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1893年 イン ド棉 輸 送 契 約 の成 立 前 史

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(1)

1893年 イン ド棉 輸 送 契 約 の成 立 前 史

タタ家 との共 同運 航 にいたる経 緯 について 一

後 藤 伸

1は じめ に

日本 郵 船 会 社(1893年12月 、 日本 郵 船 株 式 会 社 に改 組 。 以 下 、 日本 郵 船 また は単 に郵 船 と略 称 す る)が1893(明 治26)年11月 に開 設 した 日本/ボ ンペ イ 航 路 は、 同社 初 の とい う こ とは 日本 最 初 の 遠 洋 航 路 とい わ れ て い る。 この航 路 の 開 設 に さ きだ っ て 、 綿 紡 績 業 者 の 団体 で あ る大 日本 綿 糸 紡 績 同 業 聯 合 会(以 下 、 紡 績 聯 合 会 また は単 に聯 合 会 と略 称 す る)'と の 間 で イ ン ド棉 運 送 に 関 す る契 約 が 結 ば れ 、 郵 船 は聯 合 会 が 積 荷 保 証 す る イ ン ド棉 を約 定 運 賃 で運 搬 す る こ とに な っ た 。 郵 船 は積 荷 保 証 を えて 同社 初 の遠 洋 航 路 の 開 設 に成 功 し、 他 方 、 聯 合 会 に結 集 した 綿 紡 績 業 者 はイ ン ド棉 調 達 にっ い て低 廉 か っ安 定 的 な運 送 手 段 を え る こ とで 、 そ の 国 際 競 争 力 の確 立 に む け 運 輸 サ ー ビス面 か らの 支 援 を受 け る こ とに な っ た。

ボ ンベ イ航 路 開 設 にお け る郵 船 と聯 合 会 との相 互 の 助 け合 い は 、 当 時 の 日 本 の工 業 化 の過 程 の なか で さ ま ざ まな 業 種 や 企 業 の 間 に み られ た相 互 支 持 関

1紡 績 聯 合 会 は、1882(明 治15)年10月 に 「紡 績 聯 合 会 」 と し て 創 設 さ れ 、1888年 に 「大 日 本 棉 糸 紡 績 同 業 聯 合 会 」に 改 組 ・改 称 さ れ 、さ ら に1902年10月 に 「大 日本 紡 績 聯 合 会 」へ と改 称 し た 。 大 日本 紡 績 聯 合 会[c.1903コ:1‑2ペ ー ジ 。

1893年 イ ン ド棉 輸 送 契 約 の成 立 前 史53

(2)

係 「組織 化 され た企 業 者 活動 」 の一 例 と して も位 置 づ け られ て い る。2た だ し、 この相 互 支 持 関係 は、 ボ ンベ イ 航 路 開設 に 関 す るか ぎ り、 日本 国 内 の 関 係 者 の 間 だ けで 見 られ た もの で は な く、 海 外 の 関 係 者 を ふ くむ 形 で 展 開 さ れ た こ とに特 色 が あ る。 す な わ ち、 イ ン ドの綿 業 者 タ タ家 が ボ ン ベ イ航 路 に お い て 日本 郵 船 と共 同 して 配 船 を お こな っ た の で あ る。 この共 同 配 船 は ボ ン ベ イ 航 路 に お い て ヨ ー ロ ッパ の 先 発 企 業3社 が 結 成 す る海 運 同盟 定 期 船 業 に お け る カ ル テ ル 組 織 と競 争 す るか た ち で お こな わ れ た が 、1895 年2月 、航 路 損 失 の 重 荷 か らタ タ が共 同運 航 契 約 を解 除 す る こ とで 終 結 した 。 そ の後 は 日本 郵 船 に よ る単 独 配 船 とな り、1896(明 治29)年 、 郵 船 の 同 盟 加 入 に よ って ヨー ロ ッパ 先 発 企 業 との競 争 は終 息 した。3

この途 中 脱 落 の た め か 、従 来 の研 究 で は ポ ンペ イ 航 路 開 設 に 関 す る タ タ家 の 関 与 が い まひ とつ 明確 に位 置 づ け られ て い な い よ う に思 わ れ る。 タ タ家 は イ ン ドで 綿 業 を営 み、極 東 を含 む海 外 に も製 品 を 出荷 して い た。そ の た め ヨー ロ ッパ の 同盟 船 社 に対 して は荷 主 の立 場 に たっ 。 そ れ が なぜ 、 い きな り海 上 運 送 の事 業 に乗 り出 した ので あ ろ うか 。 一 説 に は、 同盟 運 賃 が 高 か っ た た め とい わ れ るが 、 運 賃 の 引 下 げ交 渉 とい う荷 主 と して 当然 とるべ き手 続 き を経 る こ とな く、 なぜ 日本 郵 船 との共 同配 船 へ と突 き進 ん だ の で あ ろ うか 。 また そ もそ も、航 路 開 設 や 共 同配 船 の 方 針 を最初 に 打 ち 出 した の は誰 れ な の で あ ろ うか 。

本 稿 は 、 以 上 の よ うな 問題 関心 か ら、 ボ ンベ イ航 路 開設 の決 定 に い た る タ タ家 の 関与 を ま とめ た もの で あ る。 タ タ家側 の 内部 資 料 は未 見 の た め 、 既 存 の公 刊 文 献 か らの ま とめ に す ぎ な い。 しか し、 タ タ側 に焦 点 を あて て ボ ンベ イ航 路 開 設 に い た る経 緯 を ま とめ る こ とで 、 み え て くる もの が あ る。 そ れ に つ い て は本 稿 の最 後 で 述 べ る こ とに した い 。 以 下 、2で はイ ン ド棉 の調 達 に

2た と え ば

、 中 川[1967]、 田 付[1995]。

3ボ ン ベ イ 航 路 開 設 な ら び に そ の 後 の 経 緯 に つ い て 触 れ た 文 献 は 多 々 あ る が

、 年 代 的 に 古 い 文 献 と し て 庄 司[1901]お よ び 『綿 業 時 報 』に 掲 載 の 「孟 買 線 開 始 前 後 の 経 緯 」(1)〜(lI)を あ げ て お く。

(3)

い た る経 緯 を簡 単 に た ど り、3で は航 路 開 設 の き っ か け とな る タ タ家2人 の来 日 と渋 沢 栄0と の会 談 内 容 を紹 介 す る。 そ して 、4で は タ タの 関 与 にっ い て ま とめ る。

2イ ン ド棉の調 達経緯

1870年 代 末 か ら80年 代 に か け て 明 治 政 府 に よ る紡 績 機 械 の輸 入 と民 間 へ の 払 い下 げ を通 して 、日本 で も よ うや く綿 糸 紡 績 業 が 始 動 した(第1表 参 照)。

当 時 導 入 され た 紡 績 機 の 紡 錘 数 は2千 で あ り、 こ の紡 錘 機1基 を も っ て 一 工 場 とす る小 規 模 な操 業 で あ っ た 。 そ の 中 に あ っ て、1883(明 治16)年 に 開 業 した大 阪 紡 績 は、 政 府 保 護 を受 けな い純 然 た る民 間 資 本 に よ る起 業 で あ り、 しか も1万500錘 とい う当 時 と して は突 出 した 操 業 規 模 を もっ て 出 発 した 。 同社 の 経 営 的 成 功 は、 そ の後 の紡 績 企 業 の あ い つ ぐ設 立 と、 また 操 業 規 模 の拡 大 を もた ら した。4

この よ うな綿 糸 機 械 紡 績 の本 格 的 な稼 動 と とも に、 そ の 原 料 た る棉 花 の 調 達 が 問 題 とな っ た 。 明 治 政 府 の紡 績 業 育 成 は綿 糸 の 輸 入 防 遇 を 目的 とす る と

と もに、 国 内棉 作 の 奨 励 もか ね て いた 。 しか し、 国 内棉 花 は短 繊 維 で 機 械 紡 績 用 原 棉 と して は も とも と不 向 きで あ り、 ま た細 番 手 の 綿 糸 の紡 出 は で き な か った 。5その た め 紡 績 工 場 の本 格 的 な稼 動 と と もに、 紡 績 用 原 棉 と して の 国 内棉 花 の供 給 は は や くも限界 に突 き当 た り、 そ の供 給 を海 外 に仰 ぐ こ とに な

