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中央学術研究所紀要 第32号 011松野純孝「親鸞の真仏観」

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Academic year: 2021

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親鸞の真仏観

は じ め に 一 真 実 の 証 と は 二 真 の 仏 と は 三 八 万 四 千 の 法 門 、 余 の 教 え ・ 本 願 一 乗 海

は じ め に か つ て 全 日 本 仏 教 会 主 催 で 、 「 人 類 の 未 来 と 仏 教 」 の テ ー マ で 、 仏 教 者 と 科 学 者 が そ れ ぞ れ 講 演 し た 。 一 応 二 人 の 講 演 が 終 っ て 、 科 学 者 が 幼 稚 な 質 問 で と 恐 縮 し な が ら 、 仏 教 の 未 来 は 成 仏 と い わ れ る が 、 そ の 成 仏 と は 、 一 体 ど う い う こ と な の で す か 、 と た ず ね ら れ た 。 会 場 に は 天 下 の 仏 教 学 者 が 多 数 お ら れ た の で あ る が 、 左 右 を 見 回 す だ け で 答 え ら れ る も の が な か っ た 。 そ も そ も 仏 教 の 学 者 が 仏 教 で 目 ざ す 成 仏 と い う こ と が わ か ら な い で ど う し て 仏 教 の 研 究 が で き る の で あ ろ う か 。 私 も 含 め て 自 明 と 思 わ れ る こ と が 一 向 に 明 ら か で な い の で あ る 。 そ こ で 私 は 、 親 鸞 が 真 実 の 仏 と は ど の よ う な 仏 と 見 て い た の か を 考 え た い の で ある。 親鸞の思想体系は周知のように、『教行証』1)の教、行、信、証、真仏土、方便 化 身 土 の 六 巻 に 見 る こ と が で き る 。 こ れ ま で の 研 究 は 行 信 論 に 注 が れ て い た 。 け れ ど も ま ず 真 実 の 証 と は 何 か 、 真 の 仏 と は ど の よ う な 仏 か 、 つ ま り 、 証 と 真 仏 土 が 何 よ り も 先 ず 明 ら か に さ れ ね ば な る ま い 呪 教 も 行 も 信 も 方 便 化 身 土 も こ こ を に ら んで 論 ずべ き も の で は な か ろ う か 。 証 巻 の 前 半 、 往 相 回 向 の 結 び に 、 「 夫 れ 真 宗 の 教 行 信 証 を 案 ず れ ば 、 如 来 の 大 えこう 悲回向之利益なり」(201頁、原漢文、以下同じ)3)とあり、更に証巻全体のむす 1 ) 一 般 に は 『 教 行 信 証 』 と い わ れ て い る が 、 面 授 の 高 弟 真 仏 が 『 経 釈 文 聞 書 』 の 中 で 、 「 親 鸞 聖 人 曰 教 行 証 言 」 と 書 いて お り ( 『 影 印 高 田 古 典 〔 第 一 巻 〕 真 仏 上 人 集 』 真 宗 高 田 派 宗 務 院 、 1 9 9 6 年 、 1 0 7 頁 ) 、 ま た 真 仏 の 弟 子 で 同 じ く 親 鸞 面 授 の 顕 智 『 抄 出 』 『 聞 書 』 に 「 教 行 証 云 」 「 教 行 証 六 云 」 「教行証六云」と記されている(同上〔第三巻〕顕智上人集』中、同、2001年、87、201、333頁)。 こ れ に よ っ て 親 鸞 在 世 中 は 『 教 行 証 』 と 呼 ば れ て い た こ と が わ か る 。 真 筆 本 の 坂 東 本 『 教 行 証 』 は 表 題 が 「 顕 浄 土 真 実 教 行 証 文 類 序 」 と あ り 、 『 教 行 証 』 と な っ て い る 。 1 1

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し か ヨ リ び に 、 「 爾 れ ば 大 聖 の 真 言 、 誠 に 知 ぬ 、 大 涅 槃 を 証 す る こ と は 願 力 の 回 向 に 籍 て げんそう な り 。 還 相 の 利 益 は 利 他 の 正 意 を 顕 す な り 」 ( 2 2 3 頁 ) と あ る 。 教 行 信 証 の 四 法 も 大 涅 槃 を 証 す る 証 も 、 真 仏 報 土 の 主 で あ る 如 来 の 回 向 に よ る と す る 。 宮 本 正 尊 氏 は 、 承 前 起 後 、 信 に 直 続 し 、 真 仏 土 を 開 展 して い る 証 の 在 り 方 は 、 ま さ に 御 本 書 ( 『 教 行 証 』 ) の 枢 要 を な す と して 証 巻 を 重 視 レ ) 、 而 して 上 記 二 つ の 結 び の 文 か ら 、 証 が 仏 身 仏 土 を 開 出 す る の で は な く 、 仏 身 仏 土 の 主 か ら 証 が 開 出 さ れ る と さ れ た 5 ) 。 こ こ で は 『 教 行 証 』 の 順 に し た が って、 証 の 果 と して の 真 仏 土 巻 と い う こ と で 、 先 ず 証 巻 か ら 見 て ゆ く こ と に す る 。 ­ 真 実 の 証 と は 『教行証』証巻の開巻劈頭に、 謹 で 真 実 証 を 顕 さ ば 、 則 ち こ つ い て こ う 書 か れ て い る 。 之 妙 位 、 元 上 涅 槃 之 極 果 也 。 即 ち 是 必 至 滅 度 之 願 於 出 た り 。 亦 証 大 涅 槃 之 願 と 名 る 也 。 然 に 煩 脳 成 就 の 凡 夫 、 生 死 罪 濁 の 群 朋 、 往 相 回 向 の 心 行 を 獲 れ ば 、 即 の 時 に 大 乗 正 定 聚 之 敷 に 入 る な り 。 正 定 聚 に 住 す る が 故 に 、 必 ず 滅 度 に 至 る 。 必 ず 滅 度 に 至 る は 即 ち 是 常 楽 な り 、 常 楽 は 即 ち 是 畢 竟 寂 滅 な り 、 寂 滅 は 即 ち 是 元 上 涅 槃 な り 、 元 上 涅 槃 は 即 ち 是 元 為 法 身 な り 、 元 為 法 身 は 即 ち 是 実 相 な り 、 実 相 は 即 ち 是 法性なり、?EJEI性は即ち是真如なり、真如は即ち是一如なり。然れば弥陀如 来 は 如 従 来 生 して、 報 応 化 、 種 種 の 身 を 示 し 現 じ た ま ふ 也 ( 5 ­ 6 頁 ) 。 親 鸞 は こ の よ う に 証 巻 の 結 論 を ま ず 最 初 に 掲 げ る 。 道 元 も 同 じ で あ る 。 我 々 の 場 合 、 論 を 順 序 だ て て 進 め 、 そ の り つ い た と こ ろ で 結 論 を 出 す の が 一 般 で あ る 。 親 鸞 は そ の 逆 で あ る 。 ま ず 結 論 を 掲 げ、 而 し て そ の 結 論 に 至 っ た 経 緯 を 述 べ る 。 思 う に こ れ は 、 仏 教 に 毒 矢 の 喩 え 一 経 過 の 説 明 よ り 、 何 よ り も ま ず 自 分 の 身 に 刺 さ っ た 毒 矢 を 抜 い て し ま わ な け れ ば 死 ん で し ま う と い う ー が あ る よ う に 、 ま ず 人 間 苦 の 解 決 が 仏 教 で あ る が 故 に 、 そ の 苦 の 解 決 は 即 刻 で な け れ ば な ら な い か ら で は な い か 。 結 論 に 至 る プ ロ セ ス は 次 な の で あ る 。 真 実 の 証 と は 、 利 他 円 満 の 妙 位 で あ り 、 元 上 涅 槃 の 極 果 で あ る と す る 。 こ れ 2 ) 赤 松 俊 秀 「 教 行 信 証 の 成 立 と 改 訂 」 『 親 鸞 聖 人 真 蹟 国 宝 顕 浄 土 真 実 教 行 証 文 類 影 印 本 解 説 』 大 谷 派 宗 務 所 、 1 9 7 1 年 、 1 3 頁 。 赤 松 氏 は 本 解 説 で、 真 蹟 本 の 坂 東 本 『 教 行 証 』 は 草 稿 本 で あ る が 初 稿 本 で な い こ と を 明 ら か に し 、 六 巻 中 、 証 巻 は 真 蹟 本 の な か で 、 親 鸞 が 6 3 歳 前 後 に 書 写 さ れ た 当 初 の 状 態 を ほ ぼ 完 全 に 保 っ て い る 唯 一 の 巻 で あ る と し 、 ま た 真 仏 土 巻 も 比 較 的 に よ く 当 初 の 状 態 を 保 っ て い る と さ れ た 。 な お 本 解 説 は 赤 松 『 績 鎌 倉 仏 教 の 研 究 』 平 楽 寺 書 店 、 1 9 6 6 年 、 に 収 載 さ れ ている。 3 ) カ ッコ 内 の 頁 は 、 『 定 本 親 鸞 聖 人 全 集 』 ( 以 下 、 定 本 と 略 称 ) 一 、 法 蔵 館 、 1 9 6 9 年 、 の 頁 数 を 示 す。 以 下 同 。 4 ) 宮 本 正 尊 『 顕 浄 土 真 実 証 文 類 講 誦 』 東 本 願 寺 出 版 部 、 1 9 6 9 年 、 3 頁 。 5)同上、17頁。 12

