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竹山の「経済」学と常平・社倉論 ―

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竹山の「経済」学と常平・社倉論 ―

著者 西岡 幹雄

雑誌名 經濟學論叢

巻 57

号 4

ページ 173‑220

発行年 2006‑03‑20

権利 同志社大學經濟學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000008589

(2)

【論 説】 

制度の安定化フレームと社会意識の活性化 *

―中井竹山の「経済」学と常平・社倉論―

  西 岡 幹 雄  

は じ め に

 それぞれの「利」との間で矛盾が生じ,しかも「天下」の利益を低下させ ても「利」を優先させる行為を禁じることが不可能な場合,あるいは「天下」

の利益が増加するようにした方が一時的に「利」を制限してもよいことが明 らかな場合,「時務」の緊要性によって制度を設定することが「利用厚生ノ道」

に照らして,果たして「益」となるであろうか.

 このような問題を江戸幕藩制システムにおける「経済」学的課題として設定した のは,太宰春台である.「常平倉」策の導入をめぐる春台の提案は,「利」に根ざす

「情」と公共利益の「政」との間に生じるディレンマがインセンティブ設計にもと づく構造的ルールの導入によって解消され,協調行動を促す「情」の伸張を期待し つつ,非協調的な「情」を「制禁」しようとする試みにほかならなかった1).  交易の原理に沿う米穀に対して,士農の米の糶糴軸によって分配と有効需 要に直接入り込む操作を行うことが,「利」として有用なものであるかどうか,

さらには「四民ノ厚生」として「理」ある制度化であるかどうか,春台のよ うな提案は政策コストとして高価であり,四民協力のフレームワークをむし

本論文は文部科学省科学研究費補助金(課題番号16530136)および私立大学等経常費補助金特別 補助高度化推進特別経費大学院重点特別経費(研究科分)の助成を受けました.

1 )太宰春台の「常平倉」論を基軸にして展開される社会安定化論については,すでに拙稿(2005)

において触れたところである.

(3)

ろ取引関係に移行させ,人々のモラルを著しく低下させるかもしれない.

 たとえ春台のいう方策によって順調に進んだとしても,市場の糶糴軸の条 件に恵まれていない,「売捌クコトモ出来カネ」る地域では状況は異なる.そ こでは地域社会の持続的発展を基礎づけるためにも,「常平倉」とは異なる,

生活維持(生業)を確保するセーフティネット的視点は不要なのだろうか.春 台が晩年に描いた「一旦急迫ノ時」の「富国術」と専売制2)に依拠するだけでは,

地域社会の安定化のためにその制度基盤において四民の「厚生」を確保しつつ,

「利益」を伸ばすことにはつながらないであろう.

 このように春台に残されたテーマともいうべき,「常平倉ノ法」の制度基盤 をさらに明確にすること,他方では地域安定化から見て果たしてどの程度ま で地域的共通性というテーマで語りうるのかを課題として提案したのは,反 徂徠学派の立場に立つもう一人の「経済」学者,大坂・懐徳堂4代目学主・

中井竹山(享保15年-享和4年;1730-1804)であった.

1 竹山の「経済」学における方法的原則と『経済要語』

 竹山にとって「経済」学とはそもそもどのような方法的原則でのぞむべき 学問なのであろうか.寛政7年(1796)に著された『経済要語』3)によれば,「経 済」学には3つの原則があるという.

1. 1 第一原則・「為政以徳」

 竹山が第一原則に掲げている「為政以徳」4)によれば,政治経済を語る前

2 )『経済録拾遺』で著された「専売制」と『経済録』における経済制度のあり方との関係について は,拙稿(2005)3. 2. 3を参照されたい.

3 )これは,竹山の「書牘」にある通り,「その意解をも相添え呉候うようにとの事にて書記」した 上で,「仙台侯へ献上」したもの(中井,1796,594ページ)で,竹山の「経済」学上の基本姿勢 を簡明に知るうえで有益である.

4 『論語』第二編「為政」「子曰,為政以徳,譬如北辰居其所,而衆星共之」(孔子, c. BC450s, 33ペー ジ),徳をもってのぞめば,政治経済は自ずとその中心を見いだす.そのさまは,宇宙の星が北極 星を中心にして回っているような状態になるという譬えである.なぜなら徳は,他者への思いや りによって研鑽されるので,人の心に安定的な影響力を及ぼすからである.

(4)

に徳を語らねばならず,これこそが人心共通の本質,「心ノ持前」である(中井,

1796,67ページ).これは共通に備えている人々の「仁義礼智ノ徳性」に依拠

した徳が政治経済の制度枠組や法に先行することを意味する.インセンティ ブの誘導がいかなる加除計算であろうともその基礎に,徳が人間の内在因と して共有されておらなければ,春台の強調する枠組は,その波及効果も普遍 性も意味をなさない.「仁義礼智ノ徳性」を前提にその内在性を「皆我心ノ持 前」とすることは,春台がいう情・利から前提される個の非協調的人間を仮 定する前提とは異なる.

 元来,人に感化を及ぼす力,ものに備わった本性や良心を意識的に規律す る徳になぜ,普遍的に妥当とみなされるモラルの役割が課せられたかといえ ば,春台のいう「利」の矛盾から「利用厚生」につながる制度化を設定する ために,経済主体間の行動を相互反応的に共有の認識の中で確認しなければ,

制度化の推進そのものが社会のネットワークの中で,果たして主体間の協働 の対象になりうるか否かがわからないからである5).しかし,春台や彼の師 である徂徠の議論には,了解事項が先王の礼にもとづく後王による不動の規 則(「定法」)として定められ,それが行為選択の基礎として比較考量される余 地を持っていなかった.つまり利の総価値とコストを測る確実性,制度に対 する強度が国益の基準として考えられたのである.つまり人道が本来もって

5 )『大学』によれば,「大学之道,在明明徳,在親民,在止於至善」(作者不詳,c.B.C.136,31ページ),

大学で学ぶべきことは,世界に向けて修めた徳を明らかにすることにあり,このことを通じて 民に親近感を持たせ,これが最高の善に落ち着かせるのである ,『中庸』によれば,「天命之謂性,

率性之謂道,修道之謂教」(孔子思,c.BC410s,141ページ), 天が命令として与えたものが本 性であり,その本性にしたがってできあがるのが人として行うべき道である.その道を修めるよ う規定しているのが聖人の教えである.したがって本性は天命であって人間においては共有され るべき道である ,また『孟子』によれば,「雖存乎人者,豈無仁義之心哉,其所以放其良心者,

亦猶斧斤之於木也」(孟子,c.BC.6,下,241ページ), 人間も同じで,本性の中に仁義之心がな いはずはない.ただ,人がそうした本来の良心を放失してしまうのは,斧や斤で木を伐るのと同 じことなのである .「明徳」「天命之性」「良心」の何れもが,それぞれの人間が「皆我心ノ持前」

として共有されておくべき,いわば「本性」である(中井,1796,67ページ).したがってこれ が意識の共有資源となり,人間間の相互距離を縮める.つまり意識の共有化と実践によって実現 される文化認識,相互理解や行為の検証を社会モラルとして根づかせることを学問理念とする教 育機関が懐徳堂であったともいえる.

