商品としての土産物
著者 石川 健次郎
雑誌名 同志社商学
巻 57
号 6
ページ 201‑206
発行年 2006‑03‑15
権利 同志社大学商学会
ドウシシャ ダイガク ショウガッカイ
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007347
商品としての土産物
石 川 健 次 郎
はじめに 蠢 土産物の語源 蠡 土産物の市場
おわりに──交通・村おこし・土産物──
は じ め に
わが国で特産物が生まれ,それが名産品として評判を得,やがて土産物として商品化 されたのは,いつ頃のことで,背景にどのような事情があったのであろうか。本論で は,土産物の意味と現状について概観し,今後の「土産物に関する商品史的研
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究」の手 がかりとする。
まず児玉幸多の言説を参考にしながら,名産品,特産品の歴史とその意義について見 てみよう。『賦役令』『風土記』『正税帳』『延喜式』『和名抄』また平城宮趾などから発 掘された木簡などから,わが国に古くから地方の特産物があったことが知られている。
また『今昔物語』,『庭訓往来』や『節用集』には,地名入りの特産物があげられてい る。近世には,経済の発展,庶民の旅行などの普及によって,商品としての名産・特産 物がいちじるしく増大し,織物や陶磁器などの必需品のほかに人形・細工物といった玩 具までが特産物・土産物として各地で生産されるようになった。また藩政改革の過程 で,多くの特産物・土産物が生み出されたこともよく知られている。そのような状況の 下,『和漢三才図会』をはじめ,多くの名所図会・道中記・名産図会などは,宣伝効果 を十分に発揮し,特産物の拡大に拍車をかけた。明治以後,近代化,工業化の進展とと もに,中央と地方,都市と農村(工業地帯と農漁山村地帯)の位置づけが明確になり,
名産・特産物はますます多様化した。しかし,戦後の高度経済成長を経て,新幹線や高 速道路の整備などによって,交通革命ともいわれるほどに移動の時間・距離が短縮さ れ,中央と地方,農村と都市の差が希薄になってきた。それによって名産・特産物をつ ちかってきた風土や基盤が揺らぎ始め,いまやその土地には産出しないものまでも,他 地方から移入し,ときには外国で産出されたものまで,その地の名産・特産物として売
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1 2004年から3年間の計画で,同志社大学人文科学研究所第15期(第2研究)として,同名の研究会
(代表者・石川,参加者32名)が組織されている。
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り出され,土産物として買われて行くのが近来の特徴ともなった。一般的に,近代化・
合理化の結果,いまや伝統的な生産体系や組織などは大きな危機に直面することとなっ た。特に土地柄(地方的特色)を重要な存在基盤とする名産・特産物のありようは大き く変容を迫られている。名産・特産物とはなにかという定義づけ自体,はなはだ困難な 現状になっている。しかし,だからこそ現時点で,日本の伝統文化を洗い直す意味も込 めて,名産・特産物の歴史(商品史)的意味を問い直す必要があ
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る。
土産物の現状については,児玉が指摘するように,最近全国どこに旅しても,まった く同じ商品が,いかにも地元産の特産品・土産物であるかのごとく売られている。たと えば長い干しうどん,乾燥野菜の千切り,たらの芽のおひたし,にんにくの瓶詰め,餅 や漬物,温泉まんじゅうまで,枚挙に暇がな
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い。山奥の地で海の魚,海辺の土地で山 菜,中でも外国産の商品が,いかにも地元産品であるかのような包装で売られている場 面に遭遇する。このような状況は,なぜ,どのようないきさつで生まれたのか,そこに 商品史的な意味はあるのだろうか。他方,純粋な地元特産品を土産
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物にして,地域振興 を図ろうとする動きが活発化している。村おこし策としての新しい土産物の掘り起こし という現象である。このような土産物をとりまく極端に相反する動きは,商品史的に見 て,どのような意味をもつのだろうか。
Ⅰ 土産物の語源
「みやげ」ということばは,応仁
2(1468)年,
『山科家礼記』に「二松方国々みやけ とて,越後布一段長門守殿へ被進候也」とあり,また天文2(1533)年,
『言継鑄記』に「奥より織田兵部丞見やけとて,美濃紙(一束)包丁(一枚)与之」と記されてお
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り,これが文献に見られる比較的古い使用例であろう。
旅先から持ち帰る品物,訪問のときに持参する贈り物をミヤゲといい,日本語として は「土産」の字を当てる。この当て字が使われるようになるのは,室町時代末期からの ことで,ミヤゲを土産(トサン)のことと考えたためであ
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る。これは,わが国特有の事 物や現象を表す適当な漢字がない場合に苦心した「熟字訓」という当て字の方法であ
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2 児玉幸多「歴史のなかの名産の姿」(遠藤元男・児玉幸多・宮本常一編『日本の名産事典』所収,蠶〜
蠧ページ)東洋経済新報社,1977年。
3 大きな加工工場をもつ会社が,1ヵ所でまとめて作り,全国の観光地へ商品名と包装を変えて出荷して いる,いわば給食センターのセントラル・キッチン方式で販売される土産物。磯部晶策監修「おみや げ」『暮しの手帖』2003年,335号,64ページ。
4 新潟高柳では,「高柳純産品」という呼称を開発した。日本観光協会編『月刊観光』2000年11月,No.
