『 続 日 本 紀 』 に お け る
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(2) ^5︺ 事﹂の用例が﹃続日本紀﹄の特に天平期に集中しているからである︒. 二六. 井氏は正史に﹁監護喪事﹂︵傍線筆者︒以下同様︶の他に﹁監護葬. この時期の﹁監護喪事﹂から﹁監護葬事﹂への用語の変化にこそ︑. の用法. 事﹂の使者が派遣されている例があることに注目されている︒石井. と﹁葬﹂. 両者の相違とその実態を見分ける鍵があると考えられるからである︒. ﹁喪﹂. 試みに﹃大漢和辞典﹄を引いてみると﹁喪﹂は①死ぬ②も一人の. 用いられていたのか︑確認していきたい︒. まず石井氏が指摘されるように︑﹁喪﹂と﹁葬﹂の語が区別されて. 1. 氏は別稿において﹃令集解﹄にみえる﹁喪﹂と﹁葬﹂に対する明法 諦家の解釈を検討された結果︑﹁喪﹂と﹁葬﹂の語は異なった意味を 持っており︑その違いは喪葬の時間的な段階︑すなわち死の後に﹁喪﹂. が始まり︑﹁葬﹂つまり埋葬に至るという喪葬の手順の違いに起因す ^4︺. ることを明らかにされた︒この検討から石井氏は﹁監護喪事﹂と﹁監. 護葬事﹂は︑﹁喪﹂と﹁葬﹂という異なる段階に派遣される異なる使. 者であり︑さらに﹁葬﹂の段階に派遣される﹁監護葬事﹂こそが︑. きこもる礼一③もに服する④ひつぎ⑤枢を正寝に安置しておく期間︑. 死を痛んで縁者が其の親疎に応じて五等の凶服を著け︑一定期間引. 虎尾氏は﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂の用語の違いに関しては︑. とある︒一方﹁葬﹂はほうむる・ほうむり︵屍を埋蔵する︶となっ. 虎尾氏の指摘された葬司を意味しているとも推測されている︒. 実際にはまま通用されていたとされ︑特に両者を区別して考察は. ている︒. 区別して用いられていたと思われるので︑﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂. してみたい︒職員令諾陵司条令釈は︑﹁喪諦在家起哀也︑葬謂送葬之. 次に石井氏が考察の対象とされた﹃令集解﹄明法諦家の説を確認. ︷6︺. 行っていない︒しかし後述するように﹁喪﹂と﹁葬﹂の語は実際に. のみが通用していたと考えるのは逆に不自然である︒しかしながら. 也﹂と述べている︒また喪葬令首書では義解をはじめ令釈・朱説な. ている︒これらの解釈は﹃大漢和﹄で確認した字義とほぽ一致して. どがいずれも﹁喪﹂は﹁死﹂であり︑﹁葬﹂は﹁蔵﹂であると説明し. 虎尾氏の論は︑﹁喪﹂と﹁葬﹂の違いを意識しなかった点以外におい ては︑実に詳細を極めており︑虎尾氏のいわれる如く︑﹁監護喪事﹂が. 葬司であったとされる説にも充分妥当性があるように思える︒. しつつ︑再検討を行うことを主眼とする︒その際考察の対象は本来. ら埋葬まで遺体を安置しておく期間︑またその期間の儀礼といった. 以上を整理すると︑﹁喪﹂は死・近親者が喪に服する服喪・死亡か. いると言えよう︒. ならば六国史に現れる記事全てを範囲とすべきではあるが︑﹃続日本. 意味を︑﹁葬﹂は埋葬︑及び埋葬地へと遺体を運ぶ送葬の意味を持つ. そこで本稿では﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂の用語の違いに留意. 紀﹄を中心として︑考察を進めていきたい︒何故ならば︑﹁監護葬.
(3) ^螂︺. 遺体を埋葬地へと運ぶ﹁送葬﹂の儀礼を意味している事が理解され. −. ﹃古事記﹄における﹁葬﹂の用例を検討された神野志隆光氏によれ. よう︒聖武天皇の﹁御葬之儀﹂も︑﹁奉葬太上天皇於佐保山陵﹂の時. ー^㎜︺. が︑そのうち二例は﹁勅以散一位葬儀送之﹂・﹁送以大臣葬儀﹂と. まずは﹁葬儀﹂から見ていこう︒﹃続日本紀﹄中には四例ほどある. 一7一 次に︑﹁喪﹂と﹁葬﹂の語が単に辞書的な解釈のみに留まらず︑実. ﹁送﹂という語と結びついて用いられていることから︑﹁葬儀﹂とは. と言えよう︒. 際に使い分けが為されていたかを︑正史などから確認していきたい︒. ば︑﹁葬﹂とはその葬地︵墳墓︶を示しつつ︑そこに収める事を意味 ^畠︺. しているという︒では今回の考察の主たる対象である﹃続日本紀﹄. に行われており︑またこの﹁御葬之儀﹂では笛人が﹁行道之曲﹂を ^H一 奏している事などからも︑同様に送葬の意味で用いられている︒. に来る例が見られる︒これらの例では﹁喪﹂はすなわち﹁死﹂を意. 来赴母王之喪﹂というように︑外国使節が自国の王族の﹁喪﹂を告げ. ﹁喪﹂の用例から見ていくことにしよう︒まず﹁新羅使薩喰金所毛. 埋葬を意味している︒他には道鏡の卒伝中に﹁御葬礼畢︑奉守山陵﹂. 礼無節﹂と述べられている︒つまりここでは﹁葬礼﹂は具体的には. 承が語られているが︑その中で埴輸以前の殉死の風習に対して﹁葬. 言に見える︒ここでは土師氏の祖である野見宿祢による埴輪起源伝. 次に﹁葬礼﹂の語は土師宿祢遵長らが菅原改姓を申し出た時の文. においてはいかがであろうか︒. 