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日・黒海地域関係研究会第3回会合「ウクライナ危機と冷戦後の欧州国際秩序」

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日・黒海地域関係研究会第3回会合「ウクライナ危機と冷戦後の欧州国際秩序」   ― 速 記 録 ―  2014年 12月           グローバル・フォーラム

THE GLOBAL FORUM OF JAPAN

日・黒海地域関係研究会第3回会合

「ウクライナ危機と冷戦後の欧州国際秩序」

- 速

記 録 -

基調報告を行う六鹿代表

2014年11月26日

2014年12月

グローバル・フォーラム

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ま え が き

この速記録は、2014年11月26日に開催された第3回日・黒海地域関係研究会「ウクラ イナ危機と冷戦後の欧州国際秩序」(報告者:六鹿茂夫「日・黒海地域関係研究会」代表)に関 する当フォーラム「日・黒海地域関係研究会」の会合の議論のもようを取りまとめたものである。 本年3月18日のロシアによるクリミア併合に端を発した一連のウクライナ危機は、ウクライ ナ東部における戦闘激化、マレーシア航空機の撃墜、一般市民避難民への砲撃などと続き、未だ 解決の目処がたっていない状況である。この度の一連のウクライナ危機は、ロシアによって突発 的に起こされた一地域紛争ではなく、その背景には、西欧とロシアの間に位置するバルト海から 黒海にいたる地域で、諸大国が長年にわたり権力闘争を繰り返し、複雑な国際政治が展開されて きた、という経緯がある。また、グルジア紛争など、これまでのロシアの旧ソ連地域に対する攻 勢にも留意する必要がある。したがって、この度のウクライナ危機によって欧州の国際秩序、延 いては国際社会全体の秩序が激しく揺さぶられる可能性があり、この危機の本質を理解して如何 に対応するかを検討することは、喫緊の課題である。 この研究会は、このような問題意識のもとで第3回日・黒海地域関係研究会「ウクライナ危機 と冷戦後の欧州国際秩序」として開催されたものである。当日は六鹿代表から基調報告を受け、 その後出席者全員で自由討論をおこなった。 なお、「速記録」は、この「研究会」の内容につき、その成果をグローバル・フォーラム等各 方面の関係者に報告するものである。なお、本「速記録」の内容は、当フォーラムのホームペー ジ(http://www.gfj.jp)上でもその全文を公開している。ご覧頂ければ幸いである。 2014年12月26日 グローバル・フォーラム代表世話人 「日・黒海地域関係研究会」顧問 伊藤 憲一

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第3回日・黒海地域関係研究会

「ウクライナ危機と冷戦後の欧州国際秩序」

(報告者:六鹿茂夫「日・黒海地域関係研究会」代表)

(2014年11月26日)

―速記録―

目 次

1. 概要メモ………1

2. 速記録………4

(1) 伊藤憲一「日・黒海地域関係研究会」顧問の挨拶………4

(2) 六鹿茂夫「日・黒海地域関係研究会」代表の基調報告………5

(3) 出席者間の意見交換………15

3. 六鹿茂夫「日・黒海地域関係研究会」代表の配布資料………23

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1.概要メモ

2014年11月26日 グローバル・フォーラム事務局 当フォーラムは、その実施している「日・黒海地域対話」および「日・GUAM対話」を理論的にサポートす るため、「日・黒海地域関係研究会」(代表:六鹿茂夫静岡県立大学教授)を別途設置しているが、この度当フォー ラムは、研究会の六鹿代表を報告者にお迎えし、「ウクライナ危機と冷戦後の欧州国際秩序」と題して、下記1.~ 5.の要領で研究会を開催したところ、六鹿代表の冒頭報告の概要は下記6.のとおりであった。その後の自由討 論の詳細は割愛する。 1.日 時:2014年11月26日(水)16:00~18:00 2.場 所:日本国際フォーラム会議室(港区赤坂 2-17-12 チュリス赤坂 8 階 803 号室) 3.主 催:グローバル・フォーラム 4.テーマ:「ウクライナ危機と冷戦後の欧州国際秩序」 5.報告者:六鹿 茂夫 「日・黒海地域関係研究会」代表/静岡県立大学教授 出席者:21名(○は発言者) 【グローバル・フォーラム】 ○伊藤 憲一 「日・黒海地域関係研究会」顧問/グローバル・フォーラム代表世話人 伊藤和歌子 「日・黒海地域関係研究会」メンバー/日本国際フォーラム研究室長 織田 一 朝日新聞社特派員 〇木下 博生 全国中小企業情報化促進センター参与 佐藤真千子 「日・黒海地域関係研究会」メンバー/静岡県立大学国際関係学部講師 高畑 洋平 グローバル・フォーラム事務局長/日本国際フォーラム主任研究員 眞野 輝彦 元三菱東京 UFJ 銀行役員 〇湯下 博之 民間外交推進協会専務理事 渡辺 繭 「日・黒海地域関係研究会」幹事/グローバル・フォーラム常任世話人 【日本国際フォーラム】 石井 将勝 時事通信社外信部記者 〇大藏雄之助 日本国際フォーラム参与/異文化研究所代表 澤 英武 評論家 高橋 一生 元国際基督教大学教授 〇中川原俊輔 三井物産戦略研究所ロシア・東欧ビジネス推進センター長 新田 容子 日本安全保障・危機管理学会主任研究員 〇橋本 宏 元駐シンガポール大使 〇原 聰 日本国際フォーラム参与/京都外国語大学客員教授 松本 洋 日本国際協力システム顧問 山野 陽一 日立製作所営業統括本部戦略サポート本部長 【東アジア共同体評議会】 箱木 眞澄 東北大学名誉教授 (五十音順) 【進行司会者】 石川 薫 グローバル・フォーラム執行世話人 日本国際フォーラム専務理事 東アジア共同体評議会常任副議長

