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在欧文氏一族にみる宗族のつながりの世代的変容 利用統計を見る

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(1)

著者

山本 須美子

著者別名

YAMAMOTO Sumiko

雑誌名

東洋大学社会学部紀要

54

1

ページ

21-39

発行年

2016-12

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00008663/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

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在欧文氏一族にみる宗族のつながりの世代的変容

Intergenerational Transformation of Clan Ties among Man

Lineage Families in Europe

山本 須美子

Sumiko YAMAMOTO

はじめに

 本論の目的は、1960年代をピークに香港新界からヨーロッパに移住した文姓を共有する文氏一族に みる宗族のつながりが、半世紀を経た現在、世代を経ることによってどのように変容したのかを検討 することである。ここでの宗族1とは、中国における父系血縁関係に基づいた親族組織とする。  文氏一族は、イギリスには4,000人以上、オランダには約2,500人が在住しているといわれている [Man 2011: 2 ]。文氏一族の 9 割以上の出身村である香港新界に位置する新田村は、香港新界農村の 村落を、単一宗族支配型村落、複数宗族共住型村落、そして無宗族型村落の三つに類型化した瀬川に よると、最も肥沃な部分を占める強大な単一宗族支配型村落である[瀬川 1991: 102]。人類学者 J. ワ トソン(James Watson)は、1969年から71年にかけての調査に基づいて移民母村としての新田村の 当時の状況をモノグラフにまとめている[ワトソン 1995]。ワトソン[1995]によると、一握りのよ そ者の住民を除いて、新田の全ての男性は「文」という姓をもっており、文氏一族は、13世紀の昔に さかのぼる輝かしい歴史をもつと自称し、その族譜によれば宋代の愛国者で国家的英雄である文天祥 将軍の弟の子孫として、現在は27代目になる。当時の村の経済は、働ける男性の85%∼90%を占める ヨーロッパへの移民からの送金で成り立っていた。彼らは、移民に際しての様々の手続き、就職や生 活のすべてを宗族成員に頼るので、移住によって文氏一族は絆を強め、移住前より宗族成員に頼るよ うになったと指摘されている[ワトソン 1995]。さらに、ワトソンはロンドンの文氏の人々は、世界 を文氏一族とそれ以外とに分ける伝統的な宗族中心の態度を維持していると述べている[ワトソン 1995: 205]。文氏の大部分の人々は宗族内における彼らの地位の方が外部の社会的ネットワークによ り得られるいかなる地位よりも重要だと考えている。彼らの主要な準拠集団は依然として文氏一族な のであり、その成員であることは彼らにとって非常に大切なことなのであると説明されている[ワト

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ソン 1995: 215]。  文氏一族による同姓団体である僑欧文氏宗親会は、1977年にロンドンに、2000年にオランダに設立 された[Man 2011: 2 ]。筆者[山本 2015a]はオランダの文氏宗親会を取り上げて、設立の経緯や活 動の現状、その果たす役割を検討した。文氏宗親会の主な活動は、旧正月と中秋節の夕食会開催、夏 に実施される日帰り旅行である。活動への参加者の大半は、60代から70代のシニア世代であり、旧正 月の夕食会の参加者は約50人、中秋節の夕食会は家族で参加する人も多く300∼400人で、若い世代も 20∼30人参加し、最大の行事となっている。2009年に設立されたジュニア部門には約170人が登録し ているが、シニア部門の行事に参加するだけではなく、独自にハロウィーンと夏休み、クリスマスに イベントを開催している。文氏宗親会の活動は、新田村に祖先地産を所有し移住前も後も文氏の一員 としてのアイデンティティを保持していたシニア世代の場合、それを強化する役割を果たしていたの に対して、若い世代の場合は、文宗族を新たに想像させる役割を果たしていた[山本 2015a]。  以上から文氏宗親会の設立は、文宗族のつながりを強化する役割を果たしていたといえるが、本論 では、文氏宗親会の活動に参加していない者も含め、60代から10代後半までの第一世代から第三世代 の文氏一族が、移住先でどのように宗族のつながりを保持し、あるいは変容させているのかを、筆者 が2013年から2015年にかけて主にオランダのアムステルダムで実施した2シニア世代の宗親会幹部 3 名(表 1 参照:25頁)と20代を中心とする20名(表 2 参照:28頁)の文氏の人々へのライフヒスト リーを構成するインタビューに基づいて検討する。 9 割以上が新田村出身の文氏一族がヨーロッパに 移住し半世紀が経った現在、宗族のつながりの変容を世代別に検討することは、移住が宗族のつなが りに及ぼす影響を半世紀に亘って継時的に明らかにできる。国際移住においても国内移住においても 移住者と故郷の結びつきの変容を検討した研究は多いが、移住者の宗族のつながりの世代的変容に焦 点を当てた研究は管見の限りではない。  論文の構成としては、Ⅰ章で、文氏一族のヨーロッパへの移住の歴史的背景を検討する。Ⅱ章で は、第一に、オランダ文氏宗親会幹部の60代男性のライフヒストリーにおいて、宗族のつながりがど のような影響を与えていたのかを検討する。さらに、筆者は2015年 2 月にオランダ文氏宗親会による 学業達成賞受賞者10名へのインタビューを実施したが[山本 2016]、インタビュー対象者の父親であ る文氏宗親会の幹部ではない50代以上の男性 9 名が、文氏宗親会の活動にどの程度関わり、人間関係 のあり方に宗族のつながりが与えている影響について検討する。Ⅲ章では学業達成賞受賞者10名を含 む20代を中心とする20名へのインタビューに基づいて、次世代において宗族のつながりがどのように 捉えられているのかを検討する。Ⅳ章でそれまでの検討を踏まえて、文氏一族にみる宗族のつながり が半世紀を経ることによってどのように変容したかについて考察し結論を述べる。

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Ⅰ.文氏一族の移住の歴史的背景

 文氏のヨーロッパへの移住は、1900年代の初めに船会社に雇われた船員によって始まった3。第二 次世界大戦前にヨーロッパに渡った新田村出身の船員の何人かは、戦中に船を抜け出し、戦後すぐに ロンドンやロッテルダムで中華料理店を開いた。海外で中華料理店を開けば儲かるという情報は郷村 に届き、その後の文氏の人々の大規模な移民の足掛かりをつくった。1950年代後半までは、彼らは船 でヨーロッパに渡っていたが、マルセイユに着くまでに 1 ヵ月以上かかり、そこから列車でロンドン 等に行った。船賃の支払いのために、多くの者が土地や家畜を売っていた[Man 2011: 42]。  ほとんどの移民は家族を故郷に残した単身男性であったが、移住先で結婚して家庭を築く者もいた が、同姓不婚が厳格に守られていた。また、オランダ女性と結婚した者もいて、1942年の文氏男性と オランダ人女性との国際結婚が第一号である[Man 2011: 76]。  香港新界では、1950年代に中国から移住してきた農民たちが小面積の土地を借り、香港の都市市場 向けの野菜を生産し、米を基盤とする従来の経済を一変させるいわゆる「野菜革命」が始まった。 1955年までの村の経済は農業を基盤としており、文氏の世帯の半数以上は収入の大半を稲作から得て いた。しかし、高収益が得られる市場向け野菜の栽培に新田の土地は不向きでそれに適する土地に変 えるには多大な労力を要し、また東南アジアからの安価なコメの流入や、貨幣経済の浸透によって米 の収穫に必要な労働者の賃金が上昇し雇えなくなり稲作農業は衰退した。大多数の文氏の世帯では 1960年から1962年の間に農業をやめたが、教育程度が低く技術もない文氏の人々には、都市部にも就 職先がなく、ヨーロッパに機会を求めざるを得なかった。  文氏の人々の移住先は、主にイギリスであった。戦後イギリスには植民地や英連邦諸国からの移民 の制限がほとんどなく、1948年イギリス国籍法のもと、香港市民はイギリスへの入国と居住の権利を 持っていたからである。また、戦後の景気がよく、イギリス人がよりよい食生活を求めるニーズと マッチして中国料理ブームが起きたことも、文氏の人々がイギリスを移住先に選んだ要因であった。 彼らは、移民のための手続きを文氏一族に頼ってイギリスに渡り、移住後も就職や住居を斡旋しても らい、文氏一族の経営する中華料理店で働いてお金を貯めて、中華料理店を開いた[ワトソン 1995: 70]。労働力不足から1964年外国人労働許可法によって外国人に働く権利を与えたオランダには、イ ギリスのパスポートを保持していれば再移住でき、ベルギーや西ドイツにも移住する者もいた。文氏 の人々の移住先の選択は各国の移民法や政策によって左右された[Man 2011: 56]。  新田村の文氏に対するパスポート発行数は、1946年から1952年までは 0 ∼ 3 件、1953年から1956年 には10∼21件、1957年から1970年には42∼85件である[ワトソン 1995: 72]。1952年から1970年まで に800件近いパスポートが発給されたことになるが、被扶養家族は家長のパスポートに包括されてい るので、1960年代後半には少なくとも1,000人の新田村からの移民がヨーロッパで暮らし、約600人は イギリス、350人はオランダ、50人が西ドイツとベルギーにいた[ワトソン 1995: 30]。2009年から 2010年にかけてマンがインタビューをした文氏116人の移住年によれば、連鎖移民は1950年代に始ま

