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芸術教育者としての豊子愷 : 中国の芸術教育史におけるその位置づけをめぐって

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Academic year: 2021

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滋 賀 大 学 教 育 学 部 紀 要   人 文科 学 ・社 会 科 学 ・教 育 科 学 No.45  pp.229-243,1995 229

芸 術 教 育 者 と して の豊 子 榿

中国 の芸術 教育 史 にお け るその位置 づ け をめ ぐって

Review  on  Art  Educationist  Feng  Zikai

About  Feng's  place  in  history  of  Art  Education  of  China

Yang  XiaoWen 一  は じめ に が 留 学 経 験 を も って い る こ とに 注 目 しな け れ ば な らな い。   中 国 の芸 術 教 育 、特 に近 現 代 中 国 の そ れ を マ ク ロ ス コ ピ ック に 見 る と き に 、二 つ の特 質 が 指 摘 で き る と思 う。 そ の ひ とつ は、 芸 術 教 育 そ の もの に対 す る認 識 の 困 難 で あ る。 言 い換 えれ ば、 さ ま ざ まな 目的 や 動 機 か ら芸 術 教 育 を中 国 で 行 な お う とい う動 きが 出始 め て か ら、芸 術 教 育 は こ うい う も の だ と い う一 致 が生 まれ るに い た る ま で、 長 い 道 程 を要 した の で あ る。 王 国 維 は 芸 術 教 育 を 「情 育 」 とみ な し、梁 啓 超 は 芸 術 教 育 を趣 味 教 育 とす る。 察 元 培 は芸 術 教 育 を美 感 教 育 と呼 ん だ り、 戴 獄 は芸 術 教 育 を美 術 教 育 と書 い た りす る 。 よ うや く 「美 育」 とい う言 葉 が 普 及 し、 最 後 に 芸 術 全 般 につ い て の 教 育 で な け れ ば な ら ない とい う共通 の理 解 が ま とま っ た。   もう ひ とつ は 、外 来 の影 響 とい う もの で あ る。 近 代 に お け る西 洋 文 明 の 東 へ の 漸 進 につ れ て 、 い ろ い ろ な 思 想 や 学 説 が 中 国 に入 っ て きた。 芸 術 教 育 に 関 して は、 カ ン ト、 ニ ーチ ェ、 フ ロ イ ト、 トル ス トイ 、 ラス キ ン、 モ リス な ど の考 え が も っ と も よ く紹 介 さ れ、 察 元 培 、 魯 迅 、豊 子 榿 な ど は そ れ ぞ れ 自分 な りにそ れ を吸 収 し、 消 化 して い っ た の で あ る。 勿 論 、 彼 ら の ほ とん ど 二 中国における芸術教育の展開   中 国 の 芸 術 教 育 は長 い歴 史 の な か で の 蓄積 に 加 え 、社 会 的 な 強 い 要 請 に応 え る必 要 に も迫 ら れ て、 近 現 代 にな っ て よ うや く開 花 す る よ う に な っ て きた 。 そ して 近 現 代 中 国 にお け る そ れ は 具 体 的 に ま た、 三 つ の 時期 に分 け ら れ る 。 つ ま り、 そ の 序 幕 と して の 晩 清 の 時 期 、 過 渡 的 な 役 割 を果 した 辛 亥 革 命 の 時期 と正 式 登 場 の 五 ・四 運 動 以 後 の 時期 で あ る。   〔1〕 晩 満期   先 に も触 れ た よ う に、 十 九 世 紀 後 半 、 西 洋 文 明が 東 へ 東 へ と及 ん で きた 。 そ れ をい ち 早 く受 け 入 れ 、 明 治 維 新 後 、 文 明 開化 、富 国 強 兵 、 殖 産興 業 とい う三 大 政 策 を もと に、 急 速 な 発展 を は か って い た 日本 は、 日清 戦 争(中 国 で は 「甲 午 戦 争 」)で そ れ まで に恐 れ に恐 れて い た清 朝 を 負 か して 、 世 界 を驚 か せ た 。 そ れで い ち ば ん シ ョ ック を受 け た の は、 い う まで もな く清 の 人 々 で あ り、 悲痛 な気 持 が 治 ま って か ら も当 時 の 苦 痛 を追 想 し、 そ の わ け を よ く考 え た結 果 、科 学 救 国 、医 学 救 国 、 教 育 救 国 な どの 思潮 が広 が り、

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芸 術 教 育 は 教 育 救 国 論 の一 部 分 と して 試 み られ た。 「戊 戌 政 変 」 で 名 を馳 せ た康 有 為 、 梁 啓 超 等 が そ れ を提 唱 した こ と もあ る が 、 も っ と も代 表 的 な人 物 は王 国 維 と李 叔 同 で あ る。   <1>王 国 維   中国 にお い て 、 初 め て 芸 術教 育 を唱 え た の は 、 王 国 維 で あ る 。 彼 は 、 中 国 の 詩 歌 、戯 曲 史 、 考 古 文 献 に つ い て の 研 究 の 第 一 人 者 と い わ れ 、 そ の 著 書 『人 間 詞 話』 は詩 歌 研 究 者 の 必 読 書 と な っ て い る。 芸 術 教 育 につ い て の 造 詣 も深 く、 カ ン ト、 ニ ー チ ェ 、 シ ョーペ ンハ ウ ア ー の哲 学 と 美学 を中 国 に導 入 し、独 自の 芸 術 教 育 理 論 を形 成 した 。 そ の 主 張 は 、 主 に 「教 育 の 旨 を 論 ず 」 「毒 を去(の ぞ)く 篇 」 「孔 子 の美 育 主 義 」 に現 れ て い る。   <2>李 叔 同   人 よ り一 歩 先 ん じて 、実 際 の 芸 術 教 育 活 動 を 行 な った の は 李 叔 同 で あ る。 李 は一 九 〇五 年 の 秋 、 救 国 の 道 を求 め て 日本 へ 旅 立 っ た 。 最 初 、 音 楽 に 関 心 が あ っ た の で 、 翌 年 二 月 、 一 人 で 「音 楽 小 雑 誌 』 を編 集 ・出 版 した。 こ れ は 近 代 中 国 の音 楽 刊 行 物 と して 第一 冊 目の もの で あ る。 そ の 九 月 に、 李 は東 京 美 術 学 校 の 試 験 に受 か6 て 、 西 洋 画 に 挑 み 始 め た 。 同 校 の 第 一 代 の 中 国 留 学 生 と して 黒 田清 輝 教 授 につ い て油 絵 を勉 強 した 。十 月 四 日付 け の 日本 『国 民 新 聞』 に 、 「清 国 人 洋 画 に志 す 」 と題 す る 李 叔 同 につ い て の イ ン タ ビ ュー記 事 まで も載 っ てい る。   また 当 時 日本 で は新 劇 が は や っ て い た の で 、 そ れ に示 唆 を得 て 、 一 九 〇 六 年 の冬 に 、 李 叔 同 は 友 人 の 曾 延 年 等 と 東 京 で 話 劇(新 劇)結 社 「若 柳 社 」 を つ くっ た。 そ の 公 演 した 「椿 姫 」 で 女 装 してマ ル グ リ ッ トを演 じ切 った り、 「ア ン ク ル トム の小 屋 」 で 奥 さん な どの 役 で 大 成 功 し た り した。 彼 ら の演 出 活 動 は、 中 国 の 劇 壇 に新 風 を吹 き込 む。   帰 国 して か ら の李 は 「太 平 洋 報 」 の 編 集 な ど を経 て 、一 九 一 二 年 八 月 か ら、 漸 江 両 級 師 範 の 図 画 ・音 楽 教 師 とな り、 中 国 の 芸 術 教 育 の 人 材 育 成 に 力 をい れ る。 彼 は そ こ で 、 中 国 で の 初 め て の モ デ ル 写 生 、西 洋 美 術 史講 義 、音 楽 講 義 な ど を試 み た。 そ の 教 育 を受 け て芸 術 家 と して 名 を遂 げ た 人 の な か に 、 本 論 の 主 題 で あ る 豊 子 榿 が い る。   〔2〕 辛 亥 革 命 期   一 九 一 一 年 十 月 十 日の武 昌 蜂 起 の銃 声 が 、 清 朝 政 府 と二 千 年 に わ た る 中 国 の 封 建 専 制 政 体 の 崩 壊 を宣 告 した。 ブ ル ジ ョア民 主 主 義 革 命 の 勝 利 が 人 々 の 心 を一 新 し、古 い も の を改 め 、 新 し い もの を立 て よ う とす る革 新 思 潮 が 醸 し出 され た の も当 た り前 の こ と と言 え よ う。 そ の 中 で 美 育 の 重:要性 が 認 め ら れ 、実 際 に 一 定 の仕 事 も な され た の だ が 、 革 命 勢 力 が 弱 体 で あ った た め、 孫 文 を臨 時 大 総 統 とす る南 京 政 府 が 北 洋 軍 閥 の 衰 世 凱 と妥 協 、衰 が 大 総 統 に就 任 す る。 美 育 は 一 時 的 に燃 え 盛 っ た の で あ った が 、五 ・四 運 動 以 後 で の 本 格 的 な 出 発 を待 た な け れ ば な らな か った 。   〈1>察 元 培   現 代 中 国 の 芸 術 教 育 運 動 の リー ダー シ ップ を と っ た人 とい え ば 、 薬 元 培 の ほ か に ふ さわ しい 人 物 は い な い。 彼 は孫 中 山 の 中 華 民 国 政 府 の 教 育 総 長 に任 命 され 、 後 に北 京 大 学 の学 長 もつ と め た が 、 そ の 間 、 中 国 の芸 術教 育 を大 い に唱 導 し、 大 き く進 め た。   一 九 一 二 年 、察 元 培 は教 育総 長 に就 任 す るや い な や 、 さっ そ く教 育 改 革 に と りか か り、 「新 教 育 に対 す る意 見 」 を公 に して 、 初 め て 中 国 教 育 にお け る芸 術 教 育 の 地 位 を確 立 させ た 。   察 元 培 の 美 育 理 論 の 中 で 、 も っ と も有 名 なの は 「美 育 を以 て宗 教 に代 え よ う」(一 九 一 七)と す る もの で あ る。 薬 の この 見 解 は 、彼 な りの 宗 教 観 に基 づ い た も ので(こ れ に つ い て の 詳 論 は 省 くが)、 当 時 の 中国 にお い て は 、 きわ め て大 胆 な発 言 で あ り、 そ の影 響 が 非 常 に大 きか った 。   藥 の 芸 術 教 育 に つ い て の 影 響 力 が 強 か っ た の は、 そ の 政 治 的 地 位 と社 会 的 地 位 を抜 き に して は語 れ な い 。 「察 元 培 先 生 は私 た ち の 崇 拝 の 中心 で あ り、 そ の 一 挙 手 一 投 足 が 私 た ち の 手 本 に な らな い もの は なか っ た」 と作 家 の 鄭 振 舞 が 回想 す る よ う に(鄭 「『芸 術 論 』 か ら説 き始 め て」) 中国 の 芸 術 教 育 に 貢 献 を した 人 々 の な か で 、薬 の影 響 を受 け た もの が 少 な くな か っ た 、王 統 照 、 聞一 多 、 劉 海 栗 、 梁 漱 漠 、栄 光 潜 ・ ・。 も っ と も、 次 に登 場 して くる 魯 迅 は教 育総 長 時 代 の察 元 培 の 部 下 だ った が 。   <2>魯 迅   日本 留 学 中 に、 文 芸 に よ って 国 民 の 精 神 を改