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6.六鹿茂夫「日・黒海地域関係研究会」代表/静岡県立大学教授の講話概要 (1)冷戦後の欧州国際秩序 ウクライナ危機についてはウクライナとロシアからのみ捉えるのではなく、19世紀以来の欧州国際政治の歴史 的連続性、2008年のグルジア紛争からの流れ、EU東方パートナーシップ首脳会議等の全体像からとらえる必 要がある。冷戦後ロシアは潜在的修正主義国となった。1989年のベルリンの壁崩壊後、ソ連のゴルバチョフ大 統領は冷戦後欧州国際秩序をNATOおよびWTO(ワルシャワ条約機構)の上にCSCEを「欧州共通の家」とし て構想し、集団安全保障機構を創り出そうとしていた。しかし、ドイツ統一承認の条件としてブッシュ米大統領は 統一ドイツのNATO加盟を、またミッテラン仏大統領はEU創設をそれぞれ明言し、NATOとEUを中心とす る冷戦後の欧州国際秩序からロシアは排除された。その結果、冷戦後の欧州でロシアは発言力を持てなくなり、ロ シアは潜在的な修正主義国となった。 (2)「狭間の地政学」 19世紀以来、バルト海から黒海に至るロシアと欧州の狭間の地域はハプスブルク、オスマン、ドイツ(プロイ セン)およびロシアの4帝国による権力闘争の地であり、両大戦および冷戦はこの「狭間の地政学」をめぐる諸大 国の権力闘争の結果生じた。冷戦後もこの歴史的な連続性が見られ、中・東欧およびバルト諸国がEUに加盟した 2004年以降は、旧ソ連西域と南コーカサス-ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ共和国、アルメニア、アゼ ルバイジャン、グルジア-をめぐって、欧米とロシアは綱引きを展開した。 例えば、メドヴェージェフ露大統領は、NATOを骨抜きにする新欧州安全保障条約草案を提案したり(2009 年11月29日)、ミサイル防衛(MD)に関して、NATOとロシアがそれぞれの責任圏を設けるセクター方式を提 案したりした(2010年11月NATOリスボンサミット)。これ以降対露リセット外交は破綻し、NATOとロ シアの関係が悪化していった。他方EUは、2009年春から上記旧ソ連西域と南コーカサス6ヶ国を対象とする 「東方パートナーシップ」を開始した。これに対抗するため、プーチン氏が大統領再選後、包括的自由貿易協定(D CFTA)と両立しないロシア、ベラルーシ、カザフスタンからなる関税同盟への加盟をウクライナに促し、ウクラ イナのEUへの接近に歯止めを掛けようとした。 (3)「価値」をめぐるトランスナショナルな協力と対立の構造 このような「狭間の地政学」をめぐる諸大国間の権力闘争という歴史的連続性とは別に、非連続性にも目を向け る必要がある。ヒットラーのドイツとスターリンのソ連は東欧諸国民の意思に反してこの地域を占領下したが、E UやNATOの東方拡大は、東欧諸国民が希望したものである。しかも、EUやNATOは、民主化、市場経済、 軍の文民統制などコペンハーゲン基準や加盟行動計画(MAP)を満たした国から加盟を認める方式を採用した。 その結果、EUないしNATOへの加盟を望む人々と、ロシアへの接近を望む人々との間で、民主化など価値をめ ぐる対立が高じていき、バラ革命やオレンジ革命など、所謂色革命が生じた。しかし、価値をめぐるこの対立は、 国内にとどまることなく、国境を越えたトランスナショナルな対立と協力の構造へと発展していった。ロシアが、 欧米とは異なる固有の伝統的文明を有する国であるとして、「主権民主主義」を盾に欧米の民主主義に対抗する姿勢 を強めたからである。とりわけ、大統領再選後のプーチン氏は、旧来の権力基盤であるリアリスト勢力に加え、民 族主義勢力も権力基盤とするようになり、欧米民主主義との対抗姿勢を鮮明にした。 このような状況下において、ウクライナで生じたユーロ・マイダン革命(2014年2月)は、プーチン政権にと って二つの意味を有した。一つはユーロ・マイダン革命がロシアに飛び火する危険性であり、もう一つは、ウクラ イナのEU(NATO)接近の加速化、ひいてはロシア勢力圏の喪失であった。そこで、ユーロ・マイダン革命に深 く関与して敗者となったプーチン大統領は、クリミア併合を敢行し同地をロシア連邦に帰属させることで、マイダ ン革命の敗者から一転、国民的英雄へと登り詰めたのである。 しかし、クリミア併合によってプーチン政権は安定したが、ウクライナの欧州接近を阻止できなくなった。と言 うのもクリミアの親露派の票が減るので、親欧米派が政権をとることになるからである。そこで、ロシアは、ウク ライナに連邦制を敷き、同国東部に親露的な共和国を創設して、同共和国に重要な外交問題に関する拒否権を含む 強大な自治権を供与することで、ウクライナのEUやNATOへの接近に歯止めを掛けようと、東部の分離主義支

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援に乗り出したのである。 (4)独露協調に変化:ドイツと対露制裁 ポロシェンコ・ウクライナ大統領は、今年4月6日に戦闘を開始した親露派武装勢力との停戦合意(6月20日の) の打ち切りを宣言(7月1日)して、ウクライナ東部奪還へ軍事作戦を展開した。するとその翌日に4ヶ国ベルリン 外相会議(独仏露ウクライナ)(7月2日)が開催され、即時停戦とコンタクト・グループ(OSCE、ウクライナ、 露)による協議再開が決定された。ここには、ウクライナ危機の解決に向けた、独露協調関係が見られた。しかし、 今秋メルケル独首相は休戦協定実施に向けイニシアティヴをとると宣言し、シュタインマイヤー独外相に代わって、 対ウクライナ、対露政策を指揮し始めた。同首相のブラティスラヴァ演説(10月20日)によると、ドイツによる 対露制裁解除は、「ミンスク和平合意」(休戦ラインおよびウクライナ・ロシア国境の国際機関による監視、ロシア の兵士および武器の撤収など)が実行された後に行われるべきであるとのことである。このメルケル演説を受け、E Uは対露制裁の継続を決定した(10月24日)。これら一連の流れやNATOウェールズ・サミット宣言などから、 ドイツでは対露政策をめぐって、首相府、外務省、国防省が対立しているのではないかと思われる。 (5)黒海国際関係への波紋 ロシアのクリミア併合により、黒海の軍事バランスが変化し、これまでの「ロシアとトルコの海」から「ロシア の海」へ変わりつつある。これに対して、NATOは少なからぬ危機感を抱き、黒海沿岸国との海軍軍事演習を行 ったり、ポーランド~ルーマニア~トルコの縦軸の同盟がミサイル防衛をめぐって形成されつつある。さらにクリ ミア・タタール問題があり、これが「トルコにとっても重要な国内問題である」と、駐キエフ米大使が自分(六鹿 教授)に述べていた。また、以前からロシアのサウス・ストリーム・ガスパイプラインとEUのエネルギー第三パ ッケージの対立があったが、昨年暮れ以降ブルガリア、セルビア、オーストリアが露ガスプロム社とサウス・スト リーム・パイプライン建設契約をした。こうした中、欧州委員会の中止要請を無視してブルガリアは国内法を改正 してこのパイプラインを建設しようとしたが、ジョン・マッケインら米国議員がソフィアを訪問して圧力をかけこ の建設を止めさせた。共和党の力が実感された。 (6)ウクライナ危機とGUAM GUAMの設立目的は、経済協力、分離主義問題および駐留ロシア軍問題に共同で対処することにある。OSC Eイスタンブール・サミット(1999年)で、NATOはCFE条約の批准条件として、ロシア軍のグルジアやモ ルドヴァからの撤退を掲げた。クリミア併合では、GUAM諸国はロシアによる侵略を非難し、国際法を遵守すべ しとして国連決議で共同歩調を取った。このGUAM各国の動静だが、まず、グルジアでは、与党内における権力 闘争の激化が注目を引いた。大統領が議会で親露派の首相およびオリガルキーで前首相を務めたビジナ・イヴァニ シヴィリを批判した(11月14日)。これに対し、首相は親欧米派閣僚(外相、国防相)を解任した。また、ロシ アはアブハジアで反大統領デモを仕掛け、ロシアとの同盟締結を迫るなど、アブハジアのクリミア化が進んでいる。 アゼルバイジャンは、東方パートナーシップ(EaP)および個別パートナーシップ行動計画(IPAP)に参加す るなど、EU/NATOとの協力関係を推進してきた。しかし、EUとの連合協定には調印せず、NATOへの加盟 を希望しないなど、アゼルバイジャンは全方位外交を展開している。 モルドヴァ共和国は、ウクライナと密接な協力関係を築いて来た。しかし、モルドヴァはトランスニストリア(沿 ドニエストル)で問題を抱えている。この地域には現在1500~2000人のロシア軍が駐留し、地理的にはウ クライナのオデッサまで陸路数時間で到達できる距離にある。したがって、ロシアが実効支配するクリミアからだ けでなく、このトランスニストリアからもロシア軍がウクライナに侵攻するのではないかと、西側諸国は懸念した。 さらに、モルドヴァはガガウズでも問題を抱えている。この地域の住民であるガガウズ人はトルコ系キリスト教徒 だが、現在ロシアに接近しており、ロシアはガガウズに対するワイン禁輸免除やガス価格値下げに同意するなど、 ガガウズを巧みに使ってモルドヴァ政府に揺さぶりをかけている。モルドヴァの将来にとり11月30日の議会選 挙は極めて重要であるが、そこでは、親欧米路線を行く与党諸政党と、関税同盟への参加を呼び掛ける共産党、社 会党、祖国など親露派政党の対決となろう。 (文責、在事務局)

