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エヌ・リュビモフ著「資本主義国家財政学」

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(1)

エヌ・リュビモフ著「資本主義国家財政学」

その他のタイトル N. N. Liubimov, Public Finance of the Capitalist States

著者 佐藤 博

雑誌名 關西大學經済論集

巻 8

号 4

ページ 290‑306

発行年 1958‑12‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15620

(2)

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言い得ることで︑国家活動の拡大や新しいフィスカル・ボリシ

ー理念の発展に従って斯学の研究対象もおのずから多面にわた

り︑これを裏から見れば︑まさに財政学の独自性が脅される状

態にまで到つている︒現在われわれは﹁財政学を独立の研究分

野として取扱うのは過去においてこそ正当だったが︑現在にお

いては︑水中に没してしまつている概念を持越そうとすること

( 1 ]  

にでもなるのだろうか﹂という疑いを抱かざるを得ぬような立

場に追込まれている︒

ているマルクス主義学派では︑資本主義国家財政に関するプル

ジョア理論の批判として独自の財政論体系を︑マルクス主義の 他方において︑プルジョア経済学の批判として学派を形成し をとるようになってきた︒このことは財政学の分野においてもいずれの場合においても財政学を社会科学の一部門たらしめる家財政の研究書であり︑当然のことながら︑マルクス主義にその理論的立場をおくものである︒すでにソビエトにおける資本

( 2 )

3) 主義財政の研究については︑﹁経済学教科書﹂やエ・プレーゲリ

( 4 )  

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イ・トラハテンベルグ

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文を通じて︑その一端が我々の目に触れてはいるが︑これまで

発表された研究に共通なものとして︑財政学の体系的な叙述に

欠け︑それぞれ特定の租税問題や経費分析に主たる努力が注が

れていた︒かかる意味からして本書はこれまでの欠陥を著しく ここに紹介せんとする著書は︑ソビエトにおける賓本主義国 ぬことは当然である︒ ためには︑それの有する独自の研究対象が存在しなければなら し︑社会科学各部門における研究対象も極めて錯綜したかたち通じて確立しようという努力がなされて来た︒しかしながら︑ 資本主義体制の発展に伴い社会経済諸現象は著しく複雑化古典的労作に依拠しつつ︑あるいは資本主義財政の現状分折を

エヌ・リュビモフ著﹁資本主義国家財政学﹂*

(3)

291 

第一篇国家財政の歴史的発展 第一章前資本主義体制の財政 第二章プルジョア国家の財政

第二篇資本主義国家の経費および収入体系

第三章資本主義国家の経費

第四章資本主義国家の収入体系

第五章資本主義国家の租税の本質

エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

クス主義の立場よりする財政学の研究対象ないしは研究方法と に盛込まれており︑総括的な概観は得られるものの︑個々の分析については余りにも浅薄に過ぎるきらいがある︒

本書紹介の目的は︑ソビエト財政学者の研究を通じて︑マル

いったものに一瞥を与えてみることにある︒紹介に先立ち本害

の構成について概略しておこう︒本書は序論と三篇十三章から

成り︑その章別編成は次の如くである︒

節 ︶ ていることである︒日く﹁プルジョア財政論批判﹂ 資本主義国家の予算 第三篇 国有企業および国有財産収入 第九章 第八章 補足するもので財政学の体系的な叙述にその最大の特徴が見出

第十二章

第十三章資本主義国家の予卵制度

右の各章は︑更らに二つないし三つの節に細分されている

が︑各章節に一貫した論述の特微は︑すでにその例をプレーゲ

( 5 )  

リの書に見られる如く︑それぞれの結論的部分がすべて各財政

カテゴリーに対するプルジョア理論の批判というかたちをとつ

等々︒かかる論述の特徴に沿つて︑本稿ではこういった結論的

部分を中心に述べて見たい︒またその順序については大体教程

のそれに準じて行う︒なお文中カッコ内に示された頁数は原著

一︑財政の概念︑研究対象および研究方法

資本主義国家の予算および予節制度 る特有の欠点があり︑僅かな頁のなかに数多くの問題が圧縮的

第十一章国家信用

て編纂されたものであり︑その意味からしては教科書に付随す第十章 もともと本書はソビエト財政経済専門学校用の参考教程としプルジョア租税論批判 第七章間接税資本主義諸国の租税転嫁

(4)

いるのである︒換言すれば︑財政諸制度をひとつの歴史的範疇﹁優れて現物的﹂な性格を有していたが﹁商品の生産および交 発展と歴史的に密接なつながりをもつている点が問題となつて展である︒奴隷制国家の財政形態は当時の現物経済を反映して や内容が一定の国家のタイプを生ぜしめている社会経済体制の エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