味していると理解できる︒次に︑大宝元年正月壬辰条では﹁贈右大. とあり︑称徳天皇の遺体を山陵に埋葬し終えたことを意味している︒. ^帖︺. 元明太上天皇の喪葬の際に︑﹁太上天皇葬於大倭国添上郡椎山陵︒. ︺. 臣喪故﹂に大射が中止され︑天平勝宝元年閏五月甲辰条では伊勢齋. 以上の諦例か皇言えることは︑﹁葬儀﹂﹁葬礼﹂ともに本来の﹁葬﹂. 一. 王が﹁遭二親喪﹂の為に齋宮より退出している︒これらはいずれも ^H一 近親者等の死のために忌み籠もる服喪の意味に取れる︒一方﹁葬﹂. の意味︑つまり埋葬や送葬の儀礼を意味するものとして用いられて. ^9︺. の用例では﹁火葬﹂のように葬法を示す例︑先の神野志氏の指摘の. いるということである︒では﹁喪礼﹂﹁喪儀﹂についてはいかがであ. 一m一. ように﹁葬於︹地名︺﹂で埋葬を意味する例が非常に多い︒. れて用いられている例であるが︑﹃続日本紀﹄には他にも﹁喪礼﹂﹁喪. 不用喪儀︒由遣詔也﹂と︑﹁喪儀﹂という言葉が用いられている︒こ. ろうか︒. 儀﹂︑﹁葬礼﹂﹁葬儀﹂などの語が見られる︒これらの用語こそが喪葬. の﹁喪儀﹂がどのような意味を持っているのか︑それは﹁由遺詔也﹂. 以上は比較的意味が取りやすく︑﹁喪﹂と﹁葬﹂が明らかに区別さ. の儀礼そのものに関わるものであり︑ひいては﹁監護喪事﹂﹁監護葬. とある﹁遺詔﹂から探ることができる︒元明は﹁厚葬破業︑重服傷 ^㎎一. ^π︺. 事﹂にも密接に関わってくるものと思われる︒そこで以下これらの. 生︑朕甚不取焉﹂と述べ︑火葬地にそのまま埋葬すること︑天皇及び. 二七. 用例について︑より詳しく検討していく︒ ﹃続日本紀﹄における﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂.
(4) 文武百官に喪中にあっても平常通り政務を執るべきなど︑徹底した. 二八. ﹁喪儀﹂﹁喪礼﹂を用いないとは︑通常執り行われるべき喪葬儀礼を. 行わないという意味に理解できる︒つまり﹁葬儀﹂﹁葬礼﹂が送葬及. 一. 薄葬を命じている︒ここで注意したいのは︑元明の死から埋葬まで. び埋葬に隈定されるのに対し︑﹁喪俵﹂﹁喪礼﹂は死後一連の喪葬儀. 一. の期間が︑それまでの天皇の大葬と比べて著しく短縮している事で. 以上︑﹃続日本紀﹄にあたっては﹁喪﹂と﹁葬﹂は区別されて用い. 礼を意味しているといえよう︒. 元明は崩御した養老五年十二月十三日からわずか六日後の十二月十. られていたことが確認できたと思う︒そうなるとやはり石井氏の指. ある︒例えば持統は一年︑文武は五ヶ月後に葬られているのに対し︑. 九日に埋葬されている︒また埋葬までの期間の短縮に伴い頼宮が作. 摘の如く﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂は︑異なる時期に派遣された. しかしながら︑石井氏の論にも疑間点がないわけではない︒まず. 異なる使者であると考える方が妥当ということになろうか︒. られなくなったことも︑大きな特徴の一つである︒. 神亀五年九月十三日︑聖武天皇と光明子の間に生まれた皇太子が 菟去し︑六日後の九月十九日に那富山に葬られた︒この皇太子の喪. 一点目として︑﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂が同一人に対して派遣さ. 一20一. 葬は﹁為太子幼弱︑不具喪礼﹂という状況であった︒皇太子はわず か二歳で亡くなっており︑いわゆる﹁元服瘍﹂にあたる︒﹁元服蕩﹂に. 使者派遣であるならば︑﹁喪﹂の期問には﹁監護喪事﹂が︑﹁葬﹂の. れる例が皆無であるということである︒両者が別々の役割を持った. ^ 一. ついては仮寧令元服蕩条に規定が見える︒. 期間には﹁監護葬事﹂がそれぞれ派遣されていても良い筈である︒. ことが挙げられる︒﹁喪﹂と﹁葬﹂の用語の違いに留意するならば︑. 凡無服之脇︿生三月至七歳﹀︑本服三月︑給仮三日︒一月服二日︒. その対象は生後三ヶ月から七歳までの子供であり︑同条義解に﹁若. ﹁監護喪事﹂から﹁監護葬事﹂へ︑そしてまた﹁監護喪事﹂へと戻る. 二点目には﹁監護葬事﹂の用例が天平期前後に集中して現れている. 不帯官人遭此喪者︑准仮日数︑心喪居憂︒但文云元服︑故不可著服﹂. 一連の変化は︑喪葬儀礼の実態における何らかの変化を伴っている. 七日服一日︒. とあるように︑喪服を著けない︑すなわち喪に服さないことを指す︒. 服之蕩︑比於成人︑礼数既異︒即不合示礼制也﹂とあり︑その他諦. 意味していることは︑喪葬令百官在職条義解に﹁凡七歳以下︑是無. 事﹂だけではない︒喪葬の儀礼としての意味で用いられている﹁喪. と︑実は﹁喪﹂から﹁葬﹂への用語の変化は︑﹁監護喪事﹂﹁監護葬. そこで﹃続日本紀﹄の喪葬関係記事をもう一度よく見直してみる. 可能性が充分考えられる︒. 家がいずれも同様の解釈をしていることから確認できる︒また埋葬. 儀﹂﹁喪礼﹂といった用語が︑先に取り上げた神亀五年の聖武皇太子. ただし﹁元服脇﹂が服喪の問魎だけでなく︑喪葬の儀礼の有無をも. までの期閥が短いことも元明と共通する点である︒この二例から︑.
