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地域コミュニティの中でのデザイン実践で得た気づき

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Academic year: 2021

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(1)62. 特集:社会実践のデザイン学. 元木 環 Motoki Tamaki 京都大学学術情報メディアセンター. Academic Center for Computing and Media Studies, Kyoto University. 地域コミュニティの中での デザイン実践で得た気づき 大津市仰木地区における 「地蔵プロジェクト」としての活動経験を振り返る Awareness gained through designing in a local community -A Case Study of retrospective of the experience as“JIZO Project”in Ogi, Otsu-City, SHIGA. 1.「共同体がある」ことへの気づき 筆者は、非常勤での勤務を含めると、およそ20年前より現所属である京都 大学で仕事をしている。大学での仕事、特に教員は属人的に多岐に渡るもの であるが、一番長く続けている主たる職務は、学内の他の教職員と同じ大学 に所属する者同士として、共に学術的な内容を視覚化するようなコンテンツ 制作および支援に取り組むことと、その支援制度自体の設計と運営だ。制作 支援については、自分を含め、数名のスタッフであたっており、コンテンツ を作りたい(使いたい)という教職員から相談を受け、話を聞くところか ら、たいていは実際の制作も担当する。場合によっては、相談者である教職 員と制作者である筆者らスタッフは、一緒に制作のための調査を行なった り、制作物を彼(ら)が自分(たち)の「もの」として使えるような形態へ の落とし込みから、制作物を活用する場へのインストールにも取り組む。こ の仕事に関わり出した当初と現在では、筆者自身を含めたチームのスキルや 仕事に取り組むスタンス、あるいは人間関係が大幅に変化しており、あたり まえであるが、大学と大学が内包する部局、構成員、あるいは周縁の別組織 も含め、それらの関係性や生態に関する知識量、特徴であると思われる文化 や価値観についての理解度は格段に増している。 筆者は、そもそもお世話になった方からのお誘いを断りきれずに始まった パートタイム勤務であったし、同じ大学でも私立芸術系大学にしか在籍経験 がなく、この国立総合大学がどのような仕組みで仕事が動いているのかわか らず、相手の話す知らない言葉や、こちらの話す言葉が通じていないことが 起こる日々に翻弄され、異世界であることが辛く、あまり自分にできること はないしとてもじゃないが続けられない、と思ったことが幾度もあったこと 1)京都大学研究資源アーカイブ. https://www.rra.museum.kyoto-u.ac.jp/. 京都大学における教育研究の過程において収集・作成 されたさまざまな資料類を体系的に収集・保存し、新 たな教育研究活動の資源として活用することを目的と している事業。対象とする資料は図書や標本類ではな く、写真・映像・録音、フィールドノート、研究会記 録、講義ノート、論文原稿などの一次資料を想定して いる。. Web サイトを経由して研究資源を検索、閲覧できる システムを構築公開しているほか、映像などの研究資 源や、研究資源から制作された映像コンテンツなどを 視聴できる映像ステーションという施設が同時に設置 されている。. が思い出される。 今のように制作することに喜びを見出せるようになったのはずっと後で、 諸事情が重なり常勤の教職員となって4、5年後、「京都大学研究資源アー カイブ[注1]」という大学に過去在籍した研究者らが残した写真や映像な どを含めた資料を収集、保存、活用しようという事業の立ち上げに関わった ことが契機になった。それまであまり接点のなかった分野の教職員に出会 い、一緒に、映像コンテンツや周知のための印刷物のデザイン制作、視聴環 境を整備導入といったことをすすめていくうちに、話をする機会が増えてい き、仕事の方向性についての諍いも越えて連帯感のようなものが感じられる ようになったのである。制作の際に、データと条件、目的だけではなく、文.

