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米国鉄鋼業における発展・衰退・再生の構造と力学 : 日米鉄鋼カルテル比較の視点をふまえて

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(1)

米国鉄鋼業における発展・衰退・再生の構造と力学

: 日米鉄鋼カルテル比較の視点をふまえて

著者

十名 直喜

雑誌名

名古屋学院大学論集 社会科学篇

29

1

ページ

93-122

発行年

1992-07-31

URL

http://doi.org/10.15012/00000782

Copyright (c) 1992 十名直喜

(2)

名 占屋学院大学論集 社会科学篇 第29巻 第1号 ('92.7)

米国鉄鋼業 における

発展・衰退・再生の構造 と力学

日米鰤

カルテル比較 の視 点 をふ まえて

93

1.は

じめ に

米 国鉄鋼 業 の大宗 をなす一 貫製鋼 メー カー の凋落 は 目をおお うばか りであ る。かつ ては

,世

界鉄鋼 業 の リー ダー として

,資

源・ 技術 ・市場 等 に圧倒 的 な優位性 を誇 って きた一貫製鋼 メー カー は

,今

や 存続 の危機 に瀕 してお り, 政 府 の助 成や 日本 の技術 ・資金等 のバ ックア ップ な しでは

,再

生 の手がか り はお ろか現状維持 さえ覚 束 ない レベ ルに まで衰退す るに至 ってい る。 一 方

,米

国 内にお け る ミニ ミルの 台頭 はめ ざま し く

,一

貫 製鋼 メー カー の 凋 落 の谷 間 を一 部埋 め る形 で国内市場 での シェア を伸 張 させ

,1990年

に は 26

%を

占め るに至 った。 同 じ米 国 内に あ って

,一

貫 製鋼 メー カー の経営 にみ ら れ る巨大 な資本投 資の重荷や経営 の硬 直性 。消極性 は

,

ミニ ミルの経営 に特 徴 的 な効率性・ 柔軟性や生産 。投 資 コス トの低 さ とは

,対

照 的 であ る。 また

,第

二次大戦後 におけ る 日本や

NIESの

鉄鋼 業 の発展 も著 し く

,そ

の 大 半 を一 貫製鋼 メー カー が担 って きた点 は

,米

国 とは明 らか に異 な る構 図 で あ る。 む しろ

,

日本鉄鋼 業の発展 等 に伴 う輸 入鋼材 の急増や 米 国内の ミニ ミ ルの台頭 が

,米

国の一 貫製鋼 メー カー の衰 退 を加 速 させ た側 面 が少 な くなか った。 こ うした米 国鉄鋼 業 の衰退 。再編 を もた ら した要 因は

,一

体 何 か。 米 国内 におけ る一貫製鋼 メー カー の衰退 と ミニ ミルの発展 とい う両 プ ロセ スの対照 的差 異

,

さ らに 日米の一貫製鋼 メー カー にみ る上昇 ・衰退過程 の歴 史的 な交

(3)

,そ

れ らを可能 な らしめ た 日米鉄鋼 業の構 造 と力学 とは如何 な るもの であ ったのか。 これ らの論点 に対 して

,本

稿 では

,経

営 戦略や 労働 組合 との関係 を も含 む 経 営 ンステム

,国

家 と企 業 との関係

,

とい う

2つ

の側 面か ら

,

日米比較視 点 を軸 に して

,技

術 や環 境 条件 の変化 等 を もふ まえつつ アプ ロー チ し

,米

国鉄 鋼 業の衰退 。再生 の構造 と力学 を明 らかにす る。 2。

現代 カル テル論 の視 点 と 日米 鉄 鋼 産 業 比 較 分 析

(1)現

代 カル テル論 の視 点 近代 カルテルは

,1860年

代 に ヨー ロ ッパ にお いて現 われ

,20世

紀初 頭 にお いて「全経 済生 活の基礎 の一つ」 とな る。近代 カル テルの理論的 。実証的研 究 は,「 カルテルの本 国」といわれ た ドイツ を中心 に して

,精

力的 に行 なわれ た。 さ らに

,独

占の一 形 態 であ るカル テルの影響 につ いては

,各

国 で激 しい 議 論 が行 なわれ

,

またその対策が検討 され たの であ る。 米 国

,カ

ナ ダや 北欧諸 国 な どは

,

この よ うな独 占的組織が公益 を害す る点 に注 目 して第二次大戦前か ら独 占禁 止法 を有 し

,そ

の禁圧 に乗 り出 したのに 対 して

,西

欧諸 国や 日本 は契約 自由の見地か らこれ を原則的 に許容す る態度 を と り

,と

くに

,1929年

には じまる大不況後 は単 に カル テル を許容 す るばか りで な く

,

これ を保 護助長 して政府 の経済統制 の一環 に組 み入れ る態度 を と るに至 った。 この傾 向は

,そ

の後 の戦時経済体 制 に入 るに したが って ます ま す 激 し くな って い く。 しか しなが ら

,第

二 次世 界大戦後 に至 って

,世

界 各国の カル テル政策 は大 き く転換 す るのであ る。 米国が戦 前 に もま して強 力に独 占禁 止政策 を展開 し は じめ たばか りで な く

,西

欧諸 国や 日本 も過 去 の カル テル許容政策 の弊 害 に つ いて

,よ

うや く認 識 を深 め

,ほ

とん どの 国が何 らかの形 で カル テル規制政 策 を採 用 しは じめ るに至 った。1) この ため

,カ

ル テル も

,そ

れ までの政府 公認の フ ォーマル な形 態か ら独 占

1)吉

田仁風編 F日本のカルテル」東洋経済新報社 1964年

(4)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退・再生の構造 と力学 95 禁止法 (略称 :独禁法

)の

網 の 目を潜 っての イ ンフ ォーマ ル な形 態 へ とシフ トして い くの で あ る。 この イ ンフ ォーマル な形 態へ の転 換 を

,体

系 的 かつ組 織 的 に

,

しか も精 力的 に進 め たのが

,

日本 で あ る。 米 国 占領下 において米国の イニ シアチブで もって制定 された独 占禁 止法 は, 占領支配が終 わ る とともに

,

日本 の政府・財 界に よって

,骨

抜 き 。空 洞化 が 猛 然 と進 め られ

,数

多 くの適用 除外 を含 め た形 に修 正 され て い く。 しか も, 通産省等の「行政指導」によって

,政

府 自らによるカルテル化の実質的支援 ・助長が図 られた。2)カルテル形態がフォーマル型か らインフォーマル型ヘ シ フ トす るとともに

,そ

れを可能 ならしめ る独禁法の修正や戦前か らのカルテ ル人脈の復活・継承

,及

び国家 との連携の深 ま りがあ り

,こ

れ らが法律の網 の 目を潜 っての体系的なカルテル化 を可能に して きたのである。 これ を日本型カルテル と呼ぶ とすれば

,

日本の鉄鋼業にみ られる種 々のカ ルテル体制は

,

まさにその典型 といえよう。大手高炉 メー カーは

,政

府のバ ックア ップ を得 なが ら

,鉄

鋼業の主要領域全般 にまたが る体系的な水平的連 携 をつ くりあげ

,

さらには納入業者やユーザー業界に またが る垂直的連携, 互恵取引 をシステム化 して きたのである。 独禁法 をかかげ る日本において,こ うしたフレキンブルかつ体系的な連携, カルテル体制は

,政

府のフォーマルかつ インフォーマルな支援 な くしては, 不可能であるといってよか ろう。 こうした体制 を作 り上げた背景には

,敗

戦 直後の 日本経済の大 きなダメー ジと立て直 しの困難性

,欧

米諸国の経済水準 か らの決定的な乖離等のなかで,日 本経済 を再建 しなければならず,「重化学 工業化」 を基軸 とす る戦後のキャッチア ップの最 も重要 な手段 の一つ として 位置付け られた とい う事情がある。 日本鉄鋼業は

,戦

略産業 として特別の重 点が置かれたのである。 戦後におけ る生産力の巨大化及び生産の社会化の急速 な進展

,技

術革新の スピー ドア ップ

,

さらには世界市場 との直結化や労働運動・民族解放運動の 高揚等は

,戦

前にはない種々の リス クを増大 させ て きた。戦後におけ る日本 型 カルテルの最大の狙 い も

,

こうした企業 リス クの分散 と国家による保障・

2)御

園生等『日本の独 占禁止政策 と産業組織』河出書房新社 1987年

(5)

一部代 替 にあった とみ られ る。 さ らには

,官

民一体 とな っての戦略 的 な 目標 設定 に よる生産 の推進 に向けて

,カ

ル テル体 制 が構築 され整備 されたのであ る。 ここに

,

日本型 カルテルの いわゆ る現代 型 カルテルた る特 質が凝縮 され て い る。 かつ て

,H・

ミュー レ ンジ ィフェ ンは「生産推進者 としての カルテル」論 を提起 したが,これ を典 型的 に体 現 したのが

,戦

後 日本 の鉄鋼 産 業 であ った。 ミュー レン ジ ィフェ ンは

,購

,生

,販

売 の各主要分 野 におけ るカル テル の形態 を系統 的 に取 り上 げてお り

,特

に カル テルにおけ る技術上 の発 明や 改 良 の過程 の社 会 的 な性 格 を重視 した もの とな って い る。3)こ れは,戦後 におけ るカル テル論 の 多 くにみ られ た よ うな

,流

通過程 に 限定 され て い た狭 隔 な視 点 とは異 な り,生 産過程 に まで立 ち入 って捉 えた ところに現代 的意義が あ る。 しか しなが ら

,

ミュー レン ジ ィフェ ンの カルテル論 は

,カ

ル テル機能 の積極 的側 面

,す

なわ ち

,生

産 の社 会化 を反 映 した側 面 を クロー ズア ップ した もの で あ るが

,マ

イナ スの側 面 につ いて は視 野 に入れ て い ない とい う限 界 を もっ て い る。 戦 後 にお いては

,カ

ル テルの弊 害へ の反省 か ら

,そ

のマ イナ ス側面 を重視 した法的規制 と批判 的研 究が な され るに至 ってい る。 カルテルの弊 害 として は

,寡

占化 に よ る競 争 の阻害 (高価 格化

,品

質・サー ビスの劣化 等

),技

術や 情報 の 占有 と非公 開 に よ る発 展 の不均 衡

,経

営 資源 配分 の社 会 的偏 在

,経

営 の硬 直化・ 閉鎖性 等

,

を挙 げ るこ とが で きる。 これ に対 して

,カ

ル テルの もつ社会化 の促 進 とい う側面 としては

,参

加 企 業 の枠 内におけ る技術や 情報 の交 流・ 波及 の促 進

,経

営 資源 の効率化, 1,ス クの分散

,経

営 の弾 力性や 長期 的視 点

,

とい ったプ ラスの効 果 もあ り

,無

視 で きないの であ る。 こ うした両側 面 を も視 野 にいれ て如何 に総合 的に把握す るか が

,現

代 カル テル論 におけ る重要 な課題 とな って い る と考 え る。

3)II・Mullensiefen; Iくartelle als PrOduktiOns_fbrderer,Berlin,1926, S.25. ただ し,引用は次の リーフマンからのものである。Rtiefmann;Kanene,Konzereneund

Trusts,Stuttgart,1930,S.47.