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2.速記録

2014年11月26日 石川薫(司会) 本日はお忙しい中、また寒い日にもかかわりませずお集まりいただきましてありがとうございま す。 早速でございますけれども、日・黒海地域関係拡大研究会「ウクライナ危機と冷戦後の欧州国際秩序」と題しまし て、今日は、静岡県立大学教授、また日・黒海地域関係研究会代表でいらっしゃる六鹿先生に、お話、ご報告を賜り たいと存じます。六鹿先生、よろしくお願い申し上げます。 六鹿茂夫(「日・黒海地域関係研究会」代表) よろしくお願いいたします。 石川薫(司会) では45分程度、先生からお話をいただきまして、その後、ディスカッション、Q&Aというふ うに進めさせて頂きます。 冒頭、代表世話人の伊藤憲一より、一言ご挨拶を申し上げます。

(1)伊藤憲一「日・黒海地域関係研究会」顧問の挨拶

伊藤憲一(「日・黒海地域関係研究会」顧問/グローバル・フォーラム代表世話人) どうも、本日は皆さん、お忙 しいところ、ありがとうございます。 六鹿先生に代表をやっていただいている日・黒海地域関係研究会ですが、これはグローバル・フォーラムとして、 黒海地域、ブラックシー・エリアとの対話というのを、これはもう定期的にかなり積み重ねてきているわけですが、 それを理論的に支える狙いで研究会を組織していただいたわけですが、その後、黒海地域というと、もう20カ国を 超える諸国の集まりなものですから、それを東京でやるなどというと、なかなかそう簡単に動かないという状況があ るわけで、その中で、グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバの4カ国が、彼らの組織として、彼らの イニシアチブで、GUAMという国際機関をつくって運動しているわけですが、これまでは、日本として価値観外交 を世界的に展開する中で、黒海地域というのは大事だという認識だったのですが、さらに焦点を絞ると、GUAM4 カ国というのは重要なんだという認識にたどり着いていたわけなのですが、今回、我々にとってのGUAM諸国の重 要性が浮き彫りになったのではないかと思うのは、ウクライナ危機が発生して、私ども、当初は何となく日・黒海地 域対話を開催しようかなということになったわけですが、よく見てみると、黒海地域はロシアとロシア以外の国とで 真っ向から対立するという状態になってしまっていて、黒海地域というものは、ロシアがクリミア半島を奪取して、 ウクライナ東部2州について現状のような実質的占領状態、もちろん国際法に違反しているわけですが、このような 状況において、ちょっと日・黒海地域対話というのは、日本から見て成り立たなく、目の前でロシアとロシア以外が 大論争するのを、我々日本が、まあ味方するとすれば、ロシアでない側と立場が近いというか、法の支配ということ になるわけで、困ったなと言っていたわけですが、最近、GUAMの事務総長であるチェチェラシビリ氏と連絡もと れまして、どうもGUAM4カ国は一致してロシアの侵略を批判しているということのようなものですから。そして、 それはまた我々日本の立場でもあると思いますので、日・黒海対話が実質上難しいということの裏返しとして、むし ろこの際、日・GUAM対話をやりたいと。タイミングとしては来年になると思いますが。 そういう状況をご説明申し上げたのは、この研究会はある意味で日本側の理論武装の場で、もちろん対話にご出席 いただく諸先生には、個人の資格・立場でご自分の意見を自由に言っていただくつもりでおりまして、要するに言論 統制などするつもりは全くないのですが、それにしても、日本側内部で一度も議論したことがないというような状況 で、それで日・GUAM対話をやってみたら、四分五裂になる日本側は個人個人には勉強された結果なのであろうけ れども、日本側としてあまりにも何を言っているのかわからないというようなことでも、せっかく対話を日・GUA M対話として組織する理由がなくなるものですから、今日の「ウクライナ危機と冷戦後の欧州国際秩序」については、

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六鹿先生からいつものように我々の議論をリードするようなご報告をいただけると思いますが、その後、皆様、そう いう含みがあるということで、ご議論を深めていただきたいと、かように思うものですから、冒頭ちょっとお時間を いただいたということでございます。 石川薫(司会) それでは、よろしいでしょうか。六鹿先生、お願いいたします。

(2)六鹿茂夫「日・黒海地域関係研究会」代表の基調報告

六鹿茂夫 静岡県立大学の六鹿でございます。はじめに、伊藤憲一代表世話人様、石川薫執行世話人様、渡辺繭常 任世話人様、このような報告の機会を与えてくださいまして、ありがとうございました。また、悪天候にもかかわら ずご出席くださいました皆様方にも、心から御礼申し上げたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 さて、この写真(本速記録、23ページ参照)は、EUの東方パートナーシップ・サミットと並行して、昨年11 月末にリトアニアのヴィルニスで行われました、市民社会フォーラムのウクライナ・セッションです。東方パートナ ーシップ(EaP)とは、EUが2009年5月に、旧ソ連6カ国-ウクライナ、モルドヴァ、ベラルーシ、アゼルバ イジャン、アルメニア、グルジア-のEUへの接近、なかんずくEU加盟を切望するウクライナ、グルジア、モルド ヴァのEU加盟準備を目的に開始した政策です。このEaPサミットに合わせて、NGOによる市民社会フォーラム が行われ、主催国リトアニア政府から招待され、日本外務省からも要請がありましたので、私もこの市民フォーラム に参加しました。とても面白い会議で、ウクライナとの交渉にあたったクワシネフスキー元ポーランド大統領とコッ クス元欧州議会議長が、この1年半の間にウクライナを35回訪問し、ヤヌコーヴィッチと18回会談を行ったのに、 結局最後の段階で調印が流れてしまったとぼやいていたのが印象的でした。また、この写真にはヤツェニューク、ポ ロシェンコ、クリチコら野党指導者が映っていますが、この会議の3カ月後に彼らは政権に就き、その後ロシアによ るクリミア併合へと進んでいくわけです。 次の写真(本速記録、24ページ参照)は、私が2012年3月にクリミアを訪れたとき、セヴァストーポリの軍 事歴史博物館(正式名称は、セヴァストーポリ英雄的防衛・解放国立博物館)で撮った写真です。ロシア語で194 4年春のクリミア作戦と書かれており、ソ連軍がクリミアを解放した経路が示されています。今春のクリミア併合も、 ウクライナ本土とクリミア半島が交わる陸路を遮断し、シンフェローポリ空港ともう一つの空軍基地を閉鎖したうえ で、例の迷彩色の軍服を着た人達が突如現れて「治安」にあたるとともに、4万に上るロシア軍がウクライナを包囲 する中で、しかも、新政権によるロシア系少数民族に対する人権蹂躙の脅威がロシアのマスメディアによって喧伝さ れる中でいわゆる住民投票が行われ、クリミアのロシア連邦への帰属が宣言されたわけです。 このように、ウクライナ危機がウクライナとロシアの問題であることは言うまでもありませんが、この問題を冷戦 後の欧州国際秩序の文脈において考察することが報告の目的です。2008年8月、NATO拡大をめぐる欧米とロ シアの対立の中で、グルジア・ロシア戦争が起きましたが、ウクライナ危機はその延長線上で生じたものと考えてい ます。ただ、1週間前に、伊藤代表世話人様からGUAMについて話が聞きたいとのお電話をいただきましたので、 先ほどまで掛かって黒海およびGUAM関連のパワーポイントを作成しました。したがいまして、黒海やGUAM関 連につきましては未完成な部分が多く、これからの研究課題とさせていただきたいと思います。