リュビーモフ教授は︑我々が冒頭において提起した問題を序

論で詳細に検討している︒まず彼は︑ひとつの学問の研究対象

に属すか否かを証明することであると述べ﹁財政学の研究対象

とは如何なものか﹂と設問し次のように説明している︒

﹁財政学は︑自己の研究対象として︑国家の存在と機能とに

る︒周知の如く︑国家機関の維持︑国家によるその機能の遂行

方法︑性格︑規模は︑

階級的内容の相述は︑このことによって決定される﹂︵︱̲二頁︶

が通常財政学の研究対象とされさているが︑著者にあっては︑

かかる財源の動員支出だけが問題となるのではなく︑その方法 ﹁歴史的秩序の表現﹂として財政をとらえ

社会では︑国家を知らなかったし︑従ってまた財政も知らなか

義国家観であり︑これが本書の一大前提となつている︒

共同体の崩壊が社会階級を形成せしめ︑階級対立の発生ならび

の抑圧の可能性を保証すべき支配階級の特有の権力として国家

が発生する﹂︵三頁︶かかる権力を維持せんがため︑

財政発生の第一の前提条件は︑かかる意味における国家の発

生である︒財政発生の第二の前提条件は︑商品

1

1貨幣関係の発 の物的手段︑国庫ないしは財政を必要とするのである︒ 国家はそ国家活動に要する資金の徴収︑支出あるいは管理ということ ている発展段階に依存する︒社会経済体制の相違による財政のに国家組織の出現を迎いた︒社会発展のある段階に被圧迫階級 ﹂ろの一定の社会経済体制︑ならびに一定の社会体制の置かれ 一定の国家のタイプをもたらしていると

のためには財源が必要である︒かかる財源の動員および支出の度は︑国家をして社会の階級分化より生ずると説くマルクス主 ては誰しも異論はないであるう︒しかしながら著者の一貫的態 歴史的に不可分の関係にある貨幣的諸関係の制度を有していった﹂︵二頁︶︒国家財政が国家の発生を前提とすることについ ﹁生産手段の社会的所有と分配の平等とから成る原始共同体 て著者は二つを挙げている︒

を決定することは︑とりもなおさずその学問が独自な研究分野在しなければならなぬわけである︒か

4る歴史的前提条件とし ているのである︒従って財政には︑その発生の歴史的前提が存

に属するものとし 0

(5)

新しい特性を形作らせる︒しかしながら︑

換の発展とともに国家収支は次第に貨幣的な性格を有するよう

になり︑その後の商品

1

1貨幣関係の発展と国家活動の拡大に伴

い国家の財源要求はますます増大するようになった﹂︵二頁︶︒

かかる貨幣的諸関係こそ財政を特徴づける第二の契機である︒

時を異にして生じている点の説明がない︒この点については︑

エム・ボガチェフスキー教授

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( 6 )  

摘は当を得たものである︒

経済的に支配している階級は同時に政治的に支配する階級と

なる︒かれらは国家の力を借りて︑権力に根をおいた被圧迫階

﹁全体としての財政

エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

③資本主義経済に及ぽす国家財政の影響を明らかにするこ このことは社会形態の発展段階における国家経費調達の分野に 級の抑圧ならびに搾取の︑新しい手段を獲得するからである︒

(2)  (1) 

資本主義国家財政の起源を明らかにすること︒

国家財政の分野における資本主義の経済法則の作用を吟

れ︑社会の歴史的発展過程において自己の形態とその技術的方

法を変えて来た︒しかるが故に財政学はまさにかかる国家の存︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑在と機能とに歴史的に不可分の関係にある貨幣的諸関係を研究

これら主要課題を果すため︑本書では次のような研究諸目標 ︑ ︑

歴史的前提によって︑財政は﹁客観的な社会関係﹂として現わ

かかる社会関係を明るみに出すこと︑それが本書﹁資本主義

国家財政学﹂に与えられた主要な課題である︒ 大衆を追加的に搾取する関係において形成されるところの社会 以上の如く国家の発生と商品

1

1貨幣関係の発展という二つの はない︒著者は︑資本主義国家財政を定義して次の如く述べて

﹁資本主義国家財政とは︑国家が︑貨幣基金を作り抑圧機関

の維持や資本家の富裕化のためそれらを支出せんとして︑人民 かかる財政の本質は資本主義国家財政においてもその例外で しかしながら著者にあっては︑これら二つの歴史的前提条件が 態や方法をとつているとはいえ︑それには唯︱つの社会経済的本質︑即ち︑財政は社会の小数者たる搾取者による︑勤労者大衆抑圧の手段であるという本質がある﹂︵八頁︶︑これが著者

の財政本質観と言えよう︒ にせよ︑或いは個々の財政カテゴリーにせよ︑各々が違った形

(6)

を生み出した経済的基盤に光を当てつつ吟味するという学説史 本質が歴史的にあとづけられ︑次いでその結論的部分において︑第八の研究目標即ちブルジョア財政論の批判が述べられている︒その批判の方法は︑財政理論の発展を︑かかる財政理論

