3.地域の現況 (1)地域の自然及び地理的状況、歴史 ア. 位置 当地域は伊豆半島の北部、田方平野のほぼ中央に位置します。東は箱根山系の 連山に、西は城山、葛城山などの山々に囲まれ、豊かな自然環境を保っています。 平野部は南北に狩野川が流れ、豊かな田園地帯が広がっています。また、狩野川 を沿うように国道 136 号、伊豆箱根鉄道駿豆線が走り、周辺に市街地を形成して います。 東京からは 100km圏域にあり、東海道新幹線、東名高速道路を利用して約 2 時間の所要時間であり、首都圏とのアクセスも良く、沼津市や三島市の静岡県東 部の中心地とも近く、交通の利便性に恵まれた立地条件といえます。
イ.面積 当地域は、伊豆半島の北部、田方平野のほぼ中央に位置します。面積は 94.71 k㎡で県総面積の 1.2%を占めています。地域内の町別の面積構成比では、大仁町 が 46.0%と一番多くをしめています。平成 15 年現在の県内の 20 市の中で、14 番 目に相当する規模となります。 (単位:k㎡、%) 総面積 県内構成比 地域内構成比 伊豆長岡町 16.52 0.2 17.4 韮 山 町 34.63 0.5 36.6 大 仁 町 43.56 0.6 46.0 3 町 計 94.71 1.2 100 田方郡全体 558.69 7.2 静岡県全体 7,779.55 100 資料) 「平成13 年全国都道府県市区町村別面積調」 国土地理院 伊豆長岡町 17.4% 韮山町 36.6% 大仁町 46.0% 地域内構成比(面積) ウ. 地形 当地域は、東は箱根山系の連山に、西は城山、葛城山などの山々に囲まれ、豊 かな自然を保っています。平野部は南北に狩野川が流れ、豊かな田園地帯が広が っています。
エ.気象 当地域に最も近い静岡気象台三島測候所の平成 13 年平均気温は 16.1℃、年間 降水量は 1,936.0 ㎜となっており、温暖な気候といえます。 三島 網代 石廊崎 静岡 平均気温(℃) 16.1 16.0 16.8 16.6 最高気温の平均(℃) 19.6 21.1 19.4 21.1 最低気温の平均(℃) 13.2 11.5 14.4 12.5 快晴日数(日) 64 − 57 43 日照時間(時) 2,056.7 2,056.7 2,260.7 2,204.0 降雨日数(日) 113 101 95 108 降水量(mm) 1,936.0 1,683.0 x 2,009.0 平均風速(m/s) 2.7 2.1 4.4 2.2 *三島測候所は平成13年10月から業務変更により、雲量、雷、霜、雪及び結氷の観測を行っていない。 *xは、欠測(欠測回数が20%以上の場合)。 資料) 平成13年静岡地方気象台
オ.地域の沿革(歴史) この地域は、古くは伊豆の国と呼ばれ「和名抄」(930∼935 年編)によると田 方郡を含んで那賀、賀茂の 3 郡、21 郷があったとされています。このうち、伊豆 半島北西部の一部は、江戸時代に田方郡から分かれ那賀郡の一部を合わせて君沢 郡となっています。 1868 年(明治元年)には韮山県となってそれまで治めていた代官、江川英武が 県令となり、その後 1871 年(明治 4 年)より足柄県となりましたが、1876 年(明 治 9 年)には旧伊豆の国のみ静岡県に併合されました。 1896 年(明治 29 年)の郡制施行により君沢郡は田方郡に合併されました。そ の後「明治の大合併」、「昭和の大合併」を経て、現在の姿となりました。 【伊豆長岡町】 名称 合併編入年月日 合併編入事項 川西村 明治22年4月 1日 君沢郡古奈村・戸沢村・長岡村・天野村・小坂村・長瀬村・墹之 上村・花坂村が合併し村制施行。 明治29年 4月 1日 郡の統合により田方郡に所属。 伊豆長岡町 昭和 9年11月 3日 田方郡川西村が単独町制施行し名称変更。 昭和29年 3月31日 田方郡江間村を編入。 昭和38年 9月 1日 田方郡韮山町と一部境界変更。 昭和39年 9月 1日 田方郡大仁町と一部境界変更。 昭和42年 3月 1日 田方郡大仁町と一部境界変更。 江間村 明治22年 4月 1日 君沢郡南江間村・北江間村が合併し村制施行。 明治29年 4月 1日 郡の統合により田方郡に所属。 昭和29年 3月31日 田方郡伊豆長岡町に編入、消滅。 古奈村 戸沢村 長岡村 明治22 年 昭和9 年 【現在の姿】 天野村 小坂村 川西村 伊豆長岡町 伊豆長岡町 長瀬村 墹之上村 花坂村 明治22 年 南江間村 昭和29 年編入 北江間村 江間村 【韮山町】 名称 合併編入年月日 合併編入事項 韮山町 明治10年 田方郡多田村・山木村・金谷村・土手和田村・瀧山村が合併し成 立。 韮山村 明治22年 4月 1日 田方郡韮山町・四日町村・寺家村・長崎村・奈古谷村・原木村・ 中条村・南条村・中村・内中村が合併し村制施行。 韮山町 昭和37年 4月 1日 単独町制施行。 昭和38年 9月 1日 田方郡伊豆長岡町と一部境界変更。