(5) 定されていく︒この時期を境に殖が行われなくなることを考慮する. −中略︵以下初位まで脾物の量を規定︶−︑皆依本位給︒其散. 凡職事官莞卒︑脾物︑正従一位︑純皿川疋︑布一百廿端︑鉄十連︒. C一職事官条. ならば︑喪の期間が著しく短縮されることによって︑﹁喪﹂の儀礼に. 位三位以上︑三分給二︑五位以上給半︒太政大臣︑純五十疋︑. の﹁喪礼﹂を最後に現れなくなり︑以後は﹁葬儀﹂﹁葬礼﹂の語に眼. 何らかの変化が起きたとの推測は成り立ち得よう︒そして﹁監護喪. 布二百端︑鉄十五連︒親王及左右大臣︑准一位︑大納言准二位︒. 凡官人従征行︑及使人所在身喪︑皆給残敏調度︒. e一官人従征条. 凡鱒物両応合給者︑従多給︒. d一鱒物条. 親︑准従五位︑三分給二︿女亦准此﹀︒減数不等︑従多給︒. 事﹂から﹁監護葬事﹂への用語の変化もまた︑﹁喪﹂の儀礼の変化に. ﹃延喜式﹄にみる喪葬の手順. 若身死王事︑皆依職事例︒其別勅賜物者︑不拘此令︒其無位皇. 養老令と. 対応していると考えられるのである︒. 2. 本節では︑養老令と﹃延喜式﹄に見られる喪葬の手順を︑段階を 追って確認していくことによって︑俵礼に変化が起きているのか確. 初に天皇に関する規定である先皇陵条・服錫貯条を掲げた後︑京官. 現存する令文である養老喪葬令の条文配列に注口すると︑まず最. ︵以下三位まで及び太政大臣の数量を規定︶−︑以外葬具及遊部︑. 百口︑幡四百竿︑金鉦饒鼓各二面︑楯七枚︑発喪三日︑−中略. 凡親王一品︑方柵轄車各一具︑鼓一百面︑大角五十口︑小角一. f一親王一品条. 三位条から立碑条まで皇親及び官人の喪葬に関する規定が続く︒そ. 並従別式︒五位以上及親王︑並借轄具及帷帳︒若欲私備者聴. 認していく︒. こで以下条文の配列に従って内容を検討し︑喪葬のどの段階でどの. く女亦准此V︒. まずaは死亡報告とそれに対する弔使派遣の規定である︒また﹁残. ようなことが行われていたのか︑特に﹁喪﹂にあたる期間にどのよ うなことが行われていたか確認していきたい︒. 敏之事﹂は別式に定めるとあるが︑この﹁残敏之事﹂とは同条古記. によれば﹁棺梛衣衰事是﹂とあり︑遺体を棺に収める為に必要な具. a一京官三位条. 凡京官三位以上︑遭祖父母父母及妻喪︑四位遭父母喪︑五位以. 物の支給を意味する︒いずれも死後すぐに行うべきことばかりであ. り︑喪葬の第一段階と言える︒. 二九. 上身喪︑並奏聞︒遣使弔︿残敏之事︑並従別式﹀︒. b一百官在職条︵条文については﹁はじめに﹂参照のこと一 ﹃続日本紀﹄における﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂.
(6) bに規定されている内容のうち︑死者の当司が分番しての﹁会喪﹂. がどの段階に行われたかについて︑同条朱説は﹁会喪者︑只発喪日. 之眼欺︑若至喪葬事了可会哉﹂との問いを発している︒これに対す. 一一一〇. 営墓の規定と︑喪葬令は喪葬の一連の手順にほぽ従って条文が配列 されている︒. 一方﹃延喜式﹄の段階ではどのような手順で喪葬が行われていた. 員令諸陵司条の土部の職掌である﹁賛相凶礼﹂を引いて説明してい. また﹁土部示礼制﹂の﹁礼制﹂について︑同条義解及び令釈は︑職. の日に︵もしくはその日から︶行うものであることは確認されよう︒. 者高下V︒就第弔贈︒其中納言以上及妃夫人莞時︑弔鱒亦准此. 書︑一人持位記︒若無贈位者︑一人持鱒物︒数其使人位階随亡. 軽重随品高下︒事見琵葬記﹀︒送葬之日︑勅使二人︑︿一人持詔. 凡親王及大臣莞︑即任装束司及山作司︿或任主行所及山作所︒. のであろうか︒﹃延喜太政官式﹄葬官条を見てみよう︒. る︒そこで諦陵司条に目を転じると︑﹁凶礼﹂について令釈が﹁喪葬. ︿事見儀式﹀︒. る明確な答えは出されていないものの︑少なくとも﹁会喪﹂が発喪. 之礼謂之凶礼﹂と述べるように﹁喪﹂・﹁葬﹂両方にわたって礼制を. ば︑その派遣時期はやはり﹁喪﹂の早い段階であると考えられよう︒. 差遣土師宿祢等也﹂とあり︑﹁喪﹂の段階から土部が関わるのであれ. れるが︑この時に宣詔・贈位−購物が贈られている︒﹃儀式﹄贈品位. が任命される︒その後﹁送葬之日﹂に勅使︑すなわち弔使が派遣さ. ﹃延喜式﹄では親王及び大臣の蓑去にあたって︑まず装束司・山作司. Cは購物の支給に関する規定である︒﹃令集解﹄諦説は購物につい. 儀でも︑弔使は﹁葬日﹂に喪家に派遣され︑宣詔・贈位が行われる 一㎜一 とただちに枢が墓地に向けて出立している︒. 示すものである︒百官在職条古記によれば土部は﹁承官処分︑治部. て﹁送死物日碑也﹂と説明するが︑購物が喪葬のどの段階で贈られる. 養老喪葬令・﹃延喜式﹄それぞれの儀式手順を比較して︑大きく変. 一η一. かについては言及されていない︒d・eはそれぞれ鱒物支給と残敏. fで支給する数最が挙げられている具物は︑葬列を先導する方相. 葬司が任命されていることは注目すべきであろう︒装束司・山作司. 期である︒特に﹃延喜式﹄ではまず最初に装束司・山作司からなる. 化していることは︑死亡報告を受けた直後の対応と︑弔使の派遣時. 氏︑遺体を運ぶ為の轄車を初めとして︑鼓吹・楯などいずれも送葬. は天皇大葬のそれに准ずるものと考えられるが︑天皇大葬において. 調度支給に関する例外規定である︒. の列に用いる物である︒fに続く皇都条・三位以上条・立碑条など. 持統太上天皇の場合︑大宝二年十二月二十二日に崩御し︑翌二十. 装束司・山作司任命の時期がやはり変化しているのである︒. つまりaの死亡報告から始まって︑弔使・積鮫・会喪・監護喪. 三日に作殖宮司・造大殿垣司が任命されている︒その後翌年十月九. はいずれも営墓に関する規定である︒. 事・土部示礼制・鱒物が﹁喪﹂の期間に行われ︑f以降が送葬及び.
