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ドイツ新自由主義の第3の道(1) : レッセ・フェールと集産主義を超えて

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嵐 F ⋮ 書 卜 ︲ ︲ ︲ ︲ ︱ ︱ ︱ ︱

ドイツ新 自由主義の第 3の 道 (1)

一 レッセ。フェール と集産主義 を超 えて一

I は じめに 1 9 3 0 年代初頭のことである。 ドイツの経済学界 に注 目すべ き新 しい動 きが生 じた。新 自由主義 (Nediber】為m u s ) の登場である。社会政策学会 lVerdn ttr socね ゎd 止故) の内部では歴史学派 に対抗す る形で 自由主義のグループが台頭 し,同 学 会の外ではリベ ラルなス タンスをとる学者や政治家や企業家が 「ドイツ自由経 済政策 同盟」( D e u t s c h e r B u n d t t r i d e W i t t s c h a ■s p d i h k e . V . ) に結集 して新 しい リ ベ ラルな経済政策 を唱道 した。この結社 には後 に ドイツ新 自由主義の重鎮 とな 1 ) る レプケlW.Rbpke)やオイケンlW.Eucken)らが参加 した。 この ような流れの中で1932年に ドレスデンで開催 された社会政策学会の大会 にお い て リュス トウlA.Rustowlは, 利 害 集 団の影響 を受 け ない 「強 い 国家」 ( s t a r k e r s t a a t ) による市場 ルールに即 した経済への干渉,つ ま リリベ ラルな経済 政策 Qber】e W i t t s c h a i s p d 止故)の原則 を内容 とす る新 自由主義(neuer Lber】蔦m u s )

の プ ラ ンを打 ち出 した。 またオイケ ンも1 9 3 2 年に出た論文 “S けa a けιづc んθS け物んれ― 何″a句 溺ι切竹9θ物 物 物α α づθ 【ケうs,s α σs Xあ pづ けaι体 9物切s''(in '7修 枕切 ぢγけscん Qル ιあcんθSム γCんづυ,Bd. 3 6 , S . 2 9 7 3 2 1 ) において, リュス トウと同様 に,ビ スマルク(0。v . B i s m a r c k ) の社会 政策 に始 まる干渉主義の時代 になると,国 家は利害集回の意思 によって操縦 さ れる 自立性 を喪失 した 「弱い国家」( s c h w a c h e r S t a a t ) に変質 し, ドイツの経済秩 働

序はアナーキーに陥ったという認識を示 した 。こうしてヘグナー( J , H e g n e r l l こ

Hegner[15]S.22. Rustow[28]S.64,68,69. Eucken[6]S.13,14,22 浩 微 田 福

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4 ) よれば1932年に ドイツ新 自由主義が誕生 したのである。 ドイツ新 自由主義 は第 2次 世界大戦以降西 ドイツお よび統一 ドイツを代表す る社会経済思想 とな り,学 界 は もとより実際界 において も強い指導力 を発揮 し て きた。学界では社会民主主義 と並ぶ勢力 を誇 り,実 際界ではキ リス ト教民主 同盟やキ リス ト教社会同盟や 自由民主党 と結 んで経済政策実践 をリー ドし,西 ドイツ経済の復興お よび高度成長の実現 に貢献 した。 働 ドイ ツ新 自由主 義 に は次 の 三 つ の グル ー プが あ る 。 1 . 社会学的新自由主義 社 会 学 的 新 自 由 主 義 G あ d o ぶs c h e r N e d t t e r 】i s m u S と い う コ ンセ プ トは レプ ケ 0 の 造 語 で あ る 。 この グ ル ー プ に は レプ ケ の ほ か に彼 と親 交 の あ っ た リュ ス ト ウが い る。 2.フライブルク学派 こ の 学 派 は フ ラ イ ブ ル ク大 学 に い た経 済 学 者 の オ イ ケ ン, 法 学 者 の ベ ー ム ( F . B o h m l および法 学 者 の グ ロス マ ン ・ドェル ト( H . G r o s s m a n n D o e r t h ) によっ て 1 9 3 3 年 に結成 された。主要 なメ ンバ ーにはかれ らのほか に ミクシュ( L . M k s c h ) , マイ ヤ ー ( K . F . M a i e O , ルッ ツ ( F . L u t z ) , ヘン ゼ ル ( K . P , H e n s e l ) らが い る 。 こ の グ ル ー プ は , オ イ ケ ン と ベー ム が 創 刊 した 学 術 誌 “O R D Q 拘 んγb t t C ん抑 γ t t θ O 句物切 θ υο化 防 佑 C ん研 物% α C θs θιιs c ん研 ル に ち な ん で オ ル ドー 自 由 主 義 ごοt t οιぢb θt t ιづs 物 切り と も 呼 ばれ る。 3 . ケルン学派 ミュ ラー アルマ ックl A . M t t l e r A r m a c k ) とそ の弟子 の グルー プは, 彼 らが研 究 活動 の場 と してい たケル ン大学 にちなんで ケル ン学派 と呼 ばれ る。弟子筋 には ワ トリン( C , W a t r i n ) やシュ タルバ テ ィ( 」. S t a r b a t t y ) らが い る。 筆 者 は一昨年 あ た りか ら三 つ の グルー プ をそれぞれ代 表す るオイケ ン, レプ ケお よび ミュラーアルマ ックに注 目 し, か れ らの唱 えた理想 的経 済秩序 を検討 H e g n e r [ 1 5 ] S . 2 3 . H a y e k , e t a l . [ 1 4 ] S . 3 4 3 5 . R6pke[23]S.51,91, チ馬罰Rpp.26,74.

