年 12 月 9 日、上海市のラ ンドマーク、テレビ塔に近 い市内最大級のショッピン グセンターの一角には朝から人だかり ができていた。彼らが待っていたのは、 この日開店する「ユニクロ」の新店。 ピカピカの店に一番乗りしようと、警 36 NiKKei Business 2007年2月12日号 (写真:篠崎 律)
昨
七転び八起き
我が社の富裕層攻略法
商慣習の壁や消費行動の違い、そして世界メジャーとの競争…。
目まぐるしく変わる市場環境にも翻弄され、
参入には試行錯誤が必至だ。首位固め、新規参入、
そして失敗からの再起。日本ブランドかく戦えり。
ここでも
「作り直
し」
想定顧客 個人月収9
万円
以上ユニクロ
備員の制止をかいくぐって店内に 入り込む若者も見受けられた。 開発によって 街の中心部から 周囲へと広がる マンション群。 抜群の集客力を 誇るこの場所にファーストリテイ リングは自称「ユニクロの上海旗 艦店」を持ってきた。店舗面積は 日本の店舗と比べても最大級の 2200m2。柳井正会長兼社長も開 店セレモニーに駆けつけた。 午前 11 時の開店時間が訪れる と待ちかねた顧客たちで店内はご った返した。物見遊山 の冷やかしが多いかと思い きやそうでもなく、間もな くレジには長蛇の列。店内 用の買い物かごいっぱいに 衣料品を詰め込み、一度に 1万円分以上を買い求める 客もいた。快調な滑り出し を見届けた柳井社長は安堵 した表情でつぶやいた。 「こういう店が必要だと 分かるまで、4 年かかった ということですよ」 ユニクロが初めて中国に 出店したのは 2002 年 9 月。 1号店は上海市の目抜き通 りの 1 つ南京東路の歩行者 天国だ。当時としては集客 力に申し分のない一等地だ ったが、険しい道を歩む。 上海市民の反応ははかば かしくなく、約 3 年間で 9 店舗まで拡大するのがやっ と。開店してから 1 ∼ 2 カ 月は物珍しさで客は集まる が、その後が続かない。新規出店によ り全体の売上高は毎年 10 %程度伸ば したが、既存店ベースでは早々に前年 割れに落ち込むところが出始めた。
「普段着なのに、なぜ高い」
中国事業を統括するユニクロ香港の 潘寧社長は「出店当初は上海市民もま だ気前よく消費を楽しむ段階ではなか った。加えて、ユニクロの戦略も的を 射たものではなかった」と振り返る。 フリースブームなど日本での好調が 続いたこともあり、2002 年の進出当 時、ユニクロは当時の日本の店舗設計 や商品を上海に“移植”した。従来の ユニクロの強さは実用に堪えるカジュ アル衣料を低価格で提供するところに あった。対象はマスマーケット。これ が日本では中流消費者に受けたが、中 国の市場環境は大きく異なっていた。 日本での「お手頃価格」は現地の消 費者にしてみれば「普段着なのに、な ぜこんなに高い」と受け止められる水 準。安い衣料品はたくさんあるし、少 しファッション性や品質を高めた衣料 品も香港系ブランド店が進出してい た。結果としてユニクロは明確な特色 を打ち出せなかった。 反省を踏まえて、仕切り直しに 取りかかったのは 2005 年だ。基 本は他の衣料品店にないユニクロ の特徴を明確に打ち出す品揃えと 店作りである。「良いものをどこ よりも安く」という従来の路線は 捨て、急増するニューリッチに顧 客ターゲットを絞り込んだ。対象 顧客は個人月収9 万円以上。 既存店の改装などを進める傍ら 準備を進め、ユニクロブランド “作り直し”ののろしと位置づけ たのがこの旗艦店だ。内装や展示 用什器は日本の繁盛店の 1 つであ る東京・目黒の店舗に倣った。