1. ユゴーと若きマラルメ 「彼の将来が大変心配です」(1)と父親が祖父に宛てて愚痴をこぼすように、青年ステファヌが最 初に親しんだのは父の望む古典主義の作品でもなく、またポーやボードレールでもなかった。ユ ゴーである。さらに、晩年に至るまで、ある意味では、ポーやボードレールに対してよりも熱心 に、マラルメはユゴーについて語った。アンリ・ルージョンも火曜会でのマラルメを「敬意を抱 きつつも、驚かされたのは、師がヴィクトル・ユゴーを賛美してやまないということであった」(2) と回想している。だからといって、頭と尻尾だけを捕らえて、象徴派の父がロマン派の父を終生 変わらず賛美していたと速断するつもりはない。人生の半ばにおいて具体的にはどうであったの か、オースティンが言うように、実際に「ユゴーに忠実」(3)であったのか、ひとまずユゴーとマラ ルメの関係を簡単に振り返っておこう。 実際のところ、青年の知るユゴーはフランスに不在の詩人であった。しかも、その亡命生活の 間に、詩壇には新たな潮流、『ノートルダム・ド・パリ』や『レ・ミゼラブル』などにおいて、醜 怪なものまでも徹底的に描いたロマン主義の父とは全く逆の「芸術のための芸術」を標榜する潮 流が起こっていた。テオフィル・ゴーチエ、テオドール・ド・バンヴィル、ルコント・ド・リー ルを中心とした高踏派がそれである。さらには演劇界ではロマン主義に替わりポンサールを代表 とする新古典主義の流れが起こっていた。とはいえ、この時期に『瞑想詩集』(1856 年)、『諸世紀 の伝説』第一巻(1859 年)、『レ・ミゼラブル』(1862 年)といったマラルメ自身も親しんだ代表作が 発表され、ユゴーを追放した第二帝政下で、ユゴーとは全く反対の詩壇、演劇界の流れが起こっ てもなお、若い世代を中心に、共和主義への憧れ、つまり政治的、思想的な欲求と相まって、忘 れ去られることはなかったのである。事実、ボードレールは、「既に何年もヴィクトル・ユゴーは 我々の間にはいない」(4)と思い起こし、ヴェルレーヌは「ユゴー、万歳!」(5)と変わらず憧憬し続 け、ヴィリエ・ド・リラダンは、いつの日にかユゴーに取って代わろうと(6)、若き野心をたぎらせ ていた。こうした中、最も高踏派らしい反応を示したのが、マラルメである。時には恋文にまで 『レ・ミゼラブル』の一節を引いた(7)こともあった若き詩人は、1864 年に発表された『ウイリア
ユゴーとマラルメの典型
福 山 智
ム・シェークスピア』(8)に強い拒絶反応を示す。 ――僕は、ヴィクトル・ユゴーの『ウイリアム・シェークスピア』という本に多いに期待していた。 それは衝撃ではあったが、それだけだ、明るい気分にはならなかった。素晴らしく彫琢されたページ もあるが、ひどいものがなんと沢山あることか!とりわけ次の恥ずべき章だ、「真実への美しき召使」。 ここに、他の不滅の恥知らずのうちでも、とりわけこういったものがあるのだ。「…公衆の不潔さを桶 から取り除くことだ、ポリュムニアよ、腕をまくり、この骨折り仕事をやることだ…いいだろう?」 腕のない幸せなミロのヴィーナスよ、このような冒涜がお前に向けられることなどありえなかっ た!それにどうして無意識の自然を〈芸術〉の永遠の手本とみなさなければならぬのか、そして海が 泡立つからといって「不潔たらん!」と言わねばならぬのか。これはとてもばかばかしいことではな いか。(9) 1864年と言えば 、マラルメが書くべき領土を模索し始めた時代に当たる。この異議申し立てに は、ボードレールに対してと同じく、ユゴーと「袂を分とう」とする駆け出し詩人の強い意志を見 ることができる。しかし、ある意味ではボードレールに対するよりも強烈で露骨なものでもあった。 若き詩人は、二ヶ月後になってもなお、同じ主張を繰り返す。 我ら一同の巨匠による『ウイリアム・シェークスピア』をどうお思いですか?大変美しいものもあ ります――しかし大変残念なところもあるのです。とりわけ、この章です、「真実への美しき召使」― ―芸術の有用性――といったものがそうなのです。(10) だがこういった態度はむしろ例外であり、この時期のユゴーはやはり第二帝政が崩壊するのを待 ち構えている燠火のようにも見えてくる。というのも、1870 年、ユゴーが二十年弱の亡命生活を 終えパリに帰還したとき、人々は歓喜を持って国民的英雄として迎え入れたからだ。ユゴーの再燃 である。演劇作品が立て続けに再演され、若き文学者が創設した《ラペル》誌にさかんに寄稿し始 めるのである。そして 1873 年、高踏派を代表する詩人テオフィル・ゴーチエの追悼詩集の冒頭を 飾るのは、他ならぬユゴーその人であった。 七十年代以降、パリで活動するマラルメ自身はユゴーに対していかなる思いを抱いていたのか? 少なくとも、資料をたどる限り、ユゴーの美学に対して「恥ずべき」と断罪した痕跡を認めること はできない。1872 年、自らユゴーの秘書に切符の手配を頼んだ上で『リュイ・ブラース』を観劇 しているし、マンデスとともに立案、設立した《国際詩人協会》を最終的に「巨匠」としてユゴー に取り仕切ってもらう旨をミストラルに漏らしている。ユゴー・ブームといった現象に批判的なと ころは認められないのだ。これはある意味で、ボードレールから離れ、七十年代になって再びボー ドレールを振り返る展開に似ていなくもない。つまり、「〈行動〉が〈夢〉の姉妹ではない」(11)と嘆 くボードレールを、夢の絶対視により一度は批判するマラルメが、六十七年にボードレールが亡く
