Kyushu University Institutional Repository
マラルメにおける室内装飾と詩のディスクール :
「古序曲」のタペストリーをめぐって
松浦, 菜美子
日本学術振興会 : 特別研究員PD
https://doi.org/10.15017/2556316
出版情報:Stella. 38, pp.225-238, 2019-12-18. 九州大学フランス語フランス文学研究会 バージョン:
権利関係:
マラルメにおける室内装飾と詩のディスクール
*)──「古序曲」のタペストリーをめぐって──
松 浦 菜
美
子
フランスの地方都市トゥルノンで英語教師をしていたマラルメは,1864 年 10 月,古代ユダヤの王女サロメの伝承を下敷きに悲劇『エロディアード』の構想 に着手する。それは,ロマン主義後の詩を牽引するとともに演劇の分野にも進 出していたテオドール・ド・バンヴィルらに続きたいという幾ばくかの演劇的 野心と,「事物ではなく0 0 0 0 0 0,事0物が生み出す効果を描く0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0」 1)という新たな暗示の詩 学に対する強い意義込みに導かれてのことだった。この頃すでにマラルメは〈理 想〉と〈現実〉の問題に決着をつけ,ボードレールの乗り越えを図っていた が 2),『エロディアード』の構想とそれに続く精神的な〈危機〉はさらに詩人の うちに独自のテーマ系と新しい文体をもたらした。
マラルメはまず,主人公エロディアードと乳母の対話からなる「舞台」に着 手し,1865 年の暮れに劇の音楽的な提示部「古序曲」に取りかかった。ただ,
日中の教師生活と「新しい詩学」の理想とに苦しめられ計画は難航した。「舞 台」は一応の完成をみたのち 1871 年には第 2 次『現代高踏詩集』に掲載された が,「古序曲」は,マラルメが晩年に再び劇を完成しようとした際に 3 篇の「プ レリュード」に置き換えられることになる。
「古序曲」は幾度か修正を加えられるも,最終的には構想からこぼれ落ちてし まう。ただ,マラルメの後の作品を特徴づけるテーマや文体がその姿を示し始 めた最初のテクストのひとつであるという点で,「古序曲」は未完成ながらも重 要な参照項であることに変わりはない。ポーの「構成の詩学」にならい,語の 配置と音楽的効果が精緻に計算されたテクストには,マラルメ自身が 1866 年 4 月に友人カザリスに伝えたように 3),「舞台」のテクストとは大きな断絶が見ら れ,両者のあいだでマラルメの文体が本質的に変化したことが窺える。
「古序曲」はマラルメ偏愛の「主人不在の部屋」という場面設定や,それに付
随する室内装飾のテーマが初めて試みられた作品であり,それらは『イジチュー ル』や「自らの寓意であるソネ」(および改稿「清らかなその爪は……」),そし て「三つ折りの詩句」において繰り返されることになる。場面設定やテーマの 新しさ,他の作品との関連性はもはや明白であると言えるが,文体や発話のレ ベルでは「古序曲」のどのような点に他の作品と共通する要素が見いだせるだ ろうか。
このような観点から興味深いのは,室内装飾品のひとつ,タペストリーの「古 序曲」内での役割である。マラルメはトゥルノンや 1866 年の冬に移り住んだブ ザンソンにおいて,詩作のための書斎の設えに意を用いていたが 4),夢想で満 たされた部屋には「タペストリーがいつもの襞をつくって垂れ下がって」 5)い なければならなかった。彼が理想とした部屋にあるべきタペストリーには詩篇 内でどのような機能が与えられているのだろうか。この点をめぐっては,のち に見るように,ガードナー・デイヴィスや菅野昭正による卓越した註釈が存在 するが 6),タペストリーの機能をすべて掬い上げているとは言い難い。本稿で は,「古序曲」の位置付けやディスクールの性質を確認したのち,タペストリー の機能として 2 つの点を指摘したい。
予言としての「古序曲」
