1 ○河内副室長 お足下の悪い中、お集まりをいただき、ありがとうございます。 予定の時間がまいりましたので、ただいまより第1回「皇室制度に関する有識者ヒアリ ング」を開催いたします。 まず初めに、齋藤副長官より一言ごあいさつを申し上げます。お願いします。 ○齋藤副長官 着席のまま、あいさつをさせていただきます。よろしくお願いいたします。 官房副長官の齋藤勁でございます。本日は大変お忙しいところ、お時間をいただきまし て、ありがとうございます。 本ヒアリングは皇室の御活動の意義、そして、女性の皇族の方に、皇族以外の方と婚姻 された場合も御活動を継続していただくとした場合の制度の在り方等について、今後の政 府における検討の参考とさせていただくために開催するものでございます。 今回取り上げる課題は、憲法や法律はもとより、我が国の歴史や伝統、文化等と深く関 連する大変難しいテーマでございますが、各界の有識者の方から幅広く御意見をお伺いし、 今後行う制度検討をより実のあるものにしていきたいと考えておりますので、どうぞよろ しくお願いいたします。 ○河内副室長 それでは、まず、帝京大学文学部日本文化学科特任教授の今谷明先生から 御意見を伺います。御専門は日本中世政治史でございます。30 分程度お話をいただいた上 で、質疑の時間を取りたいと思います。 では、先生、よろしくお願いいたします。 ○今谷氏 御紹介に預かりました今谷でございます。私は歴史学をやっている立場から主 として、象徴天皇制度の沿革というか、あらましについてレクチャーを申し上げて、残っ た時間、最後の数分でいわゆる女性宮家、現在の陛下の御活動、そのほかについて言うべ きことがありましたら、私見として少し申し述べるつもりでございます。その辺の詳しい ことは、後ほど田原先生がみっちりやられると思いますので、私はむしろ歴史的な事柄を 申し上げたい。 象徴天皇制というのは私の持論でありますが、戦後復活したものでございまして、急に GHQ その他から押し付けられたようなものではない。本来の在り方に戻ったもので、実は 幕末以前に長い歴史がある。それこそ 1,000 年以上の歴史を持っている。つまり、君臨す れども統治せずというような君主の在り方を象徴天皇制。象徴天皇制を広い意味に取りま して、そういうふうに名づけてみたいです。18~19 世紀からイギリスで君臨すれど統治せ ずということが言われているんですが、そういうのは実は日本が先輩で、はるかに以前か ら、そういうことでは日本の方が制度化されていたんだということが、私が一番言いたい ことでございます。 そうなってきましたのも歴史的な経緯があることでして、簡単に、いわゆる卑弥呼とか 崇神天皇とか、あるいは雄略天皇とかいう昔の王様がいつの間にか象徴天皇制になったと いうわけではないのでありまして、幾つかの段階を経て制度化されるに至ったわけでござ
2 います。その契機として「a.皇位継承の安定装置」ということが挙げられます。雄略天皇 のころ、あるいは8世紀の奈良朝のころは、皇位をめぐって非常に血みどろの血なまぐさ い騒乱が繰り返されてきまして、謀反も多うございました。橘奈良麻呂の乱とか、藤原仲 麻呂の乱とか、それは高校の教科書でも教えているところであります。 そういう不安定な皇位継承から桓武天皇のとき、781 年とされておりますが、これは、 桓武天皇の即位の年でございます。この年に即位という儀式から践祚が分離されまして、 とりあえず践祚をすれば、新しい天皇が位に就くという制度になりまして、それ以後、即 位と践祚は切り離された。これはどういう意味があるかと言いますと、新帝が決まっても なかなか即位まで数か月から半年もかかるものですから、その間に陰謀があったり、ひっ くり返ったりということもなくはなかったんですが、新天皇の下に三種の神器を動かして、 そこから新しい天皇がスタートということに決まりましたので、権力の空白というのがな くなりました。つまり、皇位継承に伴う権力の空白というものがなくなりました。およそ 1,200 年以上前ですね。こんな制度をつくったのは、諸外国でも余りない。日本独特の制 度でございまして、これが軌道に乗っていくわけです。それ以後の天皇はすべて践祚とい うことになります。それからしばらくして、半年あるいは1年後に即位式をやる。その後 に大嘗祭をやって、天皇の時代が続くということになります。 次の、平城天皇、嵯峨天皇、810 年になって薬子の変というのが起こりまして、上皇と 天皇の戦争になるわけですが、負けました平城上皇が奈良のお寺に入って出家するという ことで、出家すれば一切処罰はされずに許されるという慣行がこれ以後に成立しました。 これを私は敗者出家制と言いますが、この制度のお陰で皇族が血みどろの殺し合いをする ことがなくなったわけであります。これも日本独特の制度で、敗者出家制自体はビザンツ とか諸外国でも見られないことはないんですが、それでもう一切、皇族の生命が保障され るということになったのは日本だけでございまして、要するに践祚の分離と敗者出家制に よって全く皇位継承がスムーズに安定的に行えるようになった。これはいわゆる象徴天皇 制の前提といっていいかと思いますが、こういう安定装置ができたのも言うなれば、歴史 の叡智かもしれません。 その後、9世紀の中ごろから、不執政の天皇というのがだんだん、ぼつぼつと出てくる。 この後、平安時代中ごろまで執政天皇、不執政天皇の繰り返しが続きますが、徐々に天皇 は何もせずとも政治は回っていくという体制になっていくのであります。最初の不執政の 天皇は淳和天皇とか仁明天皇辺りでこれは余り知られておられない天皇ですが、仁明天皇 は 833 年から即位でして、このころは藤原緒嗣あるいは源常、左大臣と右大臣が政治を執 り行いまして、続日本後紀にもそう書いてあります。王室に臥治し政務に暁達すというよ うに、天皇は政治をなさらないようになっていくわけです。それがやがて天皇家とは別に 執政家という政治専門の家、統治専門の家ができ上がってくることになるわけです。執政 家が固定化と申し上げていいかと思います。 その政治をしない天皇の極め付けが、858 年の清和天皇の即位だと思うんです。御年8