る ︒

本書第一篇は上述の三つの研究目標に沿つて資本主義財政の

( 7 )  

を探求しようとする﹂科学的分析の結果出て来た結論なのであ

労資の階級闘争が激化し︑資本弁渡論としての﹁俗流経済学﹂

が出るに及んで︑財政理論も下向的発展期にはいった︒とりも ﹁プルジョア的生産諸関係の内的関係

かくして﹁安価な政府﹂︵スミス︶にせよ﹁すべての租税は悪 ⑧ これら研究目標は︑必ずしも本書の章別編成とは関係をもた

ないが︑い②③は第一篇で︑ぃ固側は主として第二篇で︑切⑱

は全篇を通じて与えられているようである︒囲内で経済的事実の科学的分析を容認したのである﹂︵一七頁︶ である︒まさにそれ故に︑プルジョアジーは︑或る限られた範 アジーの利益が社会の経済発展の客観的行程と一致していたの プルジョア財政論の批判なければならぬと主張した︒当時は︑しばらくの問︑プルジョ 明らかにすること︒必要なものであり︑最小限度にくい留め︑出来るだけ安すくし

(7) 

社会主義国家財政と資本主義国家財政の根本的相違点を法律家︑警察官︑兵士などの費用は︑不生産的な︑余計な︑不 エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

国家の動員した財源の使途︑国家経費をまかなう源泉を

国家経費をまかなうための貨幣基金動員の方法を明らか

著者はまず財政論の発展を上向期と下向期の二つに分け︑A

D・リカードをもつて上昇的発展期の理論家とし︑

ミス︑リカードは︑産業資本の利益を代表しながら︑政治家︑

(6) 

建領主に対立した革命的階級であった︒かかる時代においてス 的負担が勤労者に負わせられている点を示摘すること︒﹁資本主義経済体制の発生に際して︑プルジョアジーは︑封 ⑥搾取者国家の本質と機能とから出発して国家経費の基本次の如く論じている︒ 明らかにすること︒

(4) 

と ︒

的態度である︒

(7)

なおさずこの時期は︑まさに財政理論の﹁俗流化﹂の過程であ

った︒か4る﹁俗流財政学﹂に与えられた第一の課題は何らか

ある︒かくしてスミスの無条件で承認した国家機関の﹁不生性

産﹂論は完全に拒否され︑国家財政制度を有用な﹁物質的富の

生産﹂に関係ありと主張する﹁俗流財政学﹂が現われた︒著者

﹁それより後の︵スミス︑リカード以後の︶プルジョア財政学

ひとつの共通目的によって統一されている︑即ちそれ

の発展と共に更らに強められて行った︒例えばかれらは﹁社会

的協同の最高の形態として国家は社会の発展に最も大きな影響

を及匠し得る︒何故なら︑最も大なる集団的業務は国家の手を

エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

普及を見せていた︒かかる﹁俗流化﹂は資木主義の独占段階へ 従って﹁俗流﹂財政学者のなかでは﹁協同欲望論﹂が広汎な して生産的目的に向けられていることを示さんとすることであてとられている論者の態度は

﹁協同欲望論﹂か﹁階級的財政 益に奉仕するものではないこと︑プルジョア国家の活動は主と は︑国家財政が社会全体の利益に奉仕し︑それぞれの階級の利

は次のような叙述をもつてその本性を明らかにしている︒ 財政の階級的性格すなわち﹁ブルジョア国家が勤労者大衆の財 れら﹁生産性﹂弁設の理論的基礎がすなわち﹁協同欲望論﹂で の形において国家活動の﹁生産性﹂を弁護することであった︒こ(ニッチィF• 国家の刺激的権力をもつて始めて可能となったからである﹂

N it t i ) として︑あたかも公的な集合的な欲望

が︑私的な個人的欲望に対比せしめ得るかの如くとりあげて︑

かかる欲望充足をもつて財政を概念づけた︒

リュビーモフは︑このような﹁協同欲望論﹂は︑結局において︑

政的収奪によって支配階級の需要をまかなっている﹂︵一八頁︶

ということの隠蔽に外ならぬと論じ︑国家に対し︑たとえいさ

さかなりとも︑何らかの梢極的意義づけをなし財政活動の合理

性を主張せんとするものに対しては︑すべて﹁協同欲望論﹂に

軌を一にするものとして退けている︒まさに財政論批判におい

論﹂かの二者択一といった観がある︒かくして彼にあっては

F. L as s a ll e )

にせよ﹁講壇社会主

A.

