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の 死
- ボ ン トック族 の葬礼
と世界観-合 田 岳 *
The Death ofOld Odchas
AStudy on the Bontok FuneralCeremony and Cosmology
TohGoDA*
Thispaperfocusesonthehmeralceremonyofan oldmannamedOdchas,aBontokwhoresidedin MountainProvince,Norhetm Luzon,thePhilippines. ItdetaJstheprocessofthefuneralceremony,then discussesthecosmologyoftheBontok,whichgives ordertotheritualprocessandkinshipbehaviors. Although theBontokbeheveinsorcery,theyoften ascribe such misfortnes au s accidental death, epidemics,sterility,diseaseoflivestockandcrops, landslide and 丘re to aniわ orspiritual beings in general.TheBontokhaveanelaboratesystem of k nowledgeaboutantto,andtheirritualsforantto consist ofmany taboos,ritual seclusion,animal sacriace, ritualhead-hunting, mock 丘ghting and prayer[合 田 1976;1977;1979]. Unthrecently,theBontokpracticedhead-hunting, whichnotonlyinVolvesphysicalaggressionbetween diHerentviuagesbutiscloselyrelatedtotheirbehefin supernatural beings. For example
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q, the spntsofbeheadedenemies,arebelievedtocausea numberofmiSfortunestotheviuagers.IntheBontok system ofbelief,thelivingandthedeadarenot a lwaysclearlydistinguished.Anttoarebelievedtobe presenteverywhereandtocausetroubleorevento possesspeople. Thedeathofafellow villager,especiauyatthe handsofoutsiders,isanoccasionwhentheBontok disclosetheirinnerfeelngsoi fagitation,fear,hatred *神 戸 大学教養部 ;CouegeofLiberalAJtS,Kobe University,1-2-1,TsWukabuto,Na由一ku,Robe657,Japan
andresentment.Thisisbecausethedeath isnota singlemiSfortunebutratherthebeginningofabattle ofhead-hunting,asweuasanomenofa皿kindsof m
isfortunes.Peopleareexcitedandproudwhentheir feuow viuagerswin a丘ghtwith peoplefrom another
viuage,forthey believe itwillbring fertihty and
prosperitytotheirvinage.
Inthislight,theirwaysofdealingwith sicknessand death canberegardedaspartoftheprocessinwhich t
heyclassify andinterpretmiSfortunein orderto recoverfertihtyandprosperity.
RitualSaregeneranyseenasasystem ofplanned andformalizedsym bolicactivities.Thisistrueof
animalsacri丘ceandrecital ofmythasperfom edby theBontok,in whichthedetailsoftheritual are r
igidlyprescribedbythecontext.Butthisisnotthe casewi th funeralS.Duringthefuneral ceremony, p eopleshouldobservearitualhohdayorte'-er. W h enthedayisdeclaredtobete'-er,thevinageis closedandthewholecommunitylSCutOfffrom the outside world.A ranbiow orahawk 允ying over residential space,both ofwhich considered bad omens,bringanhlmediateendtotheritualhouday. Moreover,theb山ofanobjectfrom awal1in the houseofdeceased,thecrackingofahearth-stone,or thedropplngOfunhuskedriceh)m thewinnowlng basketduringafunerlca eremonyarealSobadomens t hatneedtobedealtwih Pt roperly.Antbsometimes causeihessorpossessviuagersandcausethem to actstrangely. Suchunexpectedeventsduringafuneralceremony maychangethecourseoftheritualprocess・Thus,
東南 アジア研 究 24巻3号 only the system ofknowledgethatclassiAesand i nterpretstheseincidentsandwaystodealwitheach situation isfixed,・the ritual processitselfvaries Ⅰ は じ め に 本稿 は, フィリピン共和国,ル ソン島北部 山地マ ウンテ ン州 に居住す るボ ン トック族 の -古老の死 をと りあげ,葬礼 をめ ぐる親族行 動 と全儀礼過程 を詳細 に報告す ることで,葬 礼 を秩序づ ける彼 らの世界観 について考察す ることを目的 としている。 ボ ン トック族 は, 棚 田水 田耕作 による水稲 の栽培 を主 たる生業 とし,同時 に焼畑 で豆類 や芋類 をつ くり, ま と水牛,豚,鶏,犬な どを飼育 している。ボ ン トック族 は,東南 アジアに広範 に分布す る, いわゆる巨石文化複合 をもつ民族の一つであ る。巨石文化複合 とは,棚 田水 田耕作,首狩 り,動物供蟻,頭蓋崇拝,巨石記念物の建立, 威望儀礼 な どの文化要素 をもつ民族文化 を指 す [竹村 1962]。 ただ しボ ン トック族 は, た とえばイ ン ド北東部 ア ッサ ム州のナガ諸族 や東 イン ドネシア諸民族 にみ られるような, 威望儀礼や葬礼 において巨石記念物 を建立す るとい う習俗 は欠いている。1) ボ ン トック族の儀礼 は,彼 らが保持 して き た首狩 り慣行 の象徴的表現,超 自然的な霊的 存在 とされ る
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に対す る信仰体系 な どに 1)ボントック族の調査は,1974-1976年に東南ア ジア諸国派遣留学生として,国立フィリピン 大学に留学 していた時期にはじめ,その後, 1977年7-9月,1980年7-9月,1982年2-3月, 1984年8月-1985年2月の間に行なった。本稿は, 文部省科学研究費 (海外学術調査)(研究代表 者 :合田 済,課題番号59041064)による,「産 育慣行よりみた西オセアニア諸族の生命観の 社会人類学的研究」の一環として行なった調査 の結果に依拠 している。 290 dependingonwhathapenp sduringthecourseofthe f uneralceremony. よって特徴 づ け られ る [合 田 1976;1977; 1979]。彼 らは邪術 に関す る信仰 ももってい るが,災厄 の多 くはa
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の怒 りや障 りに よ って起 きる と信 じている.a
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のなかで も, かつ て殺 した敵のa
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や,敵 に殺 された 日 付 の人 間のa
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は, と くに強力 だ と信 じら れてい る。 それ ゆ え首狩 りの観 念 は,a
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が もた らす さまざまな災厄 と不可分 に結 び付 いている。 ボ ン トック族の信仰体系では,生者 と死者 は必 ず しも画然 と区別 されず,a
