲法上の権

(11)

利」がいかに観念されてきたのかを検討してきた。ここにその議論を要約しておきたい。

 アメリカ合衆国憲法の制定期においては,合衆国憲法上保障される権利がいかなるも のであるかについて,主題的な検討はなされなかった。合衆国憲法の起草と批准に当た って主たる論点となったのは,三権の関係や,州と連邦の関係といった統治権限の配分 の在り方であった。確かにアンタイ・フェデラリストによって,権利章典の不在は批判 の的となったが,それとて,権利章典の内実自体は議論の対象ではなかった。既に先行 する邦

(州)

憲法には権利章典が実装されていたし,権利章典に列挙された権利の各々 はブラックストーン『イングランド法釈義』にすでにその叙述があった。イングランド 法においてよく知られていた権利こそ,建国期にアメリカ人が憲法上の権利として列挙 したものだったのである。各人の権利の定義は各州の問題であり,連邦の管轄外である という連邦制の構造は,合衆国憲法の権利章典の存在感のなさの一因でもあった。概し て,建国期から 19 世紀前期にかけては,合衆国憲法において保障された権利について の議論は散発的なものに過ぎなかった。

 南北戦争を経て,修正 14 条が制定されると,そのような状況も変化を見せ始める。

州による権利侵害に対して,連邦憲法を根拠として,連邦最高裁が広く介入することが 可能となったからである。修正 14 条は,州が市民の「特権・免除」や,「生命,自由も しくは財産」を侵害してはならないと定めている。かかる包括的な権利規定を根拠とし て,連邦最高裁は合衆国憲法上の権利を定義し始める。そのリーディング・ケースが,

SlaughterHouse Cases

38)

であり,そのフィールド反対意見が,19 世紀後期の憲法理論 の範型となった。フィールドは,修正 14 条において保障された権利をコモン・ローに よって定義し,コモン・ロー上享受されてきた権利を縮減しようとする州の制定法を,

合衆国憲法の名の下に違憲無効としたのであった。

 かかるコモン・ローに準拠した憲法論こそ,19 世紀後期から 20 世紀初頭のロックナ ー期において主流であった法理論に他ならない。当時の法理論においては,コモン・ロ ー上の自由と憲法上の自由は,ともに civil liberty,つまり法に保護された自由として 同一の内容を持つと考えられていた。身体の安全,人身の自由,財産権などがその典型 とされていたのであり,憲法上の権利とは,コモン・ロー上保護された personsand property と同一のものであった。

 Lochner 判決は,かかる法理論を踏まえて初めて十全に理解可能なものである。同判

決において合衆国憲法上保護された「契約の自由」は,元々はコモン・ローの契約法に

基礎を持つものであった。憲法判例に先立って,各州の裁判所は,市民の契約の自由を

私法上保護してきたのである。 Lochner 判決は,私法的に保護されてきた契約の自由が,

(12)

州制定法による侵害からも同時に保護されるべきことを判示したに過ぎなかったのであ る。同時に,コモン・ロー上契約の自由が規制される公共運送人の契約などについては,

州制定法による規制もまた合憲と考えられた。憲法上保護されるべき契約の範囲と,私 法上

(コモン・ロー上,契約法上と言い換えてもよい)

保護されるべき契約の範囲とは,基 本的に一致すべきものであった。

 このような,コモン・ロー上の法原理や権利の憲法的編入とでも称すべき現象は,ポ リス・パワーの法理論にも同様に見出される。ポリス・パワーの憲法上の限界は,コモ ン・ローにおいて蓄積されてきたニューサンス法の判例を手掛かりとして決定された。

コモン・ロー上,ニューサンスとされてきた諸々の迷惑行為は,ポリス・パワーによっ て合憲的に規制されうる。その一方で,コモン・ロー上,ニューサンスとなりえない適 法行為を,ポリス・パワーによって規制することは自由の侵害として許されない。コモ ン・ロー上の自由が憲法上の自由の範囲を決定するのである。19 世紀後期アメリカの 憲法理論は,このように,コモン・ロー上の法原理,権利,準則,判例などを応用して 組み立てられていた。それは,コモン・ローによって長らく規律されてきた法世界が,

