は じ め に : 平 和 構 築 者 た ち へ の 手 紙 現代の平和構築分野 平和構築の前提とそれに対する批判 平和構築分野の実情 現状を打ち破るために:価値観の再考 非暴力からの提言 非暴力の概念 非暴力の実践 非暴力トレーニングプログラム 終わりに:平和構築と非暴力
は じ め に : 平 和 構 築 者 た ち へ の 手 紙
宮 本 貴 世
2008年3月に「平和構築は単なる時間の無駄か?平和構築者への公開状(JustWast‐ingOurTime?:AnOpenLetterfbrPeacebuilders)」という論文が発表された。その書き
出しは次のようである。 み な さ ん へ こんにちは。もしあなたが平和的な変化に関心をもち、そのために活動をしてい るなら、これはあなたへの手紙です。あなたは開発、人権、コミュニティー関係、 環境の分野、またはより平和に直結した分野で活動しているかもしれません。そ して自分の活動をさまざまな言葉で、たとえば紛争への敏感性、平和構築、紛争 移行または社会変革などと表現しているでしょう。そのような皆ざんに、私たち は深刻な懸念についてお話したいのです。 この手紙の著者であるサイモン・フイッシャーとラダ・ジミナは、平和・紛争分析 者、活動家、トレーナーとして豊かな国際経験を持つ。この手紙は、著者の体験と彼 71らが交流した多くの国際的、地域的、地元コミュニテイーで働く平和活動者たちの声 を踏まえて、現在の平和構築のあり方について、深刻な疑問を投げかけている。 手紙の概略は以下のようである。当初の平和を志向したパイオニアたちが思い描い ていた平和構築とは、あらゆる形の暴力を削減し、非暴力的手法を用いて紛争を解決 し、人々の幸福や福利を促進するための社会変革を見越したものだった。これまでの 平和構築の実践はある程度の成果を上げてきた一方で、その成果は当初のヴィジョン にはるか及ぶものではない。多くの平和構築者たち、特に国際的非政府組織(INGO) は現状に戸惑いを覚え、自らの目的を見失ってきている。彼らは自分たちが純粋な社 会変革の一端を担っていると感じられず、活動の長期的な効果に疑問を持っている。 社会的不正義や極端な不公平を生み出す社会構造や文化の変革を視野に入れた長期ス パンの移行的アプローチが理想である一方、実際にはその目的の暖昧さと実践上の疑 問のために、目の前の問題に対する実際的解決策を提供するが、その基盤にある社会 構造やダイナミクスに対処しないミニマリスト的な技術的アプローチを採用するにと どまっているケースが多い。平和構築者たちは社会をよく変えてゆこうという善意の 元に活動に足を踏み入れたものの、無力感にさいなまれ、「私たちは時間を無駄にして いるただのお人よしなのだろうか」と自問している、としている。 しかし、ことはより深刻である。公開状は、平和構築活動が期待するほどの成果を 上げていないだけでなく、ひいては不公正で維持不可能で破壊的な世界秩序に迎合す る結果になっているという批判にも言及している。では、もともと善意から始まった であろう活動が、なぜこのようなことになってしまったのだろうか。本論では、この 公開状を鑑みて現在の平和構築への批判、そして実情を検証し、平和構築者たちが直 面するジレンマを浮き彫りにする。その実情打開のための市民社会主導の平和構築の
あり方を再考するにあたって、「人々のパワー(peoplepower)」という市民の力を活用
して社会変革を目指す非暴力の理論と実践を鑑み、そこから現代の平和への動きに対 する示唆を考察する。現 代 の 平 和 構 築 分 野
平和構築の前提とそれに対する批判 1990年代初頭の冷戦終結以来、断続的に発生し激化する地域紛争への停戦、復興支 援、平和構築を名目とした国際社会による介入の機運が高まり、平和維持・構築の新 しい規範や実践が模索ざれ確立されてきた。地域紛争は内戦ベースのものが多いため、 もともとは治外法権の名目で第三者による介入がタブー視きれていたが、1992年の「平 和への課題」'がそれまでの被介入国の同意の原則を覆し、より積極的な予防外交、平 和創造、平和維持、平和構築そして平和強制を打ち出した。2000年代に入ってからは 72「人間の安全保障」という概念が採用されるようになり、戦争や大規模暴力によるもの のみならず、貧困や環境破壊による人間への危害に対する対応が、国際社会の課題と されるようになった。この中で国家の役割への認識も変化し、自国民の保護という国 家の基本的な義務を果たす能力または意志のない国家においては、国際社会全体が当
該国家の保護を受けるはずの人々を「保護する責任(ResponsibilitytoProtect)」を負