今 後も、従来のような 1000m2未満 の出店は控え、大型店で「ファッショ ン性の高いカジュアル衣料を組み合わ せで着る楽しみ」を売る店を出す。 商品の平均単価は以前に比べて 25 ∼ 30 %高くなった。日本の店舗と比 べても約 10 %高い水準だ。品揃えだ けでなく、衣料の素材まで日本と同等 に引き上げたためである。中国の関税 や輸送費によって日本より何割も高く なってしまう素材を避けて、以前は現 地調達品による低価格化を優先してい た。それを価格は上がっても「日本基 準」の店を作ることにした。 商品のモデルチェンジも日本並みの 短期サイクルに変え、これまではなか った 1 カ月単位での商品入れ替えも一 部で始めた。あくまでファッションを 売るユニクロとしてのイメージ作りは 成果を上げており、既存店ベースで前 年比 20 ∼ 30 %増の売り上げを達成す る店も出始めた。 「中国の顧客はファッションや素材 についての知識はまだ少ない。商品と 店という顧客との 2 つの接点で、ライ バルと差をつける情報を発信してい く。口コミ情報が速い中国市場では先 にブランドイメージを定着させた会社 が勝つ」と潘社長は言う。 NiKKei Business 2007年2月12日号 37 (写真:篠崎 律)セーター
2600
円
売れ筋商品 昨年12月9日の「上海旗艦店」の 開店直後ににぎわう店内。間もな くレジには長蛇の列ができた 商品のレベルを 日本と揃えたた め平均単価は25 ∼30%上昇んにちは。おはようござい ます。ありがとうございま した。おじゃまします!」。 朝 9 時、5 階建てほどのアパートが立 ち並ぶ住宅地で女性たちの声が響い た。「努力して訪問、心を込めて顧客 を開拓、朗らかに熱意を持って、自分 を信じよう!」…。リーダーの訓辞や 報告、広東語に翻訳した社歌の斉唱な どを挟みながら、女性たちが唱和する 声は5 分間ほど続いた。
宅配で「納得」を売る
ここは、ヤクルト本社の中国法人、 広東省にある広州ヤクルトが展開する 販売店の 1 つだ。店内で整列して声を 上げているのは制服に身を包んだ 30 人ほどの販売員、通称「益力多小姐」。 日本語に訳せば「ヤクルトレディ」で ある。朝礼が終わると、彼女たちはパ ック詰めのヤクルトを店内の冷蔵庫か ら自転車の荷台に詰め込み、持ち場の 区域に向かって走り去っていった。 この販売店は自転車で片道約 50 分 以内の販売区域を受け持つ。ヤクルト レディは 1 人で最高 300 軒ほどの家庭 を担当しており、これを 2 ∼ 3 日に 1 回の頻度で訪問する。1 人が 1 日で回 る家庭は平均で 56 戸だ。日本と異な るのは、事前の契約であらかじめ決め られた家庭や本数を配るわけではない こと。訪問先は顧客から「個別訪問の 許可」をもらっている家庭で、いつ何 本売れるかはその時の売り込み次第。 5本パック 140 円の代金も、その場で 現金決済というのが中国式だ。 販売員の給与は売り上げに応じた歩 合給が大半だから、販売活動には熱が 入る。持ち場の区域で顧客の友人など を紹介してもらったりして訪問先を増 やしていくのがコツだ。乳酸菌はなぜ 体に良いのか、スラスラと説明できる プレゼンテーション能力も優秀なヤク ルトレディの条件である。 ヤクルトは現在、広州と上海の 2 カ 所に工場を持ち、広東省の広州と深 œ、上海、北京の3 地区で販売活動をし ている。中国本土で最初に販売を始め たのがこの広州だ。ヤクルトは広東省 38 NiKKei Business 2007年2月12日号 (写真:篠崎 律)レディ
は昼飯時
に走る
売れ筋商品ヤクルト
5
本パック
140
円
「
こ
「養楽多」は華東以北で使っている商 品名。顧客の求めに応じて、1本1.8 元(約28円)のばら売りもする 想定顧客 世帯月収4
