〈論文〉
現代台湾における原住民母語復興(3)
-ブヌンの事例からみる教育現場の現状と課題-
石 垣 直
はじめに
筆者は、複数の既発表の論文において、台湾原住民の母語復興状況を検討してきた。『南 島文化』誌上で最初に発表した論考では、原住民諸族の母語復興を支える言語政策史と現 行の諸政策を整理した[石垣2015]。同論文では、①台湾の民主化ならびに原住民運動の 高揚と原住民母語復興との密接な関わり、②紙媒体ならびにインターネットなどを利用し た様々な教科書・教材の編纂事業の進展などを指摘した。続く論考において筆者は、ブヌ ン(布農族)の事例を主要対象とし、教科書・教材編纂の歴史と、刊行されている教科書・
教材の具体的な内容を、検討した[石垣2016]。そこからは、まず、①1990年代初頭の 地域レベルにおける試験的なものから1990年代半ば以降における政府主導の全国的なプ ロジェクトや各地の取り組みに対する出版補助にいたる教科書・教材編纂の歴史、②教科 書・教材内容の試行錯誤と定式化の流れが明らかになった。同稿ではさらに、③母語教師 用の「指導ガイド」をともなう教科書の編纂、④母語認証テスト用問題集/進学用母語能 力テスト問題集の内容にみる語学学習の基本プロセスの存在、⑤デジタル教材の開発1な どの諸特徴についても指摘した。これらの論考からは、台湾における原住民母語復興の歴 史と先進的なの取り組みの一端が、明らかになった。
ただし、台湾における原住民言語の復興に向けた取り組みは日進月歩であり、筆者がこ れらの論考を発表した後、2017年6月には、原住民諸語の復興の基盤となる「原住民族 語言発展法」が公布・施行された2。同法は、①(原住民居住地域における)原住民諸言 語の公用語化、②母語教師の雇用待遇改善、③原住民籍公務員の採用における母語能力の 重視などを謳っている。これまで以上に原住民諸語の復興に踏み込んだ同法が、原住民の 母語教育ならびに実際の母語復興にどのような影響をもたらすのかについても、今後さら なる調査研究が必要とされている。
ところで、台湾原住民の母語復興については、上述の拙稿以外にもいくつかの先行研究 が、関連する諸政策や先進的な取り組みを紹介・検討してきた[例えば、片桐2003;中 川2003;林2010;趙2011;黄美金2014;黄俊峰2014]。しかしながら、原住民諸語に 加え閩南系の人々の「ホーロー語」や客家系の人々の「客家語」を対象とした台湾の「郷 土語」教育あるいは多言語政策に対しては、時間的制約や正書法の不備さらにはカリキュ ラムにおける具体性の欠如などを理由として、「象徴的なレベル」に留まっていて実質的 な効果に乏しいとする批判が提出されてきた[例えば、谷口2005;クレーター 2010]。 また、漢族系住民が多く居住する西部平地でのインタビューやアンケート調査、さらには
南部の原住民村落で実地調査を行った研究者らも、学校での週1回のみの授業の限界、母 語教師の人材不足、表記システムの不統一、英語教育との競合、「変種」・「方言」の多様 性に基づく教育の困難、都市移住や進学による母語教育の途絶、「加点」制度による母語 クラス自体の「試験対策クラス」化などを、現行制度の問題点として指摘している[例え ば、中野2009;松尾2010]。さらに言えば、これらの先行研究が存在するものの、実際 の言語使用状況や教育現場の現状、そして児童・生徒自身の母語教育・学習に対する認識 については、依然として十分な資料と議論が蓄積されてきたとは言い難い状況にある。本 稿では、こうした先行研究の現状も踏まえた上で、「母語が教育される現場」に立ち返り、
現状の問題点や今後の母語復興の可能性について考えてみたい。
本稿の構成は以下のとおりである。まず第1節では、母語使用に関する全国規模のアン ケート調査成果を整理する。続く第2節では、ブヌンが居住する2つの地域を主な事例と して、母語教育現場の歴史と現状を報告する。さらに第3節で、両地域の母語教師および 児童・生徒に対して実施した母語教育・学習調査の結果を報告する。本稿の最後には、こ れまでに整理・報告してきた内容を踏まえ、台湾における現行の母語復興政策の問題点、
教育現場が直面する課題、そして母語復興の可能性についてまとめる。
1.全国規模のアンケート調査結果
台湾原住民諸族の母語使用状況については、行政院原住民族委員会(以下、原民会)の 委託を受けた世新大学による研究(2012年~ 2015年)がある[世新大学2016]。16族・
総人口約52万人の戸籍データから抽出した人々に対する訪問調査(計2万0,084人)を実 施した同プロジェクトの報告をもとに、現代の原住民母語使用・能力・継承における諸特 徴を確認しておきたい。
母語(政府の公式用語で〈族語〉)使用については、調査対象となった原住民の64.62%
が日常的に母語を使用すると回答している。ただし、「国語」(中国語)の使用はそれを 上回り89.37%、さらに台湾のマジョリティである福建系の人々が話す閩南語の使用も 28.63%に達した(複数回答可)。また、母語使用の状況は民族間で大きな開きがあり、
80%が日常的に母語を使用するタロコ(太魯閣族)のような事例もあるが、人口の少な いサアロア(阿魯哇族)の数値は、全データの中で最低の6.82%であった。ちなみに以下 で取り上げるブヌン(調査当時、人口約5万4,000人)の場合、57.64%が日常的に母語を 使用すると回答している。ただし、ブヌン社会でも「国語」使用は94.58%に達し、閩南 語使用は16.87%であった[世新大学2016:25-26]。16族全体の世代別使用状況をみる と、年配の人々のあいだで母語使用の割合が高く、年齢が下るにつれ母語使用の割合が減 少する傾向にある。10代以下の母語使用が39.48%、10代や20代でもそれぞれ50.47%/
52.34%と数値上は良好のように見られるが、「国語」使用については10代以下から50代 までが約90%という高水準であった。こうした結果からは、都市部/村落部(原住民特 別行政区など)を問わず、原住民の日常生活で「国語」が広く使用されていることが分かる。
母語能力に対する原住民自身の評価については、「不得手」あるいは「とても不得手」