(7) ﹃続日本紀﹄. 日に御装司・造御竈司が任命され︑十二月二十六日に埋葬された︒. 文武天皇も同様で︑まず残宮関係司を任命した後︑埋葬が迫ってき. ﹁監護喪部﹂. 一刎一. た時に改めて造山陵司等を任命している︒ところが薄葬を命じた元. の魏卒記事からみる喪葬儀礼と. ﹃続日本紀﹄中の莞卒記事は︑本来数日間にわたるものが一日にま. ﹁監護葬事﹂. なると︑崩御の翌日︵もしくは当日一に装束司・山作司等の葬司が. とめられ︑﹁監護喪一葬一事﹂を初めとする使者派遣の記載について. 明以降︑碩宮が作られなくなり埋葬までの期間が短縮されるように. 任命されるようになるのである︒この変化は崩御するとただちに装. も︑ほぽ一貫して﹁監護喪︵葬︶事﹂二旦詔・贈位官・購物の順に並. かしそうした中にあって注目したいのが︑文武三年六月に卒した日. 一邪一. 束司・山作司を任命して﹁葬﹂の為の準備に取りかからなくては間. べられており︑儀式次第に変化があったかどうか判断しがたい︒し. ︐延喜式﹄でも葬司をすぐに任命していることは︑天皇だけでなく. 向王の記事である︒日向王の喪葬に関する記事は六月丙午条及び翌. 一珊一. に合わなくなった為といえる︒. 親王.官人の喪葬においても﹁喪﹂の期間が短縮した可能性は大い. 日丁未条の二日にわたっている︒. ・文武三年六月丙午︵二十三日︶条. に考えられる︒また弔使派遣が死亡報告を受けてすぐの段階から﹁送 葬之日﹂へと移った事情についても︑﹁喪﹂の短縮化によって﹁喪﹂. 浄廣参日向王卒︒遣使弔鱒︒. ・同年同月丁未︵二十四日︶条. の期問が﹁葬﹂の為の準備に終始するようになった結果︑﹁葬﹂の段. 階に儀礼の比重が置かれるようになった為と推測されるのである︒. もあり得る︒そこで﹃続日本紀﹄の莞卒記事から︑﹁喪﹂の段階での. 葬司の派遣であると考えるならば︑当初から空文化していた可能性. 喪﹂が執り行われている︒このような﹁死←弔使派遣←会喪﹂という. 翌二十四日には直冠以下一百五十九人が日向王の第に就いての﹁会. 日向王が没したその日に弔購すなわち弔使を派遣して鱒物が贈られ︑. 命直冠已下一百五十九人︑就日向王第会喪︒. 儀礼の有無及び﹁喪﹂に変化があるのか︑確認していくこととした. 手順は︑﹃日本書紀﹄天武九年七月戊戌条の舎人王の死に関する記事. ただし喪葬令の規定については︑虎尾氏のように﹁監護喪事﹂が. い︒その際に﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂の用語の違いと︑それぞ. にも見られる︒. 三一. 日卒︒天皇大驚︑乃遣高市皇子・川嶋皇子︑因以臨磧架之︒百. 納言兼宮内卿五位舎人王︑病之臨死︒則遣高市皇子而訊之︒明. 一η一. れの実態にも留意する︒. ﹃続日本紀﹄における﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂.