なった折に、「ボードレールの後からはじめるのが恐ろしい」と漏らし、更には絶対の詩学に挫折し 「一介の文学者に戻る」と宣言して以降、コミューヌ直後のパリに単身乗り込み、批評文を立て続け に書き記し、《最新流行》において、モデルヌな文化、モードを描写するに至るのみならず、ボー ドレールがほとんど論じることができなかったマネを熱烈に擁護し、またボードレールが手をつけ なかったポーの韻文の翻訳を発表するという、いわばボードレールとのフーガを奏でるようなとで も言おうか、ともかくもボードレールへのこういった歩み寄りとユゴーへのそれは、まさしく一介 の文学者としての活動と軌を一にしていると見えなくもない。 また一方で、詩壇文壇全体に目を向けてみると、帰還後のユゴー・ブームという現象はどうやら 一過性のものではなかったようだ。アンリ・ルージョンはその回想録、『胸像の陳列室』において、 既に七十年代の半ばにさしかかったマンデス家での集いをこう振り返っている。「そこでは芸術の ことしか話さなかった。ユゴーとワグナーは我々の神であった」(12)と。神殺しを既に体験していた マラルメにとって、ユゴーに「神」という形容を与えるには無理があると思われるかもしれないが、 実際にはルージョンの証言とそれほど遠いところにはいない。やはり« le dieu Wagner »とドイツの 音楽家を称えたのと同じくユゴーに対しても、『芝居鉛筆書き』を締めくくる「祝祭」においてや はり「詩の神」(13)と賞賛している からだ。もちろん、血気盛んな若い文学者たちにとって、いま だ共和制が実際に確立されるか否かも予断の許されぬ状況にあって、共和主義のシンボルでもあっ たユゴーまでをもマラルメが共有できたかどうか疑わしいが、やはりユゴーが大きな存在であった ことに変わりはない。事実、この頃から再びユゴーへの言及が増えている。先に触れたように《国 際詩人協会》の計画だけに限ったことではない。1872 年にはブザンソンにあるユゴーの生家に記 念プレートを設置する計画があることを《ガゼット・ド・ラ・フランシュ=コンテ》誌で明らかに しているし、1875 年から 76 年にかけてアシニーアムに寄稿した《ゴシップ》と呼ばれる寸評でも しばしばこの「巨匠」に関する記事を見付けることができる。また、1876 年に《文芸共和国》誌 に発表された「スインバーンの悲劇『エレクテウス』」においては直接言及されるのみならず、「国 民的な魂」とまで暗示されてもいる(14)。さらには、マラルメは《最新流行》において、ある再版の 情報を熱心に記してもいるのだ。 追憶と花々によって喪に服す日々に今世紀の人となった天才が亡くなった親しき者たちを称えて捧 げし敬虔な供物とは、一冊の書物である!ヴィクトル・ユゴーがその二人の息子が共に眠るパリの墓 地に、分け隔てない、穏やかで、友愛に満ち、輝かしい幾ページかをもたらしたのだが、それは近々 再版される彼らの作品の序文として用いられることになっている。我らの新たな感動は、各々、まず もって一度ならずヴィクトル・ユゴーが語るのを聞いたということであるが、さらにはシャルル・ユ ゴーとフランソワ=ヴィクトル・ユゴーについて語るのを聞いたということでもある。ただ彼一人の み、全ての人々と違った風に、そして死によるのでもなく照らされたこれら二人の若者について、 我々が長い間彼らについてそっと思ったことを声高に述べる権利を有していたのだ。だがなお無意識 に人々は彼らのきらめきを父の輝かしさに混同していた。ところが、詩人がやって来て彼の栄光から
息子たちのものを切り離し、威厳もってこう言ったのだ、「いいや、こちらはシャルルの光、いいや、 あちらはフランソワ=ヴィクトルの輝き」と。(OC. II, P. 604.) フランソワ=ヴィクトルの再版とは、アルフォンス・ルメールからの『ウイリアム・シェークス ピア全集』のことを指すのであろう。しかし、初版でのヴィクトルによる序文がそのまま掲載され ただけで、新たに序文が付された形跡はない。一方、シャルルの再版は恐らく『流謫の人』であり、 確かに父ヴィクトルによる「我が息子たち」という序文が再版において付されている。これらの書 物に関しては《最新流行》において告知されている(15)。 この頃から、ユゴーの名が出てくるのはテクスト上のみのことではなくなって来る。マラルメは 実際にユゴー邸に招かれ、食事を共にすることもあり、しばしば引用されてきたが、「親愛なる印 象派詩人」(17)とも呼ばれ、先にも述べたように火曜会ではユゴーへの賞賛を口にし、さらに「詩の 危機」は、詩論として名高いものであるが、巨匠の死がマラルメにとっていかに大きなものである かという証言にもなっているのである。これがおおまかなユゴーとマラルメの関係である。 2. これまでの比較研究 ここまでの時系列を並べてみれば、マラルメがユゴーを批判したのはほんの一時期に過ぎないよ うに思われるが、果たしてそうなのだろうか?というのが本論の主眼である。 簡単に言えば、ユゴーとマラルメの比較であって、こういった研究に関しては、マラルメ研究の 大家、批評家が早くから注目し、ボードレールとの比較ほどではないにせよ、枚挙に暇がないと言 える分野である。主なものを振り返っておこう。 まず、アンドレ・フォンテナは、「花々」といったマラルメの初期詩篇にその影響を指摘するの みならず、最晩年の『骰子一擲』にまで反響を見出そうとしているし(17)、『マラルメの詩学』にお いて、既にマラルメの「現れ」とユゴーの「黄昏の歌」との類似を指摘していた(18)チボーデは、さ らに遡って、デビュー以前のノート《幽閉されて》に収められていた習作に着目し、ユゴーの影響 を「はしか」と評し、生涯通じての賞賛と影響関係は別だとして、ユゴーとマラルメの安易な比較 に警鐘を鳴らしている(19)。また、ヌーレは綿密に比較研究を行ったわけではないが、« ptyx »とい うフランス語には存在しない語を、ユゴーが既に「サチュロス」において固有名詞として用いてい ることを指摘し(20)、ジードは 1940 年の日記に『諸世紀の伝説』の一篇と「海辺の微風」との間に ほぼ同じ半句があることを書き留めている(21)。シェレールは、チボーデによるマラルメの「演説」 的文体はユゴー譲りであるという主張を敷衍し、初期の詩篇とユゴーの作品を比較している(22)。チ ボーデの「はしか」という主張の影響から、それ以降、こういった比較研究は基本的には初期詩篇 に限られたものであったが、後期韻文に属するワグナーへのオマージュ「頌」での「大黒柱」« le