だと答えた人の割合(両者の合算)は、リスニング38.8%(15.67%+23.13%)、スピー キング46.45%(19.76%+26.69%)、リーディング81.78%(18.80%+62.98%)、ライ ティング88.30%(18.38%+69.92%)となっている[世新大学2016:45-56]。全体を 通して、若年層および都市部で母語が不得手だとする割合が高く、村落部居住の者そして 年配の者で自己の母語能力に高い評価を与えている傾向がみられる。もともと独自の文字 をもっておらず、キリスト教の布教と母語による聖書編纂の過程でローマ字表記が制度化 されていった歴史を考えると、母語の「読み/書き」という「新しい文化」に対して、「不 得手」・「とても不得手」と答える人が多いのは当然のことと言えよう。ただし、その母語 能力に関し「とても得意」あるいは「得意」とする回答は、40代のリスニングで57.12%
(31.68%+25.44%)、同スピーキングで53.96%(29.12%+24.84%)と過半数を維持し ているに過ぎない。30代ではそれぞれ31.86%(11.62%+20.24%)、25.24%(9.36%+
15.88%)となっており、20代以下は「とても得意」あるいは「得意」と回答した者の割 合はいずれも1桁台であった。これらの数値からは、原住民の母語能力に関し、40代ま では辛うじて過半数の者が基本的な母語能力を有しているものの、30代で困難に直面し、
20代以下では危機的状況にあることが見て取れる。なお次表は、これらのアンケート結 果をもとに、言語の消滅危機度合に関するユネスコ(UNESCO)の基準にしたがった16 族の母族語使用・継承および母語能力の現状評価をまとめたものである3。(表1)
表1 台湾原住民諸族の母語継承・使用状況
族別(人口) 世代継承状況 日常
生活
使用 領域
言語 能力
総合 対両親 対子供 子に教育 評価
アミ(約19万3,600人)
3 2 2 3 2 4 3
タイヤル(約8万5,600人)
3 2 2 4 3 4 3
パイワン(約9万6,000人)
3 2 3 4 3 4 3
ブヌン(約5万4,000人)
3 2 2 3 4 3 3
ルカイ(約1万2,800人)
2 2 2 4 3 4 3
プユマ(約1万2,800人)
2 1 1 2 1 4 2
サイシャット(約6,200人)
2 1 1 2 1 3 2
ヤミ(タウ)(約4,300人)
2 2 2 4 2 4 3
サオ(約700人)
3 1 1 2 1 3 2
クヴァラン(約1,260人)
3 1 1 3 2 4 2
タロコ(約2万9,600人)
3 2 2 5 2 4 3
サキザヤ(約660人)
2 2 2 4 2 4 3
セデック(約9,000人)
3 2 2 3 3 4 3
ツォウ(約6,830人)
3 2 2 4 3 4 3
サアロア(約500人)
2 1 1 1 1 3 1
カナカナブ(約400人)
1 1 1 2 2 3 2
総 合
3 2 2 4 2 4 3
出典:世新大学[2016:164]を基に一部を追加・編集して作成。※数値は、言語の消滅危機度合に関するユ ネスコの基準に対応。「安全(5) /脆弱(4) /危険(3) /重大な危険(2) /極めて深刻(1)」。
この表からは、まず、民族集団の人口が極少であるサアロア、カナカナブ(卡那卡那富 族)、サオ(邵族)などで母語使用や世代間継承が危機に瀕していることが分かる。また、
プユマ(卑南族)やサイシャット(實夏族)など、マジョリティである漢族系住民と生活 圏が重複あるいは接近する平地部(一般行政区)や山麓部のグループでも同様に、母語使 用や継承が深刻な困難に直面している。16族全体をみると、日常生活での母語使用、そ して特に母語能力に関しては、「3」(危険)~「4」(脆弱)に留まってはいる。しかし ながら、「5」(安全)という評価が出ているのは、タロコの人々のあいだでの日常生活に おける母語使用のみである。先に確認した母語能力に関する40代~ 30代における「潮目」
の変化、さらには20代以下における低調を鑑みると、台湾原住民諸語は危機的な状況に 直面していることが確認できる。ちなみに、2000年代初頭にブヌン語の使用状況を調査 した劉秋雲はこうした状況を、これまでの言語政策の結果としての、母語から「国語」(中 国語)への使用言語の「転換」と表現している[劉2002]。なお、世新大学の同調査報告 に基づけば、次節以降で詳細に取り上げる現在のブヌンの母語能力に対する自己評価は、
次のとおりである。(表2)
2.母語教育実践の歴史と現状 ブヌン村落の事例から
本節では、現在でも台湾原住民諸族のなかで4番目の人口を有するブヌンを事例としな がら、村落部における母語教育実践の歴史と現状を報告する。
2. 1 調査地の概要
本節の後半でブヌンが生活する村落部における母語教育の現状を報告する前に、まず当 該地域の概要ならびに当地における母語教育の歴史を整理しておきたい。
ブヌンは、かつて台湾の中部山地で焼畑農耕・狩猟を生業していたオーストロネシア語 族系の人々である。かれらの使用する言語は、その下位区分であるグループに対応し、① タケトド(Taki-tudu)方言、②タケバカ(Taki-baka)方言、③タクバヌアズ(Tak-banuaz)
方言、④タケヴァタン(Taki-vatan)方言、⑤イシブクン(Is-bukun)方言の5つ分か れている。同じ「ブヌン語」(布農語)には属するが、発音・語彙・用法などの独自性に より、「方言」を跨いだ円滑なコミュニケーションは容易ではなく、かつては個々のグルー 表2 ブヌンの母語能力状況(被調査者の自己評価)
とても得意 得 意 普 通 不得意 とても不得意
リ ス ニ ン グ
17.06% 18.18% 22.42% 19.31% 23.03%
スピーキング
15.22% 17.48% 18.15% 21.24% 27.92%
リーディング
1.78% 2.56% 8.82% 20.77% 66.06%
ライティング
1.24% 1.85% 5.40% 20.21% 71.30%
出典:世新大学[2016:45-56]をもとに筆者作成。被調査者数はブヌン語5方言の約2,120人(設問により回 答者数変動あり)。
プが猟場その他をめぐって敵対関係に立つこともあった。
