現 代 音 楽
か ら 現 代 の 音 楽 へ
− 偏 見 と 建 前 か ら の 解 放 −
中村滋延
† 第三の音楽 と呼ばれる音楽がある.西洋芸術音楽(クラシック)や“現代音楽” とは無関係であり,かつロックやポップスのような大衆音楽とも無関係な「現代 の音楽」である.本発表ではその 第三の音楽 の紹介を通して,コンピュータ 音楽の新しい傾向のひとつについて解説する.From contemporary music to today’s music:
The liberation from the prejudice and the principle
Shigenobu Nakamura
†The music called "the third music" is today’s music. It is unrelated to Western art music, unlike contemporary music that is a genre of Western art music (classical music), and it is not as popular as rock and pop music. Through a presentation on “the third music,” I describe a new trend of computer music.
1. は じ め に 当事者(作曲家)であるにもかかわらず,最近の筆者は,“現代音楽”に対して非常 に懐疑的である.懐疑的であるとは,例えば「公教育の場で“現代音楽”をどのように 教えるのか」という議論がなされるとすれば,「教えるべき価値が“現代音楽”にあると は思えない」とすぐ否定的に発言してしまうことを指している[1].そう発言するのは, “現代音楽”は「現代の音楽」ではないと筆者自身が考えているからである.コンピュ ータ音楽も “現代音楽”の文脈の中で語られることが多いが,それが本当に「現代の音 楽」なり得ているのだろうかとの疑念を持つようになっている.なぜならば, 現代音 楽 とは無関係なコンピュータ音楽の存在,それも大衆音楽とは縁のないアートとし てのコンピュータ音楽を知るようになったからである. 本稿では,“現代音楽”を筆者がどう把握しているか,“現代音楽”に代わる現代の音 楽として何を想定しているか,そしてその具体例としてのコンピュータ音楽とはどの ようなものか、などについて解説する 2. 聴 き づ ら い “現 代 音 楽” “現代音楽”は西洋芸術音楽(いわゆる「クラシック音楽」)の系列上に位置する音楽 である.現代音楽に関する本の多くはそのように扱っている[2][3][4][5].ここでいう 「現代」とは歴史の先端という意味である.この先端という概念は進歩史観に基づい ている.進歩史観に基づく西洋音楽史では,単声→多声への移行を,多声になってか らは対位法→和声法→半音階の多用→無調(十二音・総音列・音群・偶然性)への移 行を,それぞれ「進歩」という概念で扱っている[6].つまり,進歩の先端が無調性の 音楽であり,それゆえに無調性の音楽は“現代音楽”と呼ばれている. しかし無調性の音楽はそれが登場してからすでに100 年ほど経過している.100 年 前の出来事をふつうは現代とは呼ばない.したがって“現代音楽”は時代区分ではなく 様式による名称である. “現代音楽”は聴きづらくて難しい.だから当然のこととして“現代音楽”のコンサー トには客が入らないし,CDなどの売り上げも低い.その聴きづらさの原因は無調性 にある.調性音楽に慣れた耳には無調性の音楽は次への予測が困難であり,耳はたち まちのうちに音の行方を見失ってしまう.そこには美しい旋律や協和音もなく,耳の † 九州大学大学院芸術工学研究院 Faculty of Design, Kyushu University