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芸 術教育 者 と して の豊子榿 231 造 し ょ う と医 学 をや め て 文 学 に 志 した魯 迅 は、 帰 国後 杭 州 の 漸 江 両級 師 範 学 堂 の教 師 を した り、 紹 興 の 山 会 初 級 師 範 学 校 の校 長 をつ とめ た り し た が 、 一 九 一 二 年 二 月 か ら、 察 元 培 の 招 き を受 け て 、 中 華 民 国教 育 部 で は た ら くよ うに な る。 彼 が 科 長 だ っ た社 会 教 育 司 第 一 科 は博物 館 ・図 書 館 、 動 植 物 園 、 美 術 館 ・美 術 展 覧 会 、文 芸 ・ 音 楽 ・演 劇 、 考 古 文 物 の調 査収 集 を と り し き り、 三 十 歳 を過 ぎて ま も な くの魯 迅 は ま だ 中華 民 国 へ の期 待 をす て きれ ず 、察の 唱えた教育革新 を 進 め よ う と 自分 な りの 努 力 を して き た。 六 月 か ら七 月 に か け て 、 五 回 に わ た る 「美 術 略 論」 を 教 育 部 主 催 の 講 習 会 で 行 い 、 翌 年 の 二 月 に有 名 な 「美 術 普 及 を はか る意 見 書」 を発 表 した。   こ の 「意 見 書 」 の 中 で もっ と も注 目す べ き と こ ろ は、 「何 をか 美 術 とい う」、 「美 術 の 類 別 」、 「美 術 の 目的 と効 用 」 に続 く 「美 術 普 及 の方 策 」 で あ る。 康 有 為 は そ の著 書 『大 同書 』 に お い て 一 般 教 育、 芸 術 教 育 につ い て の 具 体 的 な考 え を 示 しは した が 、 そ れ は現 実 か らあ ま りに も離 れ た 空 想 的 な理 想 図 にす ぎな か っ た。 そ れ に 較 べ る と、魯 迅 の 「意 見 」 はい か に も現 実 的 で あ る。   周 知 の よ う に、 魯 迅 は創 作 に す ぐれ、 外 国 文 芸 も よ く中 国 に紹 介 した が 、 そ の 現 代 中 国 の 芸 術 教 育 へ の 貢 献 の も う一 つ は木 刻(木 版 画)で あ る。 火 薬 や 羅 針 盤 と同 じ く、 木 版 画 も十 四 世 紀 に 中 国 か ら ヨー ロ ッパ に 伝 わ って 、 ま た逆 輸 入 さ れ て き た。 そ れ を 中 国 に 根 づ か せ よ う と、 魯 迅 は 『近 代 木 刻 選 集』(一)(二)や 『メ ッ フ ェ ル トの 木 刻 、 セ メ ン トの 図』 や 「木刻 紀 程 』 な ど を刊 行 した り、 日本 の美 術 教 師 に頼 ん で 中 国 の 青 年 美 術 家 に木 版 画 の技 法 を講 義 して も ら った り、 こ の 世 を去 る わ ず か 十 日ほ ど前 に、 第 二 回 全 国 木 版 画 巡 回 展 覧 会 を見 に行 き、 青年 版 画 家 た ち との 話 に花 を 咲 か せ 、 彼 ら の活 動 を大 い に励 ま し た りした 。 した が っ て、 魯 迅 を抜 き に して は近 代 中 国 の 木 版 画 が 育 た な か った とい って過 言 で は なか ろ う。   〔3〕 五 ・四 運動 以 後   晩 清 時 期 に見 え た芸 術 教 育 思 想 の 萌 芽 と辛 亥 革 命 時 期 に 築 か れ た 芸 術 教 育 の 基 礎 を も とに し て 、 五 ・四 運 動 を経 て の 本 格 的 な芸 術 教 育 が 、 中 国 の 大 地 に根 を下 ろ し、 花 を咲 かせ 始 め る 。 一 九 一 九 年 の 冬 、中国のは じめての美育研究 団 体 「中 華 美 育 会」 が 上 海 で 創 立 さ れ 、 そ の 機 関 誌 で あ る 「美 育 」(:豊子榿 は そ の編 集 者 の一 人) も、 翌 年 四 月 十 二 日 に正 式 に 出版 され た 。 そ の 会 員 は全 国 的 な 規 模 で 数 百 人 にの ぼ り、 芸 術 教 育 につ い て の 数 々 の 意 見 、 経 験 、 提 案 、外 国 事 情 紹 介 な どが 「美 育 」 を通 して 広 く伝 え ら れ、 大 い に芸 術 教 育 に関 す る啓 発 的 な役 割 を果 した 。 この ほ か に 、 前 に 述 べ た察 元 培 、 魯 迅 は い う ま で も な く、王 統 照 、 李 石 零 、 李 金 髪 、 朱 光 潜 等 も芸 術 教 育 の 第 一 線 に立 って 活 躍 した が 、 芸 術 教 育 に関 す る 著 書 の 多 さ 、芸 術 教 育 理 論 の 豊 か さ、 芸 術 教 育 実 践 の 徹 底 性 な どか ら トー タル に 見 る場 合 、 こ の時 期 の 代 表 的 な 人 物 と して 豊 子 榿 の 名が 浮 か んで くるの で あ る 。 三   「芸 術 教 育=芸 術 精 神 の応 用(温 柔 敦厚    文質彬彬)」  芸 術 教 育 に つ い て 、 豊 子 榿 は 、 さ ま ざ ま な 理 論 を構 築 し、確 立 して き た。 先 ず そ れ ら を整 理 し、 ひい て は そ の 精 髄 が 何 で あ る か を 見 て い く こ とに しよ う。   〔1〕 絵 画 につ い て  宇 宙 の 森 羅 万 象 で 絵 画 の 対 象 に な ら ない もの は 一 つ もな い 。 そ れ だ か ら とい って 、 絵 画 教 師 が そ の 学 生 に今 日 は馬 の描 き方 、 明 日 は牛 の描 き方 、 明 後 日は 花 の 描 き方 、 明 々 後 日 は鳥 の描 き方 ・ ・とい うふ う に教 え て い け ば 、 十 年 をか け て も教 え きれ な い だ ろ う。 中 国 で は 、 昔 か ら 『芥 子 園 画 譜 』 とい う絵 の 百 科 事 典 の よ う な本 が あ って 、 絵 に志 す もの の ほ とん どは そ れ を も って い る。 一 途 に そ の 模 倣 をす る こ と を修 業 の す べ て と し、 色 々 な 画 譜 か ら ま ね た もの を用 い て 描 きあ げ た もの を中 国 画 だ と心 得 て い る。 ゆ え に 、 そ れ ら の絵 の な か の 人物 は必 ず 古 代 の 衣 裳 を ま と い、 その な か の 船 と車 は必 ず 古 風 の も の で あ る。 二 十 世 紀 の 中国 画 家 に も、 こ の 傾 向 は まだ 顕 著 に残 っ て い る。 な ん と不 思 議 な 現 象 で あ ろ う。  芸 術 教 育 の 内 容 の 一部 分 をな し、 また そ の 有 力 な手 段 で もあ る絵 画 を ど う教 え る か に つ い て 、豊 は 独 自の 見 解 を発表 して い る。 つ ま り、彼 の 学 生 に 「一 通百 通 の 方 法」(こ れだ け をマ ス ター した ら何 で も描 け る方 法)を 伝 授 し よ う とす る の で あ る。 そ れ は 「す な わ ち 、 あ