4明 治10年 代 に は 農 村 に 立 地 す る2千 か ら4千 錘 規 模 の 紡 績 企 業 が 主 力 で あ っ た が

、20年 代 に は い っ て1万 錘 以 上 の 規 模 の 紡 績 企 業 が 都 市 部 に 設 立 さ れ て い っ た 。 東 洋 紡[1986]:56ペ ー ジ 。 5短 繊 維 棉 は 繊 維 長 が 平 均21ミ リ メ ー トル 以 下 の 棉 を 指 す

。 多 くは 布 団 や ク ッ シ ョ ン の 中 身 と し て ワ タ 状 態 で 使 用 さ れ 、 糸 を 紡 出 し て も 太 糸(番 手 と し て は22・23番 手 以 下)に 限 定 さ れ る 。 ち な み に 、1884年 、 大 阪 紡 績 が 共 進 会 用 に 、 国 内 棉 花 の な か で も 最 良 と さ れ る 摂 津 の 坂 上(さ か じ ょ う)棉 を も ち い て17番 手 を 紡 出 し た 。 絹 川[1937]:405‑406ペ ー ジ 。 ま た 、1885年 下 野 紡 績 は 下 館 棉 を つ か っ て18番 お よ び20番 を 紡 出 し た 。 絹 川[1938]=163ペ ー ジ 。 最 高 品 質 の 国 内 棉 花 を つ か っ て も 、20番 手 以 上 を 紡 出 す る こ と は で き な か っ た と い え る 。 な お 、 一 般 に 棉 花 の 品 位 は 、 繊 維 の 長 短 、 細 太 、 弾 力 、 撚 度 、 色 合 な ど に よ っ て 決 ま る 。 庄 司[1900]:24

‑25ペ ー ジ

1893年 イ ン ド棉 輸 送 契 約 の成 立 前 史55

(4)

第1表 政 府 奨 励 打 ち切 り[・ …・年]当 時 の 機 械 紡 績 業(開 業 年 次 順)

名 称 保護の有無 錘 数 開業年 所在地

1鹿 見 嶋 紡績 所*

2堺 紡績 所 3鹿 嶋紡 績 所**

4姫 路 紡績 所 5渋 谷 紡績 所 6愛 知 紡績 所 7岡 山紡績 会 社 8桑 原 紡績 所 9広 島紡績 所 10下 村紡 績 会 社 11玉 嶋 紡績 会 社 12三 重 紡績 所 13市 川 紡績 所 14広 島綿 糸 15大 阪紡績***

16豊 井 紡績 所 17長 崎紡 績 所 18宮 城紡 績 所 19島 田紡績 所 20遠 州 紡績 所 21名 古屋 紡 績 所 22下 野 紡績 所

護払護払払立立立立立立保替立下下下下保立下下替下下替下藩藩私県私官藩立官払払払払県私払払立払払立払

6 0 0 0 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 2 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 4 0 7 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 5 2 2 2 2 2 2 2 2 4 2 2 3 1 2 2 2 2 2 4 2 3

1867(慶 応3)年 1870(明 治3)年 1872(明 治5)年 1880(明 治13)年 1880(明 治13)年 1881(明 治14)年 1881(明 治14)年 1882(明 治15)年 1882(明 治15)年 1882(明 治15)年 1882(明 治15)年 1882(明 治15)年 1882(明 治15)年 1883(明 治16)年 1883(明 治16)年 1883(明 治16)年 1884(明 治17)年 1884(明 治17)年 1884(明 治17)年 1884(明 治17)年 1885(明 治18)年 1885(明 治18)年

嶋府府県府県県府県県県県県県府県県県県県県県見阪京庫阪知山阪島山山重梨島阪良崎城岡岡知木鹿大東兵大愛岡大広岡岡三山広大奈長宮静静愛栃

80,944

*佐 土 原 藩 紡 機 を 払 い受 けて増 錘

**精 紡 機1台 新 調

***第2工 場 を増 設

これ 以 外 は創 業 以 来 こ1886年 まで に増 錘 は な し

▼ 払 下 年

資 料 絹 川[1938]:413‑414ペ ー ジ

(5)

っ た。 す な わ ち、1884年 、 神 戸 居 留 地 の 中 国 商 人(屋 号 「鼎 泰 號 」)が 中 国 の 実 棉(棉 毛 と種 とが 未 分 離 の収 穫 した ま ま の 棉 花)を 輸 入 した の を機 に、

中 国棉 の使 用 が 本 格 化 した 。6中国 棉 は短 繊 維 で あ り、 品 質 面 で 日本 棉 花 に く らべ て 優 れ て い る とい うわ けで は なか っ た が 、価 格 が安 く、 そ の 輸 入 量 は年 を追 う と ご とに増 大 した(第2表 参 照)。 他 方 、 国 内棉 花 の 産 出 は1887(明 治20)年 に実 棉2230万 余 貫 の ピー一ク を記 録 して 、 そ の 後 減 少 に 向 か った 。7

国 内棉 花 へ の依 存 度 の減 少 、 海 外 棉 花 へ の シ フ トを決 定 的 と した の は、 中国 棉 花 につ づ い た イ ン ド棉 花 の輸 入 で あ っ た 。

第2表 輸 入 棉 と内 国 棉 の 内 訳1878‑1887年(斤)

1878(明 治11)年 1879(明 治12)年 1880(明 治13)年 1881(明 治14)年 1882(明 治15)年 1883(明 治16)年 1884(明 治17)年 1885(明 治18)年 1886(明 治19)年 1887(明 治20)年

2,102,122 808,035 1,46!,156 1,658,481 3,309,796 2,106,261 4,542,522 6,145,799 5,307,SI5 7,264,652

29,739,637 43,638,719 29,671,342 30,169,721 28,790,713 34,877,667 32,373,423

31,841,759 44,446,754 31,132,498 31,828,202 32,100,509 36,983,928 36,915,945

原 資 料:農 商務 省 『紡 績 業 沿 革 紀 事 』 資 料 絹 川[1938]:160ペ ー ジ

6絹 川[1937]:134ペ ー ジ。 中 国 棉 そ の も の の 日本 へ の 輸 入 は こ れ よ り早 く、 慶 応2年6月 、 長 崎 の 薬 種 商 が180斤 入 り大 袋150俵 を 大 阪 に 持 ち 込 ん だ の が 最 初 と い わ れ て い る。 し か し、 そ の 後 の 輸 入 高 は 微 々 た る も の に す ぎ な か っ た 。 庄 司[1901]5‑6ペ ー ジ 。

7絹 川[1937ユ:136ペ ー ジ

1893年 インド棉 輸送 契 約 の成 立前 史57

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周 知 の よ うに、 イ ン ド棉 花 の初 輸 入 は、1889(明 治22)年 、 イ ン ドの棉 作 と綿 業 を調 査 す るた め に官 民 か ら組 まれ た視 察 団 を介 して な され た 。 この 一 行 は 、 農 商 務 書 記 官(視 察 の 際 に は外 務 書 記 官 に転 属)佐 野 常 樹 、 大 阪 紡 績 会 社 商務 副 支 配 人 川 邨 利 兵 衛 、 そ の 随 員 玉 木 永 久 、 三 重 紡 績 杉 村 倦 之 助 の計 4名 か らな る。8一行 は89年7月 に 日本 を 出 立 し、 上 海 、 香 港 を経 由 して コ ロ ンボ 、 マ ドラス 、 ボ ンベ イ 、 カ ル カ ッ タ を歴 訪 し、 各 地 の 綿 業 の 実 情 調 査 に あ た っ た。9その イ ン ドへ 向 か う途 中 の香 港 で 、 現 地 に て 日森 洋 行 とい う貿 易 商 を営 んで いた 大 阪 出身 の 日下 部 平 次 郎 宅 に宿 泊 し、 か れ を介 して ボ ンベ イ に本 拠 を お く貿 易 商 社 で香 港 に も支 店 を 出 して い た タ タ商 会 へ の 紹 介 を え た 。 ボ ンベ イ で は タ タ商 会 の 便 宜 に よ り現 地 調 査 が はか どっ た とい う。10

イ ン ド棉 業 調 査 の最 中、 川 邨 に対 して 大 阪紡 績本 社 か らイ ン ド棉 購 入 の指 示 が 架 電 に よ りな され た 。 川 邨 は タ タ商 会 の伝 手 を とお して数 種 類 の イ ン ド 棉 花40・50俵 を購 入 の うえ、 随 員 の 玉 木 を 随 行 させ て 日本 に この イ ン ド棉

花 を 回漕 させ た 。89年12月 の こ とで あ る。"こ れ が 日本 に お け るイ ン ド棉 輸 入 の嗜 矢 とな った 。 この イ ン ド棉 は 多 くの塵 や ほ こ りが 混 じ って 外 見 は劣 悪 で あ っ た が 、12除塵 して 使 用 す る と、 糸 切 れ が 少 な く、 毛 筋 が 細 くて 粘 力 が

