• 検索結果がありません。

特別寄稿 現役アスリートとして末 續 慎 吾

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "特別寄稿 現役アスリートとして末 續 慎 吾"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

― 3 ―

特別寄稿 現役アスリートとして

末 續 慎 吾

星槎大学紀要(Seisa Univ. Res. Bul.)共生科学研究 No.12 3〜6(2016)

星槎大学共生科学部(特任准教授)

2016年リオオリンピックは連日のメダルラッシュで、日本国内は大いに盛り上がりまし た。僕はその期間中、鹿児島県で九州選手権という試合に現役選手として参加しました。以 前走ったオリンピックという舞台を連日横目に見ながら、自らの走りとまた向き合っていた 36歳の夏でした。

1 .オリンピックで走るということ

僕が最初に参加したオリンピックは、2000年20歳のときのシドニーオリンピック、2回 目は2004年24歳のときのアテネオリンピック、3回目は2008年28歳のときの北京オリン ピックと計3回でした。二十歳代の青春とバイタリティーを全て、走ることにぶつけていま した。

しかし、その世界ははたで見るようなスポーツという「さわやかで生易しい」ものではな かったように思います。目標を持つ・次回に活かす・次の経験に活かすとかという時間など なく、それを忘れるほど、「忘れなければならない」ほどにその瞬間の勝負に対して負ける ことのみが許されない・許さない、そうした勝負観のみの世界で生きていたように思いま す。おおよそいわゆる「スポーツ」という世界からは程遠いものでした。何か得体の知れな いものと戦っているようでした。

東京オリンピックが決まり、日本国民はさらにスポーツに対して関心を寄せ始めています。

今までスポーツに関わってきた人もいれば、そうではない人もいます。もしかすると、今も そんなに関心のない人も少なくないと思います。

僕は、スポーツに対しての関心は人それぞれだと思います。スポーツの経験がない人から してみれば、いまいち理解できないことが多く、捉えづらいところもあると思います。それ に対して理解を求め押し付けるのはアスリートとしてはナンセンスだと思いますが、この世 界の中で共に存在しているスポーツというツールがある以上、関心のない人にも関わる何か は確かに存在すると思います。

僕は、幼いころには「走ること」自体がスポーツだとは知りませんでした。走ることはた だ自然にやっていることで、それがスポーツということは知らないだけでなく、走ることを そもそも「走る」というふうに認識していたわけではなかったような気がします。

そして物心付いたときにそれを誰かに認められ、驚かれ、優勝があり、それを賞賛され、

特集 スポーツと共生

(2)

― 4 ―

負けたら悔しいなどという概念の中で走ることだけで、当時はこれがスポーツというもので はないかというふうに認識していたのではないかと思います。そしてその世界の中で自分に できること・したいことはやってきました。わかりやすく言うとメダル・優勝・記録など、

最高到達地点を求め、その世界の歴史を変えたというできごともありました

そして36歳になりました。気がつくと僕が走り始めたころにはまだ生まれてもいなかっ た若者たちと走ることもあるし、18年前に優勝した試合で再度優勝もできました。何かが わかったかというとそうではない気もしますが、でも何かぐるっと回ってもとに戻ってきた ようです。その場に立つと、以前の自分と現在の自分、そして何より未来への自分と言うも のを同時刻に感じることができます。時空を超えたものを感じることも多々あります。

今僕は、これまで走ることで体験した過去と共に今という現在を走ることで、「自分の走 ること」の在り方を整理しながら走っています。同じことをやっているはずなのにまぎれも なく違います。

今年リオオリンピック陸上男子4×100 mリレーで日本チームは銀メダルを獲得しました。

海外の屈強な選手を相手に、堂々とした日本人選手の走りは同じ走る人間としては感慨深い ものがありました。僕もそういったことをやってきた側の人間です。

そのリオオリンピックリレーを見て過去を思い返していました。僕が北京で銅メダルを 取ったときはベストコンディションではなかったように思います。全員がベストの状態では なかったように覚えています。皆何かしらの問題を抱えながら臨んでいる状態だったような 気がします。特に僕は心身ともにすり切れる一歩手前でした。終わった後は歓喜ではなく、