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は 即 ち 大 経 第 十 一 の 「 必 至 滅 度 の 願 」 に 誓 わ れ て い る も の で 、 ま た 「 証 大 涅 槃 の 願 」 と も 名 づ け る と す る 。 煩 悩 成 就 の 凡 夫 、 生 死 罪 濁 の 群 肋 は 、 必 至 滅 度 の 誓 願 に よ り 、 往 相 回 向 の 信 心 と 念 仏 ( 大 信 と 大 行 ) と を 獲 得 す れ ば 、 即 時 に 大 乗 正 定 聚 の 数 に 入 る と い う 。 こ の 正 定 聚 と は 「 か な らず ほ と け に な る べ き み と な れ る な り 」 6 ) と 親 鸞 が 左 訓 し て い る よ う に 、 必 ず 仏 に な る べ き 身 と な っ た こ と で 、 こ の 正 定 聚 に 住 す れ ば 必 ず 滅 度 、 元 上 涅 槃 、 即 ち 仏 に な る 。 と こ ろ で こ の 元 上 涅 槃 と は 、 ま た 実 相 、 法 性 、 真 如 、 一 如 と い わ れ 、 阿 弥 陀 如 来 は こ の 一 如 か ら 来 生 し て 姿 を 現 わ し 、 報 身 と も 応 身 と も 化 身 と も 、 種 々 の 身 を 示 して 現 わ れ る 。 つ ま り 、 真 実 の 証 と は 、 第 一 に 往 相 回 向 に よ り 、 元 上 涅 槃 、 即 ち 仏 と な る こ と 。 第 二 に 、 阿 弥 陀 仏 は そ の 如 か ら 来 生 し て 、 報 応 化 の 種 々 の 身 を 示 現 し て 衆 生 済度する還相回向。 こ の 往 生 回 向 と 還 相 回 向 と の 成 就 。 こ れ が 利 他 円 満 の 妙 位 、 元 上 涅 槃 の 極 果 と して の 真 実 の 証 で あ る と い う の で あ る 。 す な わ ち 、 第 一 の 往 相 回 向 だ け で は 、 真 実 の 証 と は い え な い 。 第 二 の 還 相 回 向 が あ っ て こ そ 、 利 他 円 満 の 妙 位 、 元 上 涅 槃 の 極 果 と い え る と す る の で あ る 。 証 巻 は こ の よ う に 往 相 回 向 と 還 相 回 向 に つ い て 立 論 さ れ て い る が 、 還 相 回 向 に 関 す る 記 述 が 大 半 を 占 め て お り 、 往 相 回 向 の そ れ は 四 分 の 一 に も 満 た な い 。 も っ て 還 相 回 向 に 主 力 が 注 が れ て い る こ と を 知 る 。 還 相 回 向 愚 禿 釈 親 鸞 集 の 顕 浄 土 真 実 証 文 類 ( 1 9 5 頁 ) の 証 巻 は 、 世 親 の 『 無 量 寿 経 優 波 提 舎 願 生 偶 』 ( 浄 土 論 、 無 量 寿 経 論 、 往 生 論 な ど と も い わ れて い る 戸 ) とそ の 注 釈 書 で あ る 曇 鸞 の 『 無 量 寿 経 優 波 提 舎 願 生 傷 』 ( 論 、 往 生 論 、 無 量 寿 経 論 偶 注 解 、 無 量 寿 経 論 と も い う ) の 引 用 文 に よ っ て 殆 ど 論 ぜ ら れ て い る と い っ て い い 。 世 親 の 浄 土 の 荘 厳 功 徳 成 就 、 即 ち 十 七 種 の 国 土 荘 厳 功 徳 成 就 と ハ 種 の 国 土 の 主 ・ 仏 の 荘 厳 功 徳 成 就 と 四 種 の 菩 荘 厳 功 徳 成 就 と の 三 厳 二 十 九 種 荘 厳 功 徳 成 就 と そ れ に 関 す る 曇 鸞 の 注 釈 の 引 用 で あ る 。 往 相 回 向 の 所 で は 、 安 楽 浄 土 は 正 覚 阿 弥 陀 仏 の 善 力 の 為 に 住 持 さ れ て い る 。 住 持 の 住 は 「 不 異 不 滅 」 、 持 は 「 不 散 不 失 」 で 滅 失 せ ず に 持 続 す る 意 。 そ こ で 、 も し 人 、 一 た び 安 楽 浄 土 に 生 れ る と 、 後 に 迷 い の 三 界 に 生 れ て 衆 生 を 教 化 し よ う と 願 じ て 、 「 浄 土 の 命 を 捨 て て 」 願 い 通 り 、 こ の 世 に 生 れ る こ と が で き 、 三 界 雑 生 の 火 の 中 に 生 れ て も 、 元 上 菩 提 の 種 子 は 畢 竟 し て 朽 ち な い 。 そ れ は 何 故 か 6 ) 真 筆 本 『 一 念 多 念 文 意 』 定 本 三 、 和 文 、 1 2 9 頁 。 7 ) 山 口 益 『 世 親 の 浄 土 論 一 無 量 寿 経 優 波 提 舎 願 生 偶 の 試 解 ­ 』 法 蔵 館 、 1 9 6 6 年 、 に 本 書 の 本 文 と 訓 讃 か 施 さ れ て い る 。 1 3

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といえば正覚阿弥陀の善く住持を経ているからであるという(197­8頁)。 『 浄 土 論 』 の 国 土 荘 厳 功 徳 成 就 十 七 種 の う ち の 第 一 荘 厳 清 浄 功 徳 成 就 と は 偶 に 「 言 。 観 彼 世 界 相 勝 過 三 界 道 _ 散 」 と あ る の に つ いて、 曇 鸞 は 、 凡 夫 人 の 煩 | 描 成 就 せ る 有 て 、 亦 彼 の 浄 土 に 生 る こ と を 得 れ ば 、 三 界 の 繋 業 畢竟して牽かず。則ち是 |薗を断ぜずして涅槃分を得(論 、198­9頁)。 と 仏 国 土 荘 厳 功 徳 成 就 の 不 思 議 を 讃 嘆 し て い る 。 こ の 文 と 大 経 の 往 生 し た 人 の 姿 は 、 「 自 然 虚 元 之 身 元 極 の 体 な り 」 と い う 文 ( 曇 鸞 の 『 讃 阿 弥 陀 仏 偶 』 の 引 用 で、道緯の『安楽集』に所引)(199頁)。それに次下の善導の『観経疏定善義』 の 文 。 往 相 回 向 の 所 に あ る 上 記 三 文 が 、 後 述 す る 真 仏 土 巻 に 再 び 引 用 さ れ て い る 。 こ れ に よ っ て 真 実 の 証 と 真 仏 土 と は 切 っ て も 切 れ な い 関 係 に あ る こ と が う かがえる。 西 方 寂 静 元 為 の 楽 に は 、 畢 竟 逍 遥 し て 有 無 を 離 れ た り 。 大 悲 、 心 に 薫 じ て 法 界 に 遊 ぶ 。 分 身 して 物 を 利 す る こ と 、 等 く して 、 殊 な る こ と 元 し 。 或 は 神 通 を 現 じ て 法 を 説 き 、 或 は 相 好 を 現 じ て 元 余 に 入 る 。 変 現 の 荘 厳 、 意 に 隨 て 出 づ 。 群 生 見 る 者 、 罪 皆 除 こ る と 。 又 賛 じ て 云 く 、 帰 去 来 、 魔 郷 に は 停 る べ か らず。 ( 中 略 ) 此 の 生 平 を 畢 て 後 、 彼 の 涅 槃 の 城 に 入 ら む と ( 2 0 0 頁)。 こ の 善 導 の 言 葉 は 往 相 回 向 の 終 り の 部 分 に あ り 、 次 に 還 相 回 向 論 が 展 開 す る 。 内 容 か ら も 察 知 で き る よ う に 、 往 相 回 向 か ら 還 相 回 向 へ の っ な ぎ と 見 る こ と も できる。西方寂静元為の楽、元上涅槃の世界は「大悲」を「浄土之根」(252頁) と し て い る 。 そ の 浄 土 の 根 で あ る 大 悲 か ら 身 を そ れ ぞ れ に 分 け て 現 れ 、 衆 生 を 救 う 。 或 時 は 神 通 力 を 現 じ て 法 を 説 き 、 或 時 は 仏 の 相 を 示 現 し て 無 余 涅 槃 に 入 る 。 心 の ま ま に 変 現 自 在 、 そ の 荘 厳 を あ ら わ し て 一 切 衆 生 を 一 人 も 残 す こ と な く 済 度 し よ う と い う の で あ る 。 そ れで は 還 相 回 向 と は ど う い う こ と か 。 大 慈 悲 を 以 て 一 切 苦 悩 の 衆 生 を 観 察 し て U 悩 の 林 。 の 中 に 回 入 して 、 神 通 に 遊 戯 して 教 化 地 に 至 る 。 本 願 力 の 回 向 を 以 ての故に(浄土論、201頁)。 還 相 と は 、 彼 の 土 に 生 じ 已 て 、 奢 摩 他 ・ 睨 婆 舎 那 ・ 方 便 力 成 就 す る こ と を 得 て 、 生 死 の 嗣 林 に 回 入 し て 、 一 切 衆 生 を 教 化 し て 、 共 に 仏 道 に 向 へ し む る な り 。 若 は 往 若 は 還 、 皆 衆 生 を 抜 いて 生 死 海 を 渡 せ む が 為 な り 。 是 故 に 、 回 向 を 首 と 為 て 大 悲 心 を 成 就 す る こ と を 得 る が 故 に と 言 へ り と ( 論 、 20エー2頁)。 さ き の 善 導 の 言 葉 で 見 た よ う に 、 仏 国 土 で の 元 上 涅 槃 で 大 慈 悲 心 を 成 就 し 、 そ こ か ら 一 切 苦 悩 の 衆 生 を 度 し よ う と 生 死 の 稿 林 の 中 に 回 入 し 、 神 通 に 遊 戯 し て さ と り に む か わ せ る と す る 。 こ こ で 注 目 す べ き は 、 彼 の 土 、 仏 国 土 に 生 れ た 1 4

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の ち 、 奢 摩 他 ( 止 、 散 乱 し た 心 を と ど め 精 神 を 統 一 ) と 脱 婆 舎 那 ( 観 察 ) と 衆 生 を 救 う た め の 巧 み な 種 々 の 手 だ て を 講 ず る 力 を 成 就 す る こ と を 得 て 、 生 死 の 桐 林 に 回 入 す る と あ る が 、 仏 国 土 で の 大 慈 悲 心 の 成 就 と そ の 「 方 便 力 成 就 」 が 還 相 の キ ー と い える 。 さ き に ふ れ た 浄 土 の 三 厳 二 十 九 種 の 荘 厳 功 徳 成 就 を 広 と し 、 入 一 法 句 ( 一 法 句 は 真 如 の 意 ) を 略 と し 、 こ の 広 略 相 入 を 菩 が 知 ら な け れ ば 自 利 利 他 は 不 可 能 と い う 。 す な わ ち 、 何 が 故 ぞ 広 略 相 入 を 示 現 す る と な ら ば 、 諸 仏 菩 に 二 種 の 法 身 有 り 。 一 つ aJニは法性法身、二つには方便法身なり。?訓生法身に由て方便法身を生ず。 方便法身に由て?j汗|生法身を出す。此の二の法身は異にして分つべからず、 一 に し て 同 じ か る べ か ら ず。 是 の 故 に 広 略 相 入 し て 、 絃 る に 法 の 名 を 以 て す。 菩 若 し 広 略 相 入 を 知 ら ざ れ ば 、 則 ち 自 利 利 他 に 能 は ず ( 論 、 2 1 0 頁)。 ?jEyl生法身も方便法身のはたらきがなければ現実に顕出しえないというのであ る。もとよりその方便法身45?2去ヤ|生法身に由って生ずるとする。したがって方便 法 身 に 由 っ て 法 性 法 身 が 生 ず る と い う の で は な い 。 こ の 「 生 ず 」 と 「 出 す 」 の 言 葉づかいに注意しなくてはならない。こうしてこの?とか|生法身と方便法身とは異 っ て は い る か 分 け る こ と が で き な い も の で あ り 、 一 つ で あ っ て 而 も 同 し と す る こ と が で き な い も の と す る 。 こ こ に 方 便 法 身 の は た ら き が 欠 か す こ と が 出 来 な いことがわかる。 と こ ろ で そ の 方 便 は 智 慧 に 裏 打 ち さ れ て い な け れ ば な ら な い 。 般若JJ坤1に薦声・る・ズIV?Sダ)名なりヽ万ノブ便J=:に携に通二乱之智o称ヤ。如 に 達 す れ ば 、 則 ち 心 行 寂 滅 な り 。 権 に 通 ず れ ば 、 則 ち 備 に 衆 機 に 省 く 之 智 な り 、 備 に 応 じ て 元 知 な り 。 寂 滅 之 慧 、 亦 元 知 に し て 備 に 省 く 。 然 ば 則 ち 智 慧 と 方 便 と 相 ひ 縁 じ て 動 じ 、 相 ひ 縁 じ て 静 な り 。 動 、 静 を 失 せ ざ る こ と は 智 慧 之 功 也 、 静 、 動 を 廃 せ ざ る こ と は 方 便 之 力 也 。 是 の 故 に 智 慧 と 慈 悲 と 方 便 と 、 般 若 を 摂 取 す。 般 若 、 方 便 を 摂 取 す。 応 知 と は 、 謂 く 智 慧 と 方 便 は 是 菩 の 父 母 な り 、 若 し 智 慧 と 方 便 と に 依 ら ず ば 、 菩 の 法 則 、 成 就 せ ざ る こ と を 知 る 応 し 。 何 を 以 て の 故 に 、 若 し 智 慧 元 く し て 衆 生 の 為 に す る 時 ん ば 、 則 ち 顛 倒 に 堕 せ む 。 若 し 方 便 元 く し て 法 性 を 観 ず る 時 ん ば 、 則 ち実際を証せむ。是の故に知る応しと(論 、217­8頁)。 こ の 文 は 『 浄 土 論 』 の 「 名 義 摂 対 」 の 所 で 「 智 慧 と 慈 悲 と 方 便 と の 三 種 の 門 は般若を摂取し、般若は方便を摂取す、知る応し」8)の注である。 さ き に 大 悲 心 の 完 成 か ら 衆 生 済 度 へ の 還 相 を 見 て き た が 、 こ こ で も そ の 慈 悲 8)同上、204頁。 15

