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ここで文献学者が槍玉にあげられているのは意味深長である

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Academic year: 2021

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唐 戸 信 嘉

「英文学科」におけるテクストと歴史的コンテクストの力学

─ジョン・チャートン・コリンズからI. A.リチャーズに至る 文学研究方法論の道程

イングランドにおける英文学研究の歴史は、ロンドン大学のユニヴァーシ ティ・コレッジやキングズ・コレッジに英文学の教授職が設置された 19 世紀 前半にさかのぼる。その後、1870 年代から 1880 年代にかけて労働者のため に設立された諸大学(リーズ、バーミンガム、シェフィールド、ブリストル 等々)でも英文学が講義されるようになり、1894 年にオックスフォード大学に、

1917 年にケンブリッジ大学に、それぞれ「英文学科」(English School)が開 設され、英文学という学問の制度化が完了する。英文学の本格的な制度化に関 しては、多くの研究者がこの歴史的事実を、ヴィクトリア朝後期から第一次世 界大戦までのナショナリズムの高揚と結びつけて論じるのが通例となってい る。だが本発表では、制度化を促した外部的要因ではなく、もっと内部の問題

─英文学研究という学問がその方法論や理念においてどのような伝統の下に 生まれたのか─を掘り下げてみた。

英文学研究の黎明期である 1886 年、英文学教師として活躍したジョン・

チャートン・コリンズ(John Churton Collins)は、雑誌『クォータリー・レヴュー』

に「大学における英文学」(“English Literature at the Universities”)と題する 書評を寄稿している。それは、当時ケンブリッジ大学において英文学に関する 講義を受け持っていた文芸評論家エドマンド・ゴス(Edmund Gosse)が出版

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した、イギリス文学史の本の書評である。コリンズはこの書評で記述の誤りを 列挙し、著者は英文学教師として不適格であると激しい口調で攻撃している。

そして、攻撃の矛先はやがてオックスフォード大学やケンブリッジ大学におけ る文学教育へと移り、文学というものはアマチュアの教師や畑違いの専門家で ある文献学者(philologist)が安易に取り扱ってよいものではない、文学と文 献学はまったく相異なる学問である、と主張する。

ここで文献学者が槍玉にあげられているのは意味深長である。英文学の制度 化が完了する 19 世紀末まで、専門の英文学者というものはおらず(英文学の 学位などは存在しなかったので)、英文学の授業を担当する教師はゴスのよう な在野の文芸評論家か、あるいは文献学者であった。しかしコリンズは、文芸 評論家や文献学者が文学を教えることに反対する。後者をしりぞける主な理由 としてコリンズは、言語学的研究は若者の心を育み、そのテイストを洗練させ ることがないからだ、という。文献学者は言語に重点を置くが、文学を読む上 で大事なのは文学の内容である。真なる文学研究を心理学とするなら、文献学 は解剖学にすぎない、と彼はいう。つまり、コリンズにとって文学研究とは、

テクストの内容に重きを置くべきで、読解の作業によって若者の審美眼や道徳 心を育てることが目指されている。

コリンズのこうした意見は、彼自身認めているように、マシュー・アーノル ド(Matthew Arnold)の教育論から多大なる影響を受けている。アーノルド は 1868 年に出版した大学教育論(Schools and Universities on the Continent)で、

大学の目的は良き市民、良きクリスチャンの養成であり、そのためには古代ギ リシアの文学を学ぶことが最も重要である、と述べる。コリンズと同様、アー ノルドが強調するのは文学作品が読者に与える道徳的影響である。彼らの文学 論は、一言でいえば古典学(classics)のテクスト解釈の伝統に依拠するもの なのであるが、そのことに気づくとき、コリンズの主張に秘められた政治的野 心もまた明らかになる。すでに述べたように、英文学が制度化される以前、英 文学の授業は文献学者の余技として行われることが多かった。つまり比喩的に いえば、新興の英文学という領域は、文献学がまず植民地化を試みた。その試 みは成功し、19 世紀後半まで主として文献学者が英文学を講じ、その研究方 法論においても、テクストの言語やその歴史的意味合いを研究することに主眼 が置かれていた。そこへ、テクストの内容が読者に与える感化力を最も重視す る、古典学の方法論に与する人々が領土争いに遅ればせながら参戦した。文献 学者による英文学の講座に対するコリンズの攻撃は、古典学派閥の人々による

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反撃の一例と見ることができるのである。

英文学研究という新しい領土をめぐる覇権争いは、文献学者と古典学者とい う二大勢力のあいだで争われた。両者の立場の違いは、前者が実証主義的で、

テクストを過去に位置づけ、その歴史的意味合いを探ることを主眼としている のに対し、後者は─すでに触れたように─テクストが読者に与える感化力 を重視し、テクストが書かれた過去ではなくテクストが受容される現在に力点 を置いている。換言すれば、後者は、テクストと読者のあいだに横たわる時間 的距離を読解の過程において解消すること、これを要求する。文学テクストを 包みこんでいる歴史性は捨象されることが暗黙の前提であり、こうした立場は、