万
5000
円
以上ヤクルト
に隣接する香港に 1969 年に進出して おり、その後、広州でも代理店を経由 した量販店への販売を始めた。この販 売網を引き継ぐ形で中国に本格進出し たのが2002 年設立の広州ヤクルトだ。 約 1 年後の 2003 年 8 月、自前の販 売店を作って宅配事業の展開を始め た。宅配にこだわったのは、ヤクルト が売り物とする乳酸菌の整腸作用を知 ってもらい、健康に良い飲料としてブ ランドを認知してもらうためだ。 新しいエリアに切り込む時、多用す るのが試飲会だ。購買力の高そうな家 庭が多い高級マンションの中庭や駐車 場の脇などで通りがかる人たちに飲ん でもらい、その効用を説明する。ヤク ルトの知識に関するクイズの正解者に は 1 パック贈呈する。こうした機会を 通じて訪問の許可をもらった家庭を定 期的に回り、地道な活動で徐々に宅配 エリアを拡大した。
宅配率40%まで道半ば
共働きが多い中国では日中、顧客の 在宅率が低いのが悩み。しかし、昼食 時は自宅で食事を取る主婦や子供がい るから稼ぎ時だ。客の勤務先の前で終 業時刻に、とか、子供を迎えに行く時 間に小学校の前で、といった変則的な 待ち合わせもケース・バイ・ケースでき め細かく対応する。 宅配には利益面でもメリットがあ る。定価販売が原則だから値崩れはな し。中国の量販店向けでは避けられな い販売奨励金とも無縁 だ。これは量販店向けだ けに売ってきた時に経験 した煩わしさの裏返しで もある。 中国本土で初めて自ら 量販店への販売を始めた 時は、小売り側から吹っ かけられる様々な“手数 料”に手を焼いた。ある チェーン店で売り場のス ペースを確保するために 200万円以上を提示され たが、粘り強く交渉する と10 分の1 になった。 また別のチェーンでは 本部が、事前に何の相談 もなく「キャンペーンを やるから協賛金を出すよ うに」とファクスを送り つけてきた。まだ流通業 界の近代化が進んでいな い中国では売ってやらん かなの商慣習が残ってい る。これを飛び越えて顧 客とつながり、市場情報 を自ら集められるのも宅配の利点だ。 宅配を始めてから約 3 年半の広州ヤ クルトでは売り上げ全体に占める宅配 比率が 18 %で、昨年に営業を開始し た上海では 10 %未満と目標の 40 %ま ではまだ遠い道のり。量販店での販売 や、テレビや街頭広告を使った宣伝活 動の方が知名度を上げる即効性はある が、「ヤクルトは納得して買ってもら う商品。日本と同じ基本を中国でも追 求する」と統括会社である中国ヤクル トの安齋春樹社長は言う。 世界で 1 日 1600 万本を売るヤクル トのうち、中国販売分は約5 %の約90 万本に達したところだ。これを 2010 年までに 5 倍以上の 500 万本まで増や し、全世界に占める割合を約 4 分の 1 まで高めるのが当面の目標である。 NiKKei Business 2007年2月12日号 39 朝礼後、自転車の荷台に商品を積み、持ち場に向 かう「ヤクルトレディ」。求人広告や地域の婦人会を 通じて募集し、子育てが一段落した主婦が多い人同士の 5 人の若者が注文 カウンターまでやってきた。 メニューを見ながらあれこ れ相談しているものの、なかなか注文 が決まらない。そのうち1 人が「オレ、 メンが食べたくなったな…」とつぶや いた。「じゃあ、そうしよう」。きびす を返した 5 人はぞろぞろと店内から出 ていってしまった。 吉野家ディー・アンド・シーの上海 法人、上海吉野家快餐の及川健社長は 赴任してきた 1 年半前に見た、こんな 何気ない光景をよく覚えている。牛丼 を食べたいわけではないのになぜ店に 入ったのか、そして、何かを期待して いたなら試す価値があると思ってもら えるメニューとは何か――。そこから 試行錯誤は始まった。 日本では言わずと知れた「吉 野家の牛丼」。これが上海に上 陸したのは 2002 年 8 月のこと だった。4 年もかけて合弁パー トナー企業を吟味し、満を持し ての中国事業。しかし、「5 年 で 50 店舗」という当初の目標に は遠く及ばず、5 年目に突入し ても、まだ 8 店舗しか展開でき ていない。