父系的に結びついた拡大家族を中心に山間部に小規模の集落を形成して生活していたか れらの「本拠地」は、中央山脈の中西部であった。しかし、18世紀以降にはその勇猛さ を武器に、特にタクバヌアズ・グループやイシブクン・グループがその勢力範囲を中央山 脈の東部・南部(いわゆる「移住地」)にまで拡大していった。日清戦争後に日本が台湾 を領有し、20世紀初頭に台湾総督府(以下、総督府)の統治が山地部にまで浸透するよ うになった。しかし、その居住形態や親族組織、さらには実力主義を重視する社会構造と も相まって、とくに南部のブヌンは、総督府による統治に最後まで抵抗する勢力となった
[石垣2011]。
戦後、「抵抗者」としてのブヌン像は一変する。植民地統治末期(1940年代)まで部分 的な抵抗を続けたブヌンのあいだでは、比較的早くから武力制圧され総督府への「帰順」
を余儀なくされた他の原住民集団とは異なり、山間部の要所に設置された「蕃童教育所」
を卒業後に中等・高等教育を受ける者は、ほぼ皆無であった。このような歴史的背景もあ り、ブヌン社会では戦後になっても、地域レベルを超える政治エリートや教育エリートが 育つことは少なかった。戦後のブヌンはむしろ、他の原住民集団以上に積極的にキリスト 教を信仰していった。このような状況もあり、伝統的な価値体系や社会組織が大きく変化 を余儀なくされた戦後のブヌン社会で生まれたエリートの多くは、公務員や教員などの行 政・教育エリート、あるいは牧師などのキリスト教の宗教エリートであった。
学校教育を通じた母語復興の事例として本稿が取り上げるのは、南投県信義郷と台東県 延平郷の状況である。南投県信義郷(総人口約1万6,000人)の住民は、日本植民地期後 半に統治の利便性から濁水渓や陳有蘭渓の山麓部への集団移住を余儀なくされた。その結 果この地域では、本来はブヌンの「本拠地」であったものの、戦後・1950年代以降、西 部平地からの漢族系住民の入植が相次いで保留地の違法売買・リースが横行するなど、マ ジョリティである漢族社会の影響を受けてきた。現在の原住民(主にブヌン、一部にツォ ウ〔鄒族〕)人口は、郷全体の55%、約9,000人となっている。信義郷には16の小学校(内 2校は分校)があり、そのうちブヌンの児童が主に学んでいるのは10校である。同郷内 には3つの中学校があり、内1校はその九割が原住民だが、他の2校は漢族系および原住 民双方が通っている。
他方で台東県延平郷は、数百年にわたるブヌンの移住史・拡張史からすれば、比較的新 しく獲得された地域・「移住地」である。しかし、花蓮県と同様に台東県自体が原住民人 口の割合が高い地域であり、かつ山麓部の保留地に対する漢族系住民の投機や入植もあま り積極的には行われなかったため、延平郷は比較的にブヌンの言語や文化が残された地域 である。延平郷の人口は約3,500人で、その82%が原住民(主にブヌン、他に少数のアミ〔阿 美族〕、パイワン〔排湾族〕、プユマなど)である。延平郷には、小学校が5校、中学校が 1校あり、いずれも主としてブヌンの児童・生徒が通う学校である。隣接する鹿野郷には 漢族系住民やアミ、卑南郷にはプユマなどが多く居住するが、延平郷内ではブヌンがマジョ
リティの位置を占めている。
台湾全体の「本土化」・「郷土志向」の潮流の影響を受け、これらの地域でも1990年代 から母語教育が試験的に実践されてきた[石垣2015]。2000年代に入るとさらに、郷土 語教育のカリキュラム化を通じて、母語教育の取り組みが定着していった。こうして進め られた母語教育において重要な役割を果たしたのが、上述の地域エリートのなかでも地元 の言語や文化に関心をもつ原住民教員や、原住民のキリスト教関係者(牧師・神父、長老 など)であった。かれらの多くは、実際の母語教育に携わるだけでなく、教科書・教材編 纂にも積極的に関与してきた。筆者が既発表論文で取り上げたいくつかの教科書・教材も また、こうした原住民教員やキリスト教関係者による母語復興への取り組みの結果として 生み出されてきたものである[石垣2016]。
2. 2 母語教育実践の現状 南投県信義郷/台東県延平郷の事例
以下では、筆者が2014年~ 2017年にかけて断続的に実施した南投県信義郷および台東 県延平郷での参与観察ならびにインタビュー調査の内容をもとに、両地域の小学校および 中学校における母語(ブヌン語)教育の現状について報告したい。
事例1 南投県信義郷T小学校
信義郷T村は、台湾の最高峰・玉山への登山入口、また陳有蘭渓沿における小地方交易 地として重要な役割をもつ村である。本来はブヌンに西接するツォウの勢力下にあったが、
清朝末期には漢族系の人々(閩南系や客家系)が、さらに日本植民地期には集団移住政策 によって近隣にブヌンが移り住むようになった。現在T小学校には約140名の児童が通っ ており、その半数が原住民(ブヌン)である。T村および近隣の村にはイシブクン方言、
タクバヌアズ方言、タケトド方言を使用するブヌンが生活しているが、T小学校では必修 科目である「郷土語」の時間帯(週1回、40分授業)に、ブヌンの児童に対してはイシ ブクン方言を主とするクラスのみが開講されている。
T小学校でブヌン語教育を担当するのは、隣接するK村在住のA(女性、1955年生、
62歳)である。Aは、2002年の母語認証テストに合格し、翌年から10年以上にわたって 母語教育に携わってきた。A自身は台東県出身で、その母語はイシブクン方言ではある が、T村に隣接しタクバヌアズ方言が主として用いられるK村に嫁いで約40年になるA は、これまでに両方言を使いこなした授業を行ってきた。
T小学校の各学年は20 ~ 30名程度の1クラスから構成されており、各学年のブヌン語 クラスには約15名の児童が出席している。Aの母語クラスでは、基本的に、政治大学版 の九階教材[政治大学原住民語言教育文化研究中心(編)2006]の内容に従って授業を 進めている。しかしAは、「小学校における母語教育の重点は、まず母語に慣れ親しんで もらうことにある」と考えており、九階教材の内容に固執することなく、民族衣装や楽器 などの具体的なモノ、動作、児童との対話を重視した授業を心掛けている。例えば、低学
年(1・ 2年次)や中学年(3・ 4年次)などでは童謡やダンスさらには一問一答その他のゲー ム形式を採用し、高学年(5・ 6年次)の児童には母語による自己紹介や民族衣装・小物 の作製、狩猟具に触れさせることなどを通じて、ブヌンの神話や文化を紹介している。A はまた、母語学習に必須であるとして、アルファベットを用いたブヌン語正書法を小学校 低学年の児童にも慣れ親しんでもらうよう、様々な語彙・事例を用いた授業を行っている。