(イ)ウクライナ危機の国際構造要因

まず、ウクライナ危機の原因ですが、私は、少なくとも4つの要因があると考えております。ロシア要因、ウクラ イナ要因、グルジア紛争における西側の対応、それに国際構造です。ロシア要因やウクライナ要因のみならず、グル ジア紛争における西側の対応や、オバマ政権のシリア問題への対応のまずさが、プーチン大統領にクリミア併合を決 断させた要因であると考えられますが、今日は国際構造要因を中心に話をさせていただきます。 私が強調したい国際構造要因は3つあります。1つは、冷戦後の欧州国際秩序で、同秩序においてロシアが潜在的 修正主義国になったことです。2つ目は、この研究会でずっと言い続けてきたことですのでまたかと思われる方もい らっしゃるかもしれませんが、バルト海から黒海へと至る諸大国間の「狭間の地政学」をめぐる歴史的な権力闘争が、

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冷戦後も続いていることです。ウクライナ危機は、この「狭間の地政学」をめぐる歴史的連続性の延長線上にあると 言えます。そして3つめは非連続性です。冷戦の終結以前は、ヒトラーにしろスターリンにしろ、東欧諸国民の意思 に反してこの地域を武力で占領してきたわけですが、冷戦後は、むしろ中・東欧諸国がEUやNATOへの加盟を希 望し、EUとNATOのコンディショナリティーであるコペンハーゲン基準や加盟行動計画(MAP)を満たした国 から加盟が認められてきたことです。ここから、民主主義や市場経済といった価値をめぐり、トランスナショナルな 協力と対立の構造が成立し、これがウクライナ危機を惹起させたと考えられます。 それでは、これら3つの要因について、もう少し具体的に見て参りましょう。 第1の冷戦後の欧州国際秩序ですが、同秩序の原形は、1989年11月9日のベルリンの壁の崩壊からおよそ1 年にわたる、ドイツ統一をめぐる諸大国間交渉の中で出来上がりました。その際、当時ソ連邦共産党書記長兼大統領 であったゴルバチョフは、NATOとワルシャワ条約機構を漸次政治化していき、最終的にCSCEを中心とした集 団安全保障体制を構築し、同体制において冷戦後のソ連の影響力と発言力を残そうと考えていました。ところが、ド イツ統一を承認する条件として、アメリカのブッシュ政権が統一ドイツのNATO加盟を主張し、フランスのミッテ ラン大統領がEU創設を掲げたため、NATOとEUを中心とする冷戦後の欧州国際秩序ができ上がったわけです。 その結果、ロシアは、NATOとはNATO=ロシア評議会(NATO-Russia Council)を介して、EUとは、「4つの 共 通 空 間 ( Four Common Spaces )」 と か 、 2 0 1 0 年 に 始 ま る 「 近 代 化 パ ー ト ナ ー シ ッ プ ( Partnership for Modernization)」を介した関係に留まり、冷戦後の欧州国際秩序の中枢における発言力や影響力を喪失したのです。 このようにして、ソ連邦および後のロシアは、1990年の時点で潜在的な修正主義国になったわけです。 2つ目は、バルト海から黒海へと至る諸大国の「狭間の地政学」をめぐる権力闘争です。この地図は19世紀の4 帝国による東欧分割支配を示していますが、その後もこの地をめぐる諸大国の権力闘争は継続していきます。その国 際政治史を一言で要約すれば、第1次世界大戦、第2次世界大戦、冷戦のすべてがこの「狭間の地政学」をめぐる諸 大国の権力闘争の結果生じたということ、および冷戦が終焉したのも1989年の東欧革命の結果であったというこ とです。そして、この「狭間の地政学」をめぐる諸大国の権力闘争は冷戦後も継続していき、その結果今まさに、こ の「狭間の地政学」に位置するウクライナをめぐって新冷戦が始まろうとしているのです。 ここから、東欧地域は「もう一つのヨーロッパ」と呼ばれ、世界史の授業ではあまり重視されないようですが、ア ジア太平洋を含む国際政治全般をより一層深く理解するには、この地をめぐる国際政治の勉強が不可欠であることを、 ご理解いただけるのではないかと思います。 そこで、この地をめぐる冷戦後の権力闘争の実態に目を向けますと、歴史的に、強いアクターが常にこの地を征服 してきたように、冷戦後はEUとNATOが2004年に東方拡大し、バルト諸国や中・東欧がEUとNATOに加 盟しました。それ故、2004年以降は、新たな「狭間の地政学」、すなわち旧ソ連のベラルーシ、ウクライナ、モル ドヴァ共和国、さらには黒海東岸の南コーカサス-グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン-をめぐって、EU/ NATOとロシアが綱引きを展開しました。その結果、2008年8月にNATO拡大をめぐってグルジア=ロシア 戦争が起き、今春EUの東方パートナーシップをめぐってウクライナ危機が生じたのです。 しかしながら、3つめの要因として、非連続性にも注目する必要があります。先に触れましたように、冷戦後は、 単なる諸大国間の権力闘争にとどまらず、民主化という価値をめぐる闘争が加わっています。ウクライナ、グルジア、 モルドヴァといった旧ソ連地域では、青年層や中小企業家たちを中心に、汚職を撲滅し、闇経済や寡頭制を打破して 市場経済を導入し、競争原理に則った公正なビジネスを展開するとともに、民主的な体制を構築しようとする動きが あります。これらの目標を達成するために、彼らはEUやNATOへの加盟を主張します。他方、民営化プロセスに おいて汚職や闇経済を通じて莫大な資産を手にした少数の支配者達(オリガーク)は、民主化や競争原理に則った市 場経済を好みませんから、それらを要求するEUやNATOへの加盟には当然反対します。また、旧ソ連体制を懐か しがる一部の年配層や、マスメディアや親露派政党による反米、反NATO、反西欧宣伝を無批判に受け入れる人々 も、EUやNATOではなく、関税同盟やユーラシア連合への接近を支持します。このようにして、EU/NATO の東方拡大を機に両勢力の対立が激しくなっていき、2003年から2004年にかけ、グルジアでバラ革命、ウク ライナでオレンジ革命が起きたのです。 今回のユーロ・マイダン革命も然りですが、問題は、旧ソ連国内における民主化をめぐる対立が、一国内で収束す ることなく、国境を越えて他の国内闘争へと飛び火していくことです。とりわけ、ウクライナとロシアの密接な歴史

