地の果てからの来訪者と「ヴェニスの商人」
著者 勝山 貴之
雑誌名 同志社大学英語英文学研究
号 84
ページ 23‑55
発行年 2009‑03
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011692
勝 山 貴 之
I.序:ヴェニスの地中海貿易とアントーニオの海外貿易
『ヴェニスの商人』に登場するアントーニオ(Antonio)の商船は,遠く離 れた国々へと旅している。第1幕3場におけるシャイロック(Shylock)の科 白からは,アントーニオの商船が世界各地の港を訪れる様子が窺われる。
Shy. . . . Yet his means are in supposition:
he hath an argosy bound to Tripolis, another to the Indies; I understand moreover upon the Rialto, he hath a third at Mexico, a fourth for England, and other ventures he hath, squand’red abroad.1
(I.iii.17-21, emphasis mine)
更に,友人のバサーニオ(Bassanio)の科白も,アントーニオの商船の寄港 先に言及している。アントーニオの船が遭難したとの報せにバサーニオは思 わず悲嘆の声をもらし,船が訪れたはずの国名や地名を口にする。
Bass. . . . But is it true, Salerio?
Hath all his ventures fail’d? What, not one hit?
From Tripolis, from Mexico, and England, From Lisbon, Barbary, and India,
And not one vessel scape the dreadful touch
Of merchant-marring rocks? (III.ii.266-271, emphasis mine)
科白の中に言及されるトリポリ,メキシコ,リスボン,バーバリー,そして インド(西インド諸島または東インド)などの地名は,当時の世界貿易の重 要都市であることはいうまでもない。ちなみに,「バーバリー」(“Barbary”)
という地名は,北アフリカのアラビア語やトルコ語においては使用されず,
イングランド人が表記する際に使われる呼称で,オスマン・トルコ帝国の摂 政管区であるトリポリタニア(Tripolitania),チュニジア(Tunisia)そして アルジェリア(Algeria)および,オスマンの勢力からは独立していたモロッコ 王国を指し示すものであった(Matar, Britain and Barbary, 1589-1689 3)(図1, 図2参照)。
果たして劇の舞台となっているヴェニスは,ここに挙げられている都市を 結ぶ世界貿易の中心地であったのだろうか。確かにヴェニスは地中海世界に おいては交易の重要な拠点のひとつであったことは否めない。しかしメキシ コやインドといった遠隔地に,ヴェニスの商船が訪れるとは考え難い。地中 海貿易は,アフリカ大陸を迂回しアジアへ向かう航路の発見や新大陸との交 易の出現により,大きくその様相を変えつつあった。地中海貿易の主役であっ たヴェニスも,大西洋やインド洋を舞台とする新たな貿易地図においては,
その活躍の場を譲らざるをえなくなっていたのである。
にもかかわらず従来の批評は,こうした地中海貿易の変化を全く無視する か,あるいはたとえ貿易都市ヴェニスの斜陽にふれたとしても,科白の中に 現れる貿易港については多くの関心を払ってこなかった。例えば,ノートン 版シェイクスピア全集において『ヴェニスの商人』の解説を担当したキャサ リン・アーサマン・モース(Katharine Eisaman Maus)は,貿易都市ヴェニス の国際性を16世紀ヨーロッパにおける類まれな例だと強調する。
Possibly Venice seemed to Shakespeare to offer an alternative social prototype. Although it had no natural resources to speak of, it was the richest city in Renaissance Europe, located where the products of Asia could most conveniently be exchanged with those of Europe. As a town of traders, Venice was full of strangers: Turks, Jews, Arabs, Africans, Christians of various nationalities and denominations. By sixteenth-century standards, the city was unusually tolerant of diversity. . . . Shakespeare stresses, even exaggerates, this evenhanded cosmopolitanism. Historically, for instance, Venetian Jews were confined to a ghetto, but Shakespeare either did not know this fact or chose to ignore it. Venice thus provided Shakespeare with an example – perhaps the only example in sixteenth-century Europe – of a place where people with little in common culturally might coexist peacefully solely because it was materially expedient to do so.
(Maus 1081-1083)
モースは,16世紀ヨーロッパにおいて多文化の共存を認める唯一の例として 貿易都市ヴェニスの名前を挙げ,そこにこの芝居の背景にある文化的衝突を 読み取ろうとするのである。
またニュー ・オックスフォード版テキストの編者ジェイL.ハリオ(Jay L.
Halio)は,国際都市ヴェニスの衰退を一応指摘はするものの,新大陸やア
フリカ,更にはインドを結ぶ貿易航路への言及を重要視することはない。科 白の中に現れる地中海以外の都市への言及は,単なるシェイクスピアの誇張 として片付けられてしまう。
Of especial importance to The Merchant of Venice was the city’s reputation for far-flung trade; if Shakespeare exaggerates its extensiveness, which by then was in decline, her (Venice’s) reputation as a great maritime power
nevertheless was commonly accepted. (Halio 24-25)
同様に,ケンブリッジ版テキストの編者M. M. マフッド(M. M. Mahood)も,
ヴェニスが新しい貿易航路からは既に排除されていたということを指摘しつ つ,シェイクスピアはその事実にさしたる注意を払っていないと述べている。
After the battle of Lepanto(1571), Venice suffered a marked decline in her fortunes as a trading nation. But the traveler could still be dazzled by Venetian opulence, because this maritime decline was masked by the switch of capital to mainland agriculture and industry. Shakespeare, when he lists Antonio’s ventures, pays no heed to the loss of the spice trade (I. i. 33) nor to the exclusion of Venetian shipping from the new oceanic trade. Antonio’s argosies not only ply between Levantine Tripoli, the ports of ‘Barbary’, Lisbon, and England, but they venture also to India and to Mexico—from both of which they would in real life have been debarred by Iberian interests.
