はじめに ﹁人間仏教﹂は近代中国仏教の改革運動のリーダーである太虚︵一八九〇︱一九四七︶によって提唱された仏教再興
のための指導理念である︒太虚が﹁人間仏教﹂を提唱した背景には︑一方では﹁死の仏教﹂﹁鬼の仏教﹂︑つまり死
者の供養ばかりに没頭し︑社会のことや国の運命に全く無関心だったという当時の中国仏教教団自身の事情があっ 論文要旨> ﹁人間仏教﹂は太虚によって提唱された中国仏教復興のための指導理念であり︑二〇世紀以来︑中国本土はもちろん︑海外の中国人社会における仏教の共通の思想である︒
本稿は︑太虚およびその弟子の印順の主張を通して︑﹁人間仏教﹂の思想とは何かについて︑具体的に確認するとともに︑﹁人間仏教﹂という理念の下に行われている台湾の仏光山や慈済会および東南アジアの中国人社会における実践活動を取り上げて考察することを目的とする︒
﹁人間仏教﹂の主張は仏教思想の近代的再解釈であり︑その理念のもとに行われている活動は︑いわゆる﹁社会参加仏教﹂に近い要素をもっている︒しかし︑﹁近代仏教﹂およびEngaged Buddhismなどの分析枠で捉えるには限界がある︒本稿はそれらについて問題を提起し︑中国語圏における歴史的社会的政治的文脈を重視する視点が必要であることを指摘した︒キーワード> 人間仏教︑太虚︑印順︑仏光山︑慈済会
『宗教研究』94巻2輯(2020年)
中国語圏における ﹁ 人間仏教 ﹂
││ その思想と実践 ││
何 燕 生
たのであり︑また他方では仏教を無用のものだとする社会一般の世論があったからである︒太虚は仏教教団の改革 に取り組むために︑﹁教理革命﹂﹁教制革命﹂︵教団制度︶﹁教産革命﹂︵寺院の財産︶︑いわゆる﹁三大革命﹂を主張し︑その理念に基づき︑中国仏教を再生させようとした 1︒
一九四七年に太虚が死去すると︑その遺志が印順︵一九〇六︱二〇〇五︶らによって受け継がれ︑﹁人間仏教﹂は中
国本土から︑台湾や香港︑シンガポール︑マレーシアなど東南アジアの中国人社会へと広まった︒今日︑台湾で星雲や印順の弟子である証厳尼などによる活発な仏教布教活動およびボランティア活動はいずれも﹁人間仏教﹂を標
榜している︒一方︑中国大陸では趙樸初︵一九〇七︱二〇〇〇︶らによって継承され︑﹁人間仏教﹂が思想的支えとし
て︑仏教徒に対して︑社会主義国家建設への参加を呼びかけるものとなっている︒浄慧︵一九三三︱二〇一二︶によっ
て提唱された﹁生活禅﹂が大陸におけるその具体的な実践例であり︑毎年開催される﹁生活禅サマーキャンプ﹂はとくに若い人の間で人気である 2︒﹁人間仏教﹂は二〇世紀以来︑中国本土はもちろん︑海外の中国人社会における
仏教の共通の思想であり︑中国人仏教徒が実践的な社会活動に参加するための指導理念となっているのである︒
本稿は︑太虚や印順らの主張を通して︑﹁人間仏教﹂の思想をまず概観し︑それを踏まえながら︑次いで今日の台湾の星雲や証厳らの実践活動およびマレーシアなど東南アジアにおける受容とその実践の例を具体的に取り上げ
て考察することを目的とする︒﹁人間仏教﹂について︑これまで中国語や欧文の研究書や論文は多数刊行されてい
るが︑日本語での先行研究は断片的なものにとどまっているようである 3︒﹁人間仏教﹂は二〇世紀以来の中国仏教を特徴付けるものであり︑中国本土を超えて︑東南アジア諸地域の中国語圏にも広まっているという越境性から︑
﹁宗教と越境﹂という問題を考える際︑示唆に富む事例の一つであり︑その実態について︑考察を加えることは意
中国語圏における「人間仏教」
義があるであろう︒
なお︑本稿での﹁中国語圏﹂という語は分析用語として便宜上使用しているのであり︑具体的に台湾︑香港︑シ
ンガポール︑マレーシアなどの東南アジアにおける中国人社会のことを指すものであることをまずは断っておきた
い︒
一 ﹁人間仏教﹂とは何か
││ 太虚と印順の主張 ││
実は︑太虚の言説を見ると︑ある場合は﹁人生仏教﹂という用語を用いたり︑また晩年は﹃人生仏教開題﹄を著したりして︑﹁人間仏教﹂とともに︑﹁人生仏教﹂も唱えていたことがわかる 4︒しかし︑その内容は﹁人間仏教﹂と
全く同じ意味のものであり︑したがって︑ここでは︑混乱を避けるために︑﹁人間仏教﹂という用語を用いた言説
を中心に︑その主張を具体的に見てみることにしたい︒
﹁人間仏教﹂が太虚の書物に最初に見えるのは﹃怎様来建設人間仏教﹄︵﹃どのようにして人間仏教を建設するか﹄︶である︒これは一九三三年に太虚が漢口で行った講演を纏めたものであり︑内容は﹁一般の思想の中から人間仏教
を建設する﹂︑﹁国難の中から人間仏教を建設する﹂︑﹁世界情勢の変化の中から人間仏教を建設する﹂の三つの部分
からなっている︒﹁人間仏教﹂とは何か︑なぜ﹁人間仏教﹂を主張しなければならないかについて︑かなり具体的に語られている︒
﹁人間仏教﹂とは何か︒太虚は文章の冒頭でこう述べている︒
人間仏教とは︑人々に人間を離れて︑神となったり︑鬼となったり︑或いは皆が出家し︑寺院や山の奥へ行っ
て︑お坊さんとなったりすることを教えるのではなく︑仏教の教えを以って社会を改良し︑人類を進歩させ︑ 世界を改善させることを表明しようというものである︒ ︵﹃太虚大師全書﹄第四七冊︑四三一頁︶太虚によれば︑﹁人間仏教﹂には二つの意味があり︑一つは﹁人間﹂を離れて︑﹁神﹂となったり︑﹁鬼﹂となった
り︑お坊さんとなって山の奥に籠ったりすることを教えるものではないということ︑二つは﹁人間﹂に立脚しなが
ら︑﹁仏教の教えを以って社会を改良し︑人類を進歩させ︑世界を改善させる﹂ということである 5︒﹁人間仏教﹂が人間社会に立脚した社会性の強い仏教思想であることから︑日本語では﹁ジンカンブッキョウ﹂と発音される場合 が多く︑またそれがEngaged Buddhismの中国版と称される所以もここにあろう︒ ﹁人間仏教﹂をこう宣言した太虚は︑喫緊の問題として︑まず仏教に対する当時の中国社会一般が抱いているマ
イナスのイメージを払拭していかなければならないと考えた︒そのマイナスのイメージとは︑例えば仏教の実態を知らない人は仏教が﹁神異的﹂であると捉えることである︒具体的には民間の通俗的な文学作品に広く見られ︑お