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ドイツ新 自由主義の第 3 の 道 ( 1 ) 2 7 の す る作業 を続 けて きた 。彼 らに共通す る問題意識 は,私 的勢力お よび国家権 力の支配 を許 した レッセ ・フェール資本主義 と集産主義 を斥け,そ れ らをいわ ば反面教師 として個人の 自由を最大限に保証 しうる経済秩序 を構想することで あ った。つ ま り, レッセ ・フェール資本主義 と集産主義 を超 える第 3の 道 を設 計 す ることであ った。 こうしてオイケ ンは競争秩序lWettbewerbsordnunglを,レ プケは経済 ヒューマニズム(Wirtschattshumanismus)を, ミュラー ・アルマ ックは 社会的市場経済(So夕】e Marktwirtscha■)を提示 したのである。

本稿 では過去 2年 にわたる筆者の検討作業のまとめを兼ねて三人のネオ リベ ラルが理想的経済秩序 を構想 した時代状況,彼 らの時代認識,彼 らの経済学の 基層 にあるキ リス ト教思想,彼 らの方法論的ス タンス,三 つの理想的経済秩序 の特質などについて述べてみたい。 Ⅱ 時 代状況 オイケ ン, レプケ, ミュラーアルマ ックが生 まれたのは19世紀か ら20世紀ヘ の転換期であった。オイケ ンは1891年にイェナで, レプケは1899年にハノーヴ ァー近 くのシュヴァルムシュテ ッ トで, ミュラーアルマ ックは1901年にエ ッセ ンで生 まれた。彼 らはいずれ も北 ドイツの出身であ り, しか もプロテスタン ト の家庭環境の中で育 ち,熱 心 なクリスチ ャンになった。後 に見 るように彼 らの 経済学の基層 にはキ リス ト教の人間観 と社会論があるが,こ れは彼 らの出自と 無縁 ではない。ついで にいってお くと,1885年 にヴイースバーデ ンで生 まれた リュス トウもプロテス タン トの家庭出身であ り,そ の経済学 にはやは リキ リス ト教の影響が見 られる。世紀の変わ り目の北 ドイツ生 まれでプロテスタン ト家 庭 出身のクリスチ ャンたちが,新 自由主義の柱石 を担 った とい うのは単 なる偶 然 ではす まされない ものがある。 オイケ ン(1891-1950), レプケ(1899-1966), ミュラーアルマ ック(1901-1978)が生 き たのは ドイツ史上未曾有の激動の時代であった。かれ らの幼少年期 は自由 と楽 観 的雰囲気 に彩 られていた 「1814年-1914年の偉大な自由の100年」あ 中にあっ 7 ) 福 田 [ 7 ] , 福田 [ 8 ] , 福田 [ 9 ] , 福田 [ 1 0 ] . 8)R6pke[26]S。18.