(Mahood 13)
残念ながら批評家たちはこれ以上,アントーニオの商船の寄港する地名に注 意を払うことなく,当時の人々を魅了したというヴェニス神話へと自分たち の議論を戻してしまうのである。2
むしろメキシコ,インド,リスボン,バーバリーなどの世界貿易の重要都 市や地域は,当時のイングランドの商船が,スペインとの海洋貿易の覇権を 争っていた地域であった。ヨーロッパ,アフリカ,そして新大陸を結ぶ三角 航路,およびアフリカを迂回しインドとヨーロッパを結ぶインド航路は,大 航海時代の貿易王国となるうえで,重要な意味を有するものだったのである
(図3参照)。従って,シェイクスピアが『ヴェニスの商人』の中に描き出し ているのはヴェニスの現実ではなく,当時のイングランド人の抱く海外貿易
への夢であり,世界貿易への覇権をかけたイングランド人の野心の表れで あったと考えるほうが妥当なように思われる。3 この小論では『ヴェニスの 商人』を観守る観客たちの心象風景を辿り,彼らがヴェニスにイングランド を重ね合わせつつ,そこにイングランドの現実を見出していることを指摘し てみたい。そして当時の歴史的事実を掘り起こしながら,モロッコをはじめ とする他者との遭遇によって,イングランド人がどのようにしてコスモポリ タンとしての自己成型をはかろうとしていたかについて考察を進めていきた い。
II.イングランド人の海外貿易に対する野望と不安
1.国際社会に対する劣等感
当時のイングランド人にとって,冒険と交易は同じ意味を持つと考えられ ていた。16世紀後半,リチャード・ハクルート(Richard Hakluyt)の出版し た膨大な記録(Pricipal Navigations, Voyages, Traffiques & Discoveries of the English Navigation)は,まさにこの証といえる。人々は遠く海外へと船出し,
新天地を求めつつ,他国との競争に打ち勝って,そこに新たな通商路を確立 しようとしていたのである。
しかし海外への進出を目指すイングランド人の野心は,自国が大陸の諸外 国に大きく遅れをとっているという自覚と,まさに表裏一体のものであった。
ロンドンがヴェニスのような大貿易都市となるための道程ははるか遠く,英 語は国際貿易ではまったく通用しない辺境の言語であったのである。このこ とはイングランドからの求婚者に対するポーシャの皮肉なコメントからも窺 い知ることができる。
Por . You know I say nothing to him, for he understands not me, nor I him. He hath neither Latin,
French, nor Italian, and you will come into the court and swear that I have a poor pennyworth in the English. He is a proper man’s picture, but alas, who can converse with a dumb show? How oddly he is suited! I think he bought his doublet in Italy, his round hose in France, his bonnet in Germany, and his behavior every where. (I. ii. 68-76)
イングランド人は求婚者の中でただひとり,ことばの全く通じない人物とし て話題にのぼり,そのくせ国際社会に通じているかのごとき虚勢をはって,
ひたすら各国の風俗習慣を身につけたがる奇妙な人種として描かれている。
国際社会において頭角を現したいという願望と,国際貿易競争の周縁に位置 する国家の不安がここに垣間見られる。それほどまでにイングランド人は自 国の国際化を切望し,それでいて自国民としての誇りと国際社会での軽視と いう矛盾のなかで,劣等感と焦燥感にさいなまれていたのであろう。
2.「黄金の羊毛」としてのポーシャ
イングランド人にとって交易のため遠く海外の地へと旅立つことは,まさ に伝説の中に出てくる「黄金の羊毛」を捜し求める冒険の旅にも似たもので あった。1586年に出版されたジェフリー・ホィットニー(Geffrey Whitney)
の『エンブレムズ』(A Choice of Emblems and Other Devises)の中には,海外 遠征から帰還したフランシス・ドレイク(Sir Francis Drake)に捧げて,彼が 数多の危険を冒して「黄金の羊毛」を持ち帰ったとする表現が見受けられる。
But, hee, of whome I write, this noble minded DRAKE,
Did bringe away his goulden fleece, when thousand eies did wake.
Wherefore, yee woorthie wightes, that seeke for forreine landes:
Yf that you can, come alwaise home, by GANGES goulden sandes.
And you, that liue at home, and can not brooke the flood,
Geue praise to them, that passe the waues, to doe their countrie good.
Before which sorte, as chiefe: in tempeste; and in calme,
Sir FRANCIS DRAKE, by due deserte, may weare the goulden palme.
(Whitney 203)
海外との交易(ドレイクの海賊行為も含めて)は,まさに「黄金の羊毛」を 獲得するためジェイソン(Jason)が大海原へと船を進めるがごとく,国家 を挙げての英雄的行為であった。
こうした時代において,作品中でバサーニオがポーシャを「黄金の羊毛」
に喩えることはむしろ自然なことと思われる。
Bass. . . . .
Nor is the wide world ignorant of her worth, For the four wind blow in from every coast Renowned suitors, and her sunny locks Hang on her temples like a golden fleece, Which makes her seat of Belmont Colchis’ strond, And many Jasons come in quest of her. (I.i.167-172)
作品において「黄金の羊毛」と喩えられるポーシャは,バサーニオばかりで はなく,世界の各地から名のある求婚者を引き寄せる。モロッコ王子の科白 からも明らかなように,まさに彼女は世界の四方から求婚者が続々と押し寄 せる欲望の対象となっていることを忘れてはならない。
Mor. . . . .
From the four corners of the earth they come To kiss this shrine, this mortal breathing saint.
The Hyrcanian deserts and the vasty wilds Of wide Arabia are as throughfares now For princes to come view fair Portia.