(8) 三二. とある︒ここでは﹁監護葬事﹂・﹁会葬﹂・﹁弔使︵宣詔・贈官一﹂が行. 人県守等就第宣詔︑贈太政大臣︒. ここでは舎人王の死にあたって︑すぐに高市皇子・川嶋皇子の二名. われているが︑それぞれ喪葬のどの段階に関わっているのか確認し. 寮者従而発哀︒. の弔使を残の場に派遣していること︑また弔使に従って百寮の者が. 一聖. ていこう︒舎人親王に派遣された﹁監護葬事﹂の実態については︑. 東市司. 一警. 発哀を行っていることが確認できる︒これらの例はいずれも喪葬令. 以下に掲げる左京職符との関連性が指摘されている︒. 職符. の条文配列によって復元される儀式手順にかなっていよう︒. 次に大宝令施行後初の派遣である多治比真人嶋について見ていき. 瑠璃玉四口く径二寸︑若無者壼一十許口V. 右平章其価︑便付遣使坊令御母石勝︑進送舎人親王葬装束. たい︒嶋の菟卒記事は大宝元年七月壬辰条に載る︒. 是日︑左大臣正二位多治比真人嶋藷︒詔遣右少弁従五位下波多. 大進大津連船人. 所︑符到奉行. 三品刑部親王・正三位石上朝臣麻呂︑就第弔鱒之︒正五位下路. 大属四比元孫. 朝臣広足・治部少輔従五位下大宅朝臣金弓等︑監護喪事︒又遣. 真人大人為公卿之諜︑従七位下下毛野朝臣石代為百官之謀︒. とである︒表を見ると﹁監護喪事﹂使者の官職は記載されない場合. 出てくる装束司に相当するものである︒この符で求められている瑠. ここに出てくる﹁葬装束所﹂は︑まさに﹃延喜太政官式﹄葬官条に. 十一月廿日. がほとんどであるのに︑ここでは明記され︑しかも左大臣に治部少. 璃玉四口については︑太安万侶の火葬墓に真珠四粒が副葬されてい. ここで注目したいのは︑﹁監護喪事﹂に治部少輔が派遣されているこ. 輔が派遣されていることは令文にもかなっているので︑少なくとも. るように︑墓に収める為に求められたものと考えられる︒つまりこ. に︑儀式面での変化はあったのだろうか︒この問題を考えるにあたっ. ではその後﹁監護喪事﹂から﹁監護葬事﹂へと用語が変化した時. 葬事﹂の派遣の次に記載された﹁其俵准太政大臣﹂とは︑﹁葬儀﹂を. たと言える︒この点を踏まえて﹃続紀﹄の記事を読み直すと︑﹁監護. の史料から︑装束司とは莞卒者の﹁葬﹂に必要な具を揃える司であっ. 一30一. この時には令文を遵守しようとの意識があったと考えられる︒. ての好例となるのが舎人親王の麗卒記事である︒﹃続日本紀﹄天平七. 親王一品条に規定された太政大臣の格をもって行うことに他ならず︑. 葬司として葬儀の準備を行ったと考えられる︒左京職符の日付を見. ﹁監護葬事﹂は虎尾氏の言うごとく︑実際は装束司・山作司からなる. 年十一月乙丑︵十四日︶条には. 知太政官事一品舎人親王琵︒遣従三位鈴鹿王等監護葬事︒其儀 准太政大臣︒命王親鍔女︑悉会葬処︒遣中納言正三位多治比真.
(9) ・大納言正廣参大伴宿祢御行←贈正廣弐右大臣一大宝元年正月己丑. てみたい︒. の十一月二十日であり︑﹁葬﹂の為の準備が死後まもなく行われてい 条︶. ても︑符が出されたのは︑舎人親王薙去の十一月十四日から六日後. ることは︑﹁監護葬事﹂すなわち葬司が︑死後速やかに任命されて. 順から考えるに︑﹁会葬﹂に続いて贈官が記されていることは︑﹃延. ・左大臣正二位石上朝臣麻呂←贈従一位︵養老元年三月癸卯条︶. 丁亥条︶. ・大挫言兼大将軍正三位大伴宿祢安麻呂←贈従二位︵和銅七年五月. 喜式﹄が示すように﹁葬﹂の段階で贈官が行われたものと思われる︒. .夫人正三位石川朝臣大蓮比売←贈正二位^神亀元年七月庚午条︶. ﹁葬﹂の準備にあたっていることを示している︒また﹃続紀﹄の記載. ではこうした儀式次第はどこまで遡れるであろうか︒. 散一位﹂と﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂の違いはあるものの︑舎人. 位県犬養橘宿祢三千代莞︒遣従四位下高安王等監護喪事︒賜葬儀准. 儀の格式には変化がない︒ところが石川大蓬比売以降はほとんどが. 准三品﹂とあることから︑大伴安麻呂・石上朝臣麻呂の場合には葬. 親王一品条では﹁諸臣一位及左右大臣︑皆准二品︒二位及大納言︑. 以上四名の贈位・贈官と親王一品条の規定を照らし合わせてみると︑. 親王の時と同様﹁監護﹂の為の使者派遣と官位以上の﹁葬儀﹂を賜. 贈位贈官によって葬儀の格式が変わってくるのである︒石川大蓮比. 天平五年正月庚戌条の県犬養橘宿祢三千代の場合︑﹁内命婦正三. うことがセットとなっていることから︑やはりその実態は葬司で. 売が﹁監護葬事﹂の初見であることを考慮するならば︑この時以降. 本位以上の葬憐を賜う例が増えている︒さらに舎人親王の時にはま. 儀﹂﹁葬礼﹂の語が増えていくことを指摘したが︑特に橘三千代以降︑. また第一節において神亀年間以降﹁喪儀﹂﹁喪礼﹂の語が消え︑﹁葬. 事﹂が実際には葬司派遣であることから︑用語は一時的に﹁監護喪. 護喪事﹂の用例が続くが︑そのうち橘三千代に派遣された﹁監護喪. ると石川大莚比売の後︑神亀年間から天平五年の橘三千代まで﹁監. ﹁葬儀﹂に儀礼の比重がかかるようになったと考えられよう︒表を見. 一靱一. あったと思われる︒. ず﹁其儀准太政大臣﹂とした上で﹁贈太政大臣﹂とあることから︑. 事﹂へと戻るものの︑喪葬儀礼自体には既に変化が起きていたので あろう︒. 一一一一一一. 葬儀の格式と贈位贈官が密接な関係にあることが読みとれる︒. そこで鋸卒記事における贈位贈官を見直してみたい︒福原栄太郎 氏によれば︑贈位贈官は当初壬申の乱の功臣が中心となっていたが︑ ^引︺ その後高位高官者が大半を占めるようになる︒この高位高官者の多. くが︑菟卒に際して贈られているので︑高位高官者の例を少し追っ ﹃続日本紀﹄における﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂.
