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追悼,湯澤 博さん

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Academic year: 2021

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(1)

50 天文月報 2012年1月

追悼

追悼,湯澤 博さん

成相恭二

(国立天文台名誉教授) 湯澤 博さんが

2011

8

月に亡くなられた.

95

歳だった. 天文月報の読者で年輩の方なら湯澤さんを,昭 和

25

年に鬼怒書房から出版された「パロマーの 巨人望遠鏡」の翻訳者の一人として記憶されてい るかもしれない.翻訳は岳父,關 正雄との共同 作業で行われた. 湯澤さんは東京帝国大学天文学科を昭和

15

年 に卒業されている.卒業研究は低温度星の

TiO

分子スペクトルの強弱を比較することで温度を 決定する,というもので,藤田良雄先生との連 名 の 論 文 と し て

Tokyo Astronomical Bulletin,

Numbers

447–448

として出版された.星の色だ けに頼らずに温度決定を行うのは,時代の先端を いくものだったと考えられる.観測は麻布狸穴 にあった天文学教室のクックの

8

インチ(

20

セン チ)望遠鏡に付けたシュタインハイルの

45

°対物 プリズムを使って行われ,この装置は当時日本で 唯一つの星のスペクトルを取ることができるもの だった. 卒業後は陸軍での教育に従事,終戦後は書店の 経営,父君の参議院選挙の参謀業務,雑誌の編集 責任者,雑誌社の顧問などをされて,天文学に復 帰されることはなかった.出版社にいらっしゃっ た頃の著書に「科学と現実の間」(文化総合出版  昭和

62

年刊)という随想や対談を載せたものが ある. 私は

2002

年に岩波文庫から「パロマーの巨人 望遠鏡」を復刻出版するに当たって訳者の一人と して加わった縁で,ご遺品の一部の整理をお手伝 いすることになり,その時に天文学徒としての唯 一の証しである卒業の半年後に発表された

4

ペー ジの論文の別刷と,

3

年後輩たちの繰り上げ卒業 の送別会での天文学教室の教授,助教授,助手, 後輩学生による寄せ書きを最後まで保管してい 図1 湯澤 博氏 87歳.2004年撮影. 図2 岩波文庫による復刻出版を祝うパーティで. 2002年. 図3 訳書の初版本と翻訳に使われた原本.撮影は 2004年頃.

(2)

51 第105巻 第1号

追悼

らっしゃったのを見いだして,湯澤さんの天文学 に対する思い入れを感じた. 平和な時代であれば天文学の学究として過ごし たかもしれないのに,戦争の波に押し流されてほ かの道を進まれたのだった.戦後鬼怒書房を始め られた湯澤さんが

GHQ

からの翻訳権入札に応じ たのは,この本を世に出すことで学生時代にかか わったことのある天文学に何らかの貢献をしたい と思われたのだろう. パロマー初版本の訳者序にある「…二百インチ 望遠鏡が,…,いかにして建設されたかを知るこ とは,将来我が国の科学発展のために真に有意義 であると思う…」という文章は,自分が進みた かったが進めなかった天文学者への道を,後から 歩いてくれる人たちへのメッセージと取れる.そ して,出版の

30

年後になって動き出したすばる 望遠鏡建設プロジェクトは,その本を読んだのが きっかけになって天文学科に入った小平桂一や私 が中心になったのだった.建設が終わった後私 たちは退職したが,すばる望遠鏡は完成した後, 数々の成果を出している.これは私たちを引き継 いだ若い人たちの努力の賜物である. 湯澤さんもあの「天地玄黄」の墓石の下でお喜 びのことと思っている. 図4 墓石,天地玄黄の文字と球形の墓石.湯澤さ んご自身による設計.2012年2月建立.

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