The watery kingdom, whose ambitious head Spets in the face of heaven, is no bar To stop the foreign spirits, but they come, As o’er a brook, to see fair Portia. (II.vii. 39-47)
この「黄金の羊毛」の比喩が明らかにしているように,世界に通商路を開き,
遠くの地との交易を求めることは,当然のことながら,はるか遠くの地から の来訪者をも迎え入れなくてはならないことを意味している。海外貿易への 活路を見出していくことは,すなわち異文化との接触を持つことであり,自 らのアイデンティティもまた異文化からの来訪者との交流を通して,危険に さらされることを意味するのである。まさに「黄金の羊毛」を探求する旅は,
その裏返しとして自国もまた諸外国からすれば「黄金の羊毛」の対象となり うることを示唆している。自分たちの内にある他国への欲望は,そのまま他 者による自国への欲望を誘う危険性をもはらんでいるのである。そうした意 味において,地の果てからの来訪者によるポーシャへの求婚は,まさにイン グランド人自らのアイデンティティの危機を舞台上に描くものである。モ ロッコやスペインからの求婚者の出現は,大西洋航路という新たな国際貿易 への入り口に立ったイングランド人にとって,自国の文化に対する他者の脅 威を描き出しているともいえるであろう。
作品の舞台はヴェニスではなく,むしろイングランドの外交と貿易を扱っ たものであり,ポーシャを求めて現れる異国からの来訪者たちの姿に,イン
グランド人の恐れや不安ともいえる心象風景が映し出されていると考えた い。なかでも当時のイングランドを取り巻く国際情勢においてモロッコの果 たした役割は注目に値する。
III.16世紀後半におけるイングランドとモロッコの関係
1.エリザベスとアーマド・アルマンスル
イングランド人は,北アフリカのバーバリー地方に定住する人々と,中部・
南部に定住する人々を区別していたことがわかっている(図4参照)。4 前 者は,互いに外交使節を取り交わす対等の関係の国々であり,後者は奴隷貿 易の商品と見做される国々であったといえるだろう。5 バーバリー地方の 国々は,イングランドから見て,植民の対象と考えられるどころか,むしろ スペインと敵対する大国として,外交的友好関係を模索していかなくてはな らない地域であったのである。特にモロッコとの外交関係は,対スペイン政 策をめぐるイングランドの国際情勢を鑑みるならば重要事項であった。
ジャック・ダミコ(Jack D’amico)やナビル・マター(Nabil Matar)の研 究が明らかにしているように,イングランドとモロッコの交易は既に1548年 頃には始まっていたと考えられ,リチャード・ハクルートは,1551年に王族 の代表として初めてイスラム教徒がロンドンを訪れたことを記録している。
1560年代以降,イングランドはアフリカとの交易を一層重視するようになり,
その発展に力を注ぐようになった。特にイングランドからモロッコへの武器 の輸出と,そのみかえりとしてモロッコからの硝石の輸入は,両国の関係を より密接なものへと変えた。イングランドに先んじてモロッコとの交易を 行っていたポルトガルは,イングランドによる異教徒への武器の提供に難色 を示したが,急速に深まる両国の絆を断ち切ることはできなかった。エリザ ベスとスペイン国王フェリペの対立が深刻化するなかで,スペイン勢力を牽 制するという意味においても,イングランドにとってモロッコとの関係は重
要な意味を帯びるようになりつつあった。たとえ異教徒であったとしてもモ ロッコ人は,カトリック教徒であるスペイン人よりも好意的な目で見られる ようになっていたのである。
1589年1月には,モロッコから大使ムシャク・ライツ(Mushac Reiz)が来 訪し,バーバリー・カンパニーの歓待を受けて,松明を掲げロンドン市中へ と先導されたとの記録が残されている(D’Amico 29)。6 前年スペインの無 敵艦隊を撃破したイングランドには,スペイン艦隊に更なる攻撃を加えるた めポルトガルへ侵攻する計画があり,これに応えて大使ライツはモロッコの 支配者アーマド・アルマンスル(Ahmad al-Mansur)から100隻の軍船と 150,000ダカットの軍資金をエリザベスに援助するとの申し出を携えていた。
続いて1595年にも,アーマド・ベン・アデル(Ahmad ben Adel)を代表とす る外交使節がイングランドを訪れる計画を進めていたと報告されており,ア デルの外交使節であったかどうかは不明であるものの,実際に1600年から 1601年にかけてモロッコからの外交使節がロンドンを訪れたという記録が残 されている(図5参照)。
こうしたイスラムからの来訪が続く中,エリザベスもまた書簡を通してス ペインに対抗するためアルマンスルに軍事協力関係樹立の可能性を打診して いた。エリザベスにとって,モロッコが他の北アフリカ諸国への侵攻をとお して手にした金鉱も大きな魅力と映ったに違いない。モロッコ側としてもイ ングランドとの同盟は,スペインからの侵略を牽制するために重要な事柄で あったのだろう。更にモロッコ側は,新大陸に対する野心から,イングラン ドとの軍事同盟締結による西インドのスペイン植民地を奪取する計画をもち かけていたことが,1603年の書簡から知れる。この書簡の中で,アルマンス ルはエリザベスにスペイン勢力を追放した後の西インドの植民地支配につい て具体案を提示していた。
And therefore it shall be needful for us to treat of the peopling thereof,
whether it be your pleasure it shall be inhabited by our armie or yours, or whether we shall take it on our chardg to inhabite it with our armie without yours, in respect of the great heat of the clymat, where those of your countrie doe not fynde themselvefes fitt to endure the extremitie of heat there and of the cold of your partes, where our men endure it very well by reason that the heat hurtes them not. (Matar, Turks, Moors, and Englishmen in the Age of Discovery 9)
手紙のなかではアルマンスルから,西インドの植民については,モロッコと イングランドの両軍が駐留することも可能であるし,その地方の気候を鑑み るならばモロッコ軍がより適しているかもしれない,との具体案がもちかけ られている。
同年,エリザベスとアルマンスルがともに他界したためモロッコの計画は 実現することはなかったが,新大陸植民計画においてイングランドとモロッ コは対スペイン政策をにらんで協調関係を構築しようとしていたことは明ら かである。マターは,歴史家や批評家がともすればポスト・コロニアル的発 想をバーバリー地方にも当てはめようとしがちなことに対して警鐘を鳴らし ている。イングランド人が,イスラム教国に対して,「植民」ということば を使用したことはないはずであるという彼の指摘は重要である (Turks, Moors and Englishmen in the Age of Discovery 10-11)。モロッコやオスマン・トルコ の支配するイスラム教諸国は,アイルランドや新大陸とは異なり,イングラ ンドが容易に植民支配できるような国家ではなかったことを心に留めておか なくてはならない。
2.ロンドンのモロッコ大使
1600年にロンドンを訪れていたモロッコの大使一行について,1600年10月
15日の手紙の中で,ジョン・チェンバレン(John Chamberlain)は次のよう
な記述を残している。7
The Barbarians8 take theyre leave some time this weeke to go homeward, for our marchants nor mariners will not carrie them into Turkie, because they thincke yt a matter odious and scandalous to the world to be too frendly or familiar with infidells: but yet yt is no small honor to us that nations so far remote and every way different shold meet here to admire the glory and magnificence of our Queen of Saba.
