公共モダニズム建築保存改修の思想と方法
̶京都会館再整備の実践的研究̶
要 約
下川 太一
公共モダニズム建築保存改修の思想と方法 ̶ 京都会館再整備の実践的研究 ̶
要 約 目 次
1章 序論
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31.研究の目的、研究対象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 2.本論の思想と方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 3.京都会館再整備の経緯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 4.再整備基本構想の策定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 5.建物価値継承に係る検討委員会の設置と基本設計の策定・・・・・・・・・・・ 5 6.京都会館の竣工以後の経緯と問題点の整理・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 7.まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10
2章 既存構成の改修と改築
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 1.既存構成の析出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 1.設計競技案・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12 2.配置計画・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13 3.機能構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13 4.周辺環境との調和・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 5.竣工建物・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 6.当時の設計における平面の検討・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 7.当時の設計における立面の検討・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15 8.京都会館の構成の析出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 151.平面の改修と改築・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28 2.バックヤードと地下の機能強化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 29 3.立面の改修と改築 「新たな構成」・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30 4.ロームシアター京都の構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31 3.まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
第3章 既存要素の改修
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37第4章 機能更新による新たな要素
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40第5章 結論
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 45
附録
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47 注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50 図版目次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 561章 序論
近年、モダニズム建築を巡る文化財化や遺産化、保存か解体かについての問題を一般報道でも目に する機会が増えた。中でも公共財として存在する公共モダニズム建築の取扱いについて、保存か解体 かの議論が全国各地で巻き起っており(1)、状況によっては社会問題に発展する。
京都会館はその渦中にあった。その改修計画である京都会館再整備は、舞台面積と高さの不足から 機能不全となっていた第一ホールを抜本的に機能改修するため、建築面積の過半を超える改築と建築 保存を両立する前例のない計画として、日本における最初のチャレンジとなった。
1.1.研究の目的、研究対象
前川國男(1905-1986、建築家)設計によるモダニズム建築の傑作「京都会館(1960)」と、筆者が 香山壽夫(1937-、建築家、東京大学名誉教授)のもとで担当した、京都会館再整備「ロームシアター 京都(2015)」を主題として、モダニズム建築を巡る社会的状況を検討し、現代社会を形づくるための モダニズム建築の保存改修設計の思想と、その方法となる構成要素研究を軸とした実践的研究を示し 検証することで、社会問題を解決するための新たな選択肢を提示することを目的とする(図1.1)。
本論題名は、筆者が香山に指導を仰ぎ『モダニズム建築の保存改修における構成要素 ̶京都会館 再整備実践の設計論的研究̶』として、保存改修設計者として実践的立場からの構成要素研究を軸と した建築分野における学究的研究論文として進めたものに対して、公益財団法人 生存科学研究所常 務理事、元日本大学芸術学部の藤原成一から、「社会問題となった京都会館の保存改修を通じた取組 みは、モダニズム建築を巡る諸問題を解決しようとする実践的研究となる方法に加え、その全体を支 える思想が重要である。そのため思想と方法を同等に据え、その内容を示すことで建築専門家だけで なく、問題に悩む公共自治体関係者や市民にも広く伝えられるものを目指すのが、本論の主旨として ふさわしいのではないか。」との指導を受け、論文タイトルを『公共モダニズム建築の保存改修にお ける思想と方法 ̶京都会館再整備の実践的研究̶』と定めたものである。
図-1.1 本論のダイアグラム
1.2.本論の思想と方法
筆者は香山壽夫建築研究所の所員として公共建築を主に設計経験を積み重ねてきた。京都会館再整 備基本設計を担当し、デザインビルド発注以後は実施設計と現場の監修業務を担当、2015 年の竣工に 至るまで、図面の作成と現地での検討を繰り返した。ここで取組まれた実践的研究をまとめることは、
今後の公共モダニズム建築保存改修を巡る保存改修設計方法として建築設計者の糧となるだけでなく、
同様の問題を抱える公共自治体と現代社会に対し、その解決のための新たな選択肢の提示が必要であ ると考えられたことが研究の根本動機となった。そのため、本論の作業仮説として、1)の思想、2)
の方法を提示し、その検証を行う。
1) 日本において戦後から経済成長期に生み出されたモダニズム建築のうち、傑作と評されるも のでも形態の問題や寸法の不足、機能の劣化から現代の利活用に合致出来なくなったものも 多数存在する。特に公共モダニズム建築は、現代社会の諸状況を踏まえた上で、公共自治体と 市民からの公共的要求に継続して応え続けることが求められる。そのため優れた建築は、モ ダニズム建築の当初理念に則り、市民社会に利活用されることを目的とし、建築形態の変更 を伴う増改築という選択肢も含めて現代に再生させる。
