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大覚寺大沢池(旧嵯峨院)の調査

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Academic year: 2021

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大覚寺大沢池(旧嵯峨院)の調査 ( 3 )

建造物研究室・平城宮跡発掘調査部 1984年の調査で、は名古曽illii湖、から大沢池に連続する遣水の北1/3を検出し, 1985年には嵯峨美 術短大グランドの中央からi

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illlJのー術を訓査してきたが,明確な遣水痕跡を検出できなかった。

従って本年度は1984年の調査区に一部重被して泣水の南への流水方向を追い,同時にグランド の東半剖l にも調査区を延長して調査を実施した。 調査期間は1986年 7 月 14 日~8月 21 日で,調 査面積は約360口"である。

平安時代初頭に名古曽 ìn~ から南流する逝水は途中に池状の i留り (SG32)を形成し,再び南へ 流れていたものと思われるが,その後この池の東西両岸を埋め,幅約2.5mの遊水 (SD35.45)  に改修している。改修後の造水は両岸が礁で護岸され,一部長石で修設される。とりわけ東岸 には流れを思わせる石組施設 (SX48)があり, 1984年検出の東西築地北側協 (SD28)の延長線 上に位置する。その後設岸や石組施設は再び周囲の盛土造成に伴って埋められ,両岸は新たに 際や景石によって護岸修最される。1984年に検出した石組暗渠(SD36)は,これらの対石群の隙 rslから導水するための施設であることが判明した。以上の 31時期に分けられる逃構は.いずれも遅く とも15‑16世紀には埋められている。

グランド東半部の剖査区では,蛇行する何約5‑7 m, i奈さ約O.8mの桃 (SD43)を検11',し,埋土 から平安時代の緑樹l土師昔話や│法Ul*fが出土した。岸の勾配は緩やかだが,州浜状の護岸施設もなく遊水 としての体裁は終えていない。しかし,込i‑:水が蛇行しているのだとすれば流水方向は妥当であり,両 者の連続状況が判明する事を今後の調査にJYl待したい。 (回中哲雄・本中 真)

86‑3捌査区全長(南から) 発掘遺構図(図中の調査区番号は年度を冠す)

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