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たが,そ の後 は一転 して世界大戦,破壊的なインフレーシ ョン,大 恐慌,ナ チ ズムの猛威,世 界大戦, ドイツの分断,共 産主義の脅威 という ドイツ受難の歴 史の中に身を投 じることになったのである。オイケン, レプケ,そ れにリュス トウQ885-1963)は第一次大戦 に従軍 し,前 線で レプケは負傷の憂 き目にあった し,ナ チズムの時代 にはレプケ とリュス トウは トルコヘの亡命 を余儀 な くされ, またオイケ ンは国内に踏み とどま りは したが,い わば半亡命者伍】←e斌に)あ 生 活 を強い られた。全体主義や集産主義 に対する彼 らの不屈の レジスタンス精神 と強烈 な自由希求はこの ような体験の中で培われたのである。 ネオ リベ ラルたちの勇敢 さが遺憾 な く発揮 されたのはナチズムの時代 であっ た。オイケ ンのいたフライブルク大学ではプロテス タン ト系の教員 を中心 に し て 「フライブルク会議」や 「フライブルク ・ボ ンヘ ファー ・グループ」が結成 され,キ リス ト教 の立場か ら反ナチズム活動が展 開された。オイケンはクリス チ ャンとしてこれ らに参加 し,リ ーダーの一人 として行動 した。 また同大学で はベ ッケ ラー ト(E.v.Beckerath)を中心 に して 自由主義 を標榜す る 「エルヴィン ・フォン ・ベ ッケラー ト研究会」が組織 された。この研究会ではナチズムの崩 壊 を見越 して,1943年 3月 か ら翌年 9月 の間に,将 来の ドイツにおける新 しい 経済秩序 を設計す る作業が進め られ,オ イケ ンもデザイナー としてこれに参加 した。 この ような反ナチズム活動が災い して身辺 に危険が迫 ったこともあった が,さ いわい彼 は半亡命者の ままでナチズムの崩壊 を迎 えることがで きた。 オイケ ンは反ナチズム活動 にたず さわるかたわら1937年にはベームお よびグ ロスマ ン ・ドェル トとともに 「経済の秩序」(Ordnung der Wirtscha■)と銘打 った 双書 シリーズ を刊行 し,か れ らのめざす経済秩序の宣伝 に努めた。 さらに彼 は 1940年に新 自由主義経済学のバ イブル ともい うべ き 『国民経済学の基礎』 を刊 行 し,新 自由主義経済学 に盤石の基礎 を置いた。オイケ ンの競争秩序の構想が まとまった形で世 に示 されたのは,彼 の没後 に夫人のエデ イッ ト ・オイケ ン (Edth Eucken)と弟子 のヘ ンゼル に よって編集 ・刊行 された 『経済政策原理』 (1952年)に おいてであったが,競 争秩序の基本構想 はすでにナチズム時代 にで 9)JohnsOn[17]p.40.

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ロ ト ー ー ー ー ー ー ー ト ー ー ー ー ー ー ー 、 ドイツ新 自由主義の第 3 の 道 ( 1 ) 2 9 きあが っていたのである。 「最初か ら政治的人間」ネ あつた レプケは,講 演 とベ ンをもってナチズムを 批判 したが,ナ チズムは共産主義 と同根の全体主義であるとい う激越 な言動が あだ とな り,1933年 の秋 に国を追われた。亡命後の落ち着 き先は トルコのイス タンブール大学であったが,そ こではすでに反ナチズム活動の廉で国を追われ ていた リュス トウが教鞭 をとっていた。その後両人は交流 を深め,レ プケはリュ ス トウに対 して経済学の知識 を授 け, リュス トウはレプケに対 して人文学や古 1 1 ) 典の知識 を伝授す る仲 になった。 こうして農民的 ・職人的カルチ ャーの再生や 市場整合的干渉や市場警察 としての国家の役割 な ど,レ プケの経済 ヒューマニ ズムの中核 を占める考 えはリュス トウとの交流の中で醸成 されたのである。 レプケは1937年にスイスに移住 し,ジ ユネーブ大学 に奉職 した。彼みずか ら が三部作 と称 している F現代 の社会危儀』Q942年),F人 間の国』Q944年)および 『国際秩序』(1945年】まいずれ も戦時中のジュネーブで書かれたが,こ れらによっ て彼 の経済 ヒューマニズムの秩序構想が完成 した。 ミュラーアルマ ックはナチズムに対 して最初 は迎合的なス タンスをとった。 ヒ トラー政権のアウタルキー政策 に賛成 した り,そ の東方植民行政 に携 わった りしなが らナチズム支持 を深めていった。その彼 も時 とともに次第 にナチズム に対 して距離 を置 くようにな り,や がて新 自由主義へ転向 した。転向の理由は はっ きりしないが,「戦時中に私 はワル ター ・オイケ ンのグループか ら競争原 1 3 ) 理の再生 をめざす考 えを受け容れた」 とい う彼の述懐か らして,フ ライブルク 学派 との接触が一つの契機になったようである。 ミュラーアルマ ックは1947年 に 『経済統制 と市場経済』 を出版 し, そ の中で社会的市場経済の構想 を提示 し 1 4 ) た。 1 9 4 5 年の ナチズム崩壊 は,ネ オ リベ ラルたちに とってその経 済秩序構想 を実 10)Hayek,et al.[14]S.27. 11)Hegner[15]S。 24. 12)R6pke[24]S,7. 13)Muller― Armack[18]S.10. 14)ミ ュ ラー アルマ ックは社 会 的市 場 経 済 を 「1946年 に命 名 した」 と述 べ て い る。 Mdller―Armack[19]p.257.