Aいわく、語彙や神話・文化などを紹介する際には、ブヌン各地の教育・教会関係者が作 成した語彙集・補助教材を参考にしているが、本人のIT使用能力の問題もあり、インター ネット上のデジタル教材などは基本的に使用していないという。(写真1)
写真1 南投県信義郷T小学校での母語教育
出典:筆者撮影(2015年9月)
事例2 台東県延平郷P小学校
小学校におけるもうひとつの母語教育の事例として、台東県延平郷P村の事例を紹介し たい。上述のように、台東県延平郷はブヌンの勢力範囲としては比較的新しい地域に該当 するが、県レベルでの原住民人口比ならびに郷レベルでのブヌン人口比は、前出の南投県 信義郷と比較して高い状況にある。郷の行政的な中心であるP村に設置されたP小学校に は、約100名の児童が通っており、各学年(1学年=1クラス)は15名前後で構成されて いる。近隣に住むプユマやパイワンとの通婚も行われているが、児童の約95%がブヌン である。一部にタクバヌアズ・グループのブヌンもいるが、住民の大部分はイシブクン・
グループであり、方言としても同方言が一般的に使用されている。
P小学校でブヌン語の母語教育を担当するのは、P村出身のB(男性、1962年生、55 歳)である。Bは、軍隊経験後に台東県の高等学校で「軍訓教官」 4として勤務し、除隊後 の2010年からP小学校およびP中学校(後述)でブヌン語教育の全クラスを担当してきた。
Bは、小学校でブヌン語教育を実践するにあたり、基本的に政治大学編纂の九階教材を利 用している。ただしBは、あくまでも各学年で学ぶべき内容・レベルの参考として九階教 材に依拠するのみで、低学年(1・2年次)ではリスニングとスピーキングを、中学年(3・
4年次)ではこれにプラスして発音記号(アルファベット)の学習を、高学年(5・ 6年次)
ではさらに会話を重視した教育を行っている。Bはまた、村落部で生活するブヌン児童に とっては、現代的な生活における母語使用を重視した九階教材の内容は不十分であるとし て、各学年の理解・進捗度合に応じ、地域の長老他が編纂した語彙集や補助教材を参考に しながら、ブヌン文化や祭祀、さらに神話・故事・地名・地域史などについても小学生に も理解できるように噛み砕いて講義している。Bはさらに、児童に関心をもってもらうた めに、各学期5中に数回は屋外に出てブヌンの伝統的な生業(農業や狩猟)や動植物に関 する体験的な学習の機会を設けるようにしているという。
なお、表3は、筆者がAならびBの授業を参観した際の授業の概要である。(表3)
続いて、中学校におけるブヌン語教育の具体的な状況について紹介したい。
事例3 南投県信義郷T中学校
先にも取り上げた南投県信義郷T村には、T中学校が設置されている。全校生徒は約 150名で、各学年2クラス(各クラス約25名)ずつで構成されている。全生徒数に占める 原住民(主としてブヌン6)の割合は約60%で、残りは漢族系住民が占める。ただし、ブ ヌン語の異なる方言を使用する生徒が近隣の集落から通ってくるため、T中学校では1・
2年生を対象に、イシブクン方言、タクバヌアズ方言、タケトド方言の母語学習クラスを 開講している。イシブクン方言を母語とする生徒が最も多く(5割)、次いでタクバヌア ズ方言(4割)、タケトド方言(1割弱)となっている。中学校では小学校と異なり、「郷 土語」のクラスは選択必修(週1回、45分授業)であるが、「母語能力測定テスト」の「初 級」に合格することで高等学校受験の際の加点(35%)に繋がることもあり、原住民学 生のほぼ全員がいずれかの方言のクラスを履修している。
T中学校で長年にわたって母語教育を担当してきたのは上述のAである。しかし、方言 毎の区分けを重視し、数年前からAはタクバヌアズ方言のクラスのみを担当し、最も生徒 数の多いイシブクン方言のクラスについては、近隣にあるL村出身のC(女性、1969年生、
48歳)が担当するようになっている。Cは2003年の母語認証テストに合格し、翌年から 表3 信義郷T小学校/延平郷P小学校における母語クラスの講義内容例
南投県信義郷T小学校(2年生、13名) 台東県延平郷P小学校(5年生、13名)
1.童謡・ダンス 1.単語の紹介とアルファベット
2.あいさつ/自己紹介 2.単語カードを用いたクイズ①
3.アルファベット表記と発音練習 3.単語カードを用いたクイズ② 4.身体語彙/児童間での問答練習 4.自己紹介の練習
5.神話・故事 5.伝統文化実演
6.歌・伝統文化実演
出典:筆者の調査内容(T小学校〔2015年〕、P小学校〔2016年〕)もともに作成
出身村のL小学校で母語教育(低学年)を6年ほど担当した経験をもつ。その後しばらく は村のカトリック教会で働いたが、2013年頃からは改めて母語教育に専念するようになっ ている。なお、2017年6月に公布・施行された「原住民族語言発展法」に基づいた試験的 政策によって、Cは南投県信義郷における「専任母語教師」の一人に採用された。
Cが担当するクラスだけでなく、中学校の母語学習クラスでは、毎年12月頃に実施さ れるかつての「進学用母語能力テスト」、すなわち現在の「母語能力測定テスト」の「初級」
(高校進学用)合格を目指した授業が展開されている。したがってC自身は、九階教材の 7階~9階(中学校1・ 2・ 3年生用)は参照するものの、基本的にはかつての進学用母 語能力テスト問題集[行政院原住民族委員會2007]を利用し、授業を進めている。例え ば、筆者が参観した2016年9月のクラス(中学校1年生)では、同問題集を配布した上で、
①自己紹介、②自己紹介に関連した教師からの質問に対する生徒の応答、③アルファベッ トの発音確認、④テスト用基本語彙とその用法、⑤日常会話の練習という形式で、45分 間の授業が進められた。ちなみに、AならびのCの経験によれば、T中学校では毎年、1 年生・2年生を合わせて計30名ほどが「母語能力測定テスト」(かつての「進学用母語能 力テスト」)を受験し、8~9割の生徒が1~2度の挑戦で「初級」に合格しているという。
事例4 台東県延平郷P中学校
P中学校は、上述の台東県延平郷における唯一の中学校である。現在の全校生徒数は約 60名で、各学年は15 ~ 25名前後の単一クラスのよって構成されている。先に触れた延 平郷の人口構成に比例し、P中学校の生徒の8割は原住民である。ブヌンが大多数を占め る同中学校では、前出のBがブヌン語教育を担当している。