(10) おわ. 三四. 宝亀九年五月癸酉条には坂合部内親王莞去にあたって次のように 書かれている︒. 三品坂合部内親王莞︒遣従四位下壱志濃王等監護喪事︒所須並 官給之︒. 三品能登内親王莞︒遣右大弁正四位下大伴宿祢家持︑刑部卿従. 続く天応元年二月丙午条の能登内親王の記事にも︑. 態を反映したものであり︑その変化とは具体的には﹁喪﹂の期間の. 四位下石川朝臣豊入等︑監護喪事︒所須官給︒. と︑いずれも﹁監護喪事﹂派遣とともに︑﹁所須官給﹂が行われてい. る︒ではこの﹁所須﹂とは具体的には何を指すのであろうか︒. と思われる︒ところが﹁喪﹂が短縮された為に︑死亡報告を受ける. の派遣とともに記されており︑残る二例のうち宝亀十年莞去の藤原. 認できる︒そのうちの二例は藤原武智麻呂・橘諸兄の﹁監護葬事﹂. ﹁所須官給﹂は右の二例を含め﹃続日本紀﹄中に全部で六例ほど確. とすぐに﹁葬﹂の準備に取りかからなくてはならなくなった為︑﹁監. 百川は﹁葬事所須官給︑丼充左右京夫﹂と︑もう一例は同じく宝亀十. 一鎚一. 護喪事﹂は装束司・山作司からなる葬司へとその役割が隈定され︑. 年琵去の藤原縄麻呂の例で︑こちらは﹁葬事所須官給︒井充鼓吹司 一糾一. そうした実態を反映して︑用語も﹁監護葬事﹂へと変化していった. 夫﹂となっている︒. つまり﹁所須官給﹂六例のうち﹁監護喪事﹂の用例とともに現れ. のであり︑また藤原百川・縄麻呂と両内親王の記事が宝亀十年から. る二例以外は︑全て﹁葬﹂や﹁送葬﹂と結びついて用いられている. こうした﹁喪﹂の短縮化は元明以降の天皇大葬の短縮化と時を同. 天応元年と時期的に非常に密接していることを考慮すると︑両内親. 葬﹂に必要な具物の官給であったと考えられ︑この時の﹁監護喪事﹂. じくしており︑おそらくは元明の大葬を契機として︑天皇のみなら. 最後に︑宝胞年脚に入るとまた﹁監護喪事﹂へと用語が戻るが︑. も藤原百川・縄麻呂の﹁監護葬事﹂とその実態が同じものであった. 王の﹁監護喪事﹂の場合にも︑﹁所須官給﹂は実は﹁葬﹂及び﹁送. この変化がやはり実態にともなったものなのか︑確認しておきたい︒. ず広く官人に至るまで変化していったものと思われるのである︒. の中心は﹁葬﹂に置かれるようになった︒. れていた弔使派遣なども︑﹁葬﹂へとその場を移していき︑喪葬儀礼. ものと考える︒またそれに伴い当初死亡報告を受けるとすぐに行わ. させて考えると︑喪葬儀礼全体を監督するものだったのではないか. いる﹁土部示礼制﹂が喪葬俵礼全体に関わるものであることと対応. 儀礼全体を意味する語であること︑同じく百官在職条に規定されて. 短縮化である︒本来︑﹁監護喪事﹂の役割は︑﹁喪簾﹂﹁喪礼﹂が喪葬. 事﹂から﹁監護葬事﹂への用語の変化は︑喪葬儀礼の変化という実. ここまでの考察をまとめてみたい︒﹃続日本紀﹄における﹁監護喪. に.
(11) 可能性は充分あり得 よ う ︒. また天平期以降派遣された使者の多くが天皇大葬においても葬司 として任官されていることも︑﹁監護喪事﹂の実態が葬司であったこ とを示唆している︒ 一珊一. 何故このような事が起きたのか︑二つの原因が想定できる︒一つ. は︐続日本紀﹄編纂過程の問題である︒しかしそれ以上に考えられ るのは︑天平勝宝九歳施行の養老律令の影響である︒律令の施行に よって律令用語である﹁監護喪事﹂に対する自覚が促された結果︑. 用語だけが﹁監護喪事﹂へと戻り実態と乖離するようになったので はないかと考えるのである︒. 以上︑﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂の語の違いから︑八世紀におけ. る喪葬儀礼の変化を指摘してきたが︑本稿では多くを推測に頼って. しまっており︑また﹁監護喪事﹂の具体的な職務までは︑言及する ことができなかった︒今後の課題としたい︒. ︐礼記﹂榊リ上には﹁搾也者︑蔵也︒蔵也者︑欲人之弗得見也﹂とあり︑. 神蜥志隆光﹁﹁大御雑歌﹂の場と成立−残宮倣礼説批判1﹂﹃上代文学論. 閉法諦家の解秋がこうした経書類に基づいている可能性は充分考えられる. 一7一. 一8一. ﹃続口本紀﹄文武四年十一月壬午条︒以下特に断らない限り﹃続口本紀﹄. 叢﹄笠㎜抑院■一九八七年 一9︶. 大宝三年正川辛未条・宝犯七年十二月乙巳条・宝犯八年五月癸酉条など. を山川典とする 一10一. その他天平膀宝八歳六月庚筑条・天平宝字元年四月辛巳条の﹁居喪之. 大平勝宝八歳五月壬︸条. 天平九年四月辛洲条. 天平七年十一月己未条. 礼﹂も坐武の喪に服している意昧に取れる. 一11一. 一13一. ^12︶. 天応元年六月壬子条 宝他三年四月丁巳条. 一15一. 推老五年十二月乙四条. ^14︶. 一16︶. 養老五年十月丁亥条. 庚武条にもある. 一18一. 元閉の遣詔は十. 一17一. 神犯五年九. 丙午・壬子条. 一20一. 一19一. 皇太子は神犯川年閑九〃丁卯に誕生しているので︑突際には満一歳に満. ﹃令災解﹂捜弊令職箏官条義解︒令秋・古記も同様の見解を示す. たない. 一21一. 一22一. 注 一−一 仁卯m附︐唐令拾巡﹂挫搾令復旧第六条. 諦橋轍次︐大漢和辞典﹄大修飾篶店. 哀三度︑喪家答⁝犬︑勅使引閉︑霊枢即発︒. 一一一五. 辺︑一人受位記函納阿︑詑共卯机︑巡泄霊枢前︑詑復本座︑勅使下座︑挙. 仏次就座︑勅使一人市制︑︿其詞臨時制之V詑行事者二人柵共逃︑一人留机. 詑喪家行班考閉門︑左右杣分迎之︑勅使二人く一人持宣命文︑一人持位記V. 牢党上︑北而東上︑︿随処便而設之︑不必川此制V前立高机一基︑其上概寓︑. 搾口逃勅使二人︑︿随亡老品位︑臨時定之﹀勅使到門外︑喪家設棉二来於残. ﹃俄式﹄巻姑十 贈品位雌. 一九八五年. 一23一. 八巻第六号. 石俳岬荻﹁律令N家の喪搾−豪族の喪葬梅の行方1﹂﹃史苑﹄第五十七巻. 一九九八年. 一2一 虎尾述哉﹁上代監喪使考−唐令鮒喪旭定の継一北と炎態−﹂﹃史林﹂第六十. 一4一. ^3︺ 石淋榊表﹁喪弊北使について﹂︐市代史研究﹂十五サ. キ 一・.﹂一﹂ 一ノL LL︑^卜 ﹂ノ一ノ ﹂. 片一一︷. 一6一. 一 5 一 附 炎 一 本 稿末掲蚊一参照. ﹃続日本紀﹄における﹁監護喪事﹂と﹁監護葬事﹂.