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現 しうる好機 と映ったにちがいない。当時の有力な政治指導者の一人にネオリ ベ ラルのエアハル ト(L.Erhard)がいたこともかれ らには幸い した。エアハル トが 西 ドイツの初代の経済相 として経済再建 に乗 り出す と,彼 は ミュラーアルマ ッ クの社会的市場経済のコンセプ トを政府の経済政策の旗印に掲げた。その縁で ミュラーアルマ ックは官界入 りを果た し,経 済省の局長や次官 として経済再建 に尽力 し,後 に 「エアハル トの社会的市場経済の戦友」)と称 え られた。 もっともエアハル トは ミュラーアルマ ックの社会的市場経済構想 に100%従 っ たわけではない。エアハル トは政策運営 にあたってはレプケの教 えを乞 うてい る し,ま た レプケ もエアハル トに対する協力 を惜 しまなかった。エアハル トは その一方でオイケ ンを1948年1月 に設置 された経済行政の学術顧問委員会 に招 聘 し,一 フライブルク学派からはほかにベームとランペ (A.Lampe)が招かれた 一一 オイケ ンの競争秩序お よび秩序政策の考 えを政策実践 に活かそ うとした。 この ようにオイケ ン, レプケお よび ミュラ十アルマ ックの経済秩序構想 は, 政治家のエアハル トを通 して西 ドイツ政府の経済政策実践 に少なか らぬ影響 を 及ぼ したのである。 ド イツの経済学界ではこのような意味 を込めてオイケ ン, レプケお よび ミュラーアルマ ックを 「社会的市場経済の父」 と規定す る者が少 1 6 ) なからずいる。 回 時 代認識 ドイツの ネオ リベ ラルたちが第 3の 道 を説 いた背後 には ヨー ロ ッパ近代 に対 す る時代認識 があ った。 ヨーロ ッパ近代 に対す るかれ らの まなざ しは きび しい。 全体 主義 は近代 の 申 し子 とい う思 いが あ ったか らであ る。 レッセ ・フェール資 本 主義 と,そ の発展 とともに生 じた集 中化 ・大衆化 ・プロ レタ リア化 ・精神 の 荒廃が, ナ チズムや ファシズムを生み出 した とい うのがネオリベ ラルたちの考 えであった。 ヨーロ ッパ近代 に対するネオリベ ラルたちの時代認識 は,筆 者な りに整理す 15)Schlecht[29]S。 100. 1 6 ) B e r n h o l z [ 1 ] p . 5 1 1 , B r e s s [ 3 ] S . 2 6 6 , S c h l e c h t [ 2 9 ] S 。1 0 0 .

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ドイツ新自由主義の第3 の道 ( 1 ) 3 1 る と,経 済学 的認識 と社 会学 的認識 に分 け られ る。順 にみてお こう。 1 . 経済学的認識 ネオ リベ ラル た ちが経 済学 的認識 にお い て発 見 したの は, レ ッセ・フェール の失敗 であ った。筆者 の言葉 でい う と 「レ ッセ ・フェールのパ ラ ドックス」 と い うことになる。つ ま り,自 由放任 はかえつて不 自由をもた らす とい う逆説的 事実である。 オイケンは19世紀初頭か ら第一次大戦 まで を 「レッセ ・フェール政策」の時 代 と捉 えた 。 レッセ ・フェール政策 は財産法 や契約法や会社法 な どの経済基 本法 を定め,こ れによって自由競争秩序の法的枠組みlWrtschaisverfassunかを制 度化 した。オイケ ンによればその限 りでは問題 はなかったのだが,問 題 はこの 秩序 の発展 を野放 しに したことか ら生 じた。国家 は自由競争の監視 を怠 ったの である。その結果,市 場 における秩序形成 は私的経済勢力の手 に委ね られ,独 占や部分独 占の市場形態が支配す るようにな り,市 場参入の 自由や営業の 自由 1 8 )

が待J 限されてしまった。こうしてレッセ ・フェールは 「自由の敵」になってし

まったのである。

レプケもレッセ ・フェール政策の分析から 「

拘束なしの自由は最悪の不自由

をもたらす」

) と

いう結論を導いた。レッセ ・フェール政策は競争を野放 しにし

たために私的勢力の集中化 を招 き,そ のことよって 自由が大幅に制限されたと 見 た。 1 9 世紀後半 になるとヨーロッパは干渉主義(Intervendottsmus)の時代 を迎 えた。 各国政府 は レッセ ・フェール政策に起因する種々の社会問題の発生に対処する ために経済への干渉 を強めるようになった。ネオリベ ラルたちは,干 渉主義 は 事後 的 ・局所 的干渉であったがために集 中化 に輪 をかけた, と 見 た。つ ま り, 問題が発生 したあ とに,問 題が生 じた箇所 に限定 して施策 を投下する事後的・ 局所的干渉は,統 制が統制 を呼ぶ とい う統制スパ イラルを誘発 して公的集中化 を加速 させ,そ の結果 自由が抑圧 されるに至 った とい うのである。 17)Eucken[5]S.26)邦 訳 p.39. 18)Muller Armack[20]S.9. 19)ROpke[22]S.83.