愉悦とは縁遠い.しかし,“現代音楽”の関係者やクラシック音楽の通(つう)の聴き 手にとっては,聴きづらさは必ずしもマイナス評価になっていない. 岡田暁生は西洋芸術音楽を「楽譜として設計された音楽」と定義している[7].ここ で重要なのは,設計=構成ということであり,よい音楽とは巧みに構成された音楽と いうことになる.例えばベートーベンの音楽は譜例を用いた分析によって巧みに構成 されていることが証明され,そのことでそれがよい音楽であると納得させられる[8]. 「構造的聴取」を理想としてきたように,西洋芸術音楽の鑑賞には知的たのしみの側 面がかなりある[9].十二音音楽や総音列音楽などが評価されてきた歴史の裏には,こ のことが大きく影響している.聴きづらくても,巧みな構成がそこにあり.それが論 理的な構造に基づいていることが立証されればよいのである.これは一種の建前であ る. しかし,進歩の先端としての無調性の“現代音楽”は 100 年間停滞したままである. 当初は時を経ると克服されると信じられてきた聴きづらさは,少しも克服されていな い.クラシック音楽コンサートのプログラムに“現代音楽”が取り入れられることはき わめて稀である.本音で“現代音楽”が大好きだという人は,当事者(関係音楽家)以 外にいるのだろうか. そうした中で,近年,調性的要素を作品の中に取り入れる“現代音楽”の作曲家が増 えてきた.ヘンリク・ミコワイ・グレツキHenryk Mikolaj Gorecki(1933-)[a]やアルヴォ・ ペルトArvo Pärt(1935-)[b]などがその代表例である.無調性の音楽が先端であると いう進歩史観がもたらした偏見に作曲家たちが疑念を抱き始めたからであろう.そし て,コンサートという制度に則って作品を発表している限りは西洋芸術音楽の大部分 を成り立たせている調性的要素を捨て去ることは出来ない[10],と気付いたからであ ろう. 3. “現 代 音 楽”か ら“第 三 の 音 楽”へ 停滞したとは言え,100 年も続いているのであるから,“現代音楽”が音楽文化創造 の面でもたらしたもの̶“現代音楽”の遺産̶はそれなりに存在する.その遺産とは以 下の3 つに整理できる. a) グレツキは社会主義国ポーランドにありながら,初期は前衛的な作風で作曲を行っていた.やがて前衛と 決別し,調性音楽的な感覚の音楽を作曲するようになり,1976 年に作曲した《交響曲第3番「悲歌の交響曲」》 は現代のクラシック音楽としては例外的な大人気を博し,イギリスのヒットチャート6 位に登場したと言わ れている. b) エストニア生まれの作曲家ペルトも,その初期は音列技法による前衛的な作風で作曲を行っていたが,や がて古楽や初期キリスト教音楽の影響受けた調性音楽的な感覚の音楽を作曲するようになった.1977 年に作 曲した人気曲《タブラ・ラサ》などはバロック期の合奏協奏曲と見紛うばかりである. (a) 拡大された音素材:無調性,不協和音,騒音,電子音,環境音. (b) 知的操作の推奨:音列思考,計算機の応用,コンセプチュアル・アート的思考. (c) コンサート制度の形骸化:“現代音楽”コンサートにおける聴衆の少なさに由来 するコンサート制度への疑問. 調性的要素を取り入れたグレツキやペルトなどの“現代音楽”が存在する傍らで,“現 代音楽”の遺産を取り入れた新たな「現代の音楽」が存在することに筆者は気付きはじ めるようになってきた.主に大学で指導する学生たちが制作する音楽を通してのこと である.それは次のような音楽である. (a) 拡大された音素材という点では,無調性,不協和音,騒音,電子音,環境音など を必要に応じて制限なく使用している.しかしクラシック音楽や“現代音楽”の作 曲技法は用いられることはない.そもそも楽譜に書かれることがない. (b) 知的操作の推奨という点では,西洋芸術音楽の作曲技法の代わりに,作曲演奏ソ フトウェア制作を中心としたコンピュータ・プログラミングという知的作業を中 心として音楽制作を行っている.知的操作の対象が五線楽譜からプログラミング 言語に代わったのである. (c) コンサート制度の形骸化のいう点では,音楽をインスタレーションとして提示し たり,クラブやギャラリーを上演の場にしたりして,コンサート制度にとらわれ ることがない.ネット環境も作品公開の手段として積極的に取り入れている. それはクラシック音楽や“現代音楽”などの芸術系音楽とは一線を画している.しか し知的であり,他領域のアート(美術やダンス,現代演劇,映像アートなど)との近 縁性を意識していることで,いわゆる商業的な大衆音楽とも一線を画している.この ことから,“第三の音楽”と筆者は呼んでいる.形態としてはコンピュータ音楽である ことが多い. この 第三の音楽”としてのコンピュータ音楽の特徴にひとつとして,さらにマルチ メディア性を加えることが出来る.上演時のコンピュータの使用に際し,そのモニタ 画面を視覚表象として聴衆に提示することが多い.音の様相を見せることで聴きづら さを軽減するためであるが,積極的に聴覚表象と視覚表象の融合を模索している作品 もある. 4. “第 三 の 音 楽”の 具 体 例 第三の音楽 の実態はまだ曖昧である.その定義自体が,クラシック音楽や“現代
