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声のメディア史 : 1870年代から1930年代の米国に おける電気音響メディアの歴史社会学的研究 [全文 の要約]

著者 福永 健一

発行年 2020‑03‑31

学位授与機関 関西大学

学位授与番号 34416甲第763号

URL http://doi.org/10.32286/00021310

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論文要旨

本論文は、1870 年代から 1930 年代までの米国における電気音響メディアの歴史を

「声」に着目して再検討するものである。この時期の米国では、電話、無線電話、拡 声器、ラジオ放送、レコードの電気録音再生技術、トーキー映画が開発されていた。

これらを対象としたメディア史研究は、「電話からラジオへ」、「アコースティック録 音から電気録音へ」、「サイレントからトーキーへ」というように、各メディアに焦点 化した歴史記述をおこなってきた。しかし、これらメディアは同時代的に開発され発 展を遂げており、それぞれのメディアとの関わりを架橋するような歴史記述が求めら れている。そこで本論では、「電気音響を用いた声の営み」の歴史に着目し、電気音 響メディアの歴史記述の断絶を繋ぎあわせることを試みた。

そうした問題関心のもとで本論文が検討するのは、1876 年に登場し史上初めて声 を電気音響メディアに媒介させることに成功した「電話」から、マス・メディアとし て声によって大衆を魅了し説得するようになった 1930 年代の「ラジオ放送」に至る までの約五十年間における、「声」をめぐる伝達技法や聴取の感性の変化の歴史であ る。とりわけ、メディアを介した声のコミュニケーションが、電話の誕生からおよそ 50 年を経て大統領のような政治的指導者による魅了と説得のツールとして絶大な影 響力を有するに至った背景を明らかにすることを目的とする。

このことを紐解くためには、電気音響メディアと電気音響機器の技術に関する歴史 と、声を発し声を聴く人々の身体的な実践と思考の歴史、そしてそれらの背景となる 社会経済、文化、社会的性格までを含めて検討することが必要である。そこで本論文 は、電気音響と声をめぐる様々な営みを、技術史、文化史、社会史、心性史の視点か ら総合的に描き出すことを目指す。

第一章では、電気音響メディアの技術社会史として、1870 年代から 1930 年代まで の電気音響メディアの歴史を検討した。米国では、電話会社 AT&T を筆頭とするベ ル・システムが 1880 年代から電話事業における覇権的位置を占めるようになり、米 国における電気音響の社会的普及と電気音響技術の研究開発の推進を中心的に担うよ うになった。とりわけ、1910 年代から 20 年代にかけて、拡声器、レコードの録音再 生技術の電気化、映画の音響システム(トーキー映画)を実現化させており、20 世 紀以降の電気音響メディアのありようを大きく変化させる役割を担った。その過程で 本論文が注目したのは、AT&T が米国内での電話通信の全国展開を目指し 1900 年代

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から取り組んだ「大陸横断電話サービス」に向けての研究開発である。この研究開発 において、電気音響のあり方を大きく変えることになる「増幅(amplification)」の技 術が急速に進展し、これにより電話音声伝達の遠隔化だけでなく、無線電話、拡声器、

録音再生技術の電気化が1910年代から 20 年代にかけて実現していったことを示した。

1920 年前後に音声の電気的増幅技術が進展したことは、電気音響メディアにおける 音声コミュニケーションの様態にパラダイムシフトをもたらしたのである。そしてこ の転換期に沿ってマイクロフォンやラウドスピーカーのような電気音響機器が開発さ れることになる。

第二章では、電気音響機器の技術社会史として、1870 年代から 1930 年代までのマ イクロフォンとラウドスピーカーの出現について検討した。これらは、第一章でとり あげた電気音響メディアの出現に欠かせないものであるが、マイクロフォンとラウド スピーカーが、いつ、どのようにして生み出されたかは先行研究では明らかにされて こなかった。本論文では、送話器からマイクロフォンが、受話器からラウドスピーカ ーが生み出されていく過程を機器の様態変化の過程とともに描いた。送話器と受話器 は、長い時間をかけて様態を変化させながらマイクロフォンとラウドスピーカーへと 変わっていく。様態変化の要因は多様な事柄に求めることができるが、とりわけ直接 的な背景となったのは、1910 年代に電気的増幅技術の進展にともなう電気音響の基 礎研究が開始したことと、新たな電気音響技術の開発に着手されたことであった。す なわち、拡声器、ラジオ放送、電気録音での音声の集音や再現を想定し、送話器と受 話器はマイクロフォンとラウドスピーカーとして生まれ変わっていったのである。

第三章では、電気的増幅技術によって実現した拡声器の出現とそれを用いた拡声と いう声の営みについて検討した。電気音響技術によって音声を増大しより遠くに、よ り大人数に音声伝達することを目的とした拡声器は、1915 年に「マグナヴォックス」、

1919 年に「パブリック・アドレス・システム」の開発をもって普及が始まった。ど ちらも米国で開発された二つの拡声器は、日常の様々なところでの使用が広がってい く。20 年代から 30 年代にかけて、大きな空間で音声をあまねく響き渡らせるいわゆ る拡声や、あるいは拡声器の偏在によって「館内放送的」に建物内の各部屋に音声伝 達するような局所的な音声配信の様態が出現したことを明らかにした。また、1910 年代後半に考案された拡声器は、すぐ「戦時公債募集イベント」や「大統領演説」と いった政治的な目的での使用が始まった。その 1920 年代はじめの数年間、拡声器の