安堵の方が強かったと記憶しています。メダルを手にしたのにも関わらずです。恐怖感から 解放されたような気持ちでした。

2 .自分と戦うこと

そのときまでの僕は、何かを背負い込み、決して軽やかには走れませんでした。心から笑っ てはいられませんでした。今思うと日本代表であるという意識が強かったのでしょうし、心 からそういう責任感を感じていたのでしょう。また僕が生きてきた世界がそうさせたのかも しれません。そして何より、自分自身がそうさせたのでしょう。

僕は今まで自分が体験してきた話は語るべきでは無いと思っていました。あまりに生々し く凄惨な勝負の世界の心理や、それを取り巻く環境の現実があったからです。

ただ、今は経験を話すことを求められることもあります。その中で少しずつ自分の中で話 すという気持ちが芽生えてきました。ただ楽しみ、何も背負わず、何も気にせず、競技に没 頭する姿が本来のスポーツ選手の姿であると今は思うようになりました。スポーツの祭典と 言われるオリンピックは、たくさんの人間が関わり、同時に沢山の思いがあります。それも 全て含めオリンピックスポーツです。人間がスポーツし、オリンピックに関わるのです。

北京オリンピックのときの僕はそれまでのさまざまなことで、競技人生の中で心身ともに 絶不調でした。それは海外の選手と走るコンディションとしては理想からほど遠く、それで

(3)

― 5 ―

も戦わなければいけませんでした。丸腰で戦場に行く人はこんな気持ちになるのだろうと思 うくらいでした。国を代表して優劣を付ける世界へ行くわけなので当然の心理といえますが、

今思うとスポーツからは少しかけ離れていたのかもしれません。要するに僕は競争相手とだ けではなく自分とも「戦って」いました。

そのプロセスは一言では言い表せないくらい凄惨でした。

3 .謝罪する日本選手の心境

リオオリンピックでは、日本人選手は自分の成績について何人もが「謝罪」していました。

そういう競技者の心理はよく理解できますし、そこで涙する姿・その涙の真意もよく理解で きます。

僕自身2000年〜2008年までアジア・国内・日常のトレーニングも含めて1度も負けたこ とはありませんでした。ということは同時に「敗者」と言われる存在を生んできたのもまた 真実です。もちろんそれに後悔はありませんし、真剣な勝負で、優劣を付ける世界とはそう いう世界です。僕はその世界で勝負し、勝者で居続けると同時に敗者も同じ数だけ生み続け ていきました。僕は何度も何度も逃げ出したくなりました。先頭で走っているときも、「こ のまま自分が怪我をして走れなくなればよいのに」と思うくらいでした。そんな世界にいな がらも、勝利というものへの渇望とその拒否感との葛藤は凄まじかったのを覚えています。

しかし、その世界に居続けるのもやはり限界がありました。得体知れない孤独感と、何年も まともに眠れず、手が常に震え、頭の中では何か警報の音にも似たような音が鳴り続け、最 後は食べ物の味がわからなくなってしまっていました。止まってしまうとこのまま命が動か なくなるのではないかと思い、自宅には帰れずホテルを転々としていたこともありました。

誰かが勝ち、誰かが負ける。極まれば生死に関わります。止まる=生死に関わるほど思い詰 めていました。今になって思えば、そんな世界を限界まで必死で生きていたようです。

僕のスポーツは「スポーツ」だったのでしょうか? ですから僕は、これまで自分のスポー ツを語ることを恐れていました。当たり障りのない話しかできませんでした。

4 .自分のスポーツを求めて

今まだ僕は前述のように現役選手として走ってます。競技場に求めている答えはひょっと したら狭いのかもしれないし、広いのかもしれない。ただ二十歳代の僕自身の凄惨な経験を 繰り返すのではない、違った走りをしています。