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にせよ﹁心理学派﹂︵ザックス

E. Sa x)

にせよ︑また﹁組織資本主義﹂︵ヒルファーディング

R. Hi lf er di ng

)にせよ︑その例に洩れていない︒(‑八ー一九頁︶︒

窮極的に見て︑これらの理論は﹁社会的再生産過程において︑ もつて始めて遂行されるし︑また社会生活の根底的変革にせよ

(8)

296 

くされている国家機関と独占との結合強化の方式を見出ださん

たる任務となつて来た︒当然のことながら本書は︑近代財政理 とつて当面の課題ではなかったのかも知れない︒ エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

財政の役割が主導的なものではなく︑従属的であるということ︑

すぺてこれらは国家権力が誰の手中にあるか︑またそれは如何

なる社会階級の政治を行っているかに依存している﹂(‑八頁︶

という点を無視したものであると批判している︒しかしながら

残念なことには︑これら各々の理論の詳細な検討について︑我

々は本書から期待することは出来ない︒もちろん各論者によっ

てそれぞれ国家の役割についての評価は異なつているであろ

う︒しかしながらこれらの相途点をあげつろうことは︑著者に

資本主義の全般的危機の段階となるや︑財政の階級的木質の

隠蔽と帝国主義諸政策の甜極的弁設とが財政学に課せられた主

論の代表者としてケインズJ.

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を登場させている︒

リュビーモフはケインズが戦時に行った﹁強制貯蓄﹂︑

論に現われている﹁投資の国家統制﹂︑また彼の理念としての

﹁閾整資本主義﹂に主たる注意を向け︑か4る理論の背後にか

と努力している︒しかしながら︑叙述の簡潔さがこの書の価値

のひとつであるとは言え︑財政論におけるケインズ批判は余り

ケインズに次いで︑グローヴス

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等の合衆国におけ

るケインズ学派の財政概念を羅列的に引用しながら︑それらの

定式化に現われている皮相性を批判し︑財政学の厳密な定義と

いう﹁アカデミック﹂な言葉にかくれて財政の社会経済的木質

の科学的分析を拒否せんとする態度をもつて︑現代財政論に共

通した欠陥であると示摘している︵二01

最後に著者は︑現代プルジョア財政論はすぺて﹁俗流財政学﹂

に共通な﹁協同欲望論﹂に根を置くもので︑かかる国家の階級︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑性を無視した財政政策の行手には︑資木義主経済発展の無政府

︑ ︑性という再生産過程自体に客観的に存在する矛盾が︑大きく立

ちふさがつてその不可能さを運命づけていると述ぺて本章を結

三︑経

教程第二篇の前半は経費論に当てられている︒経費分析にお

いては︑さきに挙げた研究目標のうち③国家財政の影響︑④財 の繰返しにすぎない︒

にも類型的であり︑単に調整資本主義

1

1独占資本弁護論の公式

(9)

経費論の占める部分は意外に小さい︒リュビーモフはここでも

やはり階級国家観から出発する︒資本主義の国家経費を特徴づ

けるものはプルジョア国家の本質と機能であるとして次のよう

﹁プルジョア国家の搾取者的性質が国家経費の性格をも決定

する︒資本主義の国家経費は不生産的役割を持つている︒その

基本的役割は以下の点にある︑即ち私有財産の維持︑国内の勤

労者の階級斗争の抑圧︑植民地および半植民地の民族解放運動

との闘争︑独占資本拡大への積極的協力である﹂︵四九頁︶︒

となつており︑資本主義諸国における軍事費︑行政喪の膨脹と︑

社会文化費︑社会保障費の僅少なることを統計的に立証してい

る︒しかしながら例証に用いられている資料は極めて粗雑なも

ので︑文字通りの﹁例証﹂の域を出ていない°教科書という欠

陥もあろうが︑むしろこういった実際資料による経費分析は︑

本書に時を同じくしてソビエト財務省より出された﹁資本主義

( 8 )  

諸国の財政﹄のほうが︑われわれの得心という点では勝れてい

ると思われる︒

エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

かくして﹁不生産的経費﹂の分析が本章︵第三章︶の主要部分 に述べている︒ 源の使途のふたつを取扱つているが︑本書全体の比重からして

整すべしと提案されている︒軍需財・用役の政府購入︑軍事工 紹介の予定された経費論批判の方法は︑大体において財政論批判でとられていたものと同じである︒即ち彼は財政学の﹁俗流化﹂の過程において︑経費論が﹁経費不生産性論﹂から﹁経かたちで弁護するようになったとし︑特に一九二九ー三三年の経済恐慌以後に現われた﹁恐慌対策論﹂に批判を与えている︒