上述の南投県信義郷T中学校の事例と同様に、P中学校における母語教育も基本的には 現行の「母語能力測定テスト」の「初級」合格を目指した授業が展開されている。したがっ てP中学校でもかつての進学用母語能力テスト問題集に基づいた授業が進められる。ただ し、原住民の生徒が大部分を占めるT中学校では、「母語の学習は進学のためだけではない」
という考えから、中学校1・ 2年生だけでなく高等学校受験を控えた中学3年生に対して も、選択必修の「郷土語」の授業としてブヌン語(イシブクン方言)のクラスを開講して いる。
T中学校赴任以前にも別の学校(高等学校など)で原住民児童・生徒に対する文化講座 や民族芸能を指導した経験をもつBは、「母語能力測定テスト」の内容に従った授業に加え、
可能な限りブヌンの伝統的な生業や文化に関連する内容も授業の中で紹介するように努め ている。例えば、筆者が2016年9月に参観した中学校2年生対象のクラス(出席者14名)
では、①母音+子音の組み合わせと母語語彙のアルファベット表記、②ブヌンの個人名の 綴り方と個々の父系クラン(氏族)に特有の個人名、③「これはブヌン語で何と呼びます か?」という質問方法、④ブヌン語による各生徒の自己紹介練習などが行われた。また、
筆者が同日に参観した中学校3年生対象のクラス(出席者13名)では、上記のような内
容に加え、両親の名前や父系クラン/グループ/出身村/家族の人数に言及した自己紹介 の方法、諸道具(網/鋸/斧等)の名称と魚毒漁法などに関する説明も行われた。(写真2)
写真2 台東県延平郷P中学校での母語教育
出典:筆者撮影(2016年9月)
以上が南投県信義郷と台東県延平郷の小学校と中学校における母語教育の具体的な状況 である。これに加えて、上記3氏および合わせてインタビューを行った両地域の母語教師 らの情報提供を総合し、台湾原住民社会各地の小学校・中学校における母語教育に関連し た学年暦やイベントなどについても補足しておきたい。
台湾原住民が通う小学校・中学校では、こうした通常の母語学習のカリキュラムに加え、
週1回の「母語日」を設けて母語使用を推奨したり、年間行事として母語学習成果の発表 会や文化実演などを催したりしている。また台湾全土では、教育部(文部科学省)の指導 にしたがい、校内/県内/全国の各レベルでの朗読/劇/ボキャブラリー大会などが開催 されており、原住民が多く通う学校では特に母語朗読大会などに積極的に参加している。
(写真3)さらに、毎年12月の「母語能力測定テスト」の1か月前には、試験対策用の「加 強班」(試験直前対策講座)も開講されている。これらに加え、民族ごとに異なるが、例 えばブヌンの場合は、4月~5月に挙行される狩猟・豊作祈願祭、郷あるいは各地のブヌ ンが参加する民族規模の運動会などの際にも、イベントの主催者から小学校や中学校が出 演依頼を受けた場合は、イベント当日のパフォーマンスに向けて、数週間前から伝統芸能・
合唱その他の練習をすることもある。なお、母語学習クラスとは直接関係がないが、原住 民の小学校・中学校レベルでは、民族音楽の合唱や演奏をする団体・チームが組織され、
国内各地や海外でその成果を披露することもある。
写真3 校内朗読/芸能大会の風景(台東県延平郷T中学校)
出典:筆者撮影(2014年9月)
3.母語教師へのインタビューおよび生徒へのアンケート
前節では、現在、南投県信義郷および台東県延平郷の小学校・中学校においてどのよう に母語教育が実践されているのかを報告した。それを受けて本節では、母語教育の現状や 成果・将来について母語教師や生徒らがどのような認識をもっているかについて、母語教 師へのインタビューならびに中学生へのアンケート調査に基づいて報告・検討する。
3. 1 母語教育に対する教師らの実践と認識
既発表論文で指摘したように、学校で原住民諸語を教える者は、次のようなプロセスを へて、母語教師として教壇に立つことになる。まず、かつての「母語認証テスト」あるい は現行制度の「母語能力測定テスト」の「高級」に合格した後に、行政院原民会などが主 催する母語教師育成講座を36時間以上受講して「研修証書」を取得する。その上で、各 地区や学校で母語教師の公募が出た場合に、書類審査や面接試験を受けて、母語教師とし て正式に採用されることになる[石垣2015] 7。
筆者がインタビューを行ったのは、実際に授業を参観させていただいた上述の3名に加 え、信義郷ではN村他の小学校で2013年から母語教師を務めるD(女性、1970年生、47 歳、信義郷L村出身)、母語復興への取り組みの最初期から信義郷で教科書・教材の編纂 に当たってきた中学校校長のE(男性、1957年生、60歳、信義郷N村出身)であった。
また台東県延平郷ではB以外にも、延平郷近隣の小学校・中学校で母語教育に従事してき たF(女性、1971年生、46歳、延平郷B村出身)、漢族出身ではあるが延平郷のP小学 校で集落の長老などと協力した母語教材の編纂に尽力してきたG(男性、1959年生、58 歳)、小学校教員・校長として延平郷で母語教育や教科書・教材を編纂してきたH(男性、
1957年生、60歳、延平郷D村出身)などにインタビューを行った。紙幅の関係上、個々 のインタビューの内容の全てをここで報告することはできないが、かれらの実践や認識の 特徴について紹介してみたい。
前節で紹介したA・B・Cの3氏だけでなく、その他の母語教師たちも、小学校の低学年・
中学年・高学年、さらには中学生の各学年に応じた母語教育を、心掛けていた8。例えばAは、
小学校低学年や中学年では童謡やダンス、時にはゲームを多用した授業を進めていた。高 学年になると、民族衣装や楽器その他の具体的なモノを用いながら、ブヌンの文化や神話・
伝承にも言及している。この点は延平郷の小学校・中学校で母語教育に従事しているBも 同様であった。Bは、例えば小学校低学年・中学年の児童にはイラスト入りの単語カード を用いたり、クイズに正解すると持参した果物などを配ったりする一方で、高学年に対し ては校外散策も含め、生態・生業・神話・伝承などに関する知識を提供している。母語教 師らがこうした配慮を行うのは、第一に、「国語」中心の日常生活により母語に触れる機 会が少なくなっている児童・生徒に、まずは母語に関心をもってほしい、慣れ親しんでも らいたいと、かれらが考えているからである。ただし、複数の母語教師の話では、小学校 の高学年あるいは中学生になり思春期に差し掛かると、人前で母語を話したりすることに 恥ずかしさを感じ、母語を積極的には学ぼうとしなくなる児童・生徒も少なくない、とい う。また、この時期の児童・生徒の母語離れには、携帯電話の使用やポップカルチャーへ の関心など、若者文化や外の世界への関心の高まりがある。母語教師らは、こうした児童・