新しく作られた制定法によって浸食されるのを防ぐためのものであり,コモン・ロー上 の権利が,制定法によって縮減されるのを阻止するためのものであった。

 しかし,このようなコモン・ロー的憲法論は,20 世紀以降,革新派の法律家によっ て批判され,アメリカ法史からの退場を余儀なくされる。ホームズ,フロインド,パウ ンドらは,旧態依然とした契約法やニューサンス法などのコモン・ローが,もはや時代 遅れであり,現代的な社会問題を解決する能力を欠いているとみなした。コモン・ロー に準拠して憲法を解釈することは,そのような時代遅れの遺物を,立法府による社会変 革から擁護しようとする時代錯誤的な試みとしてのみ理解される。20 世紀以降,ロッ クナー期の終焉とともに,憲法上の権利はコモン・ローという基礎から離れ,アメリカ 連邦最高裁は,新しい憲法上の権利体系を構築し始めるに至るのである。

2 .現代日本法への示唆

 かかる本稿での長い議論は,現代日本社会に生きる我々にとっていかなる意味を有す るのであろうか。勿論,歴史から何を読み取るかは読者に委ねられているが,筆者が考 えるところをいくつか指摘して,本稿を終えることとしたい。

 第一に,近代立憲主義,近代憲法をめぐる歴史叙述,あるいは物語の妥当性という問

題がある。個々人が自然権を守るために締結した社会契約の産物として近代憲法を理解

(13)

し,それを中世立憲主義とは根本的に断絶したものとして理解する憲法史理解が今日で も強い力を有している

39)

。そこにおいて,伝統や慣習,あるいは身分制に基礎を置く「中 世」立憲主義は「近代立憲主義」とは切断された異質な思想とされるのである。本稿の 議論は,イングランド人の伝統的慣習法であるコモン・ローがアメリカの立憲主義の根 幹を規定し続けていたことを論じるものであり,このような通説的な歴史観とは一定の 緊張関係を有している。

 アメリカ建国史の共和主義的解釈を受け

[中山 :1995]

,あるいはジョン・ロックの政 治思想のキリスト教的解釈及び統治二論の執筆意図の再確定という政治思想史の研究の 進展を受け

[愛敬 :2003]

,このような通説的歴史叙述の妥当性が憲法学の内部から問い 直されたこともあったが,なおそれらの研究は,従来の歴史叙述の妥当性は基本的に維 持されるとの立場を採用している

[中山 1995:100;愛敬2003:200-205 ]

。そのような結論 を取るかはともかく,アメリカ憲法史に限ってみても,建国期における古典的共和主義 や古来の国制論の影響は周知のものとなっており

40)

,そこにおいては,古代中世以来 の身分制的伝統や

41)

,慣習,伝統,歴史に訴えかける政治思想は大きな役割を果たし ていたのであり

42)

,これらの要素を過小評価してよいわけではない。憲法学においても,

近代憲法の歴史像を,より解像度の高いものとしていく必要があるように思われる

43)

。  第二に,日本法と日本社会に大きな影響を及ぼし続けているアメリカ法の理解という 問題がある。本稿の議論は,アメリカ法を理解するという動機によって貫かれている。

本稿がその基底的意味において動機とするのは,アメリカ法の個別の準則,個別の判例,

あるいは一裁判官の思想などの「表層」を紹介することではなく,明示的には表現され ることの必ずしもない,アメリカ法それ自体の基底的な思考様式の理解を獲得すること である。アメリカ憲法にも影響を与えているとしばしば簡潔に言及される「コモン・

ロー」とは,具体的には何であるのか。アメリカ法学において,ケースがこれほどまで に権威的なものとして重視されるのは何故なのか。本国において法学教育を受け,法実 務に携わる者は,あたかも英語を身につけるがごとく,このような問題を自覚しないま まに,アメリカ法の思考様式を身につけるのであろう。しかし,我々外国人にとっては,

