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図書館長 

清水 哲臣 

安田女子大学図書館報

第9号

2007年(平成19年)3月31日 安田女子大学図書館運営委員会 発行 〒731_0153 TEL(082)878_8578 広島市安佐南区安東6丁目13番1号 1.日本の原風景と伝承の里を訪ねて P. 1 図書館長 清水 哲臣   2.ショパンはお好き? ……… P. 2 短期大学教授 多田 正利   3.インターンシップは図書館で …… P. 4 4.図書館探索 ……… P. 5 5.展示コーナー見聞録 ……… P. 6   稲賀文庫 歌学秘伝書の世界 大学教授 斎木 泰孝     広島県立美術館   「NHK 日曜美術館30年展」協力展示 6.図書館に行ってみよう! ………… P. 7 7.新着図書の中から ……… P. 8 図書館   8.図書館短信 ……… P. 8 図書館  

日本の原風景と伝承の里を訪ねて

 山頂はうっすらと雪化粧。山の ふもとは日本海の若狭湾にそそぐ 由良川の源流がゆったりと流れて ゆ ら いる。まさに山紫水明の地である。 ここは京都府のほぼ中央に位置す る南丹市美 山町である。町を貫く み やま 街道は、かつては若狭地方で獲れ た魚などを京都に運ぶいわゆる 「鯖さば街道」の一つであり、美山町は ちょうど若狭と京都の中間地点にもあたる。昔は、旅人が多 くここを行き来したようである。  交通が不便で、京都駅からバスを乗り継ぎ早くて2時間半、 待ち時間を含めて乗り継ぎ次第では3時間以上もかかる場所 である。霧の煙る峠を越えて、目的地の美山町北地区「かや ぶきの里」に到着すると、江戸時代中頃から末期にかけて建 てられたとされる茅 葺き屋根の民家が数多く残っている。こ かや ぶ の集落は1993年(平成5年)に文化庁の「重要伝統的建造物 群保存地区」に選定されている。  茅葺き集落は由良川に沿って山の傾斜地やすそ野にひな壇 状に点在しており、家屋の前には田畑が広がり、まるで日本 昔話を連想させるような美しい農村の原風景が展開されてい る。日本の原風景という点では、世界文化遺産に登録された 白川 郷・五 箇 山の大型の茅葺き合掌造り集落が有名である。 しらかわ ごう ご か やま しかしここ北村の「かやぶきの里」は白川郷と異なり、平日 は観光客がほとんどなく、農村の静かなたたずまいを見せて いる。茅葺き集落のひなびた風景はなんとも言えぬ懐かしさ と不思議な心の安らぎを覚えさせる。  ところで、この山あいにある美山の里にはいくつかの伝承 が残っている。そのうちの一つが山 椒 さん しょう 大夫の伝承である。山 だ ゆ う 椒大夫の話は、もとは京都北部、丹後地方の民話であり、 「安寿と厨子 王」の悲話で有名である。また森鴎外の『山椒太 あんじゅ ず し おう 夫』でもよく知られている。美山の伝承によれば、山椒大夫 は美山の長老山のふもと川谷の里に住んでいたと言い伝えら れている。時代は、森鴎外の小説では平安朝末期に設定され ているが、美山の伝承によれば、第91代後 ご 宇多天皇の頃(在 う だ 位1274−1287年)の話とあるので、おおよそ鎌倉時代末期に なる。かなり後の時代設定となっている。  山椒大夫は美山の川谷の里から、やがて丹後の由良の里に 母親と共に移り住み、由良、河守、岡田の三庄を司る地位に こうもり までなり、三庄太夫と呼ばれるようになったという。美山の 伝承は、丹後に移り住む前の山椒大夫について語られている。 今でも川谷には山椒大夫の屋敷跡らしきものが残っていると いう。美山の里は歴史と民俗文化、伝承と文学のロマンの世 界をくり広げている。 *参考資料;「美山民俗資料館」リーフレット、「美山・伝承の旅」美 山町役場発行、美山町観光協会パンフレット等々。 目   次 図書館長 清水 哲臣

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(2)2007年(平成19年)3月31日 安田女子大学図書館報第9号

シ ョ パ ン は お 好 き ?