(5)

おるべき徳,そしてその徳の形成は主体間でどのようにつながっているのか,

そうした認識の共通基盤がブラックボックスにされて「厚生」が論じられて いたのである.

 このような共通知を確認するための度合の有無が,「心ノ持前」としての「仁 義礼智」の徳性となる.「仁ノ徳」とは,何事に対しても「親愛シ」,これを 通じて相互のことに思いやる,同じような心持ちによって接する感情を備え た度合をいう.したがって「義ノ徳」とは,「仁ノ徳」を人間が行うすじ道,「公 共」のために尽くすことが,「事ノ宜シキヲ処置」(個々の利害を捨てても普遍的 な条理にしたがって処理する理に適った追求)することになる.このことは,「礼 ノ徳」として「恭敬ヲ専ラニシ」(慎慮・物事習慣を尊重し,人として社会道徳に したがって応待すること)につながり,それゆえ「智ノ徳」は「是非ヲ明カニス」

(条理・道理・人倫に照らして是非を判断し,物事を的確に理解する働きができる性質)

を考えることができる.

 「古ヨリ今ニ至リテ,人品ニイロイロ不同ノアルハ,ミナコノ本心ノ得失ニ,

多少大小浅深厚薄ノチガイアルニ由テ」人品に不同があっても,「経済」学に おける「皆我心ノ持前」の「仁義礼智ノ徳性」は,内面的な規律を包括する 普遍的なモラルの役割を果たす出発点となりうる.つまり,意識と規範の確 認と実践による文化意識の共有,相互理解,そして行為検証を含めた共有資 源となりうる徳の内容と度合は,外形的得失をとる「利」を制度化するため の基盤を果たしているといえる(中井,1796,67ページ).

 徳の自覚化の重要性(「修己」),つまり徳を学ぶことは,これによって「今 ノ世」に参加する意識へ繋がり,自己が課した価値意識としての「正義」と もなる.そして「仁義礼智」の基準から「信」が政治経済において信頼とし て生じ,この「信」の結果が「利」を発揮するための埋込基盤となる.

 もしこのような関係と手続きを省略して,たんにディレンマ解消として制 度化が行われれば,人々の意思決定フレームはたんなる取引関係に移行して しまう.もしそうなれば,道徳的・協力的コミュニティ意識のフレームを整

(6)

える前に,むしろ「功利」的な四民間の環境フレームが成立してしまう.「先 王ノ道」として固定化していると,普遍的なモラル以前に行為の是非が測度 されてしまうために,江戸後期の共通理念である「固寧」を価値づけるため の経路は失われ,結果として特定層の意志決定と選択のみが活かされて,「功 利」的な四民間の環境フレームとその固定化に伴う要費だけが分析の対象に なる.

 「心ノ持前」と徳とが原則にならないならば,自発性の根拠は失われ,「固寧」

の中で参加意識がないから,決定に伴う責任の共有感も生じない.選択プロ セスに直面していないから,環境変化に伴って異時点間に及ぶ不確実性と不 安定性に対する衝撃を吸収する枠組とはならない.

1. 2 第二原則・「有治人無治法」

 「治人アリテ治法ナシ」6)とは,第二原則として,いかにみごとに法が設け られても,徳なしでは人を治めることはできない.つまり「治人治法」は,

統治における徳との一体化において重要である.第一原則と第二原則との関 連を省略して,たんにディレンマ解消ゆえの「法」の定式化は,「公共」善の ような合意のための共生も,公正の程度も期待できない.構造革新しても,

社会に対する信頼が欠如しているから,これまでの「参覲制」同様に,制度 付加に対してもくろんだ効果が見込めないか,あるいはコスト逓増化を甘受 しなければ,その制度フレームは維持できない.人々の「徳性」と,経済社 会安定化への「万世永頼」を基礎にした「治人治法」との関係は,人々の能 力と共生,そしてそのための意識的な知識研鑽によって醸成される7).これ らの関係を自覚した学習は,それによって媒介される価値観や慣習から筋道

6 )「有治人無治法」とは,法とこれを遵守しただけでは自動的に「治安」を解決することはできな いという「君道」『荀子』に由来する.

7 )ナジタが竹山の思想をもって,「力学以修己」「立言以治人」にもとづいた「知識の獲得と自己統御」

を主題にした合理主義的人間知性論にたつ五井蘭州以来の(懐徳堂的な)「大学」的思想と位置づ けた.(Najita, 1987,pp.155-157,訳,225-257ページ参照).

(7)

が立つので,複雑な法の決まりと頻度を伴わずとも,人間の意識状態と社会 ネットワークの中で制度を簡略化でき政策に伴う要費を小さくすることが期 待できる.

1. 3 第三原則・「量入以為出」

 「入るを量を以て出ずるを為す」8)とは, 長期的な観点に立ってあらかじ め収入を計算しておき,それによって支出の計画を立てるということ ,転 じて, 経営は収入にもとづいて支出しなければならない ことから,この 原則は制度化の基本枠組である「国体」を安定させる「固寧」の「経済」基 準として,『経済要語』,『草茅危言』に限らず,「与今村泰之論国事」(中井,1972,63 ページ)でも,長期的な安定性を示す言葉として用いられている.

 『大学』「財用」からの引用(中井,1796,71ページ)からもわかるように,

第一義的には,長期予算上の財源とその調達のバランスの原則をいっている が,そもそも政府が「国体」の領域を超えて民の「固寧」に打撃を与えるよ うな不均衡な財政が,「民間」の信頼を得ることになるのかという含意をもっ ている.「国家ノ政道」としての「財用ノ要務」は,長期均衡を通じて形成さ れる期待のもとで視野を見通すだけの徳とその共有により,今度は,「国体」

と「固寧」との間の将来にわたる有効性とバランスを安定させるために資す ることが念頭にある(中井,1796,71ページ; 1972,63-64ページ)9)

2 『草茅危言』の「経済」思想:『草茅危言』「序」と教育の役割

 竹山は,人々の「徳性」が意識の共有,相互理解,そして行為検証できる

8 )古代中国の経書である『礼記』「以三十年之通制国用,量入以為出」に由来する.『礼記』は五 経の一つとして,周末から秦・漢にかけての諸儒の考え方や風習について整理編集したものである.

上記の引用部分は国制に関するもの.

9 )「国体」を安定させるためにその中心的役割を担っている幕府が,参勤交代制や「公事」負担に よって地方に財源を費消させるような統治方法は,「諸侯大借」という不均衡財政構造をもたらす だけで,「固寧安穏」には役立たないという主張につながる.

(8)

ことを通じて,道徳的・協力的コミュニティ意識のフレームを確保し,社会 的信頼の合意を内包する「固寧」へつながるような人間行動に基準を置いた「国 家創業之隆,守成之美」に基本をおいていた.竹山の「経済」思想は,主著『草 茅危言』を通じて体系づけられるが,「序」の中で,「徳意」,すなわち内面の 意識の包括から「固寧」へつながる「公」(政府)「共」(社会)双方の活性化,

さらにその下での知識の多様性と内生的「経済」の形成は「儒術」による「修 文教」の整備にかかっていることが強調されている(中井,1789,261ページ).  これまでの政治経済発展にとって画期であったのは「享保中興」であるが,

この影響は「国家創業之隆,守成之美」の基礎として,「修己」を媒介にした

「儒術」による「修文教」に及んだ.結果として,次代の政治経済発展に役割 を果たす「民間」唯一の「公許」学校,「特命吾先夫之職」にあった「庠黌10)

大坂」(懐徳堂)を生みだした(ibid.)