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り、最初のピークは1962年、第二のピークは香港で政治暴動の勃発した1967年で、1968年以降1975年 まで続いた[Man 2011: 112]。  そして、この村出身の移民が新田村と強く結びついていたことが指摘されている[ワトソン 1995]。 村の経済は、働ける男性の85%∼90%を占めるヨーロッパへの移民からの送金で成り立っていたが、 彼らの仕送りは、新田村で快適な生活を送るのに十分過ぎるものであり、 2 階建て住宅の建設ブ−ム になり、それは家族の成功の象徴であると共に、仕送りの目に見える成果として、村に残っている者 に移住してお金持ちになりたいという気を駆り立てた。移住後の彼らの心はいつも退職後に帰ること を夢見ている故郷にあり、外国にいながら郷村での自分たちの存在を示すために、故郷に残っている 人たちのために新年会を開いたりする等、多額のお金を故郷に投資することを厭わなかった。ワトソ ンは、移民が故郷に近代的な変化をもたらすという通説を否定して、定期的な仕送りは、伝統的価値 を保持し強化する役割を果たしたと結論づけている[ワトソン 1995]。  中国料理に関わる飲食業は1960年代から1970年代に繁栄を極め、1970年代半ばまでには、働ける文 氏男性のほとんどが、妻子や老人を故郷に残して海外に移住していた。渡航費は、文氏一族や祖先名 義の地産から借りることができた。農民だけではなく、教師、警官、工場労働者、トラック運転手、 そして学生も移民し、若い移民の多くは、香港に一時帰国して結婚して、花嫁を移住先に連れて戻っ た。1970年代中頃からは次第に家族を呼び寄せる者やオランダ生まれの子どもが増えた。1980年代に なると国中に広がった中華料理店のマーケットが飽和状態になり、経済不況で人々が外食を避けるよ うになり、さらに中華料理店の衛生問題スキャンダル等によって、中国料理ブームは去り店舗数は横 ばいとなり、倒産する店も現れた。  現在、第一世代の多くは60代以上になり、退職の年齢になっている。1990年代中頃からは、ビジネ スや引退後の生活のために故郷の村に帰還する者が増加している。ある者は故郷恋しさに帰還し、あ る者はヨーロッパよりも中国の方がビジネスチャンスがあると考え中国に渡り、また子どもに中国文 化を伝える為に家族で故郷に帰る者、故郷に永住しないで数か月ごとに故郷とイギリスやオランダを 行ったり来たりする者もいる。そして、第二世代の多くは20代、30代となっているが、親の中華料理 店を継いだ者は極少数で、ヨーロッパで高い教育を受けたことによってホワイトカラーの専門職に就 いている。現在は第三世代が学齢期となっている。

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Ⅱ.50代以上の男性にみる宗族の結びつき

1 .文氏宗親会幹部の場合 表 1  インタビューをした文氏宗親会幹部属性表 事例 性別 年齢 移住年 出身地 職業 文氏宗親会 役職 学歴 結婚歴 宗教 1 M 68歳 1966年(17歳) オランダへ 新田村 レストラン 経営・引退 初代会長 中学校中退 既婚(香港 新界出身者) 無 2 M 67歳 1966年(16歳) オランダへ 大坑村 旅行社経営 現会長 高校卒(オラ ンダで) 既婚(香港 新界出身者) 無 3 M 63歳 1968年(15歳) オランダへ 新田村 レストラン 経営・引退 総務・財務 中学校中退 (オランダで) 既婚(香港 新界出身者) クリス チャン 4 M 74歳 1964年(19歳) イギリスへ 新田村 レストラン 経営・引退 元会長 小学校卒業 既婚(香港 新界出身者) 無  筆者は、オランダの文氏宗親会の初代会長[表 1 ・事例 1 ・A 氏]と現会長[表 1 ・事例 2 ・B 氏]へのインタビューに基づいて、二人のライフヒストリーを既に検討した[山本 2015a]。二人は、 1960年代に10代で中学校を中退してオランダに移民し、中華料理店や旅行会社を経営し、香港出身の 女性と結婚し家族を養ってきた点ではこの世代の典型的なライフコースを歩んできた。しかし、この 年代の他の文氏の人とは違い、初代会長は通信制教育や大学院で学ぶことによって、現会長はホテル 経営学校で学ぶことによって、オランダ語も英語も習得し、オランダ社会を理解できるだけの能力を 身につけ広い視野を培っていたことであった。二人共、宗親会設立前に文氏の人々と個人的な付き合 いはなく、個人的付き合いの中でリーダーに押されたわけではなかった。また B 氏は新田村出身者 ではなかったが、能力を買われてリーダーになり、文氏宗親会設立後にその活動を通して文氏一族と の交流を深めていた。  本論では、オランダの文氏宗親会創設以来、事務局の仕事を全て担ってきた現副会長である60代男 性[表 1 ・事例 3 ・C 氏]を取り上げて、筆者によるインタビューに基づいて、そのライフヒスト リーを検討し、宗族のつながりがどのような影響を与えているのかを検討したい。  C 氏は1952年にシンガポールで生まれた。1918年生まれの彼の父親は18才で単独でシンガポールに 移住し、シンガポールで結婚し、彼は 7 人兄弟の 2 番目の長男として生まれた。1960年には家族全員 で新田村に帰還したが、1963年に父親が単身でアムステルダムに渡り、第二世代20代女性[表 2 ・事 例13]の祖父が経営するレストランで働きお金を貯めて、ユトレヒトにレストランを開店した。1968 年には、新田村から家族全員がユトレヒトに移住した。移住時彼は15才で、ユトレヒトで 2 年間セカ ンダリー・スクールに通ったが、中退をして父親の経営するレストランでその後10年間働いた。1976 年に香港新界出身の女性と結婚し、娘が 2 人いる。1978年には独力でアムステルダムにレストランを