2) モダニズム建築の中には、合理的・機能的原理から構築されただけでなく、原設計者の思想 から生み出されたもの、地域の伝統や文化を重視し生み出されたものなど、形態的・空間的な 特徴を有した建築が多数存在する。これら特徴を捉えるため、構成要素研究による建築分析 を行う。析出された構成要素を保つ設計を行うことで、増改築を含む抜本的機能改修による 建築形態・空間の変更を経ても、既存建築の特徴の維持は可能となる。そのため、具体的な研 究及び設計と現場における実践内容を明示する。
以上、1)の思想、2)の方法の提示と検証が本論の狙いである。モダニズム建築を単に近代遺産と して評価するだけではなく、現代の社会状況、即ち文化、経済、技術など様々な要求に応え、市民生活 を支える重要な公共財として存在し続けることがモダニズム建築の使命である。保存と機能改修の止 揚がモダニズム建築を巡る社会問題の根本に存在する。そして止揚の解決は我々建築設計者の使命で ある。この社会状況に対する理解から研究を進める。
1.3.京都会館再整備の経緯
1960年に竣工して以降、運用の中でいくつかの問題が発生した。竣工直ぐに指摘された第一ホー ルの本狂的な問題は、改修を重ねても抜本的な解決には至らなかった。竣工から20年後の1980年に は「世界文化自由都市宣言に基づく提案」が京都市長に提出され、2,000席程度の優れた音響や舞台 設備を備えた、音楽・舞台芸術を鑑賞する多目的の劇場の必要性が提案されるなど、京都会館に対す る機能的な失望が広がっていたのも確かであった。多目的用途の市民ホールの整備は、京都市にとっ て積年の課題となっていった。
京都会館再整備の具体的な検討は、竣工後 42 年を経た 2002 年に遡る。既存躯体の耐震診断が実施 され、以後再整備に向けた調査検討が本格的に開始された。現行法規への対応調査、利用者等へのアン ケート調査等が行われ、その議論は 10 年近く継続して行われた。再整備に際しては、演目別の利用同 行や将来展望、関西における類似施設の現状と特性の考え方、ホールに対するニーズ・課題調査などの
現況の課題を多角的に調査した上で、基本構想が作成された。
2005 年から 2006 年にかけて、京都会館に関連する各分野の専門家や市民を委員とした京都会館再 整備検討委員会が設置された(1)。選定された委員は、文化団体、芸術家、プロモーター、建築の専門 家、京都会館指定管理者、市民、行政関係者と幅広いものであり、それぞれの立場から、建物現況の確 認、建築史の視座からの建物評価、舞台やライブイベントに関する使い勝手、法規に関する問題などが 議論された。委員会の集約成果として「京都会館再整備の基本的な方向性に関する意見書」がまとめら れ、外観を変更しない改修とする A 案、一部の改築を伴う大規模な機能改修とする B 案、全面解体し 建替えとする C 案が示された。建物価値を重視した A 案 B 案と、ホール機能を重視し京都に理想的な ホールを計画しようとする C 案を軸として議論が行われた。また敷地外で理想的なホールを整備しよ うとする案もあったが、本筋から離れた議論として除外されている。岡崎地域にあり建物価値が認め られる京都会館について、劇場としてどのような新機能を付加させるかが議論の主題となり、ABC の 3 案を併記する形で検討委員会の検討は終了した(2)。
1.4.再整備基本構想の策定
京都市は京都会館再整備検討委員会の終了以降も継続して行政内部にて調査検討を行い、2010 年に は再整備基本構想素案を策定した。以後も舞台関係者や利用者へのヒアリングを継続し、2011 年1月 から 2 月にかけて再整備に関する市民意見公募手続き(パブリックコメント)を実施している。ここ で集められた 119 通の意見書のうち、改修に肯定的な意見が 70 通、条件付きだが改修に肯定的な意 見が 18 通、否定的意見が 15 通、その他が 16 通という結果が記録されている(3)。
2010 年 12 月 24 日、日本経済新聞夕刊に「京都に最大級オペラ劇場 2,000 席規模、100 億円を計 画、市が正式発表」(4)との記事が掲載された。しかし市担当者によれば、この時点では3ヶ月後の 構想作成に向けて第一ホールの解体範囲を舞台部分に限定するかどうかの検討中で、市内部でも未だ 何も決まっていない状況であったという。この報道から、建物全てが解体されるという懸念などから、
再整備計画に対して反対や慎重な考えを持つ複数の市民活動グループが立ち上げられ、建築に関する 学術団体から市宛の保存要望書が提出されるなど、一般紙での報道を含め、京都会館の保存改修の方 法についての議論が活発化した。この議論は国内に留まらず、基本設計中にはユネスコの諮問機関で ある国際イコモスの 20 世紀遺産に関する国際学術委員会が高い関心を示し、京都市長宛に、計画の状 況によっては「へリテージアラート(Heritage Alert)」を出す準備があるとの手紙が提出された(5)。
2011 年 6 月、第一ホールの解体が明記された京都市による京都会館再整備基本計画が発表された。
京都市による基本構想では、それまで実施された市民への意見聴取を踏まえ、第一ホールを解体し、新 たに建設するものであった。これは建物の最高高さを既存 27.5m から 31.0m へ更新し、琵琶湖疏水 側に新たな第一ホールのフライタワーを建設するもので、検討委員会の B 案の一部解体改築の範囲を 第一ホール全体としたものであった(6)。
1.5.建物価値継承に係る検討委員会の設置と基本設計の策定
京都市は基本設計業務発注に際して同選定プロポーザルを開催し、2011 年 10 月に香山壽夫建築研
究所が受託、以降完成に至るまで設計における責任ある立場として計画を担うこととなった。
建物保存について議論が巻き起こっている状況に対して、市は基本設計と平行し「京都会館の建物 価値継承に係る検討委員会」を設置し、建替えを行う第一ホールの外観デザインなどについて議論を 行うこととした。この委員会は、日本建築学会、日本建築家協会、京都府建築士会などの推薦による委 員など6名と、前川建築設計事務所所長、舞台芸術に関する技術者、地元岡崎自治連合会から各1名、
計9名の委員によって組織された(7)。
この委員会では建て替えるフライタワーの高さ、既存サッシの取扱い、外部バルコニーの内部化な どが議論された。この委員会の議論を通じて、京都会館の建物価値として認められる「大庇による水平 の連続性」「二条通からピロティ、共通ロビーを経由しての冷泉通りへの空間の抜け」などの大きな空 間の構成については、新たな増築部を含めて一体のものとして再構築されること、「大庇」「PC 手摺」
「外壁タイル」「既存サッシ」など建物を形作っている部分の取扱いなど、京都会館の建物価値と認め られる部位を再確認し、委員会の提言として 2012 年 4 月にまとめられた(8)。
この提言を受け、それまでの市民意見公募などの調査内容をあわせて検討し、同 6 月に再整備基本 設計を策定した。これを基に実施設計と現場施工を一体発注としたデザインビルド方式によって大林 組 JV が落札。京都市は実施設計以降、基本設計を担当した香山壽夫建築研究所を京都会館再整備に関 る監修者として、その責任を委託した。
1.6.京都会館の竣工以後の経緯と問題点の整理
京都会館(1960)は、音楽や会議場機能を中心とした大規模多目的ホール「第一ホール」を中心と した複合文化施設として竣工、国内における公共施設として先駆的存在となった。第一ホールは、当初 は音楽ホール・会議場として計画が開始され、設計が進む中で芸能関係の諸団体からの要望などがあ り、会議場・音楽ホールの機能に加えて、バレエ・演劇などにも対応した多目的ホールへと計画を変更 していった(9)。しかし、こけら...