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干渉主義 の行 き着いた先 はナチズムであった。オイケ ンによればナチズムの 経済政策は 「中央指導の経済政策」であ り,干 渉主義 を本質 としていた。干渉 主義 は統制波及法則 を内包する。経済経過の諸局面は相互依存の関係 にあるか ら,一 局面への場当た り的な干渉は経済経過全体 に波及せ ざるをえな くなる。 オイケ ンによれば,ナ チズムはまさに統制波及法則の見本であった。1933年以 降の完全雇用政策や為替相場の固定か ら,1936年の物価凍結 ・賃金凍結へ と国 家干渉が強 ま り,1938年以降になると経済経過全体が国家の管理の もとに置か れ,資 源の強制割 り当てが行 われた。その結果,個 人の自由が抑圧 されて国家 20) 奴隷制GtaatssklavereOが登場 し,他 方では抑圧 されたインフレーシ ョンと物不 足が発生 し,国 民生活は窮乏 した。 以上 を要約すると,レ ッセ ・フェールが私的集中化 を生み出 し,そ れに随伴 した社会問題 を解決すべ く登場 した干渉主義 は統制スパ イラルを誘発 し,最 終 的には国家 による経済支配つ ま り集産主義 を招いた とい うことになる。 ド イッ 新 自由主義の第一世代 は,こ の ような 「レッセ ・フェールのパ ラ ドックス」の 猛成 を身をもって体験 しただけに,集 中化やその極限 としての集産主義はもと よ り,い やそれ以上 に,そ れ らの原因を作 った レッセ ・フェール資本主義 に対 して きび しく対決 したのである。 2口社会学的認識 社 会学 的視座 か らヨー ロ ッパ近代 に内在 す る社会病理 を鮮 やか に決 り出 して みせ たの は レプケであ った。彼 に よって摘 出 された社会病理 は,大 衆化 とプロ レタ リア化 と精神 の荒廃 であ った。

社会の領域で発生した病理現象の第一は大衆化(Vermassunか

であった。大衆

化とは「

個人がますます形のない塊の中に吸い込まれて自己を失ってゆく」

)よ

うな状況,「家族,職 分,隣 人,自 然,そ して共同体の紐帯からますます解き

放たれて,各 人はもはや一体どこに所属するのか,社 会の中でどういう地位を

占めるのかまったく分からない」

)よ

うな状況をさす。個人の脱人格化 ・アトム

20)Eucken[5]S.193, チ

p.259.

21)R6pke[23]S,243,茅卜司Rp.256. 22)R6pke[23]S.245-246,茅FttRp.259.

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︱ ト ドイツ新自由主義の第3の道 (1) 33 化 ・顔 のない塊へ の転落である。 レプケによれば大衆化 は人口増加,技 術お よび社会経済制度に起因 した。急 激 な人口増加 によって大企業への労働者の集中とそこでの労働の意味の喪失, お よび都市化が進行 し,市 民革命 は伝統的な社会秩序 を破壊 して凡人中心のフ ラッ トな大衆社会 をもた らし,経 済 ・技術革命 は資本主義 を登場 させて大衆化 を促進 した,と い うのが レプケの診断であった。 社会の領域ではさらにプロ レタリア化(Prdetanderung)が出現 した。プロレタ リア化 には物質的な意味 と非物質的な意味が込め られていると個人が無産者に なることと人格 を見失 うことである。 もっといえば,資 本主義の発展 につれて 自営農民,手 工業者,商 人,職 人,自 営業などの伝統的な中間階級が解体 し, 工場労働者 とい う名の無産者 に転落 したこと,そ れに伴 って精神面で浮草化や 遊牧民化が生 じたことをさしている。 レプケによれば大衆化 とプロ レタリア化 は精神生活の荒廃 を招いた。「精神 24) の大空位」 (gdstttes lnterregnuml時代 の到来である。それは1 8 3 0 年代 に始 まっ た とい っ。 大衆化 とプロレタリア化 によって一方で伝統的な共同体が崩壊 し,他 方で脱 キ リス ト教化(EntchAsdにh u n O と無宗教的世俗化Crrdttiose SaHaAderunDが進行 し

2 5 ) た 。 これ らに よって精神 面 で遊牧 の民 となった人 々は心 の安定 を代用宗教 ( E a s a t z r d 七l o n ) に求めた。「狂信 的な非寛容 に彩 られた政治的 ・社会的イデオロ 2 6 ) ギー」である社会主義,共 産主義お よび民族主義がその代表であった。これ ら のイデオロギーに席巻 された国は全体主義 に陥った。ナチズムの ドイツにおけ る 「カーキ色 の全体主義」)Grauner TotahtaAsmus)と共産主義 の ソ連 にお ける

「赤 い全体主義」とoter Tot】比aAsmuSがその双墜であった。

財産 を失 った大衆 はまた,生 活の安定 を国家 に求め,所 得移転 による社会保 23)Rbpke[22]S.28. 24)R6pke[22]S.17,92. 25)Ropke[26]S.25. 26)Rbpke[26]S.30. 27)Rbpke[25]S。42. 28)R6pke[25]S.42,Ropke[26]S.26.