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tb は生者 の生活空 間 に重 な ってい た る ところ に存 在 し,災厄 をもた ら し, ときに生者 に潰依す る と信 じられている。そのため,彼 らは多 くの 儀礼 ごとに封鎖印 をたて,忌龍 もりを行 う。 か くして,空 間の儀礼的な範噂 区分 と,それ に対応す る動物,食物,料理 な どの範噂区分 もまた,儀礼の重要 な構成要素 になっている。 ムラ人が もっとも興奮 し,恐怖,敵意,悲 念 な どの感情 を露骨 に表 出す るで きごとの一 つ は, ムラ人が死 んだ とき, とくに他村 の者 にムラ人が殺 された ときである。彼 らの危機 感 は, ムラ人の死が単独 の災厄 ではな く,首 狩 りや他村 との対 立 ・葛 藤 の は じま りで あ り,疫病 ・早魅 ・事故 な どあ らゆる災厄の予 兆だ とい うことにある。逆 に,首狩 りに勝つ ことは, ムラに多産 ・豊穣 をもた らす喜 ば し いで きごとなのである。 それゆえ,病気や死 をめ ぐる人々の対応 は,彼 らが首狩 りに代表 されるさまざまな災厄 を分類 ・解釈 し,災厄 の続発 を阻止 して多産 ・豊穣 を回復す るため の儀礼過程 とみることがで きる。このこ とは, 同時 にこうした儀礼過程 に,死者の親族が ど の ように関与 しているか とい う問題 を検討す ・ l J -I. 1 ∴ .. -.L . . ..る う え で も興 味 深 い事 例 を提 供 して くれ る。2) 儀礼 は, しば しば予定 され,様式化 された 象徴 的な行動 の体系 と考 え られてい る。確 か にボ ン トック族 の儀礼 には,特定の文脈 に応 じて供犠獣 の種類 や供犠法,詠唱すべ き神話 の種類 な どが規定 されてい るが,細部 をみ る と,その過程 は必ず しも一定 していない。 と い うのは,儀礼 の過程で, しば しば予測不能 なで きご とが起 きて くるのであ る。 虹が出た り,鷹が居住 区に飛来 した りす る と凶兆 だ と され,忌休 日を中止す る。 また,葬礼 中 に死 者 の家のなかで壁 か ら物が落 ちた り,炉 の石 がわれた り,箕 か ら粗 を と り落 とした りす る と,やは り凶兆 とされて,儀礼 的な対応が必 要 とされ る。 さらに
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の障 りに よって, ムラ人が葬礼 中に曝吐や腹痛 な どの病気 にな った り,悪霊 による奇矯 な行動 を行 な った り,a
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の言葉 を告 げ た りす る。 その た び に, 古老が治療 に必要 な儀礼 や神話 を決め,対処 しな くてはな らない。 したが って,固定的なの は, こうしたで き ごとを分類 ・解釈す る知識の体系 と,対応 の しかたの一覧表であ って,儀礼 の過程その も のは,その期 間中ので きごとによって少 しず っ異 なっているのである。以下 に具体的 な事 例 をあげなが ら,葬礼 を通 じて彼 らの知識 の 体系,す なわちボ ン トック族の世界観 に接近 してみ よう。 ⅠⅠ 調 査 地 の 概 況 本稿の基礎 的な資料 は,ル ソン島北部のマ 2) ボ ン トック族 の葬礼 に関す る利 用可 能 な文献 は, ボテ ンガ ン博 士 に よる トコカ ン村 の民俗 誌 的 な報 告, ボ ン トック村 に関す る故 カー ウ ェ ッ ド氏 の報告,村武 精 一教授 に よる カネ オ 村 を中心 と した広域調査 の報告 な どが あ るが, 葬礼 に関す る詳細 な報告 は まだみ られ ない。 図1
ル
ソン島全図 ウ ンテ ン州,ボ ン トック郡,マ リコ ン村 に居 住す るボ ン トック族 の調査 か ら得 られた (図1
)。マ ウンテ ン州 は,2
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3
3
- クタールの 面積 をもち,1
0の郡 にわかれている。 東のパ ラセ リス郡 とナ トニ ン郡 には緩 やかな丘陵地 帯 が つづ くが,全 体 と して 山が ちで,州 の4
5
% は急 峻 な山地 であ る。 行政 の最小 の単 位 はバ ラ ンガイb
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で, マ ウ ンテ ン州 には総計1
41
のバ ラ ンガイが あ る。 ボ ン トッ ク郡 の各村 の人 口は表1の とお りである。 ボ ン トック郡 の ポ プ ラシ オ ン♪o
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nボ ン トック町 は,現在 のカ リンガ ・アパヤオ州, イフガオ州,ベ ンゲ ッ ト州 な どを含 む旧マ ウ ンテ ン州の時代 か ら州都 とされ,現在 もマ ウ ンテ ン州の州庁所在地 とな っている。ただ し, 人口は6
千人あ ま りであ って,州立の病院, 高校,大学 な どがあるけれ ども,小規模 な町 で しかない (図2
)。 ボ ン トック町は北 ル ソンを南北 に縦断す る 国道沿いに立地 し,古 くか ら北 ル ソン山地 の 中心 として開けて きたため,行政や商業の中東南 アジア研 究 24巻3号 表 1 ボン トック郡 の人 口と世帯 (1980年) Bar孟ngayI) 男性 女性 合計 BontocPoblacion2) 1,743 Bontoc壬li Tucucan Maligcong Guina・ang Mainit Dalican Balili Gonogon Bayyo Talubin Samoki AlabOriente3) Alab Proper3) Cameo 1,474 435 271 671 406 565 108 368 273 522 598 233 353 171 1,895 3,638 1,530 3,004 442 877 428 699 730 1,401 465 871 404 969 88 196 313 681 287 560 503 1,025 761 1,359 211 444 324 677 177 348 1 4 4 0 1 4 6 6 5 0 9 2 0 3 9 6 5 5 8 3 1 7 5 9 5 8 0 0 6 0 7 6 2 1 3 2 1 1 1 2 3 1 1 1 94 2,500 ll,105 1,500 1,860 3,480 955 605 768 5,777 5,688 1,577 447 313 2,941 合 計 4) 8,191人 8,558人 16,749人 3,934戸 39,610 Hectares
出所 :NationalCensusandStatisticsO氏ce,Bontoc,MountainProvince.
1)行政 の末端 単位。1974年 にPresidentialDecreeNo.557に よって法 的 な制度 になった。
2)バ ラ ンガ イの表記 にはBontocを用 い, ボ ン トック族 を指 す ときはBontokと表記す る。
3)AlabOrienteとAlabProperは,1980年 にAlabが二 つ の バ ラ ンガ イに分割 され てで きた。1984
年 には, さらにBontoc壬liがBontociliとKalttitに分割 されたが, この表 には含 まない。
4)本表 は, ボ ン トック町役場 に よって1983年 に最終 的 な数値 と して整理 された もので あ る。 ただ し, この棚の単純 な計 算 ミスは訂正 しておいたC 心地 として低地民の文化の影響が強い。 しか し,ボ ン トック町か ら少 し離れると,電気 も な く商店 も稀 な耗農村が展開す る。 北 ルソン山地諸族 に対す るキ リス ト教 の影 響 は,近年 しだいに強 まっているが,ボ ン ト ック族 は他 の山地諸族 に比べ る と,伝統的な 文化 を比較的に強 く保持 しているとい うこと がで きる。 その理 由 には, マ ニ ラの北東約 400km の山地 に居住 す る とい う孤立 的 な地 理的環境 とともに,ボ ン トック族が集村形態 をとって居住 し, ムラとしての 自立性が高い とい う文化的な要 因があげ られ よう。同時に, た とえば東隣のイフガオ族が, ダム建設や観 光開発 などの開発型の行政 を採用 したのに比 べ,マウンテ ン州ではこうした行政方針 をと らなか った とい う,行政上の差異 も大 きな要 292 因 といえる。 現在60歳代 のムラ人は,すでに大部分がキ リス ト教 に改宗 してお り,マ リコン村で もこ うした人の葬礼 は,伝統的な方法 を主 としな が らも,た とえば通夜 の席 に神父が参列 し, 賛美歌 と伝統的な葬歌 を交互 に歌 うといった 変化がみ られる。 しか し,本稿で報告す る葬 礼の事例 は,死者が非キ リス ト教徒であった こともあ り,キ リス ト教 の影響 はみ られない。 神父 はボ ン トック町に常駐 し,土曜の ミサに マ リコン村 まで登 って くるが,本稿で報告す る葬礼 には参加 しなか った。 すでに,い くつかの論文で,ボ ン トック族 の社会構造や儀礼体系 について述べ て きたの で [合 田 1976;1977;1979;1982],本稿で は,調査地の概要 は簡略 にのべ てお く。本稿
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Bontoc郡 ,1__G
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占;Ti葦 JJ mu.dklil: Alabt ー\、 J. 、 、、⊥ Gonogon【 ‥ . ( Talubin Barlig郡 ー一骨 ′ Banaue,Ifugao州 、、ー_プア 、\、 b Benguet州 図 2 マ ウ ンテ ン州 の資料 が得 られたマ リコ ン村 は,ボ ン トック を もつ だけで な く,政治的,経済的,儀礼 的 町 か ら北 北 西 約 10km に位 置 し, 標 高 約 な局地的小宇宙 を構 成 してい る とい うこ とが 1,300 mの山の斜面 に展 開 して い る。 ボ ン ト で きる。 この点 はマ リコ ン村 も同 じであ る。 ック町か らは,標高差 に して約500mほ ど登 マ リコ ン村 の地理 的な概要 は, 図 3の とお り らな くて はな らない。マ リコ ン村 の居住 区 は,東西 と北 を馬 てい型 に山が囲み, 南斜 面 に隆起 した東西 150m,南北80m ほ どの楕 円形 の丘 に立地 してい る。 居住 区の周辺 に棚 田が造成 され, さらに外側 に山林が展 開す る。マ リコ ン村 の人 々は, みず か らの ム ラをl'liない しfavdylq と呼 ぶ。 ボ ン トック族 のム ラは一般 にム ラ領 域gdkayを もち, 領 域 内 に は聖 樹 の 森 ♪申attqy, 男 性 集 会 所L