明治10 年 多田村 韮山町 山木村 四日町村 金谷村 寺家村 明治22 年 昭和37 年 【現在の姿】 長崎村 土手和田村 瀧山村 奈古谷村 韮山村 韮山町 韮山町 原木村 中条村 南条村 中村 内中村 【大仁町】 名称 合併編入年月日 合併編入事項 田中村 明治22年 4月 1日 田方郡田京村・大仁村・吉田村・宗光寺村・守木村・御門村・白 山堂村・神島村・三福村が合併し村制施行。 大仁町 昭和15年12月10日 田方郡田中村が単独町制施行し名称変更。 昭和34年 4月10日 田方郡北狩野村(一部)を分割・編入。 昭和39年 9月 1日 田方郡伊豆長岡町と一部境界変更。 昭和42年 3月 1日 田方郡伊豆長岡町と一部境界変更。 北狩野村 明治22年 4月 1日 田方郡牧之郷村・柏久保村・年川村・大野村・浮橋村・下畑村・ 田原野村が合併し村制施行。 昭和34年 4月10日 (一部:大字下畑・田原野・浮橋・大野(一部)・年川(一部))は田 方郡大仁町に、(一部:大字牧之郷・柏久保・年川(一部)・大野 (一部))は田方郡修善寺町にそれぞれ分割・編入、消滅。 田京村 大仁村 吉田村 明治22 年 昭和15 年 【現在の姿】 宗光寺村 守木村 田中村 大仁町 大仁町 御門村 白山堂村 神島村 三福村 牧之郷村 柏久保村 明治22 年 昭和34 年 下畑、田原野、浮橋、 年川村 大野(一部)、年川(一部)を編入 大野村 北狩野村 浮橋村 下畑村 田原野村
カ. 歴史文化資源 ・旧石器時代から縄文期 箱根山西麓から愛鷹山南麓にかけての地域には、後期旧石器時代(3 万年前∼1 万 2 千年前)に人類が生活した遺跡が点在しており、韮山町にも後期の遺跡が分布してい ますが、今から 18,000 年前頃を上限としているようです。 また、旧石器時代の晩期から縄文草創期にかけての遺跡は、韮山町東部山地や大仁 町に分布し、石器とともに土器の破片が出土しています。 また、縄文中期に盛行した首飾りの一部と見られる小型の玉類が伊豆長岡町南江間 で、縄文早期の竪穴式住居跡が、大仁町長者原で発見されています。 氷河期が 2 万年前に終わりを告げ、地球が温暖化するに従い、生息環境が改善し、 人類が伊豆半島全体に分布していく過程がうかがえます。 ・農耕文化の生成 弥生時代後期のものとしては、全国的に著名な山木遺跡があります。この遺跡から は、弥生時代の水田跡が発見された他、低地からは木製の生産・生活道具が多量に発 見され、298 点は、重要有形文化財として国の指定を受けています。 弥生時代に狩野川流域やそれに面した谷地形を舞台に生成された農耕文化は古墳 時代へ引き継がれます。伊豆長岡町には墹之上遺跡、小坂の駒形古墳があり、駒形古 墳からは人物や動物をかたどった埴輪や土師器(はじき:土器)が出土し伊豆地区最 高級の古墳とされています。 また、韮山町の多田大塚古墳群は著名で、伊豆最大の円墳と目される 1 号墳や、帆 立貝形の前方後円墳である 6 号墳があり、鉄製の武器やよろいも出土するなど静岡県 下でも代表的な古墳群であり、旧伊豆国内では傑出した存在です。 こうした古墳時代は、仏教の伝来と共に伝わった火葬の普及により、終末を迎える こととなります。 やがて、大和朝廷の成立と同時期(5 世紀)に伊豆の国が姿を整え、支配者は伊豆の 国造(くにのみやつこ)として、現在の韮山町に居を構えていたとされます。すなわ ち、伊豆の国府は韮山であったことになります。 しかし、その後天武天皇の時代(618)に、伊豆国府は、東海道沿いの三島の地に 移されることになります。 ・中世の幕開け 再びこの地が、我が国の歴史の大きな舞台となるのが、平安末期から鎌倉時代、す なわち中世の幕開けです。 源平の争いの中で、歌人としても有名な源頼政は、はじめは平氏方について出世し ます。伊豆長岡町の古奈出身のあやめ御前は、長じて宮中に入り、その美しさは宮中 一と歌われ、頼政と恋におち、幸せな日々を過ごしました。頼政はその後、平氏追討 の令旨に従い、平氏に反旗を翻しますが、宇治川の合戦で 1178 年に命を落とします。 あやめ御前は、古奈にもどり頼政の霊を弔いながらこの地で生涯を閉じたと伝えられ ています。 一方、鎌倉幕府を創立した源頼朝が平治の乱によって、伊豆国に配流になったのは、