(2) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. 化や価値観のようなものが感じられるようになり「これはデザインの素材に 使える」「こういうものを制作してはどうか」など、何をデザインできるか、 どうデザインすべきか、おそらくこちらの方向性が良いに違いない、と自ら 考えられるようになっていったのは、この事業での制作実践の経験が作用し ている。 あるとき、そのワーキンググループの中の一人の先生と、何かの話をして いて思わず「先生、京都大学って面白いですねぇ」と話したところ「そうや ろ。わかってくれた?」とニヤリとされた。その先生は、学生時代から退職 前の当時までこの大学にいたという生粋の京都大学人?であったが、この 時、筆者はこのやりとり、その先生の表情や物言いからある既視感を抱き、 こう思った。 「あれ、そうか、京都大学も「仰木(おおぎ)」と一緒で、「京大」という 地域なのかも。部局は集落で、それぞれ慣習やアイデンティティがあるけれ ど、実は同級生としては繋がっていたりとか」 ニヤリとした先生の顔は、筆者が仕事ではなく実践していた活動「地蔵プ ロジェクト」でお世話になっていた地域「仰木」で出会う、自分の地域の短 所も長所も知り尽くした、経験豊かな長老らが時折見せる、褒められるとこそ ばゆいがまんざらでもなく嬉しい、とでもいうような表情と重なってみえた。 本稿では、筆者の地域コミュニティの中でのデザイン実践の原点である 「地蔵プロジェクト」の活動経験を省察し、得られた新たな気づきをもとに、 地域の中で、中にいる人と人、としてデザイン実践を行った際に起こった状 況について考察する。. 2.「共同体に関わる」実践と変化 2.1. 地蔵プロジェクトの始まり. 仰木とは、滋賀県大津市北部にある地域で、千年以上の歴史を持つ農村集. 落である。比叡山からの緩やかな尾根沿いに4つの集落が連なっており、西 側の背中に比叡山系を抱き、北側の少し向こうに比良山系を望み、東側を見 下ろすと琵琶湖があるといった、豊かな自然環境に囲まれる里山で、2002年当 時約2,700人700世帯、2019年現在は約2,000人800世帯が暮らしている(図1) 。 琵琶湖側には1980年代から仰木の山林、田畑を開発してできたニュータウン. があるが、ニュータウンを含めても東西4km ×南北3km の範囲に収まり、 集落を取り囲むように圃場がある。田畑の耕作はほとんどが兼業農家による もので、中山間地域等直接支払制度の対象となるような圃場もある一方、京 都や大阪といった都市へ通勤通学できる程度の距離にある。 また、仰木には、小椋神社という一つの村社を中心に寺社仏閣的な場が多 数存在し、上仰木(かみおおぎ) 、. ヶ下(つじがした) 、平尾(ひらお)、. 下仰木(しもおおぎ)というそれぞれの集落の自治組織とその中のさらに細 かな共同体のもとに維持され、祭祀行事などが営まれている。仰木には、周 辺の地域よりもお地蔵様が多数見られ、集落内に約1,000体が確認されてい. る。この数以外にも、かなりの家の敷地内にもお地蔵様は存在し「仰木とい えば地蔵が多い」という特徴を自認している。 「地蔵プロジェクト」とは、この仰木に隣接するニュータウンにある成安 造形大学(筆者の前任校)で、2000年に始められた活動の一つである。成安 造形大学は、京都にあった学校法人が四年生大学を作る際にこの地を選び 図1 上仰木からの風景. 1993年に開学している。2000年は、大学とその母体である学校法人の周年記. 63.

(3) 64. 特集:社会実践のデザイン学. 念事業行事として、大学に隣接するこの里山環境を見つめる契機となるよう な里山関連のセミナーやシンポジウムなどが開催されていた[注2] (図2)。 これらの里山関連の企画、そして地蔵プロジェクトの発起人であり、2000年 当時成安造形大学の教員であった森公一氏(現同志社女子大学)は、シンポ ジウムの挨拶で「美という視点を持ち込みながら仰木から、古くからの知 恵、あるいは古くからの美意識を学びたい」と、地蔵プロジェクトを含め里 山関連の企画意図を話している(1)。 