――その生涯の概略と主な作品――

短期大学教授 

多田 正利

 今年はショパンが亡くなっ て158年になる。彼の曲は、 今でも年がら年中世界各地で 演奏され、演奏する側にも聴 く側にも広く愛好されており、 天才だけが創造し得る個性と 独特の民族性を打ち出した響 きと形式で、誰にも真似ので きない特色を持っている。  そうしたショパンの曲が好 きで長年演奏してきた小生は、 1999年9月、ショパン没後150年に“ショパンの夕べ”と題し て、それまでの楽譜研究の結果や理想的な音楽の有様をまと めて、プログラムにメモノートを載せコンサートを行った。 それ以後、恩師のレッスンや研究から得た新しい情報やテク ニックに関することを加筆したいと考え、この秋に演奏会と ともに記述してみたいと思っていたので、この機会に先に披 露させていただくことにした。記述中に出てくる曲や他の曲 (ワルツ、マズルカ等)を含めた今後の勉強の結果で、演奏会 のプログラムを構成したいと考えているところである。演奏 会開催当日は是非ご来場いただき、ショパンの響きを堪能し ていただきたい。  ロマン主義の時代に作曲家、演奏家として認められた音楽 家は数多いが、芸術的価値の高い独創的な創作で、ピアノ中 心に生きたフレデリック・フランソワ・ショパン(Frédéric François Chopin)の名はよく知られている。実は彼の祖父に あたる人がワイン商を営むにあたって、ポーランド名 Szopen (ショペン)をフランスで通りの良いChopin(ショパン)に 改めたもので、ファーストネームのフレデリックも、ポーラ ンドではフリデリクだったものをショパン自身が好んでフラ ンス風にフレデリックと発音したものである。ショパンの父 ニコラスはフランス人として知られているが、実際にはポー ランドの血が流れていて、ポーランドを愛する強い意志と向 上心を持っていた。領主スカルベック伯爵家のフランス語の 家庭教師となり、そこで家政婦として働いていた伯爵夫人の 遠縁にあたるユスティナ・クシジャノフスカと知り合い、結 婚してルドヴィカ、フレデリック(1810年生まれ)、イザベル、 エミリアの4人の子どもたちをもうけるが、末子エミリアは 14歳で肺病のため早死している。フレデリックもこの頃から 徴候があったのではないかと推測される。  フレデリックは幼いときから音楽に関心があり、母にピア ノ、父にヴァイオリンの手ほどきを受けた。6歳からは正式 にピアノをヴォイチェフ・ダルベルト・ジヴニーに師事して いる。父母のことだが、当時、領主の館で働くほどの使用人 は何らかの音楽的教養を身に付けていたと思われる。ショパ ンのピアノに対する才能は特別で、その進歩は素晴らしく、 特に即興演奏に夢中であった。8歳の時、ボヘミアの作曲家 ギーロヴェッツのピアノ協奏曲を公開の席で演奏して、少年 ピアニストとしてデビューし、この頃からモーツァルトの再 来とポーランドの貴族達からもてはやされるようになった。  1822年からワルシャワ音楽院長ヨゼフ・エルスナーのもと で、ピアノ、作曲を本格的に勉強するようになった。1826年 からは音楽院に入学できて音楽理論、和声、対位法も修め、 1828年には「ピアノソナタ1番Op. 4」などを完成している。 師エルスナーはショパンの優れた独創性ある才能を認めて、 堅苦しい規則にはめるような教え方はしなかった。1829年に は音楽院を「音楽の天才」と書き入れてもらって最優秀の成 績で卒業するが、ワルシャワでフンメルやパガニーニの演奏 を聴いて、まだまだ学びたいことがあると考えたショパンは ウィーンを訪ねた。自作のものや即興演奏で演奏会を開いた ところ、予想外の熱狂的喝采を受け、自信を得てワルシャワ に帰った。  1830年3月には「ピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op. 21」、同 年10月には「ピアノ協奏曲第1番ホ短調Op. 11」によるコン サートを開いて名声を確立し、若い文化人からは希望の星と みられるようになったが、ショパンはもっと広い世界に出て みたいという想いが強くなった。ワルシャワを出発する前に サヨナラコンサートを催し、自作のピアノコンチェルトを自 身で弾き、彼の「理想の人」である音楽院の同級生だったコ ンスタンチアも独唱者として出演している。大きな期待を胸 に1830年11月23日ウィーンへ到着するが、前回と違って反応 は冷たく、政治情勢もロシア寄りのオーストリア帝国はポー ランド人をあまりよく思わない状況にあり、ウィーンを去る ことを決心した。  ロンドンへの旅行許可を申請し、1831年7月ウィーンを 去って先ずドイツのシュトゥットガルトに向かうが、そこで 聞いたのが祖国の革命が失敗に終わったという悲報であった。 ショパンはその時の狂おしい気持ちをノートに殴り書きにし ている。この体験でショパンの作曲は今までにないドラマ ティックな曲想のものに変わり、「革命のエチュードOp. 10 の12」や「前奏曲集Op. 28の24」、「スケルツォ第1番Op. 20」のような短調で激しい、力強い曲を仕上げている。1831 年9月、21歳になっていたショパンはようやくパリに到着し た。先行き不安だらけの生活であったが、幸いにもフランス は当時ロシア、オーストリアと反対の立場にあり、彼はパリ で次第に社交界にも知られるようになってピアノ教師として の生活も安定してきた。  当時の有名音楽家たちとの交流も始まり、充実した創作活 動、演奏活動を行っている。彼が自信を持って出版した「ポ 短期大学教授 多田正利