がその基礎を打ち建てたこの﹃理論﹄は次のように結論され

る︒搾坂者国家は︑社会の﹃協同欲望﹄を充足すべき任務のあ

本主義再生産の行程を調整し︑それに決定的影響を与え︑その

循環を変えることが可能な如くである︒住民の有効需要の縮少

は︑経済の軍事化軍拡競争に対する国家経費の増加によって補

場その他軍事目的に対する経費の増加︑資本主義的企業への融 経済

1

1組織者的役割を付与せしめんとしている︒国家が恰も資 る超階級的機関だと見倣されており︑プルジョア国家に対して 者ケインズ︑アメリカ経済学者ハンセン︑ルッツその他のもの かで最も広汎に普及している理論のひとつである︒英国経済学 ﹁国家経費の﹁恐慌対策論﹂は︑現代プルジョア経済学のな 費生産性論﹂に変わり︑もっぱら国家経費増大の傾向を様々な

(10)

^ 

エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

資︑余剰商品の買上︑輪出金融などによって︑国家は経済発展

を﹃調整﹄し︑﹃事業活動﹄を保証し︑﹃投資誘因﹄を創出し︑

このようなシニカルな口調のなかにすでに著者の﹁恐慌対策

一方では︑経費が直接所得を生み出

すものとして︑恐慌対策の口実の下に国民の資金を経済の軍事

化に注ぎ︑独占を富裕化せんとする意図を持つものであり︑他

方では︑プルジョア国家の財政手段をもって資本主義再生産行

程自体に存する諸矛盾を排除出来るかの如く主張するものであ

所有﹂を最初から無視してかかるものである︒

性が︑財政的な原因によって条件づけられるのではなくして︑

生産の社会的性格と占有の私的資本主義的形態とのあいだの︑

また資本主義の生産能力の増加と勤労者の消費能力の相対的縮

少とのあいだの敵対的対立の激化によって条件づけられる﹂

六六頁︶ということが︑これら理論の致命的欠陥を如実に物語 る︒これらはいずれも﹁経費の不生産性﹂と﹁生産手段の私的

かかる事実のなげかわしき歪曲がとりもおさず﹁人民資本主

おける態度と見ることが出来る︒しかしその反面︑経費総額の

比璽において極めて僅少ながら︑教育︑保健︑社会保障︑住宅

募設等の﹁支配階級の人民に対する妥協ないしは譲歩﹂︵六一

頁︶によって勝ち得た諸経費に対して︑当然のことながら著者

すでにマルクスの指摘した如く︑租税はプルジョア国家の経

( 9 )  

腐基礎であり︑租税論はこれまでの財政学の中心的問題とな

つて来た︒本教程もその例に洩れず租税問題に特に紙葉の大半

租税論では本書の研究目標のうち︑④経費徴達の源泉③経

費の負担︑⑥経費徴達の方法が与えられ︑租税の社会経済的本

質の解明とプルジョア租税論の批判が中心となっている︒

周知の如く︑資本主義国家においては︑生産手段の基本的部

は稲極的支持を与えることを忘れていない︒ ら矛盾をはらんでおる︒ 学に流行となっているフィスカル・ボリシーは︑その出発点か 論﹂批判が現われている︒即ち﹁恐慌対策論﹂として現代財政 産性とその階級性を前面におし出すことこそ︑著者の経費論に

るのである︒︵六七頁︶︒かくしてプルジョア国家の経費の不生 ﹃完全雇用﹄問題を解決し︑かくして経済恐慌の攻撃を予防出来

﹁新資本主義﹂の理念的基礎となって現在流行を見せてい

(11)

299 

部で行われる労佑者の搾取に加えて︑

び手工業者ーーの手中に見出だされている︒従つて国家は自己

の収入源泉を極く僅かしか持たないので︑国家のそとで作り出

されたところの国民所得の再分配の方法をもつて自己の経費を

まかなわなければならない︒換言すれば︑国家が社会諸階級の

所得の強制的徴収といった方法をとらねば︑自己の消費を満た

すべき貨幣基金を獲得することが出来ない︒この意味からして

著者は同民所得の再分配における租税の役割から論を起して次

﹁国民所得は︑その分配の結果︑第一次的に資本家︑土地所

有者︑労仇者および小商品生産者の手にはいる︒しかし国民所

得の分配はこれで終るものではないc更らにその後︑個人所得

者︵医師︑弁護士︑芸術家︑理髪士その他︶の与えるサーヴィ

スの支払い︑各種公共団体の会費や料金︑プルジョア国家の財

﹁生産過程の外部で行わ

エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂ 者の負担となっている﹂︵七0

ヒ ヒ

  手段であり︑資本主義的生産方法の下において︑生産過程の内 かくして租税は国民所得の不生産的部門への強制的再分配の 政機梱などによって行われる︒﹂︵六九頁︶幼者によって支払われるからであるー所得税その他の租税に となる︑何故なら︑それは︑殆んどすぺて︵十分の九以上︶が労 に再分配されねばならない︑即ちそれは︑不生産的分野の労佑負担となるとして次のように説明している︒ 例証している︒かくて租税は現代資木主義国家経済の基礎を支 の如く論じている︒は賃貸の例を挙げ︑それらの収入的意義が少なくなったことを 資本主義国家の収入源には︑租税をはじめ国有企業︑国有財産︑国債︑紙幣発行その他いくつかのものが挙げられるが︑と