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開店し、2007年54才の時に閉店し引退した。  C 氏は2001年の文氏宗親会設立にあたっては、事務的な仕事を一手に引き受けた。レストランの仕 事が終わった後、電話帳で文姓の人を調べ片っ端から電話をかけ住所を聞き出し、600世帯に文氏宗 親会設立を知らせる手紙を送った。作業は、午後10時頃から明け方に及び、ほとんど寝ないでレスト ランの仕事と両立させた。彼の努力のおかげで、文氏宗親会設立記念パーティーには520世帯が参加 した。設立に当たって父親は5,000ギルダー、彼は400ギルダー寄付したので、文氏宗親会事務所の壁 に貼られた寄付者の写真[写真 1 参照]の中には、彼と彼の父親の写真がある。彼の父親は宗親会設 立当時は80代となり、移住後は文氏一族としか付き合いはなく、以前より文氏宗親会設立を切望して いた。彼は当時50代となり少し余裕ができたので、父親が切望してきた宗親会設立に向けて奔走した のであった。彼は、オランダ語新聞を読んだり、客とのやり取りから、オランダ語を独学で完全にマ スターしていた。その点は初代会長や現会長と同様であり、オランダ社会を理解できるだけの能力を 身につけていた。友人関係は、オランダ人と中国人が半々で、中国人の友人には文氏の人もそうでな い人もいる。  C 氏の両親は他界しオランダに埋葬され、新田村の祖先の墓は彼の叔父が管理していた。将来新田 村に帰還することは考えていないが、1960年に父親がシンガポールから新田村に帰還した時に祖父が 父親に与えた 3 階建ての家を、 7 人兄弟の中で 2 人の男子である彼と弟が現在は共同で所有してい る。オランダに在住する 7 人兄弟は年に 1 回集まって食事をするが、その費用を彼と弟が負担してい るのは、自分たち 2 人が新田村に家を共同所有しているからであった。 7 人兄弟の子ども達は、全員 が大学卒か大学院卒であった。  ロンドンの文氏宗親会では2015年 9 月20日に一年の最大行事である中秋節パーティーがロンドンの 中華料理店で開催された。筆者はそのパーティーに列席したが、C 氏もオランダ文氏宗親会の代表と して参加していた。彼はロンドンのパーティーに参加するのは 2 回目で、パーティーの企画の仕方を ロンドン文氏宗親会幹部に話を聞いて学んで、オランダでのパーティーに生かしている。ロンドンに は叔父がいるし、ロンドンのパーティーで出会う文氏の人々の中には、15歳まで過ごした新田村での 同級生や先輩後輩が数人いた。  以上のような C 氏のライフヒストリーから、人間 関係が文氏一族に限られていた父親が文氏宗親会設立 を切望し、それを叶えてあげたいという思いが、C 氏 を宗親会設立に向けて尽力させたことがわかる。C 氏 自身はオランダ語もできオランダ社会にも通じ、オラ ンダ人の友人もいるが、宗親会設立を通して、オラン ダだけではなくイギリスにおいても15才まで過ごした 新田村で友人だった人に再会したりして、文氏の人々 との付き合いを深めていた。 写真 1  寄付者の写真 (2014年 2 月 アムステルダム文氏宗親会で筆 者撮影)

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 さらに、 C 氏の父親は移住当初は文氏の一員が経営するレストランで、 A 氏も移住当初は C 氏の 父親の経営するレストランで働いていたことから、就職の斡旋には宗族のつながりが機能していたこ とがわかる。A、B、C 氏 3 名共、友人関係は文氏の人に限られていたわけではなく、文宗族の一員 であることが人間関係のあり方に重要な位置を占めていたわけではないが、文氏宗親会設立後に文氏 の人との交流が増していた。 3 名は共に、郷村に祖先名義の地産を所有し、若い頃から故郷の村を年 に 1 回くらいは訪れていて、時間的にも経済的にも余裕ができた現在では、若い頃よりも頻繁に訪れ るようになっている。男子に継承される祖先名義の地産の所有は、移住者と故郷との結びつきを強め る役割を果たし、さらに、 C 氏の 7 人兄弟で集まる食事代を C 氏と弟が負担することにみられるよ うに、兄弟関係に経済面でのジェンダーによる差異を生み出していた。  また、筆者は2015年 9 月16日にロンドンの文氏宗親会の事務所を訪れたが、その際、幹部である 4 名の60代男性は、祖先から自分の子どもに至るまでの系譜が書かれた族譜[写真 2 参照]を見せてく れた。かなり大きな巻物で、 4 名の60代男性は、自らがそうした父系系譜上の一員であることを意識 し、それを誇らしく思っていることが伝わってきた。文氏宗親会の活動には、文氏男性の妻や文氏の 女性も参加している。60代を中心とする男女は、活動に関わることによって文氏の人との交流を深 め、特に退職者が多くなっている現在では、宗親会の活動を通した交流は、老後の楽しみとなってい る。つまり、文氏宗親会の活動に関わっている者にとって、宗族のつながりは、現在の日常的人間関 係のあり方に影響を与えている。 2 .学業達成賞受賞者の父親の場合  文氏宗親会は、イギリスでは1999年から、オランダでは2006年から高校、大学と大学院を卒業した 文氏次世代を表彰するために学業達成賞を設けている。 1 年の内で最大の行事である中秋節に開催さ れる夕食会での学業達成賞の表彰式には、当人だけではなく家族も参加し、金一封(100ユーロ)と 小さな盾が授与され、受賞者リストと父親や家族と一緒に写った表彰式での写真が毎年文氏宗親会の ホームページに掲載されている。学業達成賞受賞者やその家族は、宗親会と関わりがあるので受賞し たのであり、筆者はオランダの学業達成賞受賞者10名[表 2 :事例 1 ∼事例10]にインタビューを実 施し、受賞者や親による学業達成の捉え方、その受賞の背景や授賞式での経験、そして宗親会による 人間関係を検討することを通して、文氏宗親会の生み 出す社会関係資本と学業達成との結びつきを明らかに した。結論として、文氏宗親会には、学業達成につな がる社会関係資本は析出できなかった[山本 2016]。  ここでは、学業達成者へのインタビュー4に基づい て、その父親である50代以上の男性 9 名[表 2 参照] にみる文氏宗親会との関わりや、郷村との結びつきを 明らかにすることを通して、文氏宗親会の幹部ではな 写真 2  文氏の族譜 (2015年 9 月 ロンドンの文氏宗親会で筆者撮影)