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2007年(平成19年)3月31日 安田女子大学図書館報第9号(3) ロネーズOp. 26」もこの頃に作曲されている。ロンドン行き の思いは、パリの居心地の良さに次第に遠のいていったが、 向上心は継続され、当時パリで有名なピアニストのカルクブ レンナーに師事することを希望した。しかし恩師エルスナー や友人のメンデルスゾーン、リスト、ヒルラー達から猛反対 を受けた。カルクブレンナーは偉大なピアニストであるが、 彼の伝統的な奏法はショパンの独創性を破壊することになる のではと心配してくれたからに他ならなかった。カルクブレ ンナーも怒ることなく、ショパンのパリデビューコンサート には賛助出演して後押ししたほどの寛容な人物であった。  デビューコンサートは成功したものの、ショパンの生活は 先行き不安なものがあり、経済的発展著しいアメリカに渡っ ての新生活を考えたこともあったが、ある日故国での支援者 であった公爵とパリの街でバッタリ再会したのが縁で、新し い貴族達のサロンでの演奏や子女にピアノを教えることで、 この後10年は無事安泰な生活を送っている。その中でショパ ンが結婚のプロポーズをするほど好きになった女性として、 ドレスデンの幼な友達であるマリア・ヴォジンスカがいる。 彼女の母親である伯爵夫人の許しを得て婚約していたにも拘 らず、肺結核に冒された虚弱なショパンを伯爵一族が猛反対 して、とうとう結婚は実現されなかった。ショパンの嘆きは いかばかりであったかは、彼女から送られてきた手紙全部と、 別れる時に贈られたバラの花束の包みがそっくり遺品のなか にあったことからも推測されよう。  やがてショパンは1836年12月にリストのサロンで女性作家 のジョルジュ・サンドと初めて会っている。背広にズボンで 男装したサンドに、最初はあきれて戸惑ったが、その後急速 に恋愛関係まで進んでいる。理由はいろいろ取り沙汰されて いるが、ショパンが悲恋の反動で自身の正反対の性格の持ち 主に惹かれたのではないかとの説が大方である。後の研究で サンドは男装したことはあっても常時ではなく、秀れた文才 とともにファッションにも敏感で当時流行する女性の服飾は 自分で仕立てるほどの才能があったし、料理など家事全般に 優れ、先を見通せる政治的手腕も持ち合わせていた。ショパ ンの世話も心を砕き、献身的援助を惜しまなかった。  1838年10月サンドはショパンの健康回復を願って2人の子 どもを連れて、冬温かいといわれるマジョルカ島での生活を 始めた。しかしショパンの肺結核は、長旅やあまり熱心でな いマジョルカ島の医師のせいと、この年の気候は思いがけず 雨や寒い日が多く、冷たい僧院内での生活はますます彼の体 を蝕み喀血することも度々で、健康は一向によくならなかっ た。だが創作意欲はまだ旺盛で、フランスから携行した尊敬 するバッハの48平均率曲集の写譜本に影響された「24の前奏 曲集Op.28」や「スケツォ第3番Op.39」「ポロネーズOp. 40」といった内容の濃い作品を残した。1839年6月からサン ドの別荘があるフランスのパリから南へ250キロのノアーンに 戻り、自然の多い落着いた環境の中でサンドと共に創作活動 に励み、「ピアノソナタ第2番Op.35」「ノクターンOp. 37」「バラード第2番Op.38、第4番Op.52」「英雄ポロ ネーズOp.53」といった名曲を完成させている。この頃パリ でリサイタルを2年続けて開催した。いずれも大成功を収め、 世にショパンの健在であることを示した。しかし、結核症状 の進行や父親の訃報、サンド家の内紛などが重なり、1847年 の夏、遂に2人は別れることになった。この間も音楽的生活 はさらに充実し、「舟歌Op.60」「幻想ポロネーズOp.61」 を作曲し、パリでリサイタルも行った。  1848年に起った2月革命でパリは音楽どころではなくなり、 彼の晩年の教え子で支援者でもあったスターリング嬢の勧め で、4月には難を逃れてスコットランドに渡った。7ヶ月の 間、演奏とピアノ教師としての生活で過ごし、ロンドン−エ ジンバラ間を当時としてはまだ珍しかったコンパートメント の汽車で移動している。弟子や友人達の親切な世話で楽しい 思いもしたが、その頃最盛期にあった産業工場群の煙突から 立ちのぼる煤煙にまみれた濃霧や寒さが持病の肺結核をさら に悪化させ、やがて演奏することはもとより作曲すら思いも よらないほどに衰弱していき、11月末にようやくパリに舞い 戻った。この頃のショパンの写真は眉間に皺を寄せた苦痛に 満ちたものである。上品に格好良く生きたいショパンが何故 このような写真を撮らせたのかと思うほどである。  1849年10月17日、ポーランドのデルフィーヌ・ポトッカ伯 爵夫人がショパンの病床を見舞い、彼が作曲したポーランド の歌曲を歌ったが、「自分の曲ではなくもっと軽いモーツアル トのような歌を」と虫の息ながら所望したといわれている。 午前2時、姉夫婦、友人、神父が見守る中、39年の生涯を静 かに終えた。葬儀は10月30日、パリのマドレーヌ寺院で行わ れ、ショパンが生前望んだとおりのモーツアルトの「レクイ エム」が流れる中、3千人もの人々が参列した。遺体がペー ル・ラシューズ墓地に埋葬される際は、ショパンがずっと 持っていた、彼が故国を発つとき友人達から贈られた土を棺 にかけられたのであった。また、晩年ポーランドに帰りたい 想いが強かった彼のために心臓がとり出され、ワルシャワの 聖十字架教会に送られ、聖堂に入って最初の柱の中に安置さ れている。  39年の生涯のうち、33年間は病弱であったはずの彼の音楽 は繊細優雅なものと激しく強靱なものとがくり返しあらわれ るため、一般には女性的だが男性的な面もあるとの評価を受 けていて、彼の作品を演奏するピアニストや聴衆は身を以っ てこれらを体験することになる。リストが1851年に発表した 「ショパン論」では、「ショパンは全人類のために無形だが大 きなものを世に残した。彼は苦悩をもって人々の心をかきむ しった詩人であった」と述べている。ショパンは「ピアノの 詩人」である、といわれるのはここからきている。 <参考文献> ・『“ショパンのタベ”−没後150年によせて−の演奏会メモノート』  多田正利 1999.9 ・『世 界 音 楽 全 集 器 楽 篇 第18巻 ショパンピアノ曲集』 野村 光一 音楽之友社 1967.5 ・『シ ョ パ ン そ の 人 間 と 音 楽』 アーサー・ヘドレイ 和田且訳  白水社 1968.4 ・『ジョルジュ・サンド1804_76― 自由、愛、そして自然―』持田 明子 藤原書店 2004.6