アメリカ法の思考様式がどのようなものであるかは,外国語を学ぶ時のように,逐一言 語化し理論化しなければ納得のいくものにはならない。本稿では,憲法的尊重を受ける

「コモン・ロー」の具体的な在り様について,かなり詳細に検討したが,それはこのよ

うな問題意識に基づいてのことである。かかる作業を通じて,少なくとも筆者は,コモ

ン・ローとは何であり,ケースとは何であり,それらのアメリカ法における意味がどの

ようなものなのか,以前よりも明瞭に理解することができたように思う。

(14)

 これに関連して,アメリカにおける「司法審査の正当性」という問題がある。これに ついては,これまでも多くのことが語られてきたが

44)

,そこにおいて,アメリカの司 法審査が歴史を通じて獲得してきた正当性を等閑視する傾向がなかったか。そもそも,

憲法を通常裁判所が執行するという 20 世紀中期以前には世界的にも例外的な営みがア メリカにおいて根付いたのは何故なのか。それは,裁判所が表現の自由などの政治過程 に必要な権利を守ったからではないし,黒人などのマイノリティの人権を民主的専制か ら擁護したからでもない。それは全てアメリカ憲法史の極めて最近のエピソードに過ぎ ない

45)

。アメリカにおいて司法審査が可能だったのは, Marbury 判決によって端緒を 開かれた,憲法が「法」として執行されるという建前を裁判所が維持し続けたからであ ると本稿は捉える

46)

。19 世紀を通じて,アメリカの裁判官は,憲法上の権利,原理,

準則をすでに確立されたコモン・ローから編入することで,憲法が「法」として裁判所 で執行されるべきものであるとの観念を再生産し続けたのである。かかる先行する土壌 なくして,その法的基礎の不安定な,20 世紀以降の現代型司法審査はあり得なかった だろう。

 そして,現代アメリカ法学は,コモン・ローに依拠した憲法論が不可能となった後も,

かかる土壌から養分を吸い取って枯渇させようとするのではなく,むしろ栄養を与えて 肥沃な大地を再生産し続ける意思を表明しているかに見える。アメリカ法学は,リベラ ル対保守という政治的対立とは一応別に,法理論としていかに憲法論が可能かを真摯に 模索し続けているように思われるのである。ストラウスの生ける憲法論はその最も典型 的な例であろうが,わが国でもよく知られている,スカリアの原意主義

[Scalia1989 ]

, ルーズベルト 3 世の「正統性ある司法審査」の理論

[RooseveltIII2006]

,ドゥオーキン のインテグリティ論

[Dworkin1986 ]

などは全て,直接的な政治的考慮とは別に,憲法 論が法理論としていかに可能かを,コモン・ローという確固たる法的基礎なき後に探ろ うとする試みとして理解可能であるように思われる

47)

 第三に,日本の司法審査の基礎,日本国憲法の法的権威という問題がある。筆者は,

かねてから,19 世紀アメリカ法学が有していたような,司法審査の「法的な」基礎,

土壌が日本法には欠けているのではないかということを指摘してきた

[清水2013:149]

また,それについての処方箋もある程度示したつもりであり,ここでは繰り返さな

48)

。本稿では,法律家が憲法問題にどのように関わるべきかを自戒を込めて記して

おきたい。法律家が,法についての特定の解釈を示そうとするとき,それが「法的」で

あること,「法」についての専門知であることを,説得力を持って示すことができなけ

れば,法律家は自らの政治的イデオロギーを法の名の下に語るだけとみなされ,法の権

(15)

威の失墜を招きかねない。実際,アメリカ法史において,法の権威を失墜させようとす る試みはしばしばこのような議論の形態を採用してきた

49)

。我が国においても,イデ オロギーの直接的表明と捉えられうるような解釈論には慎重である必要があろう

50)

(完)

1 )WestCoastHotelv.Parrish,300U.S.379(1937).

2 )Adkinsv.Children’sHospital,261U.S.525(1923).