う、という新しい概念が現れた。このような発展の中、国際機構、地域機構、または NGOや市民社会グループが大きな役割を果たす可能性が開かれてきた。 これに伴い、平和のための第三者介入アプローチも進化してきた。対立グループリー ダー間の交渉による停戦合意や大規模暴力終結目的の平和創造、軍事資源を活用して 平和創造や合意履行をサポートする平和維持、そして、紛争や大規模暴力への根底的 原因への対処を試みる平和構築という事業が発展してきた。元来、平和構築というア プローチは、大規模暴力の抑制と主眼としたエリート志向の平和創造と、それと並ぶ 軍事志向の平和維持が不十分であるという批判から生まれ、社会・文化構造に内在す る紛争の根源への対処を目的とする。この分野の先駆者たちは、平和構築を戦争や身 体的暴力(直接的暴力と呼ばれ、たとえば「人が殺害される」)のみならず、社会構造 が生み出す人々への害(構造的暴力、「人が貧困で餓死する」)やそれを正当化したり それに対して私たちを無関心にさせるような文化(文化的暴力、ナチス政権下のアー リア人至上主義がこの例で、ドイツ人が最も純粋なアーリア人の血を引く民族である と主張し、他民族への迫害支配を正当化した)への取り組みと考えていた。つまり、 平和構築は暴力に特徴付けられる社会文化システムから調和と共存に特徴づけられる システムへの社会変革を目指しており、そのためには、社会全体を巻き込むこと、特 に市民の積極的参加を促してゆくことが必要であると考えられた。そこで、市民社会 という概念が近年脚光を浴びることになった。 しかし、平和構築分野はある程度の成功を収めてきた一方、当初期待されたほどの 実績を上げていないという指摘がある。実質的には平和事業全般はいわゆる自由主義的平和(liberalpeace)という前提に基づいているとされる。自由主義的平和とは、政
治制度としての自由主義的民主主義と市場経済の導入によって平和が確立されるとい う考え方で、多くの国際的・国家的援助機関による復興再建、平和構築事業がこの前 提の基づいているといってよいだろう。ただ、これには根本的な問題が指摘されてい る2。まず民族・宗教・部族のような社会共同体的グループ間で紛争が起こっていた場 lBoutrosBoutros-Gali,Age"。〃)rPeace..P価eve""veDliP/o"'αCy,Peace"'αA/"gα"〃eacek卸j"9,Re‐ portoftheUNSecretary-General,A/47/277-S/24111(June). 2RolandParis,Ar肋油E"d:BMM"gPeace城erCMCoノ?/7/c/,CambridgeU11iversityPress,2004. Charles-PhilippeDavid,‘DoesPeacebuildingBuildPeace?:Liberal(Mis)stepsinthePeaceProcess, Sec"〃jtyDjα/og"e,vol、30,no、1,1999,pp25-41. 73合、民主化の名の下に代表制民主主義選挙が行われれば人々は当然自分のグループに 投票するため、政治的にも多数派グループ支配となり、少数派の声に耳が傾けられ、 その権利やニーズが配慮される保障はない。逆に少数派の権利を保障しようと割当制 度を用いてグループごとの議員数など決めてしまうと、グループ間の亀裂を政治と社 会の中に固定化することになり、和解にはつながらない。深刻な紛争で苦しむ社会は もともと意見、利害の不一致に基づく対立を政治的・平和的に処理できなかったため に紛争が深刻化、暴力化したわけで、その経験直後の社会の非暴力的な対立処理力は 脆弱である。そのような状態の社会に、意見や利益の不一致を公にすることを奨励す る政治制度としての自由民主主義や競争を奨励する市場経済システムを導入すること が、単純に平和をもたらすとはいえない。 そして更に深刻なのは世界秩序もしくは勢力的構成の観点からの批判で、この自由 主義的平和促進の名の下に行われている現在の平和構築活動が、脆弱な立場にある途 上国や紛争下の国々に対する先進諸国社会の優位性の確立に貢献しているという指摘 である。自由市場や民主主義という理念はさておき、その実践としてのもともといわ ゆる西洋文明の中で発達してきた現在の制度やシステムには、ヒエラルキーに基づい た競争主義と物質的・大量消費主義的な文化が付随している。これは多くの先進国社 会に認められる傾向である。ここで注意すべきは、自由主義的平和の前提に基づき自 由民主主義や市場経済の制度・システムの導入を進めることはまた、競争主義と大量 消費主義的価値観、つまり、他と比べて秀でること、より多くを消費し所持すること が豊かで幸福であるという考え方を、被支援社会に植えつけることにつながる点であ る。そして、この価値観、社会構造が途上国社会に定着すれば、カネ・モノをコント ロールする先進社会が常に優位に立ち、途上国社会がその従属的立場に置かれるとい う構図が固定化される。つまり富める人々はさらに富を得、貧しい人々はさらに貧し くなり、格差が広がるというヒエラルキーに基づいた搾取と支配の社会構造が世界レ ベルで確立することになる。このことから、自由主義的平和を前提として展開する平 和構築事業は、平和の名のもとに脆弱な立場にある途上国、紛争下の社会に対して大 量消費主義や物質主義文化に取り込み、それによって欧米先進社会の優位を確定、固 定化する事業の一端を担っていると厳しく批判きれている。このような中、少なくと ももともとは善意で困っている人々を助けようと平和活動に従事し始めたINGOを含 む市民社会グループは困惑し、社会変革を目指した働きかけをするより、自らの活動 が非介入地域に害悪にならないように最小限の活動をするにとどまる傾向があるので ある。 平 和 構 築 分 野 の 実 情 では、なぜこのようなことになってしまったのだろうか。紛争地域または開発地域 への第三者介入には、地元文化に配慮し、地元の人々の自主性を尊重しつつ、彼らと 74