1160 年のことでした。場所は現在韮山町の蛭ヶ島といわれており、挙兵するまで 20 年を過ごしたといわれています。 この地には頼朝の青春時代にまつわるさまざまな史跡が残されています。 伊東祐親の娘静(八重姫)と愛し合い、子までもうけましたが、平氏と伊東氏の 関係悪化を恐れた祐親によって、二人は引き裂かれ、悲観した娘は、現在の真珠院(韮 山町中条)の前にある真珠が淵に身を投げ自ら命を絶ちました。里の人はこれを哀れ んで、川の傍らに追善のために建てた供養塔が現在の真珠院にあります。また、その 侍女 6 人も逃れましたが、結局現在の大仁町田中山で自害し、地元の人が哀れんで、 墓をつくったのが現在の女塚(大仁町:女塚史跡公園)です。 やがて、頼朝は、地元伊豆の武将北条時政の娘政子と愛し合い、治承 4 年(1180) に、時政の支援をうけて、平氏追討の挙兵をします。その北条氏邸跡は、国指定の史 跡であり現在も発掘調査が行われています。また、政子が生まれたときの産湯の井戸 や、最初に挙兵の目標とされたこの地の目代山木判官(平兼隆)の山木館や若き頼朝 に餅を献上し続けた地元の姥に、後年将軍となった頼朝が、恩に報いるため姥の願い をかなえるために建立した成願寺など韮山町内にあります。 その後、頼朝は現在の小田原市にある石橋山の合戦で敗れますが、逃げ延びた後勢 いを取り戻します。 ・執権政治の樹立 やがて頼朝は平氏を倒し、建久 3 年(1192)には征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を 開きます。 これより先、文治 5 年(1189)に奥州藤原氏の征伐に成功しましたが、これに先立 って、時政は、この武運を祈り北条の地に願成就院を建立しました。ここには、運慶 若年作である「木造阿弥陀如来坐像」、「木造不動明王及び二童子立像」「毘沙門天像」 (いずれも国指定重要文化財)などが安置されています。その後、北条義時・泰時に よって次々と伽藍や仏像が整備され、伽藍配置の壮大な寺院として守山の東麓にそび えていました。寺は、その後消失し、当時の面影はありませんが、大御堂、南塔、南 新御堂などの遺構があり、付近一帯は国指定史跡となっています。 また、鎌倉に幕府が設置されてからも、執権北条氏の本拠地であるこの地にさまざ まな足跡をのこしています。 伊豆長岡町には、承久の変で有名な北条義時が創建したといわれる北条寺に、北条 義時夫妻の墓があり、5 代執権、最明寺入道とよばれた北条頼時が建立したといわれる 最明寺には、時頼の墓といわれる五輪塔があります。 また、8 代執権北条時宗の第 3 子正宗が父時宗の遺志を継ぎ 1289 年に創建したの が、韮山町成福寺です。ここには、父時宗、母覚山尼・正宗の墓があります。 室町時代には、弱体化していた室町幕府に対し、関東には幕府に従わない勢力が力 をもったため、8 代将軍足利義政は、弟足利政知を鎌倉府の主として下向させること とし、政知は、その途中 1457 年、韮山町の堀越に入り、鎌倉へ入る機会をうかがい ましたが、複雑な関東の政治情勢の中で、結局それ以上進むことができず、「堀越公 方」又は「伊豆公方」と呼ばれました。本来、関八州と伊豆・甲斐・陸奥・出羽の十 二カ国の警察、軍事、土地所分権を持つはずの政知でしたが、関東管領上杉房顕の死 後は、ほとんど有名無実化し、30 年あまり後の 1591 年この地で没することになりま す。
・中世から近世へ∼戦国の幕開け∼ 戦国大名の先駆けといわれる北条早雲(伊勢新九郎)は、出仕不明ですが、応仁の乱 を契機とした駿河今川氏をめぐる勢力争いの中で、今川氏親(今川義元の父)の擁立に 著しい功績を果たしたことから、1487 年、駿河国富士郡下方 12 郷が与えられました。 この後、堀越公方政知の死後、長男茶々丸は家督争いや家臣たちとの折り合いも悪 く、混乱状態にあったところを好機と見た早雲は、堀越御所を急襲し、堀越公方を滅 ぼしました。 この結果、早雲は伊豆を奪取することに成功しましたが、歴史的には、この年、1491 年をもって戦国時代の開幕とする意見が強いようです。つまり、早雲の堀越公方攻め が単なる支配者同士の争いではなく、幕府と守護による支配体制そのものに対する根 本的な反逆だからです。 この地は、またも戦国時代という節目の大きな舞台となったわけです。 早雲はその後も、小田原城を攻略し、相模へと領土拡大を実現しますが、死ぬまで 韮山城を本拠とし続けました。