8こ の 視 察 団 の 派 遣 経 費 は、 ほ と ん ど す べ て を 紡 績 聯 合 会 の メ ン バ ー が 負 担 し た 。 ち な み に 、 「 度 棉 業 取 調 派 出 員 費 用 清 算 書 」 に よ れ ば 、 費 用 の 内 訳 は っ ぎ の と お り とな っ て い た 。

外 務 省 ヨ リ 請 求 セ ラ レ タ ル 費 用 」1

,957円44銭5厘

印 度 内 地 綿 業 視 察 別 途 費 」558円98銭

進 物 井 二 交 際 費 」656円86銭1厘

聯 合 会 書i籍代 」51円79銭4厘

玉 木 永 久 氏 佐 野 氏 随 行 旅 費 」84円77銭4厘

大 阪 紡 績 会 社 立 替 金 利 子 」109円34銭8厘

佐 野 川 村 二 氏 へ 進 物 代 」61円17銭

計3,580円37銭2厘

こ の 経 費 合 計3,580円 余 は 、 聯 合 会 の 加 盟 会 社35社 が そ の 紡 錘 数 に 応 じ た 分 担 金 を 負 担 す る こ とで 賄 わ れ た 。 『聯 合 紡 績 月 報 』 第14号(1890年6月)。 ま さ に 「此 視 察 た る や 聯 合 会 よ り派 遣 し た る も の に して 巳 人 の 私 旅 に あ ら ず … ・」(大 日 本 紡 績 聯 合 会[c.1903]:38ペ ー ジ)と い う わ け で あ る 。

9大 谷[1926]:13ペ ー ジ lo大 谷[1926]:63 ‑64ペ ー ジ Il玉 木 永 久 氏 談 話(昭 和14年3月4日)

。 龍 門 社[1956]:260‑261ペ ー ジ 。 12イ ン ド棉 の 外 観 に つ い て は つ ぎ の よ う に い わ れ て い る

。 「往 々 葉 、 核 、 及 塵 芥 土 砂 ヲ 混 シ 時 ト シ テ 其 量 五 分 二 達 ス ル コ ト ァ リ 」。 庄 司[1901]:25ペ ー ジ 。

(7)

強 い とい う良 質 の棉 で あ る こ とが わ か っ た 。'3イン ド棉 を使 用 した20番 手 の 紡 出 は、 三 重 紡 績 で は1890年 初 頭 に、 ま た 大 阪 紡 績 で も翌91年 に、 そ れ ぞ れ お こな っ て い る。'4イン ド棉 は お も に太 糸 用 の もの で あ っ た が 、 ア メ リ カ 産 な い しエ ジ プ ト産 の棉 花 と混 和 す る と、40番 手 な い しそ れ 以 上 の 綿 糸 を紡 出 す る こ とが で きた 。'5参考 の た め、 イ ン ド棉 の 品 位 を 一 覧 した も の を 第3表 と して 掲 げて お く。

第3表 イ ン ド棉 の 品位

棉種 繊 維 の長 さ(インチ) 直 径 平 均(インチ) 紡出綿糸

番手 性質 輸出港

ヒンガ ンガ ット 1〜1・1/8 1/1200 36手 まで 繊 緯 強 ク少 シク暗 色 ヲ帯 ブ 撚 度

ハ 米 棉 二 比 シ甚 タ少 ナ シ」 ボ ンベ イ ブ ロー チ 3/4^‑7/8 1/1200 28手 まで 繊 緯 梢 々 強 ク黄褐 色 ナ リ撚 度 一

様 ナラス」 ボ ンベ イ

チ ンネ ベ リー 3/4^‑1 1/12ao 26手 まで 繊 緯 強 ク弾 カ ニ富 ミ其 色 乳 白ナ

リ」 チ ュチ コリン

ダル ワル 5/8^‑7/8 1/1200 20手 まで 繊 緯1強 ク薄 黄 金 色 ナ リ且 ツー

様 ナ ラスシ テ 砕 破 セ シ モ ノア リ」 ボ ンベ イ ウム ラワテ 7/8^‑1 1/1180 20手 まで 繊 緯 強 シ均 一 ナ リ色 梢 白ク然 レ

ドモ塵 芥 多 シ」 ボ ンベ イ

ドレラ 7/8^‑1.1/5 1/1180 20手 まで 繊 緯 梢 強 シ少 シク黒 色 ヲ帯 ブ塵

芥 ヲ混 ス」 ボ ンベ イ

ウエ ス タル ン 1/2^‑5/8 1/1200 20手 まで 強 剛 ニシテ暗 色 ヲ帯 ブ塵 埃 多 ク 不 経 済 的ナ リ」

ボ ン ベ イ ・マ ドラス

コ ム タ 3/4^‑7/8 1/1200 15手 まで 弱 クシ テ 鳶 色 ナ リ塵 芥 ヲ 混 ス」 ボ ンベ イ ベ ン ゴ ー ル 1/2^‑5/S 1/1800 15手 まで 剛 クシテ 強シ 黄 金 色 ヲ帯 ヒ塵 多

シ」

ボ ンベ イ ・カ ル カ ッタ ・カ ラチ シ ン ド 5/8^‑7/8 1/1800 12手 まで 色11」¥白 シ 塵 少 シ 」 カ ラチ ・ボ ン ベ イ

資 料 庄 司[1900]23‑26ペ ー ジ

13大 谷[1926]:7‑18ペ ー ジ 14絹 川[1939]:418ペ ー ジ 15庄 司[1900]:25ペ ー ジ

1893年 インド棉輸 送 契約 の成 立前史59

(8)

イ ン ド棉 の 日本 へ の輸 入 は当初 、 その 導 入 に先 駆 的 で あ っ た 大 阪紡 績 が タ タ商 会 よ り日本 で の 取 次 特 約 を え た た め、 同 紡 績 会 社 を通 して お こ な わ れ た 。'6しか し、1891年2月 、 内外 綿 会 社 が この 業 務 を 引 き継 ぎ、 また そ の後 間 も な く三 井 物 産 と 日本 棉 花 も この 業 務 に参 入 して 、 イ ン ド綿 の 輸 入 は そ の多 くを この 貿 易 商 社3社 に よ っ て 取 り扱 わ れ る こ とに な った 。'7かく して 、 イ ン ド棉 花 の輸 入 は、 第4表 に み る よ うに、1890年 代 に入 っ て 急 速 に増 大

して い った 。 イ ン ド棉 花 に対 す る国 内紡 績 業 の依 存 が 高 ま る につ れ て 問題 と な っ た の が 、 イ ン ド棉 の輸 送 、 具 体 的 に は海 上 運 送 手 段 の 低 廉 な確 保 で あ っ た 。

3イ ン ド棉 の輸送 とタタ家

この 当 時 、 イ ン ド棉 の海 外 輸 出 の約4分 の3は 、 ボ ンベ イ港 か ら積 み 出 さ れ た とい わ れ お り、18ボンベ イ は イ ン ド最 大 の 綿 業 地 帯 で あ る と と も に棉 花 の集 散 地 で もあ っ た 。 イ ン ド棉 花 の 一 部 は ヨー ロ ッパ に 向 か い 、 ま た一 部 は 日本 を含 む極 東 へ と積 み 出 され た 。 そ して この ポ ンペ イ か ら極 東 へ の海 上 運 搬 を担 当 して い た の が 、 いず れ も ヨー ロ ッパ の定 期 船 会 社 、 す な わ ち イ ギ リ ス の ピ ー ・オ ー汽 船 会 社 、 オ ー ス トリア の オ ー ス トリア ・ロ イ ド社 、 それ に イ タ リ ア の イ タ リア 航 運 会 社 の3社 で あ っ た。 これ ら3社 は、 ポ ン ペ イ/

極 東 間 の 航 路 に お い て 、 船 社 間 の カ ル テ ル 組 織 で あ る海 運 同 盟(Shipping Conferenceま た はShippingRing)を 結 成 し、 運 賃 水 準 お よ び配 船 回 数 を 厳 格 に統 制 した 。 この3社 か らな る海 運 同 盟 は、 後 の 世 代 か らみ る と 「印 棉 の孟 買 日本 間 運 賃 を極 度 の 高 率 に引 上 げ、 薙 に独 占事 業 の 鋭 鋒 を遺 憾 な く