生徒の成長や変化を意識しながら、母語に対するかれらの関心をいかにして引き出し、か つ維持させるのかを考え、様々な取り組みを実践しているのである。
学年や児童・生徒のレベルに応じた母語教育という点は、各種教材の活用とも関連して いる。民族衣装や楽器、農耕具、狩猟具など具体的なモノを提示することはもちろんであ るが、母語教師の多くは、政治大学編纂の九階教材を基本としつつも、それぞれの地域や 児童・生徒のレベルに応じて、教会の讃美歌集、文法や語彙に関する研究成果や教材など を積極的に参照・活用していると語った。ただし、かれらは母語学習のための総合インター ネット・サイトである「原住民族語E楽園」や政治大学その他が提供するインターネット 上の音声・画像教材の存在を知り時に参照してもいるが、頻繁に活用していると答えた母 語教師は、少なかった。
その理由のひとつとしては、これまで賃金その他の面で母語教師という仕事が必ずしも 魅力ではなかったために、母語教師の主体は母語の教育・継承に強い関心をもち、かつ時 間的なゆとりがある中高年の人々であり、若い世代の参与が少なかったということが考え られる。母語教師らの多くは、年数回の母語教師育成講座を受講したり地域での勉強会に 参加したりしてはいるものの、A(事例1)のコメントにもあるように、母語教師が50
~ 60代以上といった比較的が高い年齢の場合には、かれら自身がITを十分に使いこな す知識・技術あるいは経験をもっていないことも多い。また、村落部でのネイティヴ教師 による母語教育であるため、必ずしもデジタル教材に頼らなくとも、地域の生活に根差し た「生の母語体験ができる」という母語教師らの自負も影響していると考えられる。ただし、
上述のような小学校高学年・中学生の母語離れという状況を考慮するならば、児童・生徒 を取り巻く現代的な状況を踏まえた上で、児童・生徒の成長に対応し、かれらの関心を喚
起するようなデジタル・ツールの活用は必須だと考えられる。
次に、中学校における母語教育についてみてみよう。先にみたように、中学生に対する 母語教育は、基本的に「母語能力測定テスト」の「初級」合格を目指して進められている。
高校進学に際する加点の条件となっていることもあり、生徒たちの受験意欲も強い。初級 のレベルが決して高くないこともあり、大部分の生徒が中学校1・ 2年生のうちに、初級 合格を勝ち取っていくという。ただし、母語教師たち曰く、大学受験における加点や実際 の母語使用能力を考えれば「中級」以上の合格が求められる。この点に関し上述のBは、
高校・大学の進学率が九割を超えている現代の台湾では、近年、必ずしも母語能力による 加点がなくとも進学が容易になっているため、より上位レベルの有名校を受験するという 意思が生徒や父母になければ、「中級」以上を受験する者は少なくなるだろうと語った。
中学校における原住民の母語教育に「試験対策」偏重の傾向があることについての危惧 は、かつて台湾南部のT郷を事例とした先行研究でも指摘されていた[中野2009]。また、
高校進学後にどのようにして原住民若年層の母語学習意欲を継続させるかという問題に は、Bだけでなく他の母語教師たちも強い関心をもっていた。この問題に対する教育現場 での対策について、現時点ではこれといった具体案は提出されていない。しかし、本稿の
「はじめに」で述べたように、2017年6月に公布・施行された「原住民族語言発展法」は、
原住民諸語の公用語化や母語教師の雇用待遇改善、原住民籍公務員採用における母語能力 重視を謳っており、進学に際した加点とリンクした「母語能力測定テスト」にプラスして、
原住民若年層の母語学習意欲の高揚と継続に寄与することが期待される。
高校・大学進学に際した加点条件であることが、原住民生徒が「母語能力測定テスト」
を受験する際のひとつのインセンティブになっている一方で、母語教師たちは「母語教育 は進学・加点のためだけにあるのではない」と強調する。そもそもかれらは、母語教育を 単なる語学教育だとは捉えていない。パートタイムという不安定さや1コマ320元~ 360 元プラス交通費というこれまでの給与待遇にもかかわらず、かれらの大部分が、「自分た ちの言語の継承・復興」という「使命感」こそが母語教育に従事する動機であり、必要な のは「言語の教育・復興だけでなく、文化の教育・継承なのだ」と主張する。例えばBは、
筆者のインタビューの際にし「言語=文化」であり「言語の消失」は「文化の喪失」、さ らには「民族の消滅」だと語った。他方で中学校校長のEは、「ブヌンの言語・文化を継 承するための「“母語銀行”として他の母語教師にも活用して欲しい」との理由から、植 民地期の資料なども利用しながらブヌンの神話・伝承をアルファベットで文字起こし、文 法・語彙・単語構造の解説を付した書物を自費出版している。同じく、小学校校長のHも、
「母語教育や教材作成の試みは、一種の播種行為だ。種がしっかりしていれば、きっと現 代の逆境の中でも発芽し、いつか花を咲かすかもしれない」とブヌンの言語・文化の継承・
復興に希望を託している。母語教育に対するかような認識や態度は、母語教師であるDや Fの語り、すなわち「母語を学ぶことで原住民でありブヌンであることの特異性を自覚し、
誇りをもつ」、「私たちは言葉だけを教えているのではない。人間教育をしているのだ」と
いう言葉にもつながっている9。
少数言語の存続をめぐる危機的状況に際し、当該言語の話者であるはずの人々自身(特 に若年層)が自分たちの母語に価値を見出せず、マジョリティ社会の言語や文化に引き 付けられていくという状況(例えば「言語シフト」)は、少数言語の窮状をめぐる議論の なかで再三にわたって指摘されてきた[cf. ハインリッヒ/松尾2010]。また、危機言語 の存続に対する何らかの対策が必要であることは確かだが、「言語だけが救済されるべき なのか」という問題意識も、危機言語や言語政策の研究者から提出されている[例えば、