principal pilier » にユゴーを見るボショの推察(23)に同意した上で、オースチンはこの件を綿密に考察 している(24)。 この後、再びユゴーとマラルメの比較が活発になってくる。エイダが、ユゴーの影響をマラルメ のテクスト全体に渡って考察し一冊の本としてまとめたからである(25)。これに関しては、行き過ぎ た議論と批判される向きもあったが、セリエはむしろその議論の「不足」を補う形で影響関係を 「話す死せる女」というテーマに引き付けて論じ、「マラルメとユゴーの詩学は相容れないものであ り、マラルメのそれはまさしく、凝縮と集中に基付いている。だが、しばしば、あたかもマラルメ のポエジーは凝縮されたユゴーのようにすべてが行われているのである」と結論付け、ユゴーとマ ラルメの比較を行っている(26)。この後も、フォンガロ(27)といった研究者がユゴーとマラルメの比較 を継続して行い、現在に至るまで多く見られる研究となっている。これらの意見の各々に説得力が あるかどうかは別にせよ、成果の上がった分野のひとつであるには違いない。しかしながら、これ らは主に、詩的イマージュの類似性の指摘や、韻文読解のひとつの要素としてユゴーを持ち出した ものであり、最近マルシャルが発表したもののように(28)、より審美的、思想的な見地からの研究 はまだまだ不足しているように思われる。 3. ユゴーとマラルメの典型、その類似点 こういった視点から、ここでは、「典型」« type »という語をユゴーと絡めて考察してみたい。と いうのも、マラルメが七十年代から盛んに使い始め、八十年代以降、主に演劇論等で更に深められ てゆくこの語について考えるとき、先にも触れたように若きマラルメが大いに批判した『ウイリア ム・シェークスピア』を読み返す価値があるように思われるのだ。この本においても、やはり「典 型」という概念が重要な要素として論じられているのである。もっとも、何らかの登場人物、とり わけハムレットといったものに「典型」を見るのは、「ヴィクトル・ユゴーの美学の大部分は〔中 略〕オリジナルではない」(30)と指摘されているように、やはりこれもユゴーのオリジナルと言うこ とができない。プラトン以来の伝統とさえ言えるのだが、とりわけ、まだ『リトレ』にも『十九世 紀ラルース』にも「ティポロジー」という語が掲載されていないにせよ、「典型」を探し求める風 潮はこの時期にしばしば見られることであるということを、ラクー=ラバルトはワグナーとマラル メを比較した論考『虚構の音楽』において指摘しているし(30)、マラルメに近いところで探しても、 ユゴーの著作をしばしば論じていたエミール・モンテギュが既に「文学における現代の諸典型、ハ ムレット」(31)という記事を 1852 年に『両世界評論』誌に発表している。もちろん、マラルメに 「詩人はまずもって批評家であるべきだ」という、ある種の啓示を与えた人物であることを思えば、 モンテギュとの比較も興味をそそられる問題かもしれないが、ユゴーの言う「典型」と比較するこ とによってマラルメの独自性がより明確に浮かび上がってくるであろうし、また「詩の危機」にお
いてユゴーを「壮麗な無自覚な思想の神」(32)と呼んだ意味、マラルメを読む者にとっては明らかに 両義的なニュアンスが感じられるこの形容について考えを深める機会となるであろう。つまり、若 年期のユゴーへの批判にも触れないまま、さらには「無自覚な思想の神」という両義性にもかかわ らず、生涯を通じてユゴーを賞賛したという結論でかたをつけてしまっていいのか、ワグナーに対 するマラルメのようにあの複雑な賞賛にも似た評価をユゴーに読み取ってもいいのではないか、と いう疑問解決へのひとつの試みなのである。もちろん、熱心に読んだからといっても、それはマラ ルメがまだ若い六十年代の話であり、結局のところ、『ウイリアム・シェークスピア』を意識して なのか単なるレミニッサンスなのか、断定することはできないのだが、それでもなお、後で見るよ うに、後期マラルメの主要概念となるはずの「典型」の理解を深めるためには有意義な議論である ことがお分かりいただけるかと思う。 マラルメの「典型」について述べる前に、まずは、ユゴーの『ウイリアム・シェークスピア』の 出版経緯について簡単に振り返っておく。初版は 1864 年であり、マラルメはこれを読んだことに なる。先に触れたが、元来、この書物は息子フランソワ=ヴィクトルによる『シェークスピア全集』 への序文となるはずであった。しかし序文としては膨大に過ぎ、別途一冊の本として出版されたも のである。決定版として出版されたのが 1882 年で、現在出回っているのはほとんどこれを底本に しているが、初版を底本にしているのが、フラマリオン版の『ウイリアム・シェークスピア』であ る。従って引用はここから行っている。 この『ウイリアム・シェークスピア』で「典型」という語が集中的に記されているのが、「第二 部、巻二、シェークスピア――その作品、最高峰」においてである。例えば、ユゴーはこう定義し てみせる。 神による直接の創造からアダムが出てくる、祖型である。神による間接の創造から、つまり人間に よる創造から、他のアダムが出てくる、典型である。 一個の典型は個々の人間を復元しているのではない。まさにいかなる個人にも重ねられないのだ。 それは人間の形の元、性格や精神の類すべてを要約、集約しているのである。典型は縮約しない、凝 縮するのである。それは一人ではなく、万人なのである。(W., p. 209.) ユゴーはこの定義を展開して、シェークスピアのハムレットに典型という言葉を当てはめるのだ が、詳しくは後に述べるとして、ここではひとまず、この定義を意識しつつ、マラルメの「典型」 を振り返ってみよう。最近、発見された「ロンドン博覧会の回想」(1872 年)においても既にこの 語は見られる。 〈現在〉――すなわちそれは全て、古来はるか遠くの諸典型の、正確で安上がりな通俗化という手 順の探求の中にある。このことは現代科学の発明のおかげである。(OC. II, p. 391.)
