吉蔵『大品経玄意』の研究
菅 野 博 史
1.
はじめに
吉蔵(549–623)の『大品経義疏』は,大日本続蔵経に収められているが,大正 新脩大蔵経には収められていない.全10巻であるが,第二巻を欠いている1).写 本の質が悪く,とくに巻第四の前半は判読不明の箇所が多い.本疏は,いうまで もなく鳩摩羅什訳『大品般若経』27巻の注釈書である.吉蔵の『般若経』関連 の注疏には,『大品経義疏』以外に『金剛般若疏』4巻,『仁王般若経疏』6巻が ある.『大品遊意』については,吉蔵ではなく,慧均の著述であることを推定す る仮説も提示されている2).平井俊榮氏は,『大品経義疏』の冒頭にある「胡吉 蔵法師 開皇十五年正月二十日記」(SZ24, 196a8–9.以下,頁段行のみ記す)を踏 まえて,吉蔵の会稽嘉祥寺時代の 述書であることを認めたうえで,『大品経義 疏』巻第一に相当する『大品経玄意』のみは,『涅槃経遊意』『二諦義』『勝鬘宝窟』 『金剛般若疏』『法華遊意』『維摩経義疏』『法華玄論』『法華義疏』『大品遊意』の 九部を踏まえた晩年の著作であると推定する村中祐生説を批判した3). さて,『大品経義疏』巻第一は,「摩訶般若波羅蜜経」という経題の解釈を主な 内容としており,とくに『大品経玄意』とも名づけられている.『大品般若経』 の注釈に入る前に,三論学派における『大品般若経』と『涅槃経』に対する講義 の伝統について,「上(→止)觀師六年在山中,不講餘經,唯講大品.……然山門 已來,道義不作章段.唯興皇法師作二諦講,開十重者,此是對開善二諦十重故 作.其外並無.後人若作章段者,則非興皇門徒也」(196a10–21)と述べている. これによれば,止観寺僧 (山中大師,生没年未詳)は『大品般若経』のみを講義 したが,弟子に『涅槃経』の講義を繰り返し求められ,本無今有偈4)のみを講義 したのである5).また,興皇寺法朗(507–581)は,『大智度論』を得て講義をし, また『大品般若経』を講義する際に,信頼すべき解釈として,三論と『大智度 論』があったことを述べ,さらに,二諦義の解釈以外では,経典を注釈する際に,章段を設けないことが法朗以降の三論学派の伝統であることを述べている.
2.
『大品経玄意』の全体の構成と科段
先の引用文の後に,「今前釋此經題.言摩訶般若波羅蜜經者,此有四句.一摩 訶,二般若,三波羅蜜,四修多羅.雖有四句,只成一句.今離為四句釋之.」 (196a22–24)とあり,随文釈義に入る「前」に,「摩訶般若波羅蜜經」という経題 を「摩訶」「般若」「波羅蜜」「經」の四句に分けて解釈すると述べている.ただし, 『大品経玄意』の全体は,下に記す科段の通り,10章から成っており,この経題 釈は第一章に該当する.その点が冒頭に記されていないことは,先の僧 に関す る引用文が唐突であることとともに,本疏が体系性を欠いているという印象を与 える.とくに,この第一章(本文には,第二章から第十章までと相違して,第一章であ ることにも言及していない)の記述は体系性を欠いているといわざるをえない.以 下に,筆者による科段を記す.数字の後の( )には,『新纂大日本続蔵経』所収 本の頁・段・行を記す.項目名については,本文の表現を利用するが,筆者が便 宜的に付ける場合もあり,内容の要約を示す場合もある. 0. (196a10) 序. 1. (196a22) 経題釈. 1.1. (196b1) 摩訶を釈す. 1.1.1. (196b5) 不可翻. 1.1.2. (196b8) 摩訶を大・勝・多と翻訳する. 1.1.3. (196b10) 大・多・勝の三義のなかで,大を正しい翻訳語とする. 1.1.3.1. (196b18) 過去の三説の紹介. 1.1.3.1.1. (196b18) 招提寺慧琰の十義(境大・人大・体大・用大・因大・果大・導大・離過 大・力用大・教大). 1.1.3.1.2. (196c5) 慧琰より後代の人の五義(境大・体大・用大・因大・果大). 