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なた の 目 と手 を訓 練 す るこ とで あ る」。 この 一 見 や さ しそ うで あ る が 、 実 は豊 の 長 年 に わ た る創 作 と教 育 の 経 験 に 基 づ い た もの を豊 は こ う説 明 して くれ る。 人 は顔 形 、 体 つ き、 皮 膚 の色 な ど が そ れ ぞ れ 違 うが 、 親 戚 や 友 達 や 知 合 い を間 違 え る こ と は な い 。 た だ 絵 画 の 訓 練 を受 け て い な い 人 は 、 形 や 色 彩 の 相 違 に対 して 、 そ うだ と は 知 って い るが 、 なぜ そ うな の か を知 らな い 。 私 達 は 二 つ の 違 った 顔 を見 た 時 、 そ の違 い を弁 別 で き る ばか りで は な く、 ど こが 違 っ て い るか を 徹底 的 に研 究 しな け れ ば な ら な い。 山 水 、樹 木 、 花 鳥 、 什 器 な ど につ い て も同 じこ とで あ る。 こ の よ う な研 究 を重 ね て 、 もの の形 と色 彩 の 異 な りを識 別 で きて は じめ て あ な た の 一 定 の 訓 練 を 受 け た手 は 自然 に そ の 目 と協 力 しあ い 、 紙 面 に そ の 見 た もの を そ の もの な りに描 くこ とが で き る ので あ る。 そ れ か らの あ な た は 、 ど こへ 行 っ て も、 な に を見 て も、描 け な い もの はな い だ ろ う、 と彼 は 言 うの だ 。   国 内 外 に よ く知 ら れ た 「子 榿 漫 画 」 は 中 国 に 現 れ て か ら、 そ れ を まね る もの が 途 切 れ た こ と が な く、 つ い に 「次榿 」(「豊 子 榿 に次 ぐ もの」 とい う意 味)と 名 乗 る人 ま で も出 て きた が(豊 の 『教 師 日記 』 参 照)、 残 念 な こ とに、 豊 子 榿 を しの ぐ もの は 一 人 もい な か った 。 そ れ は た ぶ ん 彼 らが 豊 子 榿 の 「目」、つ ま り豊 子 榿 の芸 術 につ い て の 真 骨 頂 を会 得 して い な か っ た こ とに起 因 して い よ う。   〔2〕 音 楽 につ い て   中 国 に 「曲 高 和 寡 」 とい う言 葉 が あ る。 そ の 出 典 は次 の 通 りで あ る。  楚 の 嚢 王 が 有 名 な文 人 宋 玉 に 問 う。 あ な た の 行 い に欠 け る と こ ろ は な い か。 なぜ あ な た を そ し る者 が そ ん な に多 い の だ ろ う。 宋 玉 は 答 え る。 そ の わ け を言 わせ て い た だ き た い 。 あ る 人 が 歌 を歌 う。 は じめ は  『下 里 巴 人』(下 等 な る 曲の 名)を 歌 った ので 、 彼 と一 緒 に 歌 っ た 人 は 数 千 人 だ った 。 歌 が 次 第 に難 し くな り、 最 後 に彼 は 『陽春 白雪 』(高 等 な る 曲 の 名)を 歌 っ た 時 、 そ れ に和 す る人 は二 三 人 しか い な か った 。 よ うす る に 「其 曲弥 高 、其 和 弥 寡 」(歌 曲 の格 調 が 高 くな る につ れ て 、 そ れ に 唱 和 す る 人 は少 な くな っ て くる)と い うこ と で あ る。(『文 選』 巻 の 第二 十 三   対 問 「楚 王 の 問 に対 す」 参 照)   豊 は ま っ こ う か ら こ れ に 反 対 し て 、 「曲 高 和 衆 」 と い う 主 張 を 出 す 。  「高 」 の 曲 は 必 ず し も 難 し い と は 限 ら な く、 「低 」 の 曲(格 調 の 高 く な い 歌 や 曲)は 必 ず し も易 し い と は い え な い 。 反 対 に 、 難 し い 曲 は 絶 対 に 「高 」 と は 保 証 で き ず 、 易 し い 曲 は 「低 」 で な け れ ば な ら な い 理 由 は ど こ に も な い 。 そ れ ゆ え に 「高 低 」 と 「難 易 」 は 正 比 例 を な す の で は な く、 「曲 高 」 だ か ら 「和 寡 」 に き ま っ て い る は ず は な く、 「曲 難 」 に 原 因 す る も の で あ り、 「和 衆 」 は 「曲 低 」 が そ の わ け で は な く、 「曲 易 」 だ か ら で あ る 。 こ れ ら を 分 か りや す く す る た め に 、 豊 は 音 楽 を 次 の よ う に 分 類 す る 。   第 一 類 、 「曲 高 和 寡 」(そ の 「曲 」 は 「高 」 で あ る と と も に 「難 」。 故 に 「和 寡 」)。   第 二 類 、 「曲 低 和 寡 」(そ の 「曲 」 は 「低 」 で あ る と と も に 「難 」。 故 に 亦 「和 寡 」)。   第 三 類 、 「曲 低 和 衆 」(そ の 「曲 」 は 「低 」 で あ る と と も に 「易 」。 故 に 「和 衆 」)。   第 四 類 、 「曲 高 和 衆 」(そ の 「曲 」 は 「高 」 で あ る と と も に 「易 」。 故 に 亦 「和 衆 」)。   豊 子 榿 は こ の 第 四 類 の 「曲 高 和 衆 」 の 音 楽 を 中 国 に お け る 芸 術 教 育 の 一 つ の ポ イ ン ト と し 、 一 九 三 四 年 の 「大 衆 芸 術 の 音 楽 」 か ら 一 九 五 八 年 の 「曲 高 和 衆 」 ま で 、 長 年 に わ た っ て 音 楽 を 通 し て の 芸 術 教 育 の 普 及 を提 唱 しつ づ け た 。   豊 は こ の 「曲 高 和 衆 」 を 論 じ る と き 、 よ く ト ル ス ト イ と ニ ー チ ェ の 理 論 を 引 き 合 い に 出 す の で あ る 。 トル ス トイ は そ の 『芸 術 と は な に か 』 や 『幼 年 ・少 年 ・青 年 』 な ど を 通 じて 、 「邪 道 の 芸 術 は 人 々 に 理 解 さ れ な い こ と も あ る が 、 す ぐ れ た 芸 術 は か な ら ず 万 人 に 理 解 さ れ る も の な の で あ る(1)」 と い う 趣 旨 を 説 き 明 か し て お り、 ニ ー チ ェ も そ の 著 作 『ヴ ァー グ ナ ー の 場 合 』 (『Der Fall Wagner』)に お い て 、 「<良 い も の は 軽 や か で 、 神 的 な も の は す べ て ほ っ そ り し た 足 で 走 る 〉 と い う の が 私 の 美 学 の 第 一 命 題 だ2)」 と 表 明 す る よ う に 、 一 八 八 一 年 新 しい 憧 憬 を 求 め て の イ タ リ ア の 旅 中 、 ビ ゼ ー の 「カ ル メ ン 」 に 出 会 う と た ち ま ち こ れ を 好 き に な っ た の も、 偶 然 で は な か っ た よ う だ 。 豊 は こ れ ら を 「曲 高 和 衆 」 の 好 例 と して 、 よ く文 章 に 綴 っ た も の で あ る 。   豊 子 榿 が 懸 命 に 「曲 高 和 衆 」 を 呼 び 掛 け た 目

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芸術 教育 者 として の豊子 榿 233 的 は 、音 楽 を通 して芸 術 教 育 を は か り、 そ れ を もっ て 国 民 の 「感 情 を慰 め、 精 神 を陶 冶 し、 人 格 を 修 養 させ 」(豊 「音 楽 の 用 」)よ う とす る と こ ろ にあ る。   「曲高 和 衆 」 は芸 術 教 育 に とっ て 貴 重 な意 見 と方 法 で はあ るが 、芸 術 教 育 の 目標 はそ れ を基 礎 に した 「雅 俗 共 賞」(文 芸 作 品 が 優 美 で しか も 分 か りや す い こ と。 す べ て の 人 が そ れ な りに鑑 賞で きる。 「雅」 は高 い次 元 の 審 美 能 力 を有 す る 人。 「俗 」 は 審美 的欲 求 を もつ 一 般 の 人)に あ る の で は な か ろ うか 。 現 実 の世 界 が そ うで あ る か らだ 。   〔3〕 直 接 的効 果 と間 接 的 効 果   豊 が 芸 術 教 育 に身 を投 じた きっ か け は 、 三 つ の 小 さ な 出 来 事 で あ る。 一 九 二 〇 年 代 の は じめ に、 豊 は 師 範 学 校 を 出 て 一 図 画 ・音 楽 教 師 と な った 。 体 育 専 攻 の あ る学 校 で 図 画 の授 業 を担 任 して い た ら、 同 校 の 責 任 者 か ら体 操 用 具 や 動 作 姿 勢 な どを 画 材 にす べ きだ と い わ れ た 。 また 或 る学 校 で 図 画 を教 え る と、 実 用 の た め に動 物 、 植 物 、鉱 物 な どの 標 本 を画 材 に使 う よ うに と要 求 され た 。 さ らに別 の 学 校 で は 、彼 が 学 生 に描 かせ た木 炭 画 を見 た 教 頭 は、 こ の よ う な汚 い も の を 画 い て 何 の た め に な る?、 絵 は 一 文 に も値 しな い が そ の 画 用 紙 はか え っ て 値 段 が 高 い もの だ ・ ・。 豊 子 榿 は こ れ ら につ い て 深 く考 え させ られ た。   図画 科 の 主 旨 は 自然 と芸 術 の 美 に学 生 に眼 を 向 け させ 、 生 活方 式 の 改 善 にそ の美 を応 用 させ 、 そ の 美 に感 化 され て 高 尚 な 精 神 を陶 冶 させ よ う とす る と こ ろ(主 目的)に あ る。 た だ 学 生 が 絵 を描 くこ とが で きる こ と(副 目的)だ け を求 め るべ きで は な い。 しか し大 部 分 の小 中学 校 で は、 そ の 副 目的 を追 求 す る ば か りで あ る。 そ の 中 の 少 数 は、 よ うや くそ の副 目的 を実 現 して芸 術 教 育 の 成 績 が す ば ら しい もの だ と さ れ る が 、 そ の 他 の 多 数 は残 念 な こ とに 、 この 副 目的 を達 す る こ と さ え もで きな い。 豊 子 榿 はみ ず か ら の長 年 の 教 育 経 験 を も とに 、 当 時 の 中 国 にお け る 図 画 科 の現 状 を こ う ま とめ て い る。   音 楽 科 の 情 況 もそ れ に酷 似 して い る。 音 楽 科 の 宗 は音 楽 の 美 を学 生 に分 か らせ 、生 活 趣 味 の 高揚 に そ の 美 を応 用 させ 、 そ の 美 に感 化 され て 平 和 と愛 の 精 神 を培 わせ る とこ ろ(主 目的)に あ る べ きで 、 学 生 が 歌 を歌 え れ ば そ れ で い い (副 目的)だ け の こ とで は な い 。 だ が 、 小 中 学 校 の ほ と ん ど が も っ ぱ らそ の副 目的 に力 をい れ る もの だ 。 しか もそ の 副 目的 の完 全 な達 成 さ え 求 め られ な い学 校 も少 な くな い 。 そ の 選 ん だ 歌 と曲 も良 くな い し、 そ の 教 え方 も正 し くな い か らで あ る。   こ この 「主 目的」 と 「副 目的」 を、 豊 子 榿 は も っ と明 確 な表 現 、 も っ と深 み の あ る もの と し て 、 「間 接 的 効 果 」 と 「直 接 的 効 果 」、 とい う言 葉 を用 い て い る。 彼 はい うの で あ る。 「私 は芸 術 科 を教 え る と き、 直 接 的効 果 を追 求 せ ず 、 間 接 的 効 果 を大 切 に す る こ とを 主 張 した い。 学 生 に 直 接 役 に立 つ よ う な絵 が 描 け る こ と を求 め ず 、 た だそ の美 を愛 す る心 を養 わせ る こ とだ け を使 命 とす る。 絵 を描 くよ うな心 情 を も って 生 活 に 面 し、 世 界 に 対 す れ ば 、生 活 は 美 し くな り、 世 の 中 は平 和 に な ろ う。 こ れ こ そ芸 術 の 最 大 の 効 用 なの で あ る。(中 略)今 日の芸 術 教 師 た る者 に、 この 旨 を理 解 で きる の は、 何 人 い る だ ろ うか?」 (豊 「教 師 日記 』)や や現 実 を こ えて 、 理 想 に傾 きす ぎた と こ ろ もあ る が 、相 当 な 自負 が 行 間 に 張 っ て い る。 近 現 代 中 国 の芸 術 教 育 全 般 を視 野 に お い て 考 え る場 合 、 豊 子 榿 が この よ うに 自負 す る の も当 然 だ と考 え られ る。 とい うの は、 こ の よ うに は っ き り と、 芸 術 教 育 の 中 心 を 心 の 教 育 に あ る とい う次 元 で の ア ピー ル は外 に ほ と ん ど 見 当 ら な く、 当時 だ けで な く、 今 日に お い て も私 た ち の 参 考 に資 す るす る と こ ろ が 少 な くな い か らで あ る。   〔4〕 「中 国芸 術 教 育 の 新 紀元 を」   一 九 三 九 年 四月 の 中 旬 か ら、 豊 は 当時 広 西 省 の 宜 山 に あ っ た漸 江 大 学 で 、 ま だ 中国 で 正 式 に 開 か れ た こ との な い 「芸 術 教 育 」 と 「芸術 鑑賞 」 の 二 講 義 を始 め た 。 謄 写 版 刷 りの 『芸 術 教 育 』 の な か で 「近 代 芸 術 教 育 運 動 」 な ど を語 り、 四 一 年 十 月 出版 の 「子 榿 近 作 散 文 集」 の 「三 十 年 来 の芸 術 教 育 を顧 み て」 に お いて は、 「科 挙 が 廃 れ 、学 校 が 興 っ て」 か らの 三 十 余 年 に わ た る 中 国 の芸 術 教 育 に つ い て の総 括 を試 み よ う と した。   学 校 とい う の は西 洋 に ま な ん だ もの で あ り、 初 め は各 課 目 に お い て 不 自然 な とこ ろ が 多 く、 例 え ば 、「英 語 」 の場 合 、 呪 文 の 暗誦 の よ う に教 授 され て い た が 、 次 第 に教 え方 の改 善 な どが 進