3 歳で、今で言えば小学校3年生の年齢であります。それ以前はこういう 15 歳以前の男子が 天皇になるということは一切なかったんです。それまでは中継ぎ女帝というのが、一時立 って、後継者が成人するまで待って、その後、男系で継いでいくということだったんです が、この 858 年にいきなり8歳の天皇が践祚、即位されまして、太政大臣良房が後見人に なる。この太政大臣良房の地位を後に摂政と呼ぶようになるんです。 つまりそこから数年後、応天門の変が起こりまして、そのときに清和天皇はもう 17 歳 か 18 歳になっておりましたが、改めて良房に政を摂り行えという詔を出します。それが摂 政という文字ですので、そこから摂政という地位が確定するわけです。それ以前に皇太子 摂政というのがありましたから、良房のことを人臣摂政、つまり皇族以外の摂政と分けて 言っていることもあります。摂政というのは王権の代行でありまして、ほかの臣下よりも 各段に高い地位です。それに対して、後ほどよく出てくる関白というのは王権の補佐でし て、摂政と関白と比べたら同格ではないかと思われるかもしれませんが、全然違うんです。 あくまで摂政の方が非常に高い地位であります。 王権の代行ですから、幼帝を補佐して、儀式などは皆、幼帝の手を引いたり、抱っこし たりして執り行うわけですね。一番困難なのは大嘗祭でありまして、一晩かかる徹夜の儀 式。それをそんな8歳の子どもでどうやってやったのかと。この後、2歳とか0歳の子ど もも出てまいります。赤ちゃんの天皇をどうやって大嘗祭をやったのかといいますと、こ れは摂政が抱き抱えて全面的に代行するわけでして、秘儀も何もあったものではない。儀 式のすべてを頭にたたき込んで、赤ちゃんを抱き抱えて、一晩ぐるぐる回るわけです。廻 立殿とか主基殿とか建物を巡っていく儀式。それで赤ん坊のことですから、泣きわめきま す。そういうときは袂から甘干しといいまして、当時のお菓子ですね。干し柿。これをし ゃぶらせて、何とかあやしたり、すかしたりしながら、ぐるぐる回るわけです。子どもは 儀式も何も知らないですから、ぎゃあぎゃあ泣きわめくわけですけれども、それをあやし ながら、一晩なだめたり、すかしたりしながら儀式をやる。しかし、それでも天皇は天皇 でして、摂政は天皇の王権を代行する非常に高い地位であるということです。この地位が 866 年に確定いたします。 その後しばらく清和天皇も政治をなさって、次に新しい天皇が出てきますのが、関白と いうのは誰でもなれるわけではないんです。摂政をやった経験者だけが関白になるんです。 ですから、摂政の前官礼遇でありまして、866 年からおよそ 100 年くらいの間、幼帝が出 れば、必ず摂政は出ますが、関白は必ずしも出ることはない。摂政になった者が大臣でい るときに前官の優遇措置として、関白という地位が与えられる。そういうことで関白が成 立します。しかし、関白の地位はあくまで王権の補佐でありまして、代行ではない。臣下 としての地位です。 摂政も関白も置けないようなときがあります。例えば大臣がみんな若過ぎて、大臣以前 の中納言とか参議くらいしか臣下がいないというときはどうするかというと、③の内覧(准 関白)というような地位。例えば宇多天皇のときの菅原道真とか、藤原時平でございます
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が、つまり摂政にも関白にもなる人がいないというときは、准関白、内覧が置かれるわけ です。
次の一上というのは筆頭大臣のことでありまして、941 年にこの地位が成立するのです が、イギリスでも立憲君主制時代、首相のことを First Lord of the Treasury、第一大蔵 卿というような言い方をしています。そんな言い方は実はもう日本では 1,000 年前につく ったのであって、この一上がそうなんですね。イギリスで言う第一大蔵卿に相当する地位 で、そのときの筆頭大臣。つまり、摂政にも関白にもなれないけれども、とりあえず政治 を代行する。これは実は非常に重要な地位でありまして、有名な藤原道長なども関白に一 生ならずに、まず内覧になって一上になって、天下人としてずっと政治を続けたんです。 ですから、摂政、関白が置かれないときには一上が最重要職のクラスなんですね。天皇が 御病気のときは准摂政というのが置かれる。これが 967 年に出てまいります。 こういうふうに天皇を後見あるいは代行、補佐する地位が摂政、関白、内覧、一上、准 摂政と出てまいります。出そろうのは 10 世紀の半ばごろです。いずれも 1,000 年以上前で す。こういうふうになりまして、天皇は全く何もやらなくても政治は動いていく。太政官 政治と申しますが、政治は回っていくという体制になるわけでございます。 以上のように、執政の制度が、藤原北家を中心に家として固定化しまして、それでは、 天皇は非常に弱くなったのかということですが、それがそうでもないわけでありまして、 「天子は東宮の如し」という言われ方をすることもあります。あるいは「詔勅は太上天皇 と正帝と別なし」。 しかし、一面で天皇の権威は絶対化しなければいけないということは、当時の公家たち、 あるいは摂関家は皆、痛切に認識しておったわけでありまして、どうしたかと言いますと、 如在の儀。これは天皇が亡くなられたときに、次の天皇にまだ位は譲っていないのですが、 それを天皇が生きておられるごとくにして、譲位を済ませた後で天皇に亡くなってもらう。 天皇はしばらく不死の天皇ということになるわけですが、それ以後、何々天皇と呼ばずに 何々院という諡ですが、それはあらかじめ生前譲位を如在の儀で行っているから、つまり 太上天皇として何々院と呼ばれるようになったのでして、天皇の地位が下がったわけでは ないのであります。 日蝕とか月蝕というのはまがまがしい光でして、天皇にだけはそれを浴びさせてはいけ ないということから、御所とか内裏をむしろで覆うようになります。これも権威の絶対化 の一つの表れです。天皇は特別な人であるということは摂関家も十分認識して、摂政や関 白をやっても天皇は特別なんだということを公家たちにたたき込んでいたようであります。 例えば天皇は神社に社参されることがありますが、下鴨神社とか、鳥居の下は絶対にく ぐらないんです。鳥居の前でテントの中で待っておられて、代理の勅使を鳥居に入れて参 拝させる。ですから、やはり天皇は特別なんです。鳥居をくぐらない。つまり、神社とか 神様に簡単に頭を下げるものではない。これも天皇の権威がだんだん絶対化していく表れ だと思います。