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い50代以上の男性にとって宗族の結びつきはどのような影響を与えているのかを検討したい。  インタビューをした学業達成賞受賞者の父親 9 名は事例 6 の父親だけは80代であるが、その他は50 代後半から60代である。 8 名は新田村出身、 1 名は錦田村出身であり、現在は 5 名が新田村か錦田村 に帰還している。職業に関しては、 2 名が中華料理店を経営、 6 名がコックとして働き、 1 名がエン ジニアであった。学歴は低く、小学校中退か小学校卒、あるいは高校中退か高校卒であった。   4 名(表 2 ・事例 3 、 4 、事例 5 、事例 9 、事例10の父親)は、先に移住した自らの父が経営する 表 2  第二世代のインタビュー 対象者属性表 本人 父親 母親 事例 性別 年齢 職業 学歴 結婚歴 宗教 年齢 出身地 移住年 学歴 職業 現在居住地 年齢 出身地 移住年 学歴 職業 現在居住地 1 F 20歳(空間設計)大学生 VWO 未婚 無 59歳 新田村 1972年(16歳) 高校中退 コック オランダ 49歳 香港 1982年(18歳) 高校中退 ウェイトレス オランダ 2 M 28歳 献血会社社員 修士 既婚(中国出身 留学生) 無 60歳 新田村 1967年(15歳) 小学校卒 レストラン経営 オランダ 53歳 流浮山 1976年(14歳) 小学校卒 ウェイトレス オランダ 3 M 27歳 銀行員 学士 未婚 無 60歳 新田村 1967年(12歳) (オランダ)高校卒 エンジニア・引退 新田村 53歳 流浮山 1980年(18歳) 小学校卒 ウェイトレス・引退 新田村 4 F 29歳 銀行員 修士 未婚 無 60歳 新田村 1967年(12歳) 高校卒 (オランダ) エンジニア・引退 新田村 53歳 流浮山 1980年(18歳) 小学校卒 ウェイトレス・ 引退 新田村 5 M 25歳 大学院生 (社会学) 学士 未婚 クリスチャン 54歳 新田村 1974年(13歳) 高校中退 (オランダ) シュフの後、スーパー マ ー ケ ッ ト マ ネ ー ジャー オランダ 49歳 香港島 1989年(23歳) 看護学校卒 ウェイトレス オランダ 6 F 44歳 銀行員 修士 既婚(スリナム系第二世代) ムスリム 87歳 新田村(30代後半)1950年代後半 小学校卒 コック・引退 オランダ 80歳 米埔村 1966年(31歳) 小学校中退 ウェイトレス オランダ 7 M 33歳 会社員 修士 未婚 無 65歳 新田村 1973年(21歳) 小学校卒 コック オランダ・ 2 , 3 年後に引退後新田 村へ 60歳 香港島 1974年(19歳) 小学校卒 ウェイトレス オランダ・ 2 , 3 年後に引退後新田 村へ 8 F 23歳 大学生(医学) VWO 未婚 無 52歳 錦田村 1990年 (27歳位) コック・引退 錦田村 46歳 元郎 1983年(12歳) ウェイトレス・ 老人施設職員 もうすぐ錦田村 9 M 20歳 大学生(国際ビジネス) VWO 未婚 無 65歳 新田村 1968年(18歳) 高校中退 コック・引退 数ヶ月後新田村へ 44歳 広東省から香港へ不法移住 1999年(27歳)ドイツ(20歳) 小学校卒(広東省) ウェイトレス オランダ(離婚) 10 F 33歳 旅行社社員 HBO 未婚 無 59歳 新田村 1972年(16歳) 高校卒 レストラン経営・引退 新田村 59歳 元朗村 1976年(20歳) 高校卒 ウェイトレス オランダ(離婚) 11 F 25 会社員 学士 未婚 60歳 新田村 1967年(13歳) 高校中退 (オランダ) レストラン経営・引退 新田村 55歳 オランダ 高校卒 ウェイトレス・  カフェ経営 オランダ(離婚) 12 M 18歳 高校生 VWO在学中 未婚 無 65歳 新田村 1968年(18歳) 高校中退 コック・引退 数ヶ月後新田村へ 44歳 広東省から香港へ不法移住 1999年(27歳)ドイツ(20歳) 小学校卒(広東省) ウェイトレス オランダ(離婚) 13 F 25∼ 28歳 会社員 修士 未婚 無 58歳 大坑村 1968年(11歳) レストラン経営・引退 後、香港で国際貿易会 社経営 大坑村 1987年 主婦 オランダ 14 M 35歳 IT 会社社員 学士 未婚 無 64歳 大坑村 1967年(16歳) 中学中退・オランダで ホテル経営学校卒 旅行社経営 オランダ 64歳 香港新界 1970年代 夫の手伝い オランダ 15 M 33歳 銀行員 修士 未婚 無 64歳 大坑村 1967年(16歳) 中学中退・オランダでホテル経営学校卒 旅行社経営 オランダ 64歳 香港新界 1970年代 夫の手伝い オランダ 16 M 28歳 会社員 学士 未婚 無 65歳 新田村 1972年(21歳) 高校卒 レストラン経営 オランダ 60歳 九龍 1970年代前半(20代) 高校卒 ウェイトレス オランダ 17 F 29歳 銀行員 学士 未婚 無 60歳 大坑村 1970年(16歳) 中学校卒 レストラン経営・引退 オランダ 60歳 香港新界 1978年(24歳) 高校卒 ウェイトレス オランダ 18 F 24歳 飲食業 アルバイト 高卒 未婚 無 59歳 新田村 1972年(16歳) 高校中退 コック オランダ 49歳 香港 1982年(18歳) 高校中退 ウェイトレス オランダ 19 F 37歳 縫製業起業家 学士 未婚 無 60歳 新田村 1973年(18歳)スウェーデン 中学校卒 レストラン経営 スウェーデン 58歳 香港新界 1960年代(13歳)でロンドンへ 小学校卒 ウェイトレス スウェーデン 20 M 39歳 求職中 学士 未婚 無 78歳 1950年代(10代前半) 小学校中退 東洋楽器店経営 イギリス 60代 香港新界 1972年(16歳) 小学校卒 店の手伝い イギリス