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(4)2007年(平成19年)3月31日 安田女子大学図書館報第9号 大学院生

 義田孝裕

 どどめ色的な異彩を放ちつつ、たまには正門で呼び止められな がら……、そうした異世界での学生生活も終わりを迎えようとし ています。履歴の最後の欄が女子大学になるとは、なんともおか しな巡りあわせですが、本学では充実した時間を過ごすことがで きた、と振り返ってみてそう感じます。そんな日常で、もっとも 多く入り浸っていたのは、院生室でもなくどこかの喫茶店でもな く、本学の図書館でした。研究や調べもの、そしてここで働くた めに来ていたというのはともかく、ちょっとした時間にもふらっ と現れては図書館の中を漂っていました。いつしか、院生ではな く“図書館にいる人”のようになったのも仕方ありません。もっ とも生来の“本好き”ということもあって、ここでの仕事は全く もって苦にならなかったのですが、いろんな本の顔を眺めては ページをめくっての繰り返し。果たして、図書館の業務を滞りな く行っていたのか、いまでは迷惑を掛けたことの方が多かったよ うに思い、反省するばかりです。  ところで、仕事をしながら考えていたのですが、日本では一年 にどれだけの本や雑誌が出版されているのでしょうか。いつか調 べてみようと思いますが、とてつもない数であることは確かで、 その一部とそれに古書が加わって、この図書館に毎日押し寄せて きています。これは、図書館の業務に携わっていないとなかなか わからないかもしれませんが、注意してみると本を並べている棚 の段が日々増殖していることから、その多さに気付くはずです。 もちろん、図書館に来た本はそのまま配架されません。配架まで には、図書館で働いている方々が一冊一冊手にとってラベルを付 け登録をして、そして所定の位置に配架して、また、いまでは ネットで本を簡単に検索できますが、それもこれもいわゆる裏方 の支えがあってこそ成り立っているのです。利用者の立場ではそ れに感謝しながら、一方では力不足ながらもその仕事に関わる事 ができ嬉しく思います。  図書館にも、たしかに職人がいるのです。その方たちの仕事振 りを口にしてしまうのは無粋ですが、あえてこの場を借りて一言。