なお,リ ー フマ ン自身は,この ミュー レンジィフェンの説明の重要性 を認めつつ も,「そ れ らは カルテルの本質に属す る ものではない」 としてい る。

(6)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退・再生の構造 と力学 97

(2)日

米鉄鋼 産 業比 較分析 の視 点

米 国の鉄鋼 寡 占体 制 は

,戦

後 にお いて も 日本 とは異 な って

,限

定 され た形 態 を余儀 な くされ て きた。

19世

紀 後半 か ら反独 占運動 が起 こった米 国 にお いて は

,1890年

に ンヤ

ン反 トラス ト法 (Sherman Antitrasut Act)が 制 定 され る と共 に

,1900年

頃 までに は

30の

州 が それ ぞれ州 反 トラス ト法 を もつ に至 り

,1914年

には シャー マ ン法 を補 強す るためにクレイ トン法 (Clayton Act as amended by Robinson‐

Patman Act)及

び連邦取 引委員会法

(Federal Trade COmmission Act)が

制 定 され た。 こ う した独 禁 法及 び活発 な反独 占運動 に

,鉄

鋼 業 も国家 も大 き く 影響 され,規 定 されて きたのであ る。4)政府 は独 占規制 の 当事 者 として鉄 鋼 業 界 と対峙 したため

,両

者 の敵 対 的・不信 関係 が歴 史的 に生 み 出 され構 造化 し て い った。 こ うした関係 が

,戦

後 にお いて も続 いたため

,

日本 にお いてみ ら れ る よ うな政府 と鉄鋼 業界の密接 な関係や政府 のバ ックア ップに よるインフ ォー マ ル な寡 占体 制 の 多様 な発 展 等 は望 むべ くもな く

,USス

チー ル主 導の寡 占体 制 は

,国

家 との対抗 関係 の下 で

,販

売価 格 カル テルヘ の特 化 を余儀 な く され ただけ でな く

,そ

の不安 定化 を潜在 的 に抱 えるこ とに な るのであ る。 鉄 鋼業

,

と りわけ 高炉―転炉体 系 は

,典

型的 な装 置産業 として 巨額 の 固定 資本 投 資 を必要 とす るため に

,損

益 分 岐点が高 い。 しか も,「 産業 の米」とし て

,景

気変動 を受 けや す い生産財 であ る。 また

,大

量 の輸 送 を必要 とす る故 に輸送産業 ともいわれ る。 この ため

,鉄

鋼 業 の産 業的特質 として

,寡

占指 向 性 の強 い産 業 で あ る とい え よ う。 この こ とが

,

日米 の鉄鋼業 のいずれにお い て も寡 占指 向 を と りわけ強 くもつ こ との産業 的背景 で もあ ったのであ る。 従 来 の 日米鉄鋼 産 業 比較 にお いて は

,

日米 の独禁法 の性格 の相違や 反独 占 運動 の有 無等が もた らした構造 的影響 の深 さにつ いては

,必

ず しも体 系的 に 取 り上 げ られ て きたわけ では なか った。 む しろ

,

日本鉄鋼 業 の分析 にお いて は

,カ

ル テルその ものの 多 くが インフォーマ ル故 に

,分

析 の基 軸 か ら外 す と い う傾 向が強か った といえ よ う。 これに対 して

,小

生 は

,

日米鉄鋼 業 比較 を

4)村

上政博『独 占禁止法の 日米比較[上]』 弘文堂 1991年

,お

よび長谷川俊明『競争社 会アメリカ』中央公論社 1991年。

(7)

カルテル論の視点か ら行 な うことによって

,両

者の構造 と力学がは らむ特質 が よ り浮 き彫 りになる

,

と考 える。 日米鉄鋼 カルテルの比較にあたっては

,政

府 との関係

,経

営戦略

,労

働組 合 との関係 とい う

3つ

の角度か らアプ ローチす る。 そ して

,政

府の役割

,業

界の水平的連携

,関

連業界 との垂直的ネ ッ トワー ク

,大

学 との関係

,商

社の 役割及びこれ らの重層的関係等が

,

日米において どの ように異な り

,

またそ の ことが両者の構造 と力学 を如何 に規定 したか を明 らかにす る必要がある。 なお

,

日米鉄鋼業 を比較す るにあたって

,一

方におけ る米国型大量生産 シ ステムの歴史的意義 と情報化社会への不適合 問題

,他

方におけ る日本型生産 システムの情報化社会への「適合」と「フレキシビ リティ」

,

とい う両 システ ムの対照的構図 をふ まえなが ら

,軽

薄短小化 とい う現代技術 と産業の変化の 中で

,鉄

鋼業において

,そ

れ らが どの ように現われ機能 し展開 しているか, について も明 らかに したい。

3.米

国鉄鋼業 におけ る比較優位 の構 造

(1)強

大 な寡 占体制の成 立 米 国鉄鋼 業は

,資

源 ・技術 ・ 労働 力 ・市場 ・資本 の圧倒 的 な優位 とそれ を 支 え る強大 な寡 占構 造 に よって

,20世

紀前半 か ら中盤 にか け ての数 十年 間 に わ た って世 界鉄鋼 業 の リー ダー として

,揺

る ぎない地位 を占め て きた。 高関 税 と欧州 か らの遠距離 とい う市場 障壁 に守 られ た大規模 な国内市場 が形成 。 確 立 され る とともに

,国

内に豊 富 な原材料 を有 し

,

また 多数 の熟練工 を擁 し て いたの で あ る。 さらに

,他

産 業 におけ る絶 え間 ない技術 革新 の インパ ク ト に よって鉄鋼 技術 の革新 が図 られ た。世 界最大 の資本市場 も

,資

金調達 な ど に有利 に作用 したの であ る。

1890年

代 の米 国鉄 鋼 業 にお いて主導的地位 を 占めて いたカーネギー製鋼 が 遂 に モル ガ ン等 の金 融集 団 とその関係企業 に吸収 され る5)に及 んで

,1901年

5)呉

天降『ア メ リカ金融資本成立史』有斐閣 1971年。 同書は

,鉄

道業 との結合 を基 礎 に した金融機関が

,米

国鉄鋼業におけ る独 占形成に主導的役割 を果 たすプ ロセスをダ イナ ミックに分析 してお り

,興

味深 い。

(8)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退 。再生の構造 と力学 99 成立 した

USス

チールは

,全

国銑鉄生産の

43%,粗

鋼生産の

65%,圧

延鋼 材の

70%以

上 を占め,鉄鋼市場で圧倒的な支配力を打ちたてるに至 った。 し か も

,そ

の設立当初か ら

,ス

ペ リオル湖畔の鉄鉱石 とコネルスビル炭に対 し 表

l USス

チ ール社の生産 シェア (1901年) (%) 石 鉄 ル 鋼 板 板 品 材 製 鉱     一           キ 鉄 銑 レ 形 厚 薄 ブ 線 り 43.9 43.2 59.8 62.2 64.6 79.8 73.1 77.7 58.1 57.2 82.8 管 管 鋼 鋼 し 釘 接 な 溶 目 鍛 継 (資料

)″

ηの T2s′P%θら′′π グπ ttι υπ滋 グS″燃, 1928. 再 引用 :大橋 周治『鉄鋼業 (新訂版)』 東洋経 済新 報社 1971年

71ペ

ー ジ。 て持 っていた原料 支配 力 を

,相

次 ぐ合併 に よって強化 したの であ る。 その結 果

,第

一 次大戦前 の時期 には

,USス

チー ルは全 国鉄鉱石 生産 の約 半分 を占 め

,USス

チー ルだけが所要鉄 鉱石 を完全 に 自給 しただけ でな く

,他

の有 力 鉄 鋼 メー カー も鉄鉱石 の供 給 の一部 を

USス

チー ル に依 拠せ ざるをえない関 係 が成 立 した。こ うした トラス トに よる圧倒 的 な市場支配 力 と原料支 配力が, 鉄鋼価格 を政策的 に管理 す る力 を

USス

チー ル に与 えたの であ る。

USス

チー ル は

,鉄

鉱石 価格 を相 対的 に高 く維持す る一 方

,全

国銑鉄 生産 の

40%を

占め る力 で銑鉄価格 を比較 的低位 に維持 して単独 高炉 メー カー を圧 迫 した。 また鋼 材価格水準 に比べ て銑鉄価格 を相対 的 に高 く決め るこ とに よ って

,単

独 製鋼圧延 メー カー を圧 迫す るこ ともで きたのであ る。6)