音楽”などの芸術系音楽でもなく,商業的な大衆音楽でもないという二重の否定によっ てしかなされていないからである.そこで定義づけに至る一過程として,筆者がどの ような音楽を 第三の音楽 と見なしているかを,筆者が身近に接するアーティスト や学生たちの実例提示を通して,以下に解説する. 堀尾寛太(1978- )の《particle》[11][c]は電磁石の磁力をコンピュータでコントロール して金属片を動かす作品である.金属片は動いた時に電磁石とぶつかって音を発生さ せる.この音はマイクで拾われて拡声され,金属片が動く様子はカメラで撮られスク リーンに大きく投影される.金属片の細かい動きとその結果として発生する音は予測 困難である.しかしこのことが視ることと聴くことの集中を誘発し,金属片が発する 何の音楽的感興も呼び起こさないような音を,結果として,豊かな音楽的出来事に変 えてしまう.(図1) 電磁石の磁力のコントロールが演奏行為になること,金属片が電磁石とぶつかって 発生する音が音楽になること,音が発生する様子が視覚表象としても提示されること, これらがこの作品の特徴であり,魅力となっている. 図 1 堀尾寛太《Prticle》 藤岡定(1979- )《cubie》[12][d]はパズルゲームを模した演奏ソフトウェア作品である
c) 2002 年制作.Off-ICMC2005(Barcelona/Spain), Japan Yokohama Triennale 2005(Yokohama), CEAIT festival(Los Angels/USA), NIME’04(Shizuoka),などで上演
d) 2006 年制作.2008 International Festival of Electronic Art 404 5th Edition (Trieste/Italy),BACA-JA 2007(ブロー ドバンド・アート・コンテンツ・アワード・ジャパン)ネットワークアート部門優秀賞, Electro Frenge (図2).キーボードの各キーには演奏情報が割り当てられていて,キーボード操作に よって音楽が演奏できる.かなり自由度の高い演奏ソフトウェアで,習熟を要求する ようになっているが,初心者がゲーム感覚で適当にキーを打っても音楽が演奏できる. コンサートではもっとも習熟している藤岡自身によって演奏される.通常はインス タレーションの形で提示され,来場者が自由に演奏するようになっている.またネッ ト上でも公開され,ダウンロードを行って個人的に演奏を楽しむことができる. 実はこのソフトウェアは,習熟してどのように演奏しても藤岡の音楽しか聞こえて こないところがあり.キーボード操作は演奏とするよりも,聴くことをコントロール することに関わっているように思われる.とはいうものの,モニタ画面を見ながら文 字を打つという作業は演奏しているという実感を,いやそれ以上の快感を確実に与え てくれる.この点にこの作品の特徴と魅力がある. 図 2 藤岡定《Qubie》 的場寛(1983- )《overbug》[13][e]は音楽の基本構造が反復であるという原理をテーマ にした演奏ソフトウェア作品である.的場は反復をループととらえ,そのループをモ ニタ上で円によって表す(図3).カーソル代わりの虫を円上に走らせ,虫が円上に置 かれた点にぶつかった瞬間に発音する.円や点,虫などを好きな数だけモニタ上に設 2007(Australia),2007 アジアデジタルアート大賞展,などで上演.
e) 2008 年制作,transmediale 2009 nominated(Berlin/Germany), BACA-JA 2008 (ブロードバンド・アート・ コンテンツ・アワード・ジャパン)ネットワークアート部門優秀賞最優秀賞,2008 アジアデジタルアート大 賞展,2008 International Festival of Electronic Art 404 5th Edition(Trieste/Italy),などで上演.