(12) ぞれ別の段階で編纂を閉始している︒成立過程については︑川石波新日本古. 三六. 一聖腿小︑︸川年六月辛巳・同年十一月叩貨条. 典文学大系︐続日本紀二二九八九年一解説の縦山晴坐﹁続臼本紀と古代. ﹇付一記﹈. 本棚成稿にあたっては指導教授である新川登晦⁝力先生のご指導を蝪っ. の史詐﹂にて整理されている. 一25一 翌H任命は元㎜・元正・聖武・甫野新笠・藤原乙牟漏︑当日任命は光. 閉・称他・光仁. この時の﹁会喪﹂は広く官人一般を集めてのもので︑喪葬令百官在職条. 一26一 このうち贈位官と脾物は記蚊順が入れ替わっていることもある. ^27︶. にみえる︷司分番しての﹁会疫﹂とは災なり︑むしろ巾国の正史に散見さ. を確認することができた︒併せて謝辞を︸し上げたい︒. た︒また★㎜眞之先生のご好音一によって︑︐続日本紀﹄各写本の文字の興同. の例もあるが︑︐藤氏家伝﹂鎌足伝には﹁既而公卿大夫︑百官人等︑皆赴喪. れる﹁会控﹂に獅似している︒また﹃続紀﹄巾には﹁会喪﹂の他に﹁会搾﹂. 庭挙哀﹂﹁硲以︑庚午年閉九月六口︑火葬於山脇之奔︒勅王公卿士︑悉会探 所﹂とあ1︺︑人々が遮体を安倣している﹁喪庭﹂に炎まって挙哀するのが. いては後述の舎人柳︑上の際にも﹁会搾処﹂とある一柵⁝川奈沐子﹁口本古代. ﹁会喪﹂︑﹁俳所﹂に災まるのが﹁会弊﹂と区別されよう︒一﹁会葬﹂の場につ. 喪搾侠礼の特質−喪搾令からみた天皇と氏−﹂﹃史学雑誌﹄第一〇九編第九. 一28一. 前掲虎尾注︵2一論文・石非注一3一論文. ﹃大u木廿文苫﹄一−六三二. −一﹂. 一29一. 一30一 前閉実知雌・閉川尚功﹁太安洩侶墓の党掘洲企﹂﹃口本考古学協会第四五. 本古代の菓誌﹂同㎜舎 一九七九年. 阿総会研究発炎.喋旨﹄一九七九年︑奈良N立文化財研究所飛篶資料飾︐n. 一九八九年. ^31︶ 禍原栄太郎﹁古代における贈位・坤官について﹂︐市代史論炎下﹄塙仰鵬. で︑あるいは﹁監誰喪箏﹂派雌との閑係において贈位が行われた可能性も. 一32一大伴御行に閉しては︑唯一大納言にて﹁監謹喪班﹂が派遣されているの. 宝 他 十 年 七〃丙午条. 考えられよう 一33一. 一別一 宝岨一作︑二 己門条. ︵35一 ︐続H本紀﹄はその成立過碓が三段階に分かれていたとされる︒現行の巻. 放で一一■えぱ巻一︑巻二十︑巻二十一︑巻三十四︑巻三十五︑巻四十がそれ.