マラルメが『エロディアード』の下敷きとしたサロメ伝承は,『新約聖書』の
『福音書』が伝える洗礼者聖ヨハネの殉教の物語に由来している。古代ユダヤの 四分領主ヘロデ・アンティパスに捕らえられていたヨハネはヘロデの誕生日を 祝う宴席で,かねてからヨハネを憎んでいた王妃ヘロディアスの策略により処 刑されてしまう。ヘロディアスの策略とは,娘のサロメに舞いを披露させ,そ の褒美としてヨハネの首を求めさせる,というものであった。世紀末に「宿命 の女(ファム・ファタル)」の典型として一世を風靡することになるサロメは,
中世やルネサンスを経て,19 世紀半ばから再び文学的・絵画的主題のレパート リーに加わろうとしていた 7)。
マラルメは必ずしもサロメ伝承に忠実に悲劇を組み立てようとしていたわけ ではない。むしろ劇を通して「純粋に夢見られ歴史から完全に独立した存在」 8)
を創造することに重きを置いていた。サロメに相当する人物を主人公に据えな がらも母に由来する「エロディアード」の名を与えたが,それはこの劇が「暗
く,裂けたザクロのように赤い,エロディアードという語」 9)の連想から生み だされる必要があったから,というのは有名な話である。
とはいえ,マラルメがサロメ伝承を完全に無視していたと言うこともまた難 しい。晩年に再び書き進められた聖史劇『エロディアードの婚礼』の草稿には,
サロメ=エロディアードの舞いと洗礼者聖ヨハネの斬首のエピソードが見られ るからである(ただしその 2 つの順序は伝承とは逆である) 10)。マラルメがい つからサロメ伝承の筋書きを踏まえていたかは不明だが,ヨハネ斬首の物語は 初めから考慮に入れていたようである。事実,「古序曲」には預言者の死をほの めかしていると取れる箇所がある──
侍者のいない無意味な衰弱した声の,
異様な金メッキの古びた鈍い輝きは,
最期の栄華のうちにその黄金色を放つだろう,
さらに,交唱句が唱句に応じて
断末魔と死の闘いの時に,唱えられるだろう! 11)
城内に響く「衰弱した声」が「断末魔と死の闘いの時」に輝きを放つことがこ こでは「放つ(jeter)」の単純未来形で予言されている。誰によるものかは定 かではないが,詩篇朗唱時にその前後で繰り返される「交唱句(antienne)」と ミサで唱えられる聖書の一節「唱句(verset)」が死の時に唱えられるとされる。
マラルメは『エロディアード』を聖史劇として書き改めた際,刎ねられたヨハ ネの首によるモノローグ「聖ヨハネの賛歌」を加えた。そのことを踏まえれば,
「古序曲」におけるこの箇所は,ヨハネの死(「断末魔と死の闘いの時」)と死に ゆくヨハネによる「賛歌」を予言していると解釈できるのである。
ところで「古序曲」は乳母のモノローグから成る。劇の提示部を主人公の乳 母が担う設定については,ラシーヌの『フェードル』との類似が指摘できるが,
「古序曲」が特異なのは,その乳母が女預言者として造形されている点である。
またマラルメは「古序曲」を推敲するなかで,このモノローグが儀式や朗唱に よって魔法の力を発揮する言葉,「呪文(incantation)」 12)であることと,それ を外ならぬ乳母が担っていることをテクストの冒頭に明記した 13)。「古序曲」を いわば呪術的な予言あるいは魔法の力を持った予言として劇の冒頭に配置して いると言えるのだが,古典劇では腹心役にあたる乳母が劇冒頭のモノローグで
そのような超自然的なディスクールを担うことはいかにして可能になるのだろ うか。
乳母とタペストリーのシビュラ像
乳母は「舞台」においてすでに,古代ギリシャ・ローマに存在したシビュラ という女預言者のひとりとされている。そこでは,エロディアードの次の台詞 によって,乳母が女預言者シビュラと関連付けられている──
シビュラの住まう洞窟の悪意のためにと 抜け目ない時代に生を享けた女であるお前は,
死すべき者について語る,その者によって 私の衣の萼から,荒々しい喜びの芳香とともに 裸体の白い震えが,発散するなどと 14)