過去の「典型」を分かりよい形にするというところに〈現在〉というものがあるとこの一節は伝 えている。「(古い精神)は〈知性〉となるが、何よりもまずこの知性は〈現在〉に向かうことにな る」(33)と 1869 年から 70 年にかけて、言語学の論文のために記されたメモを思い起こせば、そして この言語学の影には神話学も隠れていたことを思い起こせば、マラルメの言う「古来はるか遠くの 諸典型」とは主に神話の登場人物であり、まさしく当時としては「現代科学」であった太陽神話に よって、現在と過去を結び付けようとする「手順の探求」が可能となったと言うのは、いかにもこ の時期のマラルメらしい着想であり、興味を引く一文ではある。しかしここでは「典型」という語 に限って話を進めておこう。神話上の人物を「典型」と称している例が、同じ年に発表された「レ オン・ディエルクスの詩作品」において見出すことができる。すなわち、「アダム、ジュバル、ラ ザロといった偉大なる典型」(34)といった表現がそれである。アダムを「典型」とみなすユゴーとの 一致が多少目を引くところであるが、これら二つの例だけでは、神話の人物に対する、ごく一般的 な言い換えだともむろん考えられる。むしろここで重要なのは、「いかなる個人にも重ねられな い」、「典型は縮約しない、凝縮するのである」と規定するユゴーと同じく、マラルメは、「瑣末な 世間から引き出された人物は規模の小さいものとなり、凡庸な興味しか掻き立てない」として、 「アダム、ジュバル、ラザロといった偉大なる典型」を描くべきと立場を同じくしているというこ とである。もっとも、見方を変えれば、神話の人物を「典型」と称し、それを描くことをよしとす る態度は、早くから非人称の美学を追求していたマラルメの一変奏に過ぎず、ユゴーとの類似は単 なる偶然であると見ることもできるが、少なくとも、ユゴーとマラルメの美学が同じ方向性にある ということは、上の引用だけでも確認できるであろう。 さらに年代の近い文章を探せば、ウイリアム・ベックフォードの『ヴァテック』への序文におい ても、「先ほど触れた典型への多大な努力の欠如はこれら百ページほどのものを読んでいる際に気 になることはない」(35)といった一文があり、『ヴァテック』を評価する理由のひとつが「典型への 多大な努力」であることが伺えるが、ここでは 1876 年に発表された「印象派の画家たちとエドゥア ール・マネ氏」における「典型」について詳しく見てみよう。これは原稿が散逸したままで、英語 訳しか残されていないとはいえ、「典型」という語が幾度か現れ、しかもそれがマネを擁護する理論 的支柱としてより重要度を増したものとなっているが、ユゴーとマラルメの「典型」に、やはり大 きな隔たりを見ることはできない。まずは、画家マネの意図を「個性よりも典型を目指すこと」(36)と 分析して見せるマラルメは、やはり、「一ではない全て」である典型を目指すユゴーと立場を同じ くしていると指摘できるであろうし、ユゴーが「典型は現実の理想」(37)と一言で定義してみせれば、 他方でマラルメは「理想化された典型」(38)と言うのである。さらにまた「典型」が帯びる性質まで 大きく異なることはない。 彼が我々に与えてくれた、引き付けられつつも同時に嫌悪も催させる、奇抜で斬新な諸典型は我々の
取り巻く生活に呼び出されていたのである。これら典型がいかに奇妙であれ、ここには、ぼんやりと したものや漠としたもの、因習的なもの、廃れたものは何もないのだ。(OC. II, p. 451.) マラルメはマネが描き出す典型をこう言うのだが、これはユゴーの「典型の奇妙なる生」(39)とい う表現と決して遠くはない。この時期までの「典型」という語を追ってみれば、単純に神話の登場 人物への形容として、またマネの作品や『ヴァテック』への単なる適用としての側面が強いと言え よう。応用ではなく、適用なのである。意図したものであれ、単なるレミニッサンスであれ、悪く 言えばユゴーの理論の二番煎じだ。とはいえ、ここでは、「典型」がマラルメにとっても創作上の 重要な起点となっていることだけは確認できたかと思う。 八十年代に入ってもなお、評価基準として「典型」を持ち出している文章を見付けることができ る。つまり「典型」の適用である。ポーの「ユラリューム」に対して(40)、またテニソンに対して(41) 用いられる他に、写実主義の劇作家で友人でもあったベックの作品をこう賞賛している。 ひとつの主張が歪曲したり、着色石版刷りにまでなりさがったままの演劇のすべてとは反対である、 この優れて劇作家である人は〔中略〕調和として諸典型とアクションを対照させているのである。(42) さらに特筆に価するユゴーとマラルメの類似はハムレットに対してである。ユゴーはこう言う。 我々が今述べたように、非凡な二人のアダムとは、アイスキュロスの人間、プロメテウス、そして シェークスピアの人間、ハムレットである。 プロメテウス、それは行動である。ハムレット、それは躊躇である。 プロメテウスにおいて障壁は外的であるが、ハムレットにおいては、それは内的である。(W., p. 212.) 先の引用で見たように、アダムが典型であることを知れば、ユゴーにとってシェークスピアの典 型とはハムレットであったと換言できる。しかも「非凡な」典型なのである。これに関しても一見 すると、マラルメは「ハムレットという例外的な典型」(43)と述べており、同じ立場にあるように見 える。 4. ユゴーとマラルメの典型、その相違点 しかし一方で、八十年代以降、本格的に演劇論を展開するようになると、「典型」は理想の演劇 を語る上で要石のごとき様相を呈してくる。ワグナー論を皮切りに立て続けに演劇論を発表するに 従い、マラルメの「典型」は新たな相貌を見せるようになる。「典型」の応用が始まるのだ。「私自