3 ) かかる「憲法革命」がなぜ発生したのかについては多くの文献の蓄積がある。従来は,ルーズ ベルト大統領によるコート・パッキング・プランが直接の影響となり,Adkins判決の否定がもた らされたとする理解が通常であった。しかし,近年はかかる理解は強い批判に晒されている。新 たに登場した修正主義的な見解によれば,WestCoastHotel判決における判例変更は,政治的圧 力の結果ではなく裁判官自らの主導による法理の内在的変化として理解すべきとされる。このよ うな見解の代表的文献として,[Cushman1998;White2000 ]がある。かかる修正主義について 論じた邦語文献として,[山本2012:95;岡山2016:135-138;川岸2016:165;椎名2018:262]。

4 ) 本稿「コモン・ロー,憲法,自由(7)」中央ロー・ジャーナル 15 巻 2 号 48-49 頁。

5 )UnitedStatesv.CaroleneProductsCo.,304U.S.144(1938).

6 ) 立法の合憲性が推定されるというのは,実のところ,ロックナー期以前からの確立した法準則 であり,別段新しいことを述べている訳ではない。この点につき,[清水2011:230,n.170 ]。し かし,パウンドは,かかる合憲性の推定が実際の裁判では守られていないとして批判していた[Pound 1910:15]。

7 )UnitedStatesv.CaroleneProductsCo.,304U.S.144,155(1938).

8 ) 例えば,[Linebaugh2009:ch.8]は,マグナ・カルタと連邦最高裁をテーマとした小論であるが,

そこにおいて,マグナ・カルタを引用した最高裁判例をかなり網羅的に調査している[ibid:173-

74]。それを一瞥すれば,マグナ・カルタの連邦最高裁による引用は 19 世紀から今日に至るまで,

断続的に繰り返されてきたことが明らかとなる。また,連邦最高裁判例におけるマグナ・カルタ の引用をその種類別にまとめたものとして,[Wermiel2014]。マグナ・カルタのアメリカ憲法へ の影響を解釈方法論や実体的権利論の観点からまとめたものとして,[Pallitto2015]。

9 ) 例えば,あるアメリカ法の入門書は,憲法解釈の際に動員される資源として,文言,起草者の 意図,憲法批准時の条文の意味,憲法の構造と歴史,憲法的価値,外国法および国際法,先例を 挙げている[Podgor=Cooper2009:178-79 ]。実際,憲法解釈において,どれを重視するかに ついて意見の相違はあるにせよ,かかる資源を用いる必要性は誰も否定することができないであ ろう。

10) 勿論,実体的なレベルでのリンクが完全に消滅したというのは言い過ぎである。キャス・サン スティンは,ニュー・ディール以前にはコモン・ローが中立的で自然的な状態であり,そこから の乖離は憲法的に正当化されなければならないという「現状中立性」の思想が支配的であったと する。そしてサンスティンはこのようにコモン・ローを中立的で憲法的に自然な状態とみなす発 想は現代でも多く残っていることを批判する。

 例えば,財産権や契約を憲法上保護された消極的自由として観念する一方,福祉に対する権利 を積極的権利として憲法上の保護に値しないとする理論[Sunstein1993:68-71 ],行政法の執行 を憲法の適用されるステイト・アクションとしつつトレスパス法の執行をステイト・アクション としないという二分論[Sunstein1993:73 ],修正 1 条上のパブリック・フォーラムをコモン・

ロー上の道路や公園に限定し,空港をそこから除外する判例[InternationalSocietyforKrishna

(16)

Consciousnessv.Lee,505U.S.672(1992)][Sunstein1993:226 ],規制法の受益者には原告適 格(standing)を否定する一方で規制法の対象たる業者には原告適格を認めていること[Sunstein 1993:89 ],中絶禁止は違憲だが中絶を公的資金で援助しないことは合憲とする,「違憲の条件」

論[Harrisv.McRae,448U.S.297(1980);Rustv.Sullivan,111S.Ct.1759(1991)][Sunstein 1993:86 ]などである。サンスティンによれば,これらは全て伝統的な私権保護の体系であるコ モン・ローによる権利配分を中立的状態とみなし,それに対する侵害のみを違憲な国家行為とす る発想に依拠している。