研究を重ねたつもりが
中国文化にない牛丼をいかに 売るか。当初から吉野家は十分 な研究を重ねて商品や店作りに 反映させてきたつもりだった。 どんぶり飯の上に具を載せる 食べ方は、中国では単純工など 低所得者が日常食べる「ぶっか け飯」のイメージと重なるため、 四角い器に牛肉から鶏肉、野菜 までを並べて載せた「コンボ」 風のメニューや、中国人にも馴染みの 深い鶏の照り焼き丼などを加えた。 席も日本のようなカウンター式では なく、4 人掛け中心のテーブル式だ。 並盛りの牛丼で約 200 円という価格 は、一般の食堂なら定食風の料理が 2 ∼ 3 食分は食べられる高額商品。食事 は友人や家族と会話を楽しみながらと いう中国スタイルに合わせた。 それでも上海の外食市場では十分に 受け入れられなかった。集客が思うに 任せなかったために積極的な店舗展開 ができず、売り上げも毎年 3 ∼ 5 %増 にとどまって期待を大きく下回った。 思い切った戦略に舵を切ったのは 2005年の半ばになってからのことだ。 40 NiKKei Business 2007年2月12日号v野家
牛丼比率
50
%
友
日本とは異なるカフェテリア方式。日 本をイメージする桜をモチーフに、明 るい内装に変えてから客足が増えた 想定顧客 世帯月収4
万
5000
円
以上まずはメニュー。きっかけは物珍しさ でもいい。とにかく入店したら 1 食で も注文してもらえるよう、日本では考 えられないメニューまで次々と試し た。カレーライスはもちろん、ラーメ ン、ウナギ、焼き鳥といった具合だ。 出店方針も変えた。出店当初はリス クを減らすため、家賃が安い場所を探 して出店していたが、これを集客力重 視に改めた。家賃の安さで選ぶと、た とえ人通りが多くても郊外の住宅地に 近いスーパーの一角といった場所にな る。顧客ターゲットは 18 ∼ 35 歳くら いの流行に敏感な若年層だったのに、 実際にやってくるのは孫を連れたおじ いさんという具合だ。 「3 店舗くらいは、採算を合わせる のが苦しくても、目立つ所に店を持と う」。及川社長が指揮を執って富裕層 が集まるビジネス街などへの出店を始 めた。店内の内装も飾り気のないシン プルなものから、明るい雰囲気で日本 をイメージしてもらえる桜のイラスト などに変えた。 「低コスト経営よりもブランド認知」 という戦略は軌道に乗り始めた。繁華 街に出店した 1 号店は、メニューの大 幅変更と改装をしてから売り上げが目 に見えて改善した。前年比 5 %増程度 で推移していた売り上げは、安 定的に 20 %近く増えるように なり、月によっては 40 %近く 増えるようになった。 富裕層の拡大の波にも乗った のだろう。「夫婦共働きで世帯 収入が 3000 元(約 4 万 5000 円) にもなれば、週に何回かは 1 人 分25 元(約400 円)くらいの外食 はするようになる。上海でそん な新しい富裕層が増えている手 応えは、他の外食業界の人たちも感じ ている」と及川社長は言う。
奇抜メニューは“リストラ”へ