16「 印 度 棉 買 入 方 ノ 義 」 『聯 合 紡 績 月 報 』 第10号(1890年2月) 。 大 阪 紡 績 の 買 次 ぎ 手i数料 は0.5%

で あ っ た 。

17高 村[1971]:191 ‑194ペ ー ジ 18庄 司[ユ900]:28ペ ー ジ

(9)

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1893年 インド棉 輸送 契 約 の成 立 前史 61

(10)

発 揮 し、 これ が傍 若 無 人 的 の横 暴 は 以 っ て棉 花 の供 給 地 並 に需用 消 費 地 に於 け る営 業 者 一般 を も極 度 に苦 しめ、 其 結 果 、 我 国 紡 績 業 の 円 満 な る発 達 を 阻 害 す る こ と想 像 以 上 の もの とな っ て 来 た 」'9と評 され て い る。 同 じ よ う な認 識 は、 ボ ンベ イ 航 路 開設 事 情 を はや くに書 き記 した パ ン フ レ ッ トに も み られ

ピ ヨ オ ロ

る。 す な わ ち、 「彼 阿会 社 ハ 此 間 二 立 チ 専 ラ其 輸 送 ヲ掌i握シ任 意 二 運 賃 ヲ左 右 シ不 当 ノ利 益 ヲ穫i傍ラ彼 我 貿 易 ノ発 達 ヲ阻害 シ タ ル コ ト少 ナ カ ラス 」。20

0説 に よ る と、 当 時 日本 の綿 糸 生 産 コ ス トに 占 め る原 綿 の割 合 は お よ そ4 分 の3以 上 に達 し、2'原綿 調 達 コス トの 低 廉 化 は 日本 の 紡 績 業 者 に とっ て 重 大 な関 心 事 で あ った とい え よ う。 た だ し、 そ の 日本 側 の 関 心 が イ ン ド棉 花 の 運 送 費 に まで 向 け られ て いた か ど うか は疑 問 で あ る。 さ きに 引用 した 『綿 業 時 報 』 の 匿 名 筆 者 に よれ ぼ、 「外 国 汽 船 会 社 の 孟 買 一 日本 間 航 路 独 占 の 束 縛 轟 絆 を脱 し、 我 国 汽 船 会 社 の 手 に よ っ て新 た に 日本 一 孟 買 間 の一 航 路 を確 立 し、(・…)綿 業 を我 が 国 主 要 産 業 の一 た ら しめ な け れ ば な らぬ との 輿 論 が 期 せ ず して 起 こ って 来 た 」22とい う。だ が 、ボ ンベ イ航 路 開 設 の 経 緯 を み る に、

航 路 開 設 は 日本 の紡 績 業 者 の 間 に 「輿 論 が 期 せ ず して 起 こっ て来 た 」 結 果 と い う よ りは、 外 国 の 関 係 者 、 と くに イ ン ド綿 業 の 関 係 者 タ タ の働 きか けが 大

きか っ た と考 え られ る。23

イ ン ドの 貿 易 商 「タ タ」 とい う人 名 は 、1889年 の イ ン ド綿 業 視 察 団 の 現 地 調 査 な らび に イ ン ド棉 初 輸 入 の 際 に便 宜 を は か って くれ た 人 物 と して登 場 した 。 そ の後 、 イ ン ド棉 の本 格 的 な輸 入 に あ た っ て も、 当初 は大 阪 紡 績 との 間 で 、 後 に内 外 綿 会 社 との 問 で 日本 に お け る一・手取 次 ぎ の 契 約 を した こ とで

19anonymous[1933]:81‑82ペ ー ジ 20庄 司[1901]:17ペ ー ジ

21名 和[1937]:263‑264ペ ー ジ

。1890(明 治23)年 ご ろ 、20手 紡 出 に 占 め る原 棉 の 割 合 。 22anonymous[1933]:82ペ ー ジ

23後 に 触 れ る よ う に、 ボ ン ベ イ 航 路 の 運 賃1ト ン17ル ピ ー[イ ン ドの 通 貨 単 位]は1891年9月 設 定 さ れ 、 そ れ 以 降 郵 船 の ボ ン ベ イ 航 路 開 設 ま で 変 化 が な か っ た 。 日本 の 紡 績 業 者 に よ る イ ン ド 棉 の 本 格 的 な 利 用 が1891(明 治24)年 か ら始 ま り、 ま た そ の 後 年 を 追 っ て 拡 大 した と す れ ば 、 運 賃 水 準 は 高 か っ た と し て も 「任 意 二 運 賃 ヲ左 右 シ 不 当 ノ 利 益 ヲ穫 傍 ラ 彼 我 貿 易 ノ 発 達 ヲ 阻 害 シ タ ル コ ト少 ナ カ ラ ス 」 と ま で い え る か ど うか 疑 問 が 残 る 。

(11)

も知 られ て い る。 この 「タ タ」 な る人 名 は、さ らに 日本 とイ ン ド(ボ ン ベ イ) との 問 の海 上輸 送 航 路 の 開 設 に際 して も重 要 な役 割 を果 た す 。 その た め 、 日 本/ボ ンベ イ 間 の航 路 開 設 につ い て これ を提 唱 し、 ま た 日本 の 関係 者 に積極

的 に働 きか けた の は 、 イ ン ドの 「タ タ」 側 で あ っ た と説 く論 者 もい る。 た と え ば 、 日本 の 綿 紡 績 業 の 創 生 期 につ い て 浩 潮 な書 を ま とめ た 絹 川 は、 つ ぎ の

よ う に述 べ て い る。

明 治 廿 四年 印度 の 豪 商 タ ・、 サ ンス 商 会 は神 戸 に支 店 を設 置 し印棉 直輸 入 の 途 を 開 い た 。 当 時 タ ・商 会 の 幹 部 員 ア ー ル 、 デ ー 、 タ ・氏 東 京 に渋 沢 氏 を訪 問 して話 は 印棉 輸 入 に関 す る船 腹 問題 に及 ん だ 。 そ して 日印貿 易 の 発 達 を図 る為 に は、 両 国 中yれ か に船籍 を 有 す る船 舶 を 以 て 航 運 に 従 事 せ しむ る必 要 あ り との 意 見 に双 方 一・致 した。 明 治 廿 六 年 五 月 タ ・商 会 主 人 ゼ ー 、 エ ヌ、 タ ・氏 此 問 題 の 解 決 の為 に 態 々 来 朝 した。(後 略) /(前 略)我 主 な る紡 績 業 者 は タ ・氏 を神 戸 に 出 迎 え 印棉 輸 送 上 の意 見 を交 換 し、 同時 に伊 藤 傳 七 、 澁 谷 正 十 郎 両 氏 タ ・氏[さ きの 「ゼ ー 、 エ ヌ、 タ ・」 の こ とを指 す。 引用 者 補]を 東 道 して 上 京 し渋 沢 氏 に紹 介 し た。 そ の節 タ ・氏 は渋 沢 氏 に 向 い 自国 の船 舶 で 印棉 を輸 送 す るの必 要 を 説 き、 且 つ 斯 す る こ とに依 て 運 賃 二 割 五 分 を減 少 し得 べ く、 若 し 日本 で 船 舶 一 隻 の提 供 を肯 ん ず るな ら 自分 で も一 隻 を提 供 す べ し と告 げた 。 氏

しマ マ  

は此 航 路 の 開 拓 が 若 し将 来 永 遠 に両 国 間 の利 益 を 招 来 す る な らば 、 仮 え 一 時 的 の 損 失 あ り と も百 年 の大 計 の為 め に十 分 之 を忍 ぶ の 覚 悟 あ る を要 す と付 加 え た。 渋 沢 氏 之 を諒 と し心 密 か に 日本 郵 船 会 社 を して 之 に 当 た

ら しめ ん こ とを期 した 。24

絹 川 が 述 べ て い る 「ア ー ル 、 デ ー 、 タ ・ 」 はRatanjiDadabhaiTataの

24絹 川[1939]:419‑421ペ ー ジ

1893年 イ ン ド棉 輸 送 契 約 の成 立 前 史63

(12)

とで あ り、ま た 「ゼ ー 、エ ヌ 、タ ・」はJamsetjiNusserwanjiTataを 指 す 。R・D・

タ タ とJ・N・ タ タ と は い と こ の 関 係 に あ り、 と も にTataandSonsの パ ー ト ナ ー で あ っ た 。25だが 、 正 確 を 期 す れ ぼ 、1891(明 治24)年 に 神 戸 に 支 店 を 開 設 し た の は 、 絹 川 の い う こ のTataandSonsで は な く、R・D・ タ タ が そ の 父 親 か ら継 承 し た 事 業TataandCompanyで あ っ た 。26商事 会 社Tataand Companyは 、 さ き のTataandSonsと は 別 個 の 存 在 で あ り、 ま たJ・N・ タ