5 結局この後、院政時代、武家とかがどちらかというと非常に勢力が強くなりまして、も う天皇と摂関では成り立たないと。律令制が崩れてくる時期になりまして、今、大河ドラ マでやっておるような院政の時代になります。しかし、天皇の地位はほとんど変わらない。 「天子は東宮の如し」と言われても、改元、時間の支配と栄典の授与、人々に格付をする。 天皇は格付の総本山であります。結局は 858 年に幼帝が出現しましてから、以降、天皇と いうのは、時間、空間の抽象的支配者として君臨する存在であるということが言えるかと 思います。 院政が始まって程なく、武家が抬頭して、清盛以降、武家時代になりますが、基本的に は天皇の地位は変わりません。摂関以下、執政5職が補佐しながら、武家と対立したり、 あるいは武家に従ったりして、君臨していく。 中に2回、天皇が京都におられなくて大変な騒ぎになった事態が2つあるんです。その 騒ぎを見ていきますと、天皇というのはどうして必要なのかということがおのずからわか るのではないかと思います。1183 年、平家都落ちのときです。平家一門が安徳天皇を擁し て逃げていきましたので、京都に天皇がいなくなりました。三種の神器がありませんから、 践祚の手続が取れません。1か月ほどすったもんだをして、ああでもない、こうでもない ということになったんですが、結局、三種の神器がなくても新しい天皇、後鳥羽天皇です が、即位をさせるということになりました。そのときに持ち出されたのが後白河上皇、つ まり、たまたまおられた太上天皇の詔で神器の代わりにするということで切り抜けられま して、以後、鎌倉時代以降は三種の神器がなくても、天皇はいつでも立てられるとなった わけであります。 南北朝時代、1352 年に観応の擾乱といいまして、これは御年輩の方は余り聞き慣れない けれども、最近は教科書に載っていると思います。南北朝が京都を争奪しまして、戦争で は幕府軍が勝ったのですが、南軍が京都を逃げ出す寸前に三上皇と前皇太子、つまり、将 来の皇族の候補になりそうな人々を賀名生に連れ去ったということがあります。京都を回 復した幕府は、さて、天皇を立てたいのだけれども、何ともしようがないということにな ったわけです。弥仁親王という崇光天皇の弟に当たる子どもを探し出しました。この人を 天皇にするしかないということになりましたが三種の神器がない。天皇の践祚を権威づけ る太上天皇もおられない。誠に万策尽きたはずですが、それを見越して北畠親房は三上皇 と前皇太子を連れ去ったわけです。 しかし、幕府もなかなかさるものでして、弥仁というお子さんのおばあさんに当たる、 広義門院という女性を見つけ出しまして、この人は後伏見上皇の皇后でありますが、61 歳 のおばあさんが生きておったと。そのおばあさんに、あなた上皇の代わりになって新しい 天皇を立ててほしいと泣き付きました。しかし、そのおばあさんは嫌がって、そんなこと はできないと断ったのですが、それではみんな困るんですね。何が困るかというと、尊氏 は将軍の位から外されておりますし、寺社とか武家のトップの人事が全然空白のままなん です。天皇がいらっしゃらないと動かないんです。とにかく天皇の宣旨、あるいは綸旨の
6 形で人事その他が発令されるので、このときは半年くらいかかりました。しかし人々はお ばあさんの広義門院を説得しまして、おばあさんもやむなく折れて、しようがない、天皇 を立てましょうと。三種の神器なくして後光厳天皇という北朝の4代目の天皇が立ったわ けであります。 こういう事件を見ますと天皇がいらっしゃらないことには国政が止まってしまう。武家 だけではどうしようもないということでございます。ですから、不思議と言えば不思議な んですけれども、そんなに天皇がいらっしゃらなくて困るのなら、武家自身が天皇家を継 げばいいではないかということですが、それはそうはならないんです。やはり天照大御神 の御子孫である方々がしかるべく天皇の地位に就いていただかないと困る。 そういうことで、幕末までこの象徴天皇制がほぼ続いてきたとみなしていいのではない かと思います。こういうふうに早くに権威的な存在に特化して、権力を手放して、統治的 なことを行わなくなった君主というのは、アラブ世界のスルタンとカリフの関係に似てい るんですけれども、アラブの天皇に当たるカリフというのは早くに形骸化しまして、天皇 のように 1,000 年も長続きしておられない。そういう意味では非常に特殊な君主の在り方 である。世界に例を見ない。日本独特の制度として残ってきたものだと。それが戦後復活 したというふうに見るのが一番妥当かと思います。 最後に5分ほど残っていますので、御質問の「2~6.皇室の御活動と女性宮家」のこ とについて、私の私説と簡単な試案を披露したいんですが、それは今まで申し上げてきた ような象徴天皇の歴史から直接導かれるものではございません。こういう伝統があるから、 こうすべきだという話ではなくて、あくまで私の私説でございますので、そのつもりでお 聞き願いたいです。 現在の皇室の御活動につきましては、言われておりますように、①憲法で規定の国事行 為。②祭祀的、お祭り、お祈り、御祈祷などの行為。③象徴としての公的行為。名誉職的 な何々学会とか学士院とかその他、あるいは国体とか儀礼的なものでございますけれども、 大体3種類の御行動がありまして、現在も陛下は御入院でありますが、私ども下々の目か ら見まして、非常にお忙し過ぎる。労しい限りでございます。陛下は非常に生真面目でい らっしゃいますので、国事行為、御活動、御公務をすることがお生きがいのように拝察さ れます。しかし、国民としては誠に恐れ多いことですが、心配でたまらない。国民の心配 も少しおくみ取っていただければと常々思っております。 御高齢でありますので、私の感じでは、①の国事行為は憲法規定なので仕方がない。② と③は、お二人の皇子がおられるわけですから、皇太子と秋篠宮にもうお任せあってもい いのではないか。事実、祭祀行為とか象徴的な儀礼的活動は天皇以外でも伝統的にやって おるんです。例えば院政時代の太上天皇、あるいは皇太子摂政時代の皇太子とか、そうい う人々が天皇の代行をした例は幾つもあります。先ほどの大嘗祭の例で言いますと、幼帝 には摂政がすべて付ききってやるということで、何も天皇御自身がすべて御公務をおやり にならなくても全く差し支えない。これは伝統を見ても、そういうことが言えると思いま