(Chamberlain 1: 108)
チェンバレンは,外交使節の到来を名誉な事柄としながらも,大使たちが帰 国の途につこうとするにあたって,商人や水夫たちは異教徒である彼らを自 分たちの船舶に乗船させることを拒んだことを記している。ここからは,イ ングランドにとってのモロッコの外交上の重要性とは裏腹に,民衆の間にあ る異教徒への根強い偏見が読み取れる。9
結局,一般商船への乗船を拒否された大使たちの一行は,エリザベスの差 し向けた船舶に乗船し,トルコを経由してモロッコへ帰国した。大使たちが 一旦トルコへ向かおうとしたのは,イングランドとの外交交渉をスペインに 感ずかれることを警戒したためであったが,エリザベスの用意したイングラ ンド軍船で帰国することは途中スペインの襲撃を受ける可能性もあり,多大 の危険を伴うものであった。イングランド側の不手際についてエリザベスか らモロッコ王にあてた詫び状が残されている(Yahya 186)。
このように当時のイングランド人にとって,モロッコは地の果ての異文化 国家であり,他のキリスト教国とは全く異なるイスラム国家であるにもかか わらず,地中海および近隣諸国との複雑な国際関係においては,対スペイン 政策を見据えて重要な同胞と見做さざるをえない国家であった。イングラン ド人が自らのうちに妥協と反感,信頼と懐疑,更には友好と軽蔑といった相
反する複雑な感情を抱いていたことは容易に推測できるのである。
IV.『ヴェニスの商人』に登場するモロッコ王子
1.異人種間婚姻への不安
ダニエル・ヴィトカス(Daniel Vitkus)も指摘するとおり,文化的他者の 存在は演劇に描かれる際,しばしば異文化の装束や習慣を模倣しつつも,誇 張し歪めた形で提示される(29)。『ヴェニスの商人』においても,モロッコ 王子の存在は異文化の代表として誇張と歪曲をもって描き出されている。彼 は,半月刀を振りかざしてペルシャ王子やソリマン王を打ち破ったと大言壮 語する血気盛んな若武者であるとともに(“By this scimitar / That slew the Sophy and a Persian prince / That won three fields of Sultan Solyman”II. i.24-26),
数多の乙女の心を奪ったことから自らの性的魅力を誇らしげに語っている
(“. . . . by my love, I swear / That best-regarded virgins of our clime / Have lov’d it
too.” I. iii. 9-11)。そればかりか箱選びへの挑戦では,異人種であるポーシャ
を自らの性欲の対象と見做している(“They have in England / A coin that bears the figure of an angel / Stamp’d in gold, but that’s insculp’d upon; / But here an angel in a golden bed / Lies all within.” II. vii. 55-59)。ここからは当時のイング ランド人がムーア人に対して抱いていた,血の気の多さや精力絶倫などと いった人種的偏見が垣間見られることは言うまでもない。
ポーシャを前に,モロッコ王子はまず自らの肌の色を話題にする。たとえ 肌の色は異なれども,身体のうちには北国の求婚者と同じく赤き血潮が流れ ていることを,彼は強調するのである。
Mor. Mislike me not for my complexion, The shadowed livery of the burnish’d sun, To whom I am a neighbor and near bred.
Where Phoebus’ fire scarce thaws the icicles, And let us make incision for your love
To prove whose blood is reddest, his or mine. (II. i. 1-7)
王子に答えてポーシャは,父の定めた遺言の前では,肌の色は問題ではなく,
王子は他の求婚者と同じく白い肌(“fair”)の持ち主であり,同じく公平(“fair”)
に判断されると応じる。
Por. . . . .
But if my father had not scanted me, And hedg’d me by his wit to yield myself His wife who wins me by that means I told you, Yourself, renowned Prince, then stood as fair As any comer I have looked on yet
For my affection. (II. i. 17-22)
ポーシャの父の定めた掟は,娘の求婚者の国籍や肌の色,更には宗教の違い を一切問題にすることなく,箱選びをとおして彼らの内面の価値観を問いか けるものである。ベネディクト S. ロビンソン(Benedcit S. Robinson)も指摘 するとおり,ここでは,国際社会で通用する法律があらゆる国の人々やあら ゆる人種に平等であるべきである,という多国貿易における法の理念が掲げ られている。10
それに対して,ポーシャの本心は父の遺言に示されたコスモポリタン的平 等主義とはかけ離れたものである。
Por. . . . . If he have the condition of a saint, and the complexion of a devil, I had rather he
should shrive me than wive me. (I. ii. 129-31)
彼女は,モロッコ王子の内面ではなく,あくまで外見に対するこだわりを見 せる。
そればかりか,箱選びに失敗したモロッコが姿を消すと,ポーシャは即座 に自分の内心を吐露し始める。彼女の科白からは,肌の色に対する容赦のな い偏見が窺われる。「ああいう肌の色をした人は皆,いまのように選んで欲 しいものだわ」(“Let all of his complexion choose me so.” II. vii. 79)。ここで使 われている語“complextion”を多くの注釈者は性格や気質と捉えているが,
この箇所はやはりフィリス・ラーキン(Phyllis Rackin)も指摘するように,
モロッコ王子の肌の色に対する言及であることは否定できない(83)。ポー シャがモロッコ王子の前で宣言した公平(“fair”)とは裏腹に,拭い去るこ とのできない肌の色に対する彼女の差別意識が窺える。ポーシャの選択は倫 理的・宗教的なものではなく,あくまで人種的なものなのである。
箱選びという運命に縛られたポーシャは,第1幕におけるネリッサ