共に再建改革に努めなければならないという点でもともと難しいものだが、INGO、 その他の市民社会グループが積極的に社会変革に従事することを妨げている実情が平 和構築分野にある。ここでそれを少し詳しく見て見よう。 まずひとつは、平和構築分野のなかで根本的な価値やヴィジョンが不明確であるこ とが上げられる。平和構築が何を達成しようとしているのか、つまり「平和」が何を 意味するのかという点において、平和構築に携わる人々の間での合意はない。平和構 築分野の先駆的思想家たちは、直接的暴力のみでなく構造的暴力と文化的暴力への対 処をも視野に入れていたことは先に述べたが、現実にどこまで、どのように対応する かは判断が難しい問題である。単に戦争もしくは大規模な暴力がないことが平和なの か、戦争がなくても貧困や飢餓で人々が苦しむ社会、または差別や人権の侵害が横行 する社会は平和といえるのか、もしくは犯罪や殺人が蔓延し人々が不安におびえる社 会は平和なのだろうか。 平和構築分野で、その価値やヴィジョン、目的が暖味であることは、当然それをど のように実現するか、つまりアプローチ、方法論に違いをもたらす。平和構築者への 公開状では、大雑把に言って平和構築分野では特定領域で実質的な違いをもたらすこ とを目的とする技術的アプローチと深層からの社会変革を目的とする移行的アプロー チがあるとしているが、公開状に対する返答として書かれた一論文は、主に技術的ア
プローチを採用している平和産業(peaceindustry)と移行的アプローチを用いる平和
運動(PeaCemOVement)という簡略化した区別を提示している3.平和産業では、プロ
ジェクトを主眼とし、よってドナーと契約事項が焦点になる。プロジェクト期間は一
年以内という場合が多いが、それより長期間のものまたは一年ごとに更新の可能性が
あるものもないわけではない。プロジェクトを企画し、企画書を作成し、入札、契約 し、そしてまた相当の金額のプロジェクト費を管理しながら実際にプロジェクトを運 営するという構造とプロセスが過度に専門化して複雑になったため、このプロセスに精通した高度の専門知識を持つ人材が求められ、しっかりとはしているが入り組んだ
管理経営体制が必要になる。平和産業にする組織やグループは、もともと善意と優れ
たアイディアに基づき有能であるに違いないが、ややもすると官僚主義的になり、資
金調達のためにドナーの志向を考慮に入れた企画害、契約に縛られることになる。これが、紛争地域の地元コミュニティーとつながり、地元のニーズへの敏感な対応とい
う点で不利に働くことになる。そして、平和産業には、カネ・モノが支配するシステ ムの一部となってしまいやすいという素地がある。 3MartinaWeitsch,‘MobilizingPublicOpinionfbrPeace:TheNextChallengefbrthePeacebuildingCom‐ mities',BeatrixSchmelzleandMartinaFischer(eds),Peace伽肋"gα/α伽ssmα〃、此"'耐asα"Qノ Pα伽允M"orAerGe"era伽〃(BerghofHandbookDialogueSeries,no7.),BerghofResearchCenter, 2009:59−68. 75平和産業が短期的な視点、プロジェクトサイクルやプロジェクトの結果を指針に動 いているのに対し、平和運動は長期的視点で、社会的パラダイムの変化、社会変革を 視野に入れている。平和運動に関していえば、従来の核兵器反対運動、反戦運動に加 えて、今日では環境問題、貧困・格差問題など市民グループの懸念と関心は多様化し、 その活動はばらばらに行われている。また、資金・資源という点で状況が困難で、ボ ランティアで積極的に従事する人々も多い反面、活動に対して責任感や意識が低いこ ともある。よって、活動の質にも活動への従事の仕方にも、かなりのばらつきが見ら れる。社会変革という長期的視野で動いているため、個々の活動自体の成果に関する 評価がおろそかになるか、その個々の成果の社会変革への貢献の小ささに幻滅し活動 意欲を損なう恐れがある。長期的社会変革へのカタリストとして効果的な活動事業を 継続してゆくためには共通の焦点が必要で、非暴力がこれに該当するのではないかと いう示唆がなされている注'bid・ 上記の平和構築分野における平和産業と平和運動という描写はその実践の極端なも ので、実際にはその間に境界はなく、さまざまな組織やグループ、個人としての平和 構築者たちの多くがその狭間のどこかにいる。大雑把に言えば、平和産業的基準・視 点で機能する国際的・国家的援助支援機関、その他のドナーと、平和運動的基準・視 点で動いている市民社会グループ、活動家、そしてその間でその二つの世界をつない でいるのがINGO(これには先進国の平和構築NGO、市民グループ、宗教団体その他 が含まれると考えられる)という構図が見えてくる。