7 すので、下々としては陛下にお休みいただきたいと切望しておると。これは私だけではな いと思います。ですから、今の陛下が上皇ではないけれども、太上天皇のお気持ちでいて くださいと。天皇なんだけれども、半分御隠居しておられるお気持ち。太上天皇のお気持 ちでおられたらいいのではないかと個人的には思います。 最後に宮家の問題でございますが、これも私の私見でございます。女性宮家は仁孝天皇 の皇女の淑子内親王、皇女和宮のお姉さんですが、この方が桂宮を継いだ例があります。 ですから、女性の宮家は幕末以前にも例があることでして、決して不自然なことではない。 ですから、こういう事態になりまして、女性の方を宮家に立てるということは、さもある べきことであろうと思います。ただ、私としては、できるだけ小規模におとどめになって、 例えば眞子様、佳子様、愛子様。困難かもしれないが、黒田清子様には是非、内親王宮家 をつくるのであれば、お戻りいただきたい。一旦市民になっておられますので、難しいこ とかも知れませんが、私としては是非とも清子様にも戻っていただきたい。特に両陛下が 非常に頼りにしておられる方であると思います。 その場合に内親王が宮家を立て、御結婚をされました場合、入夫の男性はどういう待遇 にするか。これは准皇族というようなことでよろしいのではないか。皇位継承権があるか どうかは別です。一代限りで准皇族というような待遇。前に言いました准関白とか准摂政 とか、平安時代の人は割と運用はかなり柔軟にやっているんですね。平安時代のやり方を 見習って、准皇族くらいの緩やかな待遇を置いておく。ですから、黒田様の御主人も何も 今のお仕事を辞めていただくような必要はないと考えます。 以上が私のヒアリングですが、これで終わりたいと思います。 ○河内副室長 ありがとうございました。 それでは、質疑に移りたいと思います。何か御質問はございますでしょうか。どなたか らでもどうぞ。 ○長浜副長官 どうもありがとうございました。歴史学の観点から先生に、特に私どもが お願いしている前段、いろいろお話をいただきました。そういった中で、歴史の中におけ る皇室の男性、女性という意味での女性の役割、地位というものは、今、御説明いただい た長い天皇の制度の中において、どのように変化があったのでしょうか。あるいは変化は ないか。男性、女性ということですね。 ○今谷氏 それは私のレクチャーから省いたんですが、それは非常に変化があることでし て、女性は古代は入内といいまして、内裏に入ることで、それ以外の結婚はいわゆる妻問 婚ですね。天皇家だけが女性が内裏に入るという形を取ってまいりましたので、天皇を取 り巻く女性の地位も平安時代から江戸時代まで変わっております。 近いところから申し上げますと、江戸時代は皇女和宮の例を見てもわかりますように、 徳川家にお嫁ぎになった方もいらっしゃいます。和宮と同じように、将軍家継の夫人に、 八十宮が婚約になっていた。あるいは家綱の時代に徳川家から、皇女を是非迎えたいと。 これは後水尾上皇が拒否したのですが、つまり江戸時代でも3回あるんですね。天皇家か
8 ら皇女を徳川夫人に迎えたいと。平安時代の摂関家などの婚姻で見てまいりますと内親王 あるいはその娘様、つまり王女あるいは女王というような皇族の女性が摂関家の身分の高 い家に嫁がれた例がかなりあります。ですから、天皇家以外の方と通婚されるということ は、そんなに珍しいことではないです。しかし、平安時代の例から見ると、女王という肩 書が残ったまま関白の夫人になる。それは藤原家の方に入るわけでして、現在の概念から 言えば、皇族から離れるということにはなろうかと思います。 ただ、皇室という存在自体が伝統的に二重、三重の藩屏といいますか、周りの大きな組 織に支えられたものであります。平安時代は貴族、藤原北家を中心に公家、中世はその周 りに武家がいて、貴族全体で天皇を支えておるわけです。明治以後、華族ができまして、 華族、宮家、皇族、皇室というふうに同心円的な構造になっておりまして、これを戦後 GHQ が全部取っ払って、真ん中の核の皇族だけにしてしまったというのが大変苛酷なことで、 イギリス人などはそういうのを見て、これは王制としては危ないということは、イギリス などは感じておったようでありますが、戦後 60 年続いてまいりました。 ですから、藩屏というのはどうしても必要で、現在、陛下の御高齢で、たとえ女性であ っても御相談相手あるいはサポートをする人々として、御主人を含めて、親戚付き合いと いうようなものが絶対に必要だと思います。今のままでは悠仁様1人になってしまうとい うようなことですから、そういう意味で最低限、女性宮家であっても周りに垣根をつくる ことは非常に必要であろうと思います。 歴史的にそれがどういうふうに変わってきたかは、これも長い話になるので一言では申 し上げられませんが、私の言いたいことは、この制度は天皇家だけでもってきたわけでは ない。武家があって、あるいは院政時代は上皇の周辺。幕府時代は武家自身が天皇を何と か正統性の根源として支えようと強い意思を持っておりまして、承久の乱で京都をひどい 目に遭わせた鎌倉幕府でも、帝のことを尊重せらるべきとかいうような議決を武家の会議 で何回か議決をしております。あの鎌倉幕府ですら、つまり天皇は尊ぶべきもので、我々 が支えなければいけないという意識は持っております。歴代武家は大体そのように思いま す。 ですので、現在の状況というよりも、戦後 GHQ がやった改革が占領後、すぐに元に戻せ ばよかったんですが、それが油断といいますか、その当時の政治家の方々が気が付かずに、 いつの間にか非常に危ないといいますか、その藩屏がほとんどなくなってしまったという 状況で、これは歴史を見れば、寒心に堪えない困ったことだなと思います。 ただ、今日は男系、女系の話はしないということを前提で私も臨んでいますので、いず れ 10 年、20 年かけてゆっくり議論をして国民のコンセンサスを取っていく問題と、当面 の天皇陛下の一種の親戚仲間といいますか、女性宮家は切り離して、とりあえず女性宮家 については小規模ながら、清子様を含めて復活といいますか、宮家を立てられる方向でい いのではないかと思っています。