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レストランで働くためにオランダに移住していた。事例 3 、 4 の姉弟の父親は移住後にオランダで高 校を卒業し、祖父の経営するレストランを手伝いながらエンジニアとして働いた。事例 5 と事例10の 父親は、移住後オランダの高校を中退し、祖父の経営するレストランで働き、事例 5 の父親は、レス トラン閉店後はスーパーのマネージャーとなり、事例10の父親は、祖父母の老後の面倒を看るために 10年前に新田村に帰還した。事例 9 の父親は、祖父の経営するレストランで働くために18才でオラン ダに移住したが、祖父死亡後はドイツでコックとして20年間働いた。 表 2  第二世代のインタビュー 対象者属性表 本人 父親 母親 事例 性別 年齢 職業 学歴 結婚歴 宗教 年齢 出身地 移住年 学歴 職業 現在居住地 年齢 出身地 移住年 学歴 職業 現在居住地 1 F 20歳(空間設計)大学生 VWO 未婚 無 59歳 新田村 1972年(16歳) 高校中退 コック オランダ 49歳 香港 1982年(18歳) 高校中退 ウェイトレス オランダ 2 M 28歳 献血会社社員 修士 既婚(中国出身 留学生) 無 60歳 新田村 1967年(15歳) 小学校卒 レストラン経営 オランダ 53歳 流浮山 1976年(14歳) 小学校卒 ウェイトレス オランダ 3 M 27歳 銀行員 学士 未婚 無 60歳 新田村 1967年(12歳) (オランダ)高校卒 エンジニア・引退 新田村 53歳 流浮山 1980年(18歳) 小学校卒 ウェイトレス・引退 新田村 4 F 29歳 銀行員 修士 未婚 無 60歳 新田村 1967年(12歳) 高校卒 (オランダ) エンジニア・引退 新田村 53歳 流浮山 1980年(18歳) 小学校卒 ウェイトレス・ 引退 新田村 5 M 25歳 大学院生 (社会学) 学士 未婚 クリスチャン 54歳 新田村 1974年(13歳) 高校中退 (オランダ) シュフの後、スーパー マ ー ケ ッ ト マ ネ ー ジャー オランダ 49歳 香港島 1989年(23歳) 看護学校卒 ウェイトレス オランダ 6 F 44歳 銀行員 修士 既婚(スリナム系第二世代) ムスリム 87歳 新田村(30代後半)1950年代後半 小学校卒 コック・引退 オランダ 80歳 米埔村 1966年(31歳) 小学校中退 ウェイトレス オランダ 7 M 33歳 会社員 修士 未婚 無 65歳 新田村 1973年(21歳) 小学校卒 コック オランダ・ 2 , 3 年後に引退後新田 村へ 60歳 香港島 1974年(19歳) 小学校卒 ウェイトレス オランダ・ 2 , 3 年後に引退後新田 村へ 8 F 23歳 大学生(医学) VWO 未婚 無 52歳 錦田村 1990年 (27歳位) コック・引退 錦田村 46歳 元郎 1983年(12歳) ウェイトレス・ 老人施設職員 もうすぐ錦田村 9 M 20歳 大学生(国際ビジネス) VWO 未婚 無 65歳 新田村 1968年(18歳) 高校中退 コック・引退 数ヶ月後新田村へ 44歳 広東省から香港へ不法移住 1999年(27歳)ドイツ(20歳) 小学校卒(広東省) ウェイトレス オランダ(離婚) 10 F 33歳 旅行社社員 HBO 未婚 無 59歳 新田村 1972年(16歳) 高校卒 レストラン経営・引退 新田村 59歳 元朗村 1976年(20歳) 高校卒 ウェイトレス オランダ(離婚) 11 F 25 会社員 学士 未婚 60歳 新田村 1967年(13歳) 高校中退 (オランダ) レストラン経営・引退 新田村 55歳 オランダ 高校卒 ウェイトレス・  カフェ経営 オランダ(離婚) 12 M 18歳 高校生 VWO在学中 未婚 無 65歳 新田村 1968年(18歳) 高校中退 コック・引退 数ヶ月後新田村へ 44歳 広東省から香港へ不法移住 1999年(27歳)ドイツ(20歳) 小学校卒(広東省) ウェイトレス オランダ(離婚) 13 F 25∼ 28歳 会社員 修士 未婚 無 58歳 大坑村 1968年(11歳) レストラン経営・引退 後、香港で国際貿易会 社経営 大坑村 1987年 主婦 オランダ 14 M 35歳 IT 会社社員 学士 未婚 無 64歳 大坑村 1967年(16歳) 中学中退・オランダで ホテル経営学校卒 旅行社経営 オランダ 64歳 香港新界 1970年代 夫の手伝い オランダ 15 M 33歳 銀行員 修士 未婚 無 64歳 大坑村 1967年(16歳) 中学中退・オランダでホテル経営学校卒 旅行社経営 オランダ 64歳 香港新界 1970年代 夫の手伝い オランダ 16 M 28歳 会社員 学士 未婚 無 65歳 新田村 1972年(21歳) 高校卒 レストラン経営 オランダ 60歳 九龍 1970年代前半(20代) 高校卒 ウェイトレス オランダ 17 F 29歳 銀行員 学士 未婚 無 60歳 大坑村 1970年(16歳) 中学校卒 レストラン経営・引退 オランダ 60歳 香港新界 1978年(24歳) 高校卒 ウェイトレス オランダ 18 F 24歳 飲食業 アルバイト 高卒 未婚 無 59歳 新田村 1972年(16歳) 高校中退 コック オランダ 49歳 香港 1982年(18歳) 高校中退 ウェイトレス オランダ 19 F 37歳 縫製業起業家 学士 未婚 無 60歳 新田村 1973年(18歳)スウェーデン 中学校卒 レストラン経営 スウェーデン 58歳 香港新界 1960年代(13歳)でロンドンへ 小学校卒 ウェイトレス スウェーデン 20 M 39歳 求職中 学士 未婚 無 78歳 1950年代(10代前半) 小学校中退 東洋楽器店経営 イギリス 60代 香港新界 1972年(16歳) 小学校卒 店の手伝い イギリス

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  9 名の父親の友人関係は、中国系の友人に限られるか、事例 3 、 4 の姉弟や事例 5 の父親のよう に、オランダ移住後に教育を受けているのでオランダ語を流暢に話せオランダ人の友人がいる場合で も、中国系の友人の方が多かった。しかし、中国系の友人は文氏の人に限定されておらず、文氏の人 とのみ親しく交友しているわけではなかった。80代である事例 6 の父親以外は、ワトソンが調査した 1960年代後半にはまだ10代前半から中頃であり、現役でレストラン業に携わっていた時期よりも60代 前後になった現在の方が人付き合いが多くなっていた。80代の事例 6 の父親の場合も、中国系の年配 者が集まる他のアソシエーションに毎週通って文氏以外の人とも交流をしていた。  事例 2 と事例 7 の父親は文氏宗親会の活動には参加したことはなく、学業達成賞については新聞で 知って、子どもに教えていた。事例 5 の父親の場合、祖父が、孫であるインタビューをした学業達成 賞受賞者とその兄弟を連れて毎年夕食会に参加していたが、父親自身は香港が好きではなくほとんど 新田村を訪れたこともなく、文氏宗親会活動に参加したことはなかった。それ以外の 6 名の父親は夕 食会や日帰り旅行に何回か参加したことがあり、事例 1 と事例 6 の父親は、妻を伴って毎週アムステ ルダムの中華街にある事務所を訪れて麻雀等を楽しんでいた。  インタビューをした学業達成賞受賞者によると、親が自らの受賞を喜び、授賞式での受賞を誇りに していたのは、文氏宗親会設立時から活動に参加していた事例 6 の80代の父親だけであった。他の父 親にとって、子どもの受賞はそれ程重要なことではなかった。事例 4 は、祖父が生きていれば、学業 達成賞受賞を誇りにし喜んだであろうが、親は学業達成賞受賞をそれ程喜んではいなかったと語っ た。 9 名の父親の個人的人間関係は中国系の友人の方が多いが、文氏の人々によるネットワークを重 要視することはなく、ワトソンの指摘[ワトソン 1995: 215]とは異なっていた。それゆえ、事例 6 の父親以外の 8 名は文氏宗親会の夕食会授賞式での子どもの表彰をそれ程重要なことと捉えず、誇り としなかったといえる。  以上から、文氏宗親会の幹部ではないが、子どもが学業達成賞を受賞している50代以上の男性は、 前節で検討した B 氏や C 氏の場合もそうであったが、 9 名中 4 名は先に自らの父親が移住していて、 3 名はオランダでも教育を受けていた。このように50以上の男性にはオランダ語を習得しオランダ人 の友人も持っている者も半数近くいたが、オランダで生まれた20代や30代のように、オランダで高い 教育を受けてホワイトカラー層に進出しているわけではなかった。 6 名の父親は宗親会活動に参加し ていたが、文宗族のつながりが、彼らの人間関係のあり方に重要な位置を占めてはいなかった。他方 で、 9 名は故郷の村に祖先名義の地産を所有し、香港が好きではない事例 5 の父親以外は若い頃から 家族を連れて村を訪れ、父親 5 名が故郷に帰還していることから、故郷との結びつきは保持してい た。