(Nerissa)との会話の中で,自らの意思と父の遺言が互いに相容れないこと を嘆いている。「生きている娘の意思が,亡くなったお父様の遺言に縛られ ているのだから」(“so is the will of a living daughter curb’d by the will of a dead father.” I. ii. 24-25)。ポーシャの口にする娘の意志(“the will”)と亡き父の遺 志(“the will”)は,当時のイングランド人がムーア人に抱いていた内的葛藤 を的確に言い表しているといえるであろう。娘の抱く外国人への嫌悪や怖れ と,父の掲げる多国貿易における国際主義は,イングランド人の直面する外 国人に対する人種偏見と,公式外交・貿易上の友好関係という複雑な関係を 表現しているように思われる。まさに理性では理解しながらも,感情的な反 発を覚えずにはおれない葛藤なのであろう。ポーシャの思わず口にした科白 が核心を言い当てている。「いくら頭が血を抑える掟を作っても,熱い情熱 は冷たい理性の命令を乗り越えてしまう」(“The brain may devise laws for the
blood, but a hot / temper leaps o’er a cold decree—”I. ii. 18-19)。国際社会での平 等と,外国人への偏見という価値観の衝突は,急速に肥大化し,大西洋貿易 航路を中心に国際都市へと変貌しようとするイングランドの,そして大都市 ロンドンの理想と現実ではなかったか。11
更に,箱選びのエピソードは異人種間の婚姻という問題も前面に押し出し ている。当時のイングランドの外国貿易は,異人種間の婚姻をも容認しよう としていた。1614年,東インド会社はスマトラの都市国家の族長アシ(the sultan of Aceh)とイングランドの由緒正しい子女との婚姻を画策していた。
両国の身分の高い者同士の結婚は,東インド会社の利益に繋がると考えた商 人たちの思惑によるものであった。上層部の商人たちは,英国国教会の神学 者たちを招集し,婚姻の妥当性を聖書に照らし合わせて証明させようとまで していた。最終的に,婚姻は成立しなかったものの,人種・宗教を越えて同 じ人間であることを強調するイデオロギーが形成され始めていたことも事実
である(Ungerer 107)。同時期にヴァージニア会社が,植民者ジョン・ラルフ
とアルゴンキン族の女性ポカホンタスの婚姻を成立させていたことも忘れて はならない。そして劇中においても,ラーンスロット(Launcelot)がムーア 人の娘を孕ませたことへの言及がなされている(“the Moor is with child by you, Launcelot.” III. v. 39)。異人種間婚姻や妊娠も,当時のイングランド人に とっては充分に起こりうる事柄であり,人種の混合に対する不安や恐怖も,
彼らの心の内に存在していたことは確かなのである。12
2.箱選びの挑戦者たちとアイデンティティへの不安
モロッコ王子は,灼熱の太陽の国の出身である自分の肌の色が浅黒くとも,
体内には北国の王子と同じく赤き血潮が流れていることを強調していた。そ れに対して,肌の色の白い,他の挑戦者たちは自分たちの血統を誇る。アラ ゴン大公は自分の家柄を誇り,卑しい大衆の求めるものなど,決して望みは しないことを声高に宣言している。
Ar. . . .
I will not choose what many men desire, Because I will not jump with common spirits,
And rank me with the barbarous multitudes. (II. iii. 30-32)
己の高貴な血筋を重んずる彼は,真の家柄が正当に評価されるなら,今の時 勢のような地位や階級の混乱は生じないであろうと,世の中の退廃を嘆く。
Ar. . . . . Let none presume To wear an undeserved dignity.
O that estates, degrees, and offices
Were not deriv’d corruptly, and that clear honor Were purchas’d by the merit of the wearer!
. . .
How much low peasantry would then be gleaned From the true seed of honor? and how much honor Pick’d from the chaff and ruin of the times To be new varnish’d? (II. ix. 39-49)
アラゴン大公の不満はスペイン社会に対するものというよりも,当時のイン グランド社会が経済力を蓄えた中流階級の上昇志向を容認したことによって 生じた階級の乱れを反映したものと言えるであろう。イングランドの伝統的 階層社会は,経済力にものを言わせ社会進出しようとする新しい階層によっ て流動性を高め,従来の階級制度に混乱を招いていたのである。13
更に,箱選びの最後の挑戦者であるバサーニオもまた,血統を重んずる人 物である。彼は,アントーニオからの援助を受け,それによって求婚者に求
められる準備を整えることができた。正しい箱を選び取った後,ようやくバ サーニオは,自分の財産といえば己の血管を流れるジェントルマンの血だけ であることを始めてポーシャに告白している。
Bass. . . . . Gentle lady, When I did first impart my love to you, I freely told you all the wealth I had
Ran in my veins: I was a gentleman; (III. ii. 252-255)
バサーニオの主張が,伝統的階級社会の秩序に立脚し,家柄を重んじるもの であることは言うまでもない。事実,バサーニオの持参した数々の高価な贈 り物(“Gifts of rich value” II. iv. 90)も,彼の上辺を取り繕う仮の姿に他なら ない。己の財産を使い果たした彼の誇れるものは,彼の体内を流れる血統だ けなのである。アラゴンが階級の混乱する世相を嘆くのと同じく,バサーニ オも個人の経済力がものをいう社会の渦に押し流され,内面に秘めた自らの アイデンティティしか誇示しうるものを持ち合わせていない。目まぐるしく 発展する経済を基盤とした国際社会の荒波の中で,箱選びの挑戦者たちは誰 しも己のアイデンティティの確立に不安を抱いていることを見過ごしてはな らない。
このように,モロッコ王子,アラゴン大公,そしてバサーニオの科白は,
血の持つ相反するイメージを呼び起こしている。ひとつには,すべての人間 の体内を流れるものとしての血の共通性であり,いまひとつは血統を重視し ようとする血のイメージである。14 たとえ異邦人であっても,血の通う人間 であることに変わりはないという主張と,血統に重きを置く伝統的価値観と いう矛盾した概念が,この場を通して繰り返し変奏されるいまひとつの主題 となっていることは見逃せない。
