Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
Tatsuya Sh
imono
下野竜也と「?」「…」「!」
文 沼野雄司今月のマエストロ
下野竜也
徒》を 20 世紀のカレル・フサの曲と 並べてしまう。「…大胆だな…」と いう戸惑いと感心。 その後も、19 世紀のドイツ音楽 をラインベルガーの《オルガン協奏 曲》とラフの《交響曲第 5 番》なん ていう珍しい曲で描き出したかと思 えば、19 世紀末の爛熟した香りを フンパーディンクやプフィッツナー というラインナップで客席に伝えよ うとする。なにしろ後者は N 響定 期初登場の際のプログラムなのだか ら、いい度胸だ(2007 年 12 月 B 定 期)。「こんなことを考える人も珍し い……」。 そういえば東京都交響楽団とのオ ール・リムスキー・コルサコフ・プロ グラムでは、なんと、あえて代表曲 の《シェエラザード》を外してしま った(「集客は大丈夫なのだろうか ……」)。一方で日本フィルハーモニ ー交響楽団が長きにわたって委嘱 した邦人作品を集めた「日フィル・ シリーズ」特別演奏会では、戸田邦 雄や山本直純のレアな楽曲を掘り起 こしてみせる(「わざわざこれを選 ぶとは……」)。さらに同じく昨年の 東京シティ・フィルハーモニック管 弦楽団との演奏会も実に奇天烈な選 曲だった。ハイドンとモーツァルト の《交響曲第 28 番》に、シェーン ベルクの《ピアノ協奏曲》とベルク の《ルル組曲》を挟み込むというも の。つまりは新旧ウィーン楽派の共 演ということになる(「ずいぶん凝 っているな……」)。 「?」から「…」へ 下野竜也という指揮者の最初の印 象は「?」である。 まずはブザンソンのコンクールで 優勝した時。鹿児島大学出身という 珍しい経歴にまずは「え?」と思っ た(もちろん、その後に桐朋学園大 学の指揮教室に学んでいるとはい え)。そして 2006 年に若くして読売 日本交響楽団の「正指揮者」という ポストを射止めた時には「ほう?」 と感じた記憶がある。さらにはいつ もニコニコと柔和な顔をしながらも、 セミナーなどでは、相当に辛辣な言 葉を使って学生たちを「鍛える」様 子を聞いて「へえ?」と思わされた のだった。つまり、まだその頃には 下野竜也という個性がどのような拠 り所を持っているのかがよく分から ず、なんだかピッタリした像を結ば なかったというわけである。 しかし、次第に、下野の印象は 「…」へと移行していった。 何よりもそのプログラムのユニー クさ。そもそも読響の正指揮者就任 第 1 回目の演奏会からして、アメリ カの現代作曲家ジョン・コリリャー ノの《交響曲第 1 番》をメインに据 えた上で、その第 3 楽章がシャコン ヌの形式をとっているという理由で、 齋藤秀雄編のバッハ《シャコンヌ》 を曲目に入れてしまう。あるいは同 じく読響とのドヴォルザーク・シリ ーズでは、自筆譜の検討まで含めて 周到な準備を行いながら、《フス教 今 月 の マ エ ス ト ロ 下 野 竜 也
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3 ういう風に聴かせたい!」という強 烈なメッセージがほとばしっている。 その鮮やかな手腕には、「まったく 爽快だ!」と拍手を送りたくなるよ うな迫力と、そして「実に見事!」 とため息をついてしまうような繊細 さがある。 タクトの技術という面でいえば、 変拍子と個性的なオーケストレーシ ョンに満ちた難解なスコアをすっき りと整理した、アリベルト・ライマ ンの現代オペラ《メデア》(東京二 期会)は、昨年の白眉だった。オペ ラという、文字通り八面六臂で様々 な指示を出さねばならない状況の中 でも、この指揮者は決してひるむこ となく、いつものように淡々と仕事 をこなしてしまう。あれだけわかり やすい棒で振られたら、オーケスト ラも余裕をもって各自の仕事がこな せるに違いない。 そしてもう一つ、今年に入ってか らの仕事で印象に残っているのはヴ ィオラの今井信子の 70 歳記念コン サートでの、都響との共演。ここで の下野は、「記念」という場を考え てあくまでも黒子に徹しながらも、 しかし今井の繊細な表現にぴったり と寄り添い、そこに柔らかく拮抗す るという手練れの技を見せた。これ を聴いたとき、彼が単に技術だけで 押すようなやり方とは異なる次元に 到達していることを実感したのだっ た。 近年、下野の海外の仕事で目立つ のは、シリーズで録音が出ているチ そして「!」へ こうした、ある意味ではマニアッ クともいえる選曲は、ややもすれば 頭でっかちな印象も与える気もする のだが、しかし彼の演奏会の満足度 が高いのは、何よりも正確無比な棒 と強い意志の力があるからだ。筆者 の場合、下野竜也との出会いの時点 での「?」は、その個性を徐々に知 る内に「…」へと移行し、さらには その実力にすっかり得心した時点で、 驚きの感嘆符「!」に変貌していっ たのだった。 そもそも、21 世紀の音楽状況の 中で、カリスマ的な指揮者は徐々に 居場所がなくなってきている。トス カニーニやフルトヴェングラーの時 代とは異なり、現在は指揮者が頭ご なしに楽員に解釈を押し付けるよう な雰囲気ではない。むしろオーケ ストラの楽員と協力しあいながら、 「民主的」に音楽を作り出す共同作 業者としての指揮者が、おそらくは 求められている。もちろんこれは悪 いことではないだろう。しかし一方 で、指揮者というのは舞台上でただ ひとり音を出さない特殊な職業であ って、最終的には奏者と並列に語る ことなどできない。こうした中にあ って、下野は断固としてカリスマで あろうとしているように見える。 もちろん、彼が独裁者というわけ では、決してない。しかし、下野竜 也のプログラミング、そして何より その棒さばきからは、「この曲をこ
客演を精力的にこなすなか、2006 年からは読売日本交響楽団の正指揮 者、2013 年 4 月より首席客演指揮 者に就任。ドヴォルザーク交響曲全 曲シリーズなどで高い評価を得ると ともに、様々な演奏会における知的 な曲目選択で、クラシック・ファン に新鮮な驚きを与えることになった。 N 響定期には 2007 年に初出演。ま た、現代音楽の演奏にも積極的で、 数々の初演をこなすとともに、大栗 裕の作品集、コリリャーノの《交響 曲第 1 番》などをリリース。近年は オペラのピットに入る機会も増えて おり、團伊玖磨《夕鶴》(日生劇場)、 アリベルト・ライマン《メデア》(東 京二期会)といったオペラでは高い 評価を得た。現在、上野学園大学教 授。 (沼野雄司) 鮮やかかつ正確無比な棒と、工夫 の凝らされたプログラミングによっ て、現在もっとも注目を集める指 揮者のひとり。1969 年鹿児島生ま れ。鹿児島大学教育学部を経て、桐 朋学園大学音楽学部附属指揮教室で 本格的に指揮法を学ぶ。その後、イ タリアのキジアーナ音楽院、ウィー ン国立音楽大学でも研鑽を積んだ。 1997 年から 1999 年までは大阪フィ ルハーモニー交響楽団指揮研究員と して現場での経験を深め、1999 年 4 月に同団の定期演奏会でデビュー。 2000 年に東京国際音楽コンクール 指揮部門で優勝、そして 2001 年に はブザンソン国際指揮者コンクール を制覇して、一躍内外に名をとどろ かせた。しかし、むしろその後の飛 躍は、こうした受賞歴など吹き飛ば すほどの迫力を持っている。海外の プロフィール 今 月 の マ エ ス ト ロ 下 野 竜 也 ちなみに今回のプログラム、シュ ーマンの《協奏曲》とホルストの 《惑星》と聞けば、なんだか彼にし ては「おとなしい」気がするけれど も、よく見てみればそこには「バッ ハ(エルガー編)《幻想曲とフーガ ハ短調》」なんていうのが、ちゃっ かりと入っている。思わず微笑んで しまったのは筆者だけではないだろ う。 (ぬまの・ゆうじ 桐朋学園大学准教授、音楽学) ェコ・フィルハーモニー管弦楽団と の共演。しかしこの老舗オーケスト ラ、もちろん深い味わいを持ってい るとはいえ、ディスクで聴く限りは 万全の状態とはいえない。この指揮 者の可能性をより深く味わうために は、もっと高性能なオーケストラと 共演させてみたい。だからこそ、N HK交響楽団との共演には期待して しまう。2007 年、2009 年、2010 年 と共演を重ねて、双方の呼吸も合っ てきたはずだから、今回はなおさら。
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
Myung-Wh
un Chung
音楽から常に熱気と
ヒューマンなぬくもりが伝わる
アジアのマエストロ
文 オヤマダアツシ今月のマエストロ
チョン・ミョンフン