落とし公演から「音がミックスしない」など音響の問題が指摘され(10)、
改修工事が複数回に渡り実施されてきた。この改修工事のなかで、ホール側壁の固定反射壁改修、舞台 上の傘型音響反射吸音板の撤去、などの改修が行われた。しかし、ホールの形状に起因する問題だった こともあり、根本的な問題の解消には至らなかった。また、周辺都市にホールが徐々に整備されていく 中で、音響のみならず多目的ホールとしての機能でも劣るようになっていった。
第一ホールの機能上の失望は、京都会館の竣工から 20 年を経ずして表面化した。京都市の自治 80 周年にあたる 1978 年に宣言された「世界文化自由都市宣言」(11)を受けて、京都市世界文化自由都市 推進懇談会は 1980 年 11 月に「世界文化自由都市宣言に基づく提案」を市長に提出。その中に 2,000 席程度の優れた音響や舞台設備を備えた多目的用途の市民劇場について提案があり、京都会館第一 ホールの規模・用途と一致するだけに、その失望は大きなものであった。この問題提起の背景として、
世界的に著名な演奏家や舞台芸術家の公演が京都で開催されない現実が存在していた。
1995 年に平安京遷都 1200 年事業の一環として、京都市は左京区北山にクラシック専用の京都コン サートホールを完成させた(12)。京都市交響楽団は本拠地を京都会館から京都コンサートホールへと 移し、以降、京都コンサートホールはクラシック音楽、京都会館はポップコンサートや市民利用を中心
とした多目的ホールとして、機能の棲み分けが行われるようになる。
京都会館は 2000 年頃から興行公演数の落ち込みが目立つようになり、改修前の京都会館のホール 稼働状況は、全国の公共ホールにおける平均的な利用率と比較すると、第一ホールが平均並み、第二 ホールは比較的に高い状況にあったとはいえ、第一ホールで最も利用の多い用途がポピュラー音楽 で、二番目の吹奏楽とあわせて利用が約5割を占めるという状況であった。クラシック音楽の利用は 開館当初は多かったものの、京都コンサートホールの開館以降は大きく減少している。音楽系以外で は会議場としての機能、集会・講演での利用が多く、オペラや演劇、伝統芸能の利用は少ない。ポ ピュラー音楽をはじめとした利用率低下を受けて、吹奏楽や合唱などの市民利用をより多く受け入れ るようになったため、2009 年、2010 年には第一ホールで回復が見られた。しかし巡回興行用の大型 舞台美術が設営出来ない、オペラや演劇においても同様の理由で一般的な演目を上演出来ない、など の制限が課せられていたこと、関西の 2,000 席クラスの多目的ホールの稼働状況が8割を超えてい ることに対して京都公演が企画されず大阪や神戸で公演が企画されていたことなど、舞台機能や設備 の問題から舞台利用者にも観客にも大きな制約と不満を与えるものとなっていた。
2,000 席規模の大規模多目的ホールの場合、その規模から公演内容はクラシックコンサート、電子 音響を用いるポップコンサート、公演会、バレエ、オペラなどとなる。京都市の場合、京都コンサート ホールを所有し、京都市交響楽団の拠点施設としていることから、京都会館第一ホールは、電子音響を 主体とした演目も主体となる。そのため、舞台奥へ向かって平面・高さ共に窄まる舞台形状では、近年 大型化してきたポップコンサートの巡回興行用の舞台セットを配置することが出来ず、類似規模での 巡回公演を行う演目をそのまま受入れることも不可能で、他同規模施設に比べて利用・企画誘致で不 利な状況となっていた。また舞台美術やドロップを利用する舞台芸術においても同様の状態にあった。
それらは 2012 年 1 月に京都市によって行われた「京都会館のホール利用団体等に対する再整備事業 説明会」において、市内の舞台芸術に関わる市民団体、プロモーターからのヒアリングの中でも、改め て確認される内容となった。具体的に舞台は奥に行く程幅も高さも狭くなり袖も取れない、バレエや 演劇をやろうとしてもフライがなく舞台装置やドロップが設置できない、舞台レベルが2層目にあり 小さな昇降迫を経由することから不便かつ安全性に問題がある、など機能改善についての要求が多数 寄せられた。
このように舞台公演上、根本的な問題を抱えていたため、京都市は舞台機能の改善・公共サービスと いう文化政策と、それを実現するための改修・改築による建物保存や景観政策との板挟みとも言える 状況となり、市は慎重な議論と検討を繰り返すこととなった。第一ホールでは、搬入の問題、楽屋の不 足、スポット照明の位置など多数の問題を有していたが、特に機能的・空間的な問題となっていたの が、台形の主舞台平面形状と主舞台上部空間の低さであった。また、京都会館は計画立ち上げ当時の
「国際文化観光会館」の仮称に示された通り、3,000 人を収容する国際会議場機能が求められていた (13)。二条通側東側2階の会議場をその中核として、第一ホール、第二ホールに続く3番目の機能とし て会議棟がつくれた。会議場や会議室には同時通訳ブースを複数設置し、第一、第二ホールを含む、建 物全体が国際会議場機能を有する計画として進められた。
当時、国家プロジェクトとして国立国際会議場の計画が平行して進められていた。1957 年 11 月、
岸信介首相(当時)が「京都市またはその周辺に国際会議場をつくりたい」と閣議にて発言し計画が具 体化、国際文化観光会館計画を推し進めていた当時の京都市長・高山義三は国際会議場の京都誘致を 精力的に働きかけていた。翌々年の 1959 年に計画地候補として京都市宝ヶ池と大津市皇子山の視察 が行われ、閣議において宝ヶ池に決定、1962 年に公開設計コンペティションが開催され、翌 1963 年 に設計者を建築家・大谷幸夫に決定、1966 年に宝ケ池に日本で最初の国立国際会議場が竣工した(14)。
これにより京都会館の竣工から 6 年で、京都の国際会議場機能は、岡崎から宝ケ池へと移転すること となった。このように、第一ホールは音楽ホール・会議場として計画され、設計開始後に音楽を基本と した多目的ホールとして用途を変更、開館後の運用で音響の不具合もあり、京都コンサートホールが 完成した後はポップコンサートや吹奏楽や合唱などの市民利用を中心とする運用を行ってきた。竣工 当初は海外から著名な楽団やアーティストの公演があったものの、時代を経るにつれて、運営の内容 も大きく衰退してきた。
第一ホールの改修方法については、2007 年に「京都会館再整備構想検討に係る機能改善可能性調 査報告書」がまとめられており、「外観を変更しない機能改修の可能性」と共に、「外観を変更した 機能性改善」として、第一ホールの舞台部分を解体し、新たなフライタワーを計画した場合の検討が 記載されている。ここでも、客席部分の音響の問題、舞台照明が客席に干渉する問題、搬入出の問 題、楽屋設置の問題などが取り上げられていた(15)。これら既存施設の検討や、舞台に関係する利用 者の意見、また建物価値に関係する人々の意見を考慮し、検討した上で、京都市は第一ホールの改 築、以外の部分を改修とした方針を固めた。これにより舞台平面を矩形としフライタワーを設けるこ とで、バレエ、オペラ、クラシックコンサート、更には電子音響によるポップコンサートなど、多目 的利用のための新たなホールとし、その外観を第一ホールにあわせるという内容であった。ここに至 る経過の中に、多くの市担当者の努力と検討があったことを記しておきたい。行政内部では、景観に 対する配慮として、公にされている記録以外でもフライタワーの高さを抑えるため、舞台搬入レベル を下げ、スロープや大型エレベーターでの搬入計画を確認するなど多角的な検討を行っていた。第一 ホールの 2,000 席を維持する計画では、フライタワー高さは運営上から 34m 以上が理想で、残響時 間を確保するためには客席部分にも大きな気積を必要とされ、新たなホールは高さもボリュームは大 きくなる。ここで、劇場運営と高さとボリュームを抑える検討との双方を考慮し、ホール機能を実現 出来る最小限の高さとして 31m を設定、2011 年6月に京都会館再整備基本計画が発表された。