ブラッドリー 2010]。こうした状況を踏まえるならば、原住民母語教師たちの熱意を具 体的な成果に繋げていくためにも、現代社会における原住民母語教育の意義 「文化の 教育・継承」・「マイノリティの自己理解」・「人間教育」 を、原住民社会はもちろんの ことマジョリティの漢族系住民を含めた台湾社会全体に対しても、継続して訴えていく必 要があるだろう。
「言語復興」や「文化の教育・継承」そして「人間教育」という希望の一方で、母語教 師たちは、諸外来政権による長年にわたる言語政策を転換し、原住民諸族の母語復興を達 成することの困難にも直面している。かれらが異口同音に強調するのが、「(絶対的な)学 習時間の不足」である。かれらは、「国語」が主流となっている現代の環境において、小 学校・中学校での週1回の授業だけでは原住民児童・生徒の母語学習・習得は難しいと考 えている。かれらの認識はまた、「母語学習の場」は本来「家庭」や「コミュニティ」で あるべきで、学校での母語教育はあくまでも母語学習のための「刺激」・「補助」に過ぎな い、という点で一致している。さらに、高校・大学進学後に母語学習の機会が確保されて いないことや、以前とは異なり原住民中の他の民族集団との通婚による家庭での「共通言 語」としての「国語」使用、進学・就職のための都市部への人口流失と母語使用環境の不 在などを憂う母語教師も多かった。
個々人の言語・母語習得において、幼少期の家庭でのコミュニケーションが最も重要で あることは疑いのない事実である。また、村落などの地域共同体内部での言語コミュニ ケーションの在り方や学校で用いられる「教育媒介言語」も、個々人の言語使用や母語能 力を考える上で、極めて重要な要素である。たしかに、本稿の冒頭で示したように、台湾 における原住民諸語を含む「郷土語」に対する現行の復興政策には、様々な問題点が指摘 されている。しかし、台湾における「郷土語」教育政策が、「台湾意識」の高揚と連動し て1990年代初頭より実施され、海外の先行事例を積極的に学びながら、アジア諸国の中 でも先進的な取り組みを実践してきたことは事実である。週1回の必修あるいは選択必修 での母語教育に限界があることは多くの母語教師も認めるところであるが、ニュージーラ ンドやハワイなどの先例を参考にしつつ、数年前から台湾で開始されている幼稚園児など に対する原住民諸語のイマージョン(没入式)教育[石垣2015]にどのような成果が表 れてくるのか、今後も注視していく必要があるだろう。
3. 2 原住民中学生に対するアンケート
現行の母語教育実践ならびに母語継承・復興の将来に対し、原住民の生徒たちはどのよ うな認識をもっているのだろうか。この点に関し、筆者は現地の母語教師の協力を得て、
2017年9月上旬に上記の2地域で60名の中学生を対象としたアンケート調査を実施した10。 アンケートの中では、回答者の基本情報に加え、母語学習への認識、「母語認証テスト」
あるいは「母語能力測定テスト」の合否・級取得の有無、母語学習の理由、教材・インター ネット他の活用、現在の母語能力、希望する母語能力、母語継承への認識・手立てなど、
計13項目について質問した。ブヌンの2地域のみで、回答者数も53名と少ないが、村落 部における現代の原住民生徒の母語および母語教育に対する認識の一端を伺い知ることは できるだろう。以下で、特徴的なものをいくつか取り上げてみたい。
第一に、「母語学習が好きかどうか」という質問に対しては、37.7%(20名)の生徒が「大 好き」、また同割合の学生が「好き」と回答した(合計で75.4%)。理由としては、「単純 に面白い」・「自分の民族の言葉だから」・「次世代に継承するため」・「母語を消滅させては いけない」・「両親や祖父母の話の内容が理解できる」・「年配の人たちとも会話できる」な どが挙げられた。他方で、「あまり好きではない」あるいは「嫌い」と答えた生徒は、そ れぞれ18.9%(10名)と3.8%(2名)であった(合計22.7%)。その理由は、「分からない」・
「しゃべれない」・「覚えられない」・「難しい」といったものだった。
これらの数値からは、多くの原住民生徒が、自民族の言語ならびに上位世代・親族との コミュニケーションの必要性を重視し、母語教育を肯定的に理解していることが分かる。
ただし、母語が「できない」ことを理由に二割超の生徒が母語学習に対して抵抗感をもっ ているという事実も浮かび上がってくる。母語学習に関心をもつ生徒の母語能力を伸ばす と同時に、母語学習に関心をもたない、あるいは否定的な見解をもつ生徒に、母語学習の 意義を説得的に説明し、かれらの学習意欲を高める努力が必要とされる。
第二に、母語能力・進学関連の統一テストについては、52.8%(28名)が受験経験をもっ ており、内78.6%(22名)が「初級」(高校進学用)に、28.6%(8名)が「中級」(大学 進学用)に合格していた。中学校に進学したばかりの中学校1年生(23名、回答者の約半数)
を除外し、対象を中学校2・3年生(計30名)に限定した場合の受験者数割合は63.3%(19 名)で、その内の「初級」以上の合格者の割合は、94.7%(18名)であった。また、小 学校の時点で母語教師に勧められて受験した者も18.9%(10名)おり、内3名が「初級」
に、2名が「中級」に合格していた。全体の受験理由としては、「教師に勧められた」・「進 学に有利だから」・「自分のレベルを知りたかった」などが挙げられており、「進学に向け た加点」を理由とした生徒は28.6%(8名)であった。他方で、受験の有無にかかわらず 母語学習の理由を問うた質問(複数回答可)に対しては、79.2%(42名)が「自民族の 言語だから」・「自民族の歴史や文化を学ぶため」、54.7%(29名)が「年長者と会話する ため」・「次世代に継承するため」と答え、「進学による加点」を挙げた生徒も37.7%(20名)
いた。
これらの数値は、母語教師らが指摘していたように、高校や大学への進学に必要とされ る「母語能力測定テスト」の内容が、(村落部に住む)現代の原住民児童・生徒にとって も必ずしも難解なものではなく、かつ、かれらの母語学習意欲を刺激するものであること を示している。ただし、未受験者あるいは不合格の学生が一定程度存在することも事実で あり、かれらの母語学習意欲をどう高め、それを実質的な母語能力の向上に繋げることが 出来るかは、母語教育の重要な課題である。