©Jean-Francois Leclercq実した音楽を味わう可能性を与えら れているのだ。 ピアニストから指揮者への道 現在では多くの人が指揮者として 認識しているチョン・ミョンフンだ が、その名前が広く世界へ轟いたと き、彼はピアニストだった。1974 年に行われた第 5 回チャイコフスキ ー国際コンクール・ピアノ部門にお いて第 2 位を獲得した彼は、新世代 のホープとして音楽シーンへ躍り出 たのである(ちなみに第 1 位を獲得 したのはアンドレイ・ガヴリーロフ であり、アンドラーシュ・シフが 4 位に入賞している)。翌 1975 年には アンドレ・プレヴィンとロンドン交 響楽団のアジア・ツアーに同行して、 初の日本公演も行った。その際の公 演パンフレットを見ると、どことな く垢抜けない青年のポートレイト写 真に加え「ミュン・フュン・チョン」 という表記の名前が掲載され、今と なっては新鮮に映る。 しかしピアニストとして輝かしい キャリアを嘱望された彼は、その頃 すでにジュリアード音楽院で指揮を 学んでいたのだ。1978 年、折から ロサンゼルス・フィルハーモニー管 弦楽団の音楽監督を務めていたカル ロ・マリア・ジュリーニとの出会いが、 指揮者修業にさらなるエネルギーを 費やす大きな原動力となった。加え て、1984 年から 5 シーズンを音楽 監督・首席指揮者として過ごしたド イツのザールブリュッケン放送交響 チョン・ミョンフン指揮、ソウ ル・フィルハーモニー管弦楽団ほか によるマーラー《交響 曲第 2 番「復 活」》のCDが手元にある。ブック レットには当然ながらマエストロの プロフィールが掲載されており、そ の冒頭にはフランスの有力紙『ル・ モンド』が “魂の指揮者” と評して いると書かれてある。このプロフィ ールは、おそらくはマネジメントに よる公式のものであるはずだが、チ ョン・ミョンフンを知る人であれば 「なるほど “魂の指揮者” とは言い 得て妙だな」と思うに違いない。情 熱に振り回されず一見すると冷静さ を失わない指揮姿だが、生まれる音 楽からは常に内面を焦がすような熱 気とヒューマンなぬくもりが伝わっ てくる。 東京の音楽ファンは幸福だろう。 そうしたマエストロの指揮に早くか ら接し(指揮者としてクローズアッ プされたのは、筆者の記憶によれ ば 1995 年にロンドンのフィルハー モニア管弦楽団と、また翌年にロン ドン交響楽団と来日した際だろう)、 その後は国外オーケストラの来日公 演や、NHK交響楽団および東京フ ィルハーモニー交響楽団の指揮台に 立つ姿を、何度も見ることができた のだから。それはマエストロのキャ リアにおいても見事な上昇期であり、 円熟へと向かう名指揮者の成長過程 を、すぐ隣で見てきたということで ある。言うまでもなくその道は未来 へと続いており、私たちはさらに充 今 月 の マ エ ス ト ロ チ ョ ン ・ ミ ョ ン フ ン
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3 劇場を巡る政治的な思惑に巻き込ま れる形で音楽監督を退任。しかしそ れもまた、マエストロのキャリアに 次のステップを用意するための合図 だったのかもしれない。 1997 年にはローマ聖チェチーリ ア国立アカデミー管弦楽団(首席指 揮者)、2000 年にはパリを拠点とす るフランス放送フィルハーモニー管 弦楽団(音楽監督)というオーケス トラと結びつきを強め、来日公演や CD録音などで日本の音楽ファンに も素晴らしい名演を届けてくれた。 5 度目となるN響との充実した共演 NHK交響楽団と初めての共演を 果たしたのも、ちょうどこの頃だ。 1998 年 9 月に行われた定期公演で はヴェルディの《レクイエム》やチ ャイコフスキーの《交響曲第 4 番》 ほか、メシアンやシチェドリンの作 品を。また 2000 年には樫本大進や スミ・ジョーらをソリストに迎えた 特別公演を(マーラーの《交響曲第 1 番》ほか)。2008 年の 2 月定期では、 マーラーの《交響曲第 9 番》とブル ックナーの《交響曲第 7 番》という 大作にメシアンを組み合わせるとい う、やや大胆なプログラムで。さら には 2011 年 2 月定期で、マーラー の《交響曲第 3 番》やベルリオーズ の《幻想交響曲》などを指揮してい る。5 回目の共演となる今回の定期 では、ロッシーニの名作《スターバ ト・マーテル》(Cプログラム)にお いて劇的かつ思索的な一面を聴かせ 楽団の時代には、じっくりと時間を かけて音楽を作り上げるというスキ ルを身につけたのである。この時期 には各地のオーケストラおよび歌劇 場からオファーが寄せられ、堅実に 階段を上っていく。充実した 30 代 は、その後に躍進するための確かな 土台となった。 パリ・オペラ座のポストから 道は開けた 1989 年(36 歳)、 彼 の 名 前 は 一 気に広く知られるようになった。パ リ・オペラ座の新しい劇場としてオ ープンしたバスティーユ歌劇場の、 初代音楽監督に選ばれたのである。 同時期に名門レーベル「ドイツ・グ ラモフォン」と契約を結び、このコ ンビのCDが次々に発売されること となった(録音の多くは今でも現役 盤として発売中だ)。ストラヴィン スキーやベルリオーズなど色彩的な レパートリーが絶賛され、ショスタ コーヴィチの問題作《ムツェンスク のマクベス夫人》が話題となるなど、 新時代を牽引する若きマエストロと してはかなりの高評価を受けたと言 ってよい。またオリヴィエ・メシア ン夫妻の知遇を得て、《トゥランガ リラ交響曲》などメシアンの代表作 はもちろん、遺作のひとつとなった 《コンセール・ア・キャトル》の世界 初演と録音も任されるなど、巨匠作 曲家の生涯を美しいフィナーレで飾 る役目を果たしている。こうした功 績にもかかわらず、1994 年には歌
楽団の音楽監督、そして 2012/2013 シーズンより名門ドレスデン国立歌 劇場管弦楽団の首席客演指揮者を務 めている。 NHK交響楽団との初共演は 19 98 年にさかのぼり、2000 年、2008 年、2011 年と客演。また 2001 年か ら 2010 年まで東京フィルハーモニ ー交響楽団のスペシャル・アーティ スティック・アドヴァイザーを務め るなど、日本の聴衆と関係を深めて いる。ピアニストとしても姉 2 人 (チョン・キョンファ、チョン・ミョ ンファ)とトリオを組むなど、現在 もなお室内楽奏者としてステージに 上がる。一方、オフステージでは料 理好きという一面もあり、その見事 な腕前を、音楽誌の連載記事をまと めた書籍『幸せの食卓』で披露した。 (オヤマダアツシ) その熱いパッションと、作曲家 およびスコアへの誠実さで多くの ファンをもつチョン・ミョンフン は、1953 年、韓国のソウル生まれ。 1974 年の第 5 回チャイコフスキー 国際コンクール・ピアノ部門で第 2 位を獲得し、一躍その名を世界へと 知らしめた。その後はジュリアー ド音楽院で指揮を学び、欧米の有名 オーケストラや歌劇場へ次々に客演。 1989 年から 1994 年まで音楽監督を 務めたパリ・オペラ座(バスティー ユ歌劇場)での活動で、世界的に注 目を浴びている。 1997 ∼ 2005 年にはローマ聖チェ チーリア国立アカデミー管弦楽団の 首席指揮者を務め、同オーケストラ との来日公演(3 回)も好評。2013 年現在、フランス放送フィルハーモ ニー管弦楽団とソウル・フィルハー モニー管弦楽団、自らが創設に関わ ったアジア・フィルハーモニー管弦 プロフィール 今 月 の マ エ ス ト ロ チ ョ ン ・ ミ ョ ン フ ン ー管弦楽団で音楽監督を務め、アジ ア人としてのアイデンティティも自 らに問うマエストロ。NHK交響楽 団から引き出す音楽の魂は、いった いどういった感動を与えてくれるだ ろうか。 (おやまだ・あつし 音楽ライター) てくれるだろうし、やはり得意とす るマーラーの《交響曲第 5 番》(B プログラム)では、揺るぎない構築 性を全面に打ち出した壮麗な音楽を 提示してくれるはずだ。 自らがリーダーとなって創設した アジア・フィルハーモニー管弦楽団 や、半世紀以上も韓国の音楽文化を 牽引してきたソウル・フィルハーモニ
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
1757th Subscription Concert / NHK Hall
8th (Sat.) June, 6:00pm 9th (Sun.) June, 3:00pm 第 1757 回 NHKホール 6/8[土]開演 6:00pm 6/9[日]開演 3:00pm [コンサートマスター] 堀 正文 [指揮] 下野竜也
[conductor]