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的つながりや、両民族のつながりを考えますと、ウクライナにおける価値をめぐる闘争が、ロシアのプーチン体制に 影響を及ぼすことは必至と言えましょう。プーチンのクリミア併合は、この文脈において考える必要があると思われ ますが、この点につきましては後で触れます。 (a)冷戦後の欧州国際秩序とロシアの集団安全保障構想 さて、第一の要因として指摘しました冷戦後の欧州国際秩序に関して、ゴルバチョフが「欧州共通の家」構想を唱 え、集団安全保障体制の構築を考えていたことは既に述べましたが、エリツィン大統領時代のロシアも、例えば19 94年12月のCSCEブダペスト・サミットでCSCEの集団安全保障機構化を主張しました。このサミットはC SCEがOSCEへと改名するサミットとして知られていますが、そのOSCEとNATOとの棲み分けがなされた サミットでもありました。EC(EU)、CSCE、NATOが冷戦後の欧州安全保障体制におけるリーダーシップを めぐって競争を繰り広げたことは周知の事実で、これは「頭文字戦争」と呼ばれたりしますが、このCSCEブダペ スト・サミットに置きまして、ロシアが提唱したOSCEの集団安全保障機構化案が米英などの反対にあい、結局O SCEは協調的安全保障ないし予防外交にその活路を求めていくことになりました。また、最近では、メドベージェ フ大統領が2008年7月にドイツを訪問した際、新欧州安全保障条約の締結を提唱しまして、その草案が2009 年11月29日に公表されました。しかし、同草案に目を通しますと、新欧州安全保障条約の目的がNATOを骨抜 きにすることにあることがわかります。つまり、NATOと欧州集団安全保障体制はゼロ・サムの関係にあるわけで す。したがって、ロシア問題をNATOと集団安全保障体制をにらみながらどう解決していくのかは、極めて難しい 問題であると言わざるを得ません。 (b)「狭間の地政学」をめぐる権力闘争とロシア修正主義 2つ目の「狭間の地政学」をめぐる権力闘争と関連して、冷戦後のロシア外交を垣間見てみますと、91年から9 2年に掛け、ロシアはコーズィレフ外相下で親欧米外交を展開しましたが、民族派による批判が強まるにつれ、ロシ ア外交は次第にユーラシア重視の外交へと移行していきます。とはいえ、2000年にプーチンが大統領に就任した 際、彼は親欧米外交を展開しました。私の記憶では、彼は9.11以前の段階においてバルト諸国のNATO加盟を 認める発言をしていましたし、ロシアのNATO加盟の可能性にさえ言及していました。思い出される方がいらっし ゃると思います。2001年6月のリュブリアナ米露サミットにおける、プーチンは信頼できる人物であるとのブッ シュ大統領の発言に象徴されるように、ブッシュ=プーチンの蜜月時代が始動しました。ところが、その信頼関係は 2003年のイラク戦争と2003年から2004年に掛けての色革命で崩れていきます。2007年のかの有名な プーチン大統領のミュンヘン演説は冷戦を彷彿させるもので、実際ロシアはその年7月、CFE条約を12月に凍結 すると宣言し、それを実行しました。 所謂「凍結された紛争」に関する政策にも変化が現れました。ロシアはエリツィン政権時代から、公式には、分離 主義問題を抱えるモルドヴァ、グルジア、アゼルバイジャンの領土保全を支持し、非公式には、モルドヴァのトラン スニストリア(沿ドニエストル)、グルジアのアブハジアと南オセチア、アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフの「未 承認国家化」を推進するという、二元外交を展開してきたのです。ところが、2008年2月にコソヴォが独立を宣 言し、同年4月のNATOブカレスト・サミットが、グルジアとウクライナの将来のNATO加盟を宣言すると、プ ーチン大統領はすかさず大統領令を出して、アブハジアと南オセチアとの外交関係を樹立するよう命令したのです。 つまり、グルジアの領土保全支持政策を撤回したのです。 また、2010年11月のNATOリスボン・サミットにおいて、メドベージェフ大統領は、ミサイル防衛に関す るセクター方式なるものを提唱しました。これは、NATOとロシアが各々の責任圏を設け、それぞれが各々の責任 圏においてミサイル防衛を行うという構想ですが、同構想はNATOにとっては二つの点で受け入れ難いものでした。 一つは、バルト諸国や中・東欧諸国が同提案をロシアの勢力圏構想と結びつけて理解したからであり、もう一つは、 同構想がNATOの集団防衛義務を定めたワシントン条約第5条に抵触するからです。そこで、リスボン・サミット 以降、ロシアとNATOの関係、ひいては米露関係は悪化の一途をたどることになりました。私が2010年1月末 の第3回「日・黒海地域対話(Japan-Black Sea Are Dialogue)」の会議用ペーパーで指摘しましたように、対露リセ ットは、双方の利益が共有されるうちは機能しましたが、それが対立する分野に差し掛かった途端に脆くも崩れさっ

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たのです。また、エネルギーをめぐっても、双方は激しい競争を繰り広げてきました。 そして、グルジア・ロシア戦争からおよそ半年経た2009年5月に、ポーランドとスウェーデンのイニシアティ ヴにより、EUの東方パートナーシップ・サミットがプラハで開催されました。これは、EUが2004年春に導入 した「欧州近隣諸国政策(ENP)」をさらに強化したもので、EUが旧ソ連6カ国(ベラルーシ、ウクライナ、モル ドヴァ、グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア)との関係を、連合協定や「深淵かつ包括的な自由貿易協定(D CFTA)」を介して一層強化しようとするものです。つまり、NATOに代わって、今度はEUが、「狭間の地政学」 をめぐる国際政治の主役となって躍り出てきたわけです。すると、プーチン氏は、2010年1月に、ロシア、ベラ ルーシ、カザフスタンからなる関税同盟を発効させ、ウクライナをはじめとする旧ソ連諸国を関税同盟へと迎え入れ ようとします。実は、それまでもロシアとCIS諸国との間には自由貿易協定がありましたが、これはEUのDCF TAと両立しますので、ウクライナは双方に加盟できるわけです。そこで、DCFTAと両立しない、排他的な関係 にある関税同盟を発効させて、東方パートナー対象国に二者択一を迫ったわけです。これに対し、ウクライナのヤヌ コーヴィッチ大統領は代案として「3プラス1」案を提唱し、DCFTAと両立する分野に限定した関税同盟への参 加を求めましたが、プーチン大統領は、関税同盟に参加するかしないのかの二者択一しかないと迫り、結局ヤヌコー ヴィッチ政権は、2013年11月末のEaPヴィルニス・サミットの1週間前にEUとの連合協定調印の延期を決 定したのです。 (c)価値をめぐる対立とロシア民族主義勢力の台頭 さて、第三の価値をめぐる対立ですが、EUのロシア担当官によれば、かつてロシアは民主化とか、旧ソ連諸国と の関係とか、「凍結された紛争」については、一切EUとの交渉に応じなかったそうです。ところが、2005年5月 に「4つの共通空間(4 Common Spaces)」に向けたロードマップ協定が調印されて以降、ロシアは対話に応じるよう になったとのことです。同年3月に私がEUとロシアに赴いて双方から状況説明を受けた際、EUとロシアの関係は 大変な緊張関係にありました。それにもかかわらず、その二か月後に突如調印されたので驚いて協定に目を通します と、案の定、双方が対立していた部分は具体性を欠いていました。そこで、再びブリュッセルに赴いてEUのロシア 担当官に事の真相について尋ねますと、確かにEUの中にも協定が具体性に欠ける点を批判する向きがあるけれども、 協定はないよりあった方が良いとして、ロシアが民主化や「凍結された紛争」などについて我々と話し合いに応じる ようになった点を強調しました。加えて、これまではロシア外務省だけが交渉の窓口であったが、このロードマップ の調印によって、これからは経済関連省庁と直接交渉できるため、実務面で交渉の進展が期待できるとのことでした。 同じ頃、米国国務省の政策立案局次長を訪ねますと、ロシアは我々とも話し合いに応じるようになったと、ロシアの 態度の変化について同じ印象を口にしました。 しかし、4つの共通空間に関する交渉は成果に乏しく、その後、グルジア・ロシア戦争により欧米とロシアの関係 が緊張しますと、翌年ドイツのイニシアティヴにより「近代化パートナーシップ」が始動し、ロシアの近代化支援と、 それを介した民主化に向けて動き始めました。 ところが、この辺りから、ロシアでは民族派勢力の勢いが増していきます。ロシアには大別すると三つの政治集団 が存在すると言われます。親欧米派、民族主義派とりわけスラヴ諸民族との統一を主張するのはスラヴ派、現実主義 派の3つです。民族主義派は、西欧とは違うロシア固有の文明論を展開し、「主権民主主義」論を盾に欧米型民主主義 への対抗姿勢を強め、西側による内政干渉に対する批判を強めていました。他方、2011年秋にプーチン首相とメ ドヴェージェフ大統領が首相と大統領ポストを交替することを公表したことから、それに激怒した民衆による大規模 な反政府デモが起きました。また、2011年から12年にかけ、ロシアの議会選と大統領選、アメリカの大統領選 が続いたため、欧米とロシアの間で民主化をめぐる対立が深まっていきました。そして、2012年5月にプーチン 氏が大統領ポストに返り咲きますと、彼は現実主義派勢力に加え、民族主義派勢力を政権基盤に取り込み、外国から 資金供与を受けているNGOにエージェントとして届け出ることを義務付けるなど、社会に対する引き締めを強化し、 ロシア社会と欧米に対する対抗姿勢を鮮明にしました。また、プーチン大統領はウクライナやアルメニアに圧力を掛 けて、13年11月末のEaPヴィルニス・サミット前に、両国のEUとの連合協定調印阻止に成功したのです。