 今また,吉宗の孫に当たる「白川侯源公」(松平定信)に「享保中興」の後 継として期待することは,享保期に始まる「庠黌大坂」(懐徳堂)とともに「治 教」を成長させ,社会的信頼と人々の協力行動との間で「正義」の規範的な 基盤をつくりだすことである.松平定信が竹山に対して,来坂(天明86月)

(1788)の折,「今後何事によらず,意見を述べるように」と言われたことにも とづいて上梓した『草茅危言』は,徳にもとづいて「経済」がどのように形 成されるかを「治安太平諸策」にまとめた「随筆」(稿本)なのである(中井,

1789,261-262ページ).

 「草茅危言」という名称自体,「民間」が「邦有道危言危行,邦無道危行言遜」

(『論語』)に拠る「邦に道有れば,危言危行す」(言葉や行いを厳しく慎み),邦に 道無ければ,危行言遜(行為を厳格にし,害に逢わぬよう言葉を和らげる)」に由 来している.白川侯が「享保中興」の偉業を継いで,政治経済にのぞむことは,

邦に道有れば,ということであるので,厳しく慎みながらも敢えて『草茅危言』

10 「庠黌」とは,中国古代の学校を意味し,『孟子』の「有恒産者有恒心者.・・・・・・設為庠序学校以教之」

(「巻第五」,c.B.C.6,上,193ページ)に由来する

(9)

を「竊致之於公之左右執事」により献呈する次第である.

こうした枠組を推進するためにも,徳と知識による人格形成を担う「庠校」

懐徳堂は,さらに大きな役割を果たすであろう11)

3 「常平倉ノ事」

 そこで「常平倉」を制度化するための「常平ノ法」の課題は,竹山の「経済」

思想を通じて,人間の善を「義」として考える立場でどのように人々が社会 的安定持続的に結びつき,彼らの信頼関係に広範に働きかけて,長期的な発 展経路を確保するストック,ひいては四民間の「利」とその配分にも影響を 及ぼす制度の安定化フレームについて模索することになろう(中井,1789,411 ページ).

3. 1 竹山がとらえる常平倉の由来

 「常平倉ノ事」と題して,「漢宣帝ノ時耿寿昌上言シテ云,辺郡ニ皆倉ヲ築,

穀賤キ時ヲ以増其価ヲ増テ是ヲ糴シ以農ヲ利シ,穀貴キ時価ヲ減ジ是ヲ糶 シ,名ケテ常平倉ト云ント,帝是ヲ施行アリテ,民是ヲ便トスルト見ヘタリ,

・・・・・・」から始まる竹山の言葉12)は,その後,南北朝以降元・明に至るまで いかにこの法が「官民共ニ便ヲ得シ事」であったかを言及し,また本朝の「常

11 ナジタによれば,儒者(「学者」)とは何かと問うことから始まり,定信に対してそれが(春台

以上に)良き政治のために国家有用な人材を教育することであると定義したことに懐徳堂におけ る竹山の役割があるという.竹山が「大学」機関を文化の「学校」として大坂に設置することを 願望したのは, 良き政治経済のための 社会目的を伴うことで,一部から尊敬を得ても公的 支配者階級に加わらない「学者」に知識と文化の公的役割を期待したからである(Najita, 1987, pp.176-177,訳,287,289ページ参照).

12 )竹山のこの記述は,『漢書』「食貨志第四上」の一節「寿昌遂白,令辺郡皆築倉,以穀賤時,増 其賈而糴以利農,穀貴時減賈而糶,名曰常平倉,民便之」(黒羽,1980,235ページ)をそのまま 邦文にしたものである.この経過を述べる段に関して,『草茅危言』は春台より詳細ではあるが,

内容としては大同小異である(太宰,1729,506,508ページ;中井,1789,406ページ).しかし 後述するように,春台の「常平倉ノ法」のような先王の礼にもとづく功利システムのコスト選択 を基礎として,「常理」と「自然ノ理」との間で生じるずれ自体を四民間の「利用」調整とした制 度の「損益」「制度不同」として第一義におく考え方(西岡,2005,29-30ページ参照)とは,同 じ「常平ノ法」政策といってもその位置づけが異なる.

(10)

平ノ法」の淵源にも触れている.

 ただし,竹山は,『経済要語』で示された「経済」学の姿勢に沿って,この 常平倉について,徳の自覚による「公共」性を知覚して,共生のプロセスか ら制度枠組を考えていること,「有治人無治法」により,知識行動コントロー ルを通じた「公共」的認知を活性化させ,その下で波及効果も広範に確保で きる政策だからである(中井,1789,406ページ).

3. 2 常平倉と「天下ノ平糴」

 「米穀ノ権」における機能(「天下ノ平糴」)について,「国体」を支え,需給 システムと内国交通の運漕根拠地とを効率的に安定させる「理ノ当然」の地は,

「大坂一カ所」以外ない13).これまでの「築倉」維持・転運コストを負担して も,儲穀による需要を待つ,春台のような「常平倉ノ法」思想は,商品流通 と供給連鎖にかかわる政策の対便益費用効果からいって,適切なものではな いからである14)

 『草茅危言』では,「年々海内諸侯ヨリ此地邸倉ヘノ運漕米ハ,皆々町人ノ 買受ニテ追々飯米ニモナリ,又他国他所ヘ転漕スル残リ,冬分ニ越年米ト称 シテ平民ノ買持ニ成分,大数ニテ百万石宛也」(中井,1789,407ページ)と叙 述されている.天下の諸侯が大坂に「運漕」する米は,すべて町人の手を経て,

13 「常平倉ノ事等漢ノ世ニテハ辺郡ニ倉ヲ置ト云タルハ,今日ニテ天下ノ御代官所ニサキサキニ倉 ヲ置タラバ,夫ニ類スル様ナレドモ其ノ儀ニ及バズ,唯大坂一カ所ニテ済可,従来天下ノ米穀ノ 権ハ大坂ニ帰シテ三都ト云,是計リハ大坂ニ限リタリ,是万人ノ知ル処,今更ニ呶呶ヲ費ヤスニ 及バズ,然ルヲ年来此米穀ノ権ヲ平民ニ托シテ,官ニ曾テ其抦ヲ持タセラレザル事国体ヲ欠ケタ ル者也.今日諸国ノ公領ノサキサキニ倉ヲ置セラルル替リニ,大坂ニテ地ヲ択ミ数十百棟ノ倉ヲ 一時ニ建テサセラレ,皆新川ヲ堀シ運漕ヲ自由ニシ,……」(中井,1789,406ページ).竹山は,

春台とは異なり,常平倉に関して,漢代の原義との相違に言及している.中国の原義における「平準」

観や「経済」学そしてそのマクロ環境に介在する異質性に関しては西岡,2005,脚注8),19)お

よび26)を参照.