9 ○河内副室長 ありがとうございます。 そのほかに何かございますでしょうか。 ○園部参与 園部でございます。大変貴重なお話を伺いまして、ありがとうございました。 長く歴史を顧みます場合に、今も藩屏の話、武家の話が出ましたけれども、一般国民は 天皇との関係を日本の長い歴史の中でどのように考えてきたか。また、どのようにして、 つながれてきたか。その点はいかがでございますか。 ○今谷氏 大変難しい問題で、私自身も大学の授業で天皇のことを教えておりますが、教 科書にはほとんど書いていないものですから、学生は概して天皇にあまり関心がない、教 科書では平安時代の摂政、関白の後、幕末まで天皇の話が出てこない。しかし、実は戦国 時代の頃は天皇が非常に重要な地位でして、京都へ諸大名が上洛したら、天皇しかおられ ない、将軍はどこかに逃げ出してということで、結局、天皇から官位をもらったりして、 戦国大名は大名たり得ているわけですので、本当のところをちゃんと教科書で書かないと だめだと思います。 私はその意味で、今の中世の記述は、教科書は欠陥だと前から思っています。その代わ りに私は幾つか本を出しまして、私なりに啓蒙しているつもりではおるんですが、だんだ ん理解されてきたかもしれません。あくまで王制というのは諸外国ともそうですが、貴族 層で大体支えているものでして、一般庶民が天皇の御存在、御行動を知るというのは、遅 れてくるのではないか。 日本でも室町時代辺りは、京都の人々は天皇のことをよく知っておったと思います。江 戸時代は御触書で庄屋などのところへ回ってきますね。諒闇で音楽を止めろとかいうこと が回ってきますので、庄屋クラスの役人たちは、江戸の将軍とは別に天皇というのが京都 におられるということは知っておったと思います。江戸時代になりますと、その天皇の存 在を隠してはおけなくなったんです。 ただ、天皇が人々の目に触れるのを幕府は非常に嫌がりまして、一般庶民が御所へ出入 りできなくなったのは秀吉のときからです。それ以前は芸能人とか節季候とかいう人たち は自由に御所に入って、天皇の前で芸能をやったり、あるいは幕府に入ったりして、推参 といいますが、割と出入りが自由だったんです。ところが秀吉以後、それを止めてしまっ た。それは武家が武家以外に天皇という権威があるということを知られたくない。 例えば後水尾上皇が西国三十三箇所へお参りしたいと言ったら、もう上皇ですから天皇 でもないのに、所司代が馬の前に出て、私が切腹しない限り絶対出さないというようなこ とで、江戸時代は内裏に幽囚の身、庶民の目に触れないようにと。大嘗祭の禊の時だけ鴨 川に出られる。そのとき以外は天皇は庶民の目に触れないというようなことをやっていた。 しかし、隠せば隠すほど、庶民は知りたがるわけで、知るようになってくるわけです。そ れが国学とかになっていったのだろうと思うんです。ですから、一般の人々が天皇の存在 を知るというのにも、それなりの歴史がずっとあります。 ○園部参与 もう一つだけお聞きしますけれども、今、天皇陛下の御公務を少しでも減ら
10 して頂きたいという考え方が一方でありますが、おっしゃったように、国事行為は別とし てと。これを、皇族方で支えて頂かなければなりませんが、その皇族そのものが女性を除 いて減少しているという状況の下で、私は女性宮家というのは、非常に誤解を招く言葉だ とはっきり申し上げますけれども、そうではなくて、女性皇族方を含めて、天皇陛下の御 公務の継続をお助け頂くという体制といいますか、御公務を助けるための皇族方の役割と いうもの。それは御結婚なさるかなさらないかということとは別に、皇族方の中で女性が 多数おられますので、女性にも御公務を分担して頂きたいという気持ちが湧き上がってく るわけですが、先生はいかがお考えでございましょうか。 ○今谷氏 差し支えないと思います。女性でも皇子と同様にされるといいのではないかと。 ○園部参与 昔流に言うと、皇族が結婚して臣下に降嫁されるということになりますね。 その場合にそういう例もあったわけですけれども、そういう状況になっても、皇族である 女性は、皇族としての地位あるいは尊称を維持することは可能だと思われますでしょうか。 ○今谷氏 ですから、皇室典範を改正して、例えば宮家一代限りとかですね。先ほど言い ましたように、入夫される男性についても准皇族的な待遇を一代限りでお与えすればいい のではないかと。法律を改正すれば、できることではないでしょうか。 ○園部参与 わかりました。どうもありがとうございました。 ○河内副室長 そのほかにございますでしょうか。よろしゅうございますか。 ありがとうございました。最後に長浜副長官より一言ごあいさつがございます。 ○長浜副長官 先生、今日はどうもありがとうございました。象徴天皇制度から始まり、 大変深い歴史的な御知識の中での考えを拝聴させていただきまして、どうもありがとうご ざいました。今日のこの先生の御講義も検討に生かさせていただきたいと思っております。 どうもありがとうございました。 ○河内副室長 ありがとうございました。 それでは、引き続きまして、ヒアリングの後半に入らせていただきます。 改めて、齋藤副長官より一言ごあいさつを申し上げます。お願いします。 ○齋藤副長官 着席のままでお許しください。本日は大変お忙しいところをありがとうご ざいます。 このヒアリングは皇室の御活動、意義、そして、女性の皇族の方に皇族以外の方と婚姻 された場合も御活動を継続していただくとした場合の制度の在り方等につきまして、今後 の政府におけます検討の参考とさせていただきたいということで開催させていただきまし て、今回取り上げさせていただきます課題は、憲法あるいは法律はもとより、我が国の歴 史や伝統・文化に大変深く関連することでございまして、大変難しいテーマではあります けれども、各界の方を始めまして、有識者の方々に幅広く御意見を拝聴させていただきま して、今後の行う制度検討をより実のあるものにしていきたいということで考えておりま して、開催させていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