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が 言 わ れ る 。 そ し て 還 相 と し て 智 慧 と 方 便 と が 取 り 上 げ ら れ る 。 還 相 の 菩 に と っ て 智 慧 と 方 便 と は 父 母 で あ り 、 も し 父 母 で あ る 智 慧 と 方 便 と に よ ら な け れ ば 、 菩 の 守 ら な け れ ば な ら な い 修 行 は 成 就 し な い 。 般 若 と は 如 に 達 す る 慧 の 名 で 、 心 行 寂 滅 で あ る 。 一 方 、 方 便 と は 権 ( 仮 ) に 通 ず る 智 の こ と で 、 つ ぶ さ に さ ま ざ ま な 人 々 を は っ き り と 知 り っ く す 智 で あ る 。 方 便 が 智 慧 な く し て 衆 生 の た め に す る 時 は 顛 倒 に 堕 す だ ろ う 。 ま た 智 慧 は 方 便 な く し て 法 性 を 観 ず る と き は 、 小 乗 の 真 実 を さ と る だ け で あ る と す る 。 こ の 「 実 際 」 と い う 語 は 後 に も ふ れ る が 、 究 極 の 根 拠 、 真 実 の 理 法 の こ と で、 涅 槃 の 異 名 と も さ れ る が 9 ) 、 曇 鸞 も同じく『論 』で、「声聞は実際を以て証とす」(252頁)と言っているように、 小 乗 の 涅 槃 の 意 で あ る 。 智 慧 な き 方 便 は 顛 倒 に 堕 す が 、 方 便 な き 智 慧 は 小 乗 の 真 実 を さ と る だ け 、 と い う の で あ る 。 つ ぶ さ に さ ま ざ ま な 人 た ち を は っ き り 知 り っ く す 方 便 の 権 智 が な け れ ば 、 千 差 万 別 の 一 切 衆 生 の 機 に 対 応 す る 術 が な い 。 そ れ ぞ れ の 人 の か か え て い る そ の 人 そ の 人 の 事 情 が つ ぶ さ に 知 悉 さ れ な け れ ば 、 充 分 な 善 巧 方 便 は で き ず、 済 度 は 十 全 に 出 来 な く な る か ら で あ る 。 曇 鸞 は 方 便 に つ いて こう 解 説 して い る 。 正 直 を 方 と 曰 ふ ヽ 丿 E u 弓 を 便 と 曰 ふ 。 正 直 に 依 る が 故 に ヽ  ̄ 切 衆 生 i い 隣 懲 す る 心 を 生 ず、 外 己 に 依 る が 故 に 、 自 身 を 供 養 し 恭 敬 す る 心 を 遠 離 せ り (論 、216頁)。 外 己 と は 「 ホ カ ニ ス オ ノ レ 」 と 親 鸞 が 左 訓 し て い る よ う に 、 自 己 の こ と は 除 外 す る と い う 意 。 方 便 と は 己 を 除 外 し 、 一 切 衆 生 を 憐 懲 す る 心 を も つ よ う に な る こ と で 、 こ の 方 便 の 曇 鸞 の 解 釈 は 古 来 有 名 な も の と い わ れ て い る 。 r 浄 土 論 』 に は 、 「 善 巧 摂 化 」 に つ いて 柔 軟 心 の 成 就 を い う が 、 曇 鸞 は 更 に 「 柔 軟 心 と は 、 謂 く 広 略 の 止 観 相 順 t . 修 行 して 不 二 の 心 を 成 ぜ る 也 」 と し ( 2 1 3 頁 ) 、 柔 軟 心 、 不 二 の 心 を 言 う 。 菩 の 巧 方 便 に は 、 頻 り に 自 身 の た め に 諸 楽 を 求 め ず、 自 身 に 貪 著 す る こ と を 遠 離 し て 、 一 切 衆 生 の 苦 を 抜 く よ う に す す め る 。 そ こ を 曇 鸞 は 方 便 を 正 直 外 己 と し た の で あ ろ う 。 そ れ で は 菩 に つ い て 見 る こ と に す る 。 菩 菩 に つ い て 、 親 鸞 は 『 涅 槃 経 』 の 次 の 文 を 引 い て い る 。 諸 仏 如 来 は 煩 悩 起 ら ず、 是 を 涅 槃 と 名 く 。 所 有 の 智 慧 、 法 に 於 て 元 尋 な り 、 是 を 如 来 と 為 。 如 来 は 是 凡 夫 声 聞 縁 覚 菩 に 非 ず、 是 を 仏 性 と 名 く 。 如 来 は 身 心 智 慧 、 元 量 元 辺 阿 僧 の 土 に 偏 満 し た ま ふ に 、 障 尋 す る 所 元 し 、 是 を 虚 空 と 名 く 。 如 来 は 常 住 に して 変 易 有 る こ と 元 れ ば 、 名 て 実 相 と 曰 ふ 。 是 の 義 を 以 て の 故 に 、 如 来 は 実 に 畢 竟 涅 槃 に あ ら ざ る 、 是 を 菩 と 名 く と 9)中村元『広説仏教語大辞典』中、東京書籍株式会社、2001年、697頁③。 16

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(真仏土巻、239頁)。 如 来 は 涅 槃 で 、 凡 夫 や 声 聞 、 縁 覚 、 菩 で は な く 、 常 住 に し て 変 易 あ る こ と な し 、 と 言 い な が ら 、 最 後 に 「 畢 竟 涅 槃 」 に 入 る こ と が な い の で 、 菩 と 名 づ け る と い う 。 何 故 、 如 来 は 究 極 の 涅 槃 に 入 ら な い と い う の で あ ろ う か 。 こ れ に 関 し て 石 田 瑞 麿 氏 は 、 如 来 は 涅 槃 と は い っ て も こ の 迷 い の 世 界 と の 関 係 を 断 つ よ う な 涅 槃 の 世 界 に お は い り に な ら な い か ら 、 そ こ で 菩 と 名 づ け る と い う の であろうと言われる1o)。私もそう思う。 三 枝 充 悳 氏 に よ る と 、 初 期 大 乗 に 入 り 、 菩 思 想 の 発 展 か ら 、 仏 と な る こ と を 放 棄 し て 、 あ く ま で 菩 の ま ま 、 解 脱 に と り わ け 衆 生 の 救 済 ( 済 度 ) に 専 念 す る と い う 、 新 た な 大 乗 菩 が 誕 生 す る 。 そ の 最 も 著 名 な の は 観 音 菩 で 未 来 世 に 仏 と な る こ と を も 、 み ず か ら 当 初 か ら 放 棄 し て 、 ひ た す ら 奉 仕 や 救 済 に 専 念 す る よ う に な る 。 さ ら に 拡 大 し て 名 称 の 特 定 を 捨 て て 、 無 名 の ま ま に 、 菩 道の完遂をめざす菩 が出現するとされる11)。 さ き の 『 涅 槃 経 』 の 文 は 真 仏 土 巻 に 引 用 さ れ て い る も の で 、 涅 槃 に 安 住 せ ず、 浄 土 の 命 を 捨 て て 、 仏 よ り 低 い 位 の 菩 と な り 、 迷 い の 世 界 に 還 相 し 一 切 二 苫 悩 の 衆 生 を 済 度 し よ う と す る 菩 こ そ 真 の 仏 と い う の で あ る 。 証 巻 で は 浄 土 の 三 厳 二 十 九 種 の 荘 厳 功 徳 成 就 の う ち 、 国 土 の 十 七 種 、 仏 の ハ 種 の 荘 厳 功 徳 成 就 の 一 々 に つ い て の 『 論 』 か ら の 引 用 は な い が 、 菩 の 四 種 に つ い て は 一 々 引 用 さ れ て い る 。 菩 の は た ら き の 解 明 に 力 を 入 れ て い る こ と がわかる。 さ て 、 浄 土 に 生 ま れ て 直 ち に か の 仏 を 見 た て ま つ れ ば 、 初 地 か ら 七 地 ま で の 未 証 浄 心 の 菩 も 畢 竟 し て ハ 地 以 上 の 平 等 法 身 を 得 証 す る 。 そ れ は ハ 地 の 浄 心 の 菩 は 上 地 ( ハ 地 以 上 の 第 九 地 、 第 十 地 ) の 諸 々 の 菩 と 畢 竟 し て 同 じ く 寂 滅 平 等 を 得 る か ら で あ る と い わ れ て い る 。 こ の 平 等 法 身 と は ハ 地 以 上 の 法 性 生 身 の 菩 で あ り 、 寂 滅 平 等 の 法 で あ る 。 即 ち こ の 寂 滅 平 等 の 法 を 得 る を 以 て 平 等 法 身 と 名 づ け 、 平 等 法 身 の 菩 の 所 得 で あ る が 故 に 寂 滅 平 等 の 法 と 名 づ け る とする(論 、202頁)。 と こ ろ で こ の ハ 地 以 上 の 菩 は 報 生 三 昧 を 得 、 そ の 三 昧 の 神 力 に よ っ て 、 能 く 一 処 に 居 な が ら 、 一 念 一 時 に 十 方 世 界 に 偏 く 姿 を 現 し て 、 種 々 に 一 切 諸 仏 及 び 諸 仏 説 法 の 会 座 に っ ら な る 人 た ち を 供 養 す る 。 ま た 能 く 元 量 の 世 界 に 仏 法 僧 10)石田瑞麿『教行信証』下、春秋社、1979年、補注9頁。 11)三枝充悳『仏教入門』(岩波文庫)1990年、140­5頁。 な お 、 菩 に つ い て は 、 山 口 益 『 空 の 世 界 一 大 乗 経 典 の 宗 教 的 性 格 ­ 『 動 仏 と 静 仏 一 仏 教 に お け る 実 践 の 体 系 ­ 』 同 上 、 1 9 5 2 年 ( 上 記 二 書 共 に 、 『 空 の 世 界 』 同 上 、 1 9 6 7 年 に 所 収 ) 、 同 『 大 乗 と しての 浄 土 』 同 上 、 1 9 6 3 年 。 梶 山 雄 一 『 菩 と い う こ と 』 人 文 書院、1984年、参照。 17