第三に、授業外での教科書・教材利用については、「頻繁に利用する」と答えたのは7.5%
(4名)のみで、「理解を深める」ためや「テスト対策」のために「時々利用する」と答え たのは20.8%(11名)、「数回だけ使ったことがある」は34.0%(18名)だった。「教材の 存在は知っているが使ったことがない」・「そもそも多種の教材があることを知らない」と 回答した生徒も32.1%(17名)に上った。他方で、インターネット他のデジタル教材を「頻 繁に利用する」と答えた生徒は9.4%(5名)、「時々利用する」は34.0%(18名)、「数回 だけ使ったことがある」は26.4%(14名)だった。「原住民族テレビ」(TITV)における 母語関連番組の視聴については、「頻繁に観る」と答えたのは3.8%(2名)のみで、「時々 観る」と答えたのは58.5%(31名)だったが、その大部分は「家族が観ていれば観る」といっ た程度であった。「ほとんど観ない」・「この種の番組の存在すら知らない」と答えた生徒 も30.2%(16名)に上った。
これらのデータからは、紙媒体あるいはインターネットやテレビなどのメディアを利用 した教材開発は進んでいるが、それらの教材は生徒には必ずしも浸透しておらず、十分に は活用されていないことが分かる。恐らくこのような状況には、母語教師による紹介の有 無、さらには前節で述べた母語教師自体のITスキルの問題だけでなく、村落部における パーソナル・コンピューターやインターネット設備などの普及状況も影響を与えていると 考えられる。行政院原民会や政治大学原住民族研究センター(ALCD)は、原住民居住地 区における学習インフラの問題を考慮し、インターネット接続がなくともパーソナル・コ ンピューターにインストールして使用できるものや、スマートフォン用あるいはタブレッ トPC用のアプリケーションも開発しているが[石垣2016]、その周知度はまだ低いと言 わざるを得ない。また、2005年に放送を開始したアジア初の先住民族専門チャンネル「原 住民族テレビ」も、原住民諸族の歴史や文化はもちろんのこと、言語や現代生活に関する 様々な番組を提供してはいるが、自文化・言語に対する若年層の関心を惹起することは出 来ていないようである。少数言語復興の先進地でも取り組まれているように、原住民諸語 でのアニメ番組の放送を充実させるなど、若年層をターゲットにした放送・学習コンテン ツの制作・開発がより一層必要であると考えられる。
第四に、生徒自身の現在の母語能力については、「祖父母や両親と問題なく母語で会 話できる」と答えたのは3.8%(2名)のみで、「大体聞き取れるが上手に話せない」が 35.8%(19名)、「基本的な語彙が聞き取れる程度」・「簡単な自己紹介程度しかできない」
が34.0%(18名)、「まったく出来ない」も5.7%(3名)いた。理想の母語能力については、
「挨拶程度」と答えたのが17.0%(9名)、「自己紹介ができる程度」は18.9%(10名)、「簡 単な日常会話ができる程度」は20.8%(11名)、「日常会話に大きな支障はない程度」は7.5%
(4名)、「流暢に母語で表現し会話ができる程度」は30.2%(16名)、「子どもや学生に母 語を教えられる程度」は5.7%(3名)であった。
「現在の自身の母語能力」は自己評価であるため、必ずしも実際の母語能力レベルを直 接的に表しているとは限らない。しかし、上記のデータに基づけば、「基本的な語彙が聞 き取れる程度」・「簡単な自己紹介程度しかできない」・「大体聞き取れるが上手に話せない」
という生徒が大部分を占めるという大よその状況は明らかである。またこれらのデータは、
生徒らが求める理想の母語能力として、高度の母語能力、(簡単な)日常会話程度、挨拶・
自己紹介程度と、それぞれが3割前後に分かれており、生徒たちの理想も様々であること が明らかになった。理想の母語能力をめぐって、かれらの回答にバラつきがあること自体 は、問題ではない。しかし、こうしたバラつきの背景には、台湾で過去30年弱にわたっ て原住民諸語の母語教育・学習が推奨され実践されてきたのにも関わらず、母語を学ぶこ とにどのようなメリットがあるのか、母語学習を通じて具体的にいかなる目標・目的を達 成するのかというグランド・デザインが児童・生徒に十分に示されてこなかったという重 大な問題があると考えられる。国民教育が浸透した現代において、優勢言語である「国語」
と劣勢言語となった原住民諸語の地位を完全に逆転することは極めて困難である。原住民 諸語の復興・継承だけでなく「国語」と原住民諸語との「共生」を考えるとき、現行の「母 語能力測定テスト」を受験し各級に合格したその先に、どのようにして原住民諸語の「言 語使用領域」を確保するのかを熟慮した言語政策が求められる。
第五に、母語継承の必要性に対する認識として、「母語の継承は極めて重要である」が 77.4%(41名)、「どちらかと言えば継承できた方が良い」が13.2%(7名)で大多数(90.6%)
を占めた。その理由としては、「自民族の言語だから」・「次世代に伝えないといけない」・
「母語が話せなければ民族が消滅する」などが挙げられた。中学生自身の危機感を表現し ているデータと言えるだろう。ただし、「分からない」との回答は7.5%(4名)、「母語の 継承には関心がない」と答えた者は1.9%(1名)だった。他方で、現行のカリキュラム 下での母語継承の可能性については、「可能」と答えたのが32.1%(17名)、「不可能」は 17.0%(9名)、そして「分からない」が45.3%(24名)だった。なお、「母語復興のため に、現行制度以外にどのような政策・方法が考えられるか」との問いに対しては、自由記 述として、「(家庭・学校・村落で)ブヌン語で話す機会を増やす」・「年配の人たちと若者 が会話する機会を増やす」・「文化についてもっと体験的に学ぶ」・「カリキュラムをもっと 多元的なものにする」・「母語認証テストに合格した人を表彰する/褒美を用意する」など の意見が寄せられた。
先に取り上げた「母語学習が好きかどうか」という質問への回答と同様に、これらの回 答からも、原住民中学生たちが母語継承の重要性を認識していることは明らかである。た だし、現行制度での母語継承が可能かどうかについては、三割がその可能性を信じている