エロディアードは乳母の存在を退け,自分と対照的な乳母の性悪さや俗悪さを 際立たせるなかで,このように乳母がシビュラとしての性質を持つことを明か す。またエロディアードの台詞から窺い知れるのは,乳母=シビュラは将来エ ロディアードに結婚相手が現れ,純潔は奪われるという予言をしていることで ある。自らの純粋さに閉じこもるエロディアードにすれば受け入れがたい予言 であるが,その平凡さにおいて乳母の見通しは真に予言的とは言い難い。
いっぽう「古序曲」では,先述の通り,乳母は平凡な見通しとはかけ離れた 不吉で残酷な死の到来をほのめかしており,乳母の予言には質的変化が見られ る。そして,乳母とシビュラとの関連付けもまた「舞台」とは全く異なる方法
(城館の壁を飾るタペストリー)を通して行われる。まず初稿の段階では次のよ うであった──
戦の時代の品々とくすんだ金銀細工に 囲まれた独特な部屋には,
古い色合いとしてほのかな昔日が刻まれ,
年月を経た雪と,シビュラの埋もれた 目の無益な襞を持つ
タペストリーが掛かっているが,それは 夜,東方三博士から贈られたもの。
ひとりの女が歩む,枝葉模様の過去を
象牙色にまで白くなった自らの装束の上に閉じ込め,
黒っぽい銀地に鳥が飛び交う空で,
彼女は旅立つ飛翔をまとう,亡霊のよう 15)
引用は,乳母が城館の窓から見える外の風景を描写したのち,視線を室内へと 転じる場面である。乳母のいる室内には,戦いくさの戦利品など数々の装飾品が置か れ,壁には老いたシビュラの描かれたタペストリーが掛かっている。タペスト リーへの言及ののちに現れる「ひとりの女」は,改変の過程を見るかぎり,タ ペストリーのシビュラ像を指していると考えられる。そして,それは一方で乳 母自身をも指している。というのも,誰もいない部屋を彷さ ま よ徨い「歩む」のは乳 母だからである。このように初稿の段階では,乳母がタペストリーのシビュラ に視線を向けたのち,「ひとりの女が歩む(Une qui marche)」と続けること で,シビュラと乳母にかすかな連想の繋がりが生まれている。
マラルメは,この関連付けを強化する方向へと試行錯誤したようで,のちに 次のような改変を加えている──
戦の時代の品々とくすんだ金銀細工に 囲まれた独特な部屋には,
古い色合いとして雪のような昔日が積もり,
真珠の光沢と,シビュラの埋もれた 目の無益な襞を持つ
タペストリーが掛かっているが,そこでは シビュラが東方三博士に老いた爪を捧げている。
彼女らのひとりは,枝葉模様の過去を
白くなった自らの装束の上,象牙色のなかに閉じ込め,
黒っぽい銀地に鳥が飛び交う空で,
彼女は旅立つ飛翔をまとう,亡霊のよう 16)
ここでは,タペストリーに描かれたシビュラに「東方三博士に老いた爪を捧げ る」という動作が加わるとともに,続く箇所では「ひとりの女が歩む」が「彼 女らのひとり(Une d’elles)」へと改められている。後者からは「歩む」という 動作が削られるが,その代わりに人称代名詞
« elles »
が直前の「シビュラ(sibylles)」を受けており,シビュラとひとりの女の結びつきは明確になる。
ただ,この段階ではシビュラのひとりが部屋を彷徨う乳母なのかどうかは曖
昧である。のちの加筆と思われる鉛筆書きではその点がいっそう明確になる──
戦の時代の品々とくすんだ金銀細工に 囲まれた独特な部屋には,
古い色合いとして雪のような昔日が積もり,
真珠の光沢と,シビュラの埋もれた 目の無益な襞を持つ
タペストリーが掛かっているが,そこでは シビュラが東方三博士に老いた爪を捧げている。
私はそこから自らを引き離す,枝葉模様の過去を 白くなった自らの装束の上,象牙色のなかに閉じ込め,
黒っぽい銀地に鳥が飛び交う空で,
旅立つ飛翔をまとう,亡霊のよう 17)
最終段階では,タペストリーのシビュラへの言及ののちは「私はそこから自ら を引き離す(Je m’en détache)」と 1 人称で始まり,女が乳母であることが明 確になる。乳母には再び動作が与えられるが,それは「歩む(marche)」と比 べて,タペストリーの図像といっそう密接に関連付けられ,乳母の存在はタペ ストリーのシビュラから浮き出たかのように描かれている 18)。