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Ⅲ.若い世代にみる宗族の結びつき

1 .文氏宗親会との関わり  オランダやイギリスの中国系第二世代は、親の階層的地位や学歴が低く中産階級的文化資本を持た ないが、大学進学率が高くホワイトカラー層に進出し社会的上昇を遂げている[山本 2014]。本論で 取り上げた20代を中心とする文氏の若者20名[表 2 参照]もその例外ではない。第二・第三世代のオ ランダ文氏宗親会ジュニア世代52名の学歴や職業、文化的アイデンティティについて調査をしたオラ ンダ文氏宗親会初代会長 A 氏によると、62.3%が高等教育を修了しており[Man 2011]、オランダの 大学進学率が約10%であることを鑑みると、かなり学歴が高い。ほとんどが小・中学校卒で飲食業に 携わる親世代とは対照的に、高い教育を受けることによって、文氏の若者は様々な分野のホワイトカ ラーの職業に就いている。  20名中 2 名(表 2 ・事例13、事例14、)はオランダ文氏宗親会ジュニア部門の幹部である。 2 名は 従兄妹であるが、ジュニア会員になったのは、文氏宗親会のシニア会員になっている親に誘われた り、知人からジュニア部門の若者を探していることを聞き、何となく興味を持ったからであり、幹部 の仕事も請われて引き受けた。ジュニア部門幹部は現在全員で 5 名であるが、シニア部門幹部会に合 流し、旧正月や中秋節の夕食会、日帰り旅行という主な活動の企画・運営に関わる諸事を担ったり、 ジュニア部門独自で年 3 回開催される若者同士の交流会を企画していた。 2 名中の 1 名である20代女 性(表 2 ・事例13)は、文氏宗親会での幹部としての活動について以下のように語っている。   文氏宗親会の幹部として活動しているのは、文という同じ姓の人同士が集まって夕食会をしたり することを面白いと思い、そのスピリットを若い世代にも継げないかと思ったから。でもなかなか 難しい。私自身はそれ程文氏一族の一員という意識があるわけではないし、文氏の人に特別な感情 を抱いているわけではないけど、文氏宗親会と関わることでシニア世代とも親しくなり学ぶことが 多い。シニア世代が姓を共有することによってつながりを持っていることが興味深く、若い世代に も同じようなつながりを作れないかなと思っている。(表 2 ・事例13)  彼女は、自分が知っている文氏のシニア世代の人を「アンクル A(ファーストネーム」と呼ぶ。ま た、彼女は父親の故郷である大坑村を小さい頃から何度か訪れたことはあるが、犬が歩き回っていて 好きではなかったし、父親が祖先地産を所有しているかどうかも知らなかった。香港を訪れても少し 離れた母方の祖父の家に泊まっていて、父親の出身村である大坑村への愛着はない。  もう一人の幹部で彼女の従兄である30代男性(表 2 ・事例14)は、現会長 B 氏(表 1 ・事例 2 ) の長男で、B 氏は自分達の世代がやってきたことを若い世代に継承したく、長男である彼にジュニア 部門幹部になってくれることを頼んだ。彼は父親に頼まれて幹部になったが、今はこの幹部の仕事は 自分の一部になっていると、幹部としての気持ちを以下のように語った。

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  私にとって友人が文氏であるかどうかは問題ではないが、ジュニア部門のイベントを企画して、 文氏の若い世代と交流することによって、「ファミリー」としてのフィーリングを伝えたいと思う ようになっている。文氏の若い世代の友人をもっと増やせたらいいなと思っているし、同じ姓だと 会話が弾みオープンになってすぐに友達になれる。 5 年前に幹部になる前は、全くこんな考えはな かったけど、ジュニア部門を設立後に故郷の村や文氏一族の歴史を学んで、そういう考えを持つよ うになっている。(表 2 ・事例14)  また、事例14は父親の出身村である大坑村を小さい頃から年に 1 回は訪問していた。大坑村での重 陽節での祖先祭祀にも参加したことがあり、訪問時には祖先から受け継がれた家に宿泊していた5 大坑村の土地は祖父が所有し、そこに祖父、父、叔父、そして自分達兄弟がそれぞれ一軒ずつ 3 階建 ての家を建てていた。兄弟の家の建設費は父親である B 氏が払ってくれて、現在は人に貸して家賃 収入を得ている。  以上の宗親会ジュニア部門幹部の 2 名も含めてインタビューをした文姓の若い世代20名中、親や祖 父に伴ってシニア世代の夕食会に参加したこともある者は10名であった。この10名はジュニア部門の SNSに加わり、若者同士の交流を目的とする食事会にも 1 回∼数回参加した経験があった。若者同 士の食事会では、文氏の若者に特別に親近感を抱いてはいたわけではないものの、同じ姓を共有する 者と交流するのはユニークであると捉えていた。事例 5 の場合、宗親会に参加した唯一の活動は、宗 親会が初めて2011年に企画した新田村訪問旅行であった。この旅行にはジュニア世代約15名とシニア 世代 5 名が参加し、新田村の歴史的建造物を訪問するものであったが、事例 5 は文宗族の背景を学べ てとても興味深いものであったと語った。  20名中の半数は宗親会の活動に参加したことがなかったが、活動に参加したことがない者でも文氏 宗親会については親から聞いたりしてその存在は知っていた。事例 2 は新聞を見た父親から学業達成 賞を知らされるまで、文氏宗親会の存在を知らなかった。宗親会の活動に参加したこのとのない者 は、文宗族の結びつきにはほとんど関心がなかった。 2 .郷村への愛着、及び文化的アイデンティティとの関わり  インタビューをしたジュニア世代の内 2 名、事例11(20代女性)と事例19(30代女性)の場合は、 文姓への愛着よりも、父親の故郷としての新田村に愛着を持っていた。事例11の場合は、離婚した父 親が約20年前に新田村に帰還したが、父親への思いから父親を訪ねるためにその後年に 1 回は新田村 を訪問していた。事例19の場合は、小さい頃からよく両親が新田村や香港新界のことを話し、父親が 広東語を話すことを奨励していたので、今でも自分のルーツはそこにあることを意識し、 1 、 2 年に 1 回は新田村を訪問し、祖先の墓を参り、村の歴史も勉強していた。そして、二人共、父親の故郷へ の愛着を通して、文宗族のむすびつきへの関心も高くなっていた。  それでは、宗族のむすびつきへの関心と、文化的アイデンティティ6はどのような関連があるので

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あろうか。前稿で[山本 2015b]オランダの中国系第二世代の社会統合について検討したが、インタ ビュー対象者の多くは、自らを「オランダ人か中国人のどちらかではなく、中間にいる」と捉え、そ の文化的アイデンティティは、「オランダ人である」、「オランダ人でもあり中国人でもある」、「中国 人である」という 3 つの位置取りを結ぶ線上にプリズムのように位置づけることができることを指摘 した[山本 2015b]。  前節で取り上げた宗親会ジュニア部門幹部 2 名の場合、事例13は「中国人でもありオランダ人でも ある」と自らを中間に位置づけ、中国系の友人もオランダ人も友人も持っていたが、事例14は自らを 中国人として位置づけ、親しい友人には中国系しないかなった。この 2 名は、文氏という宗族のつな がりに興味が抱き若い世代にも伝えたいという意志を持っていたが、事例13の場合は中国人としの意 識が強いわけではなかった。  A 氏の調査では、文氏の若者52名の内17名が既婚者で、女性 6 名がオランダ人と、女性 3 名がイン ドネシア人と、女性 1 名と男性 7 名が中国系と結婚していた。その内、オランダ人としての意識が強 い者は 7 名、中間に自らを位置づけている者は 3 名、中国人としての意識が強い者は 7 名であり、結 婚相手の選択と文化的アイデンティティにはある程度の相関関係があることが指摘されている[Man 2011: 117]。この結果からも、文氏の若者の文化的アイデンティティの多様性がわかる。  以上から、インタビュー対象者20名の内、文氏宗親会と関わっていたのは半数であったが、宗親会 に関わっている者の方が、文氏のシニア世代や若者との交流があり、父親の故郷を訪問し祖先祭祀に 参加したり歴史を学ぶ機会が与えられるので、宗族のつながりに興味を抱いていることがわかった。 文宗族のつながりへの興味を持つ者の方が、中国人としての意識が強いとはいえなかったが、父親の 郷里の村への愛着が文宗族のつながりへの関心に結びつく事例があった。

Ⅳ.宗族のつながりの持続と変容

 ワトソンはロンドンの文氏の人々は、世界を文氏一族とそれ以外とに分ける伝統的な宗族中心の態 度を維持し彼らの主要な準拠集団は依然として文氏一族なのであり、その成員であることは彼らに とって非常に大切なことなのであると指摘している[ワトソン 1995: 215]。これは1970年代当時の指 摘であるが、現在50代から60代のシニア世代は、当時10代であり、この指摘には当てはまらないこと がわかった。これは、現在80代以上の世代、つまり一つ上の世代に当てはまる指摘であるといえる。  オランダ文氏宗親会幹部である60代男性 3 名[表 1 ・事例 1 ∼ 3 ]の場合は、宗親会設立前に文氏 の人々と個人的に付き合っていたから宗親会設立に尽力をしたのではなかった。オランダ語やオラン ダ社会を理解できる能力を評価されて幹部になり、宗親会設立後に文氏の人々との交流を深めてい た。そして、設立に向けて尽力をした背景には、自らの父親世代の宗親会設立への思いがあった。  現在50代以上の約半数は、父親に伴って10代でオランダに移住し、オランダで教育を受けていた。