さまざまな組織やグループ、個 人としての平和構築者たちの多くが、実際に支援活動を行い継続してゆくために平和 産業の現実に対処しつつ、平和運動の一部として地元の人々のニーズに合わせて時間 をかけてともに歩むという理想の狭間で、ジレンマを抱え身動きができなくなってい るというのが実情だといってよいのではないだろうか。 現状を打ち破るために:価値観の再考 どのようにしてこの状況を打開できるかについてはさまざまな意見があるが、ここ ではどのような「平和」を構築しようとしているのかという根本的な問いに目を向け て見よう。この問いを突き詰めてゆくと、人間の幸福とは何かという問いにもつなが るとも考えることができ、そうなるとこの問いは従来の暴力紛争地帯における平和構 築という域を超えて、現代社会に生きる人々すべてにかかわりのあるものとなる。つ まり、根本的に平和構築は何を達成しようとしているのか、平和とは何かという問い は、私たちはどうなりたいのか、もしくはどうありたいのかという問いと同義と考え ることができる。ここで少しわき道にそれるが、現代文明の再考を呼びかけている思 想・活動家たちの主張に注目することが役に立つ4。彼らは、人間社会には家族など個 人の関係から国家間の関係まで、また人間と自然との関係まで、その成り立ちにおい て支配や搾取に基づいた型と調和と協力に基づいた型の二つのモデルがあると主張し 76
ている。ただ、支配・搾取型モデルは限界に来ており、現代文明は調和・協力型へ移 行するという選択をせざるをえない時期に来ているというのが彼らの主張である。先 に本論でも先進国社会に内在する競争主義、大量消費・物質主義に言及し、それらの 根底にある他より秀でること、より多くを消費し所持することが豊かで幸福だという 価値観があると言及した。この価値観の良し悪しについてここで道徳的観点から論じ るのは適当でないので、あえて踏み込むことはしないが、われわれを取り囲む現実的 状況がこの価値観が限界に来ていることを示しているということは言えるのではない だろうか。つまり、現在の先進国社会に見受けられる経済成長への過度な信奉は半永 久的に市場が拡大し成長し続けるという前提に基づいているが、環境破壊、資源の枯 渇に直面する今これを維持してゆくことはできないことが明白になってきている。よ り多くのものを手に入れようとすれば限られた資源をめぐって職烈な争いがおこり、 またその争い自体に貴重な資源が使われ、環境の破壊が進むことになる。現実的に無 為な争いと資源の破壊目的への使用、環境の破壊を避け、必要以上に多くを消費し所 持できないことで不幸になりたくなければ、価値観の転換を迫られる。これが平和構 築分野だけでなく、現代文明全体が今直面している現状の一理解である。 平和構築に関しても、どのような「平和」を追求しているのかという問いは、必ず しも一握りの政策決定者たちだけに向けられたものではない。紛争が深刻になり暴力 化したりする恐れがある危機的状況下での政治・軍事的リーダー間の交渉、仲介が「紛 争解決」と呼ばれるのに対し、紛争の根源である社会に潜在する対立や格差、差別な どへの市民主体のいわゆる「下からの平和構築」の取り組みがある。市民社会グルー プが紛争解決に貢献するケースもあるが、どちらかといえばその活動は地元市民を対 象とすることが多く、これは危機状況下に限られない。そしてまた、市民社会におけ る平和構築者とは、必ずしも武力紛争地域で活動する人々に限らず、先進国を含む世 界のいたるところの地元地域社会で人々の交流や社会問題のために活動する人々全員 を指すと考えることができる。つまり、どのような平和を追求しているのかという問 いは、この世界に生きるすべての人一人ひとりに向けられるべきものなのである。
非暴力からの提言
学術界では、平和構築は「紛争移行」と表現されることもあり、紛争移行は直接的 暴力に対処する「紛争解決」の要素と構造的・文化的暴力に対応しようとする「非暴 4DavidKorten,71ケeGノでα/刀〃ノ7/"9..F、"7Eノ叩ノノで/oEarノルCO"7"7""/〃,Berrett-KoehlerPublishers,2006. JoannaMacyandMollyYoungBrown,CO”"gBackroL舵.・Pmc"ces/o此CO""ec/O"'・〃yesα"do"r 肋r",NewSocietyPublisher,1998平和構築における類似のモデルについては、DianaFrancis, FromPacihcationtoPeacebuilding:ACalltoGlobalTransfbrmation,PlutoPress,London,2010. 7778 力(nOnViOlenCe)」の要素を組み合わせてなるものだとする見方がある5。非暴力は 「人々の力」を用いた社会変革への試みに関するものであり、明らかに下からの平和構 築の重要な指針となる可能性を秘めているが、これまで平和構築に関する学術的議論 の中であまり扱われてきていない。では、非暴力とは実際に何なのだろうか。そして また、現代の社会の中でこれは何を意味し、どのように活用、実践されているのだろ うか。ここでは、まず非暴力の概念と実践を概説する。それから、現代社会の文脈に おいてその非暴力をテーマにこれまでのその経‘験と知恵を集約しながらトレーニング