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b, 6rog, 山中の聖屋 fdwi, な どの村有 の施 設 や祭場 があ る。 したが って, ボ ン トッ ク族 の ム ラは, たん に地理 的 な まとま り 柿 棚 / 山 麓 甲 田 N † し ◎:男性集会所 工:出入口 図3 マ リコン村東南 アジア研究 24巻3号 であ る (図3)。3)
Ⅰ
Ⅰ
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ムラ空間 とanitoの範噂 すで に指摘 して きた ように, ボ ン トック族 のム ラは人文地理学 的 にみて, 同心 円状 の構 成 を もってい るが,この こ とは さらに儀礼 的, 社 会的,政治的 な文脈 とも対応 す る。 ボ ン ト ック族 は,儀礼 ご とに忌寵 も りを行 う。 た と えば, ム ラに疫病 が流行 った り, ム ラ人 に積 れた死がつづ くと, ム ラの居住 区 と棚 田の境 3)ボントック語に関する言語学的な研究は,現 在 までのところギサ アン村で調査 したリー ド [Reid 1976]の辞書が唯一の ものである。ボ ントック族はムラごとの自立性が強 く,言語 的にも発音,形態素などにムラごとの偏差が 著 しい。住民 自身の意識では,自らの言語 を kati言語,ない しkaLimiわれわれの言葉 と呼 んでいる。しかし,そのばあいのわれわれとは, 自己の出生 しあるいは育ったムラを指 し,ム ラを越えた言語グループとしての一体感は稀 薄である。ボントック族 という民族名 も,ボ ントック町にちなんで外部の人間が呼んだに 過 ぎず,彼 らの帰属意識はせいぜいムラ単位 なのである。その意味で,本稿でボントック 語 というとき,むしろマ リコン語ない しマ リ コン村で話 されるボントック語 と受けとって いただきたい。彼 らの神話や項歌では,すべ てのムラは地図に出て くる地名 とは別の地名 によって指示 されている。ボントックという 地名自体,低地民によって与えられた仮の名 に過ぎないのである。 ボン トック語の表記について, リー ドは示差 的音声 として, a,b,d,e,g,i,k,1,m,n,ng, O,p,S,t,W,yをあげている。ただ し,マ リ コン語にはbはな く,fまたは Yで発音 され る。前がi以外の母音のとき,およびt,d,S, n以外の子音のとき,1はrで発音 される。 ま た,dはch〔ts〕とかわる。マリコン村の言語 表記はこれらの昔 をそのまま表記 してお く。 これにアクセントとハイフンを音声表記 とし て用いる。アクセントは,その母音がやや長 く発音 されるときに表記する。ハイフンはグ ロッタル ・ス トップを示すが,語頭が母音の ときはその前のグロッタル ・ス トップはいち いち表記 しない。 界 がsert:hq と呼 ぶ封 鎖 印 で 閉 ざ され, 内外 の出入 りが禁 じられ る。封鎖 印 はたて られな い けれ ど も,婚姻儀礼chonoをお えたばか り の夫婦 や,服喪 中のム ラ人 は, 山林 を含 むム ラの領域 か ら外 には出 られない。他村 との境 界 地 に は, 道 沿 い にj
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と呼 ぶ恒 久 的 な聖 屋 が たて られてお り, この聖屋 が このばあい の境界 印 にな ってい る。 忌 龍 も りを行 う 日を忌休 日仏grと呼 び, この 日は地理 的な移動 ばか りで な く,物 の貸 借,水浴,衣服 の交換 ,爪 や髪 を切 るこ と, 境界 の外 の動植物 を もち込 む こ とな ど,現状 を変更 し異 なる範晴 間の区分 を解消す るよう な行動が,すべ て禁忌 とされ る。 忌休 日に虹 が出た り,森 に住 む席 が飛来す る と,忌休 日 が破 られた と考 えるの も, それ らが空 間的な 範 晴 上 の 区分 を乱 す た め だ と解 釈 され よ う [合 田1
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。
こ う した空 間の同心 円的 な構成 は, ム ラ領 域 を越 えた他村 との関係 において, む しろ社 会的,政治的 な関係 と して顕現す る。婚姫 は, マ リコ ン村 で は村 内楯 が6
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0%
を占め,村 外姫 も通常 は 自分 の住 むム ラの周辺 のム ラと の 間 に締 結 され る。 通 婚 関係 にあ る ム ラは kanem nanai友好 的 な ム ラ と呼 び, 通婚 関 係 の ない遠 いム ラはkayosornanai敵対 す る ム ラ と呼ぶ。 ただ し, ひ とたび殺人 な どの事 件が起 これば,それ は個 人間の問題で はな く ム ラ相互 の対立 とな り,友好 的 なム ラで も敵 対 す るム ラに変化 す る。 したが って,上記 の2
範噂 は相互 に転換 す るこ とがあ る。ただ し, 近隣のムラとは相互 に婚姻紐帯が錯綜 してい るため,早期 に話合 いに よる解決 を求め よう とす る。 そのため,上記 の政治 的,社会 的 な 範噂 区分 は, しば しば地理 的な距離 と比例 す るこ とが多 い。友好的 なム ラ相互 の間で は, しば しば労働 交換 が行 われ, また数年 に1
度 実修 され る大規模 な婚姻儀礼 の ときには互 い に招待 し合 う。 本稿で報告す る葬礼 のばあいで も,他 村 に親族 が いれ ば必ず使者 を送 って 参列 を求 め るので あ る。 しか し,敵対す るム ラとは常 に戦 闘状態 にあ るので あ って, こう した社会 的,儀礼 的 な交流 は行 われ ない。
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oにか か わ る観 念 もまた, か か る地理 的,儀礼 的,社 会的 な空 間区分 と無縁 で はな い。 ボ ン トック族 はa
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oにつ いて も詳 細 な 範噂 区分 を設 けて い るが, 部 分 的 に はantto の範 略 は上記 の空 間 区分 と対 応 して い る。a
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oの語 は, 死 者 霊 ,生 者 の霊,妖 怪 や魅 魅魅魅 な どあ らゆ る霊 的存 在一般 を指す名詞 であ る。 山林 はい くつ もの小 区画 ご とに独 自 の地 名 を もつ が, そ こに住 む と され るa
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は, そ の 地 名 を冠 して 「∼ のa
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」
と指 示 され るこ ともあ る。 また,聖樹 に住 む とされ るα
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Oは, その個 人名 で言 及 され る こ と も あ る。 こ う した, い わば固有名詞 に よって指 示 さ れ るa
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oとは別 に,と くに人 間起源 のa
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は, 生 前 の社 会 的 地位 , 死 の原 因, 死 ん だ 場所 な どの特徴 に従 って, いわば普通名詞 に あ た る語 嚢 に よ って多 数 の 範噂 に分 類 され る。 これ ら人 間起 源 のa
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oは, それ ぞ れ特 定 の土地 と関連 して意識 されてい るが, 同時 に こ う したa
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は しば しば あ ち こ ち を排 掴 し, その地 を とお る人に想依 した り, 出産 や 死 の場面 に寄 って きた り, ムラ人の呼 びかけ に よって集 まって きた り,生者 に さまざまな 災厄 を もた ら した りす る と信 じられてい る。a
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oには,死 んだ場 所,死者 の社会 的地位 , 死 の 原 因,a
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oや超 自然 力 の介 在 の有無 な どに よって,多 くの区別が あ る。マ リコ ン村 で筆 者 が採 集 したa
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oの諸 範時 は, 以下 の ように整理 で きる。 まず,すで に孫 を もった 古 老 が,a
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や超 自然 力 の 障 りもな く村 内 で病 死 した ばあ い,彼 らのa
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と呼 ぶ。 こ う したa
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は北 の 山 を経 て天 に 昇 る とされてい る。それ らの うち, と くに生 前 ム ラ人の尊敬 を集 めていた古老 は,村 内の 聖樹 に住 みs