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ま し ま さ ぬ 処 に 、 種 々 に 姿 を 示 現 し 、 種 々 に 一 切 衆 生 を 教 化 し 度 脱 し て 常 に 仏 事 を な す。 け れ ど も 、 往 来 の 想 い 乱 供 養 の 想 い も 、 さ と ら せ た と い う 想 い も 、 固 よ り な い 。 そ こ で こ の よ う な 身 を 平 等 法 身 と 名 づ け 、 こ の 法 を 寂 滅 平 等 の 法 と名づける。 こ れ に 対 し 、 未 証 浄 心 の 菩 も 百 千 万 億 と い っ た 元 仏 の 国 土 で 身 を 能 く 現 し 、 仏 事 を 施 作 す る 。 と こ ろ が 上 述 の ハ 地 以 上 の 菩 の 仏 事 を 作 す の に 、 往 来 ・ 供 養 ・ 度 脱 の 想 い と い う の が 固 よ り な い の に 比 較 し て 、 こ の 菩 で は 「 作 心 」 が あ る の で 、 未 証 浄 心 と す る の で あ る 。 け れ ど も 、 こ の よ う な 未 証 浄 心 の 菩 で も 安 楽 浄 土 に 生 れ る や 直 ち に 阿 弥 陀 仏 を 見 た て ま つ り た い と 願 い 、 阿 弥 陀 仏 を 見 る 時 、 上 地 の 諸 菩 と 畢 竟 し て 同 じ 平 等 法 身 と 寂 滅 平 等 の 法 身 と を う る と す る(論 、202­3頁)。 こ の ハ 地 以 上 の 菩 の 報 生 三 昧 か ら 菩 の 四 種 荘 厳 功 徳 成 就 が 展 開 す る 。 す なわちU1)不動而至・不動応ィヒ、(2ト念偏至・同時利生、(3)無想供養1へ(4)偏 至三宝・示法如仏である(論 、207­9頁)。 要するに巾(2)(3)は有仏の世に対し、(4)は無仏の世に対し、ハ地以上の菩 の 報 生 三 昧 を よ り く わ し く 開 示 し た も の と い え よ う 。 と こ ろ で 、 未 証 浄 心 の 菩 が 報 生 三 昧 の 菩 に な る に は 、 一 大 難 関 が あ る 。 菩 、 七 地 の 中 に 於 て 大 寂 滅 を 得 れ ば 、 上 に 諸 仏 の 求 む 可 を 見 ず、 下 丿 こ 衆 生 の 度 す 可 4 を 見 ず。 仏 道 を 捨 て ヽ 実 際 を 証 せ む と 欲 す。 爾 時 に 若 し 十 方 諸 仏 の 神 力 加 勧 を 得 ず ば 、 即 便 滅 度 し て 二 乗 と 異 元 け む 。 菩 若 し 安 楽 に 往 生 し て 阿 弥 陀 仏 を 見 た て ま っ る に 、 即 ち 此 の 難 元 け む 。 是 の 故 に 須 ら く 畢 竟平等と言ふべし(論 、204頁)。 菩 は 七 地 の 位 で 大 寂 滅 を 得 る か ら 、 上 に 求 め な け れ ば な ら な い 仏 の 境 界 も な く 、 下 に 済 度 し な け れ ば な ら な い 衆 生 も な い 。 仏 道 を 捨 て て 、 究 極 的 な 境 界 を さ と ろ う と す る 。 こ れ は 既 述 の よ う に 涅 槃 に 安 住 満 足 し 、 上 求 菩 提 の 向 上 心 も な く 、 下 化 衆 生 の 済 度 の 心 も な い 。 仏 道 を 捨 て た 二 乗 の 人 と な る 。 い わ ゆ る 七 地 沈 空 の 難 と い わ れ て い る も の で あ る 。 こ の 難 関 を 突 破 せ し め る の が 、 安 楽 浄 土 に 往 生 して 、 阿 弥 陀 仏 を 見 る こ と だ と す る 。 こ の よ う に 畢 竟 涅 槃 に 入 ら ず、 菩 に な り 下 が り 、 大 慈 悲 に よ っ て 一 切 衆 生 の 苦 を 抜 こ う と 、 生 死 の 園 、 煩 悩 の 林 に 再 び 戻 っ て き て 、 種 々 の 身 、 種 々 の 神 通 、 種 々 の 説 法 す る 「 遊 戯 神 通 」 の 世 親 の 言 葉 を 曇 鸞 は 次 の よ う に 注 して い る 。 菩 の 応 化 身 と は 、 『 法 華 経 』 の 「 普 門 品 」 に 説 く 観 音 菩 が さ ま ざ ま に 身 を 変 えて 示 現 す る 、 そ の た ぐ い で あ る と し て 、 そ の 遊 戯 に 、 二 つ の 意 味 が あ る 。 即 そ う じ ょ う か た ち 1 2 ) こ こ に 僧 肇 法 師 の 「 法 身 は 像 元 く し て 形 を 殊 に す 」 、 即 ち 法 身 は 像 が な い ま ま で 、 さ ま ざ ま な 形をとって現れるという言葉を引いている(209頁)。 18

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ち ( 一 ) 自 在 の 義 。 菩 衆 生 を 度 す、 讐 ば 師 子 の 鹿 を 祷 に 、 所 為 難 ざ る が 如 き は 、 遊 戯 す る が 如 似 し 。 ( 二 1 ) 度 元 所 度 の 義 。 菩 、 衆 生 を 観 ず る に 、 畢 竟 じ て 有 所 元 し 。 元 量 の 衆 生 を 度 す と 雖 も 、 実 に 一 衆 生 と して 滅 度 を 得 る 者 。 元 し 。 衆 生 を 度 す と 示 すこと遊戯するが如似し(論 、222­3頁)。 と 。 私 の 解 説 は 不 要 で あ る 。 遊 び に は 目 的 も 理 由 も な い 。 度 無 所 度 の 意 は 原 文 の 通 り で あ る が 、 桐 渓 順 忍 氏 は 衆 生 救 済 を や っ て も 、 自 分 が 救 っ た と 執 着 を も か な い こ と と 注 し 、 済 度 して も 済 度 し た と い う 想 い が な い と さ れ 1 3 ) 、 石 田 瑞 麿 氏も、救っても救ったという想いがないと訳されている14)。 二 真 の 仏 と は 『 教 行 証 』 真 仏 土 巻 の ま ず 初 め に は 謹 で 真 仏 土 を 按 れ ば 、 仏 は 則 ち 是 不 可 思 議 光 如 来 な り 、 土 は 亦 是 元 量 光 明 土 也 。 然 れ ば 則 ち 大 悲 の 誓 願 に 酬 報 す る が 故 に 、 真 の 報 仏 土 と 曰 ふ な り 。 既にして願有す、即ち光明寿命之願是也(227頁)。 即 ち 真 仏 土 と は 、 真 の 仏 と 真 の 仏 土 の こ と と い う 。 こ こ で も ま ず 結 論 で あ る 。 そ の 真 仏 と は 不 可 思 議 光 如 来 と あ る 。 こ の 如 来 は 阿 弥 陀 仏 の こ と で 、 曇 鸞 の 『 讃 阿 弥 陀 仏 偶 』 に 「 難 思 光 仏 と 元 称 光 仏 と を 合 して 南 元 不 可 思 議 光 仏 と の た ま へり」15)と親鸞は言い、また世親の『浄土論』から尽十方元尋光如来(元尋光如 来 ) と も い っ て い る こ こ で は 元 尋 光 如 来 と し て 見 る こ と に す る 。 尽 十 方 元 尋 光 如 来 阿 弥 陀 と は 法 然 も 言 っ て い る よ う に 7 ) 、 天 竺 の 梵 語 で 、 サ ン ス ク リ ッ ト の 原 名 は 二 つ で 無 限 の 寿 命 を も つ も の 、 無 限 の 光 明 を も つ も の の 意 で 、 ど ち ら も 阿 弥 陀 と 音 写 さ れ た 。 そ の ど ち ら が 先 か に つ い て は 種 々 論 議 さ れ て い る 。 法然は、「寿命を本とし」17)とする。それでは寿命を本としたのはどういう理由 に よ る の か 。 法 然 は 言 う 。 大 経 の 第 十 三 願 の 寿 命 元 量 の 願 は 弥 陀 如 来 が 自 身 の 長 寿 を 願 っ た も の で は な く 、 衆 生 を 一 人 の こ ら ず 真 の 浄 土 に 届 け る た め に は 、 命 が い く ら あ っ て も 足 り な い の で 寿 命 の 限 り な い こ と を 願 っ た 。 そ こ で 寿 命 元 量 が 本 だ と い う 1 8 ) 。 真 仏 土 巻 は 第 十 二 願 の 光 明 元 量 之 願 と 第 十 三 願 の 寿 命 元 量 之 願 と を 標 挙 に 掲 げ て い る 。 13)桐渓順忍『教行信証に聞く』中、教育新潮社、1967年、346頁。 14)石田・前掲書、296頁。 15)『弥陀如来名号徳』定本三、和文 、231­2頁。 16)真筆本『尊号真像銘文』(広本)同上、85­7頁。 17)『西方指南抄』上本、定本五、33­4頁。 19