乳母=シビュラの関連付けをめぐる試行錯誤が意味を持つのは,先述の通り,
「古序曲」が未来を占うディスクールとして設計されているからに外ならない。
乳母はシビュラであればこそ呪術的予言を担う資格を得るのである。言い換え れば,乳母をシビュラとして見せることは,「古序曲」のディスクールを呪術的 予言たらしめるのに不可欠の細工であった。そして,そのために用いられたの が室内装飾のタペストリーであったと言えるだろう。
人称と視点をめぐる改変
ディスクールの呪術性を基礎付ける乳母=シビュラの関連付けは,このよう に室内のタペストリーを通して,超常現象とも言える不可思議な様態で行われ ていた。タペストリーには乳母がシビュラであることを担保する機能があると 言えるが,この室内装飾品は別の点からも「古序曲」のディスクールを複雑な ものにしている。
先に確認したように,のちに削除された「彼女たちのひとり」の横には,「私
はそこから自らを引き離す」という修正案が見られた。そして乳母を指す人称 の変化に合わせて,「自らの装束の上に(Sur sa robe)」は「我が装束の上に
(Sur ma robe)」に改められている。ここには,乳母をタペストリーに描かれ たシビュラといかに関連付けるかという問題に加えて,乳母=シビュラのディ スクールを 1 人称の語りにするか 3 人称の語りにするかという語りと視点をめ ぐる問題もまた,マラルメの試行錯誤の対象であった可能性が垣間見える。
先の引用に続く場面では部屋に響き渡る「声」の出所をめぐる人称の重要な 修正が見られる。まず初稿では,その「声」は次のように「象徴を用いた魔力 を持つ呪術師の幻影」に帰されていた──
象徴を用いた魔力を持つ呪術師の幻影!
過去を長々と喚起する,声は,
呪術を行おうとするその者の声なのか? 19)
「呪術師の幻影」が何を指すのか断定するのは難しい 20)。ただ,引用直前でタ ペストリーのシビュラからその「ひとり」が現れ,誰もいない部屋を「亡霊
(fantôme)」や「芳香(arôme)」のように彷徨う様子が喚起されたことを踏ま えるならば,このイメージの連なりを凝縮して受けているのが「魔術師の幻影」
ではないかと考えられる。そのような解釈に立てば,引用中の乳母は「声」を 亡霊的なシビュラの影(ただし乳母でもある)のものとして対象化して捉えて いることになる。
初稿の当該箇所にはのちに,次のような修正案が加えられる──
象徴を用いた魔力を持つ呪術師の幻影!
過去を長々と喚起する,この声は,
呪術を行おうとする私の声なのか? 21)
「魔術師の幻影」への言及に変化はないが,「声」の所有形容詞が「私の」に改 められている。乳母の意識は自分自身の発話行為へと向かうのだ 22)。
たしかに初稿でも改稿でも,「声」の出どころは結局のところ乳母である可能 性が高い。しかしマラルメの修正には,乳母自身が「声」に対してどんな視点 を取るか,「古序曲」の「声」を乳母があくまで 3 人称で伝えるのか乳母の 1 人 称に帰すのかという違いが生じている。それは部屋を彷徨う亡霊的な影が,タ
ペストリーから浮かび上がったシビュラであると同時に,「古序曲」のディス クールを担う乳母でもあるという設定に起因しているように思われる。別言す れば,乳母はタペストリーのシビュラであり,またタペストリーのシビュラで はない,という同一性と差異のあいだの遊び,あるいはその両義性が,部屋を 彷徨う亡霊的な影とその声を乳母が 3 人称で描写するのか 1 人称に結びつける かという選択の余地を生み出しているように思われるのである。