京都会館の建物価値は広く認められている所であったが、公共多目的ホールとして機能的な問題を 発生していたことから、長年に渡り利用者に制約と不満を与えてきた。高く評価されてきた建物の歴 史的価値に対して、モダニズム建築が本来もつ、社会に求められる機能を実現するという目的に応え ることが出来ないことで、建物の歴史的価値と実現すべき機能の間に矛盾をつくりだしていた。外観 をそのままとして、新たに別敷地で機能的に満たされた理想的な多目的ホールを建設するという計画 は、2005 年からの「京都会館再整備検討委員会」でも議論されていたが、その検討に進展はなく京 都会館の第一ホールは機能改修を実施することで使い続けるという道が選択された。この委員会の中
でも建築歴史家・松隈洋による改築を伴わない保存改修の意見と、建物利用者を中心とした改築を伴 う保存改修の意見で委員会の意見が割れ、建物の歴史的価値と、機能的価値が議論されたものの、そ れら意見を統合した案が登場せず、保存改修、一部改築を伴う保存改修、建替えの三案を併記する形 で委員会は終了した。では京都会館において、何が優先されるべき大切な価値となるのか。機能的に 問題が発生している部分を取り壊し、新たにつくり直すという今回のケースが、安易な保存改修でも 全面建替えでもない、第三の道筋としてその内容が困難となった理由として2点あげられる。
1点目は、委員会で議論された「歴史的な建物の価値」と「文化芸術を楽しむための建物の価値」
が止揚したモダニズム建築の姿を共有することが、京都会館再整備検討委員会の時点で困難であった ことである。再整備に先立ち、参考となるモデルケースが存在しなかったため、再整備を推進する意 見と、反対・慎重派の意見を止揚する議論の展開や深化が出来なかった。2011 年に第一ホールを改 築する方針が市より発表されて以降、建築分野を中心に様々な専門家が意見を表明してきたが、機能 要求と建物価値をどのように調整するのか。建築史家などは、「歴史的な建物の価値」を指摘する一 方、利用者による「文化芸術を楽しむための建物の価値」との多寡については深く言及せず、「建物 の外観を保つべき」との意見に終始し、ホール機能の問題点の認識や改善についての技術的な議論の 展開がほぼ見られなかった。
2点目は、「歴史的な建物の価値」の定義である。既に触れて来たように、様式建築においては長い 時間の中で時代毎に増改築が繰り返され、その時代毎の建築様式を積み重なることで(意匠の上手、下 手があるのは勿論であるが)、現代へ至り、その姿を留めるものが文化財として認められたものが一般 的である。モダニズム建築は、この経験や議論に対して未だ充分に晒されていない。そして様式を持た ないが故に、その意匠性が設計した建築家個人に帰属した価値として認められる傾向があるため、保 存すべき対象は凍結する方向に働き、専門家からの意見は「外観など既存意匠を基本的に全て保存す べき」となってしまう。そのため、機能的な問題を有するモダニズム建築の保存改修については、今回 のような社会的な問題へと発展する。
この議論は、将来より高められる歴史的な建物価値について、専門家による先見の明が先導するこ とで見出されるもの、もしくは、保存対象となる建物の価値が広く社会と共有されることで成立しえ るものであるが、これらの議論は、今後のモダニズム建築の保存改修において、建物の利用に制限が与 えられること、性能や機能の向上が大きく期待できないこと、などの理由から、行き過ぎた議論には、
建物所有者や市民、ひいては社会と建築専門家・歴史家との関係を分断させる可能性が潜んでいる。し かし、我が国では建物の印象を損なう粗雑な改修が繰り返され、更には歴史を重ねた建物があまりに も安易に取り壊されることで、都市の風景は一変し、壊され続けてきた。既存の大切な建物を守ろうと するのは、生活する者として極めて自然な思いである。この狭間にあるモダニズム建築の保存改修問 題は、今後も状況に応じた様々な議論や判断が必要となるだろう。
京都会館は、文化財登録など法的な保護の対象となる登録が行われていなかったが、建築に関わる 学術団体は「文化財としての価値を十分に備えている建物である」と主張し、「文化財としての価値を
持つ建物を壊すのか」との訴えも争点となった。第一ホールの改築を決定した行政である京都市は、二 条城(16)や無鄰菴庭園など、国指定の文化財を所有する公共自治体の立場から、公共財としての文化財 価値、その維持管理についての経験や状況を踏まえた上で、今回の判断を行った。今後、文化財価値と 公共財価値を考える際に、京都市の判断、並びに京都会館の改修に際して噴出した諸問題は、今後のモ ダニズム建築における保存改修の議論と、地方自治体における文化政策の議論を深化させる、大切な 要点になると考えられる。
1.7.まとめ
1章では、冒頭で現代のモダニズム建築を巡る問題と議論を詳述し、その問題点の把握と現代思想 の態度について整理した上で、京都会館再整備の概要と、本論の思想と方法の枠組みを述べた。
次に、2002 年の既存躯体の耐震診断にはじまる京都会館再整備計画の経緯について、京都会館再整 備検討委員会(2005-2006)と京都会館再整備基本計画、京都会館の建物価値継承に係る検討委員会
(2011-2012)と京都会館再整備基本設計、それに係る様々な賛成と反対の意見について、建物の建 物価値、公共施設としての機能、新景観政策の高さ規制の緩和についての問題について、その議論を概 観した。また、京都会館が竣工した時期に先立ち、活溌に議論されていた戦後モダニズム建築における
「伝統論争」、京都会館と同時期のモダニズム建築作品における伝統的意匠と思想について概観した。
伝統論争のはじまりとされる新建築 1955 年1月号では、川添登が丹下健三に「近代建築を如何に 理解するか ̶伝統の創造̶」について書かせ、自らも岩田和夫のペンネームで広島平和記念資料館
(1955)と正倉院や伊勢神宮との関係を説き、巻頭では写真家・渡辺義雄による伊勢神宮を取り上げ た。戦後復興期に企画されたこの論争は、収束を見ないまま 60 年代を迎える前に幕が降ろされ、川添 により次世代のメタボリズムの議論がはじまる。時代の機運として、1958 年に東京タワーが運用を開 始し、1960 年にはテレビのカラー放送が開始され、乗用車の普及率が大きく伸びたのもこの時期であ る。日本経済は成長し生活水準が豊かになり大量消費と大量生産の時代へと向かっていた。この機運 に対して、川添は敏感であったし時代もまた伝統に向き合い続ける状況にはなかったのだろう。