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大経では元量寿・fム(阿弥陀仏)の光明のはたらきに十二光仏、即ち元量光、 元 辺 光 、 元 尋 光 、 元 対 光 、 炎 王 光 、 清 浄 光 、 歓 喜 光 、 智 慧 光 、 不 断 光 、 難 思 光 、 元 称 光 、 超 日 月 光 の 仏 を あ げ、 大 経 の 異 訳 で あ る 『 元 量 寿 如 来 会 』 で は 十 四 光 ( 元 量 光 、 元 辺 光 、 元 著 光 、 元 尋 光 、 光 照 王 、 端 厳 光 、 愛 光 、 喜 光 、 可 観 光 、 不 了万iT思議光、元等不可称量光、映 日光、瑛 月光、掩奪日月光)を列挙してい る(228­9頁)。親鸞は両者のうち、大経の十二光仏を採用している。十四光の ほ う に は 、 真 仏 と は 大 経 に は 元 辺 光 仏 元 尋 光 仏 と 言 へ り 、 と 親 鸞 が い い ( 2 6 5 頁 ) 、 ま た 元 辺 光 を ひ か り の き わ ほ と り な く 十 方 を て ら す と 言 っ て い る か ら で あ ろ う ‰ つ ま り 無 辺 光 仏 や 智 慧 光 仏 が 見 え な い か ら に ち が い な い 。 親 鸞 は こ の 十 二 光 仏 の う ち で ず る と こ ろ は 元 尋 光 仏 を 「 本 と せ さ せ た ま ふ べくさふらふ」と2o)、元尋光仏を十二光仏の「本」とするといい、こう解説して いる。 尽 十 方 と い ふ は 、 尽 は つ く す と い ふ 、 こ と ご と く と い ふ 、 十 方 世 界 を つ く して こ と ご と く み ち た ま へ る な り 。 元 尋 と い ふ は 、 さ わ る こ と な し と 也 、 さ わ る こ と な し と ま ふ す は 衆 生 の 煩 悩 悪 業 に さ え ら れ ざ る 也 。 光 如 来 と ま ふ す は 阿 弥 陀 仏 な り 、 こ の 如 来 は す な わ ち 不 可 思 議 光 仏 と ま ふ す。 こ の 如 来 は 智 慧 の か た ち な り 、 十 方 微 塵 刹 土 に み ち た ま へ る な り と し る べ し と な り 尽 十 方 元 尋 光 如 来 の 尽 十 方 、 元 尋 、 光 如 来 の そ れ ぞ れ に つ い て 、 ゐ な か の 人 々 に 文 字 通 り 懇 ろ に 解 説 し て い る 。 す な わ ち ( 1 ) 尽 十 方 。 十 方 世 界 を 尽 く して 悉 く 十 方 微 塵 刹 土 に 満 ち み ち て い る 。 (2)元尋。さわることなしで、どんな煩I 悪業も妨げにならない。 ( 3 ) 光 如 来 。 阿 弥 陀 仏 で 、 智 慧 の か た ち で あ る 。 こ の 光 明 の 功 徳 に つ い て の 法然の言葉22)をもとにして親鸞は『弥陀如来名号徳』を執筆した。法然は十 二 光 仏 の そ れ ぞ れ の 光 明 の 功 徳 を 述 べ て い る が 、 な か で も 元 尋 光 仏 の 光 明 に つ い て 、 こ う い う 。 極 楽 世 界 と 娑 婆 世 界 と の 間 に 十 万 億 の 三 千 大 千 世 界 を へ だ て て い る 。 そ の 一 々 の 三 千 大 千 世 界 に 各 々 四 重 の 「 く ろ が ね の め ぐ れるやま」23)の鉄囲山がある。ところが元尋光は十万億の世界、大小諸山を 「とほりてらして」22)(徹照)24)、念仏衆生を摂取すると。親鸞はこの法然の 解 釈 に 、 「 有 情 の 煩 悩 悪 業 の こ ヽ ろ に さ え ら れ ず ま し ま す に よ り て 、 元 尋 光 18)同上、48­9頁。 19)r弥陀如来名号徳』前掲書、226頁。 20)『親鸞聖人御消息集』所収の10月21日付唯信御房御返事、定本三、書簡 、154­5頁。 21)注16)と同、87頁。 22)注17)と同、34­9頁。 23)注15)と同、226頁、親鸞の鉄囲山の左訓。 2 0

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仏とまふすなり」25)という解釈をつけ加えている。これによって四重の鉄囲 山 を も 徹 照 す る 元 尋 光 仏 の 光 と は 救 済 の 光 の こ と で あ り 、 し か も そ の 救 済 の 光 は 智 慧 で あ る と い う の で あ る 。 そ れ で は ど ん な 衆 生 の 煩 悩 悪 業 も 障 碍 にならないという上記(2)についてみる。 真 仏 土 巻 で は 根 本 煩 悩 の 三 毒 ( 貪 一 財 ・ 貪 、 瞑 、 豪 ) と か ( 大 経 、 大 阿 弥 陀経、1228­232頁)、地獄・畜生・餓鬼など(大阿弥陀経、232頁)の苦しみがそ の 光 に よ っ て 解 消 す る と あ る が 、 難 中 の 難 と さ れ る 法 正 法 、 五 逆 罪 、 一 間 提 の 極 悪 罪 も 後 述 す る よ う に 救 わ れ る と す る 。 と こ ろ で 親 鸞 は 『 仏 説 諸 仏 阿 弥 陀 三耶三仏 楼仏檀過度人道経』(大阿弥陀経、廿四願経ともいう26))から、「諸有 の 人 民 、 帽 飛 嬬 動 之 類 、 阿 弥 陀 仏 の 光 明 を 見 ざ る こ と 莫 き 也 。 見 た て ま つ る 者 慈 心 歓 喜 せ ざ る 者 莫 け む 」 ( 2 3 1 頁 ) と い う 語 を 引 用 して い る 。 親 鸞 は ま た 行 巻 に お い て 同 経 の 第 四 願 か ら 「 諸 天 人 民 、 飛 嬬 動 之 類 、 我 が 名 字 を 聞 て 慈 心 せ ざるは莫けむ」を引用している(19頁)。 こ れ に 関 し 、 法 然 の 高 弟 聖 光 は 『 浄 土 宗 要 集 』 第 一 の 最 初 の 「 浄 土 三 部 経 事 」 で 、 大 経 と 大 阿 弥 陀 経 ・ 平 等 覚 経 と の 念 仏 往 生 の 本 願 の 文 に つ い て 比 較 し 、 大 阿弥陀経・平等覚経の方が勝っているとする27)。 大 経 で は 人 間 と 天 と の 二 類 「 往 生 」 し か 言 及 な い が 、 大 阿 弥 陀 経 で は 人 天 の 外 に 「 畜 類 の 往 生 」 も 分 明 で あ る か ら 大 経 よ り 勝 っ て い る と す る 。 親 鸞 が 大 経 だ け で 満 足 せ ず、 大 阿 弥 陀 経 の 帽 飛 嬬 動 の 類 の 往 生 を 二 度 に わ た っ て 引 用 し て い る ゆ え ん で あ ろ う 。 絹 と 嬬 は 親 鸞 が 「 ム ク メ ク ム ク メ ク 」 と 左 訓 し て い る よ う に 、 辞 書 4 J ニ は 絹 は い も む し の 貌 と あ り 、 胃 は 骨 の な い 小 虫 の 貌 。 嬬 は 虫 の う ご め く 貌 で 、 嬬 虫 は 体 質 が や わ ら か く 骨 を 生 ぜ ず 運 動 器 な く し て 、 只 、 体 を 動 か し て 歩 行 す る も の で 、 み ヽ ず、 ひ る 、 さ な だ む し の 類 と あ る 。 絹 飛 嬬 動 と は 空 に 飛 び は ね る 虫 け ら 、 地 に む く め く 骨 の な い さ な だ 虫 と か い も 虫 、 蛭 で 、 耳 に し た だ け で も ぞ っ と す る 類 で あ る 。 そ う し た 絹 飛 嬬 動 の 類 の 往 生 が 説 か れ て い る の で あ る 。 藤 田 宏 達 氏 は 「 念 仏 と 称 名 」 の 論 文 で 、 観 音 菩 の 霊 験 譚 を 集 め た 密 教 経 典 『 カ ー ラ ン ダ ヅ ュ ー ハ 』 の 中 に 、 観 音 菩 が ヴ ァ ー ラ ー ナ シ ー 市 の 積 悪 の 場 処 に い る 無 数 百 千 万 の 岨 虫 の 類 を 救 済 す る た め に 、 身 を 蜂 の 姿 に 変 え て 近 づ い て 行 っ た 。 す べ て の 虫 類 は 蜂 ( 観 音 ) に な ら い 、 仏 ・ 法 ・ 僧 に 帰 命 し た て ま つ る と 名 を 隨 念 し 、 極 楽 に 生 れ 、 芳 香 あ る 口 と い う 菩 と な っ た と 記 されている28)。これが仏菩 の慈悲である。 24) 25) 26) 27) 同上、227頁。 同上、226頁。 『教行証』行巻頭注19頁。 『浄土宗要集』一『浄土宗全書』十、1910年、131頁。 21