もう一度,先ほどの室内描写の場面を人称と視点をめぐる問題として捉え直 してみよう。「古序曲」の語り手は,タペストリーの描写に続く文の主語を「歩 むひとりの女」「彼女らのひとり」と 3 人称で始めたが,のちに 1 人称の案「私 はそこから自らを引き離す」を加えた。主語人称代名詞の変化に合わせるよう に,その人物が纏う衣装の所有形容詞も「自らの0 0 0装束」から「我が0 0装束」へと 修正されている。前者は「古序曲」の語り手である乳母がタペストリーのシビュ ラ(およびそれと関連付けられた部屋を彷徨う影)を別個の存在のように対象 化するのに対し,後者は乳母が自らをタペストリーのシビュラかのように錯覚 してそのように振る舞いながら自らの振る舞いを描写している。前者は対象化 の距離があるぶん,乳母=シビュラの同一性が弱いが,後者は乳母=シビュラ の同一性がいっそう強固になっている。
このようにタペストリーのシビュラと乳母が同じでないが同じであるという 両義性が,乳母=シビュラを指す人称の選択と調整を可能にしていると言える だろう。さらにそのことはタペストリーに備わる「鏡」としての機能に由来し ているのではないだろうか。
鏡としてのタペストリー
「鏡」は実像と虚像のあいだで,同じでないが同じである,同じであるが同じ でないという,両義的関係を成り立たせる特権的な道具である。「鏡」がマラル メの詩的想像力のなかで重要なテーマであることは論を俟たないが 23),ここで はマラルメが人称を転換させる装置として,鏡の効果を試行錯誤していた可能 性を指摘したい。
1866 年から 68 年にかけてマラルメは精神的な〈危機〉を経験するが,その 危機を生き直すことで自らの回復を試みたのが『イジチュール』という哲学的 コントの執筆であった。1869 年に着手されたこの作品には,主人公イジチュー
ルが真夜中の室内で鏡に自らの姿を映す場面がある。主人公であるとともに 1 人称の語り手でもあるイジチュールは,鏡に映る虚像を 1 人称と 3 人称の両方 で捉えることができるのだが,草稿には実際次のような人称と視点をめぐる試 行錯誤の跡が見られる。
真夜中を告げる時計の鐘を聞いたのち,イジチュールは部屋を出るために鏡 の前から移動するが,鉛筆書きの草稿(ノート 1 )では,イジチュールは鏡に 映る自分の動作を自分とは別個の存在のように描写している──
時が鳴り響いた,私の出発する時刻,私の像である,この人物がいなくなることで,
鏡の純粋さが確立される──ただ彼は明かりを持ち去るだろう! 24)
ここでは,鏡に映るイジチュールは「私の像であるこの人物(ce personnage, vision de moi)」と表現されており,やや説明的ではあるが,そこには自己を 対象化する動きが見られる。また,その鏡のなかのイジチュールは「人物(per- sonnage)」を受けて「彼(il)」と言い直され,実際は部屋から去るイジチュー ルの動作であるにも関わらず,「明かりを持ち去る」行為の主体となる。
この同じ場面が,インクと鉛筆による草稿(ノート 2 )では次のように描写 されている──
時が鳴り響いた──確かに本の予言する通り──すなわち〔ママ〕,私が私に姿を見せ ていた夢想のための鏡の純粋さを損なう人物の邪魔な姿が消え去る,この手燭が私に よって持ち去られることで 25)
ここではノート 1 の段階と同様に,鏡に映るイジチュールは「鏡の純粋さを損な う人物」として鏡に姿を映すイジチュールによって対象化されている。一方で,
蝋燭の明かりを持ち去る動作が,鏡のなかの「彼」から鏡に姿を映す「私」へ と置き換えられている。
このように,鏡は一人の存在を実像と虚像に分けることで,視点や動作をど ちらに振り分けるかという選択の余地を生み出すことができる。そして草稿を 見るかぎり,マラルメが実像と虚像のどちらに焦点を合わせるか,1 人称と 3 人称をともに使うことでどのような効果が生まれるか試行錯誤していたのでは ないかと思われるのである。
たしかに「古序曲」における乳母とタペストリーのシビュラとのあいだの同
一性は,鏡に姿を映すイジチュールと鏡に映るイジチュールのあいだの同一性 と全く同じ訳ではない。しかし語り手と似通った人物像を室内に提示し,それ により語り手と人物像のあいだで人称と視点の切り替えを可能にする点で,タ ペストリーと鏡は共通する機能を有していると言えるだろう。