京都会館は、「伝統論争」対して直接組せずに生み出された伝統的モダニズム建築の傑作となっ た。それは、目の前の現実の問題に向き合って取組んだ、実直な姿勢が生み出した成果であったのか もしれない。戦前の吉田鉄郎が木造柱梁の構成を鉄筋コンクリート造に置き換えた手法を、丹下健三 が香川県庁舎で発展させることで一つの頂点を築いたとするならば、前川國男による京都会館は、モ ダニズム建築を通じて都市の持つ伝統と市民生活を、一体的な現代の都市文化として築き上げた点に 最大の特徴があるといえよう。それは内外部空間に横断した、広く社会全体に影響を持つ開かれた公 共空間そのものであり、その根本思想はモダニズム思想と時代の公共性を実現するものであった。京 都会館再整備はモダニズム建築の保存改修であると同時に、京都会館の再生による公共的要求の実 現、即ち公共性を再生する取組みとなった。
2章 既存構成の改修と改築
京都会館の「建物価値」とは何か。日本建築学会をはじめとした学術団体からの保存要望書には、モ ダニズム建築としての形態的・空間的特徴が主に指摘された。しかし、その対象となる空間や部分の範 囲が判然としなかったため明確に整理し編成する必要があった。この「建物価値」を、京都会館の形態 的・空間的特徴を中心に析出し、「風格」「佇まい」として形容され、評価されてきた内容を「構成」「要 素」に分析し、保存改修の対象に定めることとした。これが構成要素研究の目的である。
2章では、京都会館の構成分析を詳述する。それに先立ち、戦後の岡崎公園の米軍接収解除後に着手 された「京都国際文化観光会館(後の京都会館)」の建設計画へと至る経緯、設計者選定競技と完成ま での図面や記録を調査し、その内容をまとめる。ここに、前川國男と前川國男建築設計事務所による、
京都会館の設計における当時の検討内容の研究、京都会館が竣工した 1960 年前後の建築作品から浮 かび上がる設計主旨、設計条件とそれを実現するための建築計画、前川國男の思想と京都岡崎が持つ 伝統や文化との重なり、等を念頭に、京都会館の「全体にわたる形態的・空間的特徴 = 構成」を、多 角的な視点から分析を行う。その過程において、様々な「対話」に取り組んだ。
京都会館再整備の計画そのものが、京都市を中心に社会問題として広く議論となったことから、様々 な人々との意思疎通のための「関係者対話」に加え、1960 年当時の前川國男と設計事務所スタッフが 残した図面や歴史資料を調査することで、半世紀の時間を超えた当時の設計者との対話を試みた。前 川國男がモダニズムの立場から繋がろうとした、10 世紀の時間を超えた伝統と歴史との対話にあたる
「歴史対話」である。この対話の積み重ねを背景に、京都会館再整備における構成要素研究は進められ た。
保存改修設計者による構成要素研究とは、R.ベンチューリが著書『建築の多様性と対立性』にて、
「月着陸を目指すロケットのプログラム上の手段は途方もなく複雑だが、その目標は単純で何の矛盾も ない。一方、建物のプログラム上や構造上の手段は他の技術プロジェクトに比べて技術的に遥かに単純 であり、難しくないのに、その目的はより複雑で、度し難く曖昧でさえあるのだ。」と指摘した、建築 に求められるプログラム(機能)の広がりと建築表現の曖昧さに対して、保存改修対象の建築を分析し 明示する挑戦である。
抜本的機能改修により形態変更を伴うモダニズム建築の保存改修設計では、建築の特徴を具体的に析 出し保存の対象を的確に把握した上で、機能改修と保存改修を止揚する研究と設計が必要となる。これ はモダニズム建築を未来世代へ引き継ぐために不可欠な実践的研究である。
1.既存構成の析出
ここでは、京都会館の建築的特徴である「構成」を析出することを目的に、前川國男による設計競技 案(1957)、竣工建物(1960)の図面と、前川國男と担当者による当時の図面と資料、京都会館に関 する既往研究を基に、設計主旨や経緯についてまとめるものとする。構成要素研究に際し、前川建築設 計事務所が所蔵している京都会館に関する図面を手に入れるため、前川建築設計事務所橋本功所長よ
り図面を記録したマイクロフィルムを拝借し、我々でデジタルスキャンを行い研究資料として活用し た。あわせて当時の建築雑誌をはじめとした文献を参照することで、当時の意匠や技術面における検 討経緯と、文献による設計に関する条件の検討経緯の両側面から研究を行った。次に、京都会館再整備 基本設計の前段にあたる基本計画時に、日本建築学会などから寄せられた保存要望書、京都会館に対 する既往研究を参照し、これまでに認められてきた形態的・空間的特徴を基礎資料とし、複数回に渡る 現地調査を実施し、内容確認を行った。ここでは設計図書と当時の記録を時系列に整理し、その内容を 中心にまとめるものとする。
1.1.設計競技案
京都会館の骨格となる、中庭を中心とした配置、強い水平性を持つ構成、柱と梁による明快な構成 は、設計競技案で提示された。また二条通から冷泉通への空間の連続性、中庭から東山への空間の連続 性も、読み取ることができる。
設計競技案で示された大庇、バルコニー、欄干による強い水平性を持つ構成と柱と梁の明快な構成 は、前川の作品の中で、京都会館の前年に竣工した世田谷区民会館(1959)にも見ることができる。
また、正面の大通りからピロティを経由して中庭へと至る空間の連続性、伝統木造建築を彷彿とさせ る柱梁の構成など、構成と要素に関する嚆矢こ う しとなったもので、1957 年の設計競技案は世田谷の構成と 要素を基に展開したものとして読み取ることができる。
設計競技の募集規定では、打放しコンクリートが原則不可とされていたため、この案は柱・梁を塗装 したプレキャストコンクリート貼り仕上げにて提案された。しかし、建設費用の不足から、後の設計で 杉板型枠による打放しコンクリート仕上げに変更された。この判断には、景観への配慮という視点か ら、市側の一部反対意見もあったが、前川自身が高山市長と協議し、「東本願寺も、いわば木の打放し ではないか」と、景観を心配する意見を説得した。また、公共建築にしては開放的過ぎると難色を示す 意見もあったが、これも「前川國男の剛と田中誠(同事務所専務、「建築素材論」著者)の柔」で乗り 切ったという(1)。当時の設計経過における計画内容の変化について、設計を取りまとめていた田中 誠による記録がある。
コンペの課題は、2500 人収容のコンサートホールと、800 人収容の小劇場、それに 30 カ国以 上の国際会議を催しうる国際会議場、これらを一丸とした建物であった、われわれはこれらのう ち会議場の性格がよくのみこめず(その要求内容に比して与えられた坪数が少なかったため)、こ の会議場と前記の大小2つのホールを結びつけた会館、これをひとつのものとして把握すること に何か無理があるように思われた。
コンペが終わって本設計に入ってから、いくたびかの議論を重ねるうちに、多少その性格が変 わっていった。国際会議場は、一方に国立国際会議場の計画が起こってきたため、この会館では 学術会議程度の役割を果たせばよいことになった。他方、コンサートホールについては、芸能関 係者の諸団体が連合して陳述するといったことなどあって、結局、大ホールはコンサートホール の機能を阻害することの少ない範囲において、バレー・演劇などのできる多目的劇場へと計画変