Tatsuya Shimono
Program
A
[piano]
Nelson Goerner
[female chorus]
Tokyo Philharmonic Chorus*
(Hiroyuki Mito, chorus master)
[ピアノ] ネルソン・ゲルナー [女声合唱] 東京混声合唱団* (合唱指揮/水戸博之) [concertmaster] Masafumi Hori バッハ(エルガー編) 幻想曲とフーガ ハ短調 BWV537(9 ) シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 作品 54(31 ) Ⅰ アレグロ・アフェットゥオーソ Ⅱ 間奏曲:アンダンティーノ・グラツィオー ソ Ⅲ アレグロ・ヴィヴァーチェ ホルスト 組曲「惑星」作品 32*(51 ) Ⅰ 戦争の神、火星:アレグロ Ⅱ 平和の神、金星:アダージョ Ⅲ 翼を持った使いの神、 水星:ヴィヴァーチェ Ⅳ 快楽の神、木星:アレグロ・ジョコーソ Ⅴ 老年の神、土星:アダージョ Ⅵ 魔術の神、天王星:アレグロ Ⅶ 神秘の神、海王星:アンダンテ
Johann Sebastian Bach
(1685-1750) /
Edward Elgar
(1857-1934)
Fantasia and Fugue c minor BWV537
Robert Schumann
(1810-1856)
Piano Concerto a minor op.54
Ⅰ Allegro affettuoso
Ⅱ Intermezzo: Andantino grazioso Ⅲ Allegro vivace
Gustav Holst
(1874-1934)
The Planets, suite op.32
*Ⅰ Mars, the Bringer of War : Allegro Ⅱ Venus, the Bringer of Peace : Adagio Ⅲ Mercury, the Winged Messenger : Vivace Ⅳ Jupiter, the Bringer of Jollity : Allegro giocoso Ⅴ Saturn, the Bringer of Old Age : Adagio Ⅵ Uranus, the Magician : Allegro Ⅶ Neptune, the Mystic : Andante 休憩 Intermission
Pro
gram
A
Soloist
©Keith Saunders ネーヴ音楽院に留学し、マリア・ティー ポに師事した。1990 年、ジュネーヴ国 際コンクールで第1位を獲得。以後、ソリ ストとして世界的に活躍するほかに、室内 楽にも取り組み、これまでに、ヴァディ ム・レーピン、ミッシャ・マイスキー、ステ ィーヴン・イッサーリス、マルタ・アルゲ リッチらと共演。今回はゲルナーが得意 とするロマン派音楽からその真髄という べきシューマンの《ピアノ協奏曲》が取 り上げられるのが楽しみだ。 (山田治生) ネルソン・ゲルナーは、2004 年 11 月 のラフマニノフの《ピアノ協奏曲第 2 番》や 2009 年 5 月のブラームスの《ピ アノ協奏曲第 2 番》など、NHK 交響楽団 定期公演への出演を重ね、別府アルゲリ ッチ音楽祭へも登場するなど、すっかり 日本の音楽ファンにも親しまれている。 1969 年、アルゼンチンのサンペドロの 生まれ。母国で、ホルへ・ガルッバ、フア ン・カルロス・アラビアン、カルメン・ スカルチオーネなどに学ぶ。1986 年、ブエ ノスアイレスでのフランツ・リスト国際 ピアノ・コンクールで優勝。そして、ジュNelson Goerner
ピアノネルソン・ゲルナー
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
Chorus
演、放送出演などに加えて海外公演も多 数行い、日本の合唱作品の海外への紹介 にも貢献。作曲委嘱活動は日本語の合唱 作品がまだ少なかった創立当初からほぼ 毎年つづけて、その数は 200 曲を超える。 近年では海外の作曲家にも委嘱するなど、 創作の幅は多彩に広がっている。 現在、指揮者陣は田中信昭、松原千振、 大谷研二、山田和樹、松井慶太、伊藤翔 ほか。デュトワ指揮の N 響とは 2007 年以 来定期的に共演を重ねている。 (関根礼子) 「人生をかけて合唱音楽を職業に選ん だ私たち」。サントリー音楽賞受賞記念 演奏会のプログラムに田中信昭が記した 言葉である。日本でプロの合唱団として 存在しつづけたことへのさまざまな感慨 がしのばれて実に含蓄がある。 東京混声合唱団は 1956 年、東京藝術 大学声楽科の卒業生有志により創立。中 心メンバーの田中信昭が常任指揮者に就 任、以後、日本における合唱音楽の発展 をリードするかたちで実績を刻んできた。 年間 100 回を超える一般公演や子どもの ための催し、内外のオーケストラとの共Tokyo Philharmonic Chorus
女声合唱
Pro
gram
A
もしバッハが今の時代の楽器を用い ることができたなら、きっとこうし た豊潤で壮大で、華麗な世界を作り 上げただろうということを示したか った」と記している。20 世紀後半 に古楽復興運動が起こる前の典型的 な考え方ではあるが、エルガーにと っては近代的なオーケストラこそが 「楽器の王」であり、オルガンの壮 麗な響きを保持しつつ、音色の多彩 さを追求することが命題であった。 幻想曲は、原曲の 6/4 拍子を 3/4 拍子に変えている以外は比較的忠実 に編曲されているが、ハープのアル ペッジョやコーダの扱いなどにロマ ンティックな趣向が感じられる。他 方、フーガはより自由かつ大胆にア レンジされ、小太鼓やシンバルを含 む打楽器群も加わって豪華絢爛な響 きとなっている。フーガは二重フー ガで、歯切れのよい第 1 主題に続い て半音階的な第 2 主題が展開される。 (後藤菜穂子) エドワード・エルガー(1857 ∼ 1934)はほぼ独学で作曲を学んだ。 とはいえ、身近に音楽がなかったわ けではない。ピアノ調律師の父親は、 英国西部の街ウスターで楽器店を営 む傍ら、ヴァイオリンやオルガンを 弾いた。エルガーは物心がついた頃 から作曲に興味を持ち、ピアノやヴ ァイオリンを習得したが、家が貧し かったため、大学進学もドイツ留学 も夢のまた夢であった。彼は父親の 店を手伝いながらスコアを研究し、 ヴァイオリンを教え、教会でオルガ ンを弾き、作曲に励んで徐々に成功 を手にしていったのである。 J. S. バッハ(1685 ∼ 1750)のオル ガン曲《幻想曲とフーガ》BWV537 はおそらくライプチヒ時代の作曲と 考えられている。エルガーのオーケ ストラ編曲は、晩年に手がけられた。 彼は友人宛ての手紙において、「私 はこの曲を現代風に、大編成のオー ケストラのためにアレンジし…… 作曲年代:原曲:おそらく 1723 年以降。エルガ ーによる編曲版:フーガ:1921 年 4 月、幻想曲: 1922 年春 初演:原曲:不明。エルガーによる編曲版:フ ーガ:1921 年 10 月 27 日、ロンドン、クィー ンズ・ホール、ユージン・グーセンス指揮、幻 想曲とフーガ:1922 年 9 月 7 日、グロスター 大聖堂、編曲者自身の指揮によるロンドン交 響楽団 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、バス・クラリネット 1、ファゴット 2、コ ントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、 大太鼓、シンバル、小太鼓、トライアングル、 タンブリン、グロッケンシュピール、ハープ 2、 弦楽
Johann Sebastian Bach
1685-1750/ Edward Elgar
1857-1934バッハ
(エルガー編)