410, 21−22ページ。このような土産物の二極分化傾向については,すでに大野和雄「観光土産品をめぐ
る諸問題」(同『観光』1971年4月,No. 36)47ページで指摘されている。
5 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第2版』(第12巻)小 学館,2001年,825ページ。
6 堀井令以知『語源をつきとめる』講談社,1990年,25ページ。
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る。五月雨と書いてサミダレと読んだり,時雨と書いてシグレと読んだりする例がそれ で,紅葉がモミジであり,土産がミヤゲである。なぜこういうことが起こるかと言うと シグレにあたる中国語がないので,意味を考えて,ときどき降る雨だからというわけ で,「時雨」と書いてシグレと読むことにしたのであ
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るという。室町時代末期以前か ら,すでに土産物の贈答という習俗があり,その土地独特の物産を持ち帰り,それを遣 り取りする場合に,土産物の字を当てたと思われる。
みやげの語源については,これまでもさまざまな説が紹介されてきた。まず『言元 梯』に見られる都帰(ミヤケ)で,都へ持ち帰るものという意味,『志不可起』に見ら れる宮笥(ミヤケ)で,神社から授かるハコという意味,そのほか『和語私臆鈔』に見 られる公食(ミヤケ),『紫門和語類集』に見られる生揚(ウミアゲ),『大言海』に見ら れる都笥(ミヤコケ),『三余叢談』に見られる宮倉(ミヤケ),『俚言集覧』に見られる 家笥(ミヤケ)などがあり,『日葡辞書』には「ミアゲ」・「トサン」に同様の語釈がな されてい
8
るという。『広辞苑』(第
5
版)には,見上げの転とある。またみやげの語源 は,ア イ ヌ 語 の ヤ ン ゲ に 由 来 す る と す る 説 も あ る。ヤ ン ゲ・ヤ ン ケ【YANGE・YANKE】は,アイヌ語で「荷揚げする・上がらせる・来させる・行かせる」という意
味があり,それにミ(御:丁寧語)を付したるものというのであ9
る。またアイヌの人び とは,イオマンテ(熊送り)で熊が死んで,この世に帰ってくるとき,「ミアンゲ」を 持ってくると考えたといい,「ミアンゲ」とは文字通り「身をあげる」という意味で,
人間にとって,熊はおいしい肉と立派な毛皮を持って来るお客様であったという説もあ
10
る。しかし,萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』(三省堂,1996年)には,「ミアンゲ」
という語彙はなく,みやげの項目には「ムヤンキ」というアイヌ語が紹介されてい
11
る。
アイヌ語のほか,英語の土産物との異同についてみておこう。日本の土産物に最も近 い英語は,スーベニア(Souven
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ir)であり,それは状況と場所に関する贈り物であり,
喜びと移動の証明であ
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るという。プレゼント(Present)は,神からの贈り物であり,恵 みであるので,英語圏では土産物の意味で絶対につかわない。ギフト(Gift)も利害関
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7 金田一春彦『日本語 新版(下)』岩波書店,1988年,33−34ページ。
8 前田富祺監修『日本語源大辞典』小学館,2005年,1068ページ。日本国語大辞典第二版編集委員会・
小学館国語辞典編集部編,前掲書,825−826ページ。
9 金沢庄三郎「言語に映じたる原人の思想」前田富祺監修,前掲書,1068ページ。日本国語大辞典第二 版編集委員会・小学館国語辞典編集部編,前掲書,826ページ。
10 梅原 猛『森の思想が人類を救う』小学館,1997年,38ページ。
11 萱野 茂『萱野 茂のアイヌ語辞典』三省堂,1996年,618ページ。
12 前田 勇「土産品を考える」日本観光協会編,前掲書No. 410,25−26ページ。ただし,ジョーゼフ・J
・トービン著,武田徹訳『文化加工装置ニッポン』時事通信社,1995年,252−253ページにおいて は,「Souvenirは思い出,場所,出来事,経験など記念の印になる物で,アメリカ人旅行者にとって,
土産物とは普通,自分のために買う物である。一方,「おみやげ」は,明らかに贈答品(Gift)として 買われる。つまり,旅行者がその経験を他の人と分かち合う記念の品という意味があるのだ」という。
13 金 両基『キムチとお新香』中央公論社,1987年,143ページ。