身の思想の構築に十年を下らぬ歳月を費やした」(44)と 1883 年、ヴェルレーヌに宛ててこうもらし ているが、それを実行するかのように、マラルメの「典型」は独自色を強めることになる。 八十年代に入って最初の本格的な批評文「リヒャルト・ワグナー、一フランス詩人の夢想」にお いて、既に一種異様な「典型」に出会うことができる。 前以ての名称なき〈典型〉(OC. II, p. 157.) 演劇の理想論、マラルメ風に言えば、未来の演劇を夢想するにあたって、述べられる〈典型〉。 この〈典型〉は単数であり、しかも無冠詞である。もちろん文章として成立していない箇所である から、無冠詞でもあり得るとは言え、恐らくそうであるまい。かつて無冠詞で大文字であった〈神〉 をも思わせる存在であることがこの前後を読めばはっきりする。 固定したものでも、数世紀来のものでも、周知のものでもなく、個人性から解放されたひとりだ。 というのもそれは我々の多様な様相を構成するからだ。それを〔中略〕〈芸術〉が喚起し、我々のうち に照らし出すのである。前以ての名称なき〈典型〉だ、そして驚嘆が発散する。その仕草は我らの場 所や楽園といった夢を自己に向かって要約する。古代の舞台が含み込んだり描いたりしてやろうとい う空しい思い上がりとともに闇に放り込んだ夢を。彼は、誰かなのか!どこかの舞台でもないのだ。 〔中略〕象徴の開花やその準備という精神的な事象が展開するために、群集の眼差しによって射られる 虚焦点の他の場を必要としているのだろうか!〈至聖所〉、しかし心的なものだが..そのとき、ここに 至るは、何か至高の稲光の中、そこから〈何者でもない形象〉が目覚め、交響楽に含まれるリズムに 合わせて取る所作の姿態それぞれであり、しかもそのリズムを解き放つのである!〔中略〕 〈人類〉、次いでその正当なこの世の住み処が互いに証明を交わすのである。 かかるものが〈神秘劇〉。(OC. II, p. 157-158.) 〈人類〉という名の〈典型〉である。抽象化された人類の似姿と言ってもいいであろう。この 〈典型〉は実際、性さえ剥奪されている。〈形象〉« la Figure »と女性名詞に言い換えられることに よって。しかもそれは、「個人性から解放された」〈何者でもない〉何かだ。このくだりは、ワグナ ー芸術への対抗案として示されたものである。つまり「人物のいるドラマと観念的な音楽」を妥協 によって結びつけたワグナー芸術、「源泉までではない」焼きの入れなおしを行う、つまりは〈伝 説〉止まりのワグナー芸術に対して提示されたものである。源泉まで遡る、妥協によってではない 理想的な婚姻のために、〈典型〉が必要となるというのは、ラクー=ラバルトが既に指摘するとこ ろであるが(45)、これは、実のところ、マラルメにとってのもうひとりの神、『諸世紀の伝説』の詩
人、ユゴーに対しても当てはまることではないだろうか? もう一度、ユゴーとの比較に戻ろう。もはやここに来て、ユゴーの〈典型〉との乖離は決定的で ある。ユゴーの場合、「単に抽象でしかなければ、人はそれ[典型]を認識しない」(46)(括弧内は 筆者)のであり、抽象化はどちらかというと避けるべきものであった。しかし、マラルメにとって は望まれることであったのだ。 思えば、フランス悲劇の要約的な襞に横たわる意図はその白い灰の中で古代を蘇生させることではな く、無の、もしくはそれに近い場所で人間の偉大な姿態そして我らの心的な造型のごときものを生み 出すことであった。 例えばデカルトのような内的操作に等しい彫像術、そして登場人物との統一を持った当時の意義あ る舞台が、舞台と哲学を結び付けつつそれを利用しなかったならば、非難さるべきは、抽象的典型を 活き活きとさせるのに向いた議論好きで中立的なその性質であるにもかかわらず、創意工夫をさせな い一時代の周知の博学趣味である。(47) 古代の再現という「博学趣味」ではなく、「我らの心的な造型のごときもの」すなわち「抽象的 典型」が求められているのである。マラルメは伝説や神話の類で留まるわけにはいかないのだ。 一方、ユゴーの「典型」に目を移せば、そもそも、マラルメにとってユゴーの論には、「素晴ら しく彫琢された」部分と、「他の不滅の恥知らず」とまでは言わないまでも、決して相容れない部 分があったことには違いない。ユゴーはこう定義してもいるからだ。 典型は神に定められた事例であり、天才がこれを実現するのだ。どうやら神は、信心してもらおう と人から人へ教えを伝えさせることの方がお好みのようだ。(W., p. 211.) つきつめれば、これは批評を認めないという態度にもつながる。徹底的な運命論的、決定論的 態度だ。「典型」は神の息吹なのである。従って、神に選ばれし者による「典型」が「そうと意識 することなく」作り出されたとて、何の不思議もない。 高利貸しを一人一人取り上げてみよ、彼らのうちのいかなるものも、〔中略〕かの業突く張りなヴェ ニスの商人ではないのだ。高利貸しを一塊で取り上げてみよ、その群れから出てくるのが、ひとつの 全体、シャイロックだ。高利貸しを合計すれば、それがシャイロックだ。間違えることのない人々の メタファーが、そうと意識することなく、詩人の創意を確たるものにするのだ。シェークスピアがシ ャイロックを作るうちに、その創意が業突くを創造するのである。(W., p. 210.) ユゴーにとって「典型」のはじまりは神なのである。「典型」は神の似姿の粋だと言ってもいい