 確かに,このような意味では,コモン・ローは今なお憲法判断の根幹を規定している側面はある。

しかし,かかるサンスティンの例においてコモン・ローがことさらに特権的な地位を占めている とは評価できないように思われる。例えば,契約の執行という伝統的な司法作用もstateaction として憲法の適用下にあると判示されたことがある[Shelleyv.Kraemer,334U.S.1(1948)]。

また,制定法上の利益が原告適格の基礎となったり[Sunstein1993:89 ],手続的デュー・プロ セスによる保護の対象となることもある[Goldbergv.Kelly,397U.S.254(1970)]。連邦最高裁は,

それぞれの問題ごとに,多くの利益衡量をして憲法上保護される権利を画定しており,その要素 の一つとして,伝統的な私法秩序も考慮されているというのが実体であろう。そこにおいては,

コモン・ロー思想よりも利益衡量論が基礎にある哲学であるように見える。

 サンスティンの研究以外にも,個別領域においては,憲法論にコモン・ローが与えた影響を検 討する論文はある。例えば,[Kerr2004;Mannheimer2015 ]は,修正 4 条において禁止される 不合理な捜索及び押収の解釈について,コモン・ローが大きな影響を与えているとする。U.S.v. Jones,565U.S.400;132S.Ct.945(2012)において,コモン・ロー上のトレスパスを修正 4 条上 の「捜索」と結びつけたのはその最たる例ということになる。また,[Kaplan1998]は,懲罰賠 償の額のデュー・プロセス上の限定にコモン・ローの手続法が与えた影響,修正 6 条の自己に不 利な証人に対決する権利にコモン・ロー上の伝聞例外が与えた影響,財産収用法におけるニュー サンス法の影響を主題としている。

 本稿は,20 世紀以降,コモン・ローと憲法の実体的連関は大きく失われたとの立場をとる。実際,

コモン・ロー上の権利体系と憲法上の権利体系は,19 世紀当時と異なり,全く別のものとなった ことは明らかである。しかし,かかる先行研究に示されているように,個別具体的に精査すれば,

コモン・ローは今なお憲法論に相応の実体法的な影響力を行使し続けていることも確かであろう。

もっとも,この論点についての包括的検討は本稿の射程を超える。

11) 憲法解釈の方法を生ける憲法論と原意主義に二分して整理することはしばしばなされるが

[Jackson2006:925;RooseveltIII2006:47/47;Chemerisky2015:17 ],近年では,この二つの潮 流は接近してきており,実のところほとんど区別できないとの主張もある[団上2018:101]。こ の点については,[大林2012:121]が詳しく紹介している。例えば,制憲時における条文の客観 的意味に司法府は拘束されるが,制憲者が具体的に意図した適用の結果にまで縛られるわけでは ない,と考えるタイプの原意主義によれば,「平等」「残虐で異常な刑罰」などが具体的に何を指 すかについての解釈が変化したとしても,意味それ自体は元来の意味を適用しているから,原意 主義には反しないことになる[RooseveltIII:52/52]。しかし,本稿は近年の原意主義論争の分析 を主題とするものではないため,従来的な二分類に従っておく。

12) 本稿は生ける憲法論及び原意主義の網羅的な検討を行うものではない。ここでの議論の目的は,

それぞれの代表的な議論を取り上げることで,19 世紀におけるコモン・ローに立脚した憲法論が 退場した後,現代の憲法理論が,憲法とコモン・ローの関係をいかに理解しているかを簡単に確 認するに留まる。本格的な検討は他日を期したい。我が国においても,生ける憲法論,原意主義 ともに,多くの先行研究の蓄積があるが,それをここで列挙することは本稿の目的との関係上不 必要であると考えられるため控えたい。原意主義の先行研究については,最新の文献リストを,[川 鍋 2017:172;団上2018:102 ]が提供している。生ける憲法論については,[大江2003;2011;大 林2012;2018;愛敬2017]を参照。

(17)