坊さんが占い師と見做されたりすることなどである︒あるいは﹃火焼紅蓮寺﹄という映画のように︑仏教に対する
マイナスのイメージが映像で作り出されている︒さらに僧侶が﹁閑隠的﹂であるというイメージ︑あるいは︑そもそも仏教が役に立たない無用のものであり︑僧侶が社会から棄てられた者だというイメージなどである︵同上︑四
三二︱四三三頁参照︶︒太虚は︑これらのマイナスのイメージを払拭すべく︑仏教の本当の姿を提示しようとする︒
では仏教の本当の姿とは何であろうか︒太虚は﹃大乗本生心地観経﹄における﹁四恩﹂に依拠し︑仏教の本当の姿は﹁報恩﹂の教えであり︑仏教は道徳的であり︑倫理を最も大事にする宗教であると主張する︒﹁四恩﹂とは﹁父
母の恩﹂︑﹁社会の恩﹂︑﹁国家の恩﹂︑﹁聖教︵仏の教え︶の恩﹂の四つである︒太虚によれば︑﹁四恩﹂の主旨は︑
中国語圏における「人間仏教」
仏教が人々に﹁人に做 なる﹂ことを教える宗教であることだという︒僧侶もまた人間であり︑社会の中で生かされて生きていることを十分に知っている︒また︑天災や災難︑侵略などに際して︑国家という組織の力が必要であり︑
秩序のある協力が大事であることも十分に知っている︒僧侶は他の国民と同様︑国を愛しているのである︒仏教徒
は何も毎日虚しく過ごし︑虚しく死んでいくような者ではない︒僧侶は世界中の聖なる教えを敬愛し︑仏教もその聖なる教えの一つであるから︑仏教を敬愛しているわけである︒仏教の教えは﹁人と成る道徳的な行い﹂であり︑
﹁最も人間に近しい実行可能な道徳﹂である︒したがって︑仏教徒の社会への参加が可能であり︑﹁正当な職業を営
むことに積極的で︑正当な職業とは農︑工︑商学︑政︑法︑軍︑警などであり︑仏教を信じることはそれらの正当
な職業を妨げるどころか︑むしろ精神的な支えとなる﹂︵同上︑四三六︱四三七頁︶と太虚は主張する︒ こう見てくると︑太虚が唱えた﹁人間仏教﹂は︑一方でいわば仏教の人間化︑生活化︑倫理化を目指しているこ
とがわかる︒しかし︑それだけではない︒経済活動に関しても︑仏教の教えが役立つものであり︑仏教の縁起説が
経済史観︑唯物史観︑文化史観︑地理史観などに比べ︑むしろ徹底した歴史観であるとして︑太虚はそれを﹁縁成史観﹂と呼ぶ︒また︑哲学的にも︑弁証法︑ギリシャ哲学︑ドイツのヘーゲルの哲学︑マルクスの唯物論などに比
べ︑仏教の﹁諸法無常﹂という﹁無常観﹂が︑人間の生・老・病・死︑世界の成・住・壊・空などを説く点で︑は
るかに優れていると主張する︵同上︑四三八︱四四〇頁︶︒だから︑﹁仏教の教えを以って社会を改良し︑人類を進歩させ︑世界を改善させること﹂ができると太虚は考えた︒
このような考えに立って︑﹁国難の救済の中から人間仏教を建設する﹂で︑太虚は中国が直面している現実の問
題について見解を述べる︒周知の如く︑一九三二年︑日本が中国の東北に満州国という傀儡政権を作って︑中国へ
の侵略を進めようとした︒また︑中国国内では軍閥による内乱が起こり︑全国の至るところでいわゆる﹁土匪﹂に
よる略奪などが横行していた︒太虚は︑現実社会におけるそうした﹁国難﹂︑﹁天災﹂︑﹁内憂外患﹂に対処するために︑﹁人間仏教﹂を打ち立てていかなければならないと主張し︑前述の﹁四恩﹂のうちの﹁国恩﹂を具体的に強調
している︵同上︑四四一頁︶︒しかし︑仏教の﹁業﹂の思想から︑災難や国難の原因を捉えようとしている点が注目
される︒仏教の因果応報の立場からすれば︑これらの天災人禍は空から落ちたものでもなければ︑土の中から出てきた
ものでもない︒全く関係しない他人から与えられたものでもない︒人々各々が自ら造ったものであり︑我々が
共に造った因によってもたらされたものである︒仏教ではそれを別業︑共業といい︑別業とは︑個人の心で造
られたものであり︑共業とは︑多数の人の心理で共に造られたものである︒ ︵同上︑四四二頁︶ では︑そうした天災人禍を避けるためにどうしたらよいか︒太虚は﹁清本正源﹂と述べ︑つまり各人が自分自身
を振り返り︑それぞれ普段の行為を反省し︑犯した罪を懺悔し︑善良なる行いをすれば社会が安寧となり︑自己お
よび国家の幸福が造られるという︒仏教の﹁業﹂の思想︑天災人禍の原因を反省すべきだとの主張などからみて︑太虚が提唱する﹁人間仏教﹂は単なる仏教の世俗化のためではなく︑きちんとした仏教の教理をもって裏付けられ
ていることがわかる︒
﹁世界情勢の変化の中から人間仏教を建設する﹂では︑世界情勢の変化に応じて︑﹁人間仏教を建設し︑すなわち世の中の人々の需要に応じて人間仏教を建設し︑人々が歩むべき平坦な道とする﹂︵同上︑四四九頁︶と﹁人間仏教﹂
のあるべき姿が論じられている︒ここで具体的に取り上げられている世界情勢とは西洋の物質文明およびその行き
中国語圏における「人間仏教」
詰まりであり︑﹁世界各国は行き詰まりの道に陥っており︑現在の世界の各帝国主義︑資本主義および反帝国主義︑反資本主義が互いに相争い︑相殺しあっている﹂と指摘し︑その局面を打開するためには︑一方では﹁中国文化の
根本的な精神は克己崇仁にあり⁝⁝したがって中国がこの世界の末路の行き詰まりを救い︑世界を導き︑中国文化
の真の価値と真の精神を顕すことができる﹂と主張する︒他方では仏教の原理が縁起を説くことにあり︑この仏教の縁起の思想をもっと発揮させて﹁統率力﹂﹁発動力﹂となり︑﹁人類のための新しい道徳を建設していく﹂ことが
できると力説する︒ここで﹁人間仏教﹂についてこそ言及されてはいないが︑﹁菩薩が社会を改良する道徳家であ
り︑⁝⁝菩薩が仏教を人間︵社会︶まで実現させていくことができる﹂︵以上の引用は同上︑四四九︱四五六頁︶とされ
ている︒太虚の﹁人間仏教﹂には大乗仏教の菩薩の精神が受け継がれていることがわかる︒太虚はこのような理想的な社会の実現を﹁人間浄土﹂としている 6︒
以上が﹃怎様来建設人間仏教﹄における大体の内容であり︑太虚の﹁人間仏教﹂の基本的な考えとその背景がほ