6)大

橋周治『鉄鋼業 (新訂版)』 東洋経済新報社 1971年

70ペ

ー ジ。

(9)

合併企業数

2

第 1次 合併年 1900 図

l USス

チール社 の成立過程 4 8 38 9 26 27 15 28 資 本系統 、カーネギー)(モルガン)(ムー7)(ムーア)(ムーアリ(ムーア)(ゲーツ)(モ ルガン)(モ ルガン) 1898 1899 1898 1899 1900 1899 1899 1900 (鉄鋼一貫会社) (圧 お よ 19 01年 第 一 次 大 戦 ま で の 合 併 会 社 オ リバ ー鉄 鉱 社 ボ カボ ン タス炭碩 社 ウイ ック鉄鉱 山社 チ ェマ ング製鋼 社 ア ー クチ ェラス鉄鉱 山社 ホ ワイ トサ イ ド鉄鉱山社 (賃借) ヒル鉱山社 (借 鉱契約) ベ ッセマー蒸気船社 ピッツバーク蒸気船社 ユ ニオン製鋼社 トロイ鋼鉄生産物社 ク レア トン製鋼社 カニステ オ鉱山社 (賃 借) ユ ニバ ーサル・ ポ ー トラン ド セ メン ト社 ナ シ ョナル線材社 19 19 年 年 年 年 年 年 年 テネシー石炭鉄 。鉄道社 出所 :大 橋周治 『鉄鋼業 (新訂版)』 68ページ さ らに

,USス

チー ル は

,各

種 の鋼 材 品種 に わ た って形成 され た高 い市場 占拠率 を基礎 に

,

ピ ッツバー グ・ プ ラス (Pittsburg― plus)と も呼 ばれ る基 準 地 点制度(basing point system)を 成立直後の

1902-3年

頃か ら採 用 し

,他

の 鉄鋼 メー カー に

USス

チー ルの決定 した鋼 材価格 の実施 を強制 す るこ とが で きた。 この鉄鋼価格制度 は

,USス

チー ルの主 力工 場所 在 地 ピ ッツバー グを 唯一 の基準地点 とし

,そ

の基準価格 に需要地 までの運賃 を加 算 して鋼 材 の需 フ ェ デ ラ ル ・ ス チ ー ル 社 ナ シ ョ ナ ル ・ ス チ ー ル 社 ァ メ リ カ 0 ブ リ キ 社 カ ー ネ ギ ー 社 ア メ リ カ 帯 鋼 社 ア メ リ カ 薄 板 社 ア メ リ カ 製 鋼 線 材 社 ナ シ ョ ナ ル 鋼 管 社 ア メ リ カ 橋 梁 社 USスチ ール社

(10)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退 。再生の構造 と力学

101

要 地 渡 し価 格 と した の で あ る。 この制 度 は

,売

手 の数 や 所 在 地 の如 何 に か か わ らず

,事

前に何 の連絡 もな しに

,特

定の商品に対 して

,全

く同 じ特定地点 の価格 を設定す るこ とを

,可

能にす る制度 であった。米国においてベー シン グ・ポイン ト制 を実施 した産業は

20以

上にお よんだ といわれているが

,そ

の うち最 も重要かつ本格的なものは鉄鋼業であ り

,か

つ鉄鋼業がベー シング・ ポイン ト制 を採用 した最初の産業であるとされている。7)

(2)反

トラス ト政策及び技術革新下における寡 占体制の再編成 鉄鋼業のベー シング・ ポイン ト制は

,そ

の初期 においては ピッツバー グを ベー シング・ポイン トとす る単一ベー シング・ ポイン ト制 (いわゆる「 ピッ ツバー グ・プラス制」)が明 白なカルテル と結びついて実施 された。すなわち,

1910年

頃 までは

,プ

ール とか価格協定 とかいった公然たるカルテル と結びつ いた ものであ り

,そ

の中心的な推進者は

,常

USス

テールである。 これ ら のカルテル行為 はシャーマ ン法に よって違法 とされたものであったため,1907 年以降は有名 な「ゲー リー・デ ィナー」(Gary Dinners)と 称せ られ る紳士協 定の形 を取 ったが

,こ

れ とてカルテル以外のなに もので もなか った。圧倒的 な市場・原料支配力 を持 った

USス

チールが

,第

一次大戦前の

1911年

,不

当に独 占的な地位 を占めてお リシャーマ ン法違反であるとの理由で

,政

府か ら訴追 を受け るに至 って

,ゲ

ー リー・ディナー も廃止 され

,ベ

ー シング・ポ イン ト制 はメー カー間の協定 とか了解 とかに基づ くものでな く

,全

く自動的 に行 なわれているのだ とい う体裁 を取 るようになる。さらに

,1920年

に西部 の鉄鋼需要者が ピッツバー グ・プ ラス制に抗議 したことが契機 となって

,翌

1921年

に連邦委員会 は

,

ピッツバー グ・プ ラス制 は委員会法第

5条

にい う不 公正 な競争方法であ り

,か

つ クレイ トン法第

2条

にい う違法 な価格の差別待 遇 を伴 うものであるとの理由で

,USス

チール とその子会社 に対 し

,禁

止手 続 きを開始 した。 その結果

,1924年

6月 に ピッツバー グ・プ ラス制 に対す る 「停止命令」(Cease‐and Desist Order)が発せ られ るに至 ったのである。 これ

を契機 に して

,1924年

以降はいわゆる複数ベー シング・ポイン ト制 に衣替 え

(11)

された。 その後

,1929年

以降の不況下において

,複

数ベー シング・ポイン ト 制は崩壊の危機 に直面す るが

,1933年

の国家産業復興法(National lndustrial Recovery Act)に 基づ くスチール・ コー ド(Steel Code)によって息 を吹 き返

,戦

時下において も機能 してい く。すなわち

,

これによって

,そ

れ まで少 な くとも表面的には任意の制度 であったべ

ング・ポイン ト制 は

,強

制力 のある法律上の制度 とな り,「公認 カルテル」 として

,鉄

鋼業は史上初めて, 合法的に価格 を決定す ることがで きるようになった。国家産業復興法に対す る

1935年

の違憲判決によって

,法

律上の制度 としてのベー シング・ポイン ト 制は終 わ り

,以

後再 び任意的な制度に帰 ったが

,ス

チール・ コー ドによ りこ の制度が明文化 されたこ とは

,以

後 この制度の明確化 。一般化 に大 きな貢献 をしたのである。8)

20世

紀前半期 におけ る世界の鉄鋼技術の進歩 を特徴づ け るス トリップ・ミ ル (連続式広幅帯鋼圧延機

)技

術が

,米

国で開発 され工業化 されたことが, 米国鉄鋼業の発展 と寡 占体制の再編成 を促すテ コとなった。米国の 自動車産 業は

,1900年

にはわずか

4千

台の 自動車 を生産 したにす ぎないが

,1920年

に は

22万

,1929に

540万

台を生産す るに至 る。ス トリップ・ミルは

,こ

の ような薄板需要の急増 という市場条件の変化に応えて

1926年

に開発 された薄 板大量生産方式であ り,9)その後の米国鉄鋼技術の世界的な優位性 を示す象徴 となった。 また

,こ

のような鉄鋼需要の変化 と技術的変化 は

,寡

占体制の再編成 を促 し

,USス

チールの地位 の相対的低下 とこの巨人に次 ぐ

3大

鉄鋼 メー カーの シェアの増大 をもたらす:表 2)す なわち,自動車その他耐久消費財用の鋼材需要 の増加 に伴 い

,需

要 品種が

20世

紀初め までの重量鋼材(レール

,構

造用形鋼, 厚板 など

)中

心か ら軽量鋼材 (薄板類 などス トリップ ミル製品

)に

転換 した が

,重

量鋼材用の旧設備 で装備 された

USス

チールは

,ス

トリップ ミルのパ テン ト買収 でアーム コに機先 を制せ られるなど他 の

3大

鉄鋼 メー カーに比べ

8)西

尾秀明 前掲論文 9)大橋周治 前掲書 93∼ 94ペー ジ,および雀部高雄F鉄鋼 技術論』ダイヤモン ド社 1968 年

27ペ

ー ジ。

(12)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退・再生の構造 と力学 103 表

2

粗鋼生産の集 中度

8大

企 業 1904 1920 1938 1974 1961 1976 1984

a)2位

か ら

8位

までの企業の 占拠率 は生産能 力のデー タか ら算定 した。

b)ナ

ン ヨナ ル社 の 占拠率 は推定 であ る。

出 典 :Federal Trade Commission,τ あι υπグιιグ

S″

ιs S′

′Iπ″ιιs′η

απ″frs lπ″γπα′グοηα′Rグυαた(Washington,D.C.1977), p. 157 ; and lnternatiOnal lrOn and Steel lnstitute, ツИαγノグ

S″ι′グη f71,ど%%ιs(1985), p.2. 再 引用 :ウ ォル ター・ ア ダムス編 『現代 ア メ リカ産業論』第7版 金 田 重喜 監訳 創風社 1987年

117ペ

ー ジ。 て,需 要変化 と技術革新 の インパ ク トに迅速 に対 応す る弾 力性 を欠いていた。 さ らに

,平

炉 製鋼 におけ る鉄 暦 の使 用率 増加 とい う技術 上 の変化 に伴 い

,巨

額 の投 資に よって鉄鉱 山 と製銑能 力 を支配 しコネル ス ビル炭 田に立地 した

U

Sス

チー ルの優位 は減殺 され

,原

料 立地 よ りも消 費地 に近 い こ とが鉄 鋼 業 に とって有利 な条件 となったのであ る。新 需要 が

,

しば しば

USス

チー ルの主 力製鉄 所 か ら遠 距離 に分布 して い た こ とが

,同

社 に とってハ ンデ イ キャ ップ に転化 した。10)