結びにかえて
本稿では,『エロディアード』の構想を通して 1860 年代半ばに新しい暗示の 詩学が試みられ,「古序曲」執筆がマラルメの文体を大きく変えたという年代的 見通しのもと,その文体的特徴の一端を示すべく,「古序曲」のディスクールの 性質とタペストリーの果たす役割の分析を試みた。加筆修正の跡から見えてき たのは,呪術的予言としての詩的ディスクールを室内装飾を通して根拠付ける とともに,室内装飾にあらわれる人物像を契機に人称や視点の戯れを生じさせ ようとするマラルメの試行錯誤であった。
タペストリーに由来するこのような文体的(あるいは発話的)特徴は,「主人 不在の部屋」という共通のテーマを持つ作品やその他のマラルメ作品にも確認 できるのだろうか。別言すれば,本稿で取り上げたマラルメの試行錯誤は他の 作品との間でどのように位置付けられるのだろうか。本稿では「古序曲」のタ ペストリーと『イジチュール』における鏡との共通性に言及したが,他のマラ ルメ作品との照応関係をさらに検証するには,「古序曲」の加筆修正の時期と,
テーマ的共通点が指摘される「自らの寓意であるソネ」(および改稿「清らかな その爪は……」)などの作品の執筆時期(および加筆修正時期)とを整理する必 要がある。それぞれの時期については不明な点も多く,前後関係を正確につか めるとは限らないが,少なくともマラルメがある時点においてあるテクストで 生み出した文体が複数の作品で繰り返されているその広がりを確かめることが できるのではないか。以上の検証は,今後の課題としたい。
さらにもうひとつ課題が残されている。マラルメは『エロディアード』に再 び向き合い始めていた晩年の 1897 年に,シェイクスピアの『マクベス』を再び 手に取り,「昔考えたこと」 26)に思いを巡らす機会を得た。それについて綴った
「『マクベス』の魔女たちの贋の登場」のなかで,マラルメはマクベスの不吉な 運命を占う魔女たちが舞台にいかに現れ消えるのかという演出上の関心を示し ている 27)。実は,本稿で取り上げたタペストリーは,マラルメの演劇的想像力
のなかで,亡霊的な存在が現れるとともに消え去るための小道具であったと思 われる節があり,演出上の関心と結びついている可能性が指摘できる 28)。「古 序曲」を契機としたタペストリーをめぐる文体上・発話上の試行錯誤が,マラ ルメの演劇に対する関心や作品の演劇的側面とどのように結びついていくのか,
この点についても稿を改めて考察したい。
註
*) 本稿は「マラルメ・シンポジウム 2018」(2018 年 9 月 7,8 日,9 日 於慶應義塾大学 日吉キャンパス)での研究発表をもとにした拙稿「マラルメ『エロディアード』詩 群における乳母の役割」(論集掲載予定)から生じた着想を一部まとめたものであ る。また,本研究が科研費(特別研究員奨励 18J00388)の助成を受けたものである ことを付記する。
1 ) Stéphane MALLARMÉ, Correspondance, 1854-1898, éd. Bertrand MARCHAL, Paris : Gallimard, 2019, p. 112. 強調はマラルメ。
2 ) 川瀬武夫「〈危機〉以前の危機──マラルメの〈窓〉をめぐって」,『早稲田大学大学 院文学研究科紀要』第 41 号第 2 分冊,1996 年 2 月,33-45 頁。
3 ) マラルメは,「古序曲」と比べて「舞台」は「レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画と比 べた時の俗っぽいエピナル版画のようなものに過ぎない」と評している(MALLARMÉ, Correspondance, op. cit., p. 160)。
4 ) Voir MALLARMÉ, Correspondance, op. cit., p. 136 et p. 178.
5 ) Ibid., p. 178.