大学院生

 田中智美

 この2年間、利用者としてだけでなく、利用者をサポートする 側としても図書館に関わってきました。サポートする側といって も、それは職員の方々の仕事の何分の一ではありますが、この経 験は利用者でもある私にとって、とても有益なものでした。  例えば、カウンターで返却図書の処理を行う際には、嫌でもそ の本が目に入ります。すると、自分に関係のない専門分野やそれ まで興味のなかった本でも「おもしろそう」、「読んでみたい」と 思わせるものが多くありました。実際にその本や、それに関連し た本を借りて読んだこともあります。もちろん、おもしろい!と 思う本もあれば、んー、イマイチ……と思った本もありますが、 様々な分野の本に触れたことは、自分の視野や興味の幅を広くし てくれたように思います。「書を読めば万倍の利あり」という言 葉がありますが、これは自分の専門についての書だけでなく、多 くの分野にまたがった書のことを指すのだと感じました。  図書館にはとても古い書物から最近の現代書まで所蔵してあり ます。数百年前の人々の考えや思いを知りたいとき、また、先学 からアドバイスを受けたい時に、手を伸ばせばすぐに触れること のできる場所です。内容が難しい本から、初心者でも理解しやす いような読み易い本まで各種豊富に取り揃えてあります。一度、 何の目的も持たず、図書館を歩いてみてはいかがですか。意外な ところに、自分に必要な本があるかもしれません。図書館は活用 すれば活用するほど、本は答えてくれるはずです。それだけの本 がここにはあるのです。本の探し方が分からなければ、図書館ス タッフに聞いてください。そのために私たちは図書館にいるので すから。万が一、蔵書がない場合は購入希望を出してみては?自 分に必要な本は他の人にとっても必要な本かもしれませんから。 そして、今から院生として本学で勉強する方は、ぜひ図書館でイ ンターンシップをしてみてはいかがですか。図書館で働くという ことは、めったにできないことです。それに、紙面で書けないほ どの多くを経験でき、自分の研究にもきっと役立つはずです。  最後になりましたが、このような貴重な体験をさせてくださった 本学図書館の職員の方々に心より感謝の意を表したいと思います。 大学院生

 三奈戸和恵

 図書館でアルバイトを始めて、約二年が経とうとしています。 これまでいわゆる賑やかな飲食の接客しか経験したことのなかっ た私にとって、静かな図書館での仕事はとても新鮮なものでした。 特に、アルバイトを始めた当初は、図書館での利用を終えられた 学生さんに対して「お疲れ様でした」の一言を掛けることに多少 抵抗がありました。しかし、今となっては、その一言が利用者の 方々に対する図書館スタッフの思いやりと労いの気持ちが込めら れた、大切な挨拶の一つであることに気付き、すでに私もこの挨 拶の良き愛用者となっています。  大学一年の頃から今まで約六年間、自分自身も利用者の一人と して図書館には幾度となく足を運んできました。課題や論文、発 表などの資料を作成するにあたっては、図書館とは一番身近に利 用できる研究場所であり、学生にとって必要不可欠な存在です。 その度、私たちは膨大な数の書物の中から必要な資料や本を簡単 に選び出せることに気付くと思います。しかし、それを当たり前 のことだと思っていませんか。私は図書館でのアルバイトを機に、 利用者とは反対の立場、つまりスタッフとして働くことで、ス タッフの方々による目には見えない心遣いと気配りの数々が隠さ れていることを知ったのです。利用者のことを第一に考え、試行 錯誤を重ねられた陰ながらのその努力と工夫は、私たちの何気な い普段の生活を支えていてくれたのだと痛感しました。だからこ そ、今ではいつも効率良く図書館を利用できるのは、それを支え る方々の存在があるからこそだと深く感謝することができます。 そして、私たち利用する側は、いつもそのことを忘れてはいけな いと思うのです。

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図書

書館

館で

インターンシップは図書館で

本学図書館では、大学院生の方がインターンシップを兼 ねてパート職員として勤務されています。この度社会に 巣立つ5名の方からメッセージをいただきました。 前列左から 三奈戸さん、森光さん 後列左から 義田さん、田中さん

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2007年(平成19年)3月31日 安田女子大学図書館報第9号(5)  図書館のアルバイトを通じ、利用する側とそれを支える側の両 者の立場を経験したことで、図書館だけに限らず普段何気なく利 用する場所に対する見方が大きく変化したように思います。私た ちが通うこの大学を一つとってみても、いつも快適に安心して学 生生活を送ることができますが、その裏には?と少し意識して考 えられるようになりました。そして、そのことに感謝の気持ちを 持って生活することが大切であると気付くことができたのです。 これからは、学生の皆さんも、一人一人が少しの思いやりと感謝 の気持ちを持って意識しながら学生生活も送ってもらえれば、普 段の居場所がもっと素敵なものになるかもしれませんよ。  図書館スタッフの皆さん、アルバイトの皆さん、そして利用者 の皆さんのおかげで、とても貴重な経験をすることができました。 大学院を修了するとともに、アルバイトを終えるにあたり、多くの 皆さんに感謝したいと思います。本当にありがとうございました。 大学院生