関八州に雄飛した後北条氏にとっては、伊豆の地はま さに根幹の地であったことになります。 その後、小田原を中心に関東一円に勢力を保った後北条氏ですが、秀吉による小田 原征伐を向かえ、山中城、韮山城を最前線として秀吉軍と戦いましたが、もろくも破 れ滅亡します。こうして、戦国時代は終結に向かって行きます。 ・開国と国防 260 年に及ぶ江戸幕府の支配の中で続いた太平の世は 1853 年のペリーの来航によ って目を覚まされることになりますが、それより以前から、伊豆の国の大半の支配を あずかる韮山代官江川太郎左衛門英龍(担庵)は、しばしば伊豆の国及び下田の警備な どについて幕府に対し、意見書を提出していました。 江川家はもともと、大和の国の出と言われていますが、保元の乱で崇徳上皇側に 味方して破れこの地に移住し、江川姓を名乗り、江戸幕府から世襲代官として任ぜら れ、英龍は 36 代に当たります。 英龍は、ペリー来航を期に、幕府に請願し、伊豆の海防上の見地から、下田に大 砲を鋳造するための反射炉の築造を願い出て許され、一旦は下田で反射炉の建設が始 まりましたが、日米和親条約により下田港が開港されたため、機密上の問題から、韮 山に建設されることとなりました。こうして、我が国としての最新の技術を導入した 反射炉が建設されたのは、英龍の死の 2 年後の 1857 年のことでした。そして、この 反射炉を利用して、臼砲などが製造されました。反射炉は、各藩でも製造されました が、今日ほぼ完全な形で残されているのは、韮山町にあるこの反射炉のみです。 また、英龍は、品川のお台場建設にかかわったり、日本最初のパンを、この地で 焼いたことから、韮山町が我が国パン発祥の地ともなっています。 なお、江川家の生家「江川邸」は、当時の代官屋敷をそのまま伝える建築物として、 国指定の重要文化財として展示されています。 やがて時代は、明治維新を迎え、近代日本の幕開けとなります。
歴史文化資源 図№ 資 源 名 町名 内 容 ① 北江間横穴群 (国指定史跡) 伊豆長岡町 石櫃を安置するための施設で横穴群のひとつ 大北横穴群からは「若舎人」と刻まれた 1200 年前の石櫃(国指定重要文化財)がみつかり、舎 人として豪族に仕えたとして氏族の墓だった ことが分かった ② 北条寺 (北条義時の墓) (町指定史跡) 〃 北条義時が創建したものといわれ、寺には運慶 派作の木造阿弥陀如来、北条政子奉納牡丹鳥獣 紋繍帳(いずれも県指定有形文化財)などの文 化財・古文書が多数あり、小四郎山とよばれる 寺内の丘の上には、北条義時夫妻の墓がある ③ 宗徳寺 〃 紺紙金字法華経(県文化財)が所蔵されている ④ 最明寺 (北条時頼の墓) (町指定史跡) 〃 鎌倉幕府第 5 代執権で最明寺入道とよばれた北 条時頼が開基といわれ、寺の裏には時頼の墓と 伝えられる五輪塔がある。 ⑤ 駒方神社 (駒形古墳) (町指定史跡) 〃 伊豆で唯一の人物埴輪が出土した前方後円墳 であるといわれる ⑥ 韮山町立郷土資 料館 韮山町 弥生時代後期の農耕集落の跡、山木遺跡の出土 品や江川太郎左衛門に関する資料も多い ⑦ 韮山町立歴史民 俗資料館 〃 旧上野家住宅(県文化財、18 世紀中期頃に建築 された草葺寄棟造の古民家)を移築したもの で、近世の農民の生活を伺い知ることができる ⑧ 国清寺 〃 室町時代、関東管領に背いて鎌倉から伊豆に逃 れた畠山国清が創建の後、上杉憲顕が修理・増 築したもので、背後に回るとやや離れた場所に 畠山国清と上杉憲顕の五輪の墓塔が立つ。金剛 力士像:県有形文化財 ⑨ 毘沙門堂 〃 国清寺の守護毘沙門天を祀ったもの ⑩ 江川邸 (国指定 重要文化財) 〃 江川邸に隣接して作られ、江川坦庵関係の資料 のほか、近くの山木遺跡から出土した木製農具 などが展示されている ⑪ 韮山城跡 〃 韮山城は戦国時代に北条早雲が居城としてい たもので、現在の県立韮山高校の東から南にか けての山が韮山城跡であり、その付近には当時 の水掘や空掘、土塁などがところどころに残 る。 ⑫ 蛭が小島 〃 平治の乱に敗れた源義朝の子、頼朝が 1160 年 に 14 歳で配流され、後に北条邸に移るまでの 約 20 年間流人生活を送ったとされる