6 ) 本稿の分析は両研究者の仕事に多く負っている── Gardner DAVIES, Mallarmé et le rêve d’Hérodiade, Paris : José Corti, 1978;菅野昭正「『エロディアード』をめ ぐる試み(古序曲)」,『マラルメ全集 I 別冊 解題・注解』,筑摩書房,2010 年,333- 349 頁を参照。
7 ) 西洋美術・文学におけるサロメ像の伝播や世紀末における流行については次の研究 を参照── Helen G. ZAGONA, The legend of Salome and the principle of art for art’s sake, Genève : Droz ; Paris : Minard, 1960;井村君江『サロメ図像学』,あん ず堂,2003 年;大鐘敦子『サロメのダンスの起源──フローベール・モロー・マラ ルメ・ワイルド』,慶應義塾大学出版会,2008 年。
8 ) MALLARMÉ, Correspondance, op. cit., p. 123.
9 ) Ibid., pp. 122-123.
10) マラルメは『エロディアードの婚礼』において,エロディアードがヨハネ斬首後に 一人舞う場面を考えていたようである。ただ,削除の跡のある断片的な草稿しか残
されておらず,舞いの場面を最終的に取り入れるつもりだったのかは不明である。
Voir Stéphane MALLARMÉ, Œuvres complètes, éd. Bertrand MARCHAL, Paris : Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », 1998-2003, t. I, pp. 1079-1089.
11) « Le vieil éclat voilé du vermeil insolite, / De la voix languissant, nulle, sans acolyte, / Qui jettera son or par dernières splendeurs, / Elle, encore, une an- tienne aux versets demandeurs / À l’heure d’agonie et de luttes funèbres ! »
(ibid., p. 136). 以下,原文の韻文は改行せず,詩行はスラッシュでつなげて示す。
12) Voir Trésor de la langue française informatisé, article « incantation ». 菅野昭正 は,マラルメが自らの詩学に沿うかたちで « incantation » の語を通常の意味の範囲 を超えて使用しているとした上で,この語を「巫術」と訳している(前掲書,334- 335 頁)。
13) この点については,G・デイヴィスがいち早く注意を促している(voir DAVIES, op. cit., p. 44)。デイヴィスは「古序曲」におけるモチーフやリズムの反復に「呪文」
としての性質を見るが(ibid., pp. 286-287),以下に見るように,乳母の人物造形や 人称・視点の操作など別の要素もまた呪術的な予言を仕立てているように思われる。
14) « Quant à toi, femme née en des siècles malins / Pour la méchanceté des antres sibyllins, / Qui parles d’un mortel ! selon qui, des calices / De mes robes, arôme aux farouches délices, / Sortirait le frisson blanc de ma nudité » (MALLARMÉ, Œuvres complètes, op. cit., p. 21).
15) « La chambre, singulière en un cadre, attirail / De siècles belliqueux, orfèvrerie éteinte, / A le pâle jadis pour ancienne teinte, / Et la tapisserie, antique neige, plis / Inutiles avec les yeux ensevelis / De sibylles, le soir, offerte par les Mages. / Une qui marche, avec un passé de ramages / Sur sa robe blanchie à l’ivoire fermé / Au ciel d’oiseaux parmi l’argent noir parsemé, / Semble, de vols partis costumée et fantôme, » (ibid., pp. 135-136).
16) « La chambre, singulière en un cadre, attirail / De siècles belliqueux, orfèvrerie éteinte, / A le neigeux jadis pour ancienne teinte, / Et la tapisserie, au lustre nacré, plis / Inutiles avec les yeux ensevelis / De sibylles, offrant leur ongle vieil aux Mages. / Une d’elles, avec un passé de ramages / Sur sa robe blanchie en l’ivoire fermé / Au ciel d’oiseaux parmi l’argent noir parsemé, / Semble, de vols partis costumée et fantôme, » (ibid., p. 138). 下線部はのちに削られた箇所を 示す編集者による指示。
17) 註 16 の状態に加えられた,乳母の人称に関する変更のみを反映している。その他の 加筆修正を含む草稿の転写は MALLARMÉ, ibid., p. 1097 を参照。
18) G・デイヴィスはこの場面で乳母の衣装に注目し,「乳母の枝葉模様の衣装はタペス トリーの一部から切り取られ,老女がいつでも自分の場所に戻れるような一種の亡 霊的空隙を残している」と解釈している(DAVIES, op. cit., p. 44)。ただ,乳母とタ ペストリーとの間に,これほどはっきりとした物理的関係が想定されていたかは疑
問である。タペストリーは,詩的イメージとして可能であっても物理的に上演不可 能な演出を行う小道具として捉えるべきではないだろうか。
19) « Ombre magicienne aux symboliques charmes ! / Une voix, du passé longue évocation, / Est-ce la sienne prête à l’incantation ? » (op. cit., p. 136).