地蔵プロジェクトは、森氏が、大津市出身で仰木をフィールドに活動して いた今森光彦氏(写真家)との会話を受け、はじめられた活動で、識者や地 域の方を招いて知識を得るシンポジウムなどの活動に対し、積極的に、学 生・教員・職員の有志が主体的に関わるための活動という位置付けであっ た。当時は、いまほど棚田など里山環境の維持に意味づけがされておらず、 圃場整備は精力的に実施されており、これまで自然の地形に沿った圃場の脇 図2 成安造形大学主催の連続セミナー  「里山 人と自然の美」(2002年)の 様子 2)連続セミナー「里山 人と自然の美」  第一回 里山 いのちと美 ピアザ淡海(2000年5月27日)  第二回 里山 生活と美 大津市北部地域文化センター(2000年6月17日)  第三回 里山 森の育む知恵 大津市北部地域文化センター(2000年7月15日) シンポジウム「里山 新しい物語の創造」 大津市百町館(2001年12月5日) (1)「里山 新しい物語の創造」(講演録),アート・トー ク 2001, 成 安 造 形 大 学 芸 術 文 化 交 流 セ ン タ ー, 2002年5月,53.. に鎮座していたお地蔵様たちは、田んぼを四角く広くする整備工事のため、 集約・移動されているという状況がみられた。このため、お地蔵様の置かれ た位置や風景が変化する前にと、仰木を歩き、発見したお地蔵様を、地図に プロットする、数を調べる、その周りの状況も記述するなどの記録活動をお こなうものだった(図3)。 筆者は、成安造形大学に勤務していた2002年から、この活動のメンバーに 加わってきた。それまで学生たちをリードしてきた森氏が、別の大学に異動 したこと、2000年から始めたお地蔵様の位置情報の記録がおよそ700体ほど 取集され、次は地図を制作する予定で、印刷や映像、写真といったメディア の扱いや制作に長けた、当時成安造形大のメディアセンターに勤務していた 筆者を含む若手スタッフが引き継いで主体的に加わることになったためであ る。最初は、勤務時間中に仕事として作業をしていたが、さらに放課後、勤 務終了後なども活動をするようになっていった。しかし、主体となる専任教 員(森氏)が不在となったことで、大学の里山関連企画は実施されなくな り、地蔵プロジェクトも、2003年の途中から、大学での活動として認められ ない状況となる。学生メンバーや、仕事の都合などで「卒業」してしまった メンバーもおり、メンバーは緩やかに出入りがあるが、もともとが有志の集 まりであり、主体的に興味関心の強い人が集まっていたことで、2006年から 現在は、5名のコアメンバーによる個人的な活動として、活動をしている。 活動や制作の内容も、当初は「地蔵」がテーマであったが地域と関わる. 図3 地蔵プロジェクトによるフィールド ワークの様子 3)、4) これまでの経緯については、後述でも触れるが、地蔵プロ ジェクトが制作、発行している冊子「じぞうのめ」第1号 から5号での連載記事「地蔵プロジェクトものがたり」に リーダーの谷本研氏によって記述されている。 制作の動機や留意点については、地蔵プロジェクトが2012 年から不定期に発行している冊子、季刊『じぞうのめ』に 連載されている「地蔵プロジェクト物語」を参照のこと。 地蔵プロジェクト:季刊『じぞうのめ』 第1号(2012),第2号(2012),第3号(2013),第4号 (2013),第5号(2016) 私家版だが、地区周辺の直売所などで購入可能なほか、問 い合わせにより購入可能 問い合わせ:[email protected]. 中、さまざまな出会いによって、地域の歴史や文化、自然や暮らしといった 幅広い対象にシフトしていった[注3]。これは、仰木に歴史があり、すぐ には理解できない非常に重層的なコミュニティで支えられる地域生活とその 環境、文化の在り方がとても魅力的であったこと、幸いにも地域には徐々に 活動が受け入れられ、コアメンバー個人個人としてもプロジェクトとして も、活動や制作物に対してモチベーションが上がるフィードバックを得た り、さまざまな出会いによって時間や経験を共にさせていただける機会をも らえたことによるだろう。また、現在のコアメンバーはたまたま仰木に通え る、滞在することが可能な場所に居住、仕事の拠点を持ち続けられたこと も、活動が続いた要因と考えられる。.