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3 ラである。彼女は、自らのピアノで 試演をした後、「極めて繊細な方法 で、ピアノがオーケストラに編み込 まれている」と言い、作品を高く評 価したのだった。 第 1 楽章 アレグロ・アフェットゥオ ーソ イ短調 4/4 拍子。ソナタ形式。 最初にオーボエが奏でるド(C)− シ(H)−ラ(A)−ラ(A)という 旋律は、「クララの主題」。音名はシ ューマンの音楽評論に登場する架空 の女性「キアラ(Chiara)」に由来 するが、この人物のモデルが妻ク ララなのだ。なお、この楽章は当初、 《幻想曲》と命名されていた。 第 2 楽章 アンダンティーノ・グラツ ィオーソ ヘ長調 2/4 拍子。3 部形式。 「インテルメッツォ」という副題を 持つ。第 2 楽章と第 3 楽章は続けて 演奏される。この移行部に、「クラ ラの主題」が登場する。 第 3 楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ イ長調 3/4 拍子。ソナタ形式。ピア ノとオーケストラの掛け合いがある 冒頭の華麗な序奏は、たび重なる推 敲の過程で加えられた。 (佐藤 英) シューマンにとって、ピアノはい つも重要な表現手段だった。もとも とはピアニスト志望だったし、指の 故障でその夢を諦め、作曲家として 世に出てからも、ピアノの独奏曲を 書き続けていた。転機になったのは、 1840 年である。周知のように、こ の年はシューマンにとっての「歌曲 の年」。この年に書かれた歌曲では、 ピアノは伴奏という役割を超え、彼 が捉えた詩のエッセンスを描いてい た。そしてその翌年が「交響曲の 年」。管弦楽作品への意欲が高まり、 《交響曲第 1 番「春」》や《序曲、ス ケルツォとフィナーレ》などを完成 させた。こうした管弦楽への情熱と、 彼にとって親しみのあるピアノの世 界とが融合して誕生したのが、《ピ アノ協奏曲 イ短調》である。 シューマンがこの作品で目指した のは、ピアノをメインにし、オーケ ストラを従属的に扱う、当時の協奏 曲のスタイルではなかった。両者が 引きたて合いながらも、音色的に溶 け合うことが重要だった。作品の独 自性をいち早く認めたのが、ピアニ ストでもあったシューマンの妻クラ
Robert Schumann
1810-1856
シューマン
ピアノ協奏曲 イ短調 作品 54
作曲年代:1841 年 ( 第 1 楽章 )、1845 年 ( 第 2 ∼ 3 楽章 ) 初演:1845 年 12 月 4 日、ドレスデン、フェルデ ィナント・ヒラー指揮、クララ・シューマンの独奏 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペッ ト 2、ティンパニ 1、弦楽、ピアノ・ソロPro
gram
A
導していたホルストの豊富な経験が 反映されている。 第 1 曲〈戦争の神、火星〉は弦楽 器群のコル・レーニョ(弓の木の部 分で弦を叩く)で始まり、金管群が 低音で鬱然とした主題を奏でる。テ ノール・テューバの呼びかけにトラ ンペットが呼応し、それを弦楽器群 が引き受けて繰り返し、オーケスト ラは高潮していく。執拗に打ち鳴ら される小太鼓とティンパニ、トラン ペットの雄叫びの間を、軍神マルス に率いられた軍勢がうねるように進 んでいく。頂点で音楽は崩壊し、戦 いがもたらす破滅を暗示する。世界 大戦勃発直前に作曲中だったため、 ホルストが戦争を予言したと語られ ることがある。 第 2 曲〈平和の神、金星〉は夜の とばりを告げるホルンのソロで始ま る。オーボエと弦楽器群の対話、チ ェロの独奏、ハープのアルペッジョ、 チェレスタのつぶやきは、愛の女神 ヴィーナスの官能的な誘惑ではなく、 むしろ大理石の彫像のような清冽な 美を感じさせる。 第 3 曲〈翼を持った使いの神、水 星〉のマーキュリーとは神々の間を 往き来する伝令である。さまざまな 楽器が次々と交代しながら、あわた だしく駆け回る。 「惑星を描写した標題音楽」のよ うに誤解されるホルストの《惑星》 であるが、当初の原題は単に「大オ ーケストラのための 7 つの曲」で あった。1912 年にシェーンベルク の《5 つの小品》を聴き感銘を受け たホルストは、これまで書いてきた 合唱作品や民謡を下敷きにした小曲 とは異なる、本格的な管弦楽曲に取 り組みたくなる。また元来インド思 想や神智学など神秘的なものに魅か れる傾向があり、1913 年頃からは 占星学の本を読みふけっていた。や がてホルストは、人間の運命を司る 星辰の「気(mood)」を管弦楽で表 現しようと考える。そして作曲にあ たりホルストが意識したのは、各変 奏ごとに特定の人間の「気」を表現 したエルガーの《変奏曲「謎」》で あった。《惑星》を構成する各曲に はそれぞれの惑星に対応するローマ 神話の神名と、星辰の性質の説明が 短い文で付された。作曲から初演 の年代は第一次世界大戦(1914 ∼ 1918)にほぼ重なる。 4 管編成の大オーケストラに多彩 な打楽器群が加わり、練達の作曲技 法が縦横に発揮される。管楽器とり わけ金管楽器が大活躍することには、 王立音楽大学でトロンボーンを専攻 した名手であり、長年管楽合奏を指
Gustav Holst
1874-1934
ホルスト
組曲「惑星」作品 32
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3 第 4 曲〈快楽の神、木星〉での 「快楽」の原語は「Jollity」だが、こ れは本来官能的なものではなく、祝 祭的な気分をさす。神々の長ユピテ ルに捧げられた、6 本のホルンが奏 でる雄渾な主題で始まる、湧き立つ ような祭と堂々たる頌歌ともとれる。 中間部のおおらかな民謡風の旋律に は 1920 年代に愛国的な歌詞が付け て歌われた。なお日本ではポピュラ ー歌手の平原綾香が同部分を歌って 大ヒットしている。 第 5 曲〈老年の神、土星〉は農耕 の神サトゥルヌス。大地に根を張っ た老賢者である。導入部でハープと フルートが刻む和声は時の経過を示 す時計の振子である。続くほの暗い トロンボーンの旋律は埋葬の音楽で あるエクアール(元来はオーストリ アのカトリック教会で埋葬に際して 奏せられたトロンボ−ン四重奏によ る短い楽曲。ベートーヴェンやブル ックナーも作品を残している)を思 わせる。ベルが打ち鳴らされ、近づ く死への恐怖が喚起されるが、音楽 はやがて静謐さを取り戻し、諦念の 中に消えていく。全曲中でホルスト 自身が最も気にいっていた曲である。 第 6 曲〈魔術の神、天王星〉は、 次々とわざを繰り出す熟練の手品師 ウラヌスのマジック・ショーを見る ようである。「ホルストの楽器」ト ロンボーンがショーの始まりを告げ、 ファゴットのおどけたような動きは デュカスの《魔法使いの弟子》を連 想させる。懐かしげな旋律が散りば められているのは、英国民謡を愛し たホルストらしい。 第 7 曲〈神秘の神、海王星〉の 「Mystic」の訳は「神秘主義者」よ りも「隠者」がふさわしい。瞑想的 なフルートで始まる音楽はピアノか らピアニッシモに終始し、チェレス タが文字通り星屑を撒き散らす。や がて舞台裏の女声合唱がアカペラで 加わり、遠ざかって消え入るように 終る。 ちなみに小惑星第 3590 番は国際 天文学協会によって「ホルスト」と 命名されている。 (等松春夫) 作曲年代:1914 ∼ 1916 年 初演: 非公式初演:1918 年 9 月 29 日、ロンドン、エー ドリアン・ボールト指揮ニュー・クィーンズ・ホー ル管弦楽団 公式初演:1920 年 11 月 15 日、ロンドン、アル バート・コーツ指揮ロンドン交響楽団 楽器編成:フルート 4(ピッコロ 2、アルト・フ ルート 1)、オーボエ 3(バス・オーボエ 1)、イ ングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 3、バ ス・クラリネット 1、ファゴット 3、コントラ ファゴット 1、ホルン 6、トランペット 4、ト ロンボーン 3、テューバ 1、テノール・テュー バ 1、ティンパニ 2、大太鼓、シンバル、小太 鼓、トライアングル、タンブリン、タムタム、 鐘、シロフォン、グロッケンシュピール、ハ ープ 2、チェレスタ 1、オルガン 1、弦楽、女 声合唱(舞台裏)
Pro
gram
B
1759th Subscription Concert / Suntory Hall19th (Wed.) June, 7:00pm
20th(Thu.) June, 7:00pm 第 1759 回 サントリーホール 6/19[水]開演 7:00pm 6/20[木]開演 7:00pm [ピアノ] チョ・ソンジン [コンサートマスター] 篠崎史紀 [指揮] チョン・ミョンフン
[conductor]
Myung-Whun Chung
[piano]Seong-Jin Cho
[concertmaster] Fuminori ShinozakiProgram
B
モーツァルト ピアノ協奏曲 第 21番 ハ長調 K.467(27 ) Ⅰ アレグロ Ⅱ アンダンテ Ⅲ アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ マーラー 交響曲 第 5番 嬰ハ短調(70 ) Ⅰ 葬送行進曲:規則正しい歩みで厳格に、 葬列のように Ⅱ 嵐のように激して、 非常に大きな激しさで Ⅲ スケルツォ:力強く、速すぎずに Ⅳ アダジェット:きわめてゆっくりと Ⅴ ロンド・フィナーレ:アレグロWolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)