という形で提供している一例として、英国クウェーカー教徒の団体QPSW(Quaker
PeaceandSocialWitnesses)の非暴力トレーニングプログラム、ターニング・ザ・タイド(TurningtheTide/TTT)6を紹介する。
非 暴 力 の 概 念 非 暴 力 と い え ば 、 そ れ を 体 現 し た 人 々 と し て は イ ン ド の ガ ン ジ ー や ア メ リ カ の マ ー チン・ルーサー・キング・ジュニアが有名だが、実際に非暴力が何を意味するかと聞 かれて明確に答えられる人はあまりいないだろう。それほど非暴力にはさまざまな解 釈の仕方がある。最も広義では単なる暴力へ反対、拒否を意味するが、今日の非暴力 活動家、理論家の間では、紛争や社会的不正義に対処するため社会変化を目指して非 暴力的手段を使って積極的に働きかけることを意味し、これは「積極的非暴力(active nonviolence)」と表現されることもある。非暴力は単なる理論というよりも、哲学だと いう見方をされることも少なくない。非暴力は世界の、そして人類の歴史のいたると ころに見られる現象で、社会変革のための戦略かつ人間個人レベルでの態度、行動な どのすべての側面における変化をも包括するアプローチである。また、非暴力は社会 的暴力に対して実際的で効果的な対処アプローチであるとも考えられている。 非暴力には、原則的非暴力(principlednonviolence)と戦略的非暴力(strategicnon-violence)という二種類の考え方がある。原則的非暴力は哲学であり、敵であろうと抑 圧者であろうと他者を自分と同じ人間性と良心を持った人間とみなし、彼らの中にあ るその人間性に手を差し伸べ、それを引き出そうという考え方に基づく。この「他者」 が人間だけでなく動物や植物、生きとし生けるものすべてを含むという見方もあるた め、菜食主義を実践する非暴力活動家もめずらしくはない。それはさておき、原則的 非暴力の精神は、マーチン・ルーサー・キングの次の言葉によく現れている。 われわれはあなた方の人々に苦しみを与える力に対し、苦しみを耐え抜く力で対 抗しよう。 DianaFrancis,PeOP/e,Peaceα"〃owe応CO城/c/伽"ybr"?α"o〃/"AC"o",PlutoPress,2002. 「形勢を逆転する」の意。 56われわれはあなた方の腕力に対し、魂の力で立ち向かおう。 われわれはあなた方を嫌いはしないが、良心のすべてに懸けてあなた方の不正義 な法に従うことはできない…。そして、われわれは自由を勝ち取るプロセスにお いて、あなた方の目と心を開き、勝ち取ってゆくだろう7。 中心的価値は生命への敬意、全人類のための正義と尊厳の追究で、その核心にある のはすべての命がつながっているという倫理的、道徳的、もしくは宗教的な信念があ る。原則的非暴力においては、その手段が目的にあったものでなければならず、たと えば、大規模な暴力を封じ込めるために武力を使うことがあってはならないというこ とになる。 それに対し戦略的非暴力は、実際的な戦略的考慮から非暴力的行動・活動を用いる ことを指す8.人々や市民運動は、必ずしも倫理的・宗教的信念からではなく、意図す る社会変革への効果的戦術として戦略的に非暴力を選択することがある。このような 場合は必ずしも敵や抑圧者たちの良心に訴えているわけではなく、単に多くの人々を 動かし、連帯を組んで目的を達成するため非暴力的手段を用いる。つまり、人々の勇 気や自制や犠牲といった暴力以外の「武器」を活用した戦略、戦術を用いる「戦い」 と考えることができる9。 二つの非暴力の理解はまったく異なるものというよりも、非暴力の二つの側面を表 すと考えるほうが適切である。人々の良心に訴える原則的非暴力も実質的に社会変革 への大きな動きとなってゆくには、社会のどの部分の人々に対してどのような方法で 訴えると効果的に変革へのプロセスと作り出して行けるかといった戦略的考慮が必要 である。そうでなければただの自己満足に終わってしまうか、目に見える変化を短期 間にもたらさないことから挫折感、無力感につながり、運動や活動の継続に支障をも たらすことになる。また戦略的非暴力の観点からは、運動はさまざまな人々やグルー プと連携を組み、機運を盛り上げ、目的とする社会変革へ必要なだけの多くの人々を 巻き込んでゆく必要がある。このためには、敵や抑圧者に対してでなくとも人々一般 の良識や人間性を信じそれらに訴えかけ、参加と協力を呼びかけることがその社会運 動の重要な一部となる。 7TTTドキュメント‘Spirit-activism-quotes,より。2009年10月10日TTTワークシヨップにて入手。 8ジーン・シャープが代表的である(GeneSharp,7ルePo伽csQ/7Vひ"Wo/e"/AC"o"、Boston:Porter SargentPublisher,1973)。過去の非暴力運動のケーススタディ、統計的分析に関する最近のものと しては、PeterAckermanandJackDuVall,AFC'℃eMblでPoweノiィMCe""I〃Q/7Vo"Wo/e"/Cb棚c/、New York:Palgrave,2005. 9V6roniqueDudouet,ノVひ"Wo/e"rRes/s/α"Ceα"dCo城c/刀α"ybノwlα"o〃/"Powe'ノ4sツm"?e"jes,Be'9方q/ 的"dbook/brCo肋α刀α"』I/b『"7α"o"・Berlin:BerghofResearchCentrefbrConstructiveConflictManage‐ ment,2008:7. 79