 森光映会

 2年間の私の大学院生活が幕を閉じます。気付けばこの3月で 修了。いつの間にか時間が経っていました。それ程この2年間は 私にとって充実したものだったのです。  2年前の春、大学院生活と同時にスタートしたのは、本学図書 館でのインターンシップでした。勉強の合間に、図書館でお仕事 ができたらいいな」と、容易な気持ちで始めたことでした。けれ ど、図書館の業務内容は、私が思っていた内容(カウンターに立 ち、本を貸借りする)だけではありませんでした。他館から依頼 があった文献を複写したり、配架される本の準備をしたり、時に は館内の書架整理をしたりと、業務内容は様々でした。同じよう にインターンシップを受けていた先輩方を見て、自分も先輩方の 様に業務をこなすことができるのかと、不安になることもありま した。それでも2年間続けることができたのは、仲間やいつも温 かく指導して下さった図書館職員の方々の支えがあったからです。 図書館には多くの利用者が様々な用件をもって訪れてきます。 多くの人との出会いが、一層自分を成長させてくれたと感じてい ます。  図書館でのインターンシップを経験して、図書館への感謝の気 持ちも覚えました。インターンシップを始める前は、図書館は 「勉強する環境が整っている場所」と当然のように感じていまし た。けれど、実際自分が図書館業務をする側になって気付いたの ですが、利用者に使いやすい環境があるのは、職員の方がその様 な環境を提供して下さっているのです。利用者の立場を考えて、 様々な工夫を考えて下さっています。  修士課程で、図書館を活用して勉強に励み、更にこのインター ンシップを経験したことが私に充実した時間を与えてくれたのだ と思います。  本学には、とても「環境の整った図書館」が設けられています。 学生の皆さん、教職員のみなさん、そんな図書館を隅々まで是非 ご利用下さい。 大学院生

 榎木志保

 私は主に、本学図書館の2階カウンターと、 マルチメディア室の受付業務を2年間担当し ていました。  そのなかで難しかったのは、受付業務です。 「受付は本を借りて返す場所」という意識があ りましたが、相手は人だけに意外に難しいも のです。来館者のほとんどが本学の学生ですが、本を投げるよう に手渡す人や何度も何度もプリンターを故障させてしまう人に 「なぜ?」と憤りを感じていました。そのことで私自身が、機嫌 の悪い日もあり、来館者に嫌な思いをさせたこともあるかもしれ ません。  受付での業務でやりがいを感じたのは、学生から「本を一緒に 探してほしい」という依頼を受け、書架で探して見つかり、大変 感謝された時です。自分が探していた本が本学図書館に所蔵され ており、すぐに閲覧することができるというのは本当にありがた いことです。  来館者に便利に利用していただくため、工夫している点は他に もあります。これまで、文庫本は表紙を取って透明フィルムを 貼って配架していました。最近では、その本の内容を伝える表紙 はそのままで上から透明フィルムを貼り、本の持つ雰囲気などを 読者に伝えています。これまで本屋では見たことがあるが、表紙 が取ってあるから分らないという人にも、これからは探しやすく なりました。  図書館は、他の図書館の協力によっても成り立っていると感じ ることもありました。相互貸借や文献複写のサービスでは、職員 の迅速な対応により、依頼者に素早く複写物等が届くようになっ ています。複写物では依頼者に不快な思いをさせないよう、見や すく向きや大きさなどを変えて複写をします。また、本学図書館 に所蔵されていない場合は、他の図書館に依頼をしなければなり ません。同様に、他の図書館も本学図書館に依頼申込みをしてく る場合があります。そのような時、互いに助け合いながらサービ スの向上に努めているということを感じました。  私は4月から社会人となりますが、図書館業務の様々な場面で 学んだことを活かし、相手の立場に立った言動と依頼されれば迅 速に行動するよう心がけたいと思います。私自身、調べものがあ る時に限らず、図書館を利用したいと思っています。ぜひ皆さん も、図書館を活用し、研究や学習、その他の生活に役立てて充実 した学生生活を過ごして頂きたいものです。 ●ブラウジングコーナーリニューアル  図書館の「ブラウジングコーナー」をご存知ですか?耳慣 れない言葉でピンと来ない方が多いのではないでしょうか。  『最新図書館用語大辞典』によると、ブラウジングとは、 「蚕が葉をあちこち食べ かいこ る意」で、図書館のブラ ウジングコーナーは「あ たかも蚕が葉を食べるよ うに本にあちこちと気軽に 目を通すことのできる」 場所のことです。  当 館 の ブ ラ ウ ジ ン グ コーナーは2階奥、和雑 誌のバックナンバーが並ぶ電動書架の左手にあります。この コーナーには新聞のほか、タウン誌、文芸誌など身近な情報 収集に役立つ雑誌が揃っており、ソファでゆったりとくつろ いで見ることができます。個人で利用できるパソコンも2台 あります。  このたびブラウジングコーナーに新たに雑誌架を増やし、配 置替えをしました。リニューアルされたブラウジングコーナー でぜひ蚕のようにムシャムシャと(?)ブラウジングを楽しん でください。  学術雑誌コーナーでは『医薬ジャーナル』など薬学関係を 中心に、新たに学術雑誌が約60誌入りました。こちらもぜひ ご利用ください。 ブラウジングコーナー