ぼ網羅的に述べられていると見てよい︒﹁人間仏教﹂の経典的︑教理的な根拠については︑すでに確認したように︑
﹃大乗本生心地観経﹄や縁起説︑大乗仏教の菩薩思想が一つの柱となっているが︑太虚に言わせれば︑それは﹁契
理契機﹂であり︑つまり仏教の教理に適い︑現実の人間や社会の機縁に適うというのが﹁人間仏教﹂の思想であり︑
それは決して裏付けのない空論でもなければ︑新しいものでもないという︒﹁人間仏教﹂は仏教の教理を根拠に据え︑時代の推移に順応して行き︑時代に随って仏法の教化を発揚する主張であるというのである︒この点につい
て︑太虚は﹃新与融貫﹄で詳しく論じているが︑それによれば︑﹁人間仏教﹂は教理に適い︑時代に適う﹁契理契
機﹂という原則に立ち︑仏教は人間社会の経済︑政治︑文化︑教育︑文芸︑科学︑哲学の諸分野に積極的に関わる
ことができる有用なものであると同時に︑それらを批判する道具となることもできる︒それゆえに︑新しい時代の
変化に応じて仏教自身を改革し︑仏教思想を以って現実の社会を改善してゆくことができると太虚は主張する︒しかも︑自分が三十年来書いた作品の多くはこの目的のためである︵同上︑第二冊︑四五〇︱四五一頁︶とも述べている︒
太虚の主張は仏教内外の多くの人々からの共鳴や支持を受けていた︒しかしながら︑太虚はその生涯の大部分を
国の戦乱の中で生きたため︑仏教教団改革の提案が実現することはなかった︒仏教教団内部の保守的なグループからの抵抗があったことも一因であろう︒しかし︑その理念が弟子らによって受け継がれ︑今日の大陸はもちろん︑
台湾や香港︑シンガポール︑マレーシアなどの中国人社会の仏教の発展を大きく方向付けることとなった︒太虚の
弟子であり︑一九四九年に台湾へ移った印順の主張が注目に値する︒
印順は﹃太虚大師全書﹄の編集を務め︑﹃太虚大師年譜﹄などを著したりして︑太虚の弟子の中でも師の太虚の遺志や﹁人間仏教﹂の理念の継承および発展にもっとも尽力した一人である︒しかし︑印順は師の太虚の﹁人間仏
教﹂の理念を継承しながらも︑太虚のそれとの違いを強調し︑批判もしている︒以下︑その主張をすこし具体的に
見てみよう︒
例えば﹃華雨集﹄の中で印順はこう述べている︒
﹁人間仏教﹂を宣揚することはもちろん太虚大師の影響を受けているが︑多少異なるところもある︒⁝⁝末法
の時期に人乗に依って大乗の行へと趣くべきであり︑経説の根拠がなければ一般の信者に受け入れられないであろう︒⁝⁝だから仏教思想の変化の中から﹁人間仏教﹂の根拠を探究しなければならない︒︵太虚︶大師の
思想は核心がやはり中国仏教の伝統的なものである︒⁝⁝仏法はもともと人間にあるものであり︑インドの諸
中国語圏における「人間仏教」
神の存在を認めていた︒しかし大乗仏法は︑理想のブッダが神化され︑天︵鬼神︶や菩薩も現れるようになり︑インドの諸々の神やそれらの行為や儀式も仏法と融合されてしまった︒これが人間仏教の最大の障害である︒
だから民国三十年に﹃仏在人間﹄を書いた︒ブッダがどのようにして天上に祀り上げられたのか︑我々がそれ
と同じ形でブッダを人間に引き戻さねばならない︒
︵﹃華雨集﹄︵四︶︑二九︱三〇頁︑﹃印順法師仏学著作全集﹄第一二巻︑中華書局︑二〇〇九年︶
印順によれば︑①自分の﹁人間仏教﹂の提唱は師の太虚のそれを受けたものであるが︑太虚が唱えている﹁人間仏
教﹂に経典的な根拠がないということ︑②太虚の思想の核心は中国仏教の伝統にあるということ︑③大乗仏教がブ
ッダを神格化させたということ︑④ブッダはもともと人間社会に存在していたものだから︑我々はそれを人間社会に引き戻さなければならないということである︒印順が自分の﹁人間仏教﹂の提唱は太虚のそれを受け継いだもの
だとしながらも︑他方ではそれを批判しているが︑注目すべきは︑﹁太虚の思想の核心は中国仏教の伝統にある﹂
という指摘である︒つまり︑印順によれば︑太虚は中国仏教に依拠して﹁人間仏教﹂を唱えているが︑中国仏教が大乗仏教におけるブッダの神格化を踏襲しているため︑﹁人間仏教﹂とは言えないというのである︒これは明らか
に印順の仏教史観そのものに由来する見方である︒紙幅の関係で︑ここでそれを詳細に論じることはできないが︑
実は印順は中国化された仏教に対して︑一貫して批判的であり︑中国仏教を仏教本来の姿を逸脱したものと捉え︑印度仏教の初期の経典︑例えば﹃阿含経﹄など極めて一部を﹁純粋な仏教﹂と捉えるという仏教史観を持っていた︒
これは近代仏教学研究の一般的な見方であり︑中国では南京支那内学院の一部の仏教研究者によって捉えられ︑印
順がそれらの影響を受けたものと思われる 7︒したがって︑そのような立場に立つ限り︑たとえ太虚が﹃大乗本生心
地観経﹄︑仏教の縁起説︑大乗仏教の菩薩精神などに基づき︑﹁人間仏教﹂に経典的な根拠を与えたとしても︑印順
から見ればそれは﹁純粋な仏教﹂から逸脱したものでしかないだろう︒
印順が師の太虚との違いをさらに鮮明にしているのは︑太虚の方を﹁人生仏教﹂とし︑自分の方を﹁人間仏教﹂
と規定し︑両者の間に意味内容の違いが存在していることを主張する点である︒﹁虚大師︵太虚のこと︶が﹁人生
仏教﹂を提唱し︑私がさらに進んでそれを﹁人間仏教﹂と称する﹂︵前掲﹃華雨集﹄︵四︶︑三三頁︶と印順は述べる︒では﹁人生仏教﹂と﹁人間仏教﹂との違いはどこにあるのであろう︒これについて︑印順は﹁人間仏教緒言﹂の中
でこう述べている︒
彼︵太虚︶が提唱する﹁人生仏教﹂には二つの意味がある︒一つは﹁対治﹂であり︑それは中国仏教の末流が
ひたすら﹁死﹂と﹁鬼﹂を重視し︑たくさんの弊害を引き起こしたためである︒大師︵太虚︶がそれを正すために︑﹁死﹂ではなく︑﹁生﹂を︑﹁鬼﹂ではなく︑﹁人﹂を重視するよう主張する︒だから︑﹁人生﹂をもって
名付けられているのである︒仏法の核心は言うまでもなく︑心を重視し︑生死から解脱して︑仏に成ることで
ある︒しかし中国の仏弟子らは﹁生死﹂の解脱から﹁死﹂のみの解脱となってしまった︒⁝⁝第二の意味は
︵正しい教えを顕す︶﹁顕正﹂であり︑それは大師が仏教を根本から理解し︑時代に適応させようという観点か