(3)第

二次 大戦後 におけ る寡 占構造の変容 第二 次大戦後 にお いては

,1947年

に連邦委員会 は

,ベ

ー シ ン グ・ポ イン ト 制 が委 員会 法 第

5条

の規定 に違 反 した との理 由で改め て,米 国鉄鋼協会 と(全 国製鋼 量 の

96%を

占め る

101の

子会社 に対 して

,禁

止手続 きを開始 した。続 いて

1948年

4月には

,最

高裁 判所 が

,同

一 のベ ー シン グ・ポイン ト制 を採用 %   の         り 75.5b) 73.4 65.0

4大

企 業 USスティー ル社

60.8%

45.8 33.1 33.7 25.7 22.1 16.6 74.2% 58.5a) 62.0 63.5 54.6 52.8 46.6 10)大橋周治 前掲書 99∼ 100ペー ジ。

(13)

して い る

USス

チー ルの子会社 のセ メン ト会社 に対 して

,

クレイ トン法及 び 連 邦委 員会 法 に違 反す る として禁 止命令 を下 した。 この ため

,鉄

鋼 のベ ー シ ン グ・ ポイン ト制 に対 して も停 止命令 が で るこ とが明 白 となったため

,1948

年 7月 に

USス

チ ール がF・ 0。

Bベ

ー ス (Free on board:工 場 貨車 未せ 渡 し価格 )で 製品 を販売 す る旨を声 明 し,他 の会社 もこの例 に倣 い,ここに,半 世 紀 にわ た る鉄鋼業 のベー シング・ポイ ン ト制 は,幕 を閉 じるに至 ったのであ る。

1948年

以 降の F・ 0・

B制

にお いて も

,USス

チー ル を リー ダー とす る業 界協調 の伝統 と寡 占体制 及び長期 にわ た る好景気 に支 え られて

,鋼

材価格 の 画一 性・安 定性 は維持 され

,実

質 的 な価 格 カル テル は

,

ミニ ミルの 台頭 と輸 入鋼材 が顕著 に な る

1960年

代 後半 まで機能 したの であ る。 「

USス

チー ル の成立以来お よそ

60年

間 にわ た って,米 国鉄鋼 市場 か ら攻撃 的競 争 の精神 が 消 え去 り

,交

渉 と協 調 の政 策が それに取 って代 ったのであ る。 と りわけ

,米

国 の鉄 鋼 メー カー が景 気下 降 の長期 化 の間 に も維持 しえた価 格 統制 は

,外

国 鉄 鋼業 の羨望 と称 賛 の的 とな った。」

H)し

か し

,そ

の結果 として

,戦

後 十数年 の間 に米 国の鉄鋼価格 は国際的 にみて も著 し く高 い水準 になって しまい

,異

種 材料 に よる鉄鋼 市場 の蚕食,続 いて輸 入鋼 材 の進 出 を もた らしたのであ る。 この強大 な寡 占体制 は

,連

邦政府 に よる

USス

チー ルの告訴

,解

体 要 求 等 をは じめ とす る政府 の反 トラス ト政策 に よって絶 えず牽制 され る と共 に

,販

売 以外 の種 々 の分 野 におけ る企業 間協 力や 水 平 的連 携 は阻止 され

,イ

ンフォ ー マ ル な価格 カル テルヘ の偏 重 を余儀 な くされ たの であ る。 これは

,

日本型 鉄鋼 カル テル にみ る体系 的かつ官民協調的構 造 とは著 しい差 異 をなす もの と い え よう。 もち ろん

,米

国 にお いて強大 な鉄鋼 カル テルヘ の政 府 の規制 が一 貫 して継 続 され て きたわけ で は ない。 第二 次大 戦 時及 び その前後 の時期 にお いては, 鉄鋼 の寡 占体制 を政府 がバ ックア ップす る政策 がみ られ

,そ

れが鉄鋼 カルテ ルの補 強 と延命 に大 きな役割 を呆 た した点 を見落 としては な らない。 11)ウォル ター・ アダム ス編 Fアメ リカの産業構造』第6版 金 田重喜監訳 青木書店

1984年

61ペ

ー ジ。(Edited by Walter Adams;The Structure Of American

(14)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退・再生の構造 と力学 105 その一つに

,先

に述べ たように

,1933年

の国家産業復興法に基づ くスチー ル・ コー ドによる鉄鋼販売 カルテルヘの政府の支援があげ られ る。 第二に

,第

二次大戦に米国 自身が参戦す るにおよんで

,米

国の鉄鋼業 と国 家 との間に以前になか った新 しい関係が生 まれた。 それは

,政

府が鉄鋼 の生 産計画 を作成 し

,そ

のために必要 な設備 の新設 と改造 を指令 し

,必

要資金 を 提供 した点にある。 これは

,鉄

鋼業だけでな く

,第

二次大戦 中におけ る米国 工業の一般的特徴 であった。第二次大戦においては

,製

造工業への設備投資 総額

176億

ドルの

84%が

国家投資であったが

,鉄

鋼業において も例外で は な く設備投資総額

18億 2600万

ドルの うちの

69%を

国家投資が 占めている。 表

3

第2次大戦 中の ア メ リカエ業 への 国家投資 (1940年下期 ∼43年上期

) (単

100万

ドル) 工 業 部 門 企 業 数 航 大 造 化 武 鉄 非 機 学 ・ 石 器

弾 砲 1合 ツ由 薬 鋼 属 機 鉄

金 械 ・ 電 運 輸 機 械 ・ 軍 用 車 工作機械 ・金属加工機 (資料

)燃

″ιss″′″,1943年 6月19日 ,I%οπ 4y,1943年12月 23日。 再引用:大橋周治『鉄鋼業 (新訂版)』

141ペ

ージ。 しか も

,鉄

鋼業の場合

,国

家資金で建設 された新鋭設備の

53%(6億

7000万

ドル)に相 当す る部分 は

,USス

チール

,

リパブ リック・スチール

,ア

ーム コ ・スチールの大手

3社

に名 目的な賃借料 で経営委託 され

,生

産高に応 じて一 定の利潤が保障 された。さらに

,12億

6000万

ドルの国家資金 を投入 して建設 されたこれ らの鉄鋼設備 は

,戦

後に

,建

設費の数分の一 とい う「す こぶ る低 価格」で大手 メー カーヘ売却 されたのである。 これによ り

,戦

時∼戦後直後 投 資 総 額 うち 国 家 投 資 全 投 資 に 対す る比率 3,327 2,868 2,086 1,969 2,097 1,826 1,428 771 503 298 3,085 2,856 1,991 1,304 1,870 1,261 1,126 462 425 153 % 92.7 糸 `J10095.4 66.2 89.1 69.0 78.8 60.0 84.5 52.3

(15)

の間 は

,大

手 メー カー の シェア を増 大 させ てお り

,寡

占体制 を補 強す る力 と して無視 で きない影響 を及ぼ した。 中で も

,USス

チー ルヘ のゼ ネバ製鉄所 の払 い下 げは

,そ

れ に よって新 しい西部市場 に まで大手 メー カー の支配力が 伸 張・確 立 され,新 規 の独 立会社 の進 出にブ レー キをかけた点 で注 目され る。12) また,カ ルテル支援 ではないが

,政

府 に よ る鉄 鋼 業へ の支援 と しては

,1950

年代 におけ る設備 拡 張へ の低 利資金貸付 けや加速租税償却 等が挙 げ られ る。 しか しなが ら

,米

国政 府 の政 策 の基調 には

,鉄

鋼 メー カー の カル テルや ト ラス トに対す る強 い規制がみ られ

,

また

,鉄

鋼 業へ の支援 ・助 成 とい う点 に お いて は限 られ た権 限 と実行 力

,

とい った特徴 を もっていたが

,そ

れ らは何 れ も 日本政府の政策 との著 しい対照 をなす ものであ った。

4.一

貫製鋼 メーカー にみ る衰退の構造

(1)経

営 システム に お け る衰 退 の構 造

1950年

の米国鉄鋼業 は

,世

界 で最 も強力かつ先進的 であ った。世 界の鉄鋼 生産 高 のお よそ半分 を占め,日本 の ほぼ

20倍

もの鉄鋼 を生産 して いたの であ る。 その上,米 国の 巨大鉄鋼 メー カー は,技 術 お よび工場規模 の面 において も世 界の リー ダー と しての地位 を享受 してお り,そ の地位 は過去

50年

間 に わ た り外 国の競争者の追随 を許 さぬ もの であった。 しか しなが ら

,今

日では

,米

国鉄鋼業 をめ ぐる状況は

,劇

的かつ根本的に 変化 している。かつての「鉄鋼王国」・「巨大なアメ リカの姿の象徴」は脆 く も崩壊 し

,今

や「病め るア メ リカの象徴」へ と変貌 しているのである。13)米国 の鉄鋼生産高は世界の

12%を

下回って お り

,

ソ連

,EC,

日本の後塵 を拝 して第

4位

に後退 し

,鉄

鋼貿易において も主要 な輸出国か ら世界最大の輸入 国に転化 しているのである。米国鉄鋼業の中で も

,

ミニ ミルの急成長 とは対 照的に

,一

貫製鋼 メー カーの凋落は際立っている。 さらに

,か

つての鉄鋼技 12)大橋周治 前掲書 140∼ 142,190ペー ジ。 13)ジョン・ス トロマ イヤーF鉄鋼産業の崩壊 ベ スレヘム・スチー ルの教訓 』(JOhn StrOhineyer;Crisis in Bethlehem,Big Steel's Struggle tO Survive.)サ イマル出版会