売り上げが伸びただけでなく、吉野 家としてはうれしい質的な変化もあ る。注文全体に占める牛丼比率の上昇 だ。米国やオーストラリア、シンガポ ールなど、吉野家が海外進出するのは、 日本の牛丼を世界の人たちにも食べて もらいたいと考えるからだ。奇抜なメ ニューの数々も、まずは来店してもら い、いずれは牛丼の固定客になってほ しいとの狙いが込められていた。 出店開始から 5 年。長いこと 40 % 台前半にとどまっていた「牛丼比率」 はようやく上向き始め、「50 %の壁」 を う か が う ま で に な っ た 。 こ れ が 55%を安定的に超えるようになれば、 客引きのための苦肉の策だった“奇抜 メニュー”のリストラに着手しようと 及川社長は考えている。 上海吉野家はメニューの試行錯誤を 続けていた時期でも、「店の顔」となる メーンの広告では常にシンプルな牛丼 の写真を中心に据えていた。「吉野家 と言えば牛丼」という悲願のブランド イメージの定着に向け、ようやく歯車 が噛み合い始めた。 NiKKei Business 2007年2月12日号 41 (写真:篠崎 律)の壁
どんぶり飯に抵抗がある顧客向け のコンボスタイル(上)。牛丼には 主に中国産牛肉を使い、食感を柔 らかくするため日本より薄切りに 売れ筋商品牛丼
(並)200
円
双宝飯セット
430
円
年前、タカラトミー上海法 人の青柳寿彦社長は、中国 での販売を任せている代理 店の倉庫を久しぶりに視察した。そこ で目にしたのは、想像を超える在庫の 山だった。代理店の説明によれば、在 庫がありすぎて新しい商品を仕入れる ことができない。折しもその数カ月前、 同社は上海の保税区に初めて独自の貿 易会社を作り、本格的に中国市場の攻 略を始めようと意気込んでいたとこ ろ。出はなをくじかれた格好だった。 中国経済は高成長を続けており、購 買力は高まっているのになぜ――。視 察を続けるうちに、その理由が「売り 場」にあることが分かってきた。
売り場が「在庫置き場」に
中国は全世界の玩具のうち 7 割以上 を作っている玩具生産大国だ。百貨店 から町の雑貨店まで玩具売り場には中 国で作られた安価な玩具が溢れてい る。タカラトミーの商品もほとんどが 中国製だが、玩具市場の中では企画や 設計、品質、材質などの面で日本市場 向けの基準を満たした高額商品であ る。しかし、その良さをアピールでき る売り場作りにはほど遠かった。 タカラトミーは販売拠点を都市部の ショッピングセンターや百貨店など約 250カ所に絞っている。高額商品を販 売する場所としては申し分ないのだ が、日本の売り場と比べて明らかに異 なる点があった。売り場が「在 庫置き場」と化していたのだ。 中国の百貨店はメーカー別に 売り場を作るところが多い。タ カラトミーのコーナーにも所狭 しと商品が陳列してあるのだ が、その多くが商品を箱に入れ たまま棚に積んでいた。玩具は 子供が現物を手に取って、遊ん でみて初めて購買意欲をそそら れるものだ。 タカラトミーは日本と同じ方 式の売り場作りを中国で再現し ようと、中国企業への指導を開 始した。最初の難関は、代理店 と小売店が持っている売り場の 既成概念を取り払うことだっ た。「よく見えるようにサンプ ルを箱から出して手の届くとこ ろに置こう」「商品の見 栄えが良くなるようなゆ ったりした什器を置 こう」。そんな日本 42 NiKKei Business 2007年2月12日号2
タカラト
ミー
在庫を
“販促品
”
に一変
(写真:篠崎 律)のほほん族
2300
円
売れ筋商品 日本でもヒットした「のほほん 族」は試験販売が好評で定番 商品に格上げ。赤い体に「喜 喜」をあしらった中国限定版 を1月に発売した 想定顧客 世帯月収12
万円