Piano Concerto No.21 C major K.467
Ⅰ Allegro Ⅱ Andante
Ⅲ Allegro vivace assai
Gustav Mahler(1860-1911)
Symphony No.5 c-sharp minor
Ⅰ Trauermarch: In gemessenem Schritt, Streng. Wie ein Kondukt
Ⅱ Stürmisch bewegt, mit größter Vehemenz Ⅲ Scherzo: Kräftig, nicht zu schnell Ⅳ Adagietto: Sehr langsam Ⅴ Rondo–Finale: Allegro 休憩 Intermission
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
Soloist
でショパンの《ピアノ協奏曲第 1 番》 を弾いて NHK 交響楽団と初共演した。 2011 年 3 月のチョン・ミョンフン指揮チ ェコ・フィルハーモニー管弦楽団の来日 公演のソリストを務める。2012 年 6 月 にミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ ナショナル管弦楽団、同年 11 月にはワ レリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー 劇場管弦楽団などと共演。この 4 月には、 ソウルでロリン・マゼール指揮ミュンヘ ン・フィルハーモニー管弦楽団とも共演 している。今回は彼が尊敬すると語るチ ョン・ミョンフンとともにモーツァルト を奏でる。 (山田治生) 2009 年 11 月、浜松国際ピアノコンク ールに 15 歳(史上最年少)で優勝を飾 り、2011 年のチャイコフスキー国際コ ンクールで第 3 位に入賞し、若くして国 際的に注目されているチョ・ソンジンは、 1994 年、ソウル生まれ。6 歳のときに 音楽教室でピアノを始め、9 歳から本格 的に学び、10 歳で初リサイタルをひら いたという驚くべき才能。ソウル芸術高 校を経て、現在はパリ国立高等音楽院で 学んでいる。 2009 年 12 月にチョン・ミョンフン& ソウル・フィルハーモニー管弦楽団と共 演。2010 年 7 月 に は、N 響「 夏 」2010Seong-Jin Cho
ピアノチョ・ソンジン
Pro
gram
B
奏の存在感を薄めるような書法は好 まれなかった。また著名な鍵盤楽 器奏者が作曲・出版した協奏曲でも、 独奏パートに本人の高度な技巧が反 映することは稀で、自らの技巧を隠 匿するかのように平易に書かれるこ とも多かった。だが、モーツァルト の協奏曲は、作曲者自身の演奏技巧 を反映しているだけでなく、時に主 役以上に活躍することもあるオーケ ストラの扱いによって、当時として は特異とさえ言える音楽となってい るのである。 なお、第 1 楽章と第 3 楽章にはカ デンツァおよびアインガング(独奏 楽器による導入)の挿入が求められ る個所があるが、作曲者の作は現存 しない。 第 1 楽章 アレグロ ハ長調 4/4 拍子。 リトルネルロ形式。 第 2 楽章 アンダンテ ヘ長調 2/2 拍 子。リトルネルロ形式。 第 3 楽章 アレグロ・ヴィヴァーチ ェ・アッサイ ハ長調 2/4 拍子。ロン ド形式。 (安田和信) ウィーン時代のモーツァルトは、 鍵盤楽器の名手としても広く知られ た存在であった。彼の演奏会での呼 び物は彼が独奏を担当するピアノ協 奏曲であり、この時期に成立した 17 曲のピアノ協奏曲(『旧モーツァ ルト全集』の通し番号で第 11 番か ら第 27 番)は、そのほとんどがモ ーツァルト自身の技巧を想定して作 曲された。K.467 は同時期の K.466 (《第 20 番ニ短調》)からほぼ 1 か月 後、「1785 年 3 月 9 日付」で『自作 品目録』へ記入されている。 これらのピアノ協奏曲は独奏パー トの華やかな技巧もさることながら、 オーケストラの充実した「伴奏」も 特筆すべき特徴である。18 世紀後 半における鍵盤楽器独奏のための協 奏曲は、主に出版を意図して書かれ た場合、弦楽器のみの簡素な伴奏を 付けることが圧倒的に多かった。そ れは愛好家たちが気軽に演奏できる ように配慮した結果でもあった。オ ーケストラに多くの管楽器が使われ ていたとしても、主役たるピアノ独 作曲年代:具体的な作曲期間は不明だが、『自作 品目録』での日付は 1785 年 3 月 9 日 初演:不明。ただし成立直後に、モーツァルト 独奏で初演された可能性は高い 初版:1800 年、ライプツィヒのブライトコプ フ・ウント・ヘルテル社 楽器編成:フルート 1、オーボエ 2、ファゴッ ト 2、ホルン 2、トランペット 2、ティンパニ 1、 弦楽、ピアノ・ソロ
Wolfgang Amadeus Mozart
1756-1791
モーツァルト
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3 番》。第 1 楽章は《葬礼》というタ イトルを与えられていた単独の「交 響詩」に手を加えたものであり、第 3 楽章は《こどもの不思議な角笛》 歌曲の 1 曲〈魚に説教するパドヴ ァの聖アントニオ〉に基づいている。 そして、第 4 楽章は、《角笛》歌曲 の 1 曲〈原光〉である。また、《第 4 番》の場合は、交響曲として作曲 する何年も前に作曲した《角笛》歌 曲〈天上の生活〉に手を加えたもの を第 4 楽章に据えて、そこに向かっ てうまく収束していくように前の 3 つの楽章を作曲した。 そのような《第 4 番》までの作曲 とはまったく違った形で生み出され たのが《第 5 番》である。作曲を始 める時点ですでに頭の中では全体が 出来ているのだから、ほぼ 1 年(実 質的には 3、4 か月)で書き上げる ということが可能であったのだろう。 また、そのような形で作曲されたの で、この曲以前の 4 曲に比べると、 全体が非常に緊密な構造の音楽にな っていて、マーラーの音楽にあまり 馴染みのない人にとっても比較的親 しみやすい曲になっている。 ところで、この交響曲を初めて聴 く人は、冒頭のトランペットの「パ パパ・パーン」が鳴り響いたときに、 一瞬、意識と無意識の境目のあたり マーラーの交響曲作曲の流れの中 で、この《第 5 番》はきわめて特異 な画期的な意義のある曲である。 どのような形であれ「標題」的な ものと関わっていないし、テキス ト(歌詞)をまったく持っていない。 そのため、マーラーとしては初めて の純粋に器楽的な音楽といわれるこ とも多い。だが、それ以上に重要で、 《第 1 番》から《第 4 番》までの交 響曲とは決定的に違っているところ が《第 5 番》にはある。そしてそれ は、この作品以降マーラーにとって 当たり前のことになっていくのだが。 作曲に取り掛かる前に、オリジナ ルな形で、交響曲の全体が初めから 終わりまで頭の中で出来上がってい るということが、どうやらこの《第 5 番》において初めてマーラーに起 こったのである。もちろん全楽章の、 それも細部までが克明に浮かんでい たわけではないかもしれない。だが、 ともかく、《第 4 番》までとはまっ たく違う形で全体が構想されるよう になったのだ。 《第 5 番》以前のマーラーは交響 曲の作曲において、すでに作曲して あった独立した曲に手を加えたり展 開したりしていくつかの楽章を作り、 それらを嵌め込んだり組み合わせた りを必ずしていた。例えば、《第 2
Gustav Mahler
1860-1911
マーラー
交響曲 第 5 番 嬰ハ短調
Pro
gram
B