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み 、 よ くな っ て きた。 しか し 「芸 術 科 の み が 、 三 十 余 年 来 あ ま り改 良 の け は い を見 せ なか った 。 最 初 は学 校 の カ リキ ュ ラム の な か に 機 械 的 に移 入 され た の で あ っ た が 、今 に な っ て も各 教 科 の 間 に生 硬 に挟 ま れ て い て 、 人 生 か ら遊 離 し、 教 育 か ら疎 遠 に な り、 重 要 な 地 位 を 占 め て もい な けれ ば 、 効用 も少 な い」。 これ らの現 象 を生 ぜ し め た 原 因 を、 豊 は 「教 師 の 欠 乏 、教 授 法 の 未 熟 と芸 術 の 末 節 に こ だ わ り芸 術 の 精 神 を うかつ に して い る こ と」 とい う三 点 で 追 及 し、 さ らに こ の 三 つ を ま と め て 、 「教 書 匠 」 が 多 くて 「教 育 者 」 が 少 な い と喝 破 した。 豊 子 榿 の い う 「教 書 匠」 と 「教 育 者 」 を理 解 す る に は、 彼 の次 の よ うな随 筆 を引 く必 要 が あ る 。    昔 、私 た ち は絵 画 を研 究 して い た と き、 絵     を画 く人 に つ い て 論 じあ った こ とが あ る。    芸 術 を理 解 し、 思 想 を 有 し、 そ して 人生 観     を表現 で き る人 を 「画 家 」 と称 した 。芸 術     も分 か ら な く、 思 想 もな く、 た だ描 く技 巧     の み を も って い る 人 を 「画 匠」 と呼 ん だ 。     画 家 は芸 術 の 導 き手 で あ り、 高 尚 な存 在 で     あ る。 画 匠 は手 は もっ て い るが 脳 は な く、     凡 庸 な もの だ。(「労 者 自歌 」)   中国 語 で は 、 「・ ・匠」 は 手 や 簡単 な道 具 に よ っ て仕 事 を し、 専 門技 術 を もっ た 人 をい い、 そ の テ ク ニ ック に重 き を置 き、 こ れ を や や 見 下 す ニ ュ ア ンス が あ る 。大 工 を 「木 匠 」 と呼 ん だ り、 左 官 を 「瓦 匠 」 と言 った り、 鍛 冶 屋 を 「鉄 匠」 と称 した りす る。 「・ ・者 」(或 い は、 「・・家 」 等)も あ る仕 事 に 従 事 す る人 を さす が 、 重 点 は そ の 思 想 性 や 人格 に あ り、 そ れ を評 価 す る意 味 合 い が 含 ま れ て い る。 ゆ え に、 文 学 や 芸 術 に た ず さわ る人 は 「文 芸 工作 者 」、 科 学 分 野 の す ぐれ た 人 は 「科 学 家 」。   この 「・ ・匠 」 と 「・・者(家 な ど)」 は 、豊 子 榿 の 人 間 を評 す る と きの 相 対 的 概 念 で あ り、 そ の 世 界 観 の 一 範 疇 を な して い る。 彼 は先 に 引 い た 随 筆 に い う よ うに 、絵 を描 く人 を 「画 家」 と 「画 匠 」 に分 け 、 同 じ基 準 で音 楽 領 域 の 人 を 「音 楽 家」 と 「楽 匠 」 に分 類 し(「三 十 年 来 の 芸 術 教 育 を顧 み て」)、抗 日戦 争 中 に お い て そ の 「目的 と意 図 を理 解 し、威 厳 を も っ て い るが 凶 暴 で はな く、 怒 りを もって い るが 残酷 で は な く、 か つ 勇 気 の あ る」 兵 隊 を 「戦 士 」 と して 敬 意 を 表 し、 た だ 「人 殺 し を能 事 とす る もの 」 を 「戦 匠 」 と して 非 とす る(「 労 者 自歌 」)。教 育 に つ い て は、 豊 子 榿 は 「た だ 学科 の 直 接 的効 果 を追 求 して そ の 間接 的 効 果 を求 め ず 、 た だ技 法 を伝 授 して 精 神 の修 養 を知 らな い」 教 師 を 「教 書 匠」 と風 刺 し、 そ れ と反 対 の を 「教 育 者 」 と高 く評 価 して い る。   豊 子 榿 は そ の.「教 師 日記 」 に お い て 、 自分 の 抱 負 を こ う語 った こ とが あ る 。 「私 は中 国 芸 術教 育 の新 紀 元 を切 り開 こ う と思 う。 これ まで の す べ て の 幼 稚 、生 硬 、 空 虚 、 孤 立 な どの 積 弊 を除 き、 そ れ を 中 国 人 の 生 活 と密 接 に関 連 させ 、 中 国 の教 育 全 般 にか かわ る一 有 機体 に した い」。現 状 は き び し く、豊 の 切 望 す る ほ ど実 現 は で き な か った が 、 彼 の 主 張 は 当時 に必 要 な も の で あ っ た だ けで な く、 こ れ か らの 中 国 に お い て こそ 、 よ り大 きな反 響 を呼 ん で い くもの で あ ろ う(挑 全 興 「美 育先 駆 一 豊 子 榿 の 芸 術 論 著 に つ い て」、 杜 衛 「豊 子 榿 の美 育 思 想 を論 ず 」 な ど参 照)。   漸 江 大 学 で の 「芸 術 教 育 」 の 講 義 が 終 わ っ た 日 に、 豊 子 榿 は 黒 板 に次 の よ う な短 い公 式 を書 い た 、 芸 術 教 育=芸 術 精 神 の 応 用(温 柔 敦 厚 文 質 彬彬)。   「芸 術 精 神 の 応 用 」 は 理 解 しに くい こ と もな い が 、 問 題 は 、 「温 柔 敦 厚 」 と 「文 質彬 彬 」 につ い て の受 け と り方 で あ る。   「温 柔 敦 厚」 は 、 「札 記 』 の 「紐 解」 に あ る こ とば で 、 「孔 子 曰 く、其 の 国 に入 りて其 の教 知 る べ きな り。 其 の 人 とな りや 温 柔 敦 厚 な る は詩 の 教 な り〔3}」。 要 約 す る と、 人 を導 い て 温 和 親 切 に す る も の が 「詩 経」 の 教 育 で あ る㈲。 「文 質 彬 彬 」 は、 『論 語』 の 「雍 也 」 の 文 句 で 、孔 子 の 曰 く 「質 、 文 に勝 て ば 則 ち野 。 文 、 質 に 勝 て ば則 ち 史。 文 質彬 彬 と して 然 る後 に 君子 な り〔5〕」(先 生 が い わ れ た、 「質朴 さが 装 飾 よ りも強 けれ ば野 人 で あ る し、 装 飾 が 質 朴 よ り も強 けれ ば文 書 係 りで あ る。 装 飾 と質 朴 とが う ま くと け あ っ て こ そ 、 は じめて 君 子 だ6}」。   「温 柔 敦 厚 」 にせ よ 、「文 質彬 彬 」 にせ よ、 具 体 的 な 内 容 や 尺 度 に お い て 明 確 さ を欠 く規 範 と 言 わ ね ば な らな い が 、 人 間 た る もの の 基 本 的 な 修 養 を意 味 す る もの で 、 人 に お け る内 面 の い と な み や 精 神 生 活 の 重 視 を強 調 す る こ とで 一 致 し て い る。