タ は こ の 会 社 と は 出 資 な ど の 直 接 的 な 関 係 を 持 っ て い な か っ た 。27さ ら に 、J・

N・ タ タ は そ の 事 業 キ ャ リ ア の 初 期 に は 父 親 が パ ー トナ ー と な っ て い た 貿 易 会 社 の 事 業 に 関 わ っ て イ ン ド/中 国 取 引 に従 事 した こ とが あ る が 、1870年 代 半 ぼ に 綿 業 経 営 に 乗 り出 して か ら は 工 場 経 営 に 専 念 し、 極 東 貿 易 の こ と は い と こ のR・Dに ま か せ て い た の で あ る。28

と こ ろ で 、 さ き に 引 用 し た 絹 川 に よ れ ば 、1891年 に 来 日 し たR・D・ タ タ は 渋 沢 栄 一 と会 見 し、そ の 際 話 が 「印 棉 輸 入 に 関 す る船 腹 問 題 に及 」 び 、「日 印 貿 易 の 発 達 を 図 る為 に は 、 両 国 中 敦 れ か に 船 籍 を 有 す る船 舶 を 以 て 航 運 に 従 事 せ し む る必 要 あ り と の 意 見 に 双 方0致 した 」 とい う。 ま た こ の 話 し合 い を 受 け て 、 「明 治 廿 六 年 五 月 タ ・商 会 主 人 ゼ ー 、 エ ヌ 、 タ ・氏 此 問 題 の 解 決

わざわざ

の為 に 態 々 来 朝 し」、 同Lく 渋 沢 と会 談 した とい う。

しか しなが ら、 渋 沢 の側 で は、 この タ タ家 の 二 人 との 会 談 は どの よ うな 内 容 と して 受 け止 めて い た ので あ ろ うか 。 それ を示 す 資 料 の一 端 と して 、 渋 沢 栄 一 が1894年 秋 す で に 日本 郵 船 が ポ ンペ イ 航 路 を開 設 して 、 イ ギ リス の 郵 船 企 業 ピー ・オ ー を始 め とす る同盟 船 社 と激 しい競 争 戦 に突 入 して い る 時 期 に あた る に、 星 ヶ岡茶 寮 とい う料 亭 に集 っ た貴 族 院議 員 有 志 を前 に お こな っ た ポ ンペ イ 航 路 開 設 経 緯 に 関 す る ス ピー チ が あ る。29

25Harris[1958]:46 . zsHarris[1958]:13 ,93.

27Harris[1958]92‑93 . 28Harris[1958]:5‑6;Chps .2‑3.

29こ の ス ピ ー チ 内 容 は 龍 門 社[1900]=1017‑1068ペ ー ジ に 収 録 さ れ て い る。 以 下 、 断 り の な い か ぎ り 同 書 に 拠 っ た 。

(13)

同 ス ピ ー チ に よ れ ば 、 まずR・D・ タ タ との 会 談 内 容 は 、 項 目 だ て て い え ば 大 約 つ ぎ の よ う な も の で あ っ た 。

タ タ の 来 日 目的:上 述 の よ うに イ ン ド綿 業 調 査 団 との接 触 に よ り原 棉 の 需 要 を知 っ たR・D・ タ タ は 、 そ の後 の 取 引 増 大 も あ り、 日本 に支 店 を開 く

目的 で 来 日 した もの と、 渋 沢 は 受 け取 っ て い る。30

イ ン ド棉 の 需 要 増 大:渋 沢 か らの発 言 と して 、 明 治22年 か ら年 々 イ ン ド 棉 の 需 要 が 増 大 し、 他 方 国 内 の イ ン ド綿 糸 の需 要 は減 少 して い る。 イ ン ド人 は 日本 が製 品 を買 わ な いか ら とい っ て 「日本 人 ヲ讐 敵 ノ如 ク思 フテ ハ イ ケ ヌ 」。31むし ろ、 原 料 た る棉 花 を よ り需 要 す る よ う、 ど の よ うに し た ら安 く売 れ るか を考 え るべ き で あ る。

日本 か らの 返 り荷:さ ら に渋 沢 の側 か ら、 「綿 ノ如 キ嵩 高 ノ荷 物 ハ 運 賃 二 大 ナ ル 関 係 ヲ為 ス モ ノユ エ 」、32原棉 を廉 価 に 日本 で 販 売 す る に は復 航 で 適 当 な返 り荷 を積 む こ とが 必 要 で あ る との指 摘 が な され 、 それ に は石 炭 が 適 当 で は な い か と提 案 して い る。R・D・ タ タ も これ に 同 意 し、 会 談 後 三 井 物 産 を介 して 三 池 炭300ト ン を持 ち帰 る手 はず を整 え た。33

運 送 費 の 問 題:タ タが この 石 炭 を運 搬 す る た め に イ ギ リス の 定 期 船 会 社 で あ る ピー ・オ ー社 に相 談 した と こ ろ、1ト ン にっ き4ド ル か ら4ド ル 50セ ン ト との 回 答 を え た 。 石 炭 の元 値 が1ト ン3円 で あ るか ら、 運 賃 を加 え る と7円 以 上 とな る。 こ の価 格 で は ボ ンベ イ で 売 られ て い るイ ギ リス の カ ー ジ フ炭 と競 争 で き な い と して 、 タ タ は石 炭 を持 ち帰 る こ と を断 念 した 。34

22 端

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上上上上上同同同同同

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1893年 イン ド棉 輸送 契約 の成 立前 史65

(14)

この よ うな会 談 内 容 と経 緯 を述 べ た 後 、 渋 沢 はつ ぎ の よ う にR・D・ タ タ の 人 物 評 を語 っ て い る。 す な わ ち 、 「其 後 其 事[石 炭 運 搬 を断 念 した こ と。 引 用 者 補 コ ヲ聞 テ ドウ モ 印 度 ノ商 人 ハ 気 力 力 乏 シ イ 」35と。 しか し、 この こ と

が ボ ン ベ イ 航 路 を 開 く こ との 「第 一 ノ伏 線 」とな っ た 、と渋 沢 は述 べ て い る。36 っ ま り、R・D・ タ タ が1891年 に 来 日 して 渋 沢 と会 談 した 時 点 で は、 往 航 の イ ン ド棉 を廉 価 に販 売 す るに は返 り荷 が 必 要 で あ る こ とで 意 見 の 一 致 を み た に と どま り、 絹 川 の い う よ うな 「日印貿 易 の発 達 を 図 る為 に は、 両 国 中 敦 れ か に船 籍 を有 す る船 舶 を以 て航 運 に従 事 せ しむ る必 要 あ り との 意 見 に双 方 一 致 した 」 とい う段 階 まで 話 は進 ん で い な い 。 た しか に 、 ピ ー ・オ ー一の提 示 す る運 賃 が高 い た め、 予 定 して い た返 り荷 の 石 炭 運 搬 を 断念 せ ざ る を えず 、 そ の 意 味 で は タ タ に も渋 沢 に も航 路 開 設 の 問 題 意 識 を 喚 起 させ た か も知 れ な い 。 だ が 、 そ れ は 渋 沢 とR・D・ タ タ との会 談 の後 の こ とで あ り、 ま して や こ の 会 談 時 点 で い き な り航 路 開 設 に 向 け た 合 意 が 形 成 さ れ た とは考 え られ な い 。 そ れ に は 、1893年5月 のJ・N・ タ タ の来 日 まで 待 た な けれ ば な らな か っ た の で あ る。

そ れ で は渋 沢 は このJ・N・ タ タ とい う人 物 を どの よ うに評 価 して い た で あ ろ うか 。 さ き の 星 ヶ岡茶 寮 で の ス ピー チ で はつ ぎ の よ うに述 べ て い る。 す な わ ち、 来 日以 来 会 っ た 人 の 話 を 聞 くか ぎ り、 「経 験 モ ア リ思 慮 モ ア ル 人 」 と の 印 象 を受 け た。 そ こで 「一 昨 年 ノ ア ー ル デ ーハ 充 分 ナ相 談 力 出来 ナ ン タ カ 今 度 ノゼ ー 、 エ ンカ 来 タ ナ ラバ 真 向微 塵 ニ ヒ トツ論 シ テ ヤ ラ フ ト私 ハ 実 ハ 楽 シ ミ居 リマ シ タ」 とい う。37渋沢 は1893年5月 末 にJ・N・ タ タ とは じめ て会 談 した とき、 日本 とイ ン ドとの交 易 は お も に紡 績 糸 と原 棉 で あ り、 この運 賃 を低 廉 に す る こ とは両 国 の 交 易 を増 大 す る に重 要 で あ る と説 き、 それ に つ い てJ・N・ タ タが どの よ うな 手段 を考 え て い るか 尋 ね て い る。38タタ は これ に