13) アマーの憲法理論については,[大江2003;松井2011;川鍋2018]に紹介がある。

14)Commonlawconstitutionalismの訳としては,「コモン・ロー立憲主義」とやや直訳風の語も考 えられる。しかし,英語におけるconstitutionalismは,形容詞を冠した上で,多様な憲法構想を 指すために用いられることが多々あり,「憲法論」とした方が自然であることも多いように思う。

例 え ば,popularconstitutionalism,politicalconstitutionalism,abusiveconstitutionalismな ど。そ れぞれ,[Kramer2004;Bellamy2007;Landau2013]。

15)Sommersettv.Stewart,20How.79(1772).

16)Commonlawconstitutionalismは多義的な概念であり,論者によってその意味するところは相 当程度異なっている。しかし,一般的には,裁判官による柔軟な法発展を擁護する立場を指すこ と が 多 い[Vermeule2009:13;Waluchow2006;Gordon2017:378 ]。[Shimizu2016:1-2 ]は,

英米における同概念の使用例をある程度包括的にまとめているので参照されたい。

17)Brownv.BoardofEducationofTopeka,347U.S.483(1954).

18)Plessyv.Ferguson,163U.S.537(1896).

19) 235U.S.151(1914).

20) 245U.S.60(1917).

21) 305U.S.337(1938).

22) 339U.S.629(1950).

23) 554U.S.570(2008).

24)Ibid:594.

25) 実際,スカリアらの原意主義が前提とするコモン・ロー観は,19 世紀歴史法学のそれとは大き く異なっている。スカリアは,コモン・ローを固定されたルールの体系とみなすが[Gordon 2017:378,n.33],このようにコモン・ローをルールに還元しようとする発想は歴史法学派には無 縁である[清水2013a:27;Gordon2017:338 ]。スカリアは,法を命令とみなす実証主義的な発 想を有しており,かかる法観念はヘイル,バーク,ブラックストーンよりもはるかにベンサムに 近いものであるとの解説もある[Gordon2017:338]。「原意主義の法律家はアメリカの歴史法学 の実際の伝統と対立している」[ibid]のである。

26) 565U.S.400(2012).

27)Ibid:405.20 世紀前半まではコモン・ローに準拠して修正 4 条が解釈されていたとのスカリア

の判示は,本稿の分析である,20 世紀以降に憲法とコモン・ローが分離したとの理解とちょうど 重なる。

28) 389U.S.347(1967).

29)UnitedStatesv.Jones,565U.S.400,406(2012).

30)Ibid:409.

31)Ibid:411.かかる判示は,スカリアにとってコモン・ローの準則は文言に劣後する地位しか与え

られていないことを示している。このような態度が,19 世紀歴史法学派とは大きく異なっている ことは明らかである[清水2013b:136]。

32)U.S.const.amend.IX.「この憲法における一定の権利の列挙は,人民によって保持されている 他の権利を否定したり軽視するものと解釈されてはならない」。

33)Piercev.SocietyofSisters,268U.S.510(1925).

34)Cruzanexrel.Cruzanv.Director,MissouriDepartmentofHealth,497U.S.261(1990).

35)Griswoldv.Connecticut,381U.S.479(1965).

36)Lawrencev.Texas,539U.S.558(2003).

37) メイラーの原意主義によれば,憲法が制憲時のコモン・ロー理解に従って読まれるべきなのは,

コモン・ロー関連の概念が憲法の語やフレーズを特徴づけているときに限定されるようである

[Meyer2006:595 ]。メイラー自身が例として挙げる修正 7 条がかかる場合に当たるのは明らか

であるが,それ以外の条文に関して彼女の議論がいかなる含意を持つのかは今のところ不明確で

(18)

ある。

38) 83U.S.36(1873).