かくして蒋者は︑資本主義の初期の段階における国有地︑国

有林等の︑地主︑軍人などによる収奪や︑商人への譲渡ないし

えるようになったが︑そのなかでも主要な地位を占めるのは︑

所得税と消喪税である︒著者はこれらの租税がともに勤労者の

﹁資本家にとつては︑消費課税︵食品や衣料など︶が最も有利

せよ︑たとえば富裕な納税者の租税が国廊に多額の収入をもた

らすように外見的には見えるけれども︑その圧街的部分は勤労 りわけ租税収入がその大宗をなしていることは︑決して偶然的 分が資本家、独占連合、地主、あるいは小生産者ー—爬民およれるところの追加的︑二次的な搾取の手段﹂であると︵七六頁︶︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑これがリュビーモフの説く租税の社会経済的本質である︒

(12)

エヌ・リュビーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

著者は︑本書全般を通じて歴史的契機を重視して来たが︑そ

れにもかかわらず右のような問題提起をなすに当つて︑極めて

非歴史的な態度が見られる︒というのは︑資本主義発展の当初

においては︑所得税は︑主として資本家と地主に対する租税で

あって︑極力その実施が妨げられ︑消費税が主として実行され

ていた点や︑各国における資本主義の発展の相違において︑そ

れぞれの租税の役割が異なる点を指摘していないからである︒

すでに﹁歴史的帰結﹂として租税の現代的意義を規定した著者

( 1 0 )  

にあっては︑個々の租税の歴史的背景の無視は評者の非難もま

ぬがれぬところである︒

次いで著者は︑その他の国家収入︑即ち公債︑紙幣発行につ

いて述べているが︑極めて簡単であり︑例えば﹁公債は租税の

前払い﹂といった古典的解釈の域を出ていない︒

そこで本稿の意図に沿いリュビーモフの租税論批判に眼を移

してみよう︒彼はプルジョア租税論の学説史的評価に際し︑特

に二節を設け︑独占以前と独占以後の二つに分けてあとづけて

いる︒まず﹁自余の経済科学の分野におけると同様︑租税理論

においても︑支配階級の利益と捩求とによるブルジョア経済学

者の見解の被制約性がはつきりと具現されている﹂(︱ニ︱頁︶

と前提して︑重商主義者︵ペティ

W.

P et t

︑重農主義者︵ケy )

ネーF•

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階級的役割を指摘している︒しかしながら︑そこに現われてい

る評価は︑財政論の個所で述べたような類型化を脱皮していな

い︒むしろわれわれがここで興味を見出だすのは︑彼の紹介す

るロシア経済思想家の租税観である︒

ィギリス︑フランスその他の諸国と同様︑ロシアの進歩的経

済学者は︑財政理論や各々の財政カテゴリーに対する理論の発

民の負担重荷の軽減を要求した代表的経済思想家として︑本書

では︑まずラヂシチェフ

A.

H .  Pa.llH~ea

が挙げられている。

次いでロシアにおいていち早く租税の理論的分折を試みたも

のとして、デカブリストたるエヌ・イ・ツルゲーネフH•H.

(1 1)  

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が挙げられている︒彼の﹃租税試論﹄(‑八一八年︶

は小冊子ながら価値のあるものだが︑そこにおいて国家と租税

との関係の歴史的分析が行われている︒そのなかでツルゲーネ

フはすでに﹁課税大権﹂について語り︑租税の種類︑徴収方法︑ 展に対して価値ある貢献をなした︒封建的課税特権の反対と腹 までを包括的に︑独占以前の理論家として述ぺて︑それぞれの 学者﹂から講壇社会主義の代表者ワグナー

A .

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古典派経済学者さらには所謂﹁俗流経済

(13)

エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

財政制度の罪悪は︑

来ぬという点である﹂(︱二三頁︶と︒こういった点に基づいて 一定の財政改革によって無くすることは出 は次の如き叙述のなかに現われている︒

チェルヌィシェフスキーの財政観は︑ 減︑最低免税点の設定の要求を掲げた︒リュビーモフによればいことは明らかである︒彼の説く広義の﹁価格説﹂は

所得および財産に対する累進課税︑都市勤労者の租税負担の軽 税制度や租税政策の反人民的性格を明らかにし︑消費税の廃止

ン ︶

﹁租税はサーヴィスを受取るに要する価格である﹂︵ルッ すなわち強制的価格は国家サーヴィスの代価である﹂︵ハンセ

革命的民主主義者として知られているエヌ・ゲ・チェルヌィ

的考えは﹁俗流財政学者﹂にまでさかの匠ることが出来るが えているものは租税の﹁価格説﹂である︒もつとも﹁価格説﹂ 独占段階以後に現われた租税論の最大の特徴として著者が把 ﹁政府は可能な限り庶民の租税つの系譜を与えている点は︑本書のうちでも価値ある叙述の部 課税の平等について分析し︑