非 暴 力 の 実 践 上記が非暴力の理論的・哲学的側面であるが、その非暴力理念の表現の仕方、つま りその実践は、大まかに言って二通りあるとされる。ひとつは自分たちが不正義とみ なすもの、つまり不当である、間違っていると思うものに対してきっぱりと「ノー」 を表現すること、もう一つはその不正義なものの代替となるもの、つまり新しい形の 実践を生み出してゆくことである。「ノー」は、軍備拡張主義に対してであったり、人 種、民族、宗教、ジェンダー、階級などに基づく社会共同体グループへの政治的、社 会的または文化的差別や直接的攻撃に対して、または環境破壊行為やそれを容認する 法律に対してであるかもしれない。どのようにして「ノー」を表現するかもさまざま で、署名運動や政治家その他のリーダーへの意見書から、座り込みやストライキ、良 心的、道義的理由から法をあえて犯す良心的兵役拒否や市民的不服従などまである。 きっぱりと「ノー」を表現することは問題を表面化させるために表立って対決.衝突 すること意味するが、非暴力の原則を貫きながら対決・衝突に従事する姿勢を、フェ ミニストで非暴力擁護者だったバーバラ・デミングは「二つの手」のメタファーを使 って説明している'0。まず、片手は不当もしくは間違っていると思われるもの、そして それを擁護、容認している人たちに対して「やめてください。それは私たち、あなた 方、人類全体の尊厳を傷つけ、生命そのものを汚すものです。私たちはそれに協力す ることはおろか、その状態を許すこともできません。この手で、それに反対し、妨害 します」というメッセージを表現する。もう片方は、「私たちはあなたがたの敵対では ありません。私たちはみな、大きな生命に抱かれた同じ命であり、私はあなたが正し い選択をする人間だということを信じています。私たちは同じ命を分かちあっている のだから、私はあなたの準備ができるまでここで待っています」という慈愛を持って 差し伸べられる手であるuo そして、既存のものに対する反対・抵抗の裏返しの表現は、その代替となる新しい 形の、より建設的な実践を生み出してゆくことである。非暴力主義者でインド独立の 父とされるガンジーが支配者イギリスに対し大規模の市民不服従運動を組織したこと は比較的よく知られているが、その一方建設的な代替実践という側面では自給自足の コミュニティー、アシュラム(ashram)の建設を進めたことはあまり知られていない。 これは、ガンジーがイギリスに占領ざれ植民地化されたインドの貧困と奴隷状態の原 因は、自分たちのもともとの文明を卑下し、イギリスのいわゆる「先進」文明をよい ものとして受け入れたインド人自身にあると考えたからで、アシュラムは西洋文明へ の傾倒してゆくインドのあり方の代替となるものを体現しようとしたものだった。現 lOBarbaraDeming,此"7eノ776e〃ノ79冊o〃セルe,Tallahassee,FL:TheNaiadPress,1981. 11TTTスタッフ、DeniseDrakeからのメールより(2010年8月)。 80
代的な文脈で言えば、たとえば軍事拡張主義に反対するということを、意見・見解の 不一致、紛争への対処における武力行使への反対と捉えれば、建設的な実践とは問題 への非暴力的な対処を促進すること、つまり対話や交渉スキルの向上、交流窓口の設 置と活性化に務めることであるかもしれない。または、たとえば途上国の貧困問題に おいて先進国大企業が途上国の人々に安価な労働を強いて製品を製造し、それを販売 して利益を得ていることに反対するとしたら、これらの製品を購入する代わりに途上 国の製造者たちが正当な報酬を受け取るフェアトレード製品の生産を支援し、その製 品を、購入するということが代替実践となるかもしれない。非暴力の実践の仕方はさ まざまで、新しい発想の余地が大いにある。 上記の非暴力の理論と実践の概説から顕著なのは、哲学と方法論、拒絶と寛容、破 壊と創造といった、多方面における正と負のバランスの重要性である。非暴力は、人 のあり方であり、社会の価値観かつ構造に通じるもので、包括的なアプローチである。 非暴力トレーニングプログラム 現在でも、世界中のいたるところで市民による非暴力的な社会変革への活動が見ら れるが'3、ここでは現代の先進国社会という文脈での非暴力の活用という観点から、英
国のターニング・ザ・タイド(TumingtheTide/TTT)プログラムを紹介しよう'2.TTT
は非暴力トレーニングプログラムで、英国クウェーカー教徒の平和と社会正義のための世界的、地域的活動の拠点組織(QuakerPeaceandSocialWitness/QPSW)内に1990年