ら︑現実の人生を重視しなければならいと考えるようになったことである︒⁝⁝大師は曾て︑﹁敬慕するのは
ただ仏陀だけであり︑完成するのは人格においてであり︑人格の完成こそ即ち仏の成就であり︑これを真の現実と名付ける﹂︵﹁仰止唯仏陀︑完成在人格︑人成仏即成︑是名真現実﹂︶︵﹃即人成仏的真実現論﹄に見る︶と
言った︒人生に即して仏と成る︑これが大師の﹁人生仏教﹂の本意を現すものである︒
中国語圏における「人間仏教」
﹁人生仏教﹂は素晴らしいが︑どうして﹁人間仏教﹂を提唱する必要があるのか︒それは﹁顕正﹂の点では大体似ているが︑﹁対治﹂の面ではさらにいくつかの重要な理由があるからである︒人は五趣の中での位置づけ
ではちょうど真ん中にいるのである︒人の上には天︑下には地獄があり︑餓鬼と畜生は人の近くにおり︑上へ
も下へも通うことができる︒印度後期仏教の如きは︑仏教の真意に背き︑仏教を大きく変質させてしまった︒だから︑﹁人間﹂の二字をとくに取り上げて﹁対治﹂しようとする︒これはただ﹁死﹂や﹁鬼﹂への偏向に対
するだけではなく︑同時に﹁神﹂と﹁永生﹂への偏向に対してでもある︒本当の仏教は人間のものであり︑た
だ人間仏教だけが仏教の本当の意義を現すことができる︒
︵印順﹁仏在人間﹂︑一三︱一五頁︑前掲﹃印順法師仏学著作全集﹄第六巻所収︶
長文の引用となったが︑印順によれば︑太虚の﹁人生仏教﹂が﹁死﹂﹁鬼﹂のみを重視する仏教の偏りを﹁対治﹂
するためのものであり︑﹁人間仏教﹂は﹁六道﹂のうちの真ん中を占める﹁人﹂に焦点を当てたものであり︑しか
も同時に神や永生を願おうとする﹁天﹂を尊ぶ仏教をも﹁対治﹂しているのであるという︒また︑インド後期仏教は変質したものであり︑﹁人﹂を中心とするのではなく︑﹁天﹂を中心とするものになってしまったため︑それらを
﹁対治﹂しようとするものであると論じている︒﹃人間仏教諸言﹄は一九五二年の執筆であり︑印順が早い段階から
師の太虚との思想の違いを表明していることがわかる︒
印順が太虚の主張を﹁人生仏教﹂と規定し︑自分の主張を﹁人間仏教﹂と捉えるその理解および太虚のそれに対
する批判は果たして客観的といえるかどうか︑ここでそれを問題にしないが︑太虚が中国仏教を重視し︑中国仏教
の禅宗の思想に基づいて﹁人間仏教﹂を提唱していたことは事実である︒例えば︑太虚が﹁中華仏化の特質は禅宗
にある﹂と中国で生まれた禅宗の思想の意義を認め︑﹁中華の仏教が復興できるとすれば︑それは決して真言の密
呪と法相の唯識にあるのではなく︑禅にあるのであり︑禅が元気になれば︑骨の力が丈夫になり︑中華の各宗派の仏法がそれによって精彩を発揮し︑品格が高まってくるのである﹂︵前掲﹃太虚大師全集﹄第二八冊︑九四頁︶と論じて
いる︒中国仏教︑とくに現実社会を重視する中国禅宗の思想に基づいて﹁人間仏教﹂を唱えていたことが認められ
る︒
ともあれ︑太虚の主張であろうと印順の主張であろうと︑いずれも今日の台湾や東南アジア諸国の中国語圏の仏
教徒の間では仏教発展のための指導理念となっており︑とくに実践レベルにおいて︑大きな展開がみられる︒
二 ﹁人間仏教﹂の実践 1 台湾の事例 歴史的に見ると︑今日の台湾の仏教は︑信仰の面では土着的民間信仰的な﹁齋教﹂の要素が強いが︑教団の面で
は基本的に一九四九年に共産党との内戦に敗れた国民党政権に従って台湾に移住してきた人々によって伝えられた大陸の仏教の流れである︒この大陸系の仏教の流れを大きく分けると︑改革が大事だと主張する︑いわゆる太虚の
流れを汲む改革派と︑伝統が大事だと唱える︑いわゆる円瑛を支持する保守派の二大勢力になり︑両者ともに混在
し︑しかも一時期は政治的な情勢の影響を受けて︑勢力間の争いもあった︒俗に﹁四大山頭﹂︵四つの大きな山︶という言い方はその名残であり︑具体的に星雲の仏光山︑証厳の慈済会︵中国語圏では通称﹁慈済﹂﹁慈済功徳会﹂︶︑
聖厳の法鼓山と惟覚の中台山寺を指すが︑この四つの仏教教団は今日の台湾仏教を構成する主要な勢力である︒そ
中国語圏における「人間仏教」
れぞれの法脈は︑必ずしも太虚の改革派もしくは円瑛の保守派に分類できないが︑今日のさまざまな活動や発言を見てみると︑この四大教団は基本的に革新的な立場に立つものであると認められる︒その意味で︑それら四つはい
ずれも﹁人間仏教﹂の路線を踏まえていると言えよう︒しかし︑今日︑﹁人間仏教﹂を教団のスローガンとして︑
前面に出しているのが実は星雲の仏光山と証厳の慈済会の二つであり︑しかも前者は太虚の主張を継承し︑後者は印順の主張を実践しているという特徴が認められる︒そこで︑以下︑星雲の仏光山と証厳の慈済会という二つの教
団を中心に︑とくにその実践活動に焦点を絞って︑紹介しよう︒
① 星雲の仏光山 一九二七年に大陸の江蘇省江都に生まれた星雲は一三歳の時に出家し︑棲霞律学院︑焦山仏学院に相次いで学んだ禅宗臨済宗の僧である︒太虚が主宰する﹁中国仏教会会務人員訓練班﹂にも参加し︑太虚の仏教改革の主張に共
鳴した︒一九四九年に大陸を離れ︑台湾に移住し︑台北や宜蘭などを活動の場として仏教の布教活動に取り組んで
いたが︑一九六七年に台湾南部にある高雄の仏光山を開発し︑そこを専門道場として教団の勢力を固めることとなった︒以来︑この仏光山を拠点とし︑台湾全島はもちろん︑北米︑東南アジア︑オーストラリア︑ヨーロッパ︑韓
国︑日本および大陸へと教線を拡大し︑﹁仏光山分院﹂を世界各地に建立し︑グローバルな仏教事業を展開するな
ど︑今日の中国語圏における最大の仏教教団にまで発展した︒これらの活動を支えている理念は言うまでもなく︑太虚の﹁人間仏教﹂の思想である︒星雲は︑﹁私は仏教を弘めようと思うようになった時から︑われわれの太虚大
師の教えに従い︑また仏教本来の精神︑すなわち人間仏教を重視し︑生活仏教を重視してきた︒仏教は決して玄妙
な空論を語る宗教ではなく︑人々の生活の改善から始まるものでなければならない 8﹂と述べている︒星雲の仏光山