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芸術 教育 者 と しての豊 子 榿 235   十 九 世 紀 の 末 葉 、 ド イ ツ の リ ヒ ト ワ ル ク (Alfred Lichtwark)に よ り 「芸 術 教 育 」 が 提 唱 さ れ て か ら 、 ま ず ヨ ー ロ ッパ に 広 が り 、 同 国 の ラ ン ゲ(Friedrich  Albert Lange)、 イ ギ リ ス の モ リ ス(William  Morris)や 画 家 ・詩 人 で あ る ロ セ ッ テ ィ  (Dante  Gabriel Rossetti)な ど に , よ っ て 大 い に 進 め ら れ 、 一 九 〇 一 年 欧 州 の 芸 術 教 育 家 の 主 催 で 第 一 回 芸 術 教 育 大 会 が 、 一 九 〇 三 年 に 第 二 回 、 一 九 〇 五 年 に 第 三 回 の 大 会 が 開 か れ た 。 そ の 盛 況 は 東 へ も 及 び 、 中 国 の 場 合 は 、 王 国 維 、 李 叔 同 、 察 元 培 、 魯 迅 、 豊 子 榿 な ど の 先 駆 者 が 現 わ れ た こ と は 、 す で に 述 べ た と お り で あ る 。 外 来 の 新 思 潮 に 対 し て 、 そ の 思 想 、 資 質 、 経 歴 な ど に よ っ て 吸 収 者 の 感 じ 方 、 受 け と め 方 が 違 っ て く る の は 当 然 の こ と で あ る 。 豊 の 場 合 、 画 家 、 作 家 、 翻 訳 家 で あ る と 同 時 に 長 年 芸 術 科 の 教 師 で も あ っ た し、 中 国 の 古 典 に つ い て の 造 詣 も 深 い た め 、 舶 来 の 「芸 術 教 育 」 を 自 分 な り に 消 化 し、 当 時 の 民 衆 の 受 け 入 れ ら れ る レベ ル な ど も 考 え て 、 そ れ を 中 国 化 す る こ と に 力 を 入 れ た 。 つ ま り、 中 国 固 有 の 理 論 や 観 念 な ど を も っ て そ れ を 説 き 明 か し 、 生 か そ う と ベ ス トを 尽 く して き た わ け で あ る 。 さ ら に 進 め て 見 れ ば 、 そ の 絵 画 や 音 楽 に つ い て の 主 張 に せ よ 、 そ の 「間 接 的 効 果 と 直 接 的 効 果 」 に せ よ 、 そ の 「中 国 芸 術 教 育 の 新 紀 元 」 の 考 え に せ よ、 そ れ ら の 核 を な し て い る の は 、 芸 術 精 神 の 把 握 と 発 揮(豊 の 言 葉 は 応 用)で あ り、 そ れ ら の 実 現 が 温 柔 敦 厚 、 文 質 彬 彬 で あ る 。 こ れ こ そ 、 芸 術 教 育 の 究 極 の 目 的 に 通 ず る も の 、 ま た そ の も の で は な か ろ うか 。 四 豊子榿 におけ る芸術教育論の具体化   そ の 芸 術 教 育 につ い て の 理 論 や 主 張 を具 体 的 に実 現 して い くた め に、 豊 子 榿 は次 の よ うな 四 つ の方 面 に心 血 を注 い で きたの で あ る。   〔1〕 童 心 の 養 成   中 国 の 子 供 は よ く こ っそ りとポ ケ ッ トに 棒 炭 や 黄 土 塊 や チ ョー ク屑 をい れ る もの だ 。 彼 ら の 画 具 な の だ 。 大 人 の い な い と き、素 早 くそ れ を 取 出 し、 壁 や ドアや 窓 な ど に作 品 を発 表 す る。 大 人 に見 つ か る と、「絵 の具 」 は没収 され 、 い ろ い ろ と叱 られ る が 幾 日 もた た な い う ち に、 壁 や ドア や 窓 に彼 らの傑 作 が 再 び出 現 す る。   この現 象 に対 して 、大 部 分 の 人 は道 徳 、美 感 、 清 潔 な ど の 理 由 か ら否 定 的 な意 見 を もつ が、 豊 は そ れ を首肯 す る態 度 を表 明 してい る。 「も しあ な た が こ の よ う な落 書 を じっ く り見 れ ば 、 こ れ は 児 童 の絵 画 本 能 の現 わ れ で あ り、 そ の 一 筆 一 筆 が み な小 さな 美 術 心 か ら流 れ 出 た もの で、 そ の 一 幅 一 幅 が 小 さ な 感 興 の お もむ く ま ま に生 ま れ た もの で な い もの は な い 、 と い う こ一とが 分 か って くる」(「児童 画」)の だ か ら、 そ れ ら を消 す べ きで な い ど こ ろ か 、 そ の 美 術 心 の培 養 と感 興 の 保 持 に つ い で の 方 法 を考 え な け れ ば な らな い の だ 、 と豊 子 榿 は 力説 して い る。   画 家 で あ る豊 子 榿 は、 さ ら に子 供 た ち の絵 の もつ 芸 術 性 の 分析 を展 開 して い く。 「子 供 た ち の 描 い た 壁 画 は、 往 々 に して 学 校 の 図 画 に お け る 出来 栄 え よ りず っ と芸 術 の 価 値 に とん で い る。 自発 的 に作 り上 げ た もの で 、無 理 は な く、 わ ざ と ら し くな い か らだ 。終 始 熱 烈 な興 味 を と もな っ て描 か れ て い る。 ゆ え に 、 そ の 絵 はい つ も、 新 奇 な 情 景 を画 き、 大 胆 溌 刺 と して い る。 大 人 に は、 見 た こ と も な い し、 描 け も し な い だ ろ う。」(「児 童 画 」)。   子 供 た ち の絵 心 に つ い て述 べ 、 児 童 画 の もつ 芸 術 性 へ の 理 解 を説 い て か ら、豊 子 榿 は 最 後 に 建 設 的 な意 見 を出 す 。 大 人 が暖 か い関 心 を示 し、 適 切 な 指 導 を加 え れ ば、 子 供 た ち も当 然 ポ ケ ッ トに 棒 炭 や チ ョー ク屑 を 隠 した りせ ず 、 慌 た だ し く壁 や ドア に 落 書 す る こ と もな い だ ろ う。 よ うす る に彼 らに 具 備 す べ き絵 の 道 具 と絵 を描 く 公 然 た る権 利 を もた せ るの だ 。 そ うす れ ば、 「そ の 発 展 に は必 ず も っ と期 待 で き る もの が あ り、 同 時 に芸 術 教 育 も顕 著 な 進歩 をみ せ て くれ る で あ ろ う」(「児 童 画」)。児 童 の もつ 芸 術 的 稟 質 の 重 視 と保 護 とい う角 度 か らす れ ば 、 豊 の 見 解 は き わめ て 高 く評 価 す べ き もの で あ る。 げ ん に 、 彼 は教 師 に な って か ら そ の 晩 年 に い た る まで 、 子 供 た ちへ の芸 術 教 育 を忘 れ た こ と は なか った 。   児 童 と音 楽 の 関 係 につ い て は 、 豊 子 榿 はみ ず か らの 体 験 を も って そ の 大切 さ を語 る。 幼 い こ ろ 、 「春 遊 」 とい う歌 を歌 って 友 情 と 自然 の美 に め ざめ 、 「励 学 」 とい う歌 に よ って愛 国心 が培 わ れ た こ と を回 想 し なが ら、音 楽 が 子 供 の 心 を美 し くす る の に い か に重 要 で あ る か か ら書 き始 め

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て、 「児 童 は歌 を歌 う と きに 、全 身全 霊 が その 中 に没 入 す る か ら、 生 涯 そ れ を忘 れ は しな い 。 も し数 え きれ な い ほ どの 優 美 健 全 な歌 を、 素 養 の あ る 多 くの 音 楽 教 師 を通 して 、 天 下 の 天 真爛 漫 な子 供 た ち に伝 え られ た ら、次 の 時 代 は き っ と 今 日 よ り平 和 幸 福 に な ろ う。 音 楽 は永 遠 に人 の 童 心 を保 ちつ づ け 、 平 和 の 神 と幸 福 の神 は 天 真 爛 漫 な 童 心 の 存 在 す る とこ ろ に しか 訪 れ な い か らだ」(「児 童 と音 楽 」)と 熱 情 を こめ て 論 を展 開 す る。 これ は 豊 子 榿 の 「児 童」 に対 す る根 本 的 な 見 方 、 考 え 方 に か か わ る もの で 、 後 程 また 詳 し く述 べ る こ とに したい 。   親 が 子 供 に物 語 を聞 かせ る一 こ れ は ど この 家 庭 で も よ く見 ら れ る 人情 味 に満 ち た 日常 風 景 の ひ とつ で あ るが 、 日毎 に語 って い く うち に 物 語 が な くな っ て い くの も観 た ちの 悩 み の ひ とつ で あ る ら しい 。 ど ん な物 語 を、 どの よ うに作 っ て い くか を児 童 へ の芸 術 教 育 の 一 環 と して 、 豊 子 榿 は よ く紹 介 を し、 よ く創 作 も した 。   一 九 二 九 年 、 豊 は長 尾 豊 の書 い た 『幼 稚 園 物 語』 を抜 粋 で 中 国 語 に訳 し、 そ の い くつ か の ポ イ ン トを 自 己 流 に整 理 して 、 中 国 の 観 た ち に 紹 介 す る こ とに した。 そ れ に よれ ば、 子 供 向 け の 物 語 に は七 つ の 創 作 パ ター ンが あ る。 つ ま り、 単 純 な三 段 式(首 、 中、 尾 か らな る)、 複 合 的 な 三段 式(首 、拡 大 さ れ た 中、 尾)、Why  so  stor-ies式(「 な ぜ ・ ・」 の よ う な 物 語)、 笑 い 話 、 取 り替 え式(物 語 の 中心 とな る もの を次 々 に か え て い く)、 階 段 式(cumulative  stories)と 寓 話 式 で あ る。 豊 子 榿 は こ の よ う に、 子 供 へ の 物 語 の 骨 格 を親 な る人 に提 示 して 、 そ の 具 体 的 な 材 料 を、 話 す 人 が 自 由 に考 案 す る よ う勧 め た 。 も ち ろ ん 「子 供 に物 語 をす る と き、 み ず か らそ の 世 界 の な か に 入 り、 彼 らの使 う こ と ば で話 す べ きで あ る。 す な わ ち、 あ な た た ちが 子 供 に 向 って 話 をす る と き、 完 全 に子 供 に変 わ ら な け れ ば な らな い」(「幼 児 へ の 物 語 」)こ と は、 成 功 の 前 提 で あ り、 欠 くべ か らざ る 条 件 で もあ ろ う。 実 際 に 、豊 はそ の好 評 を博 す 童話 作 品(『 博:士が 鬼 に遭 う』 や 『猫 の 一 声 』 な ど)に お い て 、 こ の 理念 を徹 底 的 に実 践 しとお した 。   服 装 に よ っ て そ の 人 の 文 化 レベ ル や 身 分 や 趣 味 な どが 一 応 わ か る もの で 、 そ れ ゆ え に美 的 教 育 、 芸 術 教 育 の 一 手 段 と して 、 豊 は服 装 、 と く に子 供 の服 装 の重 視 を唱 え た。 当 時 の 中 国 で は、 三 角 定 規 の よ う な袖 をつ け た 短 す ぎ る ほ ど の上 着 に、 マ ン トみ た い な丸 くて 大 きな ス カ ー トを ま と うの が女 性 の フ ァ ッ シ ョ ンで あ り、 男 の ほ う は、 瓜 皮 帽(お わ ん 帽)を か ぶ り、 長 榿 馬 榿 (「長 榿 」 は ひ と え の 長 い 中 国 服 、 「馬 榿 」 は そ の 上 に重 ね る 短 い 上 着)の み な りを整 え るの が スマ ー トと され て い た。 大 人 が 流 行 を追 うの は まだ 理 解 で きる が 、 子 供 まで も無 理 矢 理 に その まね を させ る の は大 間違 い だ 。 豊 は そ の 同 じ格 好 をす る 母 親 と娘 を 「あ た か も大 型 と小 型 の 二 人 の 母 親 の よ うだ 。 しか も小 型 は もっ と奇 形 で 、 も っ と恐 ろ しい」(「児 童 の 大 人 化 」)と 風 刺 し、 「小 型 婦 人」 とそ れ に似 た 「小 型 紳 士 」 を題 材 に、 「佳 偶(お 似 合 い)」 とい う漫 画 を描 い て、 この 病 的 な社 会 現 象 を きび し く非 難 した 。   さ ら に豊 は これ に理 論 的 な批 判 を加 え る。 大 人 は体 が 長 い もの で 、 頭 の 長 さ と 身長 の 比 例 は 1:7或 い は1:6で あ る が 、 子 供 は頭 が 大 き くて 体 が 短 い ので 、 そ の比 例 は七 八 歳 で1:5、' 五 六 歳 で1:4、 二 三 歳 で1:3で あ る。 これ は、 絵 画 の 人 体 描 法(Figure  drawing)の 実 践 に よ っ て も証 明 さ れ て い る。 した が って 、 大 人 は身 体 を三 つ の 部 分 に分 け て そ れ ぞ れ を美 し く して い くの が 美 学 上 の 「多 様 の統 一」 に も あ う の だ が 、 全 体 的 に 黄 金 分 割 に 近 い 比 を もつ 子 供 の場 合 は 、 そ れ に ふ さ わ しい 服 装 を させ た ほ う が よ り可 愛 くな っ て こ よ う。 豊 は そ の 論 文 「児 童 の 大 人 化」、 「童 心 の培 養 」 や そ の児 童 漫 画 を 通 して、 子 供 を ど う装 わ せ る か、 積 極 的 な 意 見 を打 ち 出 して い る。  児 童 の 美 意 識 を育 て る に は、 玩 具 の は た ら き も大 きい 。 二 〇年 代 初 め の 中 国 教 育 界 で は 玩 具 に注 目す る 有 識 者 が い て 、 姜 丹 書 は そ の 著 『玩 具 と教 育 』 に お い て 、呉 夢 非 は そ の文 章 「家 庭 美 育 に対 す る女 性 の 責 任」 に お い て 、 玩 具 の 教 育 的 効 果 な どに 関 して そ れ ぞ れ重 要 な 発 言 を し て い たが 、 児 童 へ の 芸 術 教 育 にお け る 玩 具 の 位 置 を、 い き い き と した例 を あ げ なが ら系 統 的 に 論 じて い た の は豊 子 榿 で あ る。  玩 具 が 子 供 に歓 迎 さ れ る か 否 か の きめ て は想 像 で あ る 、 と豊 は断 言 す る。 「想像 は 、 児童 に お け るす べ て の 感 情 の 母 で あ る 。 審 美 、 同 情 、信 仰 、 愛 慕 な どが み な想 像 の 発 達 に よ り、 進 歩 し