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(6)2007年(平成19年)3月31日 安田女子大学図書館報第9号

稲賀文庫蠡 歌学秘伝書の世界

平成18年12月12日∼平成19年3月15日 大学教授

 斎木 泰孝

 古今伝授に象徴される歌道の伝授は、一子相伝極秘の口伝 などとあるものの、さほどの内容はなく、時として荒唐無稽 の事柄も多く含まれるとされる。古今伝授における「三木三 鳥」に似たようなことは、源氏物語にも見られる。たとえば、 『源氏物語提要』の「三ヶの大事」や『源氏大鏡』の「物語の 十ヶの口伝」にあるような秘事・口伝の類がそれである。こ うした内容の多くが、今となってはどのような意味を当時に おいて持っていたのか不思議に思われるのだが、中世源氏物 語享受史における興味深い問題であることは、本文庫の旧蔵 者・稲賀敬二先生の、次のご論考などによっても明らかである。 「梗概記述と「逸脱現象」」  (『源氏物語の研究―物語流通機構論―』93年、笠間書院) 「源氏学の正統と傍流―「三つの恨み」の諸相」  (『源氏物語の研究−成立と伝流』昭和42年、笠間書院)  稲賀先生の没後、ご遺族より安田女子大学に寄贈された本文 庫の『僻案抄』(写本一冊)には「源氏注」が付載されている。  また、同文庫蔵『源氏口訣』(写本一冊)には「古今集秘 伝」なるものが付載されている。  源氏物語の注と歌学の秘伝とを併せて一書にまとめられて いることは、中世における古典継承のあり方を端的に示すも のであろう。  源氏物語の研究に一生を捧げられた稲賀先生の関心が、歌 道秘伝書にあったことも頷けるのである。  今回の展示は、限られた展示スペースを考えて、『悦目抄』 などの歌論書と古今集の秘伝書の類(写本のみ)に限定した。 ――――――――――――――――――― 展示資料 ――  歌道秘伝書と源氏物語 1.僻案抄 2.源氏口訣(源語秘訳)  悦目抄 1.悦目抄(宝暦三年写) 2.悦目抄 3.悦目抄 4.悦目抄(正保二年刊本写) 5.和歌読方極秘書(和歌無底抄)  詠歌大概 1.詠歌大概 全 2.詠歌大概 未来記 3.詠歌大概・瑠璃の壺他 4.秀歌之躰大略  古今伝授  1.秘密伝授古今和歌集  2.古今三鳥伝  3.古今和歌伝授  4.古今和歌集口伝切紙  5.古今和歌集相伝之密書  6.古今伝授切紙口伝条々  7.東家奥秘切紙之写(古今伝授の事)  8.古今伝授切紙口伝条々三個之口伝  9.古今集三木三鳥考 10.古今和歌集秘事 11.古今集秘伝 12.古今集大事伝 13.枕詞伝授古今三木一草三鳥伝授 14.古今相伝深秘抄 15.古今和歌秘伝切紙口訣 16.古今秘事相承之来由(異本) 17.古今相伝之次第 広島県立美術館

NHK

日曜美術館3

0年展」協力展示

 広島県立美術館からの要請を受け、同館で2月15日から3 月25日に開催された「NHK日曜美術館30年展」に関連する本 学所蔵図書の紹介を行いました(1月19日∼3月20日)。  NHKの美術番組「日曜美術館」の放送開始30周年を記念し て企画・開催された同展では、番組で取り上げられた作品や 作家を中心に約70点の美術作品が展示されました。  当館では、展覧会の図録や作家の画集などに加え、番組内 で作品の案内役として出演した小説家や文化人の著作を合わ せて紹介しました。ポスターに目を留めた利用者の方が紹介 図書を借りていかれるなど嬉しい反 応も見られました。  学生の皆さんをはじめとする利用 者の方々には、普段なかなか手にと ることのない芸術分野の書籍につい て、新たな発見をしていただけたの ではないでしょうか。  今後も機会があれば、このような 県内のイベントに関連した図書をご 紹介したいと思います。 蠢 _ 1 僻案抄 蠱- 2 詠歌大概未来記 蠶- 6 古今伝授 切紙口伝条々 協力展示の様子