(4) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. 2.2. 制作物からみる素材入手と動機の変化. 本項では地蔵プロジェクトが行ってきた制作物から、デザイン実践の取り. 組み方の変化を省察する。 地蔵プロジェクトのコアメンバーは皆、制作・表現活動を行なっていたた め、調査やフィールドワークのアウトプットは論文や報告書ではなく、なん らかの表現や制作物として発出している。それらは、地域の地蔵盆などの行 事に合わせてイベントを行う、展覧会を実施する、印刷物や DVD を制作し. 配布する、といった場面で地域の人や一般の方に提示するほか、地域の人た ちと共に制作するようなワークショップなどの活動をデザインすることがあ る。 今回はそのうち、1.地蔵 Map &カード(図4)、2.仰木映像立体地図. (図5)[注6]、3.仰木1000年のくらし博覧会(図6)、という3つの制作 物について、その素材と動機、特に記憶に残っている留意点を比較する。 (表1) [注4]。 表1 地蔵プロジェクトの制作物の比較 制作物(完成年). 図4 地蔵 Map &カード. 制作物・素材. 制作の動機. 留意点/工夫点. 地蔵 Map &カード ・プロジェクトで撮 ・プロジェクトの調 ・カードをトランプ (2002年) 影した写真、描い 査の成果として作 になぞらえ、4集 たイラスト る 落をマークに当て ・フィールドワーク ・地蔵盆で配ったら はめる で感じた事象を元 良い企画になると ・知らない人が見て にメンバーでお地 考えた[注6] もわからないが、 蔵様に名づけ、エ 歩いたことがある ピソード執筆 人はわかる地図 仰木映像立体地図 ・国土地理院の地図 ・制作途中で放って ・情報をレイヤーと (2007年) や航空写真 いたが明治期「地 して映像で投影 ・自分たちの調査結 籍 図 」 を 見 せ ら ・見に来た人も自分 果、知人研究者の れ、触発される の地図を書き重ね 成果(水路図)など ・仰木の有志「八王 られる仕組み ・地域から貸与を受 寺組」メンバーに ・地図を囲んで地域 けた地図の実物を 途中を見せ、完成 の未来を語る会を 同時展示 と公開を励まされる 実施. 図5 立体地図展示を囲み話を伺う様子 5)2012年の仰木映像立体地図の展示風景 「鳥の眼/虫の眼2012 ─ 仰木映像立体地図 ─ 」展示記 録 映 像 https://www.youtube.com/watch?time_continue=. 仰木1000年のくら ・祭の記念品、記録 ・1150年祭を取り仕 ・1150年祭という由 DVD 切る年番の方より、 緒ある特別な機会 し博覧会[注7] ・各種資料を統合し 前年度に相談を受 であること (2008年) た1150年年表 けた ・50年後に1200年祭 ・歳時記タペストリ ・メンバーで熟考し ができるよう伝え ・昔の映像記録編集 別途行政助成も申 たいという年番の ・新作映画[注8] 請して実行 方の思い. 96&v=0Qsr-prSi84&feature=emb_title(2020年2月現在). まず、この3つの制作物の素材について振り返ると、その入手の仕方に変 化があることに気がつく。地蔵 Map &カードの制作は、地蔵プロジェクト. 自身が調査したデータや撮影した写真、さらに自分たちで(勝手に)お地蔵 様にあだ名をつけ、それをカードにしている。立体地図の展示の時期あたり まで活動が進んでからは、例えば、耕作地の転用状況を確認する農業組合の 図6 仰木1000年のくらし博覧会の DM 6)当初は「地蔵盆は遊びではない」と地域の方からお叱 りを受けた 7)同時にこの他のイベントも企画運営したが、主要な制 作のみをあげている 8)映画「虹の峠」はリーダーの谷本の個人的な出会いが きっかけとなり、別部隊が編成され、地蔵プロジェク トコアメンバー以外の人が多く関わり作成された。. 仕事(転作確認)に同行するお誘いをいただいたり、入会地での山の管理の 作業に(まずは体験として)呼んでいただいたり、家にある資料を見るかと 声をかけていただいたり、お母さんたちが土地のもので作られた美味しいも のをいただいたりといったことに誘われ、楽しんでいることがエピソードと して出てくる(図8)。立体地図の展示の際に同時展示した明治時代の地籍 図は、山行きの日(山での作業日)に出会った方から後日声をかけられ、自 宅に伝わる資料を見せてもらい、素材としても展示に加わえることになって. 65.