もちろん最終的に箱選びは,モロッコとスペインという様々な意味におい
てイングランドと関係の深い二大国を退けて,同国人と結ばれるという大団 円をもたらす。モロッコは前述したように,異教徒の国でありながらイング ランドが友好関係を維持していかなければならない国であり,スペインは敵 国でありながら,新大陸への植民の展開など,ある意味においてイングラン ドが目標とすべきものを体現する国であった。そうした当時のイングランド と複雑な関係にある両国からの求婚者を打ち破り,バサーニオが勝利を手に するという筋の展開に,舞台を観守る観客たちも箱選びの結末を,安堵と満 足をもって受け入れたはずである。
国際都市になろうとしているイングランドにとって,理性では納得のいく はずの平等意識と,感情面での反発を引き起こす差別や偏見との衝突は,克 服していかなければならない人々の内的葛藤であったであろう。また異人種 婚姻に対する嫌悪と恐怖は,貿易の発展を念頭におくなら,承服し容認して いかなければならない矛盾であったのであろう。地の果てからの来訪者の表 象は,その風俗,習慣,行為を誇張し,時には嘲笑の対象となって描きださ れ,最後に彼らは敗北者として舞台を去ることを余儀なくされている。舞台 を観守る観客たちは,現実世界では実現不可能な勝利を劇世界において達成 することにより,束の間の高揚感を味わい,仮想的な満足感に酔いしれたの かもしれない。これはまさに当時のイングランド人の抱く不安や脅威,そし てそこから生ずる葛藤を浄化するための心理的代償行為であったといえるで あろう。そしてそれは本筋の人肉裁判において,様々な異国人の脅威の総体 ともいえるユダヤ人シャイロックが,ポーシャに敗北する筋にも当てはめる ことができるものなのである。
3.脇筋から本筋へ―イングランド人の遭遇したユダヤ人
当時のイングランドにユダヤ人は存在しなかったと言われてきた。1290年 にエドワード一世(Edward I)により発令されたユダヤ人追放令以来,彼ら はイングランドから排斥されてきたからである。追放の理由は,1275年に制
定された法令で禁止したにもかかわらず,ユダヤ人たちが高利貸しをやめよ うとしなかったことや,キリスト教への改宗を頑なに拒否する彼らの頑迷さ であった。15世紀後半には異教徒であるが故に,彼らはイングランドばかり かスペインからもフランスからも排斥された。イングランドに居住を許され たのは,一般にマラーノ(Marranos)と呼ばれるキリスト教に改宗したユダ ヤ人だけであったのである。彼らの多くはスペインやポルトガルから渡って きた者たちであったとされ,そのまま,イングランドに定住したのであった。
エリザベスの侍医であり,女王暗殺を企てたとの咎で処刑された改宗ユダヤ 人ロドリゴ・ロペス(Roderigo Lopez)の存在は有名である。
ヨーロッパ諸国で迫害を受けた多くのユダヤ人たちは,イスラム諸国へと 逃れたと言われている。イスラム諸国はユダヤ人の受け入れに寛容であり,
オスマン・トルコをはじめ,オスマン勢力からは独立していたモロッコ王国 にも多くのユダヤ人が居住していた。モロッコ王室とイングランド商人たち の仲介を果たしたのは,こうしたユダヤ人たちであったのである。ギュスタ ヴ・アンガラー(Gustav Ungerer)の研究が明らかにしているように,ユダ ヤ人は,港湾施設や王室税関を管理し,砂糖工場を経営し,物資の運搬のた めの駱駝の手配にいたるまで,あらゆる業種を自分たちの手中に収めていた。
更に,彼らは通訳や渉外といった役割までも果たしたために,ユダヤ人の助 けなしにはモロッコとの交易は成り立たなかったとされている(93)。
こうした事実をふまえると,イングランド人が貿易都市ヴェニスを夢想し,
接触したことすらないユダヤ人を思い浮かべて芝居を観たと考えることは不 自然にすら思える。中世より伝播されたユダヤ教徒の残忍なイメージ,言い 換えるならキリスト教徒に対し血生臭い復讐を企てるユダヤ教徒のイメージ の単なる焼き直しとして,シャイロックが舞台上に姿を現したとは考え難い。
むしろ劇場を埋め尽くした観客たちは,イングランドとモロッコの交易を通 して,絶えず自分たちの前に立ちはだかるユダヤ人の脅威を作品の中に見出 していたのではなかったか。モロッコ王子やアラゴン大公の登場と共に,イ
ングランドの貿易に常に介入してくるユダヤ人の存在は,国際貿易大国を目 指そうとするイングランドにとって異邦人の代表的存在ともいえる大いなる 脅威であったのかもしれない。
この点において脇筋の箱選びの主題は,ジョナサン・ギル・ハリス(Jonathan
Gil Harris)も主張するとおり,主筋の人肉裁判の主題と呼応する。15 箱選び
におけるポーシャの父の遺言の国際主義は,国際都市ヴェニスの掲げる法体 系と,言い換えるなら国際都市イングランドの目指す法体系と,符合するか らである。
Ant. The Duke cannot deny the course of law;
For the commodity that strangers have With us in Venice, if it be denied, Will much impeach the justice of the state, Since that the trade and profit of the city Consisteth of all nations. (III. iii. 26-31)
実際に,イングランドでは国内における外国人の経済活動をめぐって政府と ギルドの間に摩擦が生じていた。1593年に,外国人の労働や交易を統制し制 限しようとする法令が下院に提出されている。これは主にギルドには属すこ となくロンドンで活発な商取引を行っていたオランダ商人の活動を制限する ために考案されたものであった。この法案に対して,サー・ジョン・ウーリー
(Sir John Woolley)なる人物は真っ向から反論し,ロンドンの繁栄は外国人
の商取引によるものであることを強く主張したが,法案は下院を162対82票 という大差で通過し,法案成立は上院へと場所を移した。しかし大出納官ウィ リアム・セシル(William Cecil)等の介入により,上院において法案は白紙 撤回させられている。国家経済の繁栄と成長を継続していくためには,外国 との交易と外国人の商取引は不可欠のものであったからである。国際貿易の
重要拠点となろうとする国家の思惑と,外国人の登場で自分たちの利権が脅 かされるという庶民の不安が,軋轢を生み出していた様子が窺われる(Harris
62-74)。国際貿易大国の確立を急ぐ政府と,自分たちの権益を守ろうとする
ギルドの衝突は,劇中における多国貿易を保護しようとするヴェニスの法体 系に,観客の関心をひきつけたに違いない。
更に,モロッコ王子は肌の色は異なれど,内なる血の色は同じであること を強調しているが,このことは劇の脇筋のエピソードを超えて,本筋におけ るシャイロックの科白とも共鳴し,相乗効果をもたらすよう工夫されている。
Shy. . . . . I am a Jew.