⑬ 伝堀越御所跡 (国指定史跡) 〃 室町幕府第八代将軍足利義政の弟、足利政知が 居館とした場所であり(堀越公方)と称された 政知は、ここで 30 年余にわたり関東に入る機 会をうかがったが、伊豆の一地方権力のままで 終わった。 ⑭ 願成就院 (国指定史跡) 〃 北条時政が源頼朝の奥州攻め成功を祈って建 立したといわれているが、実際は北条家の氏寺 である。 ⑮ 韮山反射炉 (国指定史跡) 〃 韮山の代官、江川太郎左衛門が国防上の必要性 を幕府に進言して築いた溶鉱炉で、現在は高さ 16mの煙突と幅 5m、縦 5.6mの炉跡が残って いる。 ⑯ 女塚慰霊碑 (女塚史跡公園) 大仁町 源頼朝と悲恋の末、伊東祐親の娘八重姫の侍女 が自害した場所で、土地の人々の手によって供 養塔が残され、姫に準じた 6 人の侍女の慰霊供 養塔が残され、侍女の慰霊供養もされている。 ⑰ 子育地蔵尊 〃 その昔、子宝に恵まれない夫婦が旅の高僧に地 蔵を供養してもらったところ子宝に恵まれた ことで、それ以来子宝に恵まれない夫婦が子地 蔵を借り、子宝に恵まれると 1 体を併せて 2 体 奉納してお礼をする。 ⑱ 広瀬神社 〃 旧田中村の総鎮守で、社殿は平価に係り衰えた が、社業は自然性にすぐれ、クスノキなどの大 木が「神社の森」として歴史のある繁栄を今に 伝えている。 ⑲ 長谷山蔵春院 永享の乱で戦死した足利持氏追悼のため、上杉 憲実が建立したもので、度々火災にあったが復 興し、今なお末寺 15 を有する ⑳ 大仁神社 (大仁梅林) 〃 洪水に備えた治水、土地開発、酒造りの守護神 で、相撲の神様といわれる大山昨命が祀られて いる
(2)地域の土地利用の状況 ア. 宅地・農地・森林等面積 3町の土地利用は、平成 12 年現在で、宅地 8.6%、農地 15.2%、森林 55.4%とな っています。 宅地面積は、伊豆長岡町、大仁町で昭和 60 年より増加傾向にあります。韮山 町では、平成 7 年の 486ha から平成 12 年では 338ha に減少しています。 農地面積は、3町とも昭和 60 年より減少傾向にあります。 森林面積は、昭和 60 年より減少傾向にありましたが、平成 12 年では3町とも 増加しています。 【土地利用】 (単位:ha、%) 面積内訳 宅地 農地 森林 その他 年 面積 構成比 面積 構成比 面積 構成比 面積 構成比 行政 面積 S60 178 10.9 297 18.1 813 49.6 351 21.4 1,639 H2 192 11.7 286 17.4 806 49.2 355 21.7 1,639 H7 208 12.6 267 16.2 773 46.8 404 24.5 1,652 伊豆長岡町 H12 209 12.7 258 15.6 775 46.9 410 24.8 1,652 S60 471 13.5 739 21.1 1,860 53.2 429 12.3 3,499 H2 478 13.7 713 20.4 1,876 53.6 432 12.3 3,499 H7 486 14.0 690 19.9 1,790 51.5 509 14.7 3,474 韮 山 町 H12 338 9.8 665 19.2 1,799 51.9 662 19.1 3,463 S60 221 5.1 531 12.2 2,738 62.8 870 20.0 4,360 H2 234 5.4 528 12.1 2,723 62.5 874 20.0 4,360 H7 240 5.5 506 11.6 2,664 61.2 946 21.7 4,356 大 仁 町 H12 264 6.1 514 11.8 2,674 61.4 904 20.8 4,356 S60 870 9.2 1,567 16.5 5,411 57.0 1,650 17.4 9,498 H2 904 9.5 1,527 16.1 5,405 56.9 1,661 17.5 9,498 H7 934 9.9 1,463 15.4 5,227 55.1 1,859 19.6 9,482 計 H12 811 8.6 1,437 15.2 5,248 55.4 1,976 20.9 9,471 資料) 「静岡県の土地利用」 静岡県都市住宅部 土地利用(3町計;平成12年) 宅地 8.6% 農地 15.2% 森林 55.4% その他 20.9%