定することが出来る.速度や音高,音色の設定も自由にできる. 音楽構造を視覚化していること,反復をループとしてとらえて円で表していること, モニタ画面が円をモチーフにした美的造形であること,これらがこの作品の特徴であ り魅力となっている. なお,この作品はユーモアに満ちあふれている.発音のためのカーソルが虫である のをはじめ,その虫を消すためのカーソルは蠅たたきであり,多量の虫を消すための カーソルは殺虫スプレーである.虫を大きくするためのカーソルはステロイド入りの 注射器であり,虫に注射をすると体が大きくなって音量も上がる. 図 3 的場寛《Overbug》
古田伸彦《push action buttons》[14][f]はモニタ上の仮想ボタンを押すことで,音を次々 と発生させる演奏ソフトウェア作品である.ただし,ボタンは出鱈目に押すのではな い.あるボタンを押すと,それに反応して新しいボタンが誕生したり,すでにあるボ タンが動き出したり震えだしたり,それに伴って音が発生する.それはあたかも押す ことを誘発するような効果を醸し出す.操作者はその誘発に反応してボタンを押す. そしてそれが演奏になる.どのボタンを押すかは操作者の反応の仕方に委ねられる. この作品では聴覚表象と視覚表象の融合がはかられている.例えば,操作者はモニ タを見る,モニタ上のボタンを見る,そのボタンの動きを見る,押すべきボタンを選
f) 2008 International Festival of Electronic Art 404 5th Edition(Trieste/Italy),2008 インターカレッジコンピュータ 音楽コンサート,などで上演.
択するためにボタンを見る,選択したボタンを押そうとするカーソルの動きを見る等, 音を聴くためにこれほどに見ることに神経を集中させる.このように集中的に見るこ との結果,音を聴くことに集中するようになる.この点にこの作品の特徴と魅力があ る.
図 4 古田伸彦《Push Action Buttons》
5. “第 三 の 音 楽”は 現 代 の 音 楽 で あ る ( ま と め に 代 え て ) 実際には以上の他にも様々なタイプの“第三の音楽”がある.本稿では筆者が一番よ く通じている身近な作品例のみを紹介した.ただし上記4作品のみの紹介によっても ある程度の理解が得られたと思うが,“第三の音楽”としてのコンピュータ音楽は以下 の点で,“現代音楽”に代わる現代の音楽である. ①“現代音楽”の遺産を使用しつつも,それにまつわるその建前や偏見には縛られて いない.すなわち西洋芸術音楽の価値観から解放されている. ②コンピュータ・プログラミングなどの新たな知的たのしみがある. ③マルチメディア・アートとしての面白さ,つまり目と耳でたのしめる面白さがあ る.したがってインスタレーションとしての提示,クラブやギャラリーでの上演 など,従来のコンサート形式に縛られない.ネット環境も積極的に取り入れてい る.
④依拠すべき権威もない,また表面的な消費を考える必要もない.その分,全体的 に新たな価値創成・表現の可能性に満ちている.
参考文献
1) 中村滋延,他:「現代音楽」のゆくえと音楽教育̶その可能性を探る̶(1),日本音楽教育 学会第40 回大会プログラム,p.107(2009).
2) Gieseler,Walter: Komposition im 20.Jahrhundert.Details-Zusammenhänge, Moeck Verlag+Musik- instrumentenwerk(1975). 3) R.スミス-ブリンドル(吉崎清富訳):新しい音楽̶1945 年以降の前衛,アカデミア・ミュー ジック(1988). 4) グリフィス,ポール(石田一志・佐藤みどり共訳):現代音楽̶1945 年以降の前衛,音楽之友社 (1987). 5) 松平頼暁:20・5 世紀の音楽,青土社(1982). 6) レイボヴィッツ,R(入野義郎訳):シェーンベルクのその楽派,音楽之友社(1965). 7) 岡田暁生:西洋音楽史̶「クラシック」の黄昏,中公新書,p.4(2005). 8) ルーファー,ヨーゼフ(入野義郎訳):12 音による作曲技法,音楽之友社,pp29-51(1957). 9) アドルノ,Th.W.(渡辺護・高辻知義訳):音楽社会学序説̶十二の理論的な講義,音楽之友社 (1970). 10) 沼野雄司:リゲティ,ベリオ,ブーレーズ̶前衛の終焉と現代音楽の行方,音楽之友社, pp172-176(2005).
11) Kanta Horio Web 0.1!!!!. http://kanta.but.jp/works/ 12) sadmb.com. http://sadmb.com/Cubie/#media
13) DOMINO FACTORY WORKS. http://www.dominofactory.net/Overbug/