1.1.3.1.3. (196c9) 霊観法師の四義(果果大[『涅槃経』],果大[『華厳経』],果大・果果大 [『大集経』],因大[『般若経』]). 1.1.3.2. (196c15) 問答. 1.1.3.2.1. (196c15) 第一問答̶三説に対する褒貶があるのかという質問に対して,吉蔵の立場 からあると答え,具体的に慧琰の十義に対する批判を行う. 1.1.3.2.2. (196c20) 第二問答̶智大と法大をなぜ立てないのかという吉蔵の立場からの質問 に対して,慧琰の立場から法大を立てない理由を答えている. 1.1.3.2.3. (196c22) 第三問̶吉蔵の立場から,第二答の理由に基づけば,用大を立てる必要 がなくなると批判するが,答えはない.続けて,後代の人の五義と霊観法師の四義に対して批判する. 1.1.3.2.4. (197a7) 第四問答̶三説を批判するだけでなく,それらの説と類同した解釈を提示 する.『十二門論』を引用して大の六義(待大,果大,果大・人大,因大,得大・離大,境 大・智大)を提示し,さらに『涅槃経』の相待大・絶待大,『大品般若経』の相待空(十八 空)・絶待空(独空)6)に言及して,三論一家には,相待大・絶待大があることを述べる. 1.1.3.3. (197a22) 相待大・絶待大を明かす. 1.1.3.3.1. (197b2) 第一問答̶なぜ相待大・絶待大を明かすのかに答える. 1.1.3.3.2. (197b8) 正しく相待大・絶待大の名を明かす.いくつかの問答がある. 1.1.3.3.3. (197c2) 大小の四句を明かす. 1.1.3.3.3.1. (197c4) 非大非小(病を洗う・中[道]の義を釈す). 1.1.3.3.3.2. (197c8) 非大非小は大小に結帰す(双遊の義,体用の義). 1.1.3.3.3.3. (197c10) 非大非小は偏えに大に結帰す(嘆美引進の義). 1.1.3.3.3.4. (197c13) 非大非小は小に結帰す(昔の小乗,王宮の生). 1.1.3.3.3.5. (197c16) 問答. 1.1.3.3.3.6. (198a7) 有方待・無方待の四句,有方絶・無方絶の四句7). 1.1.3.3.3.7. (198a15) 問答̶三種の絶(究竟絶・漸捨絶・待絶). 1.1.3.3.3.7.1. (198a16) 究竟絶. 1.1.3.3.3.7.1.1. (198a17) 波若の絶. 1.1.3.3.3.7.1.2. (198a20) 涅槃の絶. 1.1.3.3.3.7.1.3. (198a22) 第一義悉檀の絶. 1.1.3.3.3.7.2. (198a23) 漸捨絶. 1.1.3.3.3.7.3. (198b4) 待絶. 1.1.3.3.3.8. (198b6) 五つの問い(主に絶待大という名称についての問題). 1.1.3.3.3.9. (198b23) 問答̶絶待大と四悉檀との関係. 1.1.3.3.3.10. (198c9) 諸問答. 1.1.3.3.3.11. (199a18) 大の義を釈す. 1.1.3.3.3.11.1. (199a18) 第一問答―大の義について,四種の旧釈(広博の義,包含の義,常の 義,莫先の義)を明かす. 1.1.3.3.3.11.2. (199b13) 四種釈(依名釈・竪釈・横釈・無方釈)による大の解釈. 1.2. (199c20) 般若の義を釈す. 1.2.1. (199c20) 天竺の梵音を明かす. 1.2.2. (200a10) 此の土(中国)の翻訳を明かす. 1.2.2.1. (200a10) 六家(道安の「清浄」,敷法師の「遠離」,ある師の「明度」,『大智度論』 第十八の「慧」,『大智度論』巻第四十三の「智慧」,慧琰の不可翻)を明かす. 1.2.2.2. (200b4) 六家を批判する. 1.2.2.3. (200b4) 般若深重と『涅槃経』の「波若者謂諸衆生」との会通. 1.2.2.4. (200b4) 般若を智慧と翻訳することに関連して,持公の三種波若(実相波若・方便 波若・文字波若)を批判して,実相波若・観照波若・文字波若の三種波若を明かす.