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障を要求した。このような要求社会の心理傾向もまた,全 体主義や財政社会主

2 9 ) 義(Fiskttsoあ】為mus,つ まり福祉国家)を登場 させたのである。 ミュラーアルマ ックも, レプケ と同様 に,社 会学的認識 に本領 を発揮 してい る。彼 によれば資本主義が発展す るにつれて世俗化(Sa畑航sadOn)が進行 して神 なき時代が到来 し,精 神生活は貧困化 し,自 己喪失 ・他者依存の精神状況が出 現 した。 ミュラーアルマ ックは,こ のようなナチズムの温床 ともなった精神状 況 をレプケに倣 つてプロ レタリア化 と捉 えた。 ネオ リベ ラルの中で もっとも経済学者 らしい経済学者であったオイケンも, 30) ヨーロ ッパ近代の社会病理 に目を向けている。近代の進行 とともに宗教 は人間 生活 に意味 を与 える力 を失 って しまった。宗教が退場すると,そ れに替わって 宗教代用物( R d 埴l o n S e r s a t z ) が登場 した。人間信仰,社 会信仰 ,国 家信仰 なかで も全体主義国家信仰である,と い うのがオイケ ンの認識であった。ただ し,彼 は レプケや ミュラーアルマ ックと違 ってこの問題 を掘 り下げようとは しなかっ た。経済学の枠 を超 えると考 えたか らであろう。 Ⅳ 基 層 としてのキ リス ト教思想 ドイツ新 自由主義の第 3の 道は倫理的に厚みのある構想である。その基層 に キ リス ト教思想があるか らである。 我が国では新 自由主義 とい うと,シ カゴ学派 に代表 されるアメリカの市場主 義経済学を イメージ しつつ,ケ インズ主義 または社会民主主義循祉国家調 に対 抗す る自由主義思想 とい う図式で語 られることが多いが,こ れはきわめて一面 的な見方である。 ヨーロッパの新 自由主義が完全 に視界の外 に置かれているか らである。 ヨーロッパの新 自由主義の中心 はい うまで もな くドイツ新 自由主義 で あ る。 ミー ゼ ス( L , v , M i s e s ) やハ イエ ク( F . A . H a y e k ) を擁 した新 オ ー ス トリア学 派 も新 自由主 義 に分 類 され る こ とが あ るが , こ の派 は, そ のめ ざす ところが レ ッ セ ・フ ェ ー ル市 場 経 済 で あ る こ とを考 え る と, 新 自由主 義 とい う よ りも, む し 29)R6pke[26]S.53,R6pke[27]S.39, 30)Eucken[6]S。 12.

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ドイツ新自由主義の第3 の道 ( 1 ) 3 5 ろ1 9 世紀 の 旧 自由主義 ( P 』a d b e r 劇ぉm u s , r e t r o ■m e r 】為m ) の流 れ を汲 む社 会経 済思 3 1 ) 想 と捉 えた方が適切である。 ドイツ新 自由主義の魅力 は,上 述の社会学的認識 とともに,キ リス ト教の人 間観 に彩 られているところにある。エ コノ ミズム とエ コノミックスに傾斜 した アメ リカ新 自由主義 にはない奥行 きと厚みがそこにはある。 キ リス ト教の人間観 を前面 に出 したのはレプケであった。彼 によれば 「経済 3 2 ) の規準 は人間である。人間の規準 は神 とのかかわ りである」,人 間は 「神 に結 3 3 ) 3 4 ) びつけられた社会的存在」である。人間は本性からして “homo rdttiOSus" と いうのである。 神に結びつけられたホモ ・レリギオススとは具体的にはどのような存在なの か。これについてレプケは次のように述べる。「私は,古 代のキリス ト教から 伝承 されてきた精神的財産によつて造形 された,特 定の人間像を信 じてきた。 3 5 ) 私 はそ こに神 の似姿 を見 ている」。神 の似姿佃a s E b e n b n d G o t t e O としての人間, つ ま り神 によって神 に似せて造 られた人格(persona)としての人間,こ れが レプ ケのイメージ している人間である。彼 は個人の尊厳 と自由(解放 ・自己決定 ・自己 責任)を何 よ りも重視 したが,そ の根拠 はこの ような人格 にある。 3 6 ) レプケは個人の尊厳 と自由を個人原理Cnd宙du』pAn力かと呼んだ。彼 はそのほ かに違帯(SddaAtat)を重視 した。個 人は社会 な しには生 きてゆけない とい う理 由か らであ る。彼 は これ を根拠 に して家族 ,地 域 ,職 分 ,教 会 な どの共 同体 (Gemdnscha比)の役割 を重視 した。 この ような連帯 は社会原理(So広況phnzゎ)と呼ば れ てい る七 後 に見 る ように,個 人原理 と社会原理 が調和 した世界 が経済 ヒ ューマニズムなのである。 3 1 ) グ ロ ッセケ ッ トラーはハ イエ クをA l t l i b e r a l と規定 し, シユ トライ トとヴオールゲムー ト はハ イエ クの社会哲学 はr e t r o l i b e r a l であ り, 古典 的 リベ ラリズムの再発見 ・再定式化 であ る と捉 えている。G r o s s e k e t t l e r [ 1 1 ] S , 5 5 , S t r e i t , W o h i g e m u t h [ 3 0 ] p . 2 2 5 . 32)Ocken免 ls[21]S.55より51用 した。 33)Ockenfels[21]S.56. 34)Boarman[2]p.87. 35)R6pke[26]S.21. 36)Rbpke[23]S.83,チ 馬司Rp.64. 37)Rbpke[23]S.83,茅 馬Fttp.64.