↓ ↓ 薦

ぺ ぺ ぺ 4 5 5 6 7 2 2 2 2 0 0 0 0 1⊥ 1 1 1

上 上 上 上 同 同 同 同

567833

(15)

答 え て 、 イ ン ド航 路 の航 権 は ピー ・オ ー 、 オ ー ス トリア ・ロイ ド、 イ タ リア 航 運 の3社 が 握 り、 そ の 申 し合 わせ の た め運 賃 が 下 が らな い こ と、 また 一

昨 年 の い と こ に よ る石 炭 の持 ち帰 り も高 運 賃 の た め 断念 せ ざ るを え なか っ た こ と述 べ た 後 、 「ドウ シ テ モ 是 ハ 新 航 路 ヲ開 ク外 仕 方 カ ナ イ 」 と考 え、 「付 テ ハ 日本 人 ト御 相 談 ヲ仕 合 テ ドウ ソ ヒ トツ震 二 航 海 テ モ 開 ク トイ フ道 ハ ナ イ カ

ピ   オ ド

ト熱 心 二考 ヘ テ 居 ル 」 こ とを述 べ て い る。 さ らに タ タ は続 け て 、 「彼 阿 トヒ トツ競 争 ヲヤ ツテ 見 ル トイ フ コ トニ シ タ ナ ラバ 少 ナ ク トモ ニ 割 以 上 下 ケ テ モ 此 ノ航 海 業 ハ 出来 ル 」 の で 、 渋 沢 に共 同 で 新 航 路 の 開 設 を して み な い か と提 案 して い る。39渋沢 は この共 同事 業 の 提 案 は断 っ た もの の 、タ タの パ ー トナ ー と して 日本 郵 船 が適 当 で あ る こ と、 そ の 役 員 な らび に棉 花 の需 要 者 で あ る紡 績 業 者 や 石 炭 業 者 へ の紹 介 の労 を とる こ とを確 約 し、 この最 初 の 会 談 を終 え て い る。40ここか ら ポ ンペ イ 航 路 開 設 の た め の 具 体 的 な交 渉 が 関 係 者 の 問 で は じ まっ た 。

以 上 の渋 沢 の 星 ヶ 岡茶 寮 で の ス ピー チ 内容 にお い て着 目すべ き点 は、 っ ぎ の 二 点 で あ る。 第 一 に、1891年 のR・D・ タ タ との 会 談 内容 か ら も明 らか な よ うに、 渋 沢 は イ ン ド棉 の 輸 入 増 大 が イ ン ド綿 糸 の輸 入 減 少 に つ なが って い る こ と、 つ ま り国 内市 場 で の輸 入 代 替 が 生 じて い る こ とを明 確 に認 識 して い る。 だ が 、輸 入 原 棉 の0層 の 低 廉 化 は、 輸 入 代 替 を さ らに押 しす す め るだ け で は な く、 イ ン ド綿 糸 の 最 大 の 市 場 で あ る中 国 市 場 を め ぐる争 奪 戦 に お い て、 日本 紡 績 業 を助 け る こ とに もな る。 ち な み に、 日本 の 中 国 へ の 綿 糸 輸 出 は1891(明 治24)年7月 末 に な され た厘 門 向 け20番 手 綿 糸5梱 の神 戸 か ら の積 み 出 しが 嗜 矢 とさ れ る が 、4'この 輸 出 を お こな っ た の が イ ン ド棉 使 用 に 先 駆 的 で あ り、 また そ の原 棉 依 存 度 もお お きか っ た 大 阪 紡 績 で あ る。4z渋沢

39同 上

、1028‑1029ペ ー ジ 。 40同 上、1029‑1030ペ ー ジ 。 41『 紡 織 月 報 』 第2号(1891年8月)

、25ペ ー ジ 。

42大 阪 紡 績 の 原 棉 種 別 内 訳 が あ き ら か に な る1893(明 治26)年 以 降1896(明 治29)年 ま で の 間 で

原 棉 消 費 量 に 占 め る イ ン ド棉 の 割 合 は い ず れ も50パ ー セ ン トを 上 回 っ て い た 。 東 洋 紡[1986]:

74ペ ー ジ 。

1893年 イ ン ド棉 輸 送 契 約 の成 立 前 史67

(16)

は さ きの 会 談 で は、 この輸 入 原 棉 の低 廉 化 が 、 日本 紡 績 業 の輸 出競 争 力 の強 化 を もた らす とい う側 面 に は触 れ ず 、 日本 に お け る原 綿 販 売 の 拡 大 へ の工 夫 で あ る こ とを強 調 した。

第 二 に、 棉 花 運 賃 を低 減 す る方 法 に関 して 、 渋 沢 とタ タで は役 割 の 違 い が あ っ た 。 す で に見 た よ うに、 イ ン ドか ら往 航 荷 で あ る棉 花 運 賃 を 引 き下 げ る た め に 、復 航 荷 と して石 炭 を積 み 込 む こ とを提 案 した の は渋 沢 で あ っ た。 し か しR・D・ タ タ は、 引 き合 い の 運 賃 が 高 い た め に 日本 か らの 石 炭 移 出 は採 算 が 合 わ な い と して これ を 断 念 した 。 続 い て 、 渋 沢 はJ・N・ タ タ に対 して 、 日

印両 国 の 貿 易 増 大 の た め に運 賃 引 下 げが 重 要 で あ り、 そ の た め の具 体 的 な方 策 を 問 うて い る。 そ の結 果 、 タ タ は ボ ンベ イ航 路 に配 船 す る海 運 事 業 を共 同 で は じ め る こ とをi提案 した。 しか し、 渋 沢 は 「直 接 二 自身 力 商 売 ス ル トイ ウ 身 体 テ モ ナ シ 」43とい う こ とで 、 これ を 断 っ て い る。 そ の代 わ りに、 日本 郵 船 や そ の他 関 係 者 に タ タ を紹 介 す る こ とで 計 画 実 現 へ の 調 整 役 を買 っ て 出

た。 い ず れ の場 合 も、渋 沢 は す ぐれ た 問題 提 起 者 で あ った が、プ ラ ンの 立 案 ・ 実 行 者 で は な か っ た 。せ いぜ い の と ころ、 プ ラ ン実 現 の た め の 調 整 者 と して

の役 割 に留 ま っ た 。 それ に対 して、 タ タ、 と りわ けJ・N・ タ タ は具 体 的 プ ラ ン の提 案 者 か つ 実 行 者 と して の 役 割 を 引 き受 け た の で あ る。

タ タが 日本 の企 業 と手 を組 んで ボ ンベ イ航 路 に汽 船 を配 船 し よ う と した の は、 なぜ で あ ろ うか 。 筆 者 は タ タ側 の 原 資 料 を未 見 のた め 、 以 下 は 限 られ た 文 献 か らの管 見 に と どめ る。 考 え られ る一 つ の 動 因 と して 、 ボ ンベ イ/極 東 航 路 にお け る貨 物 運 賃 の高 さ を挙 げ る こ とが で き よ う。 さ き に も述 べ た よ う に、 当 時 同航 路 に配 船 して い た の は、 ピー ・オ ー 社 、 オ ー ス トリア ・ロイ ド、

それ に イ タ リ ア航 運 会 社 の3社 で あ り、 ピー一・オ ー は1847年 以 来 、 ま た後 者 の2社 は1880年 代 に入 っ て 配 船 を は じめ た 。 この3社 に よ っ て ボ ンベ イ 航 路 に海 運 同盟 が 結 成 され、 運 賃 水 準 お よび 配 船 回 数 が 厳 格 に統 制 さ れ た こ

43龍 門 社[1900]:1029ペ ー ジ

(17)

とは す で に触 れ た 。 この 同盟 の盟 主 ピー ・オ ー は 、運 賃 の 決 定 に強 い発 言 権 を持 っ て い た と推 定 され る。 これ に対 して 荷 主側 もた だ 海 運 同 盟 に黙従 して い た だ けで は な い 。 ち な み に3社 か ら な る 同 盟 が 結 成 さ れ る以 前 の 航 路 状 況 に つ い て 、 そ の0端 を知 る断 片 的 な 資 料 が あ る。 す な わ ち 、1889(明 治 22)年7月 の 『聯 合 紡 績 月報 』 は、 在 英 公 使 館 の 通 商 報 告 か らつ ぎ の よ うな 記 事 を転 載 して い る。