(16)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退・再生の構造 と力学 107 表

4

合衆 国鉄鋼業の 国際的地位 の変化 世 界 全 生産高a) 10.8 41.1 82.3 200.0 360.3 637 8 792.2 783.0

a)粗

鋼、100万ネ ッ ト・ トン (あるいはシ ョー ト・ トン)。

b)輸

出鋼材マ イナ ス輸入鋼材、100万ネ ッ ト・トン (鋼材1トンは大体粗鋼1.25ト ン に相 当す る)。

出 典 :American lron and SteeI Institute,ス ηπ%αι S″ 's′

グοα′ Rα)ο″,various

years;EurOpean COmmunity,EurOttat,′ %ο″αηグS′σ′′,Yearbook,vari‐

ous years;『鉄鋼年鑑』各年版。 再 引用:ウォル ター、ア ダムス編 『現代 ア メ リカ産業論』 第7版 110ペー ジ。 術 の圧倒 的優 位 性 は失 われ

,そ

の地位 を 日本 に奪 われ たばか りか,「技術 的沈 滞 は

,ほ

とん ど議 論以前の問題 で あ る」14)と評価 され る状 況 に瀕 す る至 って い る。 米 国鉄鋼業

,す

なわ ち

,そ

の大宗 をなす一貫製鋼 メー カー の衰退 の原 因お よび メカニ ズムは

,一

体何 で あ ったのか。衰 退 の原 因につ いて は

,従

,多

くの主 張 な り指摘 が な され て きたが

,基

本 的 には

,

メー カー の経営責任 に よ る もの と「 メー カー 自身ではいかん ともしが たい もの」 に大別 す るこ とが で きる。 経営責任 に よる もの,す なわ ち経営 システムにおけ る衰退 の構造 としては, 14)ウォル ター・アダムス編『現代 ア メ リカ産業論』第7版 金 田重喜監訳 創風社 1987

年 145ペー ジ (Edited by Walter Adams;The Structure of American lndustry,

Seventh Edition,1986.) H 本 合

国 E C 純 輸 出b) 生 産 高8) 世 界に 占 め る ンエ ア (%) 純 輸 出b) 生 産 高a) 世界に占 め るンエ ア (%) 純 輸 出b) 生 産 高a) 世 界に 占 め るンエ ア (%) 0.4 2.5 22.3 34.7 31.8 1.8 14.6 49.2 96.8 99.3 131.5 1118 91.5 16.2 34.2 59.8 48.4 27 6 21.6 14.1 117 -0.7 0.9 2.2 1.6

-02

-6.3 -124 -22.9 7.5 20.3 27.8 53.2 107.8 151.6 140.1 132.5 69.2 49.4 33.7 25.6 29.6 23.8 17.8 16.9 1.2 5.0 8.0 9.0 9.7 7.4 15 0 11.3 0.9 5.3 24.4 102.9 122.8 116.4 1.1 2.6 6.7 16.1 15.5 14.9

(17)

H C O 即 ヽ ・ 阿 岨 0 0 い ´ 螺 稲 廻 朧 螂 側 榊 泌 鰹 稲 終 塩 卿 瑯 0 “ ] ヽ く 辮 Q ● 卜 К ヽ 酬 畑 ´ 期 賦 ´ こ 瑯 O て ロ 榊 裔 製 拠 翻 量 ぶ 0 ﹁ せ 爆 ﹁ 証 晏 К Q 颯 鵬 ´ 景 獣 Q 撃 認 屎 條 コ ︶ 聟 K せ 邸 Ж ゛ 螺 K 層 当 O 拠 麺 ※ Q 辞 ” ∞ I N ∞ 0 ■ つ た ︱ ヽ K ツ К ぎ せ P O ﹁ 叫 ︷ К 狐 測 終 E X ぬ 熙 ・ 終 電 O 聟 暉 紅 C 米 覇 談 曰 く や ヽ り 一 興 暇 Q 酬 量 黙 モ ・ F ヨ ‘ К n 地 督 O 〓 壼 ま 建 ・ ぐ 丼 報 纏 撃 黎 ポ 畠 ヽ ︶ 覆 哺 3 “ N ︶ ク ︶ 増 ・ へ 震 O ぬ 理 蘇 さ ・ ︿ ﹃ 電 O 悠 腰 ヤ 由 藤 ■ 3 薇 暉 ﹀ 颯 郎 К 皿 0 民 製 ぎ 歯 ・ ● 枢 巌 O ζ 案 外 ミ 爆 C m く ・ ︿ 黒 К Q 由 邸 姜 E 選 回 ﹀ 一 ヒ 輝 島 枷 ・ 塑 姜 ミ ﹃ ¨ 楔 螺 軸 ¨ 一 ・ い 理 O 。 ヽ ・ ・ ″ C 皿 響 “ O 〓 電 く 録 ・ 橿 〇 一綱 迫 知 憔 郡 騒 ︺

︵ , き ヽ ∞ 0 ︼ 撻 騒 、 ヽ ︱ ゝ ︶ 羅 翔 昴 く 録 ・ ︵ よ N ∞ , ∝ 卜 ︻   理 騒 ︱ ヽ ︱ ^ ︶ 興 羅 凛 暉 ︱ ヽ ヽ 4 ・ ︵ せ ヽ ト 1 3 0 ﹁ ︶ く “ > ︱︱ 製 撻 軍 緊 相 m O ﹁ o m ・ K 口 ・ 一                                     コ ︶ 聟 暉 撻 壇 喪 < 匈 塵 豪 一 一 く 鐸 や ﹁ せ ヽ ︱ ‘ ヽ キ ■ 螺 相 駆 Ⅸ ﹀ 鼎 ﹁ ヽ 黙 躙 Q 認 ぶ N 軍 麺 測 一

潔 撻 障 漱 8 Q N 褻 ホ 憲 部 来 釧 興 譴 3 終 回 Ⅸ 秦 3 運 厖 = 眸 米 糎 通 燎 ぶ Ⅸ = 撻 饉 口 菫 O 購 圏 0 相 鰈 Q ︶ ミ ‘ ゝ 総 椰 〇 一 t 騒 詢 趨 Q 抑 さ 漱 区 Q ζ g 示 ・ 撻 さ 女 Q O i ﹁ い ︱ ベ ー ヽ ﹁ 長 ≪ Q 龍 儒 Q t 騒 職 躙 Ю ■ 鞭 せ 螺 繋 姜 駄 華 ﹀ 細 い や N 翻 爆 霜 抑 0 醐 К ´ £ ゛ 掏 華 却 Q キ 暇 よ 回 t

い 0 製 ︱ 紹 榔 軽 ´ , ︶ 0 旧 回 ヽ い ﹂ 粽 O ● ﹂ 〓 H 緊 訴 . 贈 畑 “ 倒 釧 工 ヽ ウ ヽ ヽ Q 訳 畑 製 ︿ 要 驀 襲 ︱ 姜 ︿ ヽ 、 ヽ 卜 、 も ヽ ヽ 工 κ ヽ Q 加 弱 ﹀ ︹ 絣 沢 C J 障 ︺ ︿ 器 相 玄 糧 ・ Ш K O 迷 圏 撻 饉 l κ 絲 ﹀ ﹁ 撻 田 ﹂ ﹁ 一一攣 緊 0 十 女 ! 駅 藤 匝 米 刹 さ “ ・ 一 ︵能 ﹁ 製 く ﹂ 菊 ﹁ 一蛛 咽 ﹂ 民   一 寒 O パ 梗 Q 口 掟 t さ ゼ 幽 や 0 0 掏 R 理 製 J 瓢 業 ・ 一 ︿ 坦 颯 ︱ 米 Q 選 さ 熙 騒 O t 遇 ﹀ 緊 愕 C 皿 来 ご メ ▲ l o た ヽ ´ 0 女 り ヽ ≪ 響 掻 や O 器 霜 誘 □ く = 照 米 浴 螂 ︵ 熙 露 恣 せ 華 ︶ 回 ま 女 せ V D N I ヽ ︱ ヽ O 味 〓 襦 ﹁ K 駆 = 腱 騒 N ヽ . 、 ト ー ︲︱ ヽ や 座 一 一迷 縦 ヨ ﹂ や ﹁ り ヽ Ж ぐ К ・ 儒 梃 掏 響 膝 繋 C く ヽ ・ ︵ R 掻 終 К 認 C 橿 駅 姉 ´ じ 隔 製 椰 0 ま や 円 騒 ・ 熙 潮 N 理 橋 椰 戻 や 3 邸 秘 ・ ︿ 扁 X 姜 g 瘍 J O 一 藤 理 匈 ヨ 区 ﹀ ヽ             窓 墾   ´ 一 E 祉 O ´ 掏 壼 泄 で   一 一 卜 ﹁ 丼 神 ゛ Ш ´ 0 畑   一 一 朧 掏 せ 椰 Ⅸ 熾 ′ ︶   一 一 “ 頓 烙 収 贄 に 樹 ヨ = 一 鞘 叫 怖 一 い や F ヽ 麟 ・ 緊 障 . 憎 女 Q ζ く く Q 撻 饉 ﹀ 卸 ヽ, t t Ⅸ 錮 Q ζ さ 嶽 薇 塔 連 N 蜜 赳 Q 軍 ‘ ヽ ヽ ■ ・ ヽ ヽ ヽ 1 て ヽ H ヽ 3 駆 Ю “ ■ ︱ ミ ー ヽ 陣 州 コ ヽ ﹁ 漱 E 回 潮 ・ 3 斗 K 輻 樹 黙 撻 C 着 用 ヽ ︱ 卜 К ∽ つ 。 こ 理 ・ 却 憮 J 騒 ぶ C I 昧 コ ・ ︿ 樹 響 Q 豪 К 知 嶽 ﹀ К 騒 岱 螂 く 板 ・ 味 躍 熾 一 k や 印 ´ ド 、 り 餌 郎 終 劇 製 = 庶 桜 ・ 一 龍 電 紅 味 墜 ´ 豪 量 ゝ ヽ ヽ ヽ n t さ ・ 一 来 騒 聟 趣 C 漱 0 ・ ま 習 卜 H 、 0 ● リ ー ^ ︱ \ 訃 × = 味 累 ・ 一 照 せ 腱 O 掲 畑 騒 課 転 1 0 副 К = 密 饉 ・ 一 圏 ■ 凛 終 興 畷 O 釈 櫂 談 ・ ︿ ︵ 縣 I K 姜 塩 螺 響 = ︶ 憫 早 0 パ 硬 C L 騒 ヽ L 米 顆 誘 ﹀ 一           田 墨 理   一 一 騰 り ヽ 3 K 報 ´ 0 ヾ   一 一 ︶ 鈴 1 0 撻 選 さ に = 一 に ‘ К ヽ 工 Ⅸ 靱 誕 匠 ・ ︿ 都 ﹀ ︵ ミ ︶ 鯉 “ Щ 郎 一 m 麟 漱 興 ・ ︵ ← コ 0 し ヽ ヽ 二 ヽ ヽ ヽ ・ ︵ ■ 0 0 ∞ し ヽ ヽ ヽ ︱ キ ヽ ・ ︿ 軍 涎 ﹀ 螺 権 C 皿 “ 郵 緊 К ︵ 織 里 燿 0 0 く 〓 巡 ´ ぶ 区 鰹 ︶ 酬 量 傘 催