であろう。しかしマラルメには神はいない。少なくともキリスト教的な、大文字で綴られ、さらに は無冠詞の神を既に六十年代に殺してしまっている。神が人間を作ったのではなく、人間が神をで っち上げたのだとマラルメは喝破した。神なき世界には虚無が広がったが、しかしながら、まった く何も存在しなかったわけではない。神をでっちあげるほどの何かがある。時に神秘、また時に神 性(48)と呼ばれ、後には大文字の〈自己〉へと発展する、具象的ではない、内在的な何かがあるのだ。 この欠如から人々を救済するためには、少なくともマラルメにとって、詩以外に方途はないのであ る。 貴殿〔ディエルクス〕の精神からこれらの行〔ディエルクスの詩集〕において現れたかもしれぬもの に魅了された人のひとりならずが、貴殿がとりわけ表現する領土において、漂っているそれ自身の本 質を形作る同時代の夢想を認めてくれるとは断言できない。お馴染みの選民、つまり詩人のことばに しがみつかない、物言わぬ魂、それが神にその憧憬の無力全体を捧げるのでなければ、取り返しよう もなく〈虚無〉に運命付けられているのである。(OC. II, p. 409.)(括弧は筆者による) 一言で言えば神か詩かである。神なき我々の手で我々自身のイマージュを創造しなければならな いのである。いや、イマージュというのは不正確だ。「漂っている」のだから。姿なき似姿とでも 言おうか。少なくとも、晩年に「神的な現存」(49)とメモを取ることになるものは、「〈自己〉に他な らぬ〈神性〉」(50)と言われるように、我々の中に潜在していると、この時期には既にマラルメの意 識にある程度あったのであろう。人々とともにこの境地に至るためにマラルメは「典型」を語り続 けるのだ。同じディエルクス論の中で、はっきりと「アダム、ラザロ、ジュバルといった典型」の 有効性を認めているのを思い起こしてもよい。また七十年代唯一の散文詩「見世物中断」において も、マラルメにとって精神の色である銀色で、しかもほとんど裸形の道化をイタリック体で強調し つつ《我らのイマージュ》と呼んでいる。戯画化された「アネクドット」とはいえ、《我らのイマ ージュ》をまず最初に味わうべきだったのに、と言うのだ(51)。 ユゴーの「典型」は神の姿を借りた神の喚起者であったが、マラルメのそれは先のワグナー論で 言われたように「我ら」すなわち人類の「夢」を喚起するもの、あの〈神秘〉の劇を演ずる者とい うことである。これは「ハムレット」を見れば、より明白であろう。この件に関してはフィッシャ ーが明快に分析しているが(52)、ハムレットはマラルメにとって「半ば抽象化の入り混じった想像上 の英雄」(53)であり、「現れるという苦しみの元でもがいている」(54)という非肉体的な要素を持った 人物であり、「なることのあたわぬ潜在的なる君主」(55)であり、…と引用を重ねる続けることがで きるのだが、『ハムレット』そのものを「他の演劇の祖形として、我らの精神にある唯一の演劇に のっとってかくも見事に作り上げられている」(56)と評している。これゆえに「例外的な典型」と称 されるのである。先に、ユゴーとマラルメのハムレットに対する「典型」は、一見すると類似して いると述べたが、ユゴーが「非凡なアダム」と呼んだ意味での「例外的な典型」ではないのはもは
や明らかである。ユゴーにはあり得るはずもない、マラルメ独自の観念的な〈典型〉、〈何者でもな い形象〉へと向かう存在としての「例外的な典型」なのである。最晩年に「ハムレット」を要約し て、マラルメはこう記す。 彼〔ハムレット〕に近付けば、各人消え去り、押し潰され、消滅するのである。この戯曲は、演劇の 最高峰であり、シェークスピアの作品における、多様な古い劇行為と〈モノローグ〉、すなわち未来の、 〈自己〉とともにある劇との間の過渡的なものである。(OC. II, P. 275.)(括弧内は筆者) 従来の演劇と〈自己〉の演劇との間にあるのが『ハムレット』だと言う。それではその行き着く 先、つまり「未来の劇」をマラルメはどのように夢想しているのか? 九十年代に入り、「限定された行動」において「現在の不在」に対する失望を表明した時期に一 致するのは偶然なのであろうか?ともかく〈典型〉は、時を経て、未来の祝祭を描いた「カトリシ スム」において、「ワグナー論」で見たような、理想的な夢の、精神の風景を喚起する者とは異な る役を担うことになる。より暗く、虚無の喚起者としての〈典型〉である。 どこかの円形劇場に、人類の無限の翼さながらに、大衆が殺到するのだが、突然の深淵を前にして 怯えるのだ、この深淵をなすは神、人間――すなわち〈典型〉。(OC. II, p. 240.) もはや神と人間は同列である。そして、一言で換言される。再び、ワグナー論で見た無冠詞単数 大文字の〈典型〉である。「我らの夢」を要約する〈典型〉と「深淵」をなす〈典型〉は一見すれ ば異なるものであるが、人間の神秘を示す者としての役割は同じである。ユゴーにとって神の似姿 の結晶であるのと同じく、マラルメにとって神や伝説よりもさらに「源泉」にある人間の神秘の似 姿なのである。これを示すということは、不在を在化することに他ならない。すなわち〈典型〉に はあの不可能性が色濃く刻印されているということである。故に、〈典型〉は、より先鋭化し「目 に見えぬこと」(57)と構想され、「深淵」に同一化するように姿を消すということになる。 ユゴーはと言えば、神に至れば満足なのだ。それは、少なくとも意識的には、決して神を超えて 抽象的な「源泉にまで至ってはいない」のである。神の息吹のおかげで創造することができるとい う無意識性、神の下に人間があるというヒエラルキー、これはマラルメとは相容れない態度であろ う。神をひとたび否定して、さらに「源泉」へ、神性を潜在的に持っている精神へと至らなければ ならないのである。もはやそこには意識による言葉しかない。マラルメの〈典型〉は、ユゴーの言 葉の裏をとれば、「それと意識することによって作り出すもの」ということになる。ユゴーは「典 型」を「神に定められた事例」と言うが、マラルメは動作主を明記せず「想定される典型」(58)と言 う。まずもって、神がいるのではなく、我々がいるのである。また「前以て呼称をもたない〈典型〉」 と言う。まさしく、手付かずの〈典型〉である。マラルメの理想の〈典型〉は、大文字の〈神〉で