イ. 都市計画区域概況 【都市計画区域の概況】 (単位:ha) 伊豆長岡町 韮山町 大仁町 3 町計 第1種低層住居専用地域 29.0 28.8 57.8 第2種低層住居専用地域 0.0 第1種中高層住居専用地域 23.0 47.0 67.0 137.0 第2種中高層住居専用地域 40.0 40.0 第1種住居地域 45.0 78.0 123.0 第2種住居地域 40.0 21.0 14.0 75.0 準住居地域 21.0 7.4 28.4 近隣商業地域 31.0 8.7 13.0 52.7 商業地域 42.0 4.3 6.0 52.3 準工業地域 0.0 工業地域 31.0 31.0 工業専用地域 0.0 用途 地域 計 210.0 170.8 216.4 597.2 市街化区域 209 171 216 596 市街化調整区域 1,443 3,292 4,140 8,875 合計 1,652 3,463 4,356 9,471 資料) 「静岡県の都市計画(平成14年3月31日現在)」 静岡県都市住宅部 ウ.市街化区域内農地面積 【市街化区域内農地面積】 (単位:ha、%) 市街化区域内 農地面積(B) 年 市街化区域 面積(A) 田 畑 農地率(B/A) S60 220 21 8 13 9.5 H2 220 18 7 11 8.2 H7 220 13 5 8 6.1 伊豆長岡町 H12 209 10 3 7 4.8 S60 180 41 18 23 22.8 H2 180 36 15 21 20.0 H7 180 28 11 17 15.6 韮 山 町 H12 171 22 9 13 12.7 S60 192 42 28 14 21.9 H2 192 36 22 14 19.3 H7 192 30 16 14 15.6 大 仁 町 H12 216 26 13 13 12.2 S60 592 104 54 50 12.2 H2 592 90 44 46 12.2 H7 592 71 32 39 12.2 計 H12 596 58 25 33 12.2 資料) 「静岡県の土地利用」 静岡県都市住宅部
エ.防災関係地域指定 【防災関係地域指定】 (単位:箇所、ha) 急傾斜地崩壊 危険区域 砂防指定地域 地すべり防止 区域 宅地造成工事 規制区域 災害危険区域 年 箇所 面積 箇所 面積 箇所 面積 箇所 面積 箇所 面積 S60 4 2.00 6 2.80 H2 4 2.00 6 2.80 H7 4 2.27 6 3.07 伊豆長岡町 H12 5 2.27 1 0.87 7 3.10 S60 1 1.50 2 7.32 1 2,531 1 1.50 H2 6 7.15 2 7.32 1 2,531 7 8.08 H7 8 8.56 2 7.32 1 2,531 8 8.08 韮 山 町 H12 10 10.57 3 12.57 1 2,531 10 10.6 S60 5 2.15 5 65.24 9 6.24 H2 5 2.15 5 65.24 1 14.74 9 6.69 H7 5 2.60 6 66.57 1 14.74 9 6.69 大 仁 町 H12 6 7.04 6 66.57 1 14.74 10 11.1 S60 10 5.65 7 72.56 0 0 1 2531 16 10.54 H2 15 11.3 7 72.56 1 14.74 1 2531 22 17.57 H7 17 13.43 8 73.89 1 14.74 1 2531 23 17.84 計 H12 21 19.88 10 80.01 1 14.74 1 2531 27 24.8 資料) 「静岡県の土地利用」 静岡県都市住宅部
(3)人口の動態 ア.人口 3町の人口は、平成 12 年国勢調査では 50,062 人であり、県全体の 1.3%を占 めています。3町内の構成比は韮山町が最も多いものの、それぞれ 30%台であり、 同じ人口規模の町であるといえます。3 町とも緩やかな増加傾向にありましたが、 伊豆長岡町、大仁町では平成 12 年調査より減少に転じています。 (単位:人、%) 人口実数 増加率 S60 H2 H7 H12 H2/S60 H7/H2 H12/H7 H12 構成 比 伊豆長岡町 14,374 14,898 15,558 15,233 3.6 4.4 ▲2.1 30.4 韮 山 町 16,897 17,935 19,017 19,410 6.1 6.0 2.1 38.8 大 仁 町 15,140 15,511 15,753 15,419 2.5 1.6 ▲2.1 30.8 3 町 計 46,411 48,344 50,328 50,062 4.2 4.1 ▲0.5 100 田方郡全体 122,974 127,040 131,358 131,255 3.3 3.4 ▲0.1 静岡県全体 3,574,692 3,670,840 3,737,689 3,767,393 2.7 1.8 0.8 資料) 「国勢調査」 総務省統計局 人口推移(S60-H12) 14,374 14,898 15,558 15,233 16,897 17,935 19,017 19,410 15,140 15,511 15,753 15,419 0 5,000 10,000 15,000 20,000 25,000 S60 H2 H7 H12 人 伊豆長岡町 韮山町 大仁町 イ. 