11 ○河内副室長 それでは、ジャーナリストの田原総一朗先生から御意見を伺います。30 分 程度お話をいただいた上で、質疑の時間を取りたいと存じます。 では、先生、よろしくお願いいたします。 ○田原氏 今谷先生のお話を聞くと、私はほとんど話すことは何もなくなってしまうんで すけれども、私なりにお話をしたいと思います。 まず1つは、象徴天皇と天皇の今の御活動についてです。私は日本というのは、世界に ほかに例がない、非常に独特の国だと思っています。それは学術的には、天皇がいつから 始まったのかというのは、いろいろあるでしょうけれども、古代からずっと一貫して国民 が天皇を守ってきたと。この国民の場合には、勿論、権力者も全部含めた国民です。1回 も、つまり古代以後、天皇をなくそうという動きがなかった。もっと言えば、革命という のはこの国では一度も起きていない。これは大変な日本の特徴だと思います。 これは、もう今谷先生がお詳しいですけれども、例えば鎌倉時代、北条幕府に対して、 後鳥羽上皇の方が滅ぼそうとした。このときの責任者は北条泰時ですが、これは逆に上皇 側をやっつける。にもかかわらず、天皇制をやめなかった。本当ならば、このときに革命 が起きても、世界の例を見るならおかしくないのですが、日本では北条泰時は次なる天皇 をきちんと選んで、天皇制を守った。 例えば建武の中興ですけれども、後醍醐天皇です。これも最初は鎌倉末期に鎌倉を滅ぼ すと。そこで新たに足利尊氏が登場する。足利尊氏もこの後醍醐天皇の方を、言ってみれ ば、やっつけると。普通の国ならここで天皇家が終わって、言わば革命が起きてもおかし くないんだけれども、足利尊氏は南北朝などと非常に今から見るとややこしい形をしなが ら、やはり天皇家を守っている。つまり天皇制を守っているという例が少なからずある。 さらにもっと大きいのは太平洋戦争ですね。太平洋戦争で日本は戦争に負けた。特に相 手はアメリカですが、アメリカでは世論もそうだし、上院もそうだけれども、天皇を裁判 にかけろということを上院は決定しますね。にもかかわらず、そして、さらにアメリカは 天皇に戦争責任ありということを認めながら、結局、天皇制を廃止しなかった。それはア メリカが日本を占領するに当たって、もし天皇制を存続しなければ内乱が起きて、非常に 占領がしにくくなったということが基本です。マッカーサーもそう書いています。 要するに、日本の国民は天皇という存在があれば、落ち着く。内乱も起きない、収まる。 アメリカですら、そう思っているということで、私は日本が天皇制を古代からずっと守っ てきたということが、世界に非常に例がない全く独特の体制であって、さらに戦争直後に 国民投票をして、このときも圧倒的に天皇支持なんです。実は戦争直後は日本では左翼が 大変強かった。今谷さんもおっしゃったと思いますが、1990 年代までは天皇の研究はまと もにできなかった。つまり、ほとんどの学者はむしろ天皇反対という研究が強くて、今谷 さんなどが最初に研究されたときは、そういう批判がとても強かったと今谷さんはおっし ゃっている。 だから、学者の世界では、むしろ天皇制はやめろ、だったにもかかわらず、圧倒的国民
12 は天皇制を守るということで天皇を支えてきたということが、私は日本の国民が圧倒的に 天皇制を守る。しかも、その天皇制はさっき今谷さんもおっしゃったけれども、歴史的に 見ると、ほとんど権力を持たない。言わば象徴的天皇だったと。古代のある部分は違いま すが、ほとんど象徴的天皇である。 例えば、鎌倉時代が始まる。あるいは武家時代が始まって、私たちから見れば、むしろ 天皇は邪魔ではないかというふうにも思えるのですが、やはり彼らが自分の征夷大将軍で あることの正統性とか、あるいは逆に自分たちが征夷大将軍を天皇から位をもらったとい うことで、これは徳川時代も全く同じですが、自らの一つの正統性をやってきた。どうも 日本は古代から権力と権威というものが2つ分かれていた方がいいのではないか。現に権 力と権威が分かれていない国はいろいろな問題が起きる。 特に最大の問題が起きたのは、ソ連だと思います。私がソ連の政治体制を今から 30 年、 40 年前に書いたことがある。つまり、権威と権力が一体化している。ここで権力が腐敗し たときに、これは一挙に崩壊する。これは日本人のむしろ賢明さだと思います。ずっと分 けてきたことは日本の賢明さであって、それが今も続いているという意味では、今の象徴 的な象徴天皇制は日本の歴史の中では象徴的天皇がむしろ普通であった。言葉が過ぎるか もしれませんが、明治天皇から昭和天皇の前半までがむしろ異常であったと。大元帥陛下 という形がね。今はむしろ歴史的には、長い長い歴史の流れに戻ったと考えるわけで、私 はそういう意味では象徴天皇制、今の御活動は肯定します。 ただ、今の天皇がお年を召したこともあって、公務が激し過ぎる、多過ぎる。この公務 はもっと減らした方がいいだろうと思っています。特に天皇の場合には、会社の社長や会 長と違って定年もないし、一生やめられないわけですから、公務が厳し過ぎるのではない かと考えています。今の天皇に対して大変だなと思いますが、この象徴天皇制があること に対して違和感はありません。これが私に与えられました象徴天皇制度と皇室の御活動に ついての意義の点です。 その次に皇室の御活動の維持が困難となることについてであります。これはざっくり申 し上げれば、皇室典範によっても或いは皇室典範には書いていないとしても、昭和天皇か ら側室という存在を認めない、養子を認めないということです。例えば秋篠宮家の悠仁様 が仮に成人になられて、あるいは天皇になられるときに、不幸な場合には、悠仁様だけで 後は宮家がゼロになる。これは非常に不都合なことだと思います。相談する相手もいない。 皇室会議を開くと言ったって、1人では会議も開けないわけですから、そのときに皇室会 議が開ける、あるいは相談できる仲間というか親戚というか、そういうものが必要であろ うと思います。そういう意味では、女性宮家をつくるのは基本的に、原則的に賛成です。 ただ、問題は女性宮家をつくらなくてもいいではないかという意見もあります。それは 旧宮家を復活すればいいではないかという意見もあります。実は旧宮家は、日本が戦争に 負けまして、GHQ が旧宮家を廃止したわけでして、むしろこれは GHQ の思惑でして、日本 の国民の思惑ではない。私は旧宮家の復活に反対ではありません。しかし、旧宮家が復活