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親 鸞 は そ れ だ け で は な い 。 「 こ の 如 来 微 塵 世 界 に み ち み ち て ま し ま す、 す な は ち 一 切 群 生 海 の 心 に み ち た ま へ る な り 、 草 木 国 土 こ と ご と く み な 成 仏 す と と け り 」 と へ 元 尋 光 如 来 に よ る 草 木 国 土 悉 皆 成 仏 も 言 う の で あ る 。 親 鸞 は 元 尋 光 如 来 の 「 元 尋 」 と は 、 さ わ る こ と な し と 也 、 と そ の 意 味 を 述 べ 、 つ ぎ にそ の さ わ る こ と な し と い う の は 、 「 衆 生 の 煩 | 薗 悪 業 に さ え ら れ ざ る 也 」 と 言 う 。 こ こ が 重 要 で あ る 。 法 然 で は 光 の 徹 照 す る こ と は 「 こ の 界 の 念 仏 衆 生 を 摂 取 し た ま ふ に 障 尋 あ る こ と な し 。 余 の 十 方 世 界 を 照 摂 し た ま ふ こ と も 、 ま た かくのごとし。かるがゆへに元尋光といふ」3o)という。ここにはこの界の念仏衆 生 の 摂 取 と か 余 の 十 方 世 界 を 照 摂 す る と あ る が 、 光 の 「 と ほ り て ら 」 す こ と に 障 碍 な し と す る の が 主 に 見 え る 。 と こ ろ が 親 鸞 は そ れ を 踏 ま え た 上 で ど ん な 煩 悩 悪 業 も 障 碍 に な ら な い と い う 。 親 鸞 の 弟 子 の 書 い た 『 異 抄 』 は 、 「 念 仏 者 は 元 尋 の 一 道 な り 」 と 。 そ れ は 何 故 に 元 尋 か と い え ば 、 天 神 、 地 も 敬 服 し 、 魔 界 ・ 外 道 も 障 碍 し え ぬ 。 罪 業 も 業 報 を 感 ず る こ と 能 は ず、 諸 善 も 及 ぶ こ と な き ゆ へ な り 、 と して い る の で あ る 呪 た と え ば 、 『 岩 波 仏 教 辞 典 第 二 版 』 の 「 無 擬 」 の 項 を 見 て も 、 ど ん な 煩 悩 悪 業 も 妨 げ に な ら な い と か 、 『 異 抄 』 の 上 記 の 如 き り 月 快 な 断 言 は 見 え な い 3 呪 親 鸞 に と っ て は 言 葉 の 単 な る 説 明 で は な く 、 そ れ が 私 の 人 間 苦 に と っ て ど う な の か が 問 題 な の で あ る 。 難 治 の 三 種 病 人 の 五 逆 罪 ・ 一 間 提 ・ 誇 正 法 の 元 碍 に と ど ま ら ず、 人 天 だ け で な く 、 飛 嬬 動 の 類 の 慈 心 歓 喜 、 草 木 国 土 の 悉 皆 成 仏 、 そ れ を 満 た す の が 真 の 仏 と い う の で あ る 。 壮 大 で ある。 変 現 自 在 の 応 化 真 仏 土 巻 の 前 半 約 半 分 は 『 涅 槃 経 』 の 引 用 文 で あ る 。 後 半 は そ れ を 受 け て 『 浄 土 論 』 と 『 論 』 、 そ れ に 善 導 の 観 経 疏 等 を 引 用 し 、 結 び へ と 至 っ て い る 。 こ こ で は 前 半 に 主 力 を 注 ぐ こ と に す る 。 そ れ は こ こ に ま ず 難 治 の 機 の 三 者 中 の 一 人 、 一 間 提 を 如 何 に 救 う か が ま ず 掲 げ ら れ て い る か ら で あ る 。 最 初 に 真 仏 土 の 本 質 と し て 、 真 の 解 脱 、 光 明 、 仏 性 の 無 為 常 住 、 大 涅 槃 に お け る 道 ・ 菩 提 ・ 涅 槃 の 常 、 大 涅 槃 の 四 大 楽 と 純 浄 の 四 大 浄 、 大 涅 槃 と 如 来 に つ い て の 引 用 で 、 真 の 仏 土 と は 如 何 な る も の で あ る か を 明 ら か に す る 。 そ の 上 で 一 間 提 の 救 済 が 説 か れ る 。 す な わ ち 、 仏 性 未 来 。 ・ 仏 性 は 恰 も 虚 空 の よ う な も の で、 過 去 で も な く 、 未 来 で も な く 、 2 8 ) 藤 田 宏 達 「 念 仏 と 称 名 」 『 印 度 哲 学 仏 教 学 』 4 、 1 9 8 9 年 、 2 5 頁 。 『 大 乗 荘 厳 宝 王 経 』 二 、 大 正 (大正新脩大蔵経の略称、以下同)二十、55頁a。 29)『唯信紗文意』『真宗聖教全書』二、大ハ木興文堂、1973年再版、630頁。 30)注17)と同、36­7頁。 31)『 異抄』定本四、言行 (1)、10頁。 32)『岩波仏教辞典第二版』岩波書店、2002年、985頁G 22

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現 在 で も な い 。 と こ ろ で 衆 生 の 一 切 に 過 去 、 未 来 、 現 在 の 三 種 の 身 体 が あ る 。 そこで、 衆 生 、 未 来 に 荘 厳 清 浄 之 身 を 具 足 し て 、 仏 性 を 見 る こ と を 得 む 。 是 の 故 に 我、仏性未来と言へりと(涅槃経、240頁)。 過 去 、 現 在 に 仏 性 は な く と も 、 未 来 に 仏 性 を 見 る こ と が で き る だ ろ う か ら 、 ・ に 性 は 未 来 だ と い う 仏 性 未 来 と 言 っ た と い う の で あ る 。 一 切 衆 生 悉 有 ・ f ム 性 。 そ の 通 り だ と す る と 、 一 切 衆 生 は 悉 く 仏 性 が あ る ( 一 切 衆 生 悉 有 仏 性 ) と ど う して 説 く の か 。 衆 生 の ・ f ム 性 は 現 在 に 元 な り と 雖 も 、 元 と 言 ふ べ か らず。 虚 空 の 如 し 。 性 は 元 な り と 雖 も 、 現 在 に 元 と 言 ふ こ と を 得 ず。 一 切 衆 生 復 元 常 な り と 雖 も 、 而 も 是 れ ・ f L 八 性 は 常 住 に して 変 元 レ 是 の 故 に 我 れ 此 の 経 の 中 に 於 て、 衆 生 の 仏 性 は 非 内 非 外 に して 、 猶 を 虚 空 の 如 し と 説 き た ま ふ 。 非 内 非 外 に して 、 其 れ 虚 空 の 如 く して 有 な り 。 内 外 は 虚 空 な れ ど も 、 名 て 一 と 為 、 常 と せ ず。 亦 一 切 処 有 と 言 ふ こ と を 得 ず。 虚 空 復 非 内 非 外 な り と 雖 も 、 而 れ ど も 諸 の 衆生、悉く皆之有り。衆生の仏性も亦復是の如し(同、240しL頁)。 衆 生 に 仏 性 が 現 在 無 い か ら と い っ て 無 い と い っ て は な ら な い 。 虚 空 の よ う な も の で 、 そ の 本 体 は 無 い と い っ て も 現 在 も な い と は い え な い 。 一 切 衆 生 は 無 常 だ が 、 仏 性 は 常 住 で 変 る こ と は な い 。 衆 生 の ・ f ム 性 はそ の 人 の 内 に あ る の で も 外 に あ る の で も な く 、 そ れ は 虚 空 の 非 内 非 外 に し て 虚 空 の よ う に 有 る の で あ る 。 内 外 は 虚 空 で あ る が 、 こ れ と 同 じ も の と 名 づ け て 、 常 住 と は し な い し 、 ま た 一 切 の 処 に 有 る と い う こ と も 出 来 な い 。 虚 空 は ま た 非 内 非 外 と い っ て も 、 し か し ど ん な 衆 生 も 悉 く 皆 こ れ を 有 し て い る 。 衆 生 の 仏 性 も ま た か く の 如 し と 。 こ の 『 涅 槃 経 』 の 文 は 「 葉 菩 品 」 か ら の 引 用 で 、 葉 の 問 い に 仏 が 答 え て い る も の 。 以 下 こ の 葉 品 に そ っ て 変 現 自 在 の 仏 の 答 えを 見 る こ と に し た い 。 衆生の根性に決定なし。衆生の4ミEと性に決定があるなら、先に善根を断ったも の を 、 断 っ て し ま っ た 後 に ま た 善 根 が 生 ず る と い う こ と は あ り 得 な い 。 断 善 根 の 一 間 提 の 輩 が 地 獄 に 堕 ち て 、 そ こ で の 寿 命 が 一 劫 で あ る と い う こ と は 、 衆 生 の4ミliと性に決定なしということをよく語っている。そこで如来は一切のものには 定まったすがた(定相)がないとお説きになったのである(同、241­2頁)。 如 来 の 知 諸 根 力 。 如 来 は 衆 生 の 資 質 を 知 る 力 を 具 え て い る 。 そ こ で 一 切 衆 生 の 上 中 下 の 資 質 や 利 鈍 の 差 別 を 知 悉 し 、 「 人 に 隨 が ひ 、 意 に 隨 が ひ 、 時 に 隨 ふ が 故 に 、 如 来 知 諸 根 力 と 名 け た て ま つ る 」 と 。 そ の よ う な 、 人 、 意 、 時 に 応 じ た 知 諸 根 力 に よ っ て 四 重 禁 ( 婬 、 盗 み 、 殺 、 妄 語 で 教 団 追 放 の 重 罪 ) や 五 逆 罪 を 犯したものとか一間提等も仏性有りと説くと(同、243頁)。 如 来 は 、 そ れ ぞ れ の 国 の 1 奏 罫 情 に 応 ず る た め 、 時 節 に 応 ず る た め 、 他 語 ( よそ の 言 葉 ) に 応 ず る た め 、 人 の た め 、 衆 根 の た め に ひ と つ の こ と を 二 種 の 仕 方 2 3

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で 説 く 。 こ の 国 土 、 時 節 、 他 語 、 人 、 衆 根 の た め に 「 一 法 の 中 に 於 て 二 種 の 説 を 作 す 」 、 つ ま り 矛 盾 し た こ と を ど う し て 説 か れ る の か と い う 問 い に 対 す る 答 で あ る 胴 、 2 4 3 頁 ) 。 そ こ で そ の 説 き 方 に は 次 の 四 つ の 説 き 方 が 記 さ れ て い る 。 倒 一 名 の 法 に お い て 元 量 の 名 を 説 く 。 一 つ の 名 を も つ た も の に 量 り 知 れ な い 元 量 の 名 を 説 く と い う の で あ る 。 丁 度 、 涅 槃 の よ う な も の で 、 涅 槃 と 名 づ け る と と も に 、 元 生 、 元 出 、 元 作 、 元 為 、 帰 依 、 窟 宅 、 解 脱 、 光 明 、 燈 明 、 彼 岸 、 元 畏 、 元 退 、 安 処 、 寂 静 、 元 相 、 元 二 、 一 行 、 清 涼 、 元 闇 、 元 尋 、 元 静 、 元 濁 、 広 大 、 甘 露 、 吉 祥 と も 名 づ け る も の で 、 こ れ を 一 名 に 元 量 の 名 を 作 る と い う の で あ る 。 ( 2 ) 一 義 に 元 量 の 名 を 説 く 。 な お 帝 釈 天 の 如 し 、 と い い 、 後 は 乃 至 と し て 略 し て い る 。 経 典 4 J ニ は 僑 戸 、 婆 趾 婆 、 富 蘭 陀 羅 、 摩 怯 婆 、 因 陀 羅 、 千 眼 、 舎 脂 天 、 金 剛 、 宝 頂 、 宝 憧 の 名 を あ げ て い る 3 3 ) 。 当 面 、 必 要 な い の で 省 い た の で あ ろ う 。 ( 3 ) 元 量 の 義 に 於 て 元 量 の 名 を 説 く 。 仏 り 日 来 の 名 の 如 し で 、 義 異 名 異 で あ る 。 阿 羅 呵 、 三 貌 三 仏 陀 、 J I ほ 師 、 導 師 、 正 覚 、 行 足 、 大 師 子 王 、 沙 門 、 婆 羅 門 、 寂 静 、 施 主 、 到 彼 岸 、 大 医 王 、 大 象 王 、 大 竜 王 、 施 眼 、 大 力 士 、 大 元 畏 ヽ 宝 聚 ヽ 蜀 犬 ヽ 得 解 脱 ヽ 大 丈 夫 ヽ 天 人 師 ヽ 大 分 陀 利 ヽ 満 声 号 頂 き 大 福 田 ヽ 大 智 海 、 元 相 、 具 足 ハ 智 と 名 づ く と し 、 か く の 如 き 一 切 、 義 異 名 異 な り と 。 ( 4 ) 復 、 一 義 に 元 量 の 名 を 説 く こ と 有 り 、 と し て 、 例 え ば い わ ゆ る 陰 の 如 し と 。 陰 、 顛 倒 、 諦 、 四 念 処 、 四 食 、 四 識 住 処 、 有 、 道 、 時 、 衆 生 、 世 、 第 一 義 、 三 修 ( 身 戒 心 ) 、 因 果 、 煩 砿 解 脱 、 十 二 因 縁 、 声 聞 許 支 仏 と 名 づ く 。 仏 を 亦 地 獄 餓 鬼 畜 生 人 天 、 亦 過 去 現 在 未 来 と 名 づ く 。 是 を 一 義 に 元 量 の 名 を 説 く と 。 こ の よ う に し て 如 来 世 尊 は 諸 の 衆 生 の 根 機 に 応 じ て 広 の 中 に 略 を 説 い た り 、 略 の 中 に 広 を 説 い た り し て 、 「 第 一 義 諦 を 説 き て 世 諦 と す 。 世 諦 の 法 を 説 き て 第 一 義 諦 と す と 」 、 第 一 義 諦 を そ の 対 で あ る 世 諦 と 言 っ た り 、 世 諦 を 第 一 義 諦 と い っ た り す る と 胴 、 2 4 3 ­ 5 頁 ) 。 更 に 同 じ く 「 葉 品 」 か ら 如 来 の 身 体 に は 凡 そ 二 種 あ り と し て 、 生 身 と 法 身 に つ い て 説 く 。 第 一 の 生 身 と は 方 便 応 化 の 身 で 、 生 老 病 死 、 長 短 ・ 黒 白 の 差 、 彼 此 の 差 別 、 学 ( 悟 る た め に ま だ 学 ぶ 必 要 が あ る ) ・ 無 学 ( も う 学 ぶ こ と を 要 し な い ) の 区 別 の あ る 仏 の こ と 。 一 方 、 法 身 は 是 れ 常 楽 我 浄 で 、 生 身 と は 逆 に 一 切 生 老 病 死 、 非 白 非 黒 、 非 長 非 短 、 非 此 非 彼 、 非 学 非 元 学 を 離 れ た も の で あ る か ら 、 仏 の 出 世 及 び 不 出 世 に 33)『大般涅槃経』三十三、大正十二、563頁c。 24