展示コーナー見聞録

展示コーナー見聞録



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(8)2007年(平成19年)3月31日 安田女子大学図書館報第9号 ●一冊完読するための英語の本  請求記号:E(3F絵本), 837.7, PE837.7(4F)  英語の勉強法のひとつに多読があります。絵本から始めて、 辞書を使わずに大量の英語を読むという方法で、リーディン グが格段に上達するそうです。  図書館にはこの多読向きの本が、在学中では読みきれない ほど用意されています。単語だけの絵本から、基本の200単語 で書かれた物語、総語数が5000 程度にまとめられた小説など、 細かくレベル分けされた本がそろ え て あ り ま す。童 話 や ミ ス テ リー、映画の原作など、ジャン ル も 豊 富 な の で 好 き な 物 語 が きっとあります。最近絵本コー ナーに配架された「Ladybird」 シリーズは、よく知られたメル ヘンやディズニー映画がもとになっているので読みやすく、 お勧めです。  絵本でも英語の本を一冊丸ごと理解できると嬉しいもの です。自分にあったレベルの本から、英語で読書を始めてみ ませんか。 ●美味しい料理の本 請求記号:596  春になりました。実習や一人暮らしを機に、料理に興味を 持つ人もいるのではないでしょうか。  なにか役に立つ指南書をお探しのときは、ぜひ図書館3階 に足を向けてみてください。初心者から上級者まで、それぞ れの腕に応じた料理本が並んでい ます。  『調 理 以 前 の 料 理 の 常 識』や 『おいしい和のスウィーツ』『栗原 はるみ私のおべんとう』などなど、 話題の本もそろえました。おいし い一冊を見つけてください。 ●日本語の使い方 請求記号:810.4, 815.8, 816  日本語に関するクイズ番組を見ていると、なじみのある語 句や敬語でも、自信を持って答えられないことがあります。 新着の読みやすい日本語に関する本をご紹介します。  「日本語相談」シリーズは大野晋や丸谷才一などの日本語の 達人が、読者からの質問にエスプリをきかせて回答していま す。また『金田一先生に教わった敬語 の心』では正しい敬語だけでなく、そ れを使用する状況についても解説され ています。  一から勉強するのは難しくても、こ れらの本でしたら無造作に使っている 日本語について振り返るきっかけとな るのではないでしょうか。 ●芥川賞・直木賞受賞作品 請求記号:913.6  【芥川賞】伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』  【直木賞】三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』       森絵都『風に舞いあがるビニールシート』 ●『日本の國寶至寶』DVD全20巻 請求記号:D709.1  国によって重要文化財に指定さ れた建築物、絵画、工芸品、彫刻 などの有形文化財のうち、特に価 値が高く、国民の宝として選ばれ たのが国宝です。2007年1月現在、 美術工芸品は860件、建造物は約 257棟が、国宝に指定されています。  全国の国宝と主な重要文化財を紹介しているこのDVDは、 日本美術の流れを総合的に大観するものです。また、個々の 国宝を丹念に鑑賞することもできます。日本人が育んできた 美の真髄が感じられるで しょう。  図 書 館 に は 他 に も、 『かもめ食堂』『ネバーラ ンド』『ブラザーズグリ ム』『佐賀のがばいばぁ ち ゃ ん』な ど の 映 画 の DVD も入りました。ぜ ひご利用ください。 ●寄贈図書  平成18年度は『上田家文書調査報告書』など89冊を広島市 その他34名からご寄贈いただきました。 ●図書館活動報告(H18年10月以降)  11月30日まで 第10回特別展         ―近世初期日本の医学・薬学・獣医学資料展―  12月12日∼  第11回特別展   3月15日  ―『稲賀文庫Ⅱ 歌学秘伝書の世界』展―  1月19日∼  広島県立美術館特別展「NHK日曜美術館   3月20日  30年展」協力展示  2月23日   安田小学校の児童見学(5年生78名)  随時     図書館利用ガイダンス、文献調査ガイダン ス実施     ★ 平成18年度図書館運営委員   清水哲臣(委員長)  杉本好伸(日本文学科)、米本義孝(英語英米文学科)、  中島正明(児童教育学科)、藤沢敏幸(心理学科・人間科学科)、  西村信勝(現代ビジネス学科)、  藤本和男(生活デザイン学科)、高村一知(管理栄養学科)、  藤田牧子(保育科)、吉田行宏(秘書科)

新着図書の中から

新着図書の中から

日本語関連本 日本の国宝・至宝 レベル分けされた英語の本 各種料理本

図 

書 

館 

短 

図書館ホームページ  http://lib.jimu.yasuda-u.ac.jp/library/libindex.html 新着DVD

参照

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