14 )春台が考えてきたような,代官に命じて公領に倉を建て,現地で販売もせず,ただ囲米する方 法は,そのときの需要喚起を促す方法でしかない.なぜなら,「常平ノ法」を「公共」のための「先 米権」と認識せず,転運コストにしても,郷蔵の建設と維持においてかさむ米・籾の蓄積・詰替,

品質の劣化・腐敗,それらを最小限にくい止めるための儲穀の分配施行などの対応にとどまるか らである(中井,1789,406ページ;西岡,2005,33-34,39ページ;谷,c.1740参照)

(11)

(1)大坂で「飯米」として費消されるか,(2)大坂を経由して畿内とその周 辺およびそれ以外の諸国などの他所へ転送されるか,あるいは(3)端境期か ら新たに米が供給されるまでの期間,大坂では「冬分ニ越年米ト称シテ平民 ノ買持」になるか,これら三要素に分解される.消費,運漕,保蔵などの機 能は,いずれをとっても大坂が幕藩システムの中で市場経済の中枢にふさわ しいものである.まさに前に触れたように,「天下ノ米穀ノ権ハ大坂ニ帰シテ 三都ト云」けれども,「是計リハ大坂ニ限」られる.これらの機能の不全・不 十分さは,米市場を核にして形成されてきた流通・金融の連鎖を通じて,「国 体」そのものに毀損が生じることになるからである(中井,1789,406ページ).  実際,諸藩蔵米廻米における「大坂登リ米」は,元禄以降文政期に至るま で100万石から150万石内外を推移している.『草茅危言』執筆当時,大坂へ の入津米量が低調だったと思われる天明期でも,やはり竹山がいう通り,100 万石前後に達している(「大坂入津米量」〈本城,1994,241-244ページ〉).登米時 期は,「大坂登リ米諸蔵鑑」がリスト化しているように九州・中国地方から北 陸・東北地方にかけて,8月・9月の「中国米」から始まり,翌8・9月の「加 賀米」に至るまで,主要な銘柄米を種々連続的に大坂に運び込むことが可能 であった(脇田,2003,35ページ,所収).

 だが,実際,これが常平倉と「天下ノ平糴」機能の上で疾患と竹山が見な したのは,消費と保蔵需要の大きさから,「春ニナレバ,追々米モ減ジ,直モ 騰ル故,夫ヲ目当ニ買持成ニ」,「近年豊年」という事情もあるが,「春ニ成テ 西国北地ノ米追々多価ハ積登シニ成故,米価益減ジテ損失多キ故,此買持ヲ 恐テ手ヲ引者多」,大坂の米市場における「埒明キマジキ」状況を生みだして いたからである(中井,1789,407ページ).前に述べたように,米穀の生産供 給の状況から大坂での「運漕」と「越年」を不可避とするが,「惣而西国米者 冬分入津仕候故,冬米与唱,北国米者夏分入津仕候故,夏米与唱」(「大坂米売 買之大意」)といわれた天明期以前において,価格安定の上で分担的働きをし ていた(cf.本城,1994,271ページ;加藤,2001,3ページ).ところが,この時期

(12)

以降,いずれの地域の諸藩も年内「運送」による米質的問題よりも量的希少 性が増す端境期から新穀供給期の高騰を目的に「大坂登リ米」を集中させた ために,たとえ「飯米」消費に冬季の畿内地域の造酒需要の要因を考慮しても,

大坂は「夫ヲ其ノ所ニ売払,其ノ代金ヲ大坂ニ集メ,一所ニシテ糴シ」機能 に支障が生じ,「人気ヘタリ,一向ニ買持ノ事埒明キマジキ」事態に一挙に陥っ ていたからである(ibid.)

 もし「常平倉」政策が「術」的段階にすぎないのであれば,「官糶五万十万 石」の支出してもその効果はそれだけに「止マ」るだけである.「天下公共ノ 価」を形成して,「人民ヲ鼓舞作興」させるだけの「国体」の制度的信頼を得 るためには「民間ノ尤便」を前提にして,それらを「公共」双方の徳を包含 できる制度的装置を組み込むことが必要である.

3. 3 「常平切手」発行の構想と金融効果

 これまで「平民ニ托」されてきた「相対」(交換)の次元から,「買持」シス テムを「常平倉」論の「抦」に組み込んで,大坂で安定した運用できる仕組 への転換について,竹山は次のように論じる.

 運漕が間欠であれば,あるいは質上の問題よりも価格高騰期をねらうとす れば,そしてまた「登リ米」の過半が大坂・中之島周辺の蔵屋敷に納められ る「登リ」時期に集中すればするほど,諸藩の蔵屋敷のマネージメントは,

蔵米の入札,販売手数料,保管料,代銀の出納業務,収穫情報にもとづいた 信用貸付や江戸向け為替・支払などのいっそうの工夫を必要とする.もしこ れらに対する工夫がなければ,「買持」は成立しない.こうした「登リ米」を めぐる需給のギャップを一手に引き受けていたのが,『草茅危言』で「富民」

とか「平民」とかで表現されている蔵元や堂島米市を運営している問屋・仲 買などの大坂の有力商人たちであり,そうした需給ギャップを具体的に処理 できる「仕掛」が「米切手」である.

 「侯邸〔蔵屋敷〕ノ券ハ十石一紙ナレドモ」(中井,1789,408ページ)という

(13)

ように,「米切手」は本来,蔵屋敷が未到米の販売に対して実物の米をその後 引き渡しを約束した倉荷証券(Warehouse Receipt)であった.しかし,前に述 べたように「登リ米」をめぐる需給関係の複雑化に伴い,一枚十石の「侯邸 ノ券」を持参しておれば,もっとも流通力ある商品で貢租たる米をもって藩 政府が現物米十石といつでも引き替えることを約束した発行券であったから,

「米切手」自体が強力な商品券となった.「米切手」であれば,保管料も,米 の取引に伴う手間も,また約束を履行しようと蔵屋敷に実物を請求しない限 り,多くの取引コストを削減できるから,「米切手」は換金性ある信用手段と して証券的な色彩を帯び始めた.当然,これらの性質に裏付けられた「米切手」

は,資金調達の手段にも活用できる「海内ニ比類ナキ最簡極便」なものであ る15)

 しかしこれについて,幕府以上に財政難にあえぐ藩が借財の担保にした過 大な「過米切手」や,これからも実在するはずのない「空米切手」の乱発な どによって,あるいはその逆に米の大量供給によって「米切手」には著しく 割損が生じたりしていた.竹山が「常平倉」論を「天下ノ平糴」と「国体」

との間に介在させて,「人皆信」の社会的安定性の中で取り上げているのは,

こうした状況が「海内ニ比類ナキ最簡極便」な切手機能自体の毀損を通じて

「買持」に体現される「商人互」の信用構造に大きな支障をもたらすことにな るからである.

 したがって「常平倉」によって制度フレーム化し,公正な市場取引として 取引コストを維持するためには,「買持」と「米切手」を一挙に「先米権」と して「用牖16)後民」を導入する必要がある.