代半ばに立ち上げられた。その目的は、これまでの非暴力活動における経験やスキル、 その他のリソースを集め、今日的文脈の社会運動に役立つようなかたちで平和や社会 正義のために運動を行っている活動家やグループに提供すること、また、一般の人々 の間に非暴力への理解を促進することである。人員面では二人のパートタイムスタッ フと、20-30人のリソースパーソン(RP)と呼ばれるボランティアで成り立っている。 RPは非暴力トレーニングのファシリテーターまたは実際の活動家としてざまざまな 経験を持つ人々で、プログラムに非暴力リソースの提供を行ったり、活動家グループ やコミュニテイーグループ、クウェーカー教徒の地域ミーティングや学校などからの 依頼に応じてファシリテーターとしてトレーニングワークショップを行ったりする。 ワークショップのテーマと内容は通常クライアントとの話し合いによって決められる が、テーマのサンプルとしては非暴力の概説・紹介、パワーと変化、キャンペーンと 社会運動、企画と戦略、建設的な代替の開発、精神性と社会実践、非暴力的直接行動 12本節の記述は、論文著者がTTTによる2009年の一年トレーニングコースに実際に参加した経験 に基づいたものである。 1 3 た と え ば 、 ガ ン ジ ー 主 義 を 基 盤 に 女 性 の 自 立 と 地 位 向 上 、 そ し て 社 会 改 革 を 目 指 す イ ン ド の SEWA(自営女性労働者協会)創始者のエラ・ラメシュ・バット氏が今年の庭野平和賞を受賞した ことは記憶に新しい。 81(NonviolentDirectAction/NVDA)、個人的・政治的エンパワーメントが上げられてい る。トレーニングワークショップの手法は、参加者の主体性を尊重し高度に参加型で ある。ゲーム、ディスカッション、ロールプレイ、エクササイズなど、会話中心のも のから身体を動かすものまで、多種の学習形態を反映させてさまざまな方法を採用し ている。非暴力に限らず、一般にトレーニングの手法に関してはトレーナー・ファシ リテーターが知識の源として参加者に教えるという形の指示規範的アプローチと、ト レーナー・ファシリテーターと参加者全員がさまざまな経験と知識を分け合い、お互 いから学びあうという形の誘発的アプローチのどちらがより有効であるかについて、 意見は分かれている。しかし、非暴力をメインテーマとするTTTは、一部の人がリー ダーとなって意思決定をし、グループを引っ張る通常のグループ活動の型よりも、グ ループ内の全員が責任を持って考えてコンセンサスを形成する形を重視していること もあり、比較的に誘発的アプローチを採用している。よって、知識やスキルを伝達す るというよりは、さまざまな見方やアイディアを紹介し、その中で参加者たちが自分 なりの理解をつくり出してゆくことをサポートすることが、TTTトレーニングの重要 な目的の一つである。 TTTがいろいろなグループからの依頼を受けて行う通常のワークショップの期間 は、テイスターとして行う1時間半程度のセッションから、週末2−3日泊りがけで 行うものまでさまざまである。このほかに、TTT独自に行う一年のコースが2007年と 2009年に行われている。一年コースは夏休みの八月を除く一月から十二月まで毎月一 回、全11回のワークショップで成り、このうち9回が一日ワークショッフ。、その他の 二回が週末宿泊して行うワークシヨップである。2009年の一年コースの内容を例とし 表1 TumingtheTide2009年変革への非暴力トレーニング 月日 テ ー マ 1月10日 非暴力:危険なアイディア 2月14日 パワーと戯れるl:システムの理解 3月14日 パワーと戯れる2:システムの変革 4月18日 キャンペーンを一緒にやろう!:どうやって変化を起こせるか 5月15,16,17日(宿泊) みんな、大丈夫?:効果的なグループ活動のシール 6月13日 ただ座ってないで!:非暴力的直接活動(NVDA)を考える 7月11日 DIYデー:一年コースグループによる自主企画日 9月12日 革命を生きる:創造的代替の建設 10月10日 内側と外側:精神性と社会活動 11月13,14,15日(宿泊) み ん な で で き る ! : 社 会 変 革 へ の エ ン パ ワ ー メ ン ト 12月12日 非暴力を祝おう! 82
て表lに示したが、その流れは次のようである。まず非暴力への理解を深め、次に広 い意味の「パワー」という概念を紹介する。これは、市民個人やグループとして社会 変革に従事するには、武力や強い経済力などを源とする通念的なパワーとは異なる、 協力すること、お互いにつながることで生まれるものを含む、より広いパワーという 概念の理解に基づいて、これを駆使する必要があるからである。そして、社会変革へ の 大 き な 流 れ に な る た め の 効 果 的 な キ ャ ン ペ ー ン 、 非 暴 力 活 動 グ ル ー プ と し て ヒ エ ラ ルキー的構造ではなく、皆がグループとしての意志決定に参加し責任を分かち合うた めのグループワーク(グループ内でのさまざまな役割、そしてグループ内またはグルー プ間でどのように交流し、意見や見解の相違に対処してコンセンサスを作ってゆくか な ど を 含 む ) に つ い て 考 え 、 学 ぶ 。 