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と呼 ぶa
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oに加 え られ,あ るい はdtoに住 む
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に な る とい う。 子 どもが なか った り,子 ど もが まだ結婚 し てい ない ムラ人が村 内で病死 したばあい,そ のa
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と呼 ぶ。 同様 に して,死 ん だ 男 児 のa
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, 女 児 のa
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とい う。 妊 娠 中 に死 ん だ女 性 のa
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, 自殺 したム ラ人のa
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と 呼 ばれ る。 こ う したa
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はム ラ内 に留 ま り, 付近 を俳梱 し,人 々に恐依 した り話 しか けて きた りす る とい う。 また,生前 に非社交 的で ム ラ人 に嫌 わ れて いた人 は,死 後 もa
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oの 世界 か ら排 除 され る とい い, こ う したα
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uJと呼 ぶ。水 田 に生 え る藻 と同 じ名 で, やは り居住 区の外 を排桐す る と信 じられ てい る。 他 方, と くに村 外 で死 ん だ者 のa
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は, その原 因別 にい くつ かの範噂が あ る。 ム ラ人 が 殺 した敵 のa
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と呼 び, 疫 病 や難 産,さまざまな病気 の原 因になる という 。 同様 に,敵 に殺 され た 自村 の者 のa
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も, さ まざ まな病 気 を もた らす と され る。 首狩 りが居住 区内部で行 われ る こ と はほ とん どないの で, これ らのa
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oは大部 分が水 田や森 な ど外 の空 間 にい る と考 え られ てい る。 た とえ直接 に殺 してい な くとも,村 外 の人間 のa
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は生 者 と同様 に敵 意 を もっ て い る と考 え られ, こ う した敵 のa
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と呼 ばれ るO また地 震, 崖 崩 れ,
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sと呼ぶ。 これ らはい ず れ も彼 らが死亡 し た場所 に留 まるが, ときにム ラに侵 入す る と い う。首狩 りに よる死 ,疫病 の流行 や産得死 , 事故死,辛魅 や天候不順 な どの災厄がつづ く の は,敵 の攻 撃 に よる と同 時 に, これ らのa
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が居 住 区 に侵 入 した こ とが 原 因 だ と考東南 アジア研究 24巻3号 え られ る。 居 住 区 と水 田の境 界 を封 鎖 す る
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yIChq 儀礼 は, かか るa
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の侵入 を防 ぐ目 的で実修す る。 こ う した 人 間起 源 と され るa
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とは別 に,人間の形 をもちなが らも,その由来が不 明である とい う点で, む しろ妖怪 ない し魅魅 魅鹿 とで も呼ぶべ きa
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b も少 な くない。居 住 区内部 で出現す る とい うこれ らのa
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に は, 真 っ 赤 な 口 で 屋 内 に 出 るα
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, 家 の 火 事 の 原 因 とな るa
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,髪 の長 い美 しい女性 のa
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, 昼 間,屋 内で女性 を襲 って妊娠 させ双子 を生 む原 因 と な るa
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, 肌 が 白 く長 身 の 姿 のa
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,口が耳 まで裂 けているa
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syak な どがいる。 森 や棚 田のある外の世界 は,同時 にまた さ まざまな妖怪 が排梱す る土地だ と考 え られて いる。 こう した妖怪 には,森で人 きらい をす る とい うa
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,沼 や放牧場 にい る とされ るa
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d, 山 に住 む巨人 のa
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,夜 に人魂 となって光 るa
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, 山で女性 を襲 うa
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な どがある. い ささか煩雑 なα
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の名称 を列記 したの は,ボ ン トック族が さまざまな災厄 をこう し たa
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の障 りと して説明す るためであ る。 以下 に報告す る葬礼 の過程 を理解す るための 予備 知識 と して, こ う したa
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信仰 の様態 は欠かせ ない。Ⅰ
Ⅴ
死因 と死の分類 ボ ン トンク郡 には,ボ ン トック町 に州立の ボ ン トノク病院が一つあるが,マ リコン相 に は看護婦が巡回 して くるのみで,公的 な医療 施設 は存在 しない。ボ ン トック族 は一般 に便 所 をつ くらず,家の脇 にあ る豚小屋 を利用す る。豚の排継物 は水 田の下肥 え として使 うた め,長期 間保存 される。 このため蝿が大発生 し,疫病流行 の温床 になっている。 ボ ン トッ ク病 院の統計 による と,ボ ン トック族の主 な 死 因は,腸炎,肺結核,肺炎, アメーバ -赤 痢,流行性肝炎,癌, は しかな どである。同 時 に,数年 ご とに腸チ フスが流行 し,死者が 出ている。 こうした科学的 な死 因の分析 とは別 に, ム ラ人 は病気や死 について も独 自の知識の体系 を有 して い る. 死 の原 因 には,a
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が介在 す る もの,邪術 や妖術 が介在す る もの, こう した超 自然的 な霊 的存在 や力が介在 しない も のの3
種が区別 される。本稿 は葬礼 の報告が 目的 なので, ボ ン トック族が もつ独 自の病気 の分類体系,病 因論,治療過程 な どについて はたち入 らない。 ただ し,死因の分析 との関 係 で,死 の原因 とされる超 自然的な存在 や力 につ いて簡単 に触 れてお く。 マ リコ ン村 の呪術 的職能者 には, さまざま な儀 礼 ご とに,a
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に対 して短 い唱 えご と to吻・aやf
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,怪我 や病気 を神 話k
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を詠 唱 す る こ とで 治 療 す るk
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,病気 の原 因の 卜占 を行 うとと も に, 榔 子 油 な ど を使 って 治 療 を行 うo