13 すればいいから、女性宮家は要らないという意見には反対です。それは戦後、時代も大き く変わった。男女同権であり、男女共同参画社会、まさに男性と女性の権利は同じになっ た。そういう時代を見ても、むしろ女性宮家がないのが今や不思議である。この女性宮家 の創設には、私は賛成です。 さらに言えば、繰り返しますが、旧宮家の復活も反対ではない。ただし、旧宮家が復活 すればいいから、女性宮家は要らないという意見は、論理的にこれは正しくないと思って います。話が元に戻りますけれども、日本には革命は一度もない。明治以後もです。例え ば五・一五とか二・二六とかありますが、これはすべて政党政治が財界、財閥と癒着して 乱れて、あるいは腐敗しているということで、天皇の直接の政治に戻すべきだと。つまり 反天皇では全くない。明治以前も明治以後も反天皇の動きがこの日本にはない。これは大 きな特徴だと思います。全くないということですね。 さて、そこで問題は女性宮家を創設したときに、その規模を一体どうするか。これはな かなか難しい問題ですが、私は規模はなるべく、できる限り小さい方がいいと思っていま す。問題はできる限り小さい方がいい。当然ながら、女性宮家の方は結婚をされることを 前提にした方がいい。本人の希望でされないこともあるかもしれませんが、されることを 前提にして、その結婚をした配偶者。この夫ですね。夫をどういうふうに待遇するのだろ うかということが一つの問題になる。 いろいろなことがあると思います。だけれども、私は配偶者、夫ですね。女性宮家の女 性と結婚するんですから、これは皇族に準ずるべきだと思っています。というのは、配偶 者を皇族に準じないとすると、宮家の人は自分でスーパーに買い物に行けない。では、買 い物は夫に頼むのかという、細かく言いますと非常に複雑な問題が出る。配偶者が皇族に 準じる。 もう一つ問題があります。その夫との間に子どもができる。この子どもをどうするのか。 一代限りという意見もありますが私は子どもも宮家でいいと思っています。子どもが宮家 でないとなると子どもは自分で生活をしなければいけない。ややこしいですね。宮家の場 合には、スーパーやコンビニに買い物に行くかわからないけれども、子どもはスーパーや コンビニに買い物に行って、就職をしろという話になりますね。だから子どもも宮家にし た方が無難であろうと考えています。ただこの辺から具体的な問題がいろいろ出てくると 思います。具体的な問題については、今は女性宮家をつくるかどうかの問題で、女性宮家 の生まれた子どもをどうするかというのは話が別になると思うので、ここにはあえて触れ ないつもりです。これは何かの機会に考えればいい。 何も聞かれていないのですが、私は今日の問題とは関係ないのでお出しをすると、かえ って迷惑かもしれませんが、女性天皇があってもいいと思っています。なぜなら江戸時代 以前は女性天皇があるわけですから、問題は女系の問題ですね。日本のつまり天皇という 伝統。あるいは伝統と言えば、女系という伝統はない。ここは大きな問題があると思いま すが、私は個人的には、女性天皇は明治以前はあったわけですから、明治以後、女性天皇
14 がなくなった最大の理由は、大元帥陛下だと思います。大元帥、軍隊の一番トップになる。 当然、戦前は女性は軍隊には入れませんから、今や大元帥ではなくなったのですから、そ このところはむしろ伝統としては、女性天皇を認めるのがむしろ伝統であって、女性天皇 を認めないのは伝統に反する。もし保守的な方が女性天皇を認めないとすれば、その人は 多分保守的ではなくて、急に革新的になったんだと思います。よけいな話です。 その女性宮家の配偶者については、私は皇族に準ずるということでいいと。一代限りで はなくて、その子どもさんも宮家になるということがいいのではないか。繰り返し言いま すが、旧宮家を廃止したのは GHQ がやったわけで、日本政府もほとんどこれには相談に預 かっていないと思います。旧宮家を復活するのは、私は反対ではない。 大体そういう意見ですが、何でもありましたら、どうぞ。 ○河内副室長 それでは、御質問をお願いいたします。どなたからでもどうぞ。 ○長浜副長官 先生、ありがとうございます。 今、御公務をある意味で支えていかれる女性宮家というお話だったと思いますが、女性 宮家という位置づけが必要なのか。皇族であられた女性の方は、先生がおっしゃられたと おり、御結婚されれば皇族を離れられるわけですが、その女性が皇族であり続ければ、別 に宮家という議論から離れて、その女性が皇族としてのお仕事ができればいいという、こ の議論はどのように分ければよろしいでしょうか。 ○田原氏 例えば黒田さんと結婚された元内親王が公務をやるとしても、彼女は乗り物は どうするんですか。今は多分タクシーだと思います。うわさですから知りませんが、宮中 へ行くのもタクシーでいらっしゃると聞いています。そういう待遇です。そこが宮家にし た方がある程度、宮家にするというのは非常にざっくり言えば、税金で宮家を支えるとい うことです。今、黒田家になると、最初は幾らかお金が来たかもしれませんが、ざっくり 言えば、税金で支えないということです。それは税金で支えないと、いろいろな不便な点 が出てくると思います。だから、なるべく小規模でやる。 ○河内副室長 ありがとうございます。 ○園部参与 どうも、園部です。 どういう形の女性の皇族方の御身分の継続ということが可能か、あるいは好ましいかと いう問題ですが、宮家と申しますと、要するに女性皇族を当主とする一つの宮家をつくる ということになります。そこに配偶者もお迎えする、お子様もお誕生になるという形にな りますと、その場合に相手方が必ずしも旧皇族とは限らないし、皇族とも限らないわけで すが、一般の人が配偶者となるときに、これは色々な皇室の御活動の中で、その相手の男 性は具体的な国賓の御接遇とか、園遊会、記念式典にお出になる可能性もあります。そう いう場合に相手の男性は、皇族でない御配偶ということになりますと、参列されることが よろしいのか。それとも皇族だけがそういうことをなさるのがいいのか。 ○田原氏 そこは厳密にはわかりませんが、私は参列した方がいいと思います。もう一つ、 当然ですが、女性宮家ができたときに、それはつまり、当主は宮家ですね。配偶者は当主