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常 に 動 ぜ ず し て 変 易 あ る こ と が な い 。 そ こ で 私 の 弟 子 の な か で 私 の 真 意 を 理 解 し な い も の は 、 前 者 の 生 身 の 如 来 の こ と か ら 、 仏 身 と は 生 滅 す る 有 為 の 法 と 仏 は 言 わ れ た と 解 し 、 一 方 法 身 の 如 来 の こ と か ら 、 仏 身 と は 無 為 ( 有 為 の 対 ) の 法と仏はいわれたと言うだろうと(246頁)。 こ の 生 身 と 法 身 と は 矛 盾 し た も の で あ る が 、 生 身 が 方 便 応 化 の 身 で あ る か ら 両 者 は 不 二 で そ う 言 え る わ け で 、 さ き の 第 一 義 諦 と 世 諦 と の よ う に 方 便 応 化 の 妙 が よ く 表 れて い る 。 こ の よ う な 四 種 の 説 き 方 は 、 国 土 、 時 節 、 他 語 、 人 、 衆 根 の そ れ ぞ れ に 応 じ 、 如 来 の 知 諸 根 力 か ら 発 動 さ れ る 。 殊 に ( 4 ) の 一 義 に 元 量 の 名 を 説 く こ と 有 り と し て 、 陰 に 顛 倒 と い っ た り 、 そ の 対 の 諦 と い っ た り 、 煩 | 薗 と か そ の 対 の 解 脱 。 ま た 『 涅 槃 経 』 の 原 本 に は な い の に 3 へ 親 鸞 は 「 仏 」 の 一 字 を 挿 入 し て ヘ 仏 を 地 獄 餓 鬼 畜 生 人 天 と か 、 過 去 現 在 未 来 と 名 づ く と す る 。 そ の 変 現 自 在 の 応 化 、 そ れ が 正 に 真 実 の 証 の 真 の 仏 で は な か ろ う か 。 学 生 の 頃 、 宮 本 正 尊 先 生 の 御 講 義 で 、 仏 教 に は 女 郎 菩 が あ る と 拝 聴 し て 、 仏 教 っ て す ご い な あ 、 と 思 っ た こ と が あ る 。 親 鸞 の 高 弟 真 仏 の 『 経 釈 文 聞 書 』 の 中 に 、 「 親 鸞 夢 記 云 」 の 一 項 が あ る 。 こ の 夢 記 は 聖 徳 太 子 創 建 と 伝 え る 六 角 堂 の 救 世 観 世 音 菩 が 示 現 し 、 親 鸞 に 告 命 し て 「 行 者 宿 報 設 女 犯 、 我 成 玉 女 身 被 犯 、 一 生 之 間 能 荘 厳 臨 終 引 導 生 極 楽 勺 と い う の で あ る 真 仏 は 親 鸞 に 先 立 つ こ と 4 年 の 正 嘉 2 年 (1258)3月8日死とされており、親鸞夢記は親鸞在世中のもので、平松令三氏 は 記 事 内 容 の 信 頼 度 は 極 めて 高 い と 言 える と さ れて い る 3 7 ) 。 要 す る に 性 欲 を 満 た して の 念 仏 へ の 転 入 と い う 善 巧 方 便 と い え よ う 。 仏 国 土 の 荘 厳 功 徳 成 就 十 七 種 中 の 第 三 荘 厳 性 功 徳 成 就 に つ い て 『 浄 土 論 』 は 偶 に 「 正 道 大 慈 悲 出 世 善 根 生 」 と い う 。 曇 鸞 は こ れ に 注 し 、 安 楽 国 土 は 清 浄 の 性 成 就 の 故 に 、 諸 の 往 生 の 人 は 不 浄 の 色 、 不 浄 の 心 な く 、 畢 竟 し て 皆 、 清 浄 平 等 元 為 法 身 を 得 し む と い う 。 偶 の 正 道 の 大 慈 悲 は 出 世 の 善 根 よ り 生 ず、 と は 「 平 等 の 大 道 」 に つ い て い っ た も の で そ の 平 等 の 道 を 「 正 道 」 と い っ た 。 そ の わ け は 、 「 平 等 は 是 諸 法 の 体 相 」 で あ る か ら で あ る 。 か く 「 諸 法 平 等 な る を 以 て の 故 に 発 心 等 し 。 発 心 等 し き が 故 に 道 等 し 、 道 等 し き が 故 に 大 慈 悲 等 し 。 大 慈 悲 は 是 仏 道 の 正 因 な る が 故 に 、 正 道 大 慈 悲 と 言 へ り 」 と 。 而 し て そ の 慈 悲 に は 三 縁 がある。一は衆生縁(小悲)、二は法縁(中悲)、三は元縁(大悲)。この三縁中、 34)同上、564頁a。 35)星野元豊『講解教行信証』証の巻・真仏土の巻、法蔵館、1994年改訂、1481­2頁。 36)前掲『影印高田古典一、真仏上人集』125­7頁。 37)平松令三『親鸞』吉川弘文館、1998年、59­74頁。 25

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三 の 元 縁 の 慈 悲 が 大 悲 で、 大 悲 は 即 ち 是 出 世 の 善 也 。 安 楽 浄 土 は 此 の 大 悲 従 り 生 ぜ る が 故 な れ ば な り 。 か る が 故 に 此 の 大 悲 を 謂 ひ て 浄 土 之 根 と 為 。 か る が 故 に 出 世 善 根 生 と 曰 ふ なりと。 大 慈 悲 は 仏 道 の 正 因 で 、 安 楽 浄 土 は こ の 大 慈 悲 か ら 生 じ た も の で あ る か ら 、 大慈悲を浄土の根とする(論 、250­2頁)。 曇鸞は、「真如は是諸法の正幄なり」(207頁)、「平等は是諸法の体相」とし、 平 等 ( j 三 道 ) の 大 慈 悲 は 仏 道 の 正 因 で 、 そ の 大 慈 悲 を 浄 土 の 根 と し た 。 菩 の 変 現 自 在 の 応 化 は 、 浄 土 の 根 で あ る 平 等 の 大 慈 悲 か ら 現 わ れ る 。 そ れ は 平 等 は 諸 法 の 体 相 で あ る の と 呼 応 し て い る 。 衆 生 縁 、 法 縁 に か か わ ら ず に お き る 無 縁 の 大 悲 は 証 巻 に お け る 度 無 所 度 の 遊 戯 神 通 と ひ び き 合 っ て い る 。 真 の 仏 と は 何 か に つ い て 更 に す す め て み た い 。 三 八 万 四 千 の 法 門 、 余 の 教 え ・ 本 願 一 乗 海 既 述 の よ う に 、 難 治 の 機 と して 、 誇 正 法 、 五 逆 罪 、 一 間 提 の 三 極 重 罪 が 『 涅 槃経』に挙げられている(信巻、153頁)。これに関し親鸞はどう処したのか。 法 然 、 親 鸞 は 大 経 四 十 八 願 中 、 第 十 八 願 を 念 仏 往 生 の 願 と し た 。 A 設 我 得 仏 十 方 衆 生 至 心 信 楽 欲 生 我 国 乃 至 十 念 若 不 生 者 不 取 正 覚 唯 除 五 逆 誇正法38)。 B 若 我 成 仏 十 方 衆 生 称 我 名 号 下 至 十 声 若 不 生 者 不 取 正 覚 彼 仏 今 現 在 世 成 仏 当知本誓重願不虚衆生称念必得往生39イ45、382頁)。 A は 大 経 の 第 十 八 願 の 文 、 B は 善 導 の 『 往 生 礼 讃 偶 』 の 後 序 に 見 え る も の で、 「 又 如 無 量 寿 経 云 」 と して 次 下 に 記 し た 文 で あ る 。 無 量 寿 経 に 云 ふ が 如 し と 書 い て あ る か ら 、 善 導 は A の 文 を そ の よ う に 解 し て い た わ け で あ る 。 こ の A と B と の 文 を 比 較 し て み る と 、 善 導 は A の 「 乃 至 十 念 」 を 「 称 我 名 号 下 至 十 声 」 と 書 き 替 え て い る 。 も う 一 つ A の 最 後 に あ る 「 唯 除 五 逆 誇 正 法 」 の 八 字 を 記 入 3 8 ) 大 経 第 十 八 願 本 願 文 、 「 浄 土 三 部 経 」 ( 上 ) 無 量 寿 経 ( 中 村 元 ・ 早 島 鏡 正 ・ 紀 野 一 義 訳 注 、 岩 波 文庫)1963年、157頁。なお、サンスクリット原本には最後の八字はある(同上、38頁)。 39)『往生礼讃偶』『真宗聖教全書』一、興教書院、1940年、683頁。この文は、いわゆる本願加減の 文 と い わ れ 、 親 鸞 か 法 然 門 下 と な って 4 年 後 の 元 久 2 年 ( 1 2 0 5 ) 、 法 然 の 『 選 択 本 願 念 仏 集 』 と 法 然 の 真 影 図 画 を 許 さ れ 、 そ の 真 影 の 賛 銘 と して 法 然 が 真 筆 で こ の 文 を 書 き 与 えて い る ( 3 8 1 ­ 2 頁 ) 。 な お 、 善 導 の 『 観 念 法 門 』 ( 上 記 聖 教 全 書 一 、 6 3 5 頁 ) に も 見 える 。 但 し こ こ で は 不 取 正 覚 ま で で、 十 方 衆 生 の 次 に 「 願 ぃ 生 一 我 国 」 を 入 れ 、 称 我 名 号 が 称 我 名 字 に 、 下 至 十 声 と 若 不 生 者 と の 間 に 、 「 乗 一 我 願 力 」 の 4 字 が 加 え ら れ て い る 。 親 鸞 が 図 画 許 さ れ た 法 然 の 真 影 は 岡 崎 市 妙 源 寺 に 「 選 択 相 伝 御 影 」 と して 現 存 して い る ( 中 沢 見 明 『 真 宗 源 流 史 論 』 法 蔵 館 、 1 9 5 1 年 、 第 ハ 章 。 小 山 正 文 「妙源寺の法然像」『真宗重宝聚英』六、同朋社出版、1988年、256­63頁。平松令三「親鸞相伝の 法然像をめぐって」『歴史と仏教の論集』自照出版、2000年、29­44頁。) 2 6