作曲年代:1901 年 7 月∼ 1902 年 8 月 初演:1904 年 10 月 18 日、ケルン、作曲者自 身の指揮による 楽器編成:フルート 4(ピッコロ 2)、オーボエ 3(イングリッシュ・ホルン 1)、クラリネット 3(Es クラリネット 1、バス・クラリネット 1)、 ファゴット 3(コントラファゴット 1)、ホル ン 6、トランペット 4、トロンボーン 3、テュ ーバ 1、ティンパニ 1、大太鼓、シンバル、小 太鼓、タムタム、ムチ、トライアングル、グ ロッケンシュピール、ハープ 1、弦楽 で「おや」と思うのではないだろう か。あるいは、「ぎょっとする」と 言ったほうが近いかもしれない。と いうのも、ほんの一瞬ではあるが、 あの有名な、あまりにも有名な曲が 始まったかとの思いが心をよぎるの である。あの有名な曲とは、メンデ ルスゾーンの《夏の夜の夢》の〈結 婚行進曲〉。 もちろん、輝かしく晴れやかなメ ンデルスゾーンの曲とは対照的に、 マーラーのこの曲の冒頭は暗く重々 しい。だが、音の動きはあまりにも 似ている。これは果たして他人の空 似か。単なる偶然なのか。 曲は 5 つの楽章から成る。 第 1 楽章 葬送行進曲。規則正しい 歩みで厳格に、葬列のように。嬰ハ 短調 2/2 拍子。ヴァイオリンとチェ ロのしめやかな主題を中心とした主 部と、対照的な激しい動きの 2 つの トリオでできている。暗く重々しい 音楽であり、次の楽章への序奏のよ うな役割も持っている。 第 2 楽章 嵐のように激して、非常 に大きな激しさで。イ短調 2/2 拍子。 対照的な性格の 2 つの主題を中心と して展開していく自由なソナタ形式 による。前楽章の悲痛な調子を受け 継ぎ、それをさらに激しいものにし ているが、途中から希望や憧れを感 じさせる部分も出てくる。 第 3 楽章 スケルツォ。力強く、速 すぎずに。ニ長調 3/4 拍子。きわめ て自由な形式によるスケルツォ。か なり皮肉っぽい調子になるところも あれば、ウィンナ・ワルツのような 優雅な表情を見せるところもある。 ホルンのソロの活躍が目立つ。 第 4 楽章 アダジェット。きわめて ゆっくりと。ヘ長調 4/4 拍子。ハー プと弦楽合奏だけで演奏されると ても叙情的な楽章。映画、ドラマ、 CM などでよく使われているこの楽 章は、昔から単独でもよく演奏され ている。 第 5 楽章 ロンド・フィナーレ:アレ グロ。ニ長調 2/2 拍子。「ロンド」 という言葉にふさわしい明るさや軽 やかさを持ってはいるが、ロンド形 式とは言えないような自由な展開に なっている。対位法的な扱いを効果 的に交えながら、輝かしく壮大に盛 り上がっていく。 (前島良雄)
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
1758th Subscription Concert / NHK Hall 14th (Fri.) June, 7:00pm 15th (Sat.) June, 3:00pm 第 1758 回 NHKホール 6/14[金]開演 7:00pm 6/15[土]開演 3:00pm [指揮] チョン・ミョンフン
[conductor]
Myung-Whun Chung
Program
C
休憩 Intermission
Gioachino Rossini(1792-1868)
Stabat Mater
Ⅰ Introduction: Stabat Mater dolorosa Ⅱ Aria: Cujus animam gementem Ⅲ Duetto: Quis est homo Ⅳ Aria: Pro peccatis suae gentis Ⅴ Coro e recitative: Eja Mater fons amoris Ⅵ Quartetto: Sancta Mater istud agas Ⅶ Cavatina: Fac ut portem Christi
mortem
Ⅷ Aria e coro: Inflammatus et accensus Ⅸ Quartetto: Quando corpus
morietur
Ⅹ Finale: In sempiterna saecula
ロッシーニ スターバト・マーテル(60 ) Ⅰ 序奏:悲しみの聖母はたたずみ Ⅱ アリア:悲しみに沈むその魂を Ⅲ 二重唱:誰か涙を流さない者があろうか Ⅳ アリア:人々の罪のために Ⅴ レチタティーヴォ:愛の泉である 聖母よ Ⅵ 四重唱:おお聖母よ Ⅶ カヴァティーナ:キリストの死に思いを めぐらしたまえ Ⅷ アリア:裁きの日にわれを守りたまえ Ⅸ 四重唱:肉体は死んで朽ちはてるとも Ⅹ 終曲:とこしえにわたり [soprano] Sunyoung Seo [ソプラノ] ソ・ソニョン [ソプラノ]
山下牧子 [Makiko Yamashitasoprano]
[テノール]
カン・ヨセフ [Yosep Kangtenor]
[バス]
パク・ジョンミン [Jongmin Parkbass]
[合唱]
東京混声合唱団
(合唱指揮/松井慶太)
[chorus]
Tokyo Philharmonic Chorus
(
Keita Matsui, chorus master)
[コンサートマスター]
堀 正文 [Masafumi Horiconcertmaster]
ベートーヴェン 交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 36(32 ) Ⅰ アダージョ−アレグロ・コン・ブリオ Ⅱ ラルゲット Ⅲ スケルツォ:アレグロ Ⅳ アレグロ・モルト
Ludwig van Beethoven(1770-1827)
Symphony No.2 D major op.36
Ⅰ Adagio ‒ Allegro con brio Ⅱ Larghetto
Ⅲ Scherzo: Allegro Ⅳ Allegro molto
Pro
gram
C
Soloist
生》のサルー、ドヴォルザーク《ルサル カ》のルサルカを演じた。2011 年にはデ ュッセルドルフでロッシーニの本作のソ ロを歌った。 2011 年の第 14 回チャイコフスキー国 際コンクールでの第 1 位で広く注目を集 める。2011 年マリア・カラス・グランプリ と 2010 年フランシスコ・ヴィニャス国際 声楽コンクールで 1 等賞、2009 年ミュン ヘン国際音楽コンクールでは第 2 位を受 賞している。NHK 交響楽団とは初共演。 (青澤隆明) 国立ソウル芸術大学、デュッセルドル フのロベルト・シューマン音楽院で学び、 2011/2012 シーズンにはバーゼル歌劇場 のオペラ・スタジオで研鑽を積む。 2010 年代に入って、オペラでの躍進 が目立ち、2010 年にはシューマン音楽 院でモーツァルト《フィガロの結婚》の 伯爵夫人、韓国の高陽アラムヌリ芸術セ ンターでプッチーニ《ボエーム》のミミ、 2011 年にはシューマン音楽院でプッチー ニ《修道女アンジェリカ》のアンジェリ カ、バーゼル歌劇場ではビゼー《カルメ ン》のミカエラ、ファリャ《はかない人Sunyoung Seo
ソプラノソ・ソニョン
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
Soloist
来、東京二期会、日生劇場、新国立劇場 で活躍する。二期会公演のモーツァルト 《コシ・ファン・トゥッテ》ドラベルラ、ヘ ンデル《ジュリアス・シーザー》のタイト ル・ロールなどで好評を得る。新国立劇 場ではビゼー《カルメン》のメルセデス、 シュトラウス《サロメ》のヘロディアス の小姓、B. A. ツィンマーマン《軍人たち》 のシャルロッテ、ベルク《ヴォツェック》 のマルグレートなど幅広い役柄を歌った。 古楽団体との共演も含めて、数多くのコ ンサートに出演。二期会会員。NHK 交響 楽団とは初共演となる。 (青澤隆明) 香川県出身。広島大学教育学部、東京 藝術大学大学院に学ぶ。二期会オペラス タジオのマスタークラスを優秀賞を受け て修了。第 10 回奏楽堂日本歌曲コンク ール、第 70 回日本音楽コンクール声楽 オペラ・アリア部門入選。第 1 回東京音 楽コンクール声楽部門で第 1 位、第 72 回と第 73 回の日本音楽コンクールで第 3 位を得ている。1997 年に藝大定期での モーツァルト《皇帝ティトゥスの慈悲》 アンニオ役でオペラ・デビュー。2002 年 に日生劇場オペラ教室《カルメン》(日 本語版)のタイトル・ロールを歌い、以Makiko Yamashita
ソプラノ山下牧子
Pro
gram
C
Soloist
笛》、《ドン・ジョヴァンニ》、ヴェルディ 《リゴレット》、《椿姫》、ドニゼッティ 《ルチア》などのレパートリーで活躍す る。リヨン歌劇場でのヤナーチェク《マ クロプロス事件》、中国の国立芸術セン ターや韓国国立歌劇場でのプッチーニ《ボ エーム》にも出演。コンサート歌手として は、リリング、ティーレマン、チョン・ミ ョンフンらの指揮者と共演。バッハ、モ ーツァルト、ヴェルディ、ロッシーニの本 作などで成功を収め、ベートーヴェンの《交 響曲第 9 番》は 2007 年にNHK交響楽団 との初共演でも歌った。 (青澤隆明) 韓国出身。ソウル、ザルツブルク、ベル リンで声楽を学ぶ。2000 年のヴィオッテ ィ国際声楽コンクール、2002 年ザルツブ ルク・モーツァルト国際コンクール、2003 年フランシスコ・ヴィニャス国際コンク ール、2004 年フェルッチョ・タリアヴィ ーニ国際声楽コンクールなどの国際コン クールに入賞。2001 年に、R. シュトラウ ス《ばらの騎士》の歌手役でケルン歌劇 場にデビュー。ベルリン、バイエルン、シ ュトゥットガルト、ハノーファーの各州 立歌劇場で躍進。現在はベルリン・ドイ ツ・オペラを拠点として、モーツァルト《 魔Yosep Kang