はなく、先の「ハムレット」の引用で見たように、またワグナー論においても「我らの夢を自己に 向かって要約する」と言うように、絶えず〈自己〉へと向かうことになる。だからこそ、マラルメ は変わらぬ敬意を抱きながらもユゴーをこう評するのである。「無自覚な思想の神」と。 思うに、詩句が敬意を抱きつつも待っていたのは、鍛鉄工の如き頑健で絶えずさらなる堅固な手で詩 句を同一化した巨人がなくなるようになればということであったのだ。詩句が砕けるように。(OC. II, p. 205.) ひとりの神が死に、マラルメは、詩の危機を認めつつも、奇妙な期待を表明するのだ。神が死に 虚無が広がると同時に精神という新しい、しかし苛烈な領土を発見した、あの六十年代にも似てい なくもない。つまり、これは無自覚な詩の神が死に、一旦「詩句が砕ける」ことにより、詩の自意 識が目覚めることへの期待の表明なのである。 註
(1) De Numa Mallarmé à M. Desmolins (Mai 1859), D S M. V, p.322.
なお、前以て略号の説明を付記しておく。D S M. V : Documents Stéphane Mallarmé V, Nizet, 1976. Corr.
II : Correspondance II, recueillie, classée et annotée par Henri Mondor et Lloyd James Austin, Gallimard, nrf,
1965. Corr. : Correspondance, lettres sur la poésie, préface d’Yves Bonnefoy, édition de Bertrand Marchal, Gallimard, Folio classique, 1995. OC. I, II : Œuvres complètes I, II, édition présentée, établie et annotée par Bertrand Marchal, Bibliothèque Pléiade, 1998, 2003. W. : Victor Hugo, William Shakespeare, GF Flammarion, 2003.
また引用は著者自身の訳によるものであることをお断りしておく。訳出に当たっては、『マラルメ全集
II-IV』、筑摩書房、1989 年、1998 年、1991 年を参考にした。
(2) Henri Roujon, La Galerie des bustes, Librairie Hachette, 1909, p. 47. (3) Corr. II, p. 38.
(4) Charles Baudelaire, Œuvres complètes II, texte établi, présenté et annoté par Claude Pichois, Bibliothèque Pléiade, 1976, p. 129.
(5) Paul Verlaine, Œuvres en prose complètes, texte établi, présenté et annoté par Jacques Borel, Bibliothèque Pléiade, 1972, p. 624.
(6) Alan Raitt, Villiers de l’Isle-Adam, exorcise du réel, José Corti, 1987, p. 28.
(7) « Quand vous m’évitiez tout à l’heure dans la rue, je lisais ces mots, dans l’œuvre nouvelle d’Hugo : « Vous qui souffrez parce que vous aimez, aimez plus encore… » » (Les Misérables, IV, V, 4, « Un cœur sous une pierre »),
Corr., p. 70.
(8) Victor Hugo, William Shakespeare, Bruxelles, A. Lacroix, Verboeckhoven & Cie, 1864.
が掲載されている(« Le Beau serviteur du vrai », La Revue nouvelle, no2, 15 avril 1864, p. 369-374.) 。これは
『ウイリアム・シェークスピア』では「第二部、巻六、真実への美しき召使、V」(W., p. 285-290.)に収 められている。
(9) A Henri Cazalis du 25 avril 1864, Corr., p. 178. (10) A Armand Renaud du 27 juin 1864, Corr., p. 185.