1.2.2.5 (201b10) 五種毘曇(自性毘曇・共有毘曇・方便毘曇・境界毘曇・文字毘曇)と三種 波若との関係を明かす. 1.2.2.6 (201c10) 更に三波若を釈す̶持公の方便波若を批判する. 1.2.2.7 (202a10) 智,慧,見,忍の区別を明かす. 1.2.2.8 (202c23)波若についての解釈. 1.2.2.8.1 (202c23)龍樹以前の六解(無漏慧根,有漏,初発心から金剛三昧までの因位,有 漏・無漏,有為・無為,離四句絶百非)を明かし,批判する. 1.2.2.8.2 (203b21) 南土の解釈̶空解を波若としたうえで,その空解に真解と似解とがあり, これについて種々の議論を展開する. 1.2.2.8.3 (204c9) 断伏の義を明かす. 1.2.2.8.3.1 (204c9) 中仮の断伏(説明は「中仮義」に譲っている). 1.2.2.8.3.2. (204c12) 道(導)の義(引導の導,開導の導,導成の導の三義と導前の義,導 後の義,導前後の義の三義)を明かす. 1.3. (205b22) 波羅蜜を釈す. 1.3.1.(205b22)三音(波羅伽・波羅蜜・阿羅蜜)と訳語(度彼岸・彼岸到・遠離). 1.3.2.(205c1) 波羅蜜の三翻(彼岸到・事究竟・度無極). 1.3.3.(205c5) 三種波若(実相波若・観照波若・文字波若)と三種波羅蜜(実相波羅蜜・観 照波羅蜜・文字波羅蜜)の対応関係. 1.3.4.(205c24) 到彼岸と度彼岸との同異. 1.3.5.(206a11) 度についての二釈(永免8)と究竟). 1.3.6. (206a21) 波若と波羅蜜との同異. 1.3.7. (206c2) 此岸と彼岸の定義(智蔵の説,僧旻の説,三論一家の説). 1.4. (207a19) 修多羅を明かす. 2. (207a19) 経を説く意を序ぶ. 3. (208a2) 部党の多少を明かす. 4. (208b4) 開合を辨ず. 5. (208b21) 前後を明かす. 6. (208c5) 経宗を辨ず. 7. (208c19) 顕密を明かす. 8. (209c20) 教を辨ず. 9. (210b20) 伝訳を明かす. 10. (210c13) 文に依りて解釈す.
3.