孟 買紡 績業商組 合 ヨ リ伊国航運 会社 へ毎 月支那航行 ノ汽船 ニー 噸二付八

「ル ー ピー」 ノ割 ヲ以 テ若干 ノ荷物 ヲ積込 ムヘ キ約 定 ニ テ与 へ来 タ リシ 保 護金 モ八 十七 年五 月ニ テ該約 定満 期 トナ リシカ該 会社 ニテハ 巳二動 カ ザ ル基礎相 立チ更 二保 護 ヲ受 ケ ス トモ従 前 ノ通 リ定 期航海 ヲナスニ差 支 ナキ ヲ以 テ愈 々保 護 ヲ与ヘ サル コ トトナ レ リ但 シ支 那 二向ケ此線路 開 ケ 運 賃 ノ割合減少 セ シ為 メ非常 ノ便益 ヲ与 ヘ タ リ44

こ こで い わ れ て い るイ タ リア航 運 会 社 は1886年6月 よ り、 ポ ンペ イ/中 国 間 に 月1便 の 配 船 を 開 始 し、 先 行 企 業 ピ ー ・オ ー とオ ー ス トリア ・ロ イ

ド社 との競 争 に入 っ た 。45上記 の 記 事 は 、 こ の航 運 会 社 に 対 して ボ ンベ イ の

「紡 績 業 商 組 合 」 が 約 定 運 賃 の も とに一 定 量 の 貨 物 の 積 み込 み を保 証 す る こ とで 、 この新 規 参 入 を支 援 した こ とを物 語 る。 約 定 そ の も の は1年 で 終 わ っ た よ うで あ るが 、運 賃 が 下 落 した こ とで 「非 常 ノ便 益 」を受 け た とい う。 だが 、

こ の イ タ リ ア航 運 会 社 も1888年11月 に ボ ン ベ イ 同 盟 に加 入 し、 運 賃 戦 は 終 息 した。 そ の 結 果 、 運 賃 は ふ た た び 引 き上 げ られ 、1891年9月 まで に ボ ンベ イ/上 海 間 の 綿 糸 運 賃 は1ト ン あ た り17ル ピー の 水 準 とな った 。46イタ リ ア航 運 会 社 との約 定 の運 賃1ト ン8ル ピー と く らべ 、実 に2倍 以 上 で あ る。

44『 聯 合 紡 績 月 報 』1889年7月

、32‑33ペ ー ジ 。 45p&01/lI318Juneand13AugustI886 . 46『 紡 織 月 報 』1891年9月

、17‑18ペ ー ジ 。

1893年 インド棉 輸 送契 約 の成立 前史69

(18)

J・N・タ タ が 、 ボ ンベ イ/日 本 の 航 路 開 設 に意 欲 的 で あ っ た の は、 日本 の航 運 会 社 を誘 致 す る こ とで 、 高 止 ま り して い る運 賃 を ふ た た び 引 き下 げ よ う と

い う動 因 が 働 い て い た た め と考 え られ る。47

だ が 、 た ん に運 賃 の 引 下 だ け を考 え て の こ とな らぼ 、 日本 の 航 運 企 業 を誘 致 で きれ ば事 足 り るは ず で あ る。 なぜJ・N・ タ タ み ず か らが 航 路 開 設 の 事 業 に参 画 し よ う と した の で あ ろ うか 。 た しか に荷 主 が み ず か ら航 運 事 業 を興 す こ とは 、 近 代 海 運 に あ っ て稀 で は な い 。 しか し、 そ れ は石 油 業 や 鉄 鋼 業 の よ うに荷 主 が 大 量 の 自社 貨 物 を もつ 場 合 で あ っ て 、 綿 業 を主 とす る一 紡 績 会 社 が 自社 の 貨 物 を侍 ん で 乗 り出 す よ うな 事 業 で は な い 。 お そ ら く、J・N・タ タ が 定 航 事 業 の立 ち上 げ に参 画 す るの は、 イ ギ リス を頂 点 と した ヨー ロ ッパ 船 社 に よ る海 上 運 送 支 配 を打 破 す る こ と、 それ もイ ン ド自前 の 定 航 企 業(Tata Line)の 創 設 を もっ て 打 ち 破 る こ とを 目 ざ した か らだ と思 わ れ る。 す で に 触 れ た よ う に、J・N・タ タ は1877年 にEmpressMillsを 開 設 し、 綿 業 を本 格 的 に 展 開 す る。 続 い て 、1886年 に はSvadeshiMillsCompany,Ltd.を

設 立 し、 第2の 工 場 開 設 に動 き 出 した。48この 起 業 は、 結 局 、 既 存 工 場 の買 収 、 そ のSvadeshMillsへ の 売 却 とい う手 順 を 経 て 、1888年 に操 業 を 開始 す る。49この工 場 の名 前Svadeshiは 、 土 着 の生 産 ・国産 品 愛 用 を意 味 す る言 葉(Swadeshi)を 借 用 した もの で あ り、 イ ギ リス か ら輸 入 され る高 級 綿 糸 を代 替 す る こ とを 目 ざ して 名 づ け られ た 。 実 際 、 この 工 場 で は1892年 か ら エ ジ プ ト棉 を使 用 して50〜60番 手 、 さ らに80番 手 の 綿 糸 紡 出 に成 功 し、

国 内 用 途 は も ち ろん 、 中 国 市 場 にお い て もそ の販 路 を広 げ た 。50綿業 に お け るス ワデ ー シ ー を海 上運 送 業 に も拡 大 す る試 み 、 それ がTataLineの 立 上 げ で あ った と考 え られ る。 自国 船 隊 の形 成 は 、 それ まで の ヨー ロ ッパ 船 社 の誘

47J・N・ タ タ は

、1893年 に 来 日 し て 渋 沢 た ち と の 第4回 目 の 会 談 に お い て 、 同 盟 船 社 に 対 し て つ ぎ の よ う に 発 言 し て い る 。 「現 二 今 ノ 漢 地 利 「ロ イ ト 」 テ モ 伊 太 利 ノ 会 社 テ モ 其 初 ハ 彼 阿 二 抵 抗 シ テ 航 路 ヲ 開 キ タ レ ト今 日 ハ 皆 申 合 ヲ 詐 ッ テ ヤ ッ テ 居 ル 」。 龍 門 社[1900コ:1037ペ ー ジ 。

48Harris[1958]:47 . 49Harris[1958]:47‑49 ,52.

soHaxris[] .958]:57,59.

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致 の 試 み が 参 入 船 社 の海 運 同盟 へ の加 入 、 そ の後 の 運 賃 再 引 き上 げ を結 果 す る とい う、 苦 い経 験 を踏 ま えて の 決 断 で あ った とい え よ う。 しか し、 単 独 で の船 隊 形 成 は困 難 で あ る こ とか ら、 貿 易 相 手 国 の 日本 に 同 盟 者 を求 め 、 さ き の共 同 事 業 の提 案 とな っ た と考 え られ る。

運 賃 の 引下 げ とい う荷 主 の 利 害 、 そ して 自 国 船 隊 の形 成 とい うス ワ デ ー シ ー の 思 い が 、J・N・タ タ を衝 き動 か した 動 因 で あ っ た と思 わ れ る。 タ タ の 積 極 的 な事 業 計 画 に押 され る形 で 、 渋 沢 は 日本 郵 船 、 紡 績 会 社 、石 炭 業 関 係 者 にJ・N・ タ タ を 引 き合 わ せ た 。 そ して これ ら関 係 者 の話 が ま とま るの は 、 93年6月 に兜 町 に あ る渋 沢 の 自宅 で 開 か れ た、宴 会 抜 きで の 実 務 会 談 で あ っ た 。 この 席 上 、 ① 鐘 淵 紡 績 、 大 阪 紡 績 、 三 重 紡 績 の3紡 績 会 社 、 な ら び に 内外 綿 会 社 と 日本 綿 花 会 社 の2商 社 が イ ン ド棉 の 積 取 りで 一 致 協 力 で きれ ば航 路 開 設 の実 現 性 は高 ま る こ と、 そ こで 大 阪 紡 績 と三 重 紡 績 に は渋 沢 が説 得 に あた り、 一 方 朝 吹 英 二(鐘 淵 紡 績)が 大 阪 の紡 績 聯 合 会 に積 荷 支 援 の 件 で 総 会 を早 期 に 開 くよ う働 き か け る こ と、 ② タ タ は イ ン ド側 で 綿 糸6万 俵 程 度 を貨 物 と して 確 保 す る こ と、 ③ これ ら積 荷 の保 証 を え て 、 日本 郵 船 が1 隻 、 ま た タ タ が1隻 を そ れ ぞ れ 用 意 し、 合 計2隻 で ボ ンベ イ 航 路 を 開 設 す