(11) Charles Baudelaire, Œuvres complètes I, texte établi, présenté et annoté par Claude Pichois, Bibliothèque Pléiade, p. 122.
(12) Henri Roujon, op. cit., p.3. (13) OC. II, p. 199.
(14) OC. II, p. 441.
(15) 先の引用(第六号)に加えて、《最新流行》第二号において兄弟の本がともに、また第八号ではシャ
ルル・フランソワの『シェークスピア全集』のみが再び告知されている。
(16) Henri Mondor, Vie de Mallarmé, édition complète en un volume, Gallimard, nrf, 1941, p. 111. (17) André Fontainas, « Mallarmé et Victor Hugo » , Mercure de France, n。 15, août 1933, p. 63-78. (18) Albert Thibaudet, La Poésie de Stéphane Mallarmé, Gallimard, nrf, 1926, p. 165.
(19) Albert Thibaudet, « A l’ombre des « Contemplations » : Baudelaire et Mallarmé », Nouvelle Revue française, n。 40, 1933, p. 865-880.
(20) Emilie Noulet, L’Œuvre poétique de Stéphane Mallarmé, Genève, Droz, 1940, p. 454.
だからといって、ヌーレ自身も認める通り、「-yx のソネ」を読むにはユゴーが重要な位置を占めてい
るとは言い難いということをお断りしておく。 « ptyx »に関しては、本論から大きく外れるので詳し くは述べないが、最近、この最も謎めいた語を巡って、文字通り批評的でもありエッセー風でもある といった形を取りつつも、興味深い冊子が出版されたことを付言しておく。Cf. Yves Bonnefoy, La
Hantise du ptyx, un essai de critique en rêve, William Blake & Co., 2003. ここでもヌーレの指摘が仄めかさ れている箇所がある。
(21) « Il ressemblait au lys que sa blancheur défend » (La Légende des siècles, VI, I, « Le Pont »), « Ni le vide papier que la blancheur défend. » ( « Brise marine »), André Gide, Journal 1939-1949, souvenirs, Bibliothèque Pléiade, 1954, p. 14.
(22) Jaques Scherer, L’Expression littéraire dans l’œuvre de Mallarmé, A. G. Nizet, 1947. (23) Adolphe Bochot, Chez nos poètes, Plon, 1925, p. 89-90.
(24) Lloyd James Austin, « « Le principal pilier » : Mallarmé, Victor Hugo et Richard Wagner », Revue d’histoire
littéraire française, avril-juin 1951, p. 154-180. なおこの論考は、オースチンのマラルメ論集に収められて いる。Lloyd James Austin, Essais sur Mallarmé, edited by Malcolm Bowie, Manchester University Press, 1995,
p. 36-65.
(25) Adile Ayda, L’Influence de Victor Hugo sur Stéphane Mallarmé, Istanbul, Dialogues, 1953.
(26) Léon Cellier, « Ecrit sur un exemplaire des Contemplations », Mallarmé et la morte qui parle, PUF, 1959, p. 41-61.
(27) Antoine Fongaro, « Mallarmé et Victor Hugo », Revues des sciences humaines, n。 117-120, 1965, p. 515-527.
1998, p. 121-128.
(29) Jacques Seebacher, Victor Hugo, ou le Calcul des profondeurs, PUF, 1993, p.27. (30) Philippe Lacoue-Labarthe, Musica ficta (Figures de Wagner), C. Bourgois, 1991.
この本において「典型」が論じられているということを立花史氏に教わった。この場を借りて謝意を 申し上げておく。なお、この『虚構の音楽』ではワグナーとマラルメの比較が中心となっているが、 「存在的類型論」について詳しくは次を参照のこと。Philippe Lacoue-Labarthe, « Typographies », Mimesis
des articulations, Aubier-Flammarion, coll. La Philosophe en effet, 1975, Le Sujet de la philosophie : typographies I, Aubier-Flammarion, coll. La Philosophe en effet, 1979.
(31) Emile Montégut, « Types modernes en littérature, Hamlet », Revue des deux mondes, mars-avril, 1856, p. 657-674. (32) OC. II, p. 205. (33) OC. I, p. 504. (34) OC. II, p. 408. (35) OC. II, p. 5-6. (36) OC. II, p. 452. (37) W., p. 211. (38) OC. II, p.469. (39) W., p. 210. (40) OC. II, p. 778. (41) OC. II, p. 139.
(42) « Le Genre ou des modernes », OC. II, p. 183. (43) OC. II, p. 168.
(44) Corr., p. 567.
(45) Philippe Lacoue-Labarthe, op. cit., p. 128. (46) W., p. 210.
(47) « Le Genre ou des modernes », OC. II, p. 186.
(48)「神性」については次の論考を参照のこと。Nobuo Takeuchi, « De la notion de divinité chez Mallarmé–
Un essai d’approche de la pensée mallarméenne », Etudes de langue et littérature françaises(Tokyo), n。 32, 1978, p. 46- 77.
(49) OC. I, p. 565.
(50) « Catholicisme », OC. II, p. 238. (51) OC. II, p. 95.
(52) Dominique D. Fisher, « L’Hamlet de Mallarmé : le personnage emblématique et la déchirure de l’espace »,
The French Review : Journal of the American Association of Teachers of French(New York), Vol. 62, No 5,
April 1989, p. 774-782. (53) OC. II, p. 168. (54) OC. II, p. 166.
(55) OC. II, p. 167.(強調はマラルメ。)
(57) « De même », OC. II, p. 244. (58) « Crise de vers », OC. II, p. 211.