内容考察
『大品経玄意』そのものが体系的でないので,この科段表も必ずしも体系的で はない.これによれば,『大品経玄意』第一章の経題釈は,全体の7割を占める 分量である.吉蔵が,全体を組織体系化しないままに,さまざまな議論を盛り込 むことを目指したような印象を受ける.さまざまな問答が羅列されていることや,1.1.「摩訶を釈す」のほかに,摩訶の正しい訳語を「大」としているにもかか わらず,改めて1.1.3.3.3.11.「大の義を釈す」を設けるなど,全体的に整理されて いない.この部分については,伊藤(1975)の比較的詳しい説明がある.本稿で は第二章以下について,簡潔な考察を加えるに止める. 第二章「経を説く意を序ぶ」は,『大品般若経』を説く理由を九つ取りあげて いるが,『大智度論』巻第一に説かれる理由(T25, 57c–62cを参照)の一部を採用し たものである.『金剛般若疏』巻第一(T33, 84a8–85a17を参照)に,類似の記述があ り,しかもより詳しい.両者を比較すると,『大品経玄意』が先行する『金剛般 若疏』の記述を要約したように思われる(下に記すように,二著の間に類似の箇所が ある場合も同様).また,博地(薄地)の凡夫から十地以前は般若を学ぶべきことを 指摘している9). 第三章「部党の多少を明かす」は,般若部の経典について,いくつかに分類し て説明している.『金剛般若疏』巻第一(T33, 86a23–c18を参照)に類似の記述があ り,しかもより詳しい(以下,両者に類似の記述がある場合,『金剛般若疏』が詳しい). 第四章「開合を辨ず」は,『般若経』になぜ多部があるのかという問題を考察 している.『金剛般若疏』巻第一(T33, 86c23–87a17を参照)に類似の記述がある. 第五章「前後を明かす」は,『大品般若経』と『金剛般若経』の説時の前後に ついて議論している.結論は,『般若経』のみでなく,すべての経の説時は固定 したものではないというものである.『金剛般若疏』巻第一(T33, 87a18–c3を参照) に類似の記述がある. 第六章「経宗を辨ず」は,『般若経』の宗体について述べている.過去におい て境,智,因,果を宗とする説があったことを紹介しているが,それ以上の議論 は省略している.ただし,三論学派の立場として,「不同不異,不自不他,無依 無得,一無所住,即是波若之玄宗.有所依住,皆非波若宗也」 (208c8–10),「波若 非因非果,正以因果為宗,故云,因名波若,果名 婆若.此因果表其正體非因非 果也」(208c16–17)と述べている.『金剛般若疏』巻第一(T33, 87c4–88b17を参照)に, 類似の記述がある. 第七章「顕密を明かす」は,いわゆる顕密四門,傍正四門を説く.顕密四門 は,菩 と声聞に対する顕露,秘密という教化態度に基づいて,諸経の特徴を整 理した一種の教判思想である.『法華遊意』(T34, 645a8–18),『浄名玄論』巻第七 (T38, 900b1–11),『維摩経義疏』巻第一(同前,909b24–c4),『三論玄義』(T45, 5c10– 19)にも見られる.傍正四門は,真実と方便をどのように説くか(正と傍)に基づ
いて,諸経の特徴を整理した一種の教判思想である.『法華遊意』(T34, 645a25– b6),『浄名玄論』巻第七(T38, 900b12–23),『維摩経義疏』巻第一(同前,909c11–28) にも見られる.その後,『法華経』と『般若経』の比較について多くの問答が展 開されている10). 第八章「教を辨ず」は,教判について議論している.冒頭に,「南方五時之說, 北土四宗之說,無文傷義.昔已詳之.今略而不述也」(209c20–21)とあるが,おそ らく『法華玄論』に説明を譲ったものであり,「或始終 大,或初後竝小,或始 小終大,或始大終小」(209c23–24)とあるのも,『法華玄論』巻第三(T34, 384b16– 20)と類似したものである. 第九章「伝訳を明かす」は,『大品般若経』の翻訳について説明する段である. 朱士行が于 において『大品般若経』を入手した際のエピソードについて説いて いる.『金剛般若疏』巻第一(T33, 90b22–c10を参照)にも「辨伝訳」はあるが,経 典が異なる(『大品般若経』と『金剛般若経』)ので,内容も当然異なる. 第十章「文に依りて解釈す」は,『大品経義疏』巻第二以降の随文釈義を指し 示したものである.