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芸 術教 育 者 と して の豊子 榿 237 て きた 。」 「想 像 の 世 界 は も っ と も広 い もの で 、 と く に子 供 の 場 合 は、 世 間 の 経 験 が まだ 浅 く、 想 像 の 翼 が 任 意 に飛 翔 し、何 の 束 縛 もな く、 そ の 世 界 は広 大 そ の もの で あ る」(「児 童 教 育 につ い て」)。これ らは 、 豊 の 体 験 談 で もあ る 。 椅 子 をつ な げ て は 車 に し、 積 み 木 を長 く して は 汽 車 に す るそ の 可 愛 い 息 子 と娘 に、 高 級 な お も ち ゃ の 車 と汽 車 を 与 え た ら どん な に喜 ぶ だ ろ う と ひ そ か に期 待 して い たが 、結 果 は正 反 対 だ っ た。 二 日 もた た な い う ち に 、 お も ち ゃ は部 屋 の 隅 に す て られ た。 そ こ で 、 彼 は 悟 っ た一 前 者 は 「無 限 」 で あ るが、 後 者 は 「有 限 」 で あ る。 前 者 は 「希 望 」 で あ るが 、 後 者 は 「実 行」 で あ る (こ この 「実 行 」 の 背 景 に 豊子 榿 の 仏 教 思 想 が 見 え 隠 れ し、 彼 に布 教 め い た文 章 「実 行 の 悲 哀 」 が あ る)。 だ か ら、 「玩 具 を作 る際 、 形 式 の 美 し さ を求 め る一 方 、 想 像 を生 み 出 す チ ャ ン ス を与 え な け れ ば な らな い」(「児 童 教 育 につ い て 」)と 彼 は 主張 して い る。   「お 子 さ ん に対 す る 愛 は異 常 の よ うで あ り、 また 一 般 の児 童 生 活 に も常 に興 味 と同 情 を寄 せ て い る」 と吉 川 幸 次 郎 氏 に 紹 介 さ れ(吉 川 訳 『縁 縁 堂随 筆 』 の 「役 者 の言 葉 」)、 「い っ た い に 子 供 好 き の 人 」 と谷 崎 潤 一 郎 氏(谷 崎 の 随 筆 「きの ふ けふ 」)に い われ た 豊子 榿 は、生 涯 の最 後 まで 児 童 の 世界 に憧 れ 、 そ れ を大 切 に しつ づ け た 人 で あ る 。 そ の子 供 好 きの 現 れ の ひ とつ と して 、 玩 具 の 改 良 に対 す る熱 心 さが あ る、 とい う こ とが は っ き りと して い る。 彼 は わ が 子 との 接 触 や子 供 全 般 に 対 す る観 察 に 基 づ いて 、玩 具 を次 の よ うに 分 類 す る。   1、 運 動 玩 具一 小 自転 車 、 ジ ェ ン ツ(バ ド       ミ ン トンの シ ャ トル コ ック       様 の もの)、 ボ ー ル ・ ・   2、 玩 賞(遊 び か つ 鑑 賞)玩 具 一 で んで ん       太 鼓 、風 船 、棋 ・ ・   3、 模擬 玩 具一 人 形 、模 型 汽 車 ・ ・   玩 具 は総 体 的 に見 る場 合 、み な模 擬 玩 具 に収 め ら れ る が 、 そ の 一 つ 一 つ の特 性 を考 慮 に入 れ る と、 豊 の 分 類 は きわ め て科 学 的 で あ る。 さ ら に 豊 子 榿 は 効 用 の 角 度 か ら、次 の よ う に玩 具 を 分 け て 考 え る 。   1、 身 体 を きた え る玩 具   2、 精 神 を きた え る玩 具(知 をみ が く玩 具 、     情 をそ だ て る玩 具 、 意 をつ ち か う玩 具)   身 体 を きた え る玩 具 は先 の 分 類 で の 「運 動 玩 具 」 の こ とで あ る。 知 をみ が く玩 具 と情 をそ だ て る 玩 具 は 「模 擬 玩 具 」 と 「玩 賞 玩 具 」 を さす ので あ る が 、 意 をつ ち か う玩 具 は 運動 的 な 部 分 が あ り、 例 え ば ジ ェ ンツ 、 ボ ー ル な ど、 玩 賞 の ほ う に属 す る部 分 もあ る、 例 え ば 子 供 た ち の遊 ぶ 棋 の 類 い 、 と豊 子 榿 は説 明 をほ どこ してか ら、 特 別 に 「情 をそ だ て る」 こ と を次 の よ う に 強調 す る。 「大 雑 把 にい う と、 健 全 な る感情 を養 う こ とで あ る が 、 〈 健 全 〉 とい う二 字 は包 含 す る も のが あ ま りに多 く、 さす と こ ろが あ ま りに広 い た め 、 そ の 目標 もわ か りに くけ れ ば 、 そ の 目的 も言 い表 し難 い 。 形 と色 は児 童 の 目に 深 い 印 象 を あ た え 、声 と音 は児 童 の 耳 に大 きな 影 響 を も た ら す。 こ れ らの 印 象 と影 響 は と もに そ の 感 情 を左 右 す る こ と が で き る。 ゆ え に 、す べ て の玩 具 の 形 色 と音 声 は児 童 の 感 情 と切 って も切 れ な い関 係 に あ る」(「児 童 教 育 に つ い て」)。こ れ ほ ど児 童 に 対 して の感 情 教 育 を重 視 し、 この く ら い玩 具 が 子 供 の 感 情 培 養 に大 事 で あ る こ と を理 解 し、 こ の よ う に玩 具 と感 情 を結 びつ け て 認 識 した こ とは 、 当 時 の 中 国 にお い て は非 常 に貴 重 で あ り、 か つ 稀 で あ った 。 世 の 中 に児 童 が 存 在 す る か ぎ り、 豊 の この 思 想 は 人 々 に と って 、 尊 い指 針 と なる もの で あ ろ う。   児 童 の もつ 美 術 的 天 賦 を重 ん じ、音 楽 に よ っ ての 児童 心 身 の 成 長 を鼓 吹 し、児 童 の た め の 物 語 作 り を奨 励 し、児 童 の 服 装 に 目 を向 け、 さ ら に は 児童 と 日々 を と もに す る玩 具 に まで 深 い 愛 情 を こ め た 関 心 を示 して い る。 ど う して 豊 子榿 は こ ん な に 児 童 の世 界 に 憧 れ て い た の だ ろ う。 そ こ に は、 彼 の 「児 童 崇 拝 」 の 精 神 が 強 く はた らい て い た の だ と思 わ れ る。   康 有 為 は ほ ぼ 三 〇 年 に わ た って 完 成 した そ の 『大 同書 』 の 「己 部   家界 を去 って 天民 とな る」 に お い て 児 童 の 教 育 に 言 及 した。 察 元 培 は そ の 論 文 「美 育 実 施 の方 法」 にお い て さ ら に児 童 の 美 育 に つ い て 詳 し く論 じた。 王 統 照 も雑 誌 『曙 光』 に発 表 した 一 連 の美 育 に 関 す る文 章 の 中 で 児 童 美 育 に 救 国 の 希 望 を見 い だそ う と した 。 彼 ら は と もに 教 育 、 と くに芸 術 教 育 にお け る児 童 の重 要 性 に着 目 して い た が 、 み な 「居 高 臨 下」 (高 い とこ ろ に 立 っ て 見 下 ろ す 。 有 利 な地 位 に