更をすることになった。また、小ホールは、800 人収容では演劇を上演するばあい、劇団の採算 がとれず、したがって一流の劇団が来演しがたいとの理由で、1300 人収容の中劇場になった。
こうした変更のなかでも、とくに会議場がそれほど本格的な国際議場専用でなく、ショウなど にも使うということになったため、会館全体としてはバラエティに富んだ新しい型の公会堂的の 性格が濃くなってきて、われわれにとっては、かえって全計画を庶民的な会堂として把握しやす くなったように思う。
田中 誠/著 「課題の性格 ̶̶3つの section̶̶ 庶民的会堂」『建築』1960 年9月号 類例のない先駆的な計画であったため、設計競技以後も施設の用途や規模について、設計と平行し て議論されたことで、設計着手後も建築計画の決定が難航した様子であった。
設計着手後、それまで市民会館建設促進懇話会にて議論された「市民の文化活動のホールに併せ国 際的な諸会合を可能ならしめる会館」という目的から、建物全体を国際会議場として運用できる計画 を検討し、大ホール(第一ホール)を音楽ホール・会議場、更に演劇などにも対応できる多目的ホール として整備、小ホール(第二ホール)を当初の 800 名から 1300 名へ規模を拡大し、演劇を中心とし た多目的ホール、そして小規模で多目的利用も可能な「国際会議場」の3つのホールが実現されること となった。
1.2.配置計画
岡崎公園は、神宮道の南北軸と市街地へ繋がる二条通の東西軸のふたつの軸を持ち、公園内の建築 群全てこの軸に沿って計画されていた。これに則り、新たな会館も計画され京都公会堂と同じく、市街 地へと繋がる二条通に面して正面を構えた。この主要なアプローチである二条通から、ピロティ、中 庭、大ホールへと空間を連続させ、三方向より中庭を取り巻く様に、大ホール、小ホール、会議場の3 つのボリュームを配置し、既存の公会堂(現:市美術館別館)を含めてコの字型に中庭を囲み、東側の 公園と一体になって完結する構成、東側への空間の広がりをつくりだしている。
ピロティの形式を採用した二条通からのメインアプローチや小ホールのホワイエ、中庭を囲む構成 とその造形は、近代的な装いの大伽藍案であった。周囲のどこからでもアプローチできる開放的な構 えは、塀や壁によって閉鎖された勧業館や市立美術館などの建築と対照的に、広く市民に開かれた新 しい時代の建築としての表情と存在感を示していた。
1.3.機能構成
設計競技の条件で示された国際会議場の面積規模の狭さから、30 カ国以上の国際会議を催しうる国 際会議場としての機能の実現を困難と捉え、コンサートホールとして要求された大ホールに、会議場 機能を持たせることで、その規模への対応と、国際会議場と第一ホールを中庭の中空に展開する回遊 路で繋ぐことで、建物間の相互利用を提案している。また回遊路は、設計競技の課題にあった 2,500 人収容のコンサートホール、1,200 人収容の演劇用中劇場、30 カ国以上の国際会議を催しうる国際会 議場の3つのボリュームを、ひとつに繋げる目的で計画されたものであった。中空通路の手法は、神奈
川音楽堂・図書館、岡山県庁舎にも見られる手法であり、京都においては水平に配置された3つの機能 を連続させる建築計画として提案された。
1.4.周辺環境との調和
当時の京都は、戦火を免れた木造の低層住宅群が広がっていた。その風景の中に 2,500 人を収容す るコンサートホールを中心とした複合文化施設の計画は、当時の町並みに比して平面的にも断面的に も巨大な規模の計画であった。
東山一帯に囲まれた平面的な岡崎公園と、その水平的な性格を象徴するが如き疏水の流れ、そ れに既存の建物、公会堂、勧業館、美術館等の中層建物の高さなどを考え合わせる時、この場所 に巨大なマッスの高層建物を置く事は、公園地帯全域に対して不均衡を来すものと思われる。こ のために建物全体を中層の高さに収め水平に延びた屋根面から大ホールの屋根、小ホールの舞台 フライの部分のみを突出せしめる水平線的な構成をとった。この公園のもつ水平線的性格は建物 のボリュームの流れのみでなくバルコニー手摺、外壁を構成するプレキャスト板等、全館意匠の 細部にまで浸透せしめ附近全域及び周囲の風光との調和を図った。
前川國男/著 「京都会館」『京都会館五年のあゆみ』1965 年 12 月
前川は建物に水平の大庇を全周に廻し、バルコニーによって強い水平的な構成を持たせると共に、
木造建築の柱梁の構成を、コンクリートによるラーメン構造とパネル割りによって現代の建築に取り 入れることで、南北と東西に 100m を超える長大な立面を分節し、その印象を和らげ、既存の風景と の調和を試みた。更に、大ホールのホールボリュームをバットレスによるドーム状に、小ホールのフラ イタワーボリュームを矩形にして現し、大庇によって屋上と庇下を分節することで、屋上に出現する ホールボリュームを庇下と全く異なる形式、且つ個別に独立して異なる単純な形態にまとめている。
1.5.竣工建物
設計競技後の設計で、3つの建物機能の配置、大庇とバルコニーによる水平性、二条通からのアプ ローチ、中庭から東側への空間の連続など、設計競技で示した基本的な構成を維持した形で京都会館 は竣工した。設計の中で、構成に検討が重ねられたのと同時に、構成をかたちづくる要素に飛躍的な検 討の成果が現れる。大庇や欄干に、プレキャストコンクリートを採用することで京都会館独自の特徴 的な造形が見出され、外壁にホローブリックから発展した新たな煉瓦タイルが採用されるなど、それ までの前川による一連の作品からも飛躍した、新たな意匠が生み出されることとなった。
1.6.当時の設計における平面の検討
設計競技後の大きな変化として、中庭を横断していた回遊路が消え、代わりに中庭に面して中2階 と 2 階レベルに外部バルコニーが設けられた点があげられる。そして、大ホール、小ホール、国際会 議場を中心とした会議棟の3つの機能を繋ぐ動線が外部のみであったプランから、内部でも相互に往
来できるプランへと更新され、建物を内部でひとつに繋げるプランが成立した。また、会議棟の最下階 を東山への傾斜の中で中庭の床レベルと共にスキップフロアの1階として収め、国際会議場の床レベ ルを中 2 階へ下げることで、国際会議場が2層の吹抜けを持つ、開放的な空間となった。舞台機能で は、第一ホールの舞台レベルが1階から2階へ変更があげられる。これは、第一ホール、第二ホールの 楽屋をまとめて第一ホール1階にまとめて確保したためで、主に 2 階以上に計画されていた楽屋を、
舞台との近接、舞台袖空間の確保を目的として再検討した結果であった。
1.7.当時の設計における立面の検討
設計の経過で、大庇は直線的な形状から先端部が大きく捲れ上がり、持ち出し寸法も 2.4m から 4.5m へと力強いものとなった。欄干手摺は、重量感のある形状から端部が大きく持ち出し、三日月型の断面 による、伝統的な欄干を彷彿とさせる意匠へと変化している。これらは、残されている図面から、実施 設計から現場にかけて継続した検討が重ねられ、最終的な意匠を決定している。