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(d)プーチン政権とユーロ・マイダン革命:二つの意味 ところが、プーチン氏にとって青天の霹靂ともいえるユーロ・マイダン革命が、本年2月に起きました。これまで の説明から明らかなように、同革命はプーチン大統領にとって、少なくとも二つの重要な意味を持っていました。1 つは、ウクライナに誕生した新政権がEUへ急接近する可能性ですが、これはロシアがウクライナ、ひいてはロシア 勢力圏を喪失して、国家目標に掲げる大ロシア、あるいは世界のロシアを実現できなくなることを意味します。もう 一つは、価値をめぐるトランスナショナルな協力と競争の構図から、ユーロ・マイダン革命がモスクワに飛び火して、 プーチン政権が窮地に追い込まれる可能性です。 そこで、プーチン大統領は3月4日の演説の中でくしくも認めたように、ユーロマイダン革命の鎮静化をはかろう と、ヤヌコーヴィッチに治安部隊を撤退させないよう助言したのですが、ヤヌコーヴィッチが部隊をひいてしまった のでカオスが起きてしまったのです。したがって、マイダン革命の成就は、ヤヌコーヴィッチだけでなく、プーチン の敗北でもあったのです。そこで、彼は場所をキエフからクリミアに移し、ハイブリッド戦争を介してクリミアをロ シア領に併合することで、マイダンの敗者からおよそ9割の国民から支持される国民的英雄、つまりツァーリ(ロシ ア皇帝)の地位にまで上り詰めたのです。 このようにして、政権の危機は脱しましたが、プーチン大統領にはもう一つの重大な目標がありました。ウクライ ナをロシア勢力圏に留めることで、大国ロシアを構築することです。しかし、クリミアを奪取したことで、逆にウク ライナのEUやNATOへの接近が容易になりました。選挙におけるクリミアの親ロシア票がなくなりますから、議 会選挙や大統領選挙で、親欧米派が圧倒的な勝利を収める可能性が出てきたからです。実際、5月末の大統領選挙で は決戦投票を待たずにポロシェンコが当選しましたし、10月末の議会選挙でも親欧米派が議会の過半数を占めまし た。 そこで、ウクライナ全体のEUやNATOへの接近を阻止するために、4月6日から東部で武装闘争が開始され、 「ドンバス人民共和国」の創設宣言がなされたのです。これは、2003年11月にロシア大統領府副長官であった ドゥミトリ・コザック氏がトランスニストリア(沿ドニエストル)紛争解決案として作成した、所謂コザック・メモ ランダムに則ったもので、ウクライナを連邦化し、東部に外交面での拒否権を含む大幅な権限を有する共和国を創設 することで、ウクライナのEUやNATOへの接近を阻止しようとする作戦です。私は1989年11月はじめに初 めてモルドヴァを訪れて以来、モルドヴァをはじめとする周辺地域からソ連やロシアを見てきました、つまりモスク ワにいては見えてこないロシア帝国主義政策を追ってきましたので、ウクライナ東部のトランスニストリア化への動 きは明瞭に理解できます。

(ロ)国際危機と国際秩序および国際安全保障体制

(a)戦間期の国際秩序と国際安全保障体制 今まで申し上げたことから、国際秩序と失地回復政策が極めて密接な関係にあることをご理解いただけたのではな いかと思いますが、日本国際政治学会での報告のために現状と戦間期欧州国際秩序を比較しまして、両者の類似性に 驚きました。戦間期の欧州国際秩序は、修正主義諸国と現状維持諸国からなる極めて不安定な二極構造でして、先ほ ど触れました「狭間の地政学」をめぐる諸大国間の権力闘争もすさまじいものでした。1920年代はフランスとイ タリアが東欧・バルカンをめぐって対立し、ヒトラーが1933年1月に政権をとるとドイツとフランスがこの地を めぐって闘争を繰り広げ、ヒトラーがラインラントに兵を進めて欧州大陸における勢力均衡がドイツに傾くと、それ までドーヴァー海峡のかなたから大陸の国際政治を見守っていたイギリスが乗り出してきて、英独による欧州分割を 行いました。これがかの有名なチェンバレンの対独宥和政策でして、ここにおいて、ヒトラーは民族自決権を盾に失 地回復へと向かい、オーストリアの併合、ミュンヘン会議におけるズデーテンの割譲を経て、ポーランド回廊の要求 へと進んでいき、第2次世界大戦へと至るわけです。いうまでもなく、私は、ナチスとプーチン体制を同じだとは決 して申しませんが、不安定な国際秩序において修正主義国が失地回復に乗り出した場合、国際社会は如何に対処すべ きか、歴史の教訓も含め、真剣に考えるべき課題だと思います。 ただ、戦間期と現在の欧州国際秩序には大きな相違点があります。例えば、ロシアのジリノフスキー自由民主党党 首が、ポーランド、ルーマニア、その他の近隣諸国にウクライナ分割案を提案しました。戦間期でしたら、おそらく