15 ではありません。内親王が結婚して黒田さんにおなりになった。宮家は黒田さんにはなら ないんです。 ○園部参与 それはわかりますけれども、ただ、相手は皇族ではないということですね。 皇族に準ずるとは、どういうことですか。 ○田原氏 皇族に準ずるということは、私はいろいろと制約されると思います。しようが ないですね。天皇というものはいろいろと制約されるものですから、多分、黒田さんも結 婚されるまでスーパーに買い物に行ったことがなかったと思うし、制約されますね。これ はうわさでもないけれども、例えば大膳が天皇、皇后に対して、月曜日に1週間分の朝昼 晩を全部発表するそうですね。木曜日にはうなぎが食べたいなと言っても、そうはいかな い。そういうのはいっぱいあると思います。それはしようがないですね。女性宮家に入っ てくる人は、そういういろいろな縛りは出てくると思います。全く自由ではない。 ○園部参与 職業はいかがですか。 ○田原氏 職業は難しいところですが、基本的には職業に就いてもいいのではないかと思 いますが、職業によりけりですね。非常に制約があると思います。 ○園部参与 区別はどこで付けるかということもあります。 ○田原氏 これもざっくり言えば、例えば今の赤十字のトップは近衛さんですね。こうい う職業はいいと思います。でも、極端に言うと、金融業に入っていいかどうかということ になると、金融もいろいろとありますけれども、それも制約されると思います。 ○園部参与 職業を変えるとか、辞められるとか。 ○田原氏 という必要もあると思います。そこは職業に制約はあると思います。 ○園部参与 もう一つだけですけれども、これは歴史的な問題もあるのですが、皇室と国 民とはどの程度の距離を保つのがいいのか。距離を保たないのがいいのか。その辺は如何 でございますか。 ○田原氏 私は今の天皇御夫妻が結婚されたときに、小泉信三さんがテニスコートの愛と いうのを演出したというか、本物だったかもしれませんが、それで結婚された。しかも、 もっと言いますと、実は今の天皇が正田美智子さんと結婚されるときに、私がフランスの 人たちから質問を受けたんです。何で一般庶民と結婚するんだと。天皇というのは特別の 階級でしょう。特別の階級だから税金で生活できるんだと。特別の階級なら特別の階級と 結婚しなければいけない。それが一般の人と結婚するというのは、特別の階級を解体する ことになるのではないかと言われまして、私はちょっと困って、そのときに皇族や宮家に 適当な女性がいらっしゃらなかったんだと。ならば、どうしてオランダやスウェーデンの 女性と結婚しないんだと。ヨーロッパの場合には、特別の階級は国が違っても特別の階級 と結婚するんだ。なぜやらなかったのだと。そこで日本は世界で特別の国で、つまり天皇 をずっと守ってきている。天皇をずっと守っていることは、私は万世一系という言葉があ るのは知っていますけれども、とは言いませんが、しかし、とにかく天皇が存在してから 天皇家をずっと守ってきた国。もっと言えば、一度も外国人の血が入っていない。これが
16 伝統だと思うから、余りきちんと説明はできなかったんですが、それは日本人としては、 国民としては、それを好まないと思う。私も余りそれに賛成できないと思うというような 説明をしたことがあります。 ○園部参与 よくわかりました。 ○竹歳副長官 今後の議論の進め方でございますけれども、先ほど例えば具体的な問題に ついては、もう少し先に考えてもいいのではないかというようなお話もありましたけれど も、今後この問題についてはどのような。 ○田原氏 今日申し上げることはないと思いますが、女性天皇は伝統的であって問題ない。 女系を認めるかどうかは一番の問題ですね。あるいは今谷さんは詳しいかもしれませんが、 私が知っている限りでは、女性はあるけれども、女系はない。女系をどうするか。これは 小泉純一郎さんがあのときに、女性天皇、女系天皇を認めるかどうかという議論をされま したけれども、あのときに実は私も小泉さんから相談を受けているんですが、あのときは 愛子様しかいらっしゃらなかったので、悠仁様がいらっしゃらないということで、切羽詰 まったんだと思います。問題は伝統に反するという意味では、女系の問題はどうか。これ は今、論じることではないと思っています。 ○齋藤副長官 旧宮家の復活には反対をするものではない、しかし、女性宮家はやはり必 要だというお話だったと思いますが、そうではない、復活をするということで女性宮家は 不必要ではないかと、文献とか何かで発言をされる方がいらっしゃるのですが。 ○田原氏 逆に、それは女性差別だと思います。戦前は女性は選挙権もなかったんだし、 男女雇用平等法ができるまでは、女性が就職しても、はっきり言えばお茶くみです。それ が平等になった。それから、男女共同参画社会になってきた。時代が変わったわけですか ら、私はむしろ女性宮家を認めないというのが、非常にアナクロニズムだとすら思ってい ます。 繰り返しますが、私は旧宮家の復活は反対していないわけですが、更に言うと、こうい う場では申し上げることではないかもしれないけれども、私は女性宮家に反対した人たち の意見を何人も聞いています。今日この場でこういう話をすると、何人からも電話や手紙 で会いたいと言ってきて、みんな例外なく女性宮家の創設が反対なんです。何で反対かと いうことを聞いていくと、要するに女性宮家を認めるということは、将来、女系天皇を認 めることになるのではないかと。それは別の問題だと。女性宮家の問題と全く違うという ことを申し上げています。 ○河内副室長 本日の女性皇族問題について、ジャーナリストのお立場から見て、国民的 な議論を深めるために、どういうやり方、手法というものが考えられますか。 ○田原氏 やはり天皇という問題、天皇がいかにあるべきか。基本的に、まず大前提が抜 けました。天皇制を持続させようと思えばというのが大前提であります。天皇家あるいは 天皇制を持続させようと思えば、女性宮家を認めるべきだと。なくなれば、なくなっても いいではないかというのであれば、別に女性宮家の創設をする必要はない。私は天皇制が
17 存続した方がいいと思っています。これが大前提です。 もう一つ、今、残念なことにジャーナリズムで皇太子御夫妻のことが話題になっていて、 これがつまり天皇制とか、あるいは天皇家とか関係なく、一種の非常に品の悪いスキャン ダルになっている。これは非常に嘆かわしいと思っています。この問題がきっかけになっ て、国民の中で天皇制とは何か、天皇とは何かということをもう一回、非常に基本から考 え直す、考える、あるいはディスカッションするきっかけになるのは、非常にいいことだ と思っています。 ○河内副室長 せっかくの機会でございますが、特にほかによろしゅうございますか。 ありがとうございました。最後に長浜副長官より一言ごあいさつ申し上げます。 ○長浜副長官 先生、今日はどうもありがとうございました。ジャーナリズムの分野で御 活躍をされ、先生の御発言の中においても時代の流れと、こういうことも敏感に背景にあ る中での御議論をいただいたと思っております。先生のお考えをまた今後の議論の中に生 かさせていただければと思っております。今日はどうもありがとうございました。 ○河内副室長 お足下の悪い中、本当にありがとうございました。 以上をもって終わらせていただきます。