テノールカン・ヨセフ
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
Soloist
の騎士長役などを演じてきた。2011 年 にはプッチーニ《ボエーム》のコルリー ネ役で、ウィーン国立歌劇場にデビュ ー。 コンサート・ソリストとしても広 く活躍し、チョン・ミョンフンの指揮で ベートーヴェンの《ミサ曲 ハ長調》や 《交響曲第 9 番》などに出演。2011 年の 第 14 回チャイコフスキー国際コンクー ルで男声総合の第 1 位、ドミンゴ・オペ ラリア・コンクールでのワーグナー特別 賞やニルソン賞など多くの受賞歴をもつ。 NHK交響楽団とは初共演。 (青澤隆明) ソウル生まれ。韓国国立芸術大学で 学び、在学中からイタリア・オペラで頭 角を現す。2007 年にスカラ座アカデミ ーに選ばれて参加し、ミレッラ・フレ ーニ、ルチアーナ・セーラ、ルイージ・ アルバ、レナート・ブルソンらの指導を 受け、ミラノ・スカラ座で研鑽を積んだ。 2010/2011 シーズンから、ハンブルク 州立歌劇場のメンバーとして、ヴェルデ ィ《リゴレット》のスパラフチレ、《ア イーダ》のエジプト王、プッチーニ《ト スカ》の教会の番人、《蝶々夫人》の僧 侶、モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》Jongmin Park
バスパク・ジョンミン
*東京混声合唱団(合唱)のプロフィールは 13 ページ参照Pro
gram
C
1804 年 3 月に出版されたパート譜 が信頼できる最古の資料となる。 第 1 楽章 序奏部:アダージョ ニ 長 調 3/4 拍 子 ― 主 部: ア レ グ ロ・ コン・ブリオ 4/4 拍子。ソナタ形式。 序奏部の構想には時間を要し、当初 は 4/4 拍子が企図されていた。興味 深いことにその主要主題も、初期の スケッチ帳では次作である《エロイ カ交響曲》の主題に近いものだった。 第 2 楽章 ラルゲット イ長調 3/8 拍 子。ソナタ形式。「純粋無垢な幸福 の描写」とベルリオーズに言わしめ た無比の叙情性を誇る。 第 3 楽章 スケルツォ:アレグロ ニ 長調 3/4 拍子。前交響曲の「メヌエ ット」に代わり、得意の創作領域が 当ジャンルにおいても切り拓かれた。 第 4 楽章 アレグロ・モルト ニ長調 2/2 拍子。ロンド・ソナタ形式。当 時、「騒々しい」といった批判を招 いたことからも分かるように、冒頭 主題に聴かれる劇的な対比法は、明 らかに当時の交響曲の規範を超えて いる。 * 各楽章の速度表記は、ベーレンライタ ー版に従った。 (西田紘子) 本作が本格的に作曲されたのは、 1802 年、ルートヴィヒ・ファン・ベ ートーヴェンが 5 年あまりにわたる 難聴に悩み、快復への希望を絶たれ て「ハイリゲンシュタットの遺書」 を書いた年だ。同じ場所、同じ時期 に書かれたとは思えないその堂々と した曲調は、人々を驚嘆させてきた。 「私の芸術だけが私を引きとめた」 という自身の手紙の一節が語るよう に、ベートーヴェンは、現実ではけ っして得ることのできないものを芸 術世界に託したのかもしれない。 関係するスケッチは、1800 年に までさかのぼる。また、1802 年初 めにはフィナーレの詳細な草稿が別 のスケッチ帳に書きとめられている。 同時期に《三重協奏曲》なども作曲 していたベートーヴェンは、ちかく 慈善音楽会の開催を期待していたよ うだが、これはそのあと 1 年も経っ てから、開かれた。曲目は、本作と 《第 1 交響曲》、《ピアノ協奏曲第 3 番》、《オラトリオ「かんらん山のキ リスト」》という長大なオール・ベー トーヴェン・プログラムであった。 なお、自筆譜は消失しており、
Ludwig van Beethoven
1770-1827
ベートーヴェン
交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 36
作曲年代:1802 年 初演:1803 年 4 月 5 日、アン・デア・ウィーン劇 場にて、作曲者自身の指揮 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペッ ト 2、ティンパニ 1、弦楽Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3 マーテル》はその 2 年後、スペイン を旅行した際にマドリードの司祭フ ランシスコ・フェルナンデス・バレー ラ(またはバレーリャ)から依頼さ れ、「非公開で初演し、楽譜を公に しない」との約束で引き受けた作品 である。体調をくずしたロッシーニ は半数の楽曲を G. タドリーニに委 ね、その初演は 1833 年にマドリー ドで行われた。だがバレーラの死後、 楽譜がパリの出版社に転売されたと 知ったロッシーニは出版差し止めの 訴訟を起こし、タドリーニの楽曲を すべて自分の新曲と差し替えた。こ れが現在演奏される第 2 稿である。 十字架に磔にされた息子の傍らで 嘆き悲しむ母マリアの心情をうたう ラテン語テキストは 13 世紀に起源 をもつが、作者については諸説あっ て確定しない。18 世紀にはペルゴ レージの作品が流布し、近代にもド ヴォルザークやプーランクが付曲し ているが、ロッシーニの《スターバ ト・マーテル》はペルゴレージと並 ぶ傑作としてつとに知られる。全体 は次の 10 曲からなる。 第 1 曲 序奏。管弦楽の前奏に続い て合唱がソット・ヴォーチェ(弱声) で「悲しみの聖母はたたずみ」と歌 いだし、ソリストの四重唱を挟んで 高揚する。アンダンティーノ・モデ 「本当の基督教はもう疾うの昔に 亡びてしまって、ただ幽かな余響の ようなものが、わずかに、こういう 音楽の中に生き残っているのではな いか」─これは大正 12 年(1923 年)1 月、東京音楽学校(東京藝術 大学の前身)の演奏会でロッシーニ の《スターバト・マーテル》を聴い た寺田寅彦の感想である。 1842 年 1 月 7 日にパリのイタリ ア劇場で正式初演されたこの作品は、 「ハイドンの《天地創造》パリ初演 以後、これほど厳かで壮大、美しく 活力に富み、聴衆を感動させた音楽 はなかった」と絶賛されたが、「世 俗的で官能的」との批判的論調もあ った。これに対し、「芸術における 真のキリスト教の特徴とは、やせ細 り蒼ざめた外観ではなく、ある種の 内的情熱のほとばしりにある。それ ゆえ、ロッシーニの《スターバト・ マーテル》は、メンデルスゾーンの 《聖パウロ》よりも遥かにキリスト 教的である」と擁護したのが詩人ハ イネだった。 《セビリアの理髪師》で名高い 19 世紀イタリアのオペラ作曲家ロッ シーニは、1829 年にパリで初演し た《ウィリアム・テル(ギヨーム・ テル)》を最後に 37 歳の若さでオ ペラの筆を折った。《スターバト・
Gioachino Rossini
1792-1868
ロッシーニ
スターバト・マーテル
Pro
gram
C
作曲年代:1831 ∼ 1832 年(第 1 稿)、1841 年(第 2 稿) 初演:1842 年 1 月 7 日、パリ、ジョヴァンニ・ タドリーニ指揮(第 2 稿・決定版) 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ ト 2、トロンボーン 3、ティンパニ 1、弦楽、 ソプラノ・ソロ 2、テノール・ソロ、バス・ソロ、 合唱 2/4 拍子。 第 7 曲 第 2 ソプラノのカヴァティ ーナ。ホルン重奏、クラリネット・ ソロ、ファゴット重奏を交えた色彩 的な前奏を経て、伸びやかな旋律で 「キリストの死に思いをめぐらした まえ」と歌う。アンダンテ・グラツ ィオーソ ホ長調 6/8 拍子。 第 8 曲 第 1 ソプラノ独唱と合唱に よるアリア「裁きの日にわれを守り たまえ」。金管楽器の強奏が最後の 審判を暗示するドラマティックなハ 短調の前半部と、イエス・キリスト に呼びかけるハ長調の後半部からな る。アンダンテ・マエストーソ ハ短 調 ̶ ハ長調 4/4 拍子。 第 9 曲 無伴奏の四重唱(または合 唱)。半音階の下降旋律で「肉体は 死んで朽ちはてるとも」と静謐に歌 われ、フォルティッシモの上向旋律 がアクセントをなす。アンダンテ ト短調 4/4 拍子。 第 10 曲 終曲。最初に力強く「アー メン」と唱和し、「とこしえにわた り」の歌詞による厳格な対位法の二 重フーガとなる。