設計競技案における立面の特徴として、平面の項目で述べた第一ホールのドーム型のボリュームや 会議棟を高床式のように持ち上げ中2階を最下階としていた点の他にも、二条通側南立面のピロティ 上部にあたる会議室群のサッシを、他のサッシより室内側に3m 内側に寄せることで第二ホールと会 議棟のボリュームを分節していた点、サッシ割りを柱間に対して水平に3分割としていた点、サッシ を柱梁の外側に構成していた(但し会議棟中2階は柱の内側に収めていた)点、疏水に面した西側立面 図では、第一ホールの2階以上の階に楽屋を配置することで、他立面と同様に開口部を持つ立面構成 として全ての方位に開放的な正面性ともいえる表情をつくりだしていた点、などがあげられる。
設計競技案から実施設計にかけて全体の構成は明快に整理された。それは大庇とバルコニーの存在 が強調された点、二条通側会議棟の形態が整理された点、第二ホール1階ホワイエが開放的なガラス カーテンウォールに更新された点、立面が真壁の表現に統一された点、などがあげられる。バックヤー ドの計画では、楽屋などを1階に下げ、効率の良い計画に更新された点があげられる。このため、西側 立面が他の立面に比べ閉鎖的な表情となったが、第二ホール脇のコンクリートマッスの処理によって、
バックヤード側の立面でありながら、琵琶湖疏水に対して独自性のある構えを生み出すこととなった。
設計競技案から竣工図迄の経過における変化として、大小ホールの大庇上のボリュームの更新があ げられる。第一ホールは、それまでのドーム型から東西方向の山型へと変化し、第二ホールはフライタ ワーを取りやめ舞台と客席が一体化した矩形ボリュームへと変化した。その他の階段室や国際会議場 の僅かなボリュームと共に、大庇がつくる水平線上の上に個別に乗せ異なる形態ボリュームとして分 離する構成は、設計競技案の構成を引き継いだ形となっていた。また、構成をかたちづくる要素は、大 庇や欄干をはじめとして伝統を強く意識した意匠として洗練され、伝統美に繋がろうとする設計意図 が明確に現れた形となった。
1.8.京都会館の構成の析出
ここまで、前川國男設計事務所の当時の図面と記録を中心に、設計経緯と検討内容の変化について 追いかけてきた。そこには伝統に繋がろうとする設計姿勢と意匠、東山を背景とした京都岡崎の景観
を読み取ることで実現された構成も確認された。既往研究や保存要望書からの指摘、京都会館の開設 資料などから指摘された項目のまとめとして、京都会館再整備基本計画に明記された内容から重複を 厭わず引用する。
・寝殿造りにもなぞらえられる配置構成
(3つの機能を L 型に配置、ピロティから広場へ抜ける空間構成)
・素朴で力強い造形
(打放しコンクリートの柱梁、大型タイルの重厚さを演出し、力強い秩序感を街並みに与え る)
・地域性や街並みとの関係を意識したデザイン
(東山の歴史的環境、岡崎地区の景観との調和、パブリックスペースの創出)
・建築の内部と外部の一体感を生み出す巧みな構成
(バルコニーとピロティの巧みな組合せ、2階レストランからの東山への眺め)
・前川國男氏の一連の作品のモチーフとなる多くの要素
(水平性を強調した大きな庇やバルコニー、プレキャストコンクリート製の手摺等)
・異素材を活用した豊かな建築の表情
(打込みタイルという独自の外壁の先駆けとなるタイルの積上げ、プレキャスト素材の利用)
しかし、これら内容だけでは指摘されている保存すべき対象、特に空間構成や造形の関係性につい て判然とせず、構成要素の関係性も同様である。そのため現地調査を通じ、京都会館の「構成」の析出 を行った。図面と資料、現況調査、既往研究、京都市に寄せられた保存要望書を通じて、京都会館の形 態的・空間的特徴と機能条件、当時の設計意図の研究から以下の7項目にまとめた。建物へのメインア プローチである二条通側からの空間体験の順序に則り編成を行った(図-構成1)。
構成① 寺院の三門と重なるピロティ
構成② 二条通から冷泉通へと続く空間構成(空間の連続性、空間の抜け)
構成③ 中庭を中心とした、囲まれつつ開放的な空間構成
構成④ 中庭を取り囲む、バルコニーと内部空間による空間の連続性 構成⑤ 伸びやかな水平性
構成⑥ 木造の軸組と伽藍を思わせる形態構成
構成⑦ 大庇上の建物ボリュームの分節とセットバック、屋上庭園
京都会館はホールを中心にした公共文化施設として、伝統に根ざしたモダニズム建築として、その 空間的特徴や造形的特徴から、京都岡崎の風景、都市空間に対して如何に調和し、貢献してきたのか。
その内容を詳述しつつ、京都会館の建築的特徴を論じる。
構成① 三門と重なるピロティ
ル・コルビュジエが「近代建築の5原則(新たな建築の5つの要点)」と表現したもののひとつ
「ピロティ」は、建物を大地から浮遊させ切り離す構成として、それまでの建築の常識を覆すもので あった。大地から浮遊し、地域性を切り離すことは、モダニズム建築が世界のどの場所にも舞い降る ことが出来ることを示す、象徴的な構成でもあった。日本においては、香川県庁舎(1956)、羽島市 庁舎(1959)など、市民に開かれた公共空間として、戦後の市民社会を表象する新たな空間、内外 の空間をつなぐ新たな広場空間として、時代の建築家達から社会的意味を与えられることで広く採用 された。
前川はピロティの設計について、岡山県庁舎(1957)では高層の庁舎棟を浮遊させることで、岡 山城側の広場から3層の高さを持つ中庭への空間の連続性の獲得と、建物の入口、アクセスの結節点 として構成し、世田谷区民会館(1959)では、正面通りから広場へ繋がる外部空間の連続性と、適 度に都市空間を分節する1層のゲートとして実現した。それらに続く京都会館では、二条通から中 庭、第一ホールへ人々を導き入れるゲートとして2層の高さで実現し、来場者を中庭にプールさせる ことを意図して、建物に囲まれた40m 80mの中庭をつくり出した。ここで注目すべきは、空間体験 を経た伝統建築との重なりである。2層の高さを持つピロティは禅寺の三門を、更にピロティから中 庭を経て第一ホールへと繫がる空間構成は、三門から法堂へと歩む空間体験を来訪者に彷彿させる。
前川の作品においてピロティは以後も、東京文化会館(1961)、国立国会図書館(1961)等で採用 されるが、これらと比較して京都会館のピロティと構成は、伽藍の構成を顕著に示していることが解 る。大地から浮遊し、「近代建築の5原則(新たな建築の5つの要点)」として地域性から切り離され たピロティは、京都岡崎に降り立ち三門と伽藍に結びつくことで、伝統建築が持つ伝統美と現代性を 止揚した、空間構成と形態構成をあわせもつ、京都会館独自の構成となった。
構成② 二条通から冷泉通へと続く空間構成(空間の連続性、空間の抜け)
「空間の連続性」「空間の抜け」とは、内部の室と室との空間や内と外との空間を連続させること で実現する、建物とその周辺の空間にまたがる連続的な空間とその構成を示す。空間を体験する観察 者の立場からは、シークエンス(sequence)として言い換えることも可能であるが、前川は自らの こうした手法を「平面の流動性」と表現し、建築の本質を単なる塊ではなく空間と見なし、それぞれ の空間を緩やかに結びつけることで、設計者による設計方法と意図を示す言葉として用いていた。