 「 所々侯邸ヨリ米券ヲ出シ是ヲ以通用スル故,商人互ニ其切手ニテ売買シ,其度毎ニ 倉米ヲ転漕スルニ及ズ,官ニ糴集有ニモ当分此切手ニテ済タリ.海内ニ比類ナキ最 簡極便ノ事也.故ニ常平倉ニモ米券ヲ製セラレ,常平切手ト名付通用有タシ.此切 15 )蔵屋敷と米切手の関係については,宮本,1972;1982,53-54ページ参照.

16 )壁やへいを打ち抜いて設けた明かり窓から転じ,ここでは政策誘導を意味している.

(14)

手ヲ富民ニ頒テ官糶ノ助トシ,又是ヲ引当トシテ民財ヲカリアゲ糶資トセラルルナ ラバ,何レモ甘心シテ命ヲ奉ズ可者也.是莫太ノ便利ノ事成可.併券法有バ種々ノ 奸弊是ヨリ生ズベケレバ,初ヨリ俄ニ然ル可ト云ニ非ズ.常平ノ法能行シ,人皆信 タル上ニテ,富民ヨリ情願ニ切手ヲ望ム様ニ成勢有可.其時後日ノ弊ヲ能慮リ考ヘ 券法ヲ定ム可.侯邸ノ券ハ十石一紙ナレドモ,此券ハ官ト富民ト間ノ便ヲ図ル耳ニ テ,通例人戸ニ預カル所無ケレバ,百石ヲ一紙トシテ宜シカル可」(中井,1789,

408ページ.引用文中の傍点は筆者によるもの).

 「買持」で生じる資金逼迫と無用な投機資金の集中を防ぐという意味でも,ま た「登リ米ノ買持」と「米切手」の基礎に立つ「常平倉」のためにも,竹山は,

幕府による「米穀権」に対するコミットメントを示す「常平切手」の発行を提 唱し,これにより官・民にとっての糶資を考えていた.すなわち切手の「通用」性・

支払性・蓄積性を保証することで,「十石一紙」(相場として一紙57両)の「米 切手」という商品証券から,大坂への「登リ米」を信用ファンドにして一挙に「百 石一紙」の高額兌換券に転化させ,「商人互」の信用構造に基盤をおいた流通お よび貨幣・金融政策を「常平倉」構想によって可能にさせるものであった17)

3. 4 「天下公共ノ価」と「常平倉」の維持コスト

 「常平切手」の発行による紙券信用は,「登リ」・蔵米量・米価の騰落に応じ

17 )たしかに「常平切手」発行の構想は,米と金融をめぐる関係諸主体の信用構造に対して,幕府 がコミットメントを与えるという意味で適当であるかもしれない.しかし,もし竹山の「常平倉」

構想が行われたとすれば,これまで大坂で形成されてきた諸藩と町人との関係に幕府が直接に介 入して,まさに幕府が藩と大坂商人との委託代理関係に介入することになる.つまり,これまで の両者のガバナンス機構は大きな変動に見舞われ,藩がたんなる米生産地からの運漕体になるこ とをも意味する.竹山先生はそれで満足かもしれないが,藩は当然これを好まないであろう.「国 体」という立場から,これをコントロールできるという竹山の制度化は,反面,幕藩関係に影響 を及ぼし,ひいては米と金融をめぐる関係諸主体の信用構造について補完・円滑化できる竹山の

「国体」の構想を超えて,諸藩と町人間との経済関係に介入することは諸藩の経済の自立化の気運 を促すかもしれない.このことは,常平倉と米価形成・米穀集散機能のあり方,大坂で形成され てきた諸藩と町人間との信用関係について懐徳堂において弟子であるはずの山片蟠桃と竹山との 間で差異につながるが,この点の詳細については後述.

 ただし,「米切手」が闕所処分においても除外財産とされること,「不渡切手」の幕府買い上げに よる保護,あるいは金銀貸借における最有利な担保引当として,また正貨に準じる役割を果たして いた点から考えて,「米切手」は江戸期を通じてもっとも有効な証券であり,これが発行できる大坂 の「天下ノ平糴」機能をよく象徴している.宮本,1972,218-219ページ;宮本,1982,54ページ参照.

(15)

て,その発行量を幕府が調整コントロールすることになる.これは春台の「常 平倉ノ法」が直接,経済変動の制御のために「常平倉」政策として直接介入 するケース(西岡,2005,2.2参照)に比べて,大坂の「天下ノ平糴」機能を前 提にして,財政的に負担をかけず,制度そのものが「民間ノ相場ニ見合」っ た,コスト的にも効率的にも「公私ニ便」で「中価」による「天下公共ノ価」

を形成する上で有効であると,竹山は考える(中井,1789,408-409ページ).  竹山によれば,「常平ノ法」は,米価が引き起こす経済変動に対する過剰な 反応を抑止する役割を果たすから,「米商ハ常ニ中価ノ内外数段ノ地ニ低徊シ,

猝ニ大富ヲ致ス事モ無,又急ニ極窮ニ墜ル事ナク,物情モ自ラ静謐成可」(中 井,1789,409ページ),つまり「公共」の信頼を得るための制度管理によって 商品流通の騰落による必要以上の「富貧」激化をもたらさない点で有効であ るというのである(中井,1789,408-410ページ).竹山の想定する「常平ノ法」

は,大坂という「転運,航海自由」の中枢機能に立って,春台のように新た な公共事業(たとえば公領からの転運,輻湊関連費,在在倉の建設と維持など)とし て多大な予算を想定しなくても,「官ノ儲蓄」も「五万十万石」程度の「広ガ ザ」る形で,「民間ノ相場ニ見合」った政策誘導できる仕組によって「年々備 ヲ益事第一着」にできる「公共益」の可能性を捉えたのである(ibid.).  「百石一紙」の「常平切手」を発行し,その紙券信用で「天下公共ノ価」を コントロールするということであれば,その信用ファンドの源泉たる「常平倉」

の維持・管理コストとそれに対応するリターンを考える必要がある.米穀は,

「追々詰替」を要する点が問題になるが,「京師・江都ノ官倉ノ随分」を要す るのとは異なり18),大坂であれば,転漕される「旧穀」と「新穀」との鮮度

18 )京都や江戸の場合,「詰替」の切替期間を「五六年」であるとするのに対して,大坂は長くて3 年あるいは毎年これが可能だと竹山は強調している(中井,1789,410-411ページ).むろん江戸でも,

大坂同様の転運は確保できよう.しかし竹山の真意からいえば,「商人互」の信用構造に基盤をお いた流通および資金調達・貨幣・金融手段と政策上の効果という点では,江戸の「官倉」は「文 具ノミニテ虚倉ト聞」て大坂に及ばず,また「京師ハ大坂ヨリ常ニ運輸スル事ナレバ常平ニ及バズ」,

いずれにしても「京師・江都ノ官倉」は「常平ト相関」には維持・管理コストが過大である(中井,

1789,411ページ).竹山の「常平倉」の維持・管理に占める大坂での「詰替」は,流通および資

金調達の機能に比べて,大きなものとはいえないような口吻であるが,実際はそうではなく,「詰替」

の負担は天明期以降の儲穀策においていずれの地にあっても重要な課題であった(安藤,2000,「補 論」)参照.