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は主 と して古老男性,me
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にな るには,夢 見 に よっ て,a
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か ら想霊 落 と しと治病 の力 を与 え られ な くて はな らない
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は韮 医,o
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Sは 卜占師 と訳 してお こ う。 卜占に よっては,患 者が居住 区の外 に出た ときに魂 をどこか に忘 れて きた り,a
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に盗 まれたため に病 気 に な った とされ る と きもあ り, こ の ばあ い は,魂 を患 者 に と り戻 す ため の儀礼 が行 われ る。4) anttoの想 依 が 原 因 とされ るば あ い,me n-sqt1-okに よ っ て 悪 霊 落 と し
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中一okが 行 わ れ る。 antb に よ る と 卜占 され た病 因 は, 韮 医 の力 が足 りな けれ ば, その まま死 因 に な る。 これ に対 して,邪術 に よる病 気 や死 が や は りい くつ か区別 され る。 邪術 に よる とされ る 死 の例 は少 な く,突然 の死 にか ぎられ る。 邪 術 には,♪ad
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dyaとpochoqgが あ る。前者 は, 狙 った相 手 の髪 の毛 や唾 ,尿 ,衣服 な どを使 って,相 手 を呪殺 す る こ とがで きる と信 じら れ てい る。 た だ し, ム ラ人 に よれ ば, これ は カ リンガ ・アパ ヤ オ地 区 な ど低 地民 の慣 習 と され,マ リコ ン村 に はない とい う。筆 者 の滞 在 中 に♪
adpadyaに よ る死 と疑 わ れ た の は, バ ギ オな どに出稼 ぎに出 た者 が不慮 の死 を遂 げた と きにか ぎられて い た。 4)ボン トンク族は,儀礼 ごとに多 くの唱えごと を行 う。 これをk(砂aと総称 し,katyaの知識 をもち, これを詠唱で きる者 をkomak吻 aと 呼 んでいる。kabyaには多 くの種類があるの で,適当な日本語に訳 しに くいのだが,ここ では祭文 と呼んでおこう。 これ らの祭文は, すべて口頭で伝承 されている。彼 らは,kabya を totqya,fa-喝,kd-evの 3種類 に分類 してい る。totqyaはanltoに対す る短い唱えごとで, fd-agは祖先名,あるいは死者親族名をあげて, 具体的にこれ らの〃乃加を呼 び寄せ る祭文で ある。fd一喝 は,出産儀礼,
治病儀礼,予祝儀 礼などの機会に,主として屋内で詠唱 される。 kd-evには,それぞれ名称をもった30以上の長 い物語が含 まれる。多 くのkd-evのなかから, 彼 らは儀礼の文脈に応 じて,特定の物語 を選 んでそれを詠唱するのである。 kd-evの内容 をみると,儀礼の由来を説明する もの,天上神Lomawigの行跡を伝えるものな ど,創造的な原古の時代の聖なるで きごとを 伝えるという意味で,神話 と呼ぶべ き物語が い くつか含 まれている。同時に,狩人と犬の 物語,父が首狩 りによって殺 され,息子が血 馨に出かける物語など,創造的な原古の時代 邪術 師LIo
桝
坤ochongはマ リコ ン村 に3
人 い るが, いず れ も他村 か らの婚 大著 で あ る。嫉 妬 や妬 み に よって他 者 を病 気 にす る力 を もつ と信 じ られ て い る. た だ し,♪ochongは,首 が 曲が った ま ま直 らな くな った り,視 力が一 時 的 に衰 えた りす るだ けで ,死 にい た る こ と はない とい う。 こ う した症状 が 出て, 卜占師 に よ っ て♪ochongが 原 因 だ と 占 わ れ る と, ♪o
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Qochongの ところ に行 って,痛 む場 所 に 触 れ てkomLiw長ka良 くな る よ うに と唱 えて もらう。これ らの病気 や死 因 に関す る区分 は, しか しなが ら,必 ず しも固定 的 な もので はな い。最終 的 に病 因や死 因 を同定 す るの は, 卜 占に待 たな くて はな らない。 死 因 に関す る説 明 は さ まざまだが, ム ラ人 に よれ ば人 間の死 は大 き く二つ の範噂 に区別 され る とい う. そ れ は,natqasmadb'-esと,nat
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smangisewで あ る。made'-esの語根 は, chb'-es:肺 結 核 , あ る い は肺 結 核 の よ うに長 と現代の中間の時代 に起 こったで きごととい う意味で,むしろ伝承 と考 えるべ き物語 も含 まれている。ただ し,神話 と伝承の区別は, 研究者のパラダイムであって,ボ ントック族 は両者 を含めてkd-evと総称 しているのであ る。 したが って,本稿では,ボ ントック族の観念 に従 って,kd-evはその ままkd-evと書 き,必 要に応 じて神話 と書 くことに した。彼 らは, 儀礼の とき以外 にはこれらのkd-evを詠唱 し ない。 さらに重要なことは,彼 らが儀礼のな かでkd-evを詠唱することで,kd-evのなかで 伝えられるで きごとが,儀礼の場 に再び現出 すると考えられていることである。ここでは, 神話はモチーフごとに分類 されるぬけ殻では な く,生活のなかに生 きているのである。本 稿では,わ均,aおよび舟 喝,そ して悪霊におけ るantbの言葉 については,翻訳 を行なって おいたが,kd-evについては割愛 した。その理 由は,個々の単語の意味,k
d-evの文化的背景 などを説明 して翻訳するにはかな りの紙幅が 必要 とされるためである。マ リコン村で詠唱 されるkd-evは,すべてrボ ン トソク族のkLか ev註解』として,別稿で報告する予定である。東南 アジア研究 24巻3号 い間 に衰弱 して い く病気 を総称 す る語 で あ る. これ に よって死亡 す るこ とを,
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句,
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とい う。病死 に近 い概念 であ ろ う. すで に孫 をもつ古老が,超 自然的存在 や力 の 介在 な しに病 死 した ばあ い, それ は良 い死k
喝血
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q と呼ばれる.孫がなければ, 病死で も良い死 とはいわない。それゆえ,死 の区別には,その原因 とともに死者の社会的 地位 が関連 している。 怪我 や疫病m6
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による死, まだ孫 をもっ ていない者の死,邪術 による死,産樽死,妊 娠中の死,事故や落雷,崖崩れ,首狩 りによ る死 な どは,すべ て穣 れ た死n
a物,
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と呼 び, そ の 死 は 悪 い 死ma
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抄 とみな され る。ma
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は また,かか る死 による穣 れを も意味 している。人々は, ムラに穣 れた死 による死人が出る と, ムラが 死んだ と表現 し, ムラも積 れた と考 える。そ のため,婚姻儀礼 などの喜 ば しい儀礼 は,葬 礼後6
カ月間は実修す ることを禁 じられる。 良い死 に よるム ラの穣 れ はI
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といい, 葬礼後数 日で破 うことがで きる。ただ し,死 者の親族 は別で,一定期間,喪 に服 さな くて はな らない。 服喪の禁忌 を djfgといい, この語 は他の儀 礼 における禁忌一般 を も指示す る。服喪の禁 忌 djk は,死者の全子孫 とその配偶者 にかか る禁忌である。その内容 は,食物禁忌,料理, 水浴,衣服の交換,髪や爪 を切 ること,貸借 な どの禁忌,外出の禁忌,山林や水田におけ る労働の禁忌 など,多 くの禁忌か らなる。 も っとも厳 しく服喪が要求 されるのは死者の子 どもで,つ ぎにその配偶者,孫,孫の配偶者 の順 である。 親や傍系親族 には djk は及ばな い。 djkが親が死 んだ ときの子孫 にかか る禁忌 であ るのに対 し,子 どもや孫が死んだ ときの 親 や祖 父母 にかか る服喪 の禁忌 はt
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Jと 呼 ばれ,djk と区別 され る。禁忌 の内容 に大 298 差 はないが,遺族 は死者の埋葬がおわるとす ぐに,水浴 して穣 れ を流 して しまうため,水 浴,衣服 の交換,宴や爪 を切 ることな どの禁 忌 は短期 間で終了す る。 未婚の青年が病死 したばあい,葬礼 の期 間 は半 日だ けで,死 者 の椅 子s
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櫛打h