以上では当たり前の提案でさえ、最初は抵 抗を示した。 代理店や小売店が主張するのは「商 品を出して展示すればスペースを食う から、置ける商品が少なくなる」とい う考えだ。百貨店などで売る場合、店 側は代理店から毎月一定の固定金額と 売り上げに応じた歩合で、場所代を受 け取る。そんな店舗運営の仕組みも 「展示するより、できるだけたくさん の商品を置きたい」という売る側の論 理が通りやすい土壌を生んでいた。 日本の売り場の写真を見せ、その実 績などを示しながら粘り強く交渉を続 け、ようやく新しい売り場作りはスタ ートした。効果はてきめんだった。例 えば、主力商品の 1 つであるミニカー では何十種類も一覧でき、取り出しや すい専用の什器を新たに導入した。ミ ニカーを走らせるレールのセットを組 み立て、実際に遊べるように展示した ところ、販売額は 1 年前に比べて 6 倍 にもなった。 電車のおもちゃを走らせるレールセ ットの組み立て方教室、飛行機のおも ちゃの飛ばし方教室――。子供連れの 客が多い土日に、こうした販促イベン トを開くようにした。ゆったりした売 り場作りで客の滞留時間も長くなり、 2006年は中国での売上高が前年に比 べて約3.5 倍になった。
一人っ子の贅沢消費に期待
少子高齢化が進む日本で、玩具メー カーは中長期的な市場縮小の危機にあ る。各社は対象顧客を広げる大人向け の商品の拡大に余念がない。とはいえ、 タカラトミーの高 橋勇専務執行役員 は、「本当に消費 者から支持される 『 良 い お も ち ゃ 』 を開発し続けてい るのか、売れる市場を探し続け ているのか、という思いは常に ある」と言う。 中国はまだ十分に市場開拓が 進んでいない国の 1 つだ。「所 得格差が大きいので潜在顧客は 全人口の上位 20 %程度だろう。 だが、それだけでも 2 億 6000 万人となり日本の人口の 2 倍 だ。一人っ子政策で子供は減る が、祖父母や親戚からの金銭的 な援助を考え合わせれば 1 人当 たりにかける費用は今より増え る可能性がある」と高橋専務は 話す。 最近、意外なヒット商品が出 た。日本でも売れた「のほほん 族」シリーズだ。丸顔のキャラ クターが太陽電池の力でゆっく りと首を振る置物で“癒やし系” 商品として日本でもヒットし た。4 日間の限定販売をしてみ たところ 250 個が瞬く間に売 れ、中国でも定番商品になった。 トミー玩具貿易上海の関本康二郎副 社長は一連の店舗指導を通じて「売り 場作りから商品まで、中国で通用する のに十分移植できていないものが多 い」と感じている。中国市場の変化を 見つつ、日本での経験と実績をひもと きながら次の一手を模索している。 NiKKei Business 2007年2月12日号 43 店頭在庫を減らし、 客が商品を見やす く手に取りやすい 店作りに取り組むんの数年前まで先進国的な 自動車用品市場がなかった ところで、自動車販売台数 は世界で 2 位。黙っていても市場がど んどん拡大する」。イエローハット中 国カー用品貿易の青木哲哉社長は中国 市場の魅力をこう語る。 イエローハットは 2004 年に中国進 出し、現在は上海と北京にそれぞれ合 弁のエリアフランチャイズ会社を作っ て店舗展開をしている。今は 8 店舗だ が、今後出店を加速して 2008 年には 44 NiKKei Business 2007年2月12日号 (写真:篠崎 律)
イエロー
ハット
定価販売
は譲れな
い
「
ほ
想定顧客 世帯月収15
万円
以上60店舗体制を築き上げる計画だ。 店舗売り上げはほぼ当初の見込み 通りで推移しており、既存店ベース でも年間 10 %程度、売り上げ増が 続いている。出店から 1 年も経たず に単年度黒字を達成する店もあり、 これから本格化する毎月 2 店舗とい うハイペースな新規出店に向けて手 応えを感じている。