(16)

保蔵,その「出入差」を簡便に算定でき,しかもそれが埋まらなくても「豊 年欠年」の「先繰」が容易であろう(中井,1789,409ページ).

3. 5 「常平ノ法」の制度機構の運営と「常平司倉ノ職」

 「常平ノ法」下での「常平倉」,「天下ノ平糴」,「天下公共ノ価」,運漕そして「常 平切手」およびこれらの管理コスト,以上のような「常平ノ法」にかかわる 制度機構の運営は,竹山によれば,「常平司倉ノ職ハ別ニ其人ヲ択ミ,長職両 人計リ任用在セラレ,二三年代リ等云程ニテ交代有可.小吏迄モ皆東土ヨリ 帯領シテ至ルヲ要トシテ,此地ノ小吏ハ一名モ雑ベカラズ」(中井,1789,410ペー ジ),つまりこの機構組織は「常平司倉」として,幕府の直轄にし,任期を決 めて,勘定所と同じようにせよ,と語っていることにほかならない.「常平ノ 法」のために「常平司倉ノ長職」二人制と「算勘者」(会計書記官)たちから なる組織機構を幕府が直々に任命するということである.

 「相対」,「相場」など市場に関することに関しては,(天保13(1842)年の例 であるが)大坂町奉行所(西)の内山彦次郎による調査「諸色取締之儀ニ付奉 伺候書付」(大坂入津商品に関する調査報告書)に見られるように,「平準之直段」,

「諸国相場之元方」あるいは「諸家領分知行所産物之事」(加藤,2001,1-2ページ;

本城,1994,288ページ)などは,「町奉行ノ米穀掛ノ役所ガ関係」するところであっ

て,与力が本来管掌する事柄(旧事諮問会編,1986,上巻,262,264,282ページ)

ではなかった.しかし数年任期で交替する町奉行と行政・警察の現場を指揮 する格下の同心との間にあって,(名目上は「抱席」とはいえ)二百年以上にわ たり大坂に居住し続け,実体的には世襲である与力は,奉行所内で行政・経 済・司法にわたって広範囲に影響力を及ぼし,経済政策の上でもその可否を 事実上握っていた19).竹山のいう,「勝手ヲ知リ功者ナリトテ任用アレバ,此 輩悪習ニ重染スル事年久ク,近来御新政[寛政の改革]ニテ面ヲ革メタルモ,

若信任ヲ得テ長官[町奉行]ヲ土地不案内ト思ハバ,旧疾発動シ欺罔百端ニ成」

19 )大坂町奉行所における内山彦次郎と彼が影響力を及ぼし得た行政・経済・司法における役割に ついては,藪田,2000を参照のこと.

(17)

(ibid.)とは,短期間に交替する町奉行に代わって町政全体に対して広範な職 務を遂行する実際的な責任と,そのための専門性と熟練を駆使した与力らへ の竹山の不満と考えることもできる20).事実,政策を誘導するにあたっては,

内山にしても「その性質の貞実堅固にしてしかも才機あり,大坂出生の者に てありながら身元宜しき町人共と懇意に仕らず」という評価がある一方,町 人からは「地付役人」として経済に明るく,大坂の町人のふところ事情,口 がたっしゃな奸佞な人であるという印象もあったであろう(藪田,2000,67-68 ページ).

 それはともかくとして,竹山が目指す「常平倉」は,「天下公共」の制度フレー ムとして,「公共」の信頼を得るための機構であるという認識については理解 できよう.たしかに,「唯斂散ノ時公平廉直ニシテ,少モ私曲ヲ営ザレバ良吏 トス可ノミ」,そして「長職」は江戸との交代勤務で,「年限ノ短キヲ良トス」

となると,果たして制度全般の運用に関して可能かどうかということについ ては,検討の余地がないとはいえないけれども.

3. 6 「常平倉」における「刺米」と「運漕ノ用脚」

 「常平倉」の役割とこれを支える制度機構に続いて,竹山は,「常平米糶糴 運漕」にあたって,「人夫方ノ船馬等ハ民間ニ募リ,入札ヲ以引受人ヲ定ム可」

(中井,1789,411ページ)と提言している.

 「引受人」を「入札」に委ねたのは,それだけ「常平米糶糴運漕」にかか る経費の大きさを抑えると同時に,「是迄仲仕成者ノ竹筒ニテ米ヲ刺取事ヲ厳 ク禁ジ」るための仕組でもあった.一般に入札で「引受人」を選定するのは,

事業主と「引受人」との間で一定の請負なり普請なりの事業を遂行するにあ たってこれらに関するすべての責任を負うというルールが明示しにくい当時に

20 )町年寄はじめ大坂の有力者と懐徳堂との摩擦において,どうしても町政のために有力者への配 慮に傾きがちな与力,あるいは松平定信が師弟の礼をとった竹山のような学識者に対して,時と して町人のように扱い,町奉行との間で意志の円滑さを欠くようにさせる「土着」の与力たちに,

竹山は含むところがあったであろう.小堀・山中他,1980,二-5;小堀,1996,2-6ページを参照.

(18)

あって,事業リスクが事業主に不当に転化されるのを防ぐ仕組であったと考え られる.この場合,「運漕ノ用脚」「失脚」(漕運事業に伴って生じるコストとリスク)

について「引受人」を制度化し,これにより解決される「弊風」は,運漕に従 事する「仲仕」による「刺取」「刺米」21)に始まり,これを監督する「大小吏 士ノ役料扶助」,「雀鼠耗迄」,そしてこれらの経費をマネージメントすること である.「常平倉」事業が円滑に遂行できるようにするため,信頼ある「引受人」

を考慮して「入札ヲ以引受人ヲ定ム可」と明記したと考えるべきであろう.

3. 7 「義利」の役割について

 「常平ノ本意」とは,徳の自覚と「今ノ世」にどのように参加しているのか を基盤にした「信」の中で,それが個々の「利」との間でどうあるべきかを 考えるところにある.すなわち「天下公共ノ価」を形成するために「価ヲ増 テ斂メ価ヲ減ジテ散ジ」て,「公私トモ利スル所有シメ」,「年数ノ上ニテ大イ ニ国益」を確保できる ファンド として「利」の集合と信頼関係とを結 びつけて,「国体」を扶翼としようとする試みである22).そこで得られる「利」

21 )これは,米質の状態を作業段階毎に検査するために,米俵に竹筒で作ったサシと言われる道具 を入れてごくわずかな米量を抜き取ることをいう.この作業は,陸上の運送に比べて,集荷分散 が比較的容易である運漕においても繰り返し行われたために,作業工程や大坂までの運漕距離に もよるが,総量の23割に及ぶことも珍しくなかった.しかもサシの検査が米であるだけに,

竹山がいうように,「竹筒ヲ以て徘徊スル者」「俵ヲ麁末ニ取」扱う者,「米ヲ態トコボシ杯スル者」

そして「ツツホ掃ヒ杯云賤婦等」が後を絶たず,「弊風」「曲事」「頑弊」な抜き取りが公然と行わ れていた.そこで運漕事業の危険・運営・管理を一手に引き受け,これを引受手数料としては米 俵へ返さない「刺米」を受け取り(一俵に対して一合の割合),これを原資に「大小吏士ノ役料扶 助」までも負担しつつ,同時に「引受人」から大坂有数の蔵元・掛屋まで主家・升屋を成長させ た山片蟠桃は,まさに竹山が描いた「引受人」の典型であるということができる.海保青陵が描 く蟠桃と仙台藩の関係は,大坂で形成されてきた諸藩と町人間との信用関係を基礎にした,いわ ばビジネスモデルというべきもので,竹山が扱う「常平倉」の制度化の観点からの「引受人」で はないが,「引受人」の機能とはどのようなものであるかを明確にしている点では同一線上にある といえる.蟠桃の「刺米」ビジネスと,これを次代の経世観として「君臣トハ市道ナリ」と例示 した青陵については,有坂,(1973),702-703ページ;海保,(1813),245-248ページを参照.