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あ る 例 え)の 態 度 を と って い た と い う点 で は一 致 して い る。 つ ま り子 供 に な に か を教 え る 、 な に か を して や る とい う立 場 で あ っ た。 豊 子 榿 は、 正 反 対 で あ る 。 彼 は児 童 か ら教 わ ろ う と した の だ 。   一 九 一 九 年 の 秋 、 師 範 学 校 を 出 た ば か りの豊 は、 友 人 と上 海 専 科 師 範 学 校 を創 立 し、 社 会 へ の 第 一 歩 を踏 み 出 した 。 「その 時 私 は初 め て この 世 の 苦 楽 を味 わ い 、'当時 の 偽 りが ち で 驕 り高 ぶ った とこ ろ の 多 か った 社 会 状 況 を見 て 、 大 人 の 大 部 分 が も う人 間 と して の 本性 を失 っ て しま い 、 ただ 児 童 の み が 天 真 爛 漫 で 、完 全 な 人 格 を も っ て い て 、 本 当 の く 人 〉た る もの だ と思 っ た ので 、 児 童 崇 拝 者 と な っ た」(「私 の 漫 画 」)。も う少 し くわ し く、児 童 崇 拝 者 に な っ た 豊 の 精 神 的 軌跡 をた ど って み よ う。   あ る 日息 子 の 一 人 が 、銀 貨 と赤 い ひ もを持 っ て きて 、 そ の 真 ん 中 に穴 を開 け て ひ も を通 し、 首 飾 り を作 っ て くれ る よ う彼 に頼 ん だ。 また彼 の娘 た ち が 「蓮根 を食 べ る 時 、 そ の 一 片 を 天 然 の玩 具 と して 、 そ こ に あ る規 則 的 な 孔 を紅 の 糸 で花 の模 様 に織 り出 した り、 玉 蜀 黍 を手 に す れ ば、 一 握 りの そ の 金 色 の珠 を楽 しん だ り、石 榴 が 熟 れ た ら、 掌 い っ ぱ い の真 っ赤 な宝 石 を喜 ん だ りす る」(「童 心 の培 養 」)。   ど こ の 子 供 にで も見 られ る現 象 で あ る が 、 豊 は そ れ ら につ い て 深 く哲 学 的 に思 索 し、彼 の 文 章 に よ く出現 す る 「絶 縁 理 論 」 を打 ち 出 した。   人生 と 自然 に対 して 、児 童 は 特 殊 な態 度 を と って い る。 彼 らの 見 た 、 感 じた 、 思 っ た もの は 大 人 の そ れ ら と は違 っ て 、 人 生 と 自然 の も う一 つ の 面 影 で あ る。 こ の 態 度 は 「絶 縁 」 とい う も の だ 。 す な わ ち、 あ る事 物 に面 す る と き、 そ れ と世 間 との一 切 の 関係 、 因 果 を解 除 して 、 た だ そ れ な りにそ れ を みつ め る。 そ れ が 外 物 に 対 し て は、 不 導 体 の ガ ラ ス が 電 気 に対 す る 如 く、 す べ て と の か か わ り を断 絶 す る。 ゆ え に こ れ を 「絶 縁 」 と名 付 け る。 「絶 縁」 に お いて 、 目 に映 るの は事 物 の 純 粋 な 、 本 体 と して の相 で あ る。 大 人 は 、世 の 中 で つぶ さに辛 苦 をな め て 生 活 し、 利 害 を打 算 し、 巧 み に 知 恵 と計 略 を め ぐ らす な ど をす る もの で 、 長 ら く世 間 の 因果 の 網 に絡 め られ て い る た め 、 事 物 の 本 来 の 姿 を忘 却 して い る。 児童 は、 あ ま り世 事 を経 験 して い な い た め 、 眼 が 澄 ん で い て 、 そ れ を見 い だ しや す く、 また 率 直 に そ れ を言 い や す い 、 と豊 は こ の よ うに 持 説 を といて か ら、 金 を例 に して 、 「絶 縁 」 を芸 術 、 芸 術 教 育 へ とつ な げ て い く。   金 は 、 この 世 の実 生 活 に もっ と も重 要 な もの で あ る ら しい。 人が 生 活 の た め に 生 きる とす れ ば 、 金 は 生 活 を維 持 す るの に重 大 な 役 割 を果 す もの と な ろ う。 よ って 大 部 分 の 人 は 、金 を間 接 的 な 生 命 と見 る よ う だ。 毎 日の 奔 走 、奮 闘 は金 の た め 。 金 は生 活 の た め。 生 活 は命 の た め 。 命 が 何 の た め に あ る の か につ い て は、 考 え る余 裕 が な い か、 考 え よ う と しな い か の ど ち らか だ。 金 を見 る度 に 、 ほ と ん どの 人 の 心 に 、 そ れ と 関 係 の あ る事 物 が 浮 か ん こ よ う。 だ が 、児 童 に と っ て の 金 は 、事 物 の 代 価 で もな けれ ば 、 貧 富 の 標 準 で もな い 。 独 立 の存 在 で あ り、 絶 縁 の もの で あ り、金 その もの で は なか ろ うか 。 この 見 方 、 考 え方 は芸 術 に も通 ず る 。例 え ば、 画 家 が 林 檎 を描 く と き、 そ れ が 食べ られ る とか 、 食 べ た い とか の 思 い は絶 対 に もた ず 、 あ りの ま まの 林 檎 を観 照 す る。 絵 に描 か れ た道 は 田 野 の 静 脈 で あ り、 決 して 世 間 へ とつ な が る路 で は な い 。 画 中 の 人 は 自然 界 の 一 存 在 で 、意 識 あ る者 と して の 人 間 で は な い。 これ こ そ真 の 芸 術 創 作 と芸 術 鑑 賞 で あ る。 美 の世 界 に入 る鍵 は、 「絶 縁 」 で あ る。 世 の 中 を 因 果 関 係 の 顕 示 と して で は な く、 ひ と つ の 大 陳列 室 あ る い は大 花 園 と して 見 て み れ ば 、 麗 しい 芸 術 の 世 界 が は じめ て そ の素 顔 を見 せ て くれ る こ とで あ ろ う。   芸 術 教 育 は人 々 に こ の よ う な見 方 、 考 え方 を 教 え る教 育 で もあ る。 換 言 す れ ば 、 人 々 に絵 を 創 作 す る 、 画 を鑑 賞 す る よ うな 態 度 を培 うの で あ り、 「絶 縁 」 が で き る童心 の よ うな もの を養 い 、 そ れ を い つ まで も無 く さな い よ うに す る もの で あ る。   さ ら に豊 子 榿 は反 対 の 例 をあ げ て童 心 の大 切 さ を引 き立 て る。 も し私 た ちが た だ 理 知 的 、 因 果 的 な生 き方 の み をす れ ば 、 日 月星 辰 の 交 替 や 季 節 の 移 り変 りは死 を催 促 す る しる しに み え た り、高 い 山 や 長 い 川 は た だ 交 通 を妨 げ る障 害 物 と な っ た り、 鳥 は食 料 を提 供 す る動 物 に過 ぎ な か っ た り、 花 は種 子 植 物 の 生 殖 器 官 で しか な っ た りす る。 は て は 人 々 は 利 害 を も って 森 羅 万 象 に接 す る だ けで 、 お互 い に 永 遠 に ゆ き きす る こ

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芸術 教育 者 としての豊 子榿 239 とが な く、 こ の 世 に平 和 な り愛 な りは ま っ た く 存 在 しな い こ とに な る だ ろ う。 芸 術 教 育 は 、平 和 を生 み 出 す もの で あ り、 愛 を育 て る もの で あ る。 その 原点 は、童 心 その もの に あ る。   した が って 豊 は こ うい う結 論 に 到 達 した一 「童 心 は 児 童 教 育 の主 眼 で あ り、 芸 術 教 育 の主 眼 で もあ る」(「童 心 の培 養 」)。   豊 子 榿 の こ れ らの考 え は、 そ の 宗 教 思 想 に よ る と ころ が 多 大 で 、 そ して そ の作 品 の 成 功 に よ っ て 裏付 け ら れ て い る 。 や や もす れ ば 現 実 ば な れす る傾 向 が あ り、童 心 の 作 用 を評 価 しす ぎた き らい もあ る が、 そ れ だ け に そ の 創 作 の エ ネ ル ギ ー 源 の ひ とつ と もな った もの で あ り、 こ の点 は今 後 なお研 究 され る価 値 の あ る こ とで あ ろ う。   〔2〕 「女 性 こ そ、 人 生 の 音 楽 だ!」   婦 人 問 題 は つ ね に 時 代 を敏 感 に 反 映 す る話 題 の ひ とつ で あ る。 二 〇 年 代 後 半 の 中 国 に お い て 1ホ、 と りわ け こ の 問 題 が もて は や され た。 張 寛 生 は そ の 著 『美 の 社 会 組 織 法』 を もっ て 「新 女 性 中 心 論 」 を 唱 え、 奇 妙 な言 論 を発 して い る。 そ の理 論 に よ れ ば、 「美 の 社 会 組 織 」 の なか で 、 女 性 は こ と ご と く各 種 各 様 の 「花 」 に な るべ き だ 、 と して 次 の よ う に述べ て い る。   女 性 は 「芸 術 の 花」 と な るべ く、 さ ま ざ まな サ ロ ンを主 宰 して 、 「フ ラ ンス女 性 に美 を独 占 さ せ て は な らな い」。女 性 は 「慈 善 の 花 」 とな るべ く、 す す ん で 看 護 婦 をつ とめ る。 女 性 は 「新 社 会 の 花 」 とな るべ く、 教 育 、 マ ス コ ミ、観 光 な どの 仕 事 に進 出す る。 女 性 は 「装 飾 の花 」 とな るべ く、 フ ァ ッシ ョンの 店 や 整 形 な ど を て が け る。 女性 は 「有 用 の 花 」 とな るべ く、 技 術 者 と な っ た り、 ビ ジ ネ ス に携 わ った りす る ・・。   悪 く は な い 理 想 図 で あ る が 、 当 時 の 中国 の 実 情 と はあ ま り に も掛 け離 れ て お り、 実 現 は ほ と ん ど不 可 能 な もので あ った 。 そ れ に較 べ て 、豊 子 榿 の女 性 に 対す る態 度 は わ りあ い に科 学 的 で 、 現 実 的 だ っ た 。 彼 は女 性 の芸 術 教 育 に 関心 を示 し、 そ れ を通 して 彼 女 た ち に そ の 正 さ な け れ ば な らな い と こ ろ を わ か らせ る と 同時 に 、 そ の芸 術 教 育 に お け る重 要 な役 割 を さ と らせ よ う と し た の であ る。   まず 豊 の 当 時 の 中 国 女 性 に 対 す る批 判 と風 刺 につ い て で あ るが 、 そ もそ も こ と の は じめ は 、 彼 の見 た 女性 の合 唱風 景 で あ った 。   押 し合 い なが ら恥 ず か しそ う に舞 台 に 上 が っ て か ら も、 頭 を下 げ た り背 を観 衆 に見 せ た り、 口 を掩 って 笑 い 出 しそ うな の をが ま ん した り し て彼 女 た ち は、 なか なか 肝心 な 合 唱 を始 め な い 。 よ うや くオ ル ガ ンに つ い て 二 三 人 が 声 を 出 し、 他 の 者 はふ ぞ ろ い に合 わせ て くる。 時 に 断 え、 時 に続 い た り して や っ と歌 を歌 い 終 る と、 驚 か され た 雀 の よ うに 舞 台 を逃 げ去 って し ま う。 喝 采 と拍 手 が われ る よ うに 鳴 り響 く ・ ・。   今 日 にな って も まだ 時 に見 られ る 中 国 の 演 芸 会 の 光 景 で 、 芸 術 教 育 な ど の足 りな さ を物 語 る もの だ が 、 豊 は そ の 起 因 を 二 つ に ま とめ た 。 ひ とつ は 、 芸 術 な ん か は た だ の娯 楽 に す ぎな い と い う思 想 で あ り、 も う ひ とつ は 、女 性 が 音 楽 に 手 を染 め る の は歌 妓 が 歌 を歌 うの と 同 じ よ うな セ ク ッス ・ア ピー ル の 行 為 、 とい う よ う な考 え で あ る。 折 し も 『婦 女 雑 誌 』 に稿 を頼 ま れ た の で 、 「婦 人 た ち の た め に音 楽 研 究 の 態 度 を談 ず」 と題 して、 中 国 従 来 の 音 楽 に対 す る先 入 観 、 偏 見 を正 し、「音 楽芸 術 は非 常 に高 遠 深 奥 な もの で あ るゆ え に 、 もっ と も真 剣 な態 度 を取 ら な くて は」 と指 摘 し、声 楽 に お け る ソ プ ラ ノの 優 位 な どの 分 析 を 通 じて 、 彼 女 た ち の 「自愛 自重 」 を 呼 び か け た。   また 絵 の 展 覧 会 で 、 た だ 絵 の細 部 だ け をつ ぶ さに見 る習 慣 を もった 多 くの女 性 に、 「婦 人 た ち の た め に絵 画 の 見 方 を談 ず 」 を書 い て 、 そ の画 家経 験 に基 づ い て 、 画 家 の 観察 法 よ り説 き始 め 、 絵 の 種 類 を説 明 した う え に、 自然 物 象 の 観 察 か らの徹 底 的 な鑑 賞 方 法 をす す め る。   女 性 に対 す る批 判 を辞 さ な い 一 方 、 豊 子 榿 は 女 性 に尊 敬 と賞 賛 の 意 を表 し、彼 の思 考 の 健 全 さ をみ せ て い る 。女 性 と音 楽 、 な ん とな く緊 密 な 関 係 にあ る と思 わ れ が ち だが 、音 楽 史 を ひ も とい て み る と、 意 外 に も世 界 の楽 壇 にお い て は 、 女 性 の 大 作 曲家 は ほ とん ど見 当 らな い し、 指 を 折 って 数 えて も女 性 の 大 演 奏 家 は あ ま り出 て こ な い。 この 不 思 議 な現 象 に と っ くに気 づ い て は い た が 、 な か なか 考 え る 時 間 も書 く時 間 もな い 豊 だ っ た。 チ フ ス を患 い 、 静 か な病 床 生 活 を送 る 機 会 を得 た彼 の心 に 、 この 問 い が ま た頭 を擡 げ て きた 。 ゆ っ く り考 え に 考 えた 豊 はつ い に 二 つ の 答 え に落 ち着 い た 。 そ の ひ とつ は 、音 楽 の 巨 匠 た ちの 多 くが 女 性 、 と くに母 親 か ら音 楽 に