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Lに死体 を展示 したあ と,埋葬す る。夫折のばあいは 展示葬 は行 わず,やは り半 日,儀礼 的沸泣 を す るだけで埋葬す る。ただ し,葬礼 中は,辛 日を1
日と数 える特別 な 日の計算法 をとるの で,上記 の半 日は人々によれば1
日とい うこ とになる。 この1
日は,夜明けか ら日没 まで と日没か ら夜明 けまでのそれぞれ約12時間で ある。 成人の積 れた死のばあいの葬礼 は,展示葬 の期 間は病死 のばあい と同 じであ って も,倭 礼の内容が異 なっている。た とえば敵 に殺 さ れた者の葬礼で は, ムラの古老が何度 も死体 を跨 ぎ, あ るい は棺 に腰 か けて死者 のa
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を挑発 し,鼠 に姿 をかえて敵 の家 に行 って柱 を寄れ とか,敵 に小便 をかけろ と呼 びかけた りす る。天折 や成人の横 れた死のばあいの葬 礼 はすべ て9
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防 ぐと呼ぶ。 これに対 して,n
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妙a
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の ときの葬礼 はd
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見守 る とい う。 本稿でい う葬礼 とは, ムラ人の死か ら埋葬 までに実修 される諸儀礼 を指す。 ボ ン トック 族の葬礼 の特徴 は,埋葬前 に死者 を死者の椅 子 に座 らせ,展示す る展示葬の習俗,多量の 動物供蟻,共食,
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信仰 などの点であろ う。 こうした習俗 は,ボ ン トック族のみな らず, 北 ル ソ ン山地民 に広 汎 に分布 す る習俗 で あ る。 ムラ人の階層 は,比較的に多 くの水田 を所 有す る地 つ きの系統 に属す る富者 kach卿 an と,貧者I
a
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にわけ られる。ボ ン トノク族 は, 父か ら長男が,母か ら長女が,大部分の水田 を 相続する並行系相続が理念 となっている [合 田 1982;1983]。そのため,長男 ・長女 と次男・次女以下 とが,富者 と貧者のなかで もさら に上下 の関係 を構成す る. 長男 ・長女 は
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ないLpa
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0と呼 ばれ,次 男 ・次女以下na-o
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と区別 され る。 富者 の長男 ・長女 は貧者 とは結婚 で きない。富者 の地位 は,大規模 な 供犠祭宴 を主宰す ることで,公的 に認め られ る。 すで に孫 を もつ成 人が病死 して も,貧者の 葬礼 はs
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1
日と呼 ばれ る。 す なわち, 葬礼 は1
日の展示 葬 の期 間 を もつ こ とにな る。 ただ し,富者 であ って も,穣 れた死のば あい には,貧者 と同様 に葬礼 の期 間は1日だ けであ る。 富者 と貧者の葬礼期 間の差異 は, 死者 の椅子 の,死体 の頭 を寄せ る横棒 faL紬 の数 で表 される。これが1本のばあいは1日,2
本のばあいは富者 で4
日以上,葬礼がつづ くことを示 してい る。死者の衣服wane
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も, 富者 は舟
d-one, 貧者 はk
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と呼 び, その 色彩 や意匠に区分がある。 展示葬の期 間の長 さの差異 は,その期 間に供犠 される動物 の種 類 や数,死者 のための綿布 の数,詠唱 される 神話 や,そのあ との服喪期 間の差異で もある。 墓 や埋葬法 もまた,葬礼 に対応 して異 な っ ている。 富者ですで に孫 を もつ古老が,超 自 然 的 な存 在 や力 の介在 な しに病 死 した と き は,死体 は男女 とも石積 を施 した男性集会所 dtoの なか に,石垣 の横 を開 けてそ こか ら埋 葬 す る。 こ う した死者 のa
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は, その後 もd
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に留 ま り, ム ラ人, と くに子 孫 を守 って くれ る とい う。 富者が同様 の原 因で死亡 して も,孫が まだい ない者,孫 がいて も貧者 の階 層 にあ る者,a
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の介在 に よる死者 な どは, すべ て死者の家の庭の下 に埋葬す る。 マ リコ ン村 は平地が少 な く,多 くの家が傾斜地 に石 垣 を組 んでその上 に家 をたてているため, こ うした死者 もまた石垣 の横 を開いて,そ こか ら中に埋葬す る。落雷,交通事故,崖崩 れな ど,穣 れた死 とされ る死者 は, ムラの居住 区 の周辺部 に埋葬す る。 敵 に殺 された者 は,敬 のムラに面 した山中に埋葬 される。 夫折 した 子 どもは,大乗のなかば を横 に切 って口 を広 げ,そのなか に入れて,家の軒下の雨がかか らぬ場所 に埋葬す るとい う。 この葬法 は,死 産や流産,後産の処理 とも共通 している。 ただ し,現 在で は dtoの補修,セ メ ン トに よる石垣 の固定化 な どが公 的予算で行 われて い るため,dtoに埋 葬 す るに は こ う した補修 費 を負担 しな くてはな らない。マ リコ ン村で は,15年 ほ ど前 に公 的予算で dtoを補修 し,d
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をセ メ ン トで固 め る こ とにな った。 しか し,そ うす る とdtoに死者 を埋 葬す るたびにd
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の補修費 を遺族が負担 しなければな らず, また伝統 に も反す るので,反対す る者 もいた。 dtoをセ メ ン トで固 め るこ とに合意 した富者 は,現在 で もdt
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に葬 られ る権利 を もつ が, これ に反対 した者 は,d
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に埋 葬 され る権利 を失 った。本稿で報告す るオ ッチ ャス老 は, 後者 に属 していたため,彼 の社会的地位 や死 因 はdtoに埋 葬 され るにふ さわ しい ものであ ったが,
dioには埋葬 されなか った。Ⅴ
オ ッチ ャス宅の死-事例研究-1
9
8
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年1
0月1
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日 午前 3時 ごろ,マ リコン村の最高齢 の男性 オ ッチ ャス老 (Odchas)が死亡 した。筆者 は1
9
7
4
年 には じめて この ムラに住 み込 んだが, その とき以来,親 しくつ き合 っていた古老で あ った。 当時, まだ手 さぐりで, ムラ人 との 間に信頼 関係 をつ くることに腐心 していたこ ろ,簡単 な傷 の手 あて を した り,酒 をい っ し ょに飲 んだ りして,少 しずつ親 しくなった何 人かの古老の ひ と りである。 死の1週 間ほ ど 前 は まだ元気 で,
dtoで い っ しょに ビール を 飲 み昔話 をす るほ どであ ったが,7
日に呼 ば れた ときは,すで に起 きられないほ ど衰弱 し ていた。病 院に行 くように強 く勧 めたが,す で に死 を覚悟 していたのか, どうして も承知東南 アジ ア研 究 24巻3号 せず,
3
日後 に眠 るように逝去 した.女性盃 医サ イエ ウ (Sayew)に よる病 因の 卜占 に よ れば,病 因 は〃
〃伽
や超 自然力 が関与 しない 病気 maLh'-csで あ ったため,S申-okは行 われ なか った。 オ ッチ ャス老 は生前, ムラの忌休 日の決定,儀礼 の種類 や 日ど りの決定,儀礼 の指揮 な どを行 う, ムラの リーダー的な存在 で, ムラの尊敬 を集めていた。子孫が曾孫 ま で合 わせ て45人 もお り,死亡 した ときの年齢 は80歳 を越 えていた と思 われる。 葬礼 の過程 は表2の とお りである。 死 か ら 埋葬 までの間は昼 と夜 それぞれ半 日を1日と 数 える。そのあ とも喪明け まで さまざまな儀 礼 や禁忌がつづ くので,本稿で はその全過程 を記述 してお きたい (表2参照)01
0
月1
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日午前6
時 ごろ,筆者の家 に使者が きて, オ ッチ ャス老の死 を告 げた。死体 には 綿布 を頭 までかけてあ る。 これは砂一
命anと いい,覆 うの意味であ るが,死 は葬礼 の準備 が整 い,公的 に宣言が され るまで は,眠 って い るna
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砂
と表現 され,覆い を してお くの である。 この間に,村外 に居住す る親族 に使 者i