¬ト

︹ 雄 区 Q 終 回 匈 庶 継 霜 恣 ︺ ︹ 裂 緊 刹 押 峰 Q

恣 鞭 駅 謳 聴 鯨 O 回 は 薬 ・ 一 コ ヽ E W O 懸 駆 平 “ ・ 一 民 咽 姜 E X Q 眠 米 Q 慶 製 状 運 躙 ヤ L 暮 0 ﹁ 卜 駆 掏 べ 黙 ヤ 体 Q ヽ 製 壊 輝 O C 却 超 卿 誕 ・ 緊 響 Q 響 郷 に 輝 ・ ︿ 製 卿 違 ・ 坦 回 諄 0 加 螂 ﹀ 丼 熙 ・ 0 掏 ξ 駆 思 恣 巡 郷 < ≪ N ∬ ﹂ ︹コ ヽ憚 懸 Q 抑 蛛 Q 恒 拒 C 日 ω 知 檬 野 暉 ︺ ︹ 製 撻 Q J 嶼 輝 コ ニ 姜 Ξ き □ ︺ 図 準 S = 障 ・ 瓢 榔 0 ぐ り 一 ︵︱ バ ー ヽ 覇 誦 肛 ︱ ︶ 器 覇 覇 回 米   銀 図 エ ー ヽ R К H O 僕 椰 ヽ に 撃 暉 ぶ 8 壼 ﹁ や 卜 国 O ミ ヽ 中 握 ぶ ´ 部 製 0 磨 駆 な 廻 撻 優 g ‘ 姜 く 森 Q 暇 通 ・ 一 N ヽ ス 回 ¨ Q 韓 覇 墾 口 ・ ﹂ ゞ ︶ 回 邸 Q 送 毬 邸 ぶ 塑 騒 ヽ 鈴 森 工 ヽ 0 刹 弱 ・ 民 職 Q で 斑 0 麟 O ζ 螺 駅 嘔 課 薬 々 0 使 ま せ k l ︲︱ 鱒 薇 莉 昭 転 Q К ﹁ ︱ 卜 神 慶 莉 覇 Q 使 Ⅸ Q ζ k l ︲︱ 勲 騒

(18)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退・再生の構造 と力学 109 「技術的先見性のなさ

,非

効率的な設備の操業継続

,労

使関係の まず さ

,さ

らには顧客 との協力関係の欠如」15)等が挙げ られ る。これ らは

,主

として

,長

期 にわたる寡 占体制の弊害によるもの とみなす ことができよう。す なわち, 半世紀 を越 えての広大な国内市場の寡 占体制 とい う非競争的環境の下 で,「攻 撃的競争による厳 しい風当た りの欠如」 と「世 界市場競争か らの隔離」は, 経営上の硬直性・消極性 と国際的な視野の欠如 をもたらしたのである。16) まず

,経

営上の消極性は

,技

術戦略の軽視 となって現われた。経営陣が「発 明はひ きあわない」 とい うアン ドリュー・カーネギーのモ ッ トーに囚われ, 「新式の したがっておそら くリスクのある技術 よりも十分 に実証 された技術 の方 を好」む傾 向が強 まってい く。 そ して,「そんなことをしな くて も

,

うま くいっているではないか」等 といった社 内の反対の声で技術進歩の芽や努力 が潰 された り,17)さ らには譴責処分 などによる革新者の排除等による技術進歩 の揉み消 しが行 なわれた。18)こ うした技術戦略の軽視や消極性は,戦後の画期 的革新技術 である

LD転

炉や連続鋳造法の採用の大幅な遅れ となって現われ,

1960年

代以降におけ る日本等 との明暗 を分 け ることになるのである。 経営上の消極性は

,顧

客サー ビスの貧弱 さや顧客ニー ズに対応 した製品開 発への取 り組みの消極性等

,顧

客 ニー ズヘの反応の鈍 さをもたらした。 さら には

,経

営の非効率 と傲慢 さも同時に進行 してい く。「巨大 なスタッフ と複雑 な会社組織」といった企業内官僚機構の肥大化が,「巨大 な機構 に巣食 う内部 の権力闘争」によって助長 され,19)その「融通の効かない組織構造」は,「外 的な環境が急速 な変化 を被 っているときに会社の計画の根本的な見直 しをは 15)マイケル・L・ダー トウゾス他 『Made in America― ア メ リカ再生のための米 日欧 産業比較」 (Michael l.Dertouzos et al.;Made in America,Massachusetts lnstitute

of Technology.1989.)依 田直也訳 草思社 1990年 380ペー ジ。

16)ウォルター・ アダムス編 前掲書 第7版 146∼ 149ペー ジ。

17)ジョン・ ス トロマ イヤー 前掲書

57ペ

ー ジ。

18)レオナー ド・H・ リン『イノベ ンヨンの本質

― 鉄鋼技術導入プ ロセスの 日米比較』

(leonard H.lynn,How Japan lnnovates,A Comparison with the U S.in the Case of Oxygen Steelmaking,Westview Press,Inc_1982.)遠 田雄 志 東洋経 済新 報社

1986年

140ペ

ー ジ。

(19)

ばむ経営上の硬直性」 をもたらしたのである。20) さらに

,経

営上の硬直性は

,労

働慣行の硬直性 とセ ッ トになって進行す る。 む しろ,「硬直化 した

,組

合主導の労働慣行」

,あ

るいは「労働組合による不 当人員要求や制限的労働慣行」は

,(経

営 トップの法外な報酬や状況判断の誤 り 。妥協 といった

)経

営の非効率や傲慢に よって増幅 された もので もあ り, さらに両者の葛藤が経営への根深い不信・敵意による労使 間の亀裂や労働意 欲 。モラルの低下 をもた らす など

,両

者が相乗作用 して衰退化 を加速 させ た のである。21) 次に

,国

際的 な視野の欠如は

,海

外技術動向への情報チャンネルの欠如や, 「外国で開発 された技術革新 に対す る無関心 とい う経営者の態度」等に如実 に示 されている。22)こ れは,海 外の技術発展 をモニ ターす るマルチ・チャンネ ル・システムをもち

,商

,政

府機関および業界団体がその重要 な担い手で あった 日本 との著 しい対照 をなす ものである。23)こ うした国際的な視野や情報 の欠如が

,米

国鉄鋼業界の過信等 と結びついて

,時

代遅れの大規模投資の展 開 となって現われた といえよう。その典型例 として,1950年代の大規模投資の 失敗が挙げ られ る。日本の メー カーが

1952年

に最初の臨海立地製鉄所の建設 を開始 した後に

,米

国の鉄鋼 メー カーは

,大

規模 な拡大計画に乗 り出す。 と ころが,「

1950年

代初めにはすでに知 られていた新技術 と工場設計の新 しい概 念には

,ほ

とん ど注意 を払わない」で

,莫

大 な金額が

,立

地に恵 まれず工場 設計の貧弱な多 くの工場の個々バ ラバ ラの拡大のために支出された。

1950年

代末に拡大が完了 した とき,「建設 されたばか りの製鋼工場 はすでに時代遅れ になってお り」

,米

国鉄鋼業は「

50年

代の初め よ りも悪化 した競争的地位 にい た」のである。24) さらに

,1970年

代になると

,長

期的な視野に立った活動 を支援す る経営の 能力や意欲の減退が顕になる。大手鉄鋼 メー カーは,「研究活動 を縮小 し」た 20)ウル ター・ ア ダム ス編 前掲書 第6版 129ペー ジ。 21)ジョン・ ス トロマ イヤー 前掲書 83,284∼285ペー ジ。 22)ウオル ター・アダムス編 前掲書 第7版

153ペ

ー ジ。 23)レオナー ド・H・ リン 前掲書 113∼ 114,150ペー ジ。 24)ウオル ター・ アダムス編 前掲書 第7版 153∼ 154ペー ジ。

(20)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退 。再生 の構造 と力学 111 り,「鉄鋼工場 を近代化す るかわ りに

,石

油や化学 などの産業に多角化す るこ とを選んだ」のである。25)こうした動 きは

,1970年

代において研究開発活動 を 強化す るなどの積極的な経営戦略に踏みだ した 日本鉄鋼業 との著 しい対照 を な している。 さて

,米

国鉄鋼業におけ る衰退の原因の中で

,

メー カー 自身では如何 とも しがたい もの としては,「海外 メー カー との競争

,相

対的に高い労務費

,建

設 的でない政府交渉

,

よ り効率的な設備 に投資す るための資本の不足など」が 挙げ られ る。26)これ らは,国家政策によるもの と,海外諸国 と米国 との経済発 展段階の違 いや鉄鋼業のライフサ イクルの違 いによるもの,に大別 され るが, 後者が前者に影響 を及ぼす とい う側面 も少 な くない と見 られ る。