20年来私の関心は日本の建築からコンクリートの壁を抹殺して、これを近代建築のスタート ラインに立たせたいということでありました。理由はもちろん、平面の流動性と構造の経済性 に重点のあったことはいうまでもありません。
前川國男/談 「国際性・風土性・国民性」円卓討論 『国際建築』1953年3月号
この「平面の流動性」即ち「空間の連続性」は、前川の作品群の中で、神奈川県立音楽堂・図書館 (1954)で、特徴的なものとして現れる。図書館と音楽堂のふたつの建物をずらして配置することで、
両建物の関係性から庭と音楽堂のホワイエ、その背後にある掃部山か も ん や ま迄の空間の連続性を生み出してい る。このように、ふたつ以上の建物をずらして配置し空間を生み出す方法は、以後の世田谷区民会館
(1959)、京都会館(1960)と展開するものであり、後の埼玉会館(1966)、福岡市美術館
(1974)、東京都立美術館(1975)では、地下やドライエリアを設けるなど立体的な展開をみせ、
埼玉会館以後の3つの建築で実現した空間の連続性を前川は「エスプラナード(esplanade)」と表 現している。京都会館は、この「エスプラナード」の布石となった建築作品のひとつである。京都に おいて、碁盤の目状に配された二条通と冷泉通を繋ぐ公共の開かれた空間として、その間にピロティ と中庭、第一ホールホワイエを配置することで、都市構造に即した空間構成を実現している。
「空間の連続性」は、以後の前川の示す「一筆書きのプラン」にも繋がる構成である。埼玉県立博 物館の設計を振り返った前川建築事務所の田中清雄のコメントを参照する。
私が担当した埼玉県立博物館の仕事を通して先生から suggestion を受けた設計手法を継承す る事も私の使命の一つです。
・コルビュジエが日本にきて「日本には壁がない」と言ってた。
・壁は人間を守るんだということを語りかけてくるものでなければならない。
・プランにはムーブマンがないといけない。
・いいプランは美しい。プランを練っていくと一筆書きで描けるようになるんじゃないか。
以上は先生の語りかけであり、私に対する啓示でした。武蔵野の面影を残す大宮公園の一画 に、四季折々に情趣を変える自然のリズムと呼応するたたずまいを定着させるべく、自然の様 相に従い「一筆書き」の壁の構成をデザインの骨法となす作品の誕生となったわけです。近代 建築を日本の風土に根付かせ地域に息づく一つの手法であると考えます。
田中 清雄/著 『前川先生から教わった設計手法と組織のあり様』JIA News 2001 年 06 月号
京都会館では、以後の前川事務所の代表的な壁仕上げとなる打込み煉瓦タイルの嚆矢、煉瓦タイル 壁が生み出された。中庭に面した壁面に煉瓦タイル壁が続き、床の御影石舗装によって空間の連続性 が表現された。図面を読み解くと、この通り抜け空間は二条通から中庭までのものではなく、冷泉通ま で貫通する設計意図の存在が把握できる。
第一ホールの南側中庭と北側冷泉通にはチケットカウンターと出入口が設けられた。街路を碁盤目 状に配する都市の構成を公共建築の内部に取り込み、二条通と冷泉通を南北に貫通させる石畳の街路 空間がつくり出され、第一ホールのホワイエには陶板壁画が仕上げられ、煉瓦タイル壁と連続して空 間が抜けるように意図されている。当時から見ても現代から見ても、開放的且つ大胆な計画であった。
京都会館竣工当時を記録した『京都会館五年のあゆみ』によると、竣工後間もない 1962 年と 63 年 の第一ホール年間利用者数として 100 万人以上との記録がある。単純計算で1日1回満員を出し、年 間のメンテナンス休業を一切取らずに毎日運用しても届かない数字であり、現代のホール運用では考 えられない記録となっている。これは仮説であるが、1回の利用で沢山の人々が舞台と客席、更にホワ イエや中庭に広がってコンクールのように入れ替わり往来することで、この入場者数が実現したとす
れば、第一ホールの街路状の1階ホワイエと人々を「プール」するための中庭は、大量の人数を受け入 れる建築計画として、非常に合理的な計画の基につくられたことになる。チケットが不要の催しであ れば、冷泉通側からも自由にアクセスすることが出来る、都市の大規模集会場であり、当時の建築用途 である「集会場」とも合致する計画であった。現代にて、このような運用が基本となることはあり得な いが、京都という伝統的な都市の空間構成と特徴を取込んだ構成は、京都会館の骨格を大きく形づく るものであった。しかし、有料公演を主とした運営ではホールホワイエの貫通動線は実現せず、且つ平 常時は暗く閉鎖される。冷泉通側の当日券売場も近年運用されることなく閉鎖されることで、当初の 設計意図は消失している状況にあった。
構成③ 中庭を中心とした、囲まれつつ開放的な空間構成
京都会館は大庇によってひとつのまとまりが与えられている。京都会館は第一ホール、第二ホール、
会議棟の3つの建物機能を分棟状に分けて構成されている。前川が分棟に拘った理由として、既に触 れた様に、求められる機能をふたつ以上の棟として配置することで、その棟間に空間の関係を生み出 すこと、即ち広場や中庭をつくり出すことを目的としている。これは、構成②「二条通から冷泉通へと 続く空間構成」で論じたように、開放的な空間構成を意図していたことに加え、東京海上日動ビルディ ング(1974)のような超高層建築物でも、平面的の分節を行うことで足元に開放的な都市広場をつく り出すなど、その設計姿勢は徹底したものであった。これは、日本の都市計画が実現し得なかった都市 広場の実現でもあった。ル・コルビュジエは、密集した都市環境の中で、採光、換気などモダニズム建 築による健康的な環境を約束する居住空間の充実と共に新しい時代の都市広場を思い描いていた。こ の中庭について、前川は宮内嘉久によるインタビューの中で次のように答えている。
私はね、戦前にコルビュジエとルーブルの庭̶̶チュイルリ公園につながって庭がね、ウイン グがずっと出てる̶̶。その庭を横切ってバスが通っている、そのバスに偶然乗り合わせていた の。そしたらコルビュジエが僕にね、このスペースがとてもいいんだという。つまり、物がある んだけどその物を感じさせない、しかもなにか包み込まれているような感じがここにはあるだろ う。こりゃいいなあってことを、しきりに僕に言うんだ。なるほどと思ったんだな、僕はそのと きにね。その言葉がひじょうに記憶に残っていたということはあるわけです。
前川國男/談 「建築家としての展望はあるか」『続・現代建築の再構築』65. 彰国社 1978 年
ル・コルビュジエの中に、ルネサンス期からバロック期の様式建築によって形成されたルーブルの 中庭に、発想の原点のひとつがあることが伺える。前川はこの思想をパリで受け、京都において、ホー ルの来場者をプールするための中庭として、公園の散策路として、二条通からピロティを経て、東山を 借景とし中庭と岡崎公園を繋げることで、都市と建築が一体になる構成をつくりあげた。
構成④ 中庭を取り囲む、バルコニーと内部空間による空間の連続性
竣工当初は、中庭から外部階段を経て2階のバルコニー、そしてレストランへと巡り会議棟のラウ