(5) 66. 特集:社会実践のデザイン学. いる。これは、地蔵プロジェクト側で「調査する対象」を決め、依頼をし て、素材の借用に対応してもらうのではなく、地域の人から「地蔵プロジェ クトのあいつらだったら、こういうことに興味を持ちそうだ」「一緒にこれ を楽しめるのではないか」という予想を持たれ自発的に声をかけられ、使え るのではないかと素材を手渡される、といったかたちに移行していることが わかる。 地蔵プロジェクト側としても、展示作品であれば完成形を見るために表現 や制作物の空間への設置が必要であるし、調査や素材収集の機会としても、 自分たちの活動や制作物に意見を伺う機会としても、反応を得たい、という 気持ちがある。それだけではなく、コアメンバーは、仰木は人材や知恵、エ ピソードの宝庫であること、活動期間が長くなり、それなりに仰木のことが わかるようになっても、「まだ出会っていない人がいる」こと、自分たちが 到底全てを知り得ないだけの「まだ他の話がある」だろうことを認識してお り、自分たちで制作するだけでは「完成できた」とはいえない、という気持 ちにならざるを得ず、地域の人と興味関心や問題意識を互いに持ち寄ること で、素材がやってくるという意識に繋がっている。 つぎに、筆者らの手記である「地蔵プロジェクト物語」も参考にして、制 作の動機に注目してみる[注4]。 手記には、地蔵 Map &カードの制作にあたって“学術調査の一方向的な発. 図7 調査結果をまとめたファイル. 表として終結させるのではなく、芸術系大学ならではの“表現”で、さらに 地域の方々との相互の関わりを深めたいと考えました”と記述している(2)。 立体地図の制作にあたっては、地域の人からの誘いで見た地籍図の面白さ に誘発されて、自分たちの地図制作を再開していることや(3)、制作が進ん だ頃、地域の別のグループに(これも違う相談に来られた時に)完成間近の 地図を見せたところ好評価を得て「自分たちの制作の方向が間違っていな い。この方向で進めてよいのだ」と確信を持って展示企画を推進させるきっ かけとなったことが記述されている(4)。 つづいて、1000年のくらし博覧会の実施にあたっては、前年の盆行事に参. 図8 山行きに同行し作業体験. 加中、音頭取りの仰木の方から“「来年、小椋神社で千百五十年祭があるの やけんども、地蔵プロジェクトにもりあげてもらえんやろか…」”と話を持 ちかけられたことに“仰木の大きな歴史のサイクルと私たちの活動が奇跡的 に同期したように感じました”という記述がある(5)。さらに翌年にかけて 詳しい話し合いを重ねていく過程で“由緒正しい祭事に部外者である私達が 関わることについて、氏子の皆さんの間で当初異論もあったに違いありませ ん。”と記述されており、ミーティングで、とても嬉しいしありがたいが、 引き受けるべきか、引き受けられるか、どうあるべきかなどをじっくり議論 したことが思い出される。結果、声をかけていただいた方を始め、その時の 祭りの取りまとめ役の方々にはそれまでの自分たちの活動を見ていただいて. 図9 山行きであった方に声をかけられ自 宅に伝わる地籍図を拝見 (2)地蔵プロジェクト「地蔵プロジェクト物語」季刊 『じぞうのめ』,第1号(2012),17.. (3)地蔵プロジェクト「地蔵プロジェクト物語」季刊 『じぞうのめ』,第3号(2013),19.. (4)地蔵プロジェクト「地蔵プロジェクト物語」季刊 『じぞうのめ』,第4号(2013),15-16.. (5)地蔵プロジェクト「地蔵プロジェクト物語」季刊 『じぞうのめ』,第4号(2013),17-18.. いる方が多かったこともあり、祭りと同時期に地蔵プロジェクトの独自イベ ントを開催する、というかたちで企画を考え、プロジェクト自ら市の助成金 を獲得し、実施することにした。 また、当初活動の名称であった「地蔵プロジェクト」が、途中でメンバー らをさす団体名称に変化している(そう呼ばれることが増えている)ことに も注意を払いたい。 これらのことから、地蔵 Map &カードは、地蔵プロジェクトの調査を形. にするという内発的な動機であるのに対し、立体地図は、地域の人とのコ.