(2)社

会 的バ ックア ップシステ ムの構 造 一 鉄 鋼 業界 と政府 の 関係 を中心 に して一 国家政策によって もたらされた衰退の原因 としては,「連邦政府の認識の欠 如」や 「国家政策における先見性の不足」に基づ く鉄鋼業 を支援す る「国家 政策の不在」や非一貫性が挙げ られ よう。27) 米国にみ られ る鉄鋼業 と政府の意見の相違や衝突は

,他

国にはほ とん ど見 られず

,米

国の際立 った特徴 をなす ものであった。鉄鋼 メー カー と政府の最 も重要 な意見の相違は,「最適 な鉄鋼業の集 中度 と

,企

業の価格政策に関す る 継続的な不一致―一イ動突 と呼ばれ ることになる 」28)でぁった。ンヤ

ン 法の制定 (1890年

)以

来の長期 にわたる厳格 な独禁法の存在 (法制及び執行) と反独 占運動の高揚が,連邦政府の鉄鋼政策に重大な影響 を与 えたのである。 「今世紀の数十年間に固まった

USス

チールのエルバー ト・H・ ゲー リー と 連邦政府 との間の衝突の構図」や「意見の相違」は,「鉄鋼 メー カー と国家 と 25)マイケル・L・ ダー トウゾス他

381,385ペ

ー ジ。 26)同上

380ペ

ー ジ。 27)ポール・A・ティファニー『巨大産業 と闘 う指導者 ア メ リカ鉄鋼業 の興亡』(Paul

A.′I`iffany; The IDecline Of Arnerican Steel,IIO、 アヽ4anagernent,Labor,and Govern―

ment Went Wrong,Oxford University Press,Inc.1988.)加藤幹雄他訳 日本経済新 聞 社 1989年

268ペ

ー ジ。

(21)

の どち らに も

,そ

れ ぞれ の イデ オ ロギー と して定着 し」

,鉄

鋼 業 界 と政府 間関 係 におけ る不信 と敵 対 主義へ とエ ス カ レー トして い った。「 しば しば米国の特 徴 とされ る敵対 主義 は

,鉄

鋼 業 の場合特 に悪性 であ った。鉄鋼 業 の指 導者 の 伝 統 的 な反 国家的 な態度 だけ でな く

,同

様 に政 府 の政 策 決定 者 の側 に も反鉄 鋼 感情が強 く存在 した」の であ る。29) こ うした歴 史的環境 の 中では

,

日本 に見 られ るよ うな政府 と鉄鋼業 界の密 接 な関係 の構 築 は望 むべ くもな く

,鉄

鋼 業 を支援 す る「 国家政 策 の不在 」や 非一 貫性 を もた ら した。「通産省 の幅広 い動 きに くらべ る と

,ア

メ リカの政府 は何 もしなか った,と い って よい」。30)し か も

,経

済性 を追求す るため企業 間 で協 力 しあお う とす る努 力 は

,連

邦政 府 の反 トラス ト政 策 に適 合 しな い故 に阻止 され たため

,米

国 の鉄鋼 各社 は

,

日本各社 の よ うには協調 す るこ とが で きず

,歴

史的 な伝 統 を もつ 唯一 の価 格 カル テルヘ の特化

,

とい う制約 を余 儀 な くされ たの で あ る。 これ は

,

日本 にみ られ た政府 に よる手厚 い支援 と鉄 鋼 カル テルの官民協 調かつ体 系 的

(=購

入・生産・販売等 に またが る網 羅型) 構 造 とは好対照 をなす ものであ る。 米 国 の連 邦政 府や 司法省 の一 貫 した カル テル取 り締 ま り・反独 占政 策 は, 政 府 と鉄 鋼 業 界 (巨大一 貫 メー カー

)の

敵 対 主義 ・ 不信 関係 を歴 史的 に抜 き 差 しな らぬ深刻 な もの に し

,米

国鉄 鋼 業 の対 外競 争 力等 の 足枷 とな った こ と は否定 しが た く

,

日本 にみ られ るよ うな政府 との密接 な関係 に基づ く官民結 合 型の イ ンフ ォー マ ル な体 系的 カル テル との競 争 力 におけ るハ ンデ ィキャ ッ プ を決定 的 た ら しめ たの であ る。 海外諸 国 との経 済発展段 階の違 いや鉄鋼 業の ライフサ イ クルの違 い とい う 側 面 につ いて も無視 す るこ とはで きない。戦後 においては

,既

に成熟段 階か ら斜 陽段 階 に さ しかか っていた米 国鉄鋼業 には

,人

材や 資金等 の投 入等 とい った点 にお いて も

,国

家 資源 が重 点的 に投 入 され た 日本 等 に対 してハ ンデ イ キ ャ ップ を抱 え る こ とに な ったの であ る。 29)同上

270ペ

ー ジ。 30)レオナー ド・H・ リン 前掲書 152ペー ジ。

(22)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退 ・再生 の構造 と力学 113 また,第 二次大戦後 におけ る鉄鋼 資源 の世 界的分布 の変革31)に 加 えて大型 船 の開発 にみ られ る船舶輸送革命 は

,鉄

鋼 原燃料 コス トや 製 品の遠 距離輸送 コス トの一大変革 を もた らし

,米

国鉄鋼 業 の資源優位 の構 造 と市場 障壁 を突 き崩 す こ とに なった。 そ して

,

日本 な ど海外 原燃料 に全 面的 に依 存す る新 興 諸 国の 台頭 を促 す 重要 なインパ ク トとして作用 したの であ る。 さ らに

,戦

後 に展 開 され た米 国政府 の本格 的 な対外援助 は

,国

家 経 済 のバ ッ クボー ンであ る外 国鉄鋼 メー カーヘ の直接援 助 の拡 大 を もた ら し

,外

国鉄 鋼 業 の台頭 を促 す テ コとなった。

1957年

か ら

1960年

の間の対外援助 の

40%

以上が外国の鉄鋼 メー カーに与 えられ

,そ

の うちの約

3割

が 日本鉄鋼業に向 け られたのである。 これは

,

日本鉄鋼業の第二次合理化計画に充当されたこ の期 間の全投資額の約

10%に

相 当 した。この援助が

,他

の金融機関に とって の指標 とな り,よ り大 きな融資の道 を切 り開いたのである。32)こ うした外国鉄 鋼業に対す る米国政府の手厚い援助 は

,一

方での米国鉄鋼業に対す る厳格 な 価格政策や反独 占政策 とは対照的であ り

,両

者の長期的な競争力 を左右す る 一要因 となったことは否定 で きない。 以上にみ るように

,米

国鉄鋼業の衰退の原因 と構造は

,経

営上の硬直性や 消極性 とい う鉄鋼 メー カー 自身の経営責任 (すなわち経営 システム

)に

よる ものがベースにあ り

,長

期 にわたる米国特有の寡 占体制の弊害が現われた も のであるが

,そ

れ と共に

,海

外諸国 との国家政策の相違 によるところも無視 で きないのである。特に

,厳

格 な独禁法に規定 された米国政府の鉄鋼政策 と 業界 との対抗 とい う歴史的構図が

,相

互の不信 と敵対主義 を抜 き差 しがたい もの として刻印 したのであ り

,そ

れが国家による支援政策の非一貫性 あるい .は「不在」につ なが り

,米

国鉄鋼業の国際競争力 を長期的に減殺す る役割 を 演 じたのである。第二次大戦後の世界的な資源や技術の変化

,更

に政府の外 国鉄鋼業への援助 は

,そ

うした傾 向を加速 させ ることになった。 31)高橋亀吉『戦後 日本経済躍進の根本問題』 日本経済新聞社 1972年 第 2章 。 32)ポール・A・ ティファニー 前掲書

246ペ

ー ジ。

(23)

5。

再 生 の 力 学

(1)ミ

ニ ミルの発展 にみ るダイナ ミズムの構 造

1970年

代 以 降 の米 国鉄鋼 業 にお け る ミニ ミルの 目覚 ま しい発展 は

,一

貫 製 鋼 メー カー の衰 退化 とは対照 的 であ る。 戦 後期 におけ る国 内鉄 鋼 業へ の新 規参 入 は もっぱ ら ミニ ミル・ グルー プ に よって な され て きた。鉄 層 を主 原料 に して電気炉 設備 に よ り主 に普通鋼 を生 産 す る ミニ ミル は

,大

手一 貫 製鋼 メー カー が敬 遠 して きた諸 地域

,

と くに西 部 ・南部 諸州 に立地 して きた。ミニ ミルの主 な経済的利点 は

,そ

の技術 的特 性 として小 規模 生産 において も効率 的に経営 され うるところにあ る。33)また一 貫 メー カー の寡 占体 制 の枠 外 におか れ た こ とか ら

,一

貫 メー カー が抱 え るこ とに な った長期 寡 占や組織肥大化 等 に伴 う種 々の病弊 を被 るこ ともな く

,そ

の積極 的 な経営 に よって,経 済的利点 を最大 限にいかす方 向 で展 開 して きた。 迅 速 に新 技術 を採用 し

,組

合 非加 入 の労働 者 の利 用 に基づ く「良好 な労使 関 係 」や近 隣顧客 との密接 な関係 を作 り上 げ

,

また特 定 の製 品種 目に特 化 す る な どに よって

,低

コス トで高 品質 な製 品 を効率 的 に生産 す るよ うにな り

,一

貫製鋼 メー カーの強 力 な競 争相 手 として浮上 したのであ る。34)ミ ニ ミルにみる 積極 的かつ フ レキ シブル な経営 は

,一

貫 メー カー の硬 直的 。消極 的 な経営 と は対照 的 であ り

,一

貫 メー カー の 多 くが縮 小 して い る時 に ミニ ミルは年 々10

%の

速 度 で成長 して きた。

1960年

には僅か

2%で

あ った ミニ ミルの生産 シェ ア は

,1985年

に は

20%に

な り1表 5)さ らに1990には

26%に

まで高 まるに至 っ て い る。 ミニ ミルの躍進 の要 因につ いて

,技

術革新

,原

料 条件

,経

営 システム

,

いう3つ の角度から整理することができる。

33)ウオル ター・ アダムス編 前掲書 第7版 115∼ 116ペー ジ。 34)同上

123ペ

ー ジ。 35)栗原和 男「米国鉄鋼業の現状 と今後の展望」

,お

よび 日本鉄鋼連盟「最近の米国鉄鋼 需 給動 向」『鉄鋼 界』1990年7月 号。

(24)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退・再生の構造 と力学 表

5

米 国の粗鋼生産 (1960-85年) 115 (単位 :百 万 トン) ″グπグ″〃′s Integated and specialty funls

Year Capacity 10utput Capacity Output Capacity Output

Total 1960 1965 1970 1980 1985 140.0 143.7 142_9 138.2 111.8 142.8 148.2 153.1 153.7 133.6 2.8 4.5 10.2 15.5 21.8 2.0 3.7 7.8 13.5 17.6 97.3 127.8 108.8 98.3 70.7 99.3 131.5 116.6 111.8 88.3 Source: Authors'estinlates On date frOnl prOducers and AISI, 4″ ,0%α′、S'ια′グs′′ια′

」?ι,0″′, 1985, tables IA and earlier issues, figures for 1985 are projec‐

tions.