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これら諸国は喜んでこの話に飛びついたのではないかと思います。ハンガリーやブルガリアは、第一次、第二次ウィ ーン裁定やクライオーヴァ条約を介して、あっという間にチェコスロヴァキアやルーマニアの分割をやってのけまし た。ところが、今回はウクライナの西部近隣諸国はすべてEUおよびNATO加盟国ですから、さすがにどの近隣諸 国もこの話に乗ることはありませんでした。極めて大きな相違点だと思います。 もう一つ、戦間期と冷戦後の著しい相違点は、安全保障体制です。戦間期の安全保障体制は、ご存知のとおり、国 際連盟を中心とする集団安全保障体制と少数民族保護レジームの2つで構成されていましたが、結局2つとも機能せ ず、第2次世界大戦へと至りました。他方、冷戦後の安全保障体制は、冒頭で申しましたように、ドイツ統一をめぐ る諸大国間交渉を通じてその骨格ができ上がり、1992年春に始まり95年のデイトン合意で終結する、ボスニア 紛争をめぐる実際の国際政治を介して精緻化されました。したがって、コソヴォ紛争が激化し、NATOが1999 年3月に空爆に踏み切ったのは、このようにして出来上がった冷戦後の欧州安全保障体制そのものが問われていたか らです。当時、ユーゴの専門家やマスメディア、さらには幾人かの国際政治学者はNATO空爆を批判しましたが、 もしNATOが空爆に踏み切らなかったなら、冷戦後の欧州国際安全保障体制は再構築を余儀なくされ、不安定化は 避けられなかったことでしょう。 (b)欧州国際社会のウクライナ危機への対応 それでは、冷戦後の欧州国際安全保障体制の特徴は何かと申しますと、第一は国際法原則です。かつては民族自決 権が基本原則と考えられていましたが、冷戦後の欧州国際社会では、領土保全と少数民族の権利の遵守が1対の原則 として受け入れられてきました。したがって、ミロシェヴィッチがコソヴォのアルバニア系住民の人権を蹂躙した際、 国際社会はどう対処すべきかを迫られたわけです。第二は、国連、OSCE、EU、欧州評議会(Council of Europe)、 NATOからなる重層的(interlocking)な制度です。第三は、EUとNATOが課す、民主化や市場経済化等のコ ンディショナリティーです。戦間期の経験からすれば、OSCEや欧州評議会による予防外交はさほど効果を上げら れないはずですが、両機構が民主化や民族紛争の予防にそれなりの効果を発揮できたのは、EUやNATOのコンデ ィショナリティー効果による後ろ盾があったからです。EUやNATOに加盟するには、コンディショナリティーを 充足しなければならないからです。そして、これらの制度がうまく機能しない場合、最終的にNATOの強制力が用 いられるわけです。この点が戦間期との大きな違いです。そして、NATOの空爆後は、再び複数の諸機構による復 興のための分業体制が作動します。 それでは、次に、このような冷戦後の欧州安全保障体制はグルジア紛争とウクライナ危機にどのように適用された のかという話をしなければなりませんが、時間の関係上グルジアは飛ばしまして、今回のウクライナ危機について考 えてみたいと思います。まず、ロシアはEUやNATOに入りませんから、当然コンディショナリティー効果はあり ません。それから、ロシアの国際法違反については単なる批判に留まり、いわゆる人道的介入という軍事的解決の可 能性は著しく低いと思われますので、対露経済制裁が欧米の主要な手段ということになります。そうなると、重層的 な諸機構による安全保障体制がどのように機能したかが注目されますが、クリミアに関しましては、あれ程の電撃作 戦でしたから何ら具体的な手段を講じることはできませんでした。しかし、ウクライナ東部の紛争につきましては、 武力紛争が大規模な戦争へと至らなかった点に着目すれば、それなりに機能したと評価できるのではないかと思いま す。グローバル・フォーラムのこの会場でOSCE事務総長が今年6月に講演された際、OSCEが欧米とロシアの 調停役を務めている点を強調されました。確かに、2008年のグルジア=ロシア戦争では出番がなく、当時EU議 長国であったフランスのサルコジ大統領がロシアとグルジアの休戦協定をまとめ上げました。これとは対照的に、今 回、OSCEは人権査定、選挙監視、軍事活動監視といった監視団を派遣して、ロシア政府の情報戦に抗して、現地 からの具体的な情報の提供に努めました。EUも、経済支援だけでなく、警察機構構築支援に関する共通安全保障防 衛政策(CSDP)使節を派遣するなど、安全保障面での貢献をしています。また、NATOはロシア軍の動静に関 する衛星写真を公開したり、バルトの防空パトロールを強化したり、ポーランドやルーマニアにAWACSを送るな ど、抑止力の強化に努めました。また、ウクライナに対しては、支援だけでなく、圧力も相当かけました。 さらに、国際社会が和平交渉と経済協議に取り組み、それなりの成果を出した点も評価できます。経済協議につい ては、EUがロシアとウクライナの間に入って、DCFTAとガス問題について合意を取り付けました。これはかな り画期的なことです。と言いますのは、冒頭で触れました2013年11月末のヴィルニス市民フォーラムで、EU

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はロシアとウクライナの調停役を務める意思はないのかと私が尋ねたところ、そういうことはしないとの明確な答え がステファン・フューレ氏から帰ってきたからです。つまり、EUは半年間で立場を180度変えてロシアとの交渉 に踏み切り、経済戦争を防ぐことに成功したのです。 (c)和平交渉 他方、和平協議に関しましては、時間の関係上詳細に跡付けることはできませんが、良く言えば色々なアクターが 積極的にイニシアティヴをとったと評価できますし、多くのアクターが主導権争いをしたとも言えます。後者に関連 しまして、1990年から92年に掛け、OSCE、EU、NATOが冷戦後の欧州安全保障体制をめぐって主導権 争いをした、所謂「頭文字戦争」が思い出されます。ウクライナ東部をめぐる最初の和平交渉は、アメリカとEUの イニシアティヴにより4月17日にジュネーブで行われましたが、それが成果なく終わると即座にOSCEがロード マップを作成し、OSCE、ウクライナ、ロシアからなるコンタクト・グループが作られました。6月20日に公表 されたポロシェンコ和平案も、このコンタクト・グループを中心に交渉が進められました。OSCEの事務総長が、 OSCEは中立的立場を堅持してきたが故に調停役としての役割を果たすことができると自画自賛しておられました が、確かに9月5日のミンスク和平協定もコンタクト・グループ内で協議され締結されました。しかし、締結後、O SCEの限界が露呈されることになります。ミンスク協定では、休戦ラインの画定、緩衝地帯の設置、ウクライナ・ ロシア国境の国際監視、ロシア軍や準軍事部隊の撤退と武器の撤収、ウクライナ東部の地方選挙などが取り決められ ましたが、同協定の成否の鍵は、ロシア・ウクライナ国境の監視と、ウクライナ東部の停戦ラインの監視です。とこ ろが、ロシアが拒否権を行使したため、OSCEによる国際監視が実現されず、およそ300キロにわたるロシアと ウクライナの国境はロシアが制したままですし、ロシア側は停戦ラインの西方への拡張を狙って今も尚戦闘を継続し ています。 和平交渉に関してもう一点注目すべきはドイツの動向です。ポロシェンコ大統領は、非合法な武装勢力とは絶対に 交渉しないと明言しましたが、6月23日のドネツク交渉には、コンタクト・グループに加え、ルガンスクとドネツ クの代表と、プーチン氏が推したと言われる親ロシア派ウクライナ人政治家まで入っていました。このような交渉枠 組みは、ロシアの圧力だけでは実現しなかったでしょう。恐らく、ドイツの圧力が働いたものと推量されます。その 証拠に、ポロシェンコ氏が7月1日に停戦を打ち切って東部での攻撃を再開すると、翌日ベルリンで 4 カ国外相会議 が開かれ、即時停戦と7月5日までのコンタクト・グループ会議の開催が決定されたのです。この時点での停戦は、 ウクライナが武装勢力による東部地域の占領を事実上承認し、その上で停戦交渉に応じることを意味しますから、明 らかにウクライナのトランスニストリア化への道、すなわち、未承認国家化への道が開かれるわけで、それを推進し たのがロシアとドイツであったということです。つまり、この時点では、和平交渉は独露協調の下で進められていた のです。 ところが、その後、ドイツの対露政策は強化されて行きます。7月のマレーシア航空機追撃事件後、EUの対露制 裁を第三段階へと引き上げる方針を打ち出し、10月20日のブラティスラヴァ演説において、メルケル首相が、対 露制裁解除はミンスク和平合意の成立だけでは不十分で、同合意が実現された後に行われるべきであると述べたため、 EUは対露制裁継続を決定しました。この一連の動きを見ていますと、メルケル首相がシュタインマイヤー外相に代 わってウクライナ危機の解決に乗り出したような印象を受けます。また、7月2日のシュタインマイヤー外相による 4カ国ベルリン外相会議開催、9月5日のNATOウェールズ・サミット宣言に見られるドイツ主導下の10か国グ ループの創設、メルケル氏の上記発言を見比べてみますと、ドイツはウクライナ危機と対露外交をめぐって首相府、 外務省、国防省の間で亀裂が生じているのではないかと勘繰りたくなります。と言いますのも、1990年2月に、 コール首相、ゲンシャー外相、シュトルテンベルク国防相が、ドイツ統一後のNATOの旧東独領への拡大をめぐっ て、激しく対立していたことを想起するからです。コール首相が統一ドイツの中立の可能性にまで言及したため、ブ ッシュとスコークロフトがコールをワシントンに呼びつけ、ドイツ統一を支持する条件として、統一ドイツのNAT O加盟を再確認したといういきさつがあります。今後、ドイツは対露協調路線を継続していくのか、ロシアを対象と したNATO集団防衛で主導的役割を演じていくのか、対露制裁解除の条件をどこに設定するのか、ミンスク和平協 定をロシアにどう履行させるのか、ドイツがこれらの諸政策をどう調整し整合性を保っていくのか注目されます。