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係上の贈り物であり,損得勘定の上で成り立つものであり,これも土産物の意味では絶 対つかわな
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いという。わが国でも,クリスマスプレゼント,歳末・中元ギフトといい,
クリスマスギフトや歳末・中元プレゼントとはいわない。このほかキープセイク(Keep-
sake)は,人に関する贈り物であり,記念品である。ミメントウ(Memento)は,人と
行事に関する贈り物であり,形見の意味もある。最後に,トリビュート(Tribute)は,貢物,脅迫,尊敬,恋慕など上下・強弱関係を元にした贈り物の意味である。
Ⅱ 土産物の市場と「道の駅」
1965
年ころ以降,国民のレジャー志向の高まりから観光旅行が増大し,それに伴 い,土産品市場が形成され始めた。1994年現在,土産物の市場規模は約2
兆円程度 で,観光客の土産品購入費は,国内総観光旅行費の約2
割を占めた。わが国小売業年間 販売額は,144兆円で,土産品業の比率は1.5% 弱に達し,観光ビジネスのみでなく,
小売業界においても大きな位置を占めている。土産品業者は,ほとんどが小規模企業 で,全国規模業者は
10
社程度であ15
る。なお
2002
年には,観光土産品販売店(専門業)は全国で約
10600
店有余あり,その販売総額は約3170
億円であった。1985年以降,店 舗数,販売額とも伸びてい16
るという。
1990
年以降のモータリゼーションの進展にともない,自動車走行を主体とした人・物・情報の新しい結節点として,「道の駅」が設置され始めた。交通網の変化は,土産 物のあり方,製造,販売にも大きな影響を及ぼし,この「道の駅」が,土産物販売の一 大拠点として登場することになった。まず
1991
年「道の駅」が,山口・岐阜・栃木の3
県に実験的に設置され,その成功をにらんで,1993年「道の駅」の整備についての要 項が決定された。その結果全国で103
カ所の「道の駅」が登録された。機能としては,長距離ドライブの休憩施設の設置,駐車場・トイレの充実,案内人による地域情報の提 供などが期待された。また市町村による活力ある地域づくりと道路を介した地域連携を も見据え,地域振興策の一環としての役割も果たすことになった。自動車道路の重要地 点に位置しているため,当然土産物・特産物の販売拠点として,また食事・温泉・体験 工房・宿泊などが可能となる総合レジャー施設として充実することが望まれた。その結 果,土産物の宣伝・販売を通して,地域情報の発信基地としても重要な機能を果たすよ うになった。この「道の駅」は国土交通省道路局がシンボルマークの商標登録などを管
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14 金,前掲書,143ページ。
15 高橋光幸「飲食業・土産物業」長谷政弘編著『観光ビジネス論』同友館,1999年,第16章所収。同志 社大学人文科学研究所第5研究会琵琶湖合宿:廣田誠報告(2004年4月29日−5月1日)。
16 政所利子「おみやげ 創り手と使い手のコラボレーション」朝日新聞社編『観光学がわかる』2002 年,59ページ。
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理し,市町村が地域振興施設等の計画・構想を打ち出し,道路管理者が休憩施設の計画
・構想を担当するという。両者が「道の駅」に関する協定を結び,計画策定ののち,
「道の駅」として登録することによって,「道の駅」がオープンするという運びとなって いる。なかには道路管理者の推薦にもとづいて,市町村単独で整備する場合もあるとい う。「道の駅」の設置条件として,駐車場とトイレの
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時間無料使用,障害者用も設 置,電話の設置,原則として案内人による情報提供などが課せられる。「道の駅」設置 数 の 推 移 は,1995年 全 国215
カ 所,1996年313
カ 所,1998年470
カ 所,1999年551
カ所,2000年610
カ所,2002年701
カ所,2004年785
カ所が登録され,北海道86,
東北
115,関東 113,北陸 61,中部 95,近畿 90,中国 71,四国 69,九州・沖縄 85
カ 所となってい17
る。そこで販売される土産物は,通常は農産物など地元産と業者物が
50
%づつ,農繁期には
60%:40% になるとい
18
う。
土産物の流通経路は,他地域業者から原料・半製品・完成品を製造業者(地元・他地 域仕入)へ送り,そこから地元・他地域・外国の卸売業者へ配送し,そののち百貨店・
