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ここは狂った世界だ

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Academic year: 2022

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  本書は、南ベトナム出身の詩人・思想家ファム・コン・ティエン(一九四一‐二〇一一)が、一九六四年に出版した批評書の日本語訳である。主に二〇世紀欧米の文学・哲学の新しい潮流を紹介した批評書だ、と表面的には言えるだろう。本書が世に出たのはベトナム戦争がエスカレートしていこうとしているちょうどその頃で、行く末の分からない世界に投げ込まれた南ベトナムの若者の思いを代弁するものとして当地で話題となっていた。ただ、他の言語に訳され知られることはこれまでなかった。

  それをぼくが最初偶然手にした時、まず驚いたのは、自滅の意識、絶望の意識、孤立の意識、不安の意識、虚無の意識といった章題──北ベトナムと南北統一後のベトナム文学の世界で否定されてきた価値──がこれみよがしに列挙された目次だった。そして、他の作家や哲学者の作品を通じて、己の不安や絶望を赤裸々に語り、時に抑えのきかない叫びを上げて、一切破壊の思想をぶちまけるその内容。取り上げられた作家たちの言葉(たとえばフォークナー『響きと怒り』のディルシーのIʼveseedde firstendelast...)も、著者の語りのアンプ装置を通じて、その意味が何倍にも増幅して響く。それはぼくにとって、胸の裡を抉り出され激しく揺さぶられるような読書体験だった。ベトナムにありがち求められがちな正義づらした政治宣伝や生ぬるいヒューマニズムの類とは次元を異にする、ぼくの人生にとっての 0000000000真に震撼すべき〈存在〉と〈虚無〉とが、ベトナム戦争のさなか、現れるべくして現れていたのだ。  さらに驚くことに、著者は二〇代の初めに本書を書き上げている。日本では様々な翻訳書が充実しているが、ベトナムではそもそもフォークナーにしてもヘンリー・ミラーにしてもハイデガーにしてもベトナム語訳がなかった時代、著者は一三歳から学校には行かずに独学を続け、一〇代のうちにそれらの難解な原書を読みこなしベトナム語で論じているのだ。ヘンリー・ミラー論の最後では、相当数の作家や偉人の名が列挙され、それらの本を全部燃やしてしまえ、と著者は煽り立てる。狂っている、と思う人がいるかもしれない。ただ、おそらく彼はそれらの人物の本を、すべて原書か 西欧語訳で読んでいる。その上での、狂った世界を前にしての壮絶な叫びであったことは覚えておいてもいいだろう。  自身のどん底における悶絶と解放を語り上げるこの本は、時代や地域、政治体制、社会状況が変わろうとも、苦海に生きていることにかわりない読者の心に、日常生活の中でぼくたちがひた隠しにしている心の闇に、新しい意識の息吹を吹き込み、生の炎を焚きつけ続ける。

 のむら・むねひろ総合国際学研究院准教授 ベトナム文学

野平 宗弘

『新しい意識』

ファム・コン・ティエン【著】

野平 宗弘【訳】

2022 年 3 月刊

  さまざまな地域・国で話されている言語は、その土地に固有のものであって、その言語を理解するためには、あらたに習得するか翻訳が必要になる。それに対して、音楽はいわば共通の言語であって、誰でもそれを受けとめ理解することができる――そのようなイメージがある。

  確かにそうであるようにも見える。少なくとも、話される言語のようにまったく理解できないということではなく、多くの場合、そこで表現されようとしていることを受けとめ、感じとることができる。しかし、だからといって音楽はほんとうに人間の「共通の言語」なのだろうか。『地球の音楽』に寄せられたさまざまな地域の音楽についてのエッセイを読むと、その思いをあらためて強くする。

  グローバル化の進展は、一方ではさまざまな地域の文化的多様性を均質化の方向へと導いてゆく。そこでは文化的・政治的な力学において支配的なものが力を握っている。「近代化」によって西洋音楽に由来するものがどれほどわれわれの文化のうちに当たり前のように行きわたっているかとい うことは、例えば日本の歴史のなかで形成されてきた伝統的な音楽と対比して思い浮かべてみるだけでも、あまりにも明らかである。他方で、グローバル化はさまざまな場所に(いまだ生き延びている)固有なもの、相互に異質なものに向き合い触れる機会を飛躍的に高めている。われわれはまさにそのような多様性のなかで生きている。  東京外国語大学の教員とその関係者、総勢五〇人ほどの執筆者によって書かれたこの『地球の音楽』という本は、その二つの側面から、地球上のさまざまな地域の音楽の情景を描き出している。とはいえ、そこに浮かび上がってくるのは、均質化の方向性というよりも、むしろ圧倒的に、さまざまな地域でそれぞれ異なる音楽の姿である。 それらのエッセイは、その地域の歴史の流れの一つの局面を描き出したものでもあるし、現在の世界のそれぞれの場所に固有なものを描き出したものでもある。一つ一つのエッセイは、このような歴史と空間のとても魅力的な断片となって現れているのだけれど、それらのモザイクのうちに浮かび上がるイメージの全体が「地球の音楽」になっているのかな、と夢想する。  そのような固有の文化の言葉とともに生きる世界とかかわること、それこそがこの本の執筆者の多くを占める東京外国語大学の研究者たちの仕事なのだということを、あらためて強く感じる。

  やまぐち・ひろゆき総合国際学研究院教授ドイツ文学・思想/表象文化論/翻訳論

山口 裕之

『地球の音楽』

山口 裕之  橋本 雄一【編】

2022 年 3 月刊 新刊トピックス

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