僕の走りはどこに向かうのでしょう? 僕は以前戦ってはいたけども、本当の意味では 走っていなかったかもしれません。ということは本来のスポーツはしてはいなかったのかも しれません。

リオオリンピックリレーでのリレーメンバーは、自分たちの実力以上の銀メダルという成 績を残してくれました。何より彼らは何も背負わない・軽やかな笑顔をしていました。そし

(4)

― 6 ―

てその表情は僕自身に「赦し」と「原点」を教えてくれたように思いました。

「日本人のリレーはなぜ強いのか?」と聞かれることがあります。必死で走って来たので よくわからないのが本音です。でも一つ思うことがあります。

リレーはバトンを繋がないといけません。スタートからゴールまでバトンを運び、決して

「一人」だけでは成立しえない競技です。駅伝もまたそうです。タスキを繋ぎます。

日本はバトンパスの技術が世界レベルだと聞くことが多々あります。しかし僕はバトンパ スの技術にはあまり関心はありません。それは過去の技術の情報の蓄積があれば高まるのは 当然だからです。

本当に興味・関心があるのはその技術に高まるまでの時間とその人間の数です。要するに 歴史です。その分だけの挑戦・成功・失敗などの蓄積、そして何よりその人達のあきらめな かった情熱にこそ響くものがあります。勝者も敗者も関係なく、全てが関わっているのが歴 史です。日本が積み重ねてきた、スポーツに関わった日本人の精神性の歴史です。過去の挑 戦の数えきれないほどの想いがあって、今の挑戦に紡がれて未来は開けてきました。故に日 本の強さは、その情熱の強さにあると思います。

5 .好きなことを続けるが共生につながる

僕は競技をする中で、たくさん傷ついたり傷つけたりもしました。辞めたいと思ったこと もありました。自分の中のちっぽけなプライドにしがみついたり、必要以上過去の実績・走 りにこだわったり、走る理由を探したりして堂々巡りもしました。でもいつも最後にたどり 着くのは「走ることが好き」とういうことだけでした。

長く続けていると、問われることがあります。それは「本当に好きであるか?」というこ とです。「何が」好きであるか?ということではなく、「好きか?」ということです。

僕だけでないその長い歴史は、その問いに何度も答え続け、いつの時代にもその情熱を残 してくれていました。僕が今走れているのは、もちろん自分自身が走りたいと思う情熱と、

それまでの歴史を振り返ってみたからです。ですから、また前を向いて走れているのではな いかと思います。

これから先、もしまた僕の過去のような経験をする人がいたとしら、僕はひょっとしたら 何も力を貸すことはできないかもしれません。ただ一緒に、走ることくらいはできるかもし れません。そしておそらくその時も僕は今を走っていると思います。情熱持って……。

「スポーツと共生」。

難しくて僕には説明できません。でも僕は今僕と共に走っています。勝ったり、負けたり、

焦ったり、迷ったり、笑ったり、泣いたり、たくさんの自分と走っています。

もしかしたら、僕の中では「スポーツと共生」は「スポーツ=共生」なのではないかと思 います。いつの時代も、既にスポーツそのものが意味を教えてくれているのではないかと思っ ています。

だから走り続けます。そして今日もまた走ろうと思います。

参照

関連したドキュメント

まぁ、自分なりに勉強をしていたつもりなんですけど、その時 は、それこそ今話した、 「この子は ADHD だ!」 「この子は

花井 ありがとうございました。つけ加えることは余りないので、10

してきたにもかかわらず,相手方男性から突如一方的に関係解消を告げられたとして,

い 事実です。とはいえ、経済がほとんど成長しなく なった

(財)日本医療機能評価機構の医療事故情報収集等事業第 19 回報告書(平成 21 年 12 月 16 日)では、診療放射線技師に関連した事例

同じ目的を持ったチームとして活動を開始したのである。実際、企画課の職員との会話や

組み込まれていたわけです。

 バーミヤンから盗掘された経典類の海外流出が噂にのぼったのは1995年以