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して い な い 。 こ の 二 つ が 顕 著 な 相 違 で あ る 。 第 一 の 乃 至 十 念 を 「 称 一 我 名 号 下 至 一 十 声 」 と 、 念 を 声 と 読 み か え 、 称 名 の 意 に し か 。 こ の 念 声 是 一 の 解 釈 は 善 導 の 師 道 緯 の 大 経 第 十 八 願 中 の 乃 至 十 念 の 解釈にも見られる。即ち、「称一弥陀名号_、願。生一安楽国_。、声声相次使ぃ成一十 念」4o)とか、「十念相績称一我名字」41)とある。津田左右吉氏はこの念は経典の上 か ら は 文 字 通 り 心 に 念 ず る 意 で あ る と し 、 こ の 道 緯 や 善 導 の 念 と 声 と 称 と の 同 一 視 に 、 故 意 の 改 作 で な い か と 批 判 さ れ た 几 こ れ に 対 し 、 藤 田 宏 達 氏 は 「 念 仏 と 称 名 」 と い う 論 文 に お い て 、 主 と し て 浄 土 経 典 や 原 始 経 典 を た す ね 、 念 と 称 ( 声 ) と の 同 一 視 と い う の は 、 イ ン ド 、 中 国 い ず れ に お い て も 認 め ら れ る も の で あ り 、 そ の 点 か ら 念 仏 即 称 名 説 の 成 立 し う る 思 想 史 的 系 譜 を 仏 教 学 の 立 場 か ら 改 め て 提 示 す る こ と が で き る の で は な い か と し た 4 ‰ 第 二 の 問 題 。 法 然 の 『 選 択 本 願 念 仏 集 』 本 願 章 に 掲 げ る 第 十 八 願 文 に も 、 こ の八字はない44)。道緯の『安楽集』にもない45)。河田光夫氏は法然が大経第十八 願 本 願 文 引 用 の 8 史 料 と 本 願 成 就 文 引 用 の 4 史 料 ( 但 し 問 題 の 多 い 『 三 部 経 大 意』を除く)は全部この八字がないとする46)。このことに関し私はかつてそれは 故 意 に 削 除 し た も の で あ ろ う と し た 。 そ れ に つ い て 述 べ よ う 。 法 然 の 高 弟 隆 寛 は 『 弥 陀 本 願 義 』 に お い て 五 逆 と 誇 正 法 と の 問 題 を 論 じ 、 「誰知翻経三蔵就抑止門加此二句誠未造悪也」としている47)が、善導は『観経疏 散 善 義 』 で こ れ を 論 述 し て い る 。 親 鸞 は 信 巻 で 五 逆 と 誇 正 法 と に 関 す る 曇 鸞 と 善 導 の 立 論 を 引 用 し て い る 。 曇 鸞 は 観 経 の 下 品 下 生 の 所 で 五 逆 十 悪 を な し て も 往 生 を 得 と す る こ と は 納 得 す る が 、 誇 正 法 の 往 生 は 断 じ て 認 め な い 。 そ れ は 膀 正 法 の 人 は 阿 鼻 大 地 獄 を 展 転 し て も 、 仏 は 遂 に そ の 阿 鼻 大 地 獄 を 出 る こ と の で き る 時 節 を 記 し て お ら れ な い 。 そ れ は そ の 罪 が 極 重 で あ る か ら で あ る 。 「 五 逆 罪 の 正 法 元 き よ り 生 ず る 」 と 。 抑 々 五 逆 罪 は 正 法 の 無 い と こ ろ か ら 生 ず る の で あ る 。 そ れ 故 そ の も と で あ る 正 法 を 誇 す る も の の 往 生 は 到 底 認 め る こ と はできないとするのである(論 、184­9頁)。これに対し、善導は誇法五逆を 除 く と は そ の 罪 の 極 重 な る こ と を い っ た も の で 、 「 但 如 来 、 其 れ 斯 の 二 の 過 を 造 40)『安楽集』前掲『真宗聖教全書』一、402­3頁。 41)同上、410頁。 42)津田左右吉「念仏と称名」『東洋思想研究』1、岩波書店、1937年(『津田左右吉全集』19、岩 波書店、1965年、1­52頁に収録)。 4 3 ) 藤 田 宏 達 「 念 仏 と 称 名 」 前 掲 書 、 5 頁 。 44)大橋俊雄校注『選択本願念仏集』(岩波文庫)1997年、40頁。 45)『安楽集』注の40)41)。 46)河田光夫「『三部経大意』引用文の研究」『金沢文庫研究』19­1、1973年、14­5頁。 47)『弥陀本願義』平井正戒『隆寛律師の浄土教附遺文集』金沢文庫浄土宗典研究会、1941年、103 頁。 27

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ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ヘ ノ タ マ ら む を 恐 れ て 、 方 便 し て 止 て 往 生 を 得 ず と 言 へ り 。 亦 是 摂 せ ざ る に は あ ら ざ る な り 」 と 。 ま た 観 経 下 品 下 生 の 中 で 五 逆 は 救 済 し て 、 誇 法 を 除 い て い る の は 、 五 逆 は す で に 犯 し て し ま っ て お り 、 こ の ま ま 放 置 し て ゆ く こ と は 出 来 な い の で 大 悲 を 発 し て 、 摂 取 し て 往 生 さ せ る の で あ る 。 け れ ど も 誇 法 の 罪 は ま だ 犯 し て な い か ら 、 ま た あ ら か じ め 抑 止 し て 、 将 来 診 法 を 起 さ ば 往 生 で き ぬ と 仰 せ ら れ る の で あ る 。 こ れ は 「 未 造 業 」 の 点 に 着 目 し て 対 処 し た も の で 、 も し 諸 法 の 罪 を 犯 し て し ま っ た ら 還 っ て 摂 取 し て 往 生 を 得 し む と す る 。 善 導 は こ れ を 抑 止 門 と い い 、 未 造 業 の も の に 仏 が 方 便 し て 悪 事 に 向 わ な い よ う に 抑 止 し た と す る の である(観経疏散善義、189­190頁)。かくて法蔵菩 は世饒王仏のみもとにして 王 位 を 捨 て て 出 家 し 、 直 ち に 「 悲 智 之 心 を 起 し て 広 く 四 十 八 願 を 弘 め し め た ま ふ 」 に よ って、 浄 土 で は 「 等 し く して ; 憂 E 悩 元 し 。 人 天 善 悪 皆 往 を 得 。 彼 に 到 て 殊 な る こ と 元 し 。 斉 同 不 退 な り ( 中 略 ) 。 仏 願 力 を 以 て 、 五 逆 と 十 悪 と 罪 滅 し 、 生を得しむ。諸法閑提、回心すれば皆往くと」善導はしたのである(法事讃、190­ 1頁)。 親 鸞 は 大 経 第 十 八 の 本 願 文 及 び 本 願 成 就 文 共 に 上 記 の 八 字 を 入 れ て い る 。 そ れ は 善 導 の 抑 止 の 意 味 で あ っ た に ち が い な い 。 親 鸞 は 上 記 の 諸 法 、 五 逆 、 閑 提 の 皆 往 生 を 説 き お わ っ て 、 三 乗 の 五 逆 と 大 乗 の 五 逆 に つ い て 記 し 、 こ れ で 信 巻 を 結 ん で い る 。 大 乗 の 五 逆 で は 三 乗 の 五 逆 は 五 つ の う ち の 一 つ に す ぎ ず、 更 に 十 不 善 業 が 最 後 の 一 つ に 数 え ら れ て い る 。 十 不 善 業 は 十 悪 の こ と 。 十 悪 は 我 々 日 常 の 事 で 、 親 鸞 が 八 字 を そ の ま ま 入 れ た こ と は 難 治 の 三 機 も 皆 往 と し な が ら も 、 未 造 業 の 者 へ の 抑 止 の 意 と し た の に 相 違 な い 。 さ て 、 第 十 八 願 の 念 仏 往 生 願 は 誰 で も 何 時 で も 何 処 で も 栴 え ら れ る 念 仏 に よ っ て 往 生 で き る と し た 。 そ の よ う な 念 仏 の 易 行 を な ぜ 選 択 し た の か 。 『 選 択 本 願 念 仏 集 』 は こ う 言 う 。 一 は 勝 劣 の 義 、 二 は 難 易 の 義 で 、 念 仏 は こ れ 勝 、 余 行 は こ れ 劣 。 名 号 は こ れ 万 徳 の 帰 す る 所 故 と 。 次 に 難 易 の 点 て 、 念仏は易きが故に一切に通ず。||||でi行は難きが故に諸機に通ぜず。しかれば 則 ち 一 切 衆 生 を し て 平 等 に 往 生 せ し め ん が た め に 、 難 を 捨 て 易 を 取 り で 、 本願としたまふか(原漢文、以下同じ)48)。 つ ま り 一 切 衆 生 を 平 等 に 往 生 せ し め よ う と 、 易 行 を 阿 弥 陀 仏 は 本 願 と さ れ た のではないか、というのである。本書は法然69歳の建久9年(1198)成立とさ れるが、それより8年前の文治6年(1190)、東大寺で講じたとされる『無量寿 経釈』においても、「此の平等の慈悲を以て、普く一切を摂する也」49)とあり、 同 じ く 『 観 無 量 寿 経 釈 』 に も 弥 陀 の 「 光 明 遍 照 」 を 釈 す る に 三 義 あ り と し 、 「 一 48) 49) 『選択本願念仏集』前掲書、49­54頁。 『無量寿経釈』石井教道編『昭和新修法然上人全集』浄土宗務所、1955年、73頁。 2 8

参照

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