(13) 監;葦一. 薙辛祈. 閉臼. 1. 概. ll.1二皆. 浄1榊. 丈武三年七1j癸削2D. モ名. 派遣内芥. /. ξ1葬〕二11;. 脳. 峨. 浄瞭圭華. ;削皇十. 峨璋 大. i{元年1川己吐05i. 人宝元年〕」壬辰121〕. 火納.1. 左大臣. 鐵二年五川舳17〕 知太政官箏. }岨元牢七川竹127〕. 神岨元年L川粁113〕. 夫人. ■1一。■1□. 洲青醐モ. 一品. 鰍椛王. 」品. 大平七年十一り乙花n4〕. 知た附一. 火平九年七11丁削25〕. 左人111. }1元年止j」乙1jll16〕. j1. 1ト三i.1{. 舳I」1{1舳キ赤三丁・代. 一」柵郁十け. 一品. 奔人概モ. lF−il㌧. 釧;洲11武榊手H 安砧概王. 柿左人肚 左大臣. 宝伍二年二1j己削22〕. 四品. 内. 一■1一■lll. 川7〕. =■3−11■]. 火応元年十二j1紐07〕. 一I3」口o. 延1;手七年五月辛亥ω. 雌舳i手. 大人. 1一■E位. f一■遣二位. 治部少輔. 従五i1士下. 大宅朝臣金弓. 従四位下. 石上朝臣豊庭. 従五位下. 1・野草順馬養. ≡壷宿祢一蕎兄. 睦1蝪他永乎. 衣毛童内理王. 1汁祁内醐王. 柵理王. 1}/1告幸」胆占美奈. 薩嚥肚旅チ. 続紀・巻二. 1. i詔・贈」正広弐右大1巨. 鵬・訣(公卿・百官〕. 続紀・巻二. 監;1圭募I拝. 臣■^1相1^. ⊥. }. 監1駅. 従四位下. 六人部王. 正五位下. 縣犬養宿祢筑紫. 1参謝. 従一位. 剛糊1巨広庭. 1大宰大弐1. 正四位下. 可1川朝1巨石足11〕. け1三大弁〕. 正四位下. 石川1享月1■{石足121. =。. 圭喪. 血.皿^ 臣・. 咋推. 監 帥. r皿■土. }. t 川. ,. 皇葬. 硅挫.i皿■0止. ;*l. l. ㈹1■Wl. 従川1』llド. ^1安1−1l. 1衛門膏1. 従四位下. 、安王1リ〕. 1参歳大峡卿〕. 従一位. 鈴雁モ. 従四位下. 中1醐1,1名代. 1刑部卿1. 従四位下. 大市王. /右. 従四位下. 紀朝1巨飯麻呂11〕. 従四位上. 紀朝臣飯麻呂川. 噛中守〕. 従五位下. 石川朝唖豊人11i. 眠部大享.荷j. 正四位下. 田中朝臣多太」緑呂. 1左大弁〕. 従四位下. 1右中弁i. 従四位下. 佐伯宿祢今一毛人川 大伴宿祢伯麻呂. 1上総守〕. 従四位下. 桑原王11〕. 1伯書守〕. 正五位下. 奈癸王. 1上総守〕. 従四位下. 1左大弁〕. 正四位下. 桑原王12〕 佐伯宿祢今一毛人川. 従川■げ. 壱志濃干11〕. 右大弁. 正四位下. 大伴宿祢家持. 刑部卿. 一道四位下. i. ;*12〕. 卜. 大弁〕. 監;珪剃;. 監口珪喪・I兵. 監。性喪I㌍. 監.、隻喪. 監護喪. 監;珪喪・. 続紀・巻六. 文武山. 続紀・巻七. 続紀・巻九. 寺. 続紀・巷十 守紀・巻十. 治部官人. }. 難波内醐王. 能登内概王. 続紀・巻_. 享. 耳. j;. 1;. 監回隻喪事. 監。要喪Ij1. キ. 芋・一王紀・巻トー. 、芋. 苛冗紀・巻十_. 等 専 等. 続紀・巻十_. 1壬詔・贈正_位・榊1阜. 榊 一昨肢一位排峡. 、t俵准太政大1巨・会葬・r1、詔. 続紀・巻十_. 折;鮒給. 続紀・巻十五. 幸. 続紀・巻_十. 折須官給. 統紀・巻二十一. 臓・詔. 元正山 「芋. 称徳路・光仁山 一.}. 称徳山 宮子山・聖武山・光1舳・称窪山. 窄武1」」・光仁装. 等. 続紀・巻二十_. 称徳』;1」. 称徳山. 続紀・巻=十_. ・芋. 李 等. 新等装・乙牟榊妄. 続紀・巷二十五. i斤須官寺I1・榊F□. 光仁山. 続紀・巻三十六. 折須官給・宣詔・呈■1…一品. 石川草胴豊人12〕 続紀・巻二十六. 1縫殿頭1. 従四位上. 壱志濃王12〕. 帷興守〕. 従四位下. 紀朝臣古佐美. 乙牟漏装 称徳装・光仁. 1刑部卿i. 従四位下. 石川朝臣垣守. 左大弁棄皇后呂大夫. 従二位. 佐伯宿祢今一毛人13〕. 散位. 従五位上. 当麻真人永嗣. 外従五位下. 松井連浄山. 中納言兼中榔≡1. 正=位. 藤原朝匝小巽麻呂. 参議治部卿. 正四位下. 壱志濃王13〕. 一。芋. 二宇. 11■. 延≡1舌三年川乙木12S〕. 液多朝臣広足. ・享. lj. 二品. ・j辰114〕. 一;三岨九年f川癸剛27i. 入応元乍二. 」王一位. 止一位. 宝旭三年七川吏・f19〕 宝他1w卜川. 閉内理十. 一品. ドト六年1均止月r丑u3〕 1{宝. 石川卓」ll.1大註比売. 婁井朝1雌1紬. 従五位下. 続紀・巻一 持統殖. 路1.ξ人大人. 右少弁. 王の他. 出典. ll. 人1命O.1i. 壬午130〕. 拝. 1蝋理土. 荻榊1師. 火・平^1年1H川引吏1川. 大. 監1垂喪事. 大石王. 天皇大葬任官司. 也 享. ■1・f. 辛iH5〕 !附. 大. 監;蔓喪. 多治比真人嶋. 」Fl■1. 神晦五年川壬i−1リo〕 」=平七年九. 人伴宿祢御行. 二品. {岨二年八川I舳11〕. 神他五年一. 1舳参 正二位. {1瞳j.阜. 氏名. ㌻. 方. 続紀・巻二十八. 光仁装・新笠山・乙牟漏■」」 続紀・巻二十九 宣詔・貝一曽妃正一位. 監護史(…芹〕州史折の」棚亜紀の1)は推定 *11)・(2)一1111史大系本では「喪」になっているが、煎注及び岩波新古典大系本、蓬左文111:・兼右・谷稼・束山仰文11軍・酬公宮各写本により改める 町三.,憧f1坦粁夕1 フ{1;!ソ(.…峠f一. 11,. ニオj. 苧貞一作殖宮司 災一装 火 一j1 蹄一f11路司. 木κの11〕(2)などの汝字は、純蜘1司任丁. 拷の任伽11]放を示す. ナる田缶;吾. 山一造山陵1i] 方一j笠方柵ii1. 雌ロユ将黒』]再tゆ「曲1縄贈蹄」〜「曲1縄撒脇」. lllギ.
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