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(ハ)ウクライナ危機の黒海国際政治への波紋

時間が随分経過しましたので、ウクライナ危機が欧州国際秩序や安全保障体制に及ぼす影響につきましては別の機 会とさせていただきまして、伊藤憲一代表世話人様より頂戴しました宿題-黒海国際関係とGUAMに入っていきた いと思います。最初に指摘すべきは、これまで黒海はロシアとトルコの海でしたが、ロシアのクリミア併合によって 黒海の勢力均衡に変化が生じ、ロシアの海へと向かう可能性が出てきたことです。ロシアは2007年12月にCF E条約を一時停止して同条約による規制を受けなくなりましたが、1997年の黒海艦隊の地位と諸条件に関する分 割条約(Partition Treaty on the Status and Conditions of the Black Sea Fleet )によって、セヴァストーポリ のロシア艦隊の兵員数、戦艦、武器と装備などは規制されていました。ところが、3月にセヴァストーポリをロシア 連邦に事実上組み入れたことで、ロシアはこの規制からも解放され、自由に軍事力を拡張できる環境が整ったのです。 言うまでもなく、NATOはこのような状況を憂慮しまして、本年3月以降、既に数か国のNATO加盟諸国の海軍 が黒海に入って、ブルガリアやルーマニアと軍事演習を行ってきました。また、ポーランド、ルーマニア、トルコの ミサイル防衛をめぐる縦軸の同盟関係も強化されつつあります。さらに、ウェールズ・サミットではNATO海洋戦 略を採用して、NATO諸国の艦隊を黒海に常駐させる態勢を作ろうとしていますが、その場合モントルー条約が壁 となります。同条約は外国艦隊の黒海滞在日数を21日以内と規定していますので、NATO諸国の艦隊は黒海内に 交代で停泊することになります。トルコはこれまでもモントルー条約の改正に断固反対してきましたので、今後NA TOは如何にして黒海艦隊の増強を図っていくのか、またモントルー条約の改定交渉の行方も注目されます。 もう一点注目すべきは、クリミア・タタールの問題です。今年3月、キエフのトルコ大使にインタヴューした際、 トルコの中に何百万というクリミア・タタールのディアスポラがいるので、トルコにとっては無視できない重大な問 題だと仰っていました。また、ロシアにとっても看過できない問題です。と申しますのは、クリミアを奪取したこと で、ロシア国内のタタールスタン問題が出てきたからです。プーチン大統領はパンドラの箱を開けてしまったのです。 それから、ロシアのバルカン南下政策にも注目する必要があります。2012年夏にルーマニア議会が親欧米派の バセスク大統領の職務停止決議を行った際、ロシアは反大統領派の社会党=自由党連合をあからさまに支援しました し、ハンガリーのオルバン政権、セルビアの進歩党や社会党、ブルガリア社会党と密接な関係を築いてきました。当 時、もしこれでウクライナがロシアと緊密な関係を構築するようなら、モスクワ~キエフ~ブカレスト/ブダペスト ~ソフィア~ベオグラードのルートが開設され、伝統的なロシアのバルカン南下政策が復活することになると思った りしたものです。とりわけ注目を引いたのは、昨年秋から今年に掛け、ブルガリアとセルビアがロシアのガス・プロ ムとサウス・ストリーム・ガスパイプライン建設契約を締結し、欧州委員会が中止を要請すると、ブルガリア議会は 法律を改正して強引にパイプライン建設を推し進めようとしました。連立を組んでいたトルコ系政党が連立の解消を 申し出るとともに、本年6月にジョン・マッケインなど米国の有力議員がソフィアを訪れて圧力を掛けたため、その 翌日ブルガリアはサウス・ストリーム・ガスパイプラインの建設中止と、欧米が進める南回廊(サウス・コリドール) パイプライン建設を優先するとの声明を出しました。セルビアもブルガリアの政策変更を踏襲しましたが、このよう にバルカンでは、欧米とロシアがガスパイプライン建設をめぐって火花を散らしたのです。 黒海経済協力機構(BSEC)は、ウクライナ危機の最中の本年6月に外相理事会を開催しました。BSECのホ ームページを見ますと、加盟国代表者の発言とは別に、ウクライナ代表の声明とロシア代表の宣言が Annex に含まれ ていることから、ウクライナ危機について各国の立場が率直に表明されたものと推測されます。ツヴィルクン (Tvirkun) BSEC事務総長にアネックスの内容についてメールで問い合わせましたところ、アネックスの文書は加 盟国にのみ配布されるとのことで公表されませんが、これまでのBSEC加盟諸国担当官の話によれば、如何なる非 政治的な問題も結局政治的な口論になってしまうということですから、ウクライナ危機をめぐって激論が交わされた ものと思います。

(ニ)GUAMのウクライナ危機への対応

次はGUAMですが、GUAMは太平洋上に浮かぶ島の名前ではありませんで、グルジア、ウクライナ、アゼルバ イジャン、モルドヴァからなる地域国際機構で、正式名称は「民主主義と経済発展のための機構-GUAM」です。 日本は2007年に「GUAM+日本」を創設しました。

参照

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