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dが送 られ る。使者 はふ た りの未婚 の青年男性 たちで, ひ と りはオ ッチ ャス老の 弟が婚 出 した トコカ ン村 に,その子孫 に訃報 を伝 えにい き, ひ と りはバ ギオに住 む孫 たち に電 報 を打 つ ため ボ ン トック町 に行 った。i
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dは非親族 の青年が選 ばれるO 表2 オ ッチ ャ ス老 の 葬 礼 ・経 過 (1984年 10月10日午 前3時 死 亡 ) 日 時 儀 礼 供 犠 獣 提 供 者 行 動 10月10日 午後 4時 Z)okso 午後6時 jinetfel 11日 深夜0時 u)waJltJag 午 前6時 eZkZS 畳 12 時 ukZYdu)ag 午 後3時 oyon 午後6時 ezw 12日 深 夜0時 wa714wag 午 前 6時e
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w 量 12時 wa71aJwag 午 後 5時 mikd10U 午 後6時 lom-od 13日 lakson 14日 Iawas 15日 au-al)On 16日 akro/ーkoPokop l1月 6日 kagongkong 10日 mLqU-euJ 12日 〝∽71TmnOk 子豚1 マ ンガ タム 雄 鶏 1 ウ ェ ンエ イ 成 豚1 ウ ェ ンニ イ 子 豚1 フ ア ンガ ン 成 豚1 マ ンガ タム 水牛 2 マ ンガ タム ウ ェ ンニ イ 子豚1 ウ ェ ンニ イ 成 豚1 マ ンガ タム 子豚1 ウ ェ ンニ イ 成 豚1 ヘ レ ン 子豚1 ワ シ ン トン 服 喪 親 族 の 忌 休 日 服 喪 親 族 の 忌 休 日 服 喪 親 族の 忌 休 日 服喪 親 族 の†忌 休 日 死 者 の 子 ど も夫 婦 の 忌休 日 死 者 の 子 ど もの忌 休 日 労 働 日 準 備 ・庭 に炉 をつ くる 死 の 宣告 ・死 者 の椅 子づ く り 挽 歌 ・共 食 ・肉 の 分 配 共 食 ・肉 の 分 配 共 食 ・肉 の 分 配 森 で 水牛 供 犠 挽 歌 ・共 食 挽 歌 ・共 食 ・肉 の 分 配 共 食 ・肉の 分 配 ・布 の 分 配 共 食 ・肉 の 分配 埋 葬 共 食 屋 内 の炉 に 火 を戻 す, 屋 内 で の 料 理 は じめ 古 老 に よる共 食 死 者 の子 ど も夫 婦 以 外 の 忌 明 け, 儀 礼 的漁 労 ・儀 礼 的 山仕 事 家 屋 と穀 倉 の 清 め, 鶏供 横 , 服 喪 親 族 に 供 養 品 の 分 配 鶏供 蟻 ,死 者 の 子 の配 偶 者 の忌 明 け 死 者 の 子 ど もの儀 礼 的 山仕 事 死 者 の 子 ど もの忌 明 け,喪 服 を捨 て る, 儀 礼 的 水 浴午前
8
時 ごろ居住 区内か ら屋外 につ くる炉 のための太 い薪,死者 の椅子 に用 い る長 い木, 竹,藤 な どが集め られ る。葬礼 用の こ う した 材料 は断 りな しに どこか らで ももって くる こ と が で き る。 死 者 の 長 男 マ ン ガ タ ム (Mangatam)の穀倉 か ら粗 を大 量 に運 んで く る。 こ う した作業 は,近 隣の非 親族 が行 う。 薪 を3本 に切 って,庭 に葬礼 用 の炉 をつ くる。 この炉 はfarangavang (敵 に対 抗 して 団結 す るの意) と呼 び,3本 の薪 を放射状 にお く。 婚姻儀礼 の ときに庭 につ くられ る炉 は,太 い 薪 を2
本横 に平行 に並べ る点で,葬礼 の とき の炉 と異 な ってい る。庭 で は古老男性 が,竹 を裂 いて ひごをつ くる。 死者 の家の炉 は,葬 礼 中は料理 に使用 で きない。炉 の前 の飯台 を 外 に出 し,死者 の椅 子 の座席 をつ くる。 午 後3
時 ご ろ, 近 くに住 む少 女 フ ェ リパ (Felipa)が急 に腹痛 を起 こ して女性盃 医のサ イエ ウが呼 ばれた。 卜占で十数年前 に 自殺 し た少女 マ クニ (Makni)のanttoの障 りとされ た た め, オ ッチ ャス老 の次 男 の ウ ェ ンニ イ (Wemi )が治病 のための神 話 を詠唱 Lにい っ た。悪霊 に よる腹痛 の治療 のための神話 には 2種類 あ る。KentadとSang-atがそれで,前 者 は防 ぐ,後者 は追 い払 うの意 味で あ る。 Kentadは,震 えた り暴 れた り,異常 な動作 を伴 う想依現 象の治療 に用 い る神話 なの に対 し,Sang-atは, 強 い痛 み を伴 う腹 痛 な どの 治療 に用 い られ る。サ イエ ウが少女 の頭 を膝 に乗せ て頭 をなでてや り,母親 の ア ングエ ッ プ (An gyep)が足 を さす る。 ウ ェ ンニ イが水 壷 か ら種 子 の殻 の椀 に水 を汲み, これ を前 に お いてSang-atを詠 唱 した。1時 間ほ どで少 女 は静 か に眠 って しまった。 この 間に,死者 の家で は,壁 や天井 にか け て いた品物 ,穀物 の種子 や衣服 ,労働 具 な ど をすべ て下 に下 ろ した り,他家 に運 んで しま う。葬礼 中に物が落 ちる凶兆 を避 けるためで あ る。 つ いで,藁束でつ くった松 明で,屋 内 の炉 か ら火 を庭 の炉 に移す 。午後4
時過 ぎに, 死者 の家 のなかで,最初 の動物供蟻 が実修 さ れ る。マ ンガ タムが提供 した子豚 を供犠す る。 この供蟻 は♪oksoと呼 ぶ。
♪oksoは物 が落 ち るこ とを意味す る。 葬礼 の準備 を手伝 う人 々 に食事 を供す るため に,豚 はただちに解体す る。 内臓 の うち,節 ,肝臓 ,腎臓 を除 いたほ かの部分 は,未婚 の青年男性 たちに与 え られ る。彼 らは供蟻 の場 の傍 らで解体 を待 ち,内 臓 を掠奪 す る ように もち去 り,別の場所 で密 か に煮 て食べ るのであ る。ボ ン トック町で は, 未婚 の男性 たちには,供犠 した豚の頭 が与 え られ る。 この習俗 はkonkonedと呼 ぶ。供 犠 した豚 の ほかの部分 は,庭 の炉 にか けた大鍋 sangcharで煮 る。 午後4時40分 ごろ, 肉 を分配 したあ と,共 食す る。 マ ンガ タム夫妻 は, この間 に死者 の ための綿布 を用意す る。 濃紺地 で中央 に白い 線 が1
本入 った綿布 を,三つ に切 って縁 を切 り落 と し,3
枚 を平行 に並べ て繋 ぎ合 わせ, 1枚 の綿布 とす る。 ほか に も2種 の綿布 を用 意 す る。綿布 はdchog中 に,1
日に1
枚 の わ りで,真 昼 と深夜 に1
枚ずつ,死者 の椅子 の 上 に横 に渡 した棒sasakれツanにか けてい く。 この事例 で はdchogが5日つづ いたため,5 枚 の綿布 が用意 された。綿布 は葬礼用 の 白い 綿 布inesa,葬礼用 の濃紺 の綿布fya10ng,鰭 姻儀礼 に も用 い られ る赤地 に黒 の模様 の入 っ た綿 布L)inLW dkanの3種 類 が あ る。 枚 数 は inesaが 1枚 , ほ かが2枚 ず つ の計5枚 で あ る。貧者 の葬礼 で は,♪inamdkanは用 いない。 Pinamdkanと.秒al0ngはdchogの 最 終 日に1
枚ずつ と り,切 りわけて死者 の孫 や曾孫 に 分 配す る。この分 配 をL・
o砂6
totと呼 び,死者霊 が子孫 を守護す る印 と信 じられてい る。 午後 5時 ごろか ら,庭 で死者 の椅子 をつ くる。 長 さ3mほ どの2本 の棒 の下部 に座席 を と りつ け,背 の部分 には2本ずつ まとめた竹 の棒 を 横 に4段 ,その上部 に斜 め に交差 させ て2本東南 アジア研究 24巻3号 ずつ,やは り竹 の棒 を くくりつ け,背 もたれ とす る。座席 は
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背 もたれの部分 の竹棒 はs
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とい う。 語幹s
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は, 卜 占による死因の同定の意味である。 午後 6時近 くになって,死者 の椅子 を屋内 に運 び,人 口の外 か らみて左側 の壁 に,やや 斜め にたでかける。家屋 の入 口は南 に向いて いるので,死者 は東 に面 して座 ることになる。 家屋の入 口は通常,朝 日が直接 入 らぬ よう, 東 を避 けてたてるといい,実際 には南や西 に 向けてたてることが多い。病死 のばあい,死 者 は東 または北 を向けて座 らせ,積 れた死の ばあいは西や南 に面 して座 らせ る という 。 す でに報告 [合 田1
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した とお り,ボ ン ト ック族 の方位観で は,川上 や山の方向c
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が川下や谷 の方 向I
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に対 して優越す る. 富者が病死 した ときは,死者 を優越 した方位 に向けて展示す るのであ る。 死体 を覆 っていた綿布 をと り,衣服 を脱が せ, 死者 の衣 服 を着せ る。 最初 に樹 皮 の短 い樺 t
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をあ て, そ の上 か ら自木 綿 の棒 hZgteVをつ け る。 つ ぎに,濃紺 の糸 で レース の ように人間や楯 な どの模様 を縫い出 した上 布ki
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枚用意 し,男性L