世帯数 世帯数は、増加傾向がさらに進んでいます。 (単位:世帯、人、%) H7 H12 世帯数 人口 1 世帯 人員 世帯数 人口 1 世帯 人員 世帯数 構成比 伊豆長岡町 5,515 15,558 2.82 5,602 15,233 2.72 30.4 韮 山 町 6,161 19,017 3.09 6,655 19,410 2.92 38.8 大 仁 町 5,063 15,753 3.11 5,172 15,419 2.98 30.8 3 町 計 16,739 50,328 3.01 17,429 50,062 2.87 100 田方郡全体 42,450 131,358 3.09 44,317 131,255 2.96 静岡県全体 1,204,189 3,737,689 3.10 1,280,984 3,767,393 2.94 資料) 「国勢調査」 総務省統計局
世帯数の推移(伊豆長岡町) 4,538 4,964 5,515 5,602 2.72 2.82 3.00 3.17 2.94 3.10 3.28 3.46 0 1,000 2,000 3,000 4,000 5,000 6,000 7,000 S60 H2 H7 H12 世 帯 2.00 2.50 3.00 3.50 4.00 4.50 5.00 人 世帯数 世帯人員 県 世帯人員 世帯数の推移(韮山町) 4,797 5,454 6,161 6,655 2.92 3.09 3.29 3.52 2.94 3.10 3.28 3.46 0 1,000 2,000 3,000 4,000 5,000 6,000 7,000 S60 H2 H7 H12 世 帯 2.00 2.50 3.00 3.50 4.00 4.50 5.00 人 世帯数 世帯人員 県 世帯人員 世帯数の推移(大仁町) 4,362 4,681 5,063 5,172 2.98 3.11 3.32 3.47 2.94 3.10 3.28 3.46 0 1,000 2,000 3,000 4,000 5,000 6,000 7,000 S60 H2 H7 H12 世 帯 2.00 2.50 3.00 3.50 4.00 4.50 5.00 人 世帯数 世帯人員 県 世帯人員 世帯数の推移(3町計) 13,697 15,099 16,739 17,429 2.87 3.01 3.20 3.39 2.94 3.10 3.28 3.46 0 2,000 4,000 6,000 8,000 10,000 12,000 14,000 16,000 18,000 20,000 S60 H2 H7 H12 世 帯 2.00 2.50 3.00 3.50 4.00 4.50 5.00 人 世帯数 世帯人員 県 世帯人員 ウ. 高齢化 全体では老年化指数及び高齢化率が県全体の水準を超えており、高齢化が進 んでいるといえます。 【年齢区分別人口】 (単位:人、%) H12 年少人口 生産年齢人口 老年人口 従属人口指数 老年化指数 伊豆長岡町 2,179 10,187 2,867 49.5 131.6 韮 山 町 2,866 13,108 3,436 48.1 119.9 大 仁 町 2,271 10,119 3,020 52.3 133.0 3 町 計 7,316 33,414 9,323 49.8 127.4 田方郡全体 19,139 85,969 26,093 52.6 136.3 静岡県全体 568,986 2,532,256 665,574 48.8 117.0 資料) 「国勢調査」 総務省統計局 年少人口:0∼14 歳人口、生産年齢人口:15∼64 歳人口、老年人口:65 歳以上人口 従属人口指数=(年少人口+老年人口)/生産年齢人口×100 指数が高いほど生産年齢人口の負担増 老年化指数=老年人口/年少人口×100 100 を超えると年少者より老年者が多いことを示す