22 )「天下ノ平糴」を「常平倉」制度に組み込んでメカニズム化し,この仕組のために紙券信用の形 で発行される「常平切手」には「相応ノ利息」が支払われるのは公正である.このような前進には「国 益ノ内ヨリ優ニ給シテ余リ有」るという意識を研鑽でき,波及できる拠点が必要である.竹山か らすれば,そのような要件には大坂がふさわしいということになる(中井,1789,411ページ).

(19)

を適切に位置づけるために,竹山はこの点を力説して次のように云う.「利ヲ 以別トセズシテ,上下トモ利スル事成ベケレバ,是即義ヲ以利スル也」(中井,

1789,411ページ)と.

 本来,「義利」とは,孟子の思想に淵源をもち,『大学』の中の「国不以利為利,

以義為利也」23),つまり利の行動基準の前提には,「無羞悪之心,非人也」,「天下」

社会が是認できる人としての善悪の基準が介在することが必要となる.たと えば,「終去仁義,懐利以相接」,人としての義よりも皆「利」を優先させる 利益本意の姿勢で行動すればどうなるのであろうか(孟子,c.BC.6,上,139ペー ジ;下,281ページ),『大学』が懸念するように,「国」と「利」とはディレン マを抱え込むことになる.

 これまでの春台の「常平倉ノ法」に対する考え方は,「古今ノ世」にしたがっ て「利」の調整も,「天下」の利益も,その都度, 取引的 なフレームを導 入していた.そうなれば普遍的に是認できる人としての善悪の基準というよ りは,個々の状況と前提となっている「四民ノ利」的構造に応じてその度ご とに特定の戦略的基準を計算して対便益を考えることになっていた.

 普遍的な「義」ではなく,特定の戦略的「義」ということになれば,「国益」

の中に組み込んで安定的な経済発展のパターンを自律化させる上で,この「義」

は,「利」を安定的に支える基礎とはならない.言い換えれば,竹山による「常 平倉」制度とは,天下の「利」がもっとも集積し,普及している「時処」で『大 学』において露呈しているディレンマを「国体」とその内部で適切に運用さ れる「利」を円滑ならしめるフレームであった.そしてこれを一つの自律し たメカニズムとして組み込むために,彼は,「常平倉」にかかわるさまざまな 仕組とこれを規範的に支えるモラル,そうした社会の動向と整合的な判断基 準の根拠を 義 ととらえた.竹山にとって,「国益」を支えるコアとして の「義」の研鑽と普及,そしてそうした長期安定的なトレンドの中で個々の「利」

もまたこれとパラレルに成長できるとした.

23 )作者不詳,(c.B.C.136),77ページ. 国は利を以て利と為さず,義を以て利と為す也 .

(20)

 竹山の「常平倉」のように「国体」を扶翼させて制度の安定性を論じるよ うな場合24),どのように「私利」と「公利」とを「天下公共」の利益という 一つのメカニズムの中に包含させる仕組を具体的に組み込んでいくか,公正 な社会を意識させるように「公共」利益を内在化させる仕組が必要であった.

 たとえば,これまで春台が設定した「常平倉ノ法」における「私利」と「公利」

の二律背反について,「後王」による制度への介入があれば,「功利」的な 民 利 の基礎にある「情」を制御できるという「経済」思想は,制度の長期的 な自律化という点では安定的とはいえず,むしろ逐次的な便益効果に対して はコスト逓増の可能性すらある.これに対して,「義」から見て普遍化できる

「利」とは,「修己」から「天下」を概観する伝統思想を共有知識モラルによ る制度の安定化につなげ,それによってフレーム・コスト逓減しうる「経済」

システムの可能性を認めようとした.

 たしかに竹山の「義をもって利とする」思想は,父・甃庵25)以来の「わざ にして,これをするもの,をのづからの利」(甃庵,1728,83ページ)に対して は正当な行為として当然受け取るべきだという考えを受け継ぎ,あるいは「士 農工商は天下の治まる相となる.……商工は市井の臣なり.……商人の売買 するは天下の相なり」(石田,1739,61ページ)とした心学に見られるように,

分に応じた特化と分業観を基礎に「利」の社会的意義を説いた点では,共通 項があるように見えるかもしれない.しかし,「利」が経済社会の直面する

「正義」から導かれた「公共」のメカニズムの中で分析の対象になりうる点で は,正当な行為に対する給付としての「利」にとどまり,これ以上の分析を 加えなかった.それは,甃庵の段階の「利」観でもなく,あるいはまた石田 梅岩のように,「本心を知れ」という言葉で表現されて,善が「心を磨く」努

24 )かつて藤井定義氏は,竹山の「常平倉」論は「米価が平準になるのみならず,利の分配という 二次的影響の生じる」こと,利の追求には「節度が必要」なことを強調された(藤井,1976,49ペー ジ;1981,15ページ).

25 )中井甃庵(16931758)は,父・玄端にしたがい,播州龍野から,大坂に移り,懐徳堂の創設者・

三宅石庵の下で学び,懐徳堂初代「預人」(学校経営責任者)2代目「学主」(学長)として活躍した.

著書には,『とはずかたり』『五孝子伝』などがある.

(21)

力の中で「利」の「分」を実践できるとしていたこととは異なっていた(石川,

1993,191ページ;宮川,2002,118-123ページ参照).

 竹山にとって,「義利」とは,天下の「利」がもっとも集積し,その下でこ のコアとなるべき「義」の普及によって,「国体」の枠組は安定化するのであ り,これを意識として活性化できるのは大坂である.そしてこのような役割を 推進できる「教育」機関は,懐徳堂においてほかないということになろう26). そして「義利」とは,『大学』における「国不以利為利,以義為利也」を,「常 平倉」を社会意識と制度フレームの結節点とすることで,『大学』冒頭の「明徳」,

「親民」,「修己」そして「天下平」(作者不詳,c.B.C.136,31,34ページ)の一連 の意義を内実化するリンクであったといえよう27)

4 『社倉私議』と「社倉」論

 貨幣経済の浸透をすでに制度化の枠組の意識として問題にしていた竹山に とって,大坂という「時処」から派生される「天下ノ平糴」のみに問題を限 定することは,「国体」と「安寧」にとって好ましいわけではない.むしろ「天 下ノ平糴」が円滑にその役割を果たすことができるためには,それを相互に 補う地域自体の持続安定性を保障する仕組が備わっていなければ,「国体」と

26 )懐徳堂が「天下ノ平糴」の中心である大坂で「庠校」の役割を果たすとすれば,こうした枠組 の中でモラルを体現できる人材の供給にあったであろうし,「国家有用ナル人材」を排出できる のだという教育機関としての自負であろう.竹山は構想の中で,経済の中心で「文化」が発展す るとすれば,そうした社会的ニーズに合致するのは「西」での「学校設置」である.モラルと制 度枠組を理解した「学校」出身者によって人材の登用がなされるべきであって,そうしたケイパ ビリティの有無を問題にしない伝統的支配階級によってその職が独占されるべきではないとした

(Najita, 1987,p.179,訳,288ページ).