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レプケは,こ の ように人 間本 質 をベ ル ソナ と見 る こ とか ら,同 様 の考 えに立 つ カ トリ ック社 会論 (Kathohsche So夙】l e h r e ) の側 か ら高 く評価 されて きた。 た と えば,オ ッケ ンフェルス(W.Ocken免l s ) は, 反 目 してい た経 済 自由主義 イデ ー と カ トリック社 会論 が歩 み寄 る ようになったの は レプケの理論 的 。実践 的努力 の 3 8 ) 賜 物 で あ る と称 えてい る。 レプケは, カ トリック社 会論 の重鎮 であ り, ロ ーマ 教 皇 ピオ1 1 世の1 9 3 1 年の 回勅 「クア ドラゼ ジモ ・ア ンノ」( Q u a d r a g e s i m o a n n o ) の ゴース トライ ターで もあ った ネル ・ブロイエ ング( 0 , v . N d l B r e u n i n g l と文通 し, 3 9 ) 彼 と共同歩調 をとることを申 し合わせた とい う。 レッセ ・フェール とマルクス 主義 に反対する とい う点で両者の考 えが一致 したか らなのであろう。こうして レプケの尽力 もあって ドイツ新 自由主義 とカ トリック社会論 は対決姿勢 を捨て, 協調の道 をた どるようになったのである。 ミュラーアルマ ックの 「社会的市場経済」の基層 にもキ リス ト教のベルソナ の考 えがある。それをベースに して個人の自由および個人の尊厳 を強調 した り, 4 0 ) 連帯を重視 した りする点 もレプケと同様である。こうしてミュラーアルマック によれば社会的市場経済は 「宗教的ルーッ」を もち, したがって 「神学的 ・哲 42) 学的信念に発するシステム」なのである。 ミュラーアルマックは歴史や社会に対するキリス ト教の影響への関心が強 く, い くつかの注 目すべ き著作 を残 している。たとえば,宗 教社会学の観点から資 本主義の歴史的個性 を描 き出 した 『経済様式の系譜学』(1941年),プ ロテスタン トの視点からヨーロッパ近代の社会病理である世俗化の問題を取 り上げた 『神 なき世紀』(1948年)や 『現代の診断』Q949年)がある。 以上のように, レプケとミュラーアルマックは, ともにキリス ト教の人間観 から出発 していることから,「宗教的新 自由主義」(rd埴16ser Nedber』為mus)に分

43) 類 され る こ と もあ る。 3 8 ) O c k e n f e l s [ 2 1 ] S . 5 3 . 3 9 ) O c k e n f e l s [ 2 1 ] S , 5 4 . 4 0 ) G r o s s e r , e t a l . [ 1 2 ] S . 1 1 . 41)Muller Armack[19]p.258. 42)MullerArmack[19]p.259. 43)Gutmann[13]S.55.

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ドイツ新 自由主義の第 3 の 道 ( 1 ) 3 7 オイケンはどうか。彼 の 「競争秩序」では,一 見 したところ,キ リス ト教の 人間観 は レプケや ミュラーアルマ ックほど前面には出ていない。彼は, ドイッ 理想主義 の哲学者 として知 られた父ル ドル フ ・オイヶ ン(Ruddf Eucken)の感化 を受けたためか,カ ン トC.KanOの人間観 を受け継いでいる。こうしてオイケン は,人 間の本質 は人格 の 自由(Frdhdt der Personにある と捉 え,自 由は 「人間 存在 の唯一可能 な形式」 であ り,「自由がなければ,自 発的な自己活動がなけ れば,人 間は人間でな くなる」 と述べ た告 この ようなオイケンの人間像 も根底 において レプケや ミュラーアルマ ックの人間像 に通 じるものがある。 ついでに述べてお くと,オ イケンはその競争秩序の理想性 を引 き立たせるた めにオル ドー(ORDO)とい うコンセプ トを使 ったが,こ れはもともとアウグステ イヌスlA.Augusunus)に出 自をもつ。アウグステ ィヌスは古代 ローマの末期 にキ リス ト教の立場か らオル ドーの思想 を展開 し,そ れを継承 しつつ体系化 したス コラ哲学が中世社会の形成 に指導的な役割を演 じたことは周知のごとくである。 ジ ョンソン(D.Johnson)によれば,オ イケ ンが競争秩序 を構想するにさい してオ ル ドーをキー ・コンセプ トとして使い, しか もフライブルク学派の学術誌のタ イ トル に まで採 用 した背景 には,父 ル ドル フの教 え子 であったシェー ラー