(6) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. ミュニケーションからの作用が動機になっており、さらに相互作用が働き制 作が駆動されていく。くらし博覧会では、地域の人とのコミュニケーション との相互作用が働いたあと、自己省察を経た動機に変化している。 活動を通じて、メンバーが考えるデザイン実践の取り組み方としての「地 蔵プロジェクトらしさ」というアイデンティティが醸成されており、「地域 の人とのコミュニケーションの中で、素材と動機を持ち寄る形で生まれてい る(偶発的であるが必然的であること)」「自分たちだけでも地域だけでもな く、力を出し合うことでできる(創発的であること)」「始まりも過程も完成 時も共有する場があること(共創的であること)」を重要視していると考え られる。. 3.「共同体の中に共同体」をつくっているというあり方 ここまでの省察では、おそらく地域でのデザイン実践に関わった経験のあ る人なら、似たような経験があるように、地蔵プロジェクトでも、仰木の人 と話すこと、仰木をフィールドにしている、あるいは似たような活動をして いる地域以外の他者と話すこと、そして地蔵プロジェクトのメンバー内で話 すことによって、コミュニティの中での規範や考え方、困りごと、言葉の意 味や使い方、人と人の関係などに理解と知識が深まることで多方面に思考や 配慮が及ぶようになり、コミュニティにとっての美意識や価値観、文化など を自分たちでも想起しながら制作における各種の選択に反映できるように なっていったことがわかる。 また、地域の人にとっての「地蔵」あるいは地蔵プロジェクトのある種の 地域活性化の枠に入るような活動は、彼らにとって、生活者としての自治活 動や信仰活動、共同体維持振興の枠組みで関わるものであったため、地蔵プ ロジェクトが早い段階で「大学の活動」ではなくなり、個人個人の直接的な 生業とは直結しない立場でデザイン実践ができたことも、双方向的な(と いっても仰木の懐に入れてもらえたような)関係を結べた要因であると考え られる。 では、コミュニティに関わり実践することで関係が深まることを良しとし て、それを突き詰めることは、デザイン実践者がコミュニティの中の人と化 して実践しようとすることなのだろうか? 本稿での省察を通じて筆者が「地蔵プロジェクトとは何だったのか」と考 えたとき、仰木という地域コミュニティの中に入り一員となることではな く、むしろ「デザイン実践をすることで仰木というコミュニティの中に地蔵 プロジェクトを含む新たなコミュニティをつくること」ではないかと考察す る。 2013年以降、仰木では活性化拠点作りが本格化しており、地蔵プロジェク トは、表現や制作といった本来の専門性から一歩踏み出るかたちで、地域の 意見の集約やグループの立ち上げなどにも関わっている。コアメンバーは地 域活性化委員会の一員であり、リーダーは幹事としても委員会に加入するな ど、深く関係を持たせていただいている。仰木という1世代程度では到底コ ミュニティの一員になる、とは思えない歴史あるコミュニティであったこと ゆえの気づきや態度かもしれないが、それでも筆者は、地域コミュニティの 中でのデザイン実践者のあり方や態度として、「もともとのコミュニティに 加われた」ということではすまさないことが大事ではないか、と考える。. 67.

(7) 68. 特集:社会実践のデザイン学. 4.おわりに 筆者は、京都大学を一種の「地域コミュニティ」であると捉えるように なってから地蔵プロジェクトで得た関わり方、実践の進め方を京大でのデザ イン実践に転用できるようになったデザイン実践者がコミュニティの中での インタラクションの記録や記述から、自分たち自身で自分たちのとった行動 や活動の裏にあった訳を言語化しようとすることは、実践者自身が、かつて の自分の実践に新たな意味を見出し、次の実践に活かすことができるのでは と考える。 実践者同士で経験を交換することにより、よりよいデザイン実践を世の中 に増やすこと、また、記録や記述をもとに、実践者以外の研究者によっても 実践知を積み上げられる可能性があるのではないだろうか。 最後に、筆者が最近活動できていない「地蔵プロジェクト」について振り 返ろうと思えたのは、本特集号のメンバーとディスカッションを重ねたこと が大きい。ここに感謝を申し上げる。また、地蔵プロジェクトのコアメンバー の中でもとりわけ多くの実践をともにしてきた穴風光惠さん、大原歩さん、 谷本研さんの3名には、改めて感謝を伝えたい。なお、本稿はあくまで筆者 個人として省察した現時点での見解として記述していることを申し添える。 【参考文献】 「里山 新しい物語の創造」(講演録),アート・トーク 2001,成安造形大学芸術文化交流セン ター,2002年5月,51-104.. 学生たちの里山発見仰木地蔵プロジェクト,別冊太陽117『今森光彦とめぐる里山の四季』平凡. 社、38-39、2002年.

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