Hath not a Jew eyes? Hath not a Jew hands, organs, dimensions, senses, affections, passions; fed with the same food, hurt with the same weapons, subject to the same diseases, heal’d by the same means, warm’d and cool’d by the same winter and summer,
as a Christian is? If you prick us, do we not bleed? (III. i. 58-64)
ユダヤ人も,キリスト教徒と同じく,人間であることに変わりはないとする シャイロックの科白は,観客の心の奥に潜む矛盾を言い当てている。国際貿 易の舞台に確かな地歩を固めようとするイングランドにとって,異国人と対 等の関係を構築していかなければならないという理性的判断と,異教徒や異 人種に対する拭い去ることのできない偏見が激しく対立し,観客の関心を掻 き立てるのである。
しかし人肉裁判の結末は箱選びの結末と同じく,キリスト教徒である同国 人の勝利を謳うものである。こうした結末は,法の下での平等を守りながら,
イングランドの敵対する異国人を打ち負かすという観客の胸のうちにある願 望を,主筋と脇筋の両方で実現しているといえるであろう。それは,モロッ
コやスペイン,更にはイスラム教国との交易に介在するユダヤ人など,イン グランドが優位に立つことの難しい諸外国の脅威を,演劇という空想世界に おいて打倒し,そこに理想的解決を夢見たものであったのである。現実には 解消不可能な自己矛盾に対する,ある種の代償行為であったといえるであろ う。
V.結び
イングランド人は,大西洋貿易を展開していくなかで,コスモポリタンと ならねばならない切迫感と,多国貿易の世界における異民族の介入に対する 警戒を,身をもって体験していたはずである。地中海とは異なる貿易国を相 手とする大西洋貿易が成立しようとする時期において,彼らは自らの新たな 役割を発見し,自己成型を果たすことを求められていたのであろう。諸外国 との新たな関係の創出と,そのなかでイングランドの優越性を確保したいと いう願望,そして人種,宗教,性に対しての不安に揺れ動く国民的アイデン ティティ模索の様子が窺われる。そこにこそ,16世紀末のイングランド人の 自己成型のありようが,そして彼らの葛藤の軌跡が,存在していたように思 われる。劇の結末は,そうしたイングランド人の内的葛藤にひとまず安堵感 を与える形で収束している。しかし同時に劇は,時代を生きるイングランド 人の心象風景を的確に映し出し,内なる不安を抉り出し,前景化する働きを していることも事実である。『ヴェニスの商人』の大団円の陰に,地の果て からの来訪者に対する当時のイングランドの,そしてコスモポリタンとなろ うとするイングランド人の,不安と葛藤が浮き彫りにされている。
註
1 こ の 論 文 に お け る Shakespeare の 作 品 へ の 言 及 は, す べ て G. Blackmore
Evans 編 The Riverside Shakespeare からのものとし,引用箇所の幕,場,行数を示 すものとする。
2 アントーニオの商船が地中海を越えて遠くの港を訪れていることについては,既 に19世紀に Thomas Elize が指摘していた。Horace Howard Furness, ed., A New Variorum Edition of Shakespeare: The Merchant of Venice, 7th ed. (Philadelphia: Lippincott, 1888), note to 3.32. 279-87. 更に近年では,John Gillies がその著書の p. 66で指摘して いるが,残念ながらこの点を発展させ,作品分析へとはいたっていない。
3 モロッコ王子はポーシャをヴェニスの金貨ではなく,天使の姿を彫りこんだイン グランド金貨との連想で捉えていることも忘れてはならない。ヴェニスではなく イングランドを念頭に作品を観てきた観客は,モロッコ王子の科白に何ら違和感 を感ずることはなかったであろう。
4 ナビル・マター(Nabil Matar)は,これらの人々をsub-Saharanと呼んでいる。図 4の地図の両端にはアフリカに住む人々の姿が描かれている。北アフリカに住む 人々と中・南部に住む人々の服装には明らかな違いが見られる。
5 16世紀半ばより,英国はアフリカの原住民を奴隷として売買する奴隷貿易に手を 染めていた。Kim F. Hall は,William Fowler という商人の記した Vera Cruz と西イ ンド諸島を結ぶ交易で最も経済効率の高いものは Negros を運ぶものであった,と いう証言を紹介している。Hall の著書 p.21参照のこと。
6 ナビル・マターはこの時の外交官として Mushac Reiz ではなく,別の人物 Ahmad Belkassem の名前を挙げている。
7 当時のロンドンで話題になった人物や出来事について数多くの手紙を残したチェ ンバレンは,Cambridge の Trinity College に学んだが,学位を取ることなく大学を 去ったとされる。彼がどのような職についていたかは不明であるものの,裕福な 商人階級に属す,かなりの教養人であったと考えられている。その交友範囲は幅 広く,William Camden, Sir Henry Savile, Sir Dudley Carleton をはじめ,政府の要人,
外交官,学者などが名を連ねている。現存する彼の手紙は1597年から1627年に書 かれたものであり,当時のロンドンの記録として重要な価値を持つとされる。The Letters of John Chamberlain. の編者 Norman Egbert McClure の序文 pp1-25を参照のこ と。
8 ここで使われている “Barbarians” は「野蛮人」の意ではなく,OED の “barbarian”
の5にあるとおり,“a native of Barbary” を意味する。
9 更に,チェンバレンは,大使一行が宮廷を去る際にモハメッドに祈りを捧げたこ とを記している。“the eldest of them, which was a kind of priest or prophet, hath taken his leave of the world and is gon to prophecie apud inferos and to seeke out Mahound thyre mediator.” この手紙はジャック・ダミコ(Jack D’Amico)の著書の中にも引用されて
いる (D’Amico 37)。 ナビル・マターは,大使の一行の食習慣について,イスラム教 徒が halal meat しか口にしないことに関して,当時のイングランド人の記した記録 を紹介している。“They kild all their owne meate within their house, as sheepe, lambes, poulytrie and such like, and they turne their faces eastward when they kill any thing” (Turks, Moors and Englishmen in the Age of Discovery 34). 巷では彼らの来訪が外交上の公式 訪問を装いながら,その裏では視察をとおして自分たちの輸出している砂糖の実 勢価格を調査し,価格をつりあげることを目的としているのだと噂されていた。
“dryft was, under colour of their formall voyadge, to lerne here how merchandize went, and what gaine we made of their sugars, that he might raise the prices accordingly. The merchants took little pleasure in his [the ambassador] being here”(D’Amico 37). イングラ ンド人たちは,大使らの滞在を通してイスラム教徒の宗教儀式や食習慣に驚き,
更には彼らの滞在を警戒心をもって観察したのである。
10 Benedict S. Robinson は,ポーシャの父の遺言についてその著書の中で次のような
指摘をしている。“. . . her father’s will – like Venetian law – embodies the possibility of a certain cosmopolitanism” (65). Jonathan Gil Harris もまた,彼の著書の中で,この点 に言及している。“In the manner of mercantilist writing, then, the play imagines the pursuit of transnational “hazards” as proceeding only through the observation of global laws. Romance, moreover, provides the generic framework within which the foreign can be repelled and the global ratified” (11).