租税の一般的作用を吟味してい る︒かれは課税原則として︑い貴族僧侶をも含めた住民の支払

能力に応じた租税の配分︑②租税の明確性︑③納税の便宜性︑

④安価な徴税費の保証をあげ︑

負担を軽減すべく努力しなければならないー│租税の支払が不 可能なものは︑租税から自由であることを要求しそれを享受す

(1 2)  

る完全なる権利を有する﹂と述べ︑また﹁政府は労佑の報酬か ら得た所得に対して︑租税を絶対に課さぬことが極めて望まし

( 1 3 )  

い﹂と述ぺて労佑所得課税に対しても反対していた︒

シェフスキー

H.

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も財政および租税問題

( 1 4 )  

に多大の関心を寄せ﹁徴税請負制度﹂などの論文のなかで︑租

﹁財政制度の罪悪は︑す

べて与えられた社会体制の特徴によって条件づけられ︑従って 著者は︑チェルヌィシェフスキーに革命的評価を与えている︒

このような評価についてはエム・ボルトニク教授

(1 5)  

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M.   E

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の批判もあるが︑ロシア財政思想にひと

分だと言えよう︒

洗練された形をとつて理論の体系に滲透しているのが近代経済

学における租税論だと著者は見ているのである︒例えば﹁租税

ツ︶と例を挙げつつ価格説的根拠を説明している(︱二四頁︶︒

ここで彼の言う﹁価格説﹂は勿論個別的報償としてのそれでな

欲望論﹂との連繋において主張されているのである︒このこと

﹁かくの如き定義︵価格説︶は︑事実無根のものである︒プ

ルジョア経済学は次のような誤った前提から出発している︑国

(14)

構造︑その有機的構成と経済的政治的社会的生活に及ぽす影

プルジョア民主主義的予算網成の残滓に対する帝国主義列強の ジョア民主主義的自由が制限されてくる︒この直接的婦結は ﹁帝国主義諸国では︑ますます政治的反動が尖鋭化し︑プル

ては︑興味が持たれる︒ 主義国家の予算とは何か﹂と設問し︑その性格を次の如く論じ

エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

家は超階級的機関である︑それは搾取者にも被搾取者にも奉仕

る国家サーヴィスの代価だとする問違った結論は︑このような

これら租税﹁価格説﹂の批判に続いて︑現代のフィスカル

ポリシーに現われた﹁景気対策的租税政策﹂にも言及し︑すべ

てこれらは﹁経済恐慌の不可避性﹂を無視(︱二七頁︶した理論で

あり︑階級的性格は明らかであるとしている︒この﹁批判﹂に

ついては︑財政論︑経費論の批判と異なるところはない︒

一般の財政学教科書に見受けられる如く本教程においても︑

国家予算論が一篇を設けて述ぺられている︒著者は冒頭﹁資本

﹁或る一定の国の予算の本質︑その社会的性格︑その収支の

菩は︑国家の性格と機能︑社会的再生産における国家の役割に

再分配関係を表現するものである﹂︵同上︶と︒

与えられず︑経費論や収入論で︑なおざりにされていた各構成

要素の比重などについても触れていない︒また常に著者の指摘

していた階級的特性の例証も行われていない︒この点前篇で述

ぺられて来たものとの有機的関連が欠けている感がある︒

これに対し予罪制度に現われた帝国主義的傾向の指摘につい の例証がそうであった如く︑ここにおいても不充分な資料しか 予算を引用し︑国家予卵の構成を示している︒しかしこれまで その具体的例証としてリュピーモフは一九五ニー三年の米国 加的搾取の武器であり社会階級間の︑社会集団間の国民所得の 正しくない前提からきている﹂(︱二六頁︶︒﹁資本主義的条件の下での国家予算は︑二次的追 られた社会機梢の経済法則の特性に依存する﹂︵一七六頁︶︒ 誤った前提であるーー'租税が国民の﹃協同欲望﹄を充足してい予算の本質と使命はその国に支配的な社会体制に依存し︑与え している︑労佑と資本の間には何ら敵対的対立はない︑というに支配的に行われている生産方法によって定まる︒従って国家

よって決定される︒ひるがえつて国家の本質と機能は︑その国 0

(15)

エヌ・リュビーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

会の憲法上の予算権の維持や強化︑予算編成手続の民主主義的

ジョア財政論批判につながつている︒財政分析でとられた方法 してもち上がつているが︑そのひとつとして︑各国における国 現在︑民主主義的自由を携護すべき問題が政治闘争を中心とすでに述べた如く︑本書各篇は︑歴史的研究と学説史的研究