の活動は太虚の﹁人間仏教﹂の理念を実践しようというものであることがわかる︒ ﹁人間仏教﹂の理念に基づく星雲の仏光山の実践活動を大別すれば︑﹁文化をもって仏法を弘めること﹂︑﹁教育をもって人材を育てること﹂︑﹁慈善をもって社会の福利をはかること﹂︑﹁共修をもって人心を浄化させること﹂の四 つになる︒これらが仏光山の﹁基本宗旨﹂ともされている 9︒ ﹁文化をもって仏法を弘めること﹂を例に見てみると︑例えば毎年︑﹁人間仏教﹂をテーマとする国際シンポジウムが仏光山と関係の深い世界中の大学や研究機関を会場として開催されていることはその一例である︒筆者もこれ
までそれに何回か参加したが︑台湾や大陸を中心に︑欧米や東南アジア︑韓国︑日本などの国からの研究者が多く
参加している︒また︑仏光山の寄付講座で設立された香港中文学﹁人間仏教研究センター﹂が主催する国際シンポ
ジウムのテーマは︑例えば﹁東亜東南亜における人間仏教の実践とその展開﹂︵二〇一八年︶のように︑﹁人間仏教﹂を仏教思想の展開の一形態として幅広く捉えようとしているものもあり︑興味深い︒さらには﹃仏光大辞典﹄の出
版︑﹃仏光大蔵経﹄の編纂とその刊行︑機関誌﹃普門学報﹄︑新聞紙﹃人間福報﹄︑衛星テレビ局﹁人間衛視﹂など
も代表的な文化事業といえる︒衛星テレビは教団内外の出来事やイベントなどを毎日リアルアイムで世界に向けて放送している︒他方︑一九八七年に﹁仏光山文教基金会﹂が設立され︑一般の文化事業も企画されており︑例えば
﹁人間音縁﹂という音楽祭典のように︑日本の新興宗教を思わせるような大規模なイベントが開催されている︒そ
のほか︑仏教文物陳列館︑仏光縁美術館が設立され︑今日ではフランス︑オーストラリア︑マレーシア︑アメリカなどにも分館が設置されている︒
﹁慈善をもって社会の福利をはかること﹂について︑例えば一九九九年に台湾で﹁九・二一﹂大地震が発生した
中国語圏における「人間仏教」
際︑救済物資や救援金などを送ったほか︑災害で死亡した人の追善供養も積極的に行い︑震災後に﹁仏光縁慈心ステーション﹂を設置し︑被災した人々の心のケアに取り組んだ︒一九九一年の中国南部の水害やフィリピンの台風
の被害︑二〇〇四年のインドネシアのスマトラ大地震︑二〇一一年の日本の東日本大震災などにも大量の救援物資
や支援金を提供した︒また︑﹁国際仏光会﹂を設立し︑国連の非政府組織︵NGO︶にも加入し︑国連児童基金︵ユニセフ︶に資金を提供するなどの活動を行っている︒
星雲は︑﹁如何にして人々に利益を与え︑如何にして人々に安らぎを与えるか︒例えば現在行っている各種の慈
善事業︑孤児院︑養老院︑学校︑病院︑乃至仏教博物館︑図書館︑文化センター︑祝祭︑日曜学校︑語学研修クラ
ス︑および色々な冠婚葬祭などの社会活動こそ衆生を教化するものである︒⁝⁝それらは今後われわれ青年の責任であり︑前途遼遠であり︑我れを除いて︑誰がその任を担うか A﹂と述べ︑その活動についての基本的な考え方を表
明している︒
星雲は︑太虚と同様︑国民党の党員であり︑政治活動にも参加している︒この点が仏教内外から物議を醸したり︑批判を受けたりもしているが︑彼は︑﹁私は出家しているけれども︑しかし決してこの国を離れてはいない﹂
と反応し︑太虚の言う﹁参政而不干政﹂︵政治に参加するが︑政治に干渉はしない︶という考え方が客観的で最も
賢いと評価している︒星雲によれば︑仏教徒も積極的に国のことに関心を寄せなければならず︑仏教と政治は互いに関係し合っており︑決して分けることはできないというのが彼の持論である B︒
太虚は﹁人間仏教﹂の理念を提唱したが︑それを実現させることはできなかった︒星雲はその理念を継承すると
ともに︑その実現のために︑様々な活動を展開しようとしている︒
② 証厳の慈済会 証厳は一九三七年に生まれた台湾台中県出身の尼僧である︒幼少時に養父母に育てられ︑仏教に帰依するまでは︑キリスト教に興味を示していたという︒﹁幾人かのクリスチャンの友人から﹃聖書﹄やキリスト教関係の小冊
子をもらい︑それらを真面目に読んだが︑なにか物足りなかった︒その後︑仏教の経典を読み︑すぐに納得し︑仏
教の解釈は論理的で︑科学的でもあり︑さらには哲学的でもあると気づいた C﹂と証厳は仏教への入信の動機を述べている︒伝記によれは︑証厳は近所の尼さんの影響を受け︑出家しようと思い︑家出して︑花蓮にある小さい寺に
駆け込み︑自ら剃髪して︑尼僧となったという︒しかし︑これは僧侶になる手続きとしては不十分であり︑仏教の
規定としては︑必ず受戒する必要がある︒そのため︑一九六二年二月に台北に出かけ︑臨済寺で受戒しようとした
が︑正式に帰依していないため︑受戒の資格がないと言われたという︒そこで︑印順が主宰する台北にある﹁慧日講堂﹂で印順が編集した﹃太虚大師全書﹄を購入して帰ろうとしたところ︑たまたま印順と出会い︑その弟子とし
て受け入れられた︒そして印順に帰依したのち︑﹁証厳﹂という名前を授かった︒証厳はその後︑臨済寺に戻り︑
比丘尼の具足戒を受け︑正式な尼僧となった D︒ 証厳は一九六六年に花蓮に﹁慈済功徳会﹂を創設したが︑最初の頃は五人の弟子と三十人程度の信者という小規
模のものだった︒しかし︑一九六九年に﹁静思精舎﹂が落成すると︑会員が大幅に増えるようになった︒その後︑
﹁慈済功徳会﹂は大きく発展し︑独自の病院を建て︑慈済大学を創設した︒今日︑﹁慈済会﹂は︑中国語圏で﹁慈済﹂もしくは﹁慈済功徳会﹂の通称で知られ︑台湾島内はもちろん︑世界各地にボランティア活動のための拠点を
設け︑救難などの慈善事業を展開し︑会員数が四百万人と言われ︑中国語圏において﹁人間仏教﹂の理念を実践す
中国語圏における「人間仏教」
る最大のボランティア団体となった︒
﹁慈済会﹂の事業は︑もちろんボランティアだけではない︒その活動が四つの分野に分けられ︑﹁慈済の志﹂︵精
神︶に基づく﹁志業﹂と呼ばれている︒すなわち﹁慈善志業﹂﹁医療志業﹂﹁教育志業﹂﹁文化志業﹂の四つである︒
﹁慈善志業﹂は主に救難︑救助の活動を指すが︑これまではアメリカ︑中国大陸︑フィリピン︑バングラデシュ︑カンボジア︑タイ︑モンゴル︑ルワンダなど世界九七国において︑ボランティア活動を行ってきた︒自然災害にお