「余計な口出しはするな」
中国における自動車販売はこの 5 年間、年率平均 25 %で伸びている。 2006年には 721 万台となり、日本 を抜いて米国に次ぐ世界第 2 位の自 動車市場になった。自動車用品店に とって魅力的なのは「市場の若さ」 だ。車の買い替え需要がまだ少ない ため、自動車用品市場の対象マーケ ットとなる「保有台数」には、新車 販売の大半が積み増されていく。 イエローハットはこの伸び盛りの 市場に、日本で展開しているのと同じ 方式の自動車用品販売・サービス店を 持ち込んだ。上海市郊外の呉中路店の 場合、1 階の入り口近くにタイヤやホ イールなど、大きく重い商品があり、 2階がオーディオや芳香剤、洗車用品 などの売り場になっている。駐車場に 面した外側は、部品取りつけの作業場 や洗車場といった具合だ。 日本と比べると売り上げの中身はか なり異なる。日本ではオイル交換や窓 にフィルムを張ったりするサービス収 入 が 、 多 く て も 店 舗 売 り 上 げ の 約 15%なのに対し、中国では約 40 %に もなる。洗車を利用する客が多いため だ。 ガソリンスタンドなどでの洗車が一 般的でない中国では従来、街中にある 個人経営の店が洗車などの作業を請け 負うことが多かった。しかし、再開発 による小型店舗の減少や、駐車禁止の 取り締まり強化などでこれらの業者は あまり増えていない。増え続ける需要 をイエローハットのような大規模な専 門業者が取り込んだ格好だ。 サービス収入の割合が大きいことは 中国事業のうまみになっている。自動 車用品販売に比べて利益率が高いから だ。これを反映して、イエローハット では日本の店舗よりも中国の店舗の方 がおしなべて営業利益率が高い。 日本でノウハウ の蓄積があるとは いえ、それを中国 に移植するのは容 易ではなかった。 青木社長は「合弁 パートナーに日本 式の店作りに 理解を求める のに苦労した」 と振り返る。 伝統的な中国の 自動車用品店は、 中小の個人商店が 多 い こ と も あ っ て、商品をできる だけ客に見えやすいように展示して定 価販売をするという習慣がなかった。 「価格は交渉で決まり、店はできる だけ高く売ろうとするもの」という商 慣習に慣れていた合弁相手は、最初は 日本式の売り場作りにも難色を示し た。商品を整然と効率的に並べるため の棚から価格や商品名を客に見えやす く大書する店頭表示すら、「無駄なコ スト」と言って拒否した。 「それではイエローハットの看板を 掲げる意味がない」と食い下がると 「日本人は中国の市場を知らないのだ から、余計な口出しはしない方がいい」 と語気を荒らげる始末。「日本の小売 業と提携するといっても、当初は『イ エローハット』の看板を手に入れた感 覚だったようだ」と青木社長は言う。 ならば、やってみせるしかない。日 本の店作りがどうなっているか、写真 やビデオ映像を見せ、実績を数字で示 しながら渋るパートナーを説き伏せ た。ようやく改善活動は軌道に乗る。 内なる敵の次は外の敵。地元のライ バル店が頻繁に“偵察”しに来るように なった。店作りをまねようとの意図は ありありで、堂々と店内をビデオカメ ラで撮影しようとする輩もいる。 「撮影は断るが、同じような店が出 てくることはむしろ歓迎」と青木社長 は言う。イエローハットのような店舗 は中国ではまだ珍しく、同業が出てく ることは潜在顧客の拡大につながると 考えているからだ。店のノウハウは外 見だけでは分からない。単品管理の情 報システムなど、目に見えない裏方で も日本式のノウハウは生かされてお り、そこまでコピーするのは簡単でな いとの自信がある。 フランチャイズ店をやらせてほしい ――。同社の上海本部にはこんな申し 込みが次々と寄せられるようになっ た。重要な第一歩であるブランド認知 はクリアしつつある。 NiKKei Business 2007年2月12日号 45 (写真:篠崎 律)簡易型カ