全権代理のちからを拡大せんとするものにほかならない﹂

べる機会がなかった︒また残された問題として本書の評価の問 の様々な制限あるいは全面的徹廃の希求である﹂(‑九0

頁 ︶

位が︑現在各国に現われた主要な特徴である︒所謂﹁予算発議

権﹂と呼ばれる国会の権利は︑例えば英国においては︑それが

議会に対する政府の責任を回避せしめるもととなるという理由

の下に剥鋸され︑国家歳入の審議にしても︑現在では所得税や若

千の商品に対する間接税々率の審議だけに終つている状態であ

る(‑九三頁︶︒またこれを合衆国に見ると︑やはりこの傾向が

法によって︑大統領の権限の拡大︑大統領予算局の機能の拡充

が規定されている︒またフランスにおける政令方式の強化のな

かにもかかる傾向を見出だすことが出来る︒このような現象は

とりもなおさず一独占資本の課題を遂行している中央執行権の

極めて強くなつている︒即ちそこでは一九五0年予算及び会計 ところのものは﹁勤労者大衆の搾取の強化を通じて独占に融資 ける行政府の権限拡大の傾向と相まつて︑中央・地方の政府間における予算関係の中央集権的傾向も︑国家の独占資本への従

このような傾向を積極的に支持し︑それを推進せんと希求す

るものが現在のプルジョア的国家予算論であり︑その意図する

するために資本主義国家の予算手段を利用することを正当化す

るものにほかならぬ﹂︵二0六頁︶と述べ︑著者は予算論を結ん

以上で不充分ながら本書の要約は終ったが︑これまで体系的

なものを区区に紹介した関係上︑相互の有機的関連について述

題もある︒ここでは︑そういった問題を総括的に述べてみたい︒

とに二分されている︒前者はまた現状分折に通じ︑後者はブル 属を裏書きするものであると著者は強調している︒ このような予算編成手続上の議会審議権の弱体化と行政府優 国主義的傾向に対する反抗を意味している︒予算編成過程にお 支配層の攻撃であり︑彼等による国家収支統制に関する国会法原則の遵守あるいは回復の要求が高まつているのは︑これら帝

(16)

している﹂︵一七八頁︶と述べながら︑そのすぐ下で﹁収入支出 主義諸国の歴史的発展が迩った道を通つて来たにもかかわら 論ずる個所を引用してみると︑に体系化に急であったために生じたもので︑本書が教科書であ しかしながら資料の不備にせよ︑理論の類型化にせよ︑とも 同時に各国資本主義発展の特性の財級国家観﹂という赤い一本の糸であると見ることができる︒

また国家予算構成についても単に絶対額の表示があるりたいのである︒かくして本書全体を織りなしているのは﹁階 である︒われわれはむしろ︑財政論の次元での論者の相迩を知 蓋しかれは︑財政論をすぺて国家論の次元で見ているかられ 充分さが発見される︒第一に現状分析の面では︑統計資料の不 も︑これらの点に光を当てつつ本書を見た場合には︑若千の不ワグナーもE

J.

M

ケインズもともに同類に しかしながら︑こういった﹁方法﹂の可否は問わないとして いる︒例えば︑国家経費の非生産性を説く正統派経済学者A いる︒他方︑財政論批判においては︑極端な類型化が目立つて 法は︑プルジョア財政論の﹁俗流性﹂を︑ は︑国家予算の収入支出制度を通じて資本主義国家財政の階級 エヌ・リュピーモフ著﹁資本主義国家財政学﹂

的本質を規定することであった︒また財政論批判でとられた方

11﹁租税価格説﹂の一貫した軸でとらえ︑その

超階級的理論を批判することであった︒これがとりもなおさず

本書における著者の財政学方法論である︒この点では形式的に

整然とした秩序が見出だされる︒

備が随所に見られる︒例えば労佑者と資本家の租税負担の比較

(16) にしても︑レーニンの論文からの引用だけに終つている

(1 0

11

政制度に及ぼす影響が極めて瞬昧である︒因みに予節の本質を

﹁米国︑英国︑仏国その他資本

ず︑それらの国の国家予算の動態と構造とは︑多くの点で共通

の構造は各国の具体的条件に依存している﹂と述べている︒こ

れでは共通点が多いのか相異点が多いのか︑はつきりしない︒

また本書では所謂後進国の財政制度が匠とんど不問に付されて

スミスは︑著者の言う﹁租税価格説﹂には一度も名を連らねて

はいない︒スミスの課税原則からしては当然にリュビーモフの

説く﹁価格説﹂にはいり得るものである︒また彼の眼からはA

(

る点を認めれば︑要求する我々の側に無理があるかもしれぬ︒

果して本書がマルクス主義財政学教程として価値あるか否か

( 1 7 )  

は︑ソビエトの評者に譲るとして︑最初に提起しておいた社会

参照

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