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若い世代のようにオランダで高い教育を受けておらず、中退して父親のレストランで働く者がほとん どであり、オランダでの教育を自らのキャリアに生かしてはいなかった。宗親会幹部ではない50代以 上のシニア世代の場合、宗親会での活動に参加することによって文氏の人々との交流が増え、夕食会 や日帰り旅行などの活動への参加は老後の楽しみとなっていたが、文氏の宗族のつながりが、彼らの 人間関係のあり方に重要な位置を占めてはいなかった。  「第一世代」「第二世代」という区切りは、「第一世代」を80代以上の人として、「第二世代」を20代 を中心とする人としてイメージしてステレオタイプ化することによって、宗親会を設立し活動の中心 的役割を担っている現在の50代から60代世代が隠れてしまう。50代から60代の世代は、文氏のつなが りが80代世代のように人間関係に重要な位置を占めているわけではないが、宗親会設立によって文氏 の人々との交流を深め、また彼らにとって文氏の人々とのつながりは、移住前の故郷での実際の人間 関係のつながりの延長上にあるものとして捉えられていた。  また、祖先名義の共有財産が伝統的宗族組織を維持する最も重要な要素であったことは、フリード マン[1991]等によって指摘されてきた。文宗族は数十の分節に分かれ、それらはそれぞれ祖先名義 で設けられた地産をもち、その子孫から構成され、こうした地産は団体的に所有された財産として共 同管理され、収益は分節成員によって房数割り(毎世代ごとに均分を繰り返すやり方)の原則で分け られる[ワトソン 1995: 23]。しかし、文氏一族の祖先財産は、稲作の衰退と相俟って衰微し、もは や祖先祭祀に関連する伝統的活動全体の支出を賄い得るほどの利益を生じなくなり、十分な収入源を 保持している少数の分節でさえ、成員に対する毎年の分配を行っていない。文氏一族は、もはや祖先 地産に対する共通の利害関心という経済的紐帯によって一つにまとまってはいない。他方で、新田村 は新界の他の単一宗族村落と違って、生業構造を多様化させず大部分の者が海外移住し、宗族がある 種の移民斡旋媒体となったので、移住によって宗族の紐帯が保存され強化されたと指摘されている [ワトソン 1995: 213 215]。  ワトソン[1995]の指摘したように、宗族がある種の移民斡旋媒体となったことは、文氏の人々同 士で就職を斡旋していたことに伺える。しかし、それゆえに、50代以上の世代の人間関係のあり方に 文氏の一員であることが重要な位置を占めていたとはいえなかった。本論で対象とした50代以上のほ とんどは、故郷に祖先名義の地産を所有し、香港が好きではない事例 5 (20代男性)の父親以外は若 い頃から家族を連れて故郷を訪れ、退職後に故郷に帰還している者が多いことから、故郷との結びつ きに祖先名義の地産の所有が関連していることを指摘できる。また祖先地産の継承をめぐって親族間 で争いがあり、親族関係に亀裂を生じたという話を筆者はしばしば耳にした。兄弟間の争いばかりで はなく、祖先地産の継承権はないが親の面倒をみてきた姉妹が兄弟相手に法的訴訟を起こしたという 例もあり、祖先地産の所有は50代以上の親族関係に影響を与えていた。  ではジュニア世代にとって、宗族の結びつきはどう捉えられているのか。  シニア世代とは違って、ジュニア世代にとっての宗族の結びつきは、故郷の実際の人間関係の延長 上にはなく、想像されるものであった。また若い世代には、祖先地産の所有はほとんど意識されてお

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らず、シニア世代のように父親の故郷との結びつきに関連はなかった。事例11(20代女性)と事例19 (30代女性)にみられるように、父親への思いや小さい頃から親から聞いた話が父親の故郷との結び つきを強める場合もあり、それが文宗族のつながりへの興味にもつながっている場合もあった。  そして、宗親会の活動への参加は、文宗族のつながりを想像するきっかけを提供するのに大きな役 割を果たしていた。宗親会の活動に参加しシニア世代と交流をしたり、父親の故郷を訪ねたりするこ とによって、文宗族に興味を抱くようになった者もいた。それは、ジュニア世代の何人かが、親しく なったシニア世代を「アンクル A」、同世代の者を「カズン A」呼ぶことに示されているように、ジュ ニア世代にとって文宗族は「ファミリー」として想像されていた。宗親会の活動に関わったことがな いオランダで生まれ育った文氏の若者は、文宗族への興味はほとんどなかった。  ではなぜ、実際の人間関係と関わりのない「想像」された文宗族のつながりに、興味を抱く若者が いるのか。ジュニア世代にとって、文宗族のつながりは祖先地産の共有と結びついてはいないし、文 化的アイデンティティ形成とも関連がなかった。A 氏の調査では、文氏宗親会に関わるジュニア世代 52人の内、文姓に愛着を持っている者は88.5%(46人)、村の伝統について知識がある者は55.7% (29人)、村への帰属意識がある者は48%(25人)、村への愛着心がある者は42.2%(22人)、文氏一員 と頻繁に付き合っている者は18.2%(10人)、文氏の一員としてのアイデンティティを保持している 者は38.5%(20人)であった[Man 2011: 120]。A 氏の調査は文氏宗親会に関わる若者を対象として いるので、文姓に愛着心があると答えた者が 9 割近くもいるが、その約 9 割のほぼ半数が村への帰属 意識や愛着心がなく、文氏の一員としてのアイデンティティを保持せず、文氏の人々と付き合いがあ るのは 5 人に 1 人であるという調査結果は興味深い。これは、ジュニア世代にみる文姓への愛着心 は、村への帰属意識や愛着心がなくとも生まれるものであることを示している。  筆者は、若い世代が文姓に愛着心を持つのは、宗親会の活動に関わることによって、シニア世代が 夕食会を開催したりすることを通して文宗族のつながりを意識し、他に類をみないつながりとして興 味を持ったからだと考える。もちろん、宗親会の活動に関わった者が皆、文宗族のつながりに興味を 抱くわけではなく、父親に誘われて夕食会に参加しても、文宗族のつながりに興味を抱かない者もい るし、兄弟間でも違いがあり個人差がある。父親が文宗族に興味がなくとも、その子どもが興味を 持っている事例 5 のような場合もあった。重要な点は、ジュニア世代にみる宗族のつながりは、個人 がそうした想像上の「ファミリー」のつながりに興味を持つかどうかにかかっていることである。シ ニア世代にみる姓を共有することによるつながりを、他に類をみないものとして興味を抱き、それを ジュニア世代に継承したいと考えている若者が現在いることによって、宗族のつながりが受け継がれ ている。シニア世代にみられたように、宗族は移民斡旋媒体となったりして実際の機能を果たすもの ではない。ジュニア世代においては、個人が興味を抱かなければ、実際の人間関係の延長上に意識さ れたのではない想像上のつながりは消滅してしまう。また、それは男性のみを辿ってしか継承されな いつながりである。現在の宗親会ジュニア部門幹部 5 名の内 2 名は女性であるが、彼女たちは、自分 たちの文宗族への興味を自らの子どもに引き継ぐことはできない。