11 当時のロンドンは急速に大都市へと変貌しつつあった。1550年に55,000人であっ た人口は,1600年には推定200,000人となり,イングランド第二の都市であったノ リッジ(Norwich)の15,000人を大きく引き離していた。地方から大都市ロンドン への人口移動はもちろんのことであるが,外国からの移住者や交易のために訪れ る者の数には目を見張るものがあった (Jean E. Howard 1)。
12 血縁への言及としては,Sultan Muhamed ash-Shaykh がポルトガルの Dona Mencia de Monroyとの結婚に際して,異人種間であっても血の繋がりに変わりはないこと を宣言している。異人種であっても,同じ人間であることが言及され,宣言され ようとしていた。Gustav Ungerer の研究 p.109を参照のこと。
13 当時の社会において,スペイン人は異人種との混血であると嘲笑され,時にはモ ロッコ人との混血であることから,“White Moor” の蔑称で呼ばれていたことも事 実である。Edmund Spenser の View of the State of Ireland (1633) の中に,スペイン人 の混血に対する侮蔑が顔を覗かせている。アラゴンの血統に対する自負は,当時 の観客の失笑を買うものであったろう。Robinson の著書 pp.65-67を参照のこと。
14 モロッコの王子は,“I do in birth deserve her, and in fortunes, In graces, and in qualities
of breeding;”(II. vii. 32-33) と己の血統を誇らしげに語っているが,肌の色の違いが
血統以上に大きな意味を持つものであることは否めない。これは己の血統を誇 る Othello にもあてはまる。“’Tis yet to know – Which, when I know that boasting is an honor, I shall [provulgate] – I fetch my life and being From men of royal siege . . . ”(I. ii 19- 22).
15 Jonathan Gil Harris は彼の著書の中で,次のように述べている。“This pattern is evident in both subplot and main plot: just as Bassanio bests Morocco and Aragon while submitting to the ius patris dictated by Portia’s father, so does Antonio triumph over Shylock while paying lip service to the lex mercatoria of global commerce” (11).
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(5)
Portrait of The Moor, 1600
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Synopsis
The Global Adventurers from the Four Corners of the Earth and The Merchant of Venice
Takayuki Katsuyama
It has been thought that the title of the play The Merchant of Venice drew its audience to the theatre with the alluring “myth of Venice.” It is certainly true that the Republic was legendary for her independence, respect for law, and toleration of foreigners. However, although Antonio is explicitly identified, in the play, as a merchant of Venice, the world-wide destinations of his trading ships—Mexico, Tripolis, Lisbon, Barbary, and the Indies—
more immediately call to mind the “merchants” of sixteenth-century England. With the opening up of new sea-trade routes to the Americas, Africa, and Asia in the late sixteenth-century, England saw a dramatic expansion of foreign trade. The intrusion of this global geography into a play about merchants of Venice suggests that the work is not so much about a “Venetian” reality as about Elizabethan ambitions for London.
The new commercial expansion brought with it both the glamour and the danger of global trade. To imagine Portia as the “golden fleece” hints at a dangerous opening of the world, because Belmont draws many global adventurers from distant places and begins to enable new forms of contact.
As Portia is vulnerable to Morocco’s desire, England is made vulnerable to foreign countries’ desire. The appearance of Morocco on the stage, bidding for Portia’s hand in marriage, suggests the audience’s anxiety about a romanticized global commerce, which raised the double threat of
miscegenation and conversion.
It is worth noting that Queen Elizabeth was the first English monarch to cooperate openly with a Muslim power. The establishment of trade relations with Morocco was not only a vital step toward commerce with the Islamic world; it was also part of Elizabeth’s larger strategy to counter and contain Spanish power. Morocco was at once a horrible “infidel” and an indispensable ally to England. The desires and anxieties occasioned by
“strangers” in The Merchant of Venice must have resonated deeply with Shakespeare’s original audience.
The scholarship on early modern discourses of nationhood has focused largely on political, legal, and linguistic fictions of England and Britain.
However, it has almost entirely ignored a highly important discourse from the period: the commercial discourse of the national economy. In 1600, London, the third largest city in Europe, was the anchor of a rapidly expanding national market and the chief port through which the nation took part in overseas trade with Europe, with the Levant, and with the Americas.
The purpose of this essay is to explore, in Shakespeare’s The Merchant of Venice, how Englishmen tried to fashion themselves as cosmopolitans in the new global trades.