やがて第 1 曲の冒 頭部が再帰するが、フーガ主題を用 いた終結部に転じて興奮が頂点に達 する。アレグロ ト短調 4/4 拍子。 (水谷彰良) ラート ト短調 6/8 拍子。 第 2 曲 テノールのアリア。「悲しみ に沈むその魂を」の歌詞とは裏腹に、 行進曲風の伴奏で華やかに歌われる。 カデンツァで最高音が 3 点変ニに達 し、オペラ的とも評されるが、旋律 には装飾的な要素が絶無である。ア レグレット・マエストーソ 変イ長調、 4/4 拍子。 第 3 曲 ソプラノの二重唱「誰か涙 を流さない者があろうか」。繊細な 女声ハーモニーにベルカントの魅力 を凝縮した、ゆったりとしたテンポ のデュオ。ラルゴ ホ長調 4/4 拍子。 第 4 曲 バスのアリア「人々の罪の ために」。劇的な前奏に続く歌唱旋 律は、付点音符のリズムに特徴があ る。長調に転じての、伸びやかなメ ロディも魅力的。アレグレット・マ エストーソ イ短調 ―イ長調 3/4 拍子。 第 5 曲 無伴奏の合唱とバス独唱の レチタティーヴォ。「愛の泉である 聖母よ」の歌詞がテンポと調性の変 化を織り込んで歌われ、最後の音に クレッシェンド∼ディミヌエンドの 強弱法が適用される。アンダンテ・ モッソ ニ短調 4/4 拍子。 第 6 曲 四重唱「おお聖母よ」。弾む ようなリズムの伴奏でテノールが歌 う旋律に基づく軽快なアンサンブル。 アレグレット・モデラート 変イ長調
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
ロッシーニ
Rossini
スターバト・マーテル 歌詞対訳
Stabat Mater Translation: Kazunori Imatani対訳:今谷和徳 1 IntroductionStabat Mater dolorosa juxta crucem lacrimosa, dum pendebat Filius. 2 Aria
Cujus animam gementem, contristatam et dolentem, pertransivit gladius. O quam tristis et afflicta fuit illa benedicta, Mater, Mater unigeniti! Quae maerebat et dolebat, et tremebat cum videbat nati poenas inclyti. 3 Duetto
Quis est homo qui non fleret, Christi Matrem si videret in tanto supplicio?
Quis non posset contristari, piam Matrem contemplari dolentem cum Filio?
Quis est homo qui non fleret, Christi Matrem si videret, in tanto supplicio?
Quis non posset contristari, piam Matrem contemplari dolentem, dolentem cum Filio? 4 Aria
Pro peccatis suae gentis,
1 序奏:悲しみの聖母はたたずみ 悲しみに沈めるみ母は涙にくれて、 み子が掛かりたまえる 十字架のもとにたたずみたまいぬ。 2 アリア:悲しみに沈むその魂を 嘆き悲しみ、 苦しめるみ子の魂を 剣が貫きたり。 おお、神のひとり子の 祝福されしみ母は いかに悲しく打ち砕かれたまいしか。 尊きみ子の苦しみを 見たまいて嘆き悲しみ、 うち震えたまいぬ。 3 二重唱:誰か涙を流さない者があろうか これほどまで嘆きたまえる キリストのみ母を見て 泣かざる者は誰か。 み子とともに苦しみたまえる 慈悲深きみ母を眺めて 悲しまざる者は誰か。 これほどまで嘆きたまえる キリストのみ母を見て 泣かざる者は誰か。 み子とともに苦しみたまえる 慈悲深きみ母を眺めて 悲しまざる者は誰か。 4 アリア:人々の罪のために その人々の罪のために
A
P
ro
gram
vidit Jesum in tormentis, et flagellis subditum. Vidit suum dulcem natum moriendo desolatum, dum emisit spiritum. 5 Coro e recitative Eja Mater, fons amoris, me sentire vim doloris fac, ut tecum lugeam. Fac ut ardeat cor meum in amando Christum Deum, ut sibi complaceam.
6 Quartetto
Sancta Mater, istud agas, crucifixi fige plagas, cordi meo valide. Tui nati vulnerati, tam dignati pro me pati, poenas mecum divide. Fac me vere tecum flere, crucifixo condolere, donec ego vixero. Juxta crucem tecum stare, te libenter sociare in planctu desidero. Virgo virginum praeclara, mihi jam non sis amara, fac me tecum plangere. 7 Cavatina
Fac ut portem Christi mortem, passionis fac consortem, et plagas recolere. 拷問と鞭に身を委ねたまいし イエスをみ母は見たまいぬ。 また瀕死のうちに見捨てられ 息絶えたまいし 愛するみ子を見たまいぬ。 5 レチタティーヴォ:愛の泉である聖母よ 愛の泉なるみ母よ、 御身とともに嘆くよう われに悲しみを感じさせたまえ。 わが心がそのみ心にかなうべく 神なるキリストを愛する火で 燃え立たんよう、なしたまえ。 6 四重唱:おお聖母よ 聖なるみ母よ、十字架に 釘づけされたもうみ子の傷を わが心に深く刻みたまえ。 わがためにかく傷つけられ、 苦しみたまいし御身がみ子の 苦痛をわれにも分かちたまえ。 わが命のある限り、 十字架につけられたまいしみ子に対し、 御身とともにわれにまことの涙を流させ、苦悩 させたまえ。 われは御身とともに十字架のもとに立ち、 御身とともに嘆かんことを 熱望す。 乙女の中のすぐれたる乙女よ、 われに辛くあたりたもうことなく、 御身とともにわれを泣かしめたまえ。 7 カヴァティーナ:キリストの死に思いを めぐらしたまえ われにキリストの死を負わしめ、 御受難をともにし、 その傷を再び得さしめたまえ。
Ph ilh arm on y Ju ne 2 01 3
Fac me plagis vulnerari, cruce hac inebriari ob amorem Filii. 8 Aria e coro
Inflammatus et accensus per te, Virgo, sim defensus in die judicii.
Fac me cruce custodiri, morte Christi praemuniri, confoveri gratia.
Inflammatus et accensus per te, Virgo, sim defensus in die judicii.
Fac me cruce custodiri, morte Christi praemuniri, confoveri gratia.
9 Quartetto
Quando corpus morietur, fac ut animae donetur Paradisi gloria. 10 Finale Amen. In sempiterna saecula. み子の御傷をもってわれを傷つけ、 その十字架と愛をもって われを酔わしめたまえ。 8 アリア:裁きの日にわれを守りたまえ おお乙女よ、審判の日に 火をつけられ、熱せらるるわれを 御身によりて守らしめたまえ。 十字架によりてわれを守り、 キリストの死によりて前を固め、 恩恵によりて慈しみたまえ。 おお乙女よ、審判の日に 火をつけられ、熱せらるるわれを 御身によりて守らしめたまえ。 十字架によりてわれを守り、 キリストの死によりて前を固め、 恩恵によりて慈しみたまえ。 9 四重唱:肉体は死んで朽ちはてるとも 肉体が死する時 魂が天国の栄光に 捧げらるるよう、なしたまえ。 10 終曲:とこしえにわたり アーメン。 とこしえにわたり。