ける救助︑救難活動の場合は現地に行って行うことが多い︒日本にも支部が設立され︑その活動報告によると︑中
越地震︑三・一一の東日本大地震などの際︑多くの救援物資や見舞金を提供したという︒
﹁医療志業﹂は一九八六年に花蓮で設立した花蓮慈済総合病院を起点とし︑現在は︑台湾各地に次々と慈済病院の分院が建てられ︑医療事業のネットワークまで構築されている︒それぞれの病院に緩和ケアを行う﹁心蓮病房﹂︑
老人デイケアセンターである﹁軽安居﹂の施設が設置され︑しかも従業員の多くはボランティアであることが特徴
である︒それらとともに︑骨髄バンクを扱う骨髄幹細胞センターなどが設置され︑世界中の患者への骨髄の提供︑子どもの難病の治療にも取り組んでいる︒
﹁教育志業﹂については︑一九八九年に設立した慈済護理専科学校からスタートし︑一九九四年に慈済医学院が
開設され︑継いで慈済大学が開設された︒現在の慈済大学は医学院︑人文社会学院︑生命科学院︑教育メディア学院などの学部を有する総合大学となっている︒このほかに︑幼稚園︑小中学校も併設されている︒
﹁文化志業﹂︵﹁人文志業﹂とも︶は︑出版︑マスメディア︑社会公益サービス︑テレビ局︑雑誌︑環境保護運動 の推進など︑広範に及んでいる︒﹁大愛電視﹂︵DaAi TV︶は衛星テレビ局であり︑証厳の法話や教団の日々の活動
はもちろん︑社会一般のニュースも報道され︑﹁大愛人間劇場﹂というテレビドラマ番組の視聴率が高いと言われ
ている︒
教団の名称である﹁慈済﹂という言葉からもわかるように︑証厳が行っている上記の四つの事業が基本的に仏教
の﹁慈悲﹂の精神に基づくものであり︑証厳本人はこれを印順の教えに従うものだとしている︒
我々は印順導師の﹁仏教のため︑衆生のため﹂という教えに従い︑慈︑悲︑喜︑捨の心をもって︑新しくて清らかな慈済の世界を創り上げている︒⁝⁝我々は誠︑正︑信︑実を原則とし︑慈善︑医療︑教育と文化志業を
融合させて一体化させようとすることである︒人々は皆︑仏性を具有しており︑もしも慈悲の門から入れば︑
必ず仏門の荘厳で美しい聖殿を窺うことができる︒もしも善の門から入り︑富裕者が施せば︑必ず福を得て楽
になる︒もしも貧者がそれを受ければ︑必ず救われて安らかになる E︒それと同時に︑証厳は︑仏教に対するマイナスのイメージを払拭すべく︑﹁仏教をその本来の原始の状態に回復さ
せて︑二千五百年前の仏陀の在世時代にかつて望んでいたことを実現させよう﹂とも述べている︒証厳によれば︑
﹁世界に証明しようとしているのは︑仏教が前向きで︑積極的な生き方であり︑しかも︑我々仏教徒が必ず善行をもって苦しんでいる人々を助け︑苦しんでいる人に喜びをもたらす︑ということである F﹂という︒仏教の新しいイ
メージを創るために︑一方では仏教の本来の精神を回復させ︑他方では奉仕する精神をもって︑現代社会のさまざ
まな問題に応えようということである︒
2 東南アジアの事例 東南アジアにおける仏教の伝播の歴史は古く︑また︑早い段階から南伝仏教が伝えられ︑多様な要素を持ち︑単
中国語圏における「人間仏教」
純ではない︒しかし︑﹁人間仏教﹂の伝播に関して言えば︑一九二六年の太虚によるシンガポールの訪問がその始まりだと言ってよい︒太虚がその前年に東京で開催された﹁東亜仏教大会﹂に出席し︑日本の仏教徒と一緒に︑仏
教を世界に弘めようという国際仏教弘法活動に燃えていた︒その時のシンガポール訪問は華僑の招きによる説法で
あり︑﹃太虚法師年譜﹄によれば︑太虚は﹃維摩経﹄﹃般若心経﹄のほかに︑﹁経商与仏学﹂︵﹁商売と仏学﹂︶についての説法も行ったという G︒説法は︑商業活動をしている在家信者を意識した内容であったことが窺われる︒
太虚は一九四〇年にもシンガポールを訪れているが︑この訪問は中華民国政府派遣の仏教訪問団団長として︑日
本の中国への侵略に対して︑海外の仏教徒に呼びかけて︑中国の民族の独立と平和のための戦いに理解を求めよう
とする仏教外交であった︒太虚ら一行はシンガポールの他︑ミャンマーやスリランカ︑インド︑マレーシアをも訪れた︒この訪問に︑弟子の慈航も同行していた︒東南アジアの﹁人間仏教﹂の伝播と受容を考える際︑慈航をはじ
めとする太虚の弟子らの活躍は注目に値する︒
① 太虚の弟子ら第一世代の存在 まず挙げるべきは慈航︵一八九三︱一九五四︶である︒慈航は太虚が創設した﹁武昌仏学院﹂に学び︑太虚の﹁人
間仏教﹂の理念を忠実に遂行しようとしていた人物である︒一九四〇年に太虚の東南アジア訪問に随行し︑そのま
まマレーシアに残り︑七年間もマレーシアに滞在した︒滞在中に︑シンガポールにおいて星州菩提学院︑星州仏学会を相次いで創設し︑また︑マレーシアにおいて檳城菩提学院︑雪州仏学会などを創設し︑さらには月刊﹃人間仏
教﹄を創刊した︒これらの活動の主旨は︑言うまでもなく︑師太虚の﹁人間仏教﹂の理念を現地の中国人社会に根
付かせようということであった︒特に月刊﹃人間仏教﹄は︑読んで字の如く﹁人間仏教﹂を弘めることを主題とし
たものである︒慈航は東南アジアの中国人社会における﹁人間仏教﹂の理念の普及のために︑基盤を築いた人物で あると言ってよい H︒ もう一人︑竺摩︵一九一三︱二〇〇二︶の存在も無視できない︒竺摩も太虚の弟子で︑かつて閩南仏学院に学んで
いたが︑一九五四年にマレーシアに渡り︑生涯をマレーシアで過ごした︒彼は慈航の事業を受け継ぎ︑マレーシア
仏教総会という組織を創設した︒この組織の目的は︑﹁人間仏教﹂理念の普及︑社会の仏教化︑仏教の教えの普及︑仏教団体の権利︑イスラム教徒が主流であるマレーシア社会における仏教徒の立場を主張することにある︒竺摩は
この組織を利用して︑さまざまな社会活動を展開し︑例えばマレーシアの芸能界で起こった仏教誹謗中傷事件に対
して︑仏教の立場を主張するなどした︒これはイスラム教徒を中心とするマレーシアでは容易なことではないであ
ろう︒さらに︑仏教人材の教育にも力を尽くし︑﹁三慧講堂﹂︑マレーシア仏学院を創設した︒これらの施設で太虚の﹁人間仏教﹂を講じたり︑太虚の著作﹃人間仏教﹄を出版したりした︒﹁人間仏教﹂は今日のマレーシアの中国