そ れ か ら 、 実 践 面 に 映 り 、 非 暴 力 的 直 接 行 動 (NVDA)、代替的実践、また、社会実践と精神的・内面的な充実のつながり、などを カバーする。コース最終日には、一年コース参加者たちは自分たちで一日ワークショ ップを考案し、自分たちがファシリテーターとなってアジェンダを組み、トレーニン グを行う。 このコース内容は、バランスの取れたTTTの非暴力への理解の特徴をよく表してい る。まず、反対・抵抗活動と建設的な代替実践という非暴力の両翼、そして、精神性 と社会実践という両面が盛り込まれていることが指摘できる。政策であろうと体制ま たは'慣習であろうと、現状に反対し、抵抗する場合は、「ほかにどうしたらよいか」と いう代替案がなければ、その主張の説得力は弱くなる。また、精神性と社会実践のバ ランスは重要である。効果的な実践活動のため戦略・戦術に偏ると方法論のみに陥る 可能性があり、精神性を重視しすぎると真塾な志を持っていても、どう行動してよい かわからないということになりがちである。また、反対・抵抗活動において非暴力的 直接行動(NVDA)が含まれていることにも注意を払う必要がある。NVDAとは、不 当である、間違っていると思うもの、またはそれを行っている組織や人々に対してと る直接的な妨害行動を指し、法を犯すリスクを伴うことが多い'4。たとえば、過去には アメリカ市民権運動や南アフリカの反アパルトヘイト運動において有色人種立ち入り 禁止の施設に黒人が故意に立ち入るという違法行為を行っているが、これは資源、組 織の上で圧倒的に勝る政府当局が黒人の平等への要求を無視し続けるなかで、問題を 表面化させ、話し合いに持ち込むための非暴力戦略とひとつだった。NVDAに訴える かどうかは関係者への影響と世論の反応といった点に細心の注意を払った上で行われ るべきだが、法自体が倫理的・道義的に誤っているとみなされるときは弱い立場にお かれたグループが非暴力の枠組み内で取れる最終手段であることは心に留めておかね 14森林破壊に抗議して退去命令を無視して森林伐採場で自分を木に縛り付けたりする、または各 潜水艦基地に忍び込んで機材の破壊行為を行うといったことがこれにあたる。 83
ぱならない。脆弱な立場におかれた人々やグループが非暴力的手段に限界を感じてテ ロ活動などへ傾向することを防ぐためにも、NVDAを単純に破壊的だとして退けられ るべきではないと考えられ、TTTはあえてこれを扱っている15。また、一年コースで 特に顕著なのは、ワークショップを通じて参加者たちが自分の中に持つ固定観念や前 提、価値の再考を促される点である。現在社会の多くのものが支配・搾取モデルに基 づいて構成されているため、多くの人々がこの価値観を内包し、それらが社会規範と して私たちに課されたものではなく、あたかも自分自身の価値観のように思っている ところがある。非暴力トレーニングは参加者たちに非暴力を強要しはしないが、自分 を含めたすべての生命の尊重とその成長へのケアというまるで異なる価値観から既存 の価値、社会構造に疑問を投げかけることによって、参加者一人ひとりにその再検証 と内省を促す。そしてそこから個人個人の中に社会のあり方への疑問が生まれたとき、 それを踏まえてそれぞれが社会で行動に移してゆくためのツールとスキルを提供し、 社会活動を促すのである。 TTTの活動地域は主に英国内だが、海外からも依頼を受けてこれまでにインドで市 民グループにトレーニングを提供し、また20'0年秋からはケニヤでサポートを提供し ている。17世紀の設立からさまざま迫害を受けながらも自分たちが正しいと思うこと を非暴力的信念を持って行ってきた歴史を持つクウェーカー教徒への国内外での信頼 は厚い。クウェーカーを母体とするTTTの非暴力パッケージが、世界のほかの地域 で、またその形を変化させて地元に根付くことが期待されている。
終 わ り に : 平 和 構 築 と 非 暴 力
紛争地帯であろうと先進社会の地域コミュニティーであろうと、理想と現実の狭間 で平和構築者たちの奮闘は続く。「平和構築者への公開状」は、現在彼らが直面してい る現状を切実に表している。自らの平和観を問い直すこと、市民社会グループそして 市民個人として非暴力への理解を深め、過去の経験から学ぶことは、自分たちの価値 観を再考し、自分たちが思い描く現実的な平和のかたちを明確にし、そのために具体 的な行動をとってゆくのに役に立つことは間違いない。非暴力トレーニングは、今日 l5これはTTTのホスト組織であるクウェーカー教徒の問でも激しく意見の分かれている点で、と くに非暴力直接行動を実際に計画している活動グループに対してNVDAトレーニングをTTTが提 供するべきかどうか賛否両論がある。ただ、このトレーニングは単に実際的な直接行動に関して のハウツーを伝えてNVDAを促進しているわけではなく、NVDAが逮捕や起訴につながる恐れが あることなどのリスクに注意を喚起し、逮捕されてから何が起こるか、被疑者の権利などの情報 を提供するなど、トレーニング参加者に実際に行動をとる前にその影響と結果に関して再考を促 し、自分で決断する機会を提供する場でもあることに留意すべきである。 84の文脈の平和構築において、より活用されるべきアプローチである。ガンジーはかつ