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大音量化した声は、政治的メッセージの伝達において、活字にかわるあらたな政治的 公共圏の創出のツールとなると期待されていた。そのとき、拡声された政治的指導者 の「大きな声」は、「権力」のアレゴリーとして想像されていた。しかし、政治的指 導者の「大きな声」による権力性の発露というイメージは、ラジオの登場によってす ぐに廃れてしまう。しかし、かわりにラジオは拡声とは全く異なる方法で、声による 新たな政治的権力を生み出していくことになる。このことについて、続く第四章から 第六章にかけて明らかにした。

第四章では、1920 年に始まる米国のラジオ放送において、オーディエンスを魅了 し説得する声のスタイルがどのようなものであったかを検討した。先行研究では、リ スナーに直接性と近接性に基づく私性を想起させる声が米国のラジオ放送において発 見された魅了や説得のための音声伝達技法として支配的だったと指摘されてきた。本 論文ではこれを「親密な声」と呼んでいる。だが、本論文では、「親密な声」とは異 なる身近さや親近感に基づく「心理的な親密さ」の度合いを深めることを志向した声 のスタイルが出現し、これもまた支配的な音声伝達スタイルとして存在していたこと を指摘した。本論文ではこれを「ラジオの声」と呼んでいる。「ラジオの声」の機制

(メカニズム)とは、姿の見えないラジオにおいて、個性や人柄といった「パーソナ ティ」すなわち「どんな人か」を声から想起させることを志向する音声伝達のスタイ ルである。「ラジオの声」は、放送業者やリスナーによって「パーソナリティ」の語 をキーワードとして 20 年代半に発見され 30 年代には米国ラジオ放送の特徴を挙げる 際に欠かさず言及されるなど「常識」として定着していった。また、「ラジオの声」

はフランクリン・ローズヴェルト大統領のラジオ演説「炉辺談話」でもみられていた。

つまり、政治的指導者は、ラジオを介し声によって、リスナーに「心理的な親密さ」

を喚起させ絶大な支持をえたカリスマとなったのである。

第五章では、ラジオにおいてみられた「心理的な親密さ」の由来を、20 世紀初頭 の米国に新たに発生した社会的性格と、その影響下で生まれたメディア上の人物の表 象形式に求めて検討した。19 世紀後半から 20 世紀初頭にかけて、米国は大規模な社 会的、文化的変容を経験した。大衆社会、大量消費社会が到来するとともに、映画や レコードといった娯楽産業の台頭による大衆文化が拡大し始める過程で、あらたな米 国人の社会的性格が出現することになる。それは、デイビッド・リースマンの言葉を 借りれば、「内部志向」から「他人志向」への変化であり、米国史家ウォレン・ズー

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スマンの言葉を借りれば、米国人の自己意識が道徳的かつ自制心ある自己を理想像と する「キャラクターの文化」から個性や人柄を魅力的に磨き社会のなかで自己呈示す る「パーソナリティの文化」への変化である。本論では、とりわけ「パーソナリティ の文化」の議論を援用して当時の米国の社会的性格を描写した。このときの米国社会 において「パーソナリティ」の語は「個性、人柄、性格」を意味するものとして人口 に膾炙し、「パーソナリティを磨く」ことは米国人が社会生活を営むうえで欠かせな い最低限のマナーあるいは自己実現のための手段となった。また、マス・メディアな どに登場する魅力的な同時代人の「パーソナリティ」は、米国人たちの行動指針にお ける参照項となった。このような、外見から内面にいたるまで魅力的な自己を呈示す るために行動する米国人やそれを駆動する文化を、リースマンは「他人志向」と呼び、

ズースマンは「パーソナリティの文化」と呼んだのである。

1900 年代から 10 年代までの米国で発達したメディア文化は、とりわけ「スター」

や「PR」のようなメディア上の人物表象の形式において、「他人志向」や「パーソナ リティの文化」の影響を受けていたことを指摘した。娯楽領域のパフォーマーから実 業家や政治家のような人物にいたるまで、彼らの「パーソナリティ」は積極的に表出 され、それは受け手がメディア上の人物が「どんな人か」を知る参照項として機能し、

このことはオーディエンスがメディア上の人物に対する「心理的親密さ」を抱く感性 を醸成することになった。

第六章では、ラジオにおいて声のみで心理的親密さを深めることを志向する声のス タ イ ル と 聴 取 習 慣 す な わ ち 「 ラ ジ オ の 声 」 の 生 成 に つ い て 検 討 し た 。1920 年 か ら 1930 年代にかけて、送り手の放送実践と受け手の聴取実践において、声に対する認 識や感受性の変容がみられ、ラジオのメディア・コミュニケーションの様態が「心理 的な親密さ」を志向するものへと変化していった。この変化にともない、送り手は声 の伝達技法を洗練し、受け手はラジオから流れる声への想像力を醸成していった。こ のように、受け手と送り手らが協働的に「ラジオの声」を生成していったことを示し た。「ラジオの声」の出現は、米国のラジオ放送が単に言葉などの情報を取得するた めだけでなく、「人間味」をもった有機的なつながりを創出する機能をもつようにな ったことを示している。そのなかで「パーソナリティ」は、視覚性なき人物を、声だ けでありありと想像するための指標として機能した。そうした感受性は 1920 年代半 ばに現れ、30年代には一般的な声のスタイルとして認知されるようになった。

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第七章では、本論文の取り組みをまとめ、本研究の現代的意義について述べた。

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