39) 例えば,教科書・概説書の記述ではあるが,[佐藤2015:56;毛利=小泉=淺野=松本2017:2-3]。

かかる歴史観の代表的な論者は樋口陽一であろう[樋口2007a:15;2007b:28-29]。

40) 共和主義については,ポーコック,ベイリンやウッドの研究が[Bailyn1992;Wood1998;

Pocock2003 ],古来の国制論については,J.P. リードの研究が著名なものである[Reid1995;

2005 ]。なお,アメリカ建国期の政治思想の研究史についての簡潔なガイドとして,[Gibson 2009]がある。

 すでに中山道子は,古典的共和主義及び古来の国制論がアメリカ革命に与えた影響を精査する ことは,日本の比較憲法学にとって必要な課題であると指摘していた[中山1995:101-102]。し かし,かかる指摘が日本の憲法学に影響を与えたとは言い難い状況にある。

41) 例えば,田中秀夫と大久保優也はアメリカ建国期のフェデラリストの政治思想について,それ ぞれ次のように述べている。

連邦共和国を安定的にするには,どうすればよいか。それはアメリカの土壌において,すな わち王も貴族もいないところで,伝統的な「一者,少数者,多数者の均衡」を創出すること である。アダムズの見解はそうであった。大統領,上院,下院がこうして設けられることに なったのは,いかに思想家たちが,過去の経験,慣習に囚われていたかを示すともいえようが,

また経験から学んでいるとも言えるであろう[田中2012:536]。

このような「代表」観念,政治主体の「有徳者」への限定,彼らの熟議による統治は,デモ クラティックな社会へと変容を遂げる中でも,他者に依存しなくてよい財産を有し,また労 働に煩わされることもない市民に政治を限るべきである,という古典的な政治社会のイメー ジを重視するものであると言えよう[大久保2010:63]。

もちろん,アメリカ革命とそれに続く連邦憲法制定が多くの革新的思想に依拠していたことは疑 うべくもない。重要なことは,近代憲法の樹立に当たり,何が継承され,何が克服されたのかに ついて,正確かつバランスの取れた理解を得ることであろう。この点について,建国の父たちが 古典古代をどのように理解していたかを論じる[原田2017 ]は示唆に富む。原田によれば,ジ ョン・アダムズは身分制に基づいた混合政体論を奉じていたが,アメリカ合衆国憲法はその否定 の上に成立したという[ibid:82,86]。

 また,[中野2006 ]は,マディソンの共和制論を,西洋政治思想の伝統とアメリカの新しい状 況の接続という文脈の中で理解している。そこにおいては,徳論や混合政体論(それらはともに 身分制的秩序を前提とする)といった政治思想が,近代的変容を被るとしてもなお,重要な意義 を有していたのである。かかる歴史叙述は,古代,中世と近代とを単純な対立図式で理解しよう とするそれ,近代思想を身分からの個人の解放の帰結として論じるそれとは対極にある。

42) 自然権思想や社会契約論のみならず,慣習法論がアメリカ建国期に大きな力を持ったことにつ いて,[Reid1976;Grey1978;McConnell1998 ]。筆者も同様の見地から論じたことがある[清 水2012:37-51]。

43) 例えば,[Davisetal1995 ]は,全体として,古代及び中世の政治制度や政治思想が,いかに 近代のそれを準備したかという視点から議論が行われている。このような,古代や中世の政治思 想が近代のそれの基礎となったという観点は,憲法学の議論において,政治思想史などの学問分 野と比べ弱いように思われるのである。前掲注 40-43 の文献も参照。もっとも,少数ながらも,

法学の分野において,このような解像度の高い歴史像を提供する文献も存在する。そのような例 として,ここでは,[種谷1971;富井2002:ch.V]を挙げておきたい。

44) 我が国における代表的な先行研究として,[松井1991;阪口2001;大河内2011]。

(19)

45) 現代アメリカ憲法における表現の自由の裁判法理は 1970 年代以降,修正 14 条に基づく人種的 差別の禁止の裁判法理は 1950 年代以降に形成された,極めて最近のものに過ぎず[Gordon2017:

370],あたかもそれが普遍的であるかのようにアメリカ憲法を語ると時代錯誤に陥ることになる。

46)Marburyv.Madison,5U.S.137(1803).かかるMarbury判決の理解については,[岸野2006:

69-72;原口2018;尾形2018]。もっとも,司法審査の歴史において,Marbury判決はことさらに 特別視されるべきではない[勝田2013;岡室2017:155-162]。また,19 世紀前期アメリカの憲法 学において,コモン・ローが憲法解釈の参照枠組みとされていたことについて,[大久保2010]。

47) そうであるからこそ,かかる試みは批判法学(criticallegalstudies)の立場からは,法の政治 性を隠蔽しようとするものとして批判の対象となる[Horwitz1992:272/357 ]。また,近年のア メリカの憲法理論の「著しい政治性・党派性」について,[木下2018:14]。確かにアメリカ憲法 理論に一定の政治性があることは否定すべくもないが,それらの理論は,論点ごとに異なった解 釈方法を採用することで,政治的に望ましい結論を導き出すことを制約しようという動機を共有 している。例えば,憲法 9 条は原意主義的に,13 条は生ける憲法論的に解釈した場合には,それ らの条文を一貫した解釈方法の下で解釈した場合に比べ,たとえ同じ結論に到達したとしても,

政治的な法解釈であるとの批判を受けやすくなると思われる。

 この点に関連して,法が政治や社会からどの程度独立しているのかという問いの下に法思想史 を叙述した著書として,[中山2000]がある。このような現代における法思想の対立も,19 世紀 法思想史を理解することで,より適切に位置づけることが可能となろう。

48)[清水2016:223;清水2018:229-230 ]参照。そこでは,特に日本法において,通常の民事法,

刑事法についての法的判断と,憲法判断を近接したものとして理解する可能性を提示した。下記 は拙稿からの引用である。

例えば,公務員による政党の機関紙配布が,「政治的行為」(国家公務員法 102 条 1 項)とし て処罰されるべきかが争われ,無罪となった堀越事件(最判平成 24 年 12 月 7 日刑集 66 巻 12 号 1337 頁)においては,憲法判断によることなく,国公法の解釈によって,政治的表現 の自由を保護するという方法を最高裁は採用した。その際,千葉勝美による補足意見は,か かる国公法の解釈は,「その文理のみによることなく,国家公務員法の構造,理念および本件 罰則規定の趣旨・目的等を総合考慮した上で行うという通常の法令解釈」[千葉2017:59 ] であると強調している。このような,憲法判断ではなく「通常の法令解釈」によって憲法価 値を守ったと評価できる判決として,他に,剣道受講拒否事件(最判平成 8 年 3 月 8 日民集 50 巻 3 号 469 頁)や,月刊ペン事件(最判昭和 56 年 4 月 16 日刑集 35 巻 3 号 84 頁)などを 挙げることができよう。このような事案は,従来,憲法判断を避けているとして消極的な評 価を受けることもあったが[奥平1995:ch.4],本章の視点からは,より積極的な評価に値す るように思われる。また,森林法判決(最大判昭和 62 年 4 月 22 日民集 41 巻 3 号 408 頁)や 郵便法判決(最大判平成 14 年 9 月 11 日民集 56 巻 7 号 1439 頁)においてなされた,民事法 上の法制度に準拠した司法審査がある。これらの判決は,それが大上段な憲法理論よりも,

民事法に埋め込まれた原理との整合性を問題にしているという意味で,通常の司法作用の延 長線上にある司法審査権の行使と言ってよいように思われる[清水2018:229-230]。

なおこの点について,[Shimizu2016]も参照。

 また,近年の日本の憲法学において,日本の憲法判例を内在的に分析し,発展させようとする 試みが有力になってきていることは,それが知的に興味深いかはともかくとしても,憲法を法と して定着させるという視点からは,一定の評価に値すると考えられる。

49) 前掲注 46)参照。

50) 賛否は置くとしても,近年におけるこのような批判の例として,例えば,[井上2015;山元 2015;藤田2016;大塚2017]がある。

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引用文献一覧

※ 数が膨大になるため直接引用した文献に限って記載した。……は中略を示す。翻訳がある 場合には/の後の数字が和訳の頁数を示している。

<英語文献>

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参照

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