年代区分別人口(H12) 7,316 2,179 2,866 2,271 33,414 10,187 13,108 10,119 9,323 2,867 3,436 3,020 0% 10% 20% 30% 40% 50% 60% 70% 80% 90% 100% 3町計 伊豆長岡町 韮山町 大仁町 年少人口(0∼14歳) 生産年齢人口(15∼64歳) 老年人口(65歳以上) 【高齢化率】 (単位:人、%) S60 H2 H7 H12 高齢化率 高齢化率 高齢化率 65 歳以上 人口 高齢化率 構成比 伊豆長岡町 8.81 13.41 15.44 2,867 15,233 18.82 30.8 韮 山 町 10.41 18.19 15.01 3,436 19,410 17.70 36.9 大 仁 町 10.43 12.94 16.49 3,020 15,419 19.59 32.4 3 町 計 9.86 15.04 15.61 9,323 50,062 18.62 100 田方郡全体 11.65 14.30 16.76 26,870 130,887 20.53 静岡県全体 10.27 12.67 14.75 688,859 3,779,570 18.23 資料) 「国勢調査」 総務省統計局 65歳以上人口の推移(伊豆長岡町) 1902 2402 2867 1531 18.82 15.44 12.72 8.81 0 1000 2000 3000 4000 5000 6000 7000 8000 9000 10000 S60 H2 H7 H12 人 0.0 5.0 10.0 15.0 20.0 25.0 30.0 % 65歳以上 高齢化率 65歳以上人口の推移(韮山町) 2189 2855 3436 1759 17.70 15.01 12.06 10.41 0 1000 2000 3000 4000 5000 6000 7000 8000 9000 10000 S60 H2 H7 H12 人 0.0 5.0 10.0 15.0 20.0 25.0 30.0 % 65歳以上 高齢化率 65歳以上人口の推移(大仁町) 1580 1921 2598 3020 19.59 16.49 12.28 10.43 0 1000 2000 3000 4000 5000 6000 7000 8000 9000 10000 S60 H2 H7 H12 人 0.0 5.0 10.0 15.0 20.0 25.0 30.0 % 65歳以上 高齢化率 65歳以上人口の推移(3町計) 4870 6012 7855 9323 9.86 12.33 15.61 18.62 0 1000 2000 3000 4000 5000 6000 7000 8000 9000 10000 S60 H2 H7 H12 人 0.0 5.0 10.0 15.0 20.0 25.0 30.0 % 65歳以上 高齢化率
エ. 社会移動の状況 平成 7 年から平成 12 年の間の社会移動の状況を移動率(転入者−転出者の人 口に占める割合)で見ると下の図のようになります。 伊豆長岡町では、どの年代においても転出超過の傾向が見られます。 韮山町では、進学や就職時にあたる、10 代後半から 20 代前半で転出超過にな りますが、20 代後半から転入超過の状況にあります。 大仁町では、韮山町と同様の傾向がみられますが、やや転出超過で推移してい ます。 3 町ともに 60 代後半から 80 代後半にかけて転出超過となっていますが、90 歳 以上では転入超過がみられます。これは、この地域に高齢者向けの福祉施設が多 くあることによるものと考えられます。 移動率(H7-H12) -0.3 -0.2 -0.1 0.0 0.1 0.2 0.3 3町 伊豆長岡町 韮山町 大仁町 0∼ 4 歳 5∼ 9 歳 10∼ 14歳 15∼ 19歳 20∼ 24歳 25∼ 29歳 30∼ 34歳 35∼ 39歳 40∼ 44歳 45~ 49歳 50∼ 54歳 55∼ 59歳 60∼ 64歳 65∼ 69歳 70∼ 74歳 75∼ 79歳 80∼ 84歳 85∼ 89歳 90歳 以上 韮山町 3 町計 伊豆長岡町 大仁町 外国人登録者数の推移 197 165 95 137 147 140 149 146 142 147 149 147 118 110 109 80 100 120 140 160 180 200 H9 H10 H11 H12 H13 人 伊豆長岡町 韮山町 大仁町 オ. 外国人登録数 【外国人登録者数の推移】 (単位:人) H9 H10 H11 H12 H13 伊豆長岡町 147 140 149 146 197 韮 山 町 147 149 147 142 165 大 仁 町 109 110 95 118 137 3 町 計 403 399 391 406 499 資料) 「市町村の指標」 静岡県総務部市町村行政室