再l引:Donarud F.Barnett,Robertヽ V.Crandall;Up fronl the Ashes,′

「he Rise of the Steel Minimillin the United States,′I`he iBrookings lnstitution,1986

p12. ① 技術 革新 技術 革新 を背景 とす る新 技術 の導入が

,

ミニ ミルの成長 を一 層刺 激 した。

1960年

代 か ら導 入 され た連 続 式 ビ レ ッ ト鋳造機 お よび新世代 の小 型線材 。棒 鋼工 場 が

,

コス ト削減 と小 型化 を推進す る ところ とな った。 さ らに

,連

続鋳造部 門 を中心 とす る技術革新 の波 は

1980年

代 に加 速 し

,圧

延 ラ インの一 層の コス トダウンが可能 に なってい る。

H形

鋼 では ビー ム・ プ ラン ク・ キャス ター

(Beam Blank Caster),薄

板 では薄 ス ラブ連鋳 (Thin Slab Caster)が開発 され たが

,

これ らに よって

,従

来 は ミニ ミル に とって投 資規模 が大 きす ぎたユ ニバーサ ル・ ミル

,ホ

ッ ト・ ス トリップ・ ミルの ミニ 化 が可能 に なったの であ る。薄 ス ラブ連鋳 の技術 開発 に よ り

,年

100万

ト ン未満 の電気炉― 薄 ス ラブ連鋳― ホ ッ ト・ ス トリップ・ ミルの工場 が

2億

ド ル前後 で建 設可能 に な り

,軽

量 形鋼 や 溶接鋼 管 の母材 として汎用鋼 材 の市場 の拡大が 見込 まれて い る。冷延鋼板 の場合

,一

貫 製鉄所 に比べ て ミニ ミルの トン当 り建 設 コス トが約 1/3です み1表 6)し か も最小効率規模 の総投 資額が数

%

(25)

6

冷延鋼版生産 のための製鉄所建設 コス ト比 較 (高炉対 ミニ ミル)

(単位 :ド ル/t)

出 所:高炉については、

Barnett&Crandon,"Up

FrOm The Ashes",ミ ニ ミルにつ いては

EAI。

再 引用 :『 鉄鋼 界』1989年 7月 号

以下である。

36)_貫

メーカーに比 して

,ミ

ニ ミル側の技術革新の先行が際立っ

てお り

,そ

の金融償却 コス トの低 さや賃金 コス トの低 さは

,一

つの技術革命

に他ならず

,「

先進国における鉄鋼産業生 き残 りのための一つのモデル」を提

供するに至っている。

37) ② 原料条件

1970年

代以降

,

ミニ ミルの主原料 である鉄暦価格の長期低位安定は

,一

貫 メー カーの主原料 である鉄鉱石・原料炭価格の上昇傾 向の下で

,

ミニ ミルの 36)新規一貫製鉄所 の総建設費用 は50億 ドル以上かか るが, ミニ ミルの場合

,単

純 な棒鋼 や軽量形鋼 を生産す る工場 の総建設費用 は5千万 ドル よ り少 ない (ウォル ター・ アダム ス編 前掲書 第7版

116ペ

ー ジ)。 また年産100万トン未満の電気炉―薄 スラブ連鋳 ― ホ ッ ト・ス トリップ・ミルの工場が2億ドル前後 で建設可能 になった とされている (日 本鉄鋼連盟 前掲論文)。 37)栗原和 男 前掲論文 高 炉 ミ ル 焼

炉 コ ー ク ス 炉 高

炉 転

炉 連 続 鋳 造 35 167 218 114 114 電

炉 薄 ス ラ ブ 連 鋳 86 61 上 行 程 小 計 648 上 行 程 小 計 147 ホ ッ トス トリッ トミル コール ドス トリ `°ミル 273 500 ホ ッ トス トリッ トミル コール ドス トリ ッ プミル 141 212 合 計 1,421 合 計 500

(26)

米国鉄鋼業におけ る発展・衰退 。再生の構造 と力学 117 競 争力 を高め る一要 因 となった。 と くに

,米

国 におけ る鉄 鉱石 。原料炭価 格 の上 昇 は

,

日本 と比べ て も顕著 であ り1表 7)米 国 の一 貫 メー カー の競 争 力 を減殺す る一要 因 となったのである。 表

7

日米の鉄鉱石 コス ト(1960-05年) (単位 :ド ル/メ トリック トン) I`´物 ′ Jπ′″グS″′′

S

ノαクαπ 1960 1965 1970 1975 1980 1985 12.29 13.01 14.39 26.44 34.50a 46.00a 14.20 13.20 11.84 16.70 27.82b 27.00b Sources:U.S.Federal COmmissiOn,7%′ υ%グ′ιグSιαルsS′ “ ′f″グ%s′η απグIιs lπた″2α″οπα′Rグυαた :T%′ ″グs απグFαιゎ容Dι″,物・ι″・πg fπ彪′πα′j9%αCοπクι′″υ′― πos(FTC,1977), P.117: Donald F.Bamett and LOuis Schorsch,S′ クノ「こゎ― 滋αυα′グπα 32sπ lπグ%s″η(Baninger,1983),303; Marcus and others,И4οz″

S′″′助%απ′εs,table 26_

a.Cost of pellets delivered to lLake lErie frOm lJ.S.mines.

b.(こ)ost of pellets delivered to Yokohama frOrn Australia.

再 引用:"UP from the Ashes''p32.

日本 の一貫 メー カー は

,臨

海 立地 製鉄所 と海外 原料 を結 びつ け

,業

界共 同購 入 に基づ く長期 契約 方式 で もって相対的 に安価 に開発 ・購 入 した海外 原料 を 大 型 の専用船・ 兼用船 で もって輸送す るこ とに よ り

,購

入・ 輸送 コス トを最 小 限 に抑 えて きた。 ところが

,キ

ャプ テ ィブ・ マ イン方式 を歴 史的 に採用 し て きた米 国の一 貫 メー カー は

,1970年

代 にお いて も国 内鉄 鉱 山 とペ レ ッ ト・ プ ラン トを拡 充 したが

,そ

の開発 コス ト高 と国内輸送 コス トの増大 に悩 まさ れ る ところ とな り

,1985年

には 日本 よ りも大幅 な原料 コス ト高 (鉄鉱石 で約

170%)を

招 い たの で あ る。38)そ れは

,鉄

暦 価格 の長期 低位安 定 とは まさに対 照 的 であ り

,溶

銑 (Hot Metal)コ ス トと鉄層価格 は約

3倍

差 に なって1表 8)ミ ニ ミルの競争力 を押 し上 げ るに至 った。

38)Donarud F.Barnett,RObert W.Crandall;Up fr01n the Ashes,′he Rise ofthe Steel Miniinill in the Uited States,´he:Brookings lnstitution,1986. I)31∼31.

(27)

8

溶銑 (高炉

)と

鉄層のコス ト (1973-85年) (単位:ドル/ト ン) 】′υα/ 溶 銑 鉄 暦 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 67.40 84.01 102.06 109.95 110.39 128.46 141.88 158.30 174.63 180.98 177.35 177.35 174.00b 51.66 96.87 64.15 69.41 56.38 68.16 87.42 81.35 81.70 56.37 76.84 76.84 66.27C

Sources:〕′Iarcus and Others, I′ツlο″ノ″S′′ι′I:ンπα,77¢ιs,table 19 : David J.Joseph

Co,''The Relationships beti″ een Scrap Prices,Steel Production,Purchased Scrap Receipts, and Scrap lReceipts, and Scrap Exports 1954-1983''(Cincinnati: ′ 「he

Company,1984).

a.Price of nurnber l heavy nlelting scrap. b. Based on projections for 1985-87. c.Estiinate. ③ 経営 システム 以上にみ るような技術革新や原料条件の変化 は

,

ミニ ミルの成長 を促す有 利 な要 因であったが,ミ ニ ミル躍進の決定的な要因 となったのは,「ミニ ミル 的経営」 とよばれ る一貫 メー カー とは

180度

異なる経営 システムである。 こ れは

,先

にみたような

,製

品特化 による効率的生産

,新

技術の積極的採用, 良好 な顧客サー ビスや「労使関係」 などに基づ くフレキシブルな経営が特徴 的である。 一貫 メー カーは

,70年

代以降の「合理化」において

,老

朽化 した上工程の 更新問題 に直面 したが

,大

幅 なコス トア ップ となる高炉一転炉ではな く電気 炉 を導入 した。 これに伴 い

,電

気炉方式 をめ ぐって

,一

貫 メー カーの既存 ま たは リプ レー スエ場 とミニ ミル との競争 とな り

,後

者の生 き残 るところとな

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