(M.Schdeう

がこのコンセプトをよく使っていたという事情があった告ォルドー

とは 「人 間 と事物 の本 質 に合致 した秩序」 であ り,実 定秩序 に対 して 自然秩序 を意味 す るが,そ う した 自然法 的思考 に もキ リス ト教思想が色濃 く反映 されて い る。 V 方 法論的 スタンス ドイ ツの ネオ リベ ラルたちの経 済学 は,い わゆるモデル ・セオ リー とは違 っ て,経 済的 フ ァク ターは もとよ り経済外 的 ファクター をも考察の対象 に した。 とい って も経 済外 的 フ ァク ターの扱 い には個 人差がある。立 ち入 ってみ よう。 フライブル ク学派 の オイケ ンは,経 済 とその他 の生活領域 を区別 し,後 者 を 4 4 ) E u c k e n [ 5 ] S 。1 7 6 , 茅馬F t t p . 2 3 7 , E u c k e n 1 4 ] S . 7 3 . 45)」ohnson[17]p.41.

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経済の回 りにある与件 と位置づ け,両 者の関連 を把握 しようとした。つ ま り, 彼 は経済学の対象 を経済 に限定 しようとしたのではあるが,与 件 (欲求,自然,技 術,社 会的組織,伝 統夕慣習,法律など)を完全 に考察範囲か ら除外 したのではな く, 経済 と与件 の関連 は考察すべ きである との立場 をとり,そ うした関連 を諸秩序 相互依存 Cnterdependenz der Ordnungenとい う形で捉 えようとした。市場経済は 民主政治 とのみ,中 央管理経済は専制政治 とのみ両立 しうるとい うワンセ ッ ト の考 えである。イギ リスの経済学史家ハチ ソン(T.W.Hutchson)は,こ の よう 4 6 ) な オ イケ ンの方法 をス ミス的方法 と規定 した。 ア ダム ・ス ミス ( A d a m S m たh ) の 方法 だ とい うので あ る。 オ イケ ンの対極 にい るのはケル ン学派 の ミュ ラーアルマ ックであ る。彼 には 経 済対 与件 とい う思考 図式 は ない。つ ま り, 意 識 的 に経 済 と他 の生活領域 を区 別す る とい う発想 はない。彼 は経済 と他の生活領域 を区別す ることな く, い わ ば経済 を社会の中に組み込 んだままで総合的に考察するとい うスタンスをとっ た。 どこか歴史学派の方法論 を紡彿 させ るところがあるが,総 じて ミュラーア ルマ ックの方法的スタンスは漠然 としてお り,そ れだけに彼 の社会的市場経済 構想 は輪郭が明瞭でない とい う欠点がある。 この点 については後 に触 れること に しよう。 レプケはオイケンとミュラーアルマ ックの中間に位置 している。彼 には, ミュ ラーアルマ ック と同様 に,経 済対与件 とい う思考図式 はない。彼 はもちろん, ミュラーアルマ ックと違 って,経 済 とそれ以外の生活領域 を区別 しているが, 後者 を与件 としてではな く,経 済 を回 りか ら支 える人間学的・社会学的枠組み 47) はn t h r o p d o 」S C h ―S o あd o t t s c h e r R a h m e O と捉 え,経 済学 はこれ を積極的 に考察す べ きであるとい うスタンスをとった。 レプケが経済 ヒューマニズムを構想す るにさい して採用 した方法 は,い わゆ るエ コノ ミックスではな く,ア ダム・ス ミスに発す る18世紀のモラル ・サイエ ンス としての経済学であった。そ うした彼の経済学はヒューマニズム と価値判 H u t c h i s o n [ 1 6 ] p . 1 6 2 . ROpke[23]S.83, 茅口訳p.64.

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ドイツ新自由主義の第3の道 (1) 39 断 を特徴 と してい る。量 的 ・唯物 的 ・技術 的世界 に埋 没 したエ コノ ミックス を 捨 て去 った レプケ は, 精 神 的 ・道徳 的存在 と しての人 間 を経済学の中心 に置 く べ きであ る と主張 した。その一方で彼 は,モ ラル ・サ イエ ンス としての経済学 はどのような価値判断が正 しいかを問題にすべ きであるというスタンスをとっ た。正 しい価値判断の規準は,真 理 ・自由 ・正義 ・平和 ・共同体などの一般に 承認 された客観的価値である。こうしてレプケは,モ ラルサイエンスとしての 経済学はこれらの客観的価値 を規準にしてその時々の社会や経済が健康か病気 かを診断すべ きであると主張 したと (続く) 参 照 文 献

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(17)

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