る こ と、 な どが 取 り決 め られ た 。5'ただ 、 タ タが イ ン ド側 で紡 績 業 者 を 説 得 して綿 糸 の 船 荷 を蒐 貨 し よ う とす れ ば、 同盟 船 社 、 と くに ピー ・オ ー との競 争 は避 け え な くな る こ と、 しか し、 タ タ は 「印 度 人 力 斯 クイ フ企 ヲ シ タ トイ フ ト必 ス 憎 マ レル ニ 相 違 ナ イ カ 私 ハ 印 度 ノ為 ニ ハ 増[憎 の誤 植]マ レル ノ ヲ 敢 テ恐 レル ノテ モ 無 イ 」52との決 意 が 披 渥 され た 。

この よ うに 、 タ タ側 の働 きか け に よ って ボ ンベ イ航 路 開 設 の プ ラ ンが 具 体 化 され 、 結 実 す る こ とに な っ た 。 しか し、 日印 共 同 の航 運 事 業 は、 運 賃 の 引 下 げ にお い て共 通 利 害 を持 つ もの の、 運 賃 引 下 げ の あ とに来 る利 害 につ い て は相 反 して い た とい え る。 タ タ との共 同運 航 の 開 始 、 そ して ピー ・オ ー を盟

51龍 門 社[1900]:1034‑1037ペ ー ジ 52同 、1037ペ ー ジ 。

1893年 イン ド棉 輸 送 契 約 の成 立 前 史71

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主 とす る同 盟 船 との 競 争 戦 に突 入 した 後 、 日本 郵 船 側 が タ タ との共 同運 航 に 不 安 を抱 い て い た 事 情 を、 渋 沢 は さ きの 星 ケ 岡茶 寮 で の ス ピー チ で つ ぎ の よ

う に語 っ て い る。

タ ー ター ト日本 ノ紡 績 業 者 トハ全 ク利 益 力 背馳 シ テ居 リマ ス何 故 ナ レハ タ ー ター ノ船 ハ 印 度 ノ綿 糸 事 業 家 ノ為 二 綿 糸 ヲ支 那 二運 搬 シ テ 充 分 其 販 路 ヲ拡 張 シ ヨ フ トイ フ事 ハ 重 モ ク見 込 ム テ居 ル モ ノ テ ア リマ ス カ ラ成 丈 ケ 其 運 賃 ヲ廉 ク シ タイ トイ フ希 望 カ アル 処 テ 日本 ノ紡 績 業 者 ハ 日本 二 印 度 カ ラ綿 ヲ取 寄 セ ル ノハ 廉 ク原 料 ヲ買 フ テ 印度 ヨ リモ 入 費 ヲ省 略 シ上 手 二 持 ヘ テ 日本 ノ需 要 ハ 十 分 ノ七 ト見 テ アル カ三 分 位 ハ 支 那 へ持 ッ テ行 ツ テ 印度 ノ販 路 地 ヲ奪 フ トイ フ考 テ ア リマ ス此 ノ奪 フ トイ フ場 合 二 於 テ 日 本 人 ト印 度 人 トノ間 二 利 益 ノ衝 突 ヲ免 レマ セ ヌ(… ・中 略)即 チ 印度

ノ商 人 トハ 根 元 ノ利 益 力 背 馳 ス ル 処 カ ラ長 ク此 ノ契 約 ハ 保 ツ テ往 ク事 ハ 甚 タ六 ケ 敷 カ ラ フ ト思 フ是 力郵 船 会 社 ノ今 日二於 テ甚 タ気 遣 ツ テ居 ル所 テ ア リマ ス53

の ち に タ タが 日本 郵 船 との共 同運 航 を 中止 す る遠 因 は、 こ こに あ った とい え る。

4お わ りに

日本 郵 船 の ボ ンベ イ 航 路 開設 に い た る経 緯 につ い て の 以 上 の 考 察 か ら、 つ ぎ の諸 点 が 確 認 で き よ う。 第 一 に、 この航 路 の 開 設 に つ い て は、 イ ン ドの綿 業 者 タ タ家 、 な か で もJ・N・ タ タの 発 議 が 重 要 で あ っ た 。 か れ は ボ ンベ イ 航

53同 上

、1065‑1066ペ ー ジ 。

(21)

路 にお い て 、 それ まで の 欧 州 船 主 にか わ る ア ジ ア 船 主 を 、 しか も単 に引 き入 れ るだ けで は な く、 自前 のTataLine創 設 に む けた 共 同運 航 者 と して 求 めて い た。 もち ろん 、 そ の よ うな タ タの発 議 を引 き 出 す に、 財 界 の世 話 人 とい わ れ た渋 沢 栄0の 働 きか け も見 逃 せ な い 。 しか し、 渋 沢 の働 きか け は、 問題 を 投 げ か け、 そ れ に対 して 相 手 が どの よ うな覚 悟 と対 策 を提 示 す るか 、 そ の誘 導 に お いて 巧 み で あ りか つ 重 要 で あ った とい うに と ど ま る。 渋 沢 が 航 路 開設 の 具 体 的 プ ラ ン を 関係 者 に提 示 した わ けで は な い 。

第 二 に、 タ タの 発 議 の 積 極 性 に く らべ 、 日本 側 の反 応 は 当初 は鈍 か っ た よ うに思 わ れ る。 日本 郵 船 は渋 沢 か らの 呼 び か けで い わ ぼ 引 っ張 りだ され る と い う形 で 、 ボ ンベ イ航 路 の 開設 を検 討 しは じ め た。 っ ま り、郵 船 は 同社 初 の 遠 洋 航 路 と して ポ ン ペ イ 航 路 に狙 い を 定 め て 、 あ らか じめ検 討 して い た わ け で は な い。54また他 方 、 紡 績 聯 合 会 に結 集 した 日本 の 紡 績 業 者 も、J・N・タ タ が 離 日 した 後 の8月 に 臨 時 総 会 を開 い て 、 積 荷 支 援 を 検 討 しは じ め た 。 し か し、 そ の 支 援 の 内容=積 荷 の 保 証 に つ い て は聯 合 会 と して 統 一 した 成 案 を え られ ず 、 郵 船 との 運 送 契 約 は破 談 寸 前 に まで い た っ た 。55この 危 機 は周 知 の よ う に、 鐘 淵 、 大 阪 、 三 重 の3紡 績 会 社 な らび に 内 外 棉 、 日本 綿 花 の 2商 社 の 合 計5社 と、 日本 郵 船 との 間 の イ ン ド棉 輸 送 契 約 の 調 印 を介 して 、

よ うや くに 回 避 され た 。56同盟 運 賃 の 高 さ に不 満 を も っ て い た とさ れ る紡 績 業 者 に して は、 新 た な運 航 業 者 の 登 場 に対 す る支 援 は最 初 は消 極 的 で あ っ た

とい え よ う。

それ ゆ え第 三 に、 日本 の 工 業 化 過 程 に お い て み られ た企 業 者 聞 の 相 互 支 援 活 動 一 「組織 化 され た企 業 者 活 動 」 も、 少 な くと もボ ンベ イ航 路 の 開設 経

54ち な み に 、 日本 郵 船 は紡 績 聯 合 会 と の 間 で 運 送 契 約 を締 結 した 後 、 ピー ・オ ー極 東 マ ネ ジ ャ ー と の 話 し 合 い の な か で 、 航 路 開 設 の 事 情 を つ ぎ の よ う に 語 っ て い る 。 「此 度 ノ 企 ノ主 導 者 ハ 紡 績 聯 合 会 トイ フ モ ノ カ ア ッ テ 此 ノ 紡 績 聯 合 会 カ ラ 斯 様 ナ 契 約 シ テ 船 舶 ヲ 出 ス 事 ハ 出 来 ヌ カ トイ ウ 事 テ ア ル カ ラ(… ・中 略)敢 テ 辞 ス ル 訳 ニ ハ 往 カ ヌ ユ エ 同 意 シ テ 遂 二 契 約 シ タ 訳 テ ア ル 」 龍 門 社 [1900]:1046ペ ー ジ 。

55詳 し く はanonymous[1934]:「 経 緯(二)」 を 参 照 の こ と 56三 上[1997]:209 ‑210ペ ー ジ

1893年 イ ン ド棉 輸 送 契 約 の成 立 前 史73

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