人社会で仏教の主流をなしているが︑それは竺摩の努力に負うところが大きいといえる︒竺摩は﹃覚音﹄﹃無尽燈﹄
などの雑誌を創刊している︒
演培︵一九〇七︱一九九六︶も太虚の弟子で︑東南アジアの中国人社会における﹁人間仏教﹂を積極的に弘めた一
人である︒閩南仏学院および漢蔵教理院で太虚に学び︑印順とほぼ同期で︑仲の良い道友であったという︒演培は
マレーシアにも滞在していたが︑主としてはシンガポールを活動の拠点とした︒一九八二年にシンガポールに福慧講堂を建てたが︑これは千人ぐらいが収容できる大講堂のほか︑図書館︑会議ホール︑事務室などを備えた多目的
施設である︒裏庭には百人あまりの人を収容できる老人ホームである﹁慈恩林安老院﹂が建てられている︒ここは
中国語圏における「人間仏教」
﹁人間仏教﹂の理念を弘めるセンターとなっているとともに︑シンガポールの仏教社会福祉協会の所在地ともなっている︒演培はこの施設を利用して︑毎月︑生活に困っている人︑孤独にしている老人や不幸に遭った家庭に必要
な物資を提供したり︑また︑自ら病院や障害者施設︑孤児院を訪問し︑見舞いに行ったりして︑﹁人間仏教﹂の理
念を行動をもって︑シンガポール社会に実現させようとした︒その行動がシンガポール政府にも認められ︑政府から﹁公共服務勲章﹂が二度贈られた︒
太虚の弟子ではないが︑太虚の﹁人間仏教﹂の理念を東南アジアの中国人社会に弘めるのに熱心だった人も多
い︒彼らはそれぞれマレーシア︑シンガポール︑フィリピンなどで道場を建立し︑それらを拠点に仏教の普及活動
に努めていた︒その中で︑広洽︵一九〇一︱一九九四︶が﹁星州弥陀学校﹂を創設している︒これは中国語教育︑仏
教知識の普及を内容とする初等教育施設であるが︑﹁人間仏教﹂の理念に基づいている点が注目に値する︒
いずれにせよ︑﹁人間仏教﹂の東南アジアの中国人社会における伝播は基本的に太虚の弟子たちによって構成さ
れた第一世代のネットワークの存在が大きかった︒しかし︑その実践活動がまだ開拓期であったため︑小規模のものが多い︒一方︑第二世代︑第三世代になると︑様子が一変する︒中でも台湾の星雲の仏光山の進出には目を見張
るものがある︒
② 星雲の仏光山の進出 星雲は一九八〇年代から東南アジアに目を向け始めたが︑彼の名がマレーシアの中国人社会に知られるきっかけ
となったのは︑星雲の書物であり︑﹃釈迦牟尼仏伝﹄︵一九五五年出版︶という入門書がその最初だという︒さらに
﹃星雲大師講演集﹄の単行本も人気のようで︑一九八三年刊行のマレーシアの﹃仏教文摘要﹄︵第三一期︶の広告欄
に﹁星雲法師著作﹃仏教財富観﹄︑本会︑これまですでに一万冊印刷﹂とあり︑星雲の﹃仏教財富観﹄が一万冊も
印刷されていたことがわかる︒星雲の﹃人間的仏教﹄も印刷され︑流通していた︒
それらの影響もあって︑﹁人間仏教﹂は星雲の書物を通じて︑次第にマレーシアの中国人社会に伝わっていくが︑
とりわけ注目したいのが一九七九年に成立した﹁浄妙仏教協会﹂という団体である︒この団体は仏光山と無関係で
ありながら︑仏光山の理念をほぼ完全に受け入れ︑しかもそれを自分たちの活動の指針としている︒例えば協会の指南によれば︑﹁念仏をもって人の心を浄化させること﹂︑﹁教育をもって人材を養うこと﹂︑﹁文化をもって仏法を
弘めること﹂︑﹁結縁をもって衆生を救うこと﹂︑﹁慈善をもって社会の福利をはかること﹂の五つをその宗旨として
いるが︑これは上に見た仏光山のそれをほぼ踏襲していると言ってよい︒さらに︑﹁大衆を先に︑自分を後に﹂︑
﹁世間を先に︑出世間を後に﹂︑﹁生活を先に︑修行を後に﹂︑﹁生を先に︑死を後に﹂︑﹁法に依り︑人に依らず﹂という考え方も︑星雲の捉え方を踏まえたものであると認められる︒この団体は﹁人間仏教﹂を団体の理念としてお
り︑﹁人間仏教は仏教の教えであり︑人々の心を浄化させ︑家庭の仏教化︑社会の改良︑人類の進歩︑国家の繁栄︑
世界の平和を目指すこと﹂を目的としている I︒ 星雲はさらにマレーシアに本格的な進出を図ろうとしている︒現在は僧侶を対象とする﹁仏光山東禅寺﹂︵クアラ
ルンプール︶﹁仏光山新馬寺﹂︵ジョホール州︶が建てられているほか︑在家信者を中心とする﹁マレーシア仏光協会﹂
が設置されている︒台湾にある仏光山を﹁本山﹂とし︑こちらの寺院を﹁別院﹂とする組織体系であり︑仏光山の国際弘法を全体の枠組みに取り入れて︑教育事業︑福祉事業などが展開されている︒仏光山はマレーシアのほか︑
シンガポール︑フィリピンなどにも道場を建てている︒仏光山の進出によって︑東南アジアの中国人社会における
中国語圏における「人間仏教」
﹁人間仏教﹂の受容の様子が一変したと言ってよい︒③ 第三世代︑在家居士の活躍 今日の東南アジアにおける﹁人間仏教﹂の受容は︑もちろん︑星雲の仏光山の存在ばかりではない︒例えば竺摩
の弟子の継程︵一九五五︱︶ら第三世代も活躍しており︑これらの勢力も積極的に﹁人間仏教﹂を推し進めている︒継程はもともと台湾の仏光山に学び︑師の竺摩の人脈を通じて︑台湾の印順や法鼓山の聖厳︵一九二九︱二〇〇九︶
との間に太いパイプを持っており︑マレーシアの中国人仏教徒の間では重鎮の一人である︒他方︑在家居士の団体
も数多く結成されており︑例えば﹁マレーシア仏教青年会総会﹂がその一つである︒これは一九七〇年に若い中国
系の人たちによって結成された在家組織だが︑二〇一〇年に創立四〇周年を迎えたその記念行事の一環として︑
﹁印順導師の思想と世界﹂と題する国際シンポジウムが挙行された︒筆者もこれに参加する機会に恵まれたが︑シ
ンポジウムのメインテーマは印順の﹁人間仏教﹂思想の検討だった︒同総会の活動報告をみると︑近年︑印順の
﹁人間仏教﹂をテーマとした座談会が度々開催されているという︒こういった在家団体での﹁人間仏教﹂の受容および実践活動も無視できないであろう︒
以上はマレーシア︑シンガポールの事例の一部を中心に取り上げてみたが︑フィリピン︑ミャンマーなどの国々
でも太虚の弟子らがかつて活躍していたのであり︑各国における﹁人間仏教﹂の受容には目を見張るものがある︒それらについては︑今後の課題としたい︒