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の模様 をもつ上布 を首か ら上半身にマ フラーの よう にか けたあ と,女性fd-iの模様 を もつ上布 を 腹 に横 に巻いて死者の椅子 に座 らせ る。 それ まで身につ けていた樺 を下 に して,上 に新 し い樺 を重 ねて, これで 口を覆 う。 これ を 中一 坤 とい う。頭 に白い木綿の布e
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を置 く。 膝 には ヒゴで結 んだ小 さい消炭6
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を結 びつ けてお く。 ボ ン トック族の観念では火は 生命の象徴であ り,消炭 はそれがおわったこ とを示 してい る。 これ を しない と,死者 のa
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が死 を納得せず,稲 の収種 な どを もち 去 り,作物の不作がつづ くとい う。 死者 のふ た りの息子 には,マ ンガダムの妻チ ャミヤス(
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が バ ナ ナの枯 れた幹 の皮 で腕輪I
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をつ くり,手首 に巻いてやる。 死体 に衣服 を着せて,死者の椅子 に座 らせ ると,ただちに死者の椅子の前で雄鶏 を供犠 す る。 この供犠 は^ne
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tとい う. 鶏 は首 と 手羽 を棒 で叩 いて供犠 し,羽 を焼 いたあ と, 解体 して庭の大鍋 で煮 る。鶏供蟻のあ と,チ ャミヤスが米酒 を椀 に入れた もの を死者 に嘆 がせ るs
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櫛O
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を し,死 者 に向か って死 の 宣告 のための唱えごと to吻・aをす る。唱えご との内容 は以下の とお りである。 「どうか貴方 の祖先が辿 った道 をまっす ぐ に進んで くだ さい。作物や家畜 を豊穣 ・多産 に して,食物 を子孫 に返 して くだ さい」。 庭で はつづ いて古老のひ とりフア トヨ ッグ(
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が,大声で,a
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を呼ぶための叫 び声f
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をあげ る。煮 えた鶏の肉は参集 し た少年 たちに分配 され る。午後6時過 ぎに, 同 じ古老が,死者の家の入 口の前で,ガ ビ (タ ロイモ) の葉 に巻貝の殻k
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,米粒6
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as, 消炭 を一つずつ包 んだ もの を右手 に もち,そ の前で もうひと りの古老男性チ ョイカウェ ン(
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が 葬礼 の神 話Kav
o'kavを詠 唱 す る。詠唱がおわると, ガ どの葉の包み を入 口の敷居 の下 に押 し込 む。 午後6
時半 ごろにウェンニイが死者の前 に た ち,儀礼 的沸泣a
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をは じめ る。沸泣 はa
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- 父 よ,去 って しまっ た私の父 よ‥‥‥ とい う叫 びにつづいて悲嘆 の声 をあげ るとい う一定の形式 をもつ。庭で は死者の友人がつ ぎつ ぎにc
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とい う, や は り独 唱 の形式 を もつ挽 歌 を歌 い は じめ る。 そのあ と合唱の挽歌e
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eyが歌 われる。 屋 内では女性 ふた りアル ヨサ ン (Ar
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と モ ワイ(
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が死者 の前 にたち, ウェ ン ニ イにつづ いて儀礼的沸泣 を行 う。 午後 7時 ごろか ら,挽歌が盛 んにな り,屋 内 外 で ム ラ人 が 輪 をつ く り, 肩 を組 ん でc
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yな どの挽 歌 を つ ぎつ ぎに合唱 してい く。ムラ人には,米酒, 葉 タバ コな どが配 られ,大鍋で再 び米飯 を炊く。 深夜 に,ウェンこイが提供 した雄 の親豚 を, 庭 で供犠 す る. この供蟻 は
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と呼ぶ。 この名称 の豚供蟻 の ときには,2
時 間ほ ど間 をおいて,つづいて2度食事 をす る。半 日を 1日と数 える計算法のために,食事 の回数が 増 えるのである。豚供蟻 は喉 を切 って,血 を 鍋 に受 けたあ と,火で毛 を焼 き解体す る。豚 の解体法 は,犬や水牛 の解体法 とほぼ同 じで ある。 血 はよ く洗 った腸 に詰めて,やは り煮 て2度 目の食事のおかず とす る。 解体 の手順 はほぼ一定 してい るが,た とえば豚供蟻 の儀 礼sandoで は,豚 の食 道 を縛 って 胃の 内容 物が出ない ようにす るのに,葬礼 の ときはこ れ を しないな ど,葬礼時の供蟻 のほ うがやや 乱暴である。未婚の青年男性 たちは,やは り 胃や腸 を儀礼 的に掠奪 し, よそで密 かに煮て 食べ る。 葬礼 中, ウェ ンニ イとマ ンガタムの ふた りは,供犠 した家畜の肉を食べ ることは で きず,別の家で豆 と塩づ けの豚 肉 を煮 た も の を食べ る。 10月11日 午前2時過 ぎ,女性 盃 医サ イエ ウがantto に悉依 された。急 に震 え出 し,奇矯 な叫 び声 をあげる。 アワネ ン(Awanen)とア ンセ ガ ン (血 gsegan)が サ イエ ウの脇 にた ち,肩 を抱 きなが らともに挽歌 を歌 う。 肩 を抱 かれなが らも,サ イエ ウは凄い形相で走 り出そ うとし た り,葬礼 の参会者 に掴みかかろ うとした り す る。 この 間 にサ イエ ウが,悉依 したam'to の言 葉 を話 しは じめ る。 この行 為 をinkali (kali:話す) とい う。内容 は以下の とお りで あ る。 文頭 に点線 を付 した部分 は,am'toに 憩依 されたサ イエ ウの言葉であ り,ほか はア ワネ ンとア ンセガ ンの応答であ る。 inkaLiによる言葉 .‥.‥ああ,私 たちは新 しい世代が ムラの 秩序 (伝承) を破壊す るの をみせ られてい る。私 たち (anito)はい う。 ウェンニイよ, 食欲 な食欲 な者 よ, なぜ な ら居住 区の外 に 出て,水 田で貝 をとった。親が死 んだの に, 巻貝 をと りに水 田に行 った。 だ って父親 に食べ させ るためだ ったの だろ う。 ‥‥‥違 う,それは違 う。 忌休 日なのに, 早朝 に水田に行 って, オ クマ ジ ャクシを集 めて きて,帰 って料理 した。彼 の父がそれ を食べ たか。昨 日もまた,巻貝 を もち帰 っ た。 (anttoの)私 はい う,(antbの) 親戚 (子 の配偶者 の親) が死 んだの に,巻貝 を 突然 に料理 した。 どうして 自制で きないの か。 われわれは彼 の妻 に対 して怒 り,彼 の 妻 を病気 に した。 それはいけない,やめて くだ さい。そ んなことになった ら。 ‥‥‥そ うだ, われわれはい う,本当に彼 女が死 んだ らどうす るのか。 (anttoの)私 たちはここにいる。 死者 のための挽歌 をや めてはいけない。私の言葉 はいわれた言葉 であ り,それゆえに疫病 をもた らす ものだ。 死者が去 ったい ま,誰が ムラ人の世話 をす るのか。そ して,つ ぎの世代 はまだ遠い。 彼 らは死者が繰 り返 し教 えたことに従 わな いのだ。 サ イエ ウはこのあ と古 い挽歌 を歌 い出 し, 古 老 は 悠 依 したanltoが パ パ タ イ に住 む anttoのsakcheyであ ること,お よびオ ッチ ャ ス老 のam'toもまたsakcherの仲 間 に迎 え ら れた ことをムラ人 に告げた。 こうした問答 と 挽歌 の詠唱の うちに,サ イエ ウは しだいに静 かになった。 すで に述べ た ように,ボ ン トノク族 はムラ 空間 を同心 円状 に分類す る とともに, こうし た空 間区分 に応 じて,食物や料理法 を区別 し, 空間の移動,料理法,食物 の種類 な どについ て,厳密 な禁忌 を もってい る。 こうした文化 的な前提 を理解 しては じめて, このinkaLiの東南 アジア研究 24巻3号 意味が了解で きるのである。忌休 日に水 田の 食物 を捕食す ること,居住 区へ もち込 むこと などに対す る厳 しい禁忌が, この想霊 による 言葉のなかに明白に表出されている。 日常生 活では,た とえ病人がいて も水田で巻貝 をと ることは何 ら食欲 な行為 とはされない。食物 に関す る禁忌 は,儀礼 との関連でのみ顕在化 する。 ウェンニイの妻 は,ここ数 日,晦吐 ・下痢 ・ 発熱 などの症状 をみせてお り, このinkaLiを きくと,恐怖 のために蒼 白になった。しか し, ウェンニイがオ ッチ ャス老の行跡 に従い,ム ラの古老のひ とりとしてムラの伝統 に従 うこ とを誓い,その後