釈義の基本的方針として,「而多依傍大論,亦義承有本,莫 疑也」(210c14)と述べている. 1)『大品経義疏』巻第八末に,「久安六年正月二十七日,以勸修寺本寫了次且 交了.無相大乘珍 海執筆」(『新纂大日本続蔵経』24, 305a12–13)とあり,珍海(1091–1252)が西暦1150年 に勧修寺のテキストを書写したことを記録している.また,巻第十末には,「嘉元三年 二月下旬候,以東南院古本,終交合切(→功)了.但彼本第二・第四欠之間,至第四卷 者,以真禪院本補之.第二卷者,兩本共欠. 尋他本,可書續者也」(同,345c17–20) とあり,1303年に,東南院の古本(おそらく珍海が書写した写本)を書写したこと,第 二巻と第四巻が欠けていたので,第四巻については真禅院の写本によって補ったことが 記されている.第二巻については,欠けたままである.『仏書解説大辞典』第七巻(494 頁)を参照.なお,続蔵本は底本,対校本について何も説明していないが,おそらく東 南院の古本を底本とし,脚注に出る「一本」は真禅院本を指していると思われる. 2)伊藤(1975)を参照.この論文は,『大品遊意』を考察の中心としながらも(吉蔵 述 を疑い,慧均の『大乗四論玄義記』の現存しない「般若義」に相当するかもしれないと 推定している),『大品経玄意』との比較をしている. 3)平井(1976, pp. 364–369)を参照.また,村中(1968, pp. 306–308)を参照. 4)『南本般涅槃経』巻第十,如来性品,「本有今無 本無今有 三世有法 無有是處」 (T12, 422c15–16)を指す. 5)この問題については,平井(1971, pp. 41–43)を参照.平井氏の研究によれば,僧 は 弟子たちがすでに『般若経』を理解しているのであるから,改めて『涅槃経』を講義す る必要がないと判断したこと,自分の残された寿命が五年以内なので,大部の『涅槃 経』の講義を終える十分な時間がないこと,『涅槃経』の一部について,無所得の立場か ら簡潔に解釈したことがあったこと,法朗は僧 に『涅槃経』について個人的に質問し,
その大意について口頭で指導を受けたことなどが示されている.また,菅野(2016)を 参照. 6)伊藤(1975, p. 103)に,「十八空等を相待とし,空独空を絶待義とせるものである」と あるが,「十八空等を相待空とし,独空を絶待義とせるものである」とすべきである. 『法華遊意』,「智度論云,十八空為相待空,獨空非相待空」(T34, 642a5–6)を参照. 7)「方」の意味について,伊藤(1975, p. 104)に,「『ならべる』の意味と受け取って良い と思われる」とあり,この解釈も可能であるが,「方」には比較するという意味もあると 思う.その場合は,大と小を比較対照的に取りあげる場合を「有方」とし,大と大,小 と小を対比する場合を「無方」としていると理解できる. 8)原文は「永免」に作るが,伊藤(1975, p. 111)は,『大品經遊意』,「度者水剋(一本に よって「勉」を改める)也」(T33, 65a14)に基づいて,「水剋」の方が適当であるとする. ただし,『大品経玄意』には,「聖永免顛倒義名為波羅蜜」(206a22–23)とあるので,「永 免」でも意味が通じる. 9)「所以從博地凡夫以上,乃至十地以還,皆須學波若也」(207c24–208a1)を参照. 10)菅野(1994, pp. 431–460)は,吉蔵の法華経疏における『法華経』と『涅槃経』の比較 について考察した.ここの議論と重なるものが多い. 〈参考文献〉 伊藤隆寿 1975 「大品遊意考(続) ̶経題釈を中心として」『駒澤大学仏教学部論集』 6: 97–120. 菅野博史 1994 『中国法華思想の研究』春秋社. ― 2016 「吉蔵の涅槃経観̶『涅槃経遊意』を中心として̶」『印度学仏教学研究』 65(1): 449–441. 平井俊榮 1971 「中観論疏における涅槃経の引用̶その思想的背景̶」『駒澤大学仏教 学部論集』2: 35–55. ― 1976 『中国般若思想史研究̶吉蔵と三論学派̶』春秋社. 村中祐生 1968 「吉蔵著作の編年の考察」『印度学仏教学研究』16(2): 364–369. 〈キーワード〉 吉蔵,『大品経義疏』,『大品経玄意』,『金剛般若疏』 (創価大学教授,文博)