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関 す る教 育 、 影 響 を うけ た こ と で あ る。 後 期 バ ロ ック音 楽 の 代 表 的 人物 ヘ ンデ ル は 幼 い 頃 母 か ら音 楽 を教 わ り、 ノル ウ ェ ーの 民 族 色 豊 か な作 曲家 グ リー グ は小 さい 時 母 に ピア ノ を習 い 、楽 劇 を創 造 した ヴ ァー グ ナ ー は、 子 供 時 代 に そ の 姉 に導 か れ て 音 楽 の素 養 を身 につ け た ・ ・。 も うひ とつ は恋 愛 が 音 楽 の 大 家 た ち に もた ら した 恩 恵 で あ る。 そ の 恋 人 に捧 げ るベ ー トーベ ンの ピア ノ ・ソ ナ タ 「月 光 」 は い う まで もな く、 女 優 へ の 片 思 い が ベ ル リオ ー ズ の 代 表 作 「幻 想 交 響 曲 」 を成 就 させ 、 ク ラ ラ との 美 しい 恋 愛 ・新 婚 時 代 に シ ュー マ ン の 数 々 の 名 曲 が 誕 生 し た ・ ・。 これ らの 事 実 を も と に 「女 性 こそ 、 人 生 の 音 楽 だ!」(「 女 性 と音 楽 」)と 豊 は悟 り、 「永 遠 な る女 性 よ 、文化生 活の もっとも上乗 な もの と して の 芸 術 にお け る トップ に立 つ 音 楽 は、 あ な たが た の 所 有 で あ る!こ れ こ そ あ な たが た の栄 光 で あ る!」(「 女 性 と音 楽 」)と 彼 は述 べ て い る。 これ は 、 あ らゆ る芸 術 ジ ャ ンルの なか で 、. 音 楽 を至 高 の もの だ と思 う豊 子 榿 の 音 楽 観 に よ る もの で 、 女 性 に対 して 「児 童 崇 拝 」 に似 た よ うな 感情 を も時 に吐 露 す る彼 の 複 雑 な 意 識 か ら 生 まれ た もの であ るが 、 当 時 の 中 国 にお い て は 、 きわ め て 低 い 社 会 地 位 に あ った 女 性 を励 ます と い う意 味 で も、 大 い に評 価 す べ きで は な か ろ う か 。   豊 子 榿 に お け る この 女 性 を鼓 舞 激 励 す る精 神 が も っ と明 白 に現 され た の は 、 「母 君 た ちへ 」 (雑誌 「新 女 性 」 第 二 巻 六 号)で あ り、 彼 が 児 童 の特 質 や 育 児 の 難 し さ と大 切 さ を詳 し く分 析 して 、 「私 は あ な た た ち の 幸 福 と権 威 を称 賛 す る!」 と明言 して い る 。 こ こで 殊 更 に豊 の こ の 文章 を特 筆 す る も う ひ とつ の理 由 は、 こ の文 章 に お いて 豊 の 宇 宙 を さ さえ る三 本 の 柱一 童 心 、 芸術 、宗 教一 の 原 型 が うか が え る か らで あ る。   〔3〕 糖 衣 だ け舐 め て キ ニ ー ネ を吐 き出 して         はい け な い   時 間 芸 術 に せ よ、 空 間芸 術 にせ よ 、総 合 芸 術 にせ よ、 往 々 に 一 見 経 ろ や か で 楽 しそ うで あ る の だが 、 そ こ に深 入 りす れ ば す る ほ ど、 そ れ が で き る まで の 難 し さ と苦 し さが しみ て くる もの で あ る。 時 間 芸 術 の音 楽 を例 に して み れ ば、 す ば ら しい バ イ オ リ ンの 演 奏 を耳 に した り、 す ぐ れ た歌 手 の 歌 を 聞 い た りす る の は ま こ と に気 持 の い い もの だが 、 そ こに 至 る まで の 演 ・奏 者 の 練 習 の きび しさ はい う まで もな い こ とで あ ろ う。 さ らに彼 らの 最 初 の段 階 で の 基 礎 的 な学 習 や 技 術 習 得 の た め の無 限 に近 い と も言 え る単 調 な 反 復 練 習 が そ こ に あ る こ と は、 周 知 の とお りで あ る。 絵 画 、 彫 刻 、演 劇 、 舞 踊 な ど も ま た 、 然 ら な い もの は な い 。 だ が 、 専 門 的 に そ れ ら をな し とげ る こ と は さて お いて 、 あ る 程 度 の 芸 術 的 教 養 を身 につ けた が る の は 、 人 々 の 共 通 した 憧 憬 で あ る ら しい 。 こ う した矛 盾 を ど う解 決 す れ ば よい か 、つ ま り奥 深 い 芸 術 を、 ど う した ら人 々 に 受 け 入 れ ら れ や す く、 マ ス タ ー さ れ や す か ろ うか とい う こ とが 、 か ねて か ら考 え られ て き た。 豊 子 榿 もそ れ を 「考 え る人 」 の 一 人 で あ っ た 。 彼 は大 人 を相 手 にす る だ け で な く、 大 人 に な る 前 の小 ・中 学 生 に芸 術 教 育 を ほ ど こそ う と、 中 国 の将 来 を頭 に 置 きつ つ 、 努 力 を:重ね て きた の で あ る。   理 解 力 、 忍 耐 心 の 比 較 的 まだ 弱 い 小 ・中学 生 に芸 術 を、 もっ と具 体 的 に い え ば音 楽 と美 術 を、 正 し く、 か つ 一 定 の 深 さ を も って 、 身 に つ け て も ら う の は 並 大 抵 な こ とで は な い。 そ こで 、 豊 子 榿 は独 特 な 「キ ニ ー ネ理 論」 を立 て た の で あ る 。   一 九 三 一 年 の 冬 、:豊は上 海 開 明 書 店 か ら出 版 され よ う と して い た 彼 の 『西 洋 音 楽 知 識 』 の 序 文 を した た め た 。 「音 楽 に つ い て 、書 か な け れ ば な ら な い の は音 楽 知 識 及 び そ の 学 習 法 で あ る 。 音 楽 知 識 と学 習 法 に 関 して は、 大 概 は 無 味 乾 燥 な 記 述 に な りが ち な の で 、 少 年 た ち に読 ん で も ら い に くい。 しか し、 無 味 乾 燥 な記 述 をす る ほ か に書 くこ と もな い 。 止 む を得 ず 、 私 は音 楽 の 大 家 に まつ わ る面 白い 逸 話 を も って 、 毎 回 の 話 の プ ロ ロ ー グ と した。 こ れ は、 苦 味 の キ ニ ー ネ の うえ に糖 衣 を施 し、 飲 み やす くす る の と同 じ で あ る。 が 、 キ ニ ー ネ を飲 む場 合 、 全 部 飲 み 込 む べ きで 、 外 側 の 糖 衣 を舐 め て 中 身 の薬 を吐 き 捨 て て は い け な い!」 こ こ にお い て 、豊 子 榿 は 巧 妙 か つ 適 切 な比 喩 を 用 い て 、 教 育 方 法 と教 育 内 容 の 関係 を形 象 的 に説 き明 か して い る。   こ の 「キ ニ ー ネ理 論 」 を 実 践 しよ う と して 、 豊 子 榿 が 書 き 上 げ た の は 『少 年 美 術 物 語』 や  『音 楽 物 語 』 な どで あ る 。 『少 年美 術物 語』 は雑 誌 「新 少 年 」 の一 九 三 六 年 一 月 号 か ら十 二 月号

参照

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