旅館・鉄道・専門店などの小売業者へ販売される。このほか農産加工物など地場産品に ついては道の駅へ直接持込まれるものもある。そしてわれわれ観光客の手に届くという のが通常のルートであ
19
る。
おわりに──交通・村おこし・土産物──
商業のはじまりと同じように,当初神仏詣でなど信仰のために,人びとが移動し始 め,他地方から来た参詣者などから,当地の特産物が名産と評価され,それを商人達が 商い始め,やがて仮店舗が集住し,そこに門前町ができ,のちに常設店舗となり,常時 土産物が販売され始めたと推測される。江戸時代になり,物見遊山など庶民の交通・交 流・移動が盛んになり,土産物が一層多様化したことは,すでに見たとおりである。い つの時代でも,特産物・名産・土産物は,地元の人ではなく,他地域の人びとによって 発見され,創り出される。異文化との交流により,地元民による地域特性の覚醒が見ら れ,地域としての閉鎖性から解放され,その結果地域的土産物(名産・特産品)が誕生 したといえる。土産物は,決して地元で発見され,評価されるものではない。商品とし ての土産物の誕生の前提として,他地域(他文化)との交流,交通の発達,情報の交換 の実態に注目する理由である。
移動手段の王座を占める自動車の隆盛により,交通網が整備され,新しい走行ルート
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17 国 土 交 通 省 道 路 局:道 の 駅 利 用 案 内(http : //www.mlit.go.jp/road−station_need.html)(2005年5月13 日)。
18 道の駅「近江母の郷」北村毅所長聞き取り(2004年5月1日)。 19 京都市観光局ほか編『京みやげ実態調査報告書』1959年。
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が方々に形成されると,旧来の鉄道を中心としたルートとは違う移動が可能となり,そ の結果新しい街道の出現を見,同時に新しい観光地や結節点の出現を呼び起こすことに なった。つまり,徒歩でしか移動できなかった時代には,街道に沿った名所・寺社・宿 場・立場(たてば)などに人・物・情報があつまり,そこが結節点・拠点となって栄え たが,鉄道の全国展開により,拠点としての旧街道の衰退と駅前商店街の発展を見たと 同じように,自動車の隆盛により,新しい走行ルート沿いに出現した「道の駅」が整備 されることによって,結節点が変転し,駅前商店街の衰退と「道の駅」の発展という現 象が見られることになった。また自動車の行動範囲の広さから,拠点そのものも市街地 から郊外へと変化する動きも見られ,このような変化の中で,今後地域性を強調せねば ならない土産物がどのように推移し,変化していくのか追跡することに意味はあろう。
また土産物は,当然地域振興策と深く関わっており,当初水道・電気・ガス・道路な どインフラ整備を地域振興の目標としていた頃は,「ないものねだり」の動きが中心と なったが,それらが充足された後,つぎには「あるものさがし」に重点が移ったといわ れている。つまり,ないものの充足が達成されたあと,次には競争力のある「地域独自 のもの」を探し出すことに,「村おこし」の目標が変わったというのである。そこでま ず注目されるのが,地元特産の土産物であり,その受け皿となるのが「道の駅」という ことになる。 「道の駅」では,常に地場産品と業者産品が土産物として陳列され,販 売されるが,それらをどのように取り扱うかは,大きな課題といえる。また農産加工物 を主体とする地場産品の陳列・販売のためには,それを「道の駅」へ持ち込む地元民に 対し,包装の仕方,値札の付け方,バーコードの添付方法など情報の管理と発信につい て,教育と宣伝を施さねばならない。陸続と設置され続ける「道の駅」にあっては,な んとしても競争力をつけ,当初の目的である地域振興の実を挙げねばならない。その主 要な手がかりとして,わが国に古くからある土産物が,新しい形で関わろうとしてい る。
わが国古来からの習俗である土産物の贈答,移動証明としての土産
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物について商品史 の視点から見直すことによって,日本社会の独自性の一端が明らかにされよう。
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20 旅みやげは,モノだけにかぎらない。体験そのものが,体験談そのものが旅みやげなのである。神崎宣 武『おみやげ』青弓社,1997年,217ページ。みやげ話,民謡など,いわゆる「荷物にならない」土産 物があり,その意味で最近多くの「道の駅」に設置されている体験コーナーでのイベントも土産物の一 種といえる。
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