おわりに
││ ﹁人間仏教﹂をどう捉えるべきか ││
では﹁人間仏教﹂の思想およびその実践について︑いったいどのような分析枠が有効であろうか︒本稿を結ぶに
あたり︑この問題について︑すこし触れておこう︒
例えば︑仏教の﹁近代化﹂という捉え方についてである︒アメリカの仏教学者のドナルド・ロベスが﹁近代仏教﹂という概念を提唱し︑その特徴として︑呪術や儀礼の否定︑仏陀への回帰︑平等性︑普遍性︑個人性などを指摘し
たことはよく知られている︒ロベスは﹁近代仏教﹂を論じた著で太虚も取り上げており︑太虚の﹃仏教と科学﹄が
紹介されている J︒ロベスの説に立つならば︑太虚の﹁人間仏教﹂の主張は仏教思想の近代的再解釈であり︑その意
味で﹁近代仏教﹂と位置づけられる︒しかし︑他方︑太虚のそうした主張の背景には︑すでに述べたように︑俗世間のことに全く無関心で︑もっぱら死者の供養に没頭していた当時の中国仏教僧団内部の事情があったのだが︑そ
れは宋代以降︑中国仏教が衰退していったことを背景とする中国仏教自身に由来する問題意識であり︑西洋の近代
化による影響という文脈はむしろ二次的であった︒また︑太虚自身はその仏教改革の初期において︑近代化された
﹁日本仏教﹂をモデルとして︑日本仏教界との連携を模索しようとしていたが︑後に日本の中国への侵略が現実と
なったため︑日本仏教への期待が失望に変わり︑抗日運動へと発展した︒つまり︑﹁人間仏教﹂を理念とした太虚
の仏教復興運動は︑近代日本から影響を受けながらも︑近代日本の仏教と同列に扱うことができない異質性を同時に持っている︑ということである︒太虚の﹁人間仏教﹂の提唱にそうした多重の意味構造があったとすれば︑太虚
の﹁人間仏教﹂の位置づけを考える際︑そうした要素についての検討が不可欠であろう︒
中国語圏における「人間仏教」
また︑Engaged Buddhism︵社会参加型仏教︶という捉え方についてである︒これは本特集号のテーマである
﹁宗教と越境﹂にも関連してくる問題であるが︑台湾の星雲の仏光山や証厳の﹁慈済会﹂をはじめ︑東南アジアの
中国人社会における﹁人間仏教﹂の実践について︑これまでの多くはそれを中国版のEngaged Buddhismと捉え てきた K︒それらの実践活動の社会的側面に注目するならば︑﹁人間仏教﹂は立派なEngaged Buddhismであるといえる︒しかしながら︑﹁人間仏教﹂の実践的な活動を支えているのはもちろんその理念であるが︑中国人という
ネットワークによる点も見落としてはならない︒つまり︑﹁人間仏教﹂という理念のもとに行われているさまざま
な実践活動は︑太虚の弟子らによって構成されている中国人のネットワークがその担い手となっており︑中国人と
いうネットワークから﹁越境﹂しておらず︑中国語圏にとどまっているということである︒﹁人間仏教﹂における
﹁越境﹂はあくまでも地理的な意味においてであり︑中国語という文脈の﹁境﹂を越えていないのである︒これに
対して︑Engaged Buddhismを最初に言ったのはベトナム出身のティク・ナット・ハンという僧侶であるが︑現 在︑それは主に欧米の人々によって受け入れられ︑実践されており︑ベトナム人から欧米人へと﹁越境﹂しているのである︒また︑そもそもEngaged Buddhism という概念はベトナム戦争の時に反戦運動の中から生まれたもの
であるという背景を持っており︑政治的意味合いを当初から帯びている︒この点も仏教の復興の指導理念として提
唱された﹁人間仏教﹂の文脈とは異なっているといえよう︒さらに言えば︑実は運営の手法は特殊的であり︑例えば仏光山の場合は︑中国大陸の太虚の流れを受け入れながらも︑むしろ日本仏教の﹁本山﹂と﹁末寺﹂の組織の運
営の仕方を参考にしており︑また新興宗教の手法を取り入れているところもある︒これは証厳の﹁慈済会﹂につい
ても同様で︑﹁慈済会﹂の場合はむしろ中国南部の民間に見られる﹁斎教﹂の色彩が強いと思われる︒したがって︑
Engaged Buddhismというカテゴリーで﹁人間仏教﹂の実践を捉えようとした場合︑そうした特殊的複合的要素
が見逃されてしまう危険性があるといえよう︒
﹁人間仏教﹂は確かに今日の中国語圏における仏教の特徴である︒しかしながら︑それを学問的に捉える場合︑
中国語圏における歴史的社会的政治的文脈を重視する視点が必要であり︑それを無視して︑表面の言説や現象のみ
に注目するのは妥当性を欠くものといえよう︒それと同時に︑例えば︑マレーシアでは︑イスラム教という大きな存在の中でマイノリティ宗教でありながら︑﹁人間仏教﹂がその独自の路線を歩み︑その実践活動を可能にしたわ
けだが︑その背景とは一体何かについての検討も必要であろう︒ともあれ︑﹁人間仏教﹂をどう捉えるべきか︑ま
た︑どのような視点が有効であるかについての検討は今後の課題として残るであろう︒
注︵
︵ 全書﹄からの引用はこの善道寺版によった︒ 1︶太虚﹁我的仏教改進運動略史﹂︵﹃太虚大師全書﹄第二九冊︑善導寺仏経流通処︑一九五六年︶︑一一四頁︒本稿の﹃太虚大師
︵ 2︶何燕生﹁解説﹂︵浄慧︵井上浩一ほか訳︶﹃生活禅のすすめ﹄山喜房佛書林︑二〇一二年︶を参照︒
︵ ロジェクト︑二〇一八年︶は禅の理解をめぐる太虚と印順の捉え方の違いを中心に論じたものである︒ てはいるが︑﹁慈済会﹂が中心である︒また︑伊吹敦﹁人間仏教における禅評価の問題﹂︵﹃国際禅研究﹄二︑東洋大学国際禅プ ││台湾の社会参画仏教﹁慈済会﹂﹄︵白馬社︑二〇〇五年︶を挙げることができる︒﹁人間仏教﹂についても簡略的に紹介され 3︶日本語で発表された研究成果の中で︑管見に及んだ限りでは︑比較的纏まったものとして︑金子暁﹃驚異の仏教ボランティア
︵ 4︶太虚﹁人生仏教解題﹂︵﹃太虚大師全書﹄第三冊所収︑二一七頁︶を参照︒
︵ 5︶中国文化では﹁鬼﹂は一般に亡霊を指す︒人が亡くなると﹁鬼﹂になると言われるのは︑道教の影響によるものであろう︒ 6︶詳細は太虚﹁建設人間浄土論﹂︵﹃太虚大師全書﹄第四七冊所収︶を参照されたい︒