ーナビ
4
万
5000
円から
売れ筋商品 シートの張り替え需要が多いのが特徴。 冬場はムートンのシートカバーもよく売 れ、1セット10万円ほどの製品も カーナビは日本ブランドもあるが、 売れ筋は中国メーカーの廉価製品。 ダッシュボードなどに取り付けるソコンの画面上に映し出さ れる中国各地の地図。その 上には約 3 年間で販売した すべての建機の現在位置が示されてい る。コマツが建機に標準装備している 端末から時々刻々と送られてくるデー タを使った車両管理システムである。 この「コムトラックス」というシス テムは、日本では 5 年ほど前から導入 を始めており、通信網の整備を待って 中国でも 2004 年から導入した。建機 側の端末は、GPS(全地球測位システ ム)や通信機、エンジンの水温や負荷 の大きさなどを検知するセンサーなど で構成されている。 所在地はもちろん、エンジンのオン オフの時刻、油圧を使った仕事をして いる時間などがつぶさに分かる。所有 者だけでなく販売代理店、コマツ中国 でもインターネットを通じて常時見る ことができる。 盗難に遭った建機を探したり、深夜 にエンジンをかける不審な動きを察知 するといった防犯にも使えるが、実は 販売面の効用が大きい。顧客と接する 第一線である代理店の経営支援につな がるのだ。
群を抜くサービス要員
建機は機械だから、消耗品の交換や 定期的なメンテナンスが必要で、時に は故障もする。コムトラックスは稼働 履歴を管理しており、消耗品の交換時 期や、エンジンの水温から考えられる 異常などを即時に所有者や代理店に通 知するようになっている。 「そろそろオイルの交換時期ですが、 点検に来ませんか?」。代理店にとっ ては、こんな顧客との接点を持ち続け ることができる。顧客が買い替えや買 い増しを考えた時に声がかかりやすい し、整備点検や補修といったサービス 料収入にも直結する。 中国の統括会社、コマツ中国投資の 星野光多会長は言う。「これから中国 の建機業界で最も大切になるのが販売 網。優秀な代理店にコマツの建機を売 り続けてもらうためには、代理店が儲 かる仕組み作りが欠かせない」。 コマツは代理店網の整備に力を入れ てきた。合計 32 カ所の代理店網は日 本と韓国、米国系の建機メーカー 6 社 が中国での生産販売を手がける中で最 多。営業マンの人数は 2 番目だが、保 守や修理などに携わるサービススタッ 46 NiKKei Business 2007年2月12日号 (写真:篠崎 律)コマツ
サービス
料で
パ
フは最も多く、主要な競合他社に比べ ても 1.5 ∼ 2 倍の陣容を抱えている。 「ダントツの代理店力」と自負するゆえ んだが、大きな販売・サービス網を維 持するにはそれだけ経費もかかる。 中国の特殊事情による市場の不安定 感もまだ拭えない。記憶に新しいのは 2004年の金融引き締めによる建設投 資の落ち込みだ。2002 ∼ 03 年に投資 が過熱したため、中国政府は工業用地 や住宅地などの乱開発にストップをか けようと、資金供給元となる銀行を 「指導」して特定の地域や業種 での融資を絞った。その結果、 2004年の建機市場は前年比 5 割以上も落ち込み、コマツな ど建機大手は工場を一時止め るなど厳しい生産調整に追い 込まれた。