27 )竹山の「義利」観は,帳簿上だけで取引を行って,米価の将来価額(「帳合米取引」)と現在価 額(「正米取引」)との間で「買持」「糴資」の均等化による価額極大化を図るリスクヘッジ機能を 制度フレームとして位置づけることができなかった.つまり,実物と流動性から「帳合」が時間 価値による均等化作用によって,米価と物価の形成に重要な役割を果たしている認識よりも,「帳 合」の投機的性格の巨大化が「義利」に制約を加えることに竹山は懸念を示したのである(中井,

1789,411,452ページ).その意味で,市場経済の認識という点では,弟子の蟠桃の方が的確で

ある.しかしその後の大坂の市場経済の中心的機能低下とともに,竹山が心配したように,「帳合 米取引」と「正米取引」との遊離によって,「帳合」取引は投機取引,賭博取引化によって危険回 避できる機能を収縮させていった.「帳合」取引については,宮本,1975;1979を参照.

(22)

「安寧」の循環的な発展は望めない.

 竹山の力説していた「社倉」論とは,徳の拡大,「義利」の論理を共有しつ つ,「天下ノ平糴」を十分に行き渡らせることができない「遠方ノ」地域社会 の安全保障とはいかなるものかを念頭に叙述される「経済」思想でもある.

4. 1 『社倉私議』の性格

 竹山は,『草茅危言』の執筆に先立って,地域の社会を安定化させる基金的 存在を考察していた.『社倉私議』(以下では『私議』と略称する)と題する,安 永3年(1774)5月の日付をもつ論考がそれである.

 「社倉」とは,一般に,江戸期において,備荒貯穀のためにおかれた各地で公・

民間で設置された倉庫が文字通りの意味である.南宋期・朱子がその役割を 強調して以来,日本でも朱子学を中心に,都鄙を問わず,地域の民政を基綱 づける安定化策として着目されてきた.とりわけこれが注目されるようになっ たのは,寛政の改革前後であるといわれているので,その意味でも,寛政の 改革期以前にこのような社倉の役割について詳説した『私議』は傾聴に値する.

 「民是邦の本,本固ければ,邦寧と申す」(中井,1774,491ページ)の言葉か ら始まる『私議』「民是邦本,本固邦寧」28)の一節は,「国体」を支えるため には「民惟邦本.本固邦寧」, 民こそが国の本であり,彼らの 本業 の 安定が期待できれば国は安定する 仕組を考察している.つまり,安全保障 面で脆弱な「本業薄き者」とこれを吸収できない「国用乏敷」(財政困難)との「上 下」のままでは,視野の萎縮と相互の不信を招き,徳と「義利」に裏付けら れた本来備えておくべき地域の円滑な役割を果たすことができない.

 しかし,「百姓」が安全保障面で脆弱で「本業薄き者」になっているため視 野が効かず,リスク処理能力において劣弱な状況で「天下ノ平糴」機能が連

28 『書経』「五子之歌」からの引用で,原義は,夏の王が国政を鑑みないことを恨んだ五人の弟たちが,

禹の訓戒を偲んで 民と親しくしなければならない.民こそが国の本であり,それが基本にあれ ば国は安定する と歌ったことに由来する(小野沢,下,1985, 381-382ページ).『書経』は,宋代 までは『書』『尚書』と称し,中国最古の史書として,堯・舜・禹・夏・殷・周から秦の穆公に至る王・

臣の言行を記録したとされる.しかし,その内容の詳細といい,これが発見に至るまでの経緯といい,

今日では戦国末期から前漢までの内容が混入し,しかも当時の「経済」観を前提とし,すでに中央 集権化が進んだ後の前漢末の思想が混在していると推定できる(小野沢,上,1985,「解題」).

(23)

鎖的に地域社会に加わると,「百姓」は,「常年は兎や角と相凌ぎ候得ども,

若凶年と申さば,貢税滞る而已ならず,身上も立ち難く相成」から,限定合 理性を基礎にしたこれまでの慣習的枠組での自己調整が不可能な状況に追い 込まれてしまうというのである(中井,1774,491ページ).さらに「国用乏敷」(財 政困難)状況から,救済をすることができないから,支出超過→家財売却・質物・

高利借財→・・・・・→離散・隣領からの買収→他領の富民の土地兼併は「地頭違 ひ候得ば争ひできやすく」,自領のように最終的な調停が難しいので,「百姓」

の「本業」は累積的に悪化し,「本業」縮小がさらに深まっていくことになる.

 そうなると「百姓」の崩壊は「千丈の堤を崩す大河となる如く始めは末々 の細民五人七人の身の上の事も,積もり積もりては一国の禍を引き起こし」,

領国の経済システムを危機に陥れるメカニズムとなる.竹山は,「天下ノ平糴」

機能が遂行される上で,そうした地域の安全保障にもかかわる限定合理性の 緩和と慣習的枠組の安定フレームを「国の根本」に組み込んでおかないと,

すなわち「全体の大道に本づき,時勢を斟酌」できるシステムを築いておか ないと,「徳」と「義利」に裏付けられた「天下ノ平糴」が「時処」に対して 円滑な役割を果たすことができない.「百姓」の「本業」が脆弱化することは 地域の安定性自体に対する萎縮・不信を招き,本来これを補完するはずの「天 下ノ平糴」への期待と成長を失わせてしまう.しかし「本業薄き者」と「国 用乏敷」(財政困難)との「上下」の地域構造のままでは,「天下一様に国の元 よく堅まり,上下共に一体は静謐安穏なる儀」を期待できる「永久」のシス テムなどできはしない.

 ここに『私議』で提案された「社倉」とは,「全体の大道に本づき,時勢を 斟酌して」モラルと地域リスクを吸収できるシステムとして,また朱子の思 想を政策化できる「上下共永久の大益には成候」ような「公共」の仕組(「右 朱子社倉の儀を和解」)として考えるべきものであろう29)

29 )竹山は,春台のように制度に隙間ができたら個々のインセンティブ構造に介入して,ペナルティ として制度化すれば,隙間破りや非対称性に対してその都度,規制が及ぶことになって,情報の 良否や非対称性の是非の判断をしないといけないから,コスト便益計算的に膨大になってしまう と考えているように思われる.これに対して,朱子の場合,モラルと公共性の形成の観点から,

動態的に規制に伴う情報費用やインセンティブに対応するから,その分,静態的に制度の非対称 性に対応するのとは異なり,弾力的にさまざまなハザードに対処できるため,制度化に伴う投下 資本に対してコスト便益的で,「上下共永久の大益には成候」という「和解」を生むといえる.

参照

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