文献学者の方法論と鋭い対立を描くことになる。

さて、文献学者が占拠していた英文学という領土に、古典学者であるコリン ズが反撃を試みた 1880 年代以降、覇権争いはどのような展開を見せたであろ うか。オックスフォード大学の初代マートン英文学教授としてウォルター・ロー リー(Walter Raleigh)が、ケンブリッジ大学の初代英文学教授としてアーサー・

クイラー=クーチ(Arthur Quiller = Couch)が就任する 20 世紀初頭から、I. A. チャーズ(I. A. Richards)が教育者として活動を開始する 1920 年代までの時 期は、古典学派閥が文献学派閥に逆襲し、領土を奪取した時期といえる。なぜ なら、ローリーやクイラー=クーチは文献学とは無縁の文学教師であり、リ チャーズはアーノルド、コリンズから受け継いだ文学研究の方法論を先鋭化し、

広範な影響力を誇ることになるからである。

リチャーズはケンブリッジ大学での授業の成果をまとめた『実践批評』

(Practical Criticism)で、文学テクストの解釈において歴史的コンテクストは 副次的意味しか持たないと宣言し、重要なことは、テクストと読者のあいだで 生じる化学反応だと断じる。そして彼によれば、優れた文学テクストの意味は 歴史の中で変化することはない。非歴史的で無時間的な主題こそすぐれた文学 テクストの指標なのである。こうした文学論を展開するリチャーズが、聖書を 読解する聖職者の態度に相似している事実は見逃しようがない。アーノルドか らコリンズを経て、リチャーズに至る古典学派閥の人々は、文学が読者に与え る感化力、道徳的影響を最も重視したが、その背後にある隠れた意図は、弱 体化してゆく宗教の姿─19 世紀における聖書の価値の下落─を前にして、

それに代わる機能を文学研究によって置き換えたいという野心であった。

ここで興味深いのは、彼らの文学研究の方法論は、伝統的な神学のそれを受 け継いでいるという点である。スージー・アンガー(Suzy Anger)が『ヴィク

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トリア朝における解釈』(Victorian Interpretation)という研究書で明らかにし ているように、神学から古典学へ至る方法論には、テクストの歴史性を否定し、

テクストを取り巻く歴史的なコンテクストも無視し、純粋にテクストから絶対 的な真理を導き出そうという態度が共通して見出せる。この一連の方法論をテ クスト中心主義と呼ぶならば、他方で文献学派閥の人々が押し進めたのは、もっ と歴史科学的な、テクストを取り巻くコンテクストを重視する方法論であった。

英文学研究という分野は、最初、文献学派閥の人々が優勢を誇ったが、すでに 見たように後に古典学派閥の人々が巻き返すことになった。これは、古い神学 的な方法論が復活を遂げたという意味では、方法論の後退、退化と捉えるべき であろうか。科学的、実証主義的な立場からすれば明らかにそうだといえる。

しかし、テクストの自律性と非歴史性を唱える立場は、20 世紀を通じて途絶 えることはなかった。それは何を意味しているのであろうか。

1980 年代は、英文学研究における神学的な方法論の遺産を再確認する、重 要な論考がいくつか相次いで登場した。たとえば、『理論への抵抗』(The Resistance to Theory)でポール・ド・マン(Paul de Man)は、解釈とはテクス トの意味決定をめざすがゆえに、最終的に読み手の判断力が超越論的な機能を 持つことを前提とせざるをえないと指摘している。また『真なる存在』(Real Presences)でジョージ・スタイナー(George Steiner)も、テクストの審美的 体験はつねに意味決定や価値判断の行為と不可分であり、それゆえに超越論的 であると述べている。重要なのは、ド・マンもスタイナーも、脱構築の理論を 十分に踏まえ、記号と意味の乖離を受け入れつつ、そのように主張しているこ とである。一般的な読者がテクストの受容でつねに行っている行為、つまりテ クストを解釈し、意味を引き出し、価値判断をするという行為には、脱構築論 者が読者の、作者の、そしてテクストの言葉の不安定性をいくら暴露しようと も、結局はそうした諸々の指摘を保留し、越境してしまう部分がある。これが ポスト構造主義以降の代表的な知見である。つまり文学テクストは、伝記的、

歴史的または文化的コンテクストから─完璧な意味の決定は幻想であるにし ても─アプローチすることが可能に見えるとしても、最終的な意味の解釈の 段階では、実証主義的な方法論がもはや立ち入ることのできない場所へと入り こむ。ここから明らかになることは、文学テクストは、歴史的に条件づけられ た部分と、そうした歴史的コンテクストとは無関係な部分の両方から成り立っ ているということだ。

だとすれば、19 世紀末の英文学科黎明期から 20 世紀のリチャーズに至る、

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テクストの自律性と無時間性を唱える主張を、時代遅れの保守主義の亡霊と呼 ぶのも見当違いであることがわかる。制度としての「英文学科」が誕生したと き、すでに見たように、その研究方法論をめぐって文献学の手法と古典学の手 法が対立していたわけであるが、この構造は、文学テクストがその生成におい ては形而下に属し、読者による受容においては形而上に属するという、永遠に 解消することのない存在の二重性を正確に反映しているのだといえる。

参照

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