20) 菅野前掲書,339-340 頁を参照のこと。
21) « Ombre magicienne aux symboliques charmes ! / Cette voix, du passé longue évocation, / Est-ce la mienne prête à l’incantation ? » (op. cit., p. 138).
22) 菅野昭正はこの改変をタペストリーの場面と結びつけ,乳母の意識のありようを見 事に描き出している──「ここで思いだされるのは,さきほど前の断章に出てきた
「巫シビュラ女たちのひとり」(第 26 行)という語句との照応である。あの箇所で,「乳母」
は既に「巫シビュラ女」と彼女自身を同一視する気配を見せていたし,詩人がよしんば一時 的であるにせよ,その語句を「私」という 1 人称代名詞に置きかえる腹案をもった という事実は,大いに意味深長である。そこまで,〔…〕「亡霊」の存在を漠然と感 知しながら,その「声」を聴きつづけていたと思いなしていた「乳母」は,ここで,
自分がその「亡霊」の力に動かされる「巫シビュラ女」なのではないか,という疑念に捕ら えられる。「過去を喚起」する「声」は,「亡霊」の「声」であるばかりでなく,「亡 霊」に憑かれ操られるままにそのお告げを口く で ん伝する「私」自身の声ではないのか。
彼女はまだ半信半疑ながら,その心がそちらの方向へ傾きかけているのは間違いな い。第 25 行に見えるように,「部屋」に掛けられた「壁布」に「巫シビュラ女」の模様があ り,幻覚,幻想に憑依された「乳母」は自分がその「巫女 [sic]」に変身したという 意識に動かされているとみなすこともできよう」(前掲書,341 頁)。
23) 「鏡」はとりわけ,マラルメの精神的な〈危機〉の体験と結びつき,個人性消失の装 置となる(voir Hidetaka ISHIDA, « Le rythme-sujet des poèmes mallarméens et la poétique du sacré : autour d’Hérodiade (la “Scène” et l’ “Ouverture ancienne”) », Études de Langue et Littérature françaises (SJLLF), no 54, mars 1989, pp. 35-52 ; Laurent MATTIUSSI, « Mallarmé et le procès d’impersonnification : Narcisse se dévisage », Romantisme, no 99, 1er trim. 1998, pp. 105-116). また詩篇における「鏡」
のテーマの多様な展開については次の論考を参照──川瀬武夫「マラルメにおける 鏡の表象( 1 )」,『Études françaises』第 26 号,早稲田大学文学部フランス文学研究 室,2019 年 3 月,1-10 頁。
24) « L’heure a sonné pour moi de partir, la pureté de la glace s’établira, sans ce personnage, vision de moi — mais il emportera la lumière ! » (op. cit., p. 475).
25) « L’heure a sonné — certainement prédite par le livre — ou [sic], la vision im- portune du personnage qui nuisait à la pureté de la glace chimérique dans laquelle je m’apparaissais, à la faveur de la lumière, va disparaître, ce flambeau emporté par moi » (ibid., p. 480).
26) Stéphane MALLARMÉ, Œuvres complètes, éd. Bertrand MARCHAL, Paris : Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », 1998-2003, t. II, pp. 478-479.
27) マラルメは『マクベス』第 1 幕第 1 場のト書きで,魔女たちが「退場」するのでは なく「消える」とされており,そもそも「登場した0 0 0 0のではなく出現した0 0 0 0」と考えら れることに注目し,演出的観点から「彼女たちをどうやって提示するのか?」と問 う(ibid., pp. 478-479. 強調はマラルメ)。
28) 「古序曲」ではシビュラとしての乳母がタペストリーから現れたが,『イジチュール』
(前註 25 の引用に続く箇所)や聖史劇『エロディアードの婚礼』の「中継ぎの舞台」
では,亡霊的な先祖や乳母が場面から消えていく装置として用いられている。