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注 1  社会人類学的な代表的先行研究である M. フリードマンの研究[1991]では、宗族に代わってリネージ(lin-eage)という用語が使用されている。しかし、瀬川は、漢族の親族組織の分析に「リニージ」という用語を 用いることは、かえってある種の誤解と混乱を生む元凶となっているように思われると述べている[瀬川 1991: 15]。そして、漢語自身の中に存在する「宗族」という言葉は、従来「分節(セグメント)」、「リニー ジ」、「クラン」などと呼ばれてきた諸レヴェルの親族集団またはカテゴリーの間に存在する連続性、柔軟性 を、硬直した術語上の分割によって遮断したり歪めたりしないこと、そしてそうした父系親族集団の多様性に 対応し得る用語であると指摘している[瀬川 1991: 22]。  以上から、文宗族のつながりは、宗親会設立によって、次世代にも受け継がれる可能性が生み出さ れたといえる。宗親会を設立した60代を中心とする世代は、文氏の一員であることが人間関係におい て重要な位置を占めていたわけではないが、自分たちの親の世代の思いを受け継いで宗親会を設立し たことによって、文氏の人々との日常的交流を深めることができた。若い世代にとっては、文宗族の つながりは実質的機能を果たすものではなく、「ファミリー」として想像されるものであった。文宗 族のつながりに興味を抱かない文氏の若者は多いが、宗親会の活動に参加することによって興味を抱 く者がいることによって、文宗族のつながりは継承されていた。しかし、男性にしか継承されないつ ながりであること、祖先地産の継承をめぐっては親族間の争いがあること等を考慮すると、個人が興 味を抱くかどうかに依っている、「ファミリー」として想像される文宗族のつながりが、将来的に持 続していくかどうかは不確かである。

おわりに

 本論では、1960年代をピークに香港新界からヨーロッパに移住した文氏の人々が、半世紀を経た現 在、いかに文宗族の結びつきを保持しているのかを、60代から20代の主にオランダに在住する文氏の 人々へのインタビューに基づいて明らかにした。  筆者は2015年 9 月にロンドンの文氏宗親会を訪問し、ロンドンの文氏宗親会の幹部数名にインタ ビューをした。ロンドンの文氏宗親会はオランダよりも30年近く前に設立されているが、ジュニア部 門はまだ設立されていない。現会長によると、ジュニア部門と女性部門を近い将来設立するというこ とであった。ジュニア部門が設立されていないロンドンの場合、本論で検討したオランダの場合に比 べて、文宗族に興味を抱いている文氏の若者は少ないのではないのかと考える。今後はロンドンの文 氏の人々を対象に調査を進め、オランダの場合と比較したい。  本論は、科研費基盤研究(B 海外学術調査)研究課題「EU における移民第 2 世代の学校適応・不 適応に関する教育人類学的研究」(研究代表者:山本須美子、平成24年度∼27年度)の研究成果であ る。

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2   2 名(表 2 ・事例19・事例20)に対しては、ロンドンでインタビューを実施した。 3  本章の文氏一族の歴史的背景の記述は、ワトソン[1995]と Man[2011]に依拠している。 4  インタビューは2015年 2 月に10名の20代を中心とする学業達成賞受賞者に実施した。事例 3 と事例 4 は姉弟 であったので、ここではその父親 9 名を取り上げる。 5  B 氏によると、息子が生まれたら15日目に自分の分節の人々を集めて宴会を開き、そこに息子を登録すると のことであった。 6  ここでは、文化的アイデンティティを、過去の語りの中に自己を位置づける仕方に与えられた名づけであり [Hall 1989: 70]、歴史や文化の言説における「アイデンティフィケーション(identification)」の地点であり、 本質ではなく、「位置取り(positioning)」として捉える[Hall 1989: 71]。 【参照文献】

Hall, Stuart, 1989, Cultural Identity and Cinematic Representation , Framework 36, pp. 68 81.

Man, Wan Loi, 2011, The Man Lineage in the Netherlands and Europe (1950 2010): A Migration Narrative, MA Thesis: Leiden University.

瀬川昌久 2001『中国人の村落と宗族――香港新界農村の社会人類学的研究』弘文堂.

フリードマン・モーリス (末成道男・西沢治彦・小熊誠訳)1991『東南中国の宗族組織』弘文堂.(原著:Freed-man, Maurice, 1958, Lineage Organization in Southeastern China, London School of Economics Monographs on Social Anthropology, No 18. London: Athlone Press.)

山本須美子  2014『EU における中国系移民の教育エスノグラフィ』東信堂.  2015a「オランダにおける文氏宗親会の現状と役割」『アジア文化研究所研究年報』(東洋大学)49: 151 164.  2015b「オランダにおける中国系第二世代の社会統合――ライフヒストリーの分析から」『移民政策学会』 7 : 151 166.  2016「オランダの中国系第二世代にみる学校適応の要因――文氏宗親会による学業達成賞受賞者へのインタ ビューから」『白山人類学』19: 9 31. ワトソン・L・ジェームズ(瀬川昌久訳)1995『移民と宗族――香港とロンドンの文氏一族』阿吽社.(原著: Watson, James L., 1975, Emigration and the Chinese Lineage: The Mans in Hong Kong and London, Berkeley: Uni-versity of California Press.)

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【Abstract】

Intergenerational Transformation of Clan Ties among Man

Lineage Families in Europe

Sumiko YAMAMOTO

 This paper seeks to examine how lineage ties among Man clan families (families sharing

the surname Man

) have changed through the generations over the 50 years since the peak

of their migration to Europe from Hong Kong s New Territories in the 1960s. Here, I define

lineage as a form of kinship organization based on patrilineal blood relations in China. Over

4,000 members of the Man clan are believed to be living in the United Kingdom, with

ap-proximately 2,500 more in the Netherlands. Two examples of lineage associations founded

by members of this clan are The Man Clansmen Association, established in London in 1977,

and Stichting Familie Man in Europa

( Man Lineage Foundation in Europe ), established in

the Netherlands in 2000.

 The structure of this paper is as follows. In Chapter I, I consider the historical background

of the Man clan s migration to Europe. In Chapter II, I first consider the nature of the effect

of lineage ties in the life history of a man in his sixties who serves as an executive member of

Stichting Familie Man in Europa. Further, I conducted an interview in February 2015 with

the winner of an academic achievement award given by Stichting Familie Man in Europa,

and in this chapter, I examine the degree to which the interviewee s father, a man in his

fif-ties who was not an executive member of this organization, was involved in its activifif-ties.

Fur-thermore, I study the effect of lineage ties on his experience of interpersonal relationships.

In Chapter III, based on interviews I conducted with 20 young informants mostly in their

twenties, 10 of whom were recipients of the academic achievement award, I examine how

lin-eage ties are understood among members of the next generation. In Chapter IV, based on

the previous discussion, I consider how lineage ties among Man clan families have changed

over the past 50 years.

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possibility of Man lineage ties being passed on to the next generation. This is not to say that

the generation of clan members who established these associations, now mostly in their

six-ties, necessarily felt that the Man clan identity occupied an important position in their

inter-personal relationships. Nevertheless, by inheriting the memory of their parents generation

and establishing lineage associations, they were able to deepen daily interactions among

members of the Man clan. For the younger generation, Man lineage ties do not serve a

sub-stantive function; rather, they are symbolized as family. Furthermore, although Man lineage

ties do not inspire interest for many younger people in the clan, the presence of those who

do develop an interest through their participation in the activities of lineage associations

means that Man lineage ties will be passed on. Nevertheless, given certain considerations

such as the fact that such ties are only inherited by men, and that disputes between relatives

have occasionally arisen over the inheritance of ancestral estates, it is not certain whether

